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2023/02/12

LGBT法案に絶対反対

 国会議員へ

 男女の和合、ヘテロセクシャルが文明の規範であり、それ以外の見解を容認し難い。LGBT法案は道徳的基盤を揺るがす悪法だ

 天下静溢・四界安全のためLGBTQ法案はやらないほうが良い

 

 取るに足りない者が恐る恐る謹んで上申します。

 理解増進法であれなんであれ、いかなる名目であれ法案に強く反対、ノイジーマイノリティーにふりまわされる理由はない、LGBT運動による改革の煽動は、至福千年の道徳的教訓を否認し、古典的価値を駆逐して、霊性の向上、死後の安寧のために教義、戒律に従い清く正しく生きる善良な人々を愚弄することになるので容認しがたい。

 岸田首相は自民党三役にLGBT法案を前向きに準備するよう三役に指示したと報道されているが私は法案に絶対反対である。サミット開催のためだというが、そもそも五輪開催にあわせた法案だったはずで、五輪は終わったのでもう必要ない。。ソチ五輪でEU首脳が問題視したのはロシアの「同性愛宣伝禁止法」であり、我が国にはもともと男色行為は犯罪ではなかったし、我が国では、同性愛者を敵視、虐待する文化的背景はなく、戦国時代の念友をピークとする男色(若俗)文化が存在した。左大臣藤原頼長が讃丸との行為で同時発射したのは至高の快楽と台記に記しているとおりである。近年EU基本権庁が問題視したのはチェコの亡命手続きで、同性愛者という申告を確認するために、異性間のポルノグラフィを見せて、陰茎容積測定をすることがプライバシー侵害というものである(山本直『EU共同体のゆくえ』)2018年110P)。我が国ではそんなことはやってないから他国から非難されることは何もない。


 私はクラシカルな道徳的価値を重んじ、人々に正常と異常と差別する知性の基軸を喪失させるゆえにLGBT法案に反対する。以下の論述は大局的見地で述べるもので、技術的な議論はしないのであまり参考になりませんが、ご笑覧いただければ幸いです。

 ヘテロセクシャルが日本でも中国ても西洋でも正当、ホモセクシャルが人権などという思想は異端な思想は同意できない

 

 プラトンが男色を「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も恥ずべきこと」反自然的行為と指弾し、アリストテレスも不自然な性行為と言った。旧約聖書のソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りに触れたとある。ローマ法では男性同性愛行為が反逆罪に相当する重罪だった。肛門性交が西洋文明の規範において反道徳的行為であることは、1986年のハードウィック判決(ソドミー処罰の州法を5対4で合憲とした2003年に判例変更)で高く評価されていたバーガー長官の同意意見「我々は至福千年の道徳的教訓を棄て去ることをしたくない」と言うとおりである。
 文明の規範提示者たる古代哲学の巨人、聖書、古代教父、聖人のことばを重んじて何が悪いのか。キャンセルカルチャーで規範が崩れてしまうことを恐れる。
 結婚をどう定義するか、人類学者は婚姻家族は男女の役割で成立しているという。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう[船田享二1971 24頁]。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。我が国は明治15年に妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受しており、もちろん花婿キリストと花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてサクラメントとするキリスト教婚姻理念からしてもそれは男と女の結合である。同性婚を認めている西欧諸国は規範から逸脱し、世俗主義に行き過ぎたと言ってよい。

   結婚は男女でなければローマ法も秘跡神学も否定されることになる。それは近代市民社会でも、それは法源であり道徳的基盤であるゆえ容認できない。

 

 日本でも子供が生まれる男女の和合こそ正当的価値として「日本無双の才人」准后一条兼良は「天下静溢」のために若俗停止を主張した。やっぱりヘテロセクシャルが規範である。 
 

 たまたま皇室問題で伏見宮家の歴史を調べていたところ、文安4年伏見宮貞成親王の太上天皇尊号宣下を当時の関白一条兼良が支持したこと。院拝礼を率先して行ったことなどがわかった。「道真以上の学者である」と豪語し ていた古典学者である。

