下書 三六協定締結拒否の争議行為性について(1)
一 はじめに
(本論に入る前に前書きがやたらと長いが技術的議論だけでなく大所高所から捉えることを重視しているためである)
私は近代私法、古典的自由主義(個人主義的自由主義)、自由企業体制を侵害する、階級立法、労働法制の多くに反対であり、1906年ロックナー対ニューヨーク判決(労働時間規制立法違憲)、1923年アドキンス対小児病院判決(最低賃金立法違憲)〔1937年に明示的に判例変更したが、今日では再評価されている〕は正しいと考えるから、強行法規である労働基準法は当然、悪法と評価し、オーバーホールすべきと考える(むろん三者構成原則の労働政策決定の枠組み自体、準コーポラティズム的体制というべきものであり、それを打破して、英米型に移行しない限り困難であることはいうまでもないが)。
なかでも三六協定に類する労働法制は世界的にも類例がなく、著しい契約自由の侵害であり、合理的理由のない取引制限と考えるから、初めに結論を述べる。
三六協定締結拒否は法的にも争議行為であるというのが結論である。少なくとも社会的・事実的に争議行為であることは大多数が是認していることであるから、それが争議行為を禁止している公営企業でなされることは好ましくない。それを許容するあり方は是正されなければならないが、本稿はその論理構築を課題として取り組むものである。
(一)民法の相対効、契約の自由に反する労基法36条
市民法的論理、契約自由、意思自治の観点から労働基準法の三六協定について根本的に疑問に思うのは「八時間労働制」という時代遅れで非合理なドグマに固執し、たとえ個別労働者が受け入れるとしても過半数組合等が三六協定を締結されない限り、使用者の労働者使用に関する指揮・支配権が及ばないと解され、時間外労働に関する雇用契約について個別労働者の自由意思が基本的に否認されていること、
また事業所協定は、協定締結集団である過半数組合や代表等に関係ない非組合員や過半数代表を選出していない従業員にも及びうると一般に解されていることから、自己自身の労働力処分について自ら合意したわけでもない第三者による協定により拘束されるあり方は、近代市民法の原則である「契約の相対効」に反し、契約の自由にも反するという点である。
我が国の労働法は個人の権利よりも第一次大戦後に広がったドイツで有力になった団体優位の思想に基づいている点で、本質的に近代私法と矛盾する性質のものといえるが、フランスでは、1886年労働組合を合法化したが労働協約は「契約の相対効」(民法典1165条)により法的強行性が否定されていた、それが本来の近代市民法のあり方である。
要するに、団体協約は近代私法の重要な原則に反するのである。
1919年に市民法論理を覆して労働協約は法認されたが、戦争協力の見返りとして労働組合に譲歩せざるをえなかっただけだ。英国コモンローは今日でも労働協約は営業(取引)制限の法理に反し違法であり、それ自体法的拘束力はないとされている。それが近代自由企業体制の本来のあり方だろう。
(二)世界的に類例がない強行法規
我が国の三六協定のような強行法規は世界的に類例がない。特殊であり、グローバルスタンダードに明らかに反する。TPPの加盟国、加盟交渉国にはニュージーランドの国民党、オーストラリアの自由党といった新自由主義政策を推進する政府があることを考慮すれば、TPP加盟交渉を契機に労働基準法の罰則など過剰な労働者保護的法制は世界の常識とずれたものとして見直す必要があるのではないだろうか。
世界の常識に反しているということについて、ここでは英米法圏の法制と対比してみていきたい。
合衆国の1938年公正労働基準法(FLSA)は、使用者に対し同法が適用される被用者に対し週40時間を超える労働に対して割増賃金支払義務を課すが、過半数代表との協定の必要はなく、たんに割増賃金支払義務があるだけだ。
そもそもFLSAは、大恐慌により失業問題が深刻であった時代に立法されたため、その立法趣旨は追加的賃金を避けるメカニズムにより「雇用を拡大すること」や「ワークシェアリング」することであり、長時間労働の抑制ではないのである。[i]
また1935年全国労使関係法では、従業員の過半数の支持を受けない限り組合は承認されず交渉権はなく、会社が関与する従業員代表制度を認めていないので、交渉代表のない大多数の職場は、団体交渉のない個別契約なのである。団体との協定を強行法規とする考えはとってないので、三六協定のような制度はない。もし強行法規とすると憲法違反の疑いが強くもたれたと考える。[ii]
合衆国の2014年の労働組合組織率は、11.1%だが、民間企業では6.6%にすぎない。http://www.bls.gov/news.release/union2.tn.htm従って民間企業の大多数の職場では団体協約でカバーされない個別契約であり、我々が良く知るエクセレントカンパニーの多くは、組合不在企業で、団体との協定などないから、外資系の企業は三六協定について不可解に思っているのではないだろうか。
