意見具申 伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべき 伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒について(その二)

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2021/12/08

天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議の「事務局における制度的、歴史的観点等からの調査・研究資料」批判 下書きその一

 これは動画にしますその台本です

 

1130日の会議における「事務局における制度的、歴史的観点等からの調査・研究資料」では、事務局は皇室典範12条改正に積極的であり、きわめて危険な状況にあると考える。わたくしは12条改変に絶対反対であるとともに、伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒を重んじ、伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべきで、養子縁組案についても批判的な見方をとるが、

 皇室典範12条改正は最悪の事態であり、これを回避することが肝要と考え、事務局の資料を批判する。

 

一 勤子内親王(醍醐天皇皇女)以下の例示に論理性はない

 

ともかく内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する案は、夫婦別姓の歪な結婚の在り方であり、12条改変により継嗣令王娶親王条に遡る皇室の伝統を破壊する。容認しがたいので、政府や国会議員の方々も賛同してもらいたくない。

事務局の研究資料からうかがえることは、内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とするために、特例ではなく、皇室典範12条を改正し恒常的な制度とすることを提言し、その根拠として、明治皇室典範44条では臣下に降嫁した場合、皇族女子は皇族の列から離れることしし、現皇室典範12条もこれを踏襲しているが、江戸時代以前は内親王は臣下に嫁しても内親王という身位を保持もしくは、もしくは結婚後に親王宣下されたり、叙品されているので、皇親であることにかわりはなかったとし、伝統に反していないということを言いたいようである。

具体的には勤子内親王(醍醐天皇皇女)、康子内親王(醍醐天皇皇女)、常子内親王(級宮、後水尾天皇皇女)、栄子内親王(女二宮、霊元天皇皇女)、吉子内親王(八十宮、霊元天皇皇女)親子内親王(和宮、仁孝天皇皇女)をあげているが、率直に言って、有識者会議案が英国のアン王女やオランダが制度のモデルとみられる一方、上記の令制では違法だが、勅許により臣下に嫁した内親王を前例としているのは、イメージとして大きな隔たりがある。

以下のとおり上記の内親王を前例としてこれを正当化するのは大きな難点がある。

 

 

(一) 事務局が例示した内親王の婚姻は、令制では継嗣令王娶親王条により臣下が内親王を娶ること自体が違法で、令制で想定されていない例外的な婚姻の在り方である。

 

要するに例示されているのは令制では違法婚であるが、反律令行為であるが勅許された例外的事例である。令制の違法婚を正当として前例とみなすのは法制史的に妥当なものでなく、伝統というのは皇親女子の皇子内婚である。

この点については文殊正子氏によれば、中国では皇帝の娘や姉妹は「公主」号を称する。「公主」が臣下に嫁ぐことで皇帝と臣下との親密化を図る役割を担っていたのに対し、日本の「内親王」は皇族のみに嫁ぐことで皇室の血の尊貴性を守る役割を担っていたのであり、その役割が異なっていることから、我が国では「公主」号を採用せず、独自の「内親王」号を創出した。「内親王」は皇室から皇室へという「内に向いた性格」を有している。

[文殊正子. (1986). 『内親王』号について 『公主』号との比較. 古代文化 38(10).中村みどり. (2002). 「一世皇子女の親王宣下と源氏賜姓」. 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要. 史学編による要約]

統計的にも6世紀の欽明后石姫皇女以降、現代まで、一世皇女ないし内親王(一世皇女)で皇親(皇族)と結婚したことが知られるのが63方、臣下と結婚したことが知られているのが27方であり、時期的には10世紀と17世紀、20世紀後半以降に多くみられるが、歴史的に一貫しているものではなく、一時的事象なのである。やはり皇親内婚が多数を占めそれが原則であることは明確に言える。

