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2014年6月の21件の記事

2014/06/30

6月30日開廷期末は公共部門労働組合に関する判決ともう一つ

 連邦最高裁の開廷期間は10月~6月となつているが、レーンキストコートの時代から、6月末の開廷期末に重要判決のラッシュで締めくくることが慣例になっており、まもなく開廷期末の二つの重要判決が下されます。一つは公務員労働組合に関する判決で注目しています。

2014/06/29

連邦最高裁 上院休会中のNLRB委員の大統領任命違憲判断について

25日~26日の連邦最高裁判決では、25日の携帯端末の令状なし捜査違憲判決(Riley v. California)は朝日・読売などが報道していた。エレオの月額8ドルで放送番組の生放送および録画放送を見ることができるというオンラインサービスが違法との判断(Am. Broad. Cos. v. Aereo, Inc.   http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N7QIUK6VDLK601.html もネットを中心に我が国でも報道されている。

26日の中絶クリニック入口の35フィートバァッファーゾーン違憲McCullen v. Coakley (06/26/2014)判決http://www.latimes.com/nation/nationnow/la-na-nn-supreme-court-abortion-20140610-story.htmlは報道を確認していないが、オバマ大統領によるNLRB委員の休会任命は違憲判決Nat'l Labor Relations Bd. v. Canning  http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424127887323355204578264883161590380も多くのメデイアで報道されているが、このニュースの意味がわかりにくいのである。

NLRBとは不当労働行為の禁止や組合代表選挙の監督など1935年制定の全国労使関係法を執行する独立機関であるが日本の労働委員会と大きく違うのはILO原則にのっとった三者構成原則をとっていない。

我が国では今後3年間雇用の集中改革期間と位置づけているが、年収一千万以上のホワイトカラーエグゼンプション導入だけではインパクトはほとんどない。成長のためには抜本的に労働基準法をはじめとする労働者保護法のオーバーホールが必要だと思うが、それを阻んでいるのが政策決定過程での労政審議会などの三者構成原則である。結局労組側の言い分をある程度訊いて妥協したものになるので、政治主導の抜本的な改革ができないのである。

日本の労働組合組織率推定18%に対して、アメリカは11.3%、民間企業では6.7%にすぎないが、組織率が低迷している原因は、ニクソンやレーガンの時代に保守的なNLRB 委員が任命されて、団体交渉に枠をはめ、組合組織化を促進しない方向性での裁定をしてきたことが挙げられる。つまり政治主導で右傾化したのである。

一方、オバマは労働組合寄りでビジネス界には歓迎されないNLRB委員を任命しており、今回の判決で、訴訟当事者だけでなく3人の委員が任命されて以降のNLRB1500件のの裁定が疑問視される事態となったので、アメリカ社会にとっては影響の大きな判決である。

反労働組合団体The National Right to Work Legal Defense Foundationは、自立した労働者の勝利でもあるとしている。  

http://www.nrtw.org/en/press/2014/06/supreme-court-strikes-down-obama-recess-appointments-06262014

「1次リーグ実は敗退濃厚」週刊新潮の予測どおりだった

 週刊新潮6月12日号にマスメデイアの1次リーグ突破楽観論を批判し、鈴木良平氏や釜本邦茂氏のコメントを引用しつつ、「1次リーグ実は敗退濃厚」と言う記事があったがそのとおりになった。FIFAランキングでコロンビア5位、ギリシャ10位、コートジボアール21位、日本47位であるがこの記事によるとランキングは実力に近いものと評しており、結果はランキングどおりであった。
 日本はアジア3次予選でアウェーでウズベキスタンに、最終予選でアウェーでヨルダン、北朝鮮に敗北したと記憶しているが、実質アウェーといえるコロンビア(隣国なのでほとんどのサポーターはコロンビアだった)に負けるのは当然だったといえるだろう。皮肉なことに2位通過していればトーナメント初戦はテストマッチで勝っているコスタリカが相手だった。
 実力差は認めつつ、戦術で勝つチャンスはあったと思うが、釜本氏が日刊ゲンダイ6月17日号ででコートジボアール戦を批判しているように「攻撃サッカーを封印「勝つための戦術」で臨むべきだった」といえるだろう。
 しかし選手は頑張ったと思うし、特に本田選手は1得点と、もうひとつの得点にもからんでおり、有言実行はしている。負けたとはいえ私のような素人には守るサッカーよりザック監督の攻撃サッカーの方が面白いとはいえる。
 

2014/06/28

中絶クリニック入口35フィート立入禁止区域設定は違憲

 26日の連邦最高裁判決は中絶クリニック入口にバッファーゾーンを設け抗議者の立入を禁止するマサチューセッツ州法は修正一条(表現権)に反し違憲という判決を下した。
 妊娠中絶のため通院する女性に中絶を思いとどまるようピケを張る、妊娠中絶反対派には歓迎される判決のようだ。開廷期末まであと1日でまだ重要判決が残っている。

2014/06/26

6月25日の連邦最高裁判決

ひとつは憲法修正4条を争点とする判決で、警察は携帯端末の捜査には令状が必要というもので、プライバシー保護の勝利とマスコミは伝えている。これは全員一致の判決である。2つ目は放送番組のビデオ配信サービスに関するものでネットストリーミングの新興企業Aereoのサービスを違法とするもの。ライセンス料をはらうことなく、法の抜け穴を利用してみたいときに見たい番組が見られるサービスを提供していた。6対3の判決で、ブライヤー判事が法廷意見、スカリア判事が反対意見を記した。

2014/06/22

購読雑誌等整理3

左翼系の雑誌を読んでいるのは、情報を得るためで、著者の思想に同調するものでは全くない。

 

13 『労働法律旬報』1792 2013-5下

米津孝司「日本法における集団的労働法上の「使用者」」

日本の集団的労働法の特徴を簡潔にまとめているので使える。

「労組法は、労働組合の資格要件や労働委員会制度など、組織法上のル-ルについて は比較的詳細に規定しているのに対して、集団的労働法上の実体的な権利義務についての記述はあまり多くはなく、団体行動(組合活動及び争議行為)の中心テーマである正当性をめぐる問題や、団体交渉権の具体的内容、労働協約 効力等をめぐっては、大部分が判例・学説の 解釈に委ねられています。不当労働行為法制についてもしかりでありまして‥‥の三つの基本類型について定めを措いていますが、それらをめぐる紛争については、都道府県の労働委員会およびその再審査機関である中央労働委員における膨 大な命令と、同命令に対する取消訴訟について の判例が蓄されております。」

(要するに、組合活動、争議行為の正当性を議論する場合、それは判例、学説の解釈に委ねられており、不当労働行為も労働委員会の救済命令とその取消訴訟の膨大な蓄積があるので、何が正当で何が正当でないかは判例分析が基礎作業となる)

日本の労働法は、戦前からドイツ法の強い影響を受けて生成発展してきており、とりわけ従属労働論や労働協約法理などにそれがみてとれるのですが、第二次世界大戦後は、アメリカ法の影響も大きく、その典型が不当労働行為制 度ということになります。ただ日本の労働法の不当労働行為制度は、勤労者の労働基本権を保障する日本国憲法二八条を基礎とし、またその実効性を確保するものとして規範的に根拠づけられている関係で、不当労働行為の主体は基本的に「使用者」であり、労働組合が不当労働行為の主体となることは想定されておりません。

(米国でいわゆる団結権・団体交渉権を規定したのは1935年全国労使関係法であるが、この法律は1937年のジョーンズ=ラフリン鉄鋼会社判決で先例を変更して「州際通商規制権」について幅広い解釈がとられ、5対4の僅差でかろうじて合憲とされたにすぎないのである。学説によればアメリカの制度は労使紛争の発生による州際通商の阻害を防止する政策的目的に基づくものであり、我が国のように労働基本権を保障する日本国憲法二八条を基礎とするあり方とは異なる。1935年法は労働組合に権力を与えすぎたため、1947年のタフトハートレー法によって見直され、労働組合も不当労働行為の主体となり、消極的団結権を保障したので中立立法となっている。米国で労働基本権は憲法で保障するものではないから、現行法制を撤廃し、労働関係をコモンローの契約法や不法行為法で処理するあり方に戻す政策選択はもちろんありうるのである。我が国の労組法は使用者のみを不当労働行為の主体としているため不公平といえるだろう)

「平成21年の全国労働組合基礎調査によれば、わが国の労働組合数は約2万6700組合、労働組合員数は約1008万人、推定組織率が18.5%です。戦後 問もなく50%超えた時期から1970年代半ばまでは約35%トの組織率 を維持してきたのですが、その後さらに減少し 綺け、現在の水準に至っています。‥‥、従業員1000人以上の企業では46%強 であるのに対して、100人から999人まで の企業では14%ト強、99人以下の企 業では1%強という状況です。」

14『労働法律旬報』1793 2013-6上

特集残業代請求実務に関する諸問題

石橋洋「最近の残業代判例の理論的動向について」

平和元「労働事件簿101回東京都・非常勤職員「五年雇止め」団交拒否事件」

15『労働法律旬報』1794 2013-6下

16『労働法律旬報』1795 2013-7上

武井広「グローバリズムのなかの一挿話」

「総務省「労働力調査」によれば、1997年における「雇用者」に占める「非正規の職員・従業員」の我Iは23.2%であったのに対し、2013年の1~3月平均でのそれは36.3%に増加している。実数で1152万人から1850万人とおよそ700万人の増加である」

17『労働法律旬報』1796 2013-7下

野田進「限定正社員構想とCNE

18『労働法律旬報』1797 2013-8上

野本夏生「労働事件簿104小美玉医療センター(分限免職処分)事件・水戸地裁判決平24.2.29」

18『日本歴史』788 2014-1

堺有宏「天正九年京都馬揃えと朝廷」

 信長の左大臣推任は、天皇の要望に応え馬揃えを開催したことに対する恩賞であり、天正十年の三職推任は武田氏を討伐したことに対する恩賞だという。

馬揃えは天皇から民衆まで楽しめる娯楽性に富んだ行事であり、朝尾直弘・今谷明説(騎馬部隊の示威行為を背景に正親町天皇の譲位を迫った演出とする)、立花京子説(朝廷への威圧行為であり左大臣推任勅使派遣を強要したとする)を否定している。

19『日本歴史』783 2013-8

古谷紋子「平安前期の牛車と官人統制」

九世紀の牛車政策。原則論として徒歩・騎馬以外の貴族官人の移動手段は天皇の許可が必要だった。

20『日本歴史』781 2013-6

今回新たに発見された大正10212日付田中義一あて山県有朋書翰の写真

宮中某重大事件とは当初山県、松方、西園寺ら三元老や山県系官僚は婚約取消で一致していたが、民間右翼の反山県キャンペーンにより、山県陣営が総崩れになった。

2014/06/21

購読雑誌等整理2

8『月刊高校教育』46(8)2013-7
中島章夫「見直そう日本の中等教育第4回アドバンスド・プレースメント」
 アドバンスドプレースメント(略してAP)とはアメリカの大学入試で近年SAT(大学進学適性検査)とともに重要な役割を果たしている。
 もとは、高校の11学年と12学年に大学レベルの指導を行うプログラムを提供するものであったが、APコースのカリキュラム開発とともに、APテストが毎年5月に行われ、AP科目に3科目以上合格すると大学2年生の資格を与える大学が増えている。APコースの成績証明書をGPAといい、厳格な成績と評価され入学選抜資料として重視される。
 著者の中島氏は、文部省初等中等教育局長や審議官をつとめ、退官後日本新党から国政選挙に出馬した経歴もある方だと思うが、数少ないカリキュラム開発を専門的に論じられる人である。
 我が国ではアドミッションオフィス入試をとりいれる大学が多くなったが、合格者の世間の評判はいまいちである。小保方さんはAO入試で早稲田に受かり、玉石混交の玉の値するタレントかと思われたのもつかのま、「世界三大不正事件」の渦中にあることは周知のとおり。
 著者によればアメリカの高等学校の教員はアカデミックな科目、特に数学、理科、外国語の教員は伝統的に非常に厳しく訓練されており、GPA評価で高い評点を与えられた生徒は掛け値なしの実力をもっている。
 したがってAO入試では玉石混交にならないのである。
 我が国とは成績証明書の信頼度、カリキュラム開発と教員の訓練度が違うから、それがAO入試をまねても失敗する理由だろう。

