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2023年2月の6件の記事

2023/02/28

埼玉県性の多様性を尊重した社会づくり基本計画に反対

 私は「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念実現のための条例」にも反対の意見を出しましたが、厚かましくも意見を出す資格のない埼玉県性の多様性を尊重した社会づくり基本計画に反対する意見を出しました。埼玉県民か通勤通学している人ということだったが、埼玉県は人口も多く重要な地域なのでということです。

 パブコメはきょうで終わりだそうです。

 ヘテロセクシャルが日本でも中国でも西洋でも正当、ホモセクシャルが人権などと認めたくない
 プラトンが男色を「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も最も恥ずべきこと」反自然的行為と指弾、アリストテレスも不自然な性行為と述べた。ソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りにふれ、ローマ法では重罪、西洋では「不逞の輩の忌まわしく憎むべき悪行」であった。
 我が国においては院政期から近世初期に男色が支配階級で流行したとされているが、しかしながら、一条兼良は子供が生まれる男女の和合こそ正当と言う。内典・外典・詩賦・歌道、伊勢物語、源氏物語に若俗などない。我が国でも和歌のような公式の文化では男女の語らいは数多あっても、男色はなく正当な文化であったわけではない。


 文明規範と道徳的教訓を捨て去るべきではない。LGBTQ運動を拒否すべきで、埼玉県の取り組みに不快です。

 要するに私の意見は性自認に反対ということではなく、男色、同性婚、同性のセックス、アナルセックスというものをノーマルなものとしてヘテロセクシャルと対等なものに扱うのは、文明規範と我々の道徳的基盤に反するので容認しがたいということです。

2023/02/27

選択的夫婦別姓(別氏)絶対反対

 

  夫婦別氏(夫婦別姓)を要求しているのは、もともと日弁連や女性団体といった一部のノイジーマイノリティであって社会の擬集力である基礎にある健全な道徳・家族倫理を崩壊させる懸念がある。

 

一 滝沢聿代説が妥当な見解である

 

 滝沢聿代法政大学大学院教授の次に引用する憲法判断については妥当であると考える。(滝沢 聿代 「 夫婦別氏の理論的根拠--ドイツ法から学ぶ」『判例タイムズ』 42(10) [1991.04.15]

 

 すなわち家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。

 

 このような親族共同生活の中心となる夫婦が、同じ氏を称することは、主観的には夫婦の一体感を高めるのに役立ち、客観的には利害関係を有する第三者に対し夫婦であることを容易にするものといえる。

 

 したがって、国民感情または国民感情及び社会的慣習を根拠として制定されたといわれる民法750条は、現在においても合理性を有するものであり、何ら憲法13条、24条1項に反するものではない」

 

  

二 梅謙次郎の妻は婚入配偶者として夫の家に入るのであるから夫婦同氏が日本の慣習に合致しているとの明治民法の立法趣旨は正しい

 

 明治民法起草者穂積陳重・富井政章・梅謙次郎の三者のうちもっとも強く夫婦同氏を推進したのが梅謙次郎である。梅は儒教道徳より愛情に支えられた夫婦・親子関係を親族法の基本とし、士族慣行より、庶民の家族慣行を重視した点で開明的だったと考える。つまり進歩的な民法学者が夫婦同氏を強く推進したのであって、その趣旨は今日においても全く妥当である。要約すればそれは

 

 

◎夫婦同氏は婚入配偶者が婚家に帰属する日本の「家」、家族慣行に慣習に合致する。(明治民法施行前から実態として夫婦同氏だった)

 

 ◎ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア等の法制が夫婦同姓でありそれに倣う。欧米の単婚家族におけるファミリーネームの継受。

 

   これは夫婦同氏()が日本の家族慣行に合致するとともに、欧米の家族慣行にも合致しているものと評価できるのである。日本の伝統的な家族観も生かし、欧米の友愛結婚の理念にも合致する。

 

  梅は法典調査会で、漢土法に倣って夫婦別氏とすべきという一部の意見に強く反対し、日本の慣習では妻が夫の家に入ることが慣習である以上、実家の苗字を唱えることは理屈にあわないとはっきり言っている。

 

 「支那ノ慣例ニ従テ、妻ハ矢張リ生家ノ苗字ヲ唱フベキモノト云フ考ヘガ日本人ノ中ニ広マッテ居ルヤウデアリマス〔ガ〕‥‥之カ日本ノ慣習少ナクトモ固有ノ慣習テアルトハ信しシラレマセヌ、兎ニ角妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ‥‥」『人事慣例全集』58

 

  実際、日本において出嫁女は主婦予定者あるいは婚家に迎えられてその成員となり、死後は婚家の仏となるのが慣習なのである。それは今日でも全く同じなのだ。

 

 実はシナにおいても妻は夫の宗に帰属し、清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではない。漢土法については誤解があると思われる。我が国においても夫婦別氏(姓)は旧慣習ではなく夫婦同氏(姓)が妥当なものである。

 

 婚入配偶者の婚家帰属は揺るがせにできない根本的社会規範・倫理であるので、この立法趣旨は堅持されるべき

 

  ところが法制史家は、夫の家に入ることを象徴するための氏という明治民法立法趣旨に批判的な人が多い。夫婦同氏制度を妻が夫の家に入って共同生活に入ると同時に夫の戸主権に服するとみなすのである。

 

 しかし、ナポレオン法典231条「夫は妻を保護し、妻は夫に服従する義務を負う」とある。ナポレオン法典には、父権、夫権、親族会議の力を示すものが多い。父権、夫権は近代市民社会において全く正当な価値である。

 

 戦後の改正で戸主権に服するという法意は喪失したし、戦後、家長と長男の権威が喪失したとはいわれるが、、妻が夫の家に入るという、(婿は家長予定者といて、嫁は主婦予定者として婚家の成員となる)ということが慣習と合致しているとする立法趣旨が今日でも有効性を失ってない。婚入配偶者の婚家帰属が崩壊すれば、我が国の家族慣習は維持できなくなり醇風美俗がすたれる。

 

 

三 選択的夫婦別姓とは社会主義政策である

(一)  中国は元々夫婦別姓ではなかったが、宋家姉妹の例から一般に広まった

 

 中国では孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢、毛沢東-江青、劉少奇-王光美、習近平-彭麗媛というように夫婦別姓が伝統と思っている人が多いと思うが、この固定観念は間違いで清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではないと島村修治(『外国人の姓名』ぎょうせい1971年24頁以下)が指摘している

 

 もっとも伝統的な中国の宗族や朝鮮・韓国の門中においては、同姓不婚()という族外婚制と異姓不養の原則があるけれども。外婚規則と、社会的標識としての姓名とは別の問題ということである。

 

 島村によると清朝の姓名記載慣習は、女は結婚すれば夫と一心同体のものとして無姓無名の存在となり、一般の人々は〈何々家の奥さん〉、〈誰某の妻〉、〈誰某の嫁〉、〈誰某の母〉と呼びかたをしていた。

 

 王竜妻張氏、あるいは 王張氏(王家に嫁入した張氏の娘との意味)というふうに書いたという。

 

 中華民国の婚姻法(民法第1000条)でも夫婦は原則として同じ姓を称することになっていた。しかし実態としては1930年代以降、婚前の姓に字を添え、婚家の姓をかぶせ在り方が増加した。それは孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢は原則に反するが、夫婦間の特約により婚前の旧姓を保持することも認められていたためだという。

 

従ってファーストレディーとしての宋家姉妹がこのモデルを普及させた要因とみられ、新しい慣行である。

 

 中華人民共和国では1950年5月1日公布の新婚姻法では、男女は平等であり互に独立した人格者であるとして、姓名についても「夫婦それぞれ自分の姓名を使用する権利をもつ」と定め、いずれの姓を選ぶかは当事者の任意とした。

 

 この法律のモデルはソ連である。

 

(二) 夫婦別姓はソ連の1924年の法令に由来する

 

  島村氏によると(前掲書148頁以下)

 

 ア 帝政時代、妻は当然のものとして夫の姓を称した。

 

 イ 1919年の法典では、夫婦同一姓の原則により共通の姓を称するが、夫の姓か、双方の姓を連結した姓を称するかは、両当事者の自由とした。

 

 ウ 1924年11月の法令で夫婦異姓の可能性が認められ、同一の姓を称する義務がなくなった。(1926年に連結姓と第3の姓の選択を否定)

 

 1926年に事実婚主義を採用し、1936年の登録婚制度法定まで事実婚の時代といわれている。夫婦別姓はスターリン時代の事実婚社会にふさわしかったのである。

 

 以上のことから夫婦別氏ないし夫婦別姓というのはレーニンが死去した1924年のソ連の法令に由来する。それが1950年の共産中国の婚姻法に継受されたとみることができる。

 

 日本的「家」制度の残滓とみなされる、夫婦同氏制を潰す政策を後押ししているのは共産主義イデオロギーを信奉している勢力と考えられるのである。つまりエンゲルスの唯物論的家族史論は、嫁入婚と家父長制家族の成立が私有財産制の淵源であると同時に「世界史的女性の敗北」と称しており、逆に嫁入婚と家父長制家族に打撃を加え、女権の拡大により、事実上社会主義革命の展望が開かれるという理屈になるからである。男女平等やジェンダー論は本質的に共産主義と親和的な思想なのである。

 

 四 法制史学者の夫婦別姓旧慣習説は間違い

(一)明治民法前から夫婦同氏が事実上慣例だった。

 

2015/12/16のブログを一部補足し再掲する。

 報ステの解説者、中島岳志北大准教授は勉強不足だ「北条政子」は昭和以降広まった人名表記にすぎない

 テレ朝の「報道ステーション」で最高裁大法廷のニュースを見た。明治9年の太政官指令に言及していたが、私の太政官指令批判は、13日のブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/7501075010-6deb.html とその前のブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/750-0941.htmlに書いたとおりだが、

 明治9年太政官指令「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」は社会生活の実態とまったく乖離しており、事実上実効性がなかったとされている。それは夫婦の別氏を称することの不便さが各府県の多くの伺文で取り上げられていることでも明らかである。役所が公文書に生家姓を強いることも困難な実態にあり、事実上明治民法に先行して夫婦同氏が普及し慣行となっていたことが看取することができる。代表的な伺文を以下のとおりである。内務省や左院は夫婦同氏案だったが太政官法制局が夫婦別氏にこだわったのは、「皇后藤原氏ナランニ皇后ヲ王氏トスルハ甚タ不可ナリ」という見解だった。むろん律令国家において改賜姓は天皇大権であって、昭憲皇太后の一条家は藤原氏であって、婚姻によって王氏なるものではない。しかし明治維新により源平藤橘等の古代的姓氏は使ってはいけないことになって、近世の二元的姓氏(例えば土浦藩主土屋氏は源氏)が苗字(名字)に一元化されたのである。この点を考慮すれば、太政官指令の実効性がなかったことは理解できるだろう。

 

(廣瀬隆司「明治民法施行前における妻の法的地位」『愛知学院大学論叢法学研究』28巻1・2号 1985.03参照)

 

 明治22年12月27日宮城県伺

 

 「婦女嫁スルモ仍ホ生家ノ氏ヲ用フベキ旨曽テ石川県伺御指令モ有之候処嫁家ノ氏ヲ称スルハ地方一般ニ慣行ニシテ財産其他公私ノ取扱上ニ於テモ大ニ便益ヲ覚候ニ付嫁家戸主トナル者ノ外ト雖モ必ズシモ生家ノ氏ヲ称セサルモ便宜ニ任セ嫁家ノ氏ヲ称スルハ不苦義ニ候哉」

 

 明治23年5月2日東京府伺

 

 「婦人結婚ヲ為シタル後ト雖夫ノ氏ヲ称セス其生家ノ氏ヲ称用スル事ニ付イテハ明治九年四月石川県伺ニ対シ内務卿御指令ノ趣モ有之候得共凡ソ民間普通ノ慣例ニ依レハ婦ハ夫ノ氏ヲ称シ其生家ノ氏ヲ称用スル者ハ極メテ僅々二有之然ルニ右御指令之レアルカ為メ公文上ニ限リ強イテ生家ノ氏ヲ称用セシメサルヲ得スシテ習慣ニ反シ往々苦情モ相聞実際ノ取扱上ニ於テモ錯誤ヲ生シ易キ義ニ付夫家ノ氏ヲ称セシムル方事実適当ナルノミナラス既ニ民法人事編草案第三十六条ニモ婦ハ夫ノ氏ヲ称用云々ト有之法理ニ於テモ然ルヘキ義ト相信シ候ニ付自今夫家ノ氏ヲ称用セシメ候様致度」

 

 折井美耶子2003「明治民法制定までの妻と氏」『歴史評論』636によれば、夫婦同氏は西欧式を意識していた側面もうかがえられる。明治24年8月創刊の『女鑑』(教育勅語の精神を女性に徹底する国粋主義的婦人雑誌)では「土方子爵夫人亀子」「高島子爵夫人 春子」「土岐夫人 理世子」などとなっており、田辺龍子が明治21年に発表した小説『藪の鶯』では「レディ篠崎」「ミスセス宮崎」と呼びかけている。

 

 明治初期に女性の新しい生き方を模索して格闘した女性たち、岸田俊子は明治18年に結婚して中島俊子に、景山英子は明治18年に結婚し福田英子に、星良は明治30年に結婚して相馬良となっている。進歩的な女性たちを含め夫婦同姓だったのである。

 

 この点につき折井は「○○夫人と呼ばれることで夫と一体化するように感じて、旧時代にはない新しい家族像を実感していたのではなかろうか」と述べ、明治9年太政官指令にもかかわらず現実には夫方の姓を名乗る妻が多く存在し、生家の姓氏を名乗る場合は、儒教的道徳に従う古い慣習と考えられていたとする。

 

以上、妻は所生の氏とした明治9年太政官指令は、慣習、実態に反しており、論理性に乏しかったと断言してよいのであって、この点、明治民法で夫婦同氏()制を採用した梅謙次郎は民間の家族慣行、実態を良く知っており、婚入配偶者の婚家帰属に即した夫婦同氏を採用したのは全く正解だったといわなければならない。

 なお、報道ステーションのコメンテーターの中島岳志北大法学部准教授が、夫婦別姓を立法施策として支持する理由で旧慣習であると主張していたが、旧慣習説がまちがいだということは、上記ブログに書いたとおりである。

 一例として源頼朝と北条政子をあげていたが、高橋秀樹という中世史学者の『中世の家と性』山川出版社日本史リブレット2004年http://www.yamakawa.co.jp/product/detail/731で「北条政子」という人名表記はここ数十年で広まり、特に1960年以降一般化したのであって、大正より古い学者が「北条政子」と表記したケースは一例もなく、同時代人は尼御台所、二位尼などと称した。しかも「政子」という実名は、夫頼朝、父時政の没後の叙位に際しての命名なので、頼朝も時政も「政子」という名は知らないということを書いていて、もっとも位記は「平政子」だろうが、「北条政子」は同時代人どころか大正ころまで使われたことがないので、夫婦別姓の根拠としてはダメ出しせざるをえない。

 

 

 法制史学者の夫婦別姓旧慣習説を批判する論者として後藤みち子説と、柴桂子説を引用しておく。

 

 (二)戦国時代の公家は夫婦同苗字

 

 公家の正妻の呼称について、後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館2009と言う業績がある。

 戦国時代に公家の妻たちは夫の名字を名乗り、同じ墓地に葬られるようになったと言う。限嗣(嫡子)単独相続という日本的家制度が確立したのが室町・戦国時代である。この時期に家妻が、家政・家職の経営の役割を分担することが明確になった時期でもある。

 後藤みち子によれば、摂関家では嫁取式を経た嫡妻は「婚家の名字+女中」と称する。夫が関白となると「婚家の名字+北政所」と称する。

 清華家の正妻は「婚家の名字+女中」と称するようである。近衛尚通の『後法成寺関白記』によると久我通信正妻を「久我女中」と称し、徳大寺実淳妻は「徳大寺女中」、夫が死去すると「徳大寺後室」と称している。

 一般公家は、「女中」のほかに「方角+向」の「向名」で称された。姑と嫁は東-西、南-北と対になって形づけられた。『実隆公記』では中御門宣秀正妻を「中御門西向」と称し、『親長公記』では中御門宣秀の父である中御門宣胤の正妻を「中御門東向」と称している。姑が「東向」で嫁が「西向」である。

 三条西家の家妻の役割が検討されているが、使用人の給分の分配(使用人の給料を決定する)、食料の手配・管理、追善仏事の運営、連歌会、和歌会の設営があげられている。これは近現代に庶民の家の主婦の役割に通じるものがあるといえるだろう。このように公家社会において嫡子単独相続確立期に、家妻は、家政・家職の経営の役割を分担し、婚家の名字を冠して称された。

 後藤みち子によれば、女叙位の位記は所生の氏であるから夫婦別氏、夫婦同苗字と述べているが、天皇の賜与ないし認定による源平藤橘等の古代的姓氏は婚姻などで変更されるものではもちめろんないが叙位の位記は社会的呼称にはならないのである。とくに貴人は実名を呼称することは憚れることである。

 婚家の名字+妻の社会的呼称(女中、向名)であるから実質的には夫婦同氏の感覚に近いものと認識できる。夫婦同苗字は公家起源であるかもしれない。

 

 (二)近世女性史研究者は夫婦別姓旧慣習説を否定

 

 次に徳川時代のありかただが、近世女性史研究者の柴桂子氏が、夫婦別姓旧慣習説には史料的裏付けがないとして厳しく批判していることが特筆できる。 夫婦別姓推進論者の依拠する旧慣習説は明確に否定してよいと思う。引用は柴桂子「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」『江戸期おんな考』(14) [2003]柴桂子「近世の夫婦別姓への疑問」〔総合女性史研究会〕大会の記録 夫婦と子の姓をめぐって--東アジアの歴史と現状) のコメント『総合女性史研究』(21) [2004.3]

 

 以下引用もしくは要約した引用である。

 

 法制史研究者によって「江戸時代の妻の氏は夫婦別氏だった」と流布されているが、夫婦異姓の根拠とされる史料はごくわずかに過ぎない、女性の立場や実態把握に疑問がある。

 法制史研究者は別姓の根拠を、主として武士階級の系図や妻や妾の出自の氏に置いている。ここに疑問がある。妾や側室は雇人であり妻の範疇には入らない。給金を貰い借り腹の役目を終わると解雇され配下の者に下賜されることもある。

 より身分の高い家の養女として嫁ぐことの多い近世の女性の場合には、系図などには養家の氏が書かれ「出自重視説」も意味をなくしてしまう。

 別姓説の中に「氏の父子継承原理」が語られるが、女の道として教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり、女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐ者ということが、日常道徳の規範とされていた。

 また、宗門人別帳でも夫婦同宗とされ、婚家の墓地に埋葬されるなど婚家への一体性・帰属性が強かった。

 

 実態として近世の既婚女性はどう呼ばれどう名乗っていたのか

◎他称の場合

○出版物 『近世名所歌集』嘉永四年(1851)、『平安人物誌』文政五年(1822)

姓はなく名前のみで○○妻、○○母と婚家の身分が記されている。『江戸現在広益人名録』天保一三年(1842)も同様だが、夫と異なる姓で記載されている場合もわずかある。

