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2015年6月の10件の記事

2015/06/28

第四権力による国会議員の言論制御こそ問題だ

国会運営を円滑にしたいがために自民党が木原青年局長の更迭と、三人の国会議員を厳重注意処分にしたことは間違っていると思う。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150628-00000051-san-pol
 沖縄二紙もそうだが、共同通信の元ネタで社説を作っているブロック・地方紙の報道は偏っていると、言論人より指摘されている。しかも地方では、ブロック・地方紙が圧倒的なシェアで世論形成の影響力が大きい。このために県民性は大都市圏より保守的で健全なのに、新聞はなぜか県民意識と乖離して左翼リベラルな論調という地域が少なくないのである。
 沖縄県民は決して反基地闘争一色ではない。反基地闘争に批判的な県民も広範におられるということは政治ブログや、チャンネル桜を見ていれば常識的にわかることである。しかしながら、沖縄の新聞購読は琉球新報20万部と沖縄タイムス20万部、3位の日経が5千部にもみたず、二紙が圧倒的なシェアをとっており、二紙とも反基地闘争を支援しあおる記事を書いているから、世論がそちらのほうに誘導されやすい環境といえる。保守系議員がこのことに問題意識を持つことは当然のことだろう。

 政治家である以上自らの政治信条と反する言論機関と闘うのは当然のことに思え、労働争議ではないが、その企業との取引のボイコットを呼びかけるという院外政治活動もありうると思う。副大臣でも政務官でもないし、権力介入しようとするわけでもないのに、国家議員の言動を、「言論の自由の抑圧」だとなどというのは大きな間違いである。
 マスメディア批判は、健全な民主主義国家ならどこでもやっている。米国でもメディアを批判するサイトは多いのである。国会議員も当然批判をしてよい。というより、昔の村上正邦参議院議員みたいに言いたいことをいう大物議員が少なくなっている事こそ問題。アメリカで言えばジェシー・ヘルムズみたいにノイジーマイノリティ黙れと一喝できる議員が必要だ。
 むしろ言論を抑圧しているのは、マスメディアと、マスコミに媚びて怒らせたくない安倍執行部の方だろう。
 だいたい、言論の自由は近代的人権のひとつかもしれないが、もともと国民のものでなく、議会のものだった。言論の府という国会議員である以上、第四権力のマスコミから言動をコントロールされるいわれはないはずだ。
 特に長尾敬議員の発言、全く穏健で、保守系言論人ならほとんど同意見となりそうな常識的なものである
「沖縄の特殊なメディア状況をつくってしまったのは、戦後保守の堕落だった。沖縄タイムス、琉球新報の牙城の中で、沖縄世論を正しい方向に持っていくために、どのようなことをするか。左翼勢力に乗っ取られている現状において、何とか知恵をいただきたい」〈本日の東京新聞より引用〉
 この意見が罰せられたら、誰もマスメディアの左翼勢力に歯向かえなくなる、これこそ言論の抑圧じゃないか。
 谷垣幹事長は会見で、三氏の発言について「‥‥国民の信頼を大きく損なうもので看過できない」http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015062890065943.htmlというがとんでもない。自分も含め左翼勢力と闘ってくれることを期待して有権者は保守系議員に投票している、がんがんやってくれる方が有権者の信頼に応えることである。

新垣隆さんというスターを出したのは高校教育改革の成果

新垣隆さんは、地味な印象の音楽家だが、作曲請負人から表に出て活躍されている。個人史といえる『音楽という〈真実〉』という本を買った。全て実名を挙げて論評しているのでそこそこ面白かった。口述の著作だが、世の中には見栄えがしても中身のない無味乾燥な人がいるが、この人は喋りが下手だが、音楽に関して豊かな世界と技術を持った人だということがわかった。

京成沿線の新興住宅地で育った人だ。千葉の文化度が高いということがわかる。昔「千葉の女が乳搾り」という漫才のギャグがあったが田舎扱いするのは間違いだろう。幕張西高校〈現幕張総合高校〉から桐朋学園大学に進んでいるが、幕張というのは、埼玉の伊奈学園総合高校などとともに当時の高校教育改革の先進的な新タイプの高校である。このようなスターを生み出したのだから、幕張西高校は成功例といえる。もっとも新垣さんは有名な先生の個人レッスンも受けているので、彼の才能を伸ばしたのは公立高校だったとまでは断定しない。大学生活もいたって真面目で安倍のようにマージャンにあけくれることもなかったようです。

小保方さんも松戸出身で東邦大学付属に進んだがやはり千葉はすごいと思う

2015/06/27

強姦罪の厳罰化に反対

自民党と法務省、内閣府などに意見を出しました。

 松島元法相が提言して法務省内で検討されている、強姦罪の厳罰化に危機感を持つので、一言述べる。

 財産の侵害より刑が軽いことに異議をとなえる人が多いがそれは間違いである。近代市民法においては所有権・財産権・契約自由こそ神聖なのであって、それが核心的価値であるから、別に問題はない。

 貞操を守ることに価値があるというのは地中海世界の文化で、北西ヨーロッパや日本では、ヨバイや婚前交渉を前提とする求婚の文化の伝統であるからそれほど重要とは思えないし、昔は性欲発散のためにある程度のことは大目にみられていた。むしろ現代は性的禁欲が長期にわたって強制されていることこそ問題なのである。性欲も人間性の重要な一部分とする私の考えでは、性犯罪の厳罰化には反対なのである。強姦などは減少しており、しかも女性に対する暴力は社会問題とはいえない。

 国連などで問題視されている女性に対する暴力とは、インドにおける持参金のない花嫁の焼き殺しなどの報復暴力、マララさんが訴えている名誉殺人などの厳しい仕打ち、中近東、アフリカで広範におこなわれている女性器の割礼(女性は性のつわものとして危険視し、大陰唇を縫合してしまうなどのことも行なわれる)である。それは外国の問題である。

