カテゴリー「ロックナー判決論」の14件の記事

2007/12/09

ロックナー判決マンセー論(14)

今回は技術的な議論に深入りせず、原理原則論にとどめます
 
法は自由を支持するという指導原則

 私が英米法の伝統を好む理由、法は個人的自由を支持してきたことが一つの理由である。直接的には経済的自由に関係するものではないが、新刊書(註1)でJ.H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」を読みました。それによるとイギリスでは隷農階級は遅くとも15世紀末までに消滅した。イギリス人は1600年には全て「自由人」になっていた。それはコモン・ローが自由を支持してきた帰結だったというのである。制定法によるものを除いてローマ法では奴隷身分を徹底的に固定するのに対し、コモン・ローは自由を確保するための訴訟手続きの多くを備えていたために、個人に対して平等な保護と近代的自由の形成を促し、17世紀の国制論争に教養的武器を与えたということが書かれている。臣民の自由(とりわけ営業の自由が重要だが)を擁護する基盤もそこにあったわけだ。
 既に13世紀の『ブラクトン法令集』に隷農制を脅かす理論的前提があった。その指導原則は法は自由を支持するゆえに、隷農は領主に対してのみ隷属的なのであって、この世の他の人々に対しては自由だと主張した。領主によって隷農身分から解放されれば血統の定めから完全に自由になる。そのうえ、隷農は国王裁判所において領主以外のどの人間も訴える権利があったいう。15世紀の国王裁判所主席裁判官であるフォーテスキューは次のように述べた。「……それが隷属が増加せしめ、人間本性が絶えず欲するところの自由を減少させるようであけば、必ず残酷だと見なされるであろう。隷属は人間にとって邪悪な目的によって導入されるが、しかし自由は神によって人間本性に刻み付けられているからである。……自由を支持しない者は神をも恐れぬ残酷者と見なされるであろう。こうしたことを考えると、イングランドのもろもろの法はいかなる事例においても自由を支持するのである」(註1)。
 いかなる事例においても法は自由を支持すると断言した。私は教会法の結婚の自由の理念も重視したいが、近代個人主義的自由は中世の法思想から発展したものだった。