9『月刊高校教育』46(9)2013-8
中島章夫「見直そう日本の中等教育第5回公立高等学校と総合制」
 高等学校教育行政を国から都道府県に移すべきだという。

10『月刊高校教育』47(2)2014-2
小玉重夫「シティズンシップ教育の可能性」
私は強く反対だが、18歳選挙権が現実化すると、当然、高校での政治的リテラシー、市民性育成教育が問題になってくる。シティズンシップ教育のモデル開発として神奈川県立湘南台高校の事例では、太陽光発電や消費税増税、TPP参加、瓦礫処理問題を与野党に分かれて採決するみたいなことをやってる、地域性や業界との結びつきのある職業学科等、政治問題はできるだけやりたくない学校も少なくないはずで、政治的リテラシー教育がうまくいくとはとても思えず、それも選挙権引き下げに反対する理由である。

11『日本歴史』748 2013-9
有馬香織「「初」の名前」
 浅井三姉妹の次女で若狭小浜藩主京極高次の正室となった女性の本当の名前は「な」または「おなべ」「おな」であるという新説。

12『国際労働運動』445 2013-9
中核派の機関誌、2012年の千葉動労の5日間ストや自民党憲法改正草案批判などの記事

船田元憲法改正推進本部長の提案「18歳に選挙権引下げと環境権」に反対

(さきほど自民党のホームページに送信した意見600字以内)

 

 そもそも国民投票法の本来の目的は、憲法九条の改正と思っているし、それを支持するけれども、今のところ選挙権年齢の引下げという選挙で負けた民主党の公約を実現させるための法律になってしまっている。環境権も公明党への配慮とみられる。自民党に投票した層が必ずしも望んでない他党の政策を実現することに躍起になっているのはいかがなものか。

 私は、環境権のような新奇な思想を憲法に明文化することに反対。新しい権利なんていうものは所有権、財産権とバッティングし、規制を強化する口実になるので、かえって窮屈な社会になりそう。経済成長戦略にもマイナスだ。公害は過去の社会問題で今更感がある。

 そもそも主要国で選挙権年齢が引下げという政策がとられたのは、1970年代初期で、当時の激しい学生運動の懐柔策だった。米国はコモンローの成年は21歳であるが、ベトナム戦争の際、学生運動が盛んになり、18歳以上21歳未満の者は徴兵されるのに選挙権がないのは不当だとの主張がなされ、1971年に選挙権を18歳に引下げた。ドイツも兵役義務が18歳からなのに選挙権が21歳なのは不公平だとの主張により1970年に18歳に選挙権が引下げられた。 しかし徴兵制がない我が国で選挙権を18歳に引下げる政策的理由は見当たらない。

 18歳投票権は憲法改正提案のみでよいと思う。

 

目的がすりかわってしまった国民投票法、18歳選挙権引下げに重ねて反対する

  「自民党は18日、憲法改正推進本部(船田元本部長)と選挙制度調査会(逢沢一郎会長)の合同部会を開いた。‥‥船田氏は一般の選挙権も18歳から認めるため、公職選挙法改正案を秋の臨時国会に提出したい考えを示した‥‥」また「船田氏は合同部会で今後の改憲について、まず与野党の合意が得やすい環境権などの部分改正を目指すことを提案」と(自民:「一般選挙も18歳以上に」毎日新聞 2014年06月18日http://mainichi.jp/select/news/20140619k0000m010110000c.html)と報道されている。

 そもそも国民投票法の本来の目的は、憲法九条の改正と思っているし、それを支持するけれども、今のところ選挙権年齢の引下げという選挙で負けた民主党の公約を実現させるための法律になってしまっている。環境権も公明党への配慮と考えられる。政治とは妥協だ取引だというかもしれないが、自民党に投票した層が必ずしも望んでない他党の政策を実現することに躍起になっているのはいかがなものか。
 私は、環境権のような新奇な思想を憲法に明文化することに反対。新しい権利なんていうものは所有権、財産権とバッティングし、規制を強化する口実になるので、かえって窮屈な社会になりそう。経済成長にもマイナスだ。公害は過去の社会問題で今更感がある。
 
 既に記述したことだが、世界的に選挙権年齢が引き下げられたのは、1970年代初期で、学生運動の懐柔策だった。米国はコモンローの成年は21歳であるが、ベトナム戦争の際、学生運動が盛んになり、18歳以上21歳未満の者は徴兵されるのに選挙権がないのは不当だとの主張がなされ、1971年に選挙権を18歳に引下げた。 ドイツも兵役義務が18歳からなのに選挙権が21歳なのは不公平だとの主張により1970年に18歳に選挙権が引下げられた。激しい学生運動を懐柔させる政策だったのである。(国会図書館調査及立法考査局「主要国の各種法定年齢」『調査資料』 2008-3-b)  しかし徴兵制がないし、目立った学生運動もない我が国で選挙権を18歳に引下げる政策的理由は見当たらない。

 憲法改正では戦争放棄条項が必ずテーマになるから、若者も参加させるが、一般の選挙権はいままでどおりでいいんじゃないですか。 
 
 

2014/06/16

児童ポルノ法改正18日にも参院可決を目前にして猛反省の弁

 私にとってヒーローというか最も尊敬していたのは実は左派(人権派)の大御所ブレナン判事だった。表現の自由ではなんといっても1989年の星条旗焼き捨て処罰違憲判決の法廷意見、プライバシー権では同年の死ぬ権利容認をする反対意見。終身任官のため大統領よりもアメリカ社会に絶大な影響力を行使した男である。ブレナン判事のすごいところは、保守派をとりこんでしまうところである。多くの人権判例で元来は保守的なブラックマンを味方につけ、星条旗焼き捨ていではスカリアとケネディを味方につけた。
 児童ポルノ単純所持処罰についても1990年のオズボーン判決(6対3)では反対意見を記している。
 ブレナン判事マンセーと言っている以上、児童ポルノ単純所持処罰反対は当然のことであったが、このような重大な表現権、プライバシーの危機にほとんど抵抗することもせず、言行不一致もはなはだしい、死んでお詫びをするのが筋だが、残念ながら、自分は歳を食って、人間が少し汚くなったので反省の弁を述べるとどめます。
 今後は、当面職場改革に専念し、実績を挙げたうえで国政の問題にも取り組みたいと考えます。
 

2014/06/15

購読雑誌等整理1

1 労働法律旬報 1804 2013・11下
特集「均等法改正審議会における議論状況と均等法の現在」
竹信三恵子「均等法が連れてきた貧困社会~「雇用劣化と「女性活躍小国」への道」

 「女性の給与所得水準は年収300万円以下が6割を超え、経済的自立が難しい水準といわれる200万円以下は4割台にのぼる。一方で700万円を超えるのは、わずか3%だ。‥‥非正規労働者が働く女性にしめる比率は、均等法の制定年の32%から‥‥2012年の総務省調査では57%に達した」
「労働条件についていけない妊産婦の嫌がらせも頻発し、2010年時点の厚労省の調査では出産で退職した女性、働く女性の54%にのぼっている」

 均等法後の女性は、女性保護撤廃により長時間労働と家庭福祉の二重負担を求められ出産退職と非正規労働への以降をおしつけられたなどと著者はいう。逆にいえば均等法で得をした女性は一部にとどまり、必ずしも女性全体の利益にはなっていないと評価できる。

2 労働法律旬報 1805 2013・12上
特集労働者派遣法改正論議

3 労働法律旬報 1806 2013・12下
特集外国人研修・技能実習制度問題
佐古正明「雇用と生活を守る仕組み-契約社員の正社員化事例を
通じて」
広島電鉄労組の事例

4 労働法律旬報 1809 2014・2上
小俣勝治「労働条件の統一的・画一的決定と個別的形成」
 就業規則の法的規範性について基本的な知識。秋北バス事件・最高裁大法廷判決(昭和43.12.25民集22巻13号3459頁では、多数の労働者を使用する近代企業における労働条件は、「経営上の要請」に基づき「統一的かつ画一的に決定」され、労働者は付従的に契約せざるを得ない実情にあり、この労働条件を定型に定めた就業規則は、社会規範として性質」を有するだけでなく「それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との問の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習」が成立しているとし
て、「その法的規範性」が認められるに至っている(民九一一条)、とされた。この判決については学説では従来否定的な評価がとられた(蓼沼謙一、石井輝久)が、その後、「個々の労働者の知•不知及びその具体的な合意の有無」にかかわりなく就業規則が労働契約内容になるとの約款理論の適用の試みがなされている、との評価が与えられ(下井降史)、さらにいわゆる定型契約説的理解(菅野和夫)が支配的となった。

5労働法律旬報 1810 2014・2下
ルース・デュークス 訳/古川陽二「計画された集団的自由放任主義〈上〉-1890年代から1950年代のイギリス労働法」
 コレクティブレッセフェールに関するカーン・フロイントの業績について検討。かれはフランクフルト生まれのユダヤ人でジンツハイマーのもとで労働法を学びワイマール期ベルリンの労働裁判所の判事であり、ナチズムの政治難民としてイギリスに移りオックスフォードで比較法の教授となったという経歴。

6 労働法律旬報 1807/1808 2014・1月合併号
特集安倍政権下における雇用政策批判
深谷信夫「自由な企業活動と日本国憲法の原理」

7日本歴史782号2013.7

書評と紹介 小林茂文 栗原弘著『万葉時代婚姻の研究 双系家族の結婚と離婚〉」
 この本は、女性史学特に、モルガンの対偶婚説を日本古代に適用し、母系家族説を主張した関口裕子説を批判する。昔から女性が強かったという俗説は大きな間違いで実は日本は万葉時代から婚姻のありかたは男性優位だったことを確認できる新しい歴史像を提示するものであるとのことのようだ。
 
 万葉時代の婚姻は自由意思にもとづいていたが、求愛を受諾することは恋人関係にとどまらず、結婚の承諾を意味した。
 求愛と結婚が同じとするのは現代人には理解しがたいことであるが、そうだったというのだ。
 人は最初のセックスをすると、正式な婚姻儀礼をしていなくても夫婦となった。「ツマ」とは性関係にある相手を意味するからだという。正式な結婚前の私的結婚期間においてもほかの男との自由なセックスは許されなかった。つまり女性にとって婚前交渉自由なフリーセックスではない。
 この私的結婚を1年以上つづける。「通ヒ」とは屋外セックスのことであるらしい。「ツマドヒノタカラ」とは求婚のプレゼントではなくセックス後の贈り物である。ゲルマンでは結婚初夜の翌朝に花嫁に贈り物をする慣習(モーニングギフト)があるがそれに近い意味だろう。
 正式な結婚とは、女の父母の承認のもとに「百取の机代物」で饗応されることだが、正式結婚における女家の竈の火で料理された飲食物を共食して女家の人間と同類となったと指摘される。人類学の蒲生正男も同じようなこと言っていたような記憶がある。
 離婚の主導権は夫にあり、通ってこなくなって二~三年間は妻に性的自由はないと想定する。
 居住形態については夫方提供型の居住が主流で、両親とは別居、一夫多妻制で夫婦間は平等ではない。

