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2017年8月の5件の記事

2017/08/30

都民ファースト・公明党の「子どもを受動喫煙から守る条例」案に強く反対

喫煙する親=児童虐待者と決めつけ新たに社会の敵をつくるような小池都民ファーストの政策は、糾弾されるべきだ。子供の権利の政治利用に反対する。
 
1. 親の監護教育権への干渉に反対する
 
 子供の幸福を願うのは第一に親であって、どのような環境で育てるかは親の監護教育権の範疇であり、政府や自治体が干渉するのが間違いである。私は狭い家で父も祖母も喫煙する家庭で育ったが、タバコを買いに行ってヘビースモーカーの祖母に喜ばれたことはあれ、健康を害したという覚えはない。喫煙の健康への影響は教育だけで十分であり、仮にそれによって健康を害したとしても父や祖母を恨むことはない。努力義務で罰則がなくとも、親の監護教育権、家庭というもっとも安心できる場所、私的空間・プライバシーの領域を規制するのは、行き過ぎた。
 受動喫煙がどの程度の問題か医学的なことは知らないが、少なくとも、当事者である子供の福祉のために絶対避けなければならないというものではないし、当事者である子供にとってとりかえしのない負担を課すものではないのであるから、子供の健康を守るという口実よりも親の監護教員権や私的自治のほうが重要な価値であり、政府・自治体の干渉はやりすぎで私はそれゆえに条例に強く反対する。
 
 
2. 家庭の私的自治への干渉に反対する
 
 近代市民社会の基本原則、契約の自由、私的自治、自己責任である。嗜好品としての酒やたばこをどうたしなむかは、家庭の私的自治の領域であって、家庭という私的空間に官憲が踏み込んでくるようなことは行き過ぎて、プライバシーの侵害ともいえる。努力義務といっても努力していない家庭は攻撃の標的となる恐ろしい社会になるのではないか。
 特にマイカーでの喫煙は、外から見られるので官憲が踏みこみやすく、単に嗜好品をたしなんでいるだけで、他人から今後告発され子供の虐待者とラベリングされる、そのようなリンチをする社会は恐ろしいと思う。
 タバコは中毒になるので、そう簡単にやめられない人も多く、喫煙場所が限られているからつい車内で吸ってしまうことは当然あることで車内での禁止規定は行き過ぎた。
 
 
3.結婚し家庭を築く権利の侵害になる
 
 結婚し家庭を築き子供を育てることは憲法13条の幸福追求権や24条1項の婚姻の自由という法益にかかわる国民の重要な権利であるが、このような条例が制定されることによって、結婚生活のために禁煙を強要される懸念がある。結婚とは相互扶助の共同体を形成することで、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生に困難があっても乗り越えられる。しかし喫煙者であるために結婚を断念するか、東京都のような条例のない他県に引っ越さざるを得なくなるのは大きな負担だ。
 昭和時代より住宅事情がよくなったとはいえ、大きな家に住める人は子供と別の部屋で喫煙すればよいが、1間や2間の家庭なら子供のために禁煙を強要されることになるし、所得の低い人への差別を生む。
 また喫煙習慣のある祖父母に子供をも預けられなくなるし、喫煙者のいる老父母のいる三世代家族では、老父母を追い出さなければならないのは悲劇である。父母や祖父母が子供や孫と暮らす権利という幸福追求の核心的権利の否定になると思う。
 喫煙している親は、歩く児童虐待者とラベリングして社会の敵にしようとする、このような嫌煙ファッショのような条例は理念からして間違っていると考えるものである。

2017/08/13

民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する

 成人年齢を18歳に引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するにあたり、1996年法制審議会答申の案を採用し、法定婚姻適齢を現行の男18歳・女16歳から男女とも18歳とする。また新成人年齢と婚姻適齢を一致させるため、未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であること報道されているとおりであるが、
 私は強く反対であり、男女とも配偶者が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。
 本音は法改正それ自体反対であるが、男女別の取り扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、形式的に男女取り扱いの差異をなくし、平等な法案としつつ、古くから婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案する。結婚し家庭を築き子供を育てる権利は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であり、安易にはく奪すべきものではない。彼女らの婚姻の自由の抑制、幸福追求権の否定について異を唱えるものである。イングランドやアメリカ合衆国の32~33州、カナダの主要州が男女とも婚姻適齢を16歳と定めているが、成年擬制の問題があるため、男女共16歳では反対が多いと判断し、当事者の一方が18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の16・17歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制をモデルとして採用した。
 
川西正彦の提案
 
731条修正案
 婚姻するには当事者の一方が十六歳に達し、他方が十八歳に達していることを要する。
 

(男女取り扱いの差異をなくしたうえ、16・17歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)
 
737条(廃止せず維持)
未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。
父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする

753条(廃止せず維持)
 未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす。
 
 修正案を提案する要旨
1. 婚姻適齢を18歳の成人年齢に一致させることが世界的趨勢であるとはいえない。1996年法制審議会答申が18歳が世界的趨勢と言っているが全く虚偽であり、国会と国民をだましている。だまし討ちのような法案に賛成できない。
 〇イングランド 婚姻適齢は男女とも16歳で、未成年は親の同意を要する
 〇スコットランド 婚姻適齢は男女とも16歳で、親の同意要件はない
 〇アメリカ合衆国
 32~33州が16歳を親の同意要件だけで婚姻適齢としている。その他の州でも17歳を婚姻適齢とする州が若干あるが(ニューヨーク・ネブラスカ)16歳は大多数の州で親・保護者の同意要件だけで、あるいは裁判所の承認があれば結婚可能な年齢である。マサチューセッツ州男14歳女12歳、ニューハンプシャー州男14歳女13歳のようにコモン・ロー水準を維持している州もある。また27州が裁判所の承認等によって年齢制限なしに婚姻可能である。
 なお、アメリカ合衆国の各州においても我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)[永水2017]。
 〇カナダ 主要州の婚姻適齢は男女とも16歳で、未成年者は親の同意を要する
 アメリカ合衆国で16歳を婚姻適齢の基準として、16歳未満でも27州が年齢制限なしに婚姻可能としているのは、米国には私法の統一運動があり1970年代の統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の以下に引用する統一婚姻・離婚法モデル案に従った州が多かったためであり、これが婚姻適齢の標準モデルとなっているからである。
 1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。[村井衡平1974]
203条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
 この案は、アメリカ法曹協会家族法部会が関与しており、アメリカの法律家の標準的な考え方を示したものといいうる。
 婚姻年齢を制限しない考え方は、たぶん連邦最高裁の Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)ウォーレン法廷意見が「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」と宣言したうえ「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となる[米沢広一1989]と判示したことと関連している。
 しかしより本質的にいえば、英米の法文化で「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺があり[守屋善輝1973 356頁]フリート結婚婚やグレトナ・グリーン結婚のような、自由な結婚を民衆が求めた歴史的脈絡からも理解すべきである。。
 英米法制史では、イングランドでは1753年まで有効な法だったコモンロー・マリッジが中世教会婚姻法と全く同じ理念にもとづいており、カノン法はの早熟は年齢を補うという趣旨で、ローマ法の婚姻適齢男14歳女12歳をさらに緩めたのであって、古典カノン法の合意主義婚姻理論は相互的な現在形の婚姻誓約で婚姻は成立し、合衾により完成婚となり婚姻不解消の絆となるというものだが、合衾が婚姻適齢未満であっても有効な婚姻であることは12世紀の教皇アレクサンデル3世の教令により明確な根拠のあるものであった。  
 カノン法は性交不能を婚姻障碍としており。性交可能な身体的心理的な成熟をもって婚姻適齢としているので、実質婚姻適齢の制限のない法制といえる。そうした文明史的脈絡も背景にあると理解すべきである。
 
 
 このように英米などで16歳を婚姻適齢の基準とし、アメリカではそれが標準的なモデルとなっていることから、18歳に引き上げることが世界的趨勢とはいえないのである。
.(予想される当局側の反論に対する反論)

 以上の私の主張に対して、当局が言いそうな反論を想定すると、2008年フランスがそれまでの男18歳・女17歳婚姻適齢15歳であったのを男女とも18歳としていること。2017年ドイツは東西統合以来、婚姻適齢を男女とも18歳を原則としつつも、配偶者の一方が18歳以上ならば16歳以上で婚姻可能としていたものを、男女とも18歳とすることで閣議決定したとの報道があることから、フランスやドイツの動向に我が国も追随すべきだというに違いない。
 これについては私は次のように反論する。
 フランスが未成年者の婚姻を否定した主たる理由は、北アフリカ・中東のイスラム圏移民が増加し、親決めの強制結婚が非難によるものである。ドイツも同様にイスラム圏移民の強制結婚に対する非難である。
 当事者との同意を基本とする法文化は、ローマ法にはじまり、特に教会婚姻法が、親の同意要件を一貫して否定したことにより、ラテン=キリスト教世界で定着した法文化であってイスラム圏は異なることから摩擦を起こしたものとみてよいだろう。我が国ではイスラム圏の移民は少数で、未成年者の結婚が社会問題ともなっていないし、我が国では未成年者の婚姻はたいていの場合は当事者の合意が先行し親や追認するケースと考えられるので、仏独の事情とは異なるから追随する理由はない。
 また、ごく最近のことだが2017年6月にニューヨーク州が従来14歳以上で結婚できる法制だったものを、婚姻適齢を17歳以上と改正した事実がある。
 近年、発展途上国に広範にみられる親の強制による児童婚撲滅を主張する人権団体の活動が目立っているが、ニューヨークでもヒューマンライツウォッチという児童婚に反対する団体が、14歳で結婚できるニューヨーク州法を敵視し、民主党州議会議員に働きかけ、クォモ知事も賛同したため法改正がなされてしまった。人権団体の言いなりになった感がある。
 しかし米国では先に述べたように結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つとされていることから、結婚を妨げることが子供や女性の人権だという主張は主流の考え方とはいいがたい。
 年少者の結婚を敵視するヒューマンライツウォッチが天下を取っているのでもないのに、政治が人権団体の主張に踊らされてる傾向はとてもよくない情勢といえる。
 しかし、一方で男14歳、女13歳と婚姻適齢の低いニューハンプシャーは2017年3月に婚姻適齢引上げ法案を州議会が否決している。したがってニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドだとはいえないということを国会議員の先生方にご理解いただきたいと思う。
 私の主張は、結婚し家庭を築き子供を育てる権利は、判例で確立しているわけではないが幸福追求に不可欠な基本的権利ともいえるもので、古くから性的に成熟し婚姻するに相応しい年齢であった16・17歳女子の婚姻資格はく奪は憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の重大な侵害というものである。未成年者だからといって当事者の最善の利益に反することが証明されることもないのに安易に権利をはく奪することは許されないとする考えである。
 児童婚撲滅論者の主張は、早婚は女性に貧困をもたらし、性病に罹患したり、夫から暴力を受けたり、高校中退の可能性を高くしし当事者の福祉に反するものと決めつけたうえで、各国政府は早婚を規制すべき法を定めるべきというものであるから、結婚を妨げることが人権擁護という主張である。親の強制結婚を非難するが、後述のとおり当事者の合意を基本とするのはローマ法、とりわけ教会婚姻法の理念で、西洋文明における理念である。そうでない文化的背景の地域については、文化相対主義の見地から、それが是正されるべき慣習などというのはあつかましいことであって、同意できない。180度異なる考えである故、イデオロギー上の敵である。
 法務省は今後こうした団体からの突き上げがないよう、この際未成年者の権利をすべてはく奪しておきたいのかもしれないが、圧力団体のクレームが面倒だから、法改正をして権利を取り上げるというのは立法目的としては正当なものとはいえない。
 