 この政策は女性の男性に対する敵意や復讐心のようなものを感じとる。潔癖な女性は男の脂ぎった性欲を嫌うが女性の生理感覚だけで法律を整えようとするのは危険だ。

西洋文明2500年の道徳的教訓の崩壊

  月曜日かとおもってたら金曜日だったんだな。予測されていたとはいえショックである。6月26日全ての州で同性婚を認める5対4の連邦最高裁判決であるが、同性愛が悪であるというのは聖書的根拠がある。旧約聖書のレビ記20章13節。  「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」それが西洋文明2500年の規範的価値といえるのである。つまりこの判決で文明規範は崩壊したといえる。人間は野蛮に回帰していくのか。非常に困ったことになった。

 アメリカ合衆国は至福千年の道徳的教訓を捨て去ったことなるが、神学的にも同性婚は受け容れられない。

 今日の西洋人の結婚観の基本は12世紀の古典カノン法、合意主義婚姻理論である。これはペトルス・ロンバルトゥスの見解とも、教皇アレクサンデル3世自身の持論とも云われるが、グラティアヌスらの合衾主義理論との論争に決着をつけたものである。合意主義とは処女であったマリアもヨゼフとの真正の結婚があったとする立場から、合衾に至らずとも男女の合意で婚姻は成立するというものである。西洋人の結婚観、それは現代日本も基本的には同じだが、両性の合意の重視、恋愛結婚が許容されているのはこのためである。しかし合衾主義との折衷がロンバルトゥスとあれ教皇アレクサンデル3世の理論であって合衾(肉体的結合)により結婚は完成することになっている。つまり肉体的結合がなければ離婚は可能という理論であったから、合衾の意義も重視されていた。

 しかも肉体的結合は神聖なものであって、花婿キリストと花嫁教会の結びつきを意味するサクラメントとされたのである。これが伝統的結婚観念であるが、だから男女の結合は神聖だ。

 しかし同性婚には神聖な結合などありえない。なぜならば、そのアナルセックスは憎むべきものであり、凹凸のないレズビアンにはそのような結びつきはありようがないと考えられるからである。であるから同性の真正の結婚など認めるわけにはいかないのである。

 合衆国憲法の平等保護条項と日本国憲法は違うし、明文で両性の合意とあるとはいえ、ノイジーマイノリティが騒ぐこととなる。これはオバマの勝利かもしれない、連邦裁判所下級審にリベラルな裁判官が送りこますぎた。ケネディ判事がもっと慎重な判断ができなかったのか非常に遺憾な結果だといわなければならない。

民法733条(再婚禁止期間)750条(夫婦同氏)を合憲とし国民的倫理と出嫁女の婚家帰属性(嫁は舅姑に遵うべき婦人道徳)は絶対防衛すべき

 6月9日自民党の女性活躍推進本部が女性法定婚姻年齢18歳引き上げとを提言に盛り込むというニュースがありましたが、稲田朋美も福島瑞穂や日弁連の左翼と大差なかったということです。もちろんこれも強く反対です。もっとも私がPDFをぱっとみたところでは強姦罪の改正はあったがこれはみつからなかった。私は「戦争法案」に賛成ですがそれだけやればいいのに。安倍が「戦争」イメージを緩和させるため女性政策重視なのにとても不愉快です。
 ところで開廷期末なのでアメリカの連邦最高裁のニュースも非常に気になるところでありますが、昨日の新聞で夫婦別姓と再婚禁止期間の訴訟の弁論が11月4日というニュースを知りました。これまで日本会議などの保守勢力が強く反対してきたため、国会での改正が見送られてきたのに、法務省も民法改正推進の立場だろうから非常に危機感をもってます。近頃の最高裁は、司法自制主義を捨てて違憲判決を積極的に出すリベラルな傾向、裁判官に女性が増えたことなどからとても不安。違憲判決がでたり、日弁連やフェミニストの大勝利となると私の人生も絶望的、敗北といっていいかもしれない。
 状況はかなり追い詰められいる。今から言い訳するのもなんですか、かなり長い期間ニコチン中毒で心臓が悪く不調だった、いろんな理由で仕事が忙しかった、女性政策のカウンターレポートのかけるシンクタンクなど保守勢力のインフラ整備がないとリベラル勢力に勝てないということになる。
 ただ今は職場のガバナンス・コンプライアンス改革の要綱をまとめる作業に入っているのでこれは絶対完成させる予定、国政よりまず身近な小事から積み上げて着実に巻き返しを図っていく所存でまだ絶望しません。
 夫婦別姓と再婚期間についても社会秩序、国民的倫理・規範の根幹にかかわる重大問題なので、弁論まで4ヶ月あるから、これまで研究して積上げてきたことでもあり、合憲判断断固防衛が正しいという主張を7月以降流していきたいと思います。 
 さしあたり、民法関連でこれまでこのブログに書いてきた私の見解はこれです。
カテゴリー「夫婦別姓等民法改正問題」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/cat21456751/index.html 感想 滝沢聿代「民法改正要綱試案の問題点(上)」(1)http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-8d8c.htmlYahooの意識調査では夫婦別姓は反対が過半数http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/yahoo-3d12.htmlカード 久武綾子 「再婚禁止期間の再検討」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-05fb.html カード野田愛子「法制審議会民法部会身分小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)」その1http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aaa0.htmlカード野田愛子「法制審議会民法部会身分小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)」その2http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-991c.html

2015/06/21

下書 三六協定締結拒否の争議行為性について(3)

承前

(二)国鉄の職場が荒れた原因は三六協定の現場締結にあった

 

