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2018/06/28

東京都「人権尊重条例」に反対する下書き(4)同性愛を道徳的に承認しない市民を攻撃し、市民的自由を奪おうとする悪法

一  性的指向に基づく差別禁止、LBGTの人権尊重を都民に義務付けることに反対
 
(一)雇用・住居・ビジネスの分野で事業運営、私人間の契約の自由、雇用判断等の裁量権に干渉し規制、制約していこうとする指向の政策に強く反対する。取引の自由、私的自治は近代市民的自由の核心であり、三菱樹脂事件最高裁判決を引用するまでもなく。雇用主にとって好ましい人を雇用し、大家は好ましい人に賃貸借契約する自由があるはずだ。とりわけ宗教的、哲学的異議、同性愛を道徳的に承認しない価値観をもつ都民に対して、意思に反する契約や判断を強要し民間の事業運営に干渉する条例化は絶対反対。
 

(二)東京都直営の公共サービスの利用権について、LBGTであることを理由とした不当な扱いをなくすことをあえて否定しないが、動くゲイとレズビアンの会府中青年の家利用申込不承認事件で控訴審東京高判平9・9・16判例タイムズ986号206頁は、都教委が同性愛者の利用権を不当に制限し、結果的、実質的に不当な差別的取扱いをしたものであり、処分の裁量権の範囲を逸脱し違法と判示しており、この事件以来東京都はこの種の問題に敏感になっているから条例化する必要はないと思う。
 一方、民間事業において商品やサービス入手について差別を禁止することは強く反対。同性愛を道徳的に承認しない人々がビジネスにおいてゲイとレズビアンの人々に商品やサービスを提供しない自由を否定すべきではない。

 米国では連邦法では性的指向についての差別禁止法は存在しないが、20州で性的指向の差別を禁止する法があるけれども各地でトラブルが発生している。
 2018年6月5日の連邦最高裁判決Masterpiece Cakeshop, Ltd. v. Colorado Civil Rights Commissionはhttps://www.nationalreview.com/2018/06/masterpiece-cakeshop-supreme-court-decision-free-speech-temporary-respite/、宗教的信念によりゲイカップルを祝うカスタムウェディングケーキの提供を拒否したケーキ屋がコロラド州の差別禁止法違反とされ、コロラド市民権委員会は会社の方針の変更を要求したため、利益の大きいウェディングケーキ事業から撤退せざるをえなくなったというものである。
 最高裁は7対2でケーキ屋に有利な判決を下した。判決は市民権委員会の事件の扱いには、彼の異議は誠実なもので宗教的信念に対して明確で容認できない敵意の要素がいくつかあり、コロラド州法は宗教にもとづく差別を禁止しており不適切な対応としている。
 差別禁止において、宗教的哲学的意義を持つ者を適用除外とすればよいのではないかというかもしれないが、それでも反対である。一度LBGTの人権尊重を法制化するとLBGTコミュニティや人権派の立場が圧倒的に強くなる。宗教的信念というけれどもあなたは教会で礼拝しているのか、聖句を引用できるか、哲学的異議というけれどもあなたはアリストテレスやトマスの著書を読んだことがあるのかなど尋問され、宗教や哲学は偽装で差別したのはヘイトが目的とか勝手に決めつけられたりして、結局に正統的な道徳的教訓を重んじる良心的で保守的な人々を迫害する法になることを憂う。
 だからLBGTの人権尊重を義務付けること自体に反対。それは結局同性愛行為(肛門性交・口腔性交)を道徳的に承認しない正統的な価値観を有する都民を愚弄することになる。同性愛行為に対する非難の根拠がユダヤ・キリスト教の道徳基準と倫理基準に基づいていることからすれば、道徳を実践しているまじめな人々が叩かれ、事業方針を変更するよう要求されたりして、信念を曲げない人から生業を奪い、ビジネスをできなくさせるのは最悪の事態である。
 
