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2015/08/09

入手資料整理168

(夫婦別姓反対論を書くためのもの)
 本当は女性活躍法案に強く反対しなきゃいけないけれども、戦争法案よりこっちこそが悪法だと思いますが。しかし夫婦別姓が最も深刻な問題と受け止め、カウンターリポートのため余暇時間はこれ1本で取り組むことにします。法制史、女性史、人類学、歴史民族学、女性学、憲法、ドイツ判例など全部チェックしなきゃいかんから結構手間がかかるが、今回だけは必ず完成させたい。
 
1-56薗部寿樹『日本の村と宮座-歴史的変遷と地域性』高志書院2010年
 一般向けの書物なので比較的平易。
 著者は福田アジオの東日本の「番」西日本の「衆」という村落類型二分論、網野善彦の東の「イエ的社会」西の「ムラ的社会」という東西二分論に批判的である。
 宮座についても畿内近国の村落類型とする人が多いが、北海道・沖縄を除く全国にあるのであって、畿内近国13-15世紀のそれは、臈次成功制宮座というのである。中国地方などのそれを名主座というのである、地域差はあるが過度に強調するのは間違いということ。
 宮座は11世紀半ばにはじまり、村落内身分を支えるシステムの根幹で、集団で身分的優越性を共有する。(34ページ)と説明。たんに祭祀組織とみるのは近視眼的な見方である。
11世紀半ばの住人の身分標識は氏姓+実名の名乗り
例えば後冷泉朝の天喜三年(1055年)美濃国大井荘住人の大神正重・宮常末・桑名正吉・大中臣信末・佐佐貴吉松・穴太信吉
堀河朝の永長二年(1097年)筑前国碓井封山口村住人の物上末貞・伴国元・三宅光任(36ページ)
 宮座の構成員は氏姓・実名があり、身分的に優越したと考えられる。
 鎌倉時代13世紀後半の史料では氏姓・実名のない人もいた。下人、所従層は通称、幼名の名乗りでしかない。
 臈次成功制宮座では13世紀後半に直物が発達し、惣有地とならんで村の財政を担った。
直物とは、烏帽子成(成人式)、官途成、大夫成、乙人成、入道成等の通過儀礼における醵出のことである。
 官途名に用いる官職は、近衛、衛門、兵衛などの武官、守、介、国名などの受領名、平内、源内などの内舎人名、大夫などの通貴の呼称もあった。衛門は13世紀半ばからみられるものの、15世紀以降に頻出する、現代でも、ドラえもんとか、ホリエモンがいるように、官途名では最も知られているが、重要なことは、13世紀以降は、氏姓による身分標識ではなくも、宮座における官途が身分標識となっていくと説明されている。
 12世紀においては、荘官が官途成を行なう費用を強制徴収しているケースがあり、もとは荘官による荘園制支配の一環だったとも考えられる。
 臈次成功制宮座から家格制宮座への変質、さらに家格制も形骸化して村組頭役宮座に変質する過程については略すが、江戸時代寛政期頃以降の村組頭役宮座では身分的差別は本百姓と水呑百姓ぐらいになったと説明している。
 私が、特に着目した資料としては、16世紀末期(豊臣政権期)における家格制の身分差別である。(123ページ)近江国神崎郡山路村(現東近江市能登川町)の文禄年中の史料によると、
 侍方(名衆中)とは、小南、出路、林、串田、豊田、河端、河崎、杉田、高山、小山、黒田‥‥の名字を持つ者であるが、侍方は天下の法式の通りとしながら、氏なしの下人は、烏帽子をかぶってはいけない。雪駄、足駄をはいてはいけない。ただ下駄、足半だけが許され、絹を着てはいけないこととなっていた。
 原田敏丸『近世村落の経済と社会』257頁によると255頁によると名字を名のる百姓を「侍方」(先祖が武士だったという由緒のあるという意味)、名字を持たない百姓を「仲間方」というのである。近江国神崎郡種村の例では元禄期に仲間方も名字をなのることが許されたとし、近世中期から末期にかけて侍方の特権は漸次解体に向かったとされる。
 夫婦別姓問題とは直接的関連はないが、畿内近国の先進地域における村落共同体の進展と「家」制度、近世中期から末期にかけて家格制が形骸化していく過程で、氏なしの下人も名字をもつようになりと言う大筋を知ることができて有益であった。古くは氏姓実名を有しているのは宮座の構成員だけだったが、身分標識は氏姓実名から官途名、宮座における序列となったため、氏姓は意味を失って、名字に変わったと解釈できる。名字なしの仲間方は差別されていた。家名としての名字が日本人にとって重要なことはいうまでもないことである。