 
2. 1996法制審議会答申の「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という法改正趣旨、婚姻の自由の抑制理由は不当なものである。
(1)そもそも正当な立法目的とはいえないし、実質的関連もない
 我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていたことから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979]
 明治民法(明治31年1898施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と定めた。女子15歳は医学上の見地で、母胎の健康保持のためであった。戦後民法の男子18歳、女子16歳はアメリカで多くの州がこの婚姻適齢であったためである。
 民間の慣習からみても16・17歳女子は古くより婚姻するにふさわしい年齢であった。
 16・17歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱であり、、16・17歳という社会的地位(義務教育修了)・稼得能力(就労できる年齢である)では社会的・経済成熟に達しておらず婚姻適応能がないということはできない。
 実際16・17歳での結婚は1990年代で年間約3000人、近年では2015年に1357人に減少したとはいえ、彼女らに婚姻適応能力がなかったという立証は不可能である。1998年にタレントの三船美佳が40歳の高橋ジョージと結婚し、鴛鴦夫婦として有名になった。2015年に離婚したが、仮に18歳で結婚したとしても同じことであり、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかった、あるいは当事者の福祉に反する結婚だったと断定する根拠は何もないのである。
 私の考えでは、16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、18歳では婚姻資格があるが、16・17歳は婚姻資格を喪失するという年齢差別の問題として憲法13条の幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性にいずれも反していると判断する。
 「婚姻をする自由」については近年注目された再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427が14条1項と24条1項についての次のような違憲判断基準を判示しているが、待婚を強いるという点で類似した事案ともいえる。。
「憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(引用-略)‥‥‥このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法14条1項に違反することになると解するのが相当である。(中略)婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる。 そうすると,婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である」
 本件は憲法14条1項の違憲審査基準の合理的関連性のテストという緩い審査基準を採用しながら6か月の禁止期間が、父性の推定の重複を回避するという立法目的と合理的関連性がないとして違憲と判断されたものである。
 ただ、婚姻の自由の趣旨も一応重視されている。千葉勝美元最高裁判事の著書[2017 105頁]によれば「婚姻について制約を設けることは、自由な婚姻に関する無利益(それが憲法上の基本的人権とはいえなくても、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であろう)を制限するものであることは間違いなく、制約が過度なものである場合には、憲法適合性が問題になる」と解説している。
 実質、緩い合理的関連性のテストというよりは、正当な立法目的と実質的関連性を求める中間審査基準に近い判断のようにも思える。
 再婚禁止期間の問題と異なるのは、それは父性の推定の重複を回避するという正当な立法目的があったが、16・17歳女子婚姻資格はく奪は、そもそも立法目的が正当かそれ自体が疑問なのである。
 成人年齢を18歳に下げるにあたって、婚姻年齢を一致させるというのは、たんに便宜になるので正当な立法目的とはいえない。成年擬制制度は不要であるというのも、米国45州に未成年者解放制度という、成年擬制制度が維持されているので論理性がない。
 そうすると1996年答申の「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨になるが、社会生活が複雑・高度化云々は具体的に何を指しているのか不確定である。このような漠然不明確な理由で憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益がはく奪されてよいのかという疑問をもつものである。
 16・17歳女子は労働法で就労が禁止されているわけでなく、稼得能力はあり、婚姻生活が可能であることは、現実に年間1300~1400組程度の婚姻がある事実で明らかである。こうしたカップルが社会生活の複雑・高度化に対応できず難儀しているという話はきいたことがない。
 仮に16・17歳は経済的能力に欠くという見解に同調するとしても、結婚は相互扶助共同体なので、分業により配偶者の一方に稼得能力、経済力があれば婚姻生活は維持できる性質のものである。また当事者の経済的能力が乏しくても、実家の支援で補うことのできる性質のものでもある。
 従って、経済的成熟度に重きを置くという立法趣旨と、たからといって16・17歳の婚姻資格をはく奪しなけれはばならないということの実質的関連性はないというべきである。
(この趣旨からも私は法的な男女取り扱いの平等を達成しつつ、配偶者の一方が成人であれば16・17歳で結婚可能とする修正案を提案した。憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益を喪失しないかたちでのより無難な修正案である。)
 
 この点、表向きには表明されていないが隠れた立法趣旨として、男女とも18歳に揃える趣旨は、結局男子の婚姻適齢を引き下げて
も、16・17歳で結婚するのは女子であり、それは夫の稼得能力に経済的に依存したものとなり、男女役割分担の定型概念を助長するので、16・17歳の婚姻資格をはく奪するという趣旨を看取できるが、ジャンダー論やマルクス主義フェミニズムといった特定のイデオロギーに沿った婚姻政策だといえる。
 しかし婚姻生活における夫婦の性的分業は私的自治によるべきものであって、政府が干渉すへき事柄ではない。伝統的な性的分業の夫婦であれ、共稼ぎで夫が育児休業を取る現代的な夫婦であれ、結婚それ自体は区別されることなく尊重されるべき性質のものであり、特定のイデオロギー的立場からの婚姻生活の在り方についての政府による干渉や統制は、私的自治を否定する全体主義的政策であって、そのような隠れた立法目的は、我が国のような自由主義国家においては正当なものとはいえない。 
 
