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カテゴリー「経済・政治・国際」の28件の記事

2017/08/30

都民ファースト・公明党の「子どもを受動喫煙から守る条例」案に強く反対

喫煙する親=児童虐待者と決めつけ新たに社会の敵をつくるような小池都民ファーストの政策は、糾弾されるべきだ。子供の権利の政治利用に反対する。
 
1. 親の監護教育権への干渉に反対する
 
 子供の幸福を願うのは第一に親であって、どのような環境で育てるかは親の監護教育権の範疇であり、政府や自治体が干渉するのが間違いである。私は狭い家で父も祖母も喫煙する家庭で育ったが、タバコを買いに行ってヘビースモーカーの祖母に喜ばれたことはあれ、健康を害したという覚えはない。喫煙の健康への影響は教育だけで十分であり、仮にそれによって健康を害したとしても父や祖母を恨むことはない。努力義務で罰則がなくとも、親の監護教育権、家庭というもっとも安心できる場所、私的空間・プライバシーの領域を規制するのは、行き過ぎた。
 受動喫煙がどの程度の問題か医学的なことは知らないが、少なくとも、当事者である子供の福祉のために絶対避けなければならないというものではないし、当事者である子供にとってとりかえしのない負担を課すものではないのであるから、子供の健康を守るという口実よりも親の監護教員権や私的自治のほうが重要な価値であり、政府・自治体の干渉はやりすぎで私はそれゆえに条例に強く反対する。
 
 
2. 家庭の私的自治への干渉に反対する
 
 近代市民社会の基本原則、契約の自由、私的自治、自己責任である。嗜好品としての酒やたばこをどうたしなむかは、家庭の私的自治の領域であって、家庭という私的空間に官憲が踏み込んでくるようなことは行き過ぎて、プライバシーの侵害ともいえる。努力義務といっても努力していない家庭は攻撃の標的となる恐ろしい社会になるのではないか。
 特にマイカーでの喫煙は、外から見られるので官憲が踏みこみやすく、単に嗜好品をたしなんでいるだけで、他人から今後告発され子供の虐待者とラベリングされる、そのようなリンチをする社会は恐ろしいと思う。
 タバコは中毒になるので、そう簡単にやめられない人も多く、喫煙場所が限られているからつい車内で吸ってしまうことは当然あることで車内での禁止規定は行き過ぎた。
 
 
3.結婚し家庭を築く権利の侵害になる
 
 結婚し家庭を築き子供を育てることは憲法13条の幸福追求権や24条1項の婚姻の自由という法益にかかわる国民の重要な権利であるが、このような条例が制定されることによって、結婚生活のために禁煙を強要される懸念がある。結婚とは相互扶助の共同体を形成することで、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生に困難があっても乗り越えられる。しかし喫煙者であるために結婚を断念するか、東京都のような条例のない他県に引っ越さざるを得なくなるのは大きな負担だ。
 昭和時代より住宅事情がよくなったとはいえ、大きな家に住める人は子供と別の部屋で喫煙すればよいが、1間や2間の家庭なら子供のために禁煙を強要されることになるし、所得の低い人への差別を生む。
 また喫煙習慣のある祖父母に子供をも預けられなくなるし、喫煙者のいる老父母のいる三世代家族では、老父母を追い出さなければならないのは悲劇である。父母や祖父母が子供や孫と暮らす権利という幸福追求の核心的権利の否定になると思う。
 喫煙している親は、歩く児童虐待者とラベリングして社会の敵にしようとする、このような嫌煙ファッショのような条例は理念からして間違っていると考えるものである。

2017/08/05

「人づくり革命」なんて糞くらえ

 安倍内閣の重点政策は、「子どもたちの誰もが家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることのできる社会」をつくることだそうだ。社会主義者のサンダースみたいな政策だ。子どもたちの幸福とかいっておれば愚民は喜ぶとでも思っているのか。
 自分が園芸高校でよく覚えていることは、シベリアの鬼といわれる教師がいてシベリア抑留経験が自慢で、人生、苦労すべきだつらいことも我慢してハードワークの鬼となれという辛気臭い教育をやっていた。「知足案分」の道徳とかいっちゃって、身の程を知って、人生に夢など゛をもつなというようなことを云っていた。
 その時は強い反発を感じたが、苦労して苦労倒れするのはばかげていると思った。今となってはも人生夢などもたず地道にやるべきだと思う。安倍に説教してやってほしいものだ。
 昔の子どもは5歳までにかなり死んだし、大半の子供は、自己の不幸な人生を呪って死んで死んでいくだけだった。それにくらべれば呪う程不幸でなければましというものだ。
 産業革命以前のイギリスの家庭の子供たちは、7歳ころを生家を出て、14歳ごろまで奉公した。他家に里子に出して他家で奉公させることにより行儀作法を身に着けた。
 過酷な奉公に出すことだけが教育だった。教育投資などせずあとは子供は勝手に生きていくからそんなもんでいいんじゃないか。
 夢と言っても将来どういう仕事が残っているのかわからないし、地方では人手不足の小口配達のドライバーか介護職しか働き口がないともいわれているのに、夢をもってくださいといわれても。

2016/07/09

18歳選挙権引き下げも筋の悪い政策で強く反対だ(再掲)

 総務省の広瀬すずの広告不快だ。そもそも18歳選挙権引き下げに反対していたから明日、棄権しようか行こうか迷っている。
 若者も世論も求めてなかったことなのに政党間の取引で決められたことである。2014年3月16日ブログを再掲する。
 欲しいといってもいないのにあげるというのはばかげていた。安く売りすぎだ。ただで権利を与えるのではなく、徴兵登録導入と引き換え(もちろん女性活躍のため女性も徴兵)ならまだ話はわかるが。

 (再掲-一部修正)

 3.14朝刊で「憲法改正の手続き前進 国民投票法改正案に民主同意、成立へ」との報道http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140314/stt14031421030003-n1.htmがなされている。

