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2015/07/22

夫婦別姓旧慣習説を真っ向から否定する2つの学説

(夫婦別姓反対論下書き)
 今日では徳川時代に百姓身分に苗字がなかったという説は完全に否定されている。ほとんどの農民も公称は許されなくても苗字(名字)はあった。少なくとも先進地域では14世紀後半から15世紀以降、百姓身分でも家名に相当する苗字を有していたと考えられる。

 近世女性史研究者の柴桂子氏が、夫婦別姓旧慣習説には史料的裏付けがないとして厳しく批判していることが特筆できる。 夫婦別姓推進論者の依拠する旧慣習説は明確に否定してよいと思う。「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」『江戸期おんな考』(14) [2003年]柴桂子「近世の夫婦別姓への疑問」〔総合女性史研究会〕大会の記録 夫婦と子の姓をめ ぐって--東アジアの歴史と現状) のコメント『総合女性史研究』(21) [2004.3]
 
 長文になるが、最高裁に係属している極めて重大な状況にあるため引用もしくは要約した引用をする。

 法制史研究者によって「江戸時代の妻の氏は夫婦別氏だった」と流布されているが、夫婦異姓の根拠とされる史料はごくわずかに過ぎない、女性の立場や実態把握に疑問がある。
 法制史研究者は別姓の根拠を、主として武士階級の系図や妻や妾の出自の氏に置いている。ここに疑問がある。妾や側室は雇人であり妻の範疇には入らない。給金を貰い借り腹の役目を終わると解雇され配下の者に下賜されることもある。
 より身分の高い家の養女として嫁ぐことの多い近世の女性の場合には、系図などには養家の氏が書かれ「出自重視説」も意味をなくしてしまう。
 別姓説の中に「氏の父子継承原理」が語られるが、女の道として教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり、女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐ者ということが、日常道徳の規範とされていた。
 また、宗門人別帳でも夫婦同宗とされ、婚家の墓地に埋葬されるなど婚家への一体性・帰属性が強かった。
 
 実態として近世の既婚女性はどう呼ばれどう名乗っていたのか
◎他称の場合
○出版物 『近世名所歌集』嘉永四年(1851)、『平安人物誌』文政五年(1822)
姓はなく名前のみで○○妻、○○母と婚家の身分が記されている。『江戸現在広益人名録』天保一三年(1842)も同様だが、夫と異なる姓で記載されている場合もわずかある。
○人別書上帳・宗門人別帳
庶民の場合は姓も出自もなく、筆頭者との続柄・年齢が記される。
○著書・歌集・写本などの序文や奥付
武士階級でも姓も出自もなく、院号や名のみの場合が多い。
○犯科帳、離縁状、訴状、女手形
姓はなく名のみが記され○○妻、○○後家と書かれ、名前さえ記されないものもある。
○門人帳 
別姓の例としてよく取りあげられる「平田先生門人姓名録」であるが、幕末の勤王家として名高い松尾多勢子は「信濃国伊那郡伴野村松尾左次右衛門妻 竹村多勢子 五十一歳」と登録されている。しかし、この門人帳には29名の女性の名があるが、既婚者で生家姓で登録されているのは多勢子を含め5名で、婚家の名で登録されてい
るのは10名、名だけで登録されているのが3名である。他は○○娘とあり未婚者と考えられる。(「竹村多勢子」はウィキペディアにも夫婦別姓の論拠として挙げられているがこれは例外的事例にすぎず、一次資料に当たっている柴氏の見解ではむしろ婚家の名で登録されている方が多いのである)
他に心学門人帳などあるが、姓はなく名のみが記され、○○妻、○○娘と細字で傍書されている。
○墳墓、一般的には正面に戒名、側面に生家と婚家の姓が刻まれている。

◎自称・自署の場合
 
○著書 多くは姓はなく名のみを自署している。
○書画・短冊 雅号のみの場合が多い
○書簡 これも名前のみサインである。
○『古今墨跡鑑定便覧』本人の署名を集めたもので、姓はなく名前のみサインである。
例外的にフルネームの署名もあるが書画や文人の書簡であって夫婦別姓とはいいがたい。

