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2013/07/13

入手整理資料119

争議行為及びピケッティング等の基本的な刑事判例(その5)

2月で中断していた争議行為及びピケッティング等の基本的な刑事判例等4シリーズが昭和45年で止まっていたので再開する。三連休でピッチを上げて一気に終了させる、庁舎管理権などを若干整理し、就業規則改正・新労働協約案・懲戒処分基準改正等の上申書にとりかかかる予定。
 これは、主として中村秀次「刑法総論に関する基本資料違法性及び違法性阻却正当行為等」『熊本ロージャーナル』4号 2010年〔※ネット公開〕に掲載されているもののなかからピックアップしたものである。精査のためにはこれだけではもちろん足りないが、争議行為とピケットについて判例の時代的変遷をおおまかに掴むために一通りチェックしておくのに便利であると考えた。

争議行為及びピケッティング等の基本的な刑事判例等その1 滝野川事件、山田鋼業事件、理研小千谷工場事件、朝日新聞西部本社事件(民事)、三友炭鉱事件、ホテル・ラクヨー事件、羽幌炭鉱鉄道事件、東北電力大谷発電所事件、四国電力財田発電所事件http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-7098.html  その2嘉穂砿業事件、国鉄檜山丸事件、全逓東京中郵事件、安西郵便局事件 http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-e5e0.html その3 都教組事件、全司法仙台事件、札幌市労連事件(札幌市電ピケット事件) 、http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-68d7.html その4 第七青函丸長万部駅事件、浜松動労事件、全逓横浜中郵事件http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-c91b.html


今回は、石田和外コート昭和48年4・25全農林警職法判決で判例変更される2年ほど前の限定的合憲説をとった争議行為許容判決の二つ。いずれもワースト判決といえる。


10026 福教組事件 最三小判昭46.3.23 最高裁判所刑事裁判例集25巻2号110頁

 福岡県教職員組合が同県、同県教育委員会の実施した勤務評定の実施に反対するため、1日の一斉休暇闘争を行うにあたり、組合の幹部として闘争指令の配布、趣旨伝達、一斉就業放棄方の従容等の行為を行ったことが地方公務員法違反かが争われ、原審無罪、棄却(多数意見3、反対意見2)

検察官の上告趣意について。
 所論のうち、憲法二八条、三一条、一八条、二一条違反をいう点は、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神にそくして、これと調和しうるよう、合理的に解釈されるべきものであつて、地方公務員法六一条四号の規定も、憲法の趣旨と調和しうるよう解釈するときは、争議行為自体が違法性の強いものであることを前提とし、そのような違法な争議行為等のあおり行為等であつてはじめて、刑事罰をもつてのぞむ違法性を認めようとする趣旨と解すべきであることは、当裁判所の判例(昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁)とするところであるから、これと同旨に出た原判断は正当であつて、論旨は理由がない。 次に、判例違反をいう点は、所論引用の昭和二四年(れ)第六八五号、同二八年四月八日大法廷判決(刑集七巻四号七七五頁)は、昭和三九年(あ)第二九六号、同四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻八号九〇一頁)ならびに原判決言渡
後の昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号三〇五頁)により、実質的に変更されており、また、所論引用の昭和四〇年一一月一六日東京高等裁判所判決(高刑集一八巻七号七四二頁)は、原判決言渡後、前示昭和四四年四月二日大法廷判決により破棄されたもので、原判決の所論判示部分は、前示のとおり、右大法廷判決と同旨のものであるから、刑訴法四一〇条二項の趣旨に従い、原判決を維持するのが相当であつて、論旨はいずれも理由がない。ただ、所論のうち、原判決の判断が所論昭和二六年(あ)第三八七五号、同三〇年一一月三〇日大法廷判決(刑集九巻一二号二五四五頁)と相反するとの点は、原判決は、憲法二一条の観点から、地方公務員法六一条四号の規定は前示のように限定的に解釈すべきものである旨判示しているところ、右大法廷判決は、同号の規定につき何ら限定的解釈をすることなく、これが憲法二一条に違反するものではないとの見解をとつているのであるから、原判決は、右大法廷判決と相反する判断をしたことになるものといわなければならないけれども、前示昭和四四年四月二日大法廷判決および昭和四一年(あ)第一一二九号、同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号六八五頁)の趣旨に徴すれば、事実審の確定した事実関係の下においては、原判決が、本件争議行為は、その目的、手段方法、期間、国民生活に及ぼした影響等に照らし、違法性が強いものとはいえないから、被告人らの本件行為はすべて地方公務員法六一条四号に該当せず、無罪とすべきものであるとしたのは、その結論において正当であつて、原判決には所論の判例違反があるが、この判例違反の事由は、刑訴法四一〇条一項但書にいう判決に影響を及ぼさないことが明らかな場合に当たり、原判決を破棄する事由とはならない。
 
