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6月10日に衆参正副議長は皇族数確保策について「立法府の総意」を高市首相に報告した。現在、法案を作成中、骨子案が衆参正副議長に示されたのち、要綱が各党派に示される手順となっているが、13日の産経によれば、12日首相と維新の藤田文武共同代表が会談し、藤田氏から表に出す前に連立の両党で細かい制度設計まで詰めることを求めたとの報道がある。
維新では16日に懇談会を開き、会見で藤田氏は①案(女性皇族の婚姻後の身分保持)については、対象や年限を区切った上で例外として、今の問題を解決する。恒久制度にしたくないという発言がありました。
講師として百地章氏(憲法学者・日本会議政策委員・常任理事)が呼ばれたそうです。百地氏は、6月2日の読売のインタビュー記事で「今回の対応は、皇室の危機を受けた特別な措置で、両案とも恒久化せず、時限立法の特例法とすることが望ましいだろう。」と述べております。
自民党のほうはどういう考えなのかわかりませんが、少なくとも与党内で、恒久制度化に反対の動きがあるので注目しています。
「立法府の総意」本文はこうなっています。
「立法府の総意」案正副議長の会見(6月8日)
一 現時点において講ずべき皇族数の確保の具体的方策について
本文 石井副議長が読み上げ
‥‥「内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することとする」案については、皇族の歴史に整合的であり、公的活動の継続性の観点などに鑑み、皇室典範を改正することとし、具体的な制度設計に進むべきと考える。なお、現在の内親王殿下、女王殿下が、婚姻後は皇籍を離脱するとの現行制度の下で人生を歩んで来られたことに鑑み、経過措置として、皇族の身分を保持するか否かについて、そのご意向を尊重するなど一定の配慮をすべきである。
森衆院議長のコメント
「まず第1案が適切な方策だとの認識を示したうえで、皇室典範12条を中心とした皇室典範本則の改正が想定されていることを示した。現在の内親王殿下、女王殿下については本人の意思を尊重すべきことを経過措置として定めるべきことを示した」
本文は皇室典範12条を改正せよとは言っていませんが、衆院議長は皇室典範12条を中心とした皇室典範本則の改正が想定されていることを示したとしています。
にもかかわらず皇室典範本則改正でなく、天皇退位の時と同じように特別措置法として実施するということができるのか。藤田氏は、10日の記者会見でも本文はニュートラルとの見解のようです。
内閣官房皇室典範改正準備室や山崎重孝内閣官房参与はどう考えているのか知りませんが、恒久法にこだわり、藤田氏らの動きと衝突する可能性もあると考えています。
というのは、前の動画でも説明したとおり、令和3年11月30日の有識者会議事務局が出した調査資料(概要)というのがございまして、ここに、今後も皇族数の大幅な増加は想定しがたいので、時限立法ではだめだと言っていまして、
①内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とすることについて
立法形式
○ 皇族数が大幅に増加することは想定し難く、一定の年限で終期を設定することは困難ではないか。
○ 内親王・女王の人生に大きな影響を与えることとなる。
⇒ 恒久的な制度とすることが適当ではないか。
太字で恒久的な制度を提案しており、その日の会議で
以下のように事務局の提案どおりに恒久法という意見(以下引用)が出て、次の回の会議も時限立法という声はなく、事務局のもくろみどおりとなっているわけです。
女性皇族の方が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案について、その法形式は、一人一人の女性皇族の方の身分に関わる話であるので、調査・研究結果のとおり、恒久的な制度として対応することがよいのではないか。具体的な方策を考える際には、皇室制度を構成しているのは血の通った人間であるということを踏まえる必要があるのではないか。
