児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その1)
児童ポルノ法改正については、漫画、アニメ、CGの調査研究事項の削除で妥協が図られることで5党の合意がなされ、6月4日との衆院法務委員会で審議入りし、今国会会期中に可決の見通しとの報道がなされているが、私は、実物の写真、映像の単純所持処罰それ自体に以下の理由で強く反対である。単純所持処罰については、思想の自由、プライバシーの重大かつ深刻な危機と認識しているので意見を述べたい。
すでに児童ポルノ法については規制範囲が広いこと。たんにヌード写真、乳首が露出した写真でも摘発の対象としていること。例えばアメリカ合衆国法典1466条Aは、「文学的・芸術的・政治的・科学的な価値が一切ないもの」だけが児童ポルノに該当するとしている。日本では、このような除外規定はないことなど問題といわれている。単純所持処罰については、交際している男女のセクスティング処罰による警察によるとプライバシー侵害が状態化する可能性や多くの問題が指摘されているが、私は大局的な見地から反対意見と、具体的には乳首の露出のある写真集とセクスティング処罰に反対であることにしぼって意見を述べることとする。
川西正彦
目次
(総論)
Ⅰ はじめに(私のポルノに好意的な見解)
1.ポルノは反社会的ではないというのは1969年以来常識となった
2. ポルノは社会的に有用な価値がある。
Ⅱ 児童ポルノ法は、過剰なパターナリズムにより表現権を侵害しているだけでなく、単純所持処罰導入は重大な思想統制、プライバシーの侵害となる
1.規制目的と密接な関連のない存しないものまで網にかけている
2.児童ポルノ法改正による単純所持処罰はパターナリスティックな立法趣旨があるので実質思想の制約を課すものとなる(思想の自由の最大級の危機の招来)
3.「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」という立法目的が大問題
(1)刑法176条・177条及び民法731条との不整合性
(2)成人年齢と成熟年齢の違いを明確にするのが文明規範であり、未成年者は当然性的対象であるのが文明規範である
(3)理想主義者は美少女が大好きだ
(4)女性が最も美しいのは16~17歳である
ア. 江戸の三美人
イ.明治中頃までの婚姻適齢は12歳だったし、十代の結婚が多かった
ウ.明治の東京評判美人は17歳以下が92%、17歳以下が最も望ましい性的対象であった
エ.脳科学は男性が破瓜期以後の女子を性的対象と認識することが正常であることを明らかにしている
(各論)
Ⅲ写真集『神話少女栗山千明』単純所持処罰絶対反対
Ⅳセクスティング処罰絶対反対
Ⅰ はじめに(私のポルノに好意的な見解)
1. ポルノは反社会的ではないというのは1969年以来常識となった
現代の世界的な性的表現・ポルノ解放に大きな影響を与えたのは、1969年好色出版物に関するアメリカ大統領諮問委員会の報告書(委員長ミネソタ大学法学部長ロックハート)である。報告書は「性が人生の正常な一部分として受け入れられ、人間が性的な存在であることが認められることを目標とすべきである」「性的出版物を、それを同意している成人に売り、見せ、配ることを禁じている連邦、州、地域の法律は廃止されるべきだと委員会は勧告する」「成人が自ら欲するままに読み、買い、見るという完全に自由に対して政府が干渉し続けることは正当な根拠がない。」「性的出版物を見たり使ったりすることが、犯罪、少年非行、性的、非性的逸脱、深刻な感情といった社会的もしくは個人的害悪を引き起こす上で大きな役割を演じるとの証拠はない」と記されている。この報告書は従来のオーソドックスな性的出版物に関する価値観を転換させ、ポルノが反社会的ではないとお墨付きを与えた。私もその意義を高く評価する。
また同年の合衆国最高裁スタンリー判決Stanley v. Georgia 394 U.S. 557(1969) は、猥褻物件(フィルム)の単純所持処罰を憲法上許容しないとした。法廷意見は「猥せつな表現は、憲法上保護される言論または出版の範囲に入るものではないが、このことは、わいせつな素材の単なる私的所持を制定法によって処罰し得ることを意味するものではない。憲法は情報や思想をその社会的価値如何に拘らず、受け入れる権利を保障しており、州は自宅で独り坐している市民にどんな書籍を読んでよいか、どんなフィルムを見てもよいかを伝える任務を帯びていない。わが憲法全体を貫く伝統は、政府に人間の心を統制する権限を与えるという考え方とは完全に背馳する。州は猥褻な素材の単なる取締りをそれが反社会的行為に導くおそれがあるという理由で禁止することは出来ず、修正第一条及び修正第十四条は猥褻の素材の単なる私的な所持を犯罪とすることを禁止している。猥せつを規制する州の権限は、個人が自己の住居内で私的に所持しているにすぎない場合まで拡張されるものではない」[i] と判示しており、家庭内でのプライバシーにおける思想、精神の自由の金字塔的判例として評価する。(もっともスタンリー判決はその後の判例で修正され猥褻物を譲渡したり海外から輸入した物件には適用されず、家庭内のプライバシーに限定された。[ii])
大統領諮問委員会報告書とスタンリー判決という1969年の金字塔を信奉し、性革命を大筋で支持する私としては、児童ポルノ法改正によりたんにヌード写真、乳首露出だけでも摘発の対象とし単純所持処罰しようとしていることがどうしても許せない。