 裁判官下村三郎、同松本正雄の反対意見
 原判決は、地方公務員法六一条四号の解釈を誤り、罪となるべきものを罪とならないとする違法を犯したもので、破棄されるべきものと考えるが、その理由の詳細は、昭和四一年(あ)第四〇一号、同四四年四月二日大法廷判決(別集二三巻五号
三〇五頁)の裁判官奥野健一、同草鹿浅之介、同石田和外、同下村三郎、同松本正雄の反対意見と同趣旨であるから、ここにこれを引用する。

10027-1 佐教組事件 最三小判昭46.3.23 最高裁判所刑事裁判例集25巻2号110頁

 佐賀県教職員組合が、教職員の定数削減反対、完全昇給実施等の要求を貫徹するため、三日間で3・3・4割の休暇闘争を行うにあたり、組合幹部として闘争指令の配布、趣旨伝達、一斉就業放棄方の従容等の行為を行ったことが地方公務員法違反かが争われ、原審無罪、該行為は地方公務員法61条3項に該当しないとして棄却(多数意見3、反対意見2)

 判決の内容、反対意見は、福教組事件と同じである。

(参考)
10027-2 佐教組事件第一審判決 佐賀地裁昭37.8.27『判例時報』310号


 
 本判決は、石川達三の長編小説『人間の壁』のテーマを提供した事件として知られ、日教組の休暇闘争事件にからむ初の教育裁判として注目された有名な事件である。
 佐賀県教職員組合が、教職員の定数削減反対、完全昇給実施等の要求を貫徹するため、三日間で3・3・4割の休暇闘争を行うにあたり、組合幹部として闘争指令の配布、趣旨伝達、一斉就業放棄方の従容等の行為を行ったことが地方公務員法違反かが争われたが、佐賀地裁は、地方公務員法37条1項前段に規定する争議行為の解釈範囲を狭め「具体的に公共の福祉に反するおそれのないことが明らかな争議行為まで禁止するものでない」として無罪と判決した。
 昭和41年10.26全逓東京中郵事件最高裁判決や、昭和44年4.2都教組事件最高裁判決といった公務員の争議行為禁止を限定的合憲として、刑事処罰から解放しようとする一連の組合寄りの判決の流れをつくり公務員の争議行為を増長させる元凶となる下級審判列としてワースト判決といえる。私のコメントは最後に記す。

 判決(要所のみ)「‥‥地方公務員といってもその職種は権力行政にたずさわるものから、単純労働を行うものまで多種多様であり、その争議行為の方法においても、各種の態様が考えられる。したがって、これら争議行為の主体と差異に応じて、住民に与える不利益の性質の性質及び程度は千差万別である。かくて、具体的事案においては‥‥争議行為の主体と方法による住民の不利益の性質、程度等を綜合して‥‥比較考量するとき、住民の受ける不利益の方が地方公務員の受ける不利益よりもはるかに小さい場合もありうることは想像に難くない。すなわち、地方公務員の争議行為といえども、人権相互間の実質的に公平な調整という意味における「公共の福祉」に反しない場合がありうるのである。したがって、地方公務員の争議行為を一切禁止するならば、住民の利益を不当に重視し、地方公務員の勤労者としての利益を軽視することになって、かえって公共の福祉に反する場合が生じるから、かかる法規があるとすれば、それは憲法二十八条に違反するものというほかはない。‥‥地方公務員法第三十七条が、地方公務員の争議行為を禁止するのは、それが多くの場合「公共の福祉」に反するおそれがあるからであって、したがって同条は具体的に公共の福祉に反するおそれが明らかな争議行為までも、これを禁止するおそれがない法意でないと解すべきである。すなわち、公共の福祉に反するおそれのないことが明らかな争議行為は、地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為に該当しないのであり、かく解してはじめて右各法条は憲法第二十八条に適合する‥‥(中略)
‥‥当初より学芸会の練習、映画鑑賞が予定されていたため支障がなかった学校もあったこと、中学校では殆ど支障がなかったこと、学校では研修、研究発表会、教科書展示等で三割程度の教職員が出張することは屡々あること‥‥後に補充授業を行えば支障の回復が可能であること、従来小中学校とも実際の出校日数は、文部省が定める指導を要する基準日数を十日乃至三十日上廻っていること、及び実際の出校日数、出校日数のうち授業を全く行わなかった日数、授業の一部を欠かした日数、農繁休業、臨時休業等の日数は、いずれも学校によって大きな開きがあり、したがって教育に柔軟性、弾力性があることが認められること、以上の事実を綜合すると、学校の教育活動全体からながめられる場合、被告らの提案等をした同盟罷業が学校の年間教育に及ぼすべき支障は極めて僅少であり、それによって住民が蒙る実質的不利益は比較的軽微であったというべきである。
 以上検討した諸点を綜合して勘案すると、本件同盟罷業当時佐教組の組合員である教職員が、争議行為を禁止されることによって受ける不利益は、被告人らが提案等をした同盟罷業によって蒙るべき不利益に比しはるかに深刻且つ重大であったというほかない。したがって、両者の権利の実質的公平な調整という公共の福祉に反するおそれがないことが明らかである、といわなければならない。‥‥地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為は公共の福祉に反するおそれのあるものにかぎるのであって、具体的に公共の福祉に反するおそれのないことが明らから争議行為は右各法条にいわゆる争議行為に該当しない。そして、以上詳論したように被告人らの提案等をした同盟罷業は公共の福祉に反するおそれのないことが明らかであるから、地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為にあたらない。‥‥」 

