カテゴリー「反フェミニズム」の25件の記事

2009/07/29

女子法定婚姻適齢16歳より18歳引上げ絶対反対

法制審議会が選挙年齢、民法の成人年齢…「18歳が適当」との結論に達したというニュースが出てます。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090729-00000107-mai-sociそもそも成人年齢18歳の引き下げは徴兵制で若者が国のために貢献することを前提したもので徴兵制のない我が国にはなじまない。成人年齢の引き下げに反対だが、併せて女子婚姻適齢引き上げを求めていることに強く反対する。
 主要国と比較してみるとイギリスが男女とも16歳が法定婚姻適齢である(正確にはイングランドが16~17歳は親の同意要、スコットランドは親の同意も不要)。ドイツは成年である18歳を基準とするが、未成年者においても配偶者が成年であるという条件で16歳以上で婚姻の可能性を開いている。つまり男女を問わず結婚相手18歳以上なら16歳の婚姻を可としている。16-16はダメだが、18-16なら良いというものです。フランスは男18歳、女15歳(例外規定もある)であるが、それが差別だとは論じられていないとする。
 アメリカ合衆国は、50州及びDistrict of Columbia and Puerto Ricoの法定婚姻適齢については、コーネル大学ロースクールLIIのMarriage lawsのサイトを見てくださいhttp://topics.law.cornell.edu/wex/table_marriage。各州の婚姻適齢の一覧表があります。
 1970年以前は18-16のケースが多かったのですが、アメリカでは古くから統一州法全国委員会が主体となって統一州法というものが幾つかあるが、婚姻法についても一定の方向性を打ち出ししている。これは拘束力はないが、男女とも16歳を婚姻適齢とし、18歳は親の同意を得ないで結婚できる年齢とするもので、16歳未満についても裁判所の許可で婚姻が可能なモデルで、各州で70年代以降部分的に採用されてます。従って、多くの州で男女とも基準を同一にする州が多くなりました。不成立でしたが男女同権条項は35州が批准していることもあります。その場合でも、統一州法のモデルどおり男女とも16歳を法定婚姻適齢の基準としている州が圧倒的に多い。私が数えたところでは50州のうち41州は16歳女子は文句なしに婚姻適齢とされています。17歳、18歳を基準とする州でも例外規定があるケースが多い。さらに16歳未満でも例外規定で裁判所の許可により結婚可能としている州が結構多く、男女差をなくす場合でも、16歳、17歳の結婚の可能性を否定することにはなっていないんです。
 要するに米英独仏いずれも女子は16歳で結婚できます。結婚できなくするというのは間違いです。
 詩人ミルトンの初婚の女性メアリー・バウエルは16歳です。超絶主義思想家エマソンの初婚の女性は17歳、植民地時代アメリカの宗教指導者の一人コトン・マザーの初婚の女性16歳、黒人解放の先駆、偉大少数意見裁判官ハーラン合衆国最高裁判事は旅先で出会った16歳の女性に求婚し2年後に結婚しているように、理想主義者は16~17歳の美女が大好きです。私もそうだ。16~17歳が女性が一番美しいのであって求婚できないようでは人生にロマンもなくなる。

 参考 http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/49362/48533/56655863?page=1 

 この意見と同文を自民党にメールしましたが、これからも反対をやっていきます。

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2009/06/07

勝間和代の嘘「先進国の出生率は労働時間に影響される」(2)

   (承前)
  勝間和代は我が国も1993年EU労働時間指令に倣って1週間の労働時間を48時間以内とすべきだという危険な主張を行っている。http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/01/post-7.html
   1993年EU労働時間指令についてはイギリス保守党メジャー政権が激しく抵抗したため、結果として例外規定として週48労働時間の上限の免除を受けるかどうかについて個々の労働者が選択するオプト・アウト制度を勝ち取っている。イギリスは、EUに加盟しながらも、本来、加盟国の義務であるユーロの導入や労働時間指令についてオプトアウト(適用除外)の権利を獲得し、「社会福祉国家」を標榜する欧州大陸諸国と一線を画してきたのである。
  保守党政権ではEU労働時間指令を受け容れず、一律の労働時間規制はなかったが、労働党ブレア政権によりEU労働時間指令を受け容れた。つまり、労働時間は週平均48時間を超えてはならないとされている「1998年労働時間規則」を設けたが、しかしながら同時に労働者により署名された書面による個別的オプト・アウトの合意により、法定労働時間規則の適用を免除する制度も設けた(個別的オプトアウト)。
  2004年の『海外労働情報』によるとEU加盟国の平均週労働時間が40時間をわずかに超える程度で、加盟国の半数以上が40時間を下回っているのに対し、英国は43時間を超え突出している。週48時間以上働く労働者の割合は16%で、そのうち46%は管理職的な地位にあり指令の対象外となるため、実際にオプト・アウトを必要とする労働者の数は限られている。しかし、使用者側のあるアンケート調査では、759社中65%の企業が、自社の従業員(一部または全部)にオプト・アウトに同意するよう求めているほか、CBI(イギリス産業連盟)の調査では、英国の労働者の33%が同意書にサインしており、事実上労働時間指令がイギリスでは空洞化しているとされている。http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_4/eu_01.htm
    サッチャー・メジャーの保守党政権は労働組合を弱体化して、団体交渉と協約による集団主義から人的資源管理等の個別主義に労使関係のパラダイム転換を図ってきたのであり、労働時間指令がそもそも自由主義的労働政策と、個別主義が進行しているイギリスの実情に反するものであった。
    私は昨年の金融危機まで15年間イギリスの経済が好調で景気が拡大していた要因の一つとして、労働党政権で指令を受け容れつつも適用免除の個別的オプトアウト制度が採られたため、ホワイトカラーの生産性を維持向上させたことがあると考える。
    このようにイギリスはEU労働時間指令に抵抗したことが経済成長に有益となり国益にもなった。反対に我が国は林=プレスコット説が1990年代の我が国の経済低迷の要因として労働時間の短縮を挙げているように、政府の時短政策で「失われた10年」を経過することになったのである。
     
    もっとも欧州議会には個別的オプトアウト制度の廃止を求める議論があります。 http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2009_1/eu_01.htmしかし「オプト・アウトは競争力の維持と雇用を創出するために重要」とイギリスが強く反発した。これをなくしたら欧州での経済的自由は窒息するのではないかと思う。2009年4月28日のニュースではオプト・アウト制度は維持されることとなったとあります。Press Associationの記事によるとイギリスでは300万人が48時間以上働いている。ビジネス長官のマンデルソン卿は 「何百万人もの人々がオプトアウトのため、より暮らし向きが良いです、そして、私は私たちが取り外しに抵抗できたのに安心しています。」と言いました。

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/eu-fails-to-curb-britains-work-hours-optout-1675368.html

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article6184467.ece

http://www.guardian.co.uk/money/2009/apr/02/working-time-directive-eu-negotiations

  (参考)
   海外労働情報 2006年 EU労働時間指令のオプト・アウト(適用除外)を維持
   http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2006_8/england_01.htm
  海外労働情報2005年労働時間指令の改正案をめぐる論議
   http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2005_6/eu_01.htm
   PDF http://www.jil.go.jp/institute/reports/2005/documents/036_4.pdf
   
    勝間和代がオプト・アウト制度にどういう見解を持つか知らないが、労働時間を規制したいということだから、欧州議会の考え方とたぶん同じだろう。勝間を経済閣僚に起用しEU労働時間指令のような政策が推進されるとするならば我が国の経済は低迷し、自由な企業の進展を阻害することになるだろう。それは悪夢というほかない。すでに林=プレスコット説で労働時間の短縮が「失われた10年」の要因とされているのにそれを繰り返すことほど愚かなことはない。
  すでに、勝間をはじめとするフェミニストが推し進めている男性の長時間労働をなくす政策、それは少子化対策と男女共同参画が口実として推進しているわけですが、フェミニストが言うように本当に男子長時間労働者の割合と出産率の相関関係があるか検討するため、次のデータを提示したいと思います。

  
 男子の長時間労働者 合計特殊出生率
(週49時間以上%)    (2005年)
  韓国   54.0    1.08 
  日本  39.6*    1.26
  イギリス34.5       1.78
ニュージーランド34.0 1.96***
 豪州    29.1         1.79
アメリカ 24.3**      2.05
フランス 20.4        1.94
カナダ  15.7       1.54
フィンランド13.7     1.80****
オランダ  11.0*       1.71
ノルウェー 5.3**  1.84****
 
出所 労働政策研究・研修機構『データブック国際労働比較』199頁、69頁
PDFhttp://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2009/06/p199_t6-3.pdf
PDFhttp://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2009/02/p069_t2-9.pdf
長時間労働者率は 2004年~2005年のデータである。
  豪州は週50時間以上のデータ
 無印 対象年齢は25歳以上
*対象年齢 15歳以上
** 対象年齢16歳以上
***2000~2005年            
**上記の資料にないためEU“Eurostat”、Council of Europe“Recent Demographic Developments in Europe”のデータ内閣府共生社会統括官のサイト「補章海外の少子化の動向74頁)から2005年のデータを引くhttp://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2007/19pdfhonpen/pdf/j1040200.pdf

 上記データを検討してみると、男子長時間労働者が34%と相対的に高いニュージーランドの出生率が1.96に対し、男子長時間労働者が5.3%とかなり低いノルウェーが1.84である例、地理的に接近している例では、34.5%と男子長時間労働者比率が相対的に高いイギリスが、11%と相対的に低いオランダより、合計特殊出生率では上回っているということからして、勝間のいう男子の長時間労働と出生率の相関を読み取ることができない。
 韓国と日本の出生率の低さは別の要因だと言わなければならない。
 また 統計上、長時間労働者の割合が多いとされるのは韓国・日本だけではないのである。ニュージーランド・イギリス・オーストラリア・アメリカといったカナダを除く英米法圏諸国も長時間労働者率が高いことも注目したい。一方、個別オプト・アウトでEU労働時間規則を事実上空洞化しているイギリスを除く、欧州諸国の長時間労働者の比率は低いといえる。
このことは、やや古いデータですがこの平成18年の内閣府国民生活書のグラフ がわかりやすいです。http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3130.html  内閣府共生社会統括官のこのサイトもわかりやすいと思います。http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2007/19webhonpen/html/i1423601.html
 ニュージーランド、イギリス、オーストラリアが相対的に長時間労働者が多い理由は、国民党・保守党・自由党といった保守政党が新自由主義的政策を推進した結果かもしれません。典型的には ニュージーランドの1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)個人は企業と直接雇用条件を定めることができる自由主義的政策がそうですが、労働時間が減らない要因の一つかもしれない。ニュージーランド・イギリス・アメリカは欧州のような集権的な産業別組合とのコーポラティズム体制、社会福祉国家とは性格が異なるのである。いずれにせよ、相対的に長時間労働者の割合の高い米英豪ニュージーランドと、長時間労働者の割合が低い欧州諸国と比較すると、アメリカやニュージーランドのようにむしろ合計特殊出生率の高い事例があることから明らかなように相関関係を見いだすことはできない。

つづく

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2009/06/06

勝間和代の嘘「先進国の出生率は労働時間に影響される」(1)

 勝間和代はプラネット・ウーマン養成塾というサイト2009/03/24 付「先進国の出生率は労働時間に影響される」というコラムでhttp://xbrand.yahoo.co.jp/magazine/marieclaire/2774/2.html「少子化問題解決の最大の敵は、長時間労働を信仰するオヤジたちです」と結論していますが、論理的な見解とはとても思えません。
  合計特殊出生率は社会的・文化的・経済的諸条件で変位するだろうとは思いますが、労働時間(労働政策)と合計特殊出生率の相関関係を見いだすことは困難です。

 勝間和代が出している出生率と労働時間のデータはこうです。
               週労働時間     出生率
     韓国  46.0     1.20
     香港  45.5        0.96
     日本  43.5         1.27
  イギリス   40.8     1.82
  アメリカ   40.7      2.05
  スウェーデン37.7   1.80
 フランス  36.9    1.89
  出典:世界人口白書、独立行政法人 労働政策研究・研修機構
出所の詳細が不明ですがおよそ2004年~2006年のデータを採っていると思われます。

 しかしこのデータにはドイツ、イタリアといった合計特殊出生率が世界で最も低いレベルの国を欠いてる。意図的に排除したと思われる。ここにドイツの2006年のデータ週労働時間37.9出生率1.32(出所後述)を加えると、勝間の主張は意味をなさなくなるでしょう。
 また日本の数値ですが、総務省の労働力調査〔以下「労調と略す〕では日本は米英より長時間になりますが、厚生労働省の毎月勤労統計〔以下「毎勤」と略す〕・ILO-LABORSTAデータでは米英より短くなっている。製造業では日本は2000年以降、37.7~38.7で推移しており欧州の時短先進国に近い。「労調」は個人(世帯)に質問をし、「毎勤」は事業主への質問なので違いがあるが、勝間が採っているのは自己の主張に有利な「労調」です。そこで、カウンターオピニオンとして私も独自にデータを提示したいと思います。
 労働時間の資料は各種ありますがhttp://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000040648、手頃なところで、労働政策研究・研修機構の『データブック国際労働比較2009』http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/(PDFとExcelファイルでダウンロードできます)から引用します。
 69頁に2006~2007年までの合計特殊出生率のデータがありますPDF http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2009/02/p069_t2-9.pdf(なお6月3日に厚生労働省が2008年の我が国の合計特殊出生率を発表してます。4日の朝日のトップニュースhttp://www.asahi.com/national/update/0603/TKY200906030278.htmlには外国のデータも記載されています)。
 197頁にG5の生産労働者の年間総実労働時間、198頁に15カ国の週労働時間(製造業)、199頁に11カ国長時間労働者の割合がありますhttp://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2009/ch6.html
  
  製造業の週労働時間    合計特殊出生率
 
 シンガポール  50..5    1.26  
 インド         47.2 *      3.11*
 韓国         45.5**    1.26**  
  香港         45.9**     1.02**
 フィリピン      44.8*    3.54*
 日本 (労調)    42.9**     1.34**
 アメリカ       41.1        2.10
  イギリス       40.7        1.84
  日本(毎勤)    38.7**     1.34**
 豪州         38.2        1.81
  カナダ        38.2 *     1.54*
 ニュージーランド38.0 *    1.96*
  ドイツ          37.9       1.32
  スウェーデン     37.7       1.85
 フランス        37.1       2.00

  無印2006年のデータ
  * 2005年のデータ 但しインド、フィリピン、ニュージーランドの合計特殊出生率は2000年~2005年
 **2007年のデータ

 上記のデータから労働時間と出生率の相関関係は見いだせません。

つづく

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2009/04/12

夫婦別姓旧慣習説に根拠はない-- 感想 後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』その2

 (承前)

 第二の見解「皇后藤原氏ナランニ皇后ヲ王氏トスルハ甚タ不可ナリ皇后ヲ皇族部中ニ入ルゝハ王氏タルヲ以テノ故ニアラスシテ皇后タルヲ以テナリ」ですが、「王氏」というのは令制の「皇親」概念の範疇でしょう。
 この見解では明治聖后藤原美子(昭憲皇太后-従一位左大臣一条忠香女)、皇太后藤原夙子(英照皇太后-孝明女御明治養母-関白九条尚忠女)はあくまでも藤原氏ということです。皇后はその身位ゆえに皇族部なのであって、族姓ゆえに皇族なのではないと言ってます。臣下の女子は、皇后に立てられることによって皇親ないし王氏に族姓が変更されるのではないという趣旨になります。
 それは当然のことです。例えば光明皇后(聖武后孝謙生母藤原安宿媛)ですが、父右大臣藤原不比等の封戸を相続し、例えば天平十三年正月国分寺の丈六仏像を造る料に不比等の食封三千戸が施入されている。こうした財政支出が可能なのも藤原氏の成員であるからですし、『楽毅論』天平十六年十月三日の署名をみると「藤三娘」である。皇后は皇室の成員ですが、あたりまえのことですが皇后であっても自らを藤原氏と認識していたことがわかる。もし光明皇后が藤原氏でなく、ありえないことだが皇親になると仮定すると、天皇大権の掌握どころか、即位してもよかったということになります。そんなばかなことはありません。現実にはありえないことでしたが、仮に光明皇后は則天武后のように即位(武周革命)したら、藤原氏の王朝になります。唐が周に国号をあらためたように、日本から別の国号に改めることとなったでしょう。
 であるから、第三の見解も同様の趣旨でしょうが、これは正論です。したがってその限りにおいて、天皇・皇族の后妃、配偶者は「所生の氏」から族姓 を変更するものでないという論旨を認めますが、しかし、皇室のルールと、皇族以外の家継承のルールがまったく異なることをこの議論では無視してます。
 いうまでもなく日本的家制度が中国の宗族、韓国の門中と違う、最大の特徴が、非血縁継承があり、血筋が中切れになっても継承されていくことです。皇位継承は単系出自系譜という規則性を有しているので日本的家制度とは全然違う。異姓養子厳禁父系規則の貫徹する宗法・儒教文化と日本的家制度とも全然違う。日本的家制度は家職の継承に対応しているが、中国の宗族にはないわけです。さらにいえば令制以来の三后皇太夫人や後宮職員令にあるキサキの性格は、現代的な婚姻家族とは違う。立后それ自体が政治行為で、政治的班位としての性格が強い(三后は令旨を発給し、しりへの政という政治的権能を有する)。例えば光明皇后は聖武践祚の6年後、橘嘉智子が嵯峨践祚6年後、藤原穏子にいたっては醍醐践祚の26年後の立后ですから、立后は婚姻家族概念でなく皇太子(孫)を引き出す政治行為とみなしてよい。政治的な理由で一帝二妻后の例もある。また政治的理由で皇后が里第で籠居を余儀なくされるようなケースもあるわけで、嫡妻権が明確で婚姻家族理念に近い中国の王権とも性格が違います。
 であるから、皇室のルールがこうであると言っても、家族慣行の全く異なる民間にもそれを強要することは無理なのであり、この論理ははじめから破綻していたといえる。要するに家族制度は王権と民間とを区別して議論する必要があります。もちろん幕府が朱子学を官学としていたことから士族家族慣行と一般庶民の家族慣行には違いがある。武家には筋目論というのがあって、異姓養子が好ましくないなど宗法・儒教倫理は濃厚に認められますが、しかしながら例えば出羽米沢藩主(第四代)上杉綱憲の実父は忠臣蔵で有名な吉良義央で、実母が第二代米沢藩主上杉定勝女富子(第三代綱勝の妹)ですから、先々代からみて外孫、先代からみて外甥を養嗣子としたことになりますが、これは異姓養子ですが、非血縁継承ではなく、血縁としては女を介して繋がっているので女系継承ですが、このように幕府は異姓養子や女系継承を認めてしまっている事例があって、単系出自系譜、宗法・儒教倫理で貫徹されてわけではないという意味で、士族家族慣行も日本的家制度に接近したものと認識できます。