○人別書上帳・宗門人別帳

庶民の場合は姓も出自もなく、筆頭者との続柄・年齢が記される。

○著書・歌集・写本などの序文や奥付

武士階級でも姓も出自もなく、院号や名のみの場合が多い。

○犯科帳、離縁状、訴状、女手形

姓はなく名のみが記され○○妻、○○後家とと書かれ、名前さえ記されないものもある。

○門人帳 

 別姓の例としてよく取りあげられる「平田先生門人姓名録」であるが、幕末の勤王家として名高い松尾多勢子は「信濃国伊那郡伴野村松尾左次右衛門妻 竹村多勢子 五十一歳」と登録されている。しかし、この門人帳には29名の女性の名があるが、既婚者で生家姓で登録されているのは多勢子を含め5名で、婚家の名で登録されているのは10名、名だけで登録されているのが3名である。他は○○娘とあり未婚者と考えられる。

 他に心学門人帳などあるが、姓はなく名のみが記され、○○妻、○○娘と細字で傍書されている。

○墳墓、一般的には正面に戒名、側面に生家と婚家の姓が刻まれている。

◎自称・自署の場合

 

○著書 多くは姓はなく名のみを自署している。

○書画・短冊 雅号のみの場合が多い

○書簡 これも名前のみサインである。

○『古今墨跡鑑定便覧』本人の署名を集めたもので、姓はなく名前のみサインである。

例外的にフルネームの署名もあるが書画や文人の書簡であって夫婦別姓とはいいがたい。

 

 以上の柴桂子氏の指摘から江戸時代の既婚女性は生家姓を冠称したり、呼称、指称、自称、自署はしているわけではないと断言してさしつかえないだろう。夫婦別姓は旧慣習とはいえない。竹村多勢子のような例外的事例をもって夫婦別姓というのは過当な一般化だろう。

 墓碑名については、明治民法施行前において、例えば明治五年、神道布教の中央機関として設置された大教院が神葬の儀礼を編纂せる近衛忠房・千家尊福『葬祭略式』を刊行し、そのなかで、「妻には姓名妻某氏霊位と記す」となし、妻の生家の氏を刻むよう奨導した例がある(江守五夫『家族の歴史人類学-東アジアと日本-』弘文堂1990 53)があるが、そもそも教派神道を別として、神道式の葬式は今日普及しておらず、墓碑名に生家姓を刻むとしても、それは妻の由緒、姻戚関係を明らかにする趣旨で、生きている人の実態において生家姓を冠称していたとする根拠にはならないと考える。

 

 

五 白無垢・色直しは出嫁女の婚家帰属をあらわす

 

 

 白無垢・色直しは現代の婚礼・披露宴においても、和装花嫁衣装の定番であるから日本人なら誰でも知っている。

 

 嫁入は、古くは嫁取(よめどり)と言い、嫁入婚の成立儀礼を「嫁娶」とよんでいるように、儀礼の基本は、嫁を夫家に迎い入れる「嫁迎え」にあった。(江守五夫『日本の婚姻』弘文堂1986 294頁)つまり、出嫁女の婚家帰属が嫁入婚であるが、端的に「白無垢・色直し」だけを切り取ってもその意味が込められていると言ってよいのである。

 

 

 色直しは本来、嫁迎えから三日目に行われ、その後、嫁が舅姑、親族と対面披露されたが、明治以降では祝言の盃が済むとすぐに色直しの儀式を行うようになり、大きな披露宴では主要な儀式となった。

 

 歴史人類学者の江守五夫によれば「白無垢が死装束であって、花嫁が生家を出るときにいったん死ぬとみなされ、また、婚家に入ってから、赤色の衣装に色直しすることが再生をあらわしているということは、日本各地の人々が語っている」とする。(江守五夫・大林太良ほか『日本の家族と北方文化』第一書房1993 51)。なお江守はマルキストだが、私はその人の政治的信条がどうであれ、学問的業績は業績として素直に認めるので、共産党系の学者も引用する。

 

 また、徳島県立博物館によれば、 花嫁行列は日が沈んで提灯を携える。 花嫁の出立時には生家の門で藁火をたき、花嫁が使用していた茶碗を割った。「県内の花嫁行列に見られるこれらの習俗は、葬送の際、死者を送り出す所作と非常に類似しています。‥‥死者と同様にあつかうことで、花嫁に象徴的な死を与え、生まれ変わることを指し示したものだと考えられます‥‥角隠し、白無垢の花嫁衣装の特徴は、死者に着せる死装束、または、葬送に参列する人々の服装に類似します。死者の装束は一般に白色とされ、額には三角形の白布の宝冠が被せられます。‥かつては喪服が黒色でなく白色であったと言い伝えも耳にします」(徳島県立博物館企画展図録『門出のセレモニー -婚礼・葬送の習俗』徳島県立博物館編2001) 色直しについて「婚礼には披露宴の際、花嫁が白無垢から色打掛などに着替える色直しと言う習俗が見られます。色直しには、白無垢によって死の状態にあるとされる花嫁が、色のついた衣装に着替えることによって、 あらたに嫁いだ家の人間として生まれ変わったことを示す」と説明している。

 

 また小笠原流の伝書においても「嫁入りは惣別死にたるもののまねをするなり。さて輿もしとみよりよせ白物を着せて出すなり。さて輿出て候えば門火など焼くこと肝要なり。ことごとく皆かえらぬ事を本とつかまつり候」(小笠原敬承斎「結婚にまつわるしきたり その起源と意味」『歴史読本』2010.10. 55 10号 通巻856)とあり、白無垢=死装束の模倣との見解を裏打ちしている。

 

 しかし伊勢流有職故実研究家伊勢貞丈の見解では、白無垢の白色は五色の大本であるためとし死装束であるとはいってない。ただ通俗的によくいわれるのは「白無垢」は婚家の家風にしたがい何色にでも染まりますとの意味を込めたものとされているから、実質的な意味に大きな差はないと考える。

 これについては反論もありうる。新郎も色直しするからである。しかし本来の意味がどうであれ、国民に広く流布されているのが上記の解釈であるから、白無垢-色直しは出嫁女の婚家帰属性を表徴するものと理解して問題ないと考える。

 

 和装でなく教会挙式だという人も少なくないだろうが、ヴァージンロードはゲルマン法の嫁の引き渡しであって、父から夫へムント権(保護権・庇護権)を譲り渡す儀式を簡略化したものであるから、生家から婚家へ移ることを意味するものといってよいのである。

 

 夫婦別姓の導入は一般的嫁入婚を否定するのである。女は婚家の舅姑を真の父母と思い仕えるべきというような儒教的婦人道徳は根底から否定され、白無垢・色直しというよう日本の婚姻習俗、醇風美俗はジェンダー論のイデオロギーによって破壊されることになる。

 そのような蛮行を私はとても容認できない。

 

 

2023/02/25

私鉄総連組合員の春闘ワッペン着用を規制すべき

 国会議員と都議会議員へ

 

 私鉄総連組合員の春闘ワッペン着用を規制すべき、特に国と都が株主の東京メトロの労務管理の是正を要望

 

 これは公式の請願ではなく、たんに非公式な意見具申です。

 私鉄総連加盟の組合のある民鉄の駅員や乗務員が、直径78センチの円形の春闘ワッペンを毎年215日頃から3月中旬頃まで胸章として着用するのが通例になっている。私が知る限りでは、鉄道では東京メトロ、東急、東武、京成、京急、京王(但し京王は着用しない駅員もおり他社と温度差がある)が恒例である(なお小田急の鉄道部門で春闘ワッペンは見たことはない。西武は私鉄総連ではないから論外、関西や地方の状況は把握してない)。バスの運転手もつけているし、制服を着用せず、ワッペンをつけた制服を吊り下げている東急バスの運転手など過去にみたことがあるが、バスの運転手も非常に不快だがさしあたり鉄道を問題にする。今年は鮮やかな青色で春の字が目立ってます。

 駅員や乗務員が勤務しながらワッペンによる春闘の宣伝をしていることは不快。会社は職務に専念させるべきである、雇用契約の債務の本旨にしたがった履行でないことを許しているのは労務管理として怠慢である。

 ワッペンは、私鉄総連組合員として意思表示をし、相互の団結と使用者に対する示威、旅客公衆に対する教宣活動といえる。勤務時間中に職務の遂行に関係のない行為または活動をするときは当然に職務に対する注意力がそがれるから、旅客公衆が不快、不安に思うのは当然のことである。

 もちろん気にしない人も多数いるだろう。しかし乗務員・駅員の業務が旅客公衆の身体、財産の安全にかかわるものとして、特に強く要請される職場規律の保持を確保するという観点で業務用でないワッペンの着用は規制されてしかるべきなのである。

 春闘と書かれている以上組合活動であり、有名な中川幹郎チームの名判決、リボン闘争の大成観光ホテルオークラ事件東京地裁昭和50年3月11日判決労働判例221号が「本来労働組合が自己の負担及び利益においてその時間及び場所を設営しておこなうべきものであつて、このことは負担及び利益の帰属関係からして当然の事理に属する。ところで、勤務時間中であるという場面は、労働者が使用者の業務上の指揮命令に服して労務の給付ないし労働をしなければならない状況下のものであり、まさに使用者の負担及び利益において用意されたものにほかならないから、勤務時間の場で労働者がリボン闘争による組合活動に従事することは、人の褌で相撲を取る類の便乗行為であるというべく、経済的公正を欠く」と批判したとおりで、それがワッペンであれ同じことだ。

 中川判決では、リボン闘争がホテルサービスに求めている休らい、寛ぎ、そして快適さとはおよそ無縁であるばかりでなく、徒らに違和、緊張、警戒の情感を掻き立てることが特別違法性とされているが、民鉄もホームライナー等快適な輸送のサービスで集客しているのだから同種のことがいえる。

 この論点については、JRの労務管理が圧倒的に優れている。就業規則に「社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない」とあり、業務上の徽章以外の着用を禁止し「くまんばち」はもちろん春闘ワッペンよりずっと小さい国労バッチの着用を禁止し、徹底してきた。要するに民鉄もJR並みの労務管理を要求する。

 春闘を宣伝するワッペン着用は、企業秩序維持と職務専念義務違反もしくは雇用契約の債務の本旨に従った履行ではないとして就業規則(もしくは労働協約)で禁止し、着用した者は軽微であれ懲戒処分等不利益賦課の対象とすべきであると要求したい。

  もっとも基本的には鉄道会社の労使関係の問題であって、政治が介入すべきことではないかもしれないが、公共交通機関という公益性の強い事業で、しかも旅客公衆に接客対応の駅員もそれをつけているのだから、一般市民や乗客からの非難にこたえるべきである。

 ちなみに目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213以降の企業秩序論判例は、抽象的危険説をとり、具体的業務阻害がないことを理由に組合活動が正当化されることはないことを明示している。

 つまりワッペンを禁止するのに具象的な業務阻害を説明する必要はない。2014年2月15日午前0時半すぎに、東急東横線元住吉駅で、大雪の影響で電車が追突し乗客65人が負傷した事故があった。2月15日というと東急では春闘ワッペンを着用しだす時期である。事故の原因については究明されていることであり、その時、運転指令室や乗務員がワッペンを着けていたかどうかは知らない。仮に着けていたとしても春闘ワッペンを意識した雑念が事故と関係しているという根拠はないから無関係だろう。しかし、ワッペンはたんに抽象的な理由、それが目に触れるため他の社員の職務専念義務を妨げるおそれがあるというだけでも企業秩序をみだすものとして禁止できるのである。

  私鉄総連のワッペンが見たくないなら競合路線のJRや西武などを利用しろと言うかもしれないが、定期券はルートを変えられないし、例えば国会図書館に行くのに都バスでも可能だが、大半は東京メトロを利用する。見たくなくても目に触れてしまうわけである。

  とりわけ東京メトロは、国と東京都が株主となっている特殊会社である以上、国会議員や都議会議員が労務管理に口出ししてよいはずである。永田町駅の駅員もやっていると思うので見てください。

 ただ私は直接駅員に抗議していない。口論になってエキサイトすると、業務妨害とか言われて逆襲してくるかもしれないので、もし電車を遅らせたりしたら、損害賠償と言われかねないので気をつけているからである。

 

 

 春闘ワッペンの法的評価

目次

令和5年2月27日... 1

国会議員と都議会議員へ... 1

私鉄総連組合員の春闘ワッペン着用を規制すべき... 1

春闘ワッペンの法的評価... 2

1.就業時間中の組合活動とみなされる... 5

2.服装闘争は大多数の判例が否定的評価をとっている... 5

(1)組合活動に関する大筋の判例傾向... 5

(2)服装闘争等に関する判例の大筋の傾向... 5

3.春闘ワッペンは労働契約上の誠実労働義務に反し違法といえる... 6

(1) 私企業の労働契約上の誠実労働義務にも厳格な職務専念義務論が適用されるのは判例法理上必然である... 6

(2)予想される反論に対する再反論... 7

A 大成観光リボン闘争事件最三小判昭57・4・13は当該事案の判断にすぎず、リボン闘争が一般的に違法とは云っていないとの反論... 7

B 伊藤正己補足意見は、就業時間中の組合活動はすべて違法でなく、具体的な業務阻害のない行為を是認しているという反論... 8

C 大成観光リボン闘争事件最三小判昭57・4・13は目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭52・12・134の厳格な職務専念義務論を引用していないので、組合活動に適用されるかは未解決の問題であるとする反論... 9

4.春闘ワッペンの取り外し命令等を行ったとしても労組法7条1項の不当労働行為にあたるとされることはない(組合活動として正当な行為とされることはない). 10

(1)今更ながら国労青函地本リボン闘争事件 札幌高判昭48・.5・29でリボン闘争が違法とされている以上、それが民鉄のワッペン闘争であれ、同じ結論となることは必定... 11

(2)国労バッジ事件判例はJR各社の就業規則違反として組合バッジ着用を理由とする不利益処分を適法としており、バッジよりも大きくて目立つ春闘ワッペンを規制できないということは絶対にありえない    12

A JRにおいて組合バッジ着用禁止をめぐる紛争が起きた経緯と終息... 13

B  国労バッジ事件主要判例が示すように、組合バッジ着用は就業規則違反の限定解釈の判断枠組で実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められてないので、春闘ワッペンも同じことである    15

C 労組法7条3号の支配介入にあたるとする国労バッジ判例も存在するが、労組法7条1項の不当労働行為にあたらず、就業規則違反として禁止できることは認めている... 17

D 国労バッジ事件等でバッジ着用等が正当な行為とした判例も少数あるが、いずれも地裁判例であり控訴審でその判断は否定されている。... 20

5.春闘ワッペンを取り締まるには実務的には就業規則の整備を行うのが堅実... 21

(1)実務的には企業秩序論にもとづいた就業規則違反として取り締まる運用が堅実... 21

(2)民鉄の就業規則はJRと比較して緩すぎるのではないか... 23

A JRグルーブの就業規則... 24

B JR西日本の契約社員の就業規則... 26

C 東京急行電鉄の昭和54年当時の就業規則... 27

D 東急バスの就業規則... 28

E 東京メトロ就業規則... 29

G 神奈川中央バス就業規則... 30

 

 

1.就業時間中の組合活動とみなされる

 

 私鉄総連の春闘ワッペン着用行為が、争議行為か組合活動かという問題は、当然にその法的性格を異にし、労組法7条1号との関係においても正当性の判断が異なりうるし、学説では労組法8条民事免責を争議行為について認める見解があるので、重要な論点である。

 

 しかし、リボン闘争について最高裁が初めて判断を下した大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413民集36-4-659は、これを就業時間中の組合活動として、労働組合の正当な行為にあたらないと判示しているため、類似事案である春闘ワッペンも就業時間中の組合活動とされることは間違いない。

 大成観光リボン闘争事件の原審は、リボン闘争について組合活動の面と争議行為の面と両面があると考察しているが、最高裁は争議行為とみなさなかった。

 理由は判文では不明だが、新村正人調査官判解が詳しく解説しており、原審のいう使用者に対する団結示威の作用、機能を直ちに争議行為とみなす根拠はないと断定的に述べている。最高裁はリボン闘争が類型的に争議行為に当たらないとする見解に好意的とも言っている。

 仮に争議行為にするとしても正当性の限界を確定する理論的作業は困難というほかなく、積極的に解することはないだろう。そうするとストライキと併用するケースを別として、労働組合側がリボン闘争は争議行為と主張し労組法8条の適用があると主張しても認められることはないだろう。

 

 したがって以下、ワッペン着用行為を就業時間中の組合活動と捉え法的な評価を行う。

 

 

 

 

 

2.服装闘争は大多数の判例が否定的評価をとっている

 

()組合活動に関する大筋の判例傾向

 

  我が国の労働法では労働組合の正当な行為は保護されるが、何が正当な行為か否か具体的な定めはなく、労働委員会命令や救済命令取消訴訟等の判例、学説によって判断していくことになる。

 1970年代まで、階級闘争・ミリバントな労働運動を支援するプロレイバー労働法学が司法にも影響力を有し、憲法28条を使用者の私法上の権利(所有権・財産権)の制約を正当化させる権利として捉え、法益調整論的に使用者は組合活動に対し受忍義務を負うとして、使用者の業務指揮権や施設管理権を制約ないし掣肘する学説を展開していた。

 しかし最高裁で左派が減少した石田和外コート末期に、マスピケ事犯である国労久留米駅事件最大判昭48425刑集273418において、組合に有利な可罰的違法性論の適用を排除したことから、判例傾向は決定的に市民法秩序重視・プロレイバー学説否認の流れとなった。

 企業内組合活動の受忍義務を明確に否定した下級審判例の嚆矢が東京地裁中川徹郎チームの大成観光リボン闘争事件 東京地判昭50311民集364681(リボン闘争を違法とする)、動労甲府支部ビラ貼り事件東京地判昭507 .15判時784(ビラ貼りに対し初めて損害賠償を認める)であり、管理及び運営の目的に背馳し、業務の能率的正常な運営を一切排除する権能を強調し、後の企業秩序論の基礎となる論理を示したといえる。

 昭和50年代には最高裁によって企業秩序論の判例法理が案出され、受忍義務説、法益衡量による調整的アブローチ、具体的危険説といったプロレイバー学説が明確に排斥され、使用者に企業秩序定立権が認められ、被用者は企業行秩序遵守義務を負うことが明らかにしている。(富士重工業原水禁運動調査事件・最三小昭521213民集317103、目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213民集317974、関西電力社宅ビラ配り事件・最一小判昭589.8判時1094121頁、国労札等幌地本ビラ貼り戒告事件最三小判昭541030民集336676)、とくに企業内組合活動に関する指導判例となっている国労札幌地本判決を引用する判例は多く(池上通信機事件最三小判昭63719判時1293、済生会中央病院事件最二小判平元・11211民集43-12-1786、オリエンタルモーター事件最二小判平798判時1546130頁等)、判例法理は安定的に維持されていることから、経営内の組合活動の規制は今日では当然のものとされているのである。

 

()服装闘争等に関する判例の大筋の傾向

 

  就業時間中にリボン、腕章、ワッペン、鉢巻、ゼッケン、組合バッジ等を着用しながら労務提供(いわゆる服装闘争)することが、債務の本旨に従った履行といえるのか、労組法によって保護される組合活動の正当な行為といえるのか、その着用を理由とする取り外し命令、訓告、戒告、減給、期末手当減額、出勤停止処分等の不利益処分、あるいは就労拒否、配置転換、本来業務外し等の措置が適法かなどについては膨大な判例の蓄積がある。

 労働委員会命令の傾向は、服装戦術を団結活動の一環としてとらえ、服装規定にもとづく懲戒処分の不当労働行為性を認定する傾向があるが、裁判所(救済命令取消訴訟)になると正当な組合活動とされる例は少なく、大多数の判例は服装闘争を正当な組合活動とみなしていないし、不利益処分について労組法7条1号の不当労働行為に当たらないとする。