一方、EUについて1993年制定(2000年に改正)EU労働時間指令http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2005_5/eu_01.htmという労働時間規制が知られている。例外規定があり、イギリスとマルタで適用されている。
イギリスは、EUに加盟しながら、本来、加盟国の義務であるユーロの導入や労働時間指令についてオプトアウト(適用除外)の権利を獲得し、 欧州大陸諸国と一線を画してきた。EU労働時間指令について新自由主義政策をとるイギリス保守党メジャー政権が激しく抵抗したため、結果として例外規定として1週間の労働時間について、時間外労働を含め、労働時間平均週48時間以内の上限(算定期間は4カ月)の免除を受けるかどうかについて個々の労働者が選択するオプト・アウト制度を勝ち取ったのだ。
労働党ブレア政権は前政権が受容れなかった同指令を受容れ、週平均48時間を超えてはならないとする「1998年労働時間規則」を設けたが、同時に労働者により署名された書面による個別的オプト・アウトの合意により、法定労働時間規則の適用を免除する制度も設けたのである。
2004年の『海外労働情報』によると使用者側のあるアンケート調査では、759社中65%の企業が、自社の従業員にオプト・アウトに同意するよう求めているほか、CBI(イギリス産業連盟)の調査では、英国の労働者の33%が同意書にサインしており、EU労働時間指令の空洞化は明らかである。
EU15カ国において週48時間以上働いているフルタイム雇用者は5%以下であるが、イギリスは20%を超えている。http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2005_5/eu_01.htmというように他国とは勤勉さ、労働時間に大きな違いが出ている。
イギリスは1992年から2008年のリーマンショックまで16年間連続で景気拡大し経済は好調だった。日本が時短政策で失われた十年とも二十年ともいわれる経済低迷が続いたこととは対照的である。外国からの投資を呼び込んでいるのもオプト・アウト制度のおかげ。イギリスは近年でも5年連続プラス成長で経済は好調であり、リーマンショック以前の成長率に戻ったことが、2015年5月7日総選挙で保守党の勝因と報道されているが、欧州大陸諸国とは一線を画す労働政策が効果を現しているとみるべきである。
重要なことは、我が国のように労働時間規制を適用除外とするために、過半数組合との協議など必要なく、個別労働者との同意でオプト・アウトが可能だということである。なぜならば、イギリスではあくまで法的に雇用契約は一対一のものであって、労働協約は法外的に処理されている、1999年労働党がつくった労働組合承認(union registration)制度を別として、集団的労働関係を格別保護する法制が存在しないというメリットによるものといえるだろう。
また、私は新自由主義の先進立法としてオセアニア諸国に関心をもつものである。オセアニアは強制調停仲裁制度により労働条件規制をするユニークな制度があったが、時代遅れのものとして批判され改革がなされたのである。
ニュージーランド雇用契約法Employment Contracts Act は国民党政権により1991年より約10年施行され、(労働党への政権交代により2000年雇用関係法Employment Relations
Act にとって代えられたが)仲裁制度を完全に廃棄して契約自由を理念とした新自由主義に基づく先進的な立法である。
同法では、個別的雇用契約については「集団的雇用契約があるときは、使用者と被用者は、集団的雇用契約の定める雇用条件に反しない範囲で個別的に雇用条件を交渉することができる」(19条-2)(一)71頁とあり、集団的取引が優先されることとしている。しかしながら労働協約が個別契約を排除するのに対し、個別雇用契約を原則とする同法の先進的といえる。
同法は、団体交渉に関する規定も、それを支援する規定も、不当労働行為などの特別な救済も用意しない。集団的取引による労働契約をとるか否かは当事者の任意であるし、使用者に「団交応諾義務」を課すものは何もない。労働市場を規制する主要な要素であった「労働組合」、「団体交渉」および「労働協約」という集団的労働法の概念を排除し、契約自由を理念とする雇用契約を労使関係の基礎に据えた。「労働組合」は雇用契約のための交渉代理人にすぎず、「団体交渉」は交渉代理人と使用者の個別的交渉に改変されたのである。ニュージーランドでは時間外労働の割増賃金を定めた立法はなかったため、従前はアウォードや労働協約で定めていたが、1991年雇用契約法は契約自由なので、割増賃金やペナル賃率は廃止されるようになった[iii]。
