私鉄総連春闘ワッペン闘争の法的評価(下書きその7)
承前
(3)国労バッジ事件とはなんだったのか
国労バッジ着用を理由とする、本来業務外し、厳重注意、訓告処分、夏季手当減額、出勤停止が不当労働行為にあたるかが争われた判例が多数あるのは、JR各社が、昭和62年発足以来着用規制を徹底したためである。JRの就業規則はよくできている。
三条(服務の根本基準)
社員は、原告事業の社会的意義を自覚し、原告の発展に寄与するために、自己の本分を守り、原告の命に服し、法令・規定等を遵守し、全力をあげてその職務を遂行しなければならない(一項)。
二〇条(服装の整装)
制服等の定めのある社員は、勤務時間中、所定の制服等を着用しなければならない(一項)。
社員は、勤務時間中に又は原告施設内で原告の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない(三項)。
二三条(勤務時間中等の組合活動)
社員は、原告が許可した場合のほか、勤務時間中に又は原告施設内で、組合活動を行ってはならない。
組合バッジ着用はたんに上記に違反するだけでなく、期末手当の支給額は、賃金規程一四三条及び一四五条の規定により、成績率により増額又は減額されるが、減額については、懲戒処分(減給、戒告)及び訓告のほか、勤務成績が考慮されるところ、勤務成績については、減率適用者調書が作成され、その中で、厳重注意を含む賞罰、服装違反の注意回数、業績、態度等について具体的に記載されている。
要するに、服装違反の注意回数はボーナス査定にひびく制度設計にはじめからなっているのである。
にもかかわらず国労は、JR発足以前から、組織的な組合活動としてバッジ着用行為を指示し,組織としても不当労働行為救済申立てを行ってきたのである。
国労が方針を転換したのは平成8年7月以降労使協調路線へ変更してからである。平成11年3月18日の臨時全国大会において国鉄分割民営化による国鉄改革を承認する旨を決議し、平成11年9月に勤務時間中に組合活動を行うことを禁止する旨の労働協約を締結した。
自由民主党,公明党,保守党及び社会民主党の4党は,国労に対し,平成12年5月30日,四党合意を提示し,国労本部は,同日,その受入れを決定した。もっとも,国労組合員のうちJR各社に不採用とされた国労闘争団のメンバーは,国労本部の四党合意の受入れに反対したものの,国労は,平成12年7月1日以降3回にわたる全国大会を経て,平成13年1月27日,四党合意の受入れを盛り込んだ方針案を採択するに至った。
国労は、平成14年3月末以降は,組織として不当労働行為救済申立てを行うことはなくなり、平成18年11月には、バッジ事件を含む合計61件の不当労働行為救済申立事件を取り下げている。国労は,組合バッジ着用に関し,機関決定違反として統制処分をするまではしないが、支持はしないこととなった。JR東日本神奈川国労バッチ出勤停止処分事件 東京地判平24・11・7労判1067号18頁によれば平成15年7月以降国労バッジ着用者は1人となった。その者も退職したので、現在では組合バッジの着用規制は完全なものとなっていると考えられる。
ここで問題となっている国労バッジとは実は大きさで2種類あるのである通常着用していたのは、縦一・一センチメートル、横一・三センチメートルの四角形で、黒地に金色のレールの断面と「NRU」の文字をデザインしたものであり、「NRU」は「国鉄労働組合」を英訳した「National Railway Union」の頭文字をとったものである。
これと別にワッペン式大型バッジがあり、通称「くまんばち」と呼ばれ、デザインは本件組合バッジとほぼ同様であるが、縦二・六センチメートル、横二・八センチメートルと大きく、これは主に何らかの闘争時などを中心に着用された。この大型バッジについては、国鉄当局は、本件組合バッジと区別し、ワッペンの一種であるとして、国鉄末期に規制を行った。
