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意見具申 伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべき 伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒について(その二)

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2023/03/26

国会議員の先生方へ意見具申 有識者会議①案、皇室典範12条改変に強く反対 ③案に絞り旧皇族(伏見宮御一流)が直接復帰すべき -「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議報告の批判-(第3分冊)理由要旨version2

  

 結論は3月21日のエントリー第1分冊で述べてます。理由要旨ですが、①案、皇室典範12条改変反対を重点化し伏見宮御一流の由緒についてはかなり簡略化して短くしたバージョンです。

理由要旨(version2

内容

理由要旨 (version2)... 1

一 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する案に強く反対する.. 2

(一)皇室典範12条改変は日本の家族道徳、慣行、規範を根本的に破壊する... 2

(二) 生涯非婚内親王ならば実質女性宮家を創出してもよい... 7

(三) 案を「皇室の歴史と整合的なもの」と言うのは虚偽である... 7

二 旧宮家の再興・旧皇族復籍をコンセプトとして案にしぼるべき... 10

(一)養子縁組案を否定したい理由.. 11

(二)崇光院流=伏見宮御一流に正当性がある... 11

(三)令制皇親制度の世数制限は15世紀に実質修正され天皇との血縁的疎隔しても... 12

ステイタスを維持できる。皇統上の正当性こそが肝要... 12

 

 

一 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する①案に強く反対する

 

(一)皇室典範12条改変は日本の家族道徳、慣行、規範を根本的に破壊する

 

1 婚入者の婚家帰属性という日本の基本的な親族構造の否定

 

 有識者会議は、事務局の提言にもとづいて①案を恒久的制度とするため皇室典範12条の改変を強く打ち出しているが、絶対反対である。

   皇室典範12条(皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる)は、旧皇室典範44条を継受したものである。

   帝国憲法皇室典範義解によれば44条(皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス‥‥以下略)の趣旨は「女子ノ嫁スル者ハ各々其ノ夫ノ身分ニ従フ故」という趣旨のものである。

 夫の身分に従うとは、妻は夫の家に入る。出嫁女は生家から離れ、主婦予定者として婚家の成員となるゆえ夫と身分を同じくすることで、婚入者(嫁・婿)の婚家帰属性という日本の家族慣行を意味しており、これは華士族平民同じことで、侯爵家に嫁すならば侯爵夫人となり嫡妻として婚家を継いでいくゆえ、皇族の列を離れるという趣旨である。

 明治8年11月9日妻の氏について内務省が太政官に提出した伺出では、「華士族平民二諭ナク凡テ婦女他ノ家二婚嫁シテテ後ハ終身其婦女実家ノ苗字ヲ称ス可キ儀二候哉、又ハ婦女ハ総テ夫ノ身分ニ従フ筈ノモノ故婚家シタル後ハ夫家ノ苗字ヲ終身称ヘサセ候方穏当ト相考ヘ候‥‥」[廣瀬隆司(1985)][近藤佳代子(2015)]とあり、これは旧皇室典範44条の立法趣旨とほぼ同じことを言っている。

 明治民法起草者の一人、法典調査会で梅健次郎は、夫婦同氏であるべき理由として、妻は婚入配偶者として夫の家に入るのであるから夫婦同氏が日本の慣習に合致しているという趣旨を 述べている[江守五男1990 57]

 それゆえ旧皇室典範44条の立法趣旨の否定は、日本の家族慣行の全面否定といえる深刻な問題なのである。私は選択的夫婦別姓導入に反対だがそれに先鞭をつける意図せざる結果をもたらす。

 人類学者によれば日本の「家」は離在単位であり、人は複数の家に両属することはない。婚入者(嫁・婿)は婚家の成員であり、不縁とならない限り死後婚家の仏となる[清水昭和俊197019721973]。

 ①案のように夫妻と嫡子とで尊卑の異なる新奇で歪な制度を創出することは、日本の社会構造に合致した皇室典範12条を否定することによって、伝統的家族規範を崩壊させる強い懸念がある。国民の多くが皇室を慕っている以上、一般国民に与える影響が大きいからである。

 我が国の家族慣習では婚入者である入婿は家長予定者として迎えられ、婚家に帰属する。

 我が国の「家」は家長-主婦の性的役割分担の地位構成が各世代続いていくことにより永続する。人類学の大御所清水昭俊氏が指摘していることで、婿取りの場合、長女の地位は嫁と同様主婦予定者であることにかわりない。家長、当主は長男であれ入婿であっても男性で、寡婦は子供が未成年の場合に家長代行たりうることや、夫が早世した場合は、新たに嫁が婚入者を迎えても家は継承されるという規則性を明らかにしている。

 したがって家長(当主)予定者でない入婿というのは日本では考えられず、①案がそのよう歪な制度を作ってしまっているのは、男性を皇族女子の添え物にしてしまうのは男性に対する侮辱だ。

 ところで、限嗣単独相続の日本的「家」が成立したのは1415世紀(後期中世)と考えられるが、公家社会で史料上嫁取儀礼が頻出するのは戦国時代以降のことである。

 嫁取儀礼は「家」の継承者である「嫡子」に正妻を迎える儀礼として重視され、儀礼後「正妻は夫方の父母や親族と対面し、三献で祝うことで夫の親族として認められた。」[後藤みち子2009]。

 公家社会における嫁取婚は応仁文明の乱以降が想定されているので、17世紀に皇女ないし内親王が摂家に降嫁した9方の事例し当然嫁取婚である。

 近衛家煕に降嫁した霊元皇女憲子内親王の婚儀の詳細が「无上法院殿御日記」「基煕公記」に記されており嫁取婚の形式であり[瀬川淑子2001]。他の8例も同様と考えられる。摂家に降嫁した皇女はいずれも夫方居住、墓所は婚家の菩提寺もしくは婚家にゆかりの寺であり、宮内庁治定陵墓でないということは皇族から離れたことを意味しており、皇女・内親王の婚家帰属は明らかなのでである。

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  しかも、継嗣令王娶王娶親王条は内親王が臣下に降嫁すること自体違法としている。実際には、10世紀の藤原師輔が醍醐皇女三方と密通したことは反律令行為だったが、事後的に勅許され形となったため、10世紀と17世紀などで、内親王が臣下に降嫁した例がみられるが、統計的にも6世紀の欽明后石姫皇女以降、現代まで千五百年で、一世皇女ないし内親王(一世皇女)で皇親(皇族)と結婚したことが知られるのが63方、臣下と結婚したのが27方であり、やはり皇親内婚が大きく上回り、それが原則である。

 実際、1698年に伏見宮邦永親王に嫁した霊元皇女綾宮福子内親王から、1943年に東久邇宮盛厚王に嫁した昭和天皇の長女照宮成子内親王まで、内親王が結婚した例(婚約相手が早世もしくは婚約棄破した例を除く)10例のうち、1例が天皇か8例が皇族であり、原則に回帰したあり方になっている。

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 したがって、内親王と臣下の婚姻は令制が想定していないイレギュラーな事例であるが、17世紀の摂家への降嫁は、当時皇女が多く、室町・戦国時代通例だった比丘尼御所(尼門跡)の知行が不足していたこと、内親王独自の知行はなかったなどの事情によるもので[久保貴子2009]、少なくとも幕末の徳川家に降嫁した例を含め近世の10例の皇女、内親王の婚家帰属は明白なのであるから、旧皇室典範日本的「家」の慣行に従って、「女子ノ嫁スル者ハ各々其ノ夫ノ身分ニ従フ故」、皇族の列を離れるとしたことは道理があり、これを否定する理由はない。

 戦後、明治民法の戸主権喪失により男性が弱くなり、長男は分割相続により威信を失ったことは社会的事実として認められるが、人類学者がいうように「家」は我が国の親族構造として存在し、いわゆる核家族も「家」であることに変わりない。

 有識者会議①案は、妻は夫の家に入るという、婚入者の婚家成員性という伝統的価値規範をねじまげてしまう深刻な問題なのである。恐ろしい文化破壊兵器になる。これが通ったら日本の醇風美俗は崩壊する。

 

2 夫妻は尊卑を同じくするのは儒教文化圏の文明の基本理念

 

 夫妻なのに皇統譜と戸籍、嫡子は戸籍という、家族であっても尊卑を同じくしないこと。夫妻と嫡妻と嫡子がバラバラの身分としている違和感は相当に不愉快なものである。

 夫妻は尊卑を同じくした身分という秩序観念は儒教の最も基本的な経書に由来する。

 『儀禮』『禮記』によると、婚姻によって、嫡妻たる女は、夫と同一の身分になる。それは夫の宗廟社稷につかえるためである。『儀禮』喪服の伝には「夫妻一体」「夫妻ハン合」等の言葉がみえ、夫妻を夫の宗廟につかえる単位としている。『禮記』郊特性では、婚姻の礼を経た夫妻は、尊卑を同じくして秩序の根本の単位となるとされる[谷口やすよ1978]。つまり儒教文化圏の古来の規範に由来する秩序観念もある。

 したがって①案により夫妻、母と嫡子でバラバラの新奇な制度を創出することは、有識者会議は文明理念への重大な挑戦を行ったともいえる。道理に反するので却下されるべきである。

