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2015年10月の9件の記事

2015/10/22

下書き 切り返し一

 前章で述べたように、清水昭俊の論理性が卓越しており、清水説を核として理論を展開していくと、我が国では、家が社会の基礎的構成単位である。それは離接単位であって、各人は「家」という分節リネジ末端のリネジ団体の必ず一つに帰属するのである。そしてこのリネジ団体においては、出嫁女(婚入配偶者)は婚家の成員である。

 村落社会において、家名とは門名(屋号)である。(これも清水より引用)「おカドが多い」とか「おカド違い」というふうに使う「門名」である。なぜならば、村落では同姓が多いし、本家と分家も区別できないからである。しかし広く世間一般に対しては、氏(苗字)を家名とみなしてさしつかえないと思う。。世間ではそのように理解している。実定法では氏(苗字)=家名とは規定しておらず「家」制度は崩壊したという、確かに単独相続や戸主権は否定された。しかし社会のならわしとして基本的構成単位はやはり家なのだ。(ここで註を入れる)。

 であるから、家の成員としての社会的標識として夫婦同氏(制)は当然のものとして理解できる。

 しかし、このような見解に対して、「家」は封建的、前近代的てはないかとか、戦後においては新民法の制定され、夫婦家族理念の浸透、さらに高度経済成長による社会的移動の飛躍的増大し、団地族「家つき、カーつき、ババアぬき」といわれたようにに世代的断絶が促進され「家」などいう実態はないという人もいるかもしれない。(これは大村・西山編『現代人の宗教』有斐閣1988 39頁からの引用』  

 しかし、人類学者はそのように考えていない。

2015/10/21

下書き 高群逸枝学説の誤謬について

 高群逸枝は、平安前期の「一時的妻訪婚」を意図的な創作により「純婿取婚」とした。八九四年より一〇八七年までの結婚は婿の実家に妻子を連れていくことはないとするのである。

 要するに  ツマドイ、ムコトリとは、婚姻の初期の段階であるのに、母系原理の根強い存続を主張するために、意図的資料操作により虚構の学説をでっち上げたのである。  

 栗原弘によると、高群逸枝説というのは、日本は古代から一貫して父系家父長制であり、男性による女性支配が宿命であるとの説を打破し、男性社会に反撃する目的で創られたもので、女性史を冷静にみようとするものではなかった。(栗原『高向群枝の婚姻女性史像の研究』高科書店1994 368頁)

 栗原は藤原氏の主要な邸宅の伝領過程を明らかにすることによって、高群が父系異居構想のために意図的操作をしていることを明らかにしている。高群学説について学問的否定者は、洞富雄、江守五夫、鷲見等曜、思想的批判者として、緒方和子、中山そみ、犬童美子である。

 ところが批判的継承者や思想的共鳴者のほうがずっと多いのである。このために高群学説がいまだに偉大だと勘違いしている人が多いのが大問題である。

 私が思うに、当事者の合意で婚姻が成立するのは古典カノン法の理念である。秘密結婚を承認したのは教会法だった。しかしラテン的キリスト教世界の教会法圏外の社会ではそうではない。一般的に、婚姻成立のために重要なのは妻方の父母、親族の承認である。そうでないと駆け落ちになるからである。日本の古風なムコトリの意味は娘との婚姻を承認することを公にする儀式として重要なのだろう。

 柳田国男の「聟入考」は、日本は古代か一貫して父系社会であり、「聟入」を付随した古風の婚姻と、「聟入」を喪失した新しい婚姻を峻別しない(栗原32頁)。  

 私は必ずしもそう考えない。当事者が結婚相手を探して仲人が仲介する村落と、家と家との取決を仲人が仲介する結婚が基本の村落では結婚のあり方が違うからである。

 しかし一時的妻訪婚とて、いずれ、夫方に居住し落ち着くということであれば、柳田の結婚のあり方としては大差ないと認識してよい 。

 京楽真帆子「平安京における居住と家族-寄住・妻方居住・都市」『史林』76巻2号1993年3月はね高群逸枝の古代招婿婚・妻方居住が基本だったとする説を明確に否定している。 「貴族の居住は、一般に「仮住まい」・「寄住」を経たのち、買得、譲渡によって所有権を正式に得た邸宅で行われるようになる。平安貴族にとって、妻方居住はこうした「仮住まい」・「寄住」の一形態にすぎなかった」  妻方居住は仮住まいの選択肢の一つにすぎなかったわけである

2015/10/19

民法750条・夫婦同氏(夫婦同姓)制は合憲とされるべきである 下書きその1(選択的夫婦別氏・夫婦別姓絶対反対)

川西正彦

 

目次
 
 Ⅰ 明治民法の夫婦同氏(姓)制 梅健次郎の立法趣旨は正しい

Ⅰ)妻は婚入配偶者として夫の家に入るのであるから夫婦同氏が日本の慣習に合致しているとの立法趣旨は正しい。

1 出嫁女の婚家帰属(婚家の成員である)の立証

 (1)清水昭俊説
    ア 家成員の資格
    イ〈家連続者〉と婚入配偶者
    ウ 排除予定者
    オ 仏体系
    カ 家成員獲得過程を規制する規則群
 (2) 清水説の補足 寡婦・寡夫の再婚による家の継承
    ア 畠山氏
    イ 住友家
 (3) 蒲生正男説
    ア 中根-蒲生論争
    イ 日本の家を単性家族と定義
    ウ 「カマドの一体化原理」
     (途中未完)

   Ⅳ 選択的夫婦別姓とは社会主義政策である

(Ⅰ) 中国は元々夫婦別姓ではなかったが、宋家姉妹の例から一般に広まった

(Ⅱ) 夫婦別姓はソ連の1924年の法令に由来する

(Ⅲ) 司法部が立法府をさしおいて社会主義政策を促進するのは三権分立に反する

(Ⅳ) 夫婦同氏制違憲は、唯物論的家族史観の勝利を導く

    (後段未完)
   

 

Ⅰ 明治民法の夫婦同氏()制 梅健次郎の立法趣旨は正しい

 

 

明治民法起草者穂積陳重・富井政章・梅謙次郎の三者のうちもっとも強く夫婦同氏を推進したのが梅謙次郎である。梅は「家」制度に批判的で、儒教道徳より愛情に支えられた夫婦・親子関係を親族法の基本とし、士族慣行より、庶民の家族慣行を重視した点で開明的だった考える。つまり進歩的な民法学者が夫婦同氏を強く推進したのであって、その趣旨は今日においても全く妥当である。要約すればそれは

()婚入配偶者の婚家帰属は日本の「家」、家族慣行に慣習に合致する

()ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア等の法制が夫婦同姓でありそれに倣う。欧米の単婚家族ファミリーネームの継受。

これは夫婦同氏()が日本の家族慣行に合致するとともに、欧米の家族慣行にも合致しているものと評価できるのである。日本の伝統的な家族観も生かし、欧米の友愛結婚の理念にも合致する。

 

(Ⅰ)妻は婚入配偶者として夫の家に入るのであるから夫婦同氏が日本の慣習に合致しているとの立法趣旨は正しい。

 

 

梅は法典調査会で、漢土法に倣って夫婦別氏とすべきという一部の意見に強く反対し、日本の慣習では妻が夫の家に入ることが慣習である以上、実家の苗字を唱えることは理屈にあわないとはっきり言っている。

「支那ノ慣例ニ従テ、妻ハ矢張リ生家ノ苗字ヲ唱フベキモノト云フ考ヘガ日本人ノ中ニ広マッテ居ルヤウデアリマス〔ガ〕‥‥之カ日本ノ慣習少ナクトモ固有ノ慣習テアルトハ信しシラレマセヌ、兎ニ角妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ‥‥」『人事慣例全集』58[江守1990 57]

実際、日本において出嫁女は主婦予定者あるいは主婦として婚家に迎えられてその成員となり、死後は婚家の仏となるのが慣習なのである。それは今日でも全く同じなのだ。

実はシナにおいても妻は夫の宗に帰属し、清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではない。漢土法については誤解があると思われる。第Ⅵ章で明らかにするが我が国においても夫婦別氏(姓)は旧慣習ではなく夫婦同氏(姓)が妥当なものである。

婚入配偶者の婚家帰属は揺るがせにできない根本的社会規範・倫理であるので、この立法趣旨は堅持されるべきで、これが民法750条を合憲としなければならない第一の理由である。

 

法制史家は、夫の家に入ることを象徴するための氏という明治民法立法趣旨に批判的な人が多い。夫婦同氏制度を妻が夫の家に入って共同生活に入ると同時に夫の戸主権に服する「家」制度の残滓[熊谷開作1987 208頁]とみなすのである。

しかし、ナポレオン法典231条「夫は妻を保護し、妻は夫に服従する義務を負う」とある。ナポレオン法典には、父権、夫権、親族会議の力を示すものが多い。父権、夫権は近代市民社会において全く正当な価値である。

戦後の改正で戸主権に服するという法意は喪失したとはいえ、実質、妻が夫の家に入るという、(出嫁女は婚家の成員となる)ということが慣習と合致しているとする立法趣旨が今日でも有効性を失ってないというのが私の主張である。

しかし夫婦別姓推進論者の法制史家井戸田博史は、現行法では、氏に親権・扶養・相続の権利や義務を結び付けておらず、家名を表象しないという。また戦後民法改正により「家」が廃止されたのであるから、氏から「家」が払しょくされ、家名の性質はなくなった。氏は個人の同一性を表す「個人の呼称」となったとする[井戸田1986]。

