「招かれざる客」(1967年コンムビア)がBSプレミアムで金曜日に放映された。録画していたので43年ぶりにみた。昭和48年頃、烏山中学校の特別教育活動で、映画鑑賞会があり、歌舞伎町ミラノ座で見たので覚えている。
なぜ、記憶にあるかという初体験と同じこと、初めて大きな劇場で見たアメリカ映画だったというただそれだけの話だ。
黒人医師と白人女性が結婚を誓い、娘の両親はリベラル派の家庭で異人種婚に反対しなかったが、実際にはとまどいをみせたという物語。スタンリー・クレイマー監督、配役はこの作品でアカデミー賞主演女優賞のスペンサー・トレーシー、キャサリン・ヘップバーン、シドニー・ポアチエで、アカデミー賞のオリジナル脚本賞。
連邦最高裁がバージニア州の異人種婚禁止法を憲法違反と判決したのが映画が公開されたころとほぼ同時期だと思う。南部でなくても異人種結婚に許容的でなかった時代の話。
ベッドシーンがあるわけでなく、娯楽性に乏しく思え、中学生には難解で退屈だった。
シドニー・ポアチエはNHK教育で放映された、ブラウン判決をテーマにした映画で、サーグッド・マーシャル弁護士を演じていたのも印象に残っている。
しかし43年前なので、ほとんど記憶がなく、印象に残っていたサンフランシスコの風景は、大人になってから見た「氷の微笑」と混同していた。
また「東京物語」(1953)をBSでやっていたので見たが、これは典型的な日本の「家」ではないと思った。設定は地方都市のサラリーマンなのである。たまたま風景がよいので、尾道をロケ地にしただけである。家業を継承する家でないし、親父はものわかりがよすぎて戸主としての威厳を感じない。
九州では戦争未亡人の半数がレヴィレート婚(亡兄の嫂を娶る-逆縁婚)で再嫁した。レヴィラート婚は儒教倫理では否定されているのでこれは庶民的な「家」の論理であるが、その趣旨からすると紀子は三男の国鉄職員と結婚するのが筋と言う見方もできなくもない。しかし、次男の嫁で家を継ぐ立場ではないしサラリーマン家庭なのでそうなる必然もない。しかし不縁にはされていない女だった。レヴィレート婚を勧められるのをいやがって、「節婦」を演じていたという見方もできないわけではなく、むしろ女性の自立を促すフェミニズム作品なのかもしれない。
もし大坂志郎と再婚させる筋書きだと、外国からは反発をくらうことになる。外人受けするために、必ずしも日本的とはいえない家を描いた。結局虚構である。
参考
大衆文化評論家指田文夫ブログhttp://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948/e/496e763de6de26ce0f4090b266196c9c
超弦理論のミチオ・カク教授(日系三世・ニューヨーク市立大シティカレッジ)の第二回(Eテレ4月17日23時放映)を見た。
トピックの一つが「不老不死は実現するか」であったが、さすがに科学的な説明だった。
物理学的にいうと「老化」とは細胞分裂時にDNAに複製においてコピーミスが蓄積することだと言う。つまりダメージを受けているDNAを修復できれば老化を遅らすことができる。
又、30%カロリー制限すると、30%寿命が伸びることが人間を除くすべての動物で検証されているとも言った。
ただし、熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)は不老不死を妨げると述べた。
人は死ななければならない。閉鎖系のなかではあらゆるものは崩壊する。
小保方博士の言ったSTAP細胞による夢の若返りは虚構だったのだ。
ここから、私の見解である。無理に若返りする必要はないと考える。死ぬから人間は限られた人生をいかに生きるべきか考え、人生目的が明確になるのである。キリスト教的には、「死は来世への門口であり、それ故生の目的であり、完成なのである」(田中仁彦『デカルトの旅・デカルトの夢』岩波書店210頁)。人生目的とは宗教的な意味で霊性の向上、聖化と答えてもよいし、特殊なミッションであってもよい。過激に殉教、ジハードという人もいるだろうが、人生に何か賭ける意義のあるものとすることが死によって可能なのである。ゆえに死が人生の最善の友といえるのである。
