女性皇族身分維持案の制度設計の問題点
私は反対だったが、議長とりまとめにより実施されるので、具体的な運用について前例に沿ったあり方として、新奇な制度にしないよう注文をつけたい。
一 御称号(宮号)
第1案は実は女性宮家だったいうことでは納得できない。
結婚の御相手が男系男子でない民間人でない場合は宮号なしとすべき。○○夫人○○内親王(女王)殿下と称されるべき。
和宮は誕生時に賜った幼名で、御称号ではない。静寛院宮というのは将軍正室未亡人の院号で、朝廷の称号ではない。
御相手が男系男子の場合は、独立生計の皇族に復帰して(養子でもよい)宮号を賜り、そこに女性皇族が婚嫁する。○○宮○○親王(王)妃○○内親王(女王)殿下と称されるなら、前例どおりなのでそうするべき。
二 皇族費
当主(独立生計を営む親王または相当者)3,050万円。妃15,25万円だが、結婚後3,050万円の支給となると、外形的には「女性宮家」であり将来的に懸念がある。
夫方に婚嫁するのであるから夫方居住の場合は、結婚一時金は、1億5,250万円の支給+皇族費15,25万円を想定している。ただ内親王の場合はもっと増額が必要かもしれない。
前例
室町戦国時代皇女はすべて非婚。比丘尼御所(尼門跡)は寺領経営のトップであり、相応の収入があった。
江戸時代も6割は尼門跡だが結婚のケースも少なくない。久保貴子によれば、17世紀の既婚皇女について、皇女御料(化粧料)はなかったと言う。但し源和子(東福門院)所生の二皇女(女二宮、賀子内親王)が、婚姻に際して幕府から3000石を進上されているのは将軍血縁者(徳川秀忠の孫娘) に対する特別の処遇である。
19世紀は婚約した内親王二方に化粧料300石が与えられている。
知行のなかった後水尾皇女としては文智女王。鷹司家に降嫁したが離縁し、大通と号し円照寺を創設した。東福門院が寺領寄進を幕府に依頼し、家綱から200石の朱印状が発せられたのである。緋宮のケースは法皇崩御後に法皇の旧御料から300石が贈られ、それが林丘寺の寺領になった。
常子内親王(品宮)については、 独身時代から、父後水尾法皇より院参町に品宮御殿が与えられていたが、独自の知行はなかったと考えられる。万治4年(1661)大火の後、寛文4年に中筋の法皇別邸の隣に御殿が建てられ、なぜかその半年後に近衛基熙と結婚している[久保貴子2008]。
品宮は岩倉の山を法皇より賜っていた。近衛家本邸の寝殿の修復、茶室と物見の格子の構築は法皇の出費であり、近衛邸への御幸は105回に及ぶ[瀬川淑子(2001)]。岩倉の山と地続きの幡枝の山荘も近衛家に下賜されている。
また常子内親王は、紫竹の別邸を購入するため、法皇に無心し、法皇は銀子500枚を支出している[久保貴子2008]。
さらに常子内親王は、父の後水尾院崩御の際、遺言により修学院村300石の知行が与えられていた。これは、後水尾院が崩御によって幕府に返却する知行3000石の一部ということであり、幕府が認め所司代より報知されたもので、これは内親王薨御により幕府に返却されたとみられている[瀬川淑子(2001)]。近世の皇室、宮家、門跡、公家の家領については、中世とは違って徳川幕府が知行充行権を掌握していたので、公家は幕府の麾下にある近世領主であった。
延宝5年に常子内親王は門跡宮方の深草の知行の監督、後水尾院より宰領を命じられていた。母の新広義門院(霊元生母園国子)が預かっていたものの経営をまかせられた[瀬川淑子200)]。
門跡領も広義には皇室領なので、今日でいう皇族費に相当する収入といえなくもない。
三 居住形態
1案の江戸時代の臣下に降嫁した事例、世襲親王家に嫁した前例も含め、全て夫方居住である。外祖父が徳川秀忠の女二宮は、近衛家本邸に奥方御殿を建てられ、同じく賀子内親王は二条家の東半分が内親王の御殿だった。
山崎内閣官房参与は、1案について御用地に居住し、皇宮警察がお守りすることも可能と昨年の国会協議で発言しているので前例とは違う。原則は慣例どおり、夫方居住であるべき。
とはいっても警備しやすい。結婚相手が財産家とは限らないとの理由で、御用地居邸とされる懸念がある。
三 婚儀
納采の儀、入第の儀等、嫁取(嫁娶、嫁入)婚儀礼の形式を変えないこと。
なお、公家は少なくとも戦国時代以降は嫁取婚の婚儀がなされている。江戸時代の憲子内親王の婚儀について近衛基煕日記に、女一宮の轅は七人の公家を前駆者として、近衛邸の寝殿に乗り入れたこと、所司代の家来数百人が禁裏からの路を轅に供奉し、近衛家の諸太夫が松明を持って轅を迎えたことなど記している。明らかに嫁迎え、嫁入婚の儀礼である。
四 墓所
江戸時代の9例(臣下へ降嫁)、3例(世襲親王家に嫁す)はすべて、嫁いだ家の菩提寺が墓所である。例えば近衛家に嫁いだ常子内親王やむ憲子内親王は、菩提寺の大徳寺、先月逝去された近衞忠煇氏の墓所も大徳寺である。賀子内親王は二条家の墓所二尊院、二尊院には非公開だが、賀子内親王の御化粧間が二尊院の茶室として移築されている。
御寺(皇室の菩提寺)般舟院や泉涌寺を墓所としているのは非婚内親王で、家継と婚約したが、家継夭折で3歳で未亡人となった八十宮吉子内親王は、徳川家の寡婦の処遇のためか、徳川家所縁の知恩院を墓所とする。
この趣旨からすれば、婚家となる夫方の墓所であるべき。
女性皇族は豊島岡墓地で、夫や子とは別墓になるのか。夫や子も豊島岡墓地となると事実上女性宮家になってしまう。
(参考・引用)
菅原正子2002「中世後期-天皇家と比丘尼御所」服藤早苗編『歴史のなかの皇女たち』小学館
久保貴子 2009 「近世天皇家の女性たち 」 近世の天皇・朝廷研究大会成果報告集 2
久保貴子2008『後水尾天皇』ミネルヴァ書房
瀬川淑子2001『皇女品宮の日常生活『无上法院殿御日記』を読む』
北野隆1979「近世公家住宅における数寄屋風書院について : その 2 摂家住宅について」日本建築学会論文報告集 275
藤田勝也2009「近世二條家の屋敷について」日本建築学会計画系論文集 74 (636)
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