しかしこの見解の見解は、実定法の構造を述べたにすぎず、実態とかけ離れている。氏(苗字)を冠称することが「家名」を示すものではないというのが国民の一般的意識とはとても思えない。そして私はジェンダー理論のように、家制度や家督、戸主、家長、主婦という地位構成に拒絶反応を示す論者に強く反対である。それでは全く国民の社会的営為の実態を無視したものになるからである。

戦後民法の改正により確かに明治民法の「家」制度・嫡子単独相続は崩壊した。公家や武士についていえば嫡子単独相続に移行したのはおよそ3世紀末から14世紀であるから、600700年の伝統の瓦解を意味する。男性は戸主権を喪失し弱くなり、長男は分割相続により威信を失ったというのは社会的事実である。しかしながら社会構造、慣行として日本的「家」、単性家族は明らかに存在している。

社会人類学の大御所といえる清水昭俊国立民族学博物館名誉教授の出雲地方の1967年の調査によれば、相続の際、象徴物が伝達されることを「家督相続」と言っている。これは家内統制権というよりも、物象化された家長位の地位の継承のことである[清水1970 210]

村落社会での「家」は①家内的生活(domestic life食・住・養育等)、②宗教(祖先祭祀)③政治(村落共同体の政治)④経済(家計と農業生産労働)という幅広い生活を共同で営む[清水1987 205頁]。

戸主権は喪失したといっても、家長にはその「家」の指し示す家格と、それを裏付ける経済力、家格に応じて村落社会から家に課せられる、社会的義務と期待、これを維持、発展させる役割があり、家業その他の社会的営為の統括者としての役割がある[清水1970 208頁]。水利組合の下部組織「島」「組」、市や農協の事務を行う「区」といった村落共同体の組織に対する家の代表者でもある。

したがって、民間の慣習として家長という地位が否定されなければならない理由などもちろん全くない。

 

1 出嫁女の婚家帰属(婚家の成員である)の立証

 

 

 

(1)清水昭俊説

 

清水は日本の「家」を次のように定義する。

「家は家族というよりもむしろ出自集団descent group、それも分節リネジ体系における最末端分節としてのリネジ団体に類比的である[清水1980b 清水1987 219]。清水は1967年の出雲地方斐伊川下流の村落の調査にもとづき精緻な理論で「家」成員交替過程を明らかにした。

結論を先に述べると、清水は日本の「家」の構造を理論化し、家長-主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されること。嫁は主婦予定者として、婿は家長予定者として婚家の成員であること。婚入配偶者は、死後も婚家の仏となるので、その婚家帰属性は論理的に明らかである。ただし清水説の疑問点もあるのでそれは最後に述べる。

 

 

ア 家成員の資格

家成員は実子、養子、婚入者3つの範疇と断言している。子供(実子・養子)と婚入者(嫁・婿)の2つの範疇と言い換えてもよい。[清水昭俊1973 62頁]

 つまり、家成員の獲得とは、出生、家外からの婚入、養取である。

なお、清水は妻妾制の廃止された明治から昭和の「家」について論じており、近世においては密子・猶子というカテゴリーも認められるが、ここでは論外としたい。

 

イ〈家連続者〉と婚入配偶者

清水が独自に定義している用語で、家長-主婦の地位構成で婚姻に先立って家の成員であった者を〈家連続者〉と定義する。つまり跡取息子、家付き娘等の範疇である。〈家連続者〉の配偶者、家外から婚入して来る者を、男なら婿、女ならという。婚姻は両性の個人の結合のみならず、家と個人の結合でもあり、この家を婚入者にとって婚家という。

従って、この結合の終息は離婚ではなく、家との結合の断絶でありこれを不縁という。

 かくして、家連続者夫婦→子供の出生=次代家連続者獲得→(次代)家連続者夫婦という循環的な過程が繰り返されるのである[清水1973]

 

 

ウ 排除予定者

〈家連続者〉だけが、生涯、家の成員であり、その余の子供たちは婚姻より前に生家から離れなければならないので、これを排除予定者と定義する。

 生家からの排除は、婚出、養出、分家設立3つの形態のみである[清水1973]

 

エ 定形の地位構成団体としての「家

家成員は、おのおの与えられた地位に伴う役割を分担するものとして家生活に参与する。家は集団として不定形ではなく、限られた数の地位が一定の秩序に配列されている。つまり家は、時間的に配列された夫婦の対の地位(前・現・次代の家長・主婦-下記参照)と排除予定者以外の地位を用意していない。

 

前家長(おじっつぁんold man,grandfather)-前主婦(おばばold woman,grandmother)

 

家長(おっつぁんmale adult)-主婦(おばさんfamale adult

 

 家長予定者(わけぇしゅyoung fellow)-主婦予定者〈嫁〉(よめじょin

Marrying young woman)

[清水1987 209][i]

 

 

 

オ 仏体系

 

人は死亡時に所属した家の仏になる。仏には世代仏子仏2種類がある。世代仏(セタイホトケ)とは、清水が出雲の調査で発見した概念だが、日本の「家」の標準的な仏体系とみなしてよいと思う。

これは、歴代の家長・主婦達であり、永久に年忌が営まれる。生前結婚し、家長・主婦に予定されながら、家長・主婦になる前に死亡した者、男の家連続者(家長予定者)が、結婚年齢に達しながら未婚で死亡した場合を含む。ただし婿、嫁で不縁とされた者、中継ぎとして分家した夫婦、女の家連続者については夫が世代仏にならない限り、世代仏とはならない[ii]。一系列に配列された歴代の世代仏は、生きている家成員と、家の創始者(先祖)を結びつける媒体である[清水1987 208頁]。

子仏とは生涯独身であった排除予定者、婚家で不縁とされて出戻り再婚しなかったケース等である。位牌とは区別されて箱位牌に収められ、父母兄弟など近い血族が家成員でなくなると忘れ去られていく。

清水が家を家族というよりは出自集団descent groupあるいはリネジ団体と定義したヒントが世代仏であったと考えられる。

例えば社会人類学者の蒲生正男は〈出自〉を、「社会的に承認された親子結合の世代的連鎖にもとづく、特定祖先への系統的帰属の方法」と規定し、〈出自集団〉の基本的特性は「単系性」と「自律性」にあり、出自の認知を明確に親子関係の連鎖としてたどれるものを〈系族lineage〉、単なる信念としてのみ出自の認知があるのを〈氏族clan,sib〉と説明している[蒲生1974]。

世代仏は見事に「世代的連鎖にもとづく特定祖先への系統的帰属」表しているといえるだろう。

 上野和男が位牌祭祀の諸類型を分類しているが[上野1985]、清水が発見した世代仏は、上野の分類する相続者夫婦を本幹とするもので位牌が深く蓄積する「父系型」と類型化されており、日本で最も広い分布をもつものとされている。〈出自集団〉の基本的特性は「単系性」にある以上、あえて「父系型」と類型化する必要もないだろう。バリエーションとしては、位牌が蓄積しないケースもある。

また少数例であるが、特殊な形態として分牌祭祀と、位牌分けがある。

 分牌祭祀は1934年に五島列島で発見され、その後北限の福島県まで事例が報告されているが、これは生前より本家(長男)が父を世話し、分家(次男)が母の世話をする。死後の年忌法要も本家が父と分家が母というように分担するものである。これは婚家の同族での分牌であるから、婚入配偶者の婚家帰属を否定するものではない。

位牌分けは、複数の子供たちが位牌を別々に祀るもので、養出、婚出した子供の家に持ち込まれると双系祭祀になってしまう特異な例である。しかし上野は養出、婚出した家では一代限りのものとしており、この例外的事例をもって 、婚入配偶者の婚家帰属が揺らぐというものではない。このほか複寺檀制(半檀家)の指摘もあるが、きわめて例外的なケースにすぎずこだわる理由などない。

 

 カ 家成員獲得過程を規制する規則群

 

 清水の学者としての能力の高さは、この精緻な規則群の提示にある。

(ア)最下世代を基点とした家成員を基点とした家成員獲得過程を規制する規則群

指定される〈家連続者〉とは

 下の世代が上の世代に優先する

 ①の枠内で男子が女子に優先する。

 ①②の枠内で年長者が年少者に優先する。

   つまり第一に最下世代夫婦の長男子、第二に長女子、第三に最下世代夫婦のうち家連続者の弟、第四に最年長姉妹である。

   上記の可能性が不可能な場合は、家外から養子を求めるが、有力な家では血筋の中切れを嫌い分家から養子を求めるが、それは強制的な規則ではない。

   これは非血縁養子が最後の手段との認識を示している。

 

(イ)最下世代夫婦に事故が生じた場合の対処を規制する規則群

○次代家連続者長男が結婚後間もなく死亡した場合

 弟妹が家に残っていた場合、寡婦は生家に戻し、弟妹を家連続者に指定する。

 残っていたのが弟であり、死亡した兄と年齢差がなければ、寡婦と弟の結婚(レビレート婚)が指定される。

 弟妹も家に残って言いない場合は、婚入配偶者であった寡婦が、〈家連続者〉となり、あらたに婿を迎える。血筋としては〈中切れ〉になるがそれでも家は連続していく。

○息子を残して最下世代夫婦の夫が死亡した場合

 死者夫婦の息子を次の次の家連続者に指定したうえで、死者の弟ないし妹夫婦を〈中継ぎ〉として、息子が成人するまで家の運営を代理させる。息子の成人後、〈中継ぎ〉夫婦は分家を創設する[清水1987 211]

