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2021/12/05

有識者会議批判動画2台本

 

内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案は排除すべき・「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議批判  動画その2台本

 

動画台本

 たぶん時間の無駄になるのでお勧めはしませんが、からかってやりたい方は YouTubeのmasahiko kawanishi (全部小文字の方です)チャンネルでご笑覧いただければ幸甚に存じます。

 

 

〇「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案」は夫が世にある限り女性当主はありえない日本の家族慣行を否定する重大な文化破壊になる

 

 

 有識者会議の「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案」この案は、摂政や国事行為臨時代行たりうる皇族数の確保を喫緊の課題として、女性皇族を皇室に残すが、配偶者と所生子は、当面は皇族とせず、女系を容認するか否かは先送りにして既成事実として進めていこうというものである。

 

 プリンスコンソート類似の制度を創設せず女系容認の論議を先送りにすればハードルが低くなるという判断のようだが、しかし夫となる男性の身分、地位構成(ステータスシステム)が不確定で女性皇族の添え物扱い。夫婦別姓の事実婚のような前例のない歪で醜悪な制度であり、非常に不自然なものといえる。

  

 動画第1回の反対論の要旨

 

(理由その1)歴史上一貫した内親王の性格規定の否定

 

 皇族以外と結婚しても、内親王は皇室に残るとする有識者会議の案は、歴史上一貫した規範である内親王の皇親内婚の原則を否定し、皇族にのみ嫁ぐことで皇室の血縁的尊貴性を守る役割という「内親王」号の歴史的性格規定を否定するから、皇室制度を根本的に破壊する。

 

 

 日本の「内親王」号は、我国独特の称号で、唐や新羅の「公主」号とは違う。継嗣令王娶親王条で皇親内婚が定められているがゆえに、内親王号であり、有識者会議案のように皇族以外と結婚しても皇室から離れないのは、内親王号の歴史的由来に反し、道理に反する。

 

 

 

 

 内親王の内を向いた性格、皇親内婚原則は歴史的に一貫した原則である。その根拠は以下のとおりである。

 

 つまり

1 令制では内親王を臣下が娶るのは違法で、反律令行為である。違法でも勅許による結婚も少なからずあるが、例外的な事例といえる。

 統計的にも6世紀の欽明后石姫皇女以降、現代まで、一世皇女ないし内親王(一世皇女)で皇親(皇族)と結婚したことが知られるのが63方、臣下と結婚したのが27方であり、やはり皇親内婚が多数を占めそれが原則であることは明確に言える。

 

旧皇室典範44条と皇室典範12条は一世皇女内親王を臣下が娶ることを違法としていないが、その場合は皇族の列から離れることを規定している。

 旧皇室典範44条のもとで明治41年の常宮昌子内親王から昭和18年の照宮成子内親王まで内親王五方はすべて皇族と結婚していることから、令制原則を明らかに意識し踏襲している。ゆえに歴史的に一貫しているもの。

 

 

 

  有識者会議案は、内親王の内向きの性格を否定、外向きになって皇族外の婚入配偶者を迎えることになり、皇室制度1600年の規範を根本的に破壊する。

 

 

  皇室典範12条は、内親王・女王の身位を保持するための結婚は皇族との結婚を規定し、大筋で令制の原則を踏襲しているといえるが、有識者会議の皇族以外と結婚しても、内親王・女王が身位を保持する案は 歴史的に一貫した規範で令制の婚制の核となる皇親内婚の思想を根本的に否定するので、皇室制度の破壊になるからダメということ。

 

 

  文殊正子氏によれば、中国では皇帝の娘や姉妹は「公主」号を称する。「公主」が臣下に嫁ぐことで皇帝と臣下との親密化を図る役割を担っていたのに対し、日本の「内親王」は皇族のみに嫁ぐことで皇室の血の尊貴性を守る役割を担っていたのであり、その役割が異なっていることから、我が国では「公主」号を採用せず、独自の「内親王」号を創出した。「内親王」は皇室から皇室へという「内に向いた性格」を有している。  

 

 文殊正子. (1986). 『内親王』号について 『公主』号との比較. 古代文化 38(10).中村みどり. (2002). 「一世皇子女の親王宣下と源氏賜姓」. 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編による要約

 

 

 

2回 動画本編

〇「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案」は夫が世にある限り女性当主はありえない日本の家族慣行を否定する重大な文化破壊になる

 

 

(理由2)内親王・女王は婚姻関係にあるかぎり、后妃以上になれないという鉄則を踏まえなればならないが、有識者会議案はこの鉄則を破るから許せない

 