判決-抜粋
「‥‥地方公務員である教職員が統制的、集団的に、休暇届を提出して就業しない、いわゆる一斉休暇が、労働基準法第三十九条の年次有給休暇請求権を行使するものとして地方公務員法第三十七条第一項前段に規定する同盟罷業としての評価を受けないかどうか、及び教職員が統制的、集団的に就業せず、右のような措置要求を行うことが、地方公務員法第四十六条の措置を要求する権利を行使するものとして、右の同盟罷業としての評価を受けないかどうかについて、それぞれ検討しなければならない。
(一)年次有給休暇と同盟罷業との関係
 ‥‥‥‥およそ休暇という概念は、あくまで使用者が労働者の労働力を管理支配していることを前提とするものであって、使用者が労働者の労働力を管理支配しないところに休暇というものは存在しない。ところで地方公務員法第三十七条は第一項前段に規定する「同盟罷業」も労働法一般に使用されている「同盟罷業」と同一の概念であって、労働組合その他の労働者の団体が自己の主張を科貫徹するために、業務の正常な運営を阻害することを意図し、少なくとも正常な運営を阻害することを知りながら、労働組合その他の労働団体の統制のもとに、その所属員が集団的に労働力を引き上げ、結果として使用者の業務の正常な運営を阻害することであるから、使用者の労働力に対する管理支配を団結の力で一時的に排除することを本質とする。したがって同盟罷業と休暇は本質的に相容れない性質といわなければならない。そこで有給休暇届を提出して就業しないという形式をとったとしても、その手段の実体が右に述べたような同盟罷業であると評価されるときは、労働基準法上正当な有給休暇としての取り扱いを受けることはできない。このことは年次有給休暇請求権が形成権であるか、使用者の承認を要求する請求権であるかによってその結論を異にするものではない。そうでなければ、実体において同盟罷業の要件を備えながら、有給休暇なるが故に使用者に賃金支払の義務を課することになって明らかに不合理である。したがって、労働組合その他の団体が自己の主張を貫徹するために、業務の正常な運営を阻害することを意図し、少なくとも認識しながら、労働組合等の統制のもとに、その所属員が集団的に有給休暇届を提出し、使用者がこれを承認しないのにかかわらず、就労せず業務の正常な場合においては実態において同盟罷業と評価されるから、仮に事業の正常な運営を妨げないときであっても正当な有給休暇として取り扱うことはできない。‥‥
(二)措置要求権の行使と同盟罷業との関係
‥‥労働組合その他労働者の団体が、自己の主張を貫徹するために、業務の正常な運営を阻害することを意図し、少なくともこれを知りながら、労働組合その他の労働者の団体の統制のもとに、その所属員が集団的に、任命権者またはその委任を受けた者の承認を受けることなく、労働力を引き上げ就業せず、措置要求のための手続を共同して行なうため集会に参加し、よって業務の正常な運営を阻害するときは、一方において有効な措置要求があったとしても、他方右のような手段は実態において同盟罷業としての評価を受けることを免れることはできない。
(三)被告人らの前示行為と業務の正常な運営の阻害
 以上述べたように、年次有給休暇の請求或は措置要求権の行使ということがあったとしても、それらの手段の実態が同盟罷業と評価される時は、同盟罷業が成立するのであるが、そのためにはその手段が、業務の正常な運営を阻害することを意図し、又は少なくともこれを認識してなされること及びその手段によって業務の正常な運営が阻害されることを要する。したがって被告人らの前示行為が地方公務員法第三十七条第一項の同盟罷業をあおったものというためには、まず。被告人が提案等をしたことがらが、学校の業務の正常な運営を阻害するものであり、且つこれを被告人らが認識していたことを要する。そこで、この点について検討しなければならない。
 そもそも、公立小中学校は初等中等教育を施すを施すものであるから、平日において教職員によって、予定された従業計画どおりの教育活動が行われる状態が正常な状態である。‥‥被告人が提案等をしたことがらは、公立小中学校の教職員が、二、二、三、三或いは三、三、四の割合で、四日間或いは三日間一斉に公立小学校に出勤しないで、措置要求集会に参加することであるから、その間学校においては授業計画を変更し、自習、テスト或いは合併授業を行わなければならず、児童生徒に対し、平常どおりの教育活動を行うことことが不可能ないし著しく困難な状態になることは明白であり、また、被告人らを含む佐教組執行部も組合員に対し、休暇闘争中の自習計画等について詳細な指示を与えているのであって‥‥したがって、被告人らが提案をしたことがらは、公立小中学校の業務の正常な運営を阻害するものであり、被告人らはこれを認識しながら提案等をしたものといわなければならない。もっとも‥‥公立小中学校においては、研究発表会、研修或いは教科書展示会等に約三割の教職員が出張することが屡々あり、そのような場合には、授業計画を変更したり、自習計画或は合併授業等をしていることが認められるし、また事業の正常な運営を妨げない限り、教職員が数人同時に正当な有給休暇をとることも法律上可能なのであって、このような場合もやはり同様の状態が発生することは明らかである。しかしながら、前者の場合は、学校業務の運営にともなう必要悪であって、学校の正常な運営を阻害するか否かという評価をさしはさむ余地のない場合でもあるし、後者の場合は、労働者としての教職員の権利として法律上当然認容すべきことであるが、そのことは、結果として発生する前記のような状態に対し、業務の正常な運営を阻害するという客観的評価を妨げるものではない。有給休暇は業務の正常な運営を阻害する場合であっても、事業の正常な運営を妨げないかぎり、これを与えなければならないということである。したがって、これらの事例があるからといって、前記の如き状態の発生を同盟罷業の要件としての業務の正常な運営を阻害として客観的に評価することを妨げるものではない。
(四)被告人らの前示行為と同盟罷業との関係
 ‥‥被告人らは、定員削減反対、財政再建計画粉砕、昭和三十二年度教育予算の大幅確保、昭和三十一年度昇給昇格の完全実施、二千円の賃上げ等を佐教組の闘争目標とし、これを貫徹するために、業務の正常な運営を阻害することを認識しながら、佐教組の統制のもとに、組合員が二、二、三、三或は三、三、四の割合をもって集団的に有給休暇届を校長に提出し、校長との話し合いで休暇がとれるよう努力するが、校長が受け取ることを拒否し、話しあいがつかないときは、校長の態度いかんにかかわらず、休暇請求書を提出して休暇をとり、就業しないで、措置要求集会に参加することを提案等したのである。‥‥使用者の労働力に対する管理支配の排除を含み、既に述べた同盟罷業の要件を充足するから、その実態において同盟罷業と評価されものをその内容とするものといわなければならない。