 

(2) 清水説の補足 寡婦・寡夫の再婚による家の継承

 

 

 清水説はフィールドワークに基づいて家の連続は、婚入者〈寡婦・寡夫〉を介しても実現されているという規則を提示した。婚入者〈寡婦・寡夫〉は家連続者としてあらたに配偶者を迎えることにより家は連続する。

〈家連続者〉は「婚入配偶者を迎えて家成員を増殖させるために、家がその内部に用意する家成員」と定義されるため、婚入配偶者たる嫁・婿は家成員であることを見事な論理で立証している。

 

この論点を補足すると、寡婦・寡夫の再婚による家や名跡の継承は歴史的モデルケースがある。

 

 

ア 畠山氏

 

畠山重忠未亡人北条時政女が岩松義純と再婚した例

 

畠山重忠は秩父平氏の嫡流、長寛二年(1164)に畠山館(現深谷市)に出生し、知勇兼備の武将として「坂東武士の鑑」とされた著名な人物であるが、元久二年(1205)北条時政後室牧の方の謀略により、嫡子重保が由比ガ浜で討たれ、重忠は二俣川で北条兄弟軍により討たれた。重忠の末子、弟による家門再興は許されず、平姓畠山氏は断絶、政子の命令で重忠の所領は没収されたが、承元四年(1210)重忠未亡人北条時政の所領は改易されないこととなり、この未亡人は足利義兼の次男、岩松義純と再婚し、畠山泰国を出生しており、畠山の名跡は泰国の子孫が継承、足利一門として室町時代には管領となる[福島1990]

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 イ 住友家

  婿養子が家外から後妻を迎え、その間の子孫が家業を継承した例

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 住友社史によると、家祖は政友であり、京都で書籍と医薬品を商う「富士屋」を開き長男の政以が継いだが、長女の婿となったのが蘇我理右衛門の長男理兵衛(16021662)であり、住友に改姓し、住友友以(とももち)と名乗った。実家より銅吹き業を持込み、実質住友財閥を興した人といえる。大阪に移転し代々銅精錬業として「泉屋」の家号を用いた。このため住友社史では蘇我理右衛門を元祖あるいは業祖としているのである。

 友以は岩井善右衛門女を後妻としており、実質的な家業は婿養子の友以と岩井間の子孫が継いでいる。しかし友以の母が政友姉であるから、住友家の血筋は女を介して中切れにはなっていない。しかし八代目で血筋が絶え岡村家から養子を迎え、十五代目に徳大寺家の子孫を婿養子としている[官2005 266頁]。

 

 日本の伝統的な家(単独相続)制度は、中国や韓国のように均分相続でないので、家族経営規模を保全して零細化を防止し、婿養子や非血縁養子により永続性が確保でき、家業・家職の継承に有利なだけでなく、住友家は婿養子が「持参金」代わりに製銅業を持ち込んだケースだが、経営能力のある婿を迎えて家業を興したり、養入により生家の家業を持参して事業を拡大できる等メリットが多く、ジォンダー論者のように敵視されるべきものではない。

 

(3)蒲生正男説

 

ア 中根-蒲生論争

 

社会人類学の概念を用いて初めて家・同族を定義したのは中根千枝(1926~東大名誉教授)である。中根は出自集団descent group(中根は血縁集団と訳す)を定義して、成員権が「正式の結婚による父母を前提とする出生によって決定され」、この成員権は「原則として‥‥個人の一生を通じて変わらない」としたうえで、日本の家・同族においては婿養子や養子が成員権を得ることと、養取や婚姻によって個人が所属を変えることなどから、同族は(父系)出自集団ではないとした[中根1970]

これに対して蒲生正男(19271981)は、この理解は人類学の常識を逸脱し、重大な誤解があり、偏見、空想であると批判した[蒲生1974]。

蒲生は出自を規定する要因として「出生のみに根拠をおくことは、実体の理解に適切ではない」「社会的に認知され‥ればそれで充分である」[蒲生1968]

嫁を家の「ムスメ」とする「『カマドの一体化原理』」[蒲生1970]や非親族を養子としてとり込む養取の方式ゆえ、及川宏や喜多野清一も理解していたように同族を出自集団と扱ってよいと結論し、蒲生は日本の伝統的家族を「単性家族unilateral family」、同族は「practicallevelで言うなら‥‥cognatic lineage‥‥ideallevelで言うならpatrilineageと規定」することができるとした[蒲生1968]

私はこの論争について次のように判断する。清水昭俊(1942~国立民族学博物館及び総合研究大学院大学名誉教授)[iii]が、中根説を批判し、厳密に父系出自集団といえるのは韓国の門中だけだと言い、日本の家・同族について準父系の出自形式を精緻な理論で説明し、家は家族というよりも出自集団と論じ、江守五夫(1929~千葉大学名誉教授)も中根説が中国の宗族について女性は婚姻の後も出生の宗族の成員としたこと重大な誤りと指摘し、韓国の門中(姓族)も婚姻後は夫族に帰属すると述べた[iv]。いずれも首肯できるのであり、中根説は重大な欠陥があるとみなすほかない。

 

 

イ 日本の家を単性家族と定義

 

蒲生は家族を「夫婦関係ならびに親子関係、もしくはその連鎖で結ばれた特定範囲の人たちからなる集団」と単純に規定した。

共住を条件としていないのは、レヴィ=ストロースに倣ったものだろう。世帯分離でも家族と規定できるのである。

そして親子関係が尊重されるか夫婦関係を尊重するかで、婚姻家族と親子家族というと変差を生み出すとする[蒲生1974]。

そのうえで「日本の伝統的な〈直系家族〉はunilateral familyであり、〈隠居制家族〉はconjugal unilateral familyであって、日本の伝統的家族の基本構造をunilateral なものとして理解しようとするものである。たとえば家の象徴として〈家名〉〈家屋〉〈家職〉〈家督〉などがあげられているが、これらの継承相続が一方の親からのものに限られているなら、その構造はunilateralというべきもの」[蒲生1975]つまり日本の家を単性家族と規定した。

この概念は、ミードやレヴィ=ストロースが批判した核家族批判説の議論のなかで登場した「単性家族unilateral family」「双性家族bilateral family」の類型論にもとづくものであり[上野1982]、蒲生は一方の親子関係をとりわけ優先的に尊重するものを単性家族、一方夫婦別産が顕著なら双性家族と認知しうるとする[蒲生1974]。

 

 

蒲生正男(1974)の家族類型論

 

lateral family

(親子家族) 

bilateral family(双性家族)‥‥アラスカ・エスキモーの家族

unilateral family(単性家族)‥‥日本の直系家族

conjugal family

(婚姻家族) 

bilateral family(双性家族)‥‥ オーストリア農村家族

unilateral family(単性家族)‥‥日本の隠居制家族

 

日本の直系家族は明治民法が理想として規定してきた家族形態であり、東北や北陸地方を中心に東日本に広く分布する。しかしもう一類型あり、夫婦関係を尊重する西日本の隠居制家族 でありconjugal unilateral familyと規定し、いずれも単性家族としているのである。

むろん蒲生が顕著な夫婦別産性とみなしているオーストリア農村とて夫婦同姓であり、たとえ夫婦別産でもキリスト教的な絆の強い夫婦倫理から、父系姓=ファミリーネームが西欧では普通だから、それが夫婦別姓の理由になるわけではないが、日本的「家」を単性家族と定義され、出嫁女が婚家に帰属する以上、夫婦同氏制が我が国の家族慣行に合致しているという根拠の一つといえるだろう。

 

ウ カマドの一体化原理

 

蒲生が夫婦を同一同族とする根拠としているのが「カマドの一体化原理」である。竈神の重要性は近年勝俣鎭夫[2011]も指摘していることであり、これは古典であるクーランジュのいう、アーリア人のカマドで燃える聖火は、祖先の象徴であり、その家の家族だけを守る守護神であるという観念と類比したものだと思うが、東北地方の慣習から論じており、根拠としている民族誌は少ないようにも思える。

 嫁は男の妻であるが、夫の親の「ムスメ」でもあるという論理は「カマド」で説明するより、徳川時代に女性は往来物で舅姑に従い、舅姑を親と思うように徹底的に叩き込まれたように、儒教的な家族倫理、あるいは婚姻儀礼から説明したほうがわかりやすいのではないか。

また「ムスメ」に擬制されることによって婚家に帰属するというのはまわりくどいと感じる人も多いだろう。嫁養子という言葉はないのである。

伝統的な農村の家族では初生子出産までの嫁の地位の不安定さあるとはいえ、日本的「家」において夫婦は家長-主婦の地位構成は必須のものであり、「ムスメ」とされなくとも、端的に主婦予定者として婚入配偶者であることにより婚家の成員であるという理論を展開した清水昭俊説のほうがスマートとはいえる。

 夫婦の一体化という論理は、伝統的に儒教的な夫婦斉一思想、偕老同穴のような倫理にもとづいているとしたほうがわかりやすいのではないか。

 そうしたことで、蒲生説は決め手にならないので、私は別の論理を構築することとする。

(途中未完)

 

 

Ⅳ 選択的夫婦別姓とは社会主義政策である

 