(理由3)皇室と庶民の家とは性格が異なる面があるとはいえ、当主となりえなない入婿という我が国にはない男性を侮辱する制度を創設することの国民に与える影響は大きく、家族規範を混乱させることとなる。それゆえ有識者会議案は絶対的に反対

(理由4)幕末の淑子内親王の桂宮相続は女性宮家の先例とはいえない

(理由5)アン王女がモデルの有識者会議案は女系容認の英国王室の模倣であり、我国の国体を破壊する

 

 動画2回は理由34をとりあげ 理由4以降は次回とする。

 

 

 

(理由2)内親王・女王は婚姻関係にあるかぎり、后妃以上になれないという鉄則を踏まえなればならないが、有識者会議案はこの鉄則を破るから許せない

 

 

  皇統嫡系の内親王が入婿的に傍系の男性皇族と婚姻するケースはしばしばあるが、内親王は婚姻関係にある限り后妃以上にはなれない。仮に家附き女的立場にある内親王であっても結婚した場合、当主にはなりえないというのが我国の皇室の歴史で一貫した規則性である。

 

  内親王・女王が結婚して身位を維持することができるのは天皇・皇族と結婚したケースに限るというのが、皇室典範12条の規定であるから、有識者会議案は皇室典範12条を劇的に改変もしくは特例として皇族以外の内親王・女王が結婚しても身位を保持する案というべきであるが、この場合内親王・女王と結婚する皇族以外の男性配偶者は、たとえ身位が不確定で皇族にならないとしても外形上皇室の入贅と認識されることになる。このような前例はない。新奇であり非常に歪な制度である。

 

 21 我国の皇室における男系(父系)帰属主義の一貫性

 

 皇族どうしの婚姻(皇親内婚)では、嫡系の親王であれ傍系の諸王であれ、即位するのは男性皇親、宮家の当主も男性皇親である。嫡系の内親王であれ、傍系の女王であれ女性皇親は皇后か妃、あるいは女御と決まっており、歴史的に一貫した鉄則である。

 有識者会議の内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案はこの歴史的に一貫した鉄則を破るので皇室制度を根本的に破壊する。

 大化元年の男女の法でも明らかなように、我国は古来より父系帰属主義である。皇室以外の中世以降の日本的家制度の成立についてはここでは言及しないこととし、皇室にしぼって取り上げる。

 令制の親王号、王号を称する皇親とは、父系で天皇に繋がる。父系帰属主義であることはいうまでもない。

 我国の令制皇親制度と男系主義は非常にわかりやすいと思います。

 そもそも「王」とは何か。中国において春秋時代に「王」とは最高の君主を意味したが、戦国時代に有力な諸侯が「王」を自称したので地位が相対化した。漢王朝においては帝室一族は「王」号を称しうるが、外夷の君長にも「王」号が与えられた。それゆえ、中国では「王」は皇帝によってあたえられる最高の爵位となり、我が国とは意味が違っている [西嶋定生. (1999). 『倭国の出現 東アジア世界のなかの日本』. 東京大学出版会]。

  

 唐制との違いについては吉田孝. (2006). 『歴史のなかの天皇』 . 岩波新書が一番わかりやすい。

  「唐制では『王・公・侯・伯・子・男』の爵位は承襲者(一般に嫡子)の単独継承が原則であるが、日本律令の『王』は嫡子に限らず、しかも嫡庶、男女を問わず父系で一律に継承された。要するに、承襲者だけの『王』名号が中国、日本は、父系で天皇に繋がれば、嫡庶男女を問わずすべて『王』名号を称するのである。但し、『王』族の急増をもたらした。その結果、『賜姓』による臣籍降下が日常化し、『王』も『姓』の一種とみなされるようになる。」

 

 以下の言辞は皇位の男系継承は明確に認識されていたことを裏付けるといえる。

 花園上皇の『誡太子書』(元徳2年・1330)に「 吾朝は皇胤一統なり」 「異姓簒奪の恐無し」とある。

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 内大臣洞院満季が後小松上皇の勅命を奉じ撰進した皇室の系図が『本朝皇胤紹運録』(応永33年・1426)というように、皇位継承資格者は皇胤(男系)である。

 