オーストラリアではニュージーランドの改革に刺激され、まずビクトリア州が1992年被用者関係法制定により仲裁制度廃止の口火を切り、1996年にハワード自由党・国民党の保守連合政権による職場関係法Workplace Relations Act を制定した。これにより90年以上続いた調停仲裁制度は原則的に廃棄され、労働条件の決定は企業別に行なわれる直接交渉と、使用者と労働者個人の個別雇用契約に委ねられることとなった。[iv]2005年職場関係改正法(Workplace Relations s Amendment( Work Choices仕事選択法) Act)は、労働改革の総仕上げであるがオーストラリア労使協定Australian Workplace Agreements: AWAs)といわれるものは週38時間労働、公休日、4週間の有給休暇、12ヶ月の無給育児休暇、人員整理時の解雇手当とか一定の基準を定めている(その点で契約自由とはいえない)が、それらの基準をクリアすればそれ以外の労働条件は労働組合に干渉されることなく労働者個人が労働条件を契約交渉で決める制度である。超勤手当の割増し率、シフト勤務手当、休日勤務手当、休憩時間が個別交渉の対象となる。したがって、割増し賃金でない安い賃金でも長時間働くのは個人の契約の自由という考え方である。
仕事選択法という法令名からもわかるように、仕事の仕方について労働者個人と企業との直接交渉。それを通じた当事者の選択の自由に委ねられるべきであり、労働組合などの第三者の介入を許さないという点で個人主義的自由主義の復権と位置づけられる先進立法といえるが、まさに、我が国の三六協定のように過半数組合で時間外労働を規制する発想とは全く逆のベクトルの立法であるということがわかる。
同法は労働組合が猛反発し2007年の労働党政権によって廃止された。しかしオーストラリア経済好調の要因は、自由党を軸とする保守連合政権による労働改革の効果とみるべきである。
[i] FLSAの目的につき比較的詳しく述べた連邦最高裁判決は、「時間外労働そのものは禁止されないものの、追加的な賃金の支払を避けるために雇用を拡大することに向けて財務上の圧力が加えられ‥‥追加的な賃金支払を避けるという経済メカニズムが、提供可能な仕事を分配するのに有効な効果をもたらすことが期待される」と述べている 。OVERNIGHT MOTOR TRANSP. CO. v. MISSEL,316U.S.572(1942)
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=316&invol=572
ここでは、法定労働時間を超える時間外労働それ自体を禁止することは法の趣旨とは捉えられておらず、長時間労働による労働者の健康への負担にも言及はなく、立法目的はあくまでも大恐慌対策としての雇用拡大、失業対策のためであるから、今日のような平時に戻れば廃止されるのか筋であるともいえる。(労働政策研究・研修機構の労働政策研究報告書 No.36『諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間法制に関する調査研究』第一章アメリカ27頁(平成 17 年)http://www.jil.go.jp/institute/reports/2005/036.html参照)
[ii]米国では我が国のような協定の締結を義務付けることは、憲法違反の疑義があるのである。
アメリカではニューディール期にいたるまでは、組合を承認するか否かは経営者の自由であったが、1935年全国労使関係法National Labor Relations Act(ワグナー法)制は、全国労働関係委員会の監督下で従業員の過半数の支持を得、交渉代表と認められた組合に排他的団体交渉権を承認した。しかし団体協約の締結を強要するものではない。また強制仲裁のような制度はない。団体協約の締結の強要はコモンロー取引制限の法理に抵触すると考えるが、締結を強要しない限りにおいて連邦政府は労使交渉に積極的に干渉するものではないし、契約の自由を積極的には侵害していないともいえる。かろうじて自由企業体制を侵害してないともいえるのである。
ワグナー法は違憲判断が下されると大方の人々の認識だったが、憲法革命直後の1937年全国労働関係委員会対ジョーンズ対ラフリン鉄鋼会社事件判決で「州際通商規制権に関して幅広い解釈を行い「州際通商」に密接で実質的な関係を持っている産業を規制することを認めて合憲判断が下され、さらに1941年合衆国対ダービー木材会社事件で1938年公正労働基準法も合憲判決が下された。
しかし、団体との協定の強行法規ならば違憲の疑いのあるものとしてすんなり合憲判断とされたかは疑問なのである。
[iii]林和彦「ニュージーランドにおける労働市場の規制緩和--一九九一年雇用契約法の研究(1) 」『日本法学』75(1) [2009.6]
林和彦「ニュージーランドにおける労働市場の規制緩和--一九九一年雇用契約法の研究(2・完) 」『日本法学』5(1) 75(2)
[2009.9]
[iv] 長峰登記夫「規制緩和という名の規制強化-豪州「仕事選択法」の検討から」『大原社会問題研究雑誌』584号2007年
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