 ()  中国は元々夫婦別姓ではなかったが、宋家姉妹の例から一般に広まった

 

 中国では孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢、毛沢東-江青、劉少奇-王光美、習近平-彭麗媛というように夫婦別姓が伝統と思っている人が多いと思うが、この固定観念は間違いで清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではないと島村修治[v](『外国人の姓名』ぎょうせい1971年24頁以下)が指摘している

 もっとも伝統的な中国の宗族や朝鮮・韓国の門中においては、同姓不婚()という族外婚制と異姓不養の原則[vi]があるけれども。外婚規則と、社会的標識としての姓名とは別の問題ということである。

 島村によると清朝の姓名記載慣習は、女は結婚すれば夫と一心同体のものとして無姓無名の存在となり、一般の人々は〈何々家の奥さん〉、〈誰某の妻〉、〈誰某の嫁〉、〈誰某の母〉と呼びかたをしていた。

 王竜妻張氏、あるいは 王張氏(王家に嫁入した張氏の娘との意味)というふうに書いたという。

 中華民国の婚姻法(民法第1000条)でも夫婦は原則として同じ姓を称することになっていた。しかし実態としては1930年代以降、婚前の姓に字を添え、婚家の姓をかぶせ在り方が増加した。それは孫文-宋慶齢[vii]、蒋介石-宋美齢は原則に反するが、夫婦間の特約により婚前の旧姓を保持することも認められていたためだという。

従ってファーストレディーとしての宋家姉妹がこのモデルを普及させた要因とみられ、新しい慣行である。

 中華人民共和国では1950年5月1日公布の新婚姻法では、男女は平等であり互に独立した人格者であるとして、姓名についても「夫婦それぞれ自分の姓名を使用する権利をもつ」と定め、いずれの姓を選ぶかは当事者の任意とした。

 この法律のモデルはソ連である。

 

 () 夫婦別姓はソ連の1924年の法令に由来する

 

 

 島村氏によると(前掲書148頁以下)

 ア 帝政時代、妻は当然のものとして夫の姓を称した。

 イ 1919年の法典では、夫婦同一姓の原則により共通の姓を称するが、夫の姓か、双方の姓を連結した姓を称するかは、両当事者の自由とした。

 ウ 1924年11月の法令で夫婦異姓の可能性が認められ、同一の姓を称する義務がなくなった。(1926年に連結姓と第3の姓の選択を否定)

 1926年に事実婚主義を採用し、1936年の登録婚制度法定まで事実婚の時代といわれている。夫婦別姓はスターリン時代の事実婚社会にふさわしかったのである。

 以上のことから夫婦別氏ないし夫婦別姓というのはレーニンが死去した1924年のソ連の法令に由来する。それが1950年の共産中国の婚姻法に継受されたとみることができる。そして最高裁が我国でも継受させようとたくらんでいる。 

 最高裁に社会主義的立法政策(司法による立法形成)を推進してよいという権限があるというのか。

 

() 司法部が立法府をさしおいて社会主義政策を促進するのは三権分立に反する

 

私は、国政選挙では一貫して、選択的夫婦別氏導入に消極的とみられる政党、もしくは夫婦別氏に反対する国民運動を展開している日本会議に近い候補者に投票してきた。

  ところが、国民から直接選挙されているわけでもない最高裁判事が違憲判決により、このような国論を二分する事案につき、立法府をさしおいて勝手に政策形成を促すことになれば、これまで投票行動の意味を全て失う。噴飯ものであり、怒って当然である。国民をこれほどバカにすることはない。

  ドブ板を踏んで有権者に接し活動をしている国会議員こそが、国民の常識と乖離しない政策か否かを判断できるのであり、法制審議会答申の政府による実行を長年止めていたことは日弁連が主張するような怠慢ではなく、むしろ立派な見識だったのである。司法部による事実上の立法行為は、三権分立、民主主義をないがしろにするものとして糾弾されるべきである。[viii]

 

() 夫婦同氏制違憲は、唯物論的家族史観の勝利を導く

 

 むろん、夫婦別姓を推進している論者、それは女権拡張論者でありジェンダー理論、フェミニズムといってもよいが、日弁連女性委員会=社会主義者と言っているのではない。

しかし日本的「家」制度の残滓とみなされる、夫婦同氏制を潰す政策を後押ししているのは共産主義イデオロギーを信奉している勢力と考えられるのである。つまりエンゲルスの唯物論的家族史論[ix]は、嫁入婚と家父長制家族の成立が私有財産制の淵源であると同時に「世界史的女性の敗北」と称しており、逆に嫁入婚と家父長制家族に打撃を加え、女権の拡大により、事実上社会主義革命の展望が開かれるという理屈になるからである。男女平等やジェンダー理論は本質的に共産主義と親和的な思想なのである。

 もっとも、欧米の夫婦別姓運動は、女性解放運動のキリスト教への反抗であるとの見解もあり、それも基本的に正しいと思う。キリスト教の家族観では「正規の夫婦を重視し、嫡出子と庶子を厳格に区別する。この嫡出子は必ず父の姓を名のる、ここにファミリーネームの効力がある」「近親姦を防ぎ、正常な婚姻に基づく家族の財産を保護するという意味がファミリーネームにある」[加地1998]。

 むろん〈嫡出の原理〉は地位、財産の相続にかかわる重要な事柄だが、ファミリーネームの意義はそれだけでなく、寡婦扶養料(寡婦資産)を夫から与えられる権利があるという表明としての同姓という意味も歴史的にはあるだろうし、本質的にはキリスト教の夫婦一体の原則にもとづくものといえる。

 第Ⅰ章でも述べたように、明治民法の夫婦同氏()制は、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア等の法制を調査して、欧米で一般的だった夫婦同氏制つまり、父系姓のファミリーネームを継受したという側面もある[嵐義人1998[x]ので、その文明論的脈絡を述べたい。

初期スコラ学者は、結婚の目的として、生殖とならんで、淫欲(情欲)の治療薬としての意義を強調した。「もし自制することができなければ結婚するがよい。結婚するほうが情欲に燃えるよりも良いからである」(第一コリント7:9講談社訳)仮言命法的な結婚の是認である。

 12世紀の神学者ペトルス・ロンバルドゥスによれば結婚の秘跡は罪に対する治療薬であり、恩寵を仲介しないものとされたが、秘跡神学では婚姻の秘跡は結婚相手(男は女から、女は男から)から与えられるのであって[ウタ・ランケ・ハイネマン1998]、これは教会挙式主義を採用したトレント公会議以後のカトリック教会も神学的理念としては同じである。

 したがって夫婦道徳においては相手の性的欲求に応じることが義務なのである。夫の身体は妻のもの、妻の身体は夫のものである。婚姻非解消主義と相俟って夫婦の絆は強い。

 さらに伝統的な秘跡神学は(花婿)キリストと(花嫁)教会の統一を象徴するしるしとされ、花嫁は母なる教会に擬された。古代においてキリストの花嫁とは童貞女の奉献を讃えるものだったが、11世紀より12世紀の秘蹟神学の進展や、婚姻を教会裁判所の管轄権としていく過程で結婚について消極的でない意義付けがなされるようになり、人妻もキリストの花嫁に擬制されることなった。この趣旨では女性の立場は尊重されている。

 古典カノン法の婚姻理念は、教皇アレクサンデル三世(位1159-81)が決定的に採用した緩和的合意主義婚姻理論にもとづく、我は汝を我が妻とする。我は汝を我が夫とするというような現在形の言葉による誓約は、それ自体男女は対等の形式のように思える。また、古典カノン法は領主や父母の許可なく当事者の合意により自由に結婚できるのが特徴であり、恋愛結婚、友愛結婚を肯定しているので、婚姻非解消主義を別にして人類史上類例のない自由主義的な婚姻理念であり、ローマ法のように婚姻をマヌス(手権)婚のように権力関係とみなしてもいないし、ゲルマン法のようにムント権(支配権・庇護権)の父から夫への譲渡ともみなしているわけでもない(ただし現実の結婚は世俗法との混淆である)

 アナール派の歴史家フランドランによればはフランスで血族の概念が確立したのは1314世紀、父系姓の確立を14世紀としている[フランドラン1993]。日本の公家や武家の家名及び嫡子単独相続への移行が概ね鎌倉末期から南北朝、室町時代とされているから、だいだい同じである。

 教会法の近親相姦の範囲が拡大したのは1012世紀である。それは、教会が復讐や私闘を本質的機能としていた双系的な系族の連帯意識を弱めるためだった。13世紀から姓の出現に先行して現れた父系重視の傾向をうけて近親相姦の範囲は縮小したが、系族の絆が復讐にしても土地の権利にしても緩んだことと対応している。古典カノン法は1213世紀に整備されており、教会が系族の連帯より父系姓の家族への移行を促したと考えられる。父系姓(血族名)が今日まで続くファミリーネームである。

 このようにキリスト教的婚姻は男女対等な側面があるのは事実であるが、他方、創世記3章16節「なんじは夫をしたい、彼はなんじを治めん」という神の宣告は決定的だといわなければならない。

それは、神の宣告である以上、最も重要な規範的価値なのであって、しかも新約聖書において真正パウロは「男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(第一コリント11:3)「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきでない。女はまた男の光栄である。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(第一コリント11:7~9)。「婦人たちは教会で黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(第一コリント14:34)と教えている。