 同趣旨の見解として慈円の『愚管抄』巻七(承久2年頃・1220)に「日本ノ国ノナライハ、国王種姓ノ人ナラヌスヂヲ国王ニハスマジト、神ノ代ヨリサダメタル国」「コノ日本国ハ、初ヨリ王胤ハホカヘウツルコトナシ。臣下ノ家又サダメヲカレヌ。ソノマゝニテイカナル事イデクレドモ、ケフマデタガハズ‥‥ [村井章介. (2005). 「易姓革命の思想と天皇制」『中世の国家と在地社会』. 校倉書房]

 

 神武天皇より王胤によって皇位が継承されてきた。自明の事柄である。

 『神皇正統記』は、「唯我国のみ天地ひらけし初より、今の世の今日に至まで、日嗣をうけ給ことよこしまならず。一種姓のなかにをきても、をのずと傍より伝給しすら、猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。」という。

 吉田定房奏状には「異朝は紹運の躰頗る中興多し。蓋し是れ異姓更に出ずる故のみ。本朝の刹利天祚一種なるが故に、陵遅日に甚だしく、中興期なし」 [村井章介. (2005). 「易姓革命の思想と天皇制」『中世の国家と在地社会』. 校倉書房] とある。異姓に帝位が継承されない天祚一種が日本であるとする。

 

 

 

 

本郷和人

『天皇はなぜ万世一系なのか』文春新書2010

196頁以下で保守論客の女系天皇反対論批判をやっていて、「結果としての男系天皇にすぎない」と言う。その理由の一つとして高群逸枝説の古代における招婿婚の盛行を取り上げて、「天皇の相承は男系で、という強烈な意識があったのは想定しがたく」などと書いている。このような見解は甚だ疑問。

 高群逸枝説は鷲見等曜、歴史人類学の江守五夫の嫁取婚古代起源説、近年では栗原弘が、高群逸枝は『招婿婚の研究』で史料を改竄していると厳しく批判し、実際には高群が主張するほど平安時代に婿取婚が一般的ではなかったことを示している。

江守五夫『家族の歴史民俗学』弘文社 1990

栗原弘『高群逸枝の婚姻女性史像の研究』高科書店 1994参照

 

 

22内親王が結婚しているケースでは夫帝優先の原則、当主は男性皇族という規則性を否定する有識者会議案は皇室制度を根底から破壊する

 

 内親王に御配偶となる男性皇親がおられる場合は配偶者の男性皇族が即位する「夫帝優先の原則」という大原則がある。

 ただし御配偶の天皇崩後、女帝として即位する例がある。これは庶民の家でも、後家(寡婦)が次期家長が年少の場合に一時的に家長代行の役割を果たす慣行と同じである。

 日本の家族慣行では入婿は家長予定者として迎えられるのであって、入婿が当主となりえない在り方は非正常な家族関係だといわなければならず、有識者会議案は、たんに皇室だけの問題にとどまらず、日本の家族慣行、醇風美俗を否定するもので容認できない。

 「夫帝優先の原則」とは古代史家の佐藤長門. (2009). 『日本古代王権の構造と展開』 吉川弘文館で提示した概念「夫帝優先の原則」とは古代史家の佐藤長門. (2009). 『日本古代王権の構造と展開』 吉川弘文館で提示した概念である

 

 

221井上内親王のケース

 ただし、令制では合法の皇親内婚。皇族どうしの結婚については入婿的な結婚の事例はある。

 

 ここでは、皇統嫡系でしかも、皇子がいない状況での内親王について、井上内親王、昌子内親王、欣子内親王について取り上げる。いずれも入婿的な婚姻で配偶者が天皇である。

 例えば聖武皇女井上内親王は嫡系の皇統だが、皇后であって、御配偶の傍系皇親である大納言白壁王(天智二世王)が光仁天皇。なお皇后井上内親王は光仁崩後、太后臨朝称制型の中継ぎの女帝として即位する可能性があり、宝亀2年(772)廃后事件[近江昌司. (1962). 「井上皇后事件と魘魅について」. 天理大学学報(14)榎村寛之. (2007). 「元・斎王井上内親王廃后事件と八世紀王権の転成 」. 国立歴史民俗博物館研究報告( 134)]はそれを阻止するための謀略である蓋然性が高いとされる。

 

 

  重要なことは、井上内親王は聖武皇女で嫡系皇統(草壁皇統)であり斎王でもあったが、天智二世孫白壁王と結婚した以上、皇后に冊立されても、「夫帝優先の原則」により配偶者の白壁王をさしおいて即位することはできないということである。

廃后事件というのは、謀略ともいわれ真相は不確定ですが、光仁天皇を呪詛したという嫌疑がありえないわけではない。それは光仁天皇が崩御すれば井上皇后は女帝として即位できるからです。