国鉄鹿児島自動車営業所事件 最三小判平5・6・11判時1446号151頁(管理者に準ずる地位にある職員が組合員バッジの取外し命令に従わないため点呼執行業務から外して営業所構内の火山灰の除去作業に従事することを命じた業務命令が違法とはいえないとされた事例 )が昭和60年の事案だが、縦約二六ミリメートル、横約二八ミリメートル布製であり、「くまんばち」の大きさに相当する。
着用規制の経過等については、下記の3判例の判決書から抜粋する。
ア. JR東海新幹線支部国労バッジ事件 東京高判平9・10・30判時1626号38頁
(厳重注意や夏期手当の減額支給等の措置は不当労働行為に当たらないとした判決)
運輸大臣は、昭和五七年三月四日、国鉄に対し、「‥‥総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要である」旨指示した。これを受けて、‥‥国鉄は、昭和六〇年九月までの間に八次にわたり職場規律の総点検を行ったが、いずれの総点検においても組合バッヂの着用状況についての調査項目はなかった。
国労は、分割民営化反対等を主張し、昭和五九年八月一〇日、二時間のストライキを実施したほか、昭和六〇年春ころ、ワッペン着用闘 争を行った。国鉄当局は、ワッペン着用闘争について、同年九月一一日、五万九二〇〇人の国労所属組合員に対して処分
国鉄は、昭和六一年一月一三日、動労、全施労及び鉄労との間で、「労使共同宣言(第一次)」を締結した。‥‥諸法規を遵守すること、リボン・ワッペンの不着用、氏名札の着用等定められた服装を整えること‥‥などが掲げられていた。‥‥国労は、その締結を拒否した。
国鉄は、昭和六一年三月五日‥‥職員管理調書を作成するよう通達を発した。‥‥評定事項として、業務知識、技能、責任感、協調性、職場の秩序維持、服装の乱れ、勤務時間中の組合活動等二一項目について記入することとされていたが、組合バッヂについては触れられていなかった。
国労は、昭和六一年一〇月九、一〇日に伊豆修善寺において臨時全国大会を開催したが、雇用と組織を守るために「大胆な妥協」をし、分割民営化の推進を内容とする「労使共同宣言」の締結を提案した執行部案は否決され、引き続き国鉄の分割民営化に反対する方針が確認された。
動労、鉄労は、昭和六二年二月二日、日本鉄道労働組合、鉄道社員労働組合などとともに鉄道労連を結成した。
国労は、昭和六一年四月一日において組合員数一六万五四〇三人、組織率六八・六パーセントであったが、昭和六二年二月一日には組合員数六万二一六五人、組織率二七・三パーセント、同年四月一日には組合員数四万四〇一二人に減少した。
国労を脱退した者は、同年二月二八日、鉄道産業労働組合を結成したり、鉄労、動労などに加入するなどした。
本件就業規則の制定等
国鉄は、昭和六一年一二月三日、本社内に東海旅客鉄道株式会社設立準備室を設置し、この準備室において、本件就業規則の原案を作成し‥‥(六二年)四月一日の始業時刻に社員個人用の本件就業規則の抄録が配布され‥‥社達第一号により本件就業規則を施行するとともに、総達第九号により本件賃金規定を施行した後、労働組合の意見聴取を経て、本件就業規則を所轄労働基準監督署に届け出た。
期末手当の支給額は、本件賃金規程一四三条及び一四五条の規定に基づき、成績率により増額又は減額されるが、減額については、懲戒処分(減給、戒告)及び訓告のほか、勤務成績が考慮されるところ、勤務成績については、減率適用者調書が作成され、その中で、厳重注意を含む賞罰、服装違反の注意回数、業績、態度等について具体的に記載されている。
‥‥昭和六二年四月、各労働組合との間に、同内容の労働協約を締結したが、労働協約六条には、組合員(専従を除く。)は、被控訴人から承認を得た場合を除き、勤務時間中に組合活動を行うことはできない旨の定めがある。