(2)法が社会的・経済的成熟を理由に婚姻の自由を抑制するのは不当な差別を生む
 
 「社会的・経済的成熟」の要求が一見もっともらしくみえるのは、世間一般の慣行において、結婚するにあたって当事者の経済力・稼得能力を重視するのは普通のことだからである。
 近年歴史民勢学がさかんになり、西欧は前近代から晩婚で生涯未婚者の多い社会であったことがわかっている。「ヨーロッパ型結婚パターン」では 女性が平均で20代半ばで初めて結婚し、性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。
 一般論として旧ヨーロッパ社会では、土地や家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993 10頁]16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは20~24歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。25~29歳でも46%と50%であった。むしろ近代産業革命により女性が工場労働に進出したことが持参金効果をもたらし初婚年齢を低くした。
 このように当事者の経済力を結婚の前提とするのは世俗のならわしとはいえ、しかしながら重要なことは西洋の法文化は結婚を社会的地位や経済力によって拘束する考え方を明確に否定するものだったということである。。
 世俗的慣行での現実的制約と、万人に適用される法の理念とは区別しなければならない。 
 「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)の法諺がそうである。
 これはローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論に由来するが、中世教会婚姻法が継受しその理念は一層明確になった。婚姻は教会裁判所の管轄権であったから古典カノン法は西方の普遍的統一法であるが、婚姻の自由の理念そのものだったといえる。
 現在形の言葉による相互的婚姻誓約(証人は2人で俗人でよい)で容易に婚姻が成立し、合衾により完成婚となるが、挙式を要件とせず、親の同意要件も否定した。婚姻適齢はローマ法の男14歳・女12歳を継受したが教会法はさらに緩めた。教皇アレクサンデル3世(位1159-1181)の教令は婚姻適齢前であっても合衾により完成婚となり婚姻不解消となるとしたため、早熟は年齢を補うとして、婚姻適齢前の結婚を有効としているのである。カノン法は、人類史上類例のない婚姻の当事者による自己決定権を重視したもので、それゆえ「秘密婚」の温床となり結婚における社会的・経済的利害関係を捨象しているため、世俗権力と著しく対立したが教権は数世紀にわたって婚姻の自由のために抗争したのである。
 結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。
 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。「もし自ら制すること能はずは婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりは勝ればなり」「淫欲の治療薬remedium concupiscentiae」と公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するため、人は妻を持ち、女は夫を持つべきだし、子どもを私生児にしないためにも結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。
 また、結婚は花婿キリストと花嫁教会の一致を象徴するしるしとして秘跡とされ、夫婦愛や性交を神聖視する思想も現れたので、社会的・経済的条件で法的に結婚を制約することがあってはならないのである。
 教権は1563年のトレント公会議で、秘密婚に対する非難をかわすため、婚姻予告と教会挙式を婚姻の要件と定めたことから、婚姻の自由の理念は後退したといえるが、フランスからの親の同意要件の要求は断固拒否した。
 古典カノン法の理念は英国でもっとも色濃く継承された。宗教改革後も中世教会婚姻法が「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として生ける法として継続し、イングランドでは1753年まで、スコットランドではそれ以降も有効な婚姻だったからである。
 民衆が「古き婚姻約束の法」を支持したのは、婚姻予告制度を嫌う人が多かったこと。身分差のある結婚や、親から反対されている駆け落ちでコモン・ローマリッジを利用したのである。18世紀後半から19世紀にかけてのグレトナ・グリーン結婚こそ古典カノン法そのものの結婚だった。純愛に燃える男女が四頭馬車を駈け、轟く胸を抑え、自由結婚の聖地スコットランドを目指したのは、婚姻風俗史におけるハイライトといえるだろう。
 近代においては婚姻法は還俗化されたため、未成年者の親の同意要件は通例となったが、それは教会法では無視された親権の確立であって、カノン法の影響は大きく当事者の合意を基本とする西洋の法文化は決定的なものとなったといえる。
 
(3)社会的・経済的成熟など無視して、たんに孤独からの救済、慰めと平穏を得るための結婚、社会的に承認された性欲充足の手段としての理由だけでも結婚には価値がある
 伝統的な結婚するための理由づけとしては、カトリック教会の教説を引用すると.トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]  また、1917年に公布されたカトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化されている。
 私は「ローマ公教要理」をそれなりに評価したい。相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求という理由だけでも結婚してもよいし、淫欲の治療薬として社会的に承認された性的充足のためという理由だけでも結婚してよいというもので、婚姻の自由の理念は維持されている。
 社会的地位や経済的成熟は結婚の要件とはしていないのである。
 近代個人主義的友愛結婚の提唱者は清教徒のミルトンであるが、それは孤独からの救済、慰めと平穏を得るための結婚であり、結婚の目的が親族の利害でも、財産でもなく、世間体でもなく、個人の心理的充足を第一義とするものであり、それは現代人の多数が支持する結婚観である。
 以上のような西洋文明の法制史や結婚に関する教説を俯瞰するならば、「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺は無視できず、婚姻法の立法(法改正)趣旨が、社会的・経済的成熟度を指標として、婚姻の自由を制約するというのは、非常に筋の悪い、国民の結婚という基本的権利、幸福追求権を蔑ろにしたものといえるのである。
 社会的地位や経済的能力がどうであれ、ミルトンのいうようにたんに慰めと平穏を得るための結婚であってもよいのである。それを否定するなら、国民の結婚の価値観に関する政府の不当な干渉となる。
 また一般論としていえば身体・精神が健常でないあるいは疾患のある人は、成人であっても経済的能力は劣る。しかし経済的成熟に達してないという理由で結婚する権利が否定されることはないのであるから、それを未成年者だけにあてはめるということは不当な差別を生み出すといえるだろう。
 
 私は新約聖書という明確な根拠のあるコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)「淫欲の治療薬remedium concupiscentiae」同毒療法としての結婚の意義を強調したいのであるが、そういうとそれは古代教父、中世スコラ学者が強調した教説であって、現代的ではないと批判されるかもしれない。しかし次のように反論したい。 
 実はこの教説が恋愛の結実としての結婚を正当化し、個人主義的心理的充足を目的とする近代友愛結婚の思想的淵源であり、ミルトンも当然引用している箇所であり、現代に通じている。
 キリスト教から離れて、世俗的な意味で発達心理学的にみても「情欲の緩和」は結婚目的の一つとして肯定しうる。たとえば青年心理学者の次のような見解である。
「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。‥‥一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣)からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .)は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い‥‥、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。
 性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決する方法は性的に夫婦が適合した結婚をすることである。しかし性的適合性には身体的心理的要素が複雑にかかわりあって居り、夫婦の相互協力によりその達成は大体可能である‥‥‥」[泉ひさ1975]
  性行為の依存傾向、性的乱交傾向のある少女については、心理学的には性的同一性の形成過程として温かい目でみるべきであり、相手を独占できる結婚により情緒的に安定するなら、それは望ましいことである。 
  結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義があるとするならば、あるいは、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求を結婚の目的として重視するならば、社会的・経済的成熟が必要という漠然不明確な理由から、結婚が妨げられる理由はない。 
 「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という婚姻資格はく奪理由は全く不当なものである。
  