養子縁組の法形式については難しいが、これまで血縁関係を重視して考えられてきた制度との整合性という意味では、恒久的に養子縁組を可能とするのは難しいのではないか。国民の間での平等感という点も考えると、一定の期間を限るということが考えられるのではないか。
ただし、具体的な立法形式は国会で判断すべきことであり、そちらに委ねるべきではないかとも思う。会議の取りまとめとしては、附帯決議の範囲内で必要なことをお答えすべきではないか。
前回申し上げたとおり、事務局が、恒久的な制度を強く推した理由、皇族数の増加は望めないというのは納得いくものではないです。2案も実施し養子縁組が何組かわかりませんが、実施するんですから、傍系も含め永世皇族制なので、こんな512分の1のような確率のような珍しいことが、続いておきるということはない。
9回連続で女子が生まれる確率 = 1/512。
パーセントにすると 約0.1953%(0.2%程度)
令和3年12/12の最終報告は次のように言います。
婚姻により皇族の身分を離れた元女性皇族に、その御了解をいただいた上で、様々な皇室の活動を支援していただくということも考えられます。現に、皇族の身分を離れた後も皇室にゆかりの深い役割を続けられている元女性皇族の方もいらっしゃいます。しかしながら、摂政や国事行為の臨時代行や皇室会議の議員という法制度上の役割は、「元皇族」では果たすことはできません。現在の皇室の活動等の担い手を確保していくための一つの方策ではありますが、やはり皇族数の確保のためには、上記①から③のような方策が必要とされるものと考えられます。
摂政・国事行為臨時代行・皇室会議議員を担う皇族もいなくなる事態を防ぐためということなら恒久制度としなければならない理由はない。
にもかかわらず恒久制度と事務局が強く押したのは、将来的には男女共系直系長子という、北欧やベネルクス、英国と同様にするのがトレンドだし、女性差別撤廃委員会の勧告に従っていくの流れなのでそうしていきたいという、隠れた真意がすけてみえる。
つまり、自民党案は養子の子は皇位継承資格を与えるというものですが、有識者会議報告はその点は不確定。「立法府の総意」でもその点は明記していない。
私は、事務局の隠れた真意があるとみてます。1案を恒久制度にして、夫方居住でなく、当主相当の皇族費がついて御用地に居邸となると外形上は「女性宮家」である。
実際、令和7年2月17日の全体会議で山崎内閣官房参与は、独立会計の皇族として皇族費がつく。配偶者が民間人であれ御用地に居住し皇宮警察でお守りすることは可能、同伴の公務のための旅費や、仕事が中断することによる費用弁済もするなどと言っておりまして、 悠仁親王殿下の次の世代から、男女共系直系長子とする意図があるように思えます。
その場合、養子案が実現し、仮に養子縁組で男系男子が出生して皇位継承資格を与えたとしても、順位は繰り下がる。直系男女が優先です、姉がいれば、姉が優先しますから、養子案が実現しても結局永代男系維持できる確率は低くなります。
養子案が実現してもそうなれば、養子の子は、順位の低い皇位継承者にしてしまえというのが事務局の底意を看取できる。
したがって、私は当面の間の特例法と以前から主張していたことですし、もちろん藤田氏の方向性でやってもらいたいと思ってますが、自民党が乗ってくるか不透明であるほか、事務局側の官僚と衝突し、抵抗があると思う。高市氏の判断はどうなのだろうか。
そこが最も関心のある点である。
それから1案の議論で不可解なのは、これは身分保持案であって公式には女性宮家とは言ってないのに、皇族に残る案、とか皇族残留案と表現される方が多い。いつのまにかたんに身分保持案から、残留案にすりかわっている。これは山崎参与が、独立会計としての皇族費がつくとか、御用地に居住もありと言ったため、御用地に御殿がたつ実質女性宮家のイメージになってしまっているためだと思いますが、しかし有識者会議事務局が、臣下と結婚しても内親王の身分を保持した前例として6例あげているわけですが、これは11月30日の調査資料ですね。報告書の本文にも和宮の例は示されてますが、前例は、6例のうち居所について史料がなく結婚期間も短かった勤子内親王と、婚約後徳川家継の夭折で3歳で未亡人となり江戸に下向しなかった八十宮吉子内親王を除く四方は、すべて夫方居住てす。これは2つ前の動画で説明してます。
