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2018/06/10

東京都「人権尊重条例」に反対する下書き(1)同性愛を道徳的に承認しない市民を攻撃し、市民的自由を奪おうとする悪法

1. 「人権」よりも近代市民的自由が重要、特に、「人権」尊重政策として私人間の契約(雇用判断や住宅の賃貸等)の自由を規制、制約していこうとする指向の政策に強く反対する。

 (1) LBGTの人権という思想の過ち
 東京都は人権という概念をむやみに拡大しすぎる。東京都が非常にずるいのは人権それ自体が不確定概念、人格権をいっているのか人格的尊厳をいっているのか、厳密な定義もなく用い、たんに雰囲気でなんでも人権に祭り上げ、けっして憲法上の権利とはいわないところだ。憲法上の権利といってしまうと、私人間効力が否定されるので、都民や事業者に差別を禁止したり責務を課すことしが困難になるためと思われる。
 問題は、LBGTの人権尊重という思想のうちに、同性愛を道徳的に承認しない西洋文明の伝統的な規範意識をもつ人や、反同性愛の根拠となっている聖書思想やギリシャ哲学、保守的なクリスチャン等への敵意が看取でき、そうした人々、伝統的には正統的な立場にあるまともな人々の意識を変革しようという思想統制、全体主義の側面があるだけでなく、雇用判断(採用、昇進、解雇等)やその他契約の自由(大家さんが自由に賃貸人と契約する権利)をに干渉し、近代自由主義経済の原則である契約の自由の侵害を正当化させ、人権尊重の名のもとで近代的市民自由が規制、制約されていくことである。
 声を大にしていいたいのは、市民には、同性愛を道徳的に不承認とする価値観、信念をもつ自由があり、そのために市民的自由(契約の自由)が制約されるべきではない。小池都知事や都議会に、都民に道徳的選好を強要する権利などないということだ。
 文明規範の危機として憂う事態である。
 小池都知事や都民ファーストはLBGT運動が時流とみてたぶんロビー攻勢もあり、票になると踏んでやりたいのだろうが、競技スポーツで同性愛者を差別しないとことをオリンピックの政策とするのは運営者の勝手であるが、そのために一般社会も巻き込んでいくのはやり過ぎである。こんなことなら、オリンピックは招致しないほうがよかった。
 近年、残業時間規制や女性活躍のためのポジティブアクションなどもそうだが、雇用契約という本来自由主義では政府が干渉してはならない領域に干渉する準社会主義政策がはやっているが、近代市民的自由、自由企業体制の危機と訴えたい。
 票になることが正しい政治なのではない。一般に、真性に近い男性同性愛者は、人口の5~10%、女性は3~5%、バイセクシャルはその倍とされているので、選挙を左右するほどの勢力を有し、LBGT運動は近年急速に発言権を強くしているが、人権尊重と称して同性愛を道徳的に承認しない伝統規範を信奉する人々が攻撃されたり、多数者である異性愛者が肩身の狭い思いをさせられり、市民的自由を制約されるいわれはなく、ノイジーマイノリティに踊らされる政治ほど不愉快なものはない。
もとより、私は1980年代に広まったエイズ保菌者はすべて同性愛者であるというような誤解に与することはしないし、軽蔑するようなことはしない、むしろ有能な人物が多いことも知っている。合意のもとでの同性愛行為それ自体実害のないものであり、敵意もない。むしろその噂で歌手が紅白出場を降ろされたりするのは気の毒とさえ思った
 しかし東京都のような地方自治体であれ中央政府であれ、国民に特定の道徳的選好を強いることは全体主義であり許されない。同性愛が不道徳であるとい人々の信念を変えさせられたり、少数者によって多数者の価値観を覆させられるいわれはない。絶対反対である。