 伝統的規範は東洋や日本でも、実は同じなのである。なるほど我が国では、院政期以降支配階級での男色(若俗)が近世初期まで流行していたことは風俗史に詳しくないがある程度知っている。しかしそれは、性欲追究に貪欲なことが罪悪視される文化がないことに要因があるのであって、それで同性婚を正当化できない。
 「日本無双の才人」准后関白太政大臣一条兼良が男色(若俗)の流行を非難する『若気嘲弄物語』という著書があり、子供が生まれる男女の和合こそ正当と言う。一条兼良は内典・外典・詩賦・歌道、伊勢物語、源氏物語に若俗(男色)はなく論拠なし。「天下静謐」「四界安全」のために若俗を徹底して停止すべきと言う。在原業平は三千人の女性と関係したが男はいない。最強クラスの古典学者がそういうから間違いない。中国の皇帝の後宮に若俗はないという(田村航2013)。儒教は夫婦の恩愛と節婦、貞女の理に道を見出している。
 とりわけ敷島の道、和歌に男女のかたらひが数多詠まれているが、若俗はないと言う。和歌にない以上、日本の本来の文化ではないと言い切ってよい。五百年に一人の大学者とされる一条兼良が言うのだから間違いないだろう。わが国の公式的な文化には男色は認められてない。あくまでも下位文化として中世にあったということである。
 西欧では前世紀に被害者なき犯罪の非犯罪化という刑事政策でソドミー行為の非犯罪化が進んだが、米国では遅れ、2003年のローレンス判決で、男色行為を処罰する州法を違憲とした、6対3だが、ハードウィック判決の判例変更は5対4で僅差だったのである。テレビドラマなどみても米国でも軽蔑的言辞は1990年代までは普通だったように思う。今世紀にはいってから急にLGBTの政治力が増してきた。軽蔑的言辞と勝手に解釈されると糾弾の対象になるようになった。
 しかし非犯罪化と同性婚を認めることとは別の問題であり、多くの州は同性婚を認めていなかったにもかかわらず、連邦最高裁が2015年のオーバーゲフェル判決で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けてしまった。しかしこれは5対4の僅差の判決であったことを強調したい。国民全体とくにレッドステイツで歓迎されたわけではない。
 さらに、LGBT運動は公民権法のタイトル7(雇用判断としての性差別禁止)にLGBTも含ませるよう運動し、リベラルな州でそのような州法が制定されたが、過半数の州は認めてなかったのに、2020年のBostock判決が6対3でLGBT差別が雇用上の性差別を禁止したタイトル7に反するとした。トランプ指名のゴーサッチ判事が法廷意見を執筆したが期待に反し失望した。これは司法による立法で容認しがたいものである。こうしたトレンドでLGBTが勢いづいているのは事実だが、安易にトレンドに乗るべきではない。
 実はそもそもタイトル7の性差別禁止というのは公民権法に反対する議員が、公民権法を通過阻止のため挿入されたもので、ハプニング的な立法であり、性差別に同性愛差別を含ませるという考えは当初からなかったはずである。
 以上のことから杉田水脈代議士の新潮45発言なるものが、実は一条兼良と同じ考えで、常識的な思想だったのに、糾弾され廃刊においこまれる。そのような社会のほうが恐ろしい。

 
 
以下、各論
 
 1 私人の契約の自由、雇用判断の裁量権の干渉に反対

 雇用・住居・ビジネスの分野で事業運営、私人間の契約の自由、雇用判断等の裁量権に干渉し規制、制約していくことには強く反対。取引(営業)制限からの自由、契約自由、私的自治は近代市民的自由の核心であり、三菱樹脂事件最高裁判決を引用するまでもなく。どのような理由であれ雇用主にとって好ましい人を雇用し、大家は好ましい人に賃貸借契約する自由があるはずだ

 人権尊重の名のもとに、特定集団に特別に配慮するよう行政が強要して、契約自由・私的自治という自由企業体制の根幹、市民的自由が侵食されていく傾向を不快におもっている。ダイバーシティーはヒューマンリソースマネジメントの一環として、P&Gなどの大企業がはじめたことで個別企業の経営・人事管理政策の一つであって、企業の裁量権でおこなうべきもの。行政が干渉する必要はないし、人権政策と結びつける必要もない。

 とりわけ宗教的、哲学的異議、同性愛を道徳的に承認しない価値観をもつ国民に対して、意思に反する契約や判断を強要し民間の事業運営に干渉することには絶対反対。


2 民間事業における商品やサービスの入手において差別を禁止することに反対

 