 
 日本的家制度の起源(非血縁継承と女系継承)
 
 日本は律令制度を導入しても、親族構造を宗法によって再編することはなかった。宇根俊範(註1)の指摘するように九世紀以後の「氏族」の性格は甚だ曖昧であり、奈良貴族と平安貴族はストレートに直結しないというのである。「氏族」の特性のひとつとされる「同一の祖先から出た」ということが九世紀以後の新氏族にはあてはまらないからである。
 我が国は大化元年の「男女の法」が「良民の男女に生まれた子は父に配ける」と定め父系規則であり。律令国家の良民の族姓秩序は父系相承規則である(なお「氏」というのは厳密にいうと「氏族」という広義の概念のなかでも天武八姓の忌寸以上のカバネを有し、五位以上の官人を出す資格と、氏女を貢上する資格を有する範囲をいうのであって、臣・連・造等の卑姓氏族を含まない)。
 しかしながら、九世紀以降の改賜姓の在り方、十世紀以降、天皇の改賜姓権能が有名無実化していくと、中小氏族が門閥の厚い壁ゆえ、系譜を仮冒して大族に結びつかんとしたために「氏族」が父系出自のリニージとは言い難いケースが少なくないのである。宇根は改賜姓の具体的事例を列挙しているが、ここでは局務家についてのみ引用する。院政期以後になると史官や外記局などの実務官人は「官職請負」的な、ほぼ特定の氏によって担われることになるが、局務(太政官外記局を統括する大外記)中原朝臣・清原真人がそうである。

 宇根によると「局務家の清原真人は延暦十七年(798)にはじまる清原真人と直接系譜的につながるものではなく、その前身は海宿祢で、寛弘元年(1004)十二月、直講、外記等を歴任した海宿祢広澄が清原真人姓に改姓したものである。」「中原朝臣も、その前身は大和国十市郡に本貫ををもつ十市氏であり、天慶年間に少外記有象が宿祢姓を賜与され、更に天禄二年(971)にウジ名を中原に改め、天延二年(974)に至って中原朝臣となったものである。これも推測を加えるならば『三代実録』にみえる助教中原朝臣月雄らの系譜にむすびつけたものかも知れない。」(註2)とされている。
 局務家清原真人と、舎人親王裔の皇別氏族(王氏)で崇文の治の大立者右大臣清原真人夏野や、夏野とは別系だが、やはり舎人親王裔である清少納言の父清原元輔の清原氏とは系譜で繋がらないということである。
 舎人親王系皇別氏族清原氏と、局務家清原氏は同一姓氏であるが同一の祖先でないから父系出自集団のリネージとみなすわけにはいかない。これと同様の例は少なくないのであるから、九世紀以後の氏族の性格は曖昧なものであった。

 11世紀になると諸道博士の家で非血縁養子が指摘されている。曽根良成によると史や外記などの実務官人の姓は、11世紀中葉を境とした時期に三善・中原・清原などの姓が、増加する。これらは、それらの一族が血縁者を飛躍的に拡大させた結果ではなく官司請負制のもとで請負の主体となった博士家の姓を名のった官人が増加したための現象だった。その実態は11世紀中葉までと同じく地方豪族出身の有能な官人だった。‥‥これは養子形式の門弟になることによって居姓の改姓を制限した延喜五年宣旨の空文化を図るものだった。〔違法であるが〕政府は暗黙のうちにこれを認めることにより、官司請負に必要な有能な実務官人を安定的に地方から補給できた」(註3)とする。
 
 従ってすでに平安時代に実系系譜で繋がらなくても同一姓氏が許されていること。11世紀になると違法であるにも関わらず、諸道博士の家で非血縁の門弟が博士家の姓を名乗る実務官人が増加した歴史的事実から、日本的家制度の特徴である非血縁継承は少なくとも11世紀に起源があると断定してよいと考える。
 
 次に鎌倉時代の武家の継承であるが、明石一紀(註4)の論説が参考になるので引用する。
 鎌倉幕府法は男子がいない場合、嫡子として兄弟の子をはじめ「一族並二傍輩」の男子を養子とするのが一般的であった。原則は同姓養子であるが、他人養子といって非血縁の傍輩を養子とする(異姓養子)や女人養子といって女性が養子を取って継がせることは禁止していなかった。のみならず、平安末期から女系の妹の子(甥)や女子の子(外孫)を跡取り養子とする方法が多くとられるようになったという。
 明石が列挙されている事例は中原広季(大江広元の養父)は外孫藤原親能を、大友経家(頼朝より豊前と豊後の守護を命じられ九州大友氏の祖となった)は外孫藤原能直を、宇都宮朝定は外孫三浦朝行を、得川頼有(清和源氏の新田氏から分立したは得川氏の祖)外孫岩松政経を、大屋秀忠(藤原氏秀郷流)は外孫和田秀宗をそれぞれ養子とし跡を継がしめている。これを明石一紀は婿養子への過渡的な養子制とみなしている。
 中央の貴族社会で限嗣単独相続となったのは、室町時代以後だから、限嗣単独相続の日本的家制度の成立は室町から戦国時代以後となるが、武家においても非血縁継承や女系継承のある原型は少なくとも12~13世紀に遡ることができると私は考える。
 また、婚入配偶者たる嫁が亡者の遺跡を相続し、家連続者となり新たに婿を迎えて血筋が中切れでも家産が継承される事例の原型と思える歴史的事例として、室町幕府管領家畠山氏を挙げることができる。
 畠山氏はもとは桓武平氏、秩父氏の一族で武蔵国男衾郡畠山荘の荘司となって畠山氏を称し、畠山重忠は源頼朝の有力御家人となり、戦功多く鎌倉武士の鑑と称揚されたが、元久二年(1205)六月畠山重忠の子息重保が、北条時政の後妻牧の方の女婿で時政が将軍に擁立しようとした平賀朝雅(信濃源氏)と争ったため、北条時政夫妻に叛意を疑われ武蔵二俣川で追討軍に滅ぼされた後、後家(北条時政女)に遺跡を継がせて、足利義兼の長子義純を婿として子孫に畠山を名乗らせている。
 明石(註5)は、秩父一門の平姓系図の畠山氏と、足利一門・管領家の源姓系図の畠山氏は全く別の存在で、義純は重忠を先祖とは認めていないので源氏畠山家を新しく興したという解釈を示している。

 そういう解釈は無難かもしれないが、名字(家名といってもよい)と家産を継承しているのである。私は畠山氏は平姓から源姓に血筋が切り替わったという見方をとってさしつかえないと思う。
 要するに平姓畠山氏は婚入配偶者で後家の北条時政女が足利義純を娶ったため、平姓から源姓に切り替わる非血縁継承となったのである。家の非血縁継承の重要な先例だと思う。--つづく
 
(註1)宇根俊範「律令制下における賜姓について-宿禰賜姓-」『ヒストリア』99 関連して宇根俊範「律令制下における賜姓についてー朝臣賜姓ー」『史学研究』(広島大)147 1980
(註2)宇根俊範「律令制下における賜姓について-宿禰賜姓-」『ヒストリア』99
(註3)曽根良成「官司請負下の実務官人と家業の継承」『古代文化』37-12、1985
(註4)明石一紀「鎌倉武士の「家」-父系集団から単独的イエへ」伊藤聖子・河野信子編『女と男の時空-日本女性史再考③おんなとおとこの誕生-古代から中世へ(上)』藤原書店2000 256頁以下
(註5)明石一紀 前掲論文

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2009/04/11

夫婦別姓旧慣習説に根拠はない-- 感想 後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』その1

 吉川弘文館歴史ライブラリー2009年4月刊行。この本の帯に「なぜ、妻は夫の名字を名乗るのか 戦国の妻たちの生き様から夫婦同姓・夫婦同母の謎にせまる」とあります。後藤みち子は『中世公家の家と女性』と言う学術書も買っているので三条西家の研究業績などを知ってましたが。この本は夫婦別姓旧慣習説否定の補強する材料になると思い買いました。
 民主党政権になれば小宮山洋子が文部科学大臣になり、選択制夫婦別姓導入の民法改正される悪夢が現実になるでしょう。私はもちろん絶対反対であり夫婦同氏(苗)を断乎として守りたいと考えますが、仕事が忙しくてこの問題に取り組む余裕がありましたが、待ったなしの土壇場の状況になりましたので書いていきたいと思います。
 
「夫婦別姓旧慣習説」批判
 
 フェミニスト・夫婦別姓推進者の主張するところの「夫婦別姓旧慣習説」は豊田武などの説である。つまり明治九年三月十七日の太政官指令が、内務省の見解「婦女ハ総テ夫ノ身分ニ従フ筈ノモノ故婚嫁シタル後ハ婿養子同一ニ看做シ夫家ノ苗字ヲ終身称ヘサセ候方穏当ト相考へ候」という夫婦同氏(苗)案を覆して、「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事、但、夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」とされたため夫婦別姓が士族旧慣習だったはずという考え方ですが、これについては社会生活において実態はないという厳しい批判があります。夫婦別姓旧慣習説を否定する実証的な研究、有力な学説として大藤修『近世農民と家・村・国家』(吉川弘文館)1996年と、山中永之佑「明治民法施行前における妻の氏」『婚姻法の研究上高梨公之教授還暦祝賀』有斐閣1976年を挙げておきたいと思います。
 つまり、近世においても明治維新後も銘文、文書として残っている各種資料を精査しても社会生活において、出嫁女の生家姓(または名字)冠称の自称、指称、呼称の事例はきわめて例外的な事例しか見いだすことができないのである。もちろん徳川時代に氏の公称は一般庶民は許されなかったが、明治以前に一般庶民に名字がなかったというのはかなり古い学説で、今日では大多数の庶民は名字を有していたとみなされている。にもかかわらず、出嫁女が生家姓(または名字)冠称している資料をほとんど見出すことができないのである。
 もっとも井戸田博文(註1)によると墓碑において例えば山口県下関市長府の功山寺という毛利氏の菩提寺に「坂田七斎妻藤村イシ子之墓」などいくつかの夫婦異姓墓碑の事例を挙げているが、なるほど士族においては「腹は借り物武士の種」のような自然血統主義的家族観を指摘することはできるが、しかしながら、墓碑において妻が所生の氏であるとしても、それは妻の由緒、出自を明らかにするものであって、生前において、社会生活で生家姓(名字)冠称が通例であったとみなすことはできないのであって、墓碑のいくつかの事例を拡大解釈することはできない。
  
 そうしたことから太政官指令「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」は社会生活の実態とまったく乖離しており、事実上実効性がなかったと考えられる。それは夫婦の別氏を称することの不便さが各府県の多くの伺文で取り上げられていることでも明らかである。役所が公文書に生家姓を強いることも困難な実態にあり、事実上明治民法に先行して夫婦同氏が普及し慣行となっていたことが看取することができる。代表的な伺文を引用する。
 
 明治22年12月27日宮城県伺
 「婦女嫁スルモ仍ホ生家ノ氏ヲ用フベキ旨曽テ石川県伺御指令モ有之候処嫁家ノ氏ヲ称スルハ地方一般ニ慣行ニシテ財産其他公私ノ取扱上ニ於テモ大ニ便益ヲ覚候ニ付嫁家戸主トナル者ノ外ト雖モ必ズシモ生家ノ氏ヲ称セサルモ便宜ニ任セ嫁家ノ氏ヲ称スルハ不苦義ニ候哉」

 明治23年5月2日東京府伺
 「婦人結婚ヲ為シタル後ト雖夫ノ氏ヲ称セス其生家ノ氏ヲ称用スル事ニ付イテハ明治九年四月石川県伺ニ対シ内務卿御指令ノ趣モ有之候得共凡ソ民間普通ノ慣例ニ依レハ婦ハ夫ノ氏ヲ称シ其生家ノ氏ヲ称用スル者ハ極メテ僅々二有之然ルニ右御指令之レアルカ為メ公文上ニ限リ強イテ生家ノ氏ヲ称用セシメサルヲ得スシテ習慣ニ反シ往々苦情モ相聞実際ノ取扱上ニ於テモ錯誤ヲ生シ易キ義ニ付夫家ノ氏ヲ称セシムル方事実適当ナルノミナラス既ニ民法人事編草案第三十六条ニモ婦ハ夫ノ氏ヲ称用云々ト有之法理ニ於テモ然ルヘキ義ト相信シ候ニ付自今夫家ノ氏ヲ称用セシメ候様致度」(註2)
 
 明治民法の起草委員は帝国大学法科大学教授の穂積陳重、梅謙次郎、富井政章であったが、梅謙次郎は逆縁婚(生存する妻が死亡した夫の兄弟と再婚する)の取り扱いなどで士族家族慣行の採用を却下し、民法を庶民の家族慣習に合致させることを強調した。その政策判断は正しかったと思う。亡兄の嫂を娶るというのは人類学でいうレヴィラート婚ですが、「貞女は二夫に従わず、忠臣は二君に仕えず」と言うように宗法・儒教規範では人倫に反するとされるのである。しかし日本の一般庶民はそのように考えてない。例えば兄が戦死したり不慮の事故があった場合、家を継承するもっとも無難な在り方がレヴィラート婚なのであった。戦争未亡人の再婚の多くがレヴィラート婚であることはよく知られている事実だろう。レヴィラート婚を禁止する儒教規範の建前のほうが悲劇である。そのへんのことがよくわかっていた。
 夫婦同氏についても強く推進したのが梅謙次郎である。穂積陳重・富井政章も異論はなく、世間の実態を追認したものともいえる。梅謙次郎は法典調査会で次のように夫婦同氏を強調した。「支那ノ慣例ニ従テ、妻ハ矢張リ生家ノ苗字ヲ唱フベキモノト云フ考ヘガ日本人ノ中ニ広マッテ居ルヤウデアリマス〔ガ〕‥‥之カ日本ノ慣習少ナクトモ固有ノ慣習テアルトハ信シラレマセヌ、兎ニ角妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ」。
 夫婦同氏を成文化したのが明治民法であっても、それ以前から夫婦同氏が普通の慣行であったわけである。夫婦同氏はイギリスやドイツにおいても中世より慣行となっていたのであるから、西欧と家族慣行とも同じであった。

 女叙位の位記の宛名は所生の氏(古代的姓氏による-したがって夫婦別姓)だが、明治四年以後、古代的姓氏をなのることが禁止されただけでなく、女性の本姓と実名は社会生活において指称されることはなかったのであって従って旧慣習とみなす理由がない
 

 では、明治九年の太政官指令が所生の氏にこだわった主たる理由は何かというと、明治九年の太政官政府法制局の見解は次のとおりであった。
 「内務省伺嫁姓氏ノ儀審案候処婦女人ニ嫁シタル者夫家ノ苗字ヲ称スルコト不可ナル者三ツアリ
第一 妻ハ夫ノ身分ニ従フヲ以テ夫ノ姓ヲ冒サシムヘシト云ハ是ハ姓氏ト身分ヲ混同スルナリ
第二 皇后藤原氏ナランニ皇后ヲ王氏トスルハ甚タ不可ナリ皇后ヲ皇族部中ニ入ルゝハ王氏タルヲ以テノ故ニアラスシテ皇后タルヲ以テナリ
第三 今ニシテ俄カニ妻ハ夫ノ姓ニ従フトスレハ歴史ノ沿革実ニ小事ニアラス例ヘハ何々天皇ハ何々天皇ノ第幾子母ハ皇后〔王〕氏ト署セントスル歟 
 帰スル処今別二此制ヲ立テント欲スルヲ以テ一ノ大困難ヲ醸スナリ右等ハ都テ慣法ニ従ヒ別ニ制ヲ設ケサル方可然歟因テ御指令案左ニ仰高裁候也 」

 第一の見解は女性は夫の姓を冒してはならないとい自然血統主義的家族観は精査が必要ですが、さしあたり女性への叙位における位記の宛名が所生の氏の本姓+実名であり、古代的姓氏による夫婦別姓であることと関連する事柄だろう。
 だからといって、それを旧慣習とみなさないのは、女性の叙位は特定の限られた範囲にすぎず、一般庶民とは無関係であるだけでなく、貴人の女性は実名忌避の慣習があって、実名で呼称、指称されることはないということである。
 通常、貴族の女性や、宮廷女官を本姓+実名で呼称されることはない。社会生活では宮廷女官であれば、女房名、候名で呼称される、平安時代は父や夫の官職に由来する女房名が多い、中世になると、京都の大路名や播磨局、伊予局というような国名など時代による変遷はあるが、社会生活において宮廷女官などは符牒としての女房名で称されるのである。例外的には赤染衛門であるが、これは特殊な例である。
 実名が社会生活でほとんど意味をなさないというのは、例えば将軍徳川綱吉生母桂昌院の従一位の位記の宛名は藤原光子である。もとは京都堀河の八百屋の娘ともいわれるが、母が関白二条光平の家司である本庄資俊と再婚したため資俊の養女となる。玉と称し、春日局の部屋子として家光に見初められ、家光の側妾となった女性である。
 桂昌院は徳川将軍家に妾として入った女性だが、なぜ藤原光子が実名になるのか。養父の本庄氏の本姓が藤原氏なので、本姓藤原氏とされているのだ。そのように女性の叙位は男官の叙位と同じことだが、源平藤橘等の古代的姓氏で、父または養父の本姓が記される、姓は既婚・未婚を問わず一部の例外を除き父系帰属主義で一貫している。
 したがって位記における夫婦異姓の伝統は事実として認めざるをえない。しかし一般的な社会生活では指称されることはないのであって、そもそも実名は知られてないし、将軍の母を藤原光子と呼び捨てにできる人などまずいない。今日における個人名とはかなり意味が違うものである。 
 とはいえ、もちろん近世においても本姓(古代的姓氏)つまり源平藤橘等の天皇の賜与認定による古代的姓氏は国家的礼的秩序に編成されており、当然現実的意味を有していた。
 しかし重要なことは、明治政府は近世以前の天皇の賜与・認定に由来する本姓と、土地の名称など自然発生的な由緒の苗字(名字)の二元的システムを解消し、名字に一元化したことである。
 すなわち近世は姓氏二元システムになっていて、朝廷から賜る位記、口宣案、宣旨の宛名は本姓+実名、例えば常陸土浦藩主の場合「源寅直」、将軍の領知主印状の宛名は苗字+官職「土屋能登守」但し官職が侍従であったときのみ居城+官職「土浦侍従」になる(註3)。要するに天皇との君臣関係は公式的には王朝風の古代的姓氏(本姓)。将軍との君臣関係は名字(苗字)であった。
 明治四年明治四年十月十二日一切公用文書に姓を除き苗字を用いるとの太政官布告により、苗字(公家の場合は近衛・九条等の称号)に一元化された。つまり藤原朝臣実美ではなく三条実美、大江朝臣孝允ではなく木戸準一郎(のち孝允)、越智宿祢博文ではなく伊藤博文と、源朝臣栄一ではなく渋沢栄一と書くべきだと命じたのである。
 この布告によって、令制以来の源平藤橘等古代的姓氏はその機能を実質的に終了したのである。むろん天皇の賜与・認定による姓であるから、重んじられてはいても、王朝風に古代的姓・カバネを用いた明治二年の職員録によると源平藤橘で85%をしめ、ほかに菅原氏、高階氏、大江氏、紀氏、越智氏、清原氏、加茂氏など44の姓があったがそれほど多くない。源氏だけで40%、藤原氏は35%をしめていた。政府職員の75%が源姓か藤原姓だった(註1)。これでは個人識別の標識としてははなはだ不便であり、機能的でないのもこの布告の理由だろう。