 労動基準法は八時間労働制を原則とし、三六協定と割増賃金を条件として一日八時間をこえる労働を容認することにより、労使協定と、割増賃金という圧力を課すことにより長時間労働を抑制するものといえるが、労働組合もしくは労働者の過半数代表の三六協定を締結しなければ、時間外労働又は休日出勤の命令不可というのは、契約の相対効を基本とする市民法理に反するものであり契約自由にも反するものである。組合ないし過半数代表がうんといわなければ命令できないなどという、労働者への指揮権限を奪うような悪質な法制度は世界的に類例のないものであることはすでに述べたとおりである。

 8時間労働は、労働組合主義者の19世紀末期頃から戦略的スローガンであったが、パートタイム等の労働者はともかく、長期安定雇用を前提とする従業員については時間外労働が本来的に平常時においても期待されている職場がほとんどであり、8時間で完結する業種などほとんどなく、繁忙期はむろんのこと日常的にも官民を問わず締結が不可欠であることはいうまでもない。

 このように反市民法的で組織労働者に有利な強行法規がありながら、高度経済成長を遂げ世界第二の経済大国にまでなったのは、労働省が労使関係の介入に抑制的であったこと。少なくとも昭和時代は組合のない企業や中小企業では市民法理を基本とする労務管理が常識という健全な認識が基底にあったし、労働者も超勤を歓迎し、労働組合も時短よりも雇用の安定と賃上げを要求した。8時間労働制自体が絵空事であり、それを原則とし恒常的な残業を予定していないなどという労働基準法の立法思想自体、多くの健全な国民が疑わしく思っていたし、労働基準法36条は軽視されるのが一般的傾向だったためである。

 1980年代まで日本人は年間300時間サービス残業が常態だった。[i]また90年代まで定額の超勤手当で打切るような運用はごくあたりまえのことであった。

政府が労働基準法違反の摘発を積極的な行うようになり、市民法理より労働基準法遵守を優先する考え方を企業がとるようになったのは21世紀に入ってから比較的近年のことである(森内閣の坂口厚労相時代からである)。[ii]独仏のような時短先進国でも政策転換がなされているにもかかわらず、ジェンダー理論に基づく時短政策が推進されているのは異常というほかない。近年はやりの朝型出勤もそうした背景によるものと思われる。

 

 三六協定締結という強行法規が反市民法的と私が断言するのは、加えて、使用者の業務指揮権を無効にする事実上の争議行為として利用されたこともある。

むろん民間企業でも時間外労働拒否闘争はなされるが、三六協定締結拒否をスケジュール闘争に組込むことにより職場での組織強化に巧みに利用したのが官公労であったといえる。全逓や国労は戦後早い時期から三六協定締結拒否による時間外労働拒否闘争を行っていた。

  郵政省人事局『新しい管理者』昭和415月第六章によると「特に全逓の場合は春、夏、秋、冬、スケジュール闘争を行い、三六協定もこれを戦術に利用し、一年の相当部分の期間を超勤拒否している状態である。これは日本だけに見られる現象であり、全逓がいまだに闘争至上主義から脱脚しきれないでいる」[iii]と組合運動のありかたを批判しているのである

 スケジュール闘争については、昭和40年のドライヤー報告でも批判されており、それを受けてのことであろうが、一年の相当部分を超勤拒否というのも世界的にみても異常なことだろう。

 実は、国鉄の職場が荒れたのも元をたどれば三六協定が現場締結が原因であると国鉄OBの升田嘉夫氏が断言されていることである。[iv]

 1980年代国鉄における職場規律の乱れが国会でも追及されるようになり、国民・世論の厳しい批判を受けたことは周知のとおりである。

 鈴木善幸首相時代の昭和56年10月・11月に開かれた第95回国会の衆議院及び参議院の行財政改革における特別委員会においては、国鉄におけるヤミ慣行、ヤミ協定、ヤミ休暇、ポカ休等の問題がとり上げられ、職場規律の乱れが指摘された。また昭和57年3月頃から一部の新聞、月刊誌等において鉄労の内部告発をもとに、国鉄労使悪慣行の実態「ヤミ手当」「カラ超勤」「ブラ日勤」「突発休」「時間内洗身入浴」「時間内の食事の仕度」「助役の下位職代務」「現場協議における管理職のつるし上げ」等の職場規律の乱れについて厳しい批判が展開されたのである。報道は、国鉄の現場管理者の弱腰・軟弱とそれを制度的に保障する現場協議制を諸悪の根源とみなしていた。

 

 

 どうして、このようなことになったのか。人の問題か、組織の問題か、法律や制度の問題か。

 私は第一に労働法制の問題だと思う。

 

 三六協定は期間を定めて締結される、国労や動労はこれを逆手にとって、春闘や合理化闘争のときは三六協定を締結しないというやり方により、長時間勤務や休日出勤の負担を現場管理職(駅長・区長・助役)におしつける闘争手段をとった。組合の意向で下位職務を助役などが代務せざるをえなくする悪しき慣行の元はこれだと思う。

 三六協定の締結単位は労使間の合意があれば管理局単位でも駅・区などの現場単位でも有効だったので、国労は現場の組合組織を強くし「職場団交権」「現場協議制」を確立する手段として、例えば東京地本は昭和419月から管理局本局・駅・車掌区等の現場ごとに締結する方式をとったのである。

 国労の酒井企画部長が「この三六協定の現場締結は‥‥形式的に押印するにしても、これによって分会長の地位を現場長に認めさせることとなり、‥‥‥明らかに職場団交を確立する突破口を開いたのである」 (国労編『国鉄労働組合の現場交渉権』)と述べているように、国労は三六協定の現場締結による分会の地位上昇を梃子として昭和41年「現場における団体交渉権制度確立」を申入れた。

 当局は国鉄の現業機関は輸送業務を専一に行う場であり、現場長には業務の遂行と労務指揮の権限のみを与えており、労働問題処理に適していないとして反対の立場だったが、昭和42年12月19日の公労委仲裁委員会の勧告を受入れ現場協議機関を設けられることなった。  