 
二 同性のパートナーシップ、同性カップルの保護政策に進むことも強く反対
  Obergefell v. Hodges,_ (2015)はある州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な連邦最高裁判例である。
 私は異人種婚禁止州法を違憲とし結婚の自由を基本的権利と宣言したLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)に賛同しつつも、婚姻の自由を「重婚」する権利や「同性婚」に拡大することには反対なので同判決には反対である。我国でも渋谷区のパートナーシップ条例などの動きがあるが、このような政策のオリンピックとは無関係であり、先進的政策を望まない。
  憲法上の権利というものは、いわゆる自治体が良く使う人権概念のようにむやみやたらと拡大すべきではなく、法によって保護されるべき自由としてとらえる。
 この点で、私は1923年のマイヤー判決マクレイノルズ法廷意見(最も反動的な裁判官として知られる)や19世紀後期随一の憲法体系書のクーリに近い立場をとっているのである。
 私は Loving の意義を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付するのが正当だったと考える。
 結婚はどう定義されるべきだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう[船田享二1971 24頁]。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。
 この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor(2013)の反対意見が妥当と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かを基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」としたのである。
[高橋正明2017]
 
 
三 我が国は、西洋文明諸国の歴史的、宗教的背景が異なり、同性愛タブーに乏しい。法によって規制してきた経験に乏しく、もともと寛容な社会である。欧州人権条約を背景として、世俗化した西欧諸国が、非西欧圏(旧ソ連圏含む)男色行為を犯罪としたままの国を非難することがあるが、我が国では成人間の合意による同性愛行為はもともと犯罪ではなかったし、警察がプライバシーに干渉してくることはないので、国際的に非難されることはありえず、オリンピックに便乗してLGBT人権尊重を法制化する必要はなく、やり過ごしてよい問題である。
 西洋文明圏では、ソドミー、男性同性愛行為は神の定め給う自然法の掟に反し、「自然に反する罪」「自然に反する性行為の罪」とされ、キリスト教徒にとっては異端であり、あるいは社会の存続にとって危険な行為とされてきた。
 第二次世界大戦後も、同性愛は刑罰の対象とされたままであった。同性愛者は、政府の役人となることを禁止され、兵役から締め出され、移民法の適用対象外となり、警察の捜査対象となり、交際する権利に負担が課せられた。しかし我が国にはそのようなことはない。
 一方我が国では、西洋と違って同性愛を自然に反する性行為として処罰するという法文化に乏しく、院政期より近世初期まで「待童」「小姓」「念友」といった男色行為の盛行がみられる。とくに室町から戦国時代が男色の極盛期とされる。左大臣藤原頼長が『台記』で同時精液発射は至高との快楽と記したように罪悪感は微塵もみられない。徳川時代に衆道禁止令、明治期に西洋思想を吸収し「鶏姦スル者ハ懲役九十日」等の処罰法の存在が指摘されているが適用例はほとんどないものと思われ、大筋において我が国には欧米諸国なら普通だったソドミー処罰法は存在していなかったといってよいだろう。
 実際、我が国は、西洋と違って同性愛タブーに乏しく格別同性愛者に憎悪や敵意をかきたてる文化的背景がないのが特徴といえる。実例としては、「おねえ系」タレントの人気、メディアで活躍している例を挙げてよい。
 カルセール麻紀、美川憲一、池畑慎之介、おすぎとピーコ、KABA.ちゃん、KINYA、 假屋崎省吾、クリス松村、IKKO、はるな愛、マツコ・デラックス。『2011ユーキャン新語・流行語大賞』でトップ10になった楽しんごの「ドドスコスコスコ‥‥ラブ注入」というギャグは肛門性交を連想させるが、賞を受けるたけでなく大手企業のCMにも起用されるタレントで、我が国では偏見がないことを証明している。
 要するに、アメリカ合衆国は2003年まで、同性愛行為は犯罪としていた州があったが、我が国もともと同性愛行為を私的空間でなす権利を認めていたし政府は干渉しない社会だった。だからことさら同性愛者の人権を法制化する理由はないのである。
 