 民間事業における商品やサービスの入手において差別を禁止することは強く反対。同性愛を道徳的に承認しない人々がビジネスにおいてゲイとレズビアンの人々に商品やサービスを提供しない契約自由、私的自治を否定すべきではない

 公民権型の人種、性別、出身国、民族、宗教にもとづく差別禁止に加えて性的指向に関する差別禁止規定をもうける法制は強く反対である
2018年6月5日の連邦最高裁判決Masterpiece Cakeshop, Ltd. v. Colorado Civil Rights Commissionは、宗教的信念によりゲイカップルを祝うカスタムウェディングケーキの提供を拒否したケーキ屋さんがコロラド州の差別禁止法違反とされ、コロラド市民権委員会は会社の方針の従業員の再教育を要求したうえ、サービスを拒否したケーキ屋さんに対してナチ呼ばわりし、奴隷所有者、同性愛恐怖症、頑固者その他の暴言が吐かれ、利益の大きいウェディングケーキ事業から撤退せざるをえなくなったというものである。

 最高裁は7対2でケーキ屋に有利な判決を下した。判決は市民権委員会の事件の扱いには、彼の異議、誠実な宗教的信念に対して明確で容認できない敵意の要素がいくつかあり、コロラド州法は宗教にもとづく差別を禁止しており、法律の公正な施行でなく不適切な対応としている。なお、この判決は憲法上の権利には踏み込んでいない。

 差別禁止において、宗教的哲学的異議を持つ者を適用除外とすればよいのではないかというかもしれないが、それでも反対である。一度LBGTの人権尊重や平等要求を法制化するとLBGTコミュニティや人権派の立場が圧倒的に強くなる。宗教的信念というけれどもあなたは教会で礼拝しているのか、聖句を引用できるか、哲学的異議というけれどもあなたはアリストテレスやトマスの著書を読んだことがあるのかなど尋問され、宗教や哲学は偽装で差別したのはヘイトが目的とか勝手に決めつけられたりして、結局正統的な道徳的教訓を重んじる良心的な人々を迫害する法になると思う。

 つまり逆差別を生み出すのである。我が国には厳格なクリスチャンは少ないが、宗教上の少数派としてモルモン教徒やエホバの証人は当然同性愛を容認しないだろうから、むろん旧統一教会もこれらの人々の信教の自由を侵害する。人口比率では真性同性愛者のほうが多数派であり、人権派がこれに加担して保守的なキリスト教的道徳基準をもつ人、信仰のある人々がいじめられる可能性が高い。

 信仰よりも世俗的時流の思想に共鳴することを公権力が強要することは許されない。

 だから性的指向差別禁止やLBGTの人権尊重を義務付けること自体に反対。それは結局同性愛行為(肛門性交・口腔性交)を道徳的に承認しない正統的な価値観を有する国民を愚弄することになる。同性愛行為に対する非難の根拠がユダヤ・キリスト教の道徳基準と倫理基準に基づいていることからすれば、道徳を実践しているまじめな人々が、事業方針を変更するよう命令されたりして、ビジネスができなくなったりするのは最悪の事態だと思う。

 類似した事件は他の地域でも起きてワシントンで同性婚カップルを祝うフラワーアレンジメントのサービスの提供を拒否した花屋さんの事件もあり、結局、性的指向差別禁止法は混乱をもたらす。

 

3 同性婚に反対

 

 同性のパートナーシップの保護政策に進むことも強く反対する
 世界的に見て近年のゲイの平等要求の最大の焦点が同性婚の承認であった、その前段階として法律婚と同等のペネフィット、税法上の配偶者控除、配偶者相続税免除、寡婦、寡夫年金、配偶者医療保険、療養中のパートナーの訪問権、外国人パートナーの永住権の取得が要求され、正式の結婚とはちがうが「シヴィル・ユニオン」「ドメスティック・パートナーズ」としてこれらの特典を得る運動が展開された。
 結婚をどう定義するか、西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう[船田享二1971 24頁]。結婚とはあくまでも男と女の結合でなければならない。我が国は明治15年に妾制を廃止し西洋の単婚理念を継受しており、もちろん花婿キリストと花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてサクラメントとするキリスト教婚姻理念からしてもそれは男と女の結合である。
 Obergefell v. Hodges,_ (2015)はある州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な連邦最高裁判例である。
 私は異人種婚禁止州法を違憲とし結婚の自由を基本的権利と宣言したLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)に賛同しつつも、婚姻の自由を「重婚」する権利や「同性婚」に拡大することには反対なので同判決には反対である。