(4)相互扶助共同体の形成の意義を軽視しすぎている
 
 法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。
 民法では家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものとされている。
 結婚し家庭を築き子どもを育てる権利が、憲法13条の幸福追求権、24条1項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、16・17歳女子は古くより婚姻するにふさわしい適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、近年では2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではないし、1357組の当事者に婚姻適応能力がなかった、あるいは当事者の福祉に反していたということを当局が立証することは不可能である。
 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは非常に大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することは不可能である。
 にもかかわらず、今回の法改正は当事者の幸福追求に不可欠な基本的権利たる結婚資格をはく奪するというのである。
 今回の法改正は、年間1300~1400組のカップルに寄り添うものでは全くなく、彼らの幸福追求権や人生の決断をうとんじ、軽蔑する態度に出たものであって、あくまでも政治というものは圧力団体のご意向に沿うものであって、日弁連女性委員会その他女性団体がかねてから主張しているとおり、16・17歳女子の婚姻資格をはく奪するのは当然である。また近年、世界的な児童婚撲滅運動が強くなっているので、突き上げを食わないためにもこのさい未成年者の婚姻をはく奪して、人権団体の主張にあわせるのは当然といわんばかりのものの上から目線の傲慢なものであって、民間の婚姻慣習、国民の権利よりも圧力団体を満足するための法改正目的になってしまっており非常の筋に悪い法改正といえるのである。
 結婚こそが女性の幸福ではなく、経済的自立や教育こそ重要であるというのは偏った思想であり、私は人権団体の主張に同意できない。そういう思想は、古典的一婦一婦制の止揚とか、個別家政の廃止、家族死滅論のようなマルクス主義に親和的な見解なのである。
  「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」  Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)
 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚は愛の損失の契機ともなりうるため、待婚を強いるのは過酷といえる。
 
 
(5)「社会的・経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定化である
 法改正案が「加計ありき」ならぬ「16歳・17歳女子婚姻資格はく奪ありき」となっているのは表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、底意とするところは、16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意である。結局それは男性の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化しようというものである。
 そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。
 法的平等以上に、特定のイデオロギーによる結婚観を立法目的とすべきではない。アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人を多くみかけるがとんでもない。
 日本の「家」の構造(明治民法の「家」ではなく、1960年代のフィールドワークに基づく慣習としての「家」)を理論化しているのが厳密な定義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[1970、1972、1973]である。。
 清水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると理論化している。
 日本の「家」は家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。
 清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大家族はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とは定義されないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想であり、マルクス主義の家族死滅論に接近するものというべきである。
 婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を法改正趣旨に看取できるのであって、この民法改正案には反対せざるをえない。
 重ねて言うがたとえ、男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域であるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしても、それを特定の思想的立場から敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。
 
 
  
(6)高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

 今回の改正は1996年法制審議会答申を下敷きとし、法改正理由として高校卒業程度の社会的・経済的成熟が結婚のために必要との観点を示していた。
 しかし、義務教育終了後、就職・職業訓練・奉公・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは本人の選択、親の身上統制権、監護教育権の領域の問題で、政府や他者が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就労することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力はある。仮に義務教育を終了しただけの社会的地位では、経済力が乏しいという主張を認めるとしても、結婚相手の経済力、実家の経済力で補うことができれば何の支障もない。
 囲碁棋士は井山裕太六冠をはじめとして一流棋士はほとんど中卒である。井山六冠は将棋の女流棋士と離婚したが中卒だから婚姻適応能力がなかったとはいえないだろう。
 いかに、政府や女性団体が16歳・17歳の結婚を嫌おうと、国民の幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証することもしていないのに、権利はく奪を強行することは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が社会的・経済的成熟に達していないと根拠もない勝手な理由で干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習も他人が干渉する性格のものではない。
 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受容れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
 
 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994]
 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法(男二二歳、女二〇歳)のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」と述べておられる。
 法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。
  むしろ高校を中退せざるをえなかった、あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきではないだろうか。

3. 野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された


 野田愛子氏(1924~2010)とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)であり、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。
「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。
 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。
 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)『戸籍時報』419 18頁〕
 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。
 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。
 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、古くから男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。
 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。
 
4. 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理
  ( 成人年齢で権利能力の付与を一元化する発想は極論である)
 今回の民法731条改正は、1996年法制審議会答申を下敷きにしているものの、ひとつ違うのは、当時は20歳成人年齢が前提だったが、今回は、成人年齢18歳引き下げに伴う法改正で、この際、成人年齢と婚姻適齢を一致させ、成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止するというものである。
 成人年齢が18歳に引下げられる以上、18・19歳の同意要件は不要ということについてあえて異議を唱えないが、私の修正案は、男女を問わず配偶者が18歳以上なら、16歳以上で結婚可能とする案であり、形式的平等を達成しつつ、現行法制どおり、16・17歳女子も結婚を可能として婚姻資格剥奪という野蛮なことはせず、十分配慮のいきとどいたものにしようというものであり、成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止しないというものである。
 民法学者に多いのが、成人擬制と親権者の同意要件を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的という見解であるが、私は大反対である。
 シンプルだからいいなどというのは暴論である。未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。一定の未成年者は、一定の事項について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきであるということは一般論として認められる議論であり、婚姻の権利については、個人の幸福追求に不可欠な意義を有するものであり、成年擬制制度もこれまで問題を生じることなくつづいてきたことであるから、なおさら重視されなければならない。以下、その理由を記す。
(1) 45州の成人年齢が18歳であるアメリカ合衆国にも婚姻による成年擬制制度がある
 アメリカでは1971年の憲法修正26条1項で「18歳以上の合衆国市民の投票権は、合衆国または州により、年齢を理由として剥奪、制約されない」と定められているが、成人年齢は統一化されていない。
 米国の成人年齢は45州が18歳、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。コモンローの21歳を墨守している州もあり、選挙年齢と成人年齢が違っていても別によいわけである。
 もちろん婚姻適齢と選挙権は別の問題であり、すでに述べたように米国では16歳を婚姻適齢とする州が三分の二以上を占めるが、16歳未満でも裁判所の承認等により未成年者でも結婚は可能としている州が多い。
 米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度があるのである。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うのである。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水2017]
 したがって、米国の立法例からみて成人年齢を18歳に下げても未成年者の婚姻による成年擬制があって当然よいのである。
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(2)伝統的には成人年齢と成熟年齢を分けていた
 
 法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。婚姻適齢や証拠法上の証人は、成年より低い年齢を設定している。ローマ法も同様の規定である。
 
