民法750条・夫婦同氏(夫婦同姓)制は合憲とされるべきである 下書きその7(選択的夫婦別氏・夫婦別姓絶対反対)
Ⅱ 96~98%が夫の氏を選択する慣行が性差別という主張は、たんに我が国が準父系の出自形式の社会構造にあるというだけでなく、大化改新の男女の法以来の法制的根拠を有するものであるから、「国体」の否定であり、母系社会では私有財産制を発達させることができず、文明世界は原則どこでも父系出自形式の社会なのであるから文明の否定という結論にいきつくので容認できない
3 先進文明国は父系出自形式が原則であり、近代資本主義、私有財産制、市民社会に対応しているあり方として父系への傾斜は当然のことで、それを否定するのは、文明の放棄か、共産主義社会への移行を前提とするものなので容認できない
厳密な意味で父系出自が徹底しているのは韓国の門中だけである。しかし、ギリシャ、ローマ、14世紀以降西欧の父系姓、中国、日本というように、高度な文明が発達した地域は、原則として父系出自(厳密には準父系)形式であり、伝統的に父祖からの系譜や由緒が重視される社会である。ローマのアグナテオ、中国の宗が父系出自の親族のことである。それが東西文明の基盤であった。ゆえに父系出自形式を変革するなどということがいかに無謀なことかということである。
ところで父系制が世界において主流、大多数というのは偶然か必然なのかはわからない。ユーラシアの中心にいたアーリア人が父系だったのでそれが伝播したのか、それとも若い男性が婿に入るあり方では、他の村との戦争になったとき忠誠心が維持できず、嫁を娶る形式のほうが若者が戦力になるため父系のほうが戦争に有利という説もあるので、母系の駆逐は必然だったかもしれないが、いずれにせよ、母系制では私有財産制を発達させることができず、生産力の高い文明や、今日の自由主義経済に発展しない。その意味では父系傾斜が自然な結果であり、それを違憲の根拠にするなど甚だしい誤りである。
今日、母系制の特徴を有するものとしてよく知られているのは、台湾の非漢民族のアミ人、ネイティブアメリカンの西プエブロ族(ホピ人、ズニ人)、ニューギニア東南端沖合のメラネシア・トロブリアンド島民などであり、いずれも原始的な農耕民である。
もっとも母系制は南インドのナーヤル・カーストのように高文化に属する場合もある。ただしナーヤル・カーストは婚姻家族のない(父という地位がない)社会なのでここでは考察の対象外とする。
(2)夫婦別姓は日本人をアミ人化させる
アミ人(アミ族とも称されるが民族ではない)は「家母長」制社会ともいわれるが、清水昭俊によれば、女は生涯単一の家(生家)に属すのに対して、男は婚姻によって婚家と生家の両属になるとしている。家々の境界があいまいで、重複している社会である[清水1987 100頁]。
日本では出嫁女は婚家に帰属し、家は離接単位なので重複して帰属することはないし、婿は家長継承者として迎えられるので、われわれの家ないし家族観念とは異質の社会といえる。
つまり日本のいわゆる核家族のように〈マイホーム〉〈かぞく〉〈いえ・うち〉といった理念でむすばれた家は存在しない。
ところで夫婦別姓推進論者は、夫権に従いたくない、舅姑に仕えたくない、同じ墓に入りたくないと主張し、でも婚家の財産は法定相続によりいただきますいう身勝手な主張なのだが、財産の収奪という目的だけで婚家にも帰属するというずるい考え方なのである。
つまり、アミ人と逆パターンでの女性の家帰属の両属ということになり、日本的家は崩壊するのであり、つまり夫婦別姓導入は日本人をアミ人の逆パターン化の状況にさせるものといえるのであり、故に容認できないのである。日本人はアミ人になる、そんなことになってよいのか。
(2)母系制では男性はいくら努力し働いても自己の収入にならない
トロブリアンド島では男は父のダラ(母系出自集団)の村で、村外の娘と結婚し、別処にある自分のダラの村に移り住む。従って母系集団といっても、女性成員は常に他村にある。夫はダラから割り当てられた土地で名誉のために懸命に耕作するが、収穫物の半分しかも出来の良い部分は義理の兄弟のものになる。夫は愛着をもって子供を育てるが、子供は後継者ではない。いずれオジが子供の監督者、被相続人になる。父系制のように父が自己の地位・財産を子に継承できない。
清水[1987 104頁]は〈母系家族の思想〉を定義し、「それは女のみを通して血縁関係を辿ること、男に対する女の優位ではない。それは、男が努力を傾注した結実を自分のものとしては領有ならないということ‥‥男の参与する家や家内的生活の場が分散し多重化していること」としている。
明らかに、われわれの文明とは異質の社会だ。耕地の所有者はダラの首長であり、私有財産が発達しない社会なのだ。共産主義者は母系制がうるわしいと思うかもしれない、しかし私有財産が神聖だという価値観がわれわれの近代文明なのである。つまり合衆国最高裁で極保守派といわれたブリューワ判事(David Josiah Brewer任1889~1908)のは1891年のイェール大学の講演で次のように述べた。こちらのほうがわれわれの文明の価値観に近い。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』 八千代出版1994年 89頁
そうしたことで、われわれの出自形式が父系に傾斜していることは当然のことである。この慣習が違憲判断とされるならば、まさに司法部が文明からの逸脱を宣言する愚の骨頂といわなければならない。
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