 ノースウエスト航空事件・東京高判昭471221労判速8059が初めて腕章着用の就労を職務専念義務違反と判示した判例である。

  国労青函地本リボン闘争事件 札幌高判昭48.529判時7046頁では、リボン着用は職務専念義務に違反し、国鉄の服装に関する定めにも違反し違法であり、取外し命令に従わない職員の訓告処分を是認とした。リボン闘争を違法とする判断枠組を示したリーディングケースである。同様にリボンや腕章着用を違法とした判例として神田郵便局腕章事件・東京地判昭49527労民集25323、全逓灘郵便局事件・大阪高判昭51130労民集2711、全建労事件・東京地判昭52725行裁集2867680等がある。

 大成観光リボン闘争事件 東京地判昭50311民集364681判時77696頁(控訴審も支持)は、労働者の連帯感を昂揚し、その士気を鼓舞するための集団示威は労働組合が自己の負担及び利益においてその時間及び場所を設営しておこなうべきもので、勤務時間の場で労働者がリボン闘争による組合活動に従事することは、人の褌で相撲を取る類の便乗行為であるというべく、経済的公正を欠く。労働者が使用者の業務上の指揮命令に服して労務の給付ないし労働をしなければならない状況下でのリボン闘争は、誠意に労務に服すべき労働者の義務に違背し違法であり、使用者はそれを受忍する理由はないと説示、さらに使用者の指揮命令に従って業務を遂行しつつ、それに乗じて団結の示威を行うことは、心理上の二重機能的メカニズム、一面従順、他面反噬という精神作用を分裂させて二重人格の形成を馴致する虞れがあり、労働人格の尊厳を損なう性質のものと述べるなど、労働組合側に厳しい判断を示し、リボン闘争は組合の正当な行為でなく違法としている。

 

 最高裁が初めてリボン闘争について判断を下した大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413民集36-4-659は、「本件リボン闘争は就業時間中に行われた組合活動であって参加人組合の正当な行為にあたらないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。‥‥」としたが、第三小法廷4人のうち左派プロレイバー(反主流派)が2人という異例の構成のため、先例についての法的評価が一致するはずがなく、結論にいたった最高裁としての理由が示されていない。判文で理論的説示がないことは、リボン闘争に否定的な下級審の傾向を追認したとする解釈がある一方、判文上は当該事案に限定しての判断のため、玉虫色的解釈がなされる要因となっている。しかし、この先例をホテル業に限定した判断であってケースバイケースで正当な行為とすることもありえるといったような労働組合側に有利に解釈することは他の最高裁判例との整合性からみて無理がある。

 それ以降現在にいたるまで服装闘争類似事案の判例も多数蓄積しているが、JR東海(新幹線支部)国労バッジ事件・東京高判平91030判時1626388(上告審最三小判平10717労判74415頁も原判決の判断を支持)が、組合バッチを着用したこと理由とする夏期手当支給5%減、賃金規定の昇給欠格条項該当者とする不利益措置は、労組法7条1項の不当労働行為にはあたらないと判示し、平成20年代の下級審判例である、JR西日本大阪国労バッチ事件・東京地判平241031別冊中央労働時報143420頁やJR東日本神奈川国労バッチ出勤停止処分事件・東京地判平24117労判106718頁がJR東海(新幹線支部)高裁判決の理論的説示を踏襲していることから、近年においても労働組合に有利といえる状況はないといえる。

 総合的に判断しておよそ私鉄総連の春闘ワッペン闘争については下記の立論により否定的な法的評価ができる。

 

 

3.春闘ワッペンは労働契約上の誠実労働義務に反し違法といえる

 

 (1) 私企業の労働契約上の誠実労働義務にも厳格な職務専念義務論が適用されるのは判例法理上必然である

 

 まず労働契約上の誠実労働義務に反し違法と断言してよいと考える。労働者は、雇用契約に基づき職務専念義務を負っており、就業時間中の組合活動は違法である。

 近年の組合バッジ着用事案の判例でも「労働者は、就業時間中は使用者の指揮命令に服し労務の提供を行う義務を負うものであって、勤務時間中の組合活動は、原則として右義務に違反する‥‥労働契約においては、労務の提供の態様において職務専念義務に違反しないことは労働契約の重要な要素となっているから、職務専念義務に違反することは企業秩序を乱すものであるというべきであり‥‥」(JR東海新幹線支部国労バッジ事件・東京高判平91030判時1626388)と判示しているとおりである。

 この判断の根拠になっているのは引用こそされてないが目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213民集317974の職務専念義務論である。

 同判決は公社法三四条二項の職務専念義務規定を「‥職員がその勤務時間及び勤務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことを意味するものであり、右規定の違反が成立するためには現実に職務の遂行が阻害されるなど実害の発生を必ずしも要件とするものではない」として厳格に解釈したことはよく知られている。

 同判決は公社法所定の職務専念義務に関する判断であるが、「公社と職員との関係は、基本的には一般私企業における使用者と従業員との関係と本質を異にするものではなく、私法上のものである」と判示し、公社職員の職務専念義務も雇用契約関係における被用者一般の義務とその本質を異にするものではないと捉えられているから、職務専念義務の判断も特殊公社法上の解釈として示されたものではなく、雇用契約関係において労働者が負う義務に関する一般的理解として述べられたものと解するべき(菊池高志「労働契約・組合活動・企業秩序 『法政研究』49(4) 1983【ネット公開】 )とする見解が通説である。

 つまり職務専念義務というのは公務員法制の実定法に限られず、私企業の雇用契約でも同じことである。

 なお、目黒局事件のプレートは「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と書かれたもので政治活動の事案だが、組合活動についても同判決の判断枠組が適用されることは判例法理上当然の帰結といわなければならず、そうでないとする大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413伊藤正己補足意見は先例無視の勝手な見解だといわなければならない。

 この点については大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413民集36-4-659新村正人調査官判解が明確に述べている。

 目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213民集317974について「‥‥右事案におけるプレートの着用は組合活動として行われたものではないが、その判旨の趣旨を推し及ぼすと、同様に職務専念義務を肯定すべき私企業においてリボン闘争が就業時間中の組合活動としておこなわれたときは、労働組合の正当な行為とはいえないことになる。‥‥本件リボン闘争が組合活動として行われたものとの前提に立つ限り、その正当性を否定することは、判例理論上必然のことといってよい」と解説しており、大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413は当該リボン闘争を組合の正当な行為にあたらないとした理由を示していないが、目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213の判断を踏襲しているという解釈がなされるのは、それが法律家の標準的見解であるためである。 (踏襲していると述べているのは菊池高志前掲判批だが、新村正人判解、石橋洋「組合のリボン闘争戦術と実務上の留意点-大成観光(ホテルオークラ)事件」労働判例3911982【ネット公開】や西谷敏「リボン闘争と懲戒処分――大成観光事件」ジュリスト臨時増刊7922261983も同趣旨を言っている)

  後続する企業秩序論判例である国労札幌地本ビラ貼り戒告事件最三小判昭541030民集336676とそれを引用する多くの判例が、使用者は無許諾の企業施設内組合活動の受忍義務はないこと、済生会中央病院事件最二小判平元・11211民集43-12-1786によって就業時間中の無許諾組合活動が正当化されることはないことを明らかにしており、法益衡量の調整的アプローチを明確に否定していることから、職務専念義務は、政治活動を禁止する場合適用されるが、組合活動には適用されないということは、他の判例との整合性からみてありえないことである。

 以上のことから私企業の労働契約上の誠実労働義務にも厳格な職務専念義務論が適用されるのであり、東京急行電鉄自動車部淡島営業所事件・東京地判昭60826労民集3645558頁では、同社の就業規則八条「従業員は、会社の諸規程および上長の指示にしたがい、……誠実にその義務を遂行しなければならない。」が引用され、「労働者は誠実に職務に従事すべき義務を負うことは、労働契約の性質から当然のことである。したがつて、労働者が勤務時間中にその職務と関係のない行為を行うことは原則として右義務に違反することとなり、この場合に右義務違反が成立するためには必ずしも現実に職務の遂行が阻害されるなどの実害が発生することまでは要しないものというべきである。そして、被告会社の前記就業規則八条の定めも、このことを明らかにしたものと解される。」と判示しているとおりである。

 本件は、狭山差別裁判粉砕等、裁判の不当を訴える内容の縦10センチメートル、横14センチメートルの硬質プラスチック製のプレートを制服の左胸部に着用してした就労申入れを拒否した事案で組合活動ではないが、現在の東急電鉄の就業規則は不明だが、民鉄の就業規則を引用して厳格な職務専念義務論を述べた先例としてその意義が認めなければならない。

 だだし、この論点については労働組合側から反論も予想できるので再反論も示しておきたい。

 

 (2)予想される反論に対する再反論

 A 大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413は当該事案の判断にすぎず、リボン闘争が一般的に違法とは云っていないとの反論

 

 大成観光リボン闘争事件最三小判昭57・4・13民集36-4-659は、「本件リボン闘争は就業時間中に行われた組合活動であって参加人組合の正当な行為にあたらないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。‥‥」としたが、最高裁としての理由を示さなかったことから、判旨にあらわれた限りでは、この判例を一般違法についての判断まで是認した趣旨と読むことはやや無理で、特別違法の観点からする判断、一流ホテルにおける従業員の接客勤務態度に対する要請からみて正当な行為にあたらないとする見解 (花見忠「リボン闘争の正当性--ホテル・オ-クラ事件最高裁判決」『ジュリスト』 771 1982)がある。

 しかし最高裁は昭和50年代以降企業施設内の無許諾の組合活動は企業秩序をみだすものとして受忍義務がないとする、使用者の企業秩序定立権という判例法理を案出し(国労札幌地本ビラ貼り戒告事件最三小判昭541030民集336676)、この判例法理は、安定的に維持(池上通信機事件最三小判昭63719判時1293、日本チバガイギー事件最一小判平元・119労判53373号、済生会中央病院事件最二小判平元・11211民集43-12-1786、オリエンタルモーター事件最二小判平798判時1546130)されているが、従業員は企業秩序遵守義務があるのであって、これらの判例は使用者の権利と団結権とを法益調整するという考え方はとらないのであって、法益衡量的な諸般の事情を勘案する調整的なアプローチを否定しており、具体的な業務阻害のないことは無許可組合活動を正当化しないことを明確にしている。ケースバイケースの判断はとらないのである。したがってホテル業だからダメでその他の業種なら正当化される余地があるとする根拠はない。

 例外としては、権利の濫用とみなされる特段の事情がある場合だが、この判断枠組で風穴は開けられていない。

 仮に百歩譲って、特別違法性だけを認めた判例とする花見説を認めたとしても、原審のいう特別違法性「リボン闘争は、労使が互いに緊張していることをまあたりに現前させるので、客がホテルサービスに求めている休らい、寛ぎ、そして快適さとはおよそ無縁であるばかりでなく、徒らに違和、緊張、警戒の情感を掻き立てる」という説示は、ホテル業に限らず、従業員が客面に出るサービス提供業務一般に広くいえることで注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないことあって、鉄道事業にもあてはまるのである。

 大手私鉄の主要路線では、通勤客に対し寛ぎや快適さを提供する有料着席ライナーを運行するようになったが、京王ライナーでは、空気清浄機が具えられたうえ、しばしの間お寛ぎください云々とのアナウンスが流れるのである。ところが、2018年2月22日デビュー以降、三週間程度が春闘時期にあたり、車掌は春闘ワッペンを制服の腹の部分に取り付けていた。直径7から8㎝で赤い円形のためかなり目立つ。着席状況を確認するため、車掌が各車両を見回るが、春闘ワッペンをみせつけて、第三者である乗客に春闘との連帯を訴えかける行為は、有料着席ライナーを利用する乗客が求める「休らい、寛ぎ、そして快適さとはおよそ無縁なことといえる」のであって、原審の説示した特別違法性は、鉄道事業にもあてはまるというべきである。したがって大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413を逆手にとって、ワッペン着用に有利に解釈する妥当性はないのである。

B 伊藤正己補足意見は、就業時間中の組合活動はすべて違法でなく、具体的な業務阻害のない行為を是認しているという反論

  大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413の伊藤正己判事の単独補足意見は、目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213は事案を異にするので先例とみなさないとし、「就業時間中に‥‥およそ組合活動であるならば、すべて違法の行動であるとまではいえない」とか「業務を具体的に阻害することのない行動は、必ずしも職務専念義務に違背するものではない」としている。

 この補足意見については、「伊藤裁判官の補足意見により‥‥労働委員会が実態に即し、不当労働行為制度の趣旨を生かす判断を行う余地が残されるようになった」(松田保彦「いわゆるリボン闘争の正当性-ホテルオークラ事件」・法学教室221982)と肯定的評価をする批評がある。

 しかしこれは明らかに変である。伊藤補足意見は、リボン闘争が争議行為の類型には当たらないとした以外の主張は、組合活動に好意的な立場で先例を無視した勝手な持論を言っているだけで、最高裁の主流の考え方に異論を示しただけのものである。上記引用した企業秩序論の最高裁判例においても伊藤補足意見の趣旨は完全に否定されていることから、単独の補足意見が影響力を持つ事自体が不当である。

 例えば済生会中央病院事件最二小判平元・1211民集43-12-1786が、「一般に、労働者は、労働契約の本旨に従って、その労務を提供するためにその労働時間を用い、その労務にのみ従事しなければならない。」「労働組合又はその組合員が労働時間中にした組合活動は、原則として、正当なものということはできない」としたうえで、勤務時間中の無許可集会に対する警告書交付はそれが業務に支障をきたさない態様であっても「労働契約上の義務に反し、企業秩序を乱す行為の是正を求めるものにすぎない」ので不当労働行為にあたらないと判示しており、目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213こそ引用してないが、最高裁は同判決の職務専念義務論を踏襲した判断をとっているとみてよいし、済生会中央病院事件判決によって無許諾の就業時間内組合活動が正当化される余地はなくなったというべきであるし、業務に具体的阻害のない態様であることは正当化する理由にはならないことを重ねて確認した判決といえる。先に引用した伊藤補足意見の趣旨は完全に否定されている。

 

C 大成観光リボン闘争事件最三小判昭57413は目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭5212134の厳格な職務専念義務論を引用していないので、組合活動に適用されるかは未解決の問題であるとする反論

  目黒電報電話局判決が引用されてないのは、第三小法廷の4名中2名裁判長環昌一判事と、伊藤正己判事が左派プロレイバーであり、勤務時間中は、注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないとする目黒電報電話局事件判決に批判的な見解をとっていたため小法廷の意見が一致しなかったためと推定できる。伊藤判事は補足意見で同判決を批判しているし、環裁判長は、目黒局判決の結果的同意意見となる補足意見で、反戦プレート着用は懲戒処分理由と認めていないことから明らかなことといえる。

 しかし、左派2判事が先例拘束性を認めなかったことで、目黒電報電話局事件判決の先例としての意義を否定されるものではないし、既にのべたとおり、同判決の判断枠組は、私企業においても組合活動においてもそれが適用されることは判例法理上の必然であり、大成観光事件上告審判決は、当該リボン闘争を組合の正当な行為にあたらないとし、組合幹部への減給、訓告処分を是認するものであるから、引用されずとも同判決を踏襲した判断をとったとみなすのが妥当である。

 大成観光事件以降の判例では本節、冒頭に述べたJR東海新幹線支部国労バッジ事件・東京高判平91030判時1626388頁も厳格な職務専念義務論をとっており、上告審最三小判平10717労判74415頁も原判決の判断を支持しているだけでなく、それ以外に目黒局判決の参照指示こそないが、同趣旨、もしくは本文をそのまま引用し、厳格な職務専念義務論をとる下級審判例として以下の判例がある。

  東京急行電鉄自動車部淡島営業所事件・東京地判昭60826労民集3645558

 国鉄鹿児島自動車営業所事件 鹿児島地判昭63627判時1303143頁裁判所ウェブサイト(組合バッジ着用は職務専念義務違反で禁止できるとしたうえで、管理者に準ずる地位にある職員が、取外し命令を無視して組合員バッジの着用をやめないことから、通常業務から外し降灰除去作業をさせたことが、懲罰的目的であり業務命令権の濫用とする。控訴審の判断も同じ。最三小判平5611判時1466151頁裁判所ウェブサイトは、原判決破棄自判。本件降灰除去作業は、労働契約に基づく付随的業務としての環境整備作業の範囲を越えるものではなく、懲罰的、報復的目的を認定することは失当とする)

 西福岡自動車学校腕章事件 福岡地判平7920労判695133頁裁判所ウェブサイト、

 JR東日本(神奈川地労委・国労バッジ)事件・東京高判平11224判時1665号130頁裁判所ウェブサイト

(国労バッジ着用を理由とする863名に対し厳重注意、訓告、55名に対し夏季手当5%減額の措置につき国労バッジの着用は、就業規則の服装整正規定違反、就業時間中の組合活動禁止規定違反、職務専念義務規定違反であり企業秩序を乱すものであるとし、取外し命令、懲戒、不利益処分を禁止するものではない。しかしながら「厳しい対決姿勢で臨んでいた国労を嫌悪し,組合から組合員を脱退させて,国労を弱体化し,ひいては‥‥排除しようとの意図の下にこれを決定的な動機として行われたもの」として不当労働行為(支配介入)に該当するとした。)

 

 JR東日本(神奈川)第一次国労バッチ事件・東京高判平11224判時1665130頁裁判所ウェブサイト

 

 JR西日本(大阪)国労バッチ事件 東京地判平241031別冊中央労働時報143420

 

 JR東日本(神奈川)国労バッチ出勤停止事件 東京高判25327別冊中央労働時報1445号50頁

 

 JR東日本神奈川国労バッチ減給処分等事件・東京高判平251128別冊中央労働時報145538

 

  もっとも目黒局判決の参照指示があって職務専念義務論を引用しているのは国立ピースリボン事件・東京地判平18726裁判所ウェブサイトと都立南大沢学園養護学校事件・東京地判平29522TKCといった地方公務員の国旗・国歌をめぐる抗議活動の事案にすぎない。

 

 参照指示のある判例が少ないという点で左派2判事の抵抗により理論的説示をしなかった影響を引きずったともいえるが、とはいえ目黒電報電話局事件判決の職務専念義務論は、私企業の組合活動の多くの判例でそれと同じ判断を示しているのであって、先例としての価値を有していることに疑う余地がない。

 

 よって、この論点については労働組合側がら反論があっても再反論が可能である。

 

 もっとも理論的に労働契約上の誠実労働義務違反で違法といっても、懲戒処分に付すにはフジ興産事件最二小判平151010判時1840144頁が、使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種別及び事由を定め、適用を受ける労働者に周知させる手続が採られていることを要すると判示している以上、就業規則を根拠としない懲戒処分は無理があるから。実務的には企業秩序論の脈絡から対応していくことがより堅実とはいえる。

 

 

 

 

 

 4.春闘ワッペンの取り外し命令等を行ったとしても労組法7条1項の不当労働行為にあたるとされることはない(組合活動として正当な行為とされることはない)

 

 国鉄ではリボン闘争とワッペン型大型バッジに関する判例、JRでは組合バッジに関する判例が多数あるが、その判例傾向からみて、就業規則の整備を前提としていえば、類似事案である民鉄の私鉄総連春闘ワッペンについて、取り外し命令や不利益扱いを行ったとしても労組法7条1項の不当労働行為にあたるとされることはないと断言できる。

 

 