 内親王に配偶者がある場合は配偶者の皇族が即位するという大原則があるからです。

 

222昌子内親王のケース

 

 10世紀の朱雀皇女昌子内親王も嫡系の内親王といえるが、皇后であって、御配偶の憲仁親王が冷泉天皇。応和三年(963)憲仁親王の元服当日、昌子内親王(13歳、満11歳)が入内した [河村政久史. (1973). 「昌子内親王の入内と立后をめぐって」. 史叢(7]

 このイトコどうしの結婚は天暦太后藤原穏子の既定方針による婚姻だが、冷泉天皇は奇行で知られ、わずか2年で譲位しているが、だからといって昌子内親王が即位するという性的役割の代替はありえないのである。

 イトコどうしといえば、敬宮愛子内親王殿下と悠仁親王殿下が仮に結婚した場合は、令制の慣例にあてはめても、やはり「夫帝優先の原則により」敬宮愛子内親王殿下は当然皇后であり、悠仁親王殿下が即位することは自明である。そのために冷泉天皇の前例を示した。

 

223姝子内親王のケース

 

 伯母-甥婚で類似した事例として結婚としては、鳥羽皇女で生母が美福門院の姝子内親王が東宮守仁親王の東宮妃となり、さらに二条天皇の中宮に立てられたケースがある。鳥羽上皇には妻后が三方おられたが、結果的には中級貴族出身の近衛御生母藤原得子が正后の位置づけになったと思う。その理由は、躰仁親王(近衛天皇)は崇徳天皇の中宮で関白忠通女藤原聖子を養母とし、一方崇徳皇子重仁親王は藤原得子を養母としたのである。養母を摂関家の中宮としたことで躰仁親王は箔がついたのである。得子は中級貴族としては破格の処遇で近衛登極と同時に皇后に立てられ、さらに女院宣下されたのである。鳥羽法皇は生前の保延5年(1139年)に鳥羽の安楽寿院境内に三重塔を築いてそこに自らの寿陵に定めた。久安4年(1148年)頃には、藤原得子のためにその南東に三重塔を作った。待賢門院は花園西陵であり、したがって藤原得子が、正后の位置づけにされていたと考える。

 しかし、近衛天皇は早世し、関白忠通が推した後白河が即位したが、二条天皇への中継ぎにすぎない。守仁親王(二条)養母が美福門院で、近衛天皇の身代わりとなって嫡流の継承者とするために、姝子内親王と結婚したというのが私の理解である。ゴッドマザー的存在として宮廷で求心力のあった美福門院にとっては近衛の身替わりであり、入婿的存在でもあったと考えられる。

 ところが姝子内親王は、鳥羽法皇の意向で後白河同母姉で後白河と親しい統子内親王の猶子とされていたことから、後白河や統子内親王(上西門院)と親しかったのであり、後白河院政派と二条親政派の対立で板挟みとなり二条天皇とは良好な関係でなくなったため20歳で出家されるのである。

 

224欣子内親王のケース

 

 近世では後桃園天皇が後嗣なく早世し、遺児である皇女欣子内親王を皇后に立てることを前提として、傍系の閑院宮典仁親王息祐宮(光格天皇)が大統を継承しているが、嫡系の欣子内親王はあくまでも皇后。「夫帝優先の原則」により女帝はありえない。

  なお、江戸時代中期以降、昭和18年まで内親王が、伏見宮家に二方、閑院宮家に一方、竹田宮一方、北白川宮一方、朝香宮に一方、東久邇宮に二方嫁しているが、いずれも親王妃である。

 

 

明治神宮歴史データベース

 

大正14(1925)49

竹田宮故恒久王妃昌子内親王殿下、北白川宮故成久王妃房子内親王殿下、東久邇宮稔彦王妃聰子内親王殿下御参拝。

 

 

 内親王・女王は結婚し、配偶者が在世している以上、当主、家長は男性皇親であり、皇后、女院もしくは親王妃、王妃以上の身位になれないという鉄則があり、この趣旨から、鉄則に反する有識者会議案には反対である

 

 

  我が国の庶民の家族慣行では入婿は次期家長予定者として迎えられる。この慣習は、皇室でも光格后欣子内親王の例などで同じことであった。

 

 入婿的な傍系皇親が、添え物の配偶者となるなどということは絶対ありえない。有識者会議案の女性皇族の配偶者は当面皇族とはされず、当主となりえない入婿というのが大問題で、皇室のみならず、庶民の家族慣行に反し受け入れがたいのである。

