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2015/11/15

民法750条・夫婦同氏(夫婦同姓)制は合憲とされるべきである 下書きその3(選択的夫婦別氏・夫婦別姓絶対反対)

法律論だけではなく人類学、民族学、法制史、倫理学、歴史すべてを結集していく方針だったため、まだ未完成なのは遅すぎて大失敗、無責任のそしりをまぬがれないが、無意味には終わらせたくないので、カウンターレポートとして完成させたい。1216日最高裁判決が違憲ならば言語道断、司法部による悪しき立法政策として国会の権能を奪い取ることとなり、当然批判しなければならないし、たとえ合憲でも反対意見と僅差だったり、国会に立法を促すような厚かましさがあれば問題が再燃する可能性があるからである。

 

 

(エ)憲法24条は教会法(古典カノン法)の理念を継受しており、夫婦同氏がその理念に一致する。

 

A 憲法24条は西洋の合意主義婚姻理論を継受していると解釈できる

 

これまで、わが国の伝統的な家族慣行に照らして夫婦同氏制が妥当なものであると言ってきたが一転して視点を変えたい。

争点になっている憲法24条だが、夫婦別姓論者が憲法違反というのとは逆に、むしろ夫婦同氏が憲法24条の理念に合致していると私の見解である。

なぜならば「.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」というのは12世紀古典カノン法の合意主義婚姻理論に由来するものだからである。

 むろん憲法24条起草者が古典カノン法を意識して起草はしていないかもしれない。しかし、人類史上、親や領主の承諾も不要、挙式も不要、個人の合意のみで(理念的には二人の証人がなくても)婚姻が成立するというのはラテン的(西方)キリスト教世界の教会法だけなのである。ラテン的キリスト教世界では10世紀半ばより教会裁判所が婚姻を専属管轄権としたため、中世高期に婚姻法が体系化されたのであるが、合意主義的婚姻理論とは、ランのアンセルムス、シャルトルのイヴォ、サンヴィクトルのフーゴ、ぺトルス・ロンバルドゥス[i]が理論化し、教皇アレサンデル3(115981)、が決定的に採用したものである(正確には緩和的合意主義。合衾により解消不能な完成婚となるというもの)。

 西洋文明世界の規範提示者は、古代教父だけではない、婚姻という観点では、中世最大の教師ロンバルドゥス、グラティアヌスの弟子でもあった教皇アレクサンデル3世は、大きな存在なのであり、それは現代の個人主義的友愛結婚についても同じことだ。 

 なぜ、グラティアヌスなどの合衾主義を採用しなかったかというと三つ理由がある、第一にヨゼフは許婚者とされるのがならわしだが、サン・ヴィクトルのフーゴはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張し、合衾がなくても婚姻が成立しないと辻褄があわなくなるからである。第二に合意がなければ結婚はないということは、結婚は自己決定であり、逆に結婚なせざる自由、独身を通し聖職者になる可能性を拡大した。第三に合意主義はイギリスからの上訴を教皇が裁定してカノン法になったもので、婚前交渉のある北西ヨーロッパの基層文化に合致していた。処女性を重視する地中海沿岸では合衾主義でもよかったが、教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである。

教会挙式は16世紀の教会法が秘密結婚の温床となっているという非難をかわすためトレント公会議以降義務付けられたのであり、イギリスにいたっては、宗教改革でトレント公会議を否定したので、古典カノン法がコモンローマリッジとして18世紀中葉まで生ける法だった。居酒屋であれ二人の証人さえいれば容易に婚姻は成立した。婚姻法のもっとも早い還俗化は16世紀のトレント公会議で親の承諾権を主張を拒否されたガリカニズム教会つまりフランスである。近代の婚姻法の還俗化によって婚姻非解消主義が維持できなくなったが、キリスト教的婚姻の基本特性である。夫婦の一体性という理念は、西洋文明圏では一貫したものといえる。

 

 

 もっとも教会がファミリーネームを制定したわけではない。しかし教会法が適用されたラテン的キリスト教世界、例えばフランスにおいて血族の概念が確立したのは1314世紀、父系姓の確立は14世紀である[フランドラン1993]。父系姓というのがファミリーネームで、夫婦同姓なのであり、これは、夫婦の一体性を基本特性とする教会法的婚姻理念(これは次節で詳しく述べる)の影響が最も大きいと考えられるからである。

 

B 夫婦の同等の権利も教会婚姻法やキリスト教的夫婦倫理の継受という側面がある

 