1)今更ながら国労青函地本リボン闘争事件 札幌高判昭48.529でリボン闘争が違法とされている以上、それが民鉄のワッペン闘争であれ、同じ結論となることは必定 

 

  大成観光事件以外では、国労青函地本リボン闘争事件札幌高判昭48529判時7046頁が、リボン闘争を違法とするリーディングケースである。事案は、国労が昭和45年春闘に際し全国各支部に闘争指令を発し、青函地本は320日ころよりリボン闘争を含む職場点検闘争に入ることを各職場分会に指令した。これにより国労組合員が同年320日から58日にわたって「大巾賃上げを斗いとろう、165千人合理化紛砕」と書いた黄色のリボン(縦1.0㎝横3.5㎝)を制服に着用して勤務に就いた。当局は再三に亘って取り外しを指示したが、従わなかった組合員延べ492名を訓告処分に付し、このうち54名が国鉄総裁を相手取って訓告処分無効確認と損害賠償請求の訴訟を起こしたものである。

 

 一審函館地判昭47519判時66821頁はリボン着用を正当な組合活動として訓告処分を無効としたが、控訴審では原審を破棄し違法とした。。

 

 この判例は「‥‥国有鉄道の職員は、勤務中は、法令等による特別の定めがある場合を除き、その精神的、肉体的活動力の全てを職務の遂行にのみ集中しなければならず、その職務以外のために、精神的、肉体的活動力を用いることを許さないとするものである。‥‥勤務時間中に職務の遂行に関係のない行為または活動をするときは、通常はこれによって当然に職務に対する注意力がそがれるから、かかる行為または活動をすることは、原則として職務専念義務に違反する‥‥その行為または活動によって、具体的に業務が阻害される結果が生じたか否かは、右の判断とは直接関係がないものというべき」と職務専念義務を厳格に解釈した判断枠組を示したことで知られ、これが最高裁(目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213民集317974)によって採用されたことにより、職場規律維持、正常化の原点となったことで高く評価されるべきである。

 

 国鉄時代のリボン着用禁止の根拠となったのは、職務専念義務(国鉄法322項の「職員は、全力をあげて職務の遂行に専念しなければならない。」)のほか服装整正規定がある。

 

 鉄道営業法第22条は「旅客及公衆ニ対スル職務ヲ行フ鉄道係員ハ一定ノ制服ヲ著スヘシ」と規定し、この規定の趣旨を受けて、安全の確保に関する規程第14条、職員服務規程第9条、営業関係職員の職制及び服務の基準第14条、服制及び被服類取扱基準規程第2条、第9条等の定めがなされ、現業に従事する職員に対し、制服(作業服を含む)を着用し、服装を整えて勤務することが命ぜられており、服制及び被服類取扱基準規程では、現場職員の制服等の制式と着装方を定め、これを職員に貸与するものとし(第3条)、かつ「被服類には、腕章、キ章及び服飾類であって、この規程に定めるもの及び別に定めるもの以外のものを着用してはならない」(第9条第3項)と規定していた。

 

 国鉄法の職務専念義務は、私企業の労働契約上の誠実労働義務にもあてはまることはすでに述べたとおりである。また国鉄中国支社事件判決・最一小昭49228民集28166において国鉄の懲戒処分は、行政処分でなく、私法上の行為と判示しているので、国鉄においては公労法171項で争議行為が禁止されていたことを除いて、国鉄判例は私企業においても先例となるのである。

 

 青函地本事件札幌高裁判決は次のように説示する。

 

 「‥‥被控訴人らは、本件リボンを着用することにより、勤務に従事しながら、青函地本の指令に従い、国労の組合員として意思表示をし、相互の団結と使用者に対する示威、国民に対する教宣活動をしていたものであり、したがって‥‥勤務の間中、組合員相互に本件リボンの着用を確認し合い、これを着用していない組合員には着用を指導していたものであつて、本件リボンの着用が精神的に被控訴人らの活動力の職務への集中を妨げるものでなかったとは到底認めることはできない。‥‥組合活動を実行していることを意識しながら、その職務に従事していたものというべきであり、その精神的活動力のすべてを職務の遂行にのみ集中していたものでなかつたことは明らかである。よって、被控訴人らが勤務時間中本件リボンを着用したことは、職務専念義務に違反するものである」 

 

 「国鉄職員のうち旅客及び公衆に対する職務を行なう者については、鉄道営業法第二二条によって、制服の着用が義務づけられており、また、直接右法条に該当しない者であっても、現業に従事する者について、公共の福祉の増進を目的とする国鉄の職員としての公正中立と品位を保持し、旅客公衆に対し国鉄職員であることの識別を可能ならしめ、かつ不快感を与えることを防止し、その職務が旅客公衆の身体、財産の安全にかかわるものとして、特に強く要請される職場規律の保持を確保するために、制服を着用すべきものとすることが必要であるから‥‥現業に従事する職員に対し制服を着用し、服装を整えて勤務することが命ぜられていることは、十分合理的な根拠を有するのであり、そして、右制服に、定められた服飾類以外の物を着用することを禁止することも、制服の性質、趣旨よりすれば、これを不合理な規制ということはできない。‥‥また、本件リボンは、前記のとおり組合活動として着用されたもので、その内容は組合の要求を記載したものであるところ、‥‥被控訴人ら国鉄職員がこれを着用して勤務していることに対し旅客公衆の中には不快感を抱く者があることは十分予想される。被控訴人らは、そのような不快感は反組合的感情で保護するに値しないと主張するが、しかし、その不快感が、本件リボンの内容である国労の要求内容に対する不満にあるのではなく、被控訴人らが職務に従事しながら本件リボンを着用して組合活動をしているその勤務の仕方に対する不信、不安によるものであるときは、国鉄が公共の福祉の増進を目的とする公法人で、その資本は全額政府が出資していることを考えると、右の趣旨の旅客公衆の不快感は十分理由があるものであつて、これを単なる反組合的感情にすぎないものということはできない。さらに、本件リボンと職場の規律、秩序の関係についても、本件リボンが前記のとおり国労の要求を記載したもので、これを着用することによって国労の団結をはかるものであるところ、国鉄内には、国労のほか、これと対立関係にある鉄道労働組合があることは顕著な事実であり、本件リボンの着用が鉄労組合員その他組合未加入者に心理的な動揺を与え、‥‥国労の組合員の中にも指令に反し本件リボンを着用しなかつた者が相当数あつたことが認められるが、これらの者にも精神的な重圧となったことも十分考えられ、勤務時間中の本件リボンの着用は、その勤務の場において、不要に職場の規律、秩序を乱すおそれのあるものというべきである。‥‥よつて、本件リボンの着用は、控訴人の服装に関する定めに違反するものであり、法律及び控訴人の規程の遵守を求める法律に反する違法のものである。」

 

 むろん、リボンとワッペンに相異はある。私鉄総連の春闘ワッペンには、具体的な要求項目の記載はない。

 

 しかし「春闘」とは2月ころから労働組合が一斉に賃上げ等を要求する闘争を意味することは明らかであり、ワッペンは直径78㎝はあり目につきやすいという点ではリボンと比較しても遜色はない。

 

 旅客公衆は「春闘」という文字をみて、使用者に対する団結示威というだけでなく、乗客にも春闘への連帯を訴えかける教宣活動と受けとめる。したがって、旅客公衆が「職務に従事しながら‥組合活動をしているその勤務の仕方に対する不信、不安」を抱くことは、国労青函地本リボン闘争事件 札幌高判昭48.529の説示と同じことである。

 

 

 (2)国労バッジ事件判例はJR各社の就業規則違反として組合バッジ着用を理由とする不利益処分を適法としており、バッジよりも大きくて目立つ春闘ワッペンを規制できないということは絶対にありえない

 

 

 

A JRにおいて組合バッジ着用禁止をめぐる紛争が起きた経緯と終息

 

 

 

 初めに国労バッジ事件とはなんであったかについて一応説明しておく。

 

  国労バッジを着用し、上司の指示の取り外し命令に従わなかったことを理由とする不利益取扱が不当労働行為に該当するか否かが争われた救済命令取消訴訟が多数ある。

 

 これは国労がJR発足以前から、組織的な組合活動としてバッジ着用行為を指示していたのに対し、JR各社は昭和624月発足以来就業規則や賃金規定を根拠として着用規制を徹底して行ったことによる紛争である。

 

 国鉄時代には、動労、鉄労など国労以外の他の労働組合も、組合バッジを作成し、組合員に配付しており、各労働組合の組合員は、組合バッジを着用していたが、JR発足の昭和624月には、国労以外の他の労働組合の組合員のほとんどは組合バッジを外したのである。

 

  国労バッジとは実は大きさで2種類ある。通常着用していたのは、縦1.1㎝、横1.3㎝の四角形で、黒地に金色のレールの断面と国の英訳の頭文字をとった「NRU」の文字をデザインしたものである。

 

 これと別に布製のワッペン式大型バッジがあり、通称「くまんばち」と呼ばれ、デザインはほぼ同様であるが、縦2.6㎝、横28㎝と大きく、主に闘争時などを中心に着用された。国鉄当局は、これをワッペンの一種であるとして、国鉄末期から規制を行っている。国鉄鹿児島自動車営業所事件 最三小判平5611判時1446151頁(管理者に準ずる地位にある職員が組合員バッジの取外し命令に従わないため点呼執行業務から外して営業所構内の火山灰の除去作業に従事することを命じた業務命令を適法とする)が昭和60年の国鉄時代の事案だが、布製の「くまんばち」の事案であるから、本件はワッペンに関する判例とみなすべきである。

 

 しかし大多数の国労バッジ判例は小型の組合バッジの事案なのである。

 

 

 

 以下、ここでは主としてJR東日本(神奈川・国労バッジ)事件・東京高判平11224判時1665号130頁裁判所ウェブサイト(国労バッジ着用を理由とする863名に対し厳重注意または訓告処分、55名に対し夏季手当5%減額の措置をとったことが不当労働行為に当たるかが争われた)の判文より引用する。

 

 国労は、分割民営化反対等を主張し、昭和59810日に2時間ストライキを実施したほか、昭和60年に入ってワッペン着用闘争を行った。これに対して、国鉄は、同年913日、闘争に参加した約59200人の国労所属組合員に対して戒告、訓告等の処分をした。さらに、国労は、昭和61410日から12日まで、国鉄の分割民営化方針等に抗議して、ワッペン着用闘争を行った。これに対して、国鉄は、同年530日、闘争に参加した約29000人の国労組合員に対し、戒告又は訓告の処分をした。

 

 このことから、国鉄末期にワッペンの規制を行っていたことが明らかである。

 

 国鉄は、昭和61113日、「労使共同宣言(第一次)」の締結を各組合に提案した。諸法規を遵守すること、リボン・ワッペンの不着用、氏名札の着用等定められた服装を整えること、必要な合理化は、労使が一致協力して積極的に推進すること‥‥が掲げられていた。この提案に対し、鉄労、動労及び全施労は受諾したが、国労は、拒否した。

 

 しかし小型の組合バッジは取締の対象にはなっていなかった。

 

 国鉄総裁は昭和613月に八次にわたる職場規律の総点検の集大成とし職員管理調書の作成を通達しているが、勤務態度に関することとして「服装の乱れ」という項目があり、「リボン・ワッペン、氏名札、安全帽、安全靴、あご紐、ネクタイ等について、指導された通りの服装をしているか。」を評定事項としているが、組合バッジについては言及されていない。

 

  国労は昭和615月には組合員約163000名(組織率683パーセント)を有する国鉄内最大の労働組合であったが、昭和622月には約647000(同292パーセント)、さらに、同年4月には約440000と急激に減少させた。組合バッジを組合団結のシンボルとする国労組合員は、国労の組織防衛上の見地からその着用を続けていた。東京地本は、昭和611031日、闘争指令を発し、その中で、当面の闘いとして、「国労バッチの完全着用をはかること。」などの指令を出し、さらに、昭和62331日、各支部執行委員長に対し、「国労バッチは全員が完全に着用するよう再度徹底を期すこととする。」などの指示を出している。

 

 一方、JR東日本発足時には、東鉄労(動労、鉄労、国労脱退者の一部を糾合)の組合員は国鉄時代の慣行をやめ鉄道労連のバッジを着用しなかった。会社発足の困難な途上において労使がいらざる紛争の種を作るべきではないとして、所属組合員が就業時間中に組合バッジを着用することがあれば、強力に指導して外させる方針だったという。

 

 JR東日本の調査によれば、62年4月の組合バッジ着用者は、5645名(全体の88%)、同年5月の調査で2798名(同44%)であり、そのほとんどが国労組合員であった。

 

 JRの就業規則は昭和62323日に制定されたが以下の3ヶ条が、組合バッジ着用を禁止する根拠になっている。

 

第3条の1 社員は、会社事業の社会的意義を自覚し、会社の発展に寄与するために、自己の本分を守り、会社の命に服し、法令、規程等を遵守し、全力をあげてその職務の遂行に専念しなければならない。

 

第20条の3

 

 社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない。

 

第23条 社員は、会社が許可した場合のほか、勤務時間中に又は会社施設内で、組合活動を行ってはならない。

 

 

 また賃金規程(昭和六三年八月人達第一二号による改正前のもの。)には、期末手当の額の減額に関連する規定があり、減額に係る成績率については、5%減の事由として減給、戒告、訓告及び勤務成績が良好でない者と定められている。これに関して作成される期末手当減額調書には、業績(問題意識、成果)、態度(執行態度、協調性等)、処分の有無、服装(組合バッジ着用等の注意回数等)について記入することとされている。

 

 なお、昭和62423日付けのJR東日本と国労東日本鉄道本部との労働協約では,経営協議会及び団体交渉など原告から承認を得た場合のほか,勤務時間中の組合活動を行うことはできないことを約定している(同協約第6条)

 

 国鉄の東日本旅客鉄道株式会社設立準備室の小柴次長は、昭和62323日、東日本地区各機関総務(担当)部長(次長)に対し、「社員への「社員証」「社章」「氏名札」の交付等について」と題する事務連絡を行ったが、その中で、JR発足に当たって全社員に交付すべき社員証、社章及び氏名札は、勤務箇所長から直接社員一人一人に手渡しで交付すること、組合バッジを着用している場合には、組合バッジを外させるとともに、社章を着用させることを指示した 。

 

 つまり、使用者側は、JR発足時から組合バッジ着用を認めない方針だった。これは国鉄末期の点検項目にもなかったことである。以下、筆者の感想であるが、JRの就業規則はよくできていて、組合バッジ着用は、職務専念義務違反、服装規定違反、無許可組合活動の3ヶ条に違反するのみならず、服装指導の回数によって、期末手当5%減額事由となる賃金規定があるため、バッジを取外さなければ、いわゆるボーナスが減額されてもやむをえないような設計に初めからなっていたといえるのではないか。

 

 民鉄の実態から比較すれば厳しいあり方といえるだろうが、職務専念義務の徹底は、国鉄末期の職場規律の乱れに対する国会や世論の批判を受けてのものと理解することもできる。

 

  人事部勤労課長は、昭和62420日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、「社章、氏名札着用等の指導方について」と題する事務連絡を行ったが、その中で、「組合バッヂ着用者に対しては、服装違反である旨注意を喚起して、取り外すよう注意・指導すること。その際の注意等に対する言動を含めた状況を克明に記録しておくこと。繰り返し注意・指導を行ったにもかかわらず、これに従わない社員に対しては、「就業規則」、「社員証、社章及び氏名札規程」に違反するとして厳しく対処することとし、人事考課等に厳正に反映させることとされたい。」と指示した。これを受けて、東京圏運行本部の総務部人事課長及び勤労課長は、関係現業機関の長に対し、翌21日、同旨の事務連絡を行い、さらに、同月28日、「服装等の整正状況のは握について」と題する事務連絡を行って、決められた服装をしない社員の整正状況について個人別把握を行うよう指示した。さらに、人事部勤労課長は、同年521日、関係各機関の勤労(担当)課長に対し、更に強力に注意・指導の徹底を行い、直ちに改善されるよう取り組むべきことを指示した。

 

 このように、組合バッジの取り外し指導は徹底して行われていたのである。

 

 国労が労使協調路線へ方針を転換したのは平成87月以降であり、平成11年年9月に勤務時間中に組合活動を行うことを禁止する旨の労働協約を締結した。平成1811月包括和解によりバッジ事件を含む合計61件の不当労働行為救済申立事件を取り下げている。JR東日本神奈川国労バッチ出勤停止処分事件 東京地判平24117労判106718頁によれば、JR東日本は組合バッジ着用者に対する処分を年2回程度の割合で実施していった。被処分者は、平成3年9月の処分で2000人を割り込み、平成8年9月の処分で1000人を割り込み,平成14年3月には314人(全従業員の0.4%)になっていた。平成143月末以降は、組織として不当労働行為救済申立てを行うことはなくなり、国労は、組合バッジ着用に関し、機関決定違反として統制処分をするまではしないが、支持はしなくなったとする。平成157月以降国労バッジ着用者は1人となった。その者も退職したので、少なくともJR東日本では現在では組合バッジの着用者はいないとみてよいだろう。

 

 つまり、会社側が企業秩序を定立するため、しかるべき就業規則を制定し、ワッペン・リボンはもちろんのこと、小型の組合バッジであれ、企業秩序遵守義務に反するものとして、徹底して禁止することができるということは、JRの労務管理の実績で証明されたことなのである。

 

 

 

 B  国労バッジ事件主要判例が示すように、組合バッジ着用は就業規則違反の限定解釈の判断枠組で実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められてないので、春闘ワッペンも同じことである

 

 

 

  国労バッジ判例はいくつかの類型に分けることができるが、第1の類型が主要判例といえるもので、以下の7例が、第1の類型組合バッジ着用を理由とする不利益取扱が不当労働行為には当たらず適法との判断を下している。

 

JR東海(新幹線支部)国労バッジ事件・ 東京地判平71214判時1556141

 

JR東海(新幹線支部)国労バッジ事件・東京高判平91030判時1626388

 

JR東海(新幹線支部)国労バッジ事件・最三小判平10717労判74415

 

JR西日本(大阪)国労バッジ事件・東京地判平241031別冊中央労働時報143420

 

JR東日本(神奈川)国労バッジ・出勤停止処分事件・東京地判平24117労判106718

 

 ここでは代表的な判例である東京高判平91030(組合バッジ着用を理由とする厳重注意、夏季手当5%減額、賃金規定の昇給欠格条項該当措置は不当労働行為に当たらないとした)を引用する。理論的説示は概ね完璧に近く、最高裁に支持されているため 代表的な判例としてよいのである。平成20年代の判例は、後述する第2類型も含めて、この判決を踏襲した理論的説示をしている。

 

 要点だけ述べれば組合バッジ着用はJRの前記就業規則3条、20条、23条に違反する。

 

 就業規則に違反することは明らかであるが、先例である目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213民集317974は不利益処分の客観的合理性を確保するため就業規則の限定解釈をする判断枠組を示しているのでこの審査をバスしないと就業規則違反とはならないことになっている。

 

 目黒局判決の判断枠組は「‥‥秩序風紀の維持を目的としたものであることにかんがみ、形式的に右規定に違反するようにみえる場合であっても、実質的に局所内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときには、右規定の違反になるとはいえないと解するのが、相当である」というものである。

 

 東京高判平91030も「文言上形式的には本件就業規則三条一項、二〇条三項、二三条に違反するように見える場合であっても、実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、右各規定の違反になるとはいえないと解するのが相当である」と目黒局判決の判断枠組を引用してその審査を行っているが、以下のとおり実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別の事情はないと判定するのである。