 私は、女系には反対だが、女性当主も同様に反対である。

民間では近年華道の家元に女性当主の例があるということだが、これは日本の家族慣行とは違う。

 皇室と庶民の婚姻家族とは違うものだとしても、国民は皇室の在り方を模範として受け止める傾向があるから、歪な家族制度を創設することは、国民への影響が大きく、そのことも有識者会議案に反対なのである。

  皇室のありかたは影響が大きく、日本の家族慣行に反する次期家長になれない入婿という制度を創成することは、絶対的に容認しがたい。とくに男性を侮辱する制度として反対する。

 (理由3)皇室と庶民の家とは性格が異なる面があるとはいえ、当主となりえなない入婿という我が国にはない男性を侮辱する制度を創設することの国民に与える影響は大きく、家族規範を混乱させることとなる。それゆえ有識者会議案は絶対的に反対

 

 人類学者の大御所清水昭俊氏は厳密な定義で知られるが、「婿養子」という語を用いずたんに「婿」とする。なぜならば「嫁養子」という言葉がないので「婿」と「嫁」でよいということです。

 

 以下の清水氏の学説に依存しますが、日本の家族慣行について説明します。

 

清水昭俊

1970<>の内的構造と村落共同体 : 出雲の<>制度・その一」『民族學研究』 35(3), 177-215, 1970

1972<>と親族 : 家成員交替過程 : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 37(3), 186-213, 1972

1973<>と親族 : 家成員交替過程() : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 38(1), 50-76, 1973

1985a「出自論の前線」『社会人類学年報』vol.111985

1985b「研究展望「日本の家」『民族學研究』50巻1号 1985

1987『家・身体・社会 家族の社会人類学』弘文堂1987

 

 

 

 

  •  日本の「家」の婚入配偶者の地位構成

 

 

  •  婿とは次期家長である。

 

  •  嫁とは主婦予定者である。

 

(家附き娘も嫁と同じ地位構成、性的役割で当主とはならない)

 

 次期家長(当主)でない婿、添え物的な婿というのは日本ではありえない。

 

 

 日本の家族慣行に著しく反しているので女性当主に強く反対である。

 

 ただし、寡婦が実子が年少である場合には、中継ぎ的に家長代行となることはありうるが、夫がこの世にいる限り女性当主はないというべきだろう。

 

 

 

 婚姻制度というのは性的役割分担があって成立しているものであると清水氏は述べており、家長、当主となれない入婿というものに日本では価値はない。そのような男性の処遇は侮辱であり屈辱でありとても容認できない。

 それゆえ、有識者会議の「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案」に反対である。

 

 有識者会議案のような夫婦別姓の事実婚のような歪な制度をつくることは強く反対する。それならいわゆる「皇女制度」のほうがはるかにましというべきである。あるいは非婚内親王を厚遇する制度の創設、一時金(持参金)を2倍、3倍にするなど婚出される女性皇族の待遇を改善したほうがよい。

 

 日本の家族慣行については厳密な定義で定評のある人類学者の清水昭俊が1967年の出雲地方斐伊川下流の村落の調査にもとづき精緻な理論で「家」成員交替過程を明らかにした。

 

 家成員は、おのおの与えられた地位に伴う役割を分担するものとして家生活に参与する。家は集団として不定形ではなく、限られた数の地位が一定の秩序に配列されている。つまり家は、時間的に配列された夫婦の対の地位(前・現・次代の家長・主婦-下記参照)と排除予定者以外の地位を用意していない。

 

 日本では、入婿は次期家長として迎えられるのであって、実子であれ婿であれ男性が次期家長、嫁であれ家附き娘であれ主婦予定者である。

 

 家長と主婦というの定型の役割である。それが日本の慣習ですよということです。

 

 日本の「家」の成員の地位構成

 

 〇前家長(おじっつぁんold man,grandfather)-前主婦(おばばoldwoman,grandmother)

 

〇家長(おっつぁんmale adult)-主婦(おばさんfamale adult

 

〇次期家長(わけぇしゅyoung fellow)-主婦予定者(よめじょinMarrying young woman)

  指称 門名+おじっつぁん

[清水昭俊1987 209]

 

 

   〇日本の「家」とはこういうものスマートに理論化(清水昭俊説)

 

ア 家成員の資格

 

  家成員は実子、養子、婚入者の3つの範疇と断言している。子供(実子・養子)と婚入者(嫁・婿)の2つの範疇と言い換えてもよい。[清水昭俊1973 62頁]