書評と紹介中里英樹 黒須里美著『歴史人口学からみた結婚・離婚・再婚
この本は、徳川時代後期の東北日本、中央日本、西南日本各地の資料を駆使していて初婚年齢の分析などを行っている。買ってないが興味はある。

2014/06/08

AKB48握手会事件の世間の反応について

 私はAKBのファンではないが、 7日未明のBSフジ『AKB48明日の総選挙を完全予想!徹底討論SP』)(2時から4時放映)を見た。有識者が総選挙と今後のAKB48について討論する番組だったが、1位渡辺麻友を的中させたのは中森明夫(作家・評論家)、本郷和人(東大史料編纂所教授)で、ほかの3人濱野智史(評論家・アイドルプロデューサー)、宇野常寛(評論家)、青木宏行(光文社編集長)は指原莉乃を1位と予想していた。中森明夫は、総選挙初挑戦で速報56位の生駒里奈を16位と予想、結果が14位だからさすがだと思った。 
 この番組の冒頭、岩手県の握手会で、川栄李奈と入山杏奈が暴漢に襲われ怪我を負った事件についての意見を各有識者が述べていたが、宇野常寛などが、この事件でAKBは被害者であるのに、世間の反応はAKB商法や握手会の批判に傾きAKB叩きになっていることに疑問を述べていた。誰だったか、テロに屈しないと言った人が叩かれたとも言っていた。
 私もこの世間の反応はおかしいと思う。特に問題に思ったのは発売中の『週刊文春』56巻23号(2014.6.12号)適菜収「今週のバカ連載53」という辛口コラムで、CNNの「トークアジア」という番組が、「性的搾取に関与しているのか」と問題視していることを紹介し、バッシングを行なっている。
 AKB48は2度もレコード大賞を受賞し、世間一般に広く認知されているだけでなく、CDの売り上げなどこれほど業界に貢献しているグループはないのではないか。ところが意外にも襲撃事件には世間は冷淡だった。この空気を察知した渡辺麻友が今回の「私がAKBを守ります」宣言になったと考えられる。

 私は、次の意味で欧米人に誤解があると思う。

1我が国では欧米の婚姻約束慣習のように男女の握手に特別な意味はない


 
 西洋では男女の握手に特別な意味があった。10世紀にラテン的キリスト教世界では、婚姻が霊的裁治権として教会裁判所の管轄となり、婚姻法の理論は神学者、教会法学者の領域だった。12世紀にペトルス・ロンバルドゥスの合意主義婚姻理論を教皇アレクサンデル3世が採用し、古典カノン法となった。
 婚姻約束-(我は汝を我が妻とする。我は汝を我が夫とするというような現在形の言葉による誓約)で婚姻は容易に成立する。
 。なぜならヨゼフはマリアの許婚者として語られるが、合意主義婚姻論者12世紀の神学者サン・ヴィクトルのフーゴはマリアとヨゼフには真実の結婚があったする考えで、このために合意だけで結婚が成立することを主張していたといわれる。
 重要なことは古典的カノン法(中世婚姻法)による結婚は本質的に自由なのである。親や領主の承諾要件はない。婚姻予告や教会挙式も婚姻の成立要件ではない。婚姻適齢もローマ法を継受して男14歳、女12歳とほとんど制約はない。
 13世紀イングランドで教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所である。それは花嫁の終身的経済保障つまり寡婦産など結婚に伴う財産移転の確定のためのものだった。ウェディングというのはそういう意味である。教会の内部でも行われなかったのは、財産移転のような世俗的事柄であるからである。中世教会法(合意主義結婚)は教会挙式を要求していない(カトリックでは16世紀のトレント公会議で初めて教会挙式を要件としたが、イギリスは宗教改革のためトレント公会議を受け入れなかったため中世の古い法がそのまま残った)。一般庶民のイングランドの結婚は2人の証人は俗人で良く、婚約は居酒屋であれ良かった。それは教皇アレクサンデル3世の婚姻理論に忠実なものだった。メイトランドがいうように、英国婚姻法(古き婚姻約束の法-コモンローマリッジともいう、18世紀中葉のハードウィック卿法で無効化されるまでまで生ける法だった)とは古典的カノン法そのものだった。
 コモンローマリッジは、「握手結婚」ともいう。男女が握手して我は汝を我が妻とする。我は汝を我が夫とすると言い、証人がいればそれで婚姻が成立するというのか18世紀中葉までの法だったのである。
 男女の握手は18世紀結婚媒介所が多数あったロンドンのフリート街の看板にかかげられいた。握手結婚の慣習は英国だげてなく、北欧などにもあったとされる。したがって男女の握手とは結婚のシンボルなのである。
 このような西洋の慣習の脈絡では、男女の握手は格別の意味ある行為といえる。しかし、我が国にはそのような文化は存在しない。

2..握手は選挙活動の一環であり性的意味は希薄化されている

 AKBの総選挙とか組閣というのはパロディだと思うが、握手会もたぶん同じである。我が国の選挙活動は政策を訴えるよりまず、地元住民によく知られること。特に握手戦術が有効と考えられている。このため、議員は、商店街を練り歩いたり、盆踊りに参加し、老若男女かまわず握手をするのである。
 握手が変態行為とは思えない。握手が変態行為なら、国会議員のほとんどは変態だということになる。また書店などで作家を招いてサイン会を行なったりするが握手するのは普通のことだと思う。

3.我が国ではデートの下位文化はなくダンスパーティーの慣行すらなく、異性と接触している男子は少数にすぎない

 我が国にはデーティングの慣習はない。その証拠に「木曜ガール」とか「金曜ガール」の意味がたいていの人がわからない。アメリカでは一線を越えない暗黙の前提で、デートをくり返し、自分と相性のよい相手を選んでいく、下位文化というものがあるが、そのような交際文化は全く受容されてない。
 ハイスクールには卒業ダンスパーティがあり、相手がいないと恥をかくので、異性の友人を持つことは社交的にも重要であるが、そういう文化は我が国にはない。卒業ダンスパーティがあるのは。防衛大学校ぐらいである。
 したがって、大多数の男子は、学校体育のフォークダンス以外、女子と手を触れる経験はほとんどないといえる。
 そうすると選挙活動としての握手会に参加することはリアルに異性と対面可能な数少ない経験となるという意味があると思う。

4.握手会を重視するメンバーに高い評価

 握手会を重視していることでは柏木由紀がよく知られている。今回評論家の予想は3位は渡辺麻友か松井珠理奈だったが、健闘して3位に入っているようにファンから高く評価されている。もともと我が国には江戸の三美人(水茶屋の娘など)や看板娘など地元アイドルの文化があり、例えば寛政の三美人の一人で歌麿に描かれた浅草寺随身門前難波屋おきたいう水茶屋の娘は愛想が良く、交通整理をしなければならないほど繁盛したという。彼女たちも「会えるアイドル」であり、アイドルを見るため庶民が押しかけるという構図はAKBとある意味おなじことである。
 

2014/06/03

児童ポルノ法改正単純所持処罰に強く反対

いまさら遅すぎて話にならないじないかとの非難があってやむをえない。何もしないで悪法が成立してしまうと、ショックが大きく手立ち直れなくなるので自分の精神衛生のため、ほとんど自慰行為かもしれないが、一応三党に意見をおくりました。

日本維新の会が3000字の字数制限なのでかなり長文のものが書ける。それが次のとおりです。

単純所持処罰となると思想の制約を課し、家庭内のプライバシーの重大な侵害となる。深刻な問題と認識している。

I たんにヌード写真、たんに女子の乳首の露出した写真は性的虐待・搾取と無関係であり、過度に広汎な規制といえる

 現行の児童ポルノ法は児童に対する性的搾取及び性的虐待の防止を規制目的としながら、「三号ポルノ」規定により規制目的とは密接な関連のないたんにヌード写真、女子の乳首の露出した写真まで規制の網にかけているため過度に広汎な規制といえる。
 アメリカ判例では、チャイルドポルノは猥褻、喧嘩言葉などの範疇と同じく憲法によって保護されない範疇に加えられてはいるが、規制が合憲であるためには、規制にはやむにやまれぬ利益が存在すること、さらに、規制している行為と未成年者の福祉という州の規制利益に密接な関連が存することを要するのである[NEW YORK v. FERBER, 458 U.S. 747(1982)]
 また、アメリカの判例理論には表現の自由の規制は、規制目的を達成するのに必要最小限度において認められるとする「過度に広汎性ゆえに無効の法理」があるが、たんにヌード写真、女子の場合は乳首が露出した写真ですら摘発の対象としているのは、過度の広汎性の基準を満たすものではない。むろん外国の判例理論ではあるが表現権の最先進国の基準に照らせば、我が国の児童ポルノ法はアウトといえるのである。
問題となる事例をいうと、例えば篠山紀信『神話少女 栗山千明』(新潮社1997年)12歳の少女の半裸写真を含む写真集である。栗山千明は女優として成功しており、この写真集は「クールビューティ」という彼女のイメージをつくり芸能界での成功のステップといえる。が性的虐待であるとは到底思えないのであるが、法改正で廃棄しなければ、刑罰に処される危険性がある。性的虐待とは無関係と主張しても警察は許さないだろう。到底納得できるものではない。またこれほどの美しい写真集を国会議員の淫欲敵視思想により焚書にするのはとても惜しい。

 またセクスティングは現行児童ポルノ法でも単純製造罪で有罪とされている。交際中の男女間で自撮りのヌード写真や思わせぶりな画像を送信する行為を「セクスティング」というが、IT機器が普及した今日においては相当広汎に行われているはずだ。単純所持処罰となればより深刻さは増す。
 私はたんにヌード写真はむろんのこと、俗に言う「くぱぁ画像」(性器開帳)であっても、それが無邪気なお遊びにすぎないものである以上、性的虐待、性的搾取とは関連がないから、児童ポルノ法の規制対象からは外すべきであると思う。とりわけ、性的にも成熟し大人っぽい年齢の「児童」が被写体である場合は。
 なぜならば、刑法176条・177条により、性的行為性交が合意のものであれば強姦とされない年齢が13歳とされており、性的に成熟した女子とみなされ、これは我が国の民俗的慣行と一致するだけでなく、教会法の成人は20歳であっても、成熟年齢はローマ法と同じく男子14歳・女子12歳としている考え方とも類似しているが、13歳以上の女子は法的に慣習としても性的行為を受容して性交に同意する能力(性的自己決定権)があるものと解釈されるのであって、また、民法731条法定婚姻年齢も女子は16歳であることから、親密な人間関係を築き、結婚し家庭を持つことが、幸福追求権のなかでも核心的な価値である以上、セクスティングのある男女交際から結婚にいたるケースも想定しうることを考慮するならば、英米法とくに表現権を専門とする紙谷雅子学習院大学教授も、児童ポルノ法でのセクスティング訴追は疑問[紙谷雅子「セクスティングとチャイルド・ポルノグラフィ」『学習院大学法学会雑誌』46巻1号2010年]としており、私もそう思う。被害者なき犯罪の拡大と非難されるべきである。

