要旨
一 男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない
男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由の一つは、婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であるとしているが全く虚偽である。
第二に婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、論理性は全くない。
裏づけとなる理由が乏しいにもかかわらず権利剥奪を強行する理由は、これまで18歳引き上げを主張してきた日弁連女性委員会ほか女性団体のメンツをたてることだけでしかない。女性団体の主張が、国民の幸福追求権や婚姻の自由よりも重視されている法改正として糾弾に値する。
(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだました。
1.16歳を婚姻適齢としている英米等を無視している
英国は男女とも16歳であり【イングランドは未成年者に親の同意要件があるが、スコットランドはなし】、アメリカ合衆国の32~33州が男女とも16歳を婚姻適齢の基準として親や保護者の同意要件により婚姻適齢である。27州が婚姻適齢未満であっても裁判所の承認により特例としてあらゆる年齢が可能であるほか、17歳や18歳を基準としている州も若干あるが、その場合でも法定婚姻適齢未満でも裁判所の証人により認めることができる法制をとっている州が大多数である。カナダでも主要州が16歳を婚姻適齢としている。
米国で男女とも16歳としている州が大多数である理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデル[村井衡平1974参照]が法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢とし16歳未満であっても裁判所の承認により結婚を可能)とするモデル案を示していたため、多くの州がモデル案を採用したことによる。つまり16歳で親の同意があれば婚姻適齢とするのが推奨モデルなので、これが米国の標準的立法例なのである。
2.統一婚姻・離婚法モデルの婚姻年齢を制限しない思想の淵源
私は、米国の統一婚姻・離婚法の婚姻年齢を制限しない思想がより文明的で非常に優れていると思う。
制限しない理由は婚姻適齢の引上げにともなう、婚姻資格の喪失が憲法問題となりうるということがある。
Loving v. Virginia, 388
U.S. 1 (1967)でウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしているためである[米沢広一1989参照]。
しかし、本質的には婚姻の自由という文明史的脈絡における理念の継承といえる。
その思想的淵源は非常に古く「婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages
ought to be free)」というローマ法の法諺による[守屋善輝1973 356頁]。ローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論は教会法(古典カノン法)が継受し、婚姻の自由は教会婚姻法の理念としてより鮮明となった。古典カノン法は親の同意要件を明確に否定するのみならず、挙式を要件としなかった。相互的な婚姻誓約に二人の俗人の証人さえいれば婚姻は容易に成立するものとした。
結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するために、結婚は自由に容易に成立するものでなければならない。
この教説は、神学を離れても、結婚が社会的に承認された性欲の充足の手段として、子供を私生児にしないためにも、姦淫・私通を減らして世に性倫理を確立するために結婚の自由の理念は文明的で妥当なものだったのである。のみならず、この教説は結婚を慰めと平穏を得るための個人主義的心理的充足を目的とする、近代個人主義友愛結婚の思想的淵源となり恋愛の結実としての結婚を許容しているという意味で、現代に通じている。
カノン法は婚姻適齢についてローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、さらに緩くした。早熟は年齢を補うとして、合衾可能な身体的・心理的成熟に達していれば婚姻適齢未満でも婚姻適齢としていた。男に処女を奪い取る能力があり、女が合衾に耐えられる大人っぽさがあればよいのである。教会婚姻法は性的不能が婚姻障碍とし、合意で婚姻が成立するものの、合衾によって完成婚とするので、実質婚姻年齢制限はないといってよい。
、英国では、古典カノン法が、宗教改革後においても「古き婚姻約束の法」(コモンローマリッジ)として継続し近代まで生ける法であったことから、カノン法の婚姻の自由の理念を最も色濃く継承した地域なのであり、「結婚は自由でなければならない」という法諺は元はローマ法でも英米の法文化のそのものといえるのである。
このように少なくとも英米で16歳が婚姻適齢とされており、米国では年齢制限のない州も多数ある。米国では日本の成年擬制に類似した未成年者解放制度がある。なにもかも成人年齢に一致させる考え方をとっていない以上、18歳の婚姻適齢を世界的趨勢とは全くいえない。
3.予想される当局側の反論に対する反論
以上の私の主張に対して、当局が言いそうな反論を想定すると、2008年フランスがそれまでの男18歳・女17歳婚姻適齢15歳であったのを男女とも18歳としていること。2017年ドイツは東西統合以来、婚姻適齢を男女とも18歳を原則としつつも、配偶者の一方が18歳以上ならば16歳以上で婚姻可能としていたものを、男女とも18歳とすることで閣議決定したとの報道がある。
フランスやドイツの動向に我が国も追随すべきだというに違いない。これについては次のように反論する。
フランスが未成年者の婚姻ほを否定した主たる理由は、北アフリカ・中東のイスラム圏移民が増加し、親決めの強制結婚が非難によるものである。ドイツも同様にイスラム圏移民の強制結婚に対する非難である。
当事者との同意を基本とする法文化は、ローマ法にはじまり、特に教会婚姻法が、親の同意要件を一貫して否定したことにより、ラテン=キリスト教世界で定着した法文化であってイスラム圏は異なることから摩擦を起こしたものとみてよいだろう。我が国ではイスラム圏の移民は少数で、未成年者の結婚が社会問題ともなっていないので、仏独に追随する理由はない。
また、ごく最近のことだが2017年6月にニューヨーク州が従来14歳以上で結婚できる法制だったものを、婚姻適齢を17歳以上と改正した事実がある。
近年、発展途上国に広範にみられる親の強制による児童婚は、子供の人権を否定していると主張する人権団体の活動が目立っているが、ニューヨークでもヒューマンライツウォッチという児童婚に反対する団体が、14歳で結婚できるニューヨーク州の法制を敵視し、民主党州議会議員に働きかけ、クォモ知事も賛同したためであるが、人権団体の言いなりになった感がある。
