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2018/06/29

「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念実現のための条例(仮称)の概要への意見  パブリックコメント下書きその2

該当箇所
1 オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現
(1)目的
○性自認や性的指向等を理由とする差別の解消及び不当な差別的言動の解消の取組

意見

 オリンピック開催に便乗したLGBT人権尊重政策に全面的に反対。とくに雇用・住居・ビジネスにおける私人間の契約、雇用判断等雇用主や大家の裁量権の規制や配慮義務の策定、事業運営への干渉、商品やサービスの提供での差別を禁止する政策の策定に強く反対する。またバートナーシップの保護政策に進むことも反対。集団的誹謗表現の規制に強く反対、ポリティカルコレクトネスの公定化に反対。地方政府が言葉遣いの基準を策定したりすることは、表現権の侵害になるので強く反対。
 道徳的選好に公権力が干渉するようなことは絶対反対。同性愛行為を道徳的に不承認とする都民の市民的自由に干渉するすべての政策に反対するし、宗教的信念や哲学的異議等でないとしても、端的にいえば性器性交(ペニスとヴァギナの結合)でエクスタシーを得ることがノーマルで健全であり、肛門性交は不自然でアブノーマルなものとして嫌悪するのは普通の感情として認められてよいものであり、そうした価値判断の意識改革を都民に要求するような政策のすべてに反対する


理由その1
 我が国は、西洋文明諸国の歴史的、宗教的背景が異なり、もともと同性愛タブーに乏しい寛容な社会である。世俗化が進んだ多声多数の西欧諸国では1980年代に男色行為の非犯罪化を達成し、これは米国より20~30年早かった。EU諸国は欧州人権条約を背景として、非西欧圏(旧ソ連圏含む)の男色行為を犯罪としたままの国を非難することがしばしばある。同性愛者の人権という場合クリアしなければならないのが非犯罪化であるが、我が国では成人間の合意による同性愛行為はもともと犯罪ではなかった。警察が麻薬や児童ポルノは別として、私的空間でのプライバシーに干渉してくることはないので、国際的に非難されることはありえず、オリンピックに便乗してLGBT人権尊重を法制化する必要はなく、やり過ごしてよい問題である。
 西洋文明圏では、ソドミー、男性同性愛行為は神の定め給う自然法の掟に反し、「自然に反する罪」「自然に反する性行為の罪」とする法文化で、キリスト教徒にとっては異端であり、あるいは社会の存続にとって危険な行為とされてきた。英国では19世紀においても死刑に処されている。
 第二次世界大戦後も、欧米で同性愛は刑罰の対象とされたままであった。同性愛者は、政府の役人となることを禁止され、兵役から締め出され、移民法の適用対象外となり、警察の捜査対象となり、交際する権利に負担が課せられた。
 一方我が国では、西洋と違って同性愛を自然に反する性行為とする法文化に乏しく、院政期より近世初期まで「待童」「小姓」「念友」といった男色行為の盛行がみられる。とくに室町から戦国時代が男色の極盛期とされる。左大臣藤原頼長が『台記』で同時精液発射は至高との快楽と記したように罪悪感は微塵もみられない。徳川時代に衆道禁止令、明治期に西洋思想を吸収し「鶏姦スル者ハ懲役九十日」等の処罰法の存在が指摘されているが適用例はほとんどないものと思われ、大筋において我が国にはソドミー処罰法は存在していなかったといってよい。
 