II 児童ポルノ法単純所持処罰を許せないのは「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨が、異常な性欲敵視思想であり、事実上の全体主義的思想統制になるためだ

 ここでいう「児童」とは「児童の権利条約」の「児童」(18歳未満)であるが、性的行為の自己決定権を有する13歳以上も含むものである。正常な男性ならば第二次性徴期ないし破瓜期以降の女性は性的魅力があり性欲の対象となるものであり、それは自然である。土俗的には赤い腰巻きをした思春期以降の女子は成女とされたのである。18歳未満を性的対象とする風潮の防止とする公定イデオロギーは、ストア主義者顔負けの異常な性欲敵視思想であり、それは、性を人間性の重要な一部分のみなす、精神医学の考え方にも反するものである。
 しかし、仮に私が『神話少女』を所持し、法改正後も廃棄せず、家宅捜索され発見されたとする。モデルの性的虐待・性的搾取にかかわった者として刑罰に処されるのは全く不合理である。にもかかわらず児童ポルノ法は「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨もあるので、あなたが性的虐待にかかわってないとか規制目的と関連してないと主張しようとそんなのは関係ない、18歳未満のヌード写真の所持を取り締まることが「児童を性的対象とする風潮の助長」を防止する効果があるので、あなたはこの公定イデオロギーにさからったから刑罰に処されて当然ですと警察は言うはずだ。
 これは事実上の全体主義的思想統制になるし、むろんプライバシーの重大な侵害である。
 アメリカ判例ではOsborne v. Ohio, 495 U.S. 103 (1990)が思わせぶりなポーズをとった少年のヌードの単純所持処罰を6対3で合憲としているが、ホワイト判事の法廷意見は、見る人に対する道徳的倫理的観点からの規制ではなく、あくまでも未成年の身体的精神的健全性を保護し、子どもに対する搾取と虐待を処罰するというチャイルドポルノグラフィ規制であるのため合憲とされたのである。(ただし私は反対意見を期したブレナン判事が正しいと考えている) つまりこの判決は、パターナリスティックな立法目的、特定の価値観を強制するようなものであれば、先例であるStanley v. Georgia 394 U.S. 557(1969)が猥褻物件の単純所持処罰について、この州法の立法目的がわいせつ作品がそれを見る者にとって有害であるがゆえに規制する必要性があるというパ夕一ナリスティックなものであったが、そうした規制は思想の自由の制約として合憲 とはいえないとして猥せつを規制する州の権限は、個人が自己の住居内で私的に所持しているにすぎない場合まで拡張されるものではないと違憲判断を下したこととの整合性から合憲判断にはならないということを言っているのであって、そうすると、この理論からすると明らかに立法目的がパターナリスティックな日本の児童ポルノ法は、国民に思想の制約を課すものであるから単純所持処罰まで拡大することはなじまないと明確にいえる。
(詳論は、川西正彦のブログをご笑覧いただければ幸甚に損します)

2014/06/02

国会議員へ 児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に強く反対する意見(下書き)

 私は、現行の児童ポルノ法が表現権を侵害していると考えるが、さらに単純所持処罰となると思想の制約を課し、家庭内のプライバシーの侵害となり、思想の自由、プライバシーの重大な危機となるので強く反対である。

 

 

Ⅰ たんにヌード写真、たんに女子の乳首の露出した写真は性的虐待・搾取と無関係であり、過度に広汎な規制といえる

 

 現行の児童ポルノ法は児童に対する性的搾取及び性的虐待の防止を規制目的としながら、「三号ポルノ」規定により規制目的とは密接な関連のないたんにヌード写真、女子の乳首の露出した写真まで規制の網にかけているため過度に広汎な規制といえる。

  アメリカ判例では、チャイルドポルノは猥褻、喧嘩言葉などの範疇と同じく憲法によって保護されない範疇に加えられてはいるが、規制が合憲であるためには、規制にはやむにやまれぬ利益が存在すること、さらに、規制している行為と未成年者の福祉という州の規制利益に密接な関連が存することを要するのである[NEW YORK v. FERBER, 458 U.S. 7471982]

 また、アメリカの判例理論には表現の自由の規制は、規制目的を達成するのに必要最小限度において認められるとする「過度に広汎性ゆえに無効の法理」があるが、たんにヌード写真、女子の場合は乳首が露出した写真ですら「三号ポルノ」の解釈から摘発の対象としているのは、過度の広汎性の基準を満たすものではない。むろん外国の判例理論ではあるが表現権の最先進国の基準に照らせば、我が国の児童ポルノ法はアウトといえるのである。

  具体的に問題となる事例をいうと、例えば篠山紀信『神話少女 栗山千明』(新潮社1997年)12歳の少女の半裸写真を含む写真集である。栗山千明はチャイドル美少女と評判だったが、ハリウッドに進出し準主役に抜擢されるなど女優、タレントとして成功したおり、この写真集は「クールビューティ」という彼女のイメージをつくり芸能界での成功のステップといえるものである。これが性的虐待であるとは到底思えないのであるが、法改正で廃棄しなければ、刑罰に処される危険性がある。性的虐待とは無関係と主張しても警察は許さないだろう。到底納得できるものではない。またこれほどの美しい写真集を国会議員の淫欲敵視思想により焚書にするのはとても惜しい。

 またセクスティングは現行児童ポルノ法でも単純製造罪で有罪とされている。交際中の男女間で自撮りのヌード写真や思わせぶりな画像を送信する行為を「セクスティング」というが、携帯やIT機器が普及した今日においては相当広汎に行われているとみるのが自然である。単純所持処罰となればより深刻さは増す。

 私はたんにヌード写真はむろんのこと、俗に言う「くぱぁ画像」(性器開帳)であっても、それが無邪気なお遊びにすぎないものである以上、性的虐待、性的搾取とは関連がないから、児童ポルノ法の規制対象からは外すべきであると思う。とりわけ、性的にも成熟し大人っぽい年齢の「児童」が被写体である場合は。

 なぜならば、刑法176条・177条により、性的行為性交が合意のものであれば強姦とされない年齢が13歳とされており、青少年保護育成条例でたぶん大多数の自治体がみだらな性行為を禁止しているとしても、国の法律は13歳未満でなければ性的に成熟した女子とみなされ、これは我が国の民俗的慣行と一致するだけでなく、教会法の成人は20歳であっても、成熟年齢はローマ法と同じく男子14歳・女子12歳としている考え方とも類似しているが、13歳以上の女子は法的に慣習としても性的行為を受容して性交に同意する能力(性的自己決定権)があるものと解釈されるのであって、また、民法731条法定婚姻年齢も女子は16歳であることから、親密な人間関係を築き、結婚し家庭を持つことが、幸福追求権のなかでも核心的な価値である以上、セクスティングのある男女交際から結婚にいたるケースも想定しうることを考慮するならば、英米法とくに表現権を専門とする紙谷雅子学習院大学教授も、児童ポルノ法でのセクスティング訴追は疑問[紙谷雅子「セクスティングとチャイルド・ポルノグラフィ」『学習院大学法学会雑誌』46巻1号2010年]としており、私もそう思う。被害者なき犯罪の拡大と非難されるべきである。

 

Ⅱ 児童ポルノ法単純所持処罰を許せないのは「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨が、異常な性欲敵視思想であり、事実上の全体主義的思想統制になるためだ

 

 ここでいう「児童」とは「児童の権利条約」の「児童」(18歳未満)であるが、性的行為の自己決定権を有する13歳以上も含むものである。正常な男性ならば第二次性徴期ないし破瓜期以降の女性は性的魅力があり性欲の対象となるものであり、それは自然である。土俗的には赤い腰巻きをした思春期以降の女子は成女とされたのである。18歳未満を性的対象とする風潮の防止とする公定イデオロギーは、ストア主義者顔負けの異常な性欲敵視思想であり、それは、性を人間性の重要な一部分のみなす、精神医学の考え方にも反するものである。

 しかし、仮に私が『神話少女』を所持し、法改正後も廃棄せず、なんらかの口実で家宅捜索されて、それが発見されたとする。モデルの性的虐待・性的搾取にかかわった者として刑罰に処されるのは全く不合理である。にもかかわらず児童ポルノ法は「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨もあるので、あなたが性的虐待にかかわってないとか規制目的と関連してないと主張しようとそんなのは関係ない、18歳未満のヌード写真の所持を取り締まることが「児童を性的対象とする風潮の助長」を防止する効果があるので、あなたはこの公定イデオロギーにさからったから刑罰に処されて当然ですと警察は言うはずだ。

 これは事実上の全体主義的思想統制になるし、むろんプライバシーの重大な侵害である。

 アメリカ判例ではOsborne v. Ohio, 495 U.S. 103 (1990)が思わせぶりなポーズをとった少年のヌードの単純所持処罰を6対3で合憲としているが、ホワイト判事の法廷意見は、見る人に対する道徳的倫理的観点からの規制ではなく、あくまでも未成年の身体的精神的健全性を保護し、子どもに対する搾取と虐待を処罰するというチャイルドポルノグラフィ規制であるのため合憲とされたのである。(ただし私は反対意見を期したブレナン判事が正しいと考えている)

 つまりこの判決は、パターナリスティックな立法目的、特定の価値観を強制するようなものであれば、先例であるStanley v. Georgia 394 U.S. 5571969)が猥褻物件(8ミリフィルム)の単純所持処罰について、この州法の立法目的がわいせつ作品がそれを見る者にとって有害であるがゆえに規制する必要性があるというパ夕一ナリスティックなものであったが、そうした規制は思想の自由の制約として合憲 とはいえないとして猥せつを規制する州の権限は、個人が自己の住居内で私的に所持しているにすぎない場合まで拡張されるものではないと違憲判断を下したこととの整合性から合憲判断にはならないということを言っているのであって、そうすると、この理論からすると明らかに立法目的がパターナリスティックな日本の児童ポルノ法は、国民に思想の制約を課すものであるから単純所持処罰まで拡大することはなじまないと明確にいえる。

 

 以上が私の反対意見の概要であるが詳論は、川西正彦のブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-7bb7.htmlをご笑覧いただければ幸甚に存じます。

 

2014/06/01

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その7完)

承前

(各論)

 

 

Ⅲ 写真集『神話少女 栗山千明』単純所持処罰絶対反対

 

児童ポルノ法が規制目的と密接な関連のない存しないものまで網にかけている例として、ここでは写真集『神話少女 栗山千明』を一つの例にして取りあげたい。

 

篠山紀信の『神話少女 栗山千明』(新潮社1997年)という11歳の美少女を被写体とした上半身ヌードを含む写真集が出版されているが、その後、たぶん児童ポルノ法制定との関連で出版社が自主回収し、絶版となり、たぶん現在では古本としても流通していない。

栗山千明(1984年生)は5歳のころからファションモデルであったが、日産ステージアのCМ(1996年)で美少女と評判となり、「チャイドル」ブームを巻き起こした。深作欣二監督の「バトルロワイヤル」(2000年)が女優としての出世作で、ハリウッドに進出、『キル・ビル Vol.1』(2003年)で準主役に抜擢されるなど、女優、モデル、タレントとして成功している。

