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2015/11/23

民法750条・夫婦同氏(夫婦同姓)制は合憲とされるべきである 下書きその4(選択的夫婦別氏・夫婦別姓絶対反対)

D 夫婦別姓論者は一夫一婦夫婦斉体思想を崩壊させる

 

(A) 一夫一婦の婚姻家族の理念の基盤は夫婦斉体思想である

 

西洋では「これこそついにわたしの骨と骨、わたしの肉と肉、彼女は女とよばれることになろう。彼女は男より取られたのだから」(創世記2.23)に根拠があった。女はそもそも男の肋骨からつくられた分身だった。だから男は妻と結びつき、彼らは一つの肉となるという思想から派生したものである。

既に述べたとおり東洋においても「妻は家事を伝え祭祀を承く」戸婚律二九条疏「夫れ祭なるものは、必ず夫婦これを親らす」『禮記』祭統といった「婦女雖複非丁、拠礼与夫斉体」(名例律二七条)と、夫婦斉体=一体思想がある。

『儀禮』『禮記』によれば、婚姻によって、嫡妻たる女は、夫と同一の身分になる。それは夫の宗廟社稷につかえるためという思想であり、夫婦は祖先祭祀において祭り祭られる存在ということになる。日本的「家」でも夫婦は一対の位牌となって子孫から年忌供養される。仏教との混淆があるとはいえ、基本的に同じことである。

婚姻家族はあたりまえだと思っている人が多いだろうが、大きな間違いだ。人類学者は父と母がいて子供がいる家庭が普遍的なものでは全くないと言っている。父という地位のない家族が存在するのだ[i]。したがって実は婚姻家族というものは、夫婦斉体思想という文明に強く根付いた価値観に支えられて存在するものといえる。夫婦斉体思想の女性の自立などいう新奇な思想はない。逆に言えば夫婦別姓論者の主張する夫婦斉体を引き裂く価値観に持ち込まれると、案外脆弱な性格をもつものなのである。

もっとも夫婦斉体思想は東洋と西洋では違いがある。キリスト教は終末論宗教なので、祖先祭祀を否定し、婚姻非解消主義という極論に達した。結婚を生殖目的から解放した。「‥‥子どもを産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いである」(ルカ23・29)とイエスは不妊の女を讃えたし、パウロは淫らな行為を避けるための結婚を認め、中世の秘跡神学にいたっては、結婚は花婿キリスト、花嫁教会の結合を象徴するものとなり、結婚はたんに自然的結合ではなく、宗教的愛の結合にまで昂められたのである。

一方、12世紀の聖ベルナルドゥス(教皇や国王に指図できる超大物)が霊的結婚と肉体的交わりのない純潔の愛を賞揚した。修道女はキリストとの霊的結婚を誓い、ベルナルドゥスに対抗したアベラルドゥスは弟子のエロイーズとの恋に反対され、局部を切断されたが、彼女は女子修道会に入って互いの純愛を貫いた。西洋人の結婚に愛とロマンの感情が強く流れているのはこうした伝統によるものである。ス

しかも12世紀にアベラルドゥスの弟子でもあった教皇アレクサンデル3世が決定的に採用した合意主義婚姻理論は、結果的に個人の心理的充足を目的とする結婚のあり方を促し、個人主義友愛結婚の基盤となった。

しかも古典カノン法は、親権者や領主の承認や身分を問わず2人の証人により合意主義により容易に婚姻が成立するものだったため、自由な結婚理念とりわけ秘密結婚を助長したが、古典カノン法や秘跡神学は純粋な愛による結婚を肯定するのである。このために教会は数世紀にわたって世俗権力と闘争を続けた。16世紀ガリカニズムのフランスが教会婚姻法から離脱し、国王による法制としたのが、婚姻法の還俗化の嚆矢であるが、その理由は、親の承認を結婚の要件とすべきとするフランスの主張をトレント公会議が拒否したためだった。

我が国は、東洋からも西洋からも夫婦斉体思想を受容した。明治15年妻妾制の廃止により西洋の単婚理念を継受したといえるし、戦後の憲法24条からキリスト教的思想に基づく合意主義婚姻理論を継受したといえるからである。(もちろん、我が国においても家と家との取り決め結婚以外に、まず当事者の合意があり、仲人が両家を仲介するという2つのタイプがあったのだから、合意を基礎とする結婚の形態は西洋だけのものではない)

 

 

B)明治民法は家族共同体のファミリーネームを欧米から継受したという側面がある

 

 冒頭に述べたように明治民法の夫婦同氏も我が国の慣習に合致していたという面があるが、立法趣旨のもう一つはドイツ、オーストリア、スイス、イタリア等欧州諸国の法制をモデルとしたとされており、西洋の法制を継受したという側面も大きい。

 夫婦の一体性の強い、家族共同体のファミリーネームが継受されたのである。それは、日本の「家」と欧米の家族共同体が近似的性格を有するので受容されたと理解することができる。

 日本の社会学では、欧米の婚姻家族との対比において日本の「家」の独自性、特殊性を強調し、封建的、前近代的なものとして否定的する傾向が強いが、レヴィ=ストロースの「家社会」の研究により、日本の「家」に類似するような社会制度は世界各地に存在していることがわかってきた。レヴィ=ストロースは次のように「家」を定義する。「物質的および非物質的財から構成される財産を保有する法人であり、この法人は現実の系あるいは想像上の系にそって、名前、財産、称号を伝えることを通して永続する。この連続性は親族関係または姻族関係の言葉において、たいていはその双方の言葉において表現されている限り正当なものとみなされる」。また家は成員権が出自規則によって明確に定められているクラン、リニィジより家はある程度融通性があると説明されている[小池誠2005]。