(国労)東京地本は、昭和六一年一〇月三一日、指令第六号により、その時点では国鉄改革法案が衆議院を通過し、参議院の審議に入った段階であったが、この段階での当面のたたかいとして、「国労バッヂの完全着用を図ること」などを指令し、また、昭和六二年三月三一日、指示第一六〇号により、「国労バッヂは全員が完全に着用するよう再度徹底を期することとする。」などの指示を出した。
国鉄時代には、国労以外の他の労働組合も組合バッヂを作成し、組合員に配布しており、各労働組合の組合員は、組合バッヂを着用していたが、被控訴人が発足した同年四月には、国労以外のほとんどの他の労働組合の組合員は、組合バッヂを外しており、同月下旬には、組合バッヂを着用していたのは、国労所属組合員のみという状況であったが、国労所属組合員であるという連帯感を互いに確認し合って、仲間意識、組合意識を高め、国労のもとに団結するシンボルとして着用されていた。
組合バッヂ着用規制の経過
(1)東海旅客鉄道株式会社設立準備室の山田室長は、昭和六二年三月二六日、関係各人事、厚生(担当)課長に宛てて、「社章の着用について」と題する事務連絡を行い、その中で、社章を同年四月一日の始業時から、勤務時間中は全社員着用することなどのほか、組合バッヂ等の着用はさせないことを連絡し、この指示を受けた新幹線総局は、同月三〇日、労働課長名で各長に宛てて、本件就業規則二〇条三項で組合バッヂの着用を禁止していることを全社員に同日以降掲示等により周知徹底させることを指示し、各長は、各職場に、組合バッヂの着用の禁止とこれに従わない場合の懲戒の対象となることを掲示した。
さらに、同準備室青柳名で、同年三月三一日、関係各総務担当課長に対し、「社章、氏名札及び組合バッヂ等の着用状況報告について」と題する事務連絡を行い、同年四月一日に勤務を開始する現業社員の、社章、氏名札及び組合バッヂ等の着用状況を報告するよう求めた。
そして、被控訴人は、同月九日に各機関の総務担当課長に対し、同月一〇日に各総務担当課(科)長及び各庶務助役に対し、それぞれ総務課長名で、「特に着用を認める胸章、腕章等について」と題する事務連絡を行い、勤務時間中又は会社施設内において着用することができる胸章、腕章等の範囲を明示し、組合バッヂが含まれないことが示された。
‥‥昭和六二年四月一三日、総務部勤労課長から各人事(担当)課長に宛てて、また、新幹線運行本部長から現場長に宛てて、「組合バッヂ着用者等に対する注意・指導について」と題する事務連絡を行い、勤務時間中に組合バッヂを着用している社員に対しては、本件就業規則三条第一項、二〇条三項、二三条に違反する行為であることを通告し、直ちに取り外すよう注意・指導を繰り返すこと、注意・指導に際しては、社員個別に行い、その状況を克明に記録すること、それにもかかわらず取り外さない場合には、本件就業規則違反として懲戒処分もあり得ることを通告すること、社章・氏名札不着用者に対しても、同様に注意・指導を徹底すること、これを行わない現場長、助役は労働契約不履行となることなどを連絡した。(以下略)
イ.JR東日本(神奈川・国労バッジ)事件・東京高判平11・2・24判時1665号130頁裁判所ウェブサイト
(組合バッジ着用を理由とする訓告、厳重注意の処分、夏季手当の減額支給措置を不当労働行為とする)
運輸大臣は、昭和五七年三月四日、国鉄に対し、いわゆるヤミ手当や突発休、ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の悪慣行などについては、誠に遺憾なことであり、これら全般について実態調査を行う等総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要である旨の指示をし、これを受けて、国鉄総裁は、同月五日、各機関の長に対し、職場規律の総点検及び是正を指示する通達を発した。この総点検は、国鉄の全現業機関四八三一箇所を対象として行われたが、‥‥国鉄は、いわゆる悪慣行、ヤミ協定の即時解消、現場協議の乱れの抜本的正、現場管理者のバックアップ体制の確立、職場管理体制の充実等について緊急に全力を挙げて取り組むこととした。その後、国鉄は、昭和六〇年九月までに八次にわたる職場規律の総点検を行い、その結果に基づき、問題点の是正・改善等に取り組んだ(なお、いずれの総点検においても、組合バッジの着用状況についての調査項目はなかった。