 

3 婦人道徳を全面的に否定する害毒になる

 

  女性は夫ともに婚家を継ぐことが婦人道徳の基本である。夫の身分に従うという趣旨は日本の伝統的な婦人道徳にもとづいているともいえる。

 教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり『女大学宝箱』は中等以上の身分を対象とした女訓書である。享保元年(1716)から明治初年まで11版を重ねたものである。

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 この見解は後漢の『白虎通』に「嫁(えんづく)とは家(いえづくり)なり。婦人は外で一人前になる。人は出適(とつぐ)ことによって家をもつ」とあるように儒教に由来する。

 『女大学』とは親および舅姑に対する孝、洗濯、裁縫、結納・結婚・出産・子育てなどを内容とした女訓書であるが、1980年代中学校の家庭科男女共修がされたころに良妻賢母教育が否定されるまで、女性は嫁いだら婚家の舅姑に仕えるのは支配的な価値観だったが、公教育で婦人道徳が教えられず、良妻賢母教育は崩壊し、女子の婚姻指向の価値観が相対化したため少子化が当然の社会になってしまった。

 しかし日本の家族倫理の基本は儒教道徳であるとはいうまでもない。

 令制では、儀制令春時祭田条の〈郷飲酒礼〉、戸令国守巡行条の〈五教教喩〉や、賦役令の孝子・順孫・義夫・節婦の表旌などによる家族道徳の形成により、村落社会の秩序を確立した。律令国家の統治理念は儒教道徳による民衆教化なのである[武田佐知子1980]。それが礼節をわきまえた国民性の基本になっている。

 儒教は偕老同穴の思想にみられるように、夫婦の一体性も重視していることに注意したい。

 そしてそれは、福沢諭吉が「古来偕老同穴は人倫の至重なるものとして既に已に其習慣を成し、社会全体の組織も之に由りて整頓したることなれば、今俄に変動せんとするも容易に行はる可きに非ず」『福翁百話』と言ったように、それは近代社会にも通じる夫婦倫理といえる。

 七出(七去)の状も戸令に定められているし、舅姑に従うべき道徳は公定されていた。。礼の基本として、社会の基本単位としての家族のあり方を繰り返し説くのが儒教である。それは我が国に継受された規範である。

 女子差別撤廃条約の条文解釈は締約国の解釈いかんなので、1980年代に家庭科男女共修も良妻賢母教育を否定する必要もなかった。今や舅姑に仕えるのはいやだ、夫と同じ墓に入りたくない。でも夫家の遺産は分捕りたいという夫婦別姓論者がはびこり、SDGs教育でジェンダー平等を教えている。

 とはいえ、結納、三献など嫁入婚の習俗はすたれていない、夫婦同氏96%は夫家の苗字、白無垢・色直し(白無垢は死装束で生家での死、色直しにより婚家で再生するという意味があるとの説が有力[江守五夫1990 48頁][徳島県立博物館企画展図録2001])は和装婚礼衣装の定番であることは今日でもかわりない。。

 良妻賢母教育は崩壊し、今やSDGsという左翼偏向教育を文科省が推進しジェンダー平等を教えている。しかし日本社会の基層は、古来の家族倫理、道徳によってまだ健全に保たれている。

  それなのに有識者会議は、旧皇室典範44条の立法趣旨をあっさり否定し、1130日の会議で事務局が資料で恒久的制度とすべきと提言し、皇室典範12条を潰すことに強い執念を示しているのが不気味だ。有識者会議①案は伝統的婦人道徳を根底的に破壊しとどめを刺すように思える。日本的「家」の慣行を破壊し、日本の親族構造を否定する重大な挑戦として断乎として反対である。

 

 4 皇室の性的役割分担を流動化させる

 

 夫婦なのに女性皇族は皇統譜、配偶者と所生子は戸籍という一体性がなく、夫婦別姓のような歪で醜悪な制度を創出し、皇室制度を根本的に破壊する。

 皇室典範は男子だけが皇位継承者であり、天皇と皇后、親王と親王妃、王と王妃という性的役割分担があり、これは一般家庭の家長-主婦に類比できる。旧皇室典範のもとでは内親王五方は全て皇族と結婚したので王妃となった。明治皇女の内親王にしても、下記のとおり称され王妃という役割である。

     明治神宮サイトのデータベースより引用

    大正14(1925)年4月9日

   竹田宮故恒久王妃昌子内親王殿下、北白川宮故成久王妃房子内親王殿下、東久邇宮稔彦王妃聰子内親王殿下御参拝

 むろん冷泉天皇と昌子内親王のように従兄弟どうしの結婚の前例もあり[河村政久史1973]、内親王が皇后となる可能性はもちろんあるが、皇室典範12条は、皇族女子が結婚する場合は、皇后、親王妃、王妃という身位以外は用意されていないから、性的役割分担が明確なのである、①案がこれを改変するので左翼的なジェンダー平等を見据えた政策で、特殊な身位を創出することになり、皇室の性的役割分担を流動化させる。この案は女性皇族が確実に増加していく案(仮に生得的な皇族が男女同数としても、男性皇族の妃が皇族となる一方、女性皇族の配偶者し当面皇族としないのが①案でしかも恒久的制度とするというので、女性皇族が増加していく)、将来的に男女共系長子相続とする政策を誘導することになる。①案と②案の並行実施も反対で、養子縁組が進捗しなければ、結局、①案から将来男女共系にせざるをえなくなる。

 

5 夫婦別姓に誘導させる政策である

 

 伝統的な中国は宗法によって完全な父系社会であるわけではなく、入贅(贅婿)の慣行もある。日本と同じ準父系であることは20世紀前半の民族学調査でわかっている。しかし入贅となる男性は宗法に反するので甚だ軽蔑の対象となる、表向きには祖父-孫継承になるので無視される存在なのである。

 むろん中国と日本では、家族慣行に共通点も多いが、我が国では当主(家長)たりえない入婿、たんに子づくりのための入贅というのはない。

 有識者会議①案は、日本的ではない政策、軽蔑される対象となる入贅という男性が添え物であるような、中国の下位制度を皇室に創出しようとしている。しかも、これを恒久的制度とするというのである。男性に対する重大な侮辱だ。男性の一人として激怒すべき事柄である。

  夫婦なのに女性皇族は皇統譜、配偶者と所生子は戸籍という夫婦別姓的で歪な制度を創出することにより、選択的夫婦別姓に先鞭をつけることになる、共産主義、左翼の家族政策に迎合し誘導することになる。

 

(二) 生涯非婚内親王ならば実質女性宮家を創出してもよい

 性的役割分担を流動化させる皇室典範12条に手をつけない政策に限定されるべき。皇族女性を皇室にとどめるには従来どおり天皇、皇族と結婚し、皇后、親王妃、王妃となられるか、伝統に照らすならば先例のある生涯非婚の内親王として独立の御所、独立生計、家政を担う職員を付属させて非婚の内親王家の当主として特旨により厚遇するあり方に限定されるべきである(先例として後光明皇女一品准后孝子内親王は、御殿が造営されて生母と同居し、御領300石の知行を有した例[久保貴子2009]。

 それ以上の譲歩はNGにしてくださいということを政治家の方々に訴えたい。

 

(三)①案を「皇室の歴史と整合的なもの」と言うのは虚偽である

 

 有識者会議報告では①案を正当化させるため、皇族女子が臣下に嫁しても結婚後も皇族の身位を維持している先例として、徳川家茂に降嫁した仁孝皇女親子内親王、令和31130日会議での事務局資料では、藤原師輔に降嫁した醍醐皇女勤子内親王以下6例を例示しているが、いずれも違法婚である。

 つまり継嗣令王娶親王条は、皇親女子(内親王、二~四世女王)は臣下との結婚を違法としており皇親内婚を規定している。我が国固有の婚姻法制である[i]

 延暦12年詔により、二世女王は藤原氏への降嫁、三世女王以下は現任大臣、良家に嫁することが許され規制緩和はなされているが、内親王の臣下への降嫁は一貫して違法であり[今江広道 1983[安田政彦 1998][栗原弘2002[米田雄介2014]、事務局例示の6例は、いずれも令制が想定していない婚姻であり、違法だが勅許されたというイレギュラーな事例なのである[ii]

 反律令行為が特に勅許されたとしても、違法婚である以上「皇室の歴史と整合的なもの」と評価するのは間違っている。

 このような非論理的説示で、政治家を騙そうとしている悪質なものいえる。

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1 師輔と康子内親王の密通が「皇室の歴史と整合的な」なはずがない

 

 内親王の結婚を親王、諸王(四世王まで)に限定する継嗣令王娶親王条は、藤原師輔が内親王三方と密通のうえ事後的に承認されることによって破られた。

 このうち有識者会議事務局資料が例示する天暦9年(955)一品准后康子内親王(醍醐皇女、村上皇姉)の右大臣藤原師輔への降嫁は下記の史料にみられるように評判が悪い。それは反律令行為だからである。