 欧米諸外国におけるソドミー(男色行為)の非犯罪化は、1954年英国のウォルフェンデン卿委員会の勧告がきっかけである。これは売春、賭博も含めて「被害者なき犯罪」の非犯罪化の提唱であった。道徳に対する罪と法律上の罪を区別するという基本哲学であるが、道徳の罪の非犯罪化は社会的・道徳的紐帯を崩壊させるという反対論も有力で 白熱した学術的論争がなされた。
 非犯罪化の刑事政策は、警察は市民の生命や財産を侵害する犯罪に注力すべきで。被害者なき犯罪にかまう必要はないという刑事政策の議論であって憲法問題ではない。私は、売春や賭博も非犯罪化してよいと思うが、非犯罪化論は同性愛者だけを格別重視しているものではない。
 英国では1967年に同性愛行為を合法化 (但しスコットランドは1980年)し、その後1980年代までに西欧諸国のの大多数が同性愛行為を合法化している(勿論バチカンは反対)。
 ヨーロッパ人権裁判所は、80年代に同性愛行為を禁止する北アイルランド法をヨーロッパ人権条約違反としている。  
 米国においてもアメリカ法曹協会が合意による男色行為は実害のない犯罪として、諸州の異常性行為(ソドミー)処罰法の廃止が提言されたが、連邦最高裁は Bowers v. Hardwick (1986)で5対4の僅差で、肛門性交(アナルセックス)、口腔性交(フェラチオ)といった異常性行為(適用の対象は男色行為)を処罰する州法を合憲として、男色行為はいわゆるプライバシー権によって憲法上保護されないことを明らかし、西欧の非犯罪化の趨勢とは一線を画した。米国は欧州ほど世俗化されておらず、社会の道徳的紐帯を重視する共和主義憲法理論を示した名判決である。
 とりわけバーガー主席判事(連邦最高裁長官)の凄みのある補足意見が印象的である。
「男性同性愛行為に関する個人の決定は西欧文明の歴史を通じて常に国家の規制に服してきた。その種の行為に対する非難はユダヤ・キリストの道徳的・倫理的規範に強固に根ざしている。男性同性愛行為は、ローマ法においても死刑に相当する犯罪だった。‥‥イギリス法でも、教会法の管轄権が国王裁判所の管轄権に移された宗教改革の時代に、男性同性愛行為をを刑法上の犯罪と定めた。最初のイギリス制定法(1533)が議会で制定されている。W・ブラックストンによれば、この男性同性愛行為という自然に反する破廉恥な行為"the infamous crime against nature"は強姦よりも重大な悪行"deeper malignity"であって、その行為に言及することですら人間の本性に羞恥となるような極悪な行為"the very mention of which is a disgrace to human nature,"、最も卑劣な犯罪"a crime not fit to be named."である。と述べられている。[ W. Blackstone4, Commentaries *215. The common law of England(1795~69)]イギリスのコモン・ローは、この男性同性愛行為処罰を含めて、ジョージア州その他のアメリカの植民地の法として継受され‥‥‥そのような歴史的意味有する男性同性愛行為を、連邦最高裁判所が、ここで、合衆国憲法上の基本的権として保障されるのだと判示することは、至福千年の道徳的教訓aside millennia of moral teachingを棄て去ることになるだろう。‥」[松平光央1987]
 ブラックストンは公的不法行為としており、合衆国各州で継受され、ソドミー処罰法となっているのであり。歴史に根差しているという認識は正しいと考える。
 