 明治四年十月十二日太政官布告は現代にも生きているはずである。したがって、たとえば細川護熙元首相が源氏の棟梁を自認しても、公文書に「源朝臣護熙」と王朝風に署名することはできないと思う。名字(苗字)である細川でなければならないはずだ。
 王朝風の古代的姓氏(本姓)が明治四年で公文書で用いることを禁じた以上、もはや女性の位記の宛名が所生の氏の本姓であった伝統も意味をなさないのであって、女叙位の伝統を考慮する必要がないというのはそういう理由である。--つづく
 
 

(註1)井戸田博史『『家』に探る苗字となまえ』雄山閣1986 
(註2)廣瀬隆司「明治民法施行前における妻の法的地位」『愛知学院大学論叢法学研究』28巻1・2号 1985.03
(註3)大藤修『近世農民と家・村・国家-生活史・社会史の視点から-』吉川弘文館1996 

○1876〔明治9〕年3月17日太政官指令、1875〔明治8〕年11月9日内務省伺
内務省伺
華士族平民ニ論ナク凡テ婦女他ノ家ニ婚嫁シテ後ハ終身其婦女実家ノ苗字ヲ称ス可キ儀ニ候哉 又ハ婦女ハ総テ夫ノ身分ニ従フ筈ノモノ故婚嫁シタル後ハ婿養子同一ニ看做シ夫家ノ苗字ヲ終身称ヘサセ候方穏当ト相考へ候へ共右ハ未タ成例コレナキ事項ニ付決シ兼候ニ付仰上裁候 至急何分ノ御指令被下度 此段相伺候也
指 令
伺ノ趣婦女人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事
但夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事
法制局議案
別紙内務省伺嫁女姓氏ノ儀審案候処女人ニ嫁シタル者夫家ノ苗字ヲ称スルコト不可ナル者三ツアリ
第一 妻ハ夫ノ身分ニ従フヲ以テ夫ノ姓ヲ冒サシムへシト云ハ是レ姓氏ト身分ヲ混合スルナリ
第二 皇后藤原氏ナランニ皇后ヲ王氏トスルハ甚タ不可ナリ 皇后ヲ皇族部中ニ入ルヽハ王氏タルヲ以テノ故ニアラスシテ皇后タルヲ以テナリ
第三 今ニシテ俄カニ妻ハ夫ノ姓ニ従フトスレハ歴史ノ沿革実ニ小事ニアラス 例ヘハ何々天皇ハ何々天皇ノ第幾子母ハ皇后〔王〕氏ト署セントスル歟
帰スル所今別ニ此制ヲ立テント欲スルヲ以テ一大困難ヲ醸スナリ 右等ハ都テ慣法ニ従ヒ別ニ制ヲ設ケサル方可然歟 因テ御指令案左ニ仰高裁候也 〔二月五日内務〕
(『太政類典第二編』第133巻29項)

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2009/01/06

国籍法改正の次

 政権交代でおそれるもののひとつに、凍結状態にある法制審議会で答申された民法改正が一気にやられるのではないかという懸念である。つまり選択的夫婦別姓の導入と非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1と定めている規定の撤廃です。国籍法が外堀だとするとこれは本丸ですから、嫡出子と非嫡出子が相続で対等となれば、結婚と婚姻家族、嫡妻たる地位、日本的家制度、醇風美俗を崩壊させる危機になりますからもっと大変です。
 こちらのほうの最高裁判決は合憲なわけです。遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告 平成7年07月05日  最高裁判所大法廷 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=25608&hanreiKbn=01ですから昨年6月違憲判決の出た国籍法とは性質の違う事柄ですが、国籍法改正の趣旨が非嫡出子差別撤廃という旗印なので民法改正の弾みがつくことを警戒したいと思います。
 夫婦別姓ももちろん強く反対です。フェミニストと言うのは、日本的家族制度に異常な憎しみを持ってますから、土間で嫁に食事をさせていたのが日本の伝統家族であると糾弾し、舅に仕えるのはまっぴらごめん。舅や夫と同じ墓に入りたくない。婚家の主婦となって家を継承するなんていう認識はさらさらない。舅になにも尽くしたくないが法定相続で婚家の財産だけはぶんどりたい。だから事実婚より有利な法律婚で夫婦別姓導入とか言っているわけですよ。女の強欲と打算がすべてに優先する異常な社会になるでしょう。

 迂闊なことに昨年の6月はニュースも見る余裕もなくて、平成20年06月04日 最高裁判所大法廷 違憲判決を知らなかったのですがhttp://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=36416&hanreiKbn=01平成20年06月04日 最高裁判所大法廷 違憲判決を知らなかったのですが、ちょろっと読んだ感想を述べておきますと、ワースト判決だと思います。横尾和子,津野修,古田佑紀判事による少数反対意見「国籍法が,出生後に認知を受けた子の国籍取得について,準正子に届出による取得を認め,非準正子は帰化によることとしていることは,立法政策の選択の範囲にとどまり,憲法14条1項に違反しない」という結論に同意する。とくに多数意見で気に入らないのが市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約を憲法判断の根拠のひとつにしていること。こんなものは法源としての価値を認めるべきではない。
 今回、的確な問題点をついて先頭に立って国籍法改正に反対した赤池誠章代議士は高く評価しますが、委員会で少数反対意見を引いて当局に質問しているのをチャンネル桜で見ましたが、反対意見の方が説得力があると思いました。

 「多数意見は,出生後の国籍取得を我が国との具体的な結び付きを考慮して認めることには合理性があり,かつ,国籍法3条1項の立法当時は,準正子となることをもって密接な結び付きを認める指標とすることに合理性があったとしながらも,その後における家族生活や親子関係に関する意識の変化,非嫡出子の増加などの実態の変化,日本国民と外国人との間に生まれる子の増加,諸外国における法制の変化等の国際的動向などを理由として,立法目的との関連において準正子となったことを結び付きを認める指標とする合理性が失われたと」としているが家族生活や親子関係に関する意識の変化,非嫡出子の増加などの実態の変化,日本国民と外国人との間に生まれる子の増加が違憲の論拠になっているのはおかしい。それには具体的、実証的な論拠はないのです。
 ウィキペディア「非嫡出子」によると2003年度の各国の非嫡出子の割合は、アイスランド63.6%、スウェーデン56%、ノルウェー50%、デンマーク44%、イギリス43%、アメリカ 33%、オランダ31%、イタリア10%となっている。
対して日本は「昭和60年において1万4168人(1.0%),平成15年において2万1634人(1.9%)であり,日本国民を父とし,外国人を母とする子の出生数は,統計の得られる昭和62年において5538人,平成15年において1万2690人であり,増加はしているものの,その程度はわずかである」と反対意見にあるように、非嫡出子2%未満の状況で、家族観に大きな変化とはいえないのである。
 我が国は婚外子の多いヨーロッパほど「進歩的」な社会ではないし、法律婚は動揺していないどころか、安定しているのである。
 戸籍をなくしたいとか言っているのは弁護士とかフェミニストであって、日本の戸籍と結婚制度を敵視していない国民一般の意識からは離れている。
 むしろ日本の法律婚は世界的に見ても比較的安定したシステムとして評価したい。我が国の法律婚は世界的にも類例のない自由主義ともいわれる。挙式の必要はない。届け出により容易に法律婚となり、協議離婚など離婚も容易。これも戸籍という優れたシステムがあるからでしょうが。戸籍のない国例えば合衆国の各州では手数料をとって結婚許可証を発行するわけですよ。州によっては待婚期間とか、性病などの検査証明とか要求される場合もある。それなりに厳格である。イギリスでは18世紀に軍事費調達のために結婚に印紙課税したりした。そういうことは日本ではないわけです。
 明治・大正時代は足入れ婚の悲劇もあったし、長期の内縁関係も多く必ずしも庶民に法律婚が徹底していない面も多分にあった。しかし今日では国勢調査などでわかっているように法律婚が完璧といっていいいくらい普及していて、だれでも結婚といえば入籍だと思っている。嫁が家風になじまなければ返してしまうとか入籍しない足入れ婚なんて今はないんですよ。芸能人だって、できちっゃた結婚をするわけです。法律婚は国民に広く受け入れられている。
 ところが、日弁連やフェミニストはスウェーデンのように完全に非嫡出子差別のない国家にしたいわけです。しかし非嫡出子の割合が56%もあるような法律婚が非常に不安定な社会を国民の多くが望んでいるわけではないです。
 さらにいえば、反対意見にもあるように、ヨーロッパのように国際結婚が多い地理的状況とは違います。日本のナショナリズムの基本は9世紀の新羅の入寇という対外危機にあると思いますが、承和年間に張宝高事件というのがあって新羅の権力抗争に我が国も巻き込まれる危険もあった。大宰大弐藤原衛4条起請というのがあって、新羅人の来航を全面禁止すべきというものだったが、この強硬意見は認められず、徳を慕って来日する者に「仁恕」を示すべきとされ、賊虜を放還するなど中途半端な対応となった。しかし新羅人の帰化は以後認められなくなったといわれる。このように日本は9世紀の段階で国民純血主義的な方向で文化が形成されていったのだから、ヨーロッパの歴史的背景とは違う国民意識である。日弁連の女性委員会がギヤーギャー言っていも、こんなの無視していいんですよ。

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2008/10/16

尾身幸次元財務相は正論を述べていた

 迂闊にも2007年4月のこのニュース--尾身財務相、「残業半減では日本はキリギリスに」と発言--
ワークライフバランス政策批判の正論http://news.ameba.jp/2007/04/4227.phpを見落としてました。
 まともなことを発言する閣僚もいたのですね。ワークライフバランスに好意的な安倍晋三元首相は経済的自由を否認する社会民主主義者というほかない。いまだに日本が長時間労働だと思っているのが誤った認識、アメリカ人の方が良く働いている。
 私は女帝に反対ですが、元明・元正女帝の治世の貨殖富国政策は高く評価しています。元正女帝(霊亀元年即位-715年)の詔勅「国家の隆泰は、要ず、民を富ましむるに在り。民を富ましむる本は、務、貨食に従ふ。故に、男は耕運に勤め、女はジム織を脩め、家に衣食の饒有りて、人に廉恥の心生ぜば、刑錯の化け爰に興り、太平の風到るべし‥‥」(霊亀元年十月七日条)。民を富ませることが国政の基本方針であることを述べ、人民に貨殖に励むよう諭し、勤勉に働くよう命じた。
 統治者なら、もっと国民は誠実な勤勉さで長時間働けと命じるべきだ。
 

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2008/10/15

感想 週刊東洋経済-大学別生涯給料獲得ランキング

 発売中の10月18日号64頁ですが、二位に聖心女子大(30歳推計年収665万)、三位神戸女学院大(30歳推計年収661万)、発売中の雑誌なので詳しく引用しませんが、6位、7位、9位が女子大です。これは主要408社のうち平均年収が開示されている364社のデータから生涯に獲得されるだろう給料の順位である。女子大がこれだけ上位を占めているということは、共学の女子も生涯給料は高いと推定できる。金融・商社がメーカーより生涯給料は高く、それを反映した結果と書かれてますが、このランキングを見ればもはや女性は経済的にも弱者ではないように思えます。とりわけ高学歴女子は、当然夫も高学歴になるからダブルインカムで高収入となるわけです。その子どもも高学歴となり社会階層は固定化していくでしょう。
 にもかかわらず、次世代育成支援だの、ワーク・ライフ・バランスだの実質的にフェミニズム思想を公定イデオロギーとして特定社会階層の女性の利益のための政策をやってますが必要ないように思えます。
 私はサッチャーの言う不平等の価値に賛成ですし、格差社会に反対しませんが、特定の社会階層のための政策で格差を助長する立法政策は反対です。
 90年代後半以降、ITの進歩、目標管理、成果主義、組織のフラット化、コミットメント、高業績業務システム、顧客第一主義、エンパワーメント、官僚制の打破と権限委譲、全方位360度評価、ホワイトカラーエグゼンプションの検討というような趨勢で、仕事にやる気が出てきて、これからは頑張れば評価されるし、仕事も楽しくなる。できれば時間外手当適用除外で土日も働きたい、週60~70時間は当たり前に働いて業績を挙げたいという意欲が出てきていたのに、ワークライフバランスで相当冷や水を浴びせられてますよ。
 成果や目標達成、コミットメントより、男性も育児に参加するため、仕事をやらない、やらせない。フェミニストが男性は働くなと言ってるから労働意欲を持ってはいけない。休暇を取らないから悪者扱いにされて、迫害状況になっています。 
 プロクター&ギャンブルやSASインスティチュートのような生産性の高い一流企業がファミリーフレンドリーな政策を採ろうが何も文句はいいませんが生産性が低いのに時短を強要するから、益々おかしなことになっている。アメリカは地位が高い人ほど長時間働くといいますが、都庁だと、管理職率先定時退庁ですから。率先して仕事しない主義なんでどうしようもないです。都庁なんてぬるい職場ですが、40代になって役職につかないと居場所がなくなる会社だってあるわけですから、必死になって働かなければいけないのに、フェミニズムが許さないと言うことになってます。
 結局、ワークライフバランスのような社会民主主義的な政策で社会階層は固定化し、高学歴階層が既得権保護のため女性厚遇を続けることになり、クラス上昇の困難な風通しの悪い社会になります。中の下ぐらいの男性がハードワーク主義で成果を挙げて昇進することはワークライフバランスに反し許さないということですから、昇進の見込みもない男は、結婚も諦めて社会的に淘汰されるだけ。

 

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2008/09/06

12週無給の家族医療休暇法制しかないアメリカ合衆国では平均出産後11週で職場に復帰するらしい 

 ペイリン副大統領候補が4月に生まれたダウン症の赤ん坊がいるのに、選挙に出ることが議論を呼んでいるというニュースがありますが、http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-33601120080904
 アメリカでは「仕事を持つ母親は、米国では平均で出産後11週で職場に復帰する」ということが書かれてます。2ヶ月半ですね。
 アメリカ合衆国は有給の出産・育児休暇制度を持たない。というのも連邦法で妊娠差別禁止とは、一時的労働不能状態の傷病者と同等の処遇とすることが差別禁止の内容であるから。
 連邦法としては1993年家族・医療休暇法(50人以上雇用する使用者は出産、養子の受け入れ、子・配偶者・親の重大な疾病、本人の重大な疾病のために1年間に12週の無給休暇を被用者が取得することを認めなければならないとする性的中立立法)があるだけ。ブッシュ父が二度拒否権を発動したいわくつきの悪法です。もちろん私は反対。レーバーコストになるから。
 これを利用するとしても無給で12週休めることになっている。大企業やファミリーフレンドリーをポリシーとしている企業ではそれ以上に厚遇されることもありえるが、ファミリーフレンドリーな政策というのは例えば世界一の日用品メーカー、プロクター&ギャンブルのような優良企業の個別政策にすぎないのであって、我が国のように、政府が音頭をとって女性厚遇のためのワークライフバランスを強要するようなものではない。
 アメリカとの比較においても、我が国の実情は有給の育児休暇だのは女性を甘やかししすぎる。大企業で余裕のあるところだけがやればよいのであってワークライフバランスを大合唱して、女を甘やかすのは異常な政策といわなければならない。