 

 つまり、家成員の獲得とは、出生、家外からの婚入、養取である。

 

 なお、清水は妻妾制の廃止された明治から昭和の「家」について論じており、近世においては密子・猶子というカテゴリーも認められるが、ここでは論外としたい。

 

 〈家連続者〉と婚入配偶者

 

 清水が独自に定義している用語で、家長-主婦の地位構成で婚姻に先立って家の成員であった者を〈家連続者〉と定義する。つまり跡取息子、家付き娘等の範疇である。〈家連続者〉の配偶者、家外から婚入して来る者を、男なら婿、女なら嫁という。婚姻は両性の個人の結合のみならず、家と個人の結合でもあり、この家を婚入者にとって婚家という。

 従って、この結合の終息は離婚ではなく、家との結合の断絶でありこれを不縁という。

 

 かくして、家連続者夫婦子供の出生=次代家連続者獲得→(次代)家連続者夫婦という循環的な過程が繰り返されるのである[清水1973]

 

清水説から明確にいえることは、日本の家族慣行は

 

 婚入配偶者は婚家に帰属するし、死後は婚家の仏となる

 

嫁は、主婦予定者として婚家に迎えられる

 

婿は、家長予定者として婚家に迎えられる

(家付き娘は主婦予定者であって当主になるわけではない)

 

 「家」は離在単位で、両属はありえない

 

 民俗慣行の「センタク帰り」「シャウトノツトメ」という慣習の地域があり新婚の嫁の頻繁な里帰りや、夫婦が嫁の生家の夜なべ仕事を手伝ったり、くつろいだりするする慣習は、婚家帰属性を否定するものではない。

 「娘三人持てば身代潰す」といわれる名古屋の慣習、初節句を盛大に祝う慣習のある地域があり、その費用は主として嫁の生家に求められる地域があるが、実家の経済支援は学問的には婚家帰属性を否定するものではない。

 

 白無垢・色直しの意義も出嫁女の婚家帰属性を意味する

  白無垢・色直しは現代の婚礼・披露宴においても、和装花嫁衣装の定番である。

嫁入は、古くは嫁取(よめどり)と言い、嫁入婚の成立儀礼を「嫁娶」とよんでいるように、儀礼の基本は、嫁を夫家に迎い入れる「嫁迎え」にあった。(江守五夫『日本の婚姻』弘文堂1986 294頁)つまり、出嫁女の婚家帰属が嫁入婚であるが、端的に「白無垢・色直し」だけを切り取ってもその意味が込められていると言ってよいのである。

 色直しは本来、嫁迎えから三日目に行われ、その後、嫁が舅姑、親族と対面披露されたが、明治以降では祝言の盃が済むとすぐに色直しの儀式を行うようになり、大きな披露宴では主要な儀式となった。

 歴史人類学者の江守五夫によれば「白無垢が死装束であって、花嫁が生家を出るときにいったん死ぬとみなされ、また、婚家に入ってから、赤色の衣装に色直しすることが再生をあらわしているということは、日本各地の人々が語っている」とする。(江守五夫・大林太良ほか『日本の家族と北方文化』第一書房1993 51)

 また、徳島県立博物館によれば、 花嫁行列は日が沈んで提灯を携える。 花嫁の出立時には生家の門で藁火をたき、花嫁が使用していた茶碗を割った。「県内の花嫁行列に見られるこれらの習俗は、葬送の際、死者を送り出す所作と非常に類似しています。‥‥死者と同様にあつかうことで、花嫁に象徴的な死を与え、生まれ変わることを指し示したものだと考えられます‥‥角隠し、白無垢の花嫁衣装の特徴は、死者に着せる死装束、または、葬送に参列する人々の服装に類似します。死者の装束は一般に白色とされ、額には三角形の白布の宝冠が被せられます。‥‥かつては喪服が黒色でなく白色であったと言い伝えも耳にします」(徳島県立博物館企画展図録『門出のセレモニー-婚礼・葬送の習俗』徳島県立博物館編2001) 色直しについて「婚礼には披露宴の際、花嫁が白無垢から色打掛などに着替える色直しと言う習俗が見られます。色直しには、白無垢によって死の状態にあるとされる花嫁が、色のついた衣装に着替えることによって、 あらたに嫁いだ家の人間として生まれ変わったことを示す」と説明している。

