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2013/10/13

平成25年9月4日最高裁大法廷遺産分割審判抗告棄却決定批判 下書2

(承前)

一 先例の合憲性判断基準を変更していないのに結論が違憲となるのは納得できない

 

(要旨)今回の大法廷決定の憲法14条1項の適合性判断基準は、平成七年大法廷決定(合憲)と同じく立法府に与えられた裁量判断を尊重する合理性の基準を変更していない。手段審査を加えた平成五年東京高裁違憲決定のような厳重な合理性テスト(中間審査基準)を採用していないにもかかわらず、裁判官の主観的判断で合理的根拠を失ったとしたのは全く不可解である。

 

3  婚内子・婚外子の区別は憲法の原意において14条1項に違反しない

 

日本国憲法14条1項は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定める。しかし「法の下の平等」とはあらゆる人間を同一に取り扱うことではない。「平等」であるか否かは区別が適切な根拠に基づくものであるか否かによって決定されるというのが、帝国議会の審議過程における金森憲法担当国務大臣の答弁であった。[i]

また憲法の原意において、14条1項に反するものでないことは帝国議会の審議過程から明白な事柄でもある。

 すなわち、貴族院委員会審議において大谷正男議員は、婚内子・婚外子と「社会的身分」による差別禁止規定の関係を問いただした。

 金森国務大臣の答弁は「‥‥相続関係に於て、その他に於て区別することしがありましょうが、それは実質的の問題として果たしてそれに適するかどうか、例えば相続の範囲より考えて見ますと‥‥そう云う庶子、嫡出子と云うものが、どう云う正しき筋において関係があるかと云う問題で判断して、若干の区別を生ずることになろうかと思います。」[ii]

つまり適切な根拠(「正しき筋」)に応じ区別がなされているから、違憲ではないとうことを述べている。

さらに、金森国務大臣は、婚内子・婚外子という立場は、後段列挙事由「社会的身分」にも含まれない立場であり、この区別について後段は適用されないとも述べている。婚内子・婚外子という立場は列挙自由の「社会的身分」の範疇には含まれないし、この概念は「相当に狭い」というのが金森が示した見解だった。

 

 

 ところで、今回の大法廷決定は「法律婚主義の下においても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分をどのように定めるかということについては‥‥時代と共に変遷するものでもあるから,その定めの合理性については,個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され,吟味されなければならない。」と言う。

法定相続分を改正するか否かは、国会議員の仕事であるはずだ。それが裁判所の仕事にすりかわっているのは大変僭越な言い回しだと非難しなければならないが、かりに、憲法解釈は時代の変遷によって変わってよいものであるという趣旨に理解するとしても、憲法解釈論として当然異論のあってよい事柄である。

アメリカ合衆国の憲法解釈論には、解釈主義-非解釈主義、原意主義-非原意主義という対立がある。非解釈主義司法審査の典型は1960年代のウォーレンコートの司法積極主義である。生きた憲法論もそうだが、裁判官自身の社会改革への熱意によって時代状況に応じた憲法解釈により司法による憲法政策を実行するものである。今回の大法廷決定もそれに類するものと私は思うが、ウォーレンコートの憲法解釈が裁量を逸脱して不当に憲法上の権利を拡大したことへの強い反発から、ニクソン任命のレーンクィスト(William H. Rehnquist)判事が上院公聴会で憲法制定者の意図を無視しないことを約束した時期から、原意主義が台頭してきた。[iii]理論家としてはボーク(Robert H. Bork)が著名である。 ボークによれば「憲法制定の際になされた価値選択に明白に矛盾しないかぎり、裁判所は立法府のあらゆる価値選択を受け容れねばならない」。[iv] とする。R・バーガー(Raoul Berger)によれば、裁判所が憲法判断を行う場合には条文を基に解釈し、曖昧な場合には制定者意図に従わなければならないとする。[v]原意主義には賛同できない人でも、情勢の変化を理由とするような非解釈主義的な司法審査には警戒感をもたなければならない。我が国の最高裁は、諸外国の憲法裁判所と違って違憲判決が少ないということで、国民に安心感を与えてきた。選挙で選ばれてない司法による勝手な政策形成を国民は望んでいないはずだ。時代の変遷や状況しだいで憲法判断を替えてしまってよいという主張には容易に同意できるものではない。

すでに述べているように、原則論としては法律婚制度、相続のような重要な事柄は立法府の判断を尊重すべきであり、国会が平成八年二月二十六日法制審議会総会決定「民法の一部を改正する法律案要綱」における民法900条改正について慎重な姿勢をとり今日まで法改正を実施しなかったことは、この要綱が、フェミニストや日弁連女性委員会などの偏った思想を背景としていることから警戒感をもたれたためだろうが、実際非嫡出子相続分改正は世論調査でも少数派であった。一般国民の意識と乖離している法改正案を阻止すること、特定の社会階層や、利益団体の主張に偏向しているもの、たとえ法制審議会の改正案とて、筋の悪い提案は受け容れない、余計な法律をつくらないというのも立派な国会議員の仕事であるのだ。ノイジーマイノリティが騒ぐからといって法改正を進めるということは拙速なものである。