国労は、分割民営化反対等を主張し、昭和五九年八月一〇日に二時間のストライキを実施したほか、昭和六〇年に入ってワッペン着用闘争を行った。これに対して、国鉄は、同年九月一三日、右闘争に参加した約五万九二〇〇人の国労所属組合員に対して戒告、訓告等の処分をした。さらに、国労は、昭和六一年四月一〇日から一二日まで、国鉄の分割民営化方針等に抗議して、ワッペン着用闘争を行った。これに対して、国鉄は、同年五月三〇日、右闘争に参加した約二万九〇〇〇人の国労組合員に対し、戒告又は訓告の処分をした。
国鉄は、昭和五九年七月一九日、国労、鉄労、動労、全施労及び全動労に対し、組合分会と現場責任者との間で職場単位で行われてきた現場協議制度が悪しき労使関係を生み出してきたとして、同年一一月三〇日に有効期間が満了する「現場協議に関する協約」の改訂案を提示し、同日までに交渉がまとまらなければ右協約を再締結しない旨を通告した。この結果、鉄労、動労及び全施労は、右改訂案どおりの協約を締結したが、国労及び全動労と国鉄との交渉は決裂し、国労及び全動労について右協約は失効した。
また、国鉄は、昭和六〇年一〇月二四日、国労に対し、国労が派遣や休職などのいわゆる余剰人員対策に対して非協力の態度をとっていることを理由に、同年一一月三〇日で期限切れとなる「雇用の安定等に関する協約」について再締結しない旨通告し、両者間では、同年一二月一日以降無協約の状態となった。一方、国鉄は、動労、鉄労及び全施労との間で、同年一一月三〇日、期限を昭和六二年三月三一日として右協約を再締結した。
さらに、国鉄は、昭和六一年一月一三日、「労使共同宣言(第一次)」の締結を各組合に提案した。‥‥諸法規を遵守すること、リボン・ワッペンの不着用、氏名札の着用等定められた服装を整えること、点呼妨害等企業人としてのモラルにもとる行為の根絶に努めること、必要な合理化は、労使が一致協力して積極的に推進すること‥‥が掲げられていた。この提案に対し、鉄労、動労及び全施労は受諾したが、国労は、拒否した。
国鉄総裁は、昭和六一年三月五日、各機関の長に対し、八次にわたる職場規律の総点検の集大成として、職員個々の実態把握を統一的に行うため職員管理調書を作成するよう通達を発した。この職員管理調書は、同年四月二日時点の職員(管理職を除く。)について、昭和五八年四月一日から昭和六一年三月三一日までを調査対象期間として作成されたが、一般処分、労働処分等を含む七項目の特記事項のほか、評定事項として業務能力、知識等に関すること及び勤務態度に関することについて記入することとされていた(労働処分については、昭和五八年七月二日に処分通知を行った「五八・三闘争」から記入することとされたが、動労は昭和五七年一二月以降争議行為を行わなくなり、動労組合員に対する最後の処分通告は昭和五八年三月二六日であるため、動労組合員の労働処分歴は右調書には記載されないことになった。)。右の評定事項の勤務態度に関することの中の「服装の乱れ」の項目は、「リボン・ワッペン、氏名札、安全帽、安全靴、あご紐、ネクタイ等について、指導された通りの服装をしているか。」というものであり、組合バッジについては言及されていなかった(なお、「勤務時間中の組合活動」の項には、ワッペン着用、氏名札未着用については「服装の乱れ」の項で回答することとの注意書がある。)。
国労は、昭和六一年一〇月九日、一〇日の両日、伊豆修善寺で臨時全国大会を開催したが、雇用と組織を守るために分割民営化反対をやめて労使共同宣言を締結するという国鉄当局との「大胆な妥協」を目指す執行部案は否決され、引き続き国鉄の分割民営化に反対していく方針が確認された。