 国鉄OBの升田嘉夫氏は現場協議制こそ「国鉄関係の労使を陰湿な内線状態に陥れ、職場規律を根底から掘り崩す要因になった」[v]と述べておられる。現場協議制は抵抗闘争、

非協力闘争という名の職制麻痺闘争の場を提供し、管理職の負担を増大させ業務遂行の障害となった。元をたどれば三六協定の現場締結により分会長の力が強まったことからはじまったことなのである。

 

 自民党国鉄基本問題調査会は昭和57年2月5日に「国鉄再建に関する小委員会」(いわゆる三塚委員会)を設置。早くも3月4日には「中間報告」がなされ、同日小坂徳三郎運輸大臣は、国鉄に対し、ヤミ手当、突発休、ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪慣行について実態調査、総点検を指示、[vi]4月16日には三塚委員会が「管理経営及び職場規律についての提言」(第1次)提出された。提言では「現協協定をまずいったん破棄し白紙に戻したうえで、現場における業務遂行上必要な現場長と職員の意思疎通をはかる制度を新たに検討、制定すること。」[vii]とされたのである。

 これを受けて国鉄は昭和57 7 19 日従来から行われてきた現場協議に関する協約の改訂案を各労組に提示し、57 11 30 日までに交渉がまとらなければ現行協約を破棄すると通告した。

 鉄労らと国鉄は、国鉄の提案した改訂案どおり協約を改訂したが、国労と国鉄の交渉は決裂し、国労については、同年12 1 日以降現場協議に関する協約は失効し、それまで14 年間続いた現場協議の制度がなくなった。

次いで、国鉄と各組合との間では、議員兼職制度の廃止、無料乗車証制度の変更等これまでの労使間の慣行及び協定が大幅に変更された。

このころ以降、国労及び全動労を除く各組合は、争議行為を行わなくなった。

) 昭和57 3 月から60 9 月に至るまで、国鉄は、8 次にわたる職場総点検を実施し、この中で、事実上、就業時間中の組合活動の禁止、職場集会のための構内空き地の提供拒否、組合掲示板の管理の強化、組合事務所での組合旗の掲揚の禁止並びに組合事務所の明渡し要求及び実力撤去等が行われ、これに抗議した国労の組合員に対し、昇給延伸等の処分がなされた。

 昭和60 7 月以降及び61 4 月以降、国労は、国鉄の分割・民営化反対の

キャンペーンとして、ワッペン着用闘争を行った。これに対して、国鉄は同闘争の参加者について、60 9 11 日、約5 9,200 名に対し、さらに、61 5 30 日、約2 9,000 名に対し、戒告、訓告及び厳重注意等の処分を行った。

 このように現場協議制の見直し以来、国鉄の労使改革は着実に進んだとみてよい。

 しかし問題の本質を通俗的、マスコミ等がいうように現場協議制が元凶とか、「国鉄労働者悪玉論」のような人の問題とするのは皮相な見方だといわなければならない。

遵法闘争とされる三六協定の現場締結拒否による助役等への下位職代務の押しつけを梃子として職制の業務指揮権を麻痺させ組合の現場の組織が強くなりすぎたことにより、職場団交権が主張され、その組合運動の成果が現場協議制であったわけで、元凶は三六協定にあったとみるべきなのである。

 労働基準法は官公労働者の争議行為禁止を予定しておらず立法化されているが、実質的に凄まじい毒薬が仕込まれていたとみてよいのである。世紀の悪法だというのはそのためである。

 

 

 

三 三六協定締結拒否等に関する学説

 

 

 三六協定締結拒否の法的評価は大雑把にいって3つである。

 

1 信義則に反する違法行為である

 

2 争議行為である

 

3 労働者側の正当な権利行使である

 

 本来ならば法的正義は市民法的判断である1であるとするのがまっとうであるはずある。既に述べたようにコモンローでは被用者の黙示的誠実労働義務として、使用者の経営目的に協力的でなければならないから雇用契約違反とされるのであるが、イギリスに限らず、誠実労働義務とか、信義則は市民法理として当然のことなのである。

 ところが我が国は憲法で労働三権を保障し、著しい反市民法的労働法制のある国であるるために、市民法理を歪める考え方が浸透したためまっとうな判断ができない状態にあるといってよい。

 初期の労働委員会の裁定とである三井造船事件岡山地労委の裁定(昭26.4.27命令) 『労働法律旬報』77(1951がでは、会社は申立人のなした時間外労働協定の拒否ないし保留行為に対し造船業と残業の特殊関係、特に造船工程中、残業が計画中に織込まれている点、永年の慣行であった点、従来累次の協定締結の際何らの紛議を生じなかった点等を挙げ右行為はこれ等の現実を無視し、信義則に反するものとして不当なる争議行為と主張したが、このまっとうな主張は認められず、本件は違法不当な争議手段ではないとした。

 したがって学説は、基本的に争議行為かとするか、正当なに権利行使とするかで見解が分かれているだけである。

 

 

(一) 争議行為であると言う説

 

1. 吾妻光俊

 

 争議を有利に解決する手段としておこなわれる順法闘争は「ノーマルな業務」を阻害しているかぎり争議行為となる。法律の評価としては実質的な争議行為として価値評価する観点から、時間外労働拒否は正真正銘の争議行為とする。

「遵法闘争の法理」『季刊労働法』151955

 

 三六協定拒否については「協定拒否を行った労働組合または争議団の主たる意図が、その拒否を他の争議目的のためにする争議手段とするにあった場合には、労調法、公労法にいう「労働争議」の定義ないしその関連においてはこれを「争議行為」とみるべきであり、したがって協定拒否に対して争議目的になっている係争問題につき当事者は労委・公労委に調整を申請し、また労委・公労委は法律の規定に従い調整に乗り出すことができると解される(‥‥)。協定拒否の主たる意図が、これを他の争議目的のためにする手段とするにあった場合には、労調法の争議行為禁止との関連においても、協定拒否をこれら法条にいう争議行為と解すべきである(公益事業での争議手段としての協定拒否には労調法三七条の予告義務が課せられ、労調法三六条との関連においても同条にいう争議行為と解すべきである)。」とする、