 欧米諸外国におけるソドミー(男色行為)の非犯罪化は、1954年英国のウォルフェンデン卿委員会の勧告がきっかけである。これは売春、賭博も含めて「被害者なき犯罪」の非犯罪化の提唱であった。道徳に対する罪と法律上の罪を区別するという基本哲学であるが、道徳の罪の非犯罪化は社会的・道徳的紐帯を崩壊させるという反対論も有力で 白熱した学術的論争がなされた。
 非犯罪化の刑事政策は、警察は市民の生命や財産を侵害する犯罪に注力すべきで。被害者なき犯罪にかまう必要はないという刑事政策の議論であって憲法や人権の問題ではない。私は、売春や賭博も非犯罪化してよいと思うが、非犯罪化論それ自体は同性愛者だけを格別重視しているものではない。
 英国では1967年に同性愛行為を合法化 (但しスコットランドは1980年)し、その後80年代までに西欧諸国のの大多数が同性愛行為を合法化している(勿論バチカンは反対)。ヨーロッパ人権裁判所は、80年代に同性愛行為を禁止する北アイルランド法をヨーロッパ人権条約違反としている。  
 米国においてもアメリカ法曹協会が合意による男色行為は実害のない犯罪として、諸州の異常性行為(ソドミー)処罰法の廃止が提言されたが、連邦最高裁は Bowers v. Hardwick (1986)で5対4の僅差で、肛門性交(アナルセックス)、口腔性交(フェラチオ)といった異常性行為(適用の対象は男色行為)を処罰する州法を合憲として、男色行為はいわゆるプライバシー権によって憲法上保護されないことを明らかし、西欧の非犯罪化の趨勢とは一線を画した。米国は欧州ほど世俗化されていないためである。社会の道徳的紐帯を重視する共和主義憲法理論を示した名判決と評価されている。
 とりわけバーガー主席判事(連邦最高裁長官)の凄みのある補足意見が印象的である。
「男性同性愛行為に関する個人の決定は西欧文明の歴史を通じて常に国家の規制に服してきた。その種の行為に対する非難はユダヤ・キリストの道徳的・倫理的規範に強固に根ざしている。男性同性愛行為は、ローマ法においても死刑に相当する犯罪だった。‥‥イギリス法でも、教会法の管轄権が国王裁判所の管轄権に移された宗教改革の時代に、男性同性愛行為をを刑法上の犯罪と定めた。最初のイギリス制定法(1533)が議会で制定されている。W・ブラックストンによれば、この男性同性愛行為という自然に反する破廉恥な行為"the infamous crime against nature"は強姦よりも重大な悪行"deeper malignity"であって、その行為に言及することですら人間の本性に羞恥となるような極悪な行為"the very mention of which is a disgrace to human nature,"、最も卑劣な犯罪"a crime not fit to be named."である。と述べられている。[ W. Blackstone4, Commentaries *215. The common law of England(1795~69)]イギリスのコモン・ローは、この男性同性愛行為処罰を含めて、ジョージア州その他のアメリカの植民地の法として継受され‥‥‥そのような歴史的意味有する男性同性愛行為を、連邦最高裁判所が、ここで、合衆国憲法上の基本的権として保障されるのだと判示することは、至福千年の道徳的教訓aside millennia of moral teachingを棄て去ることになるだろう。‥」[松平光央1987]
 ブラックストンは公的不法行為としており、合衆国各州で継受され、ソドミー処罰法となっているのであり。歴史に根差しているという認識は正しいと考える。
 
