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2017年3月の5件の記事

2017/03/26

民法731条改正案反対。16・17歳女子婚姻資格剥奪絶対反対 再修正版  

 要旨

 

〇成人年齢18歳引き下げに伴って政府の民法731条改正案は、法定婚姻適齢を現行の男18歳、女16歳から、男女とも新成人年齢の18歳として、現行の16・17歳女子の婚姻資格を剥奪したうえ、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉を廃止するというものであるが、私は強く反対である。

 

〇男女とも結婚相手が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正し、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉も継続すべきである

 

 

(本心は現行法改正に反対であるけれども、この土壇場の状況では男女の取扱の差異

の肯定に固執するのは得策でないと判断し、16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪、婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視についてのみ異を唱えるものである。むろん選択肢としては、男女とも16歳として男女の取り扱いの対等とする案もありえるが、成年擬制との関連で反対論が予想できるので、上記の一方が18歳なら1617歳での結婚を認め、737条と753条も維持するという修正案なら米国のアイオワ州[i]、ドイツの立法例がこれに相当し現実性があると判断した)

 

以下、理由の詳細について目次

1.男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

1)法制審議会のいう男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

2)婚姻適齢 18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている

〇先進国において16歳が婚姻的適齢とされている立法例

A.英国

B.ドイツ

Cアメリカ合衆国

a)要旨

b)男女とも16歳を婚姻適齢の基準としている州が多い理由

c)年少者の婚姻可能性を否定しない理由は何か

 

D[参考]英国の婚姻法制の歴史と婚姻適齢

a)古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ

b1604年教会法は教会挙式と21歳未満の親の同意を要件とするが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた

c1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化、古き婚姻約束法を無効とする

d)グレトナ・グリーン結婚-それでも自由な結婚が有効だった

e1929年齢法

2) 16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

A 高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

B 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い

C 野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された

2.婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視

1)結婚は自由でなければならないという西洋文明婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに強く反対である。

 

A「結婚は自由でなければならない」というのは教会法の理念だった

B 情欲の鎮和剤としての結婚目的は決定的なものなので軽視できない

C「情欲の緩和」は発達心理学の観点からも結婚の目的として妥当であり、それゆえ婚姻適齢を高めに設定することに反対である

D 憲法13条幸福追求権をを軽視しすぎている

(参考)「明治11年の東京評判美人番付」と婚姻適齢

 

1)男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない。

 

 

理由

 

1男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

 

1) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている

 

〇先進国において16歳が婚姻的適齢とされている立法例

 

 

 男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由は婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であること、婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、いずれも論理性は全くない。

 ここでは、英国・ドイツ・アメリカ合衆国の婚姻適齢法制をとりあげるがいずれも16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りで、法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論しており、国会、国民を騙す詐欺行為はきわめて悪質である。

 

A 英国

 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991

 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。それ以前はコモンローの男14歳・女12歳であった。英国婚姻法の歴史的変遷については参考Dにて解説する。

 

B ドイツ

 東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(18)である。ただし、当事者の一方が満16差歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]

C アメリカ合衆国

a)要旨

 我国の現行法定婚姻適齢は、1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。

 しかし現在では多くの州(33州)は男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも裁判所の承認で婚姻可能としている州が多い。27州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、裁判所の承認により結婚可能である。

 各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールのhttps://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがあります。このほかhttp://family.findlaw.com/marriage/state-by-state-marriage-age-of-consent-laws.htmlState-by-State Marriage "Age of Consent" Lawsもある。

 

b)男女とも16歳を婚姻適齢としている州が多い理由

 男女とも16歳としている州が多い理由の第1は、米国には私法の統一運動があり70年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)としモデル案を示していたことによる。

 16歳は親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。

 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法()は次のとおりである。[村井衡平1974]

203

1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(2052a)を得ていること‥‥

205[裁判上の承認]

a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、

1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が枯れの婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、

2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。

 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。

 第2の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州が批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないので、男女差のある州も残っている。

 このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった1617歳女子の婚姻資格を剥奪する方法をとってないことを強調したい。

各州ごとに検討するとおおまかにいうと次のとおりである。

婚姻年齢男女共16歳以上 33州とコロンビアDC

婚姻年齢男子18歳女子16歳 デラウェア、オハイオ、ロードアイランド

婚姻年齢男女共15歳以上 ハワイ

婚姻年齢男女共17歳以上 ネブラスカ

婚姻年齢男女共17歳以上【特殊な事情で】 インディアナ、ワシントン、オレゴン

婚姻年齢男子17歳女子16歳 アーカンソー

婚姻年齢15歳以上 ミシシッピ

婚姻年齢15歳以上【特殊な事情で】ミズーリ

婚姻年齢男女とも原則18歳以上 カリフォルニア、ケンタッキー、ルイジアナ、ウェストヴァージニア

婚姻年齢男子14歳女子12歳マサチューセッツ【コモンローと同じ】

婚姻年齢男子14歳女子13歳ニューハンプシャー

 

 18歳を原則としている州も4州あるが、18歳未満でも裁判所の許可などで救済できるシステムがある。

 つい最近の報道により次の事実を把握した。

27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。

「ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 3 つの州の一つである」

Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To Marry

February 14, 2017 10:58 PM

 CBSの記事である。記事自体は年少の結婚に反対する議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出すというものだが、それは少数派なのである。

 

c)年少者の婚姻可能性を否定しない理由は何か

 

 これは推測だが、やはり合衆国では、年少者の婚姻資格斬り捨てをしない理由として憲法により明文されていないが、結婚の自由憲法上の基本的権利とされていることと関連があると考える。

 連邦最高裁が初等教育で外国語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築は子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとした。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。

 そして連邦最高裁はLoving  v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニア州の異人種婚姻禁止法を違憲とし、実体的デュープロセスとして結婚し家庭を築く権利を憲法が保障することを明らかにした。筆者は見てないが。この事件を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が我が国でも公開され、その宣伝によればアカデミー賞最有力とのことである。

 Zablocki vRedhail 434 US 374 1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。

 Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]

 このような結婚の自由の判例の進展からみて年少者の結婚について憲法問題になっていないとしても、慎重な政策が求められるのは当然といえる。

 第二に18歳未満で妊娠したり結婚する事例が少なくないことなどもあげられるだろう。年少者の結婚を否定できないのである。

 

 以上のように英米独の立法例と比較すると、我が国政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は慎重さを欠き、配慮を欠くものとして非難されてやむをえない。

 

D[参考]英国の婚姻法制の歴史と婚姻適齢(古法こそ婚姻が自由だった)

 

 結婚は自由でなければならないという法諺があるが、それは中世教会婚姻法の理念だった。この法文化をもっとも色濃く継承しているのがイギリスである。英語圏の現代人の結婚観に色濃く影響を与えているし、我が国の憲法24条に影響をもたらしている。トレント法会議は教会挙式を要求した。しかし、イギリスは宗教改革によりトレント公会議を無視した。ゆえに中世の無式合意主義婚姻が生ける法として継承した。婚姻の自由の理念的基盤ははなはだ大きい。それはもはや文明的基盤ともいうべきものである。ゆえにわたくしは安易に婚姻の自由を抑制することに反対なのである。