他方、鉄労、動労、日本鉄道労働組合(同年一二月一九日に真国鉄労働組合と全施労が統合され、組合員約一万名で結成された。)及び鉄道社員労働組合(昭和六二年一月二三日に組合員約三万名で結成された。)は、同年二月二日、新会社における一企業一組合の実現を目指し、鉄道労連を結成した。
また、国労を脱退した旧主流派によって各地域ごとに結成された鉄道産業労働組合(鉄産労)は、同月二八日、その連合組織として鉄産総連を結成した。
以上のような状況の下で、昭和六一年五月には組合員約一六万三〇〇〇名(組織率六八・三パーセント)を有する国鉄内最大の労働組合であった国労は、その組合員を昭和六二年二月には約六万四七〇〇名(同二九・二パーセント)、さらに、同年四月には約四万四〇〇〇名と急激に減少させた。なお、昭和六一年五月当時の他組合の組合員数は、動労が約三万一三五〇名(組織率一三・一パーセント)、鉄労が約二万八八七〇名(同一二・一パーセント)、全施労が約一五九〇名(同〇・七パーセント)であったが、昭和六二年二月には、鉄道労連が約一二万六〇〇〇名(同五五パーセント)、鉄産総連が約二万一〇〇〇名(同九パーセント)という状況となっていた。
3 就業規則の制定等
控訴人の就業規則(以下「本件就業規則」という。)は、国鉄本社内に設置された東日本旅客鉄道株式会社設立準備室がその原案を作成し、昭和六二年三月二三日に控訴人の創立総会を経て制定された。同年四月一日には、いずれの現業機関においても各詰所にこれが備え付けられて社員が自由に閲覧し得る状態におかれ、‥‥控訴人は、各労働組合の意見聴取を経て、同年五月中旬ころまでに右就業規則を所轄労働基準監督署に届け出た。
控訴人の賃金規程(昭和六三年八月人達第一二号による改正前のもの。以下同じ。)
のうち、期末手当の額の減額に関連する規定は‥‥減額に係る成績率については、一〇〇分の五減の事由として減給、戒告、訓告及び勤務成績が良好でない者と定められている‥‥これに関して作成される期末手当減額調書には、業績(問題意識、成果)、態度(執行態度、協調性等)、処分の有無、服装(組合バッジ着用等の注意回数等)について記入することとされている。
4 組合バッジの着用状況等
(一)本件組合バッジは、縦一・一センチメートル、横一・三センチメートルの四角形で、黒地に金色のレールの断面と「NRU」の文字をデザインしたものであり、「NRU」は「国鉄労働組合」を英訳した「National Railway Union」の頭文字をとったものである。国労の組合バッジは、国労結成後間もない昭和二三年に制定され、昭和四一年に組合結成二〇周年を記念して、現在のデザインに変更された。本件組合バッジは、国労に加入した際、国労手帳とともに組合員に無償で支給され、国鉄時代には、国労組合員は、国労からの指令等がなくても、自発的にこれを制服や作業服の胸や襟等に付けて着用していた。
国鉄における職員の服装の整正については、就業規則六条に「職員は、服装を端正にし、常に職員としての規律と品位を保つように努めなければならない。」及び「職員は、総裁(又はその委任を受けた者)の定めるところに従って、制服等を着用し業務に従事しなければならない。」と定められ、また、「服制及び被服類取扱基準規程」の一六条に「被服類には、腕章、キ章、服飾等であって、この規程に定めるもの及び別に定めてあるもの以外のものを着用してはならない。」と定められていたので、国鉄が着用を認めたもの以外のキ章に当たるとして本件組合バッジの着用を禁止することも可能であったが、国労以外の労働組合の組合員もそれぞれ組合バッジを着用しており、国鉄当局がその取り外しを指導したり、着用を理由に処分したことはなかった(なお、国労のワッペン式大型バッジは、通称「くまんばち」と呼ばれ、デザインは本件組合バッジとほぼ同様であるが、縦二・六センチメートル、横二・八センチメートルと大きく、これは主に何らかの闘争時などを中心に着用された。この大型バッジについては、国鉄当局は、本件組合バッジと区別し、ワッペンの一種であるとして、国鉄末期に規制を行った。)