2.ポルノは社会的に有用な価値がある
私は、1960年代の性革命は、ヴィクトリア朝的性道徳の偽善を清算したと(もっと広い意味では古代ヘレニズムのストア派などに由来する淫欲敵視思想の克服)同時に、性欲も人間性の重要一部分であると認識する現代の精神医学の成果も取りこんだものだったと考える。女性のスポーツや社会進出に伴い活動的、解放的な服装が一般的になり(1920年代までは足首まで長いスカートが正装だった)[iii]性的刺戟の強い社会になっているにもかかわらず、男性は初婚年齢が晩婚化し、生涯未婚率が高くなり現代人は有史以来の性的禁欲を強要されていることから、人間性の歪みを是正したという趣旨で賛同する[iv]。性的表現物が、性欲の代償充足となるため性犯罪や暴力犯罪の抑止する効果は多くの実証的研究がある。
さしあたりわかりやすいのは日本である。性的表現が解放的になった70年代以降、強姦被害者数は、まるで性表現の解放に反比例するかのように激減し特に幼女強姦被害者数は、最多だった1960年代の10分の1に激減している。(藤本由香里「有害情報規制をめぐる問題について--都条例改正案「非実在青少年」規制を中心に (特集 ネットワーク社会における青少年保護 」『法とコンピュータ』292011年34頁
にもかかわらず、国会議員はポルノより自分の選挙演説のほうが表現として価値があり、ポルノは低価値だときめつけるであろう。しかし表現の自由とは、社会的に嫌悪される見解をその嫌悪感を理由に禁止することを禁じることが核心である。何が価値ある表現で何がそうでないかについて、政府が決定すべきものではないし、あなたの選挙演説より成人映画のほうが価値があるという人がいてもよいのである。また低価値表現であるがゆえに憲法上の保護を否定されるべきものではない。
[i]馬屋原成男「ポルノ解放と猥せつ罪のレーゾンテーダー(二)」『法学論集』9 1972年(*ネット公開論文)
[ii]バーガーコートの1970年代にスタンリー判決は適用範囲を限定するかたちで修正されていく。1971年のライデル判決 において猥褻物を譲渡しようと者に適用不可とし同年の三七枚写真判決 において海外から補移設物件を輸入する者には適用しないとされた。さらに1973年のパリスアダルトシアター判決 において連邦最高裁は観ることに同意した成人のために上映したと言う理由で猥褻規制は除外されないとし、スタンリー判決は家庭内のプライバシーという狭い範囲に限定されることとなった。(三島聡『性表現の刑事規制-アメリカ合衆国における規制の歴史的考察』有斐閣2008年194頁以下)
[iii] スカートについて1920年代まで女性の正装はマキシという裾が足首を掩うロングスカートであり西洋で数百年続いた女性の正常服であった。
ただしロングスカートが短くなったのは1883年のゴルフの流行、1884年の自転車の流行、1890年代のローンテニスの流行の頃からとされるが、画期的な「改革」はスカートを膝までに切った1925年のフラッパーの出現である。アメリカでは向こう脛・脹ら脛を露出して闊歩する女性をフラッパー娘と称し、不良娘を意味する軽蔑語であった。牧師はさかんに反道徳的として非難したのである。日本では昭和初期に流行しモダン・ガールとも称した。さらにスカートは短くなり、我が国では1967年にミニスカートがパリから輸入され、1969年にホットパンツが流行し、超ミニの全盛時代となった。
またアメリカでは1920年代の女性の水着は黒いストッキングをはいていた。フランスではその頃にはストッキングをはかずワンピースとなり、1947年にビキニが世に現れた。
(馬屋原成男「ポルノ解放と猥せつ罪のレーゾンテーダー(一)『法学論集) 83, 1971*ネット公開参照)。
ただし世俗化が欧州ほど進んでないアメリカはミニスカートをはいたことのある女性は全体の4分の1くらいしかいない。アメリカ人は日本人女性がいかにも狙ってくださいといわんばかりのミニスカートが多いことに驚くのである。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1223503282
女性の服装が解放的になった理由はいくつかある。ひとつは世界大戦、特に第二次世界大戦が国家総動員総力戦になったため女性が軍需産業など男性の職域に進出し適応力があることが判明し、女性の活動領域が拡大したこと。スポーツ、もう一つは世俗化の進行である。
しかし、19世紀までマキシが正常服という認識を前提とすると、向こう脛や脹脛を露出するのがあたりまえな現代は異常だといわなければならない。異常なのは女性の服装であってポルノではない。ポルノは女性の活動的解放的な服装がもたらした性的刺激が強すぎる環境を緩和するための良心的な商品にすぎない。いうまでもなく、性的刺戟がもっとも強いのは実物である。ただ飛びついたり触ることが困難だからポルノで代償充足する必要がある。男性は女を見ても氷のようでいられるよう現代社会に適応するためやむをえずポルノを見ているだけなのである。
フェミニストのポルノ批判は不当であり、たんに男嫌いの表明か、モテない男虐めの何者でもない。ポルノを駆逐したいならタリバン政教一致国家のように女性は肌を露出しないブルカを着なさい。
[iv] むろん広い意味での性革命はフェミニズムや同性愛解放の主張を含むものでるから、批判的な見方をするが、少なくとも性的表現の解放と売春の非犯罪化には賛同する
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