篠山紀信は芸術的と評されるのが嫌いな写真家で、ヌード写真とは美しく、見ていて気持ちよく想像力を刺激するものを追求しているとされる[i]。オーソドックスな手法で見る人に喜ばれるものを提供してくれる写真家であるが、クールビューティと称される栗山千明を魅力的に撮っている。これはたんに美しい写真で、3号ポルノにあたらないという解釈もありうるが、3号ポルノとされる可能性ももちろんある。

篠山紀信は『少女館』というヌードのないチャイドルの集合写真集も出版しているが、モデルの中で最も魅力的なのが栗山千明であった。むろん親の身上統制権による承認のもとで撮影されたものであろうし、この撮影が少女に生理的、感情的、精神的な面での悪影響があったとは到底思えない。こうした芸能活動を規制することが未成年者の福祉と密接に関連するものとはいえないのである。むしろ栗山千明が女優・タレントとして成功するステップとなっている。児童ポルノ法はこうした芸能活動を規制し、表現活動を委縮させる効果をもたらしているが、それは子供の虐待防止と無関係だ。

仮に、私が『神話少女 栗山千明』を所持していたとする。法改正にもかかわらず廃棄せず、そのために捜索を受け、発見されたとする。それによって私は栗山千明の性的虐待に性的搾取にかかわった者として刑罰に処されるのは全く不合理である。にもかかわらず児童ポルノ法は「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨もあるので、あなたが性的虐待にかかわってないとか規制目的と関連してないと主張しようとそんなのは関係ない、18歳未満のヌード写真の所持を取り締まることが「児童を性的対象とする風潮が助長」を防止する効果があるので、あなたは刑罰に処されて当然ですということになる。そうなると非常におそろしい社会といえる。

 

 

  セクスティング処罰絶対反対

 

 

セクスティング(sexting)とは、近年、アメリカの青少年の間で流行している性的行動であり、携帯電話などで自分のヌード写真や動画を恋人や友人などに送信する行為である。アメリカの非営利団体であるInternet & American Life Projectが行った調査ではアメリカのティーンエージャーの15%はセクスティングの経験があると報告されている。

我が国ではセクスティングは、現行児童ポルノ法でも単純製造罪とされている[ii]

東京高裁平成22.8.2判決の事案は大略次の通りである。被告人は、A子(当時13歳)にメールや電話を通じて、グラビアのモデルの仕事であるなどと甘言を弄して、A子にその乳首を露出させる姿態をとらせ、これをA子の携帯電話機付属のカメラにより静止画として撮影させた上、画像を電子メール添付ファイルとして送信させ、その画像データを被告人の携蒂電話機により受信して同機に挿入されたマイクロSDカード内に記録・蔵置させたというものであり、一審静岡地裁平成21.12.25判決は、児童ポルノ法7条3項の単純製造委罪の成立を認め罰金100万円に処した。

東京高裁平成22.8.2判決は控訴棄却。判旨は「法73項が設けられた趣旨は、「他人に提供する目的を伴わない児童ポルノ製造であっても、被害児童に法23項各号に掲げる児童ポルノに該当する姿態をとらせ、これを写真撮影等して児童ポルノを製造する行為は、強制によるものでなくても、被害児童の心身に有害な影響を与える性的搾取行為にほかならず、かつ、流通の危険性を創出する点でも非難に値し、可罰性があると解されたところにあるといえる。」

 「本件では、被害児童の行為が被告人によって利用された部分があるとしても、それは、『姿態をとらせ』といった構成要件に沿うものである。また、前記原判示の罪となるべき事実中、被告人が被害児金童の姿態を電磁的記録媒体に描写する過程で被害児童による撮影や送信という行為が介在しているのも、犯罪構成要件である『描写』の手段方法を原判決がより具体的に説示したことによるものであると解され、しかも、被害児童がそのような行為をしたのは、(略)児童ポルノの製造という真意を秘した被告人が、甘言を弄して判断能力の未熟な被害児童を錯誤に陥れたためであるから、被告人が本罪の単独正犯であることに疑問が生じることにはならない。」[iii]

 

この事件は交際していた男女の例でないようであり、被写体も13歳と比較的年少者といえるが、しかし性的にも成熟し、大人っぽく判断能力も備わっている女子高校生の場合はどうか。女子高生なら大抵携帯を所持しているし、交際している男性に対し、自らを被写体とした写真は当然のこととして、場合によってはヌードや思わせぶりな画像等を携帯電話等で送信しているケースは、公式の調査はないとしても相当広範に行われていると考えられる。勝手にポーズをとったのか、勝手に露骨な写真を送ってきたのかにかかわりなく、性的虐待とは思えない単なる「お遊び」、無邪気なヌード写真であるにもかかわらず、所持したことにより、犯罪者としてのレッテルと貼られたうえ刑罰に処すのは行き過ぎであると考える。

国会議員の大多数はセクスティングなんか処罰してしまえと考えているのもしれないが、私はそれが、それが愚かなことであるとか不純異性交遊とか、非行であるときめつけるのは正しくない。それはむしろ親密さの証しと考える。

親しい人間関係を築き、結婚し家庭を持つことは幸福追求権にかかわる基本的権利である。セクスティングの交際が合法な婚姻関係に進展することもありうることを考慮しなければならない。英米法とくに表現権を専門とする紙谷雅子学習院大学法学部教授は児童ポルノ法でのセクスティング訴追は疑問[iv]としており、私もそう思う。被害者なき犯罪の拡大と非難されるべきである。

法改正が審議入りするとなれば、営利目的のそれと親しい人間関係のなかで無邪気に撮影されたものとどう区別するのかしないのか、恋人どうしのセクスティングも単純所持適用不可避と国会議員と考えているのか当然議論されるとは思うが、私は、既に死語となった「不純異性交遊」「桃色遊戯」という言葉が復権し、警察が男女交際をとりしまる社会を望んでいないがゆえに、法改正に反対なのである。

 


[i]「写真家篠山紀信の世界」『週刊現代』561420144/26

[ii]園田寿「いわゆるセクステイングと児童ポルノ単純製造罪東京高裁平成2282日判決(公刊物未登載)」『甲南法務研究』7 2011年大林啓吾「所持規制をめぐる憲法問題-児童ポルノの単純所持規制を素材として-」『千葉大学法学論集』283号 2014

[iii]園田前掲論文

[iv]紙谷雅子「セクスティングとチャイルド・ポルノグラフィ」『学習院大学法学会雑誌』46巻1号2010年

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その6)

承前

エ.脳科学は男性が破瓜期以後の女子を性的対象と認識することが正常であることを明らかにしている脳科学的にもそれは自然に反する

女性のウェストとヒップの黄金比は7対10とされる。このことは2009年1月11日OAの「NHKスペシャル女と男 科学が読み解く男女の秘密」という番組でテキサス大学シン教授が登場し、男性の脳はウェスト7対ヒップ10の割合のくびれをもっとも魅力的なものとして判断するよう仕組まれているという学説を説明しており、ニューズウィークなどでも記事となっていたから比較的知られていることである。それはヒトの女に閉経があり、出産可能な時期が限定されているためで、第二次性徴期に達した出産適齢女性であることのサインであるということだった。

 しかし、脳科学者中野信子は別の学説で説明していた(BS日テレ2012/11/10「加藤浩次の本気対談コージ魂!)。脳は油脂の多い組織である。脳の原料となっている良質の脂肪は女性のお尻と太腿の脂肪の物質と一致するのであり、実際にウェスト・ヒップポイント0.6~0.7の母親から生まれた子供とそうでない子供で認知テストを行う実証的研究があり、前者の成績が良かった。つまり男性の脳がプロポーションの良い女性を好むのは、「自分の遺伝子を賢く産んでくれる」対象を(無意識に)選択するためだという説であった。

中野信子は男性の脳が見ているのは女性のお尻とはっきり言っていた。顔ではなく重要なのはお尻であり、具体的には腰から尻、太腿のプロポーションである。2.3秒の視覚で脳が対象の性的魅力を判定している。また中野信子は女性の魅力をケーキに喩えて説明していた。つまりお尻や太腿の魅力がケーキのスポンジ部分にあたり、顔やその他はそれを修飾するクリームの部分に当たる。

この喩えはわかりやすく男性ならうなづくはずである。顔はさほど美人でなくても若くて腰から太腿の部分のプロポーションの良い女性は性的対象として魅力がある(欲情の対象となる)。スポンジがおいしければ飾りやクリームがさほどなくてもケーキはおいしい。

実際第二次性徴期(破瓜期)に達すれば女子は概ね7対10の黄金比率になる。具体的データを示そう。

 

90年代の人気雑誌『投稿写真』1991年1月号の'90新人アイドル名鑑BEST28からもう少し若いタレントのウェストヒップポイント(ヒップに対するウエストの割合)を拾ってみる。年齢は90年12月1日の満年齢。一部のタレントは省略

 

 

 

ribbon佐藤愛子17歳 B78-W58-H86 0.674

 

ribbon永作博美20歳 B81-W60-H81 0.741

 

ribbon松野有里巳17歳 B81-W61-H84 0.726

 

和久井映美19歳 B82-W57-H85 0.695

 

千堂あきほ21歳 B83-W58-H87 0.667

 

裕木奈江20歳 B82-W61-H87 0.701

 

越智静香19歳 B78-W55-H80 0.686

 

田中陽子16歳 B80-W59-H82 0.719

 

LIP'S山本京子15歳 B82-W58-H86 0.674

 

高橋由美子16歳 B82-W56-H82 0.683

 

BABY'S小倉光代14歳 B72-W57-H80 0.712

 

BABY'S豊田樹里15歳 B79-W56-H83 0.675

 

BABY'S星野明美15歳 B76-W59-H81 0.728

 

寺尾友美17歳 B86-W58-H86 0.674

 

久我陽子16歳 B81-W58-H86 0.674

 

宍戸留美17歳 B73-W57-H79 0.722

 

佐月亜衣15歳 B79-W62-H86 0.721

 

中野理絵17歳 B72-W58-H85 0.682

 

西野妙子14歳 B77-W58-H82 0.703

 

芳賀ゆい16歳 B78-W58-H80 0.725

 

杉本理恵16歳 B78-W58-H79 0.734

 

桜井幸子16歳 B77-W57-H82 0.695

 

早坂好恵15歳 B78-W51-H80 0.638

 

GIRLFRIEND岡本千鶴16歳 B76-W58-H80 0.725

 

GIRLFRIEND晴山ミキ15歳 B78-W55-H80 0.688

 

GIRLFRIEND本多美帆16歳 B78-W55-H80 0.688

 

COTTON福田浩子15歳 B80-W59-H83 0.711

 

COTTON岡田有紀16歳 B81-W58-H83 0.699

 

東京パフォーマンスドール篠原涼子17歳 B78-W56-H82 0.683

 

東京パフォーマンスドール篠原リエ15歳 B82-W59-H83 0.711

 

 

 

上記はそれなりに売れたタレントだが、『投稿写真』から主としてミドルないしローティーンのウェストヒップポイントを拾う。

 

 

 

98年2月号 13歳大森玲子 身長150B75-W57-H73 0.780

 

95年7月号 14歳川田磨衣子 B82-W56-H84 0.667

 

 14歳中村麻美B81-W57-H81 0.715

 

95年10月号 15歳島田ゆうきB80-W55-H83 0.662

 

95年12月号 13歳原みすず B78-W59-H85 0.695

 