 

a)古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ

 (人類史上もっとも結婚が容易に成立する法文化)

 婚姻適齢は男14歳 女12    [ルネ・メッツ1962 滝澤聡子2005] (親の同意要件なし、諾成婚姻理論で挙式を要しない、1753年イングランドで世俗議会立法により古典カノン法は無効となり、挙式を要件とし、未成年者の親ないし保護者の同意要件を課すようになるが、男14歳、女12歳という基準は1929年迄続く)

 14歳 女12歳はローマ法の継受であるが、教会法学者はさらに緩く解釈したとされる。「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601[フランドラン1992 342頁]。

 (なお教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。[ルネ・メッツ1962]カトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、婚姻適齢を男子16歳、女子14歳としている。カトリック教国が14歳でも結婚可能としているケースがあるのはそのためであるが、歴史的に影響力が大きいのは古典カノン法である。ローマ法から中世教会法、コモンロー何れも男14歳、女12歳である、今でもマサチューセッツ州が古い時代のままである。]

 メイトランドがまさしく述べたように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。10世紀に西方キリスト教世界では教会の霊的裁治権として婚姻を教会裁判所の管轄権とした。特に英国では婚姻と遺言による動産処分等は教会裁判所の管轄権として明確であり近代まで続いた(イングランドで議会制定法により中世教会婚姻法を無効となったのが、1753年。家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である)。

婚姻はキリストと教会の結合の聖なる象徴とされ1112世紀に秘跡神学が進展し秘跡とされるようになり、12世紀の教皇授任裁判の進展により、とくに英国から婚姻事件の活発な教皇上訴があり、教皇アレクサンデル3世(在位11591181)無式緩和的合意主義婚姻理論(それは教皇自身の持論でもあったが、概ね中世最大の神学者ペトルス・ロンバルドゥスの理論と同じ)[塙陽子1993 島津一郎1974][ii]が決定的に採用され古典カノンン法が整備され、古典的教会婚姻法が成立した。

 ここで強調しておきたいことは、合意主義婚姻理論の裁定として初期のものに12世紀中葉のアンスティー事件がありこれはイギリスの事案であり、イギリスで採録されたものが古典カノン法となっているケースが多い。クラレンドン法による聖俗の対立にもかかわらず、イギリスが古典カノン法の形成に大きく寄与していたということは、そもそもイギリスの風土に古典カノン法は親和的だったということにほかならない。

 古典的教会婚姻法の最大の特徴は、諾成婚姻理論により挙式を要求せず、二人以上の証人(俗人でよい)のもとで「我汝を妻とする」「我汝を夫とする」といった現在形の言葉による男女の合意により容易に婚姻が成立する。将来形の言葉による合意は、合衾した時点で婚姻は成立する。緩和的合意主義というのは、合意で婚姻が成立するが、合衾により完成婚となり婚姻不快消な絆となるということである。

 第二に領主や親の同意要件がないこと。このために教会婚姻法は秘密婚や誘拐婚の温床となり、世俗権力から非難を招くことになるが、教会は当事者の自由意思による結婚を断乎擁護し、数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。

 なお、なぜ婚姻は自由でなければならないかについては、後述の婚姻の自由の抑制に対する反対論で詳しく触れるが初期スコラ学者がコリント前書79を根拠として情欲の鎮静剤としての結婚目的として重視したことによる。ふしだらな行為を避けるための結婚である。情欲(淫欲)が自制できない大部分の人々は結婚したほうがよい。そうしなければもっと悪いことをする、姦淫の罪を犯し、子は私生児になる。だから婚姻は容易に成立するものでなければならないというのが婚姻法の理念だからである。性欲を有する男女は婚姻適齢とされたのである。 

 1217年にラテラノ公会議が合意主義の欠点を補うため婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。

 しかしカトリック教会は無式合意主義の弊害を除去し、教会法が秘密婚と誘拐婚の温床となっているとの非難をかわすため1563 年トリエント公会議第24 総会で婚姻法改正が採択し、新たに教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである。[滝澤聡子2005]しかしフランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は拒否、このためガリカニスム教会(フランス)はトレント公会議の採択を拒否、1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化の嚆矢となった。

 フランス王権は婚姻の公示を義務付け成人年齢を男30歳、女25歳と高めに設定して未成年者の婚姻に親の同意要件を課し、秘密婚を防止したが、対照的に英国は宗教改革によりトレント公会議の婚姻法改正を受けいれる必要がなく、要式主義はとらない中世の古典カノン法の諾成婚姻理論がそのまま、古き婚姻約束の法として継承され、これをコモン・ロー・マリッジともいう。居酒屋など俗人当時者の合意により容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。中世、英国においてにおいて教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所である、それは寡婦産の確定のためだった。土地の相続は世俗裁判所の管轄だからである。

 

b1604年教会法は教会挙式と21歳未満の親の同意を要件とするが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた

 

  1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなり、親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していたといえる。

 

c1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化、古き婚姻約束法を無効とする

 

 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効とした。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b]  

               

d)グレトナ・グリーン結婚-それでも自由な結婚が有効だった

 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。

 このため未成年者で親の同意のないケースや、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に結婚媒介所が営業されるようにった。、結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃える二人が胸を轟かせ恋を成就させるためにスコットランドを目指すロマンチックな結婚は人気となった。スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚といい、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。[加藤東知1927、岩井託子1996a]

 グレトナ・グリーン結婚の衰退は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。

 

e1929年齢法

 婚姻適齢を男女とも16歳となり、未成年者(当初は21歳以下)は親ないし保護者の同意を要する。)

 以上イギリスにおける婚姻の自由の歴史を概観して記述した。

 

2)16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

 

 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権に一つに含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990代には年間3千組の当事者が存在していた16・17歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならないがそのようなものはない。また16・17歳女子の婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱なのである。

 

A 高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

 義務教育終了後、進学・就職・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。当事者にとって結婚が最善の利益に役立つと親も本人も判断するなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではない。

 仮に、せめて高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果4466%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。

16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だった。16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。

 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は以前存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」

 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」

 

 

B成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い

 

 民法学者に多いのが、この見解である。成人擬制〈753条〉を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的というものである。

 しかしながら法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。ローマ法も同様の規定であるが、現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たないニminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]

 我が国の伝統社会(中世以降の臈次情合成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。そもそも法律はシンプルであるのがよいというものではない。民法はなによりも民間の婚姻慣習や実態を無視できないのである

1990年代の統計では1617歳女子の婚姻は3千組ほどあり、これは決して少ない数ではない。私は建前の議論を好まないし、法律家だけでなく発達心理学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分とて認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。

そもそも法制審議会は性的に早熟な女子に対する敵意により婚姻資格をはく奪すべきでない。性的に奔放な女性は問題視するか否かは価値観の問題である。

特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法廷相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。婚姻適齢の引き上げによって妊娠中絶におこいまれる女子もでてくるかもしれない。誰が責任をとるのですか。

