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2016/06/01

失われた20年で変わったもの

 ニッポン一億総活躍プラン閣議決定本当にくだらない。こんなことをやるなら自民党は第二社民党か国家社会主義党に党名をすべきだ。次の選挙は日本のこころか、幸福実現党ぐらいしか選択肢がない。そもそも18歳選挙権に反対だったので、たぶん棄権するだろう。31日発売の日刊ゲンダイが書いていたがオバマ広島訪問の三文芝居に九割の国民が好感し、それにで安倍の支持率が上昇なんてほんとに馬鹿げている。
 私はそもそもオバマは社会主義者だから嫌い、なにをやっても嫌いである。
 月刊高校教育三月号の教育社会学者耳塚寛明の「受験競争の先に待っていたものとは」を読んだ。必ずしも賛成する意見ではないが、 1950年代~90年代教育改革といえば学歴社会の是正と受験競争の緩和であり、多くの人が学歴偏重社会と受験競争が諸悪の根源で校内暴力やいじめの原因であるなど根拠不明な勝手なことを言っていたものである。
 しかし、90年代以降、少子化で大学の門を広くなり、受験競争は高校階層構造の頂点付近に局所的に残るだけになった。
 かつてのように受験競争が社会問題とされることはまったくない。AO入試は普通になり、東大ですら推薦入学をやるようになった 。加熱するどころか冷却されてしまっている。
 耳塚氏は受験競争は駆逐することに成功したが、代わりに学力低下と学習離れを手に入れたという。
 この見解が必ずしも妥当かは疑問とするものの、失われた20年間で様変わりとなったことは事実である。
 ここから私の見解だが、今、社会問題としてメディアがよくとりあげるのが保育園落ちたとか児童虐待である。受験競争が冷却化された先の結末はこうだった。それは保育園に入れさえすればそれでいいという社会だった。升添さんですら、美術館は行くが、保育園を視察しないのはけしからんとマスコミに攻撃されている。杉並区のように公園を潰して保育園を建設することに躍起になっている。
 女性活躍のために保育園に入れるようにすればよい。教育の卓越性などだれも求めない。古市憲寿のように保育園義務化などと言い出す評論家もいる。子どもによい教育をということより母親の都合、女性の活躍第一というこれも偏った社会になってしまった感がある。

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