 ‥‥ところで、憲法第二十八条は、勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利はこれを保障すると規定しているが、一般職に属する地方公務員(以下単に地方公務員と略称)である教職員も、地方公共団体に対して自己の労働力を提供し、その対価として受ける給与によって生活する以上、同条にいう「勤労者」に属する。したがって、地方公務員である教職員もまた同条によってその争議権を保障されているものといわなければならない。そこで、地方公務員の争議行為を禁止し、これをあおったりした者に対し刑罰を規定した地方公務員法第三十七条、第六十一条四号が右の憲法第二十八条に違反しないかについて考察しなければならない。‥‥憲法は個人の尊重を最高の価値とし、人間性の尊重をその最高の指導理念としている。かかる憲法のもとにおいては、国家の存在そのものが、個人の生命、自由および幸福を実質的に公平に保障し、且つこれを最大限に伸張することを究極の目的とするのであって、個人の生命、自由及び幸福と無縁な、それを超越した国家あるいは一部の国民の目的或は利益というものは存在しない。‥‥
 しかしながら、これらの基本的人権の主張は多くの場合、他人の生命、自由、幸福或は権利と多かれ少かれ、直接または間接に矛盾し、衝突する。かかる場合国家は、両者の人権をひとしく尊重しつつ、実質的に公平に、その矛盾衝突の調整をはからなければならない。権力者或は一部の国民の利益とか政策によって、その一方だけを不当に保護し、他方を軽視することは許されない。けだし個人の生命、自由、幸福の最大限の伸張という国家の理想し、論理必然的に個人の人権相互間の矛盾衝突の実質的に公平な調整を内含するからである。したがって、憲法にいう「公共の福祉」とはまさにこの人権相互間の矛盾衝突の実質的に公平な調整すなわち人権相互の統合的な調和の原理そのものでなければならない。‥‥このように、憲法で保障された人権といえども、絶対無制限なものはありえず、右に述べたような意味内容をもった「公共の福祉」によって制約すべきものである。したがって、憲法二十八条によって保障された争議権も本質的内在的に、かかる意味における「公共の福祉」のために制約されたものということができる。‥‥
 ところで地方公務員は全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当たっては、全力を挙げてこれに専念しなければならない性質のものであり、(地方公務員法第三条)住民は使用者として、地方公務員の奉仕によって福利を享受するのであるから、地方公務員の争議行為によって、多かれ少なかれ、不利益を受けることは明らかである。しかしながら先に述べたように、この場合国としては両者の人権をひとしく尊重しながら、実質的に公平な調整をはからなければならない。形式的な公平にとどまったり、その一方のために他方を軽視してはならない。地方公務員法は第三十七条、第六十一条第四号において、地方公務員が争議行為を実施すること及びこれをあおったりすることを禁止し、あおったりした者に対しては刑罰を規定すると同時に、その代償として、適正な勤務条件を確保する手段を講じているのである。すなわち職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮し、その職務と責任に応じて条例で定め、給与以外の勤務条件は国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適正な考慮を払って条例で定めることとし(第二十四条)、都道府県は、人格が高潔で地方自治の本旨及び民主的で能率的な事務の処理に理解があり、且つ人事行政に関し識見を有する者のうちから議会の同意を得て、地方公共団体の長が、二人以上が同一の政党に属することのならないように選任した委員三名をもって組織される人事委員会を置くものとし(第七条、第九条)、人事委員会に対しては、職員に関する条例の制定又は改廃に関し、地方公共団体の議会及び長に意見を申し出ること、人事行政の運営に関し、任命権者に勧告すること、毎年少くとも一回、給料表が適正であるかどうかについて、地方公共団体の議会及び長に同時に報告し、給与を決定する諸条件の変化により給料表に定める給料額を増減することが適当であると認めるときは、あわせて適当な勧告ができること、職員の給与がこの法律及びこれらに基く条例に適合して行われることを確保するために必要な範囲において、職員に対する給与の支払を監理すること、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する措置の要求を審査し、判定し、及び必要な措置をとること等の権限を付与し(第七条、第八条、第二十六条、第四十七条、第五十条)、一方職員に対しては、給与、勤務時間その他の勤務条件に監視人事委員会に対し、地方公共団体の当局により適当な措置が執られるべきことを要求することができ、任命権者より懲戒その他その意に反して不利益な処分を受けたときは、人事委員会に対し当該処分の審査を要求できる権利を認めている(第四十六条第四十九条)。かくして、国は地方公務員の争議権と住民の利益との形式的な公平をはかっているのであるが、そもそも勤労者にとって争議行為は、その団結の力で、使用者と対等の立場に立ち、有利に団体交渉を展開し、適正な労働条件を確保するための唯一の効果的手段であるから、その手からこれを剥奪するためには相当効果的な代償措置が施されなければならない。しかるに右に述べた代償措置はは争議権に代るには必ずしも十分であるといえない。何故ならば、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する条例及び人事委員会の勧告乃至意見は執行機関において誠実に実施されて、はじめて、職員の適正な勤務条件を確保する機能を果たすのであるが、現実には、例えば、地方公共団体の長や議会その他の機関が財政上の都合等を理由にこれらを実施しないことがありうるにもかかわらず、前記の人事委員会のもろもろの意見や勧告には相手機関を拘束する法律上の効力がなく、単に道義的な負担を与えるに過ぎず、相手機関が誠実に実施しない場合のてあてはなんら講じられていないからである。更に地方公務員といってもその職種は権力行政にたずさわるものから、単純労働を行うものまで多種多様であり、その争議行為の方法においても、各種の態様が考えられる。したがって、これら争議行為の主体と差異に応じて、住民に与える不利益の性質の性質及び程度は千差万別である。かくて、具体的事案においては、地方公務員の勤務条件の劣悪の程度、人事委員会の勧告等の実施状況、争議行為の主体と方法による住民の不利益の性質、程度等を綜合して、地方公務員が争議権を剥奪されたことによって具体的に蒙る不利益と住民が地方公務員の具体的な争議行為によって受ける不利益とを比較考量するとき、住民の受ける不利益の方が地方公務員の受ける不利益よりもはるかに小さい場合もありうることは想像に難くない。すなわち、地方公務員の争議行為といえども、人権相互間の実質的に公平な調整という意味における「公共の福祉」に反しない場合がありうるのである。したがって、地方公務員の争議行為を一切禁止するならば、住民の利益を不当に重視し、地方公務員の勤労者としての利益を軽視することになって、かえって公共の福祉に反する場合が生じるから、かかる法規があるとすれば、それは憲法二十八条に違反するものというほかはない。
