選択的夫婦別姓とは社会主義政策である
(Ⅰ) 中国は元々夫婦別姓ではなかったが、宋家姉妹の例から一般に広まった
中国では孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢、毛沢東-江青、劉少奇-王光美、習近平-彭麗媛というように夫婦別姓が伝統と思っている人が多いと思うが、この固定観念は間違いで清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではないと島村修治(『外国人の姓名』ぎょうせい1971年24頁以下)が指摘している
もっとも伝統的な中国の宗族や朝鮮・韓国の門中においては、同姓不婚(娶)という族外婚制と異姓不養の原則があるけれども。外婚規則と、社会的標識としての姓名とは別の問題ということである。
島村によると清朝の姓名記載慣習は、女は結婚すれば夫と一心同体のものとして無姓無名の存在となり、一般の人々は〈何々家の奥さん〉、〈誰某の妻〉、〈誰某の嫁〉、〈誰某の母〉と呼びかたをしていた。
王竜妻張氏、あるいは 王張氏(王家に嫁入した張氏の娘との意味)というふうに書いたという。
中華民国の婚姻法(民法第1000条)でも夫婦は原則として同じ姓を称することになっていた。しかし実態としては1930年代以降、婚前の姓に字を添え、婚家の姓をかぶせ在り方が増加した。それは孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢は原則に反するが、夫婦間の特約により婚前の旧姓を保持することも認められていたためだという。
従ってファーストレディーとしての宋家姉妹がこのモデルを普及させた要因とみられ、新しい慣行である。
中華人民共和国では1950年5月1日公布の新婚姻法では、男女は平等であり互に独立した人格者であるとして、姓名についても「夫婦それぞれ自分の姓名を使用する権利をもつ」と定め、いずれの姓を選ぶかは当事者の任意とした。
この法律のモデルはソ連である。
(Ⅱ) 夫婦別姓はソ連の1924年の法令に由来する
島村氏によると(前掲書148頁以下)
ア 帝政時代、妻は当然のものとして夫の姓を称した。
イ 1919年の法典では、夫婦同一姓の原則により共通の姓を称するが、夫の姓か、双方の姓を連結した姓を称するかは、両当事者の自由とした。
ウ 1924年11月の法令で夫婦異姓の可能性が認められ、同一の姓を称する義務がなくなった。(1926年に連結姓と第3の姓の選択を否定)。
1926年に事実婚主義を採用し、1936年の登録婚制度法定まで事実婚の時代といわれている。夫婦別姓はスターリン時代の事実婚社会にふさわしかったのである。
以上のことから夫婦別氏ないし夫婦別姓というのはレーニンが死去した1924年のソ連の法令に由来する。それが1950年の共産中国の婚姻法に継受されたとみることができる。
日本的「家」制度の残滓とみなされる、夫婦同氏制を潰す政策を後押ししているのは共産主義イデオロギーを信奉している勢力と考えられるのである。つまりエンゲルスの唯物論的家族史論は、嫁入婚と家父長制家族の成立が私有財産制の淵源であると同時に「世界史的女性の敗北」と称しており、逆に嫁入婚と家父長制家族に打撃を加え、女権の拡大により、事実上社会主義革命の展望が開かれるという理屈になるからである。男女平等やジェンダー論は本質的に共産主義と親和的な思想なのである。
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