 この点で、私は1923年のマイヤー判決マクレイノルズ法廷意見(最も反動的な裁判官として知られる)や19世紀後期随一の憲法体系書のクーリに近い立場をとっているのである。 私は Loving の意義を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付するのが正当だったと考える。

 この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor(2013)の反対意見が妥当と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かが基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」としたのである。[高橋正明2017]

  5対4の僅差ゆえこの司法的解決には納得してない。今日でも。例えばテキサス州共和党は、同性愛を「異常なライフスタイルの選択」として認識し、「トランスジェンダーのアイデンティティを検証するためのあらゆる努力」に反対するとしているようにTexas property tax bill excludes divorced, LGBTQ couples from getting relief | The Hill 反LGBTは南部やバイブルベルトで根強く、G7諸国の国民でも特に米国では反対者が多いというべきである。

 

 

 4 解剖学的性以外の区別は混乱する

 

 私は、性自認にはLGBより好意的。同性のセックスと同性婚をヘテロセクシャルと対等に扱うことに反対であるので、トランスジェンダーのために、生来の性、解剖学的な性ではなく、性自認に基づいたトイレ、ロッカールーム、浴室利用の問題については詳しくないが、民間企業の施設管理権に政府・自治体が干渉して、トイレや更衣室の使用方法を指導することは反対。また第三の性を承認して公文書に、男、女、第三の性と並べることを義務づけるようなことは、社会的合意も得ていないから反対である。合衆国のパスポートで男でも女でもないxを選択できるようにしたが、それは不要である。なお2月23日にカンサス州は、女性を「卵子を生産するために生物学的生殖システムが発達している」と定義し、トランスジェンダーを差別する州法を可決した。報道によればカンザス州は、新しい法案で女性が女性であると宣言します-リバティネーション (libertynation.com) オクラホマ州、ニューハンプシャー州、ノースダコタ州、テネシー州、テキサス州も同様の措置を検討しており、サウスカロライナ州は州憲法を改正して性別を出生時の生物学的性別として定義する共同決議を検討している。保守的な州はそういう方向にあるので、アメリカは分裂しているいってもよい。カンサス州法は生物学に基づく分離の正当化として、「男性個人は平均して女性個人よりも大きく、強く、速い」と述べ。同様の法律は、ノースダコタ州、オクラホマ州、アリゾナ州などで導入されているという。批評家は提案されたカンザスを「女性の権利章典」と呼んでいます 性差別的、トランスフォビア-カンザスリフレクター (kansasreflector.com)





 

 5 文明規範となる正統的な法思想は守られるべき

 

 同性愛行為を非難し道徳的に承認しない価値観は、西洋文明の正統的な法思想の系譜に属する以上、そのような価値観を有する人々の市民的自由も尊重されなければならない。これらの人々を非難したり、意識改革を求める政策は、精神的自由の侵害となるので反対。同性愛者の人権尊重を国民に義務付けることによって、正統的な道徳的価値の基盤が崩れていくことを非常におそれている

 反同性愛が西洋文明の正統的な法思想であり、これを否定できないのでLGBT運動に反対する。

 西洋文明で男色行為(ホモセクシャルソドミー)が悪行とされるのは、人間の本性に従った自然な性行為ではなく、反自然的、自然の秩序に反する性行為だからである。(主として松平光央1987からの引用)

(1)人間本性論=自然法論

 プラトンは、対話篇八巻『法律』において、男子との交わりは、「神の憎しみ給うもの、恥ずべきことのなかでも最も恥ずべきこと」と指弾し、法律で禁止べきとした。また,生殖と無関係な不毛な交わりを反自然的行為とみなす見解のほか、男性同性愛行為は、男性として望ましい属性である、勇気・節制・度量・知恵等の発達を阻害し、一方の男性を女性の地位に下落させるというのも禁止すべき理由としており、説得力のある見解といえる。