中世の隷農より惨めな現代人

 私は現代における不法な隷属的状況を打開したいのである。やかましいほどの仕事の制限、業務遂行方法の統制、ジョブ・コントロール・ユニオニズムのために望んでもいないのに非能率的な働き方を強要される不自由。望んでもいないのに協約適用労働者にされてしまう不自由、働き方や人事管理が個別化しているのに集団的労働関係に束縛される不自由。望んでもいないのに労働時間を規制される不自由。
 男女役割分担の定型概念打破という(男も育児に参加せよとの-我が国ではワークライフバランスが著しくフェミニズム的に潤色されて理解されている)フェミニスト官僚の自己満足のために「ノー超勤ウィーク」で仕事の中断を強要される不自由。これは誠実な勤勉さという倫理的価値を否定し、ビジネスより家庭を重んじるばかげたライフスタイルを強要するもので個人の自由の完全な否定である。もはやソフトファシズムといってもよいだろう。
 そしてなによりも、労働組合の威圧、脅迫、強要、実力行使により就労、業務遂行を妨害される不自由。労働組合の本質は他者の労働力取引を威圧によって規制することにあるから、本質的に個人主義的自由の最大の敵なのであります。労働基準法などの労働者保護立法も同じことです。
 自らが自己自身を所有し自らの労働を自らの望む条件で、他者(労働組合の威圧、強要、暴力や政府の立法規制・命令)に干渉されることなく自由に自己自身を利用する権原がなければ自由とは言えないのです。この不自由な社会のありかたを正したいとという存念であります。なぜならば中世において隷農身分ですら、法的に領主以外のいかなる他者からも自由であったことを考えると、現代社会は他者からの強要、妨害が正当化されることが多過ぎる。隷農以下のみじめな状態になりさがっているとしかいいようがないからであります。法によって自由が擁護されない悪い社会である。
 しかし現代人の大多数は自由を欲しない。自由より隷属を欲するのである。私がロックナー判決を支持する一つの理由は、近代個人主義的自由のエートスを一定程度憲法化した意義である。それは個人の自由ないし選択の自由を増進すると予測された。自立した自己は、政府からの干渉から自由に、経済的、社会的欲求を追求できるいう価値観の体現でもあった(註2)。今日では大多数の人はロックナー判決を過ちとみなす。自由を欲しないのである。自由を否定して規制されなければ気が済まない。自恃の精神が何もない依頼心の強い腐った人たちというほかない。それは人間が悪辣になったのも一つの理由だろう。自由な精神-それは神律に従い、清く正しく善と社会的責務をなすことを第一義とする自由であります。自由とは放縦を意味するものではない。道義的に正しいことをなすことを妨げられない自由なくして、利害と打算でなく倫理的に正しい行動を妨げられない自由なくして「美しい国」はありえないのであります。その自由な精神を欲しないということは、もはや滅びの群れにふさわしい人間に値しない人々としか言いようがいない。
 銀河に輝く星のように数多くの聖人を出した中世のほうが偉大な時代だった。テクノロジーは現代が中世よりも進歩していることは間違いない。自由を欲しない現代人の文明の質は落ちている。堕落している。
 ロックナー判決はレッセフェール論を体現したものだともいわれる。それは倫理重視の思想であり。基本的に正しいものである。歴史家M.L.ベネディクトはレッセフェール論の倫理的主張を次のように説明する。「レッセフェール信奉者は……需要と供給の関係に基づき、自由な取引によって当事者が合意した価格は、その内容がどうであれ、公正な価格である。……自由な取引の結果を変更しようとする政府の行為は、政府の介入がなければよりよい結果が得られたはずの取引当事者の権利を侵害するものである。……とくに労働者にとっては、賃金のみならず労働条件や労働時間、賃金の支払方法も取引の対象となるのである。これらのどれであれ変更しようとする立法は、当事者の自由な取引に対する不当な介入となるのである。……この経済システムは、人々の自由に取引する権利を政府が保障してはじめてうまく機能する。したがって、ある会社が他の会社の市場参入を妨害したり、二つの会社が共謀して商品の供給を操作しようとすることは違法とされなければならない。同様に、労働者の団体が共謀して、他の労働者がより低い賃金で働こうとするのを妨害するのも違法とされなければならないのであった。レッセフェールを主張する人々は、このシステムの下では、才能があり、勤勉で、志操堅固な人は成功し、これらの美徳を欠く者は没落すると考えられていた。……レッセフェール論者によれば、民主主義には、無知で怠惰で非道徳な貪欲な連中が、政府の力を使って、自由な市場では得られない有利な取引をもくろむという重大な危険があった。『怠惰な』労働者は、一日の労働時間を八時間に制限する法律を制定させることによって、もっと長時間働こうとする人々から職を奪おうとしている。これは、同じ賃金でもっと多くの労働を得られたはずの使用者の権利と、自らの勤労意欲を十分発揮できなかった勤勉な労働者の権利を侵すものであった。したがって『八時間労働』法は、あるクラスの犠牲の下に他のクラスの利益を図る『特殊利益立法』ないし『クラス立法』なのである。このような立法は、政府は国民全員の利益を平等に保護しなくてはならない原則をないがしろにしていた」(註3)。
 労働組合や左翼はILO創設時の1号条約(工業における1日8時間・週48時間制)1930年ILO30号条約(商業・事務所の1日8時間・週48時間制)があり、1日8時間労働は労働運動の成果として、労働者の権利などと主張するだろうが、私は全く逆の見解である。労働時間規制は、特定の人々だけの利益にほかならず、それが間接的なものであれ、個人の労働力取引の自由を侵害するもので、勤勉で使用者に忠実、協力的な労働者の権利を侵す。法は営業・就労の自由と、誠実な勤勉さという公序良俗を支持すべきなのである。
 正直・勤勉・節制はアメリカ人の美徳であった。志操堅固で勤勉に努力した人が報われる社会の方が、他者の労働の自由を犠牲にして特定のクラスの利益を図る労働政策をとる社会より正しいのである。なによりも法の平等な保護を否定することは許し難いのである。
 
  