宗教的でありながら、合理主義的と思えたのが、『人間の可死性』(1644年頃出版)を説いたリチャード・オーヴァートンの見解「人間の全体は、ふつう魂と肉体は区別して考えられているけれども、完全に可死的な複合物であり、魂がただちに天国や地獄に行くというのは虚構である。われわれの不死がはじまるのは、したがって破滅と救済がはじまるのは、復活のときであってそれ以前ではない」(浜林正夫『イギリス革命の思想構造』未来社1966年229頁)というものである。
この見解は唯物論に近いという批評もあるが、「霊魂睡眠論」といい、再洗礼派の伝統的な思想であり、ミルトンもそういう考えだった。
霊魂は死滅するが、にもかかわらず不死とは一見矛盾するが、ほぼ科学的真実だと思う。
そもそも不死といっても自己自身をどう定義するかによる。自己同一性とは何か。脳内のエピソード記憶の累積か、外界と区別するところの免疫抗体の同一性なのか、クローン人間は同一人とはいえない。一卵性双生児が別人だからだ。記憶や免疫は死ぬと同じ世界では少なくとも地球上では復元不能に思える。ハードディスクの破壊と同じだからだ。
しかし無数のパラレルワールドの存在を前提すれば復元可能である。そのような意味での「復活」である。全く没交渉の宇宙だから、それは同一のものとも否ともいえるだろう。それは思い込むかいなかの問題なのである。
法的には、自らが契約によって労働力処分できる身体それ自体が自己であるといえるが、しかし、自己概念を、そういう枠や、同じ記憶の累積、同じDNA、同じ免疫抗体に固執せずトランスパーソナルに解釈することはできる。
つまり自分は、夫婦別姓反対。ジェンダー労働政策であるワークライフバランスに反対。男子の家庭科、ダンスに反対だ。フェミニスト、日弁連、労働組合が嫌いだ。ヘイトスピーチ規制立法反対。ロックナー判決は正しいと思う。階級立法に反対する。もし南北戦争以降歴史上最善のアメリカ大統領はときかれたら、いうまでもなくクーリッジと答える。‥‥という政治的見解がすべて同一で、なおかつ、幼稚園はキリスト教系、高卒だ。素人童貞だ。30年以上セックスをしたことがない。ノーパン喫茶を楽しんだことがある。飛行機に乗ったことがない。半殺しにあったことが2回ある。心筋梗塞の病歴等のエピソードが同じなら姿や住所等が多少違ってもほぼ同じ人間だともいえるのである。
トランスパーソナルでもそれは満足できるものならそれも広い意味での自己といえる。つまり別の世界の自分は結婚していたとバリエーションがあったとしても不満ではないからだ。つまり無数のパラレルワールドを前提として、ここで認識している私は、類似の自己のうち失敗したほうであれば、それはもはや自己でなく他人だったともいえる。でもまだ許容できる存在だから、他人であっても「自殺」はしないだけである。
無数のパラレルワールドを前提として、そうした類似した人間のなかでもっとも傾向性が発現し、満足度の高い人生を歩んだ者が真の自己ともいえる。なぜならば、自分の考える自分とは、常に傾向性を発言したいと思う自己でありそれは想像上のものであって現実ではないからだ。
哲学的にも物理化学的にも自由意思が虚構であり、自分は自分の身体の中の人であるというのはそう思わされているだけであったとすると、結局そのような意味での自己概念は崩壊するが、傾向性が実現する自己なるものが構造的に存在するといえるから、そのような意味で不死であるということである。
テレ朝元旦の芸能人格付けは見た。峯岸みなみはそつなく仕事をこなしいるがもっと順位の高いメンバーを出すべき。テレ東二日の寄席中継のケーシー高峰の漫談は毎年楽しみにして見てる。むかしは四日か五日に美少女タレント宣伝番組を高田純次の司会でやってたのを毎年みてたがやらなくなったな。
絶対見たくない番組は超マンネリの「箱根駅伝」。関東の私大の宣伝と新聞社のメンツ以外になにが価値があるのか全くわからない。たかがローカルイベントなのに視聴率高すぎ。瀬古さんが週刊新潮に書いてたように、駅伝からマラソンに転向して成功する人が少ない。大学の陸上部が視聴率を取っている駅伝選手養成に力を入れるのはわかるが、そのためにマラソンの選手層が薄くなり、男子マラソンでオリンピックのメダルがとりにくくなった要因の一つという趣旨だったと思うが、正論だろう。
ミラノ座が本日で閉館とのニュースを知った。たぶん東京では、映画専用でない日劇を除くと改築前の東劇に次ぐ収容人員のある映画館だと思うが、二回、小劇場も含めると三回、映画を見たことがある。