 また小笠原流の伝書においても「嫁入りは惣別死にたるもののまねをするなり。さて輿もしとみよりよせ白物を着せて出すなり。さて輿出て候えば門火など焼くこと肝要なり。ことごとく皆かえらぬ事を本とつかまつり候」(小笠原敬承斎「結婚にまつわるしきたり その起源と意味」『歴史読本』2010.10. 55 10号 通巻856)とあり、白無垢=死装束の模倣との見解を裏打ちしている。

 しかし伊勢流有職故実研究家伊勢貞丈の見解では、白無垢の白色は五色の大本であるためとし死装束であるとはいってない。ただ通俗的によくいわれるのは「白無垢」は婚家の家風にしたがい何色にでも染まりますとの意味を込めたものとされているから、実質的な意味に大きな差はないと考える。

 

ウ 排除予定者

 

 〈家連続者〉だけが、生涯、家の成員であり、その余の子供たちは婚姻より前に生家から離れなければならないので、これを排除予定者と定義する。

 

 家からの排除は、婚出、養出、分家設立の3つの形態のみである[清水1973]

 

 エ 仏体系

 

 人は死亡時に所属した家の仏になる。仏には世代仏と子仏の2種類がある。世代仏(セダイホトケ)とは、清水が出雲の調査で発見した概念だが、日本の「家」の標準的な仏体系とみなしてよいと思う。

 

 これは、歴代の家長・主婦達であり、永久に年忌が営まれる。生前結婚し、家長・主婦に予定されながら、家長・主婦になる前に死亡した者、男の家連続者(家長予定者)が、結婚年齢に達しながら未婚で死亡した場合を含む。ただし婿、嫁で不縁とされた者、中継ぎとして分家した夫婦、女の家連続者については夫が世代仏にならない限り、世代仏とはならない]。一系列に配列された歴代の世代仏は、生きている家成員と、家の創始者(先祖)を結びつける媒体である[清水1987 208頁]

 

オ 家成員獲得過程を規制する規則群

 (A)最下世代を基点とした家成員を基点とした家成員獲得過程を規制する規則群

 指定される〈家連続者〉とは

 

) 下の世代が上の世代に優先する

 

)上記の枠内で男子が女子に優先する。

 

)上記の枠内で年長者が年少者に優先する。

 

  つまり第一に最下世代夫婦の長男子、第二に長女子、第三に最下世代夫婦のうち家連続者の弟、第四に最年長姉妹である。

 

 上記の可能性が不可能な場合は、家外から養子を求める。有力な家では血筋の中切れを嫌い分家から養子を求めるが、それは強制的な規則ではない。

 

 (B)最下世代夫婦に事故が生じた場合の対処を規制する規則群

 

)次代家連続者長男が結婚後間もなく死亡した場合

 

 弟妹が家に残っていた場合、寡婦は生家に戻し、弟妹を家連続者に指定する。

 

 残っていたのが弟であり、死亡した兄と年齢差がなければ、寡婦と弟の結婚(レヴィレート婚・逆縁婚)が指定される。

 

 弟妹も家に残って言いない場合は、婚入配偶者であった寡婦が、〈家連続者〉となり、あらたに婿を迎える。血筋としては〈中切れ〉になるがそれでも家は連続していく。

 

2)息子を残して最下世代夫婦の夫が死亡した場合

 

 死者夫婦の息子を次の次の家連続者に指定したうえで、死者の弟ないし妹夫婦を〈中継ぎ〉として、息子が成人するまで家の運営を代理させる。息子の成人後、〈中継ぎ〉夫婦は分家を創設する[清水1987 211]

 

 

 (C)清水説(B)の補足 寡婦・寡夫の再婚による家の継承

 

 

 清水説はフィールドワークに基づいて家の連続は、婚入者〈寡婦・寡夫〉を介しても実現されているという規則を提示した。婚入者〈寡婦・寡夫〉は家連続者としてあらたに配偶者を迎えることにより家は連続する。

 

 〈家連続者〉は「婚入配偶者を迎えて家成員を増殖させるために、家がその内部に用意する家成員」と定義されるため、婚入配偶者たる嫁・婿は家成員であることを見事なロジックで立証している。

 

 ちなみに近世における女の道の教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり、女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐ者ということが、日常道徳の規範とされていたという指摘があるが(柴桂子「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」江戸期おんな考14 2003年)、出嫁女の婚家帰属性については我が国も漢土法も近世朝鮮・韓国も同じことである。