しかし米国では先に述べたように結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つとされていることから、結婚を妨げることが子供や女性の人権だという主張は主流の考え方とはいいがたい。
一方で男14歳、女13歳と婚姻適齢の低いニューハンプシャーは2017年3月に婚姻適齢引上げ法案を州議会が否決している。したがってニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドだとはいえないということを国会議員の先生方にご理解いただきたいと思う。
(二)16・17歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である
1996法制審議会答申は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当と考えられ」とするが、それが高校卒業の18歳に求められ、16・17歳女子に婚姻適応能力がないという説得力のある根拠はなにも示されていない。
1.相互扶助共同体の形成の意義を軽視しすぎである
法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。
家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。
結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権、24条1項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、近年では2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではない。
二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない。。
「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」 Griswold v. Connecticut, 381
U.S. 479 (1965)
しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるのは過酷といえる。もとより結婚によって社会的承認のもとに結婚相手を性的に独占し性欲を充足できる意義も大きい、女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり[泉ひさ1975]、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。く
ちなみに1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化しているが、トマス・アクィナスの教説を下敷きにしているものとみられる。16世紀トリエント公会議の「ローマ公教要理」Catechismus Romanusは男と女がと一つに結ばれなければならない理由の第一の理由は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」である。第二の理由は「子孫の繁殖への欲求」、第三の理由が初期スコラ学者が強調した「原罪に由来する情欲緩和の手段」であり、婚姻締結のためにはすべての理由は要求されず、以上の一つの理由があれば十分としている。相互扶助を重視する神学者としては19世紀前半ドイツのカルル・ウェルテルが「キリスト教倫理体系のなかで、婚姻の目的を「夫婦間の相互の献身とすべての生活善」の共有としている[枝村茂198。]ように、教会においてもちなみに結婚における、相互扶助共同体の形成の意義は強調されているのである。
2.「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺は否定すべきでない
ローマ法、教会法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳であり(20世紀の教会法新成文法典は男16歳、女14歳たが、ここでは議論から外す)唐永徽令、日本養老令は男15歳、女13歳であるが数え年なので、実質ローマ法と同じことである。なお、我が国では明治民法(明治31年、1898年施行)が定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた[小木1979」。(なお、明治民法の女子15歳は母体の健康保持としいう医学的見地によるもねので、社会的・経済的成熟など要としてない、現行の16歳は1940年代にアメリカで女子の婚姻適齢を16歳とする州が多かったことによる)
14歳と12歳は概ね思春期(破瓜期・第二性徴期)に近い年齢で、合衾(床入り)可能な身体的・心理的性的成熟を指標としたものと理解できる。ローマ法の当初の目的は別として、教会法は早熟は年齢を補うとしていたことから、法によって婚姻年齢をコントロールしようとする思想はないとみるべきである。「婚姻は自由でなければならぬ」法諺の意味するところは、法は、社会的・済的諸条件を課して、当事者の合意による結婚を否定しないという意味だろう。
しかし、現実の結婚は自由ではなかった。歴史民勢学の成果で近年では前近代社会でも平均初婚年齢は高かったことが指摘されている。
「ヨーロッパ的結婚バターン」は 女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。
我が国でもなるほど持統女帝(鵜野皇女)は13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳での結婚だが、奈良時代の一般の庶民の女性は20代なかばがせ普通だったということは歴史家が明らかにしていることである。
つまり、平均初婚年齢は、社会的、文化的、経済的諸状況による変数であり、人が結婚する年齢はその人の置かれた境遇、社会的・経済的地位によって拘束される。持参金や花嫁代償の用意が必要となる。財産や収入がなければ結婚できないのが世俗的なならわしなのである。
しかし法は、とくに教会法が理念的に明確であるが、世俗的・経済的な要件で拘束しないものとした、親や領主の同意要件を明確に否定した。結婚が秘跡である以上世俗的・経済的な要件で拘束することはない。。
結婚に伴う財産移転など世俗的慣習は地域差もあり、社会階層によっても異なるため、普遍的統一法としての教会法は関知しないものとしたのである。
こうした法制史をふまえたうえで、個人の境遇によって異なる要件を法改正目的とするのは、フェアではなく「婚姻は、自由でなければならぬ」という法諺に反する
3.「社会的経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論なしマルクス主義フェミニズムの公定化である
法改正案が「加計ありき」ならぬ「16歳・17歳女子婚姻資格はく奪ありき」となっているのは表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、底意とするところは、16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意である。結局それは男性の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化しようというものである。
そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。
法的平等以上に、特定のイデオロギーによる結婚観を立法目的とすべきではない。アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人が多くみかけるがとんでもない。
明治民法ではなく慣習として日本の「家」の構造を理論化しているのが厳密な定義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[1970、1972、1973]である。1960年代の出雲地方のフィールドワークに基づく業績である。
水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると、その構造を解明している。
日本の「家」は家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。
清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とはいえないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想というべきである。
したがって婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を立法目的とすることは偏向している。この民法改正案には反対せざるをえない。
重ねて言うがたとえ男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域でであるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしてもむ、それを敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。
4.高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない
(高卒程度でないと婚姻適応能力がないというということはない)
義務教育終了後、進学・就職・職業訓練・奉公・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは本人の選択、親の身上統制権、監護教育権の領域の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえない。義務教育を終了しただけの社会的地位では、経済力が乏しいという主張は、結婚相手の経済力、実家の経済力で補うことができれば何の支障もない。
囲碁のトップ棋士は井山裕太六冠をはじめとして、中卒だといわれている。井山六冠は女流将棋棋士と離婚したが中卒だから婚姻適応能力がなかったというわけではないだろう。横綱稀勢の里や八角理事長のように中卒で組織のトップになれる世界もある。政治が高校や高等教育を無償化しようがそれは関係ないのである。
いかに、政府が16歳・17歳の結婚を嫌おうとも幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証できないのに、権利はく奪をすることは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が社会的・経済的成熟に達していないと勝手な理由で干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習も他人が干渉する性格のものではない。
仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受容れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果44~66%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
1998年16歳で結婚した三船美佳が2015年に離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だったし、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。
この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994]
「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法(男二二歳、女二〇歳)のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」
法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。
なお、法制審議会は、未成年の結婚は性病罹患率が高い、高校中退の可能性を高める、夫から暴力を受ける可能性が高い、貧困を促す、親の強制結婚を助長しているといったような外国の児童婚反対人権団体のような見解きみられないが、ないが、我が国にはそうしたことは問題視されていないので理由にならない。
むしろ高校を中退せざるをえなかった。あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきではないだろうか。
(三)野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された
野田愛子氏(1924~2010)とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。
「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。
そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。
そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)『戸籍時報』419 18頁〕
最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。
「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。
野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。
ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから容認できないということになろうが、この思想に合わせることが憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪しない形でも可能なのであるからそれを選択すべきである。
そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。
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