96年10月号 11歳尾崎裕美 B70-W60-H78 0.769

 

90年12月号 15歳持田真樹 B76-W59-H82 0.720

 

97年2月号 16歳柳明日香 B83-W57-H86 0.662

 

96年9月号 15歳河村理沙 B78-W58-H78 0.744

 

 14歳橘里奈 B75-W56-H80 0.712

 

 15歳渡辺かおる B80-W58-H84 0.690

 

85年11月号 15歳山崎貴美子 B83-W58-H84 0.690

 

 

 

要するに、破瓜期に達した女子を見ると脳は性欲の対象と認識するようにできており、それかが自然で正常である。

ところがとっくに破瓜期に達し成熟している女子すら「児童」として性欲の対象とすること風潮を防止するという立法目的とする児童ポルノ法は、近年の脳科学の成果にも反する反自然的、異常な性欲敵視思想だといわなければならないのである。

この時代に大グレゴリウス、ストア主義顔負けの淫欲敵視思想を公定イデオロギーとしてふりかざし国民の思想を、プライバシーに干渉してまで統制しようとする。それが児童ポルノ法改正の本質であると私は考える。

全体主義的思想統制に反対するのは自由主義、リバータリアンを一応標榜している私としては強く反対するのは当然のことである。

 

 

 

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その5)

(承前)

イ.明治中頃までの婚姻適齢は12歳だった

 

 

 明治時代の庶民文化について一家をなした研究者で国立歴史民俗博物館教授などを歴任した小木新造によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している(『東京庶民生活史』日本放送協会1979の287~330頁参照)

 明治民法(明治31年、1898年)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。但し、定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12歳を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

 

東京現住結婚年齢者対象表

 

『東京府統計書』

 

明治17

       男    女

14年以下   11  128

 

15年以上  604 2740

 

20年以上 1880 2691

 

25年以上 2679 1496

 

30年以上 1607  811

 

35年以上  871  442

 

40年以上  略    略

 

 (小木前掲書309頁)

 

 この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈はほぼ実態に即したものといえる。

また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。

 

ウ.明治の東京評判美人は17歳以下が92%、17歳以下が最も望ましい性的対象であった

 

小木は明治時代、東京におけて娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。

これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は

 

13歳  5人

 

14歳 11人

 

15歳 24人

 

16歳 19人

 

17歳 31人

 

18歳  2人

 

19歳  5人

 

20歳  0人

 

21歳  1人

 

 (小木前掲書310頁以下)

 

98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。

15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって18歳未満を性欲の対象としてはならないなどという立法趣旨は甚だしく、日本の伝統や文化に反するものである

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その4))

承前

(3)理想主義者は美少女が大好きだ

 

詩人ミルトンの初婚の女性メアリー・バウエルは16歳である。たまたま借金取りのためにオックスフォードを訪問したところ一目惚れし彼女を連れて帰ったのである。超絶主義哲学のエマーソンの初婚の女性との婚約は17歳のエレン・タッカーであった。彼女は婚約の後、結核を患っていることが判明したが、ボストン第二教会の助任牧師としての立場上婚約した以上結婚したのである。

植民地時代アメリカの宗教指導者の一人コトン・マザーの初婚の女性16歳、黒人解放の先駆、偉大な少数意見裁判官ハーラン合衆国最高裁判事は旅先で出会った16歳の女性マルビナ・シャッンクリンに求婚し2年後に結婚しているように、理想主義者は16~17歳の美女が大好きなのである。

凡人は学者の三馬鹿トリオという。ミルトンとエマ-ソンにくわえて、独身主義のため結婚しなかったが、アメリカ伝道で18歳女性と恋愛事件を起こしたジョン・ウェスレーである。ミルトンの妻メアリーは厳格な清教徒の家庭になじめず、オックスフォードの実家に帰った。実家のマナーは抵当にとられ莫大な借金を抱え、持参金のない花嫁だった。それは離婚論を執筆する動機となった。エマ-ソンにいたっては喀血する病人と知りながらみすみす結婚したので愚だというのである。いかに美人でもこの結婚はばかげていると凡人は思うかもしれないが、理想主義者はそう思わない。美人に酔って結婚することはそれ自体価値があり、それはふしだらな行為を避けるための結婚として聖書にかなった倫理的なことでもあるのだ。

13世紀初期のパリ大学教授の神学者オーヴェルニュのギヨームは云う。若くて美しい女と結婚することは望ましい。なぜならば美人を見ても氷のようでいられると述べたとおりである。

ミルトンは清教徒でありエマーソンはユニテリアンの牧師、ウェスレーは伝道者でメソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導した人物である。こうした偉人が「児童」か「児童」すれすれの若い少女を恋愛したことによって非難されるいわれはない。児童ポルノ法の立法目的は常識にも反しているといえるのである。

 

(4)女性が最も美しいのは16~17歳である

 

 

「会いに行けるアイドル」をコンセプトとして社会現象にもなっているAKB48は大抵の方がご存じだろう。しかし「会いに行けるアイドル」庶民的な「ご当地アイドル」は日本の伝統的な文化でもあった。水茶屋の娘や看板娘など昔からそうだったといえるのである。ただ私はAKBのファンではない、その理由は年齢層が高すぎる。コジハルのように26歳でもアイドルというのは本来のあり方と違う。本来、アイドルとは18歳未満であることが普通なのである。

 

 

ア.江戸時代の三美人

江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。11~12歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。

寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは両国米沢町の煎餅屋の内儀であるがおきたより1歳年長だった。菊本おはんについては情報を得てないが寛政の三美人とは16~17歳でとみてよい。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。(佐藤要人『江戸水茶屋風俗考』三樹書房 平成5年)

 従って娘盛りは16~17歳という認識をもってよいと思う。

 

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その3)

承前

3.「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」という立法目的が大問題

 

この立法趣旨には次のような観点で私は正しくない考え方であると判断する。百歩譲ってこの立法目的に一分の理があるとしても、私はそれに反対する思想を有しており、単純所持処罰によりそうした人々の思想を統制し、表現行為のみならず、自宅でくつろいで自由に本や映像の閲覧するという私生活に官憲が干渉しプライバシーを侵害するという意味で、きわめて深刻な事態を招くと考える。我が国は自由な国ではなかったと本当にがっかりする。警察がエセ道徳をふりかざして監視する暗黒時代への突入を予感させるものがある。さらに法改正により我が国の優れた写真文化、映像文化の財産ともいえる、美的価値のある17歳以下の半裸、もしくはヌードを含む作品が焚書同様に廃棄されることは大きな損失であるといえるだろう。

私がこの立法目的がただしくないとする理由は以下のとおり。

 

1)刑法176条・177条及び民法731条との不整合性

 

 

刑法176条・177条により、性的行為性交が合意のものであれば強姦とされない年齢13歳とされており、都道府県の青少年保護育成条例でたぶん大多数の自治体がみだらな性行為を禁止しているとしても、国の法律は13歳未満でなければ性的に成熟した女子とみなされ、これは我が国の民俗的慣行と一致するだけでなく、教会法の成人は20歳であっても、成熟年齢はローマ法と同じく男子14歳。女子12歳としている考え方とも類似しているが、13歳以上の女子は法的に慣習としても性的行為を受容して性交に同意する能力(性的自己決定権)があるものと解釈されるのであって、また、民法731条法定婚姻年齢も女子は16歳であることから、「児童に関する権利条約」や児童福祉法の定義にあたる児童を性的対象とし、求婚し、結婚することも合法的である。にもかかわらず、「児童」を性欲の対象としてはならないというのは道理に反するだけでなく、児童ポルノ法改正は重大な思想の制約となり権が家庭内のプライバシーの重大な侵害を招くことになるだろう。

なお、外国の立法例では、英国、ベルギー、オランダ、ノルウェーでは16歳未満、ドイツでは14歳未満が児童ポルノの規制対象とされており「児童の権利に関する条約」の年齢にはこだわってない。

例えば英国では、イギリスの1978年児童保護法では16歳未満の品位を欠く写真の撮影、配布、展示、配布・展示目的の所持等を処罰するものとなっている。イギリスでは男女とも16歳が婚姻適齢であり(これはアメリカの多くの州も同じだが)、1956年性犯罪法は16歳未満の女子は、法律上、品位を欠く暴行に同意する能力を有しないとする。逆にいえば16歳以上は性的には大人扱いであり、SMプレイも可能と解釈できる。[i]外国の立法例と比較しても「児童の権利条約」の年齢にこだわる根拠は乏しいように思える。

なお、合意性交でも処罰する法定強姦罪はイギリスでは13世紀の制定法で、12歳未満であったが、16世紀に10歳に引き下げられ、その後13歳に引き上げられ、1885年に16歳となったとされる[ii]

 

法定強姦罪が10歳ということはローティーンに性的自由をあたえていたのである。そもそも北西ヨーロッパで、子供は思春期になるとし家を離れて奉公人としい住み込むライフサイクルサーヴァントという人生サイクルがあった。婚前性交渉の土俗的文化があるのは日本の「ヨバイ」などと同じである。

そういうと教会法やコモンローは古いんじゃないかと批判されるかもしれないが、それは当たらない。

近年アメリカでは法定強姦罪(合意性交でも強姦とみなす)の年齢が、か弱き女性を保護する、特に良家の娘の貞操を守るというバターナリズムよって、近代になって18歳等高い年齢を設定する方向で法改正されたこと[iii]が批判され、法定強姦罪は改革されている。、1974年のミシガン州法改正が強姦罪見直しのモデルとされているが、第一級性行為罪(他人に対する性的挿入)は13歳未満とされている。ただし13歳以上16歳未満については、親族や被害者の通学する学校の教師が性行為を行った場合市は第一級性行為罪とされるのである[iv]アメリカで最も先進的な性犯罪法のモデルとなっている1974年ミシガン州の法定強姦罪に相当する第一級性行為罪を13歳未満としていることからすれば、我が刑法177条とほぼ同じことであり、教会法やコモン・ローの成熟年齢と大きな隔たりはない、我が刑法は先進立法と合致し、現代にも通用するのである。

 

(2)成人年齢と成熟年齢の違いを明確にするのが文明規範であり、未成年者は当然性的対象たりうると言うのが文明規範である

 

 

 

 

教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである[v]

1918年成文の教会法典では婚姻適齢を男子16歳、女子14歳としているが、古くから教会法は、ローマ法を継受し男子14歳、女子12歳[vi]を婚姻適齢とし、将来の婚姻約束は7歳から可能としたのである。(コモン・ローも教会法と全く同じ14-12歳である)

10世紀から近世・近代にかけて、婚姻は教会の霊的裁治権とされ、婚姻に関す紛争は教会裁判書の管轄兼とされるケースが多かった。このために教会が婚姻に関しての提示者であったことはいうまでもない。

重要なことは2つある。第一に教会法学者はローマ法の婚姻適齢をさらに緩和したことである。婚姻適齢未満でも成熟に達していれば婚姻適齢とみなすとしたのである。生理学的成熟(初潮・精通)ではなく、同衾に耐えられる大人っぽさ。であり心理学的成熟を含む概念でとされる。