 この点については東洋法制史の滋賀秀三(『中国家族法原理』創文社1967 459頁以下註16)によると女性は父の宗との帰属関係を有さない。父を祭る資格を有さないのである。女性は婚姻によってはじめて宗への帰属関係を取得する。夫婦一体の原則にもとづき、夫の宗の宗廟に事える義務を有し、死後、夫婦同一の墳墓に合葬され、考妣対照の二牌つまり夫婦で一組の位牌がつくられ、妻は夫と並んで夫の子孫の祭を享けるが、女性は実家において祭られる資格を有さず、未婚の女の屍は家墳に埋葬されず他所に埋める。つまり女性は生まれながらにして他宗に帰すべく、かつそれによってのみ人生の完結を見るべく定められた存在であった。白虎通に「嫁(えんづく)とは家(いえづくり)なり。婦人は外で一人前になる。人は出適(とつぐ)ことによって家をもつ」。「婚礼の挙行によって女性は確定的に夫宗〔夫の宗族〕の秩序に組み込まれる」。漢族は妻は夫の宗族に帰属する。韓国の門中も同じことである。

 

 日本と中国の違い

 

  比較文化的にいうと、日本と中国では入婿の扱いが違う・女家に婿入りする贅婿の「贅」の字には「余計なもの」「無駄なもの」という意味があり、「質」の意味があり質にとられた婿という意味もある[牧野巽(1985・初出1935)「中国における家族制度」『牧野巽著作集第6巻』御茶の水書房]

 

 20世紀前半期の北支、中支の民族学調査で、実は中国は完全な父系社会でなく、我が国とおなじく準父系である。後嗣のない家では、娘と単に子孫をつくるための社会的地位のない配偶者(入贅)という存在があり、これは宗法に反するので軽蔑の対象となった。

 

 日本ではたんに家を断絶させないための入贅という男性にとって軽蔑の対象となる婿入りという慣習はない。入婿が次期家長であるからで、この規則性をなくして、有識者会議案は女性宮家を既成事実化するもので皇室に家を断絶させないための入贅 という中国的な下位制度を認める、ことになるが、我国の家族慣習と異質のものなので適切ではない。

 

 有識者会議案は日本の醇風美俗が失われる危機と受け止める

  

 婚入配偶者(婿・嫁)が新に婚入配偶者を迎えて家を継承した歴史的事例

 

〇畠山氏

 畠山重忠未亡人北条時政女が岩松義純と再婚した例

畠山重忠は秩父平氏の嫡流、長寛二年(1164)に畠山館(現深谷市)に出生し、知勇兼備の武将として「坂東武士の鑑」とされた著名な人物であるが、元久二年(1205)北条時政後室牧の方の謀略により、嫡子重保が由比ガ浜で討たれ、重忠は二俣川で北条兄弟軍により討たれた。重忠の末子、弟による家門再興は許されず、平姓畠山氏は断絶、政子の命令で重忠の所領は没収されたが、承元四年(1210)重忠未亡人北条時政女の所領は改易されないこととなり、この未亡人は足利義兼の次男、岩松義純と再婚し、畠山泰国を出生しており、畠山の名跡は泰国の子孫が継承、足利一門として室町時代には管領となる[福島正義1990『武蔵武士-そのロマンと栄光』さいたま出版会]

 

 〇 住友家

 

婿養子で家外から後妻を迎え、その間の子孫が家名を継承した例

   住友社史によると、家祖は政友であり、京都で書籍と医薬品を商う「富士屋」を開き長男の政以が継いだが、長女の婿となったのが蘇我理右衛門の長男理兵衛(16021662)であり、住友に改姓し、住友友以(とももち)と名乗った。実家より銅吹き業を持込み、実質住友財閥を興した人といえる。大阪に移転し代々銅精錬業として「泉屋」の家号を用いた。このため住友社史では蘇我理右衛門を元祖あるいは業祖としているのである。

 友以は岩井善右衛門女を後妻としており、実質的な家業は婿養子の友以と岩井間の子孫が継いでいる。しかし友以の母が政友姉であるから、住友家の血筋は女を介して中切れにはなっていない。しかし八代目で血筋が絶え岡村家から養子を迎え、十五代目に徳大寺家の子孫を婿養子としている[官文娜2005『日中親族構造の比較研究』思文閣出版2005年]

 

 皇室と庶民の家とは性格が異なる面があるとはいえ、当主となりえなない入婿という我が国にはない男性を侮辱する制度を肯定することの国民に与える影響は大きく、家族規範を混乱させることとなる。それゆえ有識者女性宮家は絶対的に反対なのである。

 

 

 

 

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