 アリストテレスは、人間の行為を自然な行為を善、不自然な行為を悪として二分する考え方を示した。神に祝福される結婚という形態を介しての生殖行為は善、同性愛、獣姦そのたの不自然な性行為は悪とした。男性同性愛行為は人間の本性にもとづく種族の保持、人類の生存という欲求を否定し、人類を意図的に絶滅させるから、法律で禁止すべきであるというのがプラトン、アリストテレスの人間本性論である。

 これは聖アウグスティヌスの『神の国』やトマス・アクィナスの『神学大全』によって自然法の掟として理論的に深化される。[松平光央1987]

 このギリシャ主知主義哲学とキリスト教神学の混淆といえる人間本性論=自然法論の系譜の反同性愛思想は西洋文明の正統的な法思想といってよいのであり、それを曲げる理由もない。

 (2)聖書思想

 ソドムとゴモラの崩壊が著名だが、レビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」は同性愛を明確に悪とする根拠といえる。

 西洋文明の夫婦斉体思想の根拠になっているのが創世記2.23-24である。

 これこそついに私の骨と骨、

 わたしの肉と肉

 彼女は女とよばれることになろう。

 彼女は男より取られたのだから。

 それゆえ男は彼の父母を離れて、彼の妻に結びつき、彼らはひとつの肉となるのである。

 ユダヤ教のラビは、のこれらの数行を性的ふるまいの基準とした。「彼の父母を離れて」は近親相姦の禁止、たぶん父の後妻を娶ることの禁止の根拠に。ラビ・アキバ(紀元後135年頃)「彼の妻に結びつき」の解釈として、それは隣人の妻でも男でも、動物でもないとして、姦淫、同性愛、獣姦禁止に決着をつけた。

 ラビ・イシ(145年頃)は「彼らはひとつの肉となる」という婉曲な表現から、受胎を抑制する不自然な性行為や体位の禁止の根拠とした。[ぺイゲルス1988 55頁]

 新約聖書の引用は略すが、聖書には明確は反同性愛思想がある。

(3)ローマ法では男性同性愛行為が反逆罪に相当する重罪
 
 旧約聖書のソドムとゴモラの崩壊が、性的紊乱特に男色行為が神の怒りに触れたと信じられており、たんに不道徳といただけでなく国家・社会を崩壊させる行為と認識していたためである。

 テシオドス一世やユスティニアヌス帝は洪水、地震、飢餓等の自然災害や黒死病そのたの疫病も男性同性愛者と無関係ではないと判断していた。

(4)中世より近世

 教会裁判所では、不敬罪、異端、魔術、姦通等の罪と並んで裁判され、有罪が宣告されれば、ソドムとゴモラの伝統に従って火刑に処された。

 イギリス古代のゴート族の慣行では男子同性愛者は火刑か生き埋めに処された

 ヘンリー八世は教会裁判所より管轄を移して制定法によりソドミーを処罰することとした。The Buggery Act 1533である。https://www.bl.uk/collection-items/the-buggery-act-1533、同法では僧侶の立会いのない絞首刑という重罪だった。なぜならば「不逞の輩の忌まわしく、かつ憎むべき悪行(the detestable and abominable vice of Buggery)」だからである。

 なお大英博物館のサイトによれば、1533年法にもとずいて19世紀においても3人が死刑に処されている。

 エリザベス一世の制定法もソドミーを重罪としているが、その立法趣旨は、全能の神の名において不逞の輩の忌まわしい悪行の蔓延の阻止を強調し、彼らの存在自体が公序良俗の維持に有害であるばかりではなく、その存在を放置すれば神の怒りに触れ災害を招来するためであった。[松平光央1987]

(5)コモン・ロー

 コーク、ヘイル、ブラックストンにおいても、男色行為は反自然的、自然の秩序に反する性行為と把握され、ブラックストンは異常性行為を公的不法行為の一類型として説明している。

 独立したアメリカ合衆国13州のソドミー処罰制定法の基本になっているのは、w。ブラックストンの『英法釈義』1765~69であるが、男色行為への非難は‥より嫌悪すべき(more detestable)、より悪性な(deeper malignity)、悪名の高い(infamous)破廉恥な(disgraceful)といった言葉で修飾されているのである。