(3)未成年者でも16~17歳と16歳未満を区別する外国法の例
 
A スコットランド
 現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たない範疇をminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]
 スコットランド法の特徴は、16歳であらゆる契約締結能力をもたせており、12歳以上で遺言の作成、弁護士に代理を指示する能力を持つとする。スコットランドでは男女とも親の同意要件なく婚姻適齢であることはすでに述べたとおりである。
 これは婚姻に親の同意要件を認めない古典カノン法がが「古き婚姻約束の法」として近代まで生ける法だった伝統に由来するものと思われる。グレトナ・グリーン結婚の結婚風俗で知られるとおの婚姻の自由の聖地としての国の誇りを看取することができる。
   私はスコットランドの法制を特別支持するわけではないが、自由な結婚の理念を現代まで継承している点で特筆に値する。
 
 B イングランド(16歳未満がchildで16・17歳のyaungpersonと明らかに区別)
 イングランドにおいては同じ未成年であっても16歳未満がchildで16・17歳のyaung
personと区分された明確な線引きがあるのが特徴で、16歳以上はかなりの権利を有している。
 有効な意思確認は12歳以上、ヘッドギアなしの乗馬14歳以上、婚姻16歳以上(親の同意要)、スクーターの運転16歳以上、避妊ピルの購入16歳以上、宝くじの購入16歳以上、オートバイ、自動車の運転17歳以上、飲酒は購入が18歳以上だが、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上となっている。[田巻2017]
 なお、イングランドは義務教育が16歳までであるから、婚姻適齢と重なる。私は英国の制度が必ずしも良いとは思ってないが婚姻適齢に関する限り妥当であると考える。児童福祉法の定義で18歳未満はすべて子どもでなければならないというような、我が国にみられる考え方が杓子定規である。
(4)成人年齢でなにもかも区別するのは不合理
 米国には婚姻以外であっても成熟した未成年者の法理が、医療や証拠法などで一定年齢以上の未成年者に成人と同様の権利を付与しているケースが多くある
 我が国の伝統社会(中世以降の臈次成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。
 なお、多くの人が誤解していることであるが。元服式とは、本質的には父の地位の継承者であることを明らかにする儀式であり、今日の成人とは違う。添(副)臥のような性行為がなされ、そのまま妻となることもあったが、平安中期以降、貴族の元服叙爵が低年齢化したことをもって成人年齢が引き下がったとみるべきではない。
 
 
 
(5)法律家だけでなく、発達心理学的見地、精神医学、人間学的洞察の必要性
 結婚の権利のはく奪という深刻な問題に際しては、法律家だけでなく発達心理学、精神医学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分として認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係による。自分だけでは容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。
 繰り返すが今回の改正案は性的に早熟な女子に対する敵意が看取できるが、性的に乱交傾向のある少女は、性的同一性の発達課題からみるべきであって、相手を独占できる結婚は情緒的に安定するので、結婚という選択肢を否定するのは酷である。
 特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法定め相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。
(6)18歳未満の第二級市民化のおそれ
 さらに18歳での一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すとことが問題だ。18才未満は憲法上の権利を享受しえない、第二級国民に貶められる危険性である。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のJKビジネス就労規制、セクスティング規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、死語となったはずの桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを強く懸念する。恐ろしい時代になりかねない。
 児童福祉法の定義に従って18未満は子供扱いし18歳以上は大人、未満は子供なので無権利でよいという極端な区分けの仕方に反対する。
 歴史的にみても16・17歳の女子は性的に成熟し婚姻にふさわしい年齢であったはずである。

2017/08/10

西村昭五郎監督といえば

 日活ロマンポルノの西村昭五郎監督の訃報に接して、自分がみた映画を思い出します。自分が見たのは1982年の連続暴行魔 白昼の淫夢とあんねの子守唄 くらいかな。連続暴行魔 白昼の淫夢 はポルノとして満足度が高く3回ぐらい見た。主演の水木薫の舞台挨拶を池袋で見た記憶がある。女優は快活で陽気にしゃべってましたが、来てるお客は暗かったですね。あんねの子守唄はトライアングルの小森みちこ主演でお盆シリーズだったと思う。季節としては今頃ですよ。

2017/08/06

民法731条改正案反対 要旨その1

要旨

 

 

一  男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

 

 男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由の一つは、婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であるとしているが全く虚偽である。

 第二に婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、論理性は全くない。

 裏づけとなる理由が乏しいにもかかわらず権利剥奪を強行する理由は、これまで18歳引き上げを主張してきた日弁連女性委員会ほか女性団体のメンツをたてることだけでしかない。女性団体の主張が、国民の幸福追求権や婚姻の自由よりも重視されている法改正として糾弾に値する。

 

(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだました。

 

1.16歳を婚姻適齢としている英米等を無視している

 

 英国は男女とも16歳であり【イングランドは未成年者に親の同意要件があるが、スコットランドはなし】、アメリカ合衆国の3233州が男女とも16歳を婚姻適齢の基準として親や保護者の同意要件により婚姻適齢である。27州が婚姻適齢未満であっても裁判所の承認により特例としてあらゆる年齢が可能であるほか、17歳や18歳を基準としている州も若干あるが、その場合でも法定婚姻適齢未満でも裁判所の証人により認めることができる法制をとっている州が大多数である。カナダでも主要州が16歳を婚姻適齢としている。

 米国で男女とも16歳としている州が大多数である理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデル[村井衡平1974参照]が法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢とし16歳未満であっても裁判所の承認により結婚を可能)とするモデル案を示していたため、多くの州がモデル案を採用したことによる。つまり16歳で親の同意があれば婚姻適齢とするのが推奨モデルなので、これが米国の標準的立法例なのである。

 

 2.統一婚姻・離婚法モデルの婚姻年齢を制限しない思想の淵源

 

 私は、米国の統一婚姻・離婚法の婚姻年齢を制限しない思想がより文明的で非常に優れていると思う。

 制限しない理由は婚姻適齢の引上げにともなう、婚姻資格の喪失が憲法問題となりうるということがある。

 Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしているためである[米沢広一1989参照]。 

 しかし、本質的には婚姻の自由という文明史的脈絡における理念の継承といえる。

 その思想的淵源は非常に古く「婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)」というローマ法の法諺による[守屋善輝1973 356頁]。ローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論は教会法(古典カノン法)が継受し、婚姻の自由は教会婚姻法の理念としてより鮮明となった。古典カノン法は親の同意要件を明確に否定するのみならず、挙式を要件としなかった。相互的な婚姻誓約に二人の俗人の証人さえいれば婚姻は容易に成立するものとした。

