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2015/09/27

入手資料整理179

(今回も夫婦別姓反対の材料あつめ)
1-80岡野友彦 『戦国貴族の生き残り戦略』吉川弘文館2015
久我(こが)家(清華家(せいがけ)・村上源氏)の専論
家名は京都西南郊の別荘「久我水閣」に由来する。
源通親の4人の子供、通具・通光・定通・通方がそれぞれ堀川・久我・土御門・中院を名乗ることからみて家名は鎌倉初期(通光の代)に定着したとする。公家の家名成立が15世紀以降との説がある一方、著者は早い時期を想定しているようだ。

異性収養の例
戦国時代、享禄4年(1531)右大臣久我通言(みちとき)は嗣子の邦通に先立たれ、天文(てんぶん)年間に近衛尚通(ひさみち)の末子(ばっし)の晴通を養子にした。晴通の実姉が将軍足利義晴の正室であることから政治的に有利との判断によるものだろうが以降近衛家の分家のような位置づけになった。

1-81尾形勇『中国古代の「家」と国家』岩波書店1979

周代封建制では諸侯は「国」卿大夫層を「家」という。「氏」は卿大夫層の独占なのであくまでも支配者層
周代の姓氏は「族」政治的支配圏の冠称、異族も吸収した部族集団としての族、秦漢期以降の「姓」は「家」の冠称
漢代における「姓」と「家」
姓は家族名で、その起源は氏である。女性は戸籍上夫の姓に従っていた。「鄭望之」の妻「鄭貞」というように
日本では賜姓や改姓が頻繁にあるが、中国では例外的措置で原則として、姓は変更されず、いかなる事情でも剥奪されず、漢代において皇帝から庶民にいたるまで姓を有し、皇帝の姓種も民間にみられるように同一地平にある。

家の概念として、同居共財なら「家」別財なら別の家、独身者でもひとつの「家」というものである。したがってこの定義なら、「家」制度が解体したとしても、特有財産があっても原則同居共財で暮らしている限り「家」であるといえるのである。

なお、夫婦と子供たちの単位を房という。たとえば日本では女房という。
日本の場合核家族で、親の世帯と経済単位が別でも、親族としてのつながりがあり「家」意識は払しょくしてない。

1-82永原慶二『室町・戦国の社会』吉川弘文館2006
226頁以下80年代の研究だが、武家の嫡子単独相続への移行を示す資料として、備後の有力御家人山内首藤家の元徳2年(1330)の文書で、その理由として所領分割すると将軍への軍役が勤めがたくなるというもの。幕府滅亡の3年前。建武2年(1335)能登鹿島郡の地頭天野氏文書を挙げていて、鎌倉末期から南北朝内乱期が、単独相続への転換期としている。
その理由は、朝廷・幕府が一体となった国家的秩序、荘園公領制の「職」の体系の弛緩・解体と、在地領主権の伸長による領域支配の創出強化による、重層的、散在的な「職」知行の維持が困難になったこと。簡単にいえば実力社会になり、分割相続で家が弱小化するないということである。
 したがってこれは女性の地位が低くなったことを意味しない。戦国時代でも嫁は「粧田む」化粧料と称する持参財があり、あるいは「敷銭」という持参金があった。女子は買得所有の主体たりうる。
 単独相続と分割相続では大きく違うとはいえ、分割相続でも均分でなく特定の子供に厚くする形態のものは西洋にも多く例があり、戦後、分割相続になったから「家」が解体したとはいいきれない。なぜなら、単独相続になる前の鎌倉時代にも家はあったし、分割できない家産もあり、実際、現代でも家業は継承されている。


1-83豊田武『苗字の歴史』吉川弘文館2012
74頁以下 平安末期から鎌倉時代を通して武士は族的団結の中心として、先祖相伝の本領を保持し、これを名字地として尊んだ。兄弟の共同体がつくられ、惣領制的な一族とも名字を共通とした。
将軍の御家人になるには見参の儀式ががあるが平家追討の際は、名字を記載した「交名注進」が鎌倉殿の見参に供されただけで御家人となれた。
武士は元服に際して名字をつけるのがならわしだったとする。つまり元服は父子継承の確認の儀式と考えられる。

1-84『牧野巽著作集第六巻』御茶の水書房1985
196頁 贅婿(ぜいせい)とは、女家の婿入りのことだが、贅の意味は「余計なもの」「むだなもの」のほかに「質」に゜とられた婿の意味があり、一定の労役に服したうえで女子を連れ帰る労役婚の痕跡も認められるが、歴史時代には宗法に反するので、甚だ世に軽蔑された。
日本的「家」制度では婿養子は、次期家長予定者として迎えられるものなので、中国の贅婿とは違う。