 ところで憲法24条の「夫婦が同等の権利を有することを基本として」というのはどうか。私はこれもキリスト教の婚姻理念に継受している側面があると考える。ローマにおいては、家父権を有する家父の一個の男性の支配下に家族が従属するものとされたが、教会法は、家族集団から政治的公権的性格を排除した。家族集団は倫理的に規範を維持するものとしたのである。

 聖書にも夫婦の対等な権利に言及している部分がある。コリント前書735がある。「夫はその分を妻に尽し、妻も夫に然すべし。妻は己が身を支配する権を持たず、之を持つ者は夫なり、斯くのごとく夫も己が身を支配する権を持たず、之を有つ者は妻なり。相共に拒むな‥‥」

 夫の身体は妻のもの、妻の身体は夫のもの。相手の性的欲求を拒むなとしている点、全く対等なのである。

 もっともパウロは同じコリント全書 これが正統教会の規範である。

 「男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(第一コリント11:3)「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきでない。女はまた男の光栄である。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(第一コリント11:7~9)。「婦人たちは教会で黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(第一コリント14:34))。とも述べているから、男女同権主義者では全くないが、コリント前書735に限っていえば全く対等であり、これも夫婦一体性の論理的帰結でもある。

 

C 西洋文明による夫婦斉体思想

 

西洋の夫婦斉体思想の要点は次の3点である

 

a) 新約聖書の旧新約聖書の「人は、その父と母と離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となる」というもの(創世記224、マタイ195[ii]、エペソ5.31

その解釈はユダヤ教とキリスト教では著しく異なるが、夫婦斉体思想の核心といえる。

 

b)パウロの夫の身体は妻のもの、妻のからだは夫のもの、結婚相手の性的欲求に応える義務とする思想(コリントⅠ7・1-5)。これは初期スコラ学者により夫婦倫理として重視された[iii]。(前節でも引用)

 

c) aの進展としてキリストと教会との間の秘儀を、結婚の秘儀に類比する思想である(エペソ5253132、コリントⅡ112)。とくに第二パウロ書簡[iv]のエペソ書の思想といえるが、秘儀とは、教会は、キリストの神秘的花嫁である故に、ただ一つのキリストのからだであるというものである[松永1959]。もっとも新約聖書においては、キリストが花婿で、教会が花嫁ないし妻であるとは直接的な表現はないけれども、これが12世紀にいたって結婚が秘蹟とそれる根拠となった。

 つまり結婚はキリストと教会の結合の映像となるものとされたのである。キリストと教会の結合が不分離であるように、その結合の象徴たる結婚も絶対不分離とされた。よってスコラ的婚姻観によれば、婚姻の基本的特性は「一体性とキリスト教徒の婚姻において秘蹟に基き特に強固にされた非解消性」とされるのである[福地1956]。


[i] 中世最大の教師、パリ司教、1160没。塙陽子「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題()』1993 信山社 からロンバルドゥスの理論を引用する。

「先ず、合意が『私は汝を娶ろう』の意味において、≪ego te accipiam in uxorem≫≪ego te accipiam in maritum≫なる言葉でなされたとき、sponsalia per verba de futuro(未来文言の約婚)として婚約が成立する。これに対し『私は汝を娶る』の意味において≪ego te accipio in uxorem≫≪ego te accipio in maritum≫なる言葉で交換された場合には、 suponsalia per verba de praesente(現在文言の約婚)であって、婚姻はただちに成立する。しかしこの婚姻は所謂matrimonium ratum(et non consummatum)(未完成婚)であって、信者間にのみ成立する婚姻であり、原則として非解消で在るが若干の例外を認めうる。 すなわち、夫婦の一方が婚姻に優る状態であるところの修道生活に入る場合、又は教皇の免除(despensatio)を得た場合には解消しうる。この未完成婚の状態にある夫婦にcopula carnalis(身体的交渉)を生じた場合、始めて『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立する。これは絶対に不解消である。また、婚約の場合において、当事者がverba de praesentiを交換した場合、これは婚姻に転換するが、単に未完成婚にすぎず、完成婚になるためには更にcopula carnalis(consummatio)を要する。唯、verba de futuroを表示した当事者間においてverba de praesentiを交換する前にcopula carnalisを生じたときは、直ちに完成婚を生じた。したがってconsummatioは婚姻の成立に不可欠のものではなく、単に婚姻を不解消とするものにすぎない」

 図式化すれば以下のようになる。ロンバルドゥスは合意主義婚姻理論とされ、合意主義にこだわった神学者といわれるが、合衾の意義もそれなりに重視されており、巧妙に折衷させた理論といえるだろう。

①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)

②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)

③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)

④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)

[ii] ○創世記

 

 主なる神がアダムの肋骨からイヴを造ったときアダムはこう言った。

創世記2.23-24

 