 

 「本件組合バッヂ着用行為は、‥‥組合員が当該組合員であることを顕示して本件組合員等相互間の組合意識を高めるためのものであるから、本件組合バッヂに具体的な宣言文の記載がなくとも、職場の同僚組合員に対し訴えかけようとするものであり、‥‥職務の遂行には直接関係のない行動であって、これを勤務時間中に行うことは、身体的活動による労務の提供という面だけをみれば、たとえ職務の遂行に特段の支障を生じなかったとしても、労務の提供の態様においては、勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い、職務にのみ従事しなければならないという‥‥職務専念義務に違反し、企業秩序を乱すものであるといわざるを得ない。また、同時に、勤務時間中に本件組合バッヂを着用して職場の同僚組合員に対して訴えかけるという行為は、国労に所属していても自らの自由意思により本件組合バッヂを着用していない同僚組合員である他の社員に対しても心理的影響を与え、それによって当該社員が注意力を職務に集中することを妨げるおそれがあるものであるから、この面からも企業秩序の維持に反するものであったといわなければならない。」

 

 要するに、勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用いていないことは職務専念義務に違反し企業秩序を乱しているということ、他の社員が職務に集中できないおそれ、注意力を散漫にするおそれがあること(抽象的危険)により実質的に企業秩序をみだしていると認定した目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213の説示とほぼ同じ趣旨である。

 

 後段の部分については、私鉄総連の春闘ワッペンは、複数組合のあるJRと違う環境であり少数組合の国労とは違って殆どすべての社員を着用していることから、国労バッジ事件と同列状況が違うとの反論がありうるが、すべての非管理職社員が着けているとしても、自ら着用することが組合活動を意識しながら職務を行うことで職務専念義務に反しているだけではなく、目立つものであるから、就業時間中に他の社員の春闘バッジが目に入ることでも、団結意思の相互確認、闘争参加意識、春闘を意識することとなり、組合員間の連帯を高め闘争に向けて士気の鼓舞する意味と作用を有するともいえるから、注意力のすべてを職務遂行に向けることを妨げるおそれがあり、組合の指示にしたがって着用しているかを相互に確認する行為がなされるだけでも、就業時間中に注意力を散漫にするおそれがあるといえるのであり、実質的に企業秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められることはありえない。

 

 ちなみに目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213以降の企業秩序論判例は、抽象的危険説をとり、具体的業務阻害がないことを理由に組合活動が正当化されることはないことを明示している。

 

 つまりワッペンを禁止するのに具象的な業務阻害を説明する必要はない。2014年2月15日午前0時半すぎに、東急東横線元住吉駅で、大雪の影響で電車が追突し乗客65人が負傷した事故があった。2月15日というとだいたい春闘ワッペンを着用しだす時期である。事故の原因については究明されていることであり、その時、運転指令室や乗務員がワッペンを着けていたかどうかは知らない。仮に着けていたとしても春闘ワッペンを意識した雑念が事故と関係しているという根拠はないから無関係だろう。しかし、ワッペンはたんに抽象的な理由、それが目に触れるため他の社員の職務専念義務を妨げるおそれがあるというだけでも企業秩序をみだすものとして禁止できるのである。

 

 

 

 C 労組法73号の支配介入にあたるとする国労バッジ判例も存在するが、労組法71項の不当労働行為にあたらず、就業規則違反として禁止できることは認めている

 

 

 

 国労バッジ判例の第2の類型は、組合バッジ着用は就業規則違反として禁止できるとしたうえで、あるいは、不利益措置は労組法1条の不当労働行為にあたらないとしたうえで、労組法73号の支配介入にあたるとするものである。

 

 JR東日本(神奈川)第一次国労バッチ事件・東京高判平11224判時1665130頁裁判所ウェブサイト(国労バッジ着用を理由とする863名に対し厳重注意または訓告処分、55名に対し夏季手当5%減額の措置をとったことが不当労働行為に当たるかが争われた)は、国労バッジ着用について「国労の組合員間の連帯感の昂揚、団結強化への士気の鼓舞という意味と作用を有するものと考えられるのであるから、それ自体職務の遂行に直接関係のない行動を就業時間中に行ったもので、たとえ職務の遂行に特段の支障を生じなかったとしても、労務の提供の態様においては、職務上の注意力のすべてを職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないという控訴人の社員としての職務専念義務に違反し、企業秩序を乱すものであるといわざるを得ない。‥‥本件組合バッジの着用は、本件就業規則三条一項、二〇条三項及び二三条に違反するものであった。したがって、控訴人が本件組合員らによるこれら本件就業規則違反をとがめて本件就業規則等にのっとり懲戒その他の不利益処分を行う権限を有することは、明らかである」としている点は、前記JR東海(新幹線支部)国労バッジ事件・東京高判平91030と同趣旨といえるので、実はこの判例も、服装闘争を規制する側に有益な判例なのである。

 

 しかしながら「使用者の行為が従業員の就業規則違反を理由としてされたもので、一見合理的かつ正当といい得るような面があるとしても、それが労働組合に対する団結権の否認ないし労働組合に対する嫌悪の意図を決定的な動機として行われたものと認められるときには、その使用者の行為は、これを全体的にみて,当該労働組合に対する支配介入に当たるものというべきである」と述べ、「敵意と嫌悪感を露骨に示す言動を繰り返し」バッジ取外しの指示・指導等は「執拗かつ臓烈なもので,平和的な説得の域を大きく逸脱するものであり」「就業規則の書き写しの作業などは,嫌がらせ」であり、「厳しい対決姿勢で臨んでいた国労を嫌悪し,組合から組合員を脱退させて,国労を弱体化し,ひいては‥‥排除しようとの意図の下にこれを決定的な動機として行われたもの」として不当労働行為(支配介入、労組法7条3号)にあたるとする。

 

 具体的に何を支配介入の論拠としているかだが、国労に対する敵意と嫌悪感を露骨に示す言動として、松田常務取締役の会社に対する反対派(国労)を断固として排除する旨の発言。住田社長の東鉄労との一企業一組合が望ましいとして、国労を攻撃し、このような迷える子羊を救って東鉄労の仲間に迎え入れていただきたいとして、東鉄労の組合員らに対し、国労組合員の国労からの脱退、東鉄労への加入を促す働き掛けを期待する発言など多くの根拠が示されている。

 

 この判断によれば、労働組合の正当な行為ではないから、直ちに不当労働行為にあたらないということにはならず、労組法7条3号の支配介入にあたることがありうることを示している。

 

 なるほど、国鉄の末期頃まで国労以外の組合員も組合バッジを付けていた。国鉄末期の八次に及ぶ職場規律の総点検でも組合バッジは問題にされていない。

 

 原判決東京地判平987判タ957114頁 (次節の第3類型)によれば動労委員長時代の松崎東鉄労委員長が「駄目な労働組合には消滅してもらうしかなく、駄目な組織はイジメ抜く」旨述べていたことと関連して、機関紙による組合バッジ着用呼び掛けにもかかわらず、東鉄労の組合員が組合バッジを着用しないことについては、原告と東鉄労との間で事前の話し合いが行われ、東鉄労が労使協調関係を維持するとともにこれを誇示し、あるいは国労の対決路線を際立たせる意図の下に、組合バッジ不着用を決定したことが窺われるとの見方が示されている。

 

 この趣旨からすると会社と多数組合が示し合わせて、少数組合を弱体化し追い詰める手段として組合バッジの取り締まりを行ったという図式になる。

 

 もっともJR東日本神奈川事件とは第一次から第四次まであり、JR東日本(神奈川)国労バッチ出勤停止処分事件・東京地判平24117労判106718頁は不当労働行為にあたらないとしているし、JR東日本(神奈川)国労バッチ減給処分等事件・東京高判平251128別冊中央労働時報145538頁は上記に引用したような脈絡で支配介入は認めていないから、労組法7条3項の支配介入にあたるかは裁判体によって異なった判断をとっている理解するほかない。

 

 仮に、JR東日本(神奈川)第一次国労バッチ事件・東京高判平11224に説得力があるとしても、引用した支配介入の根拠とされるものは、JR東日本の労務管理の特殊な事情であるから、一般論として使用者側に服装規制を委縮させるような性格のものではない。

 

 またJR東日本神奈川国労バッチ減給処分等事件・東京高判平251128別冊中央労働時報145538頁甲事件も前記第一次神奈川事件高裁判決と同類型ともいえる判例で、組合バッジ着用に対する不利益処分(労組法71号)の不当労働行為は認められないとする一方、平成143月以降の国労バッジ着用行為に対する極端な厳罰化は,国労バッジ着用を継続する国労内少数派が組合活動を行うことを嫌悪していた原告が,国労執行部の方針転換を認識するに至り、これを機に国労内少数派の勢力を減殺し,国労執行部の方針に加担したものと認められるので労対組法73号の支配介入にあたるとするものである。

 

  2つの高裁判決(JR東日本(神奈川)第一次国労バッジ事件・東京高判平11224判時1665130頁と、JR東日本(神奈川)国労バッチ減給処分等事件・東京高判平251128別冊中央労働時報145538頁)は決して労働組合に有利な判断を示したものではない。

 

 とくに後者は直近の高裁判決として注目してよい。これは原判決東京地判平25328別冊中央労働時報144317頁の判断を一部補正のうえ支持したものであるが、甲事件、乙事件とも労組法71項(不利益取扱い)にあたらないとする一方、甲事件について

 

7条3項(支配介入)にあたり不当労働行為にあたるとするものである。

 

 東京高判平251128は労組法71項の不当労働行為にあたらないとする説示は次のように述べている

 

「(2)不利益取扱い(労組法7条1号)の成否(正当性の有無)

 

 労組法7条1号の不当労働行為は,組合活動のうち,「正当な行為」について成立するので,以下,その正当性について検討する。

 

ア 就業規則との関係

 

 国鉄では,職場規律の乱れや巨額の赤字が問題となり,職場規律の乱れを是正するための措置が講じられるとともに,分割民営化による改革が進められることになる中で、JR東日本は、そのような状況にあった国鉄の事業の一部を引き継いで設立されたものであって、乱れていた職場規律等を正し、これを厳正に維持して、職場での事業執行の態勢を根本的に立て直すことが強く求められていたことや、JR東日本が行う鉄道事業は、多くの利用者の日常生活、社会経済活動に不可欠な公共性の高い事業であり,日々、不特定多数の利用者の生命、身体の安全に直結する性質の事業であることから、時刻表に沿った運転業務を安全かつ確実に遂行することができるように、従業員の職務専念義務を規定して適正な職務遂行を求め、これを服装面から規制することによって就業時間中の組合活動を原則として禁止するなどの就業規則を定めたことは,十分に合理性が認められるというべきである。

 

 そして,P1ら9名の国労バッジ着用行為は,職務専念義務について定める就業規則3条1項,社員の服装の整正について定める同20条3項,勤務時間中の組合活動を禁止する同23条にそれぞれ違反し,原則として,その正当性が否定されるものであると認められる。

 

イ 正当性に関する補助参加人らの主張について

 

 補助参加人らは,〔1〕国労バッジ着用は労務提供義務と矛盾なく両立し,業務阻害性はなく,職務専念義務,服装整正義務に違反するとはいえない,〔2〕国労バッジ着用の組合活動としての必要性等を考慮すれば,国労バッジ着用行為には正当性があると主張するので,以下検討する。

 

(ア)補助参加人らの主張〔1〕について

 

 本件就業規則3条1項に定める職務専念義務は,社員は,勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い職務にのみ従事しなければならないという職務専念義務を負うものであることを明らかにしたものであると解するのが相当である。

 

 そして,労働契約においては,労務の提供の態様において職務専念義務に違反しないことは労務契約の重要な要素となっているから,職務専念義務に違反することは企業秩序を乱すものであるというべきであり,その行為が服装の整正に反するものであれば,就業規則20条3項に違反するといわなければならないし,また,それが組合活動としてされた場合には,そのような勤務時間中の組合活動は就業規則23条に違反するものといわなければならない。

 

 P1ら9名の国労バッジ着用行為は,国労組合員の中でも国労バッジ着用を止める者が大多数となっていく中で,国労内少数派として着用を継続したものと認められるが,国労執行部ないしは原告に対し,国労内少数派としての意思を表明し,また国労内における多数派に対し,少数派との対立を意識させるものといえ,また同時に,国労組合員のうち,JR東日本による不利益処分を回避するために自らの意思で国労バッジの着用を取り止めた者に対して,不利益処分に屈せず,依然として国労執行部の上記方針に抗議し,反対の意思を表明するために国労バッジを着用している者がいることを示すとともに,任意に国労バッジの着用を断念した者を暗に非難し,精神的な負担をも感じさせる効果を併せ持つものであって,当該組合員が職務に精神的に集中することを妨げるおそれがあるものであるから,かかる行為は,勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職務遂行のために用い,職務にのみ従事しなければならないという従業員としての職務専念義務に違反し,また服装整正にも反するものとして,企業秩序を乱すものといわざるを得ない。

 

 補助参加人らは,国労バッジ着用に業務阻害性はないと主張するが,上記就業規則違反が成立するためには,現実に職務の遂行が阻害されるなどの具体的な実害の発生を必ずしも要件とするものではないと解するのが相当であり,補助参加人らの主張は採用することができない。‥‥‥‥

 

ウ 小括

 

 以上により,補助参加人らによる国労バッジ着用行為は,就業規則3条1項,20条3項,23条に反し,実質的に企業秩序を乱すおそれのない事情も認めることができず,正当性を認めることができない。

 

 よって,本件各処分等について,労組法7条1号の不当労働行為は認められない。」

 

 

 平成25年の判例でもBで引用した第1類型の判例と同じ説示をしており、JRとほぼ同様な就業規則を備えてさえいれば、春闘ワッペンが労働組合の正当な行為とされる余地はないことは明らかである。

 

 甲事件が労組法73項の支配介入と判断されたのは、社会通念上,許容される加重の範囲を逸脱して不相応に厳しい内容であって,行為と処分との均衡を失っているものと認められるときは,その加重された処分は社会的に許容されるものではないとしたうえで、以前の処分と比較して量定、頻度において極端に加重されており、均衡を欠き、他の非違行為に対する処分との不均衡だったためである。類似した判例としては、国・中労委(医療法人光仁会)東京高判平21119労判100194頁がある。組合分会長が106日間にわたって病院正門の左右に計4~5本、赤地に白抜きで「団結」等と記された組合旗を無許可で設置した事案だが、組合旗設置を正当な組合活動ということはできず懲戒処分を行うこと自体は不相当とはいえないが、停職3か月、その間、賃金不支給、本件病院敷地内立入禁止という懲戒処分は、懲戒事由(本件組合旗設置)に比して著しく過重であって相当性を欠くものであり、組合活動に対する嫌悪を主たる動機としてなされたものとして不当労働行為(労組法7条3号の支配介入)に該当するとした。

 

 要するに、就業規則違反の組合活動については、使用者に受忍義務はないし、懲戒処分に付すことができるが、懲戒事由と比して著しく過重な量定の処分は、組合活動に対する嫌悪を主たる動機とみなされ支配介入にされてしまうことがあるので注意を要するということである。

 しかしその点を留意して、適切な量定の不利益処分は否定していないということであるから、JR東日本(神奈川)国労バッチ減給処分等事件という最新の判例は、服装闘争を規制する側にとって有益なものといえる。

 

 

 

D 国労バッジ事件等でバッジ着用等が正当な行為とした判例も少数あるが、いずれも地裁判例であり控訴審でその判断は否定されている。

 

 

 

 予想される、労働組合側の反論として、国労バッジ判例には、正当な行為とした判例もある反論もありうるが、再反論すれば、全体からすれば少数であり、地裁の判断で、控訴審では否定されていることである。

 

 まず、JR西日本(国労広島地本)国労バッジ事件・ 広島地判平51012判タ851201頁は、「組合バッジの着用行為は、形式的には就業規則二〇条に違反するものの、保護されるべき正当な組合活動である」とした。これを第3の類型と分類してもよい。 しかし控訴審の広島高判平10430判タ977124頁裁判所ウェブサイト一部破棄自判、一部棄却で、目黒局判決のような厳格な職務専念義務論を否定しつつも「職務専念義務違反とならない例外に該当する場合とはいえない。‥‥組合バッジ着用行為を本件減率査定事由としたことから直ちにそのことが不当労働行為に該当するとはいえないが、それは他の事情との衡量のなかで相対的に考慮されなければならないものと解すべきである」とやや曖昧な判断を示しつつ、組合バッジの着用行為はそれのみでは減率の理由として相当でないとしているが、大型バッジを着用して勤務した行為は小型のバッジについて述べた以上に減率事由となるとしている。大型バッジとは布製のもので、通称「くまんばち」と呼ばれ、縦2.6cm、横2.8㎝と大きく、これは主に何らかの闘争時などを中心に着用された。この大型バッジについては、国鉄当局がワッペンとみなして規制していたものであり、少なくともワッペン状のものは正当な行為としていない含意がある。

 

 広島高裁の判断は、これまで引用してきた東京高裁の判断と比較するとぬるく、異色の判例だが、少なくとも地裁が説示した組合の正当な行為とした点は是認していない。

 

 次に第3の類型といえるのは、JR東日本神奈川国労バッチ事件・東京地判平987判タ957114頁 であるが、組合バッジ着用を理由とする厳重注意、訓告処分、夏季手当減額等を不当労働行為とした神奈川県地労委の救済命令を是認し、組合バッジの着用は、就業規則に違反せず、組合活動としての正当性を認めている。ただし、不当労働行為は7条1項ではなく7条3項(支配介入」に該当するとしている。

 

 しかし控訴審の東京高判平11224判時1665130頁裁判所ウェブサイトは、棄却結論において一審の判断を維持したとされるが、既に引用したとおり、本件組合バッジの着用行為を正当な行為とし説示していない。本件就業規則203項、23条及び31項にそれぞれ違反するものであり、職場内の秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるとは到底いえないとし、本件就業規則違反をとがめて懲戒その他の不利益処分を行う権限を有することは、明らかであるとしたうえで、しかしながら国労を嫌悪し,組合員を脱退させ弱体化させようとの意図の下にそれを決定的な動機としてバッジの取り外し、指導を行ったものとして不当労働行為(支配介入・労組法7条3号)にあたるとした判例である。

 

 その他の国労バッジ事件判例の多くは、組合バッジの着用行為は就業規則違反として禁止できるとしていることは既に述べたとおりである。

 

 関連して組合グッズ事件としては、本荘保線区国労ベルト事件・ 秋田地判平21214労判69028頁か、羽越本線出戸駅信号場構内で作業を行っていた国労組合員が、上着を脱いだ状態で、バックルに国労マークの入ったベルトを着用していたところ、ベルトを取り外すよう命じられ、さらに就業規則の書き写し等を内容とする教育訓練を命じた事案であるが、ベルトの着用は、就業規則三条の職務専念義務に違反するものではないとしたうえで、本件教育訓練はしごきであって、正当な業務命令の裁量の範囲を明らかに逸脱した違法があるとし、二十万円の慰謝料を認めた。

 

 控訴審仙台高判秋田支部平41225労判69013頁も原審を維持、上告審最二小判平8223労判69012頁も棄却している。しかし国労マークのバックルのあるベルトと、団結示威行為で「春闘」と記載されているワッペンと同列に扱える事案とはいえない。

 