また「足入れ婚の悲劇」を助長する蓋然性も指摘しておく。試験期間をへて段階的に婚姻が成立する習俗であるが、足入れ婚は昭和40年代ころまでは広範におこなわれており、トラブルも少なくなかった。足入れしても舅姑が気に入らないと破談となるケースもしばしばあり、法律婚年齢の引き上げが当事者にとって不利益になる場合もあると考える。そんなことをいうと都会人から一笑にふされるかもしれない。法律家などのインテリ階級には無縁なことかもしれないが、民法は、特定の社会階層や都会の人のためにあるのではない、農山村や離島において今なお古風な婚姻慣習がなされている可能性はあり、民法は国民全体に適合的なものでなければならない。

さらに私が懸念することとして、18歳での一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すということである。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のセクスティングの規制、JK性風俗の規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを懸念する。18歳以上は大人、未満は子供なので無権利でいいという極端な合理主義的思考に反対する。

歴史的にみても1617歳の女子は性的に成熟し婚姻にふさわしい年齢であったはずである。(文末論考「 明治11年の東京評判美人番付」参照) 

 

 

. 野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された

 

 野田愛子氏とは女性初の高等裁判所長官、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。

 

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳にに揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文をを設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということもね問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかねというようなことも一つのり疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題らように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』419 18頁〕

 

 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。」 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているだろうが、それが二千人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。

 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減される。そのような人間学的考察からみても年少者であれ結婚の価値は高いものであるといえよう。

 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願達であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。

 ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから、このような結婚を認めることが性的分業の定型概念を助長するためよろしくないということになるが、しかし、ジェンダー論による性的分業のむ定型概念の否定することによる社会変革は、男女共同参画法のもとに政府が行っていることとはいえ、憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪をしない形でも可能でなのであるからそれを選択すべきである。

 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。

2. 婚姻の自由の抑制に強く反対

 

 政府の法改正案は、たんに1617歳女子の婚姻資格はく奪というだけではない。男性にとっても1617歳女子に求婚し結婚する権利をはく奪するものである。これはかなり痛い権利喪失に思う。

 タレントの高橋ジョージが15歳年下の三船美佳と結婚したことはこれまでは正当だったが、今後は非行となる。

 1617歳女子と結婚ないし婚約した偉人としては、まず『失楽園』『言論の自由』などで著名なジョン・ミルトン、16歳美少女メアリー・パウエルと結婚。性格の不一致で『離婚論』執筆の動機となった女性である(死別)。米国植民地時代の宗教指導者コトン・マザーの初婚女性は16歳だった(死別)。同じくボストン第二教会牧師で超絶主義哲学者のエマーソンの初婚の女性エレン・ルイザ・タッカーとの婚約時17歳で、婚約後結核と判明し喀血する病人であったが結婚、南部へ転地療養の甲斐なく死別し、悲しみのあまり墓を掘り返したという。1896年プレッシー対ファーガソン判決の反対意見で偉大な少数反対意見として知られているジョン・マーシャル・ハーラン判事、黒人解放の先駆者は旅行中に出会った16歳のマルビナ・シャンクリンに求婚し2年後に結婚している。内助の功のある妻としてエピソードが知られている。このほか結婚はしなかったがメソジストのジョン・ウェスレーがジョージア伝道でサラという18歳の女性との恋愛事件が知られている。総じていえば理想主義者は1617歳の若い女性が大好きだということだが、それはノーマルであって、年増女好きなジョージ・ワシントン池田いけたずれも偉人である彼らが非行を犯したわけでは全くない。コモン・ローの婚姻適齢女12歳であり、16歳は成熟した女性なのである。16歳でブレイクしたタレント広瀬すずが、照明さん等裏方を見下す発言をして生意気だというが、私はそう思わない。1617歳は成熟した女性でほとんど大人ですよ。

 にもかかわらず婚姻資格をはく奪する。これは婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視とした糾弾されるべきである。

 

 

1)結婚は自由でなければならないという西洋文明婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに強く反対である。

 

 

A 「結婚は自由でなければならない」というのは教会法の理念だった

 

 それは人類史上類例のない婚姻成立が容易な法文化である。

 この理念は我が国にも基本的に継受している。憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」というのは12世紀古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論に由来するものだからである。

 むろん憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識して起草はしていないかもしれない。

 しかし、人類史上、親や領主の承諾も不要、教会挙式も不要、個人の合意のみで(理念的には二人の証人かなくても、正確にいえば現在形の言葉での合意で婚姻は成立する。将来系の婚姻約束は合衾した時点で婚姻が成立する)婚姻が成立するというのはラテン的キリスト教世界の教会法だけなのである。合意主義的婚姻理論とは、ランのアンセルムス、シャルトルのイヴォ、サンヴィクトルのフーゴ、ぺトルス・ロンバルドゥスといった神学者が理論化し、教皇アレサンデル3(115981)、が決定的に採用したカノン法となったものである。むろんローマ法の諾成婚姻理論を継受したという側面もある。

 教会挙式は16世紀のトレント公会議以降義務付けられたのであり、イギリスにいたっては、宗教改革でトレント公会議を否定したので、古典カノン法がコモンローマリッジとして18世紀中葉まで生ける法だった。居酒屋であれ二人の証人さえいれば容易に婚姻は成立したということは既に述べたとおりである。

 なぜ、グラティアヌスなどの合衾主義を採用しなかったかというと三つ理由がある、一つはヨゼフは許婚者というのがならわしだが、フーゴはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張し、合衾がなくても婚姻は成立するとせざるをえなかったためである。第二は合意がなければ結婚はないということは、独身を通し聖職者になる可能性を拡大した。第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件の上訴の裁定によりカノン法になったもので、婚前交渉のある北西ヨーロッパの基層文化に合致していた。処女性を重視する地中海地方では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである 

 既に述べたとおり教会法学者はローマ法の男子14歳・女子12歳をさらに緩く解釈した。

 しかしなんといっても教会法に特徴的なのは領主や親の同意要件を一貫して否定したことである。このためにフランスガリカ二スム教会は、トレント公会議を拒否し、国王は1566年に独自の婚姻法を定めた。婚姻法の還俗化の嚆矢であるが、既に述べたとおりイングランドで婚姻法が還俗化し21歳以下の親の同意要件が実効性をもったのは、1753年、それでもスコットランドに越境すれば、自由な結婚が可能だった(グレトナ・グリーン結婚)スコットランドでは今日でも親の同意要件はない。

 『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち』という本に、お嬢さんと召使いの男性の結婚を教会が断固擁護したように、結婚は自由でなければならないとしたのは教会法の理念だった。なぜ、結婚は合意により容易に成立しなければならなかったか。それはキリスト教の次の教説の意義が大きい。

B 情欲の鎮和剤としての結婚目的は決定的なものなので軽視できない

 

結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書79(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。ゆえに結婚は自由でなければならない。

 

 今日、キリスト教の教説において結婚の目的や意義は多義的に用いられているが、古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視したのはコリント前書79 「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらに行為を避けるための結婚、情欲の緩和、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。

 性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。合理主義の要請はここにもあった。[島津一郎1974 240頁]人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚はし容易に成立すべきものだったのである。

 

 バリ大学の教授だったオーベルニュのギヨームはこう言った。「若くて美しい女と結婚することは望ましい」なぜなら「女を見ても氷のようでいられる」と同毒療法の教説を述べた。