第二に教会法は未成年者の婚姻についていっさい親や後見者の承認を必要としないのである。これは今日でも同じである。

古くから神学者の間で、婚姻成立の要件として合意主義と合衾主義の論争があり、これが決着したのが、12世紀に教皇アレクサンドル3世がペトルス・ロンバルドゥスの合意主義婚姻理論を採用したことによる。婚姻は当事者の婚姻約束と二人の証人だけ容易に成立する。合衾は婚姻を完成させるものとされたが、理にかなっていた。合衾主義は処女女性を重視する地中海世界には適合するが、北西ヨーロッパはそうでない。合意主義は北西ヨーロッパの民俗慣行も含めて広い地域で親和性があったといえるのである。また古典カノン法は教会挙式を要求しない。なぜならば結婚の秘蹟は相手から与えられるのであって司祭は干渉しないのである。

居酒屋などで婚姻約束がなされたイギリスのコモンローマリッジが実は古典カノン法の理念そのままなのである。

ただ世俗権力から秘密結婚を奨励しているとの非難があったため16世紀のトレント公会議で教会挙式を婚姻成立の要件としたが神学的根拠は希薄である。

ただし、フランスのガリカニズム教会が親の承認要件を強く要求したが、トレント公会議は拒否し、このためにフランスはトレント公会議をうけいれず、婚姻法は世俗王権が定めることとなった。婚姻法の世俗化のさきがけとなった。

教会は、親や領主の承認を婚姻成立の要件とせよという世俗権力の要求に抵抗し、数百年わたる抗争した。この点で教会が譲ることはなかった。

バージンロードを父が花嫁をエスコートするのはゲルマン法の花嫁の引き渡しに由来し、金貨や指輪を与えたり接吻するのは、花嫁の寡婦産(終身的経済保障)の確定のための儀式であって、本来教会法はそのような要件をさだめていない。

教会法ほど性的自己決定権を重視する法文化は人類史上存在しないのである。それこそが西洋自由主義の根源なのであった。教会法は成熟年齢であれば、結婚相手を選ぶのも、婚姻を約束するのも個人の自由であり、婚姻に関しては成熟年齢が成年を意味した。このことは結婚の自由と独身を維持する自由はコインの表裏の関係にあるから、教会は優秀な人材を修道院に入れるために、聖職者となる自己決定の自由を信徒に与えていたという意味もあるだろう。

したがって、教会法の理念では成熟に達した男女は世俗国家が勝手に決める成人年齢いかんにかかわらず、性的対象たりうるのである。

なるほど大グレゴリウスは「快楽は罪である」とした。キリスト教えにストア主義などヘレニズムの淫欲敵視思想も流れこんでいるのは事実だが、しかしながら、キリスト教的性道徳をストア主義、ヒエロニムス的、ジャンセニズム的に解釈するのは過ちである。

そもそも合衾[肉体的交通]を花婿キリストと花婿教会の一致という理念に類比することによって結婚が秘蹟とされたのである。

キリスト教的な思想とは例えば、真正パウロ書簡であるコリント前書に由来する思想であり、例えば13世紀初期のパリ大学教授であるオーベルニュのギヨームが同毒療法としての結婚(ふしだらな行為を避けるための結婚)[コリント前書7:9]の意義を強調したことである。「若くて美しい女と結婚することは望ましい。なぜならば美人を見ても氷のようでいられるから」。夫婦の義務として結婚相手の性的欲求に応じることも夫婦倫理とされた。しかも合意主義婚姻理論は男女の自己決定が全てなのである。これは事実上の恋愛結婚推奨であった。近代友愛結婚は中世のカノン法に由来する。恋愛結婚の事実上の推奨、エロスの解放の淵源が、古典カノン法と中世神学にあることいえるのである。15世紀以降の神学において埋め合わせのある価値があるならば性的快楽追求も是認するという見解が広がった。人間の性欲(淫欲)は抑制しがたいものであるから、風穴を開けておいたといえるというのが私の解釈だ。したがってキリスト教は総じていえば淫欲を敵視していないといえるのである。

ところが、日本の児童ポルノ法は成熟した異性を性的対象としてはいけないという異常な思想で統制しようとしている。文明規範に照らして到底承服できるものではない。


[i]横山潔「イギリスにおける性犯罪処罰規定について-児童の商業的性的搾取に反対する世界会議を契機として」47(5) 1997

[ii]中村秀次「アメリカにおける Statutory Rape Laws をめぐる平等保護論争とフェミニスト法学」『 熊本法学』 57 1988 

[iii]例えば、マイケルM判決Michael M. v. Superior Court of Sonoma County, 450 U.S. 464 (1981)で問題になったカリフォルニア州法は1850年に10歳未満の法定強姦罪を制定し、1889年に14歳となり、1897年に16歳、1913年に18歳に引き上げられた。州によっては21歳にまで引き上げられた。(中村前掲論文)

[iv]斉藤豊治「アメリカにおける性刑法の改革」『大阪商業大学論集』5(1)2009年

[v] ルネ・メッツ著 久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社1962年 107頁

[vi]我が国の養老令は婚姻年齢に関して「凡そ年十五、女年十三以上、聴婚嫁」と規定され、大宝令も同様だったとされている。これは唐永徽令を継受したものであるが。数え年であるから、実質法定婚姻適齢は14歳・12歳のローマ法・古典カノン法・コモンローと同じ事であり、洋の東西を問わず14歳・12歳が文明世界の婚姻適齢基準といえるだろう。

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その2)

承前

Ⅱ 児童ポルノ法は、過剰なパターナリズムにより表現権を侵害するだけでなく、単純所持処罰導入は重大な思想統制、プライバシーの侵害となる。

 

  

 単純所持処罰導入の理由として欧米では処罰を行なっているからと言うだろう。なるほど合衆国連邦最高判例NEW YORK v. FERBER, 458 U.S. 7471982)において、チャイルドポルノを猥褻、喧嘩言葉など範疇と同じく憲法で保護されないものとし、Osborne v. Ohio, 495 U.S. 103 (1990)においてチャイルドポルノの単純所持処罰を63で合憲と判示している、しかしながら、次の理由でアメリカの判例理論をあてはめると、日本の児童ポルノ法は表現権の侵害にあたると判断されるし、児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止というパタ―ナリスティックな立法趣旨があることから、単純所持処罰も合憲とされないと考える。

 

 

 

 

1.規制目的と密接な関連のない存しないものまで網にかけている

 

 

 

 

連邦最高裁判例ではチャイルド・ポルノについて積極的な定義をしていないが、その規制が合憲であるためには規制にはやむにやまれぬ利益が存在すること、さらには、規制している行為と未成年者の福祉という州の規制利益に密接な関連が存することを挙げているのであるNEW YORK v. FERBER, 458 U.S. 7471982[i]

この観点からすると日本の児童ポルノ法には「三号ポルノ」(衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの)も規制するため、性的虐待・搾取の防止という規制目的と未成年の福祉と密接な関連が疑われるもの[ii]まで幅広く規制していることが問題である。

ウィキペディアによれば、18歳未満のヌード写真、動画、女子は乳首が露出している写真、動画は摘発の対象になっているとされているのであるがそれが大問題だ。

アメリカの判例理論で、表現の自由の規制は、規制目的を達成するのに必要最小限度において認められるとする「過度に広汎性ゆえに無効の法理」があるが、たんにヌード写真、女子の場合は乳首が露出した写真ですら「三号ポルノ」の範疇に含めているこことから過度の広汎性の基準をみたすことにはならないと考える。

NEW YORK v. FERBER, 458 U.S. 7471982)で合憲とされたニューヨーク州法263.15条法は16歳未満の性的虐待の防止のための法律で、罪となるの模擬的な性交、マスターベーション、異常性交、獣姦、SM的虐待、性器の猥褻な露出に限定しており、全編複数の少年のマスターベーションを撮影したフィルムの販売を有罪としたものであるが、それは性的虐待の防止と密接な関連があるとされたのであった[iii]

この観点でOsborne v. Ohio, 495 U.S. 103 (1990)はどうか、事案は、警察の令状にもとづく自宅の捜索により、撮影当時14歳とされる少年の性的意味合いをもつポーズをとったヌード写真が発見されたので起訴されたものであるが、問題のオハイオ州法は、医療、教育、芸術等適切な理由のある場合や、自分の子又は被後見人でない未成年者(18歳未満)のヌード写真または演技の所持または閲覧することを禁じていた。

ホワイト法廷意見は、オハイオ州最高裁が青少年の裸がみだらな描写又は性器に写実的焦点をあてたものであることを要件として規制範囲を限定しているので、過度の広汎性の基準を満たすとし、ブレナン判事の反対意見はオハイオ州最高裁の解釈では依然としとて過度に広汎であることを治癒できないのみならず、漠然性というあらたな問題を創出しているとする[iv]

日本の三号ポルノは「みだらな描写」という限定すらないので、ホワイト法廷意見に照らしてもやはり疑問なのである。

 

 

2.児童ポルノ法改正による単純所持処罰はパターナリスティックな立法趣旨があるので実質思想の制約を課すものとなる(思想の自由の最大級の危機の招来)

 

 

Osborne v. Ohio, 495 U.S. 103 (1990) 点は先例の1969スタンリー判決Stanley v. Georgia 394 U.S. 5571969)が猥褻物件(8ミリフィルム)の単純所持処罰について、「猥せつを規制する州の権限は、個人が自己の住居内で私的に所持しているにすぎない場合まで拡張されるものではない」と違憲判断を下しており、チャイルドポルノにスタンリー判決の射程が及ぶか否かが争われた。法廷意見はオハイオ州法が過度の広汎性の基準を満たすとしたうえで、見る人に対する道徳的倫理的観点からの猥褻規制ではなく、未成年の身体的精神的健全性を保護し、子どもに対する搾取と虐待を処罰するというチャイルド.ポルノグラフィ規制であるので[v]、所持の規制も含めて 合憲と判断したのである。

つまり「Stanley判決における政府の利益は、わいせつ作品がそれを見る者に とって有害であるがゆえに規制する必要性があるというパ夕一ナリスティックなものであった。そうした規制は思想の自由の制約として合憲 とはいえないとされた。しかし、本件における政府の利益は、児童ポルノの被害者を保護するために所持処罰行うというものである。そし て、その目指すところは子供の搾取をたくらむ市場の根絶である」[vi]

この判旨からするとパターナリスティックな立法目的がある場合は国民に対する思想の統制にあたるので合憲とはされない解釈できるが、日本の児童ポルノ法はまさにこのケースにあたると判断する。

実際、東京高裁 平成22 323日判決[vii]が「たとえ描写される児童が当該児童ポルノの製造につき同意していたとしても、その製造により当該児童の尊厳が害されることは否定できず、さらに、もともと同法は,児童の保護のみならず,児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止し、ひいては,児童一般を保護することをも目的とするものであることからすると、児童ポルノの製造につき描写される児童が同意していたとしても,特段の事情のない限り、その行為の違法性が阻却されるものではないと解される」としており「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」[viii]というパターナスティックな立法目的を認めているのである。

とすると、現行でも単純製造罪で起訴されうるが、法改正により単純所持処罰となれば児童に対する性的搾取及び性的虐待の防止と密接な関連のないケースの起訴もこの立法目的のために正当化されるのであり、思想の制約を課し、重大なプライバシー侵害をもたらすことになることを危惧するものである。

 


[i]三島聡『性表現の刑事規制-アメリカ合衆国における規制の歴史的考察』有斐閣2008236p

[ii](各論)Ⅲ、Ⅳ参照

[iii]藤田浩「New York v.Ferber,458 U.S.747,102 S.Ct.3348(1982)--チャイルド・ポルノの規制は第1修正に違反しない」『アメリカ法』1983-2