 バーガー主席判事補足意見はホワイト判事の法廷意見のいう男色行為が、アメリカの伝統と歴史に深く根ざしたものである、秩序だった自由の概念に黙示的に包含されるという被上告人の主張は『笑止千万お笑い草』述べた部分を補足したものである。
 明文で規定されないが憲法上の権利とされてよいのはアメリカの伝統と歴史に深く根ざしたものであり、秩序だった自由(順序づけられた自由)というまさに精髄でなければならない決まり文句が、男色行為を憲法上の権利として承認しない決め手とされているのである。
 しかし米国では、この判決を覆そうという運動が起きたため17年後のLawrence v. Texas、539 U.S. 558 (2003)という連邦最高裁判決で先例を覆し、私的な空間での合意による性行為はそれが男色行為であれ、憲法の実体的デュープロセスによって保護されるという6対3の判決で、男色行為処罰州法を違憲としたので、全米で同性愛行為の非犯罪化がなされた。 
 ケネディ法廷意見は「Bowers判決では『ソドミー行為は古来に淵源を持ち、禁止されている』とされたが、イギリスの植民地時代や独立初期時代のソドミー法は同性愛者のみを対象とせず、未成年者に対する暴行や強姦、獣姦などの利己的な行為に行使されていた。多くの州で同性愛行為が処罰の対象とされたのは1970年代以降である 。したがって、同性愛行為を禁止するソドミー法の歴史は「古くから付いている」ものではないするがこの判断は疑問である。罰則適用者が少ないのはそれは住居という私的空間に踏み込むことに私生活の干渉に謙抑的なのが近現代の法文化であるといっているだけで、一種の技術的な印象操作で歴史認識を覆してしまったといってよい。  ヘンリー8世やエリザベス1世の制定法の無視、コーク、へイル、ブラックストンの無視は容認しがたい。判例変更する根拠に乏しく、事実上の裁判官による立法、悪しき司法積極主義と考える。特に法源とはならない外国や国際組織の立法の引用は不適切である。西欧諸国は世俗化が進んでおりキリスト教的規範が重んじられてない。米国人のように毎週教会に礼拝する人は少ない、米国はEUの子分でないし、現代西欧がどうであれ現代のイスラエルであるべき米国の見識を示すべきであった。
 私は、スカリア判事の反対意見がだと妥当と考えるが、ケネディ法廷意見の核心部分は「個人が一生の中で行う最も親密でかつ個人的な諸選択(personal choices)は、個人の尊厳と自律にとって核心部分であり、第14修正によって保護される自由の核心的部分である。自由の核心的部分とは、自身の存在、価値、普遍性、そして生命の神秘さを定義する権利である。これは州の強制力によっても侵害できない‥‥このことは異性愛者と同様に、同性愛者にも個人の自律を追求できることを示唆している。」と述べたくだりで、個人の自律の重視、個人生活の核心部分に政府は干渉しないという立論である。
 私はこの見解にも懐疑的だが、いずれにせよ、男色行為を処罰対象としないことが同性愛者の人権尊重の中心にある議論であり、アメリカでは2003年になって達成されたのである。今世紀になって先進国で普通になったということだが、我が国ではもともと犯罪とはしてこなかったので、同性愛者の人権はもともと尊重されており、格別法制化の必要はなく、むしろ特別視することによる弊害が大きいので、東京都の人権尊重条例に反対する。
 ついでにいうと、たぶん国際スポーツ組織の世界では西欧諸国の発言権が強いだろうし、彼らは欧州人権条約を自画自賛し、非犯罪化が洗練されており世の趨勢として、旧ソ連圏や中東、アフリカなど同性愛タブーの残っている地域を批判しているのだろうが、文化相対主義の観点からは厚かましいと思う。
 競技スポーツで同性愛者を差別しないポリシーをとることはそれ自体悪いことではないにしても、一般社会の事業運営までそれと同じレベルで差別禁止を求めるのはやりすぎである。
 我が国は、西洋と違って同性愛タブーに乏しく格別同性愛者に憎悪や敵意をかきたてる文化的背景がないのが特徴といえるのである。実例としては、「おねえ系」タレントの人気、テレビなどで活躍している例を挙げてよい。
 カルセール麻紀、美川憲一、池畑慎之介、おすぎとピーコ、KABA.ちゃん、KINYA、 假屋崎省吾、クリス松村、IKKO、はるな愛、マツコ・デラックス。『2011ユーキャン新語・流行語大賞』でトップ10になった楽しんごの「ドドスコスコスコ‥‥ラブ注入」というギャグは肛門性交を連想させるが、賞を受けるたけでなく大手企業のCMにも起用されるタレントで、我が国では偏見がないことを証明している。
 東京都は今回の条例で言葉狩りをやりたいのだろうが、マツコ・デラックスなどは、テレビで「おかま」と自称しており、必ずしも軽蔑を意味するものとは限らず、禁句とする必要はないと考える。
 松平光央
1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)60巻2・3

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