 

さらに新約聖書には家庭訓ジャンルがあって、これはペテロの第一の手紙と第二パウロ書簡(エペソ、コロサイ、第一第二テモテ、テトス)である。これこそが西洋文明世界の基本的な家庭倫理となっている。

 ここではペテロの第一の手紙の家庭訓は3章1節だけを取り上げる。

「妻たる者よ、夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく、清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるだろう。」

聖書学者の荒井献は次のように解説する。「『仕える』と訳されている‥‥のは夫の下に立ちなさい。夫に服従しなさいという意味です。(中略)もしもこの『同じように』が前の文脈の主人に対する奴隷の服従を受けるものとすれば、妻は主人に対する奴隷と同じように夫に服従せよということになります」[荒井1985]。

そもそも、ユダヤ・キリスト教西洋文明2500年の歴史は、バアルのような豊穣神、あるいは地母神信仰と闘争し、マグダラのマリアを評価するグノーシス派を徹底的に排斥し、女性にも地位を与えるカタリ派を異端として徹底的に弾圧し、15世紀から18世紀に魔女狩りで46万人を処刑した。この文明とは女性原理の徹底的な排斥だった。

重要なことは、近代市民社会も男権原理の文明であるということである。ナポレオン法典231条「夫は妻を保護し、妻は夫に服従する義務を負う」とある。ナポレオン法典には、父権、夫権、親族会議の力を示すものが多い。父権、夫権は近代市民社会において正当なものである。

ブラックストーンは『英法釈義』(1765)1巻15章婚姻の一般的効果としての夫婦一体の原則について次のように説明する「婚姻によって、夫と妻は法律上一人格となる。すなわち、婦人(woman)の存在または法律上の存在そのものは、婚姻中、停止されるか少なくとも夫のそれに合体され、統合される。夫の翼、保護、そして庇護(cover)の下に、彼女はあらゆることを行う。したがって、われわれの法律用フランス語では、feme-coventと呼ばれ、covent-baronすなわち彼女のbaronないし領主(lord)である彼女の夫の保護と権力のもとあるといわれる」。

夫は彼女のbaronないし領主(lord)様であるのだ。男性の地位が高いのでいまでは羨ましく思う。

ダニエル・デフォーは1724年「ロクサーナ」と言う作品でこう言っている。「結婚契約の本質そのものが、自由、財産、権威その他一切を男に委ねることにほかならない。結婚してしまえば、女は単なる女中にすぎない、つまり奴隷である。」 財をたくわえて独立の生活ができたのも結婚していない時だけ。娼婦や愛人のほうが自由な人間であった。 

 17世紀プロテスタントは、男は頭、女は身体、神は男性による女性の支配を神聖な秩序として定め給うたと牧師は説教した[久留島京子1989]。万人祭司の理念とは、家庭も一つの小さな教会であり、家長たる夫が小さな教区の主教であるということ、市民社会は男性に求心力のある家庭があってこそ成立したというべきだ。

私は、よくいわれる夫婦の一体感の基礎としてのファミリーネームの意義をもちろん認めるが、しかしそのような非イデオロギー的価値では、それはたんに観念論との別姓論者からの批判があるのでこの見解だけでは弱いと思う。

ファミリーネームとは、ここに縷々述べたような創世記3章16節「なんじは夫をしたい、彼はなんじを治めん」という神の宣告以来の西洋文明2500年の家庭倫理、夫婦道徳を体現したものとみるべきである。つまり文明的価値そのものである。わが国は、明治15年に妻妾制を廃止し、西欧的な一夫一妻、単婚家族の理念を継受したし、加えて戦後においては両性の合意にもとづく個人主義的友愛結婚の理念も憲法24条により継受したのであるから、この西洋文明の価値は、後述するように伝統的日本の家族にも認められる東洋の夫婦斉一思想、偕老同穴と醇風美俗とも相通じるものがあるゆえ、揺るがせにできないのであり、ゆえに、夫婦同氏制は合憲とされるべきである。

世界史的にみるなら、夫婦別姓などというのは、たかだかロシア革命以後の男女平等思想、社会主義思想や、1960年代末以降の女性解放運動、キリスト教家庭倫理への反抗、フェミニズム、近年のジェンダー理論という偏った価値観を前提としており、要するに2500年の重い文明史的脈絡をとるか、100年にも満たない新奇な思想をとるかという問題である。

私は、シリアのパルミラ遺跡爆破をニュースで見た。その意味は理解できる。旧約聖書で敵視されるバアルの神殿なのである。イデオロギーにもとづけば世界遺産の破壊も正当化できるのだ。結局、今回の夫婦同氏制の憲法判断も裁判官のイデオロギー、主観によって左右されることになる。これは非常にまずいことである。

嫁入婚や家父長家族を敵視するエンゲルスに親近感をもつ人が多ければ、結局唯物論的家族史観の勝利ということになるだろう。

私は、最高裁の構成をよく知らないがたぶん、石田和外とか三好達とかこの人ならまず安心だと思える人はいない。裁判官の身内的論理からすれば、同業者の日弁連女性委員会のメンツをたて夫婦同氏制を潰したい。もはや女性活躍法やポジティブアクションにより、社会的に威信のある地位獲得に有利なエリート女性は新特権階級である。新特権階級たる身内の利益に貢献することこそ裁判官の役割となる可能性が高い。それゆえ危機感が募る一方なのだ。

文献表

荒井献
1985「新約聖書における女性の位置」『聖書セミナー』第1号1985日本聖書協会発行 162頁以下 『新約聖書の女性観』岩波セミナーブックス 1988も同内容
嵐義人
 1998「姓氏・名乗、あれこれ」(『日本「姓氏由来」総覧』新人物往来社222頁)
井戸田博史
1986『『家』に探る苗字となまえ』雄山閣1986 
井上兼行・清水昭俊
1968「出雲調査短報」『民族學研究』33巻1号 1968
上野和男
1982「日本の祖名継承法と家族--祖先祭祀と家族類型についての一試論」『政経論叢』50巻5・6号
1985「日本の位牌祭祀と家族--祖先祭祀と家族類型についての一考察」『国立歴史民俗博物館研究報告』6号
ウタ・ランケ・ハイネマン
1996高木昌史他訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996 20頁以下
梅村恵子
2000「天皇家における皇后の地位」伊東・河野編『おんなとおとこの誕生4古代から中世へ』藤原書店
江守五夫
1990『家族と歴史民族学-東アジアと日本-』弘文堂1990
1993「日本の家族慣習の一源流としての中国北方民族文化」江守五夫・大林太良ほか『日本の家族と北方文化』第一書房1993
1998『婚姻の民俗-東アジアの視点から-』吉川弘文館1998
加地信行
 1998『家族の思想 儒教的死生観の果実』PHP新書
勝俣鎭夫
 2011『中世社会の基層をさぐる』山川出版社
蒲生正男
1968「《日本の親族組織》覚書-descent groupと同族について」『社』2 1968
1970「日本の伝統的家族の一考察」『民族学からみた日本―岡正雄教授古稀記念論文集』河出書房新社1970
1974「概説・人間と親族」『人間と親族』(現代のエスプリ80)
1974b「婚姻家族と双性家族-オーストリア農村のメモから-」『講座家族・月報3』
 1975「〈家〉の再検討を目ざして」『九州人類学会報』3 
官文娜
2005『日中親族構造の比較研究』思文閣出版2005年
金宅圭
2000『日韓民俗文化比較論』九州大学出版会2000
熊谷開作
1987『日本の近代化と「家」制度』法律文化社,1987年
クーランジュ
1924 田辺訳『古代都市』白水社1961、原著1924)

久留島京子
1989「市民社会の成立と女性論-メアリー・アステル」『史學研究』185, 1989
清水昭俊
1970「<家>の内的構造と村落共同体 : 出雲の<家>制度・その一」『民族學研究』 35(3), 177-215, 1970
1972「<家>と親族 : 家成員交替過程 : 出雲の<家>制度・その二」『民族學研究』 37(3), 186-213, 1972
1973「<家>と親族 : 家成員交替過程(続) : 出雲の<家>制度・その二」『民族學研究』 38(1), 50-76, 1973
1985a「出自論の前線」『社会人類学年報』vol.11 1985
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1987『家・身体・社会 家族の社会人類学』弘文堂1987
滋賀秀三
1967『中国家族法の原理』創文社1967 
シロコゴロフ
1924大間知訳満州族の社会組織」『満州族』(大間知篤三著作集6)未来社1982原著1924)
鈴木明日見
2013「ランゴバルド諸法における男子未成年者の婚姻 : リウトプランド王付加勅令128条、カロリング勅令140条を中心としてThe Marriage of Male Minor in the Lombard Laws : Based on the Article 128 of the Laws of King Liutprand and the Article 140 of the Laws of Carolingian」『駒沢史学』80 2013
ダニエル・デフォー
1724山本和平訳「世界文学全集10」集英社1981 379頁
谷口やすよ
1978「漢代の皇后権The Political Power of the Empress in the Han Dynasty」『史學雜誌 』87(11) 1978 
仁井田 陞
1952『中国法制史』岩波書店1952
中根千枝
1970『家族の構造-社会人類学的分析』東京大学出版会1970「日本同族構造の分析」
福島正義
1990『武蔵武士-そのロマンと栄光』さいたま出版会
J・Lフランドラン
1993森田・小林訳『フランスの家族』勁草書房