「『「これこそついにわたしの骨と骨、

わたしの肉と肉

彼女は女とよばれることになろう。

彼女は男より取られたのだから。』

それゆえ男は彼の父母を離れて、彼の妻に結びつき、彼らはひとつの肉となるのである。」

 

 西洋文明の夫婦斉体思想の根拠は創世記だった。

ユダヤ教のラビは、のこれらの数行を性的ふるまいの基準とした。「彼の父母を離れて」は近親姦禁止の根拠とした。

の根拠である。ラビ・アキバ(紀元後135年頃)「彼の妻に結びつき」の解釈として、それは隣人の妻でも男でも、動物でもないとして、姦淫、同性愛、獣姦禁止の根拠とした。ラビ・イシ(145年頃)は「彼らはひとつの肉となる」という婉曲な表現から、受胎を抑制する不自然な性行為や体位の禁止の根拠とした。そのうえで、生殖を容易にするものは、離婚であれ多妻であれ是認するのである[ぺイゲルス1988 55頁]。

ところがイエスは、創世記この重要な箇所について、ラビの解釈とは逆に離婚禁止の根拠とするのである。パリサイ人に対しイエスは次のようにいう。

 

 

しかしイエスはラビの一般的な解釈とは正反対に婚姻非解消主義の根拠にしてしまう。

 

マタイ福音書1946

あなたがたは読んだことはないのか。最初に彼らを創造された方は、彼らを男と女に創造し、そして言われた。『それゆえ男は彼の父母を離れて彼の妻と結びつき、二人はひとりになる』だから彼らはもはや二人でなく、ひとりである。したがって神が結びつけられたものを人は離してはならない

イエスによるヘブライのポリガミーと離婚という習慣(古代ユダヤはの否定と解釈されているが、これが単婚・婚姻非解消主義というこれが西洋の夫婦斉体思想の核心かもしれない。

しかし逆説的だが、イエスは婚姻家族に全く好意的でない。御国のために家族の義務を捨てよ、家族の絆を裂き、家族を憎みなさいと説く。

「‥‥自分の父、母、妻、子供、兄弟。姉妹を、さらには自分の生命をも憎まないなら、私の弟子となることはできない。」(ルカ福音書14・26)。

「私が来たのは地上に火を投じるためである‥‥あなたがたは私を地上に平和をもたらすために来たと思うのか。否、言っておくが、分裂である。今から後ひとつの家庭では五人が分裂し‥‥父は息子と、息子は父と、母は娘と、娘は母と、姑は嫁と、嫁は姑と対立するからである」(ルカ福音書12・49-54)

さらに、イエスは永遠の生命は独身者にふさわしいとも説く。

「この世の子らは娶ったり嫁いだりするが、かの世に入って死者のなかから復活するのにふさわしいとみなされる人々は、娶ることも嫁ぐこともない。彼らは天使に等しい者であり、復活の子らとして神の子であるがゆえにもはや死ぬことはないからだろう」(ルカ福音書20・34-36)

[iii]コリント前書はAD53年に書かれた、疑う余地のないパウロの真筆である。コリント前書第7章が消極的ながら結婚を是認し最もキリスト教的な結婚の意義を示す。

 

「‥‥男は女にふれないほうがよい。しかし淫らな行為を避けるために、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持つがよい。妻は自分の身体を夫の自由にまかせ、夫も自分の身体を妻の自由にゆだねなければならない。互いに拒んではいけない。‥‥」(コリントⅠ7・1-5)

「わたしのように、独りでおれば、それが一番よい。しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。」(コリントⅠ8-9)

 

 

当時コリントは人口60万人超ギリシャ最大の都市だった、神殿売春ももちろんあった。「コリント娘」とは娼婦を暗示させる言葉だった。パウロは誘惑の多いコリントの信徒に対し、淫らな行為を避けるために次善の選択として結婚を認め、結婚において相手の性的欲求にじるのは義務であり、夫の身体は妻のもの、妻の身体を夫のものと説いた。これも夫婦斉体思想の一つといえるだろう。

 みだらな行為を避けるための結婚は、初期スコラ学者により定式化する。パリ大学神学教授のオーベルニュのギヨーム(1180/901249)はこういった。「若くて美しい女性と結婚することが望ましい。なぜなせば美人を見ても氷のようにいられるから」。毒をもって毒を制するということ。

同毒療法としての結婚の意義づけであるが、別の見方をすればイエスと真正パウロの結婚に関する見解は結婚を生殖目的から解放したのである。終末論的状況において生殖は意味をなさないからである。西洋の個人主義的友愛結婚の根拠はここにあった。