 師輔は康子内親王が内裏に居住していたときに密会し、村上天皇の怒りをかった。そのため内親王は「御前のきたなきに(前が汚れている)」(『大鏡』)とか「九条殿〔師輔〕はまらの大きにおはしましければ、康子はあはせ給ひたりける時は、天下、童談ありけり」(『中外抄』) などと伝えられている。

 [保立道久1996 81]

 次の史料では村上天皇及び世間はこれを許さなかったとも伝えている。

『大鏡』三 裏書

一品康子内親王事

(中略)

天暦八年三月廿八日勅賜年官年爵。本封外加一千戸。准三宮。同九年配右大臣師輔公。帝及び世不許之。天徳元年六月六日生仁義公。即薨。同十日乙丑葬礼

[米田雄介2004 486頁]

 

 天気を損じたこと。世間も肯定的でなく異常な事態とみなされていたことが史料でうかがわれる。但し『中外抄』は12世紀の関白藤原忠実の口述記録で、同時代の記録ではないが、師輔の子孫でありながら醜聞と認識していることがわかる

 もっとも、結果的に結婚は承認された。師輔は村上天皇の皇后の父で義父にあたり、事の性質上、違法であっても内親王降嫁を勅許せざるをえなかったのである。

 康子内親王は産褥により薨ぜられ、遺児が太政大臣藤原公季(閑院流藤原氏の祖先)である。のようにこイレギュラーな婚姻事例を「皇室の歴史と整合的なもの」とし、①案を正当化しようとする有識者会議事務局の見解に論理性はない。

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2 事務局例示の6例を①案の前例とすることに論理性がない

 

 事務局例示6例について、婚姻のあり方、所生子、夫方居住か否か、葬儀・仏事、墓所等を調べたところ、以下のとおりである。

 吉子内親王は納采の儀の年に結婚相手の家継が7歳で夭折し、たった3歳で未亡人になってしまった例で特殊であり、吉子内親王と結婚期間が短く墓所等不詳の勤子内親王を除いて、例示の臣下に降嫁した内親王四方は、夫方居住、墓所もしくは仏事が婚家の菩提寺であり宮内庁治定陵墓のリストにない。なによりも所生子は父系帰属で藤原氏なのであるから、婚家帰属性は明確である。①案はアン王女から発想された案と考えられるが、女性皇族が摂政や国事行為臨時代行となる①案の皇族女子が夫の私邸居住は不都合に思え①案のイメージと、事務局例示の前例とはかなりの違和感があり、6事例を前例とすることに論理性はない。

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 二 旧宮家の再興・旧皇族復籍をコンセプトとして③案にしぼるべき

 

 11宮家は昭和22年、昭和天皇と大正天皇の直宮三家を守るため、当時の特殊な事情により離脱されたのであって、旧宮家の宮号再興、旧皇族復籍をコンセプトとして皇統に属する男系男子を独立の当主として復籍していただくべき。

 旧皇室典範は、原則は 永世皇族制であり男系男子が続く限り皇族である。現皇室典範も嫡出を明記しているが同じことである。

 明治22年皇室典範の永世皇族制を前提とするならば、旧宮家の男系男子は、離脱してなければ皇族であったはずだから、現今のように皇位継承者が枯渇している状況では、できる限り復籍していただくのが筋である。

 もっとも、明治40年に皇室典範増補第一条「王は勅旨又は情願に家名を賜ひ華族にせしむることあるへし」により、臣籍降下がありうることが確定し、永世皇族制度が見直され、大正 9年(1920)から昭和18年(1943)にかけ、明治40年(1907)年の皇室典範増補に従い、臣籍降下された次男以下の12名の旧皇族がおられるが、この方々の男系子孫も、復帰していただきたいと考える。それでは多すぎるということなら別途調整する案が考えられると思う。

 とはいえ、ウィキペディアによれば閑院家は絶家とされている。無嗣子となった旧宮家もあるだろう。皇室典範では宮号は称号であり、遺産相続はあっても家督相続なしといわれ、「家」制度的なあり方とは違うとはいえ、臣籍に降下された以上、家の跡取りが考えられているはずである。

 実子の跡取りがいない場合は、婿養子や養子縁組をする。皇籍から離脱されている以上、養嗣子を取ることはできるから、例えば旧宮家X4方男系男子がおられるなら、御一方はX宮家当主として復籍し、他の男系男子は、実系では途絶した旧宮家の養嗣子であるならば、皇籍に復帰できるようにする。そうでなくても旧宮家を尊重し、当主もしくは代表者の推挙権を行使していただくか、それに准じた案を検討し、旧宮号をできるだけ多く再興するようにすべきである。具体策は本文第二部の第2節に記述する。

 なお、②案については、現存宮家の当主が跡取となる養嗣子を要望されているなら、③案と平行する形で検討すべき事柄である。

 つまり、旧宮家の嫡男は旧宮号で再興していいただき、次男以下の男子がおられるなら、その方々は新宮号や実系では途絶した宮号の再興を基本案として、もしくはそれに工夫を加えて復籍していただくということである。

 

(一)②養子縁組案を否定したい理由

 

 そもそも、大鉈を振るう改革には大反対で、皇室典範9条は養子相続を認めていないので、明治22年以前のあり方に戻すだけだといっても、改革には慎重であるべきである。12条改変は絶対反対であることは再三述べたが、9条も改変したくないので、現行の皇室典範のコンセプトを改変せずに、皇位継承候補者の確保をなすべきである。

 但し現存宮家当主が跡取りとして養子縁組の希望があると仰られるなら検討せざるをえない。しかし皇室典範で養子相続が否定されている大前提があり、宮号、財産や祭祀を承継する養嗣子にこだわらないと仰られたなら、この②案は実現困難となり、男女共系に道を開く①案しかなくなるというリスクがある。従って堅実無難な③案を軸とすべきである。

 現存宮家が養子縁組する目的が、たんに旧皇族男系男子の血縁的疎隔を穴埋めするための准的な措置、方便として行うという意味なら、以下の理由でそれは不要である。

 

(二)崇光院流=伏見宮御一流に正当性がある

 

 伏見宮御一流の宗家である伏見宮家には後深草院流正統とする『椿葉記』に記されるような皇統上の格別の由緒、永続を約された由緒が複数以上あること。

 伏見宮家は、崇光院流の正当性ゆえ、天皇と血縁が疎隔してもステイタスは劣化せず、皇親からフェードアウトしない永続性のある世襲親王家となり、しかも実系で血統が絶えることなく天皇家と550年併存した。「別格の宮家」、「准天皇家」ともいわれ、完全なる傍系化が回避された王統なのである[久水俊和2020a 39頁]。しかも明治22年皇室典範以前に、実系で伏見宮系の世襲親王家は、伏見宮、閑院宮、小松宮と三家もあったのである。

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 平成初期頃から伏見宮旧蔵本(戦後宮内庁書陵部が国費で購入)の楽書が研究に利用しやすくなって帝王学である琵琶を中心とした音楽の研究が進展し、また伏見宮持明院統の文庫を相続しているが、平成時代に書誌学的研究も進展し、蓮華王院宝蔵という後白河院由来の蔵書も有していたことが明らかになった[田島公2004]。

 伏見宮の由緒については、近年『看聞日記』は細かいエピソードまで詳しく研究されており、現代語訳もされるようになった。

 従来の伏見宮貞成親王の太上天皇尊号宣下辞退説が明確に否定され、後崇光法皇は本格的太上天皇であったことが明らかにされた[田村航2018][久水俊和2020a]。伏見宮貞常親王が後花園より「永代伏見殿御所」号勅許の所伝は、複数の史料がないため慎重に扱われていたが、近年積極的に評価する歴史家が多くなったなど成果も多い。崇光院流=伏見宮の正当性の再定義を行えば、国民の理解は容易に得られる。それほど伏見宮御一流と天皇家が併存すべき理由、伏見宮の永続性にかかわる理由には事欠かないからである。

 

(三)令制皇親制度の世数制限は15世紀に実質修正され天皇との血縁的疎隔してもステイタスを維持できる。皇統上の正当性こそが肝要

 

 大宝令や養老令の継嗣令皇兄弟条は、皇親の範疇を四世王までに世数制限しているが、15世紀に、門跡に入室する人材が払拭したため、五世王や六世王でも上皇や天皇の猶子として親王宣下が合法化された[松薗斉2010]。中世公家法は、准的などの法技術により令義解の原意にこだわらない解釈が可能なので[保田卓 1997 ]、15世紀に実質修正されており、しかるべき由緒のある皇統では、天皇との血縁が疎隔しても親王宣下が慣例化した。継嗣令の原意の世数制限にこだわる必要はない。

 15世紀は限嗣単独相続の日本的家制度の成立期であり、それに対応した皇親制度に変容したのである。要するに15世紀以降の展開は、皇統上の格別な由緒、正当性が重要なのであって、天皇との男系での血縁の疎隔はさほど重要な問題ではない。

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[i] (継嗣令王娶親王条)

「凡王娶親王、臣娶五世王者聴。唯五世王。不得娶親王」

 諸王は内親王以下を娶ることができる。但し五世王は内親王を娶ることができない。臣下は五世王以下を娶ることを許す。 従って皇親の範疇である内親王、二世~四世女王は(令制では皇女と天皇の姉妹が内親王、孫が二世女王、曽孫が三世女王となる)は臣下との婚姻は違法。 

