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2013/09/23

非嫡出子相続分規定違憲決定は悪しき「裁判官立法」として非難されるべきものなので、法改正は最小限にとどめ、もうこれ以上の家族法の変更を欲しない旨の政府・与党への要望の下書きその六

大法廷決定は、「ドイツにおいては1998年(平成10年)の「非嫡出子の相続法上の平等化に関する法律」により,フランスにおいては2001年(平成13年) の「生存配偶者及び姦生子の権利並びに相続法の諸規定の現代化に関する法律」により,嫡出子と嫡出でない子の相続分に関する差別がそれぞれ撤廃されるに至っている。」と独仏の法改正に肯定的に引用しているが、我が国も右に倣えでよいのか。

 

 

 

欧州における非嫡出子相続差別撤廃の法改正を模倣することがよくない理由

 

 その1 嫡出家族保護の要請は重要な価値であり衡平に反する

 

 約千三百年前の大宝令戸令応分条で、頭割で嫡子二分に対して庶子一分、妾にも男子の半分の相続が認められているように、日本では古くから庶子・妾の法的地位は高かった。旧民法(1890年公布)も明治民法(1898年施行)も非嫡出子は嫡出子の半分としているが、立法趣旨について明治民法起草委員の穂積陳重、梅謙次郎いずれも戸令応分条を参考としたと述べている[i]。これは西洋との大きな相違である。

そもそも西洋法のほうが婚外子差別が顕著であった。聖書が「側女の息子」「不義の床から生まれた子供」を非難していること、厳格な一夫一婦制でスペアとして婚外子をもうけるという仕組みのないヨーロッパにおいては歴史的に婚外子は権利を大きく制限され、生存すら脅かされたのである。

民法900条は西洋法の概念で「嫡出子/非嫡出子」を区別しているが、日本古来の「嫡子/庶子」と西洋法の「嫡出子/非嫡出子」は、必ずしも同一ではない。「嫡子/庶子」は「家」との関係で決まり、「嫡出子/非嫡出子」は父母の婚姻関係で決まるからである。日本には妻妾制の伝統があるうえ、嫡男には跡取りとしての資質が重視される場合もあり、「嫡子/庶子」の境界は流動的であった[ii]

欧州大陸ではローマ法の継受が進んだ15世紀後半以降、ローマ法にならって次の3種の婚外子概念で区別された。「自然子(単純私生子・独身男女の婚前交渉子)」「売淫子(母が売春婦)」「姦生子(姦通により生まれた子)・乱倫子(近親相姦によって生まれた子)」(忌むべき生まれの子)。

ローマ法によれば、婚外子は父とは宗族関係も血族関係ももたず、母と血族関係にたった。ただし自然子(単純私生子)については婚姻準正により、のちの両親の婚姻により準正子は嫡出子と概ね同じ権利をもつものとされた。しかし姦生子・乱倫子の権利は否定されていた。

教会法は、12世紀グラティアヌスが法源論から、秘跡・典礼にいたるまでテーマ別に整理・収録したことにより法実務の基礎を持つようになり、ローマ教皇の普遍的権威が強調された結果、教皇の一般的教会法制定権が確立し、12世紀中葉に教皇授任裁判というシステムがとられて、各国から上訴された事件の教皇の裁定が採録されることにより古典カノン法が形成された。10世紀には既に教会裁判所が婚姻を管轄権としていたので、イングランドを中心に婚姻事件に関して活発な上訴がみられる。婚姻成立については合意主義と合衾主義の対立があったが教皇アレクサンデル3世(在位1159~81)は、緩和的合意主義 婚姻理論を採用した。

もともとキリスト教は終末論宗教なので、イエスやパウロがそうだったように独身であることが最善であった。しかし第二パウロ書簡で家族倫理が強調されたこと、10世紀には教会裁判所が婚姻を管轄権としたことから、結婚も積極的な意味で評価されるようになり1112世紀の神学者によって結婚の成立要件・意義が理論化され、結婚は花婿キリストと花嫁教会の一致の類比として秘跡とされたのである。神学者は正当にも真正パウロ書簡のコリント後書を根拠として、「ふしだらな行為を避けるため」の結婚の意義を強調した。