 私は、LGBT運動の新奇な思想より、聖書は無論のこと、男色行為は不自然な性行為で悪行と断定した、知の巨人たるプラトンやアリストテレス、聖アウグスティヌス、トマス・アクィナス等を圧倒的に信用するものである。 コーク、ヘイル、ブラックストンといったコモン・ロー法学の巨人も圧倒的に信用するものである。これらの書物や思想をLGBTの人権を否定したものとして焚書にするならば我々は文明規範を逸脱し野蛮人に戻るしかないし、すべての世界遺産をミサイルで破壊する暴挙に等しい。

 神聖なのは取引の自由、契約の自由という近代市民的自由の方であって、インフレ化した人権概念ではない。人格的尊厳という概念を勝手に人権とするのはやめるべき。「人間の尊厳」という思想は「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られているからだ」(創世記9・6)人間の生命の相互不可侵性の宗教的根拠づけに由来する。[パネンベルク1990] その聖書は同性愛行為を悪行としているのだから、神学的に同性愛者に人間の尊厳を認めることは論理的にありえない。

 私はレビ記20章13節「女と寝るように男と寝るのは、ふたりとも憎むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰することになるであろう」は正しい価値とするレッドステイツの人々を尊敬する。

 死後の安寧と幸福のために、最後の審判で申し開きができるように西洋文明規範を掘りくずすLGBT運動に反対することが、誠実な生き方としてこの意見を書いているので譲歩するところは何もないし、バーガー連邦最高裁長官がハードウィック判決1986年の補足意見で述べた「至福千年の道徳教訓を棄て去る」ことに同意できないのである。

 

 8 端的に肛門性交は反自然的、アブノーマルとして嫌悪する異性愛者マジョリティの感情が否定される理由はない

 私は、高尚な神学や哲学的な見地から離れても、性器性交(ペニスをヴァギナに挿入)が自然の行為でノーマルなものであり、性器性交でエクスタシーを得るのが、精神医学的にも正常で健全なものであり、肛門性交は反自然的、アブノーマルという認識が悪い価値観ということはありえないと考える。肛門性交に寛容であれという人権啓発は青少年の教育においても疑問である。

 快楽追求のための性行為を否定しないが、性器性交でフィニッシュが健全であり、われわれはLBGT人権尊重のために、肛門性交を嫌悪することを否定される理由など全くないのである。国民には肛門性交やソドミー行為を嫌悪する自由もある。私は高校生の時図書館のトイレの前で、「なめてあげる金を払うからしゃぶらせて」と言い寄せられたことがあるが拒否した。山の手線で男の痴漢にあったこともありますが、男が女のように媚びてバックから犯されたくないというのは普通の感覚であって、ジェンダー差別とされ糾弾されるのか。またヘテロセクシャルのオーラルセックスは生殖行為の前戯として価値をみいだすことができるが、同性愛者のフェラチオは嫌いだといって何が悪いのか。わが国には、戦国時代の念友を極盛期として男色文化があり、男の味を知ってから、女を楽しむのが通人ともいわれたが、近代化の過程で西洋の反同性愛文化も受容しているのであり、戦国時代に戻らなければならない理由など全くないし、西洋において同性愛者が火刑、生き埋め、絞首刑に処された怨念の復讐として文明の正統的規範意識をもつマジョリティの市民的自由が制約を受ける理由など全くないのである。

9 政府・自治体が言葉遣いの基準を策定するのは危険だ


 東京都では昨年宣誓パートナーシップ制度が条例化されたため、職員にLGBTの人権について研修をeーラーニングで行ってますが、夫、妻、奥さんという表現はよくない、配偶者、パートナーシップといった性的に中立な言辞とすべきと職員に教育しています。そうするとごく普通に使われている、何某夫妻とか、奥様とか言葉狩りが進む可能性あり、伊勢二見浦の夫婦岩はパートナー岩にされてしまうのか。馬鹿げている。 LGBTを不快にさせないことに気をつかいすぎである。マジョリティと対等以上などとんでもない。