(2)欧米と比較して同性愛タブーの乏しい我が国で深刻な問題はない
 西洋文明圏では、ソドミー、男性同性愛行為は神の定め給う自然法の掟に反し、「自然に反する罪」「自然に反する性行為の罪」とされ、キリスト教徒にとっては異端であり、あるいは社会の存続にとって危険な行為とされてきた。
 欧米諸外国ではソドミー(男色行為)は刑罰の対象とされてきたが、見直しが行われるようになったのは、1954年英国のウォルフェンデン卿委員会の勧告がきっかけである。これは売春も含めて被害者なき犯罪の非犯罪化の提唱であった。道徳に対する罪と法律上の罪を区別するという基本哲学であるが、道徳の罪の非犯罪化は社会的・道徳的紐帯を崩壊させるという反対論も有力で 白熱した学術的論争がなされた。しかし英国では1967年に同性愛行為を合法化 (但しスコットランドは1980年)し、その後1980年代までに西欧諸国のの大多数が同性愛行為を合法化している(勿論バチカンは反対)。
 米国においてもアメリカ法曹協会が合意による男色行為は実害のない犯罪として、諸州の異常性行為(ソドミー)処罰法の廃止が提言されたが、連邦最高裁は Bowers v. Hardwick (1986)で5対4の僅差で、肛門性交(アナルセックス)、口腔性交(フェラチオ)といった異常性行為(適用の対象は男色行為)を処罰する州法を合憲として、男色行為はいわゆるプライバシー権によって憲法上保護されないことを明らかし、西欧の非犯罪化の趨勢とは一線を画した。米国は欧州ほど世俗化されておらず、社会の道徳的紐帯を重視する共和主義憲法理論を示した名判決である。
 ところが、連邦最高裁はLawrence v. Texas、539 U.S. 558 (2003))で先例を覆し、私的な空間での合意による性行為はそれが男色行為でれ、憲法の実体的デュープロセスによって保護されるという6対3の判決で、男色行為処罰州法を違憲としたので、全米で同性愛行為の非犯罪化がなされた。
 一方、我が国では、西洋と違って同性愛を自然に反する性行為として処罰するという法文化に乏しく、院政期より近世初期まで「待童」「小姓」「念友」といった男色行為の盛行がみられる。とくに室町から戦国時代が男色の極盛期とされる。左大臣藤原長が『台記』で同時精液発射は至高との快楽と記したように罪悪感は微塵もみられない。徳川時代に衆道禁止令、明治期に「鶏姦スル者ハ懲役九十日」等の処罰法の存在が指摘されているが、大筋において我が国には欧米諸国なら普通だったソドミー処罰法は存在していなかったといってよいだろう。米国では21世紀に入っても男色行為処罰法が生きていたという状況とは全然違うのであり、我が国は性的快楽追求を否定せず、オーラルセックス(フェラチオ、クリニン具すにも、アナルセックスにもそれが同性であっても罪悪感に乏しく寛容な文化といえるのである。
 要するに、アメリカ合衆国は2003年まで、同性愛行為を行う権利を憲法上の基本的人権と承認していなかったが、我が国はそうではない、同性愛行為を行う権利を認めていた。だからことさら同性愛者の人権を法制化する理由はないのである。
同性愛者に雇用、社会生活上の便宜供与や優先処遇を与えるとなれば、一般市民の私法上の権利、契約の自由といったものとバッティングすることになり、契約の自由を制限してまで同性愛者を厚遇しなければならない根拠というものも乏しいのである。
 実際、我が国は、西洋と違って同性愛タブーに乏しく格別同性愛者に憎悪や敵意をかきたてる文化的背景がないのが特徴といえる。実例ちとては、「おねえ系」タレントが人気がありメディアで活躍しているをあげてよいと思う。例えばカルセール麻紀、美川憲一、池畑慎之介、おすぎとピーコ、KABA.ちゃん、KINYA、 假屋崎省吾、クリス松村、IKKO、はるな愛、マツコ・デラックス。『2011ユーキャン新語・流行語大賞』でトップ10になった楽しんごの「ドドスコスコ‥‥ラブ注入」というギャグは肛門性交を連想させるが、賞を受けるたけでなく大手企業のCMにも起用されるタレントで、我が国では偏見がないことを証明している。
 私は、ウォルフェンデン卿委員会のリベラルな刑事政策に賛成であるゆえ、売春や賭博の非犯罪化も妥当と考えるから、もとより私的空間での合意による性行為の自由という価値判断も妥当と考えるものであるが、我が国には男色行為を処罰するという発想はもともとなかったので、この点で欧米の前世紀の状況のような深刻な問題はない。ことさら同性愛者の人権を強調する必要はないというべきである。
 もっとも、東京都教委は、青年の家利用拒否事件で同性愛団体から訴えられたことがある。府中青年の家利用申込不承認事件・東京地裁平6・3・30判決判タ859号163頁は、平成2年2月、動くゲイとレズビアンの会は、府中市是政にある府中青年の家(東都の条例により設置され、利用にあたっては教育委員会の承認を要する)において勉強会合宿を行った際、他の利用者から嫌がらせを受けたため、青年の家に対し善処を求め、更に5月にも宿泊使用すべく申込みをし、館長及び都教育長担当課長と交渉を重ねたが、教育委員会は最終的に東京都青年の家条例八条一号(「秩序を乱すおそれがある」)、及び二号(「管理上支障がある」)に該当するとして利用不承認処分とした。なお、青年の家は一室に複数の利用者が宿泊する形態であった。
 動くゲイとレズビアンの会は、不承認無処分が憲法21条、26条から導かれる施設利用権を違法に侵害しているその他の主張により損害賠償を請求した。
 判決は、都教育委員会にも職務を行うにつき過失があったものといわざるをえないとして損害賠償を認めた。
 東京都教育庁担当課長は、団体側の弁護士に対して、「まじめな団体だといってるけど本当は何をしている団体か分かりませんよね」「何のために青年の家を利用するか疑わしいですよね」「同性愛者がいっしょにいるというだけで、子供たちは悪い影響を受けますよ」などと発言していたが、初めからこの利用申込み者を軽蔑していたようにも思える。これは過失があったと指弾される心証を与えている。裁判所は教育委員会が、性的行為が行われるという具体的可能性もないのに、誤った予断にもとづいて不承認の判断を行ったとみたようだ。
 この問題は決着がついて、控訴審東京高判平9・9・16判例タイムズ986号206頁は、同性愛者の利用権を不当に制限し、結果的、実質的に不当な差別的取扱いをしたものであり、処分の裁量権の範囲を逸脱したものであって,違法であるなどとしたが,原判決を変更して、弁護士費用を認めず認容額を減縮して、請求の一部を認容した。都教委は上告せず確定判決となっている。判例によって同性愛者の公共施設利用が不当に侵害されることは違法であることは明白であり、東京都も反省していることだから、ことさら同性愛者の人権を強調する必要性はないというべきである。 
 
