国会議員へ 児童ポルノ法改正単純所持処罰導入に強く反対する意見(下書き)
私は、現行の児童ポルノ法が表現権を侵害していると考えるが、さらに単純所持処罰となると思想の制約を課し、家庭内のプライバシーの侵害となり、思想の自由、プライバシーの重大な危機となるので強く反対である。
Ⅰ たんにヌード写真、たんに女子の乳首の露出した写真は性的虐待・搾取と無関係であり、過度に広汎な規制といえる
現行の児童ポルノ法は児童に対する性的搾取及び性的虐待の防止を規制目的としながら、「三号ポルノ」規定により規制目的とは密接な関連のないたんにヌード写真、女子の乳首の露出した写真まで規制の網にかけているため過度に広汎な規制といえる。
アメリカ判例では、チャイルドポルノは猥褻、喧嘩言葉などの範疇と同じく憲法によって保護されない範疇に加えられてはいるが、規制が合憲であるためには、規制にはやむにやまれぬ利益が存在すること、さらに、規制している行為と未成年者の福祉という州の規制利益に密接な関連が存することを要するのである[NEW YORK v. FERBER, 458 U.S. 747(1982)]
また、アメリカの判例理論には表現の自由の規制は、規制目的を達成するのに必要最小限度において認められるとする「過度に広汎性ゆえに無効の法理」があるが、たんにヌード写真、女子の場合は乳首が露出した写真ですら「三号ポルノ」の解釈から摘発の対象としているのは、過度の広汎性の基準を満たすものではない。むろん外国の判例理論ではあるが表現権の最先進国の基準に照らせば、我が国の児童ポルノ法はアウトといえるのである。
具体的に問題となる事例をいうと、例えば篠山紀信『神話少女 栗山千明』(新潮社1997年)12歳の少女の半裸写真を含む写真集である。栗山千明はチャイドル美少女と評判だったが、ハリウッドに進出し準主役に抜擢されるなど女優、タレントとして成功したおり、この写真集は「クールビューティ」という彼女のイメージをつくり芸能界での成功のステップといえるものである。これが性的虐待であるとは到底思えないのであるが、法改正で廃棄しなければ、刑罰に処される危険性がある。性的虐待とは無関係と主張しても警察は許さないだろう。到底納得できるものではない。またこれほどの美しい写真集を国会議員の淫欲敵視思想により焚書にするのはとても惜しい。
またセクスティングは現行児童ポルノ法でも単純製造罪で有罪とされている。交際中の男女間で自撮りのヌード写真や思わせぶりな画像を送信する行為を「セクスティング」というが、携帯やIT機器が普及した今日においては相当広汎に行われているとみるのが自然である。単純所持処罰となればより深刻さは増す。
私はたんにヌード写真はむろんのこと、俗に言う「くぱぁ画像」(性器開帳)であっても、それが無邪気なお遊びにすぎないものである以上、性的虐待、性的搾取とは関連がないから、児童ポルノ法の規制対象からは外すべきであると思う。とりわけ、性的にも成熟し大人っぽい年齢の「児童」が被写体である場合は。
なぜならば、刑法176条・177条により、性的行為性交が合意のものであれば強姦とされない年齢が13歳とされており、青少年保護育成条例でたぶん大多数の自治体がみだらな性行為を禁止しているとしても、国の法律は13歳未満でなければ性的に成熟した女子とみなされ、これは我が国の民俗的慣行と一致するだけでなく、教会法の成人は20歳であっても、成熟年齢はローマ法と同じく男子14歳・女子12歳としている考え方とも類似しているが、13歳以上の女子は法的に慣習としても性的行為を受容して性交に同意する能力(性的自己決定権)があるものと解釈されるのであって、また、民法731条法定婚姻年齢も女子は16歳であることから、親密な人間関係を築き、結婚し家庭を持つことが、幸福追求権のなかでも核心的な価値である以上、セクスティングのある男女交際から結婚にいたるケースも想定しうることを考慮するならば、英米法とくに表現権を専門とする紙谷雅子学習院大学教授も、児童ポルノ法でのセクスティング訴追は疑問[紙谷雅子「セクスティングとチャイルド・ポルノグラフィ」『学習院大学法学会雑誌』46巻1号2010年]としており、私もそう思う。被害者なき犯罪の拡大と非難されるべきである。
Ⅱ 児童ポルノ法単純所持処罰を許せないのは「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨が、異常な性欲敵視思想であり、事実上の全体主義的思想統制になるためだ
ここでいう「児童」とは「児童の権利条約」の「児童」(18歳未満)であるが、性的行為の自己決定権を有する13歳以上も含むものである。正常な男性ならば第二次性徴期ないし破瓜期以降の女性は性的魅力があり性欲の対象となるものであり、それは自然である。土俗的には赤い腰巻きをした思春期以降の女子は成女とされたのである。18歳未満を性的対象とする風潮の防止とする公定イデオロギーは、ストア主義者顔負けの異常な性欲敵視思想であり、それは、性を人間性の重要な一部分のみなす、精神医学の考え方にも反するものである。
しかし、仮に私が『神話少女』を所持し、法改正後も廃棄せず、なんらかの口実で家宅捜索されて、それが発見されたとする。モデルの性的虐待・性的搾取にかかわった者として刑罰に処されるのは全く不合理である。にもかかわらず児童ポルノ法は「児童を性的対象とする風潮が助長されることを防止」する立法趣旨もあるので、あなたが性的虐待にかかわってないとか規制目的と関連してないと主張しようとそんなのは関係ない、18歳未満のヌード写真の所持を取り締まることが「児童を性的対象とする風潮の助長」を防止する効果があるので、あなたはこの公定イデオロギーにさからったから刑罰に処されて当然ですと警察は言うはずだ。
これは事実上の全体主義的思想統制になるし、むろんプライバシーの重大な侵害である。
アメリカ判例ではOsborne v. Ohio, 495 U.S. 103
(1990)が思わせぶりなポーズをとった少年のヌードの単純所持処罰を6対3で合憲としているが、ホワイト判事の法廷意見は、見る人に対する道徳的倫理的観点からの規制ではなく、あくまでも未成年の身体的精神的健全性を保護し、子どもに対する搾取と虐待を処罰するというチャイルドポルノグラフィ規制であるのため合憲とされたのである。(ただし私は反対意見を期したブレナン判事が正しいと考えている)
つまりこの判決は、パターナリスティックな立法目的、特定の価値観を強制するようなものであれば、先例であるStanley v. Georgia 394 U.S. 557(1969)が猥褻物件(8ミリフィルム)の単純所持処罰について、この州法の立法目的がわいせつ作品がそれを見る者にとって有害であるがゆえに規制する必要性があるというパ夕一ナリスティックなものであったが、そうした規制は思想の自由の制約として合憲 とはいえないとして猥せつを規制する州の権限は、個人が自己の住居内で私的に所持しているにすぎない場合まで拡張されるものではないと違憲判断を下したこととの整合性から合憲判断にはならないということを言っているのであって、そうすると、この理論からすると明らかに立法目的がパターナリスティックな日本の児童ポルノ法は、国民に思想の制約を課すものであるから単純所持処罰まで拡大することはなじまないと明確にいえる。
以上が私の反対意見の概要であるが詳論は、川西正彦のブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-7bb7.htmlをご笑覧いただければ幸甚に存じます。
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