---国民投票年齢については「改正法施行後4年」に18歳以上に引き下げるとする与党案を改正案に採用する。ただ、公職選挙法の選挙権年齢について「改正法施行後2年をめど」に18歳以上に引き下げるべきだとする民主党に配慮し、政党間のプロジェクトチームを設置し、2年以内に投票年齢と選挙権年齢を同時に引き下げる法整備を目指す。----とのことである。
 そもそも、この法案は第一次安倍政権の時代に、当時の自民党中川政調会長が、法案を通すために民主党の政権公約である選挙権18歳引き下げの主張に妥協したことからはじまっており、私は法案を通すための政党間の取引で選挙権も成人年齢も引き下げることに反対なので意見を上申する。
  主要国についていえばアメリカ合衆国はコモンローの成年は21歳だが、ベトナム戦争の際、反戦運動や学生運動が盛んになり、18歳以上21歳未満の者は徴兵されるのに選挙権がないのは不当だとの主張がさかんになされ、1971年に投票権を18歳に引き下げた(憲法修正26条)。
  ドイツも同じ事で、学生運動が激しくなり兵役義務が18歳からなのに選挙権が21歳なのは不公平だとの主張により1970年に18歳に選挙権が引き下げられた。政治不信を主張する激しい学生運動を懐柔させるための政策だったのである。(国会図書館調査及び立法考査局「主要国の各種法定年齢」『調査資料』 2008-3-b 2008-12月参照)
  要するに60年代末期の学生運動を背景に、徴兵制(兵役義務)とのからみで、選挙権も引下げられたということである。それは世界の趨勢になったが、あくまで、学生運動を背景とした一時の社会現象にすぎない。徴兵制のない我が国で18歳に引き下げる理由は見当たらないのである。若者が選挙権を求めているわけでもない。いまどきの若者は車がほしい。彼女がほしいとも言わなくなったのである。
  これはたぶん民主党の政策立案グループに団塊世代の学生運動経験者がいて、昔の夢よもう一度という自己満足のための政策としか思えない。だから筋が悪いと思うのである。
  そういうとおまえは、憲法改正の手続き法である国民投票法の成立を邪魔する隠れ護憲派かと非難されるかもしれないが、反戦平和運動は嫌いなのでそういうことはない。憲法九条の改正や集団的自衛権も賛成しますよ。
  しかし、将来の徴兵制導入のため若者の不満をそらすためにこの際選挙権も18歳に引き下げるとはいってない。そういう説明はない以上、この政策は法律を通すための政党間の取引に思えるから反対なのだ。
  つまり、私が言ってるのは選挙権とか、成人年齢という重要な事柄は、別の法律を通すための政治的取引の材料にすべきではないという主張である。
   とくに成人年齢引き下げには国民の7割が反対している。明治9年の太政官布告で満20歳に定められてから、約140年間続いてきたもので国民に完全に定着しているのである。 
 私は日本大学法学部民事法・商事法研究会「『民法の成年年齢引下げについての中間報告書」に対する意見」『日本法学』75巻の結論に賛成である。「国民投票法の制定に伴い、成年年齢の引下げが議論されているが、私法においては、満二〇歳の成年制度で長い間安定しており、これを引き下げることは混乱を生じるだけではないかと思われる。‥‥立法趣旨についてきちんとした議論が全くなされてない状況において改正論議だけが先行することは、法改正のあり方として、あまりにも拙速である。」
 憲法改正には反対していない。悪法は廃止し、改正すべきである。しかし改正してはいけないものもある。成人年齢と親族法とか、安易に政治的取引で法改正とてしまっていいみものではないと考える。
 もっとも今回の自公民三党合意は成人年齢にふれていない。しかし三党合意で選挙権が2年以内に引き下げられると決定されれば、次は成人年齢に俎上に載せられるだろう。
実際、外国の例では成人年齢と選挙権は一致していることが多いからである。アメリカ合衆国では45州が18歳、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが、コモンローと同じく21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。
 私はコロラド、ミネソタ州のように選挙年齢と成人年齢が違っていてもいいと思うが、選挙権が引き下げられれば、国民の7割が反対しても成人年齢もということになりかねないので危惧しているのである。

2016/06/06

川崎市の事件、大量動員ピケで合法的なデモを中止させるのは政治的少数者の言論封殺だ

 
 そもそも、横浜地裁川崎支部が事前に半径500メートルのデモを事前に禁止する仮処分を決定したのも問題だが、日曜日の川崎市中原区のデモは、道路使用許可を得た合法的デモで、デモに集まった20~40人に対し反対派は約600人で包囲し、危険混乱を生じると理由で警察が説得しデモは中止となったと報道されている。
 公衆に開かれた場での合法的なデモ行進にマスピケを仕掛けて中止させるというのは不愉快だ。多数者による少数者への横暴のように思える。
 多数者に嫌悪されるという理由でデモをつぶすなどということは少数者の市民的自由の抑圧である。
 政府は表現内容に中立であるべきだが、特定の団体だけは中立でなくてよいなどいうことが流布され、反対派が勢いづいたのが問題だ。
 私は、危険、混乱をもたらすなどという口実で安易に中止に追い込むのは言論抑圧のように思える、政府は特定の団体の立場に肩入れするべきではない。
 警察は、へイトスピーチ解消法を受けて、名誉毀損の積極適用を指示したとされるが、デモを物理的に阻止して妨害する反対派市民に対しても、道交法違反とか違法行為があれば取り締まるべきであり、デモ行進も市民の権利である以上、他人の権利を侵害する行為は許されないはずである。警察は公平であってほしい。

2016/05/26

不愉快な政治ショー

 一億総活躍社会、ニッポン一億総活躍プランなんていうのは、社会民主主義、政策としては左翼政党そのものである。安倍政権によって日本の左傾化が推進されるというのは国民にとってこれほど不幸なことはない。
  安倍がアベノミクスを世界でもやれというのは傲慢だ。一応は保守政党といえるキャメロンやメルケルと対立するのも当然のこと。むしろお互い社会主義的ということで安倍はオバマと相性がいいのだろう。
 だいたい80年代反核運動の背後にはソ連が策動しているといわれたものだ。私は反核と叫ぶ原水禁とか原水協とか大嫌い。オバマも安倍も左翼なので仲良く広島訪問するのだと理解する。
 広島といえば、笠谷和比古の『歴史の虚像を衝く』2015年を読んだ。福島正則改易事件(無断で城郭を修築した)は本多正純の謀略とする従来の通説は間違いだと書かれていた。実際、広島城は櫓が40近くある鉄壁の要塞になっていた。むしろ本多や土井利勝など老中の面々は穏便におさめようとしたが政治的にはぬるい判断である。改易を断行されたのは将軍秀忠の攻撃的に出たためとされる