清代には「女子は才なきがすなわち徳である」とされた

1-85滋賀秀三『中国家族法の原理』
 伝統的中国の家族法であるが、未婚女子は父を祭る資格がなく、未婚という地位のままで祭られることもない。すなわち女子は結婚して初めて宗の所属関係を生じる。
「男有室、女有家」左伝桓公十八年
「嫁者家也、婦人外成、以出適人為家」白虎通巻四嫁娶
(嫁とは家なり(えんづくとはいえなり)、婦人は外で一人前となる。人は出適ことによって家をもつ)
従って女性は夫の宗に帰属するものである。
妻は夫と共に夫の祖先を祭る義務を負う。
「夫祭也者、必夫婦親之」礼記祭統(夫れ祭なるものは、必ず夫婦これを親す(みづからす)」
「妻者伝家事、承祭祀」唐律疏議戸婚二十九条疏(妻は家事を伝え、祭祀を承く)
妻は夫と並んで、夫の子孫の祭を享ける。既婚者は必ず祖墳に、夫婦同一の墳に合葬
される。
「穀則異室、死則同穴」詩経王風大車(穀〔い〕きては則ち室を異にするも、死すれば則ち穴を同じくす)

補足 これは日本でね道徳的価値として継受しており、は偕老同穴という夫婦の一体性を重視する道徳につながっている。。
古来偕老同穴は人倫の至重なるものとして既に已に其習慣を成し、社会全体の組織も之に由りて整頓したることなれば、今俄に変動せんとするも容易に行はる可きに非ず」(福澤諭吉『福翁百話』「一夫一婦偕老同穴」
夫婦別姓に反対する重要な理由の一つに、福沢諭吉が人倫の至重なるものととしたこの価値観の破壊がある。ジェンダー論者は破壊すべきだとするかもしれいが、最高裁がそれに同調することがあってはならないのである。


重要なことは自己の腹から出た子孫でなくても嫡妻は、子孫から祭られる。

位牌は考妣対照の二牌をもって一組とする。宗譜の書式としても、夫の名と妻の名は対等に大書される。
このように妻は、宗の占めている夫の地位への合体、祭り祭られる関係で夫婦一体をなしている。
 我が国では蒋介石の妻が宋美齢というように表面上の夫婦別姓のため、女子は既婚者でも実家の宗族に帰属していると考える人があるが、とんでもない間違いである。

1-86『新体系日本史2 法社会史』
大藤修 「幕臣体制の成立と法」
283頁
「日本の家は単なる個々人の集合体ではなく、個々人を超越し、個々人を折々の質料とする。形式的・永続的な機構としての性格をもつ。そして、それ自体の社会的機能(家業=家職)、それ自体の名(家名=屋号)、それ自体の名誉(家名・家柄)、それ自体の象徴(家紋)、それ自体の財産(家産)、それ自体の先祖、それ自体のしきたり(家風・家法)を有し、折々の代表者(家長)を有した」
このような集合体は世界的に類例のない特徴のあるものと私は考える。
「村と町」
村が社会の基礎単位として認められたのは、太閤検地と幕府・大名による検地を画期とする。
小農民の家意識の成立と百姓株の形成(304頁以下)
私的には苗字を称していたが、それは同族の標識でもあった。家長の地位の継承にともない、通名を襲名することによて家の個別性と超世代的永続性を表示した。家長名の相続、通名相続が一般化すると「公儀名」となり、財産関係の行為で公式的名義とされた。家長名「何兵衛」「何衛門」かは、村での身分階層をも意味した。
分家筋の小農民の家が自立性を強めると、検地帳名請地に対する権利を強め、自己の家産と認識するようになる。
幕藩領主は百姓経営維持のため17世紀後期以降分地を制限したので、田畑、屋敷、家名、家業、祖先祭祀が一体となった単独相続が一般化する。
そうすると、公家・武家の単独相続定着は14世紀、小農民は17世紀後半と概括してよいだろう。

1-87 『日本のフェミニズム3性役割』岩波書店1995
1-88 福田アジオ『番と衆』吉川弘文館1997
蒲生正男説を引用紹介する。伝統的村社会を「同族制村落」と「年齢階梯制村落」という異なるイデオロギーの存在に分ける考え方があるが、結局この2類型は、どちらかといえば僻地の少数例にすぎないのである。
第三の類型として蒲生正男の「頭屋制村落」がある。それは神社祭祀のトウヤ、墓地の穴掘りのヤマシ、その他公共事業などを、各戸が順送り、平等につとめる村落であり、近畿・中国地方の歴史的に古い村にみられるタイプである。それは各戸の自立自存が可能な安定的な農耕を基盤としている。