 労調法三六条を絡めた議論をしているが、安全保持施設の正常な維持運行につき時間外労働が不可欠であるのに協定を拒否することは、安全保持施設の正常な維持な維持運行を停廃、妨げるものとして、同条が禁止する争議行為に当たるという見解であり、これは労働組合側も是認するだろう。のである。

 さらに「公労法、公務員法等の争議行為禁止との関連において、協定拒否がこれらの規定にいう「業務の正常な運営を阻害する行為」、「争議行為」または「政府(ないし地方公共団体の機関)の活動能率を低下させる行為」に該当するかどうかは、協定拒否がもっぱら他の争議行為目的のためにする争議行為のためにする争議手段として用いられた場合にかぎり、右規定にいう争議行為と解し、当事者の意図がかような点にあったと認められるかどうかは、拒否を右規定にいう争議行為と主張する側において立証する責を負うと解すべきだろう。副次的にも協定拒否が法律上非正常な時間外(休日)労働の状態化をあらためようとする意図に発するものであるかぎり、争議行為の禁止規定に触れると解することは時間外労働の常態化を法律が保障する結果になるからである。」と述べているが、時間外労働が副次的な闘争課題としされることよくあることであり、この点プロレーバー学説に接近しているともいえる。

『註解労働基準法』青林書院新社 1960年

 

2.石井照久

 

 「労使関係においては慣行的事実が尊重さるべく、期待された業務の通常の運営が阻害される限り」順法闘争は争議行為となる。

『労働法』1954

 

3.三橋正

 「通常順法斗争と呼ばれる一連の斗争手段は、組合も争議戦術と呼び、社会通念的に又社会事実的に争議行為と考えられている通りに「業務の正常な運営を阻害し」「争議目的の貫徹のためになされ」る限り、労調法七条、従って公労法一七条の云う争議行為であると考えられる。」

『不当労働行為の諸問題』勁草書房1955年256

 

4.大野雄一郎

 

三六協定締結拒否でなく、たんに超勤拒否戦術について言及し、一斉休暇戦術、勤務時間内職場大会、いわゆる定時出勤戦術と同じく、時限ストの類型に属する。公務員・公企体の職員の場合争議行為に合法の衣を装わせるためにストライキと呼ばない工夫をした名称をつけたにつぎないとする。

『争議行為法総論』日刊労働通信社1967年

 

5.林迪広

 

 「怠業・順法闘争」『労働争議論 浅井淸信教授還暦記念』法律文化社(京都)1965年は、総論的に順法闘争=争議行為説 ただし三六協定締結拒否は具体的な場合に争議行為とみられることはありうるが、争議行為と法的効果において同一視できない順法闘争という云いかたをする。

順法闘争の法的評価につき「順法闘争は、社会的事実としては明らかに争議行為である‥‥問題は、法的意味における争議行為に該当するか否かである。」と述べるが結論はそのほとんどが、法的にも争議行為であるとする。

 

 労調法6・7条の概念、労働関係の当事者間での主張の不一致、主張の貫徹を目的として行う行為、業務の正常な運営を阻害する性質の三点から検討しているが、結論は労調法7条にいう争議行為に該当する。 「順法そのものを目的とする順法闘争はともかく、他の争議目的達成のための手段たる順法闘争においては、それを労使間に生じている紛争を全体的に直視して位置づけるならば、結局は「労働関係における意見の不一致」を原因として順法闘争が行われていることは明らかである。したがって‥‥法的意味での争議行為たる一定要件を満たす」 ‥‥ 業務の正常な運営の阻害については、「正常」の意味は「平常」とは区別して法規に従った業務の運営と解し、順法闘争によって法規どおりの作業を行ったとしてもなんら、「業務の正常な運営」阻害したとはいえないとする主張と、「正常」とは法規に従った業務とは解さず、法規に違反していても事実上行われている状態をさすものと解し、順法闘争も争議行為であるとする主張が対立しているが、結論的にいえば「労調法第七条にいう『正常』な業務の運営とは使用者の労働者使用に関する指揮・支配権能が他のものに阻害を受けずに事実上円滑に行為されている状態をさすのであって、この場合においては、使用者の指揮・支配の内容が個別的契約関係の権利義務にてらして適法なりやいなやを価値的に判断することを前提とせず、ただ雇用関係を有する労働者に対する使用者の事実としての指揮権限が、労働組合の事実行為による阻害によらず貫徹されている状態をいう‥‥」  

 ここから私のコメントだが、著者は明らかに労働組合寄りのプロレーバー学者だが、要するに順法闘争は社会的事実としても争議行為であり、法的にも労調法の争議行為にあたるとする見解それ自体はほぼ妥当といえる。『正常』な業務の運営とは使用者の労働者使用に関する指揮・支配権能が他のものに阻害を受けずに事実上円滑に行為されている状態をさすとするならば、労働基準法は三六協定が締結できないときに労働者使用に関する指揮・支配権能を阻害する強行法規のようであり、まさに争議行為促進を内包していた悪法といえるだろう。

 

次に「順法闘争について」『法政研究』25巻2-4号は、順法闘争は労調法7条の争議行為にあたると云いながら、公労法17条の争議行為禁止は、国民生活に対する著しい侵害を及ぼす業務の正常な運営を阻止の行為に限定されるべきで、順法闘争は基本的に含まれないとする。この見解は昭和52年の名古屋中郵判決で明確に否定されていることから通用しない。要するに争議行為であっても争議行為制限禁止規定に反しないというものであるから、公労法の解釈としては通用しない。

 

  

 

6.中村博

 

 労働省大臣官房秘書課長、中労委次長、公労委次長、人事院公平局長を歴任。

 