2016/05/19

ニッポン一億総活躍プラン特に長時間労働是正大反対

自民党に送信

「週49時間以上働いている労働者の割合は、欧州諸国では1割であるが、我が国では2割となってる。このため、法規制の執行を強化する」「時間外労働時間について、欧州諸国に遜色のない水準を目指す。」とあるが、これは週48時間労働規制や、勤務時間の11時間インターバル規制のあるEU労働時間指令のようなものを構築する意図ありとみる。

 

この政策は営業の自由、契約の自由に反し、経済を停滞させる愚策だ。林=プレスコット説は時短が失われた10年の理由である。

 

 英国は、EUに加盟しながら、加盟国の義務であるユーロの導入や労働時間指令についてオプトアウト(適用除外)の権利を獲得し、 欧州大陸諸国と一線を画してきた。英国がリーマンショックまで16年景気拡大した理由は、EU労働時間指令をブレア政権が受容し1998年労働時間規則を制定したものの適用除外(オプト・アウト)を個々の労働者が選択できる制度のため、労働者の3割が法定労働時間適用除外にサインしており、事実上労働時間規制はないためだった。

 

このためEU15カ国において週48時間以上働いているフルタイム雇用者は5%以下であるが、イギリスはその数字が20%を超えている。つまり日本はイギリス並みの労働時間まで時短が進んでいるが、これ以上必要ない。知識労働者の長時間労働は当然であり働かない主義の社会をモデルとした政策はばかげている。

首相官邸に送信

 

ニッポン一億総活躍プラン特に、長時間労働是正の方針に反対である。

 

「週49時間以上働いている労働者の割合は、欧州諸国では1割であるが、我が国では2割となってる。このため、法規制の執行を強化する」「時間外労働時間について、欧州諸国に遜色のない水準を目指す。」とあるが、これは週48時間労働規制や、勤務時間の11時間インターバル規制のあるEU労働時間指令のようなものを構築する意図ありとみる。

 

この政策は営業の自由、契約の自由に反し、経済を停滞させる愚策だといわなければならない。林=プレスコット説は時短が失われた10年の理由であった。

 

 欧州のまねをしたら日本は駄目になる。

 

イギリスがリーマンショックまで16年景気拡大した理由は、欧州労働指令のEU労働時間指令をブレア政権が受容し1998年労働時間規則を制定したものの適用除外(オプト・アウト)を個々の労働者が選択できる制度をとっているので、労働者の3割が法定労働時間適用除外にサインしており、事実上労働時間規制はないためだった。イギリスは、EUに加盟しながら、本来、加盟国の義務であるユーロの導入や労働時間指令についてオプトアウト(適用除外)の権利を獲得し、 欧州大陸諸国と一線を画してきた。適用除外(オプト・アウト)制度をやっているからイギリスの経済は大陸と比較してまともであり、外国からの投資も呼び込んでいる。

 

このためEU15カ国において週48時間以上働いているフルタイム雇用者は5%以下であるが、イギリスはその数字が20%を超えている。つまり日本はイギリス並みの労働時間まで時短が進んでいるが、これ以上必要ない。知識労働者の長時間労働は当然でありこのうえ働かない主義の大陸欧州や南欧のような社会をモデルとして時短しようとするのは全くばかげている。

 

 

 (なおEU労働時間指令とは、1993年に制定され、2000年に改正された。指令は、1)24時間につき最低連続11時間の休息期間を付与、2)6時間を超える労働日につき休憩時間を付与(付与条件は加盟国の国内法や労使協定で規定)、3)7日毎に最低連続24時間の週休及び11時間(1日の休息期間)の休息期間を付与、4)1週間の労働時間について、時間外労働を含め、平均週48時間以内の上限を設定(算定期間は4カ月)、5)最低4週間の年次有給休暇を付与を規定する)

 

2016/05/13

ヘイトスピーチ対策法 理念法でも反対

首相官邸宛てに送信

 

 安倍首相による「争点つぶし」という打算によってヘイトスピーチ対策法が、今国会成立の見込みと報道されている。修正協議で「著しく侮蔑」いう文言が入ったのは「ゴキブリ」と云わせないためらしいが、より危険な内容になった。私なんか「このタコ」とか侮蔑的な言葉で攻撃されることはしばしばあったがいちいち怒ったりしない。解釈が広がっていく可能性がある。

 法規制推進派は「禁止」文言がないのは不満だが、政府が「中立」の立場を変えることになったのが画期的と評価と云っているのを新聞で読んだ。

 逆に言えば政治的表現に「中立」であるべき政府が介入することになり、市民的自由の危機と認識している。人権教育を政府や自治体がやるということだが、結局税金で左翼団体の主張を宣伝することになり、今後ちょっとしたことでレイシストなどレッテル貼りが加速し、左翼団体の思う壺になることを懸念する。

 嫌いなものを嫌いといえない社会は恐ろしい。別に戦前のように日漢朝満蒙五族協和に反対する人がいてもいいのだ。こんな調子だと、大相撲の白鵬-正代で日本人力士を一方的に応援した国技館の観客ですらレイシストにされてしまう。

 私には、在特会など「行動する保守」の運動スタイル、演説の巧さ、ジャーナリズムが看過している問題を取り上げ抗議活動やデモでアピールするやり方が新鮮に映った。実際民主党政権で一気に進められるかと思われた外国人参政権反対のデモを見て感化されたし、心から怒っているのがわかるし、デモに参加している人も付和雷同しているわけでなく、労組の動員のような団体の指図で動いている人々でもない。純粋な政治活動であり、特定の団体や特定の政治的主張を狙い撃ちにするような立法は安倍政権の全体主義への傾斜を意味するものといえるだろう。