国鉄分割民営化の過程で‥‥国労から多くの組合員が脱退していく中で、本件組合バッジを組合団結のシンボルとする国労組合員は、国労の組織防衛上の見地からその着用を続けていた。東京地本は、昭和六一年一〇月三一日、闘争指令を発し、その中で、当面の闘いとして、「国労バッチの完全着用をはかること。」などの指令を出し、さらに、昭和六二年三月三一日、各支部執行委員長に対し、「国労バッチは全員が完全に着用するよう再度徹底を期すこととする。」などの指示を出すに至り、本件組合員らは、就業時間中に本件組合バッジを継続的に着用した。
国鉄分割民営化の過程で‥‥国労から多くの組合員が脱退していく中で、本件組合バッジを組合団結のシンボルとする国労組合員は、国労の組織防衛上の見地からその着用を続けていた。東京地本は、昭和六一年一〇月三一日、闘争指令を発し、その中で、当面の闘いとして、「国労バッチの完全着用をはかること。」などの指令を出し、さらに、昭和六二年三月三一日、各支部執行委員長に対し、「国労バッチは全員が完全に着用するよう再度徹底を期すこととする。」などの指示を出すに至り、本件組合員らは、就業時間中に本件組合バッジを継続的に着用した。‥‥。
国鉄時代には、動労、鉄労など国労以外の他の労働組合も、組合バッジを作成し、組合員に配付しており、各労働組合の組合員は、組合バッジを着用していたが、控訴人が発足した昭和六二年四月には、国労以外の他の労働組合の組合員のほとんどは組合バッジを外しており(鉄道労連は、同月一日付け機関誌に「着けよう鉄道労連バッジ」との呼び掛けを掲載したが、鉄道労連の下部組織の東鉄労組合員はこれを着用しなかったし、東鉄労としては、会社発足の困難な途上において労使がいらざる紛争の種を作るべきではないとして、所属組合員が就業時間中に組合バッジを着用することがあれば、強力に指導して外させる方針であった。)、同月下旬ころには、控訴人の社員で組合バッジを着用していたのは、ほぼ国労組合員のみというに等しい状況であった。
組合バッジ着用規制と本件処分に至る経緯
国鉄の東日本旅客鉄道株式会社設立準備室の小柴次長は、昭和六二年三月二三日、東日本地区各機関総務(担当)部長(次長)に対し、「社員への「社員証」「社章」「氏名札」の交付等について」と題する事務連絡を行ったが、その中で、控訴人発足に当たって全社員に交付すべき社員証、社章及び氏名札は、勤務箇所長から直接社員一人一人に手渡しで交付すること、組合バッジを着用している場合には、組合バッジを外させるとともに、社章を着用させることを指示した。右指示に従い、勤務箇所長は、社員に対し、同年四月一日又はその前後にされた社章等の交付の際、組合バッジを取り外すよう指導した。
控訴人の人事部勤労課嶋副長は、昭和六二年四月七日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、「社章及び氏名札等の着用状況調査について」と題する事務連絡を行い、各現業機関の社員を調査対象として同月一日から同月七日までの間の社章、氏名札及び組合バッジの常態的な着用状況の報告を求め、特に、組合バッジ着用者数については、系統別に組合別人員数を計上することを求めた。さらに、同副長は、同月二三日、調査期間を同年五月七日から同月一三日までとして同様の調査及び報告を求める「社章、氏名札等の着用状況調査について(第2次)」と題する事務連絡を行った。右二回の調査の結果報告によると、組合バッジ着用者は、第一次調査で五六四五名(全体の八・八パーセント)、第二次調査で二七九八名(同四・四パーセント)であり、そのほとんどが国労組合員であった。