自由の復権のための方策

 私は自由の復権(現代は悪人への隷属と束縛が強化された悪い時代だと思っている)のために労働力取引の個人主義的自由を復権させる大義を目的として、その基礎となる理論について本ブログにおいて、中途半端ではあったが言及してきた。例えばコモンローの営業制限の法理及び共謀法理、合衆国憲法の実体的デュープロセス(契約の自由)、20世紀初頭から20年代の全米製造業者協会などのオープンショップ運動。現代法では労働組合にも不当労働行為を定めるタフト・ハートレー法や、労働組合員とならず組合費の支払いも強要されず雇用される勤労者の権利を定めた米国南部を中心とした23州とグァム島のの労働権法(Right to Work law)、組合自治への干渉を強め、労働組合の力をそいだ80~90年代の英国保守党による労働改革、さらに理想的にはニュージーランド国民党による1991年雇用契約法(Employment Contracts Act)のように個人は企業と直接雇用条件を定め、労働協約や集団的労働関係に束縛されない個人の雇用契約(代理人を自由に選べる)が可能なようなありかたについて言及(つまり理想は現実に実現されていることだ-我が国では90年代のニュージーランドにおける行政改革や郵政民営化は紹介されているものの本質的に重要な雇用契約法を見落としている)してきた。
 
 しかしあと二つ足りないものがあった。アメリカ法で発展した、反トラスト法による労働組合活動の規制とレイバー・インジャンクション(裁判所による争議行為の禁止命令)の研究である。これらをひっくるめて、体系化していきたい。現代の汚れた社会と対決し正義回復のために微力といえども尽くしたいとうのが私の人生目的であります。
 レイバー・インジャンクションに関しては、まず1895年のデブス判決の意義を明らかにすべきだろう。

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(註1)J.H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」R.Wデイビス編鷲見誠一/田上雅儀監訳『西洋における近代的自由の起源』慶応義塾大学法学研究会2007年所収。
(註2)スティーブン・フェルドマン著猪股弘貴訳『アメリカ法思想史』信山社出版2005年144頁参照
(註3)M.L.ベネディクト著常本照樹訳『アメリカ憲法史』北海道大学図書刊行会1994年 120~121頁

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2007/11/18

ロックナー判決マンセー論(13)

 私は東京都副知事、水道局長あてに職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保されていない現状を改め、庁舎構内の無許可集会の監視と解散命令を発出すること。旗、幟、幕、プラカード、はちまき、腕章、ゼッケン、拡声器を庁内管理規則で明文で禁止することを求めたいと思います。年内にやる予定です。たぶん管理職は労働組合の既得権を保持したいので叩き潰しにかかるかもしれませんが、それが脅迫者の威圧力を強め、いかに悪い職場環境を醸成してきたかということを具体的な事例を挙げ論証したいと思います。
 とりわけ旗の持ち込みにはこだわりたいです。組合旗(赤旗)ほど嫌悪するシンボルはないからです。11月15日に都労連の2時間ストライキが予定されていたわけですが、直前になって中止になった。時限ストライキを構えた争議行為は東京都水道局は毎年最低2回、多いときは3~4回ぐらい。最近では平成17年に水道業務手当闘争でストライキをやってます。
 そもそも私は平常時に組合掲示板にスローガンが書かれた組合旗の赤旗が掲示されているのも不快ですし、闘争宣言文やストライキで闘うぞ等の違法行為を煽る文言が掲示板に貼られても、管理職は何も注意することがないこと自体不快です。闘争期間中の集会やビラ貼り闘争でも組合旗の掲揚がありますが、必ず赤旗が掲揚されるのはストライキの時、庁舎敷地内に赤旗が掲揚されます。赤旗の掲揚がストライキ突入の標識にもなっているわけです。ストライキの態様というのはビラ貼りをしてピケを張って、庁舎構内の駐車場などを占拠して旗、幕、拡声器を持ち込み、はちまき、腕章を着用して集会をする。中に入った職員はパトロール隊が罵声をあびせにきます。庁内管理規則が徹底していれば組合の集会を庁舎敷地内から追い出すことが可能ですが、そもそも旗などをもちこんだ示威行為を明文で禁止してないし、監視も解散命令もやらない慣行なので、そうした態様が許容されている。

