児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その5)
(承前)
イ.明治中頃までの婚姻適齢は12歳だった
明治時代の庶民文化について一家をなした研究者で国立歴史民俗博物館教授などを歴任した小木新造によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している(『東京庶民生活史』日本放送協会1979の287~330頁参照)
明治民法(明治31年、1898年)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。但し、定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12歳を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。
東京現住結婚年齢者対象表
『東京府統計書』
明治17年
男 女
14年以下 11 128
15年以上 604 2740
20年以上 1880 2691
25年以上 2679 1496
30年以上 1607 811
35年以上 871 442
40年以上 略 略
(小木前掲書309頁)
この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈はほぼ実態に即したものといえる。
また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。
ウ.明治の東京評判美人は17歳以下が92%、17歳以下が最も望ましい性的対象であった
小木は明治時代、東京におけて娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。
これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は
13歳 5人
14歳 11人
15歳 24人
16歳 19人
17歳 31人
18歳 2人
19歳 5人
20歳 0人
21歳 1人
(小木前掲書310頁以下)
98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。
15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって18歳未満を性欲の対象としてはならないなどという立法趣旨は甚だしく、日本の伝統や文化に反するものである
« 児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その4)) | トップページ | 児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その6) »
「性・精神医学」カテゴリの記事
- 手術要件の撤廃に反対します (2023.09.24)
- LGBT理解増進法提出反対(最後まであきらめない)(2023.05.13)
- LGBT理解増進法は日本の国柄を変える懸念があり強く反対する(2023.05.11)
- LGBT理解増進法の根本的な疑問点-憲法14条の認識(2023.05.06)
- LGBT法案絶対反対その3(2023.05.06)
« 児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その4)) | トップページ | 児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に対する反対意見(その6) »
コメント