 バーガー主席判事補足意見はホワイト判事の法廷意見のいう男色行為が、アメリカの伝統と歴史に深く根ざしたものである、秩序だった自由の概念に黙示的に包含されるという被上告人の主張は『笑止千万お笑い草』述べた部分を補足したものである。
 明文で規定されないが憲法上の権利とされてよいのはアメリカの伝統と歴史に深く根ざしたものであり、秩序だった自由(順序づけられた自由)というまさに精髄でなければならない決まり文句が、男色行為を憲法上の権利として承認しない決め手とされているのである。
 この立論はカードーゾ判事の1937年のパルコ対コネティカット判決Palko v. Connecticut, 302 U.S. 319 (1937)に由来する。同判事は合衆国憲法における基本的権利とは何か。次のように説明している「それら権利が否定されたなら自由も正義も存在しないだろうという信念」「秩序だった自由というまさに精髄」「基本的と位置づけられるほど、われわれ同胞の伝統と良識に基づいている正義の大原則」「他のほとんどの自由の基盤であり、また欠くことのできない条件」とする。
 しかし米国では、こま判決の覆そうという運動が起きたため17年後のLawrence v. Texas、539 U.S. 558 (2003)という連邦最高裁判決で先例を覆し、私的な空間での合意による性行為はそれが男色行為であれ、憲法の実体的デュープロセスによって保護されるという6対3の判決で、男色行為処罰州法を違憲としたので、全米で同性愛行為の非犯罪化がなされた。 
 ケネディ法廷意見は「Bowers判決では「ソドミー行為は古来に淵源を持ち、禁止されている」とされたが、イギリスの植民地時代や独立初期時代のソドミー法は同性愛者のみを対象とせず、未成年者に対する暴行や強姦、獣姦などの利己的な行為に行使されていた。多くの州で同性愛行為が処罰の対象とされたのは1970年代以降である 。したがって、同性愛行為を禁止するソドミー法の歴史は「古くから付いている」ものではないするがこの判断は疑問である。罰則適用者が少ないのはそれは住居という私的空間に踏み込むことに私生活の干渉に謙抑的なのが近現代の法文化であるといっているだけで、一種の技術的な印象操作であ歴史認識を覆してしまったといってよい。ヘンリー8世やエリザベス1世の制定法の無視、コーク、へイル、ブラックストンの無視は容認しがたい。判例変更する根拠に乏しく、事実上の裁判官による立法、悪しき司法積極主義と考える。特に法源とはならない外国や国際組織の立法の引用は不適切である。西欧諸国は世俗化が進んでおりキリスト教的規範が重んじられてない。米国人のように毎週教会に礼拝する人は少ない、米国はEUの子分でないし、現代西欧がどうであれ現代のイスラエルであるべき米国の見識を示すべきであった。
 私は、スカリア判事の反対意見がだと妥当と考えるが、ケネディ法廷意見の核心部分は「Planned Parenthood of Southeastern Pa v. Casey35では、「個人が一生の中で行う最も親密でかつ個人的な諸選択(personal choices)は、個人の尊厳と自律にとって核心部分であり、第14修正によって保護される自由の核心的部分である。自由の核心的部分とは、自身の存在、価値、普遍性、そして生命の神秘さを定義する権利である。これは州の強制力によっても侵害できない」として、個人の自律が保護された。このことは異性愛者と同様に、同性愛者にも個人の自律を追求できることを示唆している。」と述べたくだりで、親密な個人的人間関係を築くことの権利を言っているようである。
 この見解についても批判したいが、いずれにせよ、男色行為を処罰対象としないことが同性愛者の人権尊重の中心にある議論であり、今世紀になって先進国で普通になったということだが、我が国ではもともと犯罪とはしてこなかったので、同性愛者の人権はもともと尊重されており、格別法制化の必要はなく、むしろ特別視することによる弊害が大きいので、東京都の人権尊重条例に反対する。
 ついでにいうと、たぶん国際スポーツ組織の世界では西欧諸国の発言権が強いだろうし、彼らは欧州人権条約を自画自賛し、非犯罪化が洗練されており世の趨勢として、旧ソ連圏や中東、アフリカなど同性愛タブーの残っている地域を批判しているのだろうが、文化相対主義の観点からは厚かましいと思う。
 競技スポーツで同性愛者を差別しないポリシーをとることはそれ自体悪いことではないにしても、一般社会にまでそれと同じレベルで差別禁止を求めるのはやりすぎである。
 
四 同性愛行為を非難し道徳的に承認しない価値観は、西洋文明の正統的な法思想の系譜に属する以上、そのような価値観を有する人々の市民的自由も尊重されなければならない

反同性愛が西洋文明の正統的な法思想である

 
西洋文明で男色行為(ホモセクシャルソドミー)が悪とされるのは、人間の本性に従った自然な性行為ではなく、反自然的、自然の秩序に反する性行為だからである。(主として松平光央1987からの引用]

(1)人間本性論=自然法論

  プラトンは、対話篇八巻『法律』において、男子との交わりは、「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も恥ずべきこと」と指弾し、法律で禁止べきとした。また,生殖と無関係な不毛な交わりを反自然的行為とみなす見解のほか、男性同性愛行為は、男性として望ましい属性である、勇気・節制・度量・知恵等の発達を阻害し、一方の男性を女性の地位に下落させるというのも禁止すべき理由としており、説得力のある見解といえる。
アリストテレスは、人間の行為を自然な行為を善、不自然な行為を悪として二分する考え方を示した。神に祝福される結婚という形態を介しての生殖行為は善、同性愛、獣姦そのたの不自然な性行為は悪とした。男性同性愛行為は人間の本性にもとづく種族の保持、人類の生存という欲求を否定し、人類を意図的に絶滅させるから、法律で禁止すべきであるというのがプラトン、アリストテレスの人間本性論である。
これは聖アウグスティヌスの『神の国』やトマス・アクィナスの『神学大全』とによって自然法の掟として理論的に深化される。[松平光央1987]
  このギリシャ主知主義哲学とキリスト教神学の混淆といえる人間本性論=自然法論の系譜の反同性愛思想は西洋文明の正統的な法思想といってよいのであり、それを曲げる理由もない。