摂家であれば政所、北政所と称され、摂家の正妻という立場になります。夫方居住であっても皇族としての公務は可能であり、遠方在住の場合は、首都での居所を設ける必要があるかもしれませんが、とくに国事行為臨時代行の場合はなおさらですが、前例に沿って考えれば皇室残留のイメージとは違うものを想定していたわけです。
皇室残留なら、配偶者が皇族になるか定まらない女性宮家になってしまってます。これが問題です。
そのうえで、私は以下のような意見をXで書きました。
一 御称号(宮号)をつけないようにしてほしい(これは身分保持案であって女性宮家とは説明されてない)。 ○○夫人 ○○内親王(女王)殿下と称されるようにし、宮号はつけない。
二 内親王位を維持する前例は、婚家の正妻。摂家なら政所、北政所と称され、基本的には天皇家から離れる。皇室の御所、後院、御用地に居邸の前例はない。夫方居住を原則とし、結婚一時金1億5,250万円も支給するべき(物価高等のため増額してもよい)。 内裏で密通した10世紀の康子内親王も結婚が勅許された後は師輔の坊城邸、盛子内親王は藤原顕光の訪妻婚だが居所広幡第は、外祖父・源庶明、母・計子を経て継承し、夫である藤原顕光が相続した。源庶明の邸宅であった。
三 納采の儀、 入第の儀といった嫁取婚儀礼は基本的に変更すべきでない。墓所も婚家の廟所が前例(表のとおり)。
四 皇族費は当主が(独立生計を営む親王または相当者)3,050万円。妃1,525万円だが、結婚後3,050万円の支給となると、外形的には女性宮家になってしまうので、一時金1億5,250万円+毎年の皇族費1,525万円+人件費・物価高の対応として増額があってもよいと思う。
以上は一般民間人の想定で、御相手が男系男子の場合は、独立生計の皇族に復帰して(養子でもよい)宮号を賜り、そこに女性皇族が婚嫁する。○○宮○○親王(王)妃○○内親王(女王)殿下と称されるなら、内親王を迎えるために創設された竹田宮、朝香宮、東久邇宮が前例どおりでそれが望ましい。
上記のことは2つ前の動画と重なるのでここではこの程度にとどめますが、ようするに今回は本則をいじらず必要最低限の法制度の設計にしてもらいたいということです。
なお国民民主党の玉木氏が女性皇族の配偶者を准皇族とする案を出してますが、私は反対である。
准皇族案というのは救国シンクタンクの倉山満氏が主張していることで、この方は政界への影響力もある方ですが、皇族と臣下の間に、准皇族というのはない、 これは鎌倉時代初期の著名な史論書「慈円」の『愚管抄』では、皇族(皇親)と臣下以外の身分はないとはっきり言っていることである。
ただ藤原仲麻呂が淳仁天皇から「恵美押勝」の名を賜り、藤原恵美朝臣を許された。 恵美家は私印の公的使用、鋳銭、出挙権などを与えられ、皇族並みの経済・行政的特権を持ち准皇族といわれることがありますが、この目論見は仲麻呂の乱で消滅したのである。
倉山氏は准皇族の前例として准三宮宣下を主張している(チャンネルくらら等)が、疑問である。
准三宮(准后)宣下は有力貴族個人の実績による特別待遇、もしくは天皇の近親の皇族等を厚遇する措置、摂家出身等の門跡の名誉的地位で、皇族と臣下の中間を意味するものではない。
従三宮(准后)の初例は、貞観 13 年(871 年)、初の人臣摂政である藤原良房であり、三宮に準じて年官・封戸・随身兵仗を与えたことである。次いで藤原基経が、摂政在任中に三宮に准じて随身兵杖、年官・年爵(叙位・任官の推薦権、実質売官制度。院、三后だけでなく親王、内親王にも推薦権があった)を与えられたことで、朝廷の正式な制度として定着し、以後、皇族、公家、将軍家、高僧に与えられた。年官・封戸等は早くに実質を失い、もっぱら身分上の優遇を意味する称号に変化していったとウィキペディアが説明している。准后宣下は明治初期までおよそ 170 例ある。