[ii] 日本紀略延暦12年(793)九月丙戌の詔「見任大臣良家子孫。許娶三世已下王。但藤原氏。累代相承。摂政不絶。以此論之。不可同等。殊可聴娶二世已下王者」 見任大臣と良家の子孫は三世四世の女王を娶ることを許し、特に藤原氏は累代執政の功に依り、二世女王を娶り得ることにより、規制緩和がなされているが、内親王と臣下の結婚は一貫して違法である[今江広道 1983[安田政彦 1998][栗原弘2002[米田雄介2014]

  文殊正子[1986]によれば、中国では皇帝の娘や姉妹は「公主」号を称する。「公主」が臣下に嫁ぐことで皇帝と臣下との親密化を図る役割を担っていたのに対し、日本の「内親王」は皇族のみに嫁ぐことで皇室の血の尊貴性を守る役割を担っていた[中村みどり2014による文殊説の要約]

  




引用・参考文献(一覧表

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翻訳書

ジョン・ノックス1986飯島啓二訳「女たちの奇怪な統治に反対するラッパの最初の高鳴り」『カルヴァンとその周辺〈2(宗教改革著作集〈10)』教文館

JL・フランドラン1992宮原信訳『性の歴史』藤原書店

JL・フランドラン1993森田・小林訳『フランスの家族』勁草書房

イレイン・ぺイゲルス1993 絹川・出村訳『「楽園神話」解釈の変遷アダムとエバと蛇』ヨルダン社(原著1988

ウタ・ランケ・ハイネマン1996高木昌史他訳『カトリック教会と性の歴史』三交社

ピーター・ラスレット1986『われら失いし世界―近代イギリス社会史』川北・指・山本訳 三嶺書房

ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993若尾夫妻訳『ヨーロッパ家族社会史』名古屋大学出版会

ミッテラウアー,ミヒャエル1994若尾・服部・森・肥前・森訳1994『歴史人類学の家族研究-ヨーロッパ比較家族史の方法』新曜社

メッツ,ルネ1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社

赤阪俊一2008「教会法における結婚」埼玉学園大学紀要人間学部篇 8号★

赤坂恒明2018「室町期の皇族、木寺宮とその下向」『日本史のまめまめしい知識第3巻』岩田書院

赤坂恒明2019「遠州木寺宮考」十六世紀史論叢12

赤坂恒明2020『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』吉川弘文館

明石一紀2000「鎌倉武士の「家」-父系集団かに単独的イエへ」伊藤聖子・河野信子編『女と男の時空-日本女性史再考おんなとおとこの誕生-古代から中世へ(上)』藤原書店

明石一紀2006『古代・中世のイエと女性』校倉書房

秋山喜代子1993『養君にみる子どもの養育と後見』史学雑誌 102 (1)

朝倉尚 1990 『就山永崇・宗山等貴』 清文堂

浅見雅男 20102018 『大正天皇婚約解消事件』 角川ソフィア文庫

浅見雅男2016『皇族と天皇』ちくま新書

浅山郁1985「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社 (通号 30)

阿部泰郎2018 『天皇の歴史10天皇と芸能』渡部泰明、鈴木健一、松澤克行共著 講談社学術文庫

荒井献1985「新約聖書における女性の位置」『聖書セミナー』第1号日本聖書協会

1988『新約聖書の女性観』岩波セミナーブックス

荒川玲子1986 「比丘尼御所に於ける御所号勅賜の意義」 書陵部紀要(38

荒木敏夫1999 『可能性としての女帝 』 青木書店

嵐義人1998「姓氏・名乗、あれこれ」(『日本「姓氏由来」総覧』新人物往来社)

飯倉晴武2000 『地獄を二度もみた天皇 光厳院』 吉川弘文館

飯倉晴武2002 『日本中世の政治と史料』 吉川弘文館

飯倉晴武2009 「伏見宮本の変遷-書陵部での整理と書名決定-」 禁裏・公家文庫研究第三輯 思文閣出版

家永遵嗣 2013「室町幕府と「武家伝奏」・禁裏小番」 近世の天皇・朝廷研究大会成果報告集 5

家永遵嗣 2016 「光厳上皇の皇位継承戦略」  桃崎有一郎・山田邦和『室町政権の首府構想と京都』所収

家永遵嗣 201814世紀の公武関係・朝幕関係と室町幕府 : 皇位継承争いのもとにおける国制の再構築(縮約補訂)」学習院史学56

家永遵嗣・水野圭士ほか 2019 <資料解題>解説と翻刻 国立公文書館所蔵『初任大饗記』, 国立歴史民俗博物館所蔵『義満公任槐召仰議并大饗雑事記』」 人文 (17)

池和田有紀2020 崇光天皇-北朝皇統分裂の始まり 久水俊和・石原比伊呂編『室町・戦国天皇列伝』戎光祥出版

伊集院葉子2014『古代の女性官僚女官の出世・結婚・引退』吉川弘文館

伊藤之雄2021『最も期待された皇族東久邇宮』千倉書房

伊藤喜良1997 『南北朝動乱と王権』 東京堂出版

伊藤唯真1982「知 恩 院 周 誉 珠 琳 と 浄 厳 坊 宗 真」鷹陵史学8

石崎泰助1975「秘跡概念の発展についての一考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編35

石原比伊呂2015『室町時代の将軍家と天皇家』勉誠出版

石原比伊呂2018『足利将軍と室町幕府』戎光祥出版

石原比伊呂2020『北朝の天皇』中公新書

井戸田博史1986『『家』に探る苗字となまえ』雄山閣1986 

井戸田博史2003『氏と名と族称』法律文化社

稲田利穂1989 「曹源寺蔵「永正18410日和漢聯句」--翻刻と解説」 岡山大学教育学部研究集録 (80)

稲葉伸道 2019 『日本中世の王朝・幕府と寺社』 吉川弘文館

稲福日出夫1985<論説>ミルトンの離婚論 : 法思想史におけるその位置づけ」s同志社法學 371/2号★

井上兼行・清水昭俊1968「出雲調査短報」『民族學研究』331号 

井上幸治2016『古代中世の文書管理と官人』八木書店

井上光貞 (1985初出は1964) 井上光貞著作集一『日本古代国家の研究』 岩波書店

井上亘1993 「光明立后の史的意義をめぐって」 学習院史学 (31)

猪熊千尋2018『中世王権の音楽と儀礼』笠間書院

位藤邦生 1973 「無力次第也 「看聞日記」に見る伏見宮貞成の生きかた (中世文学(特集) 国文学攷(62)

位藤邦生1991『伏見宮貞成の文学』清文堂出版社

井原今朝男1995 『日本中世の国政と家政』 校倉書房

井原今朝男 2014 『室町廷臣論』 塙書房

今井通郎1962「平安文学に現れた楽器」東洋音楽研究 1617

今江広道 1983 「八世紀における女王と臣下の婚姻に関する覚書」『日本史学論集』上巻所収 吉川弘文館

今谷明1990『室町の王権』中公新書

今谷明 2000 『室町時代政治論』 塙書房

今井通朗1962「平安文学に現われた楽器」東洋音楽

井山温子 1995 「しりへの政』その権能の所在と展開」 古代史研究(13

岩井託子1996a「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(1) 」 中京大学文学部紀要 312

岩井託子1996b 「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(2)」中京大学文学部紀要 313434

岩井託子1997「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(5)」 中京大学文学部紀要 32

岩井託子1999a「グレトナ・グリーン 英国随一の結婚式場(8)」中京大学文学部紀要 341

岩井託子1999 b「グレトナ・グリーン 英国随一の結婚式場(9) 」中京大学文学部紀要 342

岩井託子2002『イギリス式結婚狂騒曲 駆け落ちは馬車に乗って』中公新書

岩佐美代子1993「光厳天皇-その人と歌-」駒澤國文 30

岩佐美代子 1997 『宮廷に生きる』 笠間書院

植木朝子 2009 「『看聞日記』にみられる楽器」松岡心平編『看聞日記と中世文化』 森話社

植田真平・大澤 泉(2015)「伏見宮貞成親王の周辺 ―『看聞日記』人名比定の再検討」書陵部紀要66

上野和男1982「日本の祖名継承法と家族--祖先祭祀と家族類型についての一試論」『政経論叢』5056

上野和男1985「日本の位牌祭祀と家族--祖先祭祀と家族類型についての一考察」『国立歴史民俗博物館研究報告』6

上野雅和1962「イングランドのキリスト教化と婚姻法-イングランドにおける近代的婚姻の成立過程2」松山商大論集132

上野雅和1981「イギリス婚姻思想史-市民的夫婦一体観の成立をめぐって」福島正夫編『家族-政策と法』東大出版会

鵜川馨 1991「十八世紀英国における婚姻契約」『イングランド中世社会の研究』聖公会出版

梅村恵子 2000 「天皇家における皇后の地位」伊東・河野編『おんなとおとこの誕生4古代から中世へ』藤原書店

宇根俊範1980「律令制下における賜姓について-朝臣賜姓ー」『史学研究』80

宇根俊範1983「律令制下における賜姓について-宿禰賜姓-」『ヒストリア』99

枝村茂1975「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」  アカデミア 人文自然科学編,保健体育編 25

