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2018/06/27

東京都「人権尊重条例」に反対する下書き(3)同性愛を道徳的に承認しない市民を攻撃し、市民的自由を奪おうとする悪法

一  性的指向に関する差別禁止、LBGTの人権尊重を都民に義務付けることに反対

 

 

(一)雇用・住居・ビジネスの分野で事業運営、私人間契約の自由、雇用判断等の裁量権に干渉し規制、制約していこうとする指向の政策に強く反対する。取引の自由、私的自治は近代市民的自由の核心であり、三菱樹脂事件を引用するまでもなく。雇用主にとって好ましい人を雇用し、大家は好ましい人に賃貸借契約する自由があるはずだ。とりわけ宗教的、哲学的異議、同性愛を道徳的に承認しない価値観をもつ都民に対して、意思に反する契約や判断を強要し民間の事業運営に干渉する条例化は絶対反対

 

(二)公営の公共サービスの提供について、LBGTであることを理由とした不利益をなくすことにあえて否定しないが、民間事業において商品やサービス入手にいて差別を禁止することは強く反対。同性愛を道徳的に承認しない人々がビジネスにおいてゲイとレズビアンの人々に商品やサービスを提供しない自由を否定すべきではない。

 米国では連邦法では性的指向についての差別禁止法は存在しないが、20州で性的指向の差別を禁止する法があるけれどもかなりの問題がある。

 201865日の連邦最高裁判決Masterpiece Cakeshop, Ltd. v. Colorado Civil Rights Commissionhttps://www.nationalreview.com/2018/06/masterpiece-cakeshop-supreme-court-decision-free-speech-temporary-respite/、宗教的信念によりゲイカップルを祝うカスタムウェディングケーキの提供を拒否したパン屋がコロラド州の差別禁止法違反とされ、コロラド市民権委員会は会社の方針の変更を要求したため、利益の大きいウェディングケーキ事業から撤退せざるをえなくなったというものである。

 最高裁は72でパン屋に有利な判決を下した。判決は市民権委員会の事件の扱いには、彼の異議、誠実な宗教的信念に対して明確で容認できない敵意の要素がいくつかあり、コロラド州法は宗教にもとづく差別を禁止しており不適切な対応としている。

 差別禁止において、宗教的哲学的意義を持つ者を適用除外とすればよいのではないかというかもしれないが、それでも反対である。一度LBGTの人権尊重を法制化するとLBGTコミュニティや人権派の立場が圧倒的に強くなる。宗教的信念というけれどもあなたは教会で礼拝しているのか、聖句を引用できるか、哲学的異議というけれどもあなたはアリストテレスやトマスの著書を読んだことがあるのかなど尋問され、宗教や哲学は偽装で差別したのはヘイトが目的とか勝手に決めつけられたりして、結局正統的な道徳的教訓を重んじる良心的で保守的な人々を迫害する法になることを憂う。

 だからLBGTの人権尊重を義務付けること自体に反対。それは結局同性愛行為(肛門性交・口腔性交)を道徳的に承認しない正統的な価値観を有する都民を愚弄することになる。同性愛行為に対する非難の根拠がユダヤ・キリスト教の道徳基準と倫理基準に基づいていることからすれば、道徳を実践しているまじめな人々が、事業方針を変更するよう命令されたりして、ビジネスができなくなったりするのは最悪の事態だと思う。

 

 

二 同性のパートナーシップ、同性カップルの保護にも反対

 

 Obergefell v. Hodges,_ (2015)はある州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な連邦最高裁判例である。

 私は結婚の自由を基本的権利としたLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)に賛同しつつも、婚姻の自由を「重婚」する権利や「同性婚」に拡大することには反対なので同判決には反対であることを付け加えておく。

 憲法上の権利というものは、いわゆる自治体が良く使う人権概念のようにむやみやたらと拡大すべきではなく、法によって保護されるべき自由としてとらえる。

 この点で、私は1923年のマイヤー判決マクレイノルズ法廷意見(最も反動的な裁判官として知られる)や19世紀後期随一の憲法体系書のクーリに近い立場をとっているのである。

 私は Loving の意義を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付するのが正当だったと考える。

 結婚はどう定義されるべきだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう[船田享二1971 24頁]。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。

 この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor2013)の反対意見が妥当と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かを基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」としたのである[高橋正明2017

 

三 (未完成)

 

 

 

 

 