 結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7279(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するために、結婚は自由に容易に成立するものでなければならない。

 この教説は、神学を離れても、結婚が社会的に承認された性欲の充足の手段として、子供を私生児にしないためにも、姦淫・私通を減らして世に性倫理を確立するために結婚の自由の理念は文明的で妥当なものだったのである。のみならず、この教説は結婚を慰めと平穏を得るための個人主義的心理的充足を目的とする、近代個人主義友愛結婚の思想的淵源となり恋愛の結実としての結婚を許容しているという意味で、現代に通じている。

 カノン法は婚姻適齢についてローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、さらに緩くした。早熟は年齢を補うとして、合衾可能な身体的・心理的成熟に達していれば婚姻適齢未満でも婚姻適齢としていた。男に処女を奪い取る能力があり、女が合衾に耐えられる大人っぽさがあればよいのである。教会婚姻法は性的不能が婚姻障碍とし、合意で婚姻が成立するものの、合衾によって完成婚とするので、実質婚姻年齢制限はないといってよい。

 、英国では、古典カノン法が、宗教改革後においても「古き婚姻約束の法」(コモンローマリッジ)として継続し近代まで生ける法であったことから、カノン法の婚姻の自由の理念を最も色濃く継承した地域なのであり、「結婚は自由でなければならない」という法諺は元はローマ法でも英米の法文化のそのものといえるのである。

 

 

 このように少なくとも英米で16歳が婚姻適齢とされており、米国では年齢制限のない州も多数ある。米国では日本の成年擬制に類似した未成年者解放制度がある。なにもかも成人年齢に一致させる考え方をとっていない以上、18歳の婚姻適齢を世界的趨勢とは全くいえない。

 

3.予想される当局側の反論に対する反論

 

 

 以上の私の主張に対して、当局が言いそうな反論を想定すると、2008年フランスがそれまでの男18歳・女17歳婚姻適齢15歳であったのを男女とも18歳としていること。2017年ドイツは東西統合以来、婚姻適齢を男女とも18歳を原則としつつも、配偶者の一方が18歳以上ならば16歳以上で婚姻可能としていたものを、男女とも18歳とすることで閣議決定したとの報道がある。

 フランスやドイツの動向に我が国も追随すべきだというに違いない。これについては次のように反論する。

 フランスが未成年者の婚姻ほを否定した主たる理由は、北アフリカ・中東のイスラム圏移民が増加し、親決めの強制結婚が非難によるものである。ドイツも同様にイスラム圏移民の強制結婚に対する非難である。

 当事者との同意を基本とする法文化は、ローマ法にはじまり、特に教会婚姻法が、親の同意要件を一貫して否定したことにより、ラテン=キリスト教世界で定着した法文化であってイスラム圏は異なることから摩擦を起こしたものとみてよいだろう。我が国ではイスラム圏の移民は少数で、未成年者の結婚が社会問題ともなっていないので、仏独に追随する理由はない。

 また、ごく最近のことだが20176月にニューヨーク州が従来14歳以上で結婚できる法制だったものを、婚姻適齢を17歳以上と改正した事実がある。

 近年、発展途上国に広範にみられる親の強制による児童婚は、子供の人権を否定していると主張する人権団体の活動が目立っているが、ニューヨークでもヒューマンライツウォッチという児童婚に反対する団体が、14歳で結婚できるニューヨーク州の法制を敵視し、民主党州議会議員に働きかけ、クォモ知事も賛同したためであるが、人権団体の言いなりになった感がある。

 しかし米国では先に述べたように結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つとされていることから、結婚を妨げることが子供や女性の人権だという主張は主流の考え方とはいいがたい。

 一方で男14歳、女13歳と婚姻適齢の低いニューハンプシャーは20173月に婚姻適齢引上げ法案を州議会が否決している。したがってニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドだとはいえないということを国会議員の先生方にご理解いただきたいと思う。

 

 

(二)1617歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

 

 1996法制審議会答申は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当と考えられ」とするが、それが高校卒業の18歳に求められ、1617歳女子に婚姻適応能力がないという説得力のある根拠はなにも示されていない。

 

1.相互扶助共同体の形成の意義を軽視しすぎである

 

 法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。

  家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。

 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権、241項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、近年では2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではない。

 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない。。

 

 「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」 Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)

 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるのは過酷といえる。もとより結婚によって社会的承認のもとに結婚相手を性的に独占し性欲を充足できる意義も大きい、女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり[泉ひさ1975]、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。く

 ちなみに1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化しているが、トマス・アクィナスの教説を下敷きにしているものとみられる。16世紀トリエント公会議の「ローマ公教要理」Catechismus Romanusは男と女がと一つに結ばれなければならない理由の第一の理由は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」である。第二の理由は「子孫の繁殖への欲求」、第三の理由が初期スコラ学者が強調した「原罪に由来する情欲緩和の手段」であり、婚姻締結のためにはすべての理由は要求されず、以上の一つの理由があれば十分としている。相互扶助を重視する神学者としては19世紀前半ドイツのカルル・ウェルテルが「キリスト教倫理体系のなかで、婚姻の目的を「夫婦間の相互の献身とすべての生活善」の共有としている[枝村茂198。]ように、教会においてもちなみに結婚における、相互扶助共同体の形成の意義は強調されているのである。

 

2.「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺は否定すべきでない

 

 ローマ法、教会法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳であり(20世紀の教会法新成文法典は男16歳、女14歳たが、ここでは議論から外す)唐永徽令、日本養老令は男15歳、女13歳であるが数え年なので、実質ローマ法と同じことである。なお、我が国では明治民法(明治31年、1898年施行)が定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた[小木1979」。(なお、明治民法の女子15歳は母体の健康保持としいう医学的見地によるもねので、社会的・経済的成熟など要としてない、現行の16歳は1940年代にアメリカで女子の婚姻適齢を16歳とする州が多かったことによる)