 このほか神戸陸運事件 神戸地判平9930労判72680頁本件腕章着用乗務行為は、労務を誠実に遂行する義務に違反するものでなく、正当な組合活動の範囲内の行為とし、腕章着用等を理由に乗務を拒否(労務受領拒否)したことを不当労働行為と認め、バックペイ等を命じた地労委の救済命令を適法としている。しかし私鉄総連ワッペンを着用の事案は労務受領拒否の事案と異なるし、同様の事案で違法とする判例も多い。神田郵便局腕章事件 東京地判昭49527労民集253236頁勤務中に赤地に白く「全逓神田支部」と染め抜いた腕章を着用した行為は就業規則に違反し、職務専念義務に違反する。取外し命令を拒否したことを理由としてされた郵便課窓口係から同課通常係への担務変更命令が適法としたうえで、担務変更命令を無視して職務放棄をしたことによる減給処分を適法と判示し、控訴審東京高判昭51225訟務月報223740頁も原審の判断を支持。三井鉱山賃金カット事件・福岡地判昭46315労民集222268は「不当処分反対、三川通勤イヤ!」「抵抗なくして安全なし」等と書きつけた組合員のゼッケンの着用が、就業時間中の会社構内における情宣等を禁止する労働協約の条項に違反し、正当な組合活動とはいえないと判示した。沖縄全軍労事件・那覇地判昭51421労民集272228は在日米軍基地の従業員が赤布の鉢巻を着用して労務を提供することは、雇用契約上の債務の本旨に従った履行の提供とはいえないとして賃金カットを適法と認めた。控訴審福岡高那覇支判昭53413労民集292253も一審を支持している。

 

 いずれにせよ、JR東海新幹線支部国労バッジ事件・東京高判平91030判時1626388頁のほか引用した多くの判例が労働組合の正当な行為とはみなしていないのだから、十分再反論可能である。

 

 

5 春闘ワッペンを取り締まるには実務的には就業規則の整備を行うのが堅実

 

 

()実務的には企業秩序論にもとづいた就業規則違反として取り締まる運用が堅実

 

 

 

 我が国の労組法は、労働組合の資格要件や労働委員会制度など詳細に規定するが、集団的労働法上の実体的な権利義務についての記述は多くなく、団体行動(組合活動及び争議行為)の中心テーマである正当性をめぐる問題その他、大部分が判例・学説の解釈に委ねられている。不当労働行為制度によって保護される正当な組合活動か否かも、労働委員会の命令以外に救済命令取消訴訟の膨大な蓄積があり、結局のところ判例の分析によって、何が正当な行為か否かを判断することになる。

 

 従って労働関係は実定法というより、裁判所が案出した判例法理によって争われることが多いのであるが、企業秩序定立維持権がその典型例といえる。

 

 中嶋士元也 は企業秩序論の内容範囲機能を次の5点にまとめている。

 

1.服務規定・懲戒規定設定権限

 

2.企業秩序維持権限にもとづく具体的指示命令権

 

1)労務提供への規律機能

 

(イ)労働者の職務専念義務の発生

 

(ロ)他人の職務専念義務への妨害抑制義務

 

(2)労務履行に関する附随機能(信義則機能)

 

(3)秩序違反予防回復の機能

 

3.施設管理の機能

 

4.企業秩序違反の効果(懲戒機能)

 

5.その他の機能

 

(中嶋士元也 「最高裁における『企業秩序論』」『季刊労働法』1571992)

 

 いずれも法的常識の範囲にあるものとして評価されており、企業秩序論はリーディングケースより40年を経て、判例法理としては安定的に維持され定着している。

 

 富士重工業原水禁運動調査事件・最三小昭521213民集3171037は、「労働者は‥‥労務提供義務を負うとともに、これに付随して、企業秩序遵守義務その他の義務を負う」と判示した。

 

 国労札幌地本ビラ貼り戒告事件最三小判昭541030民集336676は、要約していえば使用者の権限として経営内の施設利用について企業秩序に服することを労働者に要求する権利を認めた判決である。使用者はその行為者に対して行為の中止を求めることできる。原状回復等、必要な指示命令ができる。懲戒処分もなしうる。ただし使用者に「施設管理権」の濫用と認められる特段の事情がある場合は別で、それを除いて無許諾の組合活動は正当な行為として認められないということである。いわゆる施設管理権の指導判例であるが、使用者が許諾しない企業施設内組合活動は、必要性が大きいこと、具体的な業務阻害がないことをもって正当化されないこと、受忍義務説を否定し法益権衡的な調整的アプローチはとらないことを明確にした卓越した判例法理である。

 

 要するに組合活動の規制という観点で最も重要な先例は国労札幌地本ビラ貼り戒告事件最三小判昭541030民集336676である。被引用判例が非常に多い、この判例を引用することによって、それが勤務時間中であれ、時間外であれ、企業施設内での無許諾組合活動に対する中止命令、不利益処分は、労組法7条1項の不当労働行為には当たらない、正当な組合活動ではないと主張できる。

 

 しかも企業秩序定立権の射程は広く、施設管理権にとどまるものでなく包括的広範である。

 

 関西電力社宅ビラ配布事件・最一小判昭5898判時1094121頁裁判所ウェブサイトは、「労働者は、労働契約を締結して雇用されることによって、使用者に対して労務提供義務を負うとともに、企業秩序を遵守すべき義務を負い、使用者は、広く企業秩序を維持し、もって企業の円滑な運営を図るために、その雇用する労働者の企業秩序違反行為を理由として、当該労働者に対し、一種制裁罰である懲戒を課することができる」と判示しているとおりである。関西電力事件判決は企業秩序論が包括的広範にわたることを示している。

 

 従って、服装闘争も企業秩序論の脈絡によって規制することは当然できる。実際JR東海新幹線支部国労バッジ事件・東京高判平91030等国労バッジ判例も、労働契約上の誠実労働義務に反するという言及があるが、企業秩序論の脈絡からバッジ着用をたんに形式的な就業規則違反にとどまらず、実質的に企業秩序をみだすものであるから、不利益措置を適法とした判例といってよい。

 

 ただし最高裁は、懲戒処分を行うには就業規則の記載(国労札幌地本ビラ貼り戒告事件最三小判昭541030)と周知(フジ興産事件最二小判平151010判時1840144)が必要としているので就業規則が整備されていることが前提になる。

 

 就業規則の記載の有無は重要である。

 

 例えば目黒電報電話局反戦プレート事件・最三小判昭521213民集317974は、就業規則で局所内での政治活動を禁止しているので戒告処分を適法とした。しかし明治乳業福岡工場事件・昭58111判時1100511頁は、昼の休憩時間に食堂において赤旗号外や共産党の参議院議員選挙法定ビラを手渡しまたは食卓に静かに置くという態様のビラ配り事案だが、就業規則で政治活動を禁止していないためたんにビラ配りの問題として扱われ、工場内の秩序を乱すことのない特別の事情が認められ戒告処分は無効とされている。しかし規則で明文規定があれば違った判断となった可能性があるのである。

 

 もとより、労働契約法15条は懲戒権濫用法理を規定するが、国労バッジ事件で近年の高裁判例である東京高判平251128でも「鉄道事業は、多くの利用者の日常生活、社会経済活動に不可欠な公共性の高い事業であり,日々、不特定多数の利用者の生命、身体の安全に直結する性質の事業であることから‥‥、従業員の職務専念義務を規定して適正な職務遂行を求め、これを服装面から規制することによって就業時間中の組合活動を原則として禁止するなどの就業規則を定めたことは,十分に合理性が認められる 」と判示しており、 JRと同様の就業規則を備えれば、適切な量定の、措置、懲戒処分ならば不当労働行為とされることはないということは、確実にいえる。

 

 要するに、判例法理の進展によって、リボンであれ腕章であれ、ワッペンであれ、服装闘争の規制は容易なのである。就業規則もしくは労働協約でそれを禁止すれば、外堀を埋め、王手をかけたのも同然といえる。

 

 

 

(2)民鉄の就業規則はJRと比較して緩すぎるのではないか

 

 企業が企業秩序定立維持権を発動し、社員に企業秩序遵守義務を課すには、就業規則あるいは労働協約を整備していく必要がある。そこで民鉄の実情について検討してもることとする。

 

 一般に就業規則をネットで公開している企業はあまりないように思える。ただし判例や労働委員会の命令書のデータベースで関連部分のみが引用されている場合があるので、引用が可能である。

 

 データベースでJRのほか私鉄大手も検索したが、JRの就業規則の関連部分は下記のように引用できるが、民鉄の就業規則で知りたい部分(服装規定、職務専念義務関連、無許可組合活動)は、なかなかヒットしなかった。

 

 辛うじて、東急についてはバス部門の社員の狭山事件裁判に関するプレート事件や、脱帽乗務の判例があるため、服装の就業規則に言及しているが、その他の会社はほとんど不明なのである。

 

 以下、判例等で引用されている就業規則を記載する。

 

 

JRグルーブの就業規則

 

 

 

 (服務の根本基準)

 

第三条 社員は、会社事業の社会的意義を自覚し、会社の発展に寄与するために、自己の本分を守り、会社の命に服し、法令、規程等を遵守し、全力をあげてその職務の遂行に専念しなければならない。

 

2(略)

 

(服装の整正)

 

第二〇条 制服等の定めのある社員は、勤務時間中、所定の制服等を着用しなければならない。

 

2 社員は、制服等の着用にあたっては、常に端正に着用するよう努めなければならない。

 

3 社員は、勤務時間中に又は会社施設内で会社の認める以外の胸章、腕章等を着用してはならない。

 

(会社施設内等における集会,政治活動等)

 

第二二条一項 社員は、会社が許可した場合のほか、会社施設内において、演説、集会、貼紙、掲示、ビラの配付その他これに類する行為をしてはならない

 

(勤務時間中等の組合活動)

 

第二三条 社員は、会社が許可した場合のほか、勤務時間中に又は会社施設内で、組合活動を行ってはならない。

 

(懲戒の基準)

 

第一四〇条 社員が次の各号の一に該当する行為を行った場合は、懲戒する。

 

(1)法令、会社の諸規程等に違反した場合

 

(2)上長の業務命令に服従しなかった場合

 

(3)職務上の規律を乱した場合

 

(4)ないし(12)(略)

 

(懲戒の種類)

 

第一四一条 懲戒の種類は次のとおりとする。

 

(1)ないし(3)(略)

 

(4)減給 賃金の一部を減じ、将来を戒める。

 

(5)戒告 厳重に注意し、将来を戒める。

 

2 懲戒を行う程度に至らないものは訓告する。

 

(二)原告の賃金規程のうち、期末手当の額の減額に関連する規定は、次のとおりとなっている(昭和六三年八月人達第一二号による改正前)。

 

(調査期間)

 

第一四二条 調査期間は、夏季手当については前年一二月一日から五月三一日まで、年末手当については六月一日から一一月三〇日までとする。

 

(支給額)

 

第一四三条 期末手当の支給額は、次の算式により算定して得た額とし、基準額については、別に定めるところによる。

 

基準額×(1-期間率±成績率)=支給額

 

(成績率)

 

第一四五条 第一四三条に規定する成績率は、調査期間内における勤務成績により増額、又は減額する割合とする。

 

2(略)

 

3 成績率(減額)は、調査期間内における懲戒処分及び勤務成績に応じて、次のとおりとする。

 

ア 出勤停止 一〇/一〇〇減

 

イ 減給、戒告、訓告及び勤務成績が良好でない者五/一〇〇減

 

(三)また、賃金規程のうち、昇給号俸からの減号俸に関連する規定は、次のとおりとなっている。

 

(昇給の所要期間及び昇給額)

 

第二二条 昇給の所要期間は一年とし、その昇給は、四号俸(以下「所定昇給号俸」という。)以内とする。(略)

 

2(略)

 

(昇給の欠格条項)

 

第二四条 昇給所要期間内において、別表第八に掲げる昇給欠格条項(以下「欠格条項」という。)に該当する場合は、当該欠格条項について定める号俸を昇給号俸から減ずる。(略)

 

2(略)

 

別表第八(第二四条)昇給欠格条項

 

1(略)

 

2懲戒処分

 

処分一回につき 所定昇給号俸の一/四減

 

(略)

 

3 訓告

 

二回以上 所定昇給号俸の一/四減

 

4 勤務成績が特に良好でない者 所定昇給号俸の一/四以上減

 

 「勤務成績が特に良好でない者」とは、平素社員としての自覚に欠ける者、勤労意欲、執務態度、知識、技能、適格性、協調性等他に比し著しく遜色のある者をいう。

 

 

 

(引用-JR東日本(神奈川・国労バッジ)事件・横浜地判平9・8・7判タ957号114頁、JR東海(懲戒解雇)事件・大阪地判平12・3・29労判790号66頁)

 

 

B JR西日本の契約社員の就業規則

 

 

(会社施設内等における集会,政治活動等)

 

第22条 社員は,会社が許可した場合のほか,会社施設内において,演説,集会,貼紙,掲示,ビラの配付その他これに類する行為をしてはならない。

 

2 社員は,勤務時間中に又は会社施設内で,選挙運動その他の政治活動を行ってはならない。

 

(勤務時間中等の組合活動)

 

第23条 社員は,会社が許可した場合のほか,勤務時間中に又は会社施設内で,組合活動を行ってはならない。

 

(イ)勤務の厳正及び出勤

 

(勤務の厳正)

 

第7条 社員は,みだりに欠勤し,遅刻し,若しくは早退し,又は会社の許可を得ないで,執務場所を離れ,勤務時間を変更し,若しくは職務を交換してはならない。

 

(出勤)

 

第8条 社員は,始業時刻前に出勤し,出勤したことを自ら会社に届け出なければならない。ただし,会社の許可を得た場合はこの限りでない。

 

2 社員は,始業時刻には,会社の指示する場所において,実作業に就かなければならない。

 

3 会社は,社員が始業時刻に遅れて出勤した場合は,就業させないことがある。

 

ウ 契約社員に対する懲戒

 

 契約社員に対する懲戒の基準等について,契約社員就業規則は,次のとおり規定している。

 

(懲戒の基準)

 

第29条 契約社員が次の各号の1に該当する行為を行った場合は,戒告する。

 

(1)法令,会社の諸規程等に違反した場合

 

(2)~(14)(略)

 

2 契約社員が次の各号の1に該当する行為を行った場合は,懲戒解雇する。ただし,情状によっては,戒告することがある。

 

(1)法令,会社の諸規程等に著しく違反した場合

 

(2)~(14)(略)

 

(懲戒の種類)

 

第30条 懲戒の種類は,次のとおりとする。

 

(1)懲戒解雇

 

(2)戒告

 

 

 

(出所 JR西日本(動労西日本戒告処分等)事件東京地判268・25労働判例1104号26頁}

 

 

C 東京急行電鉄の昭和54年当時の就業規則

 

 第八条 従業員は会社の諸規定および上長の指示にしたがい、上長は所属員の人格を尊重して、誠実にその義務を遂行しなければならない。

 

第九条 従業員は、勤務時間中所定の社員章または制服制帽を着用しなければならない。

 

第九六条一項従業員は、安全管理者その他関係者の指示にしたがい、別に定める安全作業心得を守り、常に職場を整理整頓し災害防止に努めなければならない。

 

安全作業心得の四条で「帽子は正しくかぶり、服の釦は全部掛け、上衣のポケツトの蓋は外に出し、常にキチンとした服装で働くこと。……腰に手拭を下げたり、その他不要のものを身につけないこと。」

 

 

 

(東京急行電鉄自動車部淡島営業所プレート事件・東京地判昭60826労民集36巻4・5号558頁)

 

 

 

 

D 東急バスの就業規則

 

 

 

八条

 

 従業員は、会社の諸規程及び上長の指示に従い、上長は所属員の人格を尊重して誠実にその業務を遂行しなければならない。

 

九条

 

 従業員は、勤務時間中、所定の社員章又は制服制帽を着用しなければならない。

 

 

 

一二三条(懲戒の種類)は、「故意または過失により業務の正常な運営を阻害しまたは会社の信用を傷つけあるいは不正を行ったときは懲戒する。懲戒を分けて次の譴責、減給、停職、降職、解雇の五種とする」として、各懲戒につき次のとおり定めている。 

 

1.譴責は、不都合な行為を責めて将来を戒める。

 

2.減給は、不都合な行為を責めて、一回につき平均賃金の一日分の二分の一以内を減給する。(以下略)

 

3.停職は、不都合な行為を責めて、一五日以内業務の執行停止を命じ、かつ、その間の賃金を支給しない。この期間は欠勤の取扱いとする。

 

4.降職は、不都合な行為を責めて、現在以下の職務に変更する。

 

5.解雇は、不都合な行為を責めて解雇する。

 

 また、同一二四条(懲戒解雇基準)は、「会社は、従業員が次の一に該当する行為をしたときは懲戒解雇する」として、一ないし二〇号の項目を掲げ、同一二五条(解雇以外の懲戒基準)は、「前条各号に該当する行為といえども軽微なとき、または情状酌量の余地あるときは、その行為の軽重に従って降職以下の懲戒に処する」と定める。

 

 一二四条各号のうち、本件に関係するものは次のとおりである。

 

1.服務規律に違反し、その罪状が重いかまたは改しゅんの見込みのないとき。

 

4.直接間接を問わず業務の正常かつ円滑な運営を阻害する重大な事故を起こしたとき。

 

5.正当な理由なしに会社の業務命令を拒否したとき

 

17.数回懲戒をうけたにもかかわらず、なお改しゅんの見込みがないとき。

 

19.その他会社の諸規程、令達または指示に違反したとき。

 

 

 

運輸部係員服務規程五六条二項

 

 自動車運転士の服務については、別に定める自動車運転士作業基準を基本としなければならない。

 

自動車運転士作業基準

 

 乗務服装・注意事項(1)帽子は正しく

 

(出所 東急バス(チェック・オフ停止等)事件・東京地判平18614労判923号68頁 東急バス脱帽乗務譴責処分等無効確認請求事件・東京地判平10・10・29労判754号43頁)

 

 

 

E 東京メトロ就業規則

 

 

 

ア 被告の社員に職務の内外を問わず被告の名誉を損ないまたは被告の社員としての体面を汚す行為があったときは,被告会社の社長が当該社員を懲戒する。

 

イ 懲戒は,懲戒解雇,諭旨解雇,停職,減給,けん責の5種とする。 

 

ウ 諭旨解雇は,予告期間を設けないで即時解雇する。

 

エ 懲戒は,懲戒委員会の議を経ることを要する。

 

オ 懲戒委員会に関する規則は,本件就業規則とは別に定める。

 

カ 被告の社員は,必要があって解雇されたときは,被告の社員の身分を失う。

 

ア 本件懲戒委員会規則は,本件就業規則に規定する懲戒委員会の運営について,必要な事項を定める。

 

イ 懲戒委員会で必要と認めたときは,関係社員を出席させて説明を求めることができる。

 

 

 

(出所 東京メトロ痴漢行為諭旨解雇処分事件・東京地決平26・8・12労働経済判例速報2273号3頁)

 

 F 京王電鉄バスの就業規則

 

 

 

 社員に対する懲戒事由として,「会社の諸規則又は職務上の義務に違反し,秩序を乱したとき」(116条1号),「正当な理由なく,業務に関する上長の指示に従わなかったとき」(同条3号),「他人を教唆扇動して業務の妨害をさせたとき」(同条5号),「業務上,越権専断の行為をなし,職場の秩序を乱したとき」(同条12号)などを定めている。懲戒処分の種類は,懲戒解雇,諭旨解雇,降職(職務,資格を下げること),停職(10労働日以内出勤を停止し,その期間賃金を支給しないこと),減給,譴責,訓戒を定めている(117条)。また,上長は懲戒に該当すると認めた者及び懲戒処分審議中の者に対して,その職務の執行又は出勤を停止できること(120条),上長は社員に懲戒を要すると認める行為があったときは直ちに本人に始末書を提出させ,事情を具して上申しなければならないこと(122条),その場合,本人及び関係者を呼び出して審問することができること(123条)も定められている。社員は酒気を帯びて勤務についてはならないこと(20条),社員は業務上の都合により転勤・転職又は出向を命ぜられること(21条1項)も定められている(乙1)