[iv] 加藤隆之『性表現規制の限界-「わいせつ」概念とその規制根拠』ミネルヴァ書房2008287頁以下

[v]紙屋雅子「チャイルド・ポルノグラフィと表現の自由」『法律時報』70111998

[vi]大林啓吾「所持規制をめぐる憲法問題-児童ポルノの単純所持規制を素材として-」『千葉大学法学論集』283号 2014

[vii]園田寿「いわゆるセクステイングと児童ポルノ単純製造罪

東京高裁平成2282日判決(公刊物未登載)」『甲南法務研究』7 2011

[viii]「児童ポルノ写真を自分撮りさせ送らせた行為について」 片岸法律事務所のサイトhttp://www.toshix.com/0061103sexting.html

児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その1)

 児童ポルノ法改正については、漫画、アニメ、CGの調査研究事項の削除で妥協が図られることで5党の合意がなされ、6月4日との衆院法務委員会で審議入りし、今国会会期中に可決の見通しとの報道がなされているが、私は、実物の写真、映像の単純所持処罰それ自体に以下の理由で強く反対である。単純所持処罰については、思想の自由、プライバシーの重大かつ深刻な危機と認識しているので意見を述べたい。

 すでに児童ポルノ法については規制範囲が広いこと。たんにヌード写真、乳首が露出した写真でも摘発の対象としていること。例えばアメリカ合衆国法典1466Aは、「文学的・芸術的・政治的・科学的な価値が一切ないもの」だけが児童ポルノに該当するとしている。日本では、このような除外規定はないことなど問題といわれている。単純所持処罰については、交際している男女のセクスティング処罰による警察によるとプライバシー侵害が状態化する可能性や多くの問題が指摘されているが、私は大局的な見地から反対意見と、具体的には乳首の露出のある写真集とセクスティング処罰に反対であることにしぼって意見を述べることとする。

 

川西正彦

目次

 

 

 

(総論)

 

 はじめに(私のポルノに好意的な見解)

 

1.ポルノは反社会的ではないというのは1969年以来常識となった

 

. ポルノは社会的に有用な価値がある。

 

Ⅱ 児童ポルノ法は、過剰なパターナリズムにより表現権を侵害しているだけでなく、単純所持処罰導入は重大な思想統制、プライバシーの侵害となる

 

1.規制目的と密接な関連のない存しないものまで網にかけている

 

2.児童ポルノ法改正による単純所持処罰はパターナリスティックな立法趣旨があるので実質思想の制約を課すものとなる(思想の自由の最大級の危機の招来)

 

3.「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」という立法目的が大問題

 

(1)刑法176条・177条及び民法731条との不整合性

 

(2)成人年齢と成熟年齢の違いを明確にするのが文明規範であり、未成年者は当然性的対象であるのが文明規範である

 

(3)理想主義者は美少女が大好きだ

 

(4)女性が最も美しいのは16~17歳である

 

. 江戸の三美人

 

イ.明治中頃までの婚姻適齢は12歳だったし、十代の結婚が多かった

 

ウ.明治の東京評判美人は17歳以下が92%、17歳以下が最も望ましい性的対象であった

 

エ.脳科学は男性が破瓜期以後の女子を性的対象と認識することが正常であることを明らかにしている

 

(各論)

 

Ⅲ写真集『神話少女栗山千明』単純所持処罰絶対反対

 

セクスティング処罰絶対反対

 

 

 

 はじめに(私のポルノに好意的な見解)

 

 

1. ポルノは反社会的ではないというのは1969年以来常識となった

 

 現代の世界的な性的表現・ポルノ解放に大きな影響を与えたのは、1969年好色出版物に関するアメリカ大統領諮問委員会の報告書(委員長ミネソタ大学法学部長ロックハート)である。報告書は「性が人生の正常な一部分として受け入れられ、人間が性的な存在であることが認められることを目標とすべきである」「性的出版物を、それを同意している成人に売り、見せ、配ることを禁じている連邦、州、地域の法律は廃止されるべきだと委員会は勧告する」「成人が自ら欲するままに読み、買い、見るという完全に自由に対して政府が干渉し続けることは正当な根拠がない。」「性的出版物を見たり使ったりすることが、犯罪、少年非行、性的、非性的逸脱、深刻な感情といった社会的もしくは個人的害悪を引き起こす上で大きな役割を演じるとの証拠はない」と記されている。この報告書は従来のオーソドックスな性的出版物に関する価値観を転換させ、ポルノが反社会的ではないとお墨付きを与えた。私もその意義を高く評価する。

 また同年の合衆国最高裁スタンリー判決Stanley v. Georgia 394 U.S. 5571969) は、猥褻物件(フィルム)の単純所持処罰を憲法上許容しないとした。法廷意見は「猥せつな表現は、憲法上保護される言論または出版の範囲に入るものではないが、このことは、わいせつな素材の単なる私的所持を制定法によって処罰し得ることを意味するものではない。憲法は情報や思想をその社会的価値如何に拘らず、受け入れる権利を保障しており、州は自宅で独り坐している市民にどんな書籍を読んでよいか、どんなフィルムを見てもよいかを伝える任務を帯びていない。わが憲法全体を貫く伝統は、政府に人間の心を統制する権限を与えるという考え方とは完全に背馳する。州は猥褻な素材の単なる取締りをそれが反社会的行為に導くおそれがあるという理由で禁止することは出来ず、修正第一条及び修正第十四条は猥褻の素材の単なる私的な所持を犯罪とすることを禁止している。猥せつを規制する州の権限は、個人が自己の住居内で私的に所持しているにすぎない場合まで拡張されるものではない」[i] と判示しており、家庭内でのプライバシーにおける思想、精神の自由の金字塔的判例として評価する。(もっともスタンリー判決はその後の判例で修正され猥褻物を譲渡したり海外から輸入した物件には適用されず、家庭内のプライバシーに限定された。[ii])

 

 大統領諮問委員会報告書とスタンリー判決という1969年の金字塔を信奉し、性革命を大筋で支持する私としては、児童ポルノ法改正によりたんにヌード写真、乳首露出だけでも摘発の対象とし単純所持処罰しようとしていることがどうしても許せない。

 

 

2.ポルノは社会的に有用な価値がある 

 

 

 私は、1960年代の性革命は、ヴィクトリア朝的性道徳の偽善を清算したと(もっと広い意味では古代ヘレニズムのストア派などに由来する淫欲敵視思想の克服)同時に、性欲も人間性の重要一部分であると認識する現代の精神医学の成果も取りこんだものだったと考える。女性のスポーツや社会進出に伴い活動的、解放的な服装が一般的になり(1920年代までは足首まで長いスカートが正装だった)[iii]性的刺戟の強い社会になっているにもかかわらず、男性は初婚年齢が晩婚化し、生涯未婚率が高くなり現代人は有史以来の性的禁欲を強要されていることから、人間性の歪みを是正したという趣旨で賛同する[iv]。性的表現物が、性欲の代償充足となるため性犯罪や暴力犯罪の抑止する効果は多くの実証的研究がある。

 さしあたりわかりやすいのは日本である。性的表現が解放的になった70年代以降、強姦被害者数は、まるで性表現の解放に反比例するかのように激減し特に幼女強姦被害者数は、最多だった1960年代の10分の1に激減している。(藤本由香里「有害情報規制をめぐる問題について--都条例改正案「非実在青少年」規制を中心に (特集 ネットワーク社会における青少年保護 」『法とコンピュータ』292011年34頁

 にもかかわらず、国会議員はポルノより自分の選挙演説のほうが表現として価値があり、ポルノは低価値だときめつけるであろう。しかし表現の自由とは、社会的に嫌悪される見解をその嫌悪感を理由に禁止することを禁じることが核心である。何が価値ある表現で何がそうでないかについて、政府が決定すべきものではないし、あなたの選挙演説より成人映画のほうが価値があるという人がいてもよいのである。また低価値表現であるがゆえに憲法上の保護を否定されるべきものではない。

 

(つづく)

[i]馬屋原成男「ポルノ解放と猥せつ罪のレーゾンテーダー(二)」『法学論集』9  1972年(*ネット公開論文)

[ii]バーガーコートの1970年代にスタンリー判決は適用範囲を限定するかたちで修正されていく。1971年のライデル判決 において猥褻物を譲渡しようと者に適用不可とし同年の三七枚写真判決 において海外から補移設物件を輸入する者には適用しないとされた。さらに1973年のパリスアダルトシアター判決 において連邦最高裁は観ることに同意した成人のために上映したと言う理由で猥褻規制は除外されないとし、スタンリー判決は家庭内のプライバシーという狭い範囲に限定されることとなった。(三島聡『性表現の刑事規制-アメリカ合衆国における規制の歴史的考察』有斐閣2008194頁以下)

 

 

[iii] スカートについて1920年代まで女性の正装はマキシという裾が足首を掩うロングスカートであり西洋で数百年続いた女性の正常服であった。

ただしロングスカートが短くなったのは1883年のゴルフの流行、1884年の自転車の流行、1890年代のローンテニスの流行の頃からとされるが、画期的な「改革」はスカートを膝までに切った1925年のフラッパーの出現である。アメリカでは向こう脛・脹ら脛を露出して闊歩する女性をフラッパー娘と称し、不良娘を意味する軽蔑語であった。牧師はさかんに反道徳的として非難したのである。日本では昭和初期に流行しモダン・ガールとも称した。さらにスカートは短くなり、我が国では1967年にミニスカートがパリから輸入され、1969年にホットパンツが流行し、超ミニの全盛時代となった。

またアメリカでは1920年代の女性の水着は黒いストッキングをはいていた。フランスではその頃にはストッキングをはかずワンピースとなり、1947年にビキニが世に現れた。

(馬屋原成男「ポルノ解放と猥せつ罪のレーゾンテーダー(一)『法学論集) 83, 1971*ネット公開参照)。

ただし世俗化が欧州ほど進んでないアメリカはミニスカートをはいたことのある女性は全体の4分の1くらいしかいない。アメリカ人は日本人女性がいかにも狙ってくださいといわんばかりのミニスカートが多いことに驚くのである。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1223503282

女性の服装が解放的になった理由はいくつかある。ひとつは世界大戦、特に第二次世界大戦が国家総動員総力戦になったため女性が軍需産業など男性の職域に進出し適応力があることが判明し、女性の活動領域が拡大したこと。スポーツ、もう一つは世俗化の進行である。

しかし、19世紀までマキシが正常服という認識を前提とすると、向こう脛や脹脛を露出するのがあたりまえな現代は異常だといわなければならない。異常なのは女性の服装であってポルノではない。ポルノは女性の活動的解放的な服装がもたらした性的刺激が強すぎる環境を緩和するための良心的な商品にすぎない。いうまでもなく、性的刺戟がもっとも強いのは実物である。ただ飛びついたり触ることが困難だからポルノで代償充足する必要がある。男性は女を見ても氷のようでいられるよう現代社会に適応するためやむをえずポルノを見ているだけなのである。

フェミニストのポルノ批判は不当であり、たんに男嫌いの表明か、モテない男虐めの何者でもない。ポルノを駆逐したいならタリバン政教一致国家のように女性は肌を露出しないブルカを着なさい。

[iv] むろん広い意味での性革命はフェミニズムや同性愛解放の主張を含むものでるから、批判的な見方をするが、少なくとも性的表現の解放と売春の非犯罪化には賛同する

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