キリスト教は、「嫡出/非嫡出」概念を大きく変えた。婚外子は「出生の穢れ」をもち、親の「恥」の証拠とみなされ、相続権や身分・地位継承権が否定されたのである。

ただ古典カノン法はローマ法の婚姻準正を継受した。しかし国王諸侯は法廷相続に関して教会裁判所の干渉を嫌ったため、13世紀英国マートン法をはじめとして、大陸においても婚姻準正の法定相続承継の効果は否定されたので実質的意味をもたなかった[iii]。世俗的には正当な相続人は生まれながらの嫡出子でなければ婚姻戦略は成り立たないからである。

なお教会法は、12 世紀以降、弱者保護の観点から父に対する婚外子の扶養請求権を認めていく(強制認知)。婚約不履行訴訟は教会裁判所で裁かれ、子の父は、子の母と結婚するか、あるいは持参金相当の慰謝料と分娩費用・子の養育費用を支払わねばならなかった[iv]

非嫡出子に対してもっとも厳しかったのはコモン・ローと思われる。英国コモンローは、非嫡出子を誰の子供でもなく、その教区の子供として扱った。すなわち婚姻関係にない男女間から出生した子供(非嫡出子)は、コモンロー上、実の父母との親子関係を一切拒絶された存在として扱われたのである。このことから、非嫡出子は父母のいずれの姓をも称することを拒否され、何人からも財産を相続することを否定されていた。またこれは、父母のいずれも子供の扶養、保護、監督の権利義務を有すさないことを意味し、子供は父母に対しこれらを請求できないことを意味した。このように、父母とのあらゆる関係を認めないというものが、いわゆるコモン・ロー上のfilius Nullisfilius populi の原則と呼ばれるものの内容だった[v] 

英国でコモン・ロー原則が緩和されるようになるのは、1926年で非嫡出子について、母に嫡出の卑属がない場合に限って母に対する相続権を認めた。これを大幅に改革し、父と母を区別することなく、無遺言で死亡する親の遺産について、非嫡出子に嫡出子と同じ相続権を与えることとしたのは労働党ウィルソン政権の1969年の家族法改正であり、1970年に施行された 。コモン・ロー原則との決別である。

フランスであるが、1804年ナポレオン民法は認知した自然子(単純私生子)に相続権を与えるという構成をとっている。ただし、相続権は認知した親だけに限られ、姦生子と乱倫子には相続権は認められず父母の捜索も禁止されていた。嫡出の直系卑属がおる場合は、嫡出子の2分の1とされていた。

 

 

単純私生子に父の捜索を認めたのは1912年。姦生子と乱倫子に扶養料請求の訴が認められたのは1955年である。

1972年に1804年以来の改革がなされ、非嫡出子における自然子と姦生子・乱倫子の差別をなくし、認知によって嫡出子と同一の地位に立つこととなり、姦生子・乱倫子の父の捜索も許された。ただし嫡出子と競合する場合は、嫡出子の相続分の二分の一をうけるものとされた。ほぼ日本の明治民法(現行民法)と同じ水準といってよい[vi]

ドイツでは1794 年プロイセン一般ラント法が婚外子の権利を手厚く保障した。結婚の約束をして生まれた子は、たとえ親が結婚しなくとも嫡出子とみなされた。また、懐胎期に母が複数の男性と性的関係をもっており、父が特定できない場合には、子の後見人は彼らに対し、子が14 歳になるまでの扶養料を請求できると定めた[vii]。しかし、ドイツにおいても非嫡出子は長い間、父親から相続権を否定していた。1896年民法典は、母方及び母方血族かにの相続権だけを認めていた。ただ非嫡出子の生存を確保するために父に対する扶養請求の訴を認めていた。

非嫡出子が嫡出子と同等の権利とされたのは1969年の法改正によるものである[viii]。当時の社会民主党ブラント首相自身私生児だった。

 

以上をまとめると次のように整理できる。

 

(1)ローマ法

非嫡出子に母方との血族関係を認める。婚姻準正を認める

(2)教会法

 婚姻準正と、扶養請求権を認める。

(3)コモン・ロー

何人の子供でもなく、実父母との親子関係は一切否定される。

(4)1804年ナポレオン民法

 自然子(婚前交渉子)は認知により相続権を得るが、姦生子・乱倫子はそうではない。

(5)1896年ドイツ民法典

 非嫡出子に母方からの相続を認める。父には扶養請求の訴を認める。

(6)1898年日本の明治民法

 非嫡出子に嫡出子の半分の法定相続。

 

ヨーロッパで、もっとも早く非嫡出子に父方からの相続権を認めたのは1915年のノルウェーであるが、しかし父子関係確定訴訟で多数関係者かにの抗弁が認められていたので1959年の法改正まで、非嫡出子は相続すべき父を持たなかったといわれている。したがって、英独(米国については別途考察する)で父からの相続権が認められたのは1969年、フランスは自然子を除くと1972年と比較的最近なのである。