一番印象に残っているのは、昭和48年頃、中学校の特別活動で、映画鑑賞会があり、ミラノ座前の広場に集合して、「招かれざる客」1967年コンムビアを見たことだ。黒人医師と白人女性が結婚を誓い、娘の両親はリベラルな考え方だつたので異人種婚に反対しなかったが、実際にはとまどいをみせたといった感じのストーリーで人種差別をテーマとしたもの。
スタンリー・クレイマー監督、配役はこの作品でアカデミー賞主演女優賞のスペンサー・トレーシー、キャサリン・ヘップバーン、シドニー・ポアチエで、アカデミー賞のオリジナル脚本賞も獲っている作品。
連邦最高裁がバージニア州の異人種婚禁止法を憲法違反と判決したのが映画が公開されたころとほぼ同時期だと思う。まだ異人種結婚に驚く時代の話。
サンフランシスコの住宅地の映像が非常にきれいだったことを記憶しているが、娯楽性に乏しく思え、中学生には難解だった。
シドニー・ポアチエはNHK教育で放映された、ブラウン判決をテーマにした映画で、サーグッド・マーシャル弁護士を演じていたのも印象に残っている。
解散で今国会は先送りになりそうだが、「BSフジ プライムニュース」の女性活躍法案の番組見たが、女性活躍のために時短だ、イクボスだイクメンだ。自然の成り行きを待っていたら80年以上かかかるから強制だとか本当に不愉快な話ばつかりだった。 スティーブ・ジョブズの逸話として「マッキントッシュ」の開発メンバーは、「週80時間労働、それがうれしい」と大書されたTシャツを着させられて仕事に臨んでいた。それくらいで熱中しないと業績をあげることは難しいということだ。 1920年頃までアメリカ鉄鋼業は週休なし、1日12時間週84時間労働はふつうにあった。フーバー商務長官が時短させたのだが余計なお世話だ。女性のために勤勉に働く価値を否定するなんてとんでもない。
半沢直樹は興味ないので見なかったが、「安堂ロイド」は本田翼や桐谷美玲にひきつけられて見ている。キムタク主演ドラマを見たのはこれが2度目だが、それなりに凝ってつくられており面白い。もっともパラレルワールドは構造的存在としてたぶん無数にあると思うが、別の世界に移動することは困難だと思うし、未来から指令を出したりメールが届いたりするのはありえないと思う。ホーキング博士も時間を逆流されることはできないと言っていたような。また未来の歴史が決まっているということもないと思う。茂木健一郎が大好きな偶有性に賭けるということがないと世界は面白くなくなる。
例えば 5対4の判決でもし、ロバーツ主席判事が、昨年オバマケアを合憲でなく違憲としていたなら、今年10月の連邦政府閉鎖騒ぎもなかったし、たった一人のちょっとした判断とかハプニングで世の中はかなり違った政治的展開になることがしばしばあるのだ。
人間の自由意思すら虚構なのにアンドロイドが進化して自由意思をもつなどいうこともたぶんないだろう。
なんで未来の警察が特に秘密を知っているわけでもない安堂麻陽を執拗に殺そうとするのかわからない。婚約者のために死ぬというのものも理解不能。天才科学者なら自己の生命のほうがよっぽど重要に思える。
ロケ地はそれなりに良く選択されているように思う。エニグマ・エンジン・ソフト社だか、品川グランドセントラルタワーとネット情報にあるが、日本マイクロソフトの本社らしい。
安堂の働いているオフィスはソフトドリンクが置かれているのが印象的で、飲み物をただで自由に飲めるシステムはマイクロソフトから始まった。自動販売機でコーヒーを買うと、コインをちゃりんと入れた瞬間に仕事への集中がとだえてしまうので、知識労働者に仕事に没頭してもらうために飲み物などをタダとしているシステムだ。
山里亮太の司会、テレビ東京本日0時12分をたまたま見た。単純なゲームでくだらない企画に思えたが、岩井志麻子という小説家が、毛じらみ、クラミジア、素股、アナル、仮性包茎、蟻の門渡りといった下半身系言葉ををくりだしてきたので笑えた。ルールは辞書「大辞林」に記載されていればOKというもの。決勝戦は東進ハイスクール現代文講師「いつやるか? 今でしょ!」のCМで有名な林修と岩井志麻子となり、岩井が「裏筋」と答えたところで辞書にない俗語のためアウト。林修がしりとり王となる。他に春香クリスティーン、又吉直樹などが出演。裏のタモリ倶楽部は録画してちょっと見たが、今回の企画はいまいち面白味にかけていた。
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