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2008/05/20

子育て支援政策は直ちに中止すべき

 時短・残業免除を義務化へ子育て支援で厚労省という記事がありますが。http://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.plばっかじゃないの。時代錯誤ですよ。ドイツやフランスでも時短の行きすぎが見直されてるのに。民間企業も公務員みたいなとろい働き方にしようなんて。
だいたい次世代育成支援とか少子化対策とか、出産とか子育てといったドメスティックな領域に政府が干渉することが不愉快です。産みの苦しみは神が女に与えた罰なんだから、支援する必要なんてない。出産費用がかさんで、救貧民に転落しようが、昔はかまっていなかったわけですよ。何もかまう必要はないです。
キャリアウーマンって、男と同じ土俵で働かないといけないんですよ。仕事か子どもか選択の自由があるんだから其れで機会均等で十分だ。
だいたい子どもなんてコスト以外の何物でもないんですよ。自分より出来の良い子どもが生まれるとは限らない。むしろ親に反抗したり非行に走ったりするわけです。子どもに継承させる家業も財産もないわけだから、子どもなんて必要ない。最近の女どもは、男も育児に参加しろとか厚かましいこと言うから、余計子どもが嫌いになるわけ。
  しかも少子化対策の実質的効果もが疑問なわけで、効果がある政策の一つは、大卒女子の賃下げでしょう。私はアドキンス判決支持と言っておりますから政府の賃金統制には反対ですが、何が何でも少子化対策と言うなら。
つまり女子は高卒と大卒の賃金格差が男子より大きく、進学による経済的効果が大きいと認識されていることが、女子の高学歴化を促すと同時に教育投資効果を回収するため、結婚を遅らせますから。
第二に男女雇用機会均等法その他の、女性の社会進出を促し、継続雇用を保障するような政策を全廃することです。
シカゴ大学のエプステイン教授は、公民権法タイトル7のような雇用差別禁法はいらないと言ってますが、共鳴できる見解です。 
 合衆国のタイトル7より、我が国の女性労働政策は悪性だからなおさら。
 つまり女性の社会進出を歓迎し、継続雇用保障と女性特別待遇を後押しする政策が、男に頼らなくてもやっていけるとの期待を持たせ、結婚して苦労を分かち合う生活より、独身の方が収入を独占できるので、晩婚化と未婚化を促していると考えられるからだ。
 70年代までは、大抵の女子は高卒で就職して適齢期の結婚で退社してたわけでしょ。だから私は80年代に大手都市銀行が高卒女子採用を短大卒に切り替えたのが、少子化問題の発端だったと考えております。

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2008/05/13

新聞記事の感想

  本日の読売夕刊11面に日テレ文化部記者の鈴木美潮のコラムがあって、山田昌弘・白川桃子共著「『婚活』時代」という本を紹介してます。少子化の直接の原因が未婚化であるのに、保育所整備や育児休業導入などの子育て支援政策に疑問を呈していることを紹介している。この本は読んでませんが、要するに少子化対策は完全に間違っており、フェミニストが喜ぶ政策にすりかえられているということです。それはそのとおりでしょう。

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2008/03/06

福田は割り当て制をやりかねない危険な首相だと思う

 <女性管理職>公務員わずか1~5%台 民間も10%という報告に対して福田は女性の進出が遅れている分野に特化した具体策を4月上旬までにまとめるよう指示したというニュースがあります。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080304-00000138-mai-soci
 女性の優先処遇、アファーマティブアクション、ポジティブアクション大反対です。最悪なのは割り当て制や女性にゲタを履かせるような優先処遇ですが、女に甘い福田ならやりかねない。危険な首相と言うほかない。単に女という理由で昇進に有利な制度は男性差別だ。

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2008/02/24

児童ポルノ単純所持処罰絶対反対

 インターネットによる児童ポルノ画像などの拡散に歯止めをかけるため、自民党は23日、児童買春・児童ポルノ禁止法を改正する方針を固めたhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080224-00000007-mai-sociとの記事がありますが絶対反対。
 ポルノは精神医学でいう代償充足により性犯罪抑止効果があり、むしろ犯罪抑止のために必要。警察が私生活やプライバシーに干渉しやすくなるのは大反対。そのような趣旨を自民党のご意見募集にもみ書きました。

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2008/02/09

週刊現代 坂東眞理子記事等の感想

 『女性の品格』なんてなぜ280万部も売れるのか不思議に思ってます。アサヒビールの社外取締役になるとかhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080205-00000205-jij-biz、4日発売の週刊現代2月16日号で、-坂東眞理子「品格なき礼状」事件を直撃-は些末な事柄にも思えるが好感のもてる記事です。
 ある建築家が坂東の2000年8月11日付日本経済新聞の「ポスト核家族、「個」が選択」という論説記事が自著の盗用ではないかとの疑念を懐いていることについて直撃したところ、坂東は自分が書いた記事ですら知らない、その建築家の著書も知らないと答えたという。週刊誌の直撃にうろたえる坂東眞理子の写真が面白いです。
 役人上がりなのに坂東眞理子は紅白の審査員に登場して顔も知られ、有名人であります。さきほどの2000年の日経記事の一部を読みましたが、男性に家庭責任はないという役割分担を前提とした男性の長時間労働を攻撃してます。この考え方は仕事に対するコミットメント、粉骨砕身、仕事に励む勤労倫理、労働の自由、経済活動の自由を否定するもので、日本をダメな国にします。ワークライフバランスをフェミニズム的に潤色した元兇はこいつですね。こいつの家族論が公定イデオロギー化されつつあり、夫婦倫理や家族倫理は否定され、結婚と家族の価値を否定していくことになります。
 こちらこそ巨悪です。人気歌手を苛めるのはやめましょう。

 スーパーチューズデ-は思ったより重要州を制したヒラリーが強かった。
 週刊現代2月16日号59頁堀田佳男「アメリカ火曜決戦はヒラリーKO勝ちする」という記事も読みました。5日はKO勝ちまでいきませんでしたが、ヒスパニック系の票を掘り起こしているヒラリーが主戦場であるカリフォルニアで勝つというのは当たりですね。3月4日のテキサスはどうでしょうか。
 ニュージャージーやアリゾナもヒラリーが勝ち、世論調査報道はオバマ寄りだったのではとの心証。というのは、直前の世論調査でオバマはカリフォルニアでもいけるとの報道があったからです。http://www.camajorityreport.com/index.php?module=articles&func=display&aid=2719&ptid=9
 今回久しぶりにカリフォルニアが予備選で影響力を行使しましたが、ロサンゼルスタイムズはReuters/CSPAN/Zogby pollが敗者と云う記事を書いてます。http://www.latimes.com/news/politics/la-na-trailzogby8feb08,1,3386327.story
 率直に云うと私は女嫌いだしヒラリーも嫌いですが、さりとてオバマを応援する気にもなれないので複雑な心境です。

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2008/02/04

児童ポルノ単純所持罰則規定反対!

鳩山と福田が乗り気らしいがhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080204-00000048-yom-pol、外圧に屈する必要はない。我が国には我が国の事情がある。性的表現物はむしろ代償的性的充足になり、性犯罪の抑制効果があると云うのが精神医学的な常識論だ。
結婚できないもてない男の楽しみを奪うな。

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2008/02/03

コメントに対してその1

 >高齢出産を批判する理由がわかりません

 私は都の公務員ですが、東京の平均初婚年齢は高く、出産休暇、育児休暇をとって他人にしわ寄せコストをかけている女どもは大抵30代以上、場合によっては40代です。そういう女どもと子育て支援、ワークライフバランスが事実上、高齢出産支援になっていることからこの政策に対する敵意の表明である。
 男も女並みに育児休暇をとれとか、男性の長時間労働はけしからんとか、男も女に合わせろとか厚かましいことをいうフェミニストに反対なんです。
 我が国ではワークライフバラスがフェミニズム的に潤色され理解されている例えばこれhttp://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/10/s1013-3.html、ノーー残業とかさかんにやってますよ。育児休暇のつけを回された挙げ句、実績主義の趨勢なのに献身的に仕事に励むことは悪とされていることに対する不満です。
 少子化対策は平均初婚年齢を下げる政策を考えればよいのであって、晩婚化を女性の高学歴化・社会進出に伴う自明のものとしてとらえ、ひたすら働く女性の厚遇を少子化対策のは誤りだというのが私の意見です。

 >35才以上の女性が出産をするのはアホとおっしゃっている

 リスクを承知で出産するのは自由ですよ。朱雀天皇御誕生は、生母醍醐后藤原穏子が39歳であった。村上天皇御誕生時は42歳である。高齢出産は否定しませんよ。女性厚遇政策他人のコストになっている高齢出産が不愉快だということですよ。

 >紀子さまが男児をお産みになったのも35歳を超えた高齢出産でしたね

 紀子様は出産・育児休暇で会社のコストになってませんから、問題ないです。

 >女性厚遇政策に断乎反対って、……反対するのは勝手ですがそんな事をしたら少子化が進むだけでしょうね。
 
 女性厚遇政策と合計特殊出生率との実質的関連はありません。むしろなくしたほうが、少子化対策になるかもしれない。例えばアメリカでは、1990年以降は合計特殊出生率が2.00を若干上回る傾向にあり、人口置き換え水準に最も近いところで安定的に推移している。アメリカ合衆国は少子化問題なんてありませんし、日本ほど手厚い女性厚遇政策はやってません。
 そもそも、最大の女性団体である全米女性機構が男性と同じ土俵で働きたいと言っているわげて、女性を厚遇する妊娠・出産休暇にも反対してますから。以前のブログでこう書きました。
 出産休暇だ育児休業だと働く女性の厚遇政策を疑問に思う。国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter5.html#51aによると結婚5年未満では就業している妻が45 %、専業主婦が54 %いるが、子を持ちながら就業するケースは全体の中で2割弱(18.1 %)、正規雇用に限ると約1 割(10.7 %)である。女性雇用のコストを増大させるばかばかしい政策によって、その分コンティンジェントワーカーへの置き換えが進み、高卒女子の採用を見送ることになってはいないか。…20代前半の若い層で出産ペースが上がっているが、働く女性の厚遇とさほど関係がないのではないか。むしろ一部の女性を厚遇するために、他の女性にしわよせがかかっている方が問題だ。
 
>民主党っていつかの選挙以降調子に乗り過ぎだと思いますよ 

 勘違いされているのでは私は18歳成人年齢とか民主党の政策に反対してますよ。国会でピケを張るのも反対だ。民主党の支持団体である労働組合と立場が逆ですから、子育て支援とか、ワークライフバランスといった悪い政策は、別に政府だけでなく連合とか民主党もみんな言ってるでしょ。
 

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オメガ氏のコメントに対して

私は労働基準法の母性保護反対、妊娠出産休暇、育児休暇反対です。
合衆国の1978年妊娠差別禁止法は、妊娠出産を一時的労働不能状態とみなし、傷病で労働不能になったケースと同等に処遇することとしただけで、女性を厚遇する趣旨ではありません。つまり傷病で長期休暇をとった社員の原職復帰を認めていなければ、同等に原職復帰させなくても良いということだと思います。が、これでも女性厚遇だと思ってます。
合衆国の1993年家族医療休暇法は50人以上雇用する使用者は出産、養子の受け入れ、子・配偶者・親の重大な疾病、本人の重大な疾病のために1年間に12週の無給休暇を被用者が取得することを認めなければならないとするもので、ブッシュ大統領(父)は2度にわたって拒否権を発動したように、共和党支持団体の多くが反対だったんですよ。私はこれすら反対です。
よって、仮に私が結婚するとしても妻に出産育児休暇はとらせません。会社や他人に迷惑をかけたくないから会社をやめるようにいいます。
私は2回お見合いをしたことがありますが、結局断れましたが中小企業に勤めていて、結婚を期に会社をやめる家庭的なタイプのお嬢さんでした。あと、歌舞伎町のアメリカンクリスタルに気に入った娘がいて口説こうと考えたことがありますが、失敗しました。いずれにせよ、公務員や大企業勤めの女性は結婚相手には想定しませんから、出産休暇はあり得ません。というかもう糖尿病なりかけで使い物になりませんから、生涯未婚はすでに確定しております。
独身童貞だなんて良く知ってますね。正確には素人童貞です。別にピューリタンじゃありませんから、新大久保のホテトル嬢と遊んだことはありますよ。

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倖田來未発言は素晴らしい!

 無署名のコメント読みましたが、子どもが欲しい女性に同情なんか全然しません。倖田來未発言は特定個人や特定の境遇にある人を攻撃しているわけでは全然ないです。ラジオの発言の脈絡は報道によると
発言は番組の冒頭でのこと。倖田は、担当マネジャーが最近結婚したことを話題にし、その際「35(歳)ぐらいをまわると、お母さんの羊水が腐ってくる。だからできれば35歳ぐらいまでに子供をつくってほしいなって話をしたのです」といった発言をしたという。関係者によると、倖田の真意は、マネジャーに「早く、赤ちゃんが誕生してほしい」という激励の思いを込めたものだったというhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080202-00000007-dal-ent
 要するに、マネージャーに対して結婚を祝福し、子作りを激励しただけ。気に障るといってもそれはあなたの勝手な解釈というか主観にすぎませんし、それが平均人の考え方とは思えません。
 むしろセクハラとか女性に対して心理的な側面まで過度に保護する風潮が間違いですよ。倖田來未があなたに面と向かって言ったわけではないですよ。こんなことでバッシングされる社会は善くないです。
 別にこの発言によって、あなたの権利が侵害されたとか、精神疾患に陥ったとかそういう実害などありうるはずがなく、倖田來未を悪者にするのは間違いです。
 私自身は別の脈絡でこの発言を支持したわけです。高齢出産批判-女性の社会進出、男女共同参画批判-女性厚遇子育て支援政策(事実上の高齢出産支援)批判-反フェミニズムという脈絡です。もっとも倖田來未さん本人はそのようなイデオロギー意図はなかったが、高齢出産は女性の社会進出がすすんだ以上当然だというフェミニズム思想に迎合しなかった歌手に拍手を送るという意味です。
 出産・育児休暇の負担とかろくなもんじゃないですよ。他人の子どもなんて憎たらしいだけです。私は他人の子どもをみて可愛いなんて全然思いません。妊娠出産は本来私事なのに私事のために他者に負担をかけても当然だみたいな風潮に怒っているわけですよ。1970年代みたいに高卒で安定的に就職して、婚姻適齢期に退社するパターンのほうがよかったです。今は女が厚遇されすぎ。昔は、女子で大学出ても、教職ぐらいしかなかった、そのような時代のほうがよかったです。東京都の公務員はろくなもんじゃないですが、ダブルインカムで育児休暇で給与の8割保障されて、左団扇、何も働いてない人が威張っちゃって、管理職や監督職員は女性に気に障ることをおそれてなんでも女のいいなりですから。そういう風潮に頭来ているわけですよ。育児休暇とかとる連中というのが本当に我が儘で、母性保護で人に仕事をおしつけるのは当然、おまえは残業するから不愉快だとか、しわよせをかけてるみたいで部分休業がとりにくくなるとかいって、他人仕事の制限まで管理職と共謀してやるわけですよ。労働組合のジョブコントロールより悪質です。人の仕事のやり方まで指図してくる。負担は増えているのに残業はさせないというから、手抜きしろっていうことですよ。最近ではワークライフバランスといって仕事よりも男は育児にかかわるべきだとか、くだらないフェミニズム思想が蔓延して、仕事をさせない主義で仕切っちゃうんでえらい迷惑を被っている。
 公務員でも目標管理制度というのがあって、ある程度権限委譲で裁量的な仕事ができて、成果を出したら実績として認められるようになっているけど、負担は増えているのに時間は制限される。協力的でない人ばかりで、育児休暇で休んでいる人の負担もこなさなきゃいかんから、進んだ仕事をやっている余裕がないですよ。結局、尻ぬぐい的な仕事をこなすだけで、実績が上げられないから頭に来ているわけですよ。
 
 倖田來未発言は大筋で正しいと思う。仮に「羊水が腐る」が医学的に正確でない見解であるとしても、「羊水検査」というのがあるんでしょう。ちょっと言葉を勘違いしただけですよ。発言の趣旨、脈絡としては高齢出産にはリスクがあり、早期出産が望ましいと云うものでそれ自体は医学的にもまっとうな見解である。タバコは健康を害するから良くないというのと大差ない発言であり、むしろよくぞ言ってくれたものだ。
 

 私も高齢出産は染色体異常児や流産の確率は高くなる程度の医学的知識しかなかったわけですが、グーグルで「高齢出産・羊水」で検索したら、次のようなサイトで高齢出産のリスクを述べています。
  女性 高齢出産 リスク ~卵子の老化~
http://www.koureishussan.net/jyosei-koureishussan-risk(ranshinorouka).html
「卵子というのは、その都度新たに作り出される性質のものではなく、常に女性の体のなかにあるのであり、年月が経つにしたがって、老化していくのです。老化した卵子では、受精しても、細胞分裂がうまくいかなくなったり、染色体の数に異常が出たりして、その結果、流産になったりします。」
 高齢出産 リスク ダウン症
http://www.koureishussan.net/koureishussan-risk-daunshou.html
 「ダウン症の子供は、新生児のおよそ1000人に1人の割合で生まれています。これを母親の年代別に見ると、25歳の妊婦の場合、1200人に1人ほどの割合ですが、35歳だと、300人に1人ほどの割合になり、40歳以上になると、100人に1人の割合になっていきます。」
 今日、医学の進歩で高齢出産で流産などリスクは低減されているかもしれません。しかし、高齢出産が回避できればそれにこしたことはないといえます。出産力の高い20代前半の出産を推奨していいんですよ。 それは男女共同参画に反するからけしからんとかもしれないが、やっぱり、婚姻適齢期、出産適齢期というのはあるということでいいんじゃないですか。
 フェミニストは男女共同参画・女性優遇子育て支援いう公定政策に反する婚姻適齢期とか、出産適齢期みたいな考え方を発言する者を罰したいのかもしれませんが、倖田來未叩きにソフトファシズム、全体主義との臭いがして不愉快です。
 

私も当ブログで少子化問題を取り上げたことがありますがhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_bd36.html。このさい再度掲載します。
 我が国の歴史人口学の代表的な業績である速水融の徳川時代西濃地方(現岐阜県輪之内町)の家族復元分析を引用して、ある伝統的農村の例では、女子平均初婚年齢が25歳以上だと人口が減るということを述べました。今日では置き換え水準が低くなっており、初婚年齢は高くなっても人口は減りませんが、伝統的農村を基準にすると25歳を曲がり角にして結婚するという婚姻適齢期信仰、出産適齢期という発想自体間違いではないです。
 平均初婚年齢は地域差があり傾向について過当な一般化を避けるべきですが、西濃地方の農村の例でいうと上層農民は下層の農民よりも初婚年齢が低かった。下層の農民は出稼ぎや奉公で婚期が遅れるためです。家系を維持するためにも、婚期が遅れるのは望ましくなかった。

階層別の分家率と絶家率
(速水融『歴史人口学からみた日本』文春新書2001 125頁)

               分家率%   絶家率%
地主(持高10石以上) 29.4         0
自作(持高5~10石)  16.1      6.5
自小作(持高2~5石) 12.9      12.9
小作(持高2石以下)  15.8       35.0

女子の階層別平均結婚年齢( )人数
(速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社1992 230頁)
        奉公経験あり 奉公経験なし
地主     24.3歳(4)   21.2歳(26)
自作・自小作 27.1歳(24)   21.0歳(20)
小作      25.6歳(62)      22.3歳(22)
計        25.9歳(90)      21.5歳(68)
 
 地主層の絶家率ゼロに着目したい。小作層で戸主がいなくなった場合三回に一回は跡継ぎがいなかった。正確には跡継ぎを設けようとしなかった。これに対して地主は必ず跡継ぎがいて家の継承が行われた(註1)。なぜそうなるのか。地主の平均初婚年齢は21.6歳、小作層は24.7歳である。農民の上層と下層ではかなりの差があった。江戸時代においては4歳の年齢差は出生数に大きな影響を与えた。速水によると出産力が最も高いのが21~25歳層で婚姻内出生率0.319である。つまり3年結婚年齢が上昇すると出生数が1人減るという計算である。なおこのデータには史料に現れない乳児の死亡を含んでいないので、死亡率は25%として2.4年に1人の出産である。
 小作層の初婚年齢が高いのは出稼奉公による遅延により婚期が遅れるのである。これが決定的だった。出稼から帰った小作層の平均初婚年齢は25.6歳で、計算上求められる生涯出生数は4.2である(註2)。一方地主の平均初婚年齢だと5.3~5.4ぐらい(註3)。西条村の人口の置き換え水準4人の出生ということだが実際には夫婦のいずれかが死亡してしまうことがあり、初婚年齢25.6歳では人口を維持できない。速水によると西条村の場合24歳が再生産率をポジティブにする最も遅い年齢であるという(註4)。そのため小作層は絶家が多いのである。一方、上層農民は家系維持の戦略のためか比較的若い年齢で結婚して出生数も多い、その結果、絶家がないのである。貧乏人の子だくさんという俗諺は誤り(註5)だと速水融は言っています。
 京都所司代の板倉重宗だったか、女子奉公人は24歳になったら里へ帰したともいわれるが、適齢期信仰のクリスマスケーキ症候群というのは伝統的な感覚としてはそれなりに正しかったのである。これはあくまで西濃の一農村の事例であるが、江戸時代では家系維持のためには25歳以上の結婚はよくない。現代では置き換え水準が低くなっており20歳前半にこだわることもないのだが、私は人口問題という観点では、適齢期信仰を崩壊させたのは誤りだったし、高卒女子の安定的な就職により、適齢期までに退社するというパターンを崩さないほうがよかったと考える。 

(註1)速水融「序章 歴史人口学と家族史」速水融編著『近代移行期の家族と歴史』ミネルヴァ書房2002 10~11頁
(註2)速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社1992 279~280頁
(註3)同上 217頁表9-4を参照した。
(註4)同上 280頁
(註5)同上 217頁

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倖田來未を支持するぞ!レコ大歌手をを苛めるな!