 以上、説示したところを綜合して考えると、地方公務員法第三十七条が、地方公務員の争議行為を禁止するのは、それが多くの場合「公共の福祉」に反するおそれがあるからであって、したがって同条は具体的に公共の福祉に反するおそれが明らかな争議行為までも、これを禁止するおそれがない法意でないと解すべきである。すなわち、公共の福祉に反するおそれのないことが明らかな争議行為は、地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為に該当しないのであり、かく解してはじめて右各法条は憲法第二十八条に適合するのである。
 五、被告人らが提案等を提案等をした同盟罷業と公共の福祉
 そこで、地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号を具体的事案に適用する場合には、地方公務員法の勤務条件の劣悪の程度(条例内容の実施状況を含む)、代償措置の機能発揮の程度(特に人事委員会勧告の実施状況)、地方公務員が争議行為を決意するに至った事情、特に過去において他の手段を試みたか否か。更に他の手段を試みる余裕はないか。(争議行為の必要性、緊急性)、地方公務員が争議行為によって貫徹しようとしている主張の内容、争議行為の方法、住民が争議行為によって蒙る不利益の性質、程度等を綜合勘案して、地方公務員の権利と住民の権利をひとしく尊重しながら、その実質的に公平な調整点すなわち「公共の福祉」を発見しなければならない。
(一)教職員の勤務条件の劣悪の程度(略)
(二)代償措置の機能発揮の程度(略)
(三)被告人が同盟罷業等の提案を決意するに至った事情(略)
(四)被告人が同盟罷業によって貫徹しようとした主張の内容(略)
(五)争議行為の態様(略)
(六)住民が被告人ら提案等をした同盟罷業による蒙るべき不利益
 憲法二十六条は、国民に対し教育を受ける権利を保障するとともに、法律の定めるところによって、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負わせ、これに基づき教育基本法は、国民に対し、その保護する子女に九年の普通教育を受けさせる義務を負わせるとともに、国または地方公共団体の設置する学校によおける授業料を徴収しないこととし、学校教育法は、市町村はその地域にある学令児童生徒を就学させる必要な小中学校を設置しなければならないものとし、これらの学校は公の性質をもつものであり、その教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚してその職責の遂行につとめなければならないものとしている。したがって、かかる学校の教職員が、二、二、三、三或は三、三、四の割合による四日間或は三日間の同盟罷業を行った、その間児童生徒の教育に支障を生じ、憲法により保障された国民の教育を受ける権利が侵害されることは明白である。しかしながら、被告人らが、本件同盟罷業による教育への支障を最小限に止めるべく、十分の注意払ったことはさきに述べたとおりであり‥‥現実に行われた本件罷業によって、従来の従業計画は他の学科、自習、テスト、映画鑑賞、学芸会の練習に変更され、或いは合併授業が行われる程度の支障はあったが、教職員は平素の研修、研究発表会におけるときよりも細心の注意をもって自習計画、自習乃至テスト用プリント等の作成、授業計画の変更、指導監督、合併授業等にあったこと。当初より学芸会の練習、映画鑑賞が予定されていたため支障がなかった学校もあったこと、中学校では殆ど支障がなかったこと、学校では研修、研究発表会、教科書展示等で三割程度の教職員が出張することは屡々あること、教職員は一年を通じ、二十日の有給休暇をとる権利がうるが、当時殆ど行使されていなかったこと、後に補充授業を行えば支障の回復が可能であること、従来小中学校とも実際の出校日数は、文部省が定める指導を要する基準日数を十日乃至三十日上廻っていること、及び実際の出校日数、出校日数のうち授業を全く行わなかった日数、授業の一部を欠かした日数、農繁休業、臨時休業等の日数は、いずれも学校によって大きな開きがあり、したがって教育に柔軟性、弾力性があることが認められること、以上の事実を綜合すると、学校の教育活動全体からながめられる場合、被告らの提案等をした同盟罷業が学校の年間教育にに及ぼすべき支障は極めて僅少であり、それによって住民が蒙る実質的不利益は比較的軽微でああったというべきである。
 以上検討した諸点を綜合して勘案すると、本件同盟罷業当時佐教組の組合員である教職員が、争議行為を禁止されることによって受ける不利益は、被告人らが提案等をした同盟罷業によって蒙るべき不利益に比しはるかに深刻且つ重大であったというほかない。したがって、両者の権利の実質的公平な調整という公共の福祉に反するおそれがないことが明らかである、といわなければならない。
六、結論
 ‥‥地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為は公共の福祉に反するおそれのあるものにかぎるのであって、具体的に公共の福祉に反するおそれのないことが明らから争議行為は右各法条にいわゆる争議行為に該当しない。そして、以上詳論したように被告人らの提案等をした同盟罷業は公共の福祉に反するおそれのないことが明らかであるから、地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為にあたらない。したがって、被告人らの行為は、同法第三十七条第一項及び第六十一条第四号に該当しないから、その余の争点については判断するまでもなく‥‥無罪の言渡しをすることとする。‥‥