(三)控訴人の人事部勤労課長は、昭和六二年四月二〇日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、「社章、氏名札着用等の指導方について」と題する事務連絡を行ったが、その中で、「組合バッヂ着用者に対しては、服装違反である旨注意を喚起して、取り外すよう注意・指導すること。その際の注意等に対する言動を含めた状況を克明に記録しておくこと。繰り返し注意・指導を行ったにもかかわらず、これに従わない社員に対しては、「就業規則」、「社員証、社章及び氏名札規程」に違反するとして厳しく対処することとし、人事考課等に厳正に反映させることとされたい。」と指示した。これを受けて、東京圏運行本部の総務部人事課長及び勤労課長は、関係現業機関の長に対し、翌二一日、同旨の事務連絡を行い、さらに、同月二八日、「服装等の整正状況のは握について」と題する事務連絡を行って、決められた服装をしない社員の整正状況について個人別把握を行うよう指示した。さらに、控訴人の人事部勤労課長は、同年五月二一日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、「服装違反者に対する注意・指導の徹底について」と題する事務連絡を行い、「依然として管理者の注意・指導に従わず、服装違反を繰り返している社員が見受けられることは甚だ遺憾である。」として、更に強力に注意・指導の徹底を行い、直ちに改善されるよう取り組むべきことを指示した。
控訴人の人事部長は、昭和六二年五月二八日、関係各機関の総務部長等に対し、「服装違反者に対する方針について」と題する事務連絡を行い、「未だ多数の者がこれら管理者の注意・指導に従わず、社章、氏名札を着用せず、組合バッヂ等を着用して勤務に就いていることは誠に遺憾であるといわざるをえない。」として、「これら服装違反者に対して、従前の注意・指導を踏まえて一層の改善をはかるべく、さらに強力に取り組まれたい。」と指示した。その中で、同人事部長は、「社章、氏名札の未着用及び組合バッヂ等を着用して勤務した者に対しては、厳正に対処せざるを得ないことをここに警告する。」旨の警告文の案文を示して、これを参考に「各現場での点呼、掲示等により社員に対して周知徹底を図り、改善の実をあげるとともに、貴職におかれては現場の実態について完全に把握し、厳正な対処の準備を図られたい。」と指示した。これを受けて、東京圏運行本部総務部長は、同日、各現業機関の長に対し、「服装違反者に対する方針について」と題する事務連絡を行い、その中で、右案文と同内容の東京圏運行本部長名による警告文案を示し、これを参考として会社の右方針の周知徹底を図るべきこと等を指示し、翌二九日、各現業機関において、右文案どおりの警告文が掲示された。
以上のような経緯を経て、控訴人は、昭和六二年六月一二日、本件組合バッジを着用していた本件組合員らのうち原判決別紙組合員目録1記載の者に対し、本件処分を行い、
さらに、同年の夏季手当について、本件組合員らに対し、賃金規程一四五条三項に定める成績率(減額)の対象者に該当するとして、本件減額措置を行った。
ウ JR東日本神奈川国労バッチ出勤停止処分事件 東京地判平24・11・7労判1067号18頁
(エ)包括和解をめぐる動き
a 中労委は,平成16年9月16日及び平成17年1月21日,中労委に係属していた国鉄の分割・民営化と会社発足に伴う職員の配属発令並びにその後の兼務・配転等発令に関連する事件13件について和解勧告を行い,国労と原告JR東日本は,これを受諾して和解が成立した(甲2)。
b 中労委は,平成17年10月31日,中労委に継続していた昇進試験に関連する事件9件についても和解勧告を行い,国労と原告JR東日本は,これを受諾して,都労委係属事件14件を含む合計23件について和解が成立した
さらに,P10及び原告P1ら8名は,同月5日,国労中央本部及び東日本本部に対し,原告JR東日本の不当労働行為体質は何一つ変わっていないにもかかわらず労働委員会係争事件を全面的に取り下ろす今回の和解は原告JR東日本への全面屈服にほかならないなどとする抗議文を提出したが,中央本部及び東日本本部ともに回答しなかった。