 むろんこの聖句は、コリントが当時人口60万超、神殿売春もさかんで誘惑の多い都市であったことを背景としているが、真正パウロ書簡のなかで、結婚の意義について主としてふれているのはコリント前書第7章なのであり、結局真正パウロが結婚の目的として示しているのは「情欲の緩和」くらいしかないのであるから、初期スコラ学者がこれを重視したのは全く正当といえる。

 ジャンセ二ストという禁欲主義者は生殖目的を重視するが、生殖を結婚目的とする思想はストア主義など古代の異教の思想に由来するものと思われ、キリスト教固有のものではない。

 なお、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的とされているが、現代においても軽視されていないのは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。

 

 

 近代人は「情欲の緩和」とい結婚目的にあまり好意的でないことが少なくない。

それは近現代社会が禁欲的で性的に抑圧された社会だからである。禁欲が前提となった非常に性的に抑圧とされた生き方をしているためである。古代・中世はそうではなかった。15世紀のフランスではどのような都市でも市営娼家があり上りの料金は職人の日給の八分の一以下の廉価だった。それにもかかわらず強姦は多発し、ふつうの徒弟、商人の子息が通過儀礼手的に強姦に参加した[フランドラン1992 346頁]。むろん犯罪ではあるが堅気の妻や娘でなければ大目にみられた。

 中世では性欲は制御不可能なものという認識であった。それは人間性を正しく理解しているといえるだろう。

 私は「情欲の緩和」は最も重要な意義と考える。つまり結果的にコリント前書を根拠とした目的の合意主義の教会婚姻法は、結婚の目的を個人主義的心理的充足のためのものとしたのである。恋愛の結実としての結婚を容認し、いわゆる近代個人主義的友愛結婚、それは我が国でも国民の広範が支持する結婚観念であろうが、結婚の第一次的意義が、それは親族を喜ばすためのものでもなく、財産を増やすためでもなければ、世間体としての義務でもなく、当事者の心理的満足のためであるという結婚の意義をふつうのものとしたのである。それは古典カノン法の影響が近代まで濃厚だった英国の婚姻風俗史を検討すれば明らかなことである。なるほど基層文化として婚前交渉のある自由な恋愛風俗は西欧にもアジアにもある、婚姻の法文化で個人主義的目的を第一義とする類例を知らない。教会婚姻法の卓越性はそこにあるのであり、ゆえに結婚が自由でなければならない。

 西洋文明の規範提示者を、2人挙げよというなら私は躊躇することなく中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥス(中世の神学部の講義とはロンバルドゥスの命題論集の註解である)。教会法の代名詞であるグラティアヌスを挙げる。この二人が婚姻法の理論を提示したのである。(なお教皇アレクサンデル3世はアベラルドゥスとグラティアヌスの弟子でもあった)。 ダンテの神曲における最後の審判でキリストに陪席するほどの超大物なのだ。ゆえに私はロンバルドゥスとその理論を採用したアレクサンデル3世の事績を圧倒的に支持するし、そのレガシーを継承していくことこそミッションと考えるものである。

 結婚は無方式の行為で成立するとした古典カノン法が人類の叡智とはとても思えない

という人は少なくないがそれは間違いである。それこそがこの文明の規範だったのである。

 なるほど古典カノン法は秘密婚・誘拐婚に許容的で世俗社会と大きな軋轢を生じた。メイトランドがいうように教会法は事実婚を優先しない。先に婚姻約束した者が、真の妻であり夫なのだ。「世界のどの国民でも、恋人たちは現在形と未来形とを正確に使い分けそうにない。中世において婚姻もしくは婚姻らしいものを非常に不安定であった。永年連れ添った男女の仲が致命的な容易さをもって姦通と証明されたり」した。[島津一郎1974 232頁]そのような混乱があったのは事実である。にもかかわらず、結婚はキリストと教会の結合の聖なる象徴として秘蹟とされ、夫婦愛がキリストと教会の一致の秘蹟というまでに価値が高められ、結婚とは愛しあうことであるという価値観を明確にしたのもキリスト教なのであり、それを否定的に評価する理由は全くない。

 それは類例のない婚姻に関する自己決定の法文化であり、西洋の個人主義的自由主義も源流をたどればこのことに由来するのだろう。スケールの大きな文明論をあえて提唱すれば、教会法の婚姻の自由、または婚姻せざる自由は、近代に確立した宗教の自由、営業の自由、契約自由、私的自治といった自由主義に先行するのであり、自由主義の母は古典カノン法の婚姻法にあったと解釈される。我々が自由を享受できるもとをたどれば教会法のおかげだといわなければならない。

 神学にもとづく立論なので妥協の余地はない。このレガシーを継承すべきであり婚姻の自由を抑制する婚姻年齢引き上げに反対なのである。

 

C「情欲の緩和」は発達心理学の観点からも結婚の目的として妥当であり、それゆえ婚姻適齢を高めに設定することに反対である

 

 

 キリスト教の教説から離れて、発達心理学的にみても「情欲の緩和」結婚目的の一つ

として肯定できる。たとえば青年心理学者の次のような見解である。

「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。フロイト(Freud,S.)によれば性欲は乳幼児期(口唇期、肛門期、男根期)においてすでに発達するということであるが、一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣」からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つの独立した要素からなりの二つの独立した要素からないり、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .

は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い、この過程の修了は条件が揃っていれば、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。

 性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともふるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。しかし性的適合性には身体的心理的要素が複雑にかかわりあって居り、夫婦の相互協力によりその達成は大体可能であるが、時にはその限界を越える場合もあり、しかも婚前にその適、不適の予測が困難であるため問題になりやすいのである」[泉ひさ1975

 

D 憲法13条幸福追求権の軽視しすぎている

 

 すでに述べたように憲法24条は西洋文明、ローマ法、教会法と継承された合意主義婚姻理論を継受している。西洋文明の婚姻理念の核心は婚姻の自由であることを縷々述べてきた。アメリカ合衆国では1923年のマイヤーズ判決で、暴論ではあるが幸福追求権の一つとして結婚し家庭を築く自由が憲法上の権利であるとした。実はMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)が日本国憲法13条の母法なのである。その米国で16歳の婚姻資格は当然とされているのだから、我が国でもそれをならうべきである。

 

(参考)「明治11年の東京評判美人番付」と婚姻適齢

 江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鍵屋は父親の五兵衛が建てた単にお茶と菓子を出すだけの純喫茶、社務所直営の健全な水茶屋であるから、講談などの色恋沙汰は創作なのであって、本物の清純派アイドルといえる。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。11~12歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。

 寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは両国米沢町の煎餅屋の内儀であるがおきたより1歳年長だった。従って寛政の三美人とは16~17歳である。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。(佐藤要人『江戸水茶屋風俗考』三樹書房 平成5年)

 従って娘盛りは16~17歳という認識をもってよいと思う。

 

 江戸および明治東京の庶民史研究者の小木新造氏(元江戸東京博物館長)によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している(『東京庶民生活史』日本放送協会1979の287~330頁参照)

 