[i] なお、清水は「家督」という語を用いない、「家督」というと個人に私的所有のように相続・継承されるというニュアンスがあるが、むしろ「家」こそが主体で、「相続人・継承者」という範疇の者は存在しないという。

[ii]調査地の出雲では正月と盆の親戚を含めた仏祭祀は世代仏を主対象とし、世代仏は永久的に年忌が営まれる。「弔いあげ」によって集合的な先祖に融合することはなく、世代仏はいつまでも個別的存在であり死後三百年の年忌法要すら行われる。位牌は夫婦で1体であり、先妻・夫・後妻、先夫・妻・後夫の3人で1体の位牌もある。[清水1970]。

[iii]清水昭俊国立民族学博物館名誉教授は、日本の「家」を次のように定義する。

「家は家族というよりもむしろ出自集団、それも分節リネジ体系における最末端分節としてのリネジ団体に類比的である」[清水1980b 清水1987 219]

この定義は中根千枝説(日本の「家」が婿養子や非血縁養子が成員権を得ること等から(父系)出自集団ではないと定義)[中根1970]を理論的モデルをあてはめただけのエティックな定義であるとして否認したものであり蒲生正男と同じく、出自集団(descent group)と扱う見解をとるものである。

清水は厳密な意味で父系出自集団に該当するのは韓国の門中だけとしたうえ、むしろ原理原則どおりの構造は特異なのであって、エバンス・プリチャードやフォードを引いて、単系が原則の社会でも副次的に単系以外の関係による成員編成を指定する規則(キージングのいう規則の複畳)のある社会がほとんどだとする。[清水1985a]

つまりエミックなイデオロギーとして父系出自を強調する場合も、しばしば準父系(quasiagnatic )的な出自形式への傾斜を観察できる。集団を継続すべき父系親(agnatic)がない場合の、女性成員の息子という双系親(cognate)の登用を規則が規定し、あるいは許容する場合がある。古典的な事例はagnaticcognateの語の起源地である古代ローマおよびギリシアがそうだとする[清水1987 231頁]。

実は中国においても宗法に反するが贅婿と娘の子を跡取りとする場合が少なからずある。これは戦前の中支・北支の現地調査で明らかにされていることである。贅婿は日本の婿養子と違って家督相続者では全くない。宗法に反するので軽蔑された存在だった。従って中国は厳密には準父系である。

逆に言えば典型的な母系社会とされる台湾のアミ族も、婿取りが原則だが、それができない場合の嫁取りもあり、実は準母系なのである。

 父系出自構成の中国、朝鮮・韓国の宗族・門中と比較すれば、日本の家・同族は忠実に父系的でなく、せいぜい父系近似とはいえ、この相異は質的な懸差ではないとし、出自形式において日本の家・同族は、中国の宗族のような父系(厳密には準父系)出自集団と、ポリネシア的複系集団との中間に位置するとの見解である。[清水1987 233]

 

 

[iv]中根-蒲生論争で問題は、中根がdescent groupについて個人のメンバーシップは婚姻によって変更されることはないという理論モデルに固執していることが、文明国における常識と乖離していることにある。

清水は父系出自集団(厳密には準父系)において婚出入者が集団帰属を変更する事例として、古典的な事例としてギリシャ・ローマ[クーランジュ1924]、満州族(満族)[シロコゴロフ1924]を指摘している[清水1987 228]

しかしこの点は、漢族の宗族、朝鮮・韓国の門中においても、妻は夫族に帰属するのであって、中根の認識は誤っていることを厳しく批判する江守五夫の指摘[江守1990 212]がより妥当なものといえるだろう。

中根によれば、日本では嫁いだ女性は「父の同族集団から除外され」、嫁ぎ先の家の同族の一員となっており、それゆえ「夫婦は必ず同じ成員となっている」のに対して、中国では「夫婦がそれぞれ別のメンバーシップを持っている」のであって「女性は結婚後も父の姓をつづけ、夫の姓をなのらない」[中根1970としているが、中国は夫婦別姓の固定観念から、安易に別の夫婦別のメンバーシップとみなしているところが誤りである。

 

中国法制史の滋賀秀三がこの問題について詳細に検討しており「婚礼の挙行によって女性は確定的に夫宗の秩序に組み入れられる」あるいは「女性は結婚によってはじめて、自己の生死を通じてその一員となるところの家を見出す」と結論し[滋賀1967 2122頁、459頁以下] 、仁井田陞もただ一句だが「出嫁女は夫の宗族に加えられた」と断定的言明を行なっている[仁井田1952 188頁]。

韓国の門中については崔在錫が、韓国では『出嫁外人』という言葉が通用し、一度結婚をすれば、実家との往来の道が殆ど断絶するのが、いまだ農村での慣例と述べ[崔1963]、また金宅圭によれば、韓国では近親関係をあらわす語に「堂内」があるが、この場合婚出した女性は含まれないが、婚入した他姓の女性は実質上の成員とみなされるとして、婚入者は堂内成員との見解を示している[2000 104]。端的にいえば韓国において位牌は考妣対照の二牌をもって一組として子孫から祭られるのであるから夫族の成員たることは明らかである。

いうまでもなく伝統的な中国の宗族、朝鮮・韓国の門中は外婚制であり同姓不娶(同宗不娶)・異姓不要という規則、レビレート婚による再婚も否定されるなど、日本の家・同族と基本的な相違がみられる、しかしながら一方で、婚入配偶者たる嫁が夫家、夫族に帰属する点では実は同じなのである。文化的に共通な面についてもっと強調されてよい。

 この点については、江守五夫が日本の嫁入婚の習俗において、韓国や古代中国との共通点を指摘[江守1998 201頁以下]し、嫁入婚中世成立説という通説を否定し古代より嫁入婚習俗が存在したと説いていることでもある。

 ところでローマ法では家父長権はマヌス(手権)というが、ゲルマン法ではムント(mundius)という。妻子の支配権と保護義務である。婚約男性は婚資を支払うことにより、ムント権者から婚約男性に女性が引き渡され、男性が女性を収容することによりムント権の移転は完了し、初夜の翌朝夫が妻にモルゲンガーペ(morgingab) を贈ることにより婚姻行為は終結する[鈴木2013]。従ってムント権の譲渡は女性の帰属変更を意味する。

 なお朝の贈物(モルゲンガーペ)は家畜、武器、装飾品だが婚資とともに彼女の寡婦扶養料となるものである。ゲルマン法の要素は、教会挙式にとりこまれた。ムント権を花嫁の父より夫に引渡す儀礼は今日でも教会挙式のヴァージンロードの儀式として残っている。花嫁の寡婦扶養料の動産質が、金貨や銀貨であり、今日では指輪を与える儀式となり、終身的経済保障の質権を与えるからウェディングというのである。挙式での接吻にも意味があり、接吻のない場合夫が早死にした場合夫から財産分与されないとする地方もある。従って現代でも産業になっているウェディングの多くの要素は、ゲルマン法に由来する。

 

従ってギリシャしかり、ローマしかり、ゲルマンしかり、中国もそう。東洋であれ西洋であれおよそ文明圏において、女性は婚姻によって帰属を変更するものといえる。

 従って、中根の純理論モデルの定義では、世界で最も徹底した父系出自集団である韓国

の門中ですら、出自集団ではないことになるからで理論として破たんしている。

 もっともソ連の民族学者シロコドロフがツングース系のエヴェンキ族(狩猟とトナカイ遊牧を生業とする)は女性が出嫁後も、生まれた氏族に属し、父族の諸神霊を崇拝し続けるという[江守1993]。戦前の研究者なのでなお検証が必要だと思うが、成員権は「原則として‥‥個人の一生を通じて変わらない」とする中根の定義に合致するかもしれない。

 夫婦別姓推進論者の本音は、夫権を否定しや婚家への帰属を否定したいのである。そうすると夫婦別姓は日本人をエヴァンキ族化させる政策といえるし、文明圏からの逸脱といってもよい。

[v]法務省入国管理局職員(1971当時)

[vi]家族制度の本義として、祖先の祭祀はその血統の子孫が営むべきであって、異姓からの養子を嗣子とすると、その宗族を乱すと考えられたため、同一血族の同族の男子(厳密には昭穆制により同世代の)を養子とする。異姓は養子に迎え入れない。なお、正確にいうと華北・華中では、同姓父婚でなく同宗不婚、伝統的な韓国の門中は同姓同本不婚である。(なお、中華人民共和国では宗法を封建制度として否定している、韓国では1997年同姓同本不婚が違憲とされ、2008年に戸主制度と戸籍が廃止され新しい、新しい身分登録制度に移行している)

[vii] 宋慶齢は1927年にソ連にて共産党の支援を仰ぐためモスクワに行っており、共産中国の国家副主席でもある。

[viii] 民主党政権千葉法相時代に法改正が行われそうになったが、日本会議が大集会を行なって抵抗したし、結局不人気な政策を強行できなかったのであり、それを最高裁が肩代わりしてやってあげるというのはおかしい。

[ix] エンゲルス/戸塚訳『家族・私有財産・国家の起源』岩波書店1960戸塚訳は次のようにいう。

 「原始社会には。生産力や技術からみて、集団的土地所有と集団労働が必要不可欠であり、生産物も共同で所有していたから、貧富の差はさほどなかった。生産力の発展によって、より多くの生産物が蓄積されるようになると、その生産物を財産とする私的所有が生まれてくる。

