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2015/04/19

ニューヨーク白熱教室(第3回)の感想

 超弦理論のミチオ・カク教授(日系三世・ニューヨーク市立大シティカレッジ)の第二回(Eテレ4月17日23時放映)を見た。
 トピックの一つが「不老不死は実現するか」であったが、さすがに科学的な説明だった。
 物理学的にいうと「老化」とは細胞分裂時にDNAに複製においてコピーミスが蓄積することだと言う。つまりダメージを受けているDNAを修復できれば老化を遅らすことができる。
 又、30%カロリー制限すると、30%寿命が伸びることが人間を除くすべての動物で検証されているとも言った。
 ただし、熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)は不老不死を妨げると述べた。
人は死ななければならない。閉鎖系のなかではあらゆるものは崩壊する。

 小保方博士の言ったSTAP細胞による夢の若返りは虚構だったのだ。
 ここから、私の見解である。無理に若返りする必要はないと考える。死ぬから人間は限られた人生をいかに生きるべきか考え、人生目的が明確になるのである。キリスト教的には、「死は来世への門口であり、それ故生の目的であり、完成なのである」(田中仁彦『デカルトの旅・デカルトの夢』岩波書店210頁)。人生目的とは宗教的な意味で霊性の向上、聖化と答えてもよいし、特殊なミッションであってもよい。過激に殉教、ジハードという人もいるだろうが、人生に何か賭ける意義のあるものとすることが死によって可能なのである。ゆえに死が人生の最善の友といえるのである。
 宗教的でありながら、合理主義的と思えたのが、『人間の可死性』(1644年頃出版)を説いたリチャード・オーヴァートンの見解「人間の全体は、ふつう魂と肉体は区別して考えられているけれども、完全に可死的な複合物であり、魂がただちに天国や地獄に行くというのは虚構である。われわれの不死がはじまるのは、したがって破滅と救済がはじまるのは、復活のときであってそれ以前ではない」(浜林正夫『イギリス革命の思想構造』未来社1966年229頁)というものである。
 この見解は唯物論に近いという批評もあるが、「霊魂睡眠論」といい、再洗礼派の伝統的な思想であり、ミルトンもそういう考えだった。
 霊魂は死滅するが、にもかかわらず不死とは一見矛盾するが、ほぼ科学的真実だと思う。
 そもそも不死といっても自己自身をどう定義するかによる。自己同一性とは何か。脳内のエピソード記憶の累積か、外界と区別するところの免疫抗体の同一性なのか、クローン人間は同一人とはいえない。一卵性双生児が別人だからだ。記憶や免疫は死ぬと同じ世界では少なくとも地球上では復元不能に思える。ハードディスクの破壊と同じだからだ。
 しかし無数のパラレルワールドの存在を前提すれば復元可能である。そのような意味での「復活」である。全く没交渉の宇宙だから、それは同一のものとも否ともいえるだろう。それは思い込むかいなかの問題なのである。
 法的には、自らが契約によって労働力処分できる身体それ自体が自己であるといえるが、しかし、自己概念を、そういう枠や、同じ記憶の累積、同じDNA、同じ免疫抗体に固執せずトランスパーソナルに解釈することはできる。
 つまり自分は、夫婦別姓反対。ジェンダー労働政策であるワークライフバランスに反対。男子の家庭科、ダンスに反対だ。フェミニスト、日弁連、労働組合が嫌いだ。ヘイトスピーチ規制立法反対。ロックナー判決は正しいと思う。階級立法に反対する。もし南北戦争以降歴史上最善のアメリカ大統領はときかれたら、いうまでもなくクーリッジと答える。‥‥という政治的見解がすべて同一で、なおかつ、幼稚園はキリスト教系、高卒だ。素人童貞だ。30年以上セックスをしたことがない。ノーパン喫茶を楽しんだことがある。飛行機に乗ったことがない。半殺しにあったことが2回ある。心筋梗塞の病歴等のエピソードが同じなら姿や住所等が多少違ってもほぼ同じ人間だともいえるのである。
 トランスパーソナルでもそれは満足できるものならそれも広い意味での自己といえる。つまり別の世界の自分は結婚していたとバリエーションがあったとしても不満ではないからだ。つまり無数のパラレルワールドを前提として、ここで認識している私は、類似の自己のうち失敗したほうであれば、それはもはや自己でなく他人だったともいえる。でもまだ許容できる存在だから、他人であっても「自殺」はしないだけである。

 無数のパラレルワールドを前提として、そうした類似した人間のなかでもっとも傾向性が発現し、満足度の高い人生を歩んだ者が真の自己ともいえる。なぜならば、自分の考える自分とは、常に傾向性を発言したいと思う自己でありそれは想像上のものであって現実ではないからだ。
 哲学的にも物理化学的にも自由意思が虚構であり、自分は自分の身体の中の人であるというのはそう思わされているだけであったとすると、結局そのような意味での自己概念は崩壊するが、傾向性が実現する自己なるものが構造的に存在するといえるから、そのような意味で不死であるということである。

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