(三六協定が成立している場合の超勤拒否戦術)

 この場合の残業命令については残業義務が発生を認めるという説と、その場合でも個別の合意が必要とする説があるが、仮に後者をとるとしても、組合の意思に基づいて、個々の労働者の合意による残業義務の発生を抑制することになるので、正常な業務運営を阻害するので争議行為となるとする。

 

(三六協定締結拒否)

32法制局一発第22号の法制意見「‥‥『業務の正常な運営』とは、業務の運営であって、経験則に照らし、経常・普通の状態にあると客観的に認められるものというと解されるが、特定の事業場において時間外又は休日の労働の行なわれることが常態であり、また、そういうことが行なわれることによってのみ当該事業場における業務の運営が経常・普通の状態にあると客観的に判断しうる事情の存するときは、労働組合が当該協定の有効期間の満了により、時間外又は休日の労働行なわれなくなった場合は、当該事業場における『業務の正常な運営』が阻害されたことになるといいうるところであろうと考えられる。してみれば、このような事情のもとに労働組合が当該協定の更新を拒否する行為は、争議行為にあたるといいうる‥‥‥労働組合が労働基準法第三六条を引用して協定の更新を拒否しているにかかわらず、労働組合以外の者が当該協定の更新の拒否をもって争議行為にあたると主張するためには、労働組合による等が居卿手居の更新の拒否が、もっぱら時間外労働又は休日労働以外の事項についての労働関係に関してその保持する主張を貫徹するのに有利であるかどうかの判断に基き、ただその目的を達成するがためにのみむなされたものであることを立証しなければならない‥‥」を引用し著者もこれに与するとする。

 

『公務員の争議行為と処分』中央経済社1971108頁以下

 

7.恒藤武二 

 

 労働法もやっているがフランス政治思想史の著書も多い人。我が国では一般的ではないが、争議行為とは同盟罷業、怠業、業務管理の三種類に大別して概念を整理すべきと云い、「怠業とは、団結した労働者が、使用者に対抗するため、その労働契約の履行を部分的に拒否すること=労働契約の不完全履行」「怠業とは能率低下(スローダウン)による典型的な怠業のみでなく、定時出勤、順法闘争、上部遮断スト、納金スト、などのようなやや変則的な争議行為を包括し、さらに残業拒否、時限ストのような労働契約に基づくその日その日の労働義務の一部分を履行しない形でなされる争議行為を包括し」と述べ、「怠業」は争議行為の範疇なので残業拒否=争議行為説である。

「サボタージュ」日本労働法学会編『新労働法講座4』労働争議 有斐閣1967年所収

 

(二)  労働者側の正当な権利行使とする説

 

1. 沼田稲次郎

三六協定が有効要件を欠くか有効期限が切れた場合「組合としても、個々の労働者としてもいつでも時間外労働を拒否できる。権利濫用などというトンデモナイ議論の生じる余地はない。」また時間外労働拒否だけの争議行為もできるとしている。労基法36条は32条の例外であるとして「争議状態においては、労使は対立状態に在るわけであって、かゝる場合においてまで、使用者のための恩典的例外を労働者に受忍せよというのは労働良識上認めがたいことである」と反市民法的見解を述べ「労働者側が第32条の原則に遵うという態度(遵法斗争)を以て36条の例外を拒否することは当然である」とする。

「遵法斗争と権利濫用-三井造船事件に関連して-」『労働法律旬報』77(1951)

したがって、争議行為という認識を示しているが、順法闘争は権利の行使であるから、争議権の濫用にあたらず、争議禁止規定にも該当しないとしている点で、順法闘争をあおる悪質な議論を展開しているといえるのである。(続く)

 



[i]森岡孝二『企業中心の社会構造』青木書店1995

[ii] 90年代日経連が全ホワイトカラー裁量労働制を提唱したことに危機感をもった労働組合や共産党が時短政策に絡めるかたちで不払い残業是正キャンペーンを行い、それを背景として中基審が2000年11月に「労働時間短縮のための対策に対する建議」を行い、厚生労働省が「労働時間の短縮促進に関する臨時措置法」の改正を労政審に諮問し、森内閣の坂口力厚労相のもとで2001年2月に同法改正を閣議決定し、それまでは労使間の問題として政府が積極介入しなかったあり方をやめ、サービス残業は労働基準法違反で、悪質な企業は司法処分を辞さないという労働基準局長通達(基発339号)を出し、「サービス残業規制政策」が開始した。初期は電機大手が集中的に狙われ、まずNECが基準監督署の指導で主任以下の調査を行い過去2年分の残業代を支払わされた。本社田町の100人以上について平均150時間約4500万とされている。日立製作所でも未払い残業代が支払われ、三菱電機で是正勧告、係長級に導入していた残業手当の定額支給も見直された。さらにシャープで是正勧告、沖電機でも是正指導がなされた(清山玲「サービス残業の実態と規制政策の転換」『茨城大学人文学部紀要. 社会科学論集』39 2003 ネット公開論文参照)。

 

[iii] 新しい管理者(昭和415月・郵政省人事局編)-2- 『労働法律旬報』646号 1967

[iv]升田嘉夫『戦後史のなかの国鉄労使-ストライキのあった時代』明石書店2011年

 

[v] 升田嘉夫 前掲書131頁

[vi]日本労働年鑑 第57集 1987年版http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/57/rn1987-045.html

[vii] 日本労働年鑑 第53集 1983年版http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/53/rn1983-295.html

 

 

 