 新入職員で組合に加入していない人は、管理職からピケラインを突破せず、屋外のめだたない指定の場所で待機しているよう指示されます。私のような非組合員には事前に組合役員からストライキの指令に従うよう話しがありますが、やらないというとお前の行為は利敵行為だとかいって恫喝、威嚇をしてきます。当日パトロール隊が6~7人よってたかって罵声を浴びせてきますが、その前に組合役員が三六協定拒否なので8時半前に職場に入ってはいけないと釘をさされます。管理職は8時半前だから、超勤拒否闘争と同じように、職場から追い出す義務があるということを言うわけですが、非常に奇妙な理屈です。今回も15日のストライキ時に三六協定協定を締結してまらせんが。三六協定を争議行為に利用しているわけです。
 私の場合はストライキの時はいずれもピケを突破して職務に就いてます。庁舎管理規則でも正常な通行は妨害できないことになってますから、たとえ罵られようと、威嚇、恫喝、当然擦れ合いもあるだろう。場合によって殴り合いにもなっても誠実労働義務としてやりますよ。ところが三六協定拒否で8時半まで庁内に入らせないという名分で、組合は通行を妨害しようとするのです。つまりこれは庁内管理規則にいう正常な通行ではないと。そんな無茶苦茶な理屈があってたまるか。だから庁舎管理規則では「正常な」という解釈の余地を残す必要ないです。つまり私は、東京都の庁内管理規則は組合のストライキにも好意的に解釈する余地のあるものとして問題なのです。
 赤旗を嫌悪するのはそのためです。ストライキ設定の日に赤旗をみるということは、組合の威嚇、恫喝、罵倒、侮辱に屈することなく誠実労働義務を果たすということで、これから決闘に臨むような相当な緊張感を強いられますから。赤旗を見ると、それは示威行為のシンボルであり暴力、威嚇、威圧、恫喝、罵声、侮辱というものを連想しますから、これほど嫌悪するものはない。だから旗は庁内管理規則で規制すべきだ。よそでは規制していることだから、その気になれば東京都でも規制できないわけではないと申し上げたいと思います。
 管理職は違法な通行妨害、就労妨害がないか、監視しているわけでは全くない。集団で罵声をあびせられたって管理職は助けてくれませんよ。就労妨害・業務妨害是認ですからね。管理職はピケッティングで労働組合が最大限の威圧力(それは人格を否定するような暴力でないあらゆる恫喝・威嚇行為)を発揮しうるというプローレーバー法学に好意的なんですから。さらに三六協定拒否闘争ほを是認しているので組合の就労妨害に加担するのがコンプライアンスだ。非組合職員を職務に就かせないようにすることが管理職のお勤めということになってますから。さらに、管理職が動員されてストライキ中の1時間とか2時間のストライキ中、窓口業務や電話受付をするんですが、私が折角ピケライン突破して仕事に就いているのに、組合を刺激するから仕事してくれるなと言うんですね。管理職は普段やってない仕事をやっているわけですから、客の応対は私のほうがずっと慣れてるし、人手はたりないわけですから、仕事をさせないのがしきたりなんだとか恫喝するんでずが、こちらは黙示的協力義務がありますから、当然電話が鳴れば出るし、来客があれば応対します。仕事をしている真面目な人は不愉快だと言うのです。管理職が労働組合に忠実であることを強要しているわけです。アメリカの民間企業に適用されるタフト・ハートレー法では、使用者が被用者に労働組合員たること(例えば組合の指令に従うべきこと)を要求することは不当労働行為になりますが、東京都水道局は逆に職員を争議行為に巻きこませることが管理職の職務と考えられている。
 そういう組合の闘争が毎年最低2~3回、多い時が4~5回ありますから。本音を言ってしまえば、ストライキ設定当日登庁して、百メートルほど前で赤旗が掲揚されてないことがわかると本当にほっとします。予測される就労妨害に対して状況如何によっては殴り合いを覚悟します。プロレーバー法学では実力行使を是認してますから、組合がもしそう言う立場で、公務員にスト権が認められたら、人身拘束でも拉致でも何でもやってくるでしょう。ストライキの日は鞄を持たないのは擦れ合いを想定しているためです。最低限擦れ合いや恫喝・侮辱その他の危害を覚悟してますので、それを免れたというのは本当にほっとするわけですね。私自身喧嘩好きな人間じゃないから。管理職が争議行為に好意的だから一対多数で立ち向かうのですから、そう言う緊張感を強いる職場というのは本当に良くないなと思いますね。