 

 

(引用 京王電鉄バス事件・東京地判平29・3・10TKC)

 

 

 

G 神奈川中央バス就業規則

 

 

 

ア 就業規則 『第2章 服務 第1節 服務規律 (服務の原則) 第8条 従業員は、その職務に関して会社の諸規則を誠実に守り、 所属長(課長以上の者および所長をいう。以下同じ。)の指示に 従い互いに協力し、その職責を遂行するとともに職場秩序の保持 に務めなければならない。 2 (省略) 第9条 (省略) (制服および制帽の着用) 第10条 制服および制帽を貸与された従業員は、労働時間中必ずこれを着用しなければならない。』

 

 イ 服務規程 『(自 覚) 第3条 乗務員等は、事業の公共性を認識し、職責の重要性を自覚 して誠実に職務を遂行しなければならない。 第4条 (省略) (秩序の保持) 第5条 乗務員等は、所属長の指示命令に従って職場の秩序保持に 努めなければならない。 第6条 (省略) (遵守事項) 第7条 乗務員等は、勤務に際し、次に掲げる事項を遵守しなければならない。 (1)(4) (省略) (5) 勤務時間中は、必ず制服及び制帽を着用すること。』

 

 『(指差呼称) 第27条 運転士は事故防止に万全を期すため、次に掲げる各号の指

 

差呼称を行い、安全を確認しなければならない。 (1) 各運行系統の起点および各停留所発車時ならびにこれに準ずる場合「左よし」「前方よし」「右よし」 (2) 交差点にて信号待ちから発車する場合 直進時「前方よし」 右左折時「右よし」または「左よし」 (3) 呼称の実施 イ 走行中の交差点手前 直進時「前方よし」 右左折時「右よし」または「左よし」 ロ 走行中の交差点重複確認 右左折時「右よし」または「左よし」』

 

 ウ 懲戒規程 『第9条 次の各号の1に該当するときは、譴責、減給、出勤停止、 昇給停止もしくは降職に処する。ただし、情状により所属長の訓 戒のみにとどめることができる。 (1)(3) (省略) (4) 業務上不正な行為があったとき。 (5) 社内の風紀秩序を乱す行為のあったとき。 (6) 会社の諸規則、令達に違反したとき。 (7) 業務上の指示命令に違反したとき。 (8) 業務上の権限を濫用したとき。 (9) 社員として、会社の体面を汚す行為のあったとき。 (10) その他前各号に準ずると認められたとき。 第10条 次の各号の1に該当するときは、懲戒解雇、降職、昇給停 止もしくは出勤停止に処する。 (1) 正当な理由なく、無断欠勤連続15日に及んだとき。 (2) (省略) (3) 業務上の指示命令に従わず業務の秩序を乱したとき。 (4) 業務に関し、故意または重大な過失により事故を発生し会社 に損害を与えたとき。 (5) 業務の内外を問わず犯罪行為のあったとき。 (6)(7) (省略) (8) 前条の各号に該当し懲戒を受け、なお改悛の見込みのないと き、および2年以内に再び前条に該当する行為のあったとき。

 

 (9) 前条第4号乃至第9号に該当し、その程度の重い者。 (10) その他前各号に準ずると認められたとき

 

 

 

(引用 中労委データベースより 神奈川、平4不13、平7.9.13

 

 

 

刑法改正 不同意性交罪の名称変更、刑法177条の性交同意年齢引上げ13→16歳に強く反対

 雰囲気としては同意を強調しすぎて、素人童貞が増えそうな感じでよくない。接吻したら流れでCまで行ったのに不同意なんていわれたら大変だ。性行為のシチュエーションはいろいろあるから、女性側を過剰に保護しているのでは。
 スウェーデンがモデルというのは標準的といえるのか。
 ローマ法や古典カノン法の婚姻適齢が男14、女12歳、教会法学者は心理的に成熟していれば12歳未満も可とし、唐や日本の令制も数えの13歳なので同じ。法定強姦罪も近世にはイギリスでは10歳まで引き下げられたこともある。初潮等性的に成熟し、心理的にも大人っぽさのある年齢ならよいはず。性的自己決定権も尊重されるべき経験則から中学校3年や高校1年は相当大人っぽく、初体験する人もそこそこいる。13~15歳は年齢差五歳までは犯罪にしないといっても、六歳差では犯罪になるのは合点しない。それは淫行条例なのでカバーしている事柄であり、早熟で、奔放、ヤリマンタイプの女性がいてもよいはずである。21歳と15歳の性交はふつうにありうるに犯罪にしてしまうのはどうか。19世紀以降欧米で法定強姦罪の年齢が高めに設定、例えばカリフォルニア州は18歳なのは、良家の娘の貞操を守るためだが、法律は民衆レベルに合わせるべきである。


 13歳が性交同意年齢としているのは歴史的な根拠がある

〇令制 養老令(戸令聴婚嫁条) 男15歳、女13歳(数え年、唐永徽令の継受)

 令制の規定は明治時代まで意味をもっていた。

 民間の習俗としては、子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。中世の武家は9歳で鉄漿つけ、眉毛を抜いて元服したというが、17世紀頃は、「十三鉄漿つけ」の語の伝存するように、満年齢の11~12歳初潮をみるころが折目とみられる。十三参り、十三祝は初潮をみての縁起習俗とみられる【渡邊昭五『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004年142-143頁】。我国では赤い腰巻着用が成女のしるしだった。早乙女が田植えで赤い腰巻をチラリと見せるのは性交同意年齢に達したことを誇示しているためである。それがだいたい13歳ということである 。成女式は徳川時代においておよそ13~14歳程度とみられる。令制の婚姻適齢は踏襲されている。ただし徳川時代の皇族の裳着は比較的高く16歳である。

〇明治初期より中期 婚姻適齢の成文法なし

 改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた【小木新造『東京庶民生活史研究』日本放送協会1979年 309頁 市川正一「男女婚嫁ノ年齢ヲ論ス」1881年6月『東京雑誌』第一号】。

〇明治民法婚姻適齢(明治31年1898施行)は婚姻適齢男17歳、女15歳。女15歳は母胎の健康保持という医学上の見地。

2023/02/18

ロックナー判決再評価論1

 安倍内閣の働き方改革関連法の一環で、2024年4月からトラック運転手の残業の上限時間が、年間960時間に制限されされる結果、シンクタンクによると全国の荷物総量のうち2025年には約28%、2030年には約35%が運べなくなるという。
 トラック運転手は労働時間規制を望んでもいないのに、給料が減るので離職、人手不足、物流コストが上昇する、消費者にとって不便な社会になる。すでに今年は電気料金の値上げもあるうえ、こんなバカげたことはないのではないか。
 
 この問題の批判は1906年の有名なロックナー判決(後に判例変更)の引用が適切「使用者と労働者の双方が最上と考える就労に関して契約する個人の権利への違法な介入である。 本件起訴の根拠となり、上告人ロックナーが有罪とされた制定法の条項に定められた労働時間の制限‥‥その真の目的は使用者と労働者との間で就労時間を労働者の健康にとって何ら現実的で実質的に有害でない私的ビジネスにおいてただ単に制限することであったように思われる。」
 安倍は電通の東大出女子社員の自殺を重視し、男女共同参画での男性の長時間労働敵視の方針からEU並みに労働時間を規制するとぶちあげてやったのが働き方改革である。とんでも政策だった。
 経済的自由の規制ならなんでもできるようになったのはアメリカ合衆国において1937年憲法革命(ウェストコーストホテル事件が最低賃金法を合憲として1923アドキンズ判決を判例変更)であり、経済的自由を規制する立法は緩やかな司法審査となり違憲とされることはほとんどなくなったのである。それは他の国でも同じである。近年では我国でも、2020年4月に准ロックダウンがあった。パチンコ屋から本屋から、百貨店からにスポーツジムまで事実上休業していたように記憶している。飲食店はついてはその後の「マンボー」も含めて、事実上の営業時間等規制が長期に行われた。私は小池知事の県境またぎの旅行自粛にしたがって1ミリも県境を越えてないんです。旅行業や鉄道、航空は大打撃でした。経済的自由の規制が非常に安易に行われた、というよりも小池知事がロックダウンもありと発言すると世論は支持し、国民の多くが規制と不自由を望みました。
 しかしこれは経験則にない経済活動の規制で、感染症でこれほど大きい規模のものは前例を知らない。
 しかし憲法革命以前、契約の自由といった経済的自由に介入する立法に実体的デュープロセスにより歯止めがあったことはよく知られてます。
 とりわけ1906年のロックナー判決(パン製造業に週60時間以上の労働時間を規制する州法を違憲)や1923年アドキンズ判決(最低賃金法を違憲)が代表的ですが、Lochner 判決においては、ニュー・ヨーク州法による労働時間規制はポリス・パワーの(一般統治権)の目的である市民の健康や安全とは無関係であるとされ、それゆえに同法は契約の自由を侵害し違憲と判断された
 Lochner 判決は法律は立法目的に対する手段として、より直接的な関連を持たなければならなず、且つ目的そのものが適正で正当appropriate and legitimateでなければならないとした。これは中間審査基準といわれるものです。仮にもしこの司法審査を適用すると、緊急事態宣言下やマンボーでの営業規制は、営業規制しなければ国民の保健、公衆衛生で有害である根拠は薄弱なので違憲になると思う。
 私の知見によれば、1月の段階ですでに新型コロナウイルスの武漢株は蔓延しており、集団免疫ができていた。もともと、日本人は土着のコロナウイルスの免疫があって、欧米人よりコロナに強く重症化しない。4月の緊急事態宣言より前にピークアウトしていて、人流抑制は必要なく、なにもしなければ、流行は終わっていた。
 私はオールドコートの時代のレッセフェール立憲主義がよかったと思ってます。
 清水潤「コモン・ロー,憲法,自由(5)」中央ロージャーナル第 15 巻第 1 号(2018)によれば、オールドコートの裁判官は、コモン・ロー上,ニューサンスとなりえない行為に対する制約は違憲であるが,もともとコモン・ロー上ニューサンスとして認定されてきた(あるいは先例との類推から,新しくニューサンスとして認定されうる)行為を立法にてあらためて禁止することは合憲であるとの憲法理論をとってます。
 緊急事態宣言下で店舗を営業することがニューサンスとはいえない。続く
 

2023/02/12

LGBT法案に絶対反対

 国会議員へ

 男女の和合、ヘテロセクシャルが文明の規範であり、それ以外の見解を容認し難い。LGBT法案は道徳的基盤を揺るがす悪法だ

 天下静溢・四界安全のためLGBTQ法案はやらないほうが良い

 

 取るに足りない者が恐る恐る謹んで上申します。

 理解増進法であれなんであれ、いかなる名目であれ法案に強く反対、ノイジーマイノリティーにふりまわされる理由はない、LGBT運動による改革の煽動は、至福千年の道徳的教訓を否認し、古典的価値を駆逐して、霊性の向上、死後の安寧のために教義、戒律に従い清く正しく生きる善良な人々を愚弄することになるので容認しがたい。

 岸田首相は自民党三役にLGBT法案を前向きに準備するよう三役に指示したと報道されているが私は法案に絶対反対である。サミット開催のためだというが、そもそも五輪開催にあわせた法案だったはずで、五輪は終わったのでもう必要ない。。ソチ五輪でEU首脳が問題視したのはロシアの「同性愛宣伝禁止法」であり、我が国にはもともと男色行為は犯罪ではなかったし、我が国では、同性愛者を敵視、虐待する文化的背景はなく、戦国時代の念友をピークとする男色(若俗)文化が存在した。左大臣藤原頼長が讃丸との行為で同時発射したのは至高の快楽と台記に記しているとおりである。近年EU基本権庁が問題視したのはチェコの亡命手続きで、同性愛者という申告を確認するために、異性間のポルノグラフィを見せて、陰茎容積測定をすることがプライバシー侵害というものである(山本直『EU共同体のゆくえ』)2018年110P)。我が国ではそんなことはやってないから他国から非難されることは何もない。


 私はクラシカルな道徳的価値を重んじ、人々に正常と異常と差別する知性の基軸を喪失させるゆえにLGBT法案に反対する。以下の論述は大局的見地で述べるもので、技術的な議論はしないのであまり参考になりませんが、ご笑覧いただければ幸いです。

 ヘテロセクシャルが日本でも中国ても西洋でも正当、ホモセクシャルが人権などという思想は異端な思想は同意できない

 

 プラトンが男色を「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も恥ずべきこと」反自然的行為と指弾し、アリストテレスも不自然な性行為と言った。旧約聖書のソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りに触れたとある。ローマ法では男性同性愛行為が反逆罪に相当する重罪だった。肛門性交が西洋文明の規範において反道徳的行為であることは、1986年のハードウィック判決(ソドミー処罰の州法を5対4で合憲とした2003年に判例変更)で高く評価されていたバーガー長官の同意意見「我々は至福千年の道徳的教訓を棄て去ることをしたくない」と言うとおりである。
 文明の規範提示者たる古代哲学の巨人、聖書、古代教父、聖人のことばを重んじて何が悪いのか。キャンセルカルチャーで規範が崩れてしまうことを恐れる。
 結婚をどう定義するか、人類学者は婚姻家族は男女の役割で成立しているという。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう[船田享二1971 24頁]。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。我が国は明治15年に妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受しており、もちろん花婿キリストと花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてサクラメントとするキリスト教婚姻理念からしてもそれは男と女の結合である。同性婚を認めている西欧諸国は規範から逸脱し、世俗主義に行き過ぎたと言ってよい。

   結婚は男女でなければローマ法も秘跡神学も否定されることになる。それは近代市民社会でも、それは法源であり道徳的基盤であるゆえ容認できない。

 

 日本でも子供が生まれる男女の和合こそ正当的価値として「日本無双の才人」准后一条兼良は「天下静溢」のために若俗停止を主張した。やっぱりヘテロセクシャルが規範である。 
 

 たまたま皇室問題で伏見宮家の歴史を調べていたところ、文安4年伏見宮貞成親王の太上天皇尊号宣下を当時の関白一条兼良が支持したこと。院拝礼を率先して行ったことなどがわかった。「道真以上の学者である」と豪語し ていた古典学者である。

 伝統的規範は東洋や日本でも、実は同じなのである。なるほど我が国では、院政期以降支配階級での男色(若俗)が近世初期まで流行していたことは風俗史に詳しくないがある程度知っている。しかしそれは、性欲追究に貪欲なことが罪悪視される文化がないことに要因があるのであって、それで同性婚を正当化できない。
 「日本無双の才人」准后関白太政大臣一条兼良が男色(若俗)の流行を非難する『若気嘲弄物語』という著書があり、子供が生まれる男女の和合こそ正当と言う。一条兼良は内典・外典・詩賦・歌道、伊勢物語、源氏物語に若俗(男色)はなく論拠なし。「天下静謐」「四界安全」のために若俗を徹底して停止すべきと言う。在原業平は三千人の女性と関係したが男はいない。最強クラスの古典学者がそういうから間違いない。中国の皇帝の後宮に若俗はないという(田村航2013)。儒教は夫婦の恩愛と節婦、貞女の理に道を見出している。
 とりわけ敷島の道、和歌に男女のかたらひが数多詠まれているが、若俗はないと言う。和歌にない以上、日本の本来の文化ではないと言い切ってよい。五百年に一人の大学者とされる一条兼良が言うのだから間違いないだろう。わが国の公式的な文化には男色は認められてない。あくまでも下位文化として中世にあったということである。
 西欧では前世紀に被害者なき犯罪の非犯罪化という刑事政策でソドミー行為の非犯罪化が進んだが、米国では遅れ、2003年のローレンス判決で、男色行為を処罰する州法を違憲とした、6対3だが、ハードウィック判決の判例変更は5対4で僅差だったのである。テレビドラマなどみても米国でも軽蔑的言辞は1990年代までは普通だったように思う。今世紀にはいってから急にLGBTの政治力が増してきた。軽蔑的言辞と勝手に解釈されると糾弾の対象になるようになった。
 しかし非犯罪化と同性婚を認めることとは別の問題であり、多くの州は同性婚を認めていなかったにもかかわらず、連邦最高裁が2015年のオーバーゲフェル判決で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けてしまった。しかしこれは5対4の僅差の判決であったことを強調したい。国民全体とくにレッドステイツで歓迎されたわけではない。
 さらに、LGBT運動は公民権法のタイトル7(雇用判断としての性差別禁止)にLGBTも含ませるよう運動し、リベラルな州でそのような州法が制定されたが、過半数の州は認めてなかったのに、2020年のBostock判決が6対3でLGBT差別が雇用上の性差別を禁止したタイトル7に反するとした。トランプ指名のゴーサッチ判事が法廷意見を執筆したが期待に反し失望した。これは司法による立法で容認しがたいものである。こうしたトレンドでLGBTが勢いづいているのは事実だが、安易にトレンドに乗るべきではない。
 実はそもそもタイトル7の性差別禁止というのは公民権法に反対する議員が、公民権法を通過阻止のため挿入されたもので、ハプニング的な立法であり、性差別に同性愛差別を含ませるという考えは当初からなかったはずである。
 以上のことから杉田水脈代議士の新潮45発言なるものが、実は一条兼良と同じ考えで、常識的な思想だったのに、糾弾され廃刊においこまれる。そのような社会のほうが恐ろしい。

 
 
以下、各論
 
 1 私人の契約の自由、雇用判断の裁量権の干渉に反対

 雇用・住居・ビジネスの分野で事業運営、私人間の契約の自由、雇用判断等の裁量権に干渉し規制、制約していくことには強く反対。取引(営業)制限からの自由、契約自由、私的自治は近代市民的自由の核心であり、三菱樹脂事件最高裁判決を引用するまでもなく。どのような理由であれ雇用主にとって好ましい人を雇用し、大家は好ましい人に賃貸借契約する自由があるはずだ

 人権尊重の名のもとに、特定集団に特別に配慮するよう行政が強要して、契約自由・私的自治という自由企業体制の根幹、市民的自由が侵食されていく傾向を不快におもっている。ダイバーシティーはヒューマンリソースマネジメントの一環として、P&Gなどの大企業がはじめたことで個別企業の経営・人事管理政策の一つであって、企業の裁量権でおこなうべきもの。行政が干渉する必要はないし、人権政策と結びつける必要もない。

 とりわけ宗教的、哲学的異議、同性愛を道徳的に承認しない価値観をもつ国民に対して、意思に反する契約や判断を強要し民間の事業運営に干渉することには絶対反対。


2 民間事業における商品やサービスの入手において差別を禁止することに反対

 

 民間事業における商品やサービスの入手において差別を禁止することは強く反対。同性愛を道徳的に承認しない人々がビジネスにおいてゲイとレズビアンの人々に商品やサービスを提供しない契約自由、私的自治を否定すべきではない