コメント 佐教組事件判決批判(未完-重要なテーマであるため)

 本件刑事事件判決の要点は三割、三割、四割の一斉休暇闘争は同盟罷業であり争議行為としたうえで「地方公務員の争議行為といえども、人権相互間の実質的に公平な調整という意味における「公共の福祉」に反しない場合がありうる。したがって、地方公務員の争議行為を一切禁止するならば、住民の利益を不当に重視し、地方公務員の勤労者としての利益を軽視することになって、かえって公共の福祉に反する場合が生じる‥‥地方公務員法第三十七条が、地方公務員の争議行為を禁止するのは、それが多くの場合「公共の福祉」に反するおそれがあるからであって、したがって同条は具体的に公共の福祉に反するおそれが明らかな争議行為までも、これを禁止するおそれがない法意でないと解すべきである。被告らの提案等をした同盟罷業が学校の年間教育に及ぼすべき支障は極めて僅少であり、それによって住民が蒙る実質的不利益は比較的軽微であったというべきで‥‥本件同盟罷業当時佐教組の組合員である教職員が、争議行為を禁止されることによって受ける不利益は、被告人らが提案等をした同盟罷業によって蒙るべき不利益に比しはるかに深刻且つ重大であったというほかない。したがって、両者の権利の実質的公平な調整という公共の福祉に反するおそれがないことが明らかである、といわなければならない。‥‥地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為は公共の福祉に反するおそれのあるものにかぎるのであって、具体的に公共の福祉に反するおそれのないことが明らから争議行為は右各法条にいわゆる争議行為に該当しない。‥‥被告人らの提案等をした同盟罷業は公共の福祉に反するおそれのないことが明らかであるから、地方公務員法第三十七条、第六十一条第四号にいわゆる争議行為にあたらない。」として無罪としたものである。