(2)聖書思想
 ソドムとゴモラの崩壊が著名だが、レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」は同性愛を明確に悪とする根拠といえる。
西洋文明の夫婦斉体思想の根拠になっているのが創世記2.23-24である。
これこそついに私の骨と骨、
わたしの肉と肉
彼女は女とよばれることになろう。
彼女は男より取られたのだから。
それゆえ男は彼の父母を離れて、彼の妻に結びつき、彼らはひとつの肉となるのである。

ユダヤ教のラビは、のこれらの数行を性的ふるまいの基準とした。「彼の父母を離れて」は近親相姦の禁止、たぶん父の後妻を娶ることの禁止の根拠に。ラビ・アキバ(紀元後135年頃)「彼の妻に結びつき」の解釈として、それは隣人の妻でも男でも、動物でもないとして、姦淫、同性愛、獣姦禁止に決着をつけた。
ラビ・イシ(145年頃)は「彼らはひとつの肉となる」という婉曲な表現から、受胎を抑制する不自然な性行為や体位の禁止の根拠とした。[ぺイゲルス1988 55頁]k
 新約聖書の引用は略すが、聖書には明確は反同性愛思想がある。
 
(3)ローマ法では男性同性愛行為が反逆罪に相当する重罪
旧約聖書のソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りに触れたと信じられており、たんに不道徳といただけでなく国家・社会を崩壊させる行為と認識していたためである。
テシオドス一世やユスティニアヌス帝は洪水、地震、飢餓等の自然災害や黒死病そのたの疫病も男性子同性愛者と無関係ではないと判断していた。
(4)中世より近世
 教会裁判所では、不敬罪、異端、魔術、姦通等の罪と並んで裁判され、有罪が宣告されれば、ソドムとゴモラの伝統に従って火刑に処された。
イギリス古代のゴート族の慣行では男子同性愛者は火刑か生き埋めに処された
ヘンリー八世は教会裁判所より管轄を移して制定法によりソドミーを処罰することとした。The Buggery Act 1533である。https://www.bl.uk/collection-items/the-buggery-act-1533、同法では僧侶の立会いのない絞首刑という重罪だった。なぜならば「不逞の輩の忌まわしく、かつ憎むべき悪行(the detestable and abominable vice of  Buggery)」だからである。
 なお大英博物館のサイトによれば、1533年法にもとずいて19世紀においても3人が死刑に処されている。
エリザベス一世の制定法もソドミーを重罪としているが、その立法趣旨は、全能の神の名において不逞の輩の忌まわしい悪行の蔓延の阻止を強調し、彼らの存在自体が公序良俗の維持に有害であるばかりではなく、その存在を放置すれば神の怒りに触れ災害を招来するためであった。

(5)コモン・ロー法学
コーク、ヘイル、ブラックストンにおいても、男色行為は反自然的、自然の秩序に反する性行為と把握され、ブラックストンは異常性行為を公的不法行為の一類型として説明している。
 独立したアメリカ合衆国13州のソドミー処罰制定法の基本になっているのは、w。ブラックストンの『英法釈義』1765~69であるが、男色行為への非難は‥より嫌悪すべき(more detestable)、より悪性な(deeper malignity)、悪名の高い(infamous)破廉恥な(disgraceful)といった言葉ーで修飾されているの
 
 私は、LGBT運動の新規な思想より、聖書は無論のこと、男色行為は不自然な性行為で悪行と断定した、知の巨人たるプラトンやアリストテレス、聖アウグスティヌス、トマス・アクィナス等を圧倒的に信用するものである。 コーク、ヘイル、ブラックストンといったコモン・ロー法学の巨人も圧倒的な信用するものである。これらの書物や思想をLGBTの人権を否定したものとして焚書にするならば我々は文明規範を逸脱し野蛮人に戻るしかないし、すべての世界遺産をミサイルで破壊する暴挙に等しい。
 