  さらに、私的所有物を、確実なわが子に継がせるために、夫は妻を自分の家屋に住まわせる嫁入婚とし、夫婦と子どもと奴隷で構成される社会的単位としての家族が生まれた。財産所有者は夫だったから、家長が奴隷を支配するように妻も子どもも隷属させる家父長制家族として成立した。世界史的女性の敗北である。そして家父長どうし奴隷の反乱防止と相互の利害調整のために、法と軍隊をそなえて国家を作りあげる。家族・私有財産・国家は、こうして歴史的に誕生した。」

[x] 「明治三十一年民法の夫婦同氏は、ドイツ法継受の結果として生じたものである‥‥キリスト教文化圏であるヨーロッパ社会は、夫婦一体の原則が貫かれており、夫婦同姓が一般化していた。英語ではMr.に所有を示すsをつけたのが夫人の称号であり、ミセスの次には夫の性を用いた。


 

2015/10/07

今更感と、それがなんだ感

 高齢者の受賞は今更感がある、漢方と西洋医学の融合とは何かよくわからなかった。一転し物理学賞は実用的でない純科学に移り、またニュートリノかいという感じ、素粒子しかとりえがないのかと思った。今回はさめてみている。川越高校とか関係者だけが喜べばいいでしょ。この人は、自分より一学年上ですね。ほとんど同じ年だが、自分はぺいぺいのひらだからあまり面白くない。

下書き 婚入配偶者の婚家帰属の立証(i2)

「家」の成員交替の規則(清水昭俊説) (略)

日本の「家」の歴史的経緯(略)


近世史の大藤修によれば
「日本の家は単なる個々人の集合体ではなく、個々人を超越し、個々人を折々の質料とする。形式的・永続的な機構としての性格をもつ。そして、それ自体の社会的機能(家業=家職)、それ自体の名(家名=屋号)、それ自体の名誉(家名・家柄)、それ自体の象徴(家紋)、それ自体の財産(家産)、それ自体の先祖、それ自体のしきたり(家風・家法)を有し、折々の代表者(家長)を有した」(『新体系日本史2 法社会史』水林 彪, 新田 一郎, 大津 透, 大藤 修編 山川出版 2001 大藤修 「幕臣体制の成立と法」283頁)とする。 このような集合体は世界的に類例のない特徴のあるものとてある。シナの宗族は日本の「家」のように家業・家職を継承するものではない。小槻氏の官務世襲は、11世紀末からだが、小槻氏は壬生家と大宮家に分かれ、大宮家は戦国時代に断絶するが、壬生家は江戸時代まで家職を継承していたから実に700年以上、そんなことをいってしまえば摂関家はざっと1000年ということになるだろうがこのような歴史は外国に類例を見出すむことができず思いつかないのである。
 とはいえ「家」は戦後民法改正で大打撃をうけた。しかし 社会人類学の大御所清水昭俊(国立民族博物館名誉教授)によれば農村において、「「家」は一個の自律的経営体であり、土地を所有し用益する主体であり、その所有・保有にかかる土地の経営は経営体としての統一的意思の下に行われ、家成員はそれを分担して担う集団を構成している。」(「<家>の内的構造と村落共同体-<家>制度・その1-」『民族学研究』35巻3号1970)としているがいうまでもないことである。

 清水昭俊は日本の「家」を次のように定義した。
「家は家族というよりもむしろ出自集団、それも分節リネジ体系における最末端分節としてのリネジ団体に類比的である」『家・身体・社会』弘文堂1987年
 つまり「分節リネジ体系における最末端分節としてのリネジ団体」が「家」である。リネジは「系族」とか「世系」などとも訳される。
 夫婦別氏推進論者は現行法では、氏に親権・扶養・相続の権利や義務を結び付けておらず、そのような意味で家名を表象するものではないから、もはや家名ではない主張するが、婚入配偶者は「家」の成員であり、一代一夫婦の系譜の連続が「家」であるから、氏は「家」=「最末端分節としてのリネジ団体」名として国民の大多数が認識し、そのような秩序、構造にある以上、その「リネジ団体」の成員である夫婦が同一氏を冠称することは、社会的標識として妥当なものである。(続く)
 、

2015/10/04

下書き 婚入配偶者の婚家帰属の立証(1)

 夫婦別姓推進論者の法制史家井戸田博史は、現行法では、氏に親権・扶養・相続の権利や義務を結び付けておらず、家名を表象するものではないという。戦後民法改正により「家」が廃止されたのであるから、氏から「家」が払しょくされ、家名の性質はなくなった。氏は個人の同一性を表す「個人の呼称」となったと主張する(井戸田博史『『家』に探る苗字となまえ』雄山閣1986 34P)
 明治民法の「妻は婚姻二因リ夫の家に入ル」との条文もなくなったのである。また夫が妻の氏を名乗るあり方も「家」制度の婿養子、入夫婚姻の名残りにすぎないとする見解がある(滝沢聿代「選択的夫婦別氏制」『成城法学』43 1993)。(婿養子とは家督相続者として男性が他家に婚入するものであるが、今後、家制度は解体したのだからも家長予定者として迎える必要もなく、夫婦同氏の理由もないと主張される可能性がある。そうするとシナの「贅婿」のような、たんに添え物になってしまう危険性をはらんでいる。婿養子の贅婿化は男性の尊厳を著しく棄損するので重大問題である)。
 総じていえば、別姓推進論者は、夫婦同氏制度が家制度の残滓としてとらえ、家を完膚なきまで解体するために、夫婦別姓の導入を意図している。またさらにすすんで戸籍を廃止し、新しい身分登録制を導入することを意図するグループもある。
 
 しかしこれは、国民の一般的意識と著しくかい離するものである。一般的には、実定法上の家長ではなくても、日本的「家」慣行として、夫が家長、妻が主婦という地位ので継承されるものと認識しており、父から子に家を継ぐ実態もある。それは家督・家産、生業の基礎となる社会関係・権利などである。
 もちろん戦後の民法改正で、家督相続から分割相続となり、男性は公的な戸主権を喪失し非常に弱い立場となった事は勿論重大なことであり、日本的「家」慣行は著しく変質した。家長、長男の威信の失墜は著しい。
 もっとも大きな変化は嫡子単独相続の崩壊であった。
 小農民は、17世紀後期以降、幕藩領主が百姓経営維持のため分地を制限し、田畑、屋敷、家名、家業、祖先祭祀が一体となった単独相続が一般化した(大藤修「村と町」水林・大津ほか編『新体系日本史2 法社会史』山川出版社2001 305p)とされるのであるから、300年に満たないのであるが、武家の嫡子単独相続への移行は、鎌倉末期から南北朝にはじまり、室町期に一般化したとされ、貴族社会はやや早く財産の単独相続は13世紀中盤にはじまり、南北朝期に一般化したとされる(西谷正浩『日本中世の所有構造』塙書房2006年)。概ね14世紀とみてよい。つまり600年~700年の慣行の崩壊である。
 しかしながら単独相続と実定法上の家制度の崩壊によって、日本的「家」がなくなったわけでは全くないのである。(つづく)

夫婦同姓は合憲でなければならない理由 アウトライン修正1


 鈴木・佐藤・田中・山本‥‥という社会的標識は姓とも氏とも名字とも苗字とも呼称され、いずれでもよいと思うが、法務省は氏と称しているので民法750条を夫婦同氏制と表記するが夫婦同姓でも間違いではない。
 私は現行の民法750条を堅持すべきで、婚入配偶者(嫁・聟)の氏の婚家呼称とするこの秩序は我が国の重要な社会規範であり、日本的「家」を敵視する勢力による秩序紊乱に強く反対なので、絶対的に維持されるべきと考えるから、法制審議会答申に基づく選択的夫婦別姓の導入に全面的に反対である。
 ゆえに私は、国政選挙では一貫して、夫婦別氏導入に消極的とみられる政党、もしくは夫婦別氏に反対する国民運動を展開している日本会議に近い候補者に投票してきた。
 ところが、国民から直接選挙されていない最高裁判事が違憲判決により、このような国論を二分する重大な事案につき、国会議員をさしおいて勝手に政策形成を促すことになれば、これまで投票してきたことの意味を全て失うので噴飯ものである。
 どぶ板を踏んで活動をしている国会議員こそが、選挙区国民とじかに触れ、国民の常識とかい離しない政策か否かを判断すべきなのであり、法制審議会答申をの政府による実行を長年止めていたことは怠慢ではなく立派な見識だったのである。国会をさしおいての司法部による事実上の立法行為は、三権分立、民主主義をないがしろにするものとしして糾弾されるべきである。
 したがって夫婦同氏制は合憲とされるべきと考えるので以下、その理由を述べる。

一、明治民法起草者で夫婦同性を強く推進したのは、もっとも進歩的だった梅健次郎であり、その立法趣旨は今日においても全く妥当なものである
要約すればそれは(一)日本の「家」制度、慣習に合致する(二)欧米の単婚家族ファミリーネームの継受というこである。

 (一)嫁女は婚入配偶者として夫家に入るのであるから夫婦同氏が日本家族慣習(日本的「家」制度)に合致しているとの見解は正しい。次のように明治期には、漢土法に倣って夫婦別氏とすべきという一部の意見に強く反対し、日本はシナとは違うとはっきり言っている。