 

[iv]第二パウロ書簡とは、聖書正典としてパウロの名に帰せられているが、文献学的には偽パウロの筆による二次的なパウロ主義的書簡をいう(テモテ第一、第二、テトス、エペソ、コロサイ、テサロニケ第二、)。ヘブル書は伝統的にパウロに帰せられているが、パウロによるものと限定する必要はないので、パウロ書簡に含まれないことが多い。又ペテロ第一、第二はペテロの名に帰されているが、パウロ主義に近く、これらも含めてここでは第二パウロ書簡等と称することとする。

ペイゲルス女史がわかりやすい説明をしている。パウロの死後30年~50年の時点で、初期クリスチャンは、急進的禁欲主義者と通常の結婚を支持する穏健派との間で遺産の分捕り合いのような争いとなった。その結果大多数の教会が、2世紀末までに今日新約聖書とよばれている福音書と書簡の目録の結集を正典として受け入れることにより穏健派が勝利した。[ペイゲルス1988 78頁]

 真筆性の疑義は、決して正典としての価値を毀損する趣旨ではない。イエスもパウロも独身主義者である以上、禁欲主義の主張はそれなりの根拠をもっていたが、「家庭訓」ジャンルを有する第二パウロ書簡等が下記のように急進的禁欲主義を排斥したため、キリスト教は、急進主義的なセクトで終わることなく、世界的宗教に進展することができたからである。

 「結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、結婚の床は汚されてはならない」(ヘブライ134)。エペソ書は禁欲主義的キリスト教徒を愚か者と呼び「自分の肉体を憎んだ者は誰もおらず、むしろそれを養い、いたわるものである。わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。『それゆえに、人は父母から離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』この奥義は大きいそれはキリスト教会とをさしている。いずれにしての、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。また妻も夫を敬いなさい」(エペソ52933)と主張した<。

 エペソ書の著者は、アダムとイヴのその結果としての結婚のヴィジョンをキリストと教会の大いなる秘儀を象徴するものとした[ぺイゲルス1988]とした。

 

文献表

 

 

 

荒井献

 

1985「新約聖書における女性の位置」『聖書セミナー』第1号1985日本聖書協会発行 162頁以下 『新約聖書の女性観』岩波セミナーブックス 1988も同内容

 

嵐義人

 

1998「姓氏・名乗、あれこれ」(『日本「姓氏由来」総覧』新人物往来社222)

 

井戸田博史

 

1986『『家』に探る苗字となまえ』雄山閣1986 

 

井上兼行・清水昭俊

 

1968「出雲調査短報」『民族學研究』331号 1968

 

上野和男

 

1982「日本の祖名継承法と家族--祖先祭祀と家族類型についての一試論」『政経論叢』5056

 

1985「日本の位牌祭祀と家族--祖先祭祀と家族類型についての一考察」『国立歴史民俗博物館研究報告』6

 

ウタ・ランケ・ハイネマン

 

1996高木昌史他訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996 20頁以下

 

梅村恵子

 

2000「天皇家における皇后の地位」伊東・河野編『おんなとおとこの誕生4古代から中世へ』藤原書店

 

江守五夫

 

1990『家族と歴史民族学-東アジアと日本-』弘文堂1990

 

1993「日本の家族慣習の一源流としての中国北方民族文化」江守五夫・大林太良ほか『日本の家族と北方文化』第一書房1993

 

1998『婚姻の民俗-東アジアの視点から-』吉川弘文館1998

 

加地信行

 

 1998『家族の思想 儒教的死生観の果実』PHP新書

 

勝俣鎭夫

 

 2011『中世社会の基層をさぐる』山川出版社

 

蒲生正男

 

1968「《日本の親族組織》覚書-descent groupと同族について」『社』2 1968

 

1970「日本の伝統的家族の一考察」『民族学からみた日本―岡正雄教授古稀記念論文集』河出書房新社1970

 

1974「概説・人間と親族」『人間と親族』(現代のエスプリ80)

 

1974b「婚姻家族と双性家族-オーストリア農村のメモから-」『講座家族・月報3

 

 1975「〈家〉の再検討を目ざして」『九州人類学会報』3 

 

河内祥輔

 

2007『日本中世の朝廷・幕府体制』吉川弘文館2007

 

 

 

官文娜

 

2005『日中親族構造の比較研究』思文閣出版2005

 

金宅圭

 

2000『日韓民俗文化比較論』九州大学出版会2000

 

熊谷開作

 

1987『日本の近代化と「家」制度』法律文化社,1987

 

クーランジュ

 