 
○争議権を人権といえるのか

 
 この論理構成の難点は、争議権を人権とみなし、基本的権利と重要な価値と認識していることであり、そのような法認識は基本的に誤っているのでワースト判決である。

 判決は人権相互間の実質的調整などと言いだし、本件争議行為を違法とするならば、住民の利益を不当に重視するというのであるが、そのような価値観それ自体が戦後プロレイバー労働法学の害毒ともいうべき労働基本権思想に染まった異常なものだといわなければならない。
 もちろん私は、日本国憲法で明文規定された権利が全て良性のもので「人権」あるいは「基本的権利」として価値があるというような粗雑な考え方をとらない。これを読んでいるあなたは、たぶん基本的人権というのは自由権的基本権と社会的基本権を総称していうのだ。自由権的基本権の個人主義体系が社会的基本権により修正されて現代的人権というんだという学校で教えられたとおりの教科書的な考え方をもっているかもしれないが、私は社会的基本権なるものが、普遍的価値に値するなどという、ばかげた考え方をとること到底できないのである。日本国憲法が社会的基本権を採用したモデルは1917年メキシコ革命憲法、1919年ワイマール憲法、1931年スペイン無血革命による第二共和制憲法、1940年キューバ憲法と考えられる。いわば戦間期の左翼色の強い外国憲法の模倣にすぎない、戦間期にはやった左翼色の強い憲法が良い憲法だったという評価ももちろんできないのである。
 
 世界で最初に社会的基本権を規定したのは1917年メキシコ憲法であり、1日8時間労働、児童・婦人労働の保護と禁止,産休制,最低賃金制、同一労働同一賃金、団結権とスト権を定めている。メキシコ憲法をはじめとするラテンアメリカ憲法の理論的支柱はフランスの公法学者レオン・デュギーの法思想であった。(長谷川成海「法の社会化と社会の近代化--メキシコの場合{」『早稲田法学 』  62(4) 1987 〔※ネット公開〕)それはフランス人権宣言やナポレオン民法典に代表される個人主義的な観念に基づく法体系を修正し、近代市民社会の大原則である所有権の絶対性を否認する集団的社会的所有権思想であった。大土地所有制度のアンチテーゼと採用されたものである。
 しかし私は、ローマ法以来の個人主義的法体系を安易に修正した、メキシコ憲法以下の基本思想を受け容れることはできない。財産権、所有権、契約自由こそ神聖なものという18~19世紀の自由主義理念の放逐に賛同できないからである。