2015/06/18

二次予選初戦引き分けの論評は東スポが良かった

 追詰められたサッカー日本代表、9月3日埼玉スタジアムでのカンボジア戦も引き分けだったら、もうおしまいだな。私は素人だが、この二次予選のリーグ戦で手ごわいのはシリアぐらいで、東南アジアの国は楽勝かと思っていたが、引分けという結果を聞いて驚いた。
 スポーツ紙4紙をみたが、日刊スポーツのセルジオ越後は、監督が仕切りすぎと論評、東スポはさらに具体的に、選手の行動を管理しすぎ、欧州組は国内組より1週間早く合宿に突入、異例のハードトレーニングで清武が右中足骨の骨折、長友も左臀部の張りを訴えるなど、主力選手を故障させたことなどを批判している。
 ブラジルワールドカップのザック監督も、直前にハードトレーニングをして失敗しているのに、格下相手の1戦だけのために、なんできつい練習をするのか素人でも疑問に思うのである。東スポの武田伸宏の論評もハリルの新戦術は日本人に合わないので、ずばり監督交代が妥当だと云っている。

2015/06/17

松たか子の出産後2ヶ月で仕事復帰は普通である

 夕刊をみてきわめて不快だ、成人年齢引下げも検討課題とされているが、私は強く反対だ。

  ところでf発売中の『女性自身』6月30日号に松たか子は出産後2ヶ月で仕事に復帰しているとの記事があった。 寺村武 平尾武久編著『現代企業の管理と人事』中央経済社1995年、20年前の本だが、寺村武の「第8章女性労働」179頁にこうある。労働省の『働く女性の実情』(1993年)「1人平均産前産後休業日数」産前38.5日(多胎52.4日)、産後58.1日(多胎58.8日)で、10年前(つまり1983年)と比較して産前はほとんど代わらないが、産後は10日ほど伸び8週間余となったと説明している。

 つまり日本では1993年に産前産後休業は平均して11週である。1983年は9週だった。

  『ワーキングマザー』誌のキャロス・エバンスCEOによれば仕事を持つ母親は、米国では平均で出産後11週で職場に復帰するという。 日本と1993年の水準と同じである。  

  従って松たか子の2ヶ月で仕事復帰は普通であり、決して短くはない。

  ところが近年、育児休業を奨励する政策で、一年仕事を休んで当然みたいな悪しき風潮が蔓延している。そのうえ、女性活躍政策で、女性にゲタをはかせて管理職に優先処遇する、いたれりつくせりだが、決して周囲の人は快く思っていないのである。

   アメリカ合衆国の連邦法では、家族医療休暇というのがあり、家族の看護、自己自身の疾病、妊娠出産に使えるかせ、無給12週だけであり、日本やドイツなどのような育児休業制度などないのである。そんなものがあったら女性の採用を減らす口実になるとして女性団体が反対するはず。だから育児休業は異常というほかない。

2015/06/07

下書 三六協定締結拒否の争議行為性について(2)

二、順法闘争とは

 

 順法闘争を一言でいえば、ストライキと同じ効果を狙いつつ、ストライキではないと偽装した闘争戦術を指す。

 安全闘争(国鉄で行なわれた運転取扱基準規定関係の順法闘争などを含む)、定時出勤、定時退庁、一斉休暇取得、時間外労働拒否をひと括りにして、順法闘争と称される。国家法、自主法、規則等を厳格に順守することによりノーマルな業務運営を阻害する逆説的な闘争戦術といえる。

 

 特に評判が悪かったのが、国労・動労の順法闘争である、運転安全規範などの諸規則を厳格に遵守するとかえって列車の運行が遅延することを逆手に取り、「順法」を口実としてダイヤを著しく混乱させ闘争の手段としていた>

 不条理に耐えた乗客の怒りが爆発、昭和48312日の上尾駅暴動事件(当時の映像 https://www.youtube.com/watch?v=aPC_rRCXmDk)と、同年424日の首都圏国電暴動は当時自分は中学生だったが、報道などでよく覚えている。

 当時は通勤時間の混雑がひどいうえ、通常なら37分の上野-上尾間を順法闘争に入ると3時間かかるノロノロ運転を故意に行い、通勤客に苦痛を与えても、それはスト権を認めない国会が悪いのだと責任を転嫁し、乗客も労働者階級なのだから連帯のため受忍すべきという厚かましさだったから、自然発生的な暴動に発展したのは当然と思った。

 この年の4月25日石田和外率いる最高裁が可罰的違法性論の労働事件の適用に消極的な基準を示した、久留米駅事件など画期的な労働三判決を下しており、上尾事件は時代の転換点となったものと評価できるのである。

 

 遵法闘争が、労働組合の要求を使用者に認めさせるために企業運営の能率を低下させ、実質的に怠業やストライキと同じ効果がある以上、社会的事実としての争議行為であるであることは大多数が同意するだろう。外国でも同じことだか、時間外労働拒否は、本格的なストライキに突入する前段闘争としてなされることが多いのである。

 周知のとおり労働組合法は昭和213月に施行され、当初公務員は、警察・消防・監獄職員に団結禁止の規定があったが、私企業と同様の権利が付与されていた経緯があるが、マッカーサー元帥書簡に基づく昭和22731日のいわゆる政令101号によい一切の公務員の争議権が禁止された。

「遵法闘争」とよばれる闘争形態は国鉄労組や全逓により早い時期から行なわれており、昭和213月省電の安全運転闘争、全逓の安全通信闘争、一斉賜暇戦術、定時退庁がなされている。争議行為が有している時期にも行なわれていた闘争形態なのである。

三六協定闘争のはしりとされる残業拒否戦術が昭和23131日に国鉄労組により指令されている。この戦術は昭和22年勅令591号のスト中給与不払いを免れるためのものであったのであり[i]、したがって順法闘争の本質は、公務員の争議行為禁止からのがれるための戦術と位置付けられたものとはいえない。

 

(一)イギリスなら順法闘争は違法

 