 

自民党あてに送信

 

修正協議で「著しく侮蔑」いう文言が入ったのは「ゴキブリ」と云わせないためらしいが、より危険な内容になった。私なんか「このタコ」とか侮蔑的な言葉で攻撃されることはしばしばあったがいちいち怒ったりしない。解釈が広がっていく可能性がある。

 法規制推進派は「禁止」文言がないのは不満だが、政府が「中立」の立場を変えることになったのが画期的と評価と云っているのを新聞で読んだ。

 逆に言えば政治的表現に「中立」であるべき政府が介入することになり、市民的自由の危機と認識している。人権教育を政府や自治体がやるということだが、結局税金で左翼団体の主張を宣伝することになり、今後ちょっとしたことでレイシストなどレッテル貼りが加速し、左翼団体の思う壺になることを懸念する。

 嫌いなものを嫌いといえない社会は恐ろしい。こんな調子だと、大相撲の白鵬-正代で日本人力士を一方的に応援した国技館の観客ですらレイシストにされてしまう。

 私には、在特会など「行動する保守」の運動スタイル、演説の巧さ、ジャーナリズムが看過している問題を取り上げ抗議活動やデモでアピールするやり方が新鮮に映った。特定の団体や特定の政治的主張を狙い撃ちにするような立法は安倍政権の全体主義への傾斜を意味するものといえるだろう。この問題とLGBTなどで自民党の対応に反対なので次の選挙は棄権したい。

 

 

 

2016/05/09

LGBT法案、理念法であれ反対だ

 たんに嫌みにすぎないが、自民党へ送信したもの

 政府や地方自治体にLGBTへの理解促進に向け取組ませるといる、自民党の議員立法案は結局、LGBT運動に都合が良いように、我々善良な国民を啓蒙させるなどという厚かましい政策と思えるので極めて不愉快だ。LGBT権利拡大の主張を政府や自治体が税金を使って宣伝するのはばかげている。そのうちLGBT権利拡大に反対する人間は政治的に好ましくないとして攻撃の対象になりかねない。

 懸念すべきは信教の自由への干渉である。同性愛を非難し、忌み嫌うのはユダヤ・キリスト教2500年の道徳、倫理観である。レビ記18:22「汝、女と寝るように男と寝てはいけない、これは憎むべきことである」レビ記20:13、ロマ書1:26~32などがその根拠となっている。

 過去30年間の連邦最高裁判決で最も立派な意見と思うのは1986年ハードウィック判決(男色行為処罰の州法を合憲とした。2003年に判例変更)バーガー長官補足意見で、もし被告人の主張を認めるなら我々は「至福千年の道徳的教訓を棄て去ることになる」というものだった。これは共和主義的憲法理論として高く評価されている。我国ではクリスチャンは少数とはいえ、聖書的価値や道徳を尊重する人々も決して稀というわけではない。聖書的価値が排斥され道徳的・倫理的基盤を浸食されるのは我慢ならない。

 首相官邸に送信したもの

 政府や地方自治体にLGBTへの理解促進に向け取り組ませるといる、自民党の議員立法案がとりまとめられたと連休前に報道され、旗振り役の稲田政調会長がLGBTのイベントに参加し演説したという。政府や自治体によって、LGBT運動に都合が良いように、我々善良な国民やノーマルな異性愛者多数者を啓蒙させるなどという厚かましい政策は極めて不愉快だ。 LGBT権利拡大の主張を政府や自治体が税金を使って宣伝するのはばかげている。そのうちLGBT権利拡大に反対する人間は政治的に好ましくないとして攻撃の対象になりかねない。
 懸念すべきは信教の自由への干渉である。同性愛を非難し、忌み嫌うのはユダヤ・キリスト教2500年の道徳、倫理観である。レビ記18:22「汝、女と寝るように男と寝てはいけない、これは憎むべきことである」レビ記20:13、ロマ書1:26~32などがその根拠となっている。
 過去30年間の連邦最高裁判決で最も印象に残るのはといえば1986年のバウワーズ対ハードウィック判決(男色行為処罰の州法を合憲とした。2003年に判例変更されたが)バーガー長官の補足意見で、もし被告人の主張(男色行為の権利)を認めるなら我々は「至福千年の道徳的教訓を棄てさることになる」から断じて容認しないというものだった。これは共和主義的憲法理論として高く評価されている。我が国はクリスチャンは少数とはいえ、聖書的価値や道徳を尊重する人々も決して稀というわけではない。聖書的価値が排斥され道徳的・倫理的基盤を浸食されるのは真正クリスチャンなら我慢ならないことであり、それゆえ私はLGBT法案を反対だ。
 

2016/04/05

重ねてヘイトスピーチ対策法案に反対

自民党がヘイトスピーチ対策法案に積極的になった理由は、参院選の争点つぶし(読売)とか、滞っている他の法案の審議を促す国会対策などと報道されている。
 国民の政治的表現権という重い問題を政治の駆け引きの道具として使っているのは納得がいかない。
 本日の朝日新聞朝刊によれば自民党がとりまとめたヘイトスピーチ対策法案は、ヘイトスピーチを「公然と、生命、身体、自由、名誉または財産に危害を加える旨を告知するなど、本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義し、国民「差別的言動の解消の必要性に対する理解」と「差別的言動のない社会の実現」を国民の努力義務とするものだと伝えてい。
 罰則がないとはいえ、私は強く反対である。政治的表現権は人権体系のなかでも、宗教の自由などと並んで最も重要なものであり、それは旧約聖書の預言者がそうであったように時には激烈な言葉をも必要とする。実際、私は反対だが、多くの人が安倍政権に打撃を与え秀逸だと言っている「保育園落ちた」も「死ね」という敵意の表明があるから印象に残るのである。
 したがって私は、正真正銘の強烈な脅迫でもない限り、政治的表現は保護されるべき事柄であり、自らの政治的意見を公衆に伝えるデモ行進も、たんに周囲を不快にさせるようなことで非難されるべき事柄ではないと考える。
 「本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する」という特定の内容を狙い撃ちにしたものだが、表現内容中立的ではないから問題である。
 地域社会から排斥運動というのはしばしばありうるものであって、たとえばオウム真理教もしくはその後継とみなされた団体の道場、施設の排斥運動、ごみ屋敷排斥、火葬場反対、暴力団事務所排斥、村八分、共同絶交行為いろいろあるわけである。オウム排斥運動、暴力団排斥運動はOKだが、外国人排斥運動はアウトというのは平等ではない。この法案が可決すると外国人のコミニティが必要以上に保護される懸念もありうる。ベルギーのようなテロリストの巣くうコミニティもヘイトスピーチは許されないとして保護されるとなると、排斥運動など困難になる。