 明治民法(明治31年、1898年施行)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

東京現住結婚年齢者対象表

『東京府統計書』

明治17年

       男    女

14年以下   11  128

15年以上  604 2740

20年以上 1880 2691

25年以上 2679 1496

30年以上 1607  811

35年以上  871  442

40年以上  略    略

 小木前掲書309頁

 この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈はぼ実態に即したものといえる。

 また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。

 小木新造は東京における娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。

これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は

13歳  5人

14歳 11人

15歳 24人

16歳 19人

17歳 31人

18歳  2人

19歳  5人

20歳  0人

21歳  1人

 小木前掲書310頁以下

 98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。

 15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって女性がもっもも魅力的な16~17歳が婚姻適齢から外すことは自然に反したものであり18歳に引き上げることは適切なものではない。 

 はっきり言おう、女性に清純さと魅力を感じるのは1617歳まで、18歳などというのは「娘18番茶も出花」という諺があるくらいくらいすれている。20歳にいたっては年増というのが常識だったいうことである。ゆえに婚姻適齢引き上げに反対である。

 

 

 

 

 

 

 

文献表(引用・参考)

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1996b 「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(2)」中京大学文学部紀要 313434 34

1997「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(5)第三部描かれたグレトナ婚三」 中京大学文学部紀要 32([英文学科]特別号) 1

1999a「グレトナ・グリーン 英国随一の結婚式場(8)第二部 さまざまなエピソード(2)駆け落ちカップル()華麗なるスキャンダル」中京大学文学部紀要 34199 

1999 bグレとナ・グリーン 英国随一の結婚式場(9) 3 描かれてきたグレトナ・グリーン(1)18世紀芸術におけるハードウィック婚姻法とスコットランド婚」 中京大学文学部紀要 342 65 

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1975「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25197

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平松紘・森本敦

1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収

JL・フランドラン/宮原信訳

1992『性の歴史』藤原書店

 

 

松下晴彦

2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収

村井衡平

1974「【資料】一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 523

ルネ・メッツ 

1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社

不破勝敏夫

1984『私の家族法』 徳山大学総合経済研究所

米沢広一

1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 1

 

 

 

 

 


[i] アイオワ州法 下記のように親の同意があれば1617歳で結婚できる。

https://www.legis.iowa.gov/docs/iacode/1999/595/2.html

 

 1.  Only a marriage between a male and a female is valid.

2.  Additionally, a marriage between a male and a female is valid only if each is eighteen years of age or older. However, if either or both of the parties have not attained that age, the marriage may be valid under the circumstances prescribed in this section.

3.  If either party to a marriage falsely represents the party's self to be eighteen years of age or older at or before the time the marriage is solemnized, the marriage is valid unless the person who falsely represented their age chooses to void the marriage by making their true age known and verified by a birth certificate or other legal evidence of age in an annulment proceeding initiated at any time before the person reaches their eighteenth birthday. A child born of a marriage voided under this subsection is legitimate.

4.  A marriage license may be issued to a male and a female either or both of whom are sixteen or seventeen years of age if:

a.  The parents of the underaged party or parties certify in writing that they consent to the marriage. If one of the parents of any underaged party to a proposed marriage is dead or incompetent the certificate may be executed by the other parent, if both parents are dead or incompetent the guardian of the underaged party may execute the certificate, and if the parents are divorced the parent having legal custody may execute the certificate and

b.  The certificate of consent of the parents, parent, or guardian is approved by a judge of the district court or, if both parents of any underaged party to a proposed marriage are dead, incompetent, or cannot be located and the party has no guardian, the proposed marriage is approved by a judge of the district court. A judge shall grant approval under this subsection only if the judge finds the underaged party or parties capable of assuming the responsibilities of marriage and that the marriage will serve the best interest of the underaged party or parties. Pregnancy alone does not establish that the proposed marriage is in the best interest of the underaged party or parties, however, if pregnancy is involved the court records which pertain to the fact that the female is pregnant shall be sealed and available only to the parties to the marriage or proposed marriage or to any interested party securing an order of the court.

c.  If a parent or guardian withholds consent, the judge upon application of a party to a proposed marriage shall determine if the consent has been unreasonably withheld. If the judge so finds, the judge shall proceed to review the application under paragraph "b".

Section History: Early form

[ii] 12世紀に教皇アレクサンデル3世が決定的に採用した合意主義婚姻理論

塙陽子1993

「先ず、合意が『私は汝を娶ろう』の意味において、≪ego te accipiam in uxorem≫≪ego te accipiam in maritum≫なる言葉でなされたとき、sponsalia per verba de futuro(未来文言の約婚)として婚約が成立する。これに対し『私は汝を娶る』の意味において≪ego te accipio in uxorem≫≪ego te accipio in maritum≫なる言葉で交換された場合には、 suponsalia per verba de praesente(現在文言の約婚)であって、婚姻はただちに成立する。しかしこの婚姻は所謂matrimonium ratum(et non consummatum)(未完成婚)であって、信者間にのみ成立する婚姻であり、原則として非解消で在るが若干の例外を認めうる。 すなわち、夫婦の一方が婚姻に優る状態であるところの修道生活に入る場合、又は教皇の免除(despensatio)を得た場合には解消しうる。この未完成婚の状態にある夫婦にcopula carnalis(身体的交渉)を生じた場合、始めて『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立する。これは絶対に不解消である。また、婚約の場合において、当事者がverba de praesentiを交換した場合、これは婚姻に転換するが、単に未完成婚にすぎず、完成婚になるためには更にcopula carnalis(consummatio)を要する。唯、verba de futuroを表示した当事者間においてverba de praesentiを交換する前にcopula carnalisを生じたときは、直ちに完成婚を生じた。したがってconsummatioは婚姻の成立に不可欠のものではなく、単に婚姻を不解消とするものにすぎない」

 図式化すれば以下のようになる。ロンバルドゥスは合意主義婚姻理論とされ、合意主義にこだわった神学者といわれるが、合衾の意義もそれなりに重視されており、巧妙に折衷させた理論といえるだろう。

①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)

②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)

③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)

④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)

 

島津一郎1974 230

 

教皇アレクサンデル3世は英国ノーウィッチの司教に送った親書において無方式合意主義婚姻理論の何たるかが端的に示されている(メイトランドとポロックの著作からの引用)

「ある男女が主人の命により相互に受け入れたが、その際には司祭は同席しておらず、英国聖公会が慣用する儀式も行われなかったこと、そして肉体的に結合するまえに、他の男が上記の女と婚姻の挙式を行い、彼女を知ったということを、われわれは貴下の手紙の手紙から理解する。我々の回答は次のとおりである。第一の男と女が、一方が他方に対し゛我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛、我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛と述べて、現在に向けられた相互的な合意によって相互に受け入れたならば、その時は前記の儀式が行われなかったとしても、また肉体的交通がなかったとしても、女は最初の男に返還されなければならない。蓋し、このような合意があれば、女は他人と結婚することができず、またはしてはならないからである。しかしながら前記の言葉による合意がなかったならば、また将来の〔言葉による〕合意ののちに性結合が結ばれなかったならば、その時に女は、無のちに彼女を受けいれ、彼女を知った第二の男に委ねなければならない。」