 神聖なのは取引の自由、契約の自由という近代市民的自由の方であって、インフレ化した人権概念ではない。東京都は人格的尊厳という概念を勝手に人権としているようだが、「人間の尊厳」という思想は「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られているからだ」(創世記9・6)人間の生命の相互不可侵性の宗教的根拠づけに由来する。[パネンベルク1990] つまり人間の尊厳とは人間(男性)が神の似姿として造られたという神学的フィクションにすぎない。その聖句がなければ所詮人間は「糞が詰まった革袋」以外の何物でもない。
 しかし一方で、人間は原罪によって倫理性は致命的に腐敗しているというのも西洋文明1500年の正統的な思想であるから、「人間の尊厳」とか東京都が勝手に「人権」と称している思想それ自体懐疑的である。神律こそ正しく人間性やヒューマニズムを全く信用しないというのが正しい思想と考える。米国のバイブルベルトの保守的クリスチャンが「世俗的ヒューマニズム」を悪としていることに私は共鳴するものである。
  一方、人格とは理性的本姓をもつ個体のことで、人間を理性的動物とするギリシア思想に由来するとする見方もあるが、古典古代の異教思想はキリスト教的に克服されなければならないというのが西洋文明の正統的な脈絡である。人格権概念は聖書思想に由来するとみてよいのである。
 私が、同性愛を道徳的に承認しない理由の第一は、西洋文明2500年の伝統である。
 レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」
 聖書思想は人格権の根拠でもあるが、男色行為を憎むべきことと教えているので、同性愛者に人間尊厳を認めることは神学的に論理矛盾でありえないことである。
 
五、端的に肛門性交は反自然的、アブノーマルとして嫌悪する異性愛者マジョリティの感情が否定される理由はない
 
 私は、高尚な神学や哲学的な異議から離れても、性器性交(ペニスをヴァギナに挿入)が自然の行為でノーマルなものであり、性器性交でエクスタシーを得るのが、精神医学的にも正常で健全なものであり、肛門性交は反自然的、アブノーマルという認識が悪い価値観ということはありえないと考える。肛門性交に寛容であれという人権啓発は青少年の教育においても疑問である。
 快楽追求のための性行為を否定しないが、性器性交でフィニッシュが健全であり、われわれはLBGT人権尊重のために、肛門性交を嫌悪することを否定される理由など全くないのである。小池さんが、ドン内田氏や、石原元知事、森元首相を嫌う自由であるのと同じように、都民には肛門性交やソドミー行為を嫌悪する自由もある。私は高校生の時日比谷図書館のトイレの前で、「なめてあげる金を払うからしゃぶらせて」と言い寄せられたことがあるが拒否した。男に犯されたくないというのは普通の感覚だといっても差別、それは否定されるべきなのか。またヘテロセクシャルのオーラルセックスは生殖行為の前戯として価値をみいだすことができるが、同性愛者のフェラチオに何の価値を見出すことができないのである。わが国には、戦国時代の念友を極盛期として男色文化があり、男の味を知ってから、女を楽しむのが通人ともいわれたが、それはわが国が野蛮だった時代のことである。近代化の過程で西洋の反同性愛文化も受容しているのであり、戦国時代に戻らなければならない理由など全くないし、西洋において同性愛者が火刑、生き埋め、絞首刑に処された怨念の復讐として文明の正統的規範意識をもつマジョリティの市民的自由が制約を受ける理由も全くないのである。 
 
 
 
主な引用・参考文献
石田尚
1988『実体的適法手続: アメリカ判例解説シリーズ 1』信山社
上田宏和
2016 「Obergefell 判決における同性婚と婚姻の権利 」
創価法学46巻1号
2013「アメリカ憲法学における「自己決定権」の保護範囲 ―Lawrence v. Texas を契機として― 」
創価大学大学院紀要 35
2012「アメリカ憲法学におけるプライバシー権の展開」
創価大学大学院紀要 34
2010「アメリカ憲法における「自己決定権」 : Bowers v. HardwickとLawrence v. Texasの比較検討」 創価大学大学院紀要 32
 古賀敬太
2018『西洋政治思想と宗教-思想家列伝』風行社
高橋正明
2017『ロバーツコートの立憲主義』大林啓吾・溜箭将之編 成文堂第三章平等-ケネディ裁判官の影響力の増加
立石直子
  「アメリカ合衆国におけるファミリー・プライヴァシー概念について」
      
 萩原滋
2012「実体的デュー・プロセス論の再考 : Lawrence v. Texas, 539 U.S. 558 ..」白山法学 (8), 1-18, 201
W.パネンベルク
1990  佐々木勝彦訳『信仰と現実』日本基督教団出版局
東野治之
1979「日記にみる藤原頼長の男色関係―王朝貴族のウィタセクスアリス」ヒストリア84号
船田享二
1971『ローマ法第四巻』岩波書店1971年改版 
ペイゲルス 絹川・出村訳
1993『アダムとエバと蛇「楽園神話」解釈の変遷』ヨルダン社
 
 松平光央
1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)60巻2・3号

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