  「暴言余波…倖田來未2月スケジュール白紙」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080203-00000005-dal-entという記事を読んで驚いたんだけど、こんなの暴言でも何でもないよ。多分医学的には正しくないことなのかもしれないが、高齢出産を批判するニュアンスと感性は正しい。それは自然に反しているからだ。こんな些末な事でバッシングされるのはとても気の毒だ。
  倖田來未ってレコード大賞歌手でしょ。一度きいたことあるけど歌は上手いと思ったよ。なんでこんなことで1ヶ月もPR活動などの営業を自粛しなきゃいかんの。30日にアルバムを出したばかりなのに。ホームページから写真が削除されるなんてあほな。四人組の江青じゃあるまいし。
  フェミニストはそんなに権力を握っているのか。
一般論として高齢出産(35歳以上)はリスクがあるっていうのは間違いじゃないでしょ。一昔前まではそういうことは普通にいわれていたんじゃないの。昔は大名の正妻はおしとねさがりとかいって、30歳になると侍女の中から器量の良い娘を側妾として差し出すのが習わしだった。
女性が出産力の高いのはたぶん21~24歳でしょ。平均初婚年齢を20代前半に下げないと少子化問題は解決しませんよ。少子化対策というなら、出産力の高い20代前半に出産するよう奨励すべきですよ。
俺なんか、子育て支援、ワークライフバランスといった女性厚遇政策に断乎反対ですよ。妊娠・出産、育児休暇とかで休んでいる女子職員の穴を埋めて、しわよせがかかっても文句ひとついわずこなしてきたのに、ご苦労の一言もなくて怒っているんですよ。女の我が儘、出産にコストとしわよせがかかる社会になってますから、迷惑かかっている人もたくさんいるんだ。むしろ当てつけ的発言として倖田來未を支持しますよ。

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2007/12/31

NHK紅白歌合戦の男女混合演出非常に不愉快だ

 モーニング娘から北山たけしまで、実家で見て、移動、自宅に戻って徳永英明から見てるが、男女混じって応援している演出がやたらに多く、フェミニズム、男女共同参画を意識しすぎ、非常に不愉快だ。審査員の坂東真理子なんて顔も見たくねぇ-。うせろ。
 これでは女性歌手対男性歌手の対抗戦の意味が薄れてしまう。
 男性と女性が唯一対抗できる職域、それが歌手なんだと思う。そもそも男性の声質と女性の声質が異質だから、どっちが勝とうとイデオロギーとは無関係。私は徹底的に女性蔑視主義だけど常に紅組応援してますよ。歌手ぐらいは男性と張りあえる職域と認めてやるという思想だから。
 いずれにせよ、どっちが勝とうと性の優劣の問題にならないから娯楽番組として成立しているのにくだらないイデオロギーを持ち込むな。
 中村中の性同一障害の注釈必要ねぇー。紅組から出してやるのが思いやりとでも言いたいだろうが、娯楽として見てるのに厚かましい人権教育みたいなばかなことやるな。その前の徳永英明と比較すると歌が上手いと思えなかった。ミニスカートはキモかった。中村中は人権枠で出てるのかよ。オマケにイッコーが出てきて「桃組」とかくだらないギャグを見せられて不愉快だ。

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2006/11/14

反女性・女性敵視主義宣言(2)

性差別禁止というなら母性保護はやめろ

 そこで、女性尊重フェミニズムに対する反撃として、まずはアンチテーゼとなる法理論をみておきたい。
 合衆国公民権法タイトル7の性差別禁止規定の判例理論ですが、鉛の被曝を避けるための胎児保護ポリシー(間接的母性保護)を性差別と断定し違法とした全米自動車労組対ジョンソンコントロールズ事件判決 AUTOMOBILE WORKERS v. JOHNSON CONTROLS, INC., 499 U.S. 187 (1991) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=499&invol=187は、を取り上げたいと思います。この判例は我が国ではあまり紹介されていないが、根本猛(註1)によると公民権法が制定された「1964年以来、最も重要な性差別事件」判決と評されているとのことです。これほどの重要判決が我が国で無視されてしまっているのはいかがなものだろうか。
 事案は大略次のとおりである。ジョンソンコントロールズ社はバッテリーの製造工程における鉛の被曝が胎児に有害なことを認識しつつも女性労働者を排除していなかったが、1979~83年までに妊娠した女性労働者のうち8人の血中の鉛が職業安全衛生局の基準を超えていたため、鉛を被曝する職種から女性を排除するに至ったところ、女性労働者より公民権タイトル7に違反する性差別であるという訴訟が提起され、ウィスコンシン東部地区の連邦地裁、第七巡回区連邦控訴裁判所は合法判決を下したが、連邦最高裁は結論については全員一致で、原判決を破棄した。ブラックマン判事が法廷意見を記しマーシャル、スティーブンス、オコーナー、スーター各判事が賛同した。ホワイト判事が結果的同意意見を記し、レーンキスト主席判事、ケネディ判事がその一部に賛同した。スカリア判事は単独で結果的同意意見を記している。
 ブラックマン判事による法廷意見は、「ジョンソンコントロールズのポリシーに偏見があることをは明らかである。生殖能力のある男性は、特定の職種に就いて、その生殖能力を危険にさらすかどうかの選択の機会が与えられているのに、生殖能力のある女性にはない。‥‥被上訴人の胎児保護ポリシーは、女性に対する明示的な性差別にあたる。‥‥第一に、ジョンソンコントロールズのポリシーは、生殖能力の有無だけではなく、性と出産能力に基づいて、労働者を分類している。被上訴人は、その労働者のすべてのまだ妊娠していない子供を保護しようとしているわけではない。鉛の被曝には男性の生殖システムも衰弱させる効果があるという証拠が記録上あるにもかかわらずジョンソンコントロールズは、その女性労働者のこれから生まれてくる子孫にふりかかる危険のみに関心を示した。‥‥‥‥女性労働者にのみ生殖能力がないことの証明を要求しているのであるから、ジョンソンコントロールズのポリシーは文面上違法である。」そして最後に次のようにいう「女性の子孫を残す役割が彼女と家族にとって彼女の経済的役割よりも重要かどうかを決定するのは、個々の使用者にとって適切ではないのと同様、裁判所にとっても適切ではない。連邦議会はこの選択を彼女が決定すべきものとして女性に委ねたのである。」(翻訳前掲根本論文より)子どもをとるか仕事をとるかリスクを承知のうえで労働するか否かは個人の自己決定の領域との見解である。
 なお、スカリア判事の結果的同意意見は、法廷意見の「鉛の被曝には男性の生殖システムも衰弱させる効果があるという証拠」は本件と無関係で、端的に妊娠能力に基づいて女性を別扱いにすることが性差別だと言っている。
 ここで「真性職業資格」という例外規定の問題に立ち入る余裕がないが、1点だけ言及しておきたい。下級審判例で妊娠したフライト・アテンダント(スチュワーデス)のレイオフの合法性を支持した判例があるが、それは乗客の安全確保という業務遂行上に支障があったから、レイオフを支持したのであって、胎児を保護するためではなかったのである。本件は生殖能力のない人(閉経後の女性ないしインポテンツの男性)でなければ、バッテリーは製造できないという性質のものではないから、生殖能力の有無と業務遂行能力は本質的に無関係であった。
 本判決の意義について私は次のように思う。第一に合衆国最高裁が間接的母性保護を性差別と断定し違法としたことは、女子差別撤廃条約第4条2が母性保護政策を差別とみなさないとしている見解と一線を画す性格のものとみてよい。米国は女子差別撤廃条約を批准していないのであって、それを国際的標準とみなすのは大きな誤りである。母性保護とは女性を厚遇もしくは排除する口実となるひとつの性差別思想であって普遍的価値でもなんでもない。最高裁判事にそのような思想的偏向がなかったことを評価してよいと思う。
 1964年公民権法タイトル7は「報酬、労働条件、または雇用上の特典に関して人種、肌の色、宗教、性別、または出身国を理由に、どんな個人についても雇用を拒否したり、解雇したり、もしくは差別したりすることが、使用者による違法な雇用慣行になる」と規定する。要するに労働者を性別という集団概念で分類すること。雇用判断基準に集団概念を排除し、個人の能力で判断するものとしたのである。露骨にいえばその人の持ち物がペニスかヴァギナかによって労働者を分類し、雇用条件を設定することが性差別である。例えば女性のみの労働時間の制限、女性のみの重量物取扱規制、作業現場において女性のみ椅子が与えられる規則などである。従って同法により女性保護立法・規則やロマンチックパターナリズム(女性を庇護されるべき弱い性とみなし処遇しようとする)は排撃されたのである。
 この法の理念について憲法学者の釜田泰介(註2)は次のように解説する「この法律は、アメリカ国民が憲法上いまだ達成することのできないことを実現したのである。それは性別判断の恣意性のゆえに、雇用判断は個人に基づいて行わなければならないというルールの宣言だった。企業は募集、採用、配置、昇進、賃金、解雇、労働条件の設定等、あらゆる問題領域で幅広い裁量権を持っている。その裁量権に対し第七編は制限を加えたのである。しかしそれは裁量権全体を否定するものではなく、唯ひとつのことについてのみ裁量事項から取り去るということだった。それは、使用者は雇用領域で諸々の事項との関係で個人に関する判断を形成するのであるが、その判断基準として性を使用してはならないということであった。幅広い裁量権の中で制約を受けるのはこの1点だけであって‥‥法文はこの立法趣旨を、個人に対する性別を理由とする採用拒絶、解雇等の禁止と、個人に対する性を理由とする雇用機会剥奪の禁止という形で表明しているのである。この法律によって、雇用に関する決定は、個人の持つ当該業務遂行能力の判定に基づいて行わなければならないということが使用者に課された唯一の法的義務となった。これ以外のことは使用者の自由判断で行いうるのである。使用者は男性、女性というグループ概念に基づいて具体的個人にかかわる雇用関係の判断を形成してはならないということである。従って使用者は常に自己の雇用判断については、グループ概念を使用したものではなく当該個人の業務遂行能力を判定したものであることを説明する義務を負わされている。しかしこの立証責任も雇用権利を大幅に制限するような性格ではなく、個人の業務遂行能力を確かに判定したことを証明すれば事足りるのである」
 要するにグループ概念ではなく個人は個人として判断せよというのであるが、我が国の雇用機会均等法のようなフェミニズム的なイデオロギー的潤色はないので比較的良性なのである。
、日本の男女雇用機会均等法は、今年の改正で性差別禁止にしたとか言ってますが、合衆国の公民権法タイトル7とは理念的にはかなり隔たりがあると思います。第一条で「女性労働者の就業に関して妊娠中及び出産後の健康の確保を図る」第二条で「女性労働者に母性を尊重されつつ充実した職業生活を」云々とあり、やはり女性という特定の集団の利益のための立法という性格が残されてます。性差別禁止とかいってますが、依然として性差別立法のように思う。
 ジョンソンコントロールズ判決は、胎児保護ポリシーという間接的母性保護が、性差別だという判決ですが、男女雇用機会均等法はいまだに母性を尊重といってますから、公民権法との隔たりがあることは明白なのである。

川西正彦

(註1)根本猛「アメリカ法にみる母性保護と男女平等」『法経論集』静岡大学法経短期大学部67・68号1992年

(註2)釜田泰介「雇用機会均等法案の比較的評価-アメリカの経験が示すもの」『日本労働協会雑誌』26巻11号 [1984.11]

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2006/11/12

反女性・女性敵視主義宣言(1)

大変間延びしましたが、以下のコメントについて簡潔に答えます。

「人間として女性が男性より価値が無いって言う意味ですか?」

全くそのとおりです。

「極端なジェンダーフリーには自分も反対ですが、差別ではなく区別だと思ってます
 
 私が敵視しているのは女性尊重フェミニズムであって、ジェンダーフリーではありません。ジェンダーフリー反対論は結局変な方向で性差を強調し、ロマンチックパターナリズム(女性はか弱い存在で庇護され保護されるべきという19世紀的な空想的でばかげた考え方)に接近する危険性もあり疑問です。例えば女性専用車両とか不愉快です。それなら合衆国の公民権法タイトル7のようなセックスブラインドアプローチによる徹底した性差別禁止のほうがよりまし。そもそも私は母性保護、間接的母性保護、妊娠出産休暇、育児休暇の全てに反対だ。女性の厚遇には敵意と憎しみがあります。その理由は後日述べますが、女性の特別待遇、原職復帰を叩き潰したい。
 だからコメント記者の「差別せず区別する」という考え方は、一方で平等を主張しながら、一方で女性の地位向上、職業生活の利益のため、優先処遇や女性に特別な配慮を求めるフェミニストに利用されやすく反対です。

川西正彦

 男女の区別というならば、例えば次の見解なら好意的に支持することもできます。

ミルトンの『失楽園』(4・297-301)
男は思索と勇気のために造られていた、
女は柔和さと美しく優雅な魅力のために。
男はただ神のために、女は男の内なる神のために。
男の美しく広い額と清らかな目は、絶対的支配を語っていた。(註1)

 
 近代個人主義的友愛結婚の提唱者とされるミルトンですが、これは基本的に、西洋文明、ユダヤ・キリスト教の伝統に沿った性差別思想であり、男性の優越性の含意が看取できますから大筋で支持できます。ミルトンの性差別意識については批評者によって議論のあるところだが、フェミニストは上記の文脈をファロセントリスムの表明とみなしてますが、上記の見解は17世紀ならたぶん常識的なものでしょ。
 しかし、自分は古典カノン法の理念を尊重するし、ミルトンが離婚論で批判する教皇アレクサンドル三世は法律と行政の天才、規範提示者と思ってますからミルトンとは思想的立場が違うので、次のような独身の中世の神学者の見解のほうを好む。

 全科博士・熟練博士と尊称され、ギリシャ・イスラムの学問を同化吸収し、同時代人から「あらゆる学問の道に神的な人であるので、現代の驚異と呼ぶにふさわしい」「非常に明るくて普遍的な全キリスト教世界のあらゆる哲学者の太陽」と称賛され、その知識の広さと活動の多様性において、世界史のなかでも最も偉大な人物の一人であるアルベルトゥス・マグヌス(1206-80、列聖1931)は『動物論』で次のように主張する。
「女性は男性よりも道徳には向いていない‥‥女性は気まぐれで好奇心が強い。女が一人の男と交わっているとき、彼女はできれば別の男と寝たいと思っている。女というのは誠を知らない。私の言うことを信じなさい。もしあなたが彼女を信用すると、あなたは失望するだろう。経験豊かな師の言葉を信じなさい。賢明な男ならば自分の計画や行動を妻にはわずかにさえ知らせないものだ。女性とは出来損ないの男性であり、男性に比べると欠点だらけの性質を持っている。だから内面は信用できない。自分で手の届かないものは、ごまかしや悪魔のような嘘で手に入れようとする。つまり短く言えば、毒蛇か角の生えた悪魔に用心するように、あなたはあらゆる女性に気をつけなければならない。もし私が女性について知っていることを言ってもよければ、世界中が驚くだろう‥‥女性は男性よりも賢明なのではなくずるがしこい(抜け目がない)のだ‥‥だから、悪い、自然に反した行動においては女性は男性より賢い、つまりずるがしこいのだ。彼女らの感情はあらゆる悪へ駆り立てる。それは理性が男性をあらゆる善に促すのと同じである。」(註2)
 さすがに全科博士は女の本質を見抜いていた。女を見たら毒蛇か角の生えた悪魔と思え。女はあらゆる悪を指向する傾向性がある。だから信用してはいけない。私はこの教えに忠実でありたいと思います。