枝村茂1978「婚姻の不解消性と教会権についての神学的考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編 28

枝村茂1980「カトリック教説における婚姻の目的の多元性」 アカデミア 人文自然科学編,保健体育編 31

枝村茂1985「カトリック教会法における婚姻の形式的有効要件とその史的背景」宗教法学3

枝村茂1995「カトリック婚姻法における世俗性と宗教性」宗教法14

江守五夫1986『日本の婚姻』弘文堂

江守五夫1990『家族と歴史民族学-東アジアと日本-』弘文堂1990

江守五夫1993「日本の家族慣習の一源流としての中国北方民族文化」江守五夫・大林太良ほか『日本の家族と北方文化』第一書房1993

江守五夫1998『婚姻の民俗-東アジアの視点から-』吉川弘文館1998

榎村寛之 2007 「元・斎王井上内親王廃后事件と八世紀王権の転成 」 国立歴史民俗博物館研究報告( 134

遠藤慶太2000「『続日本紀』と承和の変」古代文化52

遠藤みどり 2015 『日本古代の女帝と譲位』 塙書房

近江昌司1962 「井上皇后事件と魘魅について」 天理大学学報(14

大島創2015「法金剛院と法金剛院領の形成・伝領過程」史観172

大竹秀男1977『「家」と女性の歴史』弘文堂

大藤修1996『近世農民と家・村・国家 : 生活史・社会史の視座から』吉川弘文館

小笠原敬承斎(2010)「結婚にまつわるしきたり その起源と意味」『歴史読本』201010 55 10号 通巻856

岡野友彦2015『戦国貴族の生き残り戦略』吉川弘文館

岡部 明日香(2012)「秋好中宮と勤子内親王・雅子内親王の史実:―絵画と斎宮」中古文学 90(0)★

小川剛生2003『南北朝の宮廷誌―二条良基の仮名日記』臨川書店

小川剛生2005 『二条良基研究』 笠間書院

小川剛生 2009 「伏見宮家の成立 貞成親王と貞常親王」松岡心平編『看聞日記と中世文化』 森話社

小川剛生2012『足利義満』中公新書

小川剛生2017 『中世和歌史の研究』 塙書房

小川剛生 2020 『徒然草をよみなおす』 ちくまブリマー新書

小川剛生 2020 『二条良基』 (人物叢書)吉川弘文館

奥村佳紀1971「新羅人の来般について」駒沢史学 (18)

小倉慈司2010「親王・王成年式表」『書陵部紀要』(61

小田部雄二2014『天皇と宮家 消えた十二宮家と孤立する天皇家』新人物文庫

小野則秋 1944 『日本文庫史研究 上巻』 京都・大雅堂

尾上陽介(2001)「年官制度の本質」史観 145★

折井美耶子2003「明治民法制定までの妻と氏」『歴史評論』636

加栗貴夫2018「家移り儀礼から見た中世後期の「家」妻の位置」『日本史のまめまめしい知識第3巻』岩田書院

加地信行1998『家族の思想 儒教的死生観の果実』PHP新書

加藤東知1927『英国の恋愛と結婚風俗の研究 』日本大学出版部

勝俣鎭夫2011『中世社会の基層をさぐる』山川出版社

河西秀哉 2008 「象徴天皇制・天皇像の定着 ミッチー・ブームの前提と歴史的意義」 同時代史研究(1

河西秀哉2018『天皇制と民主主義の昭和史』人文書院

上村正裕 2018 「しりへの政と皇后八・九世紀を中心に」 日本歴史 (844)

金井静香 1999 『中世公家領の研究』 思文閣出版

神谷正昌2002「承和の変と応天門の変」史学雑誌111111

神谷正昌 2020 『清和天皇』 吉川弘文館

亀田俊和2014『南朝の真実 忠臣という幻想』吉川弘文館

亀田俊和2015『高師直』吉川弘文館 歴史文化ライブラリー

蒲生正男1968「《日本の親族組織》覚書-descent groupと同族について」『社』2 1968

蒲生正男1970「日本の伝統的家族の一考察」『民族学からみた日本岡正雄教授古稀記念論文集』河出書房新社

蒲生正男1974「概説・人間と親族」『人間と親族』(現代のエスプリ80)

蒲生正男1974b「婚姻家族と双性家族-オーストリア農村のメモから-」『講座家族・月報3

蒲生正男1975「〈家〉の再検討を目ざして」『九州人類学会報』3川上貢(1960)『般舟三昧院について』日本建築学会論文報告集 662

川上多助1982『平安朝史学』上 初版1930 昭和57年 国書刊行会

川崎晃 2004 「聖武天皇の出家・受戒をめぐる憶説」三田古代史研究会『政治と宗教の古代史』 慶応義塾大学出版会

神田裕理 2019 『朝廷の戦国時代-武家と公家の駆け引き』 吉川弘文館

河村政久史1973 「昌子内親王の入内と立后をめぐって」 史叢(7

官文娜2005『日中親族構造の比較研究』思文閣出版

官文娜2010「日中伝統家業の相続に関する歴史的考察--北京同仁堂楽家と三井家との比較において」立命館文學617

菊池大樹2001「宗尊親王の王孫と大覚寺統の諸段階」歴史学研究747

岸俊男 1957 「光明立后の史的意義」 ヒストリア(20

岸俊男1969 『藤原仲麻呂』 吉川弘文館

北啓太2016 「禁裏文庫と近衛家」田島公編『近衛家名宝からたどる宮廷文化史』 笠間書院

鍛代敏雄2013敗者の日本史11『中世日本の勝者と敗者』吉川弘文館

北西鶴太郎 「大鏡の文藝性序説 : その 1 主題に就いて」文芸と思想  (3)★

北野隆(1979)「近世公家住宅における数寄屋風書院について : その 2 摂家住宅について」日本建築学会論文報告集 275(0)★

木原弘美 1995 「 絵巻の往き来に見る室町時代の公家社会その構造と文化の形成過程について― 」 佛教大學大學院紀要 23号★

木村修二1994「近世公家社会の「家」に関する一試論 : 養子縁組をめぐって」 史泉79

木本好信 (2004、初出2002) 『奈良時代の藤原氏と諸氏族』おうふう

京楽真帆子1989「平安貴族の居住形態」比較家族史研究4

京楽真帆子1993「平安京における居住と家族-寄住・妻方居住・都市」『史林』76巻2号

金宅圭2000『日韓民俗文化比較論』九州大学出版会

久保貴子 1998 『近世の朝廷運営 - 朝幕関係の展開』 岩田書院

久保貴子 2002 「江戸時代-武家社会のはざまに生きた皇女」服藤早苗編著『歴史のなかの皇女たち』 小学館

久保貴子2009 「近世天皇家の女性たち (シンポジウム 近世朝廷の女性たち) 近世の天皇・朝廷研究大会成果報告集 2

楠元町子 2010「万国博覧会と皇室外交-伏見宮貞愛親王と1904年セントルイス万博-」愛知淑徳大学論集一文学部・文学研究科篇一 (35)★

熊谷開作1963『歴史のなかの家族』酒井書店

熊谷開作1987『日本の近代化と「家」制度』法律文化社

倉本一宏2019『公家源氏』中公新書小山順子2021「後土御門天皇と連句文芸-文芸を導く天皇」芳澤元編『室町文化の座標軸-遣明船時代の列島と文事』勉誠出版

倉本一宏2001「内府悦気有り」駒沢女子大学研究紀要 (8)1

栗原弘1990「藤原内麿家族について」日本歴史 (511)

栗原弘1994『高向群枝の婚姻女性史像の研究』高科書店

栗原弘1999『平安時代の離婚の研究』弘文堂

栗原弘 2002 「皇親女子 と臣下の 婚姻史一 藤原 良房 と潔姫の 結婚の 意義の 理解の た め に一」 名古屋文理大学紀要2★

栗原弘2004「藤原道長家族の追善仏事について」比較家族史学会 編 (19)★

栗原真人1991 <論説>秘密婚とイギリス近代 (1)」 香川大学 11巻1号★

栗原真人1992a 「〈論説>秘密婚とイギリス近代 (3)  香川法学 121号★

栗原真人1992 b「<論説>秘密婚とイギリス近代(4・完)  香川法学 122号 ★

栗原真人1996「 フリートとメイフェア : 一八世紀前半ロンドンの秘密婚」 香川法学 154号★

栗原涼子2003「革新主義考アナーキストフェミニズムについて」岩手県立大学盛岡短期大学部研究論集 5

栗山圭子 2001 「准母立后制にみる中世前期の王家」『日本史研究』465号 日本史研究465

黒田俊雄(1994・初出1982)「朝家・皇家・皇室考-」『黒田俊雄著作集一権門体制論』法蔵館

桑山浩然1996「室町時代における公家女房の呼称 」『女性史学』( 6)