最高裁は法制審議会や日弁連のいうことをきかない国会議員はけしからんとでも思っているのか。法曹、専門家の判断が常に正しいという主張はきわめて傲慢なものであって、法律家の方が世間一般の意識と乖離していることはしばしばありうるからである。

帝国議会の審議過程で明らかなように、婚内子・婚外子の区別は、14条1項に違反しないとするのをオリジナルの意味とするならば、立法府の判断の尊重、司法の自己抑制という立場で原意主義的な反対意見があってもよかったと思うものである。

 

私が今回の大法廷多数意見で最もひっかかったところは、合理的根拠を失ったとする理由のひとつとして「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」という決まり文句で、現代人の意識がそのように変わった(それは裁判所の主観的判断であって、非嫡出子に対してそのような意識が一般化したとは思えない)ことを挙げていることである。

しかし、憲法14条1項の「平等」とは「自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由とした」区別を禁止するという趣旨ではない。オリジナルの憲法の意図も、先例の合憲性判断基準も意図しないものである。「平等」とは区別が適切な根拠に基づくものであるか否かによって決定されるというのが原意であるから、「自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由とした」区別を憲法的に疑わしいものとして、ただちに違憲とされるべきものではないのである。

百歩譲って、仮に国民にそのような認識が広まっていることが事実だとしても、憲法の要請する平等以上の平等の価値観を基準として憲法判断を下すのは論理矛盾だといわなければならない。

今回大法廷多数意見が述べた「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考え」というフレーズの原型は、合衆国最高裁判例ウェーバー判決Willie Mae WEBER, Petitioner, v. AETNA CASUALTY & SURETY COMPANY et al.406 U.S. 164(1972) http://www.law.cornell.edu/supremecourt/text/406/164#writing-type-1-POWELLにおける「非嫡出子に不利益を課することは、法的負担は、個人の責任または非行になんらかの関連性をもつべきであるという我々の制度の根本概念に反する」[vi]というパウエル判事の決まり文句にあると考える。

このフレーズは言い換えられて、東京高裁平成五年六月二三日違憲決定 判タ823号でも「たとえていえば、正に『親の因果が子に報い』式の仕打ちであり、人は自己の非行のみによって罰または不利益を受けるという近代法の基本原則に反している」と引用されている。

しかしながら1972年ウェーバー判決は、父子関係で初めて非嫡出子の権利を認めた画期的な違憲判決ではあるが、勤務中の父親の事故死に対する遺児の労災補償請求権に関して、父と同居し扶養を受けていた未認知の非嫡出子が争ったものである。問題のルイジアナ州法は労災補償気給付を受けられる子供を「嫡出子、継子、父の死後出生した子供、並びに民法203~205条の下で認知された非嫡出子」と定義し、認知されてない非嫡出子は、「その他の扶養家族」という範疇とされ、他の遺児たちによって受け取られた補償金が許容最高額に達しない場合にのみ求償が許される。[vii]

したがって、この事件は父に扶養され同居している子供の中で「嫡出子・継子・養子・認知された非嫡出子」グループと、未認知の非嫡出子との区別の問題であって、全く労災の求償ができないケースもあるという事例である。

相続の事件ではない。しかも二分の一の相続分と違って、まったく求償できない場合があるというケースである。労災補償や社会保障給付の非嫡出子差別と相続は別の問題と考えることもできるのであって、ウェーバー判決でそういっているからといって、我が国の遺産分割問題と同列に扱ってよいという事柄ではないのである。

 


[i] 木村草太『平等なき平等条項論』東京大学出版会200825

[ii] 清水伸『逐条日本国憲法審議録』有斐閣1962300

[iii] 大林啓吾「時をかける憲法― 憲法解釈論から憲法構築論の地平へ―」『帝京法学』281https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tos4-1.html#28-1

[iv]君島東彦「現代アメリカの保守主義憲法理論-ボーク判事指名問題を契機に考える」『早稲田法学会誌』41 1991http://hdl.handle.net/2065/6476

[v] 大林啓吾 前掲論文

[vi] 根本猛「非嫡出子差別と憲法-アメリカ合衆国の判例を中心に」『一橋論叢』118 1997handle.net/10086/10739

[vii] 釜田泰介「嫡出・非嫡出による区分と法の平等保護(): アメリカにおける憲法訴訟を中心として(一九六八〜八〇)Discrimination Against Illegitimates and Equal Protection of the Laws (2) : The American Supreme Court 1968-1980『同志社法學 』第1653251981(ネット公開)

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