2017/03/20

民法731条改正案反対。16・17歳女子婚姻資格剥奪絶対反対その1 修正版

一.成人年齢18歳引き下げに伴って政府の民法731条改正案は、法定婚姻適齢を現行の男18歳、女16歳から、男女とも新成人年齢の18歳として、現行の16・17歳女子の婚姻資格を剥奪したうえ、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉を廃止するというものであるが、私は強く反対で、男女とも配偶者が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正すべきである。
 (本音は現行法改正に反対であるけれども、この土壇場の状況では男女の取扱の差異
の肯定に固執するのは得策でないと判断し、16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪、婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視についてのみ異を唱えるものである、民法753条の問題があるため、男女共16歳では反対が多いと判断し、上記の一方が18歳なら16歳の結婚を認め、737条と753条も維持するという修正案なら米国のアイオワ州、ドイツがこれに相当し現実性があると判断した)

二.理由1婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている。

 男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由は婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であること、婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、いずれも論理性は全くない。
 ここでは、英国・ドイツ・アメリカ合衆国の婚姻適齢法制をとりあげるがいずれも16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りで、法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論しており、国会、国民を騙す詐欺行為はきわめて悪質である。
 こ
(一)英国
 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991]
 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。英国婚姻法の歴史的変遷については第4節を参照されたい。
(二)ドイツ
 東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(満18歳)である。ただし、当事者の一方が満16差歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]
(三)アメリカ合衆国
   我国の現行法定年齢は、1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。
 しかし現在では多くの州(33州)は男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも裁判所の承認で婚姻可能としている州が多い。27州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。
 各州の婚姻適齢法制については、コーネル大学ロースクールのhttps://www.law.cornell.edu/wex/table_marriageという信頼できるサイトに一覧表がある。
 男女とも16歳としている州が多い理由の第1は、米国には私法の統一運動があり70年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳を法定婚姻年齢(18歳は親の同意を要しない法定年齢)としモデル案を示していることがあげられる。
 16歳は親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、モデル案は州議会を拘束しないが、多くの州がモデル案に従った法改正を行っている。
 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。[村井衡平1974]
203条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
205条[裁判上の承認]
a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、
1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくはもしくは後見人が枯れの婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、
2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。
 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的はが考え方とみなしてよいだろう。
 第2の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州が批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないので、男女差のある州も残っている。
 このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった16・17歳女子の婚姻資格を剥奪する方法をとってないことを強調したい。
各州ごとに検討するとおおまかにいうと次のとおりである。
婚姻年齢男女共16歳以上 33州とコロンビアDC
婚姻年齢男子18歳女子16歳 デラウェア、オハイオ、ロードアイランド
婚姻年齢男女共15歳以上 ハワイ
婚姻年齢男女共17歳以上 ネブラスカ
婚姻年齢男女共17歳以上【特殊な事情で】 インディアナ、ワシントン、オレゴン
婚姻年齢男子17歳女子16歳 アーカンソー
婚姻年齢15歳以上 ミシシッピ
婚姻年齢15歳以上【特殊な事情で】ミズーリ
婚姻年齢男女とも原則18歳以上 カリフォルニア、ケンタッキー、ルイジアナ、ウェストヴァージニア
婚姻年齢男子14歳女子12歳マサチューセッツ【コモンローと同じ】
婚姻年齢男子14歳女子13歳ニューハンプシャー
 
 18歳を原則としている州も4州あるが、18歳未満でも裁判所の許可などで救済できるシステムがある。
 つい最近の報道により次の事実を把握した。
「27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。
「ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 3 つの州の一つである」
Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To Marry
February 14, 2017 10:58 PM
 CBSの記事である。記事自体は年少の結婚に反対する議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出すというものだが、それは少数派なのである。
 合衆国では、年少者の婚姻資格斬り捨てに慎重な理由として憲法てせ類分で規定されていないが、結婚の自由とのものが憲法上の基本的権利とされていることと関連があると考える。。
 連邦最高裁が初等教育で外国語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築は子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとしたむ。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。
 そしてLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニアの異人種婚姻禁止法を違憲とし、実体的デュープロセスとして結婚し家庭を築く権利を憲法が保障することを明らかにした。筆者は見てないが、この最高裁判決を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が現在我が国で公開中でアカデミー賞最有力だという。
 Zablocki v。Redhail 、 434 US 374 (1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。
 Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]。
 年少者の結婚について憲法問題になっていないとしても、慎重な政策が求められるのし当然といえる。
 以上のように英米独の立法例と比較するとも政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は配慮を欠くものとして非難されてやむをえないと私は考えるものである。

[参考](四)英国の婚姻法制の歴史と婚姻適齢

〈1〉 古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ

    (人類史上もっとも結婚が容易ら成立する法文化)
   男14歳 女12歳    [ルネ・メッツ1962 滝澤聡子2005] (親の同意要件なし、諾成婚姻理論で挙式を要しない、1753年イングランドで世俗議会立法により古典カノン法は無効となり、挙式を要件とし、未成年者の親ないし保護者の同意要件を課すようになるが、男14歳、女12歳という基準は1929年迄続く)
  男14歳 女12歳はローマ法の継受であるが、教会法学者はさらに緩く解釈した。「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601[フランドラン1992 342頁]。
 (なお教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。[ルネ・メッツ1962」カトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、婚姻適齢を男子16歳、女子14歳としている。カトリック教国が14歳でも結婚可能としているケースがあるのはそのためであるが、歴史的に影響力が多きかったのし古典カノン法てである。ローマ法から中世教会法、コモンロー何れも男14歳、女12歳である、今でもマサチューセッツ州が古い時代のままである。
 メイトランドがまさしく述べたように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。10世紀に西方キリスト教世界では教会の霊的裁治権として婚姻を教会裁判所の管轄権とした。特に英国では婚姻と遺言による動産処分等は教会裁判所の管轄権として明確であり近代まで続いた(イングランドで議会制定法により中世教会婚姻法を無効となったのが、1753年。家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である)。11~12世紀の秘蹟神学の進展と、12世紀の教皇授任裁判の進展により、とくに英国から婚姻事件の活発な教皇上訴があり、教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)緩和的合意主義婚姻理論(それは教皇自身の持論でもあったが、概ね中世最大の神学者ペトルス・ロンバルドゥスの理論と同じ)を決定的に採用するなどして婚姻に関する古典カノン法が整備され、古典的教会婚姻法が成立した。
 古典的教会婚姻法の最大の特徴は、諾成婚姻理論により挙式を要求せず、二人以上の証人(俗人でよい)のもとで「我汝を妻とする」「我汝を夫とする」といった現在形の言葉による男女の合意により容易に婚姻が成立する。将来形の言葉による合意は、合衾した時点で婚姻は成立する。緩和的合意主義というのは、合意で婚姻が成立するが、合衾により完成婚となり婚姻不快消な絆となるということである。
 第二に領主や親の同意要件がないこと。このために教会婚姻法は秘密婚や誘拐婚の温床となり、世俗権力から非難を招くことになるが、教会は当事者の自由意思による結婚を断乎擁護し、数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。
 1217年にラテラノ公会議が婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。
 しかしカトリック教会は秘密婚に許容的との非難をかわすため1563 年トリエント公会議第24 総会で婚姻法改正が採択され、教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである。[滝澤聡子2005]しかしフランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は拒否、このためガリカニスムvarnish無かフランスはトレント公会議の採択を拒否、1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化のの嚆矢となった。
 フランス王権は婚姻の公示を義務付け成人年齢を男30歳、女25歳と高めに設定して未成年者の婚姻に親の同意要件を課し、秘密婚を防止したが、対照的に英国は宗教改革によりトレント公会議の婚姻法改正を受けていれる必要がなく、要式主義はとらない中世の古典カノン法のが諾成婚姻理論がそのまま、古き婚姻約束の法として継承され、これをコモン・ローマリッジともいう。居酒屋など俗人当時者の合意により容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。中世、英国においてにおいて教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所である、それは寡婦産の確定のためだった。土地の相続は世俗裁判所の管轄だからである。
 