 下町や工場街で育った人は、汚い言葉や、喧嘩にもなれているかもしれんないが、私は高井戸の上水学園-烏山北小-烏山中-都立園芸高校で教育を受けてますが、郊外住宅地で育っていて、人と喧嘩したこともないし、優等生だったからおっとり育ってますから。基本的に騒々しいことや、争いごとを嫌いますから。
 そんなわけで私は労働組合の示威行為を容認している東京都ってろくなもんじゃないと思ってます。後日書きますが、かなり苛められてますからね。でもオリンピック招致の署名は協力義務として書きましたよ。本当は実家に行って母に署名して貰いたかったんだけど、時間がなくて自分だけです。でもシカゴも大都会だし好きですよ。シカゴトリビューンは登録して、たまには見てますよ。シカゴは東京都では禁句なんだこの野郎叩きつぶされるぞいわれるかもしれませんが、私は石原知事みたいな反米主義じゃないから。組合の方がもっと無茶苦茶いってますよ。最初の年でしたか、勤務時間内の集会で組合の交渉にのこのこ知事が出てきた。石原みたいな高等遊民は世間知らずで大衆運動の力を何も知らないとか、完全に虚仮にしてましたよ。
 英米法ではコモンローのパプリックニューサンス(公的妨害)、衡平法のインジャンクション(差止命令)法理がありますが、私はアメリカのレイバー・インジャクションの法理に関心があります。衡平法の淵源については、神への崇敬と慈悲に訴えるキリスト教徒の本来の欲求である福音の救済という教会法理念から、衡平と善という自然的正義の請願に合流し訴訟分野で発達したものとされていますが(註1)、レイバー・インジャクションは、たんに経営者の事業の妨害から守るというだけの意味ではなく、個人の就労の自由を守るという意義もあるのです。アメリカでは事業の持続的運営の干渉(列車運行の妨害、ストライキ不参加者の就労妨害、ストライキの勧誘)も財産権の侵害とみなされて、1892年のコーダーレーン判決が組合からの圧力から保護される権利として雇用主と非組合労働者の個人的自由を明解に「財産権」と規定した。この財産権の擁護と、反トラスト法であるシャーマン法の労働組合への適用により、アメリカでは1880~1930年に4300件のレイバー・インジャンクション(争議行為の差止命令)が出されましたとりわけ1920年代にはストライキの25%に差止命令が出された秩序は維持されていたのです(註2)。アメリカでは先にのべたように30年代ノリス・ラガーディア法以降、労働組合活動が保護されることとなりますが、30年代以降の展開の問題点については別途取り上げたいと思います。
 19世紀の名裁判官 フィールド判事のBUTCHERS' UNION CO. v. CRESCENT CITY COの補足意見を想い出して下さい。
  「かの偉大なる文書[独立宣言]において宣言されたこれらの不可譲の権利のうちには、人間がその幸福を追求する権利がある。そしてそれは‥‥平等な他人の権利と矛盾しない方法でなら、いかなる合法的な業務または職業にも従事しうる権利を意味するのである‥‥同じ年齢、性、条件のすべての人々に適用されるものを除き、いかなる障害もなしに職業に従事する権利は、合衆国の市民の顕著な特権であり、彼等が生得の権利と主張する自由の本質的な一要素である。[アダム・スミスは国富論において]『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』と述べているが、それはまことにもっともなことである」(註3)
 各人が自らの労働のうちに有する財産という考え方はジョン・ロックにもあります。当局は本音はともかく極めて形式的とは言え、ストライキは公務員として信頼を損なう行為として示達しているわけで、当然就労することは正しいんです。就労は義務であると同時に就労によって生計を得ているわけですから、就労妨害は私の財産権と幸福追求権の侵害であると主張することもできます。
 しかし、プロレーバー法学はそうではない。組合の指令に従わない個人を威圧・威嚇は当然のこととしてビケを突破する人は実力行使で逮捕してもよい。労働基本権というからにはストライキで実力行使を認めていいんだ。労働者は階級的集合人格に吸収されて、自律的自己決定は一切認めない。
 私とは180度対立する思想ですから、妥協の余地などない。私は複数の管理職から考え方を改めるべきだと言われたことがある。私が組合のビラが気になって仕事にならないと苦情を言うと、組合の示威行為も気にしないようにならなければならないというんですよ。郷に入れば郷に従えといわれたこともある。それはあなたの処世術でしょと言い返したい。
 東京都は業務妨害、就労妨害を認めちゃって、規律のある業務の運営態勢を定立していないのだから、そちらを改めるべきなのだ。