2016/04/03

自民・公明「ヘイトスピーチ抑止法案」に強く反対

(花見どころじゃない。職場改革に集中的に取り組むため資料整理していたところ、年度末のニュースで大きな問題があったので、とりあえず国政に関して自分の意見をまとめた、自民党などに短縮バージョンの意見を送付した)

 

 NHKなどの報道によるとhttp://irorio.jp/nagasawamaki/20160331/311858/、自民・公明両党は「ヘイトスピーチ」を「公然と、生命や身体、自由や財産などに危害を加えることを告知するなど、日本以外の国や地域の出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義したうえで、原案には「国の施策実施の責務」や「相談体制の整備や教育、啓発活動への取組み要求」、「地方自治体への施策要求」などが盛り込まれており、4月末までにまとめ、今国会での成立を目指すとしている。

 

 罰則規定は設けないとしているが、私は次の3つの理由から強く反対である。

 

1 特定の人を攻撃するものでないデモ行進や政治的表現の抑止、萎縮効果が大きい

 

 威力病務妨害や名誉毀損という市民法秩序に反するということならば処罰はやむをえないとしても、たんに集団誹謗的な表現の規制は特定人を攻撃していない表現活動を抑止することは人権体系でもとくに重要な政治的表現の否定である。レイシズムなどいかに社会的嫌悪されている見解であれ自らの政治的信念を公衆に伝えることは民主主義社会で重要な価値であり、それは断固として守られるべきである。

 今回の与党案でヘイトスピーチの定義がしぼりこまれているとはいえ、明らかに表現のトピック、内容に着目して、特定の団体、あるいは特定の表現活動を抑止しようとするものなので反対なのである。

 たとえヘイトスピーチが言語道断だとしても、それは思想の市場における批判にさらされることで、収束していくべき事柄で、公権力が規制すべきではない。 

 

 なお、学校法人京都朝鮮学園を中傷した街頭宣伝をなした者に対する巨額損害賠償と差止請求を認めた事例として、京都地裁平成25年10月7日判決、大阪高裁平成26年7月8日判決があり、これは同年12月9日の最高裁第三小法廷で上告棄却とされているが、人種差別条約に好意的見解を示しつつも、あくまでも特定の学校の平穏な教育活動を妨害し、名誉を毀損した不法行為にあたるとしたものである。

  控訴審判決は次のようにいう

「人種差別撤廃条約は、国法の一形式として国内法的効力を有するとしても、その規定内容に照らしてみれば、国家の国際責任を規定するとともに、憲法13条、14条1項と同様、公権力と個人との関係を規律するものである。すなわち、本件における被控訴人と控訴人らとの間の私人相互の関係を直接規律するものではなく、私人相互の関係に適用又は類推されるものでもないから,その趣旨は,民法7 0 9条等の個別の規定の解釈適用を通じて,他の憲法原理や私的自治の原則との調和を図りながら実現されるべきものであると解される。したがって,一般に私人の表現行為は憲法211項の表現の自由として保障されるものであるが,私人間において一定の集団に属する者の全体に対する人種差別的な発言が行われた場合には,上記発言が,憲法13条,141項や人種差別撤廃条約の趣旨に照らし,合理的理由を欠き,社会的に許容し得る範囲を超えて,他人の法的利益を侵害すると認められるときは,民法7 0 9条にいう「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した」との要件を満たすと解すべきであり,これによって生じた損害を加害者に賠償させることを通じて,人種差別を撤廃すべきものとする人種差別撤廃条約の趣旨を私人間においても実現すべきものである。」としたうえで、在特会側の名誉毀損に当たらないという主張に対し、「発言は被控訴人の関係者や警察官に対する発言であっても、在日朝鮮人をあざけり、日本社会で在日朝鮮人が日本人その他の外国人と共存することを否定する内容であり、本件学校を設置・運営し朝鮮人教育一般文化啓蒙事業を目的とする被控訴人に対して向けられたもの」と述べており、特定の学校法人を標的にして名誉被損があったという認定である。

 

 

2、特定の観点、表現内容に着目した規制こそ脅威、不自由な社会になる

 

 トランプ候補がメキシコ人やイスラム教徒に対する政治的発言が物議を醸しているが、表現内容規制は憲法違反との司法判断が確立しているアメリカならではのこと。報道されているようにトランプ支持者はきれい事や建前をいう政治家に飽きており、ポリティカルコレクトネスにとらわれず心に思っていることを素直に発言したから人気を得ている。私はトランプを支持してないが、そのような候補が出て論戦すること自体は良いことである。

 一方、人種差別表現規制に積極的な欧州はどうだろう。テロリストの巣窟が存在し、排除できない。危機にさらされている。思ったことも言えない社会は、自らの存立基盤も危うくするのである。

 私は、ヘイトスピーチ規制が違憲とされている、アメリカのほうが健全で望ましいと考える。

 アメリカ合衆国の判例理論では、表現内容に中立な時・場所・態様の規制は合理的な理由があれば認められるが、表現内容に着目した規制は厳格司法審査となる。以下の主要な三例でも明らかなように、ヘイトスピーチ規制は、国民の政治的言論を萎縮させ、自由な国家にはふさわしくないのである。