家の永続性の柳田国男の解釈、日本人の真の幸福は現世での満足ではなく、死後永久に祖霊となって永久に子孫と交流することにあり、訪れるところがなければ最大の不幸であるという観念。

1-89 藤木邦彦『平安王朝の政治と制度』吉川弘文館1991
貴人の正妻を北の方、摂関の正妻を北政所と称するのは、江戸時代の有識故実家伊勢貞丈により男が陽、女が陰という陰陽思想としていることから、この見解が多数説だが、著者は妻室の後宮は北に住するためという坂本太郎説を支持している。しかしいまいち納得できない。陰陽思想でよいのではないか。
1-90 服藤早苗『平安朝 女の生き方』小学館2004
日本霊異記上巻三一の「交通ぐ」(とつぐ』は性行為を意味し、「嫁ぐ」という意味ではないとする。
平安時代の婚姻儀式で詳細に記された最初の文書は醍醐皇子重明親王の『吏部王記』天暦2年(948) 11月22日以降の記事であるとする。三日餅の初見も重明親王の婚姻が初見であり、9世紀には整った儀式がなく、結婚が社会制度として整うのが10世紀中ごろとするが、これについては当然反論があると思うし、聟入婚の母系的解釈も疑問である。
1-91伊東・河野編『おんなとおとこの誕生4古代から中世へ』藤原書店2000
梅村恵子「天皇家における皇后の地位」
古代についていえば日本と中国では大きく違う。古代中国家族の『夫婦斉体』思想を滋賀秀三より要領よく引用している。
異なる「宗」出身の妻は、夫と共に夫が属す宗廟祭祀の主体となり、子孫から孝養を尽くされる者となる「婦女雖複非丁、拠礼与夫斉体」(名例律二七条)と、夫婦斉体=一体とみなされる。ただし、夫婦一体といっても「夫者婦之天也」(名例律六条)というように、あくまでも夫の人格に妻が包接されるという意味での一体であって、夫が生存する限りは妻の存在は夫の陰に隠れてみえない。ようやく寡婦になったときには夫の代位者として夫の有していた諸権利をもつことができるが、これね妻のうちに亡夫の人格が合体したことに帰属する‥‥。
太后臨朝がこのケースである、皇后は皇帝と一体であったがゆえに、皇帝の徳を継承し、皇帝と同じ権力を有することとなる。『夫婦斉体』思想がその根拠となっている。

1-92アナール論文選2『家の歴史社会学』藤原書店2010
二宮宏之「歴史の中の「家」」
ル=ロワ=ラデュリ「慣習法の体系」
アンシャンレジーム期のフランスの相続は大きくわけて3つの地域で異なる

1 南部および中央部(オック語圏成文法地域)
一人(多くは長男)に先取権が認められており、被相続人は遺言によって特定の子供を優位におくことができる。
2 西部諸地域
ノルマンディーのみ、女子を除く男子均分相続、その他の地域は均分相続

3 オルレアン=パリ地域
生前贈与を受けた者を除く均分相続、16世紀から持戻しにより均分相続の選択を可とする

ようするに南が長子相続、北と西が均分もしくは選定相続である、西欧についていえば英国、北欧、北ドイツ、バイエルン、オーストリア、南仏が長子相続であるが、
フランスの慣行で注意を要するのが、貴族は長子相続で別であるということと、西部の慣習法の均分相続は平等たが、強制的な持戻し制度があり父親の財産は父方の系列に、母親の財産は母方の系列に相続され、結婚じたいが、財産移転にほとんど意味がないという。我が国の夫婦別姓推進論のような夫権に従わず夫方の財産をとってしまうというようなえげつないものとは違う。