(註1)海原文雄「英国衡平法の淵源(二)『金沢法学』4巻1号
(註2)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房(京都)2007年 168頁
(註3)田中英夫『デュー プロセス 』東京大学出版 1987

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2007/11/14

ロックナー判決マンセー論(12)

承前

 昭和63年12.08 最高裁 第一小法廷北九州市交通局三六協定拒否闘争事件判決〔民集42巻10号〕http://www.lios.gr.jp/hanrei/rouki/04058.htmlとの関連で三六協定拒否闘争が、争議行為ではないかと当局に質問したところ、当局は、この判例は超過勤務が平常勤務として組み入れられていたバス運転手の例であるとして、この事例とは違うという趣旨を言っていたが、しかし実際に昼休み時の窓口電話受付業務を拒否している。普段は実務をやらない管理職に不慣れな仕事をさせている。平常やっているこの仕事をやらないのだから、バス運転手の例と大差はないのである。
 というより、本質的に東京都というところは労働組合の示威行為を容認し、国労札幌地本ビラ貼り事件判決(最高裁第三小法廷昭和54・10・30『労働判例』329)の示すところの、「職場環境を適正良好に保持し規律のある業務の運営態勢を確保しうる」企業秩序の定立が全くなされていない。

 国労札幌地本判決の意義はプロレーバー学説の、受忍義務説と違法性棄却説を明確に否定したことにあるのだが、東京都はこの水準には全然達していないのだ。その実例をひとつひとつ挙げたいところだが、東京都の管理職が施設構内の労働組合活動について労働基本権が使用者の施設管理権を制約するというプロレーバーの受忍義務説に好意的だと思うのは、実際に管理職と話して「受忍義務」という言葉を発したからだ。庁舎構内における労働組合の無許可職場集会について監視せず、解散命令や就業命令はいっさいやりません。組合の示威行為を制度的に容認している。結果的に労働組合の威圧力を強め、規律ある行動をとりたいまじめな職員を萎縮させ、争議行為に加担している。
 制度的にというのは、東京都の庁内管理規則(「水道局の庁内管理規定も同じ)で、腕章・はちまき・ゼッケン・旗・幟・プラカード・拡声器の着用又は持ち込み。集会・演説を明文で禁止してないんです。http://www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g1010033001.html
一 庁内において、拡声器の使用等によりけん騒な状態を作り出すこと。
二 集団により正常な通行を妨げるような状態で練り歩くこと。
三 前号に定めるもののほか、正常な通行を妨げること。
四 テント等を設置し、又は集団で座り込むこと。
五 清潔保持を妨げ、又は美観を損うこと。
六 凶器、爆発物その他の危険物を持ち込むこと。
七 庁舎その他の物件を損壊すること。
八 寄附金を募集し、又は物品の販売、保険の勧誘その他これらに類する行為をすること。
九 印刷物その他の文書を配布し、又は散布すること。
十 はり紙若しくは印刷物を掲示し、又は立札、立看板、懸垂幕等を掲出すること。
十一 面会を強要し、又は乱暴な言動をすること。
十二 前各号に定めるもののほか、庁内の秩序を乱し、公務の円滑な遂行を妨げること

「拡声器の使用等によりけん騒な状態を作り出すこと」という項目はありますが、拡声器の持ち込んだ集会自体を禁止してない。実際、東京都水道局では勤務時間内事務室内の頭上報告とよばれる集会でも拡声器が用いられています。立て看も撤去されずに放置された例を私は知っている。
 私は仕事で都第二本庁舎を訪れたとき、第二庁舎前のNSビルとの間にある半地下の広い空間での勤務時間内動員集会(水道局全水道東水労の集会)が終了し、ビルの中に入って、組合旗の赤旗を先頭にして、はちまき、ゼッケンを着用した態様でシュプレヒコールを叫びながら、デモ隊のように練り歩きエレベーターに乗り込んでいく長蛇の列と遭遇しました。監視も解散命令もなし。そもそも旗の掲揚、持ち込みは明文で禁止されてないのです。「集団により正常な通行を妨げるような状態で練り歩くこと」を禁止してますが、緩い解釈をすれば、集団練り歩きは、来庁者の通行を故意に妨害しないということて容認されうる文面になっている。

 東京都が制度的に示威行為容認というのは、上記の庁内管理規則の緩さからも明らかだと思います。私は、水道局品川営業所、江東営業所、千代田営業所などで勤務した経験で、ストライキ時には赤旗や幕などが掲揚され、闘争時の勤務時間内構内での職場集会でも赤旗などが掲揚されます。というのも敷地内で旗の掲揚を明文で禁止してないのです。たんにこの1点だけでも労働組合の示威行為容認であることは明らかでしょう。
 