河内祥輔2007『日本中世の朝廷・幕府体制』吉川弘文館

河内祥輔2018「鎌倉幕府と天皇」『天皇と中世の武家』所収

呉座勇一2018『陰謀の日本中世史』角川新書

小久保嘉紀2022「斯波義敏と斯波義廉の内訌」渡邊大門編『諍いだらけの室町時代』柏書房

小谷徳洋2022「河内四条畷の戦いと楠木正行の生涯」渡邊大門編『南北朝の動乱主要合戦全録』星海社

後藤みち子2009『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館

後藤みち子2014「室町戦国時代の婚姻」高橋秀樹編『婚姻と教育』竹林舎

小森崇弘2008 「後土御門天皇の月次連句文芸御会と公家」 立命館文學 (606)

小林よしのり 2010 『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論』 小学館

古藤真平2018 『日記で読む日本史3 宇多天皇の日記を読む』 臨川書院

五味文彦 2006 『中世社会史料論』 校倉書房

近藤佳代子(2015)「夫婦の氏に関する覚書(一)」宮城教育大学紀要49

近藤成一2016『鎌倉幕府と朝廷』岩波新書

近藤毅大 1997 「紫微中台と光明太后の『勅』」 ヒストリア(155

近藤好和2010「布衣始について」日本研究42★

近藤好和 2019 『天皇の装束』 中央公論新社

齋藤公太2019『「神国」の正統論―『神皇正統記』受容の近世・近代』ぺりかん社

佐伯智広2019『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』吉川弘文館

坂井孝一2018『承久の乱』中公新書

酒井信彦 2002 戦国時代の朝廷 朝廷の「式微」は真実か 日本及び日本人1643

酒井茂幸2009 『禁裏本歌書の蔵書史的研究』  思文閣出版

坂本真美子 1987「十 五 世 紀 の 宮 廷 雅 楽 と 綾 小 路 有 俊」東洋音楽研究51

坂田聡(2002)「中世後期~近世の家・家格・由緒--丹波国山国地域の事例を中心に 」『歴史評論 』630

坂田聡(2006)『苗字と名前の歴史』吉川弘文館

坂田聡(2007)「家制度の期限を探る-転換期としての戦国時代-」『青少年問題』625

桜井栄治 (2009) 『室町人の精神』 講談社学術文庫桜井栄治 2009 『室町人の精神』 講談社学術文庫

桜田真理絵 2016 「未婚の女帝と皇位継承元正・孝謙天皇をめぐって— 」 駿台史学156

桜田真理絵2018 「女帝「非婚」と「未婚」のあいだ -「不婚の女帝」論の再検討-」 文化継承学論集 (13)

佐々木宗雄 1994 『日本王朝国家論』名著出版

佐古愛己2012『平安貴族社会の秩序と昇進』思文閣出版

佐古愛己2013「中世叙位制度の特質に関する一考察 : 鎌倉期を中心佐藤長門 (2009) 『日本王権の構造と展開』 吉川弘文館

佐藤賢一2009『カペー朝-フランス王朝史1』講談社現代新書

佐藤賢一 2014 『ヴァロア朝-フランス王朝史2』 講談社現代新書

佐藤賢一2019『ブルボン朝-フランス王朝史3』講談社現代新書

佐藤哲也2012「近代教育思想の宗教的基層(1) : コトン・マザー『秩序ある家族』(1699)」 宮城教育大学紀要 47号★

佐藤長門 2009 『日本王権の構造と展開』 吉川弘文館

佐藤長門(2012)「承和の変前後の春宮坊」『日本古代の王権と東アジア』吉川弘文館

篠川賢 2013 『飛鳥と古代国家』 吉川弘文館

滋賀秀三1967『中国家族法の原理』創文社

柴桂子2004「近世の夫婦別姓への疑問〔総合女性史研究会〕大会の記録 夫婦と子の姓をめぐって--東アジアの歴史と現状 のコメント」『総合女性史研究』(21)

柴田敏夫1987「「コモン・ロー・マリッジ」略史」大東法学 14

島善高1992「近代における天皇号について」早稲田人文自然科学研究(41

島津一郎1974『妻の地位と離婚法』第42イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣

島村修治1971『外国人の姓名』ぎょうせい

清水昭俊1970「<>の内的構造と村落共同体 出雲の<>制度・その一」『民族學研究』 35(3), 177-215, 1970

清水昭俊1972<>と親族 : 家成員交替過程 : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 37(3), 186-213, 1972

清水昭俊1973<>と親族 : 家成員交替過程() : 出雲の<>制度・その二」『民族學研究』 38(1), 50-76, 1973

清水昭俊1985a「出自論の前線」『社会人類学年報』vol.11 1985

清水昭俊1985b「研究展望「日本の家」『民族學研究』50巻1号 1985 

清水昭俊1987『家・身体・社会 家族の社会人類学』弘文堂1987

東海林亜矢子2004「母后の内裏居住と王権」お茶の水史学 48

白木歩澄2018「十八世紀イングランドにおける女性の結婚観 : ハードウィック婚礼法制定による変化」歴史研究64

白根陽子2018 「伏見宮家領の形成」『女院領の中世的展開』 同成社

末柄豊 2011 「伏見宮旧蔵文書二題」 東京大学史料編纂所研究成果報告2011-3

末柄豊2012 「禁裏文書における室町幕府と朝廷」 ヒストリア(230

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末柄豊 2018 『戦国時代の天皇』 山川日本史リブレット

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杉崎重遠 1954「北宮考 -九条右大臣師輔室康子内親王-」國文學研究 (9-10)★

鈴木繁夫2004「交わりの拡張と創造性の縮小 : ミルトンの四離婚論をめぐる諸原理について」言語文化論集 261号★

鈴木繁夫2013「性格不一致の離婚とその起源 : ミルトン離婚論と現代離婚観の宗教性」言語文化論集 35(1)

瀬川淑子2001『皇女品宮の日常生活『无上法院殿御日記』を読む』

相馬真理子 1997 「琵琶の時代から笙の時代へ--中世の天皇と音楽」 書陵部紀要 (49)

園部寿樹2015 資料紹介『看聞日記』現代語訳(五) 山形県立米沢治芳短期大学紀要 51

曽我良成2012『王朝国家政務の研究』吉川弘文館

曾我部静雄1974「日唐の詔勅に見える節婦の旌賞」史林572

曽我部愛2021『中世王家の政治と構造』同成社

杣田善雄2003『幕藩権力と寺院・門跡』思文閣出版

苑田 亜矢1997 1159年の教皇選挙と教皇庁上訴 : イングランド史からの一考察」有明工業高等専門学校紀要 33

苑田亜矢2000「一二世紀イングランドにおける教皇庁への上訴をめぐって--1164年のクラレンドン法第8条および1172年のアヴランシュの和約の再検討」法制史研究 (50)

薗部寿樹2014資料紹介『看聞日記』現代語訳(二)山形県立米沢女子短期大学紀要50★

薗部寿樹2015 資料紹介『看聞日記』現代語訳(五) 山形県立米沢女子短期大学紀要51★

高岸輝2007「室町時代における高階隆兼の伝説形成」美術史論集7

高岸輝 2017 「天皇と中世絵巻」高岸輝・黒田智『天皇の美術史3乱世の王権と美術戦略 室町戦国時代』 吉川弘文館

高岸輝 2020 『中世やまと絵史論』 吉川弘文館

高久嶺之介1981「近代皇族の権威集団化過程 ― その近代宮家の編成過程 ―」社会科学(27)★ 

高埜利彦2014『近世の朝廷と宗教』吉川弘文館

高埜利彦2019「江戸時代の皇位継承」朝幕研究会『論集近世の天皇と朝廷』岩田書院

高橋秀樹1996『日本中世の家と親族』吉川弘文館

高橋秀樹2004『中世の家と性』山川出版

高橋秀樹2014「「家」研究の現在」『婚姻と教育』竹林舎

高橋康夫1978 「後小松院仙洞御所跡敷地における都市再開発の実態室町時代京都の都市再開発に関する考察」 日本建築学会論文報告集(263)★

高橋康夫1978 「戦国期京都の町 組 「六 町 」 の地域構造」 日本建築学会論文報告集274号★

高橋康夫 1983 『京都中世都市史研究』 思文閣出版

高橋典幸 2019 「南北朝動乱期の社会」『中世史講義』 筑摩書房

武部敏夫 1960 「世襲親王家の継統について-伏見宮貞行・邦頼両親王の場合」 書陵部紀要12

武部敏夫1987『和宮』吉川弘文館

瀧浪貞子 1991 『日本古代宮廷社会の研究』「孝謙女帝の皇統意識」 思文閣出版

瀧浪貞子2017『藤原良房・基経』ミネルヴァ書房

竹島寛 (1982復刊、1936) 『王朝時代皇室史の研究』 名著普及会1982復刊

武田佐知子1980「律令国家による儒教的家族道徳規範の導入-孝子・順孫・義夫・節婦の表旌について」竹内理三編『天皇制と社会構造』校倉書房

詫間直樹2003「伏見宮本『御産部類記』について」『禁裏・公家文庫研究 第一輯』思文閣出版

詫間直樹2006「高松宮家旧蔵『伏見殿文庫記録目録』について」『禁裏・公家文庫研究 第二輯』思文閣出版

田島公 1997 「禁裏文庫の変遷と東山御文庫の蔵書」大山喬平教授退官『日本社会の史的構造 古代・中世』 思文閣出版

田島公2004 「典籍の伝来と文庫 古代中世の天皇家ゆかりの文庫・宝蔵を中心に」石上英一『歴史と素材』所収 吉川弘文館

田島公2006 「中世天皇家の文庫・宝蔵の変遷」『禁裏・公家文庫研究 第二輯』 思文閣出版

龍野加代子1997 「八条院領の伝領過程をめぐって」『法政史学』49号 法政史学(49)★

玉井力1964「承和の変について」歴史学研究286

谷口やすよ1978 「漢代の皇后権」 史学雑誌87(11)★

谷口研語 1994 『流浪の戦国貴族 近衛前久』 中公新書

谷田博文 2019 『国家はいかに「楠木正成」を作ったのか』 河出書房新社

田中明2007「修学院離宮における御幸様式の変遷と場所構成について」日本建築学会計画系論文集72  621 

田中和夫1958「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 

田村航 2013 『一条兼良の学問と室町文化』 便誠出版

田村航 2018 「伏見宮貞成親王の尊号宣下-後光厳院流皇統と崇光院流皇統の融和 」 史学雑誌 127(11)

