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2017/05/27

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない(続)

4.社会的・経済的成熟の要求は結局不当な主観的判断といえる

 

1)漠然不明確な婚姻の自由抑制理由

 

 1996年法制審議会答申は、当時成人年齢引き下げが議論になっていなかったにもかかわらず18歳とする理由として「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」としているが、結局それし主観的判断である。社会的・経済的に成熟した年齢とは21歳といえるし30歳ともいいうる。18歳とも16歳ともいえるし、人によって異なるともいえる。婚姻適応能力以上のものを求める理由が社会生活の複雑化・高度化というはの漠然としていて、具体的に何をさしているのか不確定である。こんな理由で、婚姻の権利をはく奪し、幸福追求権を奪うのは根拠薄弱だといわなければならない。

 政府が社会的・経済的成熟に達してないとする断定する年齢、例えば17歳の結婚が、当事者の福祉に反する、当事者の最善の利益にならない、婚姻適応能力がないという立証は不可能である。

 これだけ裏付けが乏しいのに国民の権利を縮小することがあつてはならない。

 

2)もともと婚姻適齢に自由主義的だった我が国の伝統に反する

 

翻って考えるならば我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、ただし数え年なので実質、ローマ法やカノン法と同じである。

明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979

明治民法(明治31年、1898年施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と定めた。女子15歳は医学上の見地で、母胎の健康保持のため15歳以上とするのが適切との見地による。それは一応合理的な立法理由となっている。

医学が発達し、女子の体格も栄養状況も良くなった今日、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。

戦後民法の男子18歳、女子16歳は、アメリカ合衆国で多くの州がそうだったとしてねたんに「宗主国」の法制の継受にすぎない。

筆者は、婚姻適齢法制のなかった明治前期の意義も大きいと考えており、挙式を要求せず、離婚も協議離婚で容易な結局我が国の婚姻法制は、欧米と比較しても自由主義的であり、民間の婚姻慣習を尊重しているといえるのであり、この伝統から婚姻適齢に関しても、政府の干渉は好ましくないと考える。

 

3)庶民の家族慣行に適合させることを重視している我が国の家族法の伝統にも反する

 

明治民法についても庶民の家族慣行を尊重している立法趣旨が伺えられるのである。それは逆縁婚の合法化で明確だと思う。

亡妻の妹と再婚することを順縁婚、人類学ではソロレート婚、亡兄の嫂を娶ることを逆縁婚、人類学でレヴィラート婚という

明治前期、逆縁婚が禁止されていた時代があった(明治8年太政官布告)。[山中永之佑1957]逆縁婚は士族の家族慣行では儒教倫理に反し許容できない。

しかし明治民法起草者3名のうちもっとも開明的な梅謙次郎が、庶民の家族慣行では、逆縁婚により家継承が円滑になされることを知っており、民法は庶民の慣習に適合すべきとして士族の筋目論を排除した。

貞女は二夫に仕えずという儒教倫理よりも家継承が重視されるのが日本の庶民の家族慣行であり、明治民法では庶民の家族慣行を重視し 順縁婚、逆縁婚とも合法としたのは大英断であったと考える。というのは、戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚し、家を継承しているのであり、無用の混乱を回避できたのである。

順縁婚は、逆縁婚ほど問題にはならなかったが、西洋では教会法によって近親相姦として禁止され、イギリスやフランスでは死別でなく離婚後の順縁婚を禁止していた。近代化にあたって、西洋のような立法政策もありえたのであるが[廣瀬隆司1985]、やはり入夫婚姻(聟入)のケースで妻が死亡したとき、聟がそのまま亡妻の妹と再婚して家を継承することはありうることであって、庶民の慣習からみて順縁婚合法は妥当なものである。

明治民法制定より以前には夫婦同氏も庶民では普通の慣行となっており、明治9年の太政官指令を覆したともいえるが、そのように、家族法とは、国が上から目線で支配階級の家族慣行を国民に強要するものではないのであり、民間の慣習に合致することを重視していた。

しかし、今回の1617歳女子婚姻非合法化は、あつかましくも高卒程度の社会的・経済的成熟の要求という、上から目線のもので、庶民の婚姻慣習を重視していたこれまでの家族法の立法思想とも違和感がある。

 

 

4)平均初婚年齢の上昇や、18歳未満の結婚が0.21%と少ないことは婚姻適齢引き上げの根拠にはならない

 

 我が国では、平均初婚年齢、生涯未婚率の上昇が人口問題となっていることは周知のとおりであり、90年代三千組いた未成年者の結婚も2015年の1617歳女子の結婚が1357組ですぎず、全体の0.21%にとどまっており、アメリカ合衆国の2014年に1517歳の未成年者の結婚が約 57,800人、全体の0.46%と比較しても少数である。

 しかし、初婚年齢や未婚率は、社会的・経済的・文化的・政治的状況で変異する変数であるが、先進国だからとか、高度産業社会だから晩婚化するというような性質のものではない。ユタ州女子の平均初婚年齢は22歳だという。人口政策的にはうらやましい限りだが、経済が好調であることもあるがモルモン教の文化に由来することはほぼ間違いない。

 我が国でも、文化的状況の変化や政策転換で未婚率上昇はくいとめることは可能である。

 個人がおかれた社会的・経済的・文化的諸状況は個人差があるので、早婚の人もいれば晩婚の人もおり、生涯結婚できない人もいるのである。

 したがって理念的な法廷婚姻適齢の問題とは別である。

ローマではアウグスティヌスの立法以来、婚約最低年齢を7歳、婚姻適齢を男子14歳、女子12歳としてり、教会法(カノン法)もローマ法を継受し、コモンローもそうである。カトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、婚姻適齢を男子16歳、女子14歳とし、英国は1929年に婚姻適齢を男女とも16歳としているから、男子14歳、女子12歳は2千年に近い長きにわため婚姻適齢の基準であったわけが、だからといって、前近代社会が早婚であったわけではない。

これは近年の歴史人口学、歴史民勢学の成果で明らかなことであり、ヘイナルの指摘するように北西ヨーロッパは、前近代から女子の10代の結婚は少なく20代半ばが普通だった。晩婚で未婚率が高かった。むしろ工業化で女子が工場労働に参入することにより、持参金効果をもたらし婚姻年齢が下がった。

なおイタリアは比較的若かったといえる1427年フィレンツェは、市内でも農村部でも女子は18歳、ヴェネチアは貴族では1416歳だった。[高橋友子2008]

我が国でも、持統女帝(ウノノ皇女)が13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳と若いが、一般の庶民は20代と婚姻年齢は高かったと考えられている。

従って、法定婚姻適齢は、初婚年齢などの推移で上げ下げするような性質のものではない。

 

 

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