1-56原田敏丸『近世村落の経済と社会』山川出版社1983年
10837加藤美恵子「中世の出産-着帯・介添え・産穢を視座として」『女性史学』16号2006年
10838 薗部寿樹「中近世村落における宮座の変質と再編、結衆、長男衆、そして神楽講」国立歴史民俗博物館研究報告 112号 2004年。
 大和国平群郡服部郷(現生駒郡斑鳩町大字服部)の宮座の変遷について、14~16世紀が結衆、17~18世紀が長男衆、19世紀前記の神楽講への転換について論ずる。著者の分析では天正7年(1579)より長子、嫡子による座の継承慣行が行なわれはじめ、寛永3年(1626)に「長男衆」という言葉が用いられ、17世紀後半には長男が座を継承する慣行が成立した。18世紀前半、長男衆は新参者の新規入座を閉ざし家格差別を固定化しようとする。18世紀後期~19世紀前半、村方との対立で主導権を奪われるようになり、文政3年(1820)に本座・新座の二座体制が成立し、激しい反目関係があったと推測しているが、この頃から神楽講と称するようなる。世俗的な統制力を失った本座は新座に対する祭祀組織としての優越性を誇示するためだろうとしている。
10839 永原慶二「黒田俊雄氏の中世身分」『歴史評論』528号1994年
黒田説の永原氏の要約
中世社会の基本的身分階層
1.貴種 権門家、国家の支配機能を分掌、権威を独占
2.司・侍 中央・地方の諸官司、国郡司から権門の家司・寄人・武家の御家人、貴種に臣従し、権力を行使する階層
3.百姓 荘園公領における自立的経営者層、在地領主に私的に隷属していない
4.下人 自己の経営をもたず、有力私人に人格的に隷属
5.非人 
中世的身分階層秩序は応仁の乱期までは持続するが、「戦国動乱期に急速に解体に向かう。それは中央権力機構の変動ばかりでなく、小農民自立の進行による本百姓・小百姓の身分格差の縮小、下人の自立などによる村落構造の変化、商工業・商工業者などの座的結合に内在する平等の原理の発達により、種姓的見付箋秩序を克服する諸条件が幅広く形成」
10840薗部寿樹「座的構造論と宮座研究」『歴史評論』528号1994年
10841山下英愛「韓国における戸主制廃止と今後の展望」『女性史学』16号2006年
韓国では2005年3月2日の民法改正案の国会通過で、戸主制が廃止され、さらに2008年1月11日には日本統治時代の戸籍制度もなくなり、新しい身分登録制となった。
 フェミニズムの勝利ともいえる現象だが、我が国も追随する方向性に強い懸念がある。
10842薗部受樹『村落内身分と村落神話』校倉書房2008年
10843後藤みち子『中世公家の墓制にみる夫婦と「家」『総合女性史研究 』23号 2006年
10844関口裕子「家父長制家族の未成立と日本古代社会の特質について」『日本史研究』 247号1983年
10845鈴木国弘「中世前期親族論序説」『日本史研究』 247号1983年
10846江守五夫「父権制社会における似而非《母権制》的現象--女性史学と民族学との協業のために 」『歴史評論』371号 1981年
10847水田珠枝「女性史における家族・階級・意識-米田佐代子氏への疑問」『歴史評論』371号 1981年
10848鈴木国弘「中世の親族と「イエ」」『歴史評論』371号 1981年
10849坂田聡「家制度の期限を探る-転換期としての戦国時代-」『青少年問題』625号2007年
10850坂田聡「中世後期~近世の家・家格・由緒--丹波国山国地域の事例を中心に 」『歴史評論 』630号2002年
10851坂田聡「戦国女性の姓・苗字・名」『歴史読本』54巻4号2009年
10852直江眞一「アレクサンデル三世期における婚姻法」『法政研究』81巻3号 2014年(ネット公開)
10853鈴木啓一「日常からの疑問-こんなものいらない-12-お色直し」『朝日ジャーナル』26巻30号1984年
10854宮川満『家・家族の歴史と婚姻習俗』第一書房2000年
10855徳島県立博物館企画展図録『門出のセレモニー -婚礼・葬送の習俗』徳島県立博物館編2001 
 婚礼にこめられた意味について考察している。
徳島県内の花嫁行列について

