入手資料整理170
10856京楽真帆子「平安京における居住と家族-寄住・妻方居住・都市」『史林』76巻2号1993年3月
高群逸枝の古代招婿婚・妻方居住が基本だったとする説を明確に否定しており気分の良い論文。
要所は「貴族の居住は、一般に「仮住まい」・「寄住」を経たのち、買得、譲渡によって所有権を正式に得た邸宅で行われるようになる。平安貴族にとって、妻方居住はこうした「仮住まい」・「寄住」の一形態にすぎなかった」
妻方居住は選択肢の一つにすぎず、婚姻によって縛られる規範でもなんでもないと説明。
10857京楽真帆子「平安時代の「家」と寺-藤原氏の極楽寺・勧修寺を中心として-」『日本史研究 』346号1991年
高藤流の勧修寺御八講を行う長者は一門中の最高官位者が勤める慣例であった。これは藤原氏の氏長者が最高官位者であるのと類似している。勧修寺という私寺を紐帯として勧修寺流という親族集団が形成された。著者は、最高官位者を長者とし、父子継承を重視することによって永続性を保ったが、家格が形成され、「家」における最高官位が固定されることにより中世的「家」が成立するという見通しを述べている。
なお勧修寺流とは醍醐生母藤原胤子の父高藤(正三位内大臣・贈正一位太政大臣)を祖とする。藤原北家とはいえ傍流の実務的中級貴族の一門。吉田・万里小路・勧修寺・坊城など。
これは私の考えだが、「氏」は厳密には単系出自集団とは言いがたい。厳密にリネージ(系族)とはいえない面が多分にある。しかし平安貴族についていえば藤原氏という大きなくくりはおよそ大リネージに類比できる。
著者は勧修寺流のような門流は、ファーテスのいう分節リネージに当たると大まかな説明をしているが妥当である。「家」分節リネージの最小規模の下位リネージということか。「氏」と「家」の違いの説明の仕方のひとつである。
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