(2)1604年教会法は教会挙式と21歳未満の親の同意を要件とするが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた。
 

  1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなり、親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していたといえる。
 
(3)1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化、古き婚姻約束法を無効とする
 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効とした。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b]  
                                          
(4)グレトナ・グリーン結婚-それでも自由な結婚が有効だった
 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。
 このため未成年者で親の同意のないケースや、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に結婚媒介所が営業されるようにった。、結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃える二人が胸を轟かせ恋を成就させるためにスコットランドを目指すロマンチックな結婚は人気となった。スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚といい、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。[加藤東知1927、岩井託子1996a]
 グレトナ・グリーン結婚の衰退は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。

(5)1929年年齢法

 婚姻適齢を男女とも16歳となり、未成年者(当初は21歳以下)は親ないし保護者の同意を要する。)
 
三 理由2 16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である。
 
 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権に一つに含まれるとう前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990代には年間3千組の当事者が存在していた16・17歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならない。また16・17歳女子の婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱なのである。
(一)高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は法改正の根拠にならない
 義務教育終了後、進学・就職・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。当事者にとって結婚が最善の利益に役立つと親も本人も判断するなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではない。
 仮に、せめて高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
 16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だった。16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえない。
 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。{
 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は以前存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」
 
二)成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い
 民法学者に多いのが、この見解である。成人擬制〈753条〉を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的というものである。
 しかしながら法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。ローマ法も同様の規定であるが、現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たないニminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]
 我が国の伝統社会(中世以降の臈次情合成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。
文献表(引用・参考)
石崎泰助
1975「秘跡概念の発展についての一考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 35号21頁
泉ひさ
1975「結婚の意義と条件--心理学的調査及び考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25号317頁
岩井託子
1996a「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(1) 」  中京大学文学部紀要 31巻2号88頁
1996b 「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(2)」中京大学文学部紀要 31巻3・4号3・4号 34頁
1997「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(5)第三部描かれたグレトナ婚三」 中京大学文学部紀要 32([英文学科]特別号) 1頁
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1999 bグレとナ・グリーン 英国随一の結婚式場(9) 第3部 描かれてきたグレトナ・グリーン(1)18世紀芸術におけるハードウィック婚姻法とスコットランド婚」  中京大学文学部紀要 34巻2号 65頁 
岩志和一郎
1991「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』  敬文堂図書所収
上野雅和
1962「イングランドのキリスト教化と婚姻法-イングランドにおける近代的婚姻の成立過程」松山商大論集13巻2号 115頁
1981  「イギリス婚姻思想史-市民的夫婦一体観の成立をめぐって」福島正夫編『家族 : 政策と法. 4 (欧米資本主義国)』東京大学出版会所収45頁
枝村茂
1975「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25号197頁
1978「婚姻の不解消性と教会権についての神学的考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 28号1頁
1980「カトリック教説における婚姻の目的の多元性」 アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 31号1頁
大野秀夫
1993(書評)栗原眞人著「「秘密婚とイギリス近代」(1)~(4)(「香川法学」一一巻一・三・四号、一二巻一・三号)」 法制史研究 (43) 488頁
岡光民雄
1993「婚姻及び離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」について」  ジュリスト1019
鍛冶良堅
1993「「中間報告」に対する私見」ジュリスト1019号
加藤東知
1927『英国の恋愛と結婚風俗の研究 』日本大学出版部
栗原真人
1991「 <論説>秘密婚とイギリス近代 (1)」<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (1) 香川大学 11巻1号(ネットオープンアクセス)
1992a 「〈論説>秘密婚とイギリス近代 (3)」<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (3)  香川法学 12巻1号 79頁 (ネットオープンアクセス)
1992 b<論説>秘密婚とイギリス近代(4・完)」<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (4)  香川法学 12巻2号 105頁 (ネットオープンアクセス)
1996「 フリートとメイフェア : 一八世紀前半ロンドンの秘密婚」  香川法学 15巻4号1頁, 1996
小梁 吉章
2015「わが国とフランスの婚姻の方式 : 外国の婚姻の効力の承認について <論説>」 広島法科大学院論集11号(ネットオープンアクセス)
島津一郎
1974『妻の地位と離婚法』第4章2イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣225頁
薗部寿樹『日本の村と宮座』高志書院2010
滝沢聿代
1994「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報66巻12号1994年11月号72頁
滝澤聡子
2005「15世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」人文論究55巻1号(ネットオープンアクセス)
田中和夫
1958「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25頁
中川淳
1993「婚姻・離婚法改正の中間報告について」 ジュリスト1019号
野田愛子
1993 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18頁
平松紘・森本敦
1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』  敬文堂所収
JL・フランドラン/宮原信訳
1992『性の歴史』藤原書店

 


松下晴彦
2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収
村井衡平
1974「【資料】一婚姻・離婚法(案) : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 5巻2・3号
ルネ・メッツ 
1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社
不破勝敏夫
1984『私の家族法』 徳山大学総合経済研究所
米沢広一
1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)36巻1号, 1頁

2017/03/14

民法731条改正案反対。16・17歳女子婚姻資格剥奪絶対反対その1

 
 おそきに失したかもしれないが、この土壇場の状況で抗戦の論陣を張ることとする。16歳・17歳女子の婚姻資格維持のために訴えたい
 
要旨
一.成人年齢18歳引き下げに伴って政府の民法731条改正案は、法定婚姻適齢を現行の男18歳、女16歳から、男女とも新成人年齢の18歳として、現行の16・17歳女子の婚姻資格を剥奪したうえ、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉を廃止するというものであるが、私は強く反対で、男女とも配偶者が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正すべきである。
 (本音は現行法改正に反対であるけれども、この土壇場の状況では男女の取扱の差異
の肯定に固執するのは得策でないと判断し、16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪、婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視についてのみ異を唱えるものである、民法753条の問題があるため、男女共16歳では反対が多いと判断し、上記の一方が18歳なら16歳の結婚を認め、737条と753条も維持するという修正案なら米国のアイオワ州、ドイツがこれに相当し現実性があると判断した)
 