花嫁行列は日が沈んで提灯を携える。
花嫁の出立時には生家の門で藁火をたき、花嫁が使用していた茶碗を割った。
花嫁が生を出る時の作法として、表の間から出る

「県内の花嫁行列に見られるこれらの習俗は、葬送の際、死者を送り出す所作と非常に類似しています。‥‥死者と同様にあつかうことで、花嫁に象徴的な死を与え、生まれ変わることを指し示したものだと考えられます。短期間に変化が求められる嫁入婚において、より早く生家より分離し、婿方の家に統合することを促そうという意識のあらわれ」との解釈である。

婚礼衣装
白無垢・角隠しについて

よくいわれることは
角隠し(本来は揚帽子)は、浄土真宗の女性が寺参りをする際に 被ったものに由来して、女性特有の業をおさめるために被る。白無垢については、婚家の家風にしたがい何色にでも染まりますとの意味を込めたもの。

 角隠しのほうに花嫁に傘をさす。笠をせるという習俗が全国各地でみられるが、日常の象徴である太陽を避ける意図を含んだ意味があり、花嫁の象徴的な死という非日常を強調するものとされる。
「角隠し、白無垢の花嫁衣装の特徴は、死者に着せる死装束、または、葬送に参列する人々の服装に類似します。死者の装束は一般に白色とされ、額には三角形の白布の宝冠が被せられます。 死者を送る葬列に参列する者が額に宝冠を付けたり、被りものをする習俗もあります。さらに、かつては喪服が黒色でなく白色であったと言い伝えも耳にします。県内、三好町では、嫁入りの時に着用 葬列に参列する際に身につけた」と解説
もっとも伊勢流有職故実研究家伊勢貞丈の見解では、白色は五色の大本であるためとしているが、この本では生家での死を象徴するという趣旨が全面に出ている。

色直しについて

「婚礼には披露宴の際、花嫁が白無垢から色打掛などに着替える色直しと言う習俗が見られます。色直しには、白無垢によって死の状態にあるとされる花嫁が、色のついた衣装に着替えることによって、 あらたに嫁いだ家の人間として生まれ変わったことを示すものだと言えます。
明治期以来、規模の大きい披露宴や武家礼法の流派である小笠原流を重視する風潮から、嫁の披露が婚礼のうち主要な儀式となり、庶民の間でも花嫁衣装が華やかになった‥‥県内では裾模様の着物に丸帯と言う例が一般的ですが、明治期の裕福な家での花嫁衣装として、神山町などで裾に綿の入った白、赤、黒の振袖三枚を重ねて着たという報告があります。この衣装の形式は江戸時代の後期に大名家などで登場したと 言われる、白、赤、黒の小袖を重ねる三枚襲の形式を取り入れたものと考えられます。ちなみに白は 花嫁の清らかさ、赤は可憐さ、華やかさ、黒は廷重で儀式性を重んじる心をあらわしているとされます」と説明
そうすると、白無垢-色直しという、日本人なら誰でも知っている婚礼衣装、習俗は、白無垢(生家の死)-色直し(婚家での再生)というまさに出嫁女の婚家帰属を意味するセレモニーである。
従って夫婦別姓論者は、出嫁女の婚家帰属を否定する思想なので、まさに日本国の醇風美俗に全面的に敵対ものだといわなければなららない。


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