 というよりも明確な性差別意識が正しいんです。『創世記』ヤハウェ資料において、女は男の補助者として創られたが、彼の誘惑者となり彼を破滅に導いた。神は女に次のように宣告した。「私はあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなおあなたの欲望はあなたの夫に向かい、彼はあなたを支配するであろう」〔『創世記』3・16〕。神自らが、妻に対する夫の権威を高めた。男性支配による社会的、法的、経済機構は神の認可にもとづく決定的な秩序なのであります。
 それがこの世の秩序、この文明の秩序なのであります。従って男性が女性の支配を抛棄するとは、神を蔑ろにするものであるから、フェミニズムへの敵意は当然であり、有害思想、女性尊重フェミニズムを駆逐すべく行動しなければならないと考える。

 この観点から古代教父の教えも当然引用したいです。まずスコットランド宗教改革戦争の理論的指導者で、カルヴァン派のスコットランド長老教会を誕生させたジョン・ノックス(1505-72)がジュネーブで1558年に匿名で刊行した『女たちの奇怪な統治に反対するラッパの最初の高鳴り』という著作ですが(註3)、これはイングランド女王メアリー・チューダーと、スコットランド摂政ギーズのメアリの統治に反対し、転覆する反乱のアジテーションという政治目的の文書ですが、宗教倫理的な事柄は古代教父を多く引用し、反フェミという観点でも優れた著作と思うので一部を引用したい。

 ラテン教父テルトゥリアヌスは女の服装に関する著作で女に対し「あなたは、あなた自身がエバであることを知らないのか。神の宣告は生きており、この種属に対して効力を持つ。この世にあって、あの罰もまた生きているのはしごく当然である。あなたは悪魔の港であり門である。あなたは神の律法の最初の違反者である‥‥」と語っている。

 東方教会最大の説教師で、コンスタンティノープル司教でもあったヨアンネス・クリュソストモス(聖人)は女に優先権を与えた男を叱って「男に悪しき助言を与える女をはねつけるのが男の役割である。男に有害な助言を与えた女の耳には、四六時中、エバに与えられた罪を聞かせてやらなければならない」又、神の宣告を引き合いに出し「‥‥あなたは神の許を離れ、あの悪しき動物と喜んで親しみ、その助言を受け入れようとしたゆえに、わたしはあなたを男に服させるのであり、あなたが男の支配を認めるようにと、わたしは明確に男をあなたの主に任じる。あなたは支配することはできないから。支配されることを学べ」又「たとえ男は堕落しているにせよ、男の上に立つ権威を女が奪い取ることは許されない」さらに「女性というものは短気で無鉄砲で、その貪欲さは地獄の底なし沼のよう、つまり飽くことを知らない」と教えております。
 
 アウグスティヌスは、「女はキリストに服するように男に服さなければならない。というのは、女は服すべき権威を体と肉から引き出せないので、肉が霊に服すように女は男に服さなければならない。現世の弱さと滅びのうちにある肉は霊にさからって欲望を燃やし求めるからであり、従って聖霊は女に対し肉が権威となりうるようなものを与えようとしない」と述べている。

 四大教父の一人、聖アンブロシウスは『六日間天地創造説』で「アダムはエバにだまされたのであり、エバがアダムにだまされたのではない。従って女が女らしい手軽さのために再び足をすべらせて堕落しないように、女が罪に誘い込んだ男を支配者として受け入れ認めるのが正しいことである。」又、「エペソ人への手紙」に触れ「女は主に向かうように夫に服従せよ。なぜなら男は女のかしら、キリストは教会のかしらで体の救い主であるからである。ところで教会はキリストに服しているのであるから、そのように女はあらゆることで夫に服さなければならない」さらに続けて「女は自然法により、男に服するように命じられている。なぜならば、男は女の作成者で創始者であるから。すなわちキリストが教会のかしらであるように、男は女のかしらである。教会はキリストに始原を持つのだから、教会はキリストに服する。同じように女は男に始源を持つのだから女は服従すべきである」と教えている。
 私はこうした古代教父の教えに忠実でありたいと考えます。ゆえにフェミニズムへの敵意は当然のことです。
 
 なお「女は男に始源を持つ」というのは現代科学の成果と一見、矛盾するようだが結論は同じことである。私は発生生物学は全く素人だが、たぶんこうだろう。つまり胎児はテストステロンの分泌によってはじめて男性になる。原型が女で、その特殊型・進化型が男です。祖型類人猿が原型で、その特殊型・進化型がヒトである。生物学では後から出てきたものが高等なのです。時系列的問題は本質的なものではなく、後から出てきた男が原型の女より高等なのであって、後から出てきたヒトがサルを支配するべきなのであり、サルがヒトを支配したり平等を主張することは容認できないから、結局生物学の成果は、聖書や教父の見解を補強するものと理解できる。
 
 そんな私の解釈は全くくだらないものであるが、四世紀に教皇によって編まれたものとされる『使徒教憲』は決定的な意義を有するもので、これは12世紀にグラティアヌスの教令集の中に広く受け入れられ、現代に至るまで重要な意味を持つ。
 「われわれは、女性が教会で教えるという仕事をなすことを許さない。彼女らは祈り教師の教えを聞くのみでなければならない。なぜならわれわれの師である主イエスは、民衆と異教徒に教えるため、われわれに十二人の男性のみを遣わされたのであり、決して女性をお遣わしにならなかった。女性がいなかったというわけではないのに。というのも、主の母とその姉妹、マグダラのマリアやヤコブの母マリア、ラザロの姉のマルタとマリア、サロメ、その他がいたのだから、であるから、もし女性にふさわしい事がらであるなら、彼自身が女性をお呼びになったであろう。しかし男が女の頭であるなら、体の他の部分が頭を支配するのは適当ではない」第三巻、六(註4)
 これが正統的な教会の規範である。ところが1994年に英国国教会のジョージ・ケアリー・カンタベリー大主教は女性司祭の叙任を容認した。このため不満を持つ信徒がカトリックに改宗したということが報道されていましたが、非常に不愉快であるとともに女性司祭容認のリベラルな教派には幻滅しました。こうしたリベラルな教会はもはやグノーシス派やカタリ派のような異端に接近してしまったといわざるをえません。現代はフェミニストの攪乱によって混乱に陥っています。

(註1)滝沢正彦「『失楽園』の夫婦像-「人間」への成長としての原罪-」辻裕子,佐野弘子編 『神、男、そして女 : ミルトンの『失楽園』を読む 』 英宝社 1997 28頁
(註2)ウタ・ランケ-ハイネマン著 高木昌史他訳 『カトリック教会と性の歴史』三交社1996 238~239頁     
(註3)ジョン・ノックス著 飯島啓二訳「女たちの奇怪な統治に反対するラッパの最初の高鳴り」『宗教改革著作集第十巻カルヴァンとその周辺Ⅱ』教文館 1993
(註4)ウタ・ランケ-ハイネマン著 高木昌史他訳 『カトリック教会と性の歴史』三交社1996 178頁 

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2006/07/23

鈴香事件に思う

 事情があって暫く更新がとだえてしまい、このためにランキングが落下してしまいました。このままだとランク外になりかねないので書きました。ブログをつくった理由の一つは、たまっているものを吐き出す精神衛生的なものでした。そこで方針を少し変えたいと思います。タイトルを「公共政策研究」としたためにきばりすぎていた。これからは気楽にばかばかしい雑感的なものも書いて行きたいと思います。
 政治・社会的なテーマでは、公務員の労働基本権付与反対、ホワイトカラー裁量労働制(時間外手当除外)全面支持など労働契約関係立法問題(法改正の方向が労組や従業員代表制(必要ないと思う)の集団的労働関係によって個別労働者の適用の可否が決められてしまうことに強い不満があるだけでなく、そもそも労働基準法それ自体不合理であり、少なくともオーバータイム法制は低賃金低所得者に苛酷な長時間労働を強いることを防止する立法趣旨に限定することを徹底して、一定の収入たとえば600万以上は時間外手当適用除外にするようでなければだめ。生産性の低いホワイトカラーはもっと長時間労働すべきなのに、少子化対策とのからみで時間外手当を増やすなんてもってのほか)。ウォルマート絶対支持論、少子化政策批判、皇室典範問題をやっていきたいと思ってます。
 そこで本題ですが、秋田の能代のような地方の事件のわりには東京のキー局のリポーターが現場実況したり、専門家も現場検証して凄いなあと思ってるんですが、犯罪心理学者のコメントを拝聴しなくても、私の一目みた勘では鈴香被告は悪女じゃない。ワイドショーをみた感じでは娘より母が美人だなと思う程度のことで子供に同情しません。むしろ鈴香被告がマスメディアに「鬼母」よばわりされるのが気の毒だ。そういう人もいるでしょうよ、それがどうしたと思うくらいです。悪女というのは、上品ぶってて実はおそろしく下品な女とかですよ。むしろ生活保護世帯でガス契約もしていないという侘びしい生活で鈴香被告に同情します。大人のおもちゃを所持して何が悪いんだ。米国の保守的な州では大人のおもちゃを規制しているところもあるようだが、日本は自由でしょ。世の中にはもっと我が儘やりたい放題で悪い女はうようよいます。男性に女性の役割分担を押しつけようとするインテリ女や、セクハラで男を刺したりするのが本物の悪女です。鈴香はそういうタイプじゃないから好意的、少なくとも鈴香被告は私に害を及ぼすことはないし、悪い思想を喧伝しているわけでもないので同情するわけです。
 だいたい世間はフェミニストに迎合して良妻賢母教育を否定し、某有名歌手みたいに育児は婚家をかえりみることもなく生家の老親にまかせっきり、仕事もしたい、外タレと不倫もしてみたいそういう勝手な生き方を推奨してきたんじゃないですか。鈴香被告を非難する筋合いはないです。ワイドショーで育児抛棄だの児童虐待だの言ってますが、ドメスティックな領域に政府の干渉を強化することは反対です。

 川西正彦

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2005/12/29

補説「少子化」問題の分析と対策についての疑問

目次 (歴史人口学の理論)
   (社会経済的要因とその問題点)
   (文化的状況と問題点)

川西正彦(平成17年12月29日)

 皇室典範に関する有識者会議が「少子化」問題を持ち出しているため、「少子化」問題をフェミニストの図式に乗り、結婚観の変化や女性の社会進出にともなう時流とみなし、ひたすら働く女性の厚遇や子育て経済支援のような政策的議論になりがちな点について非難したうえで、私自身の意見を述べるともに、初婚年齢や出生力など人口統計上指標というものは、たんに時流とか単純に考えるのは誤りで、社会経済的状況、文化的状況によって変位する変数であることを強調するために若干コメントしておきたい。

(歴史人口学の理論)
 
 私は個人的に西欧の婚姻法制史に関心があり、家族史や歴史人口学は流行なので、ある程度の本は読んでいる。平均初婚年齢との関連で印象に残った理論についてまず述べる。
 歴史人口学ではヘイナルのライフサイクルサーバントの理論がよく知られている。西欧の晩婚型社会の説明であるが、日本の直系家族が親子共に汗を流して働く小農経営ですが、イギリスは伝統的に親子が同居しない絶対核家族社会である(むしろ老親と同居するようになったのは産業革命以後)。農村において子どもは男女とも十代前半までに両親と離れて奉公人になって技能を学ぶことになる。イギリスの伝統的な小農経営は赤の他人である奉公人をこき使って合理的な経営を行うのだ。親は子に経済的に援助もしない、奉公人が自力で世帯を形成できるようになるまで結婚は抑制されるので晩婚型で未婚率の高い社会になる。女子は年季奉公で持参金を蓄え、友人や場合によっては雇用主の援助も得て結婚するが、出産で費用がかさめば忽ち救貧民に転落した。しかし、産業革命で女子が工場労働に参入したことが持参金効果をもたらし初婚年齢が低下して人口増加になったものと私は理解している。
 我が国の歴史人口学(近世の宗門改帳・人別改帳の分析を基本とする)の代表的な業績についてもこの際、引用しておこう(註3)。速水融の美濃国安八郡西条村(現在の岐阜県輪之内町)の宗門改帳の家族復元による分析である。

 階層別の分家率と絶家率
(速水融『歴史人口学からみた日本』文春新書2001 125頁)

               分家率%   絶家率%
地主(持高10石以上) 29.4         0
自作(持高5~10石)  16.1      6.5
自小作(持高2~5石) 12.9      12.9
小作(持高2石以下)  15.8       35.0

女子の階層別平均結婚年齢( )人数
(速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社1992 230頁)
        奉公経験あり 奉公経験なし
地主     24.3歳(4)   21.2歳(26)
自作・自小作 27.1歳(24)   21.0歳(20)
小作      25.6歳(62)      22.3歳(22)
計        25.9歳(90)      21.5歳(68)
 
 地主層の絶家率ゼロに着目したい。小作層で戸主がいなくなった場合三回に一回は跡継ぎがいなかった。正確には跡継ぎを設けようとしなかった。これに対して地主は必ず跡継ぎがいて家の継承が行われた(註1)。なぜそうなるのか。地主の平均初婚年齢は21.6歳、小作層は24.7歳である。農民の上層と下層ではかなりの差があった。江戸時代においては4歳の年齢差は出生数に大きな影響を与えた。速水によると出産力が最も高いのが21~25歳層で婚姻内出生率0.319である。つまり3年結婚年齢が上昇すると出生数が1人減るという計算である。なおこのデータには史料に現れない乳児の死亡を含んでいないので、死亡率は25%として2.4年に1人の出産である。
 小作層の初婚年齢が高いのは出稼奉公による遅延により婚期が遅れるのである。これが決定的だった。出稼から帰った小作層の平均初婚年齢は25.6歳で、計算上求められる生涯出生数は4.2である(註2)。一方地主の平均初婚年齢だと5.3~5.4ぐらい(註3)。西条村の人口の置き換え水準4人の出生ということだが実際には夫婦のいずれかが死亡してしまうことがあり、初婚年齢25.6歳では人口を維持できない。速水によると西条村の場合24歳が再生産率をポジティブにする最も遅い年齢であるという(註4)。そのため小作層は絶家が多いのである。一方、上層農民は家系維持の戦略のためか比較的若い年齢で結婚して出生数も多い、その結果、絶家がないのである。貧乏人の子だくさんという俗諺は誤り(註5)だと速水融は言っています。
 京都所司代の板倉重宗だったか、女子奉公人は24歳になったら里へ帰したともいわれるが、適齢期信仰のクリスマスケーキ症候群というのは伝統的な感覚としてはそれなりに正しかったのである。これはあくまで西濃の一農村の事例であるが、江戸時代では家系維持のためには25歳以上の結婚はよくない。現代では置き換え水準が低くなっており20歳前半にこだわることもないのだが、私は人口問題という観点では、適齢期信仰を崩壊させたのは誤りだったし、高卒女子の安定的な就職により、適齢期までに退社するというパターンを崩さないほうがよかったと考える。 

このように、平均初婚年齢というものは、社会階層によっても異なるし、社会的経済的要因で変位する性格のもので、若年女子の労働市場、雇用構造、景気、賃金の男女差などによっても変位するものである。複雑なものであるから安易に女性の社会進出による時流などとして単純化してとらえるべきではない。

(社会経済的要因とその問題点)

 安藏伸治(註6)が、経済学の諸説を紹介しているのでいくつかを引用したい。女子の就業と結婚年齢に関しては、まずGoodeによると、女子の就業行動それ自体が持参金としての役割をもち、それゆえ女子の就業は結婚を早める効果がある。また、Sklarによると家計の一部として収入を得るという女子の能力や意欲を増加させることが、早期に結婚する決断を促す。従って女子の就業は初婚年齢には負の効果(引き下げる)を持つ。
 この観点から問題としたいのは1980代に大手都市銀行が高卒女子採用を短大卒にシフトしたことからはじまる若年女子労働市場の変化と、雇用構造の変化、とくに高卒就職が厳しさを増したことである。また高卒で就職して20年代前半に退職して結婚するという安定的パターンが崩れていったことが、初婚年齢の上昇と20代女性の未婚化の要因となっていると私は解釈する。1985年の男女雇用機会均等法は従来教員ぐらいしかなかなかとってくれないとされていた大卒女子の採用を促す(当時は好況期でニューメディア戦略などと称していた)一方、高卒女子と短大卒女子の労働市場における競合関係があり、短大卒と大卒の競合関係において、従来高卒女子を採用していた事務職が短大卒さらに大卒にシフトしていく傾向になった。それとともに大卒と高卒の賃金格差が男子以上に大きくなり、高学歴化を促した。大学進学率は経済学的には高卒との賃金格差が大きくなればなるほどが上昇する、経済学的現象なのあり、向学心が高まったとかそういう性質のものではない。そうしたことが、20代女子の未婚率上昇、晩婚化の要因となっていると思う。フェミニストの図式に乗り、結婚観の変化とか、男女役割分担意識の変化とか時流とみなすべきでないそういう若年女子労働市場における構造的要因があると思います。

 女子の就業は結婚を促すというのは持参金効果といって基本的には正しいのである。しかしそれと相反する見解がある。Preston and Richardsによると、「結婚生活における経済的な『割り当て(Sharing)』は、女子の稼得能力が高くなればなるほど、一般には、夫により多くの購買力が移譲することとなり、それゆえ妻の側により多くの結婚による犠牲を強いることとなる」とされ、結婚に関する決定権を女子が有し、家計のなかで購買力の男性への移譲を好まないならば初婚年齢は上昇するともいわれる。
 