それと比較すれば我が国は古来より、庶子の相続分を認め、19世紀末の民法制定から嫡出子の半分というバランスで法定相続を定めていた。

嫡出家族保護の要請と、非嫡出子への配慮という衡平の原則にかなっているのが我が民法と評価されるべきである。実際フランスの1972年法が我が国の相続半分という在り方に類似している。参考例とされたかもしれない。

大法廷判決は平等と個人の尊厳を錦の御旗として押し切る言い方をしているが、平等と個人の尊厳だけが正義なのではない。衡平の原則もある。

嫡出家族の保護、法律婚の保護は、重要な政府利益である。我が国は外国のようにシングルマザーの問題が深刻でない。このことは社会に安定性をもたらしている。家族が道徳や社会規範、生活様式、マナー、文化、あるいは家業の継承において技術・技能を次世代に伝える基礎単位であるから

婚姻家族の保護、法律婚制度の保護は、個人の尊厳にもましてゆずれない価値である。

 

ヨーロッパでの差別撤廃は、千年以上のルサンチマンを爆発させたみたいで見苦しく尋常ではない。キリスト教化される以前の蛮族、古ゲルマン社会が非嫡出子の差別のない社会であったとされるから、先祖返りしたという見方もできるが、西洋キリスト教文明の婚姻家族の理念、大義を捨てた、至福千年の道徳的教訓を捨て去ったとして非難されるべきものだ。これが世俗化の進んだ自然の流れとは思えない。社会の凝集力となる根幹的価値の否定である。現代人の友愛結婚の理念も中世の神学に基礎をおいているから[ix]。大義は、西洋文明的脈絡においては花婿キリストと花嫁教会の一致に類比される神聖な婚姻の理念にある。非嫡出子ではないのである。教会は指導者キリストに従うと同じように、妻は夫にしたがう、これほど美しい価値観はほかにあるだろうか。ロンバルドゥスなど神学者の定義した理念の継承こと核心的価値である。この文明の結婚についての規範提示者はグラティアヌスやロンバルドゥス、教皇アレクサンデル3世であって欧州人権裁判所でも国連でもない。EUの信用不安は天罰だと思う。

だから何も同情しない。

 


[i]歴史的な事情において非嫡出子の法的地位が欧米と日本で全然違うことは民法学者により指摘されている。

水野紀子東北大教授は、「西欧法における非嫡出子は、キリスト教文明における価値観からも、社会階層的な実態においても、歴史的に非常な劣悪な地位にあった。‥‥日本法においては、家制度の要請から非嫡出子の法的地位は伝統的に西欧法と比べるとはるかに高いものであった」(「比較婚外子法」『講座・現代家族法3巻』127頁)と述べている。

 令制における財産継承に関する規定は「戸令応分条」である。養老令においては財産継承は故人の遺志が明確でない場合には嫡母・継母・嫡子は2分、庶子は1分、妾及び女子は男子の半分の比率で配分された(ウィキペディア「戸令」)。妾や庶子(これは今日の非嫡出子とは異なるが)の法的地位は千三百年以上から高かったのである。

この規定は大唐帝国の戸令の模倣ではなく、我が国の実情に即して修正されたものである。中国において漢の呂后が戚夫人を人豚にしたように、嫡妻と側妾とは決定的な身分差があったが、日本はそうではなかった実情にあわせたのである。

 旧民法も明治民法も非嫡出子は嫡出子の半分としているが、立法趣旨について明治民法起草委員の穂積陳重、梅謙次郎いずれも戸令応分条を参考としたと述べている。

 

穂積陳重(法典調査会速記録七〔日本近代委員会資料叢書7〕558頁)「丸デ嫡出子ト同ジ相続分ヲ受クルト云フコトハ法律ガ愈々婚姻ト云フモノヲ認メテ‥‥嫡出子ノ云フモノガ其父母ノ跡ヲ財産ノ点二付テモ継グト云フノヲ本則トミルノガ当リ前デアリマスカラ、ソレ故二嫡出子ト庶子トノ分量ヲ手違ヘタノデアリマス。只其分量ノ違ヒ方二付キマシテ、必ズ半分デナケレバナラヌト云フコトハ道理上ノ標準ハナイノデアリマス。我国二於キマシテハ大宝令抔デハ此ノ庶子ト云フ字ハ少シ用ヰ方ガ違ヒマスガ、此嫡子ガ二庶子ガ一分ト云フコト二ナッテ居リマス」