つまり朝廷実力者個人に対する特権待遇(封戸や叙位任官推薦権、護衛の武官を三后に准じる)から始まった制度である。配偶者が皇族だから与えられるものでは全くないし、例えば藤原良房・基経・兼家・道長・頼通・忠実・九条道家・二条良基・足利義満・一条兼良・足利義政・義昭が准三宮宣下を受けているが、朝廷の実権を掌握した実力者、もしくは業績顕著な公家、武家である。個人一代に与えられる朝廷の待遇で、特別の家系を意味するものではない。あえて例えていうなら、首相より上席の大勲位相当者のような位置づけ。
皇族や天皇生母を厚遇する根拠として准后宣下するケースも多い。室町戦国時代に多い摂家や将軍家出身等の門跡准后は三宝院満済のように幕府の実力者のケースもあるがほぼ名誉的地位といえる。摂家の正妻も准后宣下されるケースがある。
繧繝縁は最も格の高い畳縁で、天皇・三宮・上皇が用いるが、准后も繧繝縁を用いることが出来るとの見解もある。
北朝の盟主准后二条良基により、書札令で准后は親王より上と定めた故実の意義は大きいと思う。ところが秀吉時代には忘れられ親王と同格の裁定、法親王と門跡准后と前関白が同格とされたこともある。
令制は天皇と太政官二極による統治体制なので、臣下が親王・諸王より上席となるのはよくあることである。
とにかく准三宮が個人一代の処遇で、家筋に与えられるものではなく、皇族、公家、後宮、門跡と対象も広範で、准皇族との理解は間違いである。
内親王を妻としたことで准三宮の殊遇を得るわけでは全くない
17 世紀に摂家に皇女・内親王 9 方、将軍家に 1 方が降嫁されているが、内親王の配偶者 10 名のうち 8 名が摂関、藤氏長者だが、准后宣下を受けているのは近衛家熙だけでありたんに内親王の配偶者というだけで特典を受けることはない。
従一位関白 鷹司信尚(後陽成皇女清子内親王降嫁)
従一位摂政 二条康道(後陽成皇女貞子内親王降嫁)
従一位左大臣 鷹司教平(後水尾皇女文智女王室、離別)
従一位左大臣 近衛尚嗣(後水尾女二宮降嫁)
従一位関白 二条光平(後水尾皇女賀子内親王降嫁)
従一位関白 近衛基熙(後水尾皇女常子内親王降嫁)
従一位関白 九条輔実(後西皇女益子内親王降嫁)
従一位関白准后 近衛家熙(霊元皇女憲子内親王降嫁)母は常子内親王
従一位関白 二条綱平(霊元皇女栄子内親王降嫁)
従一位右大臣 贈太政大臣 徳川家茂(仁孝皇女親子内親王降嫁)
内親王を母とする公卿が必ずしも准后となるわけではない
臣下で内親王を母とするケースをピックアップする。
10~11 世紀の為光と公季は太政大臣まで昇進したが准后宣下は受けてない。江戸時代では近衛家熙と家久が准后宣下されているが、二条吉忠は贈准后である。母が内親王なので准后宣下を受けるという慣例はない。
藤原為光(父右大臣藤原師輔・母醍醐皇女雅子内親王) 右大臣より太政大臣(関白道隆の推挙)に昇進したが准后ではない。
藤原公季(父右大臣藤原師輔・母醍醐皇女准后一品康子内親王)右大臣より太政大臣に昇進したが准后ではない。
藤原重家(父左大臣藤原顕光・母村上皇女盛子内親王) 左近衛少将、五位蔵人、若くして出家。
藤原(鷹司)教平(父関白鷹司信尚・母後陽成皇女清子内親王) 左大臣
藤原(二条)光平(父摂政二条康道・母後陽成皇女貞子内親王) 関白
藤原(近衛)家熙(父関白近衛基熙・母後水尾皇女常子内親王) 関白、太政大臣、准后
藤原(大炊御門)信名(実父関白近衛基熙・実母後水尾皇女常子内親王) 左近衛中将 大炊御門家に養子に出されるが早世。
藤原(九条)師孝(父か関白九条輔実・母後西皇女益子内親王) 左近衛大将、26 歳で薨去
藤原(近衛)家久(父関白近衛家熙・母霊元皇女憲子内親王) 関白、太政大臣、准后
藤原(二条)吉忠(父関白二条綱平・母霊元皇女栄子内親王) 関白 贈准后
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