二.理由1
 
  男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由は婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であること、婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、いずれも論理性は全くない。
(一)18歳が世界的趨勢というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている。
 ここでは、英国・ドイツ・アメリカ合衆国の婚姻適齢法制をとりあげるがいずれも16歳で結婚できるのである。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りで、法制審議会は故意に偽情報を流し国会、国民を騙す詐欺行為は悪質である。
1.英国
 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドは未成年者は親の同意を要するが、スコットランでは親の同意も不要である。
 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である
 歴史的変遷
〈1〉 古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ
   男14歳 女12歳   (親の同意要件なし)
 そもそもラテン的キリスト教世界では婚姻は教会の霊的裁治権であった。婚姻の有無、成立要件などは教会裁判所の管轄権に属するとされた。とくに英国では婚姻と遺言による動産処分は教会裁判所の管轄権であることが明確であり近代まで続いた。11~12世紀の秘蹟神学の進展と、12世紀の教皇授任裁判の進展により、とくに教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)の活発な働きと英国などからの活発な教皇上訴により、婚姻に関する古典カノン法が整備され、合意主義婚姻理論による古典的教会婚姻法が成立した。16世紀にフランスガリカニズム教会がトレント公会議の方針に反対して、婚姻法の世俗化の流れとなったが、イギリスで婚姻法が世俗議会立法となったのは1753年ハードウィック卿法であるが、それまで古典的教会婚姻法が生ける法だった。。 
 メイトランドがまさしく述べたように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。中世最大の神学者ペトルス・ロンバルドゥスの理論そのものだった。なお16世紀のトレント公会議は、カノン法を修正し、教会挙式をあらたに婚姻成立の要件としたが、英国は宗教改革によりローマの軛を脱していたため、挙式を要求せず、二人以上の証人(俗人でよい)のもとで「我汝を妻とする」「我汝を夫とする」といった現在形の言葉の合意により容易が婚姻が成立する中世教会婚姻法(古典カノン法)が近代までそのまま継承されたのである。 
 なおカトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、は婚姻適齢を男子16歳、女子14歳としている。カトリック教国が14歳でも結婚可能としているケースがあるのはそのためであるが、それは20世紀になってからのことで、ローマ法から中世教会法、コモンロー何れも男14歳、女12歳である、今でもマサチューセッツ州が古い時代のままである。
   ちなみに大唐帝国永徽令男15歳、女13歳が日本養老令と同じである。東洋では数え歳だとすると実質的に、ローマ法、教会法、コモンロー、大唐帝国永徽令、日本養老令は基本的におなじことであり、それが文明世界の基準というべきであろう。(つづく)

2017/03/05

非常に不快だ。私鉄総連の駅員・乗務員の緑色の春闘ワッペン着用、職務専念義務に反し、企業秩序をみだすものとして容認しがたい

東京メトロをはじめとして、私鉄総連加盟の組合のある民鉄の駅員や乗務員が、直径78センチの円形で、緑地に赤で「17春闘 公共交通利用促進 PRU」と書かれているワッペンを胸ポケットの下に着用し勤務しているが、非常に不快である。花粉症よりずっと不快で、それを見るだけで血圧があがってしまう。

これは毎年恒例になっているが、慣行化は好ましくない。今やることが多くて忙しいが、来年はやめさせるように行動をとりたいと思う。

公共交通機関で、非常に多くの人が目に触れ、勤務時間中に春闘の宣伝を行っているわけである。目に触れやすいとい点で宣伝効果は絶大である。

「賃上げ」とか春闘の要求項目が書かれているわけではないが、春闘と大きく書かれている以上組合活動であり、有名な中川判決、リボン闘争の大成観光ホテルオークラ事件東京地裁昭和50年3月11日判決『労働判例』221号が「本来労働組合が自己の負担及び利益においてその時間及び場所を設営しておこなうべきものであつて、このことは負担及び利益の帰属関係からして当然の事理に属する。ところで、勤務時間中であるという場面は、労働者が使用者の業務上の指揮命令に服して労務の給付ないし労働をしなければならない状況下のものであり、まさに使用者の負担及び利益において用意されたものにほかならないから、勤務時間の場で労働者がリボン闘争による組合活動に従事することは、人の褌で相撲を取る類の便乗行為であるというべく、経済的公正を欠く」と批判したとおりのことで、それがワッペンであれ私は同じことだと思う。

ホテルオークラ事件では、客がそれを目に触れることで不快に思われることもこの事件では考慮されているが、鉄道会社でも同じことである。

この点については、国鉄・JRのほうが労務管理はよくやっている。就業規則で業務上認められた徽章以外の着用を就業規則で禁止し春闘ワッペンよりずっと小さい国労バッチの着用を禁止しているわけである。

就業規則で禁止し、着用した者は軽微であれ懲戒処分の対象とすべきであると要求していきたいと思う。

もっともこれは基本的には鉄道会社の労使関係の問題であって、政治的に介入すべきことではないかもしれないが、公共交通機関という公益性の強い事業で、しかも接客対応の駅員もそれをつけているのだから、一般市民や乗客からの非難にこたえるべきである。

私自身の職場の問題がかたずいてないのによそ様に手を出すことはできないが、しかし東京メトロは、国と東京都が株主となっている特殊会社で比留間元東京都総務局長が副会長として天下りしていることは、豊洲問題報道でもよく知られていることであって、都民が批判して当然よいのである。したがって判例を十分検討したうえ、都議会議員にこの問題をとりあげてもらうように今年はかならずやります。

 

 

2017/03/01

堀北真希の専業主婦宣言で思ったこと

  堀北真希というと写真週刊誌で、スーパーにでかけたところをキャッチされ資源ゴミ回収ボックスにペットボトルのキャップをジュラジャラ入れていたという記事をみた。セレブでもそんなことをやるのかという驚きだった。

  家庭に専念し暮らしていきたいとの趣旨で引退と事務所を言っており、専業主婦宣言といえる。サンケイスポーツによれば、関係者の話として、「堀北は一つのことに集中してしまうタイプ。特に今は第1子が生まれたばかりで仕事との両立は難しいと判断した」とのことである。
 政府がさかんに言っている仕事と家庭の両立支援だのなんだのという政治的スローガンにはうんざりするが、個人事業主の芸能人と、労働者とは別の問題とはいえ、堀北が言っていることは仕事と家庭の両立の明確な否定である、これは政府としてはけしからんことではないか。
 仕事も継続するが、子供もほしい、外人タレントとも不倫したい、なんでもやりたいママドルのほうがましである。
 仕事と家庭の両立とは要するにジェンダー論であって、性的分業の否定、性的役割分担の定型概念の否定、女性の継続雇用の強化のための政策である。
 堀北は両立は無理ですといっているのだ。堀北の考え方、夫が外で稼いで、妻が家庭を守るというのは古い捨て去るべきステレオタイプであって、内閣府などがやっている政策、ジェンダー論的にも、独裁者安倍の一億総活躍政策からみてもけしからんことなので、このさい独裁者安倍は政府の方針にさからっている堀北を非難すべきだろう。
 もっとも私が思うに、憲法は幸福追求の権利と職業選択の自由を保障している以上、専業主婦になろうと出家しようとそれは自由と思えるが、それを許さない全体主義的風潮が問題だ。

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