ちなみに、イギリス法[ii]、では遵法闘争はコモンロー上の被用者の黙示的誠実労働義務(協力義務)に反し違法であり、雇用契約違反となる。典型的な例Secretary of State for Employment v ASLEF (No 2) [1972] 2 All ER 949 CAは組合が就業規則を遵守し時間外労働を行わないという戦術をとったが、控訴院は、組合の主張を退け、全ての雇用契約には、被用者は誠実に使用者に仕え、かつその使用者の営業利益を追求すべきであるいう黙示的義務がある判示した。また、Sim -v- Rotherham Metropolitan Borough Council [1987] Ch 216 QB)は、教員が病気で欠勤している同僚の仕事を争議行為の一環としてカバーしなかったことが雇用契約違反とされた[iii]

そもそもイギリスでは制定法で「公認ストライキ」の不法行為免責を認めているが、積極的な意味での争議権などないので、ストライキ参加は一方的契約履行拒絶として即解雇事由になるのであって、憲法で労働三権が保障され、近代市民法は労働法との法益権衡により修正されるという左翼思想の跋扈する我が国とはかなり事情が異なるが、市民法感覚でいえば、順法闘争や超勤拒否が違法というのは当然のことのように思える。コモンローの黙示的義務は、我が国の民法1条2項の信義誠実の原則を判例法により具体化したものと言いかえることができるたろうが、近代市民法を基準とした思考方法でいえばイギリスがまともで我が国が異常であると断言したい。

 

時間外労働協定締結拒否が違法か否かが争われた初期の労働委員会の裁定として三井造船事件岡山地労委の裁定(昭26.4.27命令) 『労働法律旬報』77(1951がある。昭和24517日全造船玉野分会が団交を重ねていたが、妥結に至らず、921日から時間外労働協定の締結保留、1119日から労働安全遵法斗争を開始、29日から部分ストを開始、1219日一部組合員が業務命令に協力したためストは崩壊し、21日に斗争態勢を解くにいたったという争議行為に対し会社側は組合指導者と積極分子を解雇した[iv]

時間外労働協定の締結保留について会社側の主張は従来慣行となっていたことを無視し信義則に反している点において不当であり労働基準法36条の権利の濫用であるというもの。組合側は労基法が慣行に優位するというのは法理的に明らかであり、突如保留を申し入れたからといって、抜打争議が禁ぜられているわけではないというものだった。

岡山地労委昭26.4.27命令は「時間外労働協定の保留ないし拒否について見るに一般の労働者が、所定の平常労働時間を超えて、いわゆる時間外労働をするとしないとは、労働者自らの意思で決せられるものであって、何ら外的の強制を受くべきものではない。会社は申立人のなした拒否ないし保留行為に対し造船業と残業の特殊関係、特に造船工程中、残業が計画中に織込まれている点、永年の慣行であった点、従来累次の協定締結の際何らの紛議を生じなかった点等を挙げ右行為はこれ等の現実を無視し、信義則に反するものとして不当なる争議行為と主張しているが、右行為は当初においては格別争議行為の手段としての意図より出発せざるををえざるものと認められるからその間、客観的に見れば信義則を逸脱せし嫌いがないわけではなかった。しかしながら右行為のなされたのは争議中のことであり、諸般の事情より勘案して明らかに争議手段の一環として採用されたものとみることができるので、たとえ申立人らが争議行為として会社に通告する場合早期にこれを行わず、ために会社が対策等樹立の上に支障を来するところ、被申立人主張するが如く当該会社が特に労調法上公益事業として指定されたことが認められない限りこれを違法不当なる争議手段とすることは当たらない。」 

 要するに信義則に反する嫌いがないわれでないが「明らかに争議手段として採用されたもの」で「違法不当なる争議手段とするには当たらない」というものである。

 イギリスのように信義則に反し違法とはされず、労働法により争議行為の権利を認めているから是認されるというものである。

 このように労働委員会の裁定では、後述する都水道局事件ように、時間外労働協定締結拒否を争議行為とするものが少なくない。問題は三井造船事件は私企業だったが、公労法・地公労法適用企業で適法といえるか否かである。

 


[i] 香川孝三「文献研究・日本の労働法学(14)順法闘争」『季刊労働法』951975

[ii] 雇用契約はあくまでも一対一のものであって、我が国の不当労働行為制度のような集団的労働関係はを保護する制度もなく、積極的な意味で争議権を保障してない(イギリスでぱストライキ参加は契約履行の一方的拒絶とされるので解雇事由となるストが収拾され解雇されない場合でも法的には再雇用である)

[iii] 小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社出版200699p以下。

[iv]沼田稲次郎「遵法斗争と権利濫用-三井造船事件に関連して-」『労働法律旬報』77(1951)

2015/06/06

大阪市ヘイトスピーチ条例「継続審議」少しほっとした

  心配の種はつきないが、きょうの朝日新聞で「ヘイトスピーチ条例、慎重論続き継続審議」の記事をみた。大阪市議会財務総務委員会で自民党から慎重論続出し国へ法整備の意見書は可決するが、条例自体は継続審議、9月議会での成立も不透明と伝えている。廃案と決まってないとはいえひとまずほっとした。単にアリバイづくりですが、私も一応意見は出してます。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-cbb6.html 
  橋下市長の求心力低下という観点では都構想否決はよかったと思う。反対票の多かったhttp://okiraku-news.net/seizi/osakato/osakato-haiboku/平野区、住吉区、大正区等のみなさんのおかげでございます。
 今、国政にかかわる問題で一番心配なのは最高裁の動き。夫婦別姓や再婚禁止期間の判決が出されるということですが、これは明日、取り組みます。もちろん、女性活躍、ブラック企業対策、有給休暇取得強制、朝型出勤、同性パートナーシップ証明条例などみな反対ですが、一番困惑しているのはそれです。
  古賀茂明氏は「戦争はするが改革をしない」安倍が大嫌いらしいが、私は逆に「戦争はしてもよいが女に迎合しばかげた改革をしたがる」安倍が嫌いということです。
  憲法9条2項の削除や、集団安保法制はかまわないが、タカ派隠しのためによけいなことをするなということです。

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