田村航 2020 「後花園天皇-後光厳流か、崇光流か」久水・石原編『室町・戦国天皇列伝』 戎光祥出版

千葉功2019「南北朝正閏問題再考」学習史学57★

告井幸男2007「摂関・院政期における官人社会」日本史研究535

角田文衛 (1985初出1966) 「太皇太后藤原穏子」『角田文衛著作集第六巻平安人物志下』 法蔵館

角田文衛2003『二条の后藤原高子 業平との恋』幻戯書房徳田武(2011)『朝彦親王伝 維新史を動かした皇魁』勉誠出版

角田文衛2006『日本の女性名―歴史的展望』国書刊行会

東郷茂彦2020『「天皇」永続の研究』弘文堂

所功 2012 『日本の宮家と女性宮家』「皇室史上の宮家制度」 新人物往来社

所功2021「皇位継承史上の危機と課題」『皇位継承の歴史と廣池千九郎』モラロジー研究

徳島県立博物館企画展図録2001『門出のセレモニー -婚礼・葬送の習俗』

利行榧美2006「桓武朝における「国忌」についての一考察」奈良史学(24

豊永聡美2001「平安時代における天皇と音楽」研究紀要 25(東京音楽大学)

豊永聡美2017 『天皇の音楽 古代・中世の帝王学』 吉川弘文館

豊永聡美2020 「後土御門天皇-心を砕いた朝議復興-」久水・石原編『室町・戦国天皇列伝』 戎光祥出版

仲隆裕・浅野二郎・藤井英二郎 (1995) 「わび茶と露地 (茶庭の変遷に関する史的考察 その9: 禁中の茶とその茶庭」 千葉大学園芸学部学術報告 (49)

直江眞一1990「『我々はイングランド法を変更することを欲せず』(Nolumus leges Anglie mutare)について」『法学』東北大 543

直江眞一2014「アレクサンデル三世期における婚姻法 : 一一七七年六月三〇日付ファウンテン修道院長およびマギステル・ヴァカリウス宛教令をてがかりとして」法政研究 81 (3)

永井晋2003『金沢貞顕』吉川弘文館

永井晋2006『金沢北条氏の研究』八木書店

永井晋2021『八条院の世界』山川出版社

永井晋2022『鎌倉幕府はなぜ滅びたのか』吉川弘文館

永井和 2012 「波多野敬直宮内大臣辞職顛末 : 一九二〇年の皇族会議 (杉橋隆夫教授退職記念論集)」立命館文学(624)★

中込律子 2005 「三条天皇」元木泰雄編『古代の人物6 王朝の変容と武者』 清文堂出版

中川和明1991「聚楽第行幸の行列について」弘前大学國史研究 (90)

中川八洋2005『皇統断絶』ビジネス社

中川八洋2007『悠仁天皇と皇室典範』清流出版

中川八洋2018 『徳仁新天皇陛下は最後の天皇』 ヒカルランド

中川八洋 2019 「「旧皇族の復籍」妨害に全力疾走の赤い山羊八木秀次 ──」 ブログ 中川八洋ゼミ講義

中林隆之 (1993 1994) 「律令制下の皇后宮職(上)(下) 新潟史学31 32

中村順昭 2019 『橘諸兄』 吉川弘文館

中村みどり 2002 「一世皇子女の親王宣下と源氏賜姓」 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編(1

中村みどり2014 「延暦十二年の詔- 皇親女子の婚制緩和の法令」 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 史学編 (13)★

中村順昭 2019 『橘諸兄』 吉川弘文館

中本真人2021a「北山惣社御神楽と綾小路信俊」人文科学研究147

中本真人2021b『なぜ神楽は応仁の乱を乗り越えられたのか』新典社

波田永実 2017 「国体論の形成~南北朝正閏論争からみた南朝正統観の歴史認識」 流経法學16(2)★

成清弘和1999 『日本古代の王位継承と親族』 岩田書院

仁井田 陞1952『中国法制史』岩波書店

西川誠2019「皇室典範の制定-明治の皇位継承」歴史学研究会編『天皇はいかに受け継がれたか』績文堂

西川健誠2005「夫婦の交わり,神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰()」神戸外大論叢 56(2)

西川健誠2004「夫婦の交わり神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰 ()」 神戸外大論叢 55(3)★】

西嶋定生 1999 『倭国の出現 東アジア世界のなかの日本』 1999 東京大学出版会

西島正1954「ミルトンの女性觀」紀要 3

西田かほる2021「近世遠江における親王由緒-木寺宮をめぐって-」静岡文化芸術大学研究紀要21

西別府元日2002 『律令国家の展開と地域支配』 思文閣出版

西谷正浩1996『日本中世の所有構造』塙書房

新田一郎 2001 「継承の論理-南朝と北朝」『岩波講座 天皇と王権を考える 2統治と権力」」 岩波書店

新田一郎2011 『天皇と中世の武家』河内祥輔共著 講談社

仁藤智子2016「平安初期における后位の変質過程をめぐって 王権内の序列化と可視化」国士館人文学48

布谷陽子2005「中世王家領の研究-女院領の伝領と王家の追善仏事」博士論文要旨★

根本猛1992「アメリカ法にみる母性保護と男女平等」『法経論集』静岡大学法経短期大学部6768 

野田泰三2019「宣陽門院覲子内親王の夢 (女性歴史文化研究所 第27回シンポジウム報告「発信する皇女たち -斎王を中心に-」. II)」女性歴史文化研究所紀要27

野村育代1992 「王権の中の女性」峰岸純夫編『中世を考える家族と女性』吉川弘文館 吉川弘文館

野村玄2019 「安定的な皇位継承と南北朝正閏問題 明治天皇による「御歴代ニ関スル件」の「聖裁」とその歴史的影響」 大阪大学大学院文学研究科紀要(59)★

橋本義彦 1976 「中宮の意義と沿革」『平安貴族社会の研究』 吉川弘文館

橋本義彦2003「東山文庫と書陵部」『禁裏公家文庫研究第一輯』

橋本義則 1996 『平安宮成立史の研究』 塙書房

波田永実2017 「国体論の形成~南北朝正閏論争からみた南朝正統観の歴史認識」 流経法學16(2)★

波多野敏1990「フランス、アンシャン・レジームにおける結婚の約束と性関係」京都学園法学 創刊号★

秦野祐介 2020 『乱世の天皇 観応擾乱から応仁の乱まで』 東京堂出版

秦野裕介 2018 「常盤井宮恒興王への親王宣下」 ブログ 室町・戦国時代の歴史・古文書講座, 11-04

秦野裕介2019「オンライン日本史講座四月第二回「南北朝の動乱」4」ブログ 室町・戦国時代の歴史・古文書講座 412

秦野裕介 2020 『乱世の天皇』 東京堂出版

秦野裕介 2020 YouTube「京都のお寺の歴史 泉涌寺(御寺)天皇家の葬礼と変遷」 (ページ: 31以降日本史オンライン講座★

秦野裕介2020 YouTube「中世の皇位継承16 後小松上皇 後光厳流の断絶と継承」 日本史オンライン講座★

秦野裕介2020 YouTube「中世の皇位継承17 後小松上皇と後花園天皇」 日本史オンライン講座★

秦野裕介2020YouTube「京都のお寺の歴史 妙心寺Ⅰ花園上皇の御所を禅寺に」日本史オンライン講座★

秦野裕介2021「観応の擾乱」「禁闕の変」渡邊大門編『戦乱と政変の室町時代』所収 柏書房

秦野裕介2022a「両統迭立から正中の変・元弘の変まで」「和泉堺浦・石津の戦い」「九州における南北朝の動乱」渡邉大門編『南北朝動乱主要合戦全録』星海社

秦野裕介2022YouTube「戦国大名477 足利家 天皇家と足利将軍家」日本史オンライン講座★ 

秦野裕介2022YouTube「観応の擾乱 後光厳天皇践祚と持明院統の分立」日本史オンライン講座★

塙陽子1993「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題()』信山社

早川庄八 1993 『続日本紀(古典講読シリーズ)』 岩波セミナーブックス

樋口健太郎2005「藤原忠通と基実-院政期摂関家のアンカー」元木康雄編『古代の人物6王朝の変容と武者』清文堂

樋口健太郎2011『中世摂関家の家と権力』校倉書房2011

久水俊和 2011 『室町時代の朝廷行事と公武関係』 岩田書院

久水俊和 2020a 『中世天皇家の作法と律令制の残像』 八木書店

久水俊和 2020b 『中世天皇葬礼史――許されなかった〝死〟』 戎光祥出版

久水俊和2021「同一の帳簿を用いる「公武共同の財政構造」『「室町殿」の時代 安定期室町幕府研究の最前線』山川出版社

廣木一人2001 「後土御門天皇家の月次連歌会」 青山語文31

廣瀬隆司1985「明治民法施行前における妻の法的地位」愛知学院大学論叢法学研究2812.