 一方、これとは対照的なものとして国の九段第二合同庁舎(東京法務局・麹町税務署・中央労働基準監督署・関東運輸局東京分室等のある)正面玄関自動扉前に設置されている2個にある立て札について述べます。千代田営業所に勤務していたため、仕事上法務局の窓口に屡々訪問したので立て札のことをよく覚えているからです。庁舎構内において次の行為を禁止すると書かれています。
 1、凶器・危険物の持ち込み。2、腕章・はちまき・ゼッケン・旗・幟・プラカード・拡声器の着用又は持ち込み。3集会・演説・座り込み、及びこれに類する示威行為の禁止。4、面会の強要、・文書の頒布その他管理を妨げる行為。
 要するに国は、組合活動とは名指ししていないもののの庁舎構内での職場集会や示威行為は明確に禁止しているわけです。

「防衛省本省市ヶ谷庁舎の管理に関する規則」PDF  http://jda-clearing.jda.go.jp/kunrei_data/a_fd/1999/ax20000330_00038_000.pdfはこうです。

庁舎管理者は、庁舎に立ち入ろうとする者の人数、行動その他の事情から判断して、これらの者が示威運動その他庁舎における秩序を乱す行為をするおそれがあると認めるときは、庁舎への立入りを禁止するものとする。

(禁止又は退去命令)

庁舎管理者は、庁舎において次のいずれかに該当する行為をした者について、第22条庁舎の管理上必要があると認めるときは、その行為を禁止し、又は庁舎から直ちに退去することを命ずるものとする。

1)職員に面会を強要すること。
2)銃器、凶器、爆発物その他の危険物を庁舎に持ち込み、又は持ち込もうとすること。
3)旗、のぼり、幕、宣伝ビラ、プラカードその他これらに類する物又は拡声器、宣伝カー等を所持し、使用し、又は持ち込み、若しくは持ち込もうとすること。
4)庁舎管理者が立入を禁止した区域に立ち入り、又は立ち入ろうとすること。
5)建物、立木、工作物その他の施設設備を破壊し、損傷し、若しくは汚損し、又はこれらの行為をしようとすること。
6)文書、図面等を配布し、若しくは掲示し、又はこれらの行為をしようとすること。
7)多数集合し、放歌高唱し、練り歩き、その他これらに類する行為をし、又はこれらの行為をしようとすること。

8)座込みその他通行の妨害になるような行為をし、又はこれらの行為をしようとすること。

9)金銭、物品等の寄附を強要し、若しくは押売りをし、又はこれらの行為をしようとすること。

10)前各号に掲げるもののほか、庁舎における秩序を乱し、若しくは職員の安全を脅かすような行為をし、又はこれらの行為をしようとすること。

集会や演説、ゼッケンやはちまきを明文で禁止してない点につき疑問に思いますが、旗・のぼり。拡声器は禁止してます。

 「新潟県庁舎等管理規則」http://www.pref.niigata.jp/reiki/reiki_honbun/e4010323001.htmlでは
 座込み、立ちふさがり又はねり歩きをすること。放歌、高唱若しくは演説をし、又は拡声器を使用すること。物品の販売、宣伝、勧誘、寄付募集その他これらに類する行為をすること。はり紙、看板、プラカード、旗、幕その他これらに類する物を掲示し、又は掲出すること。その他の仮設物を設置し、又は定められた場所以外の場所に物件を置くこと。集会その他の催物を開催することを禁止しており、旗、幕、その他これらに類する物、集会は禁止しており明らかに東京都より細かく規制している。

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2007/11/11

ロックナー判決マンセー論(11)