梅謙次郎(『民法要義巻之五相続編』116頁「唯直系卑属二付テハ其嫡出子ナルト庶子若シクハ私生子ナルト二依リ相続権ノ同シカラサルハ古今東西皆同シキ所ナリ我国二於テモ令二庶子ハ嫡子ノ半分ヲ受クルモノトセリ(戸令應分條)是レ必スシモ今日ノ庶子ノミ二非ズト雖モ亦以テ参考二資スヘシ故二本條二於テモ庶子、私生子ハ嫡出子ノ半分ヲ受クルモノトセリ」

庶子は嫡子の半分というのは千三百年の我が国固有の法文化に基づいている。欧米諸国においては非嫡出子の相続権が否定されていた長い歴史に鑑みればそれは、非嫡出子の差別意識は弱い社会ととみなすことができるのである。妾や庶子の地位が高いのは欧米のモノガミーとは違う重婚許容文化であり、徳川将軍の大多数が生母が側妾であることからも明らかなかことである。

千三百年前の大宝令から、妾や庶子に相応の相続権を認めていた、歴史的に寛容な社会であったが、欧米は全く違う。(

[ii] 橋本伸也ほか「「子ども」の保護・養育と遺棄をめぐる学際的比較史研究 : ディス

カッション・ペーパーWEB版・第2号」関西学院大学2011年(ネット公開)

[iii]直江眞一「『我々はイングランド法を変更することを欲せず』(Nolumus leges Anglie mutare)について」『法学』東北大 5431990年参照。

聖俗で争いとなった重要な事柄が婚姻準正の問題だった。12世紀末に書かれたコモンロー最初の教科書『グランヴィル』は「非嫡出子も合法な婚姻も合法な婚姻から出生していない者も正当な法定相続人たりえない。もしある者が‥‥‥合法な婚姻から出生していないが故にそれについて法定相続人にたり得ないと異議を申し立てるならば、その場合には当該訴訟は主君たる国王裁判所での進行をやめるであろう。そしてその地の大司教あるいは司教に対して、婚姻自体について裁判管轄権を行使し、それについて下した判定を主君たる国王の裁判所に知らしめるよう命ぜられるであろう」と述べ、聖俗裁判所の管轄権を明らかにしている。

問題となった古典カノン法とは1234年に公布された『グレゴリウス九世教令集』第四篇第十七章「嫡出たるもの」に採録されている教皇アレクサンデル3世が婚姻準正を認めた二つの教令であった。

 

「一組の未婚の男女から出生した私生子は、両親の事後の婚姻により、法廷相続産についてさえ嫡出子の地位を得る」

「私生子は両親の婚姻により嫡出子の地位を得る。しかし庶子はそうではない」

 

この婚姻準正はローマ法を継受したものであるが、13世紀イングランドの国王ヘンリー3世と諸侯は拒否した。1236年のマートン法である。それは「我々はイングランド法を変更することを欲せず」という宣言であった。つまり教会法上嫡出子である準正子は、土地相続においては婚姻準正の効果を否定されるというものであった。マートン法は ホールズワースによれば、「愛国的保守主義」の表明とされ、法制史ではイングランドが13世紀ローマ法継受を拒んだという定説的理解に枢要な位置を与えられている。

イングランドにおいて婚姻準正が認められない理由についてフォーテスキューによれば、イングランドでは長子相続を採用しているが故に、婚姻準正により非嫡出子と嫡出子を対等とするならば、本来、非嫡出たる長男だけが相続し、生まれながらの嫡出子たる次男以下が相続から排除される事がありうるが、これは「正しく区別をしていない」というのである。しかし、それ自体は重要な問題ではないように思える。

この事件の本質は教会法が法廷相続の訴訟に干渉することを防止する趣旨であると直江真一氏は述べている。しかもこの問題は12世紀に決着済みだったが、13世紀にリンカン司教のグロウステストが強硬にアレクサンデル3世の教令は絶対だと論陣を張ったため蒸し返されたに過ぎない。強硬に反対したのはグロウステストであって、教皇庁ではない。