四 同性愛行為を非難し道徳的に承認しない価値観は、西洋文明の正統的な法思想の系譜に属する以上、そのような価値観を有する人々の市民的自由も尊重されなければならない

 

 反同性愛が西洋文明の正統的な法思想である

 

 

 西洋文明で男色行為(ホモセクシャルソドミー)が悪とされるのは、人間の本性に従った自然な性行為ではなく、反自然的、自然の秩序に反する性行為だからである。(主として松平光央1987からの引用]

 

1)人間本性論=自然法論

 

 プラトンは、対話篇八巻『法律』において、男子との交わりは、「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も恥ずべきこと」と指弾し、法律で禁止べきとした。また,生殖と無関係な不毛な交わりを反自然的行為とみなす見解のほか、男性同性愛行為は、男性として望ましい属性である、勇気・節制・度量・知恵等の発達を阻害し、一方の男性を女性の地位に下落させるというのも禁止すべき理由としており、説得力のある見解といえる。

 アリストテレスは、人間の行為を自然な行為を善、不自然な行為を悪として二分する考え方を示した。神に祝福される結婚という形態を介しての生殖行為は善、同性愛、獣姦そのたの不自然な性行為は悪とした。男性同性愛行為は人間の本性にもとづく種族の保持、人類の生存という欲求を否定し、人類を意図的に絶滅させるから、法律で禁止すべきであるというのがプラトン、アリストテレスの人間本性論である。

 これは聖アウグスティヌスの『神の国』やトマス・アクィナスの『神学大全』とによって自然法の掟として理論的に深化される。[松平光央1987

 このギリシャ主知主義哲学とキリスト教神学の混淆といえる人間本性論=自然法論の系譜の反同性愛思想は西洋文明の正統的な法思想といってよいのであり、それを曲げる理由もない。

 

2)聖書思想

 

  ソドムとゴモラの崩壊が著名だが、レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」は同性愛を明確に悪とする根拠といえる。

 西洋文明の夫婦斉体思想の根拠になっているのが創世記2.23-24である。

 これこそついに私の骨と骨、

わたしの肉と肉

彼女は女とよばれることになろう。

彼女は男より取られたのだから。

それゆえ男は彼の父母を離れて、彼の妻に結びつき、彼らはひとつの肉となるのである。

 

 ユダヤ教のラビは、のこれらの数行を性的ふるまいの基準とした。「彼の父母を離れて」は近親相姦の禁止、たぶん父の後妻を娶ることの禁止の根拠に。ラビ・アキバ(紀元後135年頃)「彼の妻に結びつき」の解釈として、それは隣人の妻でも男でも、動物でもないとして、姦淫、同性愛、獣姦禁止に決着をつけた。

ラビ・イシ(145年頃)は「彼らはひとつの肉となる」という婉曲な表現から、受胎を抑制する不自然な性行為や体位の禁止の根拠とした。[ぺイゲルス1988 55頁]k

  新約聖書の引用は略すが、聖書には明確は反同性愛思想がある。

  

 3)ローマ法では男性同性愛行為が反逆罪に相当する重罪

 

 旧約聖書のソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りに触れたと信じられており、たんに不道徳といただけでなく国家・社会を崩壊させる行為と認識していたためである。

テシオドス一世やユスティニアヌス帝は洪水、地震、飢餓等の自然災害や黒死病そのたの疫病も男性子同性愛者と無関係ではないと判断していた。

 

4)中世より近世

 

 教会裁判所では、不敬罪、異端、魔術、姦通等の罪と並んで裁判され、有罪が宣告されれば、ソドムとゴモラの伝統に従って火刑に処された。

 イギリス古代のゴート族の慣行では男子同性愛者は火刑か生き埋めに処された

 ヘンリー八世は教会裁判所より管轄を移して制定法によりソドミーを処罰することとした。The Buggery Act 1533である。https://www.bl.uk/collection-items/the-buggery-act-1533、同法では僧侶の立会いのない絞首刑という重罪だった。なぜならば「不逞の輩の忌まわしく、かつ憎むべき悪行(the detestable and abominable vice of Buggery)」だからである。

 なお大英博物館のサイトによれば、1533年法にもとずいて19世紀においても3人が死刑に処されている。

 エリザベス一世の制定法もソドミーを重罪としているが、その立法趣旨は、全能の神の名において不逞の輩の忌まわしい悪行の蔓延の阻止を強調し、彼らの存在自体が公序良俗の維持に有害であるばかりではなく、その存在を放置すれば神の怒りに触れ災害を招来するためであった。

 