 この論点に関して大橋照枝(註6)の1993年の著書がわかりやすく説明しており、我が国はこのパターンにはまってしまったのだと思う。
「(我が国の)女性の全年齢の雇用者の平均賃金は男性の57%(1991年)にすぎず‥‥男女賃金格差は、OECD諸国中最大である。ところが、同一学歴で卒業と同時に就職し、同一勤続年数で同一企業に勤務している標準労働者の場合には、大学卒の20代後半で男性の91・3%、30代前半で86.8%、高校卒では、20代後半で男性の84・5%、30代前半で80.0%であり」大橋氏の統計学的分析では男女賃金格差が少ないほど未婚率が高いとの結論である。「今日の女性は、学校卒業と同時に就職し、働き続けていれば20代~30代前半では男女賃金格差も少なく、ラクに経済的に自立できる」また社会通念であった適齢期プレッシャーがなくなった。「二五すぎたら売れのこる」「行かず後家」「オールドミス」「ハイミス」は死語になったとも述べている。
 ところで、わが国の企業は戦後、電産型賃金体系に象徴されるような生活年功給として再編されたが、1975年に高度成長が終焉し、雇用か賃金かの選択に迫られ、労使は年功主義を捨て能力主義に転換した、さらに90年代後半の低成長と高齢化により、再び雇用か賃金かの択一を迫られ労使は雇用の安定を求めて、上級職能に定昇がなく業績によってその都度リセットされる成果主義賃金を取り入れた。さらにリストラの進んでいる企業というのは、中核技術者は大切にしても、定型業務などは委託化・コンティンジェントワーカーへの置き換えが進んでいるのではないかと思うわけですね。
 これは私の考えですが従来の終身雇用生活年功給型の賃金体系というのは、女性の継続雇用や出産休暇・育児休業等のコストを見込んで成立したものではないから、女性を厚遇すればするほどコストは増大し歪んだ不健全なものになっていく。男女賃金格差が少ないほど未婚率が高いということは、フェミニストに迎合しないほうが健全だったということです。
 女子の25歳を曲がり角とする適齢期までの結婚退職という在り方のほうが人口問題からすればよかった。そのほうが未婚化を促すこともなかったと考える。諸悪の元凶のひとつは雇用機会均等法などフェミニストに迎合する政策だったと思います。
 いま外国との比較をする余裕がないですが、http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2005/17WebHonpen/html/h1410020.html をみますとイギリスでは合計特殊出生率は安定的に推移している。その水準は人口置き換え水準を下回ってはいるものの、1980年代後半以降、1.6前後の水準で推移している。2003年は1.71である。我が国と雇用構造が違って、若年男女の賃金格差が大きいためか、少子化は日本やドイツ・イタリアほど深刻なものではない。
 従って私の考えは、少子化対策というなら正規雇用において男女賃金格差を促す政策、女子の大卒と高卒の賃金格差の縮小により高学歴化に歯止めをかける政策が有効なのではないか。フェミニストの図式に乗りスウェーデンの政策のような女性の厚遇もってのほかだと思う。
 要するにやれ出産休暇だ育児休業だと働く女性の厚遇政策を疑問に思う。国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter5.html#51aによると結婚5 年未満では就業している妻が45 %、専業主婦が54 %いるが、子を持ちながら就業するケースは全体の中で2割弱(18.1 %)、正規雇用に限ると約1 割(10.7 %)である。女性雇用のコストを増大させるばかばかしい政策によって、その分コンティンジェントワーカーへの置き換えが進み、高卒女子の採用を見送ることになってはいないか。前回ブログで言及したように20代前半の若い層で出産ペースが上がっているが、働く女性の厚遇とさほど関係がないのではないか。むしろ一部の女性を厚遇するために、他の女性にしわよせがかかっている方が問題だ。
 
 次に結婚市場の影響としては男子にとっての結婚相手の幅が広がると初婚年齢は低下するとされる。男性の適齢期人口が多く女性有利の結婚市場であったことも初婚年齢を上昇させた要因と考えられる。
 次に男性側の観点であるが、安藏伸治(註6)によると父親の世代と比較した青年期の所得水準、つまり「相対所得」が増加すれば結婚や家族形成を早める傾向があると考えられるとするが、私は逆説的に考えたい。親の世代が高度経済成長期で安定した長期雇用であったとしても、子どもの世代は産業構造・雇用構造の変化から、必ずしも親の世代のような雇用水準でなく不安定な状況にある場合が多いと考えられる。フリーターやニートがメディアでも喧伝されるように、親の世代よりも社会的地位が低下している子どもも少なくないのであるから、「相対所得」の低下は未婚化を促す要因とみてよいだろう。だからいくら女性を厚遇したり子育て支援をしても、男性が社会経済的要因で未婚化が促されれば「少子化」は歯止めがきかないと思うのである。
 

(文化的状況と問題点)

 これまで述べたように社会経済的な要因は大きいと思うが、文化的状況も無視できないものがある。アメリカ合衆国は教会の礼拝に出席する国民が半数近くいて、この比率は欧州よりもずっと高く、バイブルベルト-草の根の保守的基盤が健全である。米国はもともと西欧のように独身の奉公人を抱え込む構造と違うため、初婚年齢の低い社会ですが、初婚年齢上昇に歯止めがかかり合計特殊出生率も2.04と我が国の状況とは違う。晩婚化や少子化が先進国共通の現象なのではないし、雇用慣行、構造の違いだけでなく、宗教の影響力とか文化要因も無視できないのである。過当に晩婚化が趨勢と見なす見解は誤りである。我が国ではフェミニズムの影響が濃く良妻賢母教育は崩壊してしまっている。
 また我が国では、異性との出会いのきっかけが主流の三大パターン(職場関係・友人等の紹介・学校で七割以上)に偏りすぎている構造も問題だ。国立社会保障・人口問題研究所の第12回出生動向基本調査(2002年)http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/chapter2.html#22表Ⅱ-2-1をみてください。夫妻が出会ったきっかけは、職場・仕事関係が32.6%、友人やきょうだいを通じた出会いが29.7%、学校での出会いが9.8%となっている。この三大パターンで72%超です。見合い結婚は減少を続けており、2002年の調査で7.4%である。
 女性の側は三大パターンで相手をみつけられない非主流の男はもてない、要領が悪い、人脈がないダメ男とみなしています。残りものはペケと考えている。女性にはじめから嫌われているので私自身も含めてそういう男性は結婚を諦めざるを得ません。お見合いは25年前に3割をきり10年ぐらい前には1割をきっています。ノーベル化学賞の田中耕一フェローが見合い結婚できたのはそれなりに社会的に威信のある職業についていたから。財産持ちかステータスのある男性ならともかく、庶民の男性が見合い結婚することは統計的にみても難しくなったと認識している。私なんかは最初の1秒でもうこれは駄目だというのがわかる。
 米国ではコミュニティが健全で、例えば教会で知り合うケースは少なくないが我が国ではほとんどない。欧州のようにダンスホールのような娯楽施設で知り合うというケースがありますが、我が国ではほとんどない。
 
 結論をいえば男女交際文化の貧困が「少子化」のひとつの要因だと思います。つまり我が国ではアメリカのデーティングのような下位文化は水曜ガールとか木曜ガールとといっても意味がわからないように全く受容されていない。高校卒業時のダンスパーティとかカレッジにおけるフラタニティーパーティーとかそういう文化も全く受容されてない。音楽とかジーンズとか服装の文化はともかく、本当の意味でのアメリカ文化は全く受容されていません。
 私はコックスの『世俗都市』塩月訳・新教出版社1967年(原著は1965)という神学書を読んで初めてネッキングという言葉を知った。同書の311頁「キンゼー報告の内容は、アメリカの大学生活を知っている者には容易に実証されるだろう。全然ペッティングを行わない学生はほとんどいない。しょっちゅう、一歩手前までペッティングを行ったり、オルガスムスに達するまでネッキングを行っている者の数は、ますます増大している。あるキリスト教大学の小なまいきな生意気な女子学生がつい最近、この二年間、週末ごとにオルガスムスに達するまでネッキングをしたけれども、一度も『最後の線までいった』ことはなかった。と私に請け合った」と記されている。
 週末ごとのデートというのが羨ましいが、このデート文化には最後の一線までいかないという暗黙の了解があるようだ。我が国にはこういう下位文化が全くない。ネッキングとは首に抱きつくことのなのか我が国ではあまり聞きません。だからオルガスムスに達するネッキングとはどういうものかよくわからないんです。
 桃色遊戯とか不純異性交友という言葉は死語になりましたが、戦中・戦後男女交際が非行とされていた時代が長くあって、今日でも男女交際は抑圧されていると私は思うが、少なくとも70年代半ばまでについていえば、男女交際は非行だった。当時の高校生男子の23%くらいしか異性の友人がいなかった。交際文化が公式的には否定されている状況で、見合いが著しく衰退したし、女性の適齢期信仰の崩壊は、男性の未婚化も促した。まじめな男性が結婚しにくくなった。街中で女を捕まえられればいいが、まず無理です。結局、性欲は代償充足に向かうこととなる。性コミックなどが代償充足型の我国固有の洗練された文化だと思います。独身の奉公人を抱え込む構造になっている西欧が伝統的に男子の生涯未婚率の高い社会とされてきましたが、生涯未婚率の高い社会になる可能性があります。
 スーパーフリーのような若者主催のイベント事業による交流や集団見合い型の合コン文化に期待したいと思いますが、これは歌垣とか我が国の古くからの若者と娘の風俗文化を受け継ぐものだと思う-歌のかけあいで罰ゲームとして帯をほどいたりして乱痴気に突入するのも土俗的伝統としてあります。これは日本的文化ですね。私は合コンの経験がないんですが、これは乱痴気に突入しなければ意味がないと思う。不幸なことに悪者扱いされてしまいとても残念に思ってます。

(註1)速水融「序章 歴史人口学と家族史」速水融編著『近代移行期の家族と歴史』ミネルヴァ書房2002 10~11頁
(註2)速水融『近世濃尾地方の人口・経済・社会』創文社1992 279~280頁
(註3)同上 217頁表9-4を参照した。
(註4)同上 280頁
(註5)同上 217頁
(註6)安藏伸治「初婚年齢の決定因」『政経論叢』(明大)57巻5/6号 1989
(註7)大橋照枝『未婚化の社会学』NHKブックス1993 23頁

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2005/12/04

神の宣告(創世記3章16節)は決定的だ-反男女平等-文化戦争突入宣言-

     (目次)
    男性優位主義が文明社会の鉄則だ
   女子差別撤廃条約の締約国の義務はCEDAWへの報告制度だけ
     特定社会階層の利益のための女性政策
  「人間の尊厳」を否定するが、男性の尊厳の回復を求める
  合意主義婚姻理論は形式的には対等にみえるが
  夫は領主(lord)、バロン(balon)と尊称されて当然
  妻は奴隷のように夫に服従すべきだ

川西正彦(平成17年12月4日)

男性優位主義が文明社会の鉄則だ

  このブログはいきなり、女帝反対論から入ったため、わたくしの反フェミニズムという趣旨について述べていなかったので、ここでおおまかに説明しておきたいと思います。そのうえで、有識者会議報告書の反駁を開始するとともに、文化戦争に突入するものである。
  文明世界の規範とは明確な性差別、男性による女性の支配である。ここでは西洋文明的脈絡から述べます。すなわち神の宣告、神が女に下した罰「なんじは夫をしたい、彼はなんじを治めん」(創世記3:16)つまり男性による女性の支配をいう。神の宣告だから忽せにできない決定的な価値です。これが、文明世界の秩序、鉄則、社会的正義であります。この規範からの逸脱は文明から転落、反文明とみなさなければならない。
 またパウロが教えるように「男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(第一コリント11:3)「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきでない。女はまた男の光栄である。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(第一コリント11:7~9)。「婦人たちは教会で黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(第一コリント14:34)
 私はコリント前書に忠実なんです。であるから真正パウロの勧告に従って独身だし、女どもの叛逆を許さない。女が男を貶めることは許さない。文明の規範提示者からの逸脱を絶対容認しない。男女平等とか同権とか、女子差別撤廃なんていうのは文明規範に対する叛逆です。秩序紊乱です。絶対容認しません。いわゆる男女同権論なるものはワイマール憲法あたりから、20世紀の新奇な思想なのであって、そんなのは鼻糞のように全く価値を認めないし、むしろ有害、環境ホルモンより恐ろしい害毒だ。現代社会はその反文明への堕落のただなかにあり、正気を失っている。大切な守らなければならない価値とはなんですか。それは西洋文明2500年の規範的価値であり、古代教父、古典カノン法、中世の聖人、神学者、教会法学者が提示する規範的価値、要するに私は文明の中核にある正統的な文化的伝統をあくまでも重んじる。そんなわけで、文明規範・社会秩序の回復と、『神のかたちと栄光を映す男性の尊厳の回復』という大義名分により、悪しき勢力、フェミニズム、男女同権論・平等論と戦う決意であります。
もっとも私は原初フェミニズム運動、19世紀だと思いますが、売春の国家的規制から売春婦を擁護する運動それ自体は否定しない。そもそも売春それ自体コモンロー上犯罪ではない。フェミニズムが社会的に汚名化された弱者としての女性を擁護する運動なら好意的にみることもできる。洗練したイギリス人は単婚主義の婚姻制度を維持するためのコストとして売春も必要と考える。だから非犯罪化論になる。
 しかし我が国のフェミニズムは社会的弱者としての女性の擁護というよりも、攻撃が男性に向けられ男性を貶めて喜ぼうとする極めて悪質なんです。中等教育(中学校の技術・家庭の家庭領域と高校家庭科)に男子生徒に家庭科履修を強要させたり、厚かましすぎる。男子生徒がフェミニストの我が儘な理屈のために人格形成に重要な青年期に無益でばかげた教育を時間をさいてしまっているのはあまりにも気の毒だし大きな損失だ。有害な教育政策を黙認してきた罪について、われわれ大人は子どもたちに懺悔しなければならないと思ってます。こんな男子への虐待に等しい教育課程は直ちに中止すべきだというのが私の意見ですが、女子差別条約との関連で学習指導要領が改訂されたわけです。しかし、女子差別撤廃条約というのは、これこれの教育政策を強要するものではない。条約の第三部一0条で教育における平等の達成を述べてますが、条文の解釈は締約国の自由ですから、条約の提案国であるソ連の技術教育は男子向きと女子向きで教育課程が異なるわけですが、ソ連が条約の批准で改めたわけでもない。別に条約のために高校女子のみ必修の教育課程を改定する必然性などなかったのです。職業教育や専門教育で女性の教育機会を閉ざしていなければ基本的に平等は達成されているということでもいいわけですよ。家庭科を選択科目にしても平等になりますが、選択科目という選択肢は家庭科教員の養成課程のある私大の経営を圧迫することもあり既得権益防衛のため採用されにくかったと考えられる。しかし家庭科教員の雇用を守るために男子生徒に無意味でばかげた授業をつきあわせているのは本末転倒である。学校教育の受益者が生徒でなく、既得権益のための学校教育に化してしまってます。男女平等もやかましくいえば、米国のように体育・スポーツも問題にしなければならない。皇室典範問題があったので公民権法タイトル9判例の研究をやってないので、最新の情報をみていませんが、米国ではカレッジの花形であるフットボールやバスケットボールなど男子スポーツに予算その他の権益が集中して女子スポーツをなおざりにしていることに非難があるようです。しかし、日本のフェミニストは男子に家庭科をおしつけて男子を貶めることに狂奔しましたが、体育では機能的にも視覚的にも優れていたブルマーをやめさせ、野暮ったい半ズボンにした程度であまりうるさくないのは矛盾しています。

女子差別撤廃条約の締約国の義務はCEDAWへの報告制度だけ

 女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国が批准していないので、これが国際的スタンダードな考え方であるわけではない)は人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっている。これは条約の趣旨ができるだけ多くの国に批准しやすいようにして、各国の義務については厳格に求める性格のものではないからです。あまり厳格にして、例えばイスラムのシャーリア法をやめろとか、あるいは女子割礼の慣習をやめさせろとか言ったら、多くの国が批准できませんからもともとぬるいんです。
 締約国の義務は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけ。要するに四年おきになんらかの報告のための実績づくりを政府にさせることによって、女性団体が監視して女性政策を促そうとするものです。
 浅山郁の1985年の論文(註1)によると、CEDAWの権限は弱く条約十八条で提案と一般的勧告をを行うことができるが、実際には「委員会の委員が度々、締約国による条約義務の不遵守(あるいは不十分な遵守)を認めたにもかかわらず、いかなる特定の締約国についてもその旨の意見発表は一度も行ってない」とのことです。もともと条文の解釈は締約国に委ねられているから、これこれの女性政策を締約国に強要というものではないです。例えばソ連の第一回報告では教育の分野について「憲法に基づいて教育の平等は完全に保障されている。なぜなら、教育は国家の手で行われているので、すべての男女に同一の授業内容をうけさせることが可能となる。教育上の男女差はすでに克服されてしまった‥‥」と説明してますが、中等教育の技術教育の男女別の授業内容を問うとか意地悪な質問もなく賞賛されるだけだったようです。そんなもんです。日本は1987年に第一回の報告を行ってますが、売春防止法を説明したところ、委員は「単純売春」に関心を示し、意味がわからないという質問が出たそうです。そんな程度のことです。たいした権威もない委員会です。
 いずれにせよ、女子差別撤廃条約は有害でした。米国のように批准しないほうがましでした。実際には条約の解釈はいかようにもなるんですが、フェミニストが勝手に条約違反とわめきたてることにより有害な政策が促されました。私は雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法はむろんのこと、セクハラ規制、児童買春・ポルノ禁止法、ドメスティックバイオレンス規制など厚かましいフェミニストが推進してきた政策の全てに反対であります。強姦処罰の強化・集団強姦罪の新設もきわめて不愉快です。ここではセクハラ規制についてだけ簡単にふれておきますと、これは異常なロマンティック・パターナリズムです。女に言い寄った、王様ゲームに参加したというようなことで大学教員が不利益処分をうけたりする。コンパに参加するというのは親しみやすくて良い先生だと思うんですよ。エリートや教授のような有能な男性がこんなことで挫折させられてよいのか。社会的損失です。女どもに目上の男性に対するリンチ特権を与えているのは異常なことであり、男性に対する虐待です。断じて容認できません。
 民法改正問題、夫婦別姓・女子法定婚姻適齢の16歳から18歳への引き上げについてももちろん反対です。女性は16~17歳が最も美しいと昔から決まっている。女子の婚姻適齢法制をみてみると合衆国では大多数の州で16歳は婚姻適齢です。コーネル大学LII のMarriage Laws of the Fifty States を参照してください。英国は男女とも16歳ですが、スコットランドは親の同意も不要、フランスは女子15歳が婚姻適齢、ドイツは配偶者の一方が18歳以上なら16歳で結婚できるシステムなので法制審議会が18歳引き上げが世界的趨勢とかいっているのは事実に反しています(もっとも私はイタリア・オランダ・スペインなど婚姻適齢を引き上げた国があることも知ってます。しかし日本より格下の国じゃないですか。米英仏独が一国も該当しないのに世界的趨勢と強弁できるはずがない)。民法改正問題、とりわけ夫婦別姓ですが、国会議員の良識と健全な社会階層の抵抗があり、これだけは法制化に至ってません。推進派の野田聖子議員に刺客が送り込まれたのでこの問題は一息ついていますが、しかし女帝容認でフェミニストを増長させるとこれも危ないです。
 一連の政策をみていきますと、ここまでフェミニストを増長させた罪は重いです。こういうばかげた政策の推進を黙認して未来を背負う子どもたちに申し訳ないことをしてしまったと悔やんでます。男子を虐待することが公認され、息苦しい社会になりました。このままでよいわけがない。フェミニズムに対する敵意は募る一方です。いよいよ反撃を開始したいと思います。
 