 (3)同性愛者に「人間の尊厳」は該当しない

 東京都は人格的尊厳という概念を勝手に人権としているようだが、「人間の尊厳」という思想は「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られているからだ」(創世記9・6)人間の生命の相互不可侵性の宗教的根拠づけに由来する。
 つまり人間の尊厳とは人間(男性)が神の似姿として造られたという神学的フィクションにすぎない。そんなものは虚構だ。その聖句がなければ所詮人間なんていうものは「糞が詰まった革袋」以外の何物でもないというほかない。
 勿論私は、イエスが人間の神的創造の基準だった完全な神の似姿であると言う新約聖書の思想、男性こそ神の似姿であり、女性より優位にあるという思想を否定することは絶対にしない。神の似姿性は、人間が自己の身体、能力を他者に侵害されることなく自由に処分するという自由主義の源泉でもあるから尊重するのである。
 しかし一方で、人間は原罪によって倫理性は致命的に腐敗しているというのも西洋文明1500年の正統的な思想であるから、「人間の尊厳」とか東京都が勝手に「人権」と称している思想それ自体懐疑的である。人間性やヒューマニズムを全く信用しないというのが正しい思想と考える。米国のバイブルベルトの保守的クリスチャンが「世俗的ヒューマニズム」を悪としていることに私は共鳴するものである。
  一方、人格とは理性的本姓をもつ個体のことで、人間を理性的動物 とするギリシア思想に由来するとする見方もあるが、古典古代の異教思想はキリスト教的に克服されなければならないというのが西洋文明の正統的な脈絡である。人格権概念のもとは聖書思想に由来するとみてよいのである。
 私が、同性愛を道徳的に承認しない理由の第一は、西洋文明2500年の伝統である。
 レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」同性愛を明確に悪とする根拠である。
 聖書思想は人格権の根拠でもあるが、男色行為を憎むべきことと教えているので、同性愛者に人間尊厳を認めることは神学的に論理矛盾でありえないことである。
(続く)
引用・参考 
W.パネンベルク
1990 佐々木勝彦訳『信仰と現実』日本基督教団出版局
東野治之
1979「日記にみる藤原頼長の男色関係―王朝貴族のウィタセクスアリス」ヒストリア84号
松平光央
1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)
」60巻2・3号

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ひふみ神示 補巻 月光の巻 第五十二帖
清めるとは和すことであるぞ。同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。それがまことの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。和すには同じあり方で、例へば五と五との立場で和すのであるが、位に於ては陽が中心であり、陰が外でなければならん。天が主であり地が従でなければならん。男が上で女が下ぢゃ、これが和の正しきあり方ぞ。さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ。

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