1924 田辺訳『古代都市』白水社1961、原著1924)

 

 

 

久留島京子

 

1989「市民社会の成立と女性論-メアリー・アステル」『史學研究』185, 1989

 

清水昭俊

 

1970<>の内的構造と村落共同体 : 出雲の<>制度・その一」『民族學研究』 35(3), 177-215, 1970

 

1972<>と親族 : 家成員交替過程 : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 37(3), 186-213, 1972

 

1973<>と親族 : 家成員交替過程() : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 38(1), 50-76, 1973

 

1985a「出自論の前線」『社会人類学年報』vol.11 1985

 

1985b「研究展望「日本の家」『民族學研究』50巻1号 1985 

 

1987『家・身体・社会 家族の社会人類学』弘文堂1987

 

滋賀秀三

 

1967『中国家族法の原理』創文社1967 

 

シロコゴロフ

 

1924大間知訳満州族の社会組織」『満州族』(大間知篤三著作集6)未来社1982原著1924)

 

鈴木明日見

 

2013「ランゴバルド諸法における男子未成年者の婚姻 : リウトプランド王付加勅令128条、カロリング勅令140条を中心としてThe Marriage of Male Minor in the Lombard Laws : Based on the Article 128 of the Laws of King Liutprand and the Article 140 of the Laws of Carolingian」『駒沢史学』80 2013

 

ダニエル・デフォー

 

1724山本和平訳「世界文学全集10」集英社1981 379頁

 

谷口やすよ

 

1978「漢代の皇后権The Political Power of the Empress in the Han Dynasty」『史學雜誌 』87(11) 1978 

 

仁井田 陞

 

1952『中国法制史』岩波書店1952

 

西谷正浩『日本中世の所有構造』塙書房2006

 

 

 

中根千枝

 

1970『家族の構造-社会人類学的分析』東京大学出版会1970「日本同族構造の分析」

 

樋口健太郎

 

2005「藤原忠通と基実-院政期摂関家のアンカー」元木康雄編『古代の人物6王朝の変容と武者』清文堂(大阪)2005年

 

2011『中世摂関家の家と権力』校倉書房2011

 

福島正義

 

1990『武蔵武士-そのロマンと栄光』さいたま出版会

 

福地陽子

 

1956<論説>カトリツク教婚姻非解消主義の生成と發展<Article>THE GROWTH AND DEVELOPMENT OF THE CATHOLIC PRECEPT AGAINST DIVORCE」『法と政治』7(4)1956

 

服藤早苗

 

1991『家成立史の研究』 校倉書房1991

 

J・Lフランドラン

 

1993森田・小林訳『フランスの家族』勁草書房

 

イレイン・ぺイゲルス

 

1988 邦訳1993絹川・出村訳『「楽園神話」解釈の変遷アダムとエバと蛇』ヨルダン社

 

保科季子

 

2002「天子の好逑 : 漢代の儒敎的皇后論」『東洋史研究』6121

 

松永晋一1959

 

「キリストのからだとしての教会The Church as the Body of Christ」『神學研究』 9  1959

 

 

 

 

 

 

 

 

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夫婦別姓等民法改正問題」カテゴリの記事

コメント

このシリーズのような論文の大作も良いですが、日々の出来事やニュースについての雑感みたいな記事も私は好きですよ

>さらに、イエスは永遠の生命は独身者にふさわしいとも説く。
 
独身&童貞が最強です
 
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/2011msg/110807.html
また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。14:1~5
 この人々は若い男性で、最もきよらかな人々です。この箇所は色々と解釈されていますが、私は文字通りに受け取るべきだと思います。彼らは女性を知らない童貞だと書いてあるのですから、本当に若い人間の男性でしょう。霊的童貞などと言うものはないからです。
 破壊と悲惨と荒廃の只中で、この144,000人の青年たちは選ばれ、キリスト共に行動します。原爆、放射能、汚染が世界を覆う一方で、このような神のご計画が着々と進んでいきます。この144,000人がどういう形でこの世と関わるのか分かりません。しかし、無意味に彼らが選ばれるのではないでしょう。何らかの大きな力を発揮するでしょう。

【調査】5人に1人が「結婚歴なし・独身」、40代こじらせ未婚男子の実態!
http://www.2nn.jp/newsplus/1448638947/
 

相変わらずフェミマスコミによる独身男性たたきがひどいですが、頑張っていきましょう

うわー cuzのはこれは非常に 良い役立つ偉大 仕事!おめでとうとそれを維持します。
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バカマッチョや女どもは独身男性や草食系男子に対して恋愛や結婚するように圧力をかけてきますね。ほんとに鬱陶しいです。

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