1-93M.ミッテラウアー『歴史人類学の家族研究』新曜社1994
1-94水野智之『名前の権力と中世史』吉川弘文館2014
1-95江守五夫『婚姻の民俗』吉川弘文館1998
1-96江守五夫・大林太良ほか『日本の家族と北方文化』第一書房1993
大林太良「東北アジアにおける日本の家族」
父系的な傾向は2世紀からという見解は、倭国の大乱で西日本が内乱状態だった。妻方居住婿入り婚だと、戦力となる若い男の忠誠心が維持できず戦闘に不利。内乱期には嫁入(夫方居住)の父系が有利になるとの見解。つまり内乱は父系を促すとの見解。
結婚にあたって火を跨いで妻が夫の家に入るという習俗は、わが国に広くみられる、火の間を通るのもあるが、火によって花嫁が清められて夫の家に入るという西ヨーロッパにいたるまでユーラシアで広くみられる習俗であるから、古代から嫁入り婚があったという説である。また牧場の経営も父系となるといっている。東国武士の同族は牧場の経営組織からでてきたという仮説も提示されている。とするとエンゲルスの見解も疑問である。むろん高群説も否定できる。
江守五夫「日本の家族慣習の一源流としての中国北方民族文化」
 著者は我が国の婚姻習俗と中国北方民族との共通点が多いことを指摘し、古代から嫁入婚が成立していると著者の学説の根拠のひとつになっている。出嫁女の婚家帰属は、漢族の嫁入婚文化の影響のほか、朝鮮族との関連性、さらにギリヤーク族に日本の東北地方にみられる「カマド分け」儀礼に似た習俗がみられることから近似していることを報告している。
 火による祓除
日本では花嫁が夫家に入るとき、火を跨いだり、交叉する松明の下をくぐらされたり、焚火の傍らを通る火の儀礼はが各地で行われていた。著者は言及してないが、次の1-97が文明-永正期の政所執事伊勢貞陸(さだみち)の著書でも、武家の婚礼でも夕刻の輿入れで門火という篝火がたかれるとしている。
 火の儀礼は、韓国や満族と共通し、ユーラシアに広くみられるものであるが、『隋書』倭国伝に「婦、夫家に入るや、必ず先ず火を跨ぎ、乃ち夫と相見ゆ」の一文があり、古代からあった。その他労役婚(年期婿)、養老招婿婚など北方民族との共通点を多く指摘しているが、ここは使いたいと思ったのは、ソ連の民族学者シロコドロフがエヴェンキ族は女性が出嫁後も、生まれた氏族に属し、父族の諸神霊を崇拝し続けるという説がある。この見解が妥当かいなかは検証が必要だが、シロコドロフ説を前提とすると。結局、夫婦別姓推進論者が主張する、夫権、婚家の舅姑に従わない結婚は、「日本人をエヴェンキ族化させる」ものということができる。
1-97二木謙一『中世武家の作法』吉川弘文館1999
1-98岡野友彦『源氏と日本国王』講談社現代新書2003
 古代的姓氏と苗字の違いの説明はおおざっぱな印象だが、旧慣習説を疑問視している姿勢は一応評価する。新書版なので社会の影響力があった。なお「北条政子」は、戦後とくに1960年以降一般化した人名表記で、同時代人はもちろんのこと、戦前まで歴史家はそのように指称していないと高橋秀樹が指摘していることである。
1-99勝俣鎭夫『中世社会の基層をさぐる』山川出版社2011
カマドの一体化原理との関連
1-100長谷川・市田・高橋・木村『ちょっと待て夫婦別姓』日本教育新新聞1997
1-101東京弁護士会女性の権利委員会編『これからの選択夫婦別姓』日本評論社1990
1-102加治信行『家族の思想』PHP新書1998
1-103上田信『伝統中国〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代』講談社選書1995
日本的「家」と中国の宗族がかなり違うものであることを説明。
90頁は、
 日本では父からムスコへ家が継がれる。家を継ぐ実態は家督・家産である。財産のない庶民でいえば生業の基礎となる社会関係・権利である。分家は本家と、資格・権利・義務において本家と異質のものになる。
しかし中国の宗族は、共通の祖先であるならば祖先祭祀の資格は平等であり、世輩の上下関係〈祖先から何代目か〉があるだけである。
同性不婚については、華北、華中では同じ祖先でなければ不婚ではないので実質同宗不婚だという。

1-104網野善彦『日本の歴史をよみなおす』筑摩書房1991
「惣村」は14世紀後半から15世紀、日本列島の主要部に、村と町といえる明確な実態をもつ集落が安定的に成立するのは15世紀ぐらいから。
 中世において「女捕り」「辻捕り」は貞永式目で禁止されていても罪は重くなかった。法師の場合斟酌あるべしとされ、ふだん禁欲しているので大目にみられた。
 『御伽草子』の「ものぐさ太郎」に供も連れず、輿にも乗らないでひとりで歩いている女を、女捕ることは「天下公許」であるといわれており、女捕り=レイプとは限らないが、強姦は大目にみられていたことがわかる。
 

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