 5)コモン・ロー法学

 

 コーク、ヘイル、ブラックストンにおいても、男色行為は反自然的、自然の秩序に反する性行為と把握され、ブラックストンは異常性行為を公的不法行為の一類型として説明している。

 独立したアメリカ合衆国13州のソドミー処罰制定法の基本になっているのは、w。ブラックストンの『英法釈義』176569であるが、男色行為への非難は‥より嫌悪すべき(more detestable)、より悪性な(deeper malignity)、悪名の高い(infamous)破廉恥な(disgraceful)といった言葉ーで修飾されているの

 

 私は、LGBT運動の新規な思想より、聖書は無論のこと、男色行為は不自然な性行為で悪行と断定した、知の巨人たるプラトンやアリストテレス、聖アウグスティヌス、トマス・アクィナス等を圧倒的に信用するものである。 コーク、ヘイル、ブラックストンといったコモン・ロー法学の巨人も圧倒的な信用するものである。これらの書物や思想をLGBTの人権を否定したものとして焚書にするならば我々は文明規範を逸脱し野蛮人に戻るしかないし、すべての世界遺産をミサイルで破壊する暴挙に等しい。

 

 神聖なのは取引の自由、契約の自由という近代市民的自由の方であって、インフレ化した人権概念ではない。東京都は人格的尊厳という概念を勝手に人権としているようだが、「人間の尊厳」という思想は「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られているからだ」(創世記9・6)人間の生命の相互不可侵性の宗教的根拠づけに由来する。[パネンベルク1990] つまり人間の尊厳とは人間(男性)が神の似姿として造られたという神学的フィクションにすぎない。その聖句がなければ所詮人間なんていうものは「糞が詰まった革袋」以外の何物でもない。

 しかし一方で、人間は原罪によって倫理性は致命的に腐敗しているというのも西洋文明1500年の正統的な思想であるから、「人間の尊厳」とか東京都が勝手に「人権」と称している思想それ自体懐疑的である。神律こそ正しく人間性やヒューマニズムを全く信用しないというのが正しい思想と考える。米国のバイブルベルトの保守的クリスチャンが「世俗的ヒューマニズム」を悪としていることに私は共鳴するものである。

  一方、人格とは理性的本姓をもつ個体のことで、人間を理性的動物とするギリシア思想に由来するとする見方もあるが、古典古代の異教思想はキリスト教的に克服されなければならないというのが西洋文明の正統的な脈絡である。人格権概念のもとは聖書思想に由来するとみてよいのである。

 私が、同性愛を道徳的に承認しない理由の第一は、西洋文明2500年の伝統である。

 レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」

 聖書思想は人格権の根拠でもあるが、男色行為を憎むべきことと教えているので、同性愛者に人間尊厳を認めることは神学的に論理矛盾でありえないことである。

 

 

 

 

 

主な引用・参考文献

 

石田尚

1988『実体的適法手続: アメリカ判例解説シリーズ 1』信山社

 

上田宏和

2016 「Obergefell 判決における同性婚と婚姻の権利 

創価法学461

2013「アメリカ憲法学における「自己決定権」の保護範囲 Lawrence v. Texas を契機として― 

創価大学大学院紀要 35

2012「アメリカ憲法学におけるプライバシー権の展開」 

創価大学大学院紀要 34

2010「アメリカ憲法における「自己決定権」 : Bowers v. HardwickLawrence v. Texasの比較検討」 創価大学大学院紀要 32

 

古賀敬太

2018『西洋政治思想と宗教-思想家列伝』風行社

 

高橋正明

2017『ロバーツコートの立憲主義』大林啓吾・溜箭将之編 成文堂第三章平等-ケネディ裁判官の影響力の増加

 

立石直子

  「アメリカ合衆国におけるファミリー・プライヴァシー概念について」

 

萩原滋

2012「実体的デュー・プロセス論の再考 : Lawrence v. Texas, 539 U.S. 558 ..」白山法学 (8), 1-18, 201

 

W.パネンベルク

1990  佐々木勝彦訳『信仰と現実』日本基督教団出版局

 

東野治之

1979「日記にみる藤原頼長の男色関係―王朝貴族のウィタセクスアリス」ヒストリア84

 

船田享二

1971『ローマ法第四巻』岩波書店1971年改版 

 

ペイゲルス 絹川・出村訳

1993『アダムとエバと蛇「楽園神話」解釈の変遷』ヨルダン社

 

松平光央

1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)60巻23

 

 

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