承前

 ロックナー判決マンセ-の含意は、労働者保護立法への敵意・憎悪、古典的自由主義を殺害した進歩主義、階級立法への敵意・憎悪の表明というだけではないです。多数者の横暴によって悪法を作りだす民主政体への不信感も含んでいる。
  混乱した記述になってますが、それは純粋に憲法理論や契約の自由の問題をとりあげてるわけではないからである。
 雇用契約における英国コモン・ローの被用者の黙示的義務条項は合衆国憲法判例であるロックナー判決とは直接的には関係ない。契約の自由の脈絡とは別の事柄であるが、しかし、ここでは労働時間規制、オーバータイムの問題を扱っているから被用者の黙示的義務も絡めて論じなければならない。
 例えば東京都水道局の三六協定拒否闘争(超過勤務拒否闘争)というものがあるわけですよ。年末とか年度末のような繁忙期に大きな闘争になると1週間とか10日とか設定されるわけですが、組合役員が大声で号令をかけて、定時退庁を指令し、デッドラインが迫っていても管理職も仕事を放り出しても止めろということで、退庁しろととか指示してくるわげてす。これは非情に不愉快だ。
 今年からやっているノー超勤ウイークもこれと基本的には同じです。管理職主導で争議行為類似行為をやっているわけです。残業といったって、営業所の徴収関係や庶務課の事務職は上司が命令して何時まで拘束して仕事させるということは私の経験ではないです。任意の自発的な残業なんですよ。超勤の予算は配分で決まってますから。私は8時間コアタイムの実質裁量労働制でいいと言って、超勤予算は組合員で分けて下さいということで営業所ではカラ超勤一律支給を止めてから超勤を請求してないです。庶務経理で係長がどうしても請求しろとか言うから気が進まないけどやったら、一旦超勤請求すると凄まじい毒気仕事させない攻撃をやってきますから、口実を与えることになるから止めたんです。
 要するに、残業は組織の一員として事業を円滑にすすめていく道徳的責任として、業務を遅滞させず遂行しているためのコモンローでいえば黙示的義務条項でいう協力義務、黙示的誠実労務提供義務としてやっている信頼関係を維持するための良心的なものです。指揮命令監督下の超勤ではないんですよ。
 仮に義務ではないとしても責任感、コミットメントとして良心的なものです。お前はペイペイの平で、スタッフではなくラインの人間だから義務感持つ必要ないと言ったってデッドラインを超えて、他部署に迷惑かけて、怒られるのは担当者だから、後始末のリカバリーに時間がかかるし、仕事が遅れるとツケを回すことになるから自己の立場も悪くなるし、顧客の苦情対応もあるんですよ。途中で放り出せない仕事も少なくない。仕事は後回しと指示する監督職員は最低です。繁忙期や育児休業者とかが出てそうした分のカバーも含めると月曜13時間、火曜12時間、水曜11時間といったペースでやっていかないと追っつかない時もある。仕事を先延ばしにして苦労するのは自己自身だから。
 私はペイペイの平ですが年収700万近くあります。これは全勤労者の上位20%の年収で、平均400万よりずっと良い収入ですから、献身的に働いて当然だ。そのうえ超勤手当請求をして東京都にコストをかけるようなことはしたくはないということもあります。良心的なのだから非難される理由はない。
 前にもブログで書きましたが、これは苦情でなくて、偶々、新入女子職員が、引っ越しの受付で水道番号を間違えて受付たために、よそ様の使っている水道料金を口座から引落としてしまったのを発見したケースですが、こういう場合はきちんと謝って、余計にいだだいたお金は即刻還付する。残業してもその日のうちに解決しておかないと、話がこじれて顧客を怒らせたりすると、局の信用にかかわりますから。
 顧客第一主義のウォルマートですが、サンダウンルールというのがあるんですよ。問題はその日のうちに解決して先延ばししない。そういうと東京都水道局の管理職はそんなの関係ねえこの野郎と組合の闘争に協力する(実例は次回としましょう)のが管理職のお勤めだ第一義だとたぶん言うでしょうが、それが東京都水道局の非情に悪い職場風土の要因になっている。
 三六協定拒否闘争というのは残業拒否だけでないんです。いわゆる昼の休息・休憩時間の窓口(料金支払等)、電話受付業務も拒否するので、その間、ふだん実務をやっていない管理職が動員されて、昼休みの実務をやるんです。経常業務である昼当番(輪番制)の業務を故意に阻害してます。昼当番の業務量は決して無視するほど少ないものではありません。少なくとも普段やっている仕事をやらないということは非協力的なものであるとはいえる。たぶん組合は昼当番は8時間を超えて拘束するから超勤対応で1時間分に値するという考えからだと思いますが、私は昼当番をしても超勤請求はしてません。
 唐津博のイギリスのコモン・ローの雇用契約における黙示的義務条項についての専論によると、1972年の遵法闘争の控訴院の判例から、争議行為の一環として就労しながら使用者の業務を故意に阻害する、もしくは使用者に非協力的行為をとること、業務がそのあるべきように運行しないほどの混乱を生み出すような手段を採るならば、つまり労務の不完全な遂行は、労働の〈提供〉とは言えず、契約違反の責任を負い、賃金に対しての権利を発生させないとする(註1)。
 つまり遵法闘争はコモンローでは黙示的義務条項の協力義務違反なのである。
 それは、イギリスの判例法だというかもしれませんが、理屈のうえでは正しいですよ。
 すなわち東京都水道局の管理職は、そのような遵法闘争を、昭和63年最高裁 第一小法廷北九州市交通局三六協定拒否