 14歳と12歳は概ね思春期(破瓜期・第二性徴期)に近い年齢で、合衾(床入り)可能な身体的・心理的性的成熟を指標としたものと理解できる。ローマ法の当初の目的は別として、教会法は早熟は年齢を補うとしていたことから、法によって婚姻年齢をコントロールしようとする思想はないとみるべきである。「婚姻は自由でなければならぬ」法諺の意味するところは、法は、社会的・済的諸条件を課して、当事者の合意による結婚を否定しないという意味だろう。

 しかし、現実の結婚は自由ではなかった。歴史民勢学の成果で近年では前近代社会でも平均初婚年齢は高かったことが指摘されている。

 「ヨーロッパ的結婚バターン」は 女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。

 我が国でもなるほど持統女帝(鵜野皇女)は13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳での結婚だが、奈良時代の一般の庶民の女性は20代なかばがせ普通だったということは歴史家が明らかにしていることである。

 つまり、平均初婚年齢は、社会的、文化的、経済的諸状況による変数であり、人が結婚する年齢はその人の置かれた境遇、社会的・経済的地位によって拘束される。持参金や花嫁代償の用意が必要となる。財産や収入がなければ結婚できないのが世俗的なならわしなのである。

 しかし法は、とくに教会法が理念的に明確であるが、世俗的・経済的な要件で拘束しないものとした、親や領主の同意要件を明確に否定した。結婚が秘跡である以上世俗的・経済的な要件で拘束することはない。。

 結婚に伴う財産移転など世俗的慣習は地域差もあり、社会階層によっても異なるため、普遍的統一法としての教会法は関知しないものとしたのである。

 こうした法制史をふまえたうえで、個人の境遇によって異なる要件を法改正目的とするのは、フェアではなく「婚姻は、自由でなければならぬ」という法諺に反する

 

3.「社会的経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論なしマルクス主義フェミニズムの公定化である

 

 法改正案が「加計ありき」ならぬ「16歳・17歳女子婚姻資格はく奪ありき」となっているのは表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、底意とするところは、16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意である。結局それは男性の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化しようというものである。

 そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。

 法的平等以上に、特定のイデオロギーによる結婚観を立法目的とすべきではない。アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人が多くみかけるがとんでもない。

 明治民法ではなく慣習として日本の「家」の構造を理論化しているのが厳密な定義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[197019721973]である。1960年代の出雲地方のフィールドワークに基づく業績である。

 水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると、その構造を解明している。

 日本の「家」は家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。

 清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とはいえないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想というべきである。

したがって婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を立法目的とすることは偏向している。この民法改正案には反対せざるをえない。

 重ねて言うがたとえ男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域でであるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしてもむ、それを敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。

 

4.高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

(高卒程度でないと婚姻適応能力がないというということはない)

 

 義務教育終了後、進学・就職・職業訓練・奉公・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは本人の選択、親の身上統制権、監護教育権の領域の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえない。義務教育を終了しただけの社会的地位では、経済力が乏しいという主張は、結婚相手の経済力、実家の経済力で補うことができれば何の支障もない。

 囲碁のトップ棋士は井山裕太六冠をはじめとして、中卒だといわれている。井山六冠は女流将棋棋士と離婚したが中卒だから婚姻適応能力がなかったというわけではないだろう。横綱稀勢の里や八角理事長のように中卒で組織のトップになれる世界もある。政治が高校や高等教育を無償化しようがそれは関係ないのである。

 いかに、政府が16歳・17歳の結婚を嫌おうとも幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証できないのに、権利はく奪をすることは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が社会的・経済的成熟に達していないと勝手な理由で干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習も他人が干渉する性格のものではない。

 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受容れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果4466%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。

  199816歳で結婚した三船美佳が2015年に離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だったし、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。

 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」

 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法(男二二歳、女二〇歳)のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」

 法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。

 なお、法制審議会は、未成年の結婚は性病罹患率が高い、高校中退の可能性を高める、夫から暴力を受ける可能性が高い、貧困を促す、親の強制結婚を助長しているといったような外国の児童婚反対人権団体のような見解きみられないが、ないが、我が国にはそうしたことは問題視されていないので理由にならない。

 むしろ高校を中退せざるをえなかった。あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきではないだろうか。

 

 (三)野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された

 

 野田愛子氏(19242010)とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』419 18頁〕

 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。

 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。

 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。

 ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから容認できないということになろうが、この思想に合わせることが憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪しない形でも可能なのであるからそれを選択すべきである。

 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。

2017/08/05

「人づくり革命」なんて糞くらえ

 安倍内閣の重点政策は、「子どもたちの誰もが家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることのできる社会」をつくることだそうだ。社会主義者のサンダースみたいな政策だ。子どもたちの幸福とかいっておれば愚民は喜ぶとでも思っているのか。
 自分が園芸高校でよく覚えていることは、シベリアの鬼といわれる教師がいてシベリア抑留経験が自慢で、人生、苦労すべきだつらいことも我慢してハードワークの鬼となれという辛気臭い教育をやっていた。「知足案分」の道徳とかいっちゃって、身の程を知って、人生に夢など゛をもつなというようなことを云っていた。
 その時は強い反発を感じたが、苦労して苦労倒れするのはばかげていると思った。今となってはも人生夢などもたず地道にやるべきだと思う。安倍に説教してやってほしいものだ。
 昔の子どもは5歳までにかなり死んだし、大半の子供は、自己の不幸な人生を呪って死んで死んでいくだけだった。それにくらべれば呪う程不幸でなければましというものだ。
 産業革命以前のイギリスの家庭の子供たちは、7歳ころを生家を出て、14歳ごろまで奉公した。他家に里子に出して他家で奉公させることにより行儀作法を身に着けた。
 過酷な奉公に出すことだけが教育だった。教育投資などせずあとは子供は勝手に生きていくからそんなもんでいいんじゃないか。
 夢と言っても将来どういう仕事が残っているのかわからないし、地方では人手不足の小口配達のドライバーか介護職しか働き口がないともいわれているのに、夢をもってくださいといわれても。

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