 公民権型の人種、性別、出身国、民族、宗教にもとづく差別禁止に加えて性的指向に関する差別禁止規定をもうける法制は強く反対である
2018年6月5日の連邦最高裁判決Masterpiece Cakeshop, Ltd. v. Colorado Civil Rights Commissionは、宗教的信念によりゲイカップルを祝うカスタムウェディングケーキの提供を拒否したケーキ屋さんがコロラド州の差別禁止法違反とされ、コロラド市民権委員会は会社の方針の従業員の再教育を要求したうえ、サービスを拒否したケーキ屋さんに対してナチ呼ばわりし、奴隷所有者、同性愛恐怖症、頑固者その他の暴言が吐かれ、利益の大きいウェディングケーキ事業から撤退せざるをえなくなったというものである。

 最高裁は7対2でケーキ屋に有利な判決を下した。判決は市民権委員会の事件の扱いには、彼の異議、誠実な宗教的信念に対して明確で容認できない敵意の要素がいくつかあり、コロラド州法は宗教にもとづく差別を禁止しており、法律の公正な施行でなく不適切な対応としている。なお、この判決は憲法上の権利には踏み込んでいない。

 差別禁止において、宗教的哲学的異議を持つ者を適用除外とすればよいのではないかというかもしれないが、それでも反対である。一度LBGTの人権尊重や平等要求を法制化するとLBGTコミュニティや人権派の立場が圧倒的に強くなる。宗教的信念というけれどもあなたは教会で礼拝しているのか、聖句を引用できるか、哲学的異議というけれどもあなたはアリストテレスやトマスの著書を読んだことがあるのかなど尋問され、宗教や哲学は偽装で差別したのはヘイトが目的とか勝手に決めつけられたりして、結局正統的な道徳的教訓を重んじる良心的な人々を迫害する法になると思う。

 つまり逆差別を生み出すのである。我が国には厳格なクリスチャンは少ないが、宗教上の少数派としてモルモン教徒やエホバの証人は当然同性愛を容認しないだろうから、むろん旧統一教会もこれらの人々の信教の自由を侵害する。人口比率では真性同性愛者のほうが多数派であり、人権派がこれに加担して保守的なキリスト教的道徳基準をもつ人、信仰のある人々がいじめられる可能性が高い。

 信仰よりも世俗的時流の思想に共鳴することを公権力が強要することは許されない。

 だから性的指向差別禁止やLBGTの人権尊重を義務付けること自体に反対。それは結局同性愛行為(肛門性交・口腔性交)を道徳的に承認しない正統的な価値観を有する国民を愚弄することになる。同性愛行為に対する非難の根拠がユダヤ・キリスト教の道徳基準と倫理基準に基づいていることからすれば、道徳を実践しているまじめな人々が、事業方針を変更するよう命令されたりして、ビジネスができなくなったりするのは最悪の事態だと思う。

 類似した事件は他の地域でも起きてワシントンで同性婚カップルを祝うフラワーアレンジメントのサービスの提供を拒否した花屋さんの事件もあり、結局、性的指向差別禁止法は混乱をもたらす。

 

3 同性婚に反対

 

 同性のパートナーシップの保護政策に進むことも強く反対する
 世界的に見て近年のゲイの平等要求の最大の焦点が同性婚の承認であった、その前段階として法律婚と同等のペネフィット、税法上の配偶者控除、配偶者相続税免除、寡婦、寡夫年金、配偶者医療保険、療養中のパートナーの訪問権、外国人パートナーの永住権の取得が要求され、正式の結婚とはちがうが「シヴィル・ユニオン」「ドメスティック・パートナーズ」としてこれらの特典を得る運動が展開された。
 結婚をどう定義するか、西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう[船田享二1971 24頁]。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。我が国は明治15年に妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受しており、もちろん花婿キリストと花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてサクラメントとするキリスト教婚姻理念からしてもそれは男と女の結合である。
 Obergefell v. Hodges,_ (2015)はある州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な連邦最高裁判例である。
 私は異人種婚禁止州法を違憲とし結婚の自由を基本的権利と宣言したLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)に賛同しつつも、婚姻の自由を「重婚」する権利や「同性婚」に拡大することには反対なので同判決には反対である。

 この点で、私は1923年のマイヤー判決マクレイノルズ法廷意見(最も反動的な裁判官として知られる)や19世紀後期随一の憲法体系書のクーリに近い立場をとっているのである。 私は Loving の意義を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付するのが正当だったと考える。

 この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor(2013)の反対意見が妥当と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かが基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」としたのである。[高橋正明2017]

  5対4の僅差ゆえこの司法的解決には納得してない。今日でも。例えばテキサス州共和党は、同性愛を「異常なライフスタイルの選択」として認識し、「トランスジェンダーのアイデンティティを検証するためのあらゆる努力」に反対するとしているようにTexas property tax bill excludes divorced, LGBTQ couples from getting relief | The Hill 反LGBTは南部やバイブルベルトで根強く、G7諸国の国民でも特に米国では反対者が多いというべきである。

 

 

 4 解剖学的性以外の区別は混乱する

 

 私は、性自認にはLGBより好意的。同性のセックスと同性婚をヘテロセクシャルと対等に扱うことに反対であるので、トランスジェンダーのために、生来の性、解剖学的な性ではなく、性自認に基づいたトイレ、ロッカールーム、浴室利用の問題については詳しくないが、民間企業の施設管理権に政府・自治体が干渉して、トイレや更衣室の使用方法を指導することは反対。また第三の性を承認して公文書に、男、女、第三の性と並べることを義務づけるようなことは、社会的合意も得ていないから反対である。合衆国のパスポートで男でも女でもないxを選択できるようにしたが、それは不要である。なお2月23日にカンサス州は、女性を「卵子を生産するために生物学的生殖システムが発達している」と定義し、トランスジェンダーを差別する州法を可決した。報道によればカンザス州は、新しい法案で女性が女性であると宣言します-リバティネーション (libertynation.com) オクラホマ州、ニューハンプシャー州、ノースダコタ州、テネシー州、テキサス州も同様の措置を検討しており、サウスカロライナ州は州憲法を改正して性別を出生時の生物学的性別として定義する共同決議を検討している。保守的な州はそういう方向にあるので、アメリカは分裂しているいってもよい。カンサス州法は生物学に基づく分離の正当化として、「男性個人は平均して女性個人よりも大きく、強く、速い」と述べ。同様の法律は、ノースダコタ州、オクラホマ州、アリゾナ州などで導入されているという。批評家は提案されたカンザスを「女性の権利章典」と呼んでいます 性差別的、トランスフォビア-カンザスリフレクター (kansasreflector.com)





 

 5 文明規範となる正統的な法思想は守られるべき

 

 同性愛行為を非難し道徳的に承認しない価値観は、西洋文明の正統的な法思想の系譜に属する以上、そのような価値観を有する人々の市民的自由も尊重されなければならない。これらの人々を非難したり、意識改革を求める政策は、精神的自由の侵害となるので反対。同性愛者の人権尊重を国民に義務付けることによって、正統的な道徳的価値の基盤が崩れていくことを非常におそれている

 反同性愛が西洋文明の正統的な法思想であり、これを否定できないのでLGBT運動に反対する。

 西洋文明で男色行為(ホモセクシャルソドミー)が悪行とされるのは、人間の本性に従った自然な性行為ではなく、反自然的、自然の秩序に反する性行為だからである。(主として松平光央1987からの引用)

(1)人間本性論=自然法論

 プラトンは、対話篇八巻『法律』において、男子との交わりは、「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も恥ずべきこと」と指弾し、法律で禁止べきとした。また,生殖と無関係な不毛な交わりを反自然的行為とみなす見解のほか、男性同性愛行為は、男性として望ましい属性である、勇気・節制・度量・知恵等の発達を阻害し、一方の男性を女性の地位に下落させるというのも禁止すべき理由としており、説得力のある見解といえる。

 アリストテレスは、人間の行為を自然な行為を善、不自然な行為を悪として二分する考え方を示した。神に祝福される結婚という形態を介しての生殖行為は善、同性愛、獣姦そのたの不自然な性行為は悪とした。男性同性愛行為は人間の本性にもとづく種族の保持、人類の生存という欲求を否定し、人類を意図的に絶滅させるから、法律で禁止すべきであるというのがプラトン、アリストテレスの人間本性論である。

 これは聖アウグスティヌスの『神の国』やトマス・アクィナスの『神学大全』によって自然法の掟として理論的に深化される。[松平光央1987]

 このギリシャ主知主義哲学とキリスト教神学の混淆といえる人間本性論=自然法論の系譜の反同性愛思想は西洋文明の正統的な法思想といってよいのであり、それを曲げる理由もない。

 (2)聖書思想

 ソドムとゴモラの崩壊が著名だが、レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」は同性愛を明確に悪とする根拠といえる。

 西洋文明の夫婦斉体思想の根拠になっているのが創世記2.23-24である。

 これこそついに私の骨と骨、

 わたしの肉と肉

 彼女は女とよばれることになろう。

 彼女は男より取られたのだから。

 それゆえ男は彼の父母を離れて、彼の妻に結びつき、彼らはひとつの肉となるのである。

 ユダヤ教のラビは、のこれらの数行を性的ふるまいの基準とした。「彼の父母を離れて」は近親相姦の禁止、たぶん父の後妻を娶ることの禁止の根拠に。ラビ・アキバ(紀元後135年頃)「彼の妻に結びつき」の解釈として、それは隣人の妻でも男でも、動物でもないとして、姦淫、同性愛、獣姦禁止に決着をつけた。

 ラビ・イシ(145年頃)は「彼らはひとつの肉となる」という婉曲な表現から、受胎を抑制する不自然な性行為や体位の禁止の根拠とした。[ぺイゲルス1988 55頁]

 新約聖書の引用は略すが、聖書には明確は反同性愛思想がある。

(3)ローマ法では男性同性愛行為が反逆罪に相当する重罪
 
 旧約聖書のソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りに触れたと信じられており、たんに不道徳といただけでなく国家・社会を崩壊させる行為と認識していたためである。

 テシオドス一世やユスティニアヌス帝は洪水、地震、飢餓等の自然災害や黒死病そのたの疫病も男性同性愛者と無関係ではないと判断していた。

(4)中世より近世

 教会裁判所では、不敬罪、異端、魔術、姦通等の罪と並んで裁判され、有罪が宣告されれば、ソドムとゴモラの伝統に従って火刑に処された。

 イギリス古代のゴート族の慣行では男子同性愛者は火刑か生き埋めに処された

 ヘンリー八世は教会裁判所より管轄を移して制定法によりソドミーを処罰することとした。The Buggery Act 1533である。https://www.bl.uk/collection-items/the-buggery-act-1533、同法では僧侶の立会いのない絞首刑という重罪だった。なぜならば「不逞の輩の忌まわしく、かつ憎むべき悪行(the detestable and abominable vice of Buggery)」だからである。

 なお大英博物館のサイトによれば、1533年法にもとずいて19世紀においても3人が死刑に処されている。

 エリザベス一世の制定法もソドミーを重罪としているが、その立法趣旨は、全能の神の名において不逞の輩の忌まわしい悪行の蔓延の阻止を強調し、彼らの存在自体が公序良俗の維持に有害であるばかりではなく、その存在を放置すれば神の怒りに触れ災害を招来するためであった。[松平光央1987]

(5)コモン・ロー

 コーク、ヘイル、ブラックストンにおいても、男色行為は反自然的、自然の秩序に反する性行為と把握され、ブラックストンは異常性行為を公的不法行為の一類型として説明している。

 独立したアメリカ合衆国13州のソドミー処罰制定法の基本になっているのは、w。ブラックストンの『英法釈義』1765~69であるが、男色行為への非難は‥より嫌悪すべき(more detestable)、より悪性な(deeper malignity)、悪名の高い(infamous)破廉恥な(disgraceful)といった言葉で修飾されているのである。

 私は、LGBT運動の新奇な思想より、聖書は無論のこと、男色行為は不自然な性行為で悪行と断定した、知の巨人たるプラトンやアリストテレス、聖アウグスティヌス、トマス・アクィナス等を圧倒的に信用するものである。 コーク、ヘイル、ブラックストンといったコモン・ロー法学の巨人も圧倒的に信用するものである。これらの書物や思想をLGBTの人権を否定したものとして焚書にするならば我々は文明規範を逸脱し野蛮人に戻るしかないし、すべての世界遺産をミサイルで破壊する暴挙に等しい。

 神聖なのは取引の自由、契約の自由という近代市民的自由の方であって、インフレ化した人権概念ではない。人格的尊厳という概念を勝手に人権とするのはやめるべき。「人間の尊厳」という思想は「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られているからだ」(創世記9・6)人間の生命の相互不可侵性の宗教的根拠づけに由来する。[パネンベルク1990] その聖書は同性愛行為を悪行としているのだから、神学的に同性愛者に人間の尊厳を認めることは論理的にありえない。

 私はレビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」は正しい価値とするレッドステイツの人々を尊敬する。

 死後の安寧と幸福のために、最後の審判で申し開きができるように西洋文明規範を掘りくずすLGBT運動に反対することが、誠実な生き方としてこの意見を書いているので譲歩するところは何もないし、バーガー連邦最高裁長官がハードウィック判決1986年の補足意見で述べた「至福千年の道徳教訓を棄て去る」ことに同意できないのである。

 

 8 端的に肛門性交は反自然的、アブノーマルとして嫌悪する異性愛者マジョリティの感情が否定される理由はない

 私は、高尚な神学や哲学的な見地から離れても、性器性交(ペニスをヴァギナに挿入)が自然の行為でノーマルなものであり、性器性交でエクスタシーを得るのが、精神医学的にも正常で健全なものであり、肛門性交は反自然的、アブノーマルという認識が悪い価値観ということはありえないと考える。肛門性交に寛容であれという人権啓発は青少年の教育においても疑問である。

 快楽追求のための性行為を否定しないが、性器性交でフィニッシュが健全であり、われわれはLBGT人権尊重のために、肛門性交を嫌悪することを否定される理由など全くないのである。国民には肛門性交やソドミー行為を嫌悪する自由もある。私は高校生の時図書館のトイレの前で、「なめてあげる金を払うからしゃぶらせて」と言い寄せられたことがあるが拒否した。山の手線で男の痴漢にあったこともありますが、男が女のように媚びてバックから犯されたくないというのは普通の感覚であって、ジェンダー差別とされ糾弾されるのか。またヘテロセクシャルのオーラルセックスは生殖行為の前戯として価値をみいだすことができるが、同性愛者のフェラチオは嫌いだといって何が悪いのか。わが国には、戦国時代の念友を極盛期として男色文化があり、男の味を知ってから、女を楽しむのが通人ともいわれたが、近代化の過程で西洋の反同性愛文化も受容しているのであり、戦国時代に戻らなければならない理由など全くないし、西洋において同性愛者が火刑、生き埋め、絞首刑に処された怨念の復讐として文明の正統的規範意識をもつマジョリティの市民的自由が制約を受ける理由など全くないのである。

9 政府・自治体が言葉遣いの基準を策定するのは危険だ


 東京都では昨年宣誓パートナーシップ制度が条例化されたため、職員にLGBTの人権について研修をeーラーニングで行ってますが、夫、妻、奥さんという表現はよくない、配偶者、パートナーシップといった性的に中立な言辞とすべきと職員に教育しています。そうするとごく普通に使われている、何某夫妻とか、奥様とか言葉狩りが進む可能性あり、伊勢二見浦の夫婦岩はパートナー岩にされてしまうのか。馬鹿げている。 LGBTを不快にさせないことに気をつかいすぎである。マジョリティと対等以上などとんでもない。

 脅迫や名誉棄損など、現行法制でも違法とされる表現はともかく、慣用的、俗語として使われている「おかま」や「ホモ」などを禁句とするのは適切でない。私は園芸高校の出身だが、花卉園芸で自家受粉を繰り返すとホモと言い、ホモかヘテロかは重要な概念だと教えられた。ホモを禁句にすることは不可能。言葉の使いかたにしても、直接相手をなじるために使ったのではなく、たんに軽蔑の含意というだけ自治体が取り締まるようなことは、表現権の宗教の自由、思想の自由の重大な侵害になりうる。

 ファックザドラフト(徴兵なんか糞くらえ)という四文字語をつかった下品な表現が憲法上保護されるとしたのは、連邦最高裁のハーラン判事だが、尊敬している。個人主義的自由よりマイノリティの利益促進は間違った政策である。

 集団誹謗表現の規制は絶対反対である、特定個人にむけられたわけでもないのに、それをやると聖書、神学、経典、哲学、文学あらゆるものが、女性、同性愛者、人種、民族といった集団概念について差別的な表現を行っており、これらを否定すれば、文明規範は崩壊してしまう、心にも思っていないことを言わされ、本音がいえない社会は、一面従順、他面反噬といった倫理的存在たる人間の精神作用を分裂させて二重人格の形成を馴致するもので、精神的な病んだ抑圧的な社会になるだろう。

 また人種差別撤廃委員会は、二〇〇一年と二〇一〇年の日本政府報告書審査の結果として、日本政府に対して、(一)人種差別禁止法を制定すること、(二)人種差別撤廃条約第四条(a)(b)の留保を撤回し、ヘイト・クライムに法的対処を行うように勧告したが、人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」問題である。ヘイトクライム法は、人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」は表現の自由を侵害するものとして憲法学者の多くが否定的である。 私はヘイトクライム法や人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」には表現権重視の見地から強く反対である。

 政府はこの条約には問題があるので留保しているのであって、ここを突き崩すような立法を望まない。

10 学校教育でLGBT理解増進は不愉快

 米国では、カリフォルニア、コロラド、イリノイ、ニュージャージー州が、学校がLGBTQの歴史を教えることを義務付ける一方、南部やバイブルベルトでは反LGBT法が制定されている。ルイジアナ、ミシシッピ、オクラホマ、テキサス州で、性教育を異性間の行為に限定するといった州法が制定されている。テネシー州とモンタナ州で、性的指向や性自認に関する議論に自分の子どもを参加させないことを親が選べる州法が成立した。フロリダ州の「ゲイと言わないで法」は小学校3年までの性的指向、性自認の教育を禁止し、それより上の学年でも「年齢相応の」教材に限定するよう規定している。親は、教育者が法律に違反したと考えれば、学校区を直接訴え、損害賠償を求められる。ルイジアナやオハイオ州でも同様の法案が提案されている。
 サウスカロライナ州はトランスジェンダーのスポーツ禁止を制定し、出世時の性で競技させている。アラバマ州では性自認でなく、出生時に割り当てられた性別に基づいてバスルームとロッカールームを使用することを生徒に要求する。またテネシー州などが、未成年者の性転換医療を禁止する。
 すでに日本では高校の家庭科、義務教育でも道徳や保健体育でLGBTが取り上げられている。南部やバイブルベルトでは福音派等宗教右派がリベラル勢力と文化闘争していまずが、わが国の宗教ナショナリズムはアメリカよりずっと小さい存在でなので、いったん理解増進法案が通過すれば、LGBT教育が加速し、ヘテロセクシャルを正当とする我国の道徳的、文化的基盤を掘りくずし、マジョリティは特権階層化するLGBTの拝跪を強要されるばかげたことになりかねない。

引用

高橋正明 2017『ロバーツコートの立憲主義』大林啓吾・溜箭将之編 成文堂第三章平等-ケネディ裁判官の影響力の増加
田村航 2013 『一条兼良の学問と室町文化』勉誠出版
W.パネンベルク1990  佐々木勝彦訳『信仰と現実』日本基督教団出版局

船田享二『ローマ法』第四巻岩波書店 1971

ペイゲルス 絹川・出村訳1993『アダムとエバと蛇「楽園神話」解釈の変遷』ヨルダン社
松平光央1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)60巻2・3号

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