  特定社会階層の利益のための女性政策
 
  だいたい雇用機会均等法の最大の被害者は女子短大生だともいわれています。80年代に大手都市銀行が高卒女子から短大卒の採用にに切り替えたといわれてます。当時はサービス経済化といわれ好況期で求人は多かったのですが、右に習え式に事務職が短大にシフトしていったと言われてます。
  私は1978年に都立園芸高校を卒業してますが、高卒女子の就職はまだ安定してました。成績上位の生徒は一流企業の事務職に就職できた。当時は三年間で三日以上休んだら、大手都市銀行に推薦しないとか、化粧やパーマをしたりする女生徒は事務職でなく、生産工程労働者にしか推薦しないということで教師の締め付けがききました。
  しかし90年代高卒就職が厳しくなって教師の締め付けがきかなくなると女子高校生は超ミニスカ・ルーズソックスのコギャル現象化していくわけです。しかるべき安定した企業・職種に就職を斡旋していたから教師の締め付けがきいたわけで、そうでなくなると教師の言いつけををきかなくなったと憶測します。生徒管理が難しくなった原因がそのへんにある。もちろん不況期においても就職実績の良い躾のゆきとどいた職業高校もありますし、そういう公立高校があることを私は知ってますから。地域差もありますし過当に一般化はしません。
  問題は70年代までは結婚適齢期信仰というものがあって女子は高卒でしかるべき企業に就職して持参金を蓄えたえうえで24~25歳ぐらいまでに結婚退職するという安定的なパターンがあった。これが80年代以降崩れてしまい、20代・30代の未婚率が、男女とも急速に上昇していったことである。
   その一つの要因がフェミニストが結婚退職けしからんとか当時四年制大学の女子の割合が低いことなどを問題にして、この安定的パターンを敵視し破壊したために、それが少子化の原因にもなっているし、コギャル現象にみられるように大きな悪影響を与えたと思います。それは安易に高卒採用を短大にシフトした大手都市銀行をはじめ企業側の責任もあるし、それをみのがしてきた文部行政にも責任があると思います。職業高校であれば産業教育振興法で施設・設備や教師の産振手当、たぶん今でもあるんだと思いますが、社会的投資がなされているのに、しかるべき就職先が確保できないというのは教育投資上損失でもあるわけです。
  ひとくちにいえば1980年代以降女子の事務職採用が高卒から短大、短大から四年制大学にシフトしていったということですが、この状況をフェミニストに迎合して追認したことが間違っていたというのが私の意見です。短大生にとって不運だったのは、男女雇用機会均等法でフェミニストから圧力がかかって、ニューメディア戦略と称して有名企業も四年制大学卒女子も積極的に採用することとなった。それで割を食ったのが短大女子です。女子は男子と比べて大卒と高卒の賃金格差が大きく、大卒にメリットがあるため、進学率が上昇しましたが、マスコミで喧伝された就職氷河期でより深刻だったのは四大卒女子より短大卒女子だったといわれてます。短大は就職実績で学生を集めていて、多くの女子短大生が事務職志望なんです。しかし事務職採用が四大卒にシフトしていったので短大の経営が厳しくなったといわれております。ところがフェミニストはそうは考えない。氷河期でも大卒女子さえ救えばいいんだとか、特定の社会階層の利益ばかり考えているわけですよ。四年制大学の女子大生は中規模企業の評価が高い。大企業はもっと大卒女子を採用せよとかマスコミがさかんに喧伝してましたが、それをやって割を食ったのは女子短大生。女性政策というものが必ずしも公正なものではなく、ある特定の社会階層の利益にすぎないこともあるということを述べました。
  (男女共同参画は政策・方針決定過程への女性の参画の拡大が重要政策とされているため、女性エリートが最大の受益者でしょう。女性エリートは厚遇して活躍の場を与えましょうという政策ですから政府から特権階級というお墨付があると同然なわけです。大分前ですがタッキーと細木数子の番組でゲストがタレントの菊川怜でした。細木数子がズバリ「あなたはえばっている」と言いました。でも威張って何が悪いんだと思います。菊川怜は桜蔭-東大卒で最強です威張って当然です。東大さつき会人脈、桜蔭人脈というのは実態は知りませんが、庶民の多くは新特権階級だと思っている。田中真紀子がさつき会人脈なら外務大臣を追われることもなかったでしょう。片山さつきの「コイツ」発言も悪いはずがない。天下の東大さつき会人脈を非難するほうがけしからんのじゃないですか)

 「人間の尊厳」を否定するが、男性の尊厳の回復を求める

  私は「人間の尊厳」という概念を安易に認めたくない。そんなのは神学的フィクションにすぎない。創世記1章26節や27節から「神の像」として人間はつくられたという解釈を根拠とする思想であるが傲慢な考え方になりかねない。もっともロマ書13章の趣旨から王権・君主・統治者の尊厳は当然でしょう。しかしアダムの罪により人間は致命的に腐敗しているのだから、人間一般に尊厳なんて認めるわけにはいかない。それは傲慢な思想ですよ。人間性というものを基本的に信用しない。人間の倫理的資質は致命的に腐敗しているとみなす価値観は、アウグスティヌス以来の西洋文明千六百年の伝統ですから。「人間の尊厳」なんて安易に認めてはいけないんです。
 教父学の伝統についてここで深入りしませんが、神学的に精査するならば「人間(男性)の尊厳」と言いだすのは慎重でなければならない。「人間の尊厳」ですら否定的なんだから、「女性の人権」なんて認めるわけないでしょ。
 人間は善意があっても善を実行できない。望む善を行わず、望まない悪を行っている(ロマ7:18~19)。このことでパウロも悩んだ。アウグスティヌスも悩んだ。ルターも悩んだ。良心的内省的な人はキリスト教徒に限らずロマ書7:18~と同様のことを悩んでいるはずです。なぜならば人間の自由意思という実体はなく、脳内の物理化学的過程にすぎないから。結局、神の恩寵の超越性にすがりつく以外救いようがないということです。人権なんていうのは神の似姿としてつくられた人間の尊厳という神学的フィクションにすぎない、そんなものを軽々しく認めるわけには断じていかない。
 にもかかわらず、以上の留保のうえであえて「尊厳の回復」を求めたいと思います。つまり、男性が、女性によって貶められることがあってはならないです。それは文明世界の規範に照らし容認しがたい叛逆だから。女性による不当な攻撃とそれに迎合する腐りきった世俗政府に対抗し「神の姿と栄光を映す男性」(第一コリント11:7)の尊厳を回復しなければならないと。

 合意主義婚姻理論は形式的には対等にみえるが

 誤解がないように言っておきますが、キリスト教には性差を否定していると解釈されうる思想もある、例えばガラテヤ書3章28節、この意義については別途検討したいが、フェミニズム的解釈は誤りである。
 また中世教会婚姻法、教皇アレクサンデル三世(位1159-81)が決定的に採用した緩和的合意主義婚姻理論にもとづく、我は汝を我が妻とする。我は汝を我が夫とするというような現在形の言葉による誓約は、それ自体男女は対等の形式のように思える。
 中世神学最大の教師ペトルス・ロンバルドゥス(歿1159)の婚姻成立の方式に付いては、民法学者の塙陽子(註2)が次のように説明しているので引用する。教皇アレクサンドル三世が採用した緩和的合意主義的婚姻理論とロンバルドゥスの理論にほとんど隔たりはないと思う。
「先ず、合意が『私は汝を娶ろう』の意味において、≪ego te accipiam in uxorem≫≪ego te accipiam in maritum≫なる言葉でなされたとき、sponsalia per verba de futuro(未来文言の約婚)として婚約が成立する。これに対し『私は汝を娶る』の意味において≪ego te accipio in uxorem≫≪ego te accipio in maritum≫なる言葉で交換された場合には、 suponsalia per verba de praesente(現在文言の約婚)であって、婚姻はただちに成立する。しかしこの婚姻は所謂matrimonium ratum(et non consummatum)(未完成婚)であって、信者間にのみ成立する婚姻であり、原則として非解消で在るが若干の例外を認めうる。 すなわち、夫婦の一方が婚姻に優る状態であるところの修道生活に入る場合、又は教皇の免除(despensatio)を得た場合には解消しうる。この未完成婚の状態にある夫婦にcopula carnalis(身体的交渉)を生じた場合、始めて『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立する。これは絶対に不解消である。また、婚約の場合において、当事者がverba de praesentiを交換した場合、これは婚姻に転換するが、単に未完成婚にすぎず、完成婚になるためには更にcopula carnalis(consummatio)を要する。唯、verba de futuroを表示した当事者間においてverba de praesentiを交換する前にcopula carnalisを生じたときは、直ちに完成婚を生じた。したがってconsummatioは婚姻の成立に不可欠のものではなく、単に婚姻を不解消とするものにすぎない」
 図式化すれば以下のようになる。ロンバルドゥスは合意主義婚姻理論とされ、合意主義にこだわった神学者といわれるが、合衾の意義もそれなりに重視されており、巧妙に折衷させた理論といえるだろう。
①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)
②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)
③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)
④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)
古典カノン法の「推定婚の法理」の神学的論拠が④にある。
 
 また初期スコラ学者は、結婚の目的として、生殖とならんで、淫欲(情欲)の治療薬としての意義を強調した。「もし自制することができなければ結婚するがよい。結婚するほうが情欲に燃えるよりも良いからである」(第一コリント7:9講談社訳)。真正パウロは結局それくらいのことしか、結婚の意義づけを語っていないのである。コリント前書は西暦53年秋に執筆された疑う余地のないパウロ自身による真正の手紙であるから決定的な意味で重視したい。もし‥‥ならば結婚したほうがよいという仮言命法的な結婚の是認である。
 ペトルス・ロンバルドゥスによれば結婚の秘跡は罪に対する治療薬であり、恩寵を仲介しないものとされましたが、秘跡神学では婚姻の秘跡は結婚相手(男は女から、女は男から)から与えられるのであって(註3)、これは教会挙式主義を採用したトレント公会議以後のカトリック教会も神学的理念としては同じで、それ自体一見して男女対等の理念のようにも思える。要するに同毒療法としての結婚の意義、単婚非解消主義の夫婦の性規範においては男女は対等のようにも思える。また教会婚姻法はローマ法のように婚姻を権力関係ともみなさなかったし、ゲルマン法のように経済行為ともみなさなかった。それは秘跡であるから世俗的な支配-被支配の概念を超越しているともいえる。

 秘跡神学の結婚理念(註4)についてはまだ研究中途なので、とくに合衾の意義について十分精査していないので、結論的なことを述べませんが、伝統的な秘跡神学は(花婿)キリストと(花嫁)教会の統一を象徴するしるしとされ、花嫁は母なる教会に擬され女性の立場は十分に尊重されている。もともとキリストの花嫁とは童貞女の奉献を讃えるものだったが、11世紀より12世紀の秘蹟神学の進展により、結婚の意義付けにもなされ、人妻もキリストの花嫁とされたのです。
 簡単に言ってしまえば、夫と妻が(花婿)キリストと(花嫁)教会の統一に類比されているのですが、教会はキリストの望むことを望むのであり、キリストが指導者であり審判者であります。だから夫と妻の関係もおのずと明らかなことでしょう。ペトルス・ロンバルドゥスはコリント前書の11章の意義も論じていることも付け加えておきます。

 
  夫は領主(lord)、バロン(balon)と尊称されて当然
    
  近世イギリス、アメリカ植民地時代において、夫は妻より領主(lord)もしくは
バロン(balon)と尊称されていた。私はこのならわしを支持する。復活させるべきです。。
 ブラックストーンは婚姻の一般的効果としての夫婦一体の原則について次のように説明する「婚姻によって、夫と妻は法律上一人格となる。すなわち、婦人(woman)の存在または法律上の存在そのものは、婚姻中、停止されるか少なくとも夫のそれに合体され、統合される。夫の翼、保護、そして庇護(cover)の下に、彼女はあらゆることを行う。したがって、われわれの法律用フランス語では、feme-coventと呼ばれ、covent-baronすなわち彼女のbaronないし領主(lord)である彼女の夫の保護と権力のもとあるといわれる」。『英法釈義』1巻15章「夫と妻について」(註5)
 コモンロー上の夫婦一体原則について、私は家長である夫の主権と夫婦の羈絆性を明確にしている点で優れた法原則だと思っているが、前世紀に制定法により実効性を失った。それは社会的経済的状況の変化による。しかし、ロードもしくはバロンと尊称されてよいと思います。これはゲルマン法のムント(後見権もしくは人的保護権と訳される)に由来する。婚姻を経済行為とみなすゲルマン法を普遍的価値とみなすことはできないし、教会婚姻法や秘跡神学は婚姻の本質をローマ法のように権力関係ともゲルマン法のように経済行為ともみなしてはいない。秘跡神学では婚姻を教会とキリストの一致に擬され、女性は母なる教会に擬され尊重されており、結婚を封建的擬制としてとらえるものではないから理念的に合致するものでは決してない。しかし、結論を先に述べると、夫婦倫理としては文明世界の規範に合致する。創世記3章16節「なんじは夫をしたい、彼はなんじを治めん」という神の宣告は決定的なのであり、夫婦一体原則、夫はロード、バロンと尊称されるべき根拠となっているのであるから、秘跡神学の理念とずれがあっても全く正しい婚姻理念なのである。
 私がなぜ、ロードやバロンという尊称にこだわるのか。それは「神の姿と栄光を映す男性」(コリント第一11:7)の尊厳を回復しなければならないと考えるからである。

 家長たる夫は領主さまでなければならないのです。フェミニストは濡れ落ち葉だ粗大ゴミ呼ばわりして夫を貶めていますが、最悪です。こんなことが罷り通っているのは異常な社会ですよ。技術革新により家事労働は著しく省力化しているのに、夫にやらせようなんていうのは容認できない。そのような底意をもって男子高校生にくだらない家庭科教育を強制履修させている。人格形成にとって決定的な青年期に無駄な時間とエネルギーをかけさせている。あまりにも厚かましいじゃないか。ゴミ出しを夫にさせる妻は最低だ。家長としての夫はゴミ出しなんてやる必要は全くありません。そんなのはズバリ言います。ゴミだしは女の仕事です。領主さまが手を汚す必要はない。今日ほど男性の尊厳が毀損されているひどい時代はないと思います。  
 
 妻は奴隷のように夫に服従すべきだ

 次に新約聖書の家庭訓ジャンルです。これはペテロの第一の手紙と第二パウロ書簡(エペソ、コロサイ、第一第二テモテ、テトス)にある家庭訓です。これも西洋文明世界の家族倫理となっている。
 ここではペテロの第一の手紙についてのみ、聖書学者の荒井献(註6)より引用して言及します。これはペテロが著者でないことは文献学的な常識であり、2章24節以下がパウロの思想に近いこと、3章18節の信仰義認論、さらにパウロの同行者シルワノや同労者マルコに言及していることから、パウロ系の教会で成立した文書とみなされている。家庭訓は3章1節以下です。「同じように、妻たる者よ、夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく、清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるだろう。あなたがたは髪を編み、金の飾りをつけ、服装を整えるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和でしとやかな霊というという朽ちることのない飾りを身につけるべきである。これこそ神のみまえに、きわめて尊いものである。むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである」。
 聖書学者の荒井献氏は次のように説明する。「『仕える』と訳されているもともとのギリシャ語の言語はヒュポタッソーというギリシャ語でありまして、ヒュポというのは『何々の下に』を意味する前綴です。タッソーというのは『身を整える』。ですから『夫に仕えなさい』というのは夫の下に立ちなさい。夫に服従しなさいという意味です。(中略)もしもこの『同じように』が前の文脈の主人に対する奴隷の服従を受けるものとすれば、妻は主人に対する奴隷と同じように夫に服従せよということになります」。
 荒井氏がせっかく見事な訳出をされているのに、「もしも」と留保する意味がわからない。妻は主人に対する奴隷と同じように夫に服従せよという訳出でいいんじゃないですか。たんに夫に仕えるというよりは明確でわかりやすいです。それが西洋文明二千年の規範なのであります。東洋の三従の教えとはニュアンスが違いますが大きな隔たりはないともいえる。
 
 ここでは西洋文明2500年の伝統(旧約聖書)、2000年の伝統(新約聖書)、1600年の伝統(アウグスティヌス)、850年の伝統(古典カノン法-教会婚姻法)規範を逸脱しないことが原理原則であることを述べました。この文明規範の回復のためにわたくし川西正彦はフェミニズムとの文化戦争に突入することをここに宣言するものであります。
 そこでまず、時間的猶予のない皇室典範有識者会議の反駁に次回より着手したいと思います。

(註1)浅山郁「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社  (通号 30) [1985.07] 
(註2)塙陽子「カトリック教会婚姻不解消主義の生成と発展」『家族法の諸問題(上)』1993 信山社
(註3)ウタ・ランケ・ハイネマン著 高木昌史他訳『カトリック教会と性の歴史』三交社1996 20頁以下
(註4)枝村茂「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」  『アカデミア』 人文自然科学編,保健体育編   (通号 25) [1975.03] (南山大学創立25周年記念号)
(註5)上野雅和「イギリス婚姻思想史-市民的夫婦一体観の成立をめぐって」46頁 なぜか出所が不明になった。申し訳ない。
(註6)荒井献「新約聖書における女性の位置」『聖書セミナー』第1号1985日本聖書協会発行 162頁以下 『新約聖書の女性観』岩波セミナーブックス 1988も同内容。さらに『荒井献著 第8巻』岩波書店2001にも収録されているはず。

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