 脅迫や名誉棄損など、現行法制でも違法とされる表現はともかく、慣用的、俗語として使われている「おかま」や「ホモ」などを禁句とするのは適切でない。私は園芸高校の出身だが、花卉園芸で自家受粉を繰り返すとホモと言い、ホモかヘテロかは重要な概念だと教えられた。ホモを禁句にすることは不可能。言葉の使いかたにしても、直接相手をなじるために使ったのではなく、たんに軽蔑の含意というだけ自治体が取り締まるようなことは、表現権の宗教の自由、思想の自由の重大な侵害になりうる。

 ファックザドラフト(徴兵なんか糞くらえ)という四文字語をつかった下品な表現が憲法上保護されるとしたのは、連邦最高裁のハーラン判事だが、尊敬している。個人主義的自由よりマイノリティの利益促進は間違った政策である。

 集団誹謗表現の規制は絶対反対である、特定個人にむけられたわけでもないのに、それをやると聖書、神学、経典、哲学、文学あらゆるものが、女性、同性愛者、人種、民族といった集団概念について差別的な表現を行っており、これらを否定すれば、文明規範は崩壊してしまう、心にも思っていないことを言わされ、本音がいえない社会は、一面従順、他面反噬といった倫理的存在たる人間の精神作用を分裂させて二重人格の形成を馴致するもので、精神的な病んだ抑圧的な社会になるだろう。

 また人種差別撤廃委員会は、二〇〇一年と二〇一〇年の日本政府報告書審査の結果として、日本政府に対して、(一)人種差別禁止法を制定すること、(二)人種差別撤廃条約第四条(a)(b)の留保を撤回し、ヘイト・クライムに法的対処を行うように勧告したが、人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」問題である。ヘイトクライム法は、人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」は表現の自由を侵害するものとして憲法学者の多くが否定的である。 私はヘイトクライム法や人種差別撤廃条約第四条(a)が規定する「人種差別の煽動処罰」には表現権重視の見地から強く反対である。

 政府はこの条約には問題があるので留保しているのであって、ここを突き崩すような立法を望まない。

10 学校教育でLGBT理解増進は不愉快

 米国では、カリフォルニア、コロラド、イリノイ、ニュージャージー州が、学校がLGBTQの歴史を教えることを義務付ける一方、南部やバイブルベルトでは反LGBT法が制定されている。ルイジアナ、ミシシッピ、オクラホマ、テキサス州で、性教育を異性間の行為に限定するといった州法が制定されている。テネシー州とモンタナ州で、性的指向や性自認に関する議論に自分の子どもを参加させないことを親が選べる州法が成立した。フロリダ州の「ゲイと言わないで法」は小学校3年までの性的指向、性自認の教育を禁止し、それより上の学年でも「年齢相応の」教材に限定するよう規定している。親は、教育者が法律に違反したと考えれば、学校区を直接訴え、損害賠償を求められる。ルイジアナやオハイオ州でも同様の法案が提案されている。
 サウスカロライナ州はトランスジェンダーのスポーツ禁止を制定し、出世時の性で競技させている。アラバマ州では性自認でなく、出生時に割り当てられた性別に基づいてバスルームとロッカールームを使用することを生徒に要求する。またテネシー州などが、未成年者の性転換医療を禁止する。
 すでに日本では高校の家庭科、義務教育でも道徳や保健体育でLGBTが取り上げられている。南部やバイブルベルトでは福音派等宗教右派がリベラル勢力と文化闘争していまずが、わが国の宗教ナショナリズムはアメリカよりずっと小さい存在でなので、いったん理解増進法案が通過すれば、LGBT教育が加速し、ヘテロセクシャルを正当とする我国の道徳的、文化的基盤を掘りくずし、マジョリティは特権階層化するLGBTの拝跪を強要されるばかげたことになりかねない。

引用

高橋正明 2017『ロバーツコートの立憲主義』大林啓吾・溜箭将之編 成文堂第三章平等-ケネディ裁判官の影響力の増加
田村航 2013 『一条兼良の学問と室町文化』勉誠出版
W.パネンベルク1990  佐々木勝彦訳『信仰と現実』日本基督教団出版局

船田享二『ローマ法』第四巻岩波書店 1971

ペイゲルス 絹川・出村訳1993『アダムとエバと蛇「楽園神話」解釈の変遷』ヨルダン社
松平光央1987「西欧文明,同性愛,バーガー・コート--アメリカ連邦最高裁判所の同性愛処罰法合憲判決を中心に」法律論叢(明大)60巻2・3号

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