梅謙次郎の法典調査会での発言「支那ノ慣例ニ従テ、妻ハ矢張リ生家ノ苗字ヲ唱フベキモノト云フ考ヘガ日本人ノ中ニ広マッテ居ルヤウデアリマス〔ガ〕‥‥之カ日本ノ慣習少ナクトモ固有ノ慣習テアルトハ信シラレマセヌ、兎ニ角妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ」

1 婚入配偶者の婚家帰属は揺るがせにできない社会規範である 
 
 今日の社会人類学の成果によれば、日本において婚入配偶者である嫁は夫家の主婦予定者として、聟は家長予定者として迎えられ婚家の成員となるのであり、家は夫婦の系譜の連続体なのである。嫁入(嫁取)婚において出生集団から離れ、婚入集団に入ることは、ギリシャ、ローマ、漢族の宗法、満州族、韓国の門中も同じことであるが、氏(苗字)が家名として認識される(厳密にいえば家名は、同姓の多い村落では、固有の門名、屋号であって氏ではないが、この場合でも門名は地縁社会での呼称であるのに対し、広く世間一般に対しては氏(苗字)が家名ともいえる)以上、呼称の秩序として定着している夫婦同氏は重要な社会的標識であり、ノイジーマイノリティにより破壊されるべきものではない。

 婚家帰属性の立証。中根-蒲生論争、清水昭俊説、蒲生正男説、江守五夫説、
白無垢・色直し


2 夫婦別姓推進論者の「家」制度解体の意図は日本の文化を致命的に破壊する

 (1)「家」制度は日本の文化の核心であるから、夫婦別姓は国体破壊に挑戦するようなもの

 (2)夫婦斉一思想、偕老同穴等、夫婦規範、家族倫理を根底から破壊する


3 社会人類学の清水昭俊説によると日本の「家」は家族というよりも出自集団、リネジ団体であり、「準父系」という固有の規則性によって成員を交替させるのである。婚姻に圧倒的に女性が婚姻によって氏を変えるケースが多いのは、それが出自形式であり社会構造である以上当然のことであり、「準父系」の出自形式は11世紀に遡る規則性であり、1,000年の歴史的経緯のある出自形式を実質的不平等

と糾弾する夫婦別姓論者は非論理的である。


4 夫婦別姓普及による著しい弊害

 夫婦別姓により婿養子が家長ではなくてシナの「ぜいぜい」のような単にそえものになる。あるいは台湾のアミ族のような社会に変質する。これは男性虐待型到来といえる。。

5 無夫権を主張し婚家に敵対的な配偶者が夫より法定相続の権利を得るのは法的正義に反する


 (二)欧米の婚姻家族ファミリーネームの継受    明治民法の夫婦同氏は欧米の婚姻家族のファミリーネームを継受したというのも立法趣旨の一つの側面もあることはいうまでもない。
 西欧の結婚理念の継受は、明治15年に妻妾制を廃止したことでもあきらかである。西欧では、13~14世紀以降、父系の家名(父系姓)が慣習となり、キリスト教の夫婦の羈絆性の強い結婚理念ともあいまって、夫婦同姓が定着し、ファミリーネームと称されるのである。今日でも先進国は夫婦同姓が通例である。そもそも近代友愛結婚というのも、古典カノン法の合意主義婚姻理論を淵源とし、花婿キリストと花嫁教会の一致というアナロジー等により、結婚がサクラメントであり神聖とされたのである。夫婦一体性を強調するキリスト教的婚姻理念、西洋文明的脈絡の結婚観も我が国でも理解され、したがってファミリーネームも受け容れられている。  つまり、夫婦同姓は日本的家制度に合致する社会的標識でもあるが、北西ヨーロッパ的な単純世帯(核家族)の友愛結婚にも合致する制度であり、今日の我が国で広まっている結婚のあり方(伝統的「家」継承ではなく、愛情を基礎として夫婦の伴侶性を重視する結婚)にも合致している。
 しかし私は夫婦別姓反対論者がよくいう、家族の一体感を損ねるという理由に問題点を感じている。敵方からそれは観念論だと一蹴されるからである。
 敵方はファミリーネームに夫権、妻は夫に従う価値観を看取し反対しているのである。とするならば、私が擁護すべきは西洋文明規範としてのこの価値観なのである。むろんキリスト教はローマ法のマヌス権(夫権)のような権力関係として婚姻を規定するものではないし、ゲルマン法のムント権とも違うが、新約聖書の家庭訓ジャンルは、家族倫理は文明的価値であり、それに対し男女平等は、戦間期以降女性解放は半世紀ほど前から、ジォンダー理論は比較的近年の流行した思想にすぎず、それにって西洋文明2500年の価値観を転覆させることはとんでもない間違いだということわ主張することとする。

二  夫婦別姓旧慣習説は否定されている

2015/10/03

下書き(一)1 総論 2

一)夫婦別姓推進運動は日本的「家」慣行を敵視し、婚入配偶者たる嫁女の婚家帰属性を否定することを目的としており、我が国の社会構造を根底から揺るがし、「家族」慣行に大混乱をもたらす。

1.社会構造としての婚入配偶者の婚家帰属の実証


 夫婦別姓の是非は、婚姻家族のあり方にかかわる重大な問題である。法制審議会や夫婦別姓推進論者は、夫婦同姓を家制度の残滓として攻撃しているのである。大阪第二弁護士会にいたっては、選択的夫婦別姓でなく夫婦別姓を原則とすべしとまでいうのである。しかしこれは、国民の一般的意識と著しくかい離している。 確かに戦後の民法改正で分割相続となったため、嫡子(長子)単独相続の「家」は崩壊した。男性は公的な家督(家長)ではなくなったために地位は著しく低下した、長男の威信も失墜した、夫権も著しく侵害されている。今ではイクメンになって女性の地位向上に参与しなければ逆賊よばわりされる時代になった。
 しかし、夫婦の連続体としての家は存在している、家の祖先祭祀も、出自形式も戦前と基本的に同じであり準父系である。嫁入婚の習俗(白無垢・色直し)も今日でも慣習として一般的なものである
 家業・家職の継承もある。二世議員などもそうである。分割相続により変質したとはいえ日本的「家」慣行は存在するのである。にもかかわらず、核家族化を否定しない。今日でも我が国の最も一般的な家内的集団(ドメスティックグループ)は「核家族」である。しかしながら「核家族」も「家」と称することができる。現実に父系出自の苗字、○○家と称されるのが普通だからである。

 夫婦別姓を推進する日弁連などは要するに、夫婦同姓や戸籍を家制度の残滓とみて、これを廃止することにより家制度にとどめを刺そうとするものである。すでに韓国では2008年1月11日に戸籍制度が廃止され、新しい身分登録制となっており、ここで夫婦同姓違憲となれば日本も韓国のようになるだろう。

2015/10/01

下書き(一)1 総論1


(一)夫婦別姓推進運動は日本的「家」慣行を敵視し、婚入配偶者たる嫁女の婚家帰属性を否定することを目的としており、我が国の社会構造を根底から揺るがし、「家族」慣行に大混乱をもたらす。

1.社会構造としての婚入配偶者の婚家帰属の実証

 鈴木さん、佐藤さん、山本さんといった社会的標識(姓とも、氏とも、苗字ともいう)は、家名といえるのだろうか、民法起草者の梅健次郎は「妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ」と言って、漢土法のような夫婦別姓には反対した、家名とみなしているようだが、家に入るというのは、同じ親族集団ないし同じ家内的集団への帰属という認識ともいえそうである。
 もっとも、同族が集住している農村の場合、苗字は固有の家名にはならない。本家と分家を区別できないのである。また苗字が公称できなかった時代もあるので、厳密には家名は固有の「門名」で区別する(出雲地方の場合)ものである。しかし、家の成員は同一姓であるから家名というとらえ方でも誤りではないと思う。
 妻が夫家(婚家)に入るとは、本来は夫家の家督に従う、夫権に従う、舅姑に仕えるということだろうし、私はそうあるべきだと考えるが、家督相続がなくなって、核家族化が進んでいる今日においては、たんに、婚家の成員となる、同じ親族集団、家族となる。同一の家内的集団(ドメスティックグループ)となるというとらえ方もをしてもさしつかえないだろう。

 一方、夫婦同姓は西欧で13世紀以降普及した父系姓の夫婦同姓を継受した側面も多分にあるのでファミリーネームともいえる。典型的な日本的「家」とは違う、北西ヨーロッパのライフサイクルサーバント(子供は思春期に家を出て、他家の奉公人となり、技能を体得したのち、結婚して小屋住となる、小農は、日本のように親子で力をあわせて働くのではなく、赤の他人である年季奉公人をこき使って経営するので、複合家族にはならない)の単純世帯=核家族でもファミリーネーム(夫婦同姓)なのであるから、同一家内的集団の標識ともいえるのであり、夫婦同姓を「家」制度に残滓とだけとらえるべきではない。


 したがってこれは親族構造にかかわる問題なのであるから、人類学の理論を無視して論じられる事柄ではない。この点で最も適切な社会人類学者として清水昭俊の学説から検討する。

 私は日本的「家」制度を悪しきものとみなす法制審議会や夫婦別姓論者の見解に反対であるが、社会人類学でいう「家」とは部族的分節リネジ、ポリネシアのラメジ=円錐クラン、インド・中央・東アジアのリネジのことある。(清水昭俊『家・身体・社会』弘文社1987) (つづく)

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