12世紀にヘンリー2世は「土地について判決を下すことは国王に属し、教会に属すのではない」として霊的裁治権の拡大に反対していた。大司教ベケットと対立したのも世俗法廷の管轄権の浸食を防ぎたいとの趣旨と理解できるのである。なるほどヘンリー2世は教皇アレクサンデル3世によりノルマンジーに召喚され、降伏したが、教皇は皇帝との厳しい対立から英国との友好関係を維持したいという思惑があった。そもそもアレクサンデル3世は、英仏両国が枢要な支持基盤であり、加えてノルマン朝シチリア王国の軍事的後楯により教皇に選出されていた。皇帝のイタリア支配に伴う収入を補うため英国から教皇に相当の献金がなされており、教皇上訴も活発に行われていたのである。聖俗管轄権の問題については妥協が図られたとみてよい。実際イングランドでは遺言による動産処分は教会裁判所が管轄したが、土地の法定相続は世俗裁判所の管轄と画定した。大陸においても、フランスでは世俗封として保有される諸不動産により正当相続人たちが婚外子を排除する訴訟は、世俗法廷とされておりコモンローだけが特別なのではない。

要するにこの問題は、もめたといっても法廷相続産を承継する長子が、生まれながらの嫡出子とするか、婚姻締結前に生まれた準正子かという問題にすぎない

[iv] 橋本伸也ほか前掲論文

[v]  釜田泰介「Lalli v.Lalli,439 U.S.259,99 S.Ct.518(1978)--非嫡出子が無遺言相続により,父親から相続する場合には,父子関係の存在を証明する特定の証明書の提出を求めるが,嫡出子に対してはこれを求めていないニューヨーク州法は第14修正の法の平等保護を侵害するものではないとされた事例」『アメリカ法』1981-1

 

[vi]泉久雄「非嫡出子の相続権に関する一つの覚え書」『家庭裁判月報』 29(6), p1-23, 1977『専修大学法学紀要』二(ネット公開)

[vii]橋本伸也ほか前掲論文

[viii] 泉久雄「非嫡出子の相続権に関する一つの覚え書」『家庭裁判月報』 29(6), p1-23, 1977『専修大学法学紀要』二(ネット公開)

[ix]ラテン的キリスト教世界では10世紀に婚姻の成否の決定が教会の霊的裁治権として教会裁判所の管轄権となり、12世紀にシャルトルのイヴォ、ランのアンセルムス、ペトルス・ロンヴァルドゥスという名立たる神学者、グラティアヌスなどにより婚姻の成否・意義が理論化された。

不屈の闘志で中世屈指の傑物皇帝フリードリッヒバルバロッサと闘争し勝利した教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)の時代に教皇首位権が確立され、同教皇庁の司法化が進んだが、同教皇は婚姻の成立要件として合意主義と合衾主義の対立に決着をつけ緩和的合意主義婚姻理論を採用し、それが古典カノン法となった。

しかし教会は数世紀にわたって婚姻成立要件に関して世俗権力と抗争することとなる。その理由は古典カノン法の無式合意主義婚姻理論であり、教会挙式や父母の承諾は不要であり、二人の証人さえあけば当事者の合意(婚姻約束)だけで容易に秘密結婚を可能としている点にあった。そもそも結婚の秘跡は、結婚相手から与えられるものであって、司祭が干与するものではなかったのである。むしろ寡婦産や結婚に伴う財産移転を確定するため世俗裁判所が教会挙式を要求したのである。

ここに西洋文明の核心的価値の基盤をみることができる。世俗的には婚姻は家格を維持する為の戦略であって、嫁資、持参金、寡婦産の設定など財産移転が重要なのである。しかし教会は単婚婚姻非解消主義という原則に厳格であっても、結婚は秘跡であり、中世神学最大の教師ロンヴァルドゥスが恋愛結婚を肯定しているように、当事者の意思と合意を再断言尊重し、結婚相手選びに父母や領主の干渉を排除した。近代個人主義的友愛結婚の思想的基盤は中世の神学にあったということは人類学者のジャック・グッディーや、アナール派の歴史学者も指摘している常識的事柄なのである。

カトリック教会は秘密結婚を容認しているという非難をかわすため、16世紀のトレント公会議で、教会挙式を婚姻成立要件としたが、父母の承諾権を要求したフランスの提案を拒否したため、フランス王権による独自の婚姻立法がなされこれを嚆矢として世俗権力により婚姻管轄権が簒奪されていく方向性となった。(もっとも近年まで古典カノン法を墨守していたのはイギリスであり、イングランドでは18世紀中葉のハードウィック卿法成立まで、古典カノン法がコモンローマリッジとして生ける法であった。)

私が古典カノン法の意義を重視する理由、現代人の結婚観念の基盤がここにあるためである。

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