 以上の柴桂子氏の指摘から江戸時代の既婚女性は生家姓を冠称して、呼称、指称、自称、自署はしているわけではないと断言してさしつかえないだろう。夫婦別姓は旧慣習とはいえない。多勢子のような例外的事例をもって夫婦別姓というのは過当な一般化だろう。

 墓碑名については、明治民法施行前において、例えば明治五年、神道布教の中央機関として設置された大教院が神葬の儀礼を編纂せる近衛忠房・千家尊福『葬祭略式』を刊行し、そのなかで、「妻には姓名妻某氏霊位と記す」となし、妻の生家の氏を刻むよう奨導した例がある(江守五夫『家族の歴史人類学-東アジアと日本-』弘文堂1990 53)があるが、そもそも教派神道を別として、神道式の葬式は今日普及しておらず、墓碑名に生家姓を刻むとしても、それは妻の由緒、姻戚関係を明らかにする趣旨で、生きている人の実態において生家姓を冠称していたとする根拠にはならないと考える。

 後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館2009年によれば中世後期の貴族は基本的に夫婦同姓というか夫婦同じ家名で称されるのが普通であるとしている。摂関家では嫁取式を経た嫡妻は「婚家の名字+女中」と称する。夫が関白となると「婚家の名字+北政所」と称する。
 清華家の正妻は「婚家の名字+女中」と称するようである。近衛尚通(1472~1544)の『後法成寺関白記』によると久我通信正妻を「久我女中」と称し、徳大寺実淳妻は「徳大寺女中」、夫が死去すると「徳大寺後室」と称している。
 西洋でも○○家出の○○卿夫人というように、夫の家名や爵位にちなんで称されるのと同じ感覚である。
 一般公家は、「女中」のほかに「方角+向」の「向名」で称された。姑と嫁は東-西、南-北と対になって形づけられた。
 三条西実隆(1455~1537)『実隆公記』では中御門宣秀正妻を「中御門西向」と称し、『親長公記』では中御門宣秀の父である中御門宣胤の正妻を「中御門東向」と称している。姑が「東向」で嫁が「西向」である。
 三条西家の家妻の役割が検討されているが、使用人の給分の分配(使用人の給料を決定する)、食料の手配・管理、追善仏事の運営、連歌会。和歌会の設営があげられている。これは近現代に庶民の家の主婦の役割に通じるものがあるといえるだろう。このように公家社会において嫡子単独相続確立期に、家妻は、家政・家職の経営の役割を分担し、婚家の名字を冠して称された。
 後藤みち子氏によれば、女叙位の位記は所生の氏であるから夫婦別氏、夫婦同苗字と述べているが、社会的呼称は、婚家の名字+妻の社会的呼称(女中、向名)であるから実質的には夫婦同氏の感覚に近いものと認識できる。

 なお、これは私の見解だが、位記が所生の氏というのは源平藤橘などの古代的姓氏(本姓ともいう)であって、今日問題になっている家名としての姓(名字)ではない。律令国家ではもともと改賜姓は天皇大権だから、政治的に賜与・認定される性格のものである。結婚によって姓が変わるとい性格のものではないから当然のことである。女叙位の位記は夫婦別姓の根拠とするのは論理的ではない。

 後藤みち子氏の業績は夫婦別姓旧慣習説に真正面から否定していて貴重。1935年生まれ国学院大卒1957年より63年まで宮内庁書陵部編修課勤務という経歴、かなり高齢の方。

 たぶん歴史学者に限らず、弁護士や学者の多くは左翼で、エンゲルスのいう私有財産制度の成立とともに母権制氏族社会が転覆され「女性の世界史的敗北」したという奇説を信じている。社会主義実現のために世界史的敗北をを覆すために男女平等社会を目指すこととなる。夫婦別姓導入や戸籍廃止もその一環であり、日本的「家」制度、醇風美俗の徹底的破壊を意味するものである。
 そうしたなかで夫婦同姓護持に有利な材料を与えている論文は少数派とはいえもっと高く評価されるべきである。

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