d 中労委は,平成18年11月6日,国労組合員の会社への採用問題を除き,出向・配転等に関連する事件30件,バッジ処分事件11件及びその他不利益取扱い等に関連する事件2件の合計43件の抗争事件について和解勧告を行い,国労及び原告JR東日本は,これを受諾して,出向・配属等の不当労働行為が争われた都労委ほか3県労委の係属事件6件,バッジ処分の都労委係属事件10件及びその他の不利益取扱い等の都労委係属事件2件を含む合計61件について和解が成立した。
これにより,P10及び原告P1ら8名並びにその他国労組合員による個人申立て事件を除き,国労と原告JR東日本との間の労働委員会における係争事件は全て終結した。
(4)前提事実及び上記認定事実等を基に検討する。
ア 前提事実(4)ア記載のとおりの国労バッジの形状及びその着用が身体的活動としての労務提供に格別支障を生じさせないことからすれば,その違反行為の内容に照らし本件各処分の量定については異論を差し挟む余地もないではない。加えて,前記のとおり,国労が,昭和62年3月末に国労バッジ着用指示を出していたこと,原告JR東日本と国労とが分割民営化を巡って対立してきた経緯があること等に照らせば,国労バッジ着用行為に対する本件各処分(出勤停止5日または10日であって,賃金等の減額のみならず夏季手当15%の減額を伴う重い処分である。)が,原告JR東日本の国労に対する嫌悪の念に発したものであるとする見方も成り立ち得る余地はあろう。
イ しかし,原告JR東日本は,国労組合員等の組合バッジの着用について,昭和62年4月の設立当初から一貫して厳正に処分する姿勢を示し,実際に違反者に対し訓告等の処分を繰り返し行っていたものであり,平成14年3月28日の本件警告文の掲出は,時期的に四党合意に関し与党からの三党声明が出された時期(平成14年4月26日)と近接しているものの,設立当初からの基本的な方針に沿う,その延長線上の行動であったということができる。原告JR東日本設立以降,本件警告書掲出までの間でみても,P10らの国労バッジ着用による就業規則違反行為は約15年間にわたり多数回に及ぶもので,かつ,同人らが何ら態度を変える様子もなく違反行為を反復,継続していたことからすれば,その処分量定を加重していくこと自体には合理的な理由があるものであって,過重な処分がなされたことのみを理由に,直ちに,本件各処分が不当労働行為意思の発現であると認めることはできない。
当初は組織的な組合活動としてバッジ着用行為を指示し,組織としても不当労働行為救済申立てを行うなどしてきた国労が,平成14年3月末以降は,組織として不当労働行為救済申立てを行うことはなくなり,平成18年11月には,バッジ事件を含む合計61件の不当労働行為救済申立事件を取り下げていること,国労は,組合バッジ着用に関し,機関決定違反として統制処分をするまではしないが,支持はしないという態度であること,平成15年7月以降は国労バッジ着用者がP10のみとなり,P10が再就職して国労バッジの着用を止めた後,その活動を引き継いで行おうとする動きもなかったこと等にかんがみれば,P10のバッジ着用行為に組合活動としての保護が与えられるのは前記のとおりであるとしても,遅くとも本件各処分の対象となった平成19年ころには,既にその組合活動としての色彩が後退し,P10の個人的行為の側面が強くなっていたことは否定できないところである。
オ 以上の諸事情を考慮すれば,前記ア記載の事情を考慮しても,本件各処分から原告JR東日本の支配介入の意思が推認されるとはいえず,本件各処分が支配介入に当たるということはできない。
(5)以上のとおり,原告JR東日本が本件各処分を行う決定的な動機が,四党合意の受入れに反対するP10及び原告P1ら8名の国労内少数派の存在を嫌悪したことにあると認めることはできないから,本件各処分を支配介入行為であると認めることはできない。
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