広岡裕児 1998 『皇族』読売新聞社

兵藤裕己2018 『後醍醐天皇』 岩波新書

深津睦夫2014『光厳天皇』ミネルヴア書房

深澤光佐子2015『明治天皇が最も頼りにした山階宮晃親王』宮帯出版社

福井俊彦1970「承和の変についての考察」日本歴史260 

福井憲彦 2019 『教養としてのフランス史の読み方』 PHP研究所

福田景道2015「『池の藻屑』の皇位継承史構図―編年史的側面と「世継」―」島大国文35

島大国文★

福地陽子1956<論説>カトリック姻非解消主義の生成と發展」法と政治7(4)

服藤早苗 1991 『家成立史の研究』  校倉書房

藤木邦彦1991 『平安王朝の政治と制度』 吉川弘文館

藤田覚 2011a 『江戸時代の天皇』 講談社学術文庫

藤田覚2012b『近世天皇論』清文堂

藤田大誠2006 「幕末維新期における宮門跡の還俗に関する一考察」国学院大学日本文化研究紀要 96 

藤田高夫1990 「前漢後半期の外戚と官僚機構」 東洋史研究 , 48(4)

不破勝敏夫1958a「Common Law Marriageについて-1-」山口経済学雑誌 8(3

不破勝敏夫1958bCommon Law Marriageについて-2-」山口経済学雑誌 8(4)

不破勝敏夫1959「アメリカにおけるCommon Law Marriageの理論」山口経済学雑誌 10(1)

北條文彦 2002 「中世に於ける長講堂の供花の沿革について」 駒沢史学 (58)

保科季子2002 「天子の好逑 : 漢代の儒敎的皇后論」『東洋史研究』612号 東洋史研究612

保立道久 1996 『平安王朝』 岩波新書

洞富雄1957『日本母権制社会の成立』淡路書房

前田雅之 2018 『書物と権力 中世文化の政治学』 吉川弘文館

増田忠彦201) 「資料にみえる 碁の上手たち(江戸時代以前の碁打たち)」 大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要 (15)

松下晴彦2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収

松永和浩2013『室町期公武関係と南北朝内乱』吉川弘文館

松永和浩 2020 「後光厳天皇-神器を欠き、都を逐れても」久水・石原變『室町・戦国天皇列伝』所収 戎光祥出版

松永和浩2022「室町幕府の皇位・皇統」「室町時代と酒-『看聞日記』を中心に-」『京都の中世史5首都京都と室町幕府』

松薗斉 1997 『日記の家』 吉川弘文館

松薗斉2010 「中世の宮家について-南北朝・室町期を中心に」 人間文化 (25),

松薗斉2014 「戦国時代禁裏女房の基礎的研究 後土御門~後奈良天皇期の内裏女房一覧」 愛知学院大学論叢 (44)

松薗斉 2016 「室町時代禁裏女房の基礎的研究  後花園天皇の時代を中心に」 人間文化 愛知学院大学人間文化研究所紀要 (31)

松薗斉2017『日記に魅入られた人々 王朝貴族と中世公家  (日記で読む日本史)』臨川書院

松澤克行・荒木裕2008「 刊行物紹介 大日本近世史料 広橋兼胤公武御用日記 九」東京大学史料編纂所報第44号★

三木太郎 1953 「椿葉記」より見たる持明院統分裂の原因長講堂領以下の所領を中心としてー」 駒沢史学2★

三崎裕子 1988 「キサキ宮の存在形態について」  史論41

三島暁子 2002 「室町時代宮中御八構の開催と記録」 武蔵文化論叢二

三島暁子 2003 「南北朝、室町時代の追善儀礼に見る公武関係」 武蔵文化論叢三

三島暁子 201 『天皇・将軍・地下楽人の室町音楽史』 思文閣出版

水間政憲 2019 『ひと目でわかる皇室の危機 ~天皇家を救う秘中の秘」 ビジネス社

水野智之2014 『名前と権力の中世史 室町将軍の朝廷戦略』 吉川弘文館

水野柳太郎2008 「いわゆる光明立后の詔について」 奈良史学 (26)

水野智之 2005 『室町時代公武関係の研究』 吉川弘文館

三村晃功 1995 「「永正8年月次和歌御会」をめぐって--725日和歌御会を中心に」 光華女子大学研究紀要 (33)★

村上史郎1999「九世紀における日本律令国家の対外意識と対外交通--新羅人来航者への対応をめぐって」史学 69(1)

村井章介 2005 「易姓革命の思想と天皇制」『中世の国家と在地社会』 校倉書房

村田正志 (1954初刊、1984) 『村田正志著作集第四巻證註椿葉記」 思文閣出版

村田正志 (1983(初出1944) 「後小松天皇の御遺詔」『村田正志著作集第二巻続南北朝史論』 思文閣出版

村田正志 (1983(初出1951)「皇統における熊澤一派の俗論を筆誅する」『村田正志著作集第二巻続南北朝史論』 思文閣出版

桃崎有一郎 2020 『室町の覇者足利義満-朝廷と幕府は以下に統一されたか』 筑摩書房

森茂暁(2005 2020)『南朝全史』講談社

森茂暁2007戦争の日本史11『南北朝の動乱』吉川弘文館

森茂暁2008『増補・改訂 南北朝期公武関係史の研究』思文閣出版

森茂暁(1997 2013)『闇の歴史、後南朝』角川書店

森茂暁 2017 『室町幕府崩壊』 角川文庫

森茂暁 2004 『満済』 ミネルヴァ書房

森暢平 2014 「昭和20年代における内親王の結婚「平民」性と「恋愛」の強調」 成城文藝229

森暢平2022『天皇家の恋愛』中公新書

盛本昌広2008 『贈答と宴会の中世』 吉川弘文館

森田大介2020 「後柏原天皇-践祚二十年を経ての即位」久水・石原編『室町・戦国天皇列伝』 戎光祥出版

森安雅子2011「『池の藻屑』における南北朝史観をめぐって」岡大国文論稿39

両角倉一1958「最 盛 期 の 堂 上 連 歌 壇」連歌俳諧研究16★゜

文殊正子 1986 「『内親王』号について 『公主』号との比較 」古代文化 38(10)

保田卓 1997 『日本における規範について その状況依存性の歴的考察(後編)』 教育・社会・文化研究紀要4

安田政彦 1998 「延暦十二年詔」『平安時代皇親の研究』 吉川弘文館

山﨑雅稔2001「承和の変と大宰大弐藤原衛条起請」歴史学研究751号、(2001

山崎雅稔 2012 「藤原衛の境涯」 帝京大学外国語外国文学論集(18)

山口和夫 2017 『近世日本政治史と朝廷』 吉川弘文館

山田敏之 2018 「旧皇室典範における男系男子による皇位継承制と永世皇族制の確立」 レファレンス(808)★

山本啓介2013 「後柏原天皇時代の内裏和歌活動について 時代背景と形式」 日本文学629

湯川俊治2005『戦国期公家社会と荘園経済』続群書類従完成会

横井清2002『室町時代の一皇族の生涯『看聞日記』の世界』講談社学術文庫 旧版『 看聞御記 「王者」と「衆庶」のはざまにて』 そしえて1979

吉川真司 1998 『律令官僚制の研究』 塙書房

吉田賢司 2017 『足利義持』 ミネルヴァ書房

吉田孝 2006 『歴史のなかの天皇』  岩波新書

吉田常吉 1976 『幕末政治論集』 岩波書店

米田雄介 1992 『歴代天皇の記録』 続群書類従完成会

米田雄介 2004 「皇親を娶った藤原氏」続日本史研究会『続日本紀の諸相』 塙書房

渡邊大門2012『戦国時代の貧乏天皇』柏書房,

渡邊大門2019『奪われた三種の神器』草思社

渡邊大門2021「長禄の変」『戦乱と政争の室町時代』柏書房

渡邊大門2022a「南北朝の合一」『南北朝動乱主要合戦全録』星海社

渡邊大門2022b『嘉吉の乱』ちくま新書

                         

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