 

() スコーキー村事件イリノイ州最高裁判決(Skokie v. National Socialist Party of America(1978)

 

 シカゴ地域にあるスコーキー村には1974年の時点で約7万人の総人口のうち4万500名がユダヤ系住民であり,ホロコーストを免れた数千人もの生存者が存在した。ナチズムを主張するNSPAがデモの実施を計画した。村はNSPAによる鉤十字等の表示が同村の多数の居住者に対する象徴的な攻撃および暴力・報復の扇動を構成することになるとして,鉤十字がけんか言葉(表現権の保障から除外されている)を構成すると主張し、デモ差止命令請求訴訟を提起したが、イリノイ州最高裁判所は差止命令を認めた控訴審判決を破棄した(Skokie v. National Socialist Party of America, 373 N.E.2d 21, 241978. 連邦最高裁へのサーシオレイライは認められなかった。Skokie v. Collin, 436 US. 953)1978)。「鉤十字の表示は,それが呼び起こしうる記憶と同様に自由な国家にとって不快なものであるが,それを表示する人たちの信念を公衆に伝達することを意図した象徴的な政治的言論である。……その表示は,けんか言葉に該当しないし,事前抑制の重い違憲の推定を覆すために用いることができない。または鉤十字の表示がけんか言葉にはならないが,それにもかかわらず非常に攻撃的で公衆の平穏に脅威を与えるのでその表示を禁止できるとは考えられない。この象徴を見ることがスコーキー村のユダヤ系住民にとって嫌悪感を起こさせること,ナチの迫害の生存者が自己の追憶にさいなまれ,その表示に強烈な感情を抱きうることは疑い得ない。しかしながら,こうした要素が被告の言論の禁止を正当化しないことは,非常に明白である。」と述べた。

 政府がデモ行進の主張に反対だからといって規制するならばそれは全体主義社会であり、これは優れた司法判断であった。

 

() 連邦最高裁セントポール市条例違憲判決、RAV v City Of St Paul,505 US 377(1992)

 

 未成年者の白人数人が黒人家族の住む家の庭に侵入し,そこで十字架を燃やしたことが、「人種、肌の色、信条、宗教、ジェンダー」にもとづく怒りや恐怖をひきおこすことを知りながら、火がついた十字架やナチの鉤十字などの物体等を設置した者を、軽罪として処罰することを定めセントポール市条例に違反するとして逮捕、起訴されたものだが、今年2月に急逝したスカリア判事が法廷意見を執筆し、条例の規制が及ぶ表現はすべて,喧嘩言葉,すなわち問題となる発言を聞いた者が暴力に訴えるといった反応を示す言葉に当たるという。これは1942年チャップリンスキー判決で喧嘩言葉を憲法の保護の埒外としていたものである。にもかかわらず問題の条例は,言論の主題のみに基づいて,そうでなければ許される言論を禁止していることから,文面上違憲であるした。

 社会的に嫌悪される見解をその嫌悪感を理由に禁止することを禁じることが修正一条の根本原理という従来の連邦最高裁の見解をふまえ、人種等の憎悪に基づく表現領域を規制すること自体が違憲であるとしたのである。表現権の到達点ともいえる金字塔的判例である。

 

()連邦最高裁ヴァージニア対ブラック判決Virginia v. Black, 538 U.S. 343 (2003)

 

 この事件は複雑で、個人または集団を畏怖させる意図で十字架を焼却した者は、州法上の第6級重罪として処罰するというヴァージニア州法、KKKの集会が開催された際に、黒人に対する差別的言辞を吐き、高さ10mの十字架を焼却しアメイジンググレースを合唱した件と、白人2人が裏庭での射撃の苦情に対する仕返しとして黒人家庭の庭で十字架を焼却した事件で有罪とされたことが争われたが、十字架の焼却を禁止することを合憲とした。しかしその論理はRAV v City Of St Paul判決を覆すものではなく、内容規制審査を回避して、憎悪のメッセージが、正真正銘の脅迫である場合禁止できるという新しい理論を提供したものである。

 オコナー判事の法廷意見によれば、最高裁の先例によれば喧嘩言葉と、正真正銘の脅迫は憲法によって保護されないとしたうえで、十字架焼却は脅迫の意図を持ってなされた場合,喧嘩言葉ではなく,その「憎悪のシンボル」とされるに至った歴史的経緯に照らして,正真正銘の脅迫(話し手が,犠牲者を身体的危害や死に対する恐怖に置く意図をもって個人又は集団に脅迫を行う場合に,正真正銘の脅迫になる)に該当すると述べ、燃えさかる十字架は必然的に脅迫というメッセージを運ぶものではないが,十字架を燃やす者の意図するところはメッセージの受け手が彼らの生命を危ぶむことにあると述べたのである。特定の人物に向けて十字架を燃やす者は、自己に暴力が及ぶであろう最大限の恐怖を植えつけるもの、最も強烈な形での脅迫だというのである。

 この判決に批判的な意見も多く、十字架の焼却についての歴史的文脈の解釈を誇張しすぎている。十字架の焼却は保護されるべき政治的表現でありKKKの集会は純粋な思想表明にすぎない。表現の自由と脅迫行為との間のバランスをとっていた従来の理論を放棄して、裁判所の恣意が介在する理論に代えたとする批判が妥当である。我が国の憲法学者の小谷順子も違憲とすべきであったとする。

 RAV 事件と異なるのは、ヴァージニア州法に人種の文言がなく、表現中立的な規制とみなされたことであるが、当然スカリア判事は批判している。

 

 

3.憎しみや敵意があるのは普通のことであり、むりやり共生・寛容思想を国民に強要することが間違い

 

 私は当事者でもないのにヘイトスピーチを規制したい人々の安直な世界観に反対なのである。異なる慣習、文化、思想を持つ人々に警戒心をもつのは自然な感情であり悪いことではない。例えば列車で席の隣が外人なら、白人であれ黒人であれ逃げたくなる。世の中、共生・共存・共栄・融和・寛容というきれい事でうまくいくなどとは全然思ってない。満州国の日漢朝満蒙五族協和みたいなスローガンはもはや過去のものにすぎない。むしろ、感情を枠圧させる社会が不健全であり、敵意や憎しみが充満しているのがこの世の中で、それをきれいに水で流せるほど甘いものではない。