内に向いた性格ゆえ事務局例示の婚姻事例は、内親王本来の性格規定に反した結婚なのである。  

継嗣令王娶親王条は皇親女子の皇親内婚を定めていて、臣下が娶ることができるのは五世王以下とされており、皇親内婚は57世紀の慣行を明文化したものである。ただし延暦12年(793)九月丙戌の詔で見任大臣と良家の子孫は三世王以下の女王を娶ることを許し、特に藤原氏は累代執政の功に依り、二世女王を娶り得るとされ、大幅に規制緩和された。

二世女王降嫁の初例は承和前半期の藤原衛への、淳和二世女王恒世親王女の降嫁である。

しかし臣下が内親王を娶ることは一貫して違法なのである。

ということで臣下が内親王を娶る反律令行為であったが、実際には10世紀以降幕末まで1820例ある。臣下が内親王を娶った内親王降嫁の歴史上の初例は事務局資料例示の承平4年(934)頃の醍醐皇女勤子内親王の藤原師輔への降嫁である。内親王は源順に 『和名類聚抄』を編纂させた才媛でもあった。勤子内親王病没後、師輔は承平7年に伊勢斎宮を退下された醍醐皇女雅子内親王と密通し、雅子内親王病没後、天暦9年(955)醍醐皇女康子内親王と密通、いずれのケースも師輔が内親王を手懐けて密通し、事後承認を得た形の結婚である[岡部 明日香(2012)「秋好中宮と勤子内親王・雅子内親王の史実:―絵画と斎宮

中古文学 90(0)]。

事務局資料例示の康子内親王は村上天皇と同じ后腹の姉宮、居所は母の太皇太后藤原穏子と同じ殿舎だった。太后藤原穏子が崩御になられたあと、准三后宣下され、格別尊貴な内親王であったので、康子内親王の密通についてはさすがに天機を損じた。

師輔は康子内親王が内裏に居住していたときに密会し、村上天皇の怒りをかった。そのため内親王は「御前のきたなきに(前が汚れている)」(『大鏡』)とか「九条殿〔師輔〕はまらの大きにおはしましければ、康子はあはせ給ひたりける時は、天下、童談ありけり」(『中外抄』) などと伝えられている。

 [保立道久. (1996). 『平安王朝』. 岩波新書] 

とはいえ、村上天皇は違法でも勅許されたのである。師輔は村上天皇の皇太弟時代の東宮大夫であり立坊を実現させた功臣で、皇后の安子の父でありミウチであった。

また中外抄は12世紀の関白忠実の口述記録なので、本当に師輔のまらが大きかったのか、公然周知の醜聞だったのか疑問がないわけではないが、12世紀には内親王が降嫁した事例はないので、臣下への降嫁は好ましくないという意識が強くあったと考えられる。

要するに事務局の例示は反律令行為の違法婚を伝統的なものとすりかえた議論をしている点できわめて悪質といえる。

 

もとより、勤子内親王や康子内親王が違法婚で降嫁という令制が想定していない結婚であったといっても生涯内親王であったことはいうまでもないだろう。

奈良時代に文武皇妹吉備内親王が長屋王事件で縊死。聖武皇女不破内親王が神護景雲3年(769)県犬養姉女らの巫蠱事件に連座し、内親王の身位を廃され、厨真人厨女と改名させられ京外追放されたが、これらは謀反であるから当然のことで(ただし後に誣告だとされ不破内親王は復位)、このような懲罰的事例でもない限り内親王位をはく奪されることはないからである。

違法婚ではあったが、父系帰属主義は明確に意識されたため師輔に内親王三方が降下してももちろん皇族になるわけではないし、雅子内親王所生の右近衛少将藤原高光、太政大臣藤原為光、康子内親王所生子は太政大臣藤原公季であって、所生子は藤原氏であるから、とくに藤原公季は村上天皇の甥で近親といえる。公季は宮中で養育されたのは、康子内親王が産褥死で薨ぜられ、3年後に師輔も薨ぜられたので、師輔女の皇后藤原安子が引き取ったという事情によるので准皇族とされたわけではない。

 

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