 
  
○ワイマール憲法159条は特殊な事情でできたものでそれを人権とはみなせない。


 
 しかし日本国憲法28条のモデルとふつういわれるのは団結権を認めた1919年ワイマール憲法159条(労働条件および経済条件を維持し、かつ、改善するための団結の自由は、各人およびすべての職業について、保障される。この自由を制限し、または妨害しようとするすべての合意および措置は、違法である)である。
 欧州大陸で労働協約が法認されたのは、1914年のスイスが最初であるが、それまで否認されていたものが、戦間期に特有の政治的事情により、規範的効力を有するとされるようになったもので歴史的必然であったわけではない。
 今日でも英国においては、雇用契約はあくまでも法的には使用者と被用者の一対一の契約なのであり、コモンローでは労働協約は営業(取引)制限そのものとされ違法なのであり、法外的な紳士協定にすぎないから法的拘束力はないが、個別契約が協約の内容を受容することにより事実上尊重される慣行があったというだけである。1870年営業制限の法理に反し違法との理由での起訴を免責する制定法によって、1875年労働組合を刑事共謀罪で起訴できないとされ事実上合法化されるようになっただけのことであって、英国普通法において本質的には違法であることは、将来においても変わることはないはずだ。自己の労働力をどう処分するかの権利を他者によって侵害される労働協約の強要は、本質的に取引の自由を制限し侵害するものとして違法であるものだから、違法(犯罪)であるものが、人権となるということは価値観の転倒は理屈のうえでありえないのである。
 ドイツにおいては、1918年11月15日に大企業と労働組合が締結した「中央労働共同体協定」(特に6条「すべての男女労働者の労働条件は、当該業種の関係に応じて、被用者の職業団体との集団協定によって決定されなければならない。これに関する交渉はすみやかに行い、直ちに締結のはこびに至らなければならない)を受け、同年12月23日に公布された「労働協約、労働者委員会及び職場委員会並びに労働争議に関する命令」(労働協約令)によって労働協約が法認された。(名古道功「西ドイツ協約自治の限界論(一)」『民商法雑誌』 89(3) 1983)れにより、ドイツは個別契約主義から団体主義に移行した。今日のドイツの中央交渉による協約自治の原点となっている「中央労働共同体協定」とは、19世紀以来の労働組合の要求を概ね呑んだものであるが、共産主義革命を防ぐためには労働組合に経営権を認めさせたたうえで体制内化させたほうが無難という戦術的譲歩の結果にすぎない。  
 それが敗戦による混乱、ハイパーインフレ、革命への恐怖という[労使]両者に共通の基盤」の上に成り立っていたことは疑いない。(枡田 大知彦「ワイマール期初期の自由労働組合における組織再編成問題 : 産業別組合か職業別組合か」『立教経済学研究』 55(3) 2002http://ci.nii.ac.jp/naid/110000987134〔※ネット公開〕栗原良子「ドイツ革命における『ドイツ工業中央共同体』(二)完」『法学論叢』91巻4号1972)それは非常時における妥協的政策といえるのであって、人権なのではない。
 つまり1919年ワイマール憲法は、中央労働共同体協定と労働協約令を受けて、159条において団結の自由を規定したが、それはあくまでも敗戦後の混乱と、ハイパーインフレ、暴力革命の恐怖という特殊な社会情勢から労働組合に譲歩するとともに、一方で経営権をみとめさせて体制内に組み込むためのかなり問題のある政策に過ぎないのであって、それ基本的権利として市民的自由に匹敵する価値と認めることはできない。
 もちろん、歴史的過程をみれば、選挙権が拡大され誰でも投票できるようになったのは、暴力革命抑止の政策であったかもしれない。それと同じように団結権や労働協約も暴力革命抑止、特に第一次世界大戦後において、英仏の国内事情から労働組合に戦争協力の見返りとしてILOを設立させ、フランスで労働協約を法認した、敗戦国のドイツも労働協約法認となったという事情は基本的には同じことという歴史観はありうるだろうが、それはたんに因果関係であって、だから人権として価値があるといいう評価にはならない。歴史的必然ともいえない。
 逆にいえば第一次世界大戦とロシア革命の恐怖さえなければ、戦勝国の労働組合の戦争協力の見返りとして戦後処理のため設立されたILOも設立されなかったし、労働協約法認もさほど進まなかったかもしれない。労働協約による団体主義の法認といっても100年もたっていない事柄であり、そのような新奇な思想は尊重に値しない。
 
 (この項目 未完) 

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