 したがって「家」は特殊なものではないし、排斥される理由も実はない。人類学の大御所清水昭俊は、清水盛光、川本彰、リーチを引いたうえで日本語の「家」と欧語のfamilyは近似したものとの認識を示している。

「家内的親族集団とりわけ家族を内包とし、家内的集団[ii]と親族的機能集団を、あるいはさらに機能的親族集団が何らかの機能的関係(一族としての連帯関係など)に取り込むことのできる範囲の(遠い)親族を外延とする概念」を表す用語として日本語では「家」、欧語の再広義でのfamilyないしその同系語、あるいはhouseないしその同系語が適当」としている。

 夫婦同氏姓制はドイツ法の継受ともいわれるが、英米も慣習は夫婦同姓が慣習である。実際ヒラリーはかつて弁護士として生家のローダム姓を名乗っていた。保守的なアーカンソー州の選挙民は別姓を不快とみなし知事選で夫が負けたである。そこで本心ではないが選挙のためにクリントン姓にしたのだという。フランスは、アンシャンレジーム期より夫婦同姓を女性の権利としている。結婚した女性が寡婦となっても終身的に経済保障されるためには、夫姓を名乗る必要があるのは当然だろう。総じて言えば欧米は夫婦同姓であり、欧米で別姓を主張するのはキリスト教文明に対する反抗であり跳ね上がりである。

 我が国でも明治民法施行前の実態も、夫婦同氏が大勢だったが、折井美耶子[2003]が発掘した資料によると西欧式を意識していた側面もうかがえられる。明治24年8月創刊の『女鑑』(教育勅語の精神を女性に徹底する国粋主義的婦人雑誌)では「土方子爵夫人亀子」「高島子爵夫人 春子」「土岐夫人 理世子」などとなっており、田辺龍子が明治21年に発表した小説『藪の鶯』では「レディ篠崎」「ミスセス宮崎」と呼びかけている。

 明治初期に女性の新しい生き方を模索して格闘した女性たち、岸田俊子は明治18年に結婚して中島俊子に、景山英子は明治18年に結婚し福田英子に、星良は明治30年に結婚して相馬良となっている。進歩的な女性たちを含め夫婦同姓だったのである。

 この点につき折井は「○○夫人と呼ばれることで夫と一体化するように感じて、旧時代なはない新しい家族像を実感していたのではなかろうか」という。

 戦後の憲法24条で合意主義を継受したのだから、より一層西洋文明の結婚観に近づいたのである。したがって24条に合致するのは夫婦同氏制なのである。



[i]その例証として南インドのナヤール族がよく引用される。ナヤール族の女はその兄弟・姉妹・母親・母方オジとともに住み、彼女の夫は夜だけ訪ねてきて朝食前に帰っていく(蒲生1974)。母系大家族(タラヴァード)制だが男尊女卑で、最年長男子が家長として権威をもっている。しかしそれは父ではなく母方オジなのである(清水1987)

 ナヤールの子どもは自分の父を知っているが、父は大家族の成員ではない。父という地位のない家族が存在するのだ。夫が同一カーストでない場合は食事は許されない。要するにセックスだけの夫なのである。

 また下位カーストの夫と通じる女は処刑又は追放されるが、男女とも性的権利を独占しないので、同時に複数の異性を夫・妻とすることができる。ガフは「集団婚」と称している。 

 厳密な定義な定評のある清水昭俊[1987 18]は、家族の構造的定義は困難とする。

[ii] 結局、家族は不確定概念ということになるが、清水昭俊は親族集団と家内的集団の重複の具合で、家族的事象を類型化している。

 社会人類学で家内的集団(domestic group)とは、「成員の身体的相互行為をその内部で行わせる集団」として定義される[清水1987 48頁]。、一般に排便、放屁、あくび、居眠り、入浴を他者に曝すことは恥であり、礼儀として公的領域は一定の身体的相互行為を排除するが、それを内部で行わせるという意味のようだ。

 家内的集団=家族なのではなく、親族的に構成されると家族といえるのである。

折井美耶子

2003「明治民法制定までの妻と氏」『歴史評論』636 

蒲生正男

1968「《日本の親族組織》覚書-descent groupと同族について」『社』2 1968

1970「日本の伝統的家族の一考察」『民族学からみた日本―岡正雄教授古稀記念論文集』河出書房新社1970

1974「概説・人間と親族」『人間と親族』(現代のエスプリ80)

1974b「婚姻家族と双性家族-オーストリア農村のメモから-」『講座家族・月報3

 1975「〈家〉の再検討を目ざして」『九州人類学会報』3 

4 2005「序言 「家社会」とは何か(特集 アジアの家社会)」『アジア遊学 74 

清水昭俊

1970<>の内的構造と村落共同体 : 出雲の<>制度・その一」『民族學研究』 35(3), 177-215, 1970

1972<>と親族 : 家成員交替過程 : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 37(3), 186-213, 1972

1973<>と親族 : 家成員交替過程() : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 38(1), 50-76, 1973

1985a「出自論の前線」『社会人類学年報』vol.11 1985

1985b「研究展望「日本の家」『民族學研究』50巻1号 1985 

1987『家・身体・社会 家族の社会人類学』弘文堂1987

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