双系古代日本論の批判
最初に古代日本双系を言い出したのは、吉田孝(故人)で古代日本には単系出自(クラン・リ二ージ)は存在していなかった。律令制以前の氏は政治組織といいます。
しかし人類学では単系出自理論が核心的に重要で、古代には通用しないとかそんなばかなことはない。
義江明子は氏は単なる血縁組織ではなく、首長層(支配層)による政治的族組織と言いますが、これも吉田説に近い。
双系古代日本論を批判した重要な論者として清水昭俊国立民族学博物館名誉教授がいます。(「ウヂの親族構造」大林太良編『日本の古代』11中央公論社1987)
専門はポリネシアですが、人類学の大御所であり、厳密な定義で定評があります。
義江明子に限らず、古代史家全般に言えますが『双系』とか『両属』概念を安易に用いているのではないでしょうか。ここでは大雑把な双系説批判を述べます。
東南アジアは双系とかいいますが地域的特徴もありわかりにくい。グッドイナッフは非単系出自集団とか選択的単系出自集団という述語を提案したが、 清水はグッドイナッフやフォックスの共系リネージ概念を批判し、「『双系』諸形式の位置づけは単系出自を中軸とした単系の補集合」と定義してます。
ポリネシアにみられる選択的単系、(ambilineal)の出自集団は父系に傾斜しており、それゆえ父系的な選択的単系形式に近い。[清 水1985「出自論の前線」『社会人類学年報』11]。
つまりポリネシアは双系といわれるが、日本と同じく準父系と言ってもよい。日本は中国とポリネシアの中間です。
清水はいわゆる『双系』とか共系、両系とは父系と母系の中間にある概念で、非限定的共系出自を4つに分類し、双系という曖昧模糊とした述語を拒否しています。
一 父系中軸の準父系的複系
二 父系中軸の両系的複系
三 母系中軸の両系的複系
四 母系中軸の準母系的複系
一から四がすべて「双系」といわれるものですが、父系に傾斜してるのか母系なのか、傾斜の度合まできちんと説明しなさいというのが、清水の学問的立場です。
つまり律令制以前の日本が双系と言う場合、仮にそれを認めるとしても一から四のどれなのか、それによって読む人の印象はかなり違ったものになります。
また高群逸枝・洞富雄らの「母系説」を批判者、歴史人類学の江守五夫や民族学の大林太良氏らは父系説を唱えています。
古事記などの父祖称呼法(父方中心の系譜表記)や親族構造から、古代日本(特に古墳時代以降)の出自が父系的だったと解釈します。 律令制は中国風の父系原則を導入・強化しましたが、江守氏はそれ以前の段階(古墳時代やそれ以前の基層)でも父系血縁集団(氏族的な同族集団)が存在し、父系出自が基本だったと見なしています。例えば、ツングース系ハラ(父系血縁集団)との比較を通じて、日本古代の同族も父系的で、非血縁者(養子など)を包摂しつつ父系原理で運営されていたと論じます(この部分はAIによる)。
厳密な意味で単系父系出自が徹底しているのはたぶん韓国の門中ではないか。日本のような婿養子や非血縁養子の継承はしないようです。
中国は、宗法に反するが入贅による女系継承もあり、準父系です。これは戦中、戦前の民族学者の北支や中支の調査でわかってます。
ギリシャ、ローマ、14世紀以降西欧の父系姓というように、高度な文明が発達した地域は、原則として父系出自(厳密には準父系)形式であり、伝統的に父祖からの系譜や由緒が重視される社会である。ローマのアグナチオ、中国の宗が父系出自の親族のことである。それが東西文明の基盤であった。
14世紀以降の日本の嫡子単独相続の「家」は準父系である。入婿による女系継承や非血縁養子があるため生理的に男系を貫徹し血筋の中切れがなく何百年も家系が続くことはまれにしかないが、96%が夫の氏を選択しており、祖先とのつながりは父系を意識している。「世代仏」という清水昭俊が出雲地方のフィールドワークで発見した概念があって、歴代家長と主婦の位牌が蓄積していくのが標準的な日本の「家」。
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