 私は外国人に敵意をもつことはないが、同じ国民でも嫌悪する人、敵対者、共生したくない人々はたくさんいる。職場では360度ほぼ敵といってもよい。同じ職場内で敵対的虐待的環境に永くあったから。なおさらである。政治自体が特定階級、特定圧力団体、特定グループに利益分配するようなものになっているから、厚遇されている人々とそうでない人々でいがみあいが起きるのは当然のことであり、それを無理矢理、いがみあいをやめよといっても、憎しみをためこみ鬱屈した不満がふくらむだけである。

 政治家は国民、政治的にこのましいとされる思想で国民を統制しようとしている、それが問題だ。

 

(引用・参考)

小谷順子「米国における表現の自由とヘイトスピーチ規制――VirginiavBlack,123SCt15362003)判決を踏まえた検討」『法政論叢』40(2): 149167 2004

藤井樹也「ヘイト・スピーチの規制と表現の自由――アメリカ連邦最高裁のRAV.判決とBlack判決」『国際公共政策研究』9(2) : 115 2005

榎透「米国におけるヘイト・スピーチ規制の背景」」『専修法学論集』96: 69111 2006

いずれもネットで公開されているもの

 

短縮バージョン

 

自民党宛(600字以内)

 

自民・公明「ヘイトスピーチ抑止法案」に強く反対

 

私は次の理由から強く反対である。

「特定の人を攻撃するものでないデモ行進や政治的表現の抑止、萎縮効果が大きい」

 威力病務妨害や名誉毀損という市民法秩序に反するということならば処罰はやむをえないとしても、たんに集団誹謗的な表現の規制は特定人を攻撃していない表現活動を抑止することは人権体系でもとくに重要な政治的表現の否定である。いかに社会的に嫌悪されている見解であれ自らの政治的信念を公衆に伝えることは民主主義社会で重要な価値であり、それは断固として守られるべきである。

 今回の与党案は表現のトピック、内容に着目して、特定の団体、あるいは特定の表現活動を抑止しようとするものなので反対なのである。

 たとえヘイトスピーチが言語道断だとしても、それは思想の市場における批判にさらされることで、収束していくべき事柄で、公権力が規制すべきではない。 

 なお、学校法人京都朝鮮学園を中傷した街頭宣伝をなした者に対する巨額損害賠償と差止請求を認めた事例があるが、人種差別条約に好意的見解が示しつつも、特定の学校の平穏な教育活動を妨害し、名誉を毀損した不法行為にあたるとしたものである。

  また私は、ヘイトスピーチ規制が違憲とされている、米国が健全で望ましいと考える。

 

 

首相官邸宛(内容2000)

 

自民・公明「ヘイトスピーチ抑止法案」に強く反対

 

1 特定の人を攻撃するものでないデモ行進や政治的表現の抑止、萎縮効果が大きい

 

 威力病務妨害や名誉毀損という市民法秩序に反するということならば処罰はやむをえないとしても、たんに集団誹謗的な表現の規制は特定人を攻撃していない表現活動を抑止することは人権体系でもとくに重要な政治的表現の否定である。社会的に嫌悪されている見解であれ自らの政治的信念を公衆に伝えることは民主主義社会で重要な価値であり、それは断固として守られるべきである。

 今回の与党案では、明らかに表現のトピック、内容に着目して、特定の団体、特定の表現活動を抑止するものなので反対である。

 言語道断な発言でも、それは思想の市場における批判にさらされることで、収束していくべき事柄で、公権力が規制すべきではない。 

 

 なお、学校法人京都朝鮮学園を中傷した街頭宣伝をなした者に対する巨損害賠償と差止請求を認めた事例として、大阪高裁26年7月8日判決があり、上告棄却とされているが、人種差別条約に好意的見解を示しつつも、あくまでも特定の学校の平穏な教育活動を妨害し、名誉を毀損した不法行為にあたるとしたものである。

  

 控訴審は「発言は被控訴人の関係者や警察官に対する発言であっても‥‥被控訴人に対して向けられたもの」と述べており、特定の学校法人を標的にして名誉被損があったという認定である。

 

 

2 特定の観点、表現内容に着目した規制こそ脅威、不自由な社会になる

 

 トランプ候補の発言が物議を醸しているが、トランプ支持者はポリティカルコレクトネスにとらわれず率直な発言をすることから人気を得ている。一方、人種差別表現規制に積極的な欧州はどうだろう。テロリストの巣窟が存在し、排除できず危機にさらされている。思ったことも言えない社会は、自らの存立基盤も危うくするのである。

 私は、ヘイトスピーチ規制が違憲とされている、米国のほうが健全で望ましいと考える。

 合衆国の判例理論では、表現内容に中立な時・場所・態様の規制は合理的な理由があれば認められるが、表現内容に着目した規制は厳格司法審査となる。以下の主要な判例でも明らかだ。

 

() スコーキー村事件イリノイ州最高裁判決(Skokie v. National Socialist Party of America(1978)

 

 スコーキー村には1974年の時点で約7万人のうち約4万人がユダヤ系住民であったが、ナチズムを主張するNSPAがデモ実施を計画した。村はデモ差止命令請求訴訟を提起したが、イリノイ州最高裁判所は差止命令を認めた控訴審判決を破棄した「鉤十字の表示は,‥‥それを表示する人たちの信念を公衆に伝達することを意図した象徴的な政治的言論である。……その表示は,喧嘩言葉に該当しないし‥‥それにもかかわらず非常に攻撃的で公衆の平穏に脅威を与えるのでその表示を禁止できるとは考えられない。この象徴を見ることがスコーキー村のユダヤ系住民にとって嫌悪感を起こさせること‥‥は疑い得ない。しかしながら,こうした要素が被告の言論の禁止を正当化しないことは,非常に明白である。」と述べた。

 これは優れた司法判断であった。

 

() 連邦最高裁セントポール市条例違憲判決、RAV v City Of St Paul,505 US 377(1992)

 

 未成年者の白人数人が黒人家族の住む家の庭に侵入し,そこで十字架を燃やしたことが、「人種、肌の色、信条、宗教、ジェンダー´・にもとづく怒りや恐怖をひきおこすことを知りながら、火がついた十字架やナチの鉤十字などの物体等を設置した者を、軽罪として処罰するとしたセントポール市条例に違反するとして逮捕、起訴されたものだが、スカリア判事が法廷意見を執筆し、問題の条例は,言論の主題のみに基づいて,そうでなければ許される言論を禁止していることから,文面上違憲であるとした。

 社会的に嫌悪される見解をその嫌悪感を理由に禁止することを禁じることが修正一条の根本原理という従来の連邦最高裁の見解をふまえ、人種等の憎悪に基づく表現領域を規制すること自体が違憲であるとしたのである。表現権の到達点ともいえる判例である。なお、十字架の焼却についてはVirginia v. Black, 538 U.S. 343 (2003)のオコーナー法廷意見が特定の人物に向けて十字架を燃やす者は、自己に暴力が及ぶであろう最大限の恐怖を植えつけるもの、最も強烈な形での脅迫だとして、禁止を合憲としているが、それは表現中立的な規制だったとされRAV v City Of St Paulの判例は維持されている。 

 

 

3.憎しみや敵意があるのは普通のことであり、むりやり共生・寛容思想を国民に強要することが間違い

 

 

法務省宛(題も含めて2000)

 

「ヘイトスピーチ抑止法案」に反対

1 特定の人を攻撃するものでないデモ行進や政治的表現の抑止、萎縮効果が大きい

 

 威力病務妨害や名誉毀損という市民法秩序に反するということならば処罰はやむをえないとしても、たんに集団誹謗的な表現の規制は特定人を攻撃していない表現活動を抑止することは人権体系でもとくに重要な政治的表現の否定である。社会的に嫌悪されている見解であれ自らの政治的信念を公衆に伝えることは民主主義社会で重要な価値であり、それは断固として守られるべきである。

 今回の与党案では、明らかに表現のトピック、内容に着目して、特定の団体、特定の表現活動を抑止するものなので反対である。

 仮に言語道断な発言でも、それは思想の市場における批判にさらされることで、収束していくべき事柄で、公権力が規制すべきではない。

 

 なお、学校法人京都朝鮮学園を中傷した街頭宣伝をなした者に対する巨損害賠償と差止請求を認めた事例として、大阪高裁26年7月8日判決があり、上告棄却とされているが、人種差別条約に好意的見解を示しつつも、あくまでも特定の学校の平穏な教育活動を妨害し、名誉を毀損した不法行為にあたるとしたものである。

  

 

2 特定の観点、表現内容に着目した規制こそ脅威、不自由な社会になる

 

 トランプ候補の発言が物議を醸しているが、トランプ支持者はポリティカルコレクトネスにとらわれず率直な発言をすることから人気を得ている。一方、人種差別表現規制に積極的な欧州はどうだろう。テロリストの巣窟が存在し、排除できず危機にさらされている。思ったことも言えない社会は、自らの存立基盤も危うくするのである。

 私は、ヘイトスピーチ規制が違憲とされている、米国のほうが健全で望ましいと考える。

 合衆国の判例理論では、表現内容に中立な時・場所・態様の規制は合理的な理由があれば認められるが、表現内容に着目した規制は厳格司法審査となる。以下の主要な判例でも明らかだ。

 

() スコーキー村事件イリノイ州最高裁判決(Skokie v. National Socialist Party of America(1978)

 

 スコーキー村には1974年の時点で約7万人のうち約4万人がユダヤ系住民であったが、ナチズムを主張するNSPAがデモ実施を計画した。村はデモ差止命令請求訴訟を提起したが、イリノイ州最高裁判所は差止命令を認めた控訴審判決を破棄した「鉤十字の表示は,‥‥それを表示する人たちの信念を公衆に伝達することを意図した象徴的な政治的言論である。……その表示は,喧嘩言葉に該当しないし‥‥それにもかかわらず非常に攻撃的で公衆の平穏に脅威を与えるのでその表示を禁止できるとは考えられない。この象徴を見ることがスコーキー村のユダヤ系住民にとって嫌悪感を起こさせること‥‥は疑い得ない。しかしながら,こうした要素が被告の言論の禁止を正当化しないことは,非常に明白である。」と述べた。

 これは優れた司法判断であった。

 

() 連邦最高裁セントポール市条例違憲判決、RAV v City Of St Paul,505 US 377(1992)

 

 未成年者の白人数人が黒人家族の住む家の庭に侵入し,そこで十字架を燃やしたことが、「人種、肌の色、信条、宗教、ジェンダー´・にもとづく怒りや恐怖をひきおこすことを知りながら、火がついた十字架やナチの鉤十字などの物体等を設置した者を、軽罪として処罰するとしたセントポール市条例に違反するとして逮捕、起訴されたものだが、スカリア判事が法廷意見を執筆し、問題の条例は,言論の主題のみに基づいて,そうでなければ許される言論を禁止していることから,文面上違憲であるとした。

 社会的に嫌悪される見解をその嫌悪感を理由に禁止することを禁じることが修正一条の根本原理という従来の連邦最高裁の見解をふまえ、人種等の憎悪に基づく表現領域を規制すること自体が違憲であるとしたのである。表現権の到達点ともいえる判例である。なお、十字架の焼却についてはVirginia v. Black, 538 U.S. 343 (2003)のオコーナー法廷意見が特定の人物に向けて十字架を燃やす者は、自己に暴力が及ぶであろう最大限の恐怖を植えつけるもの、最も強烈な形での脅迫だとして、禁止を合憲としているが、それは表現中立的な規制だったとされRAV v City Of St Paulの判例は維持されている。 

 

 

3 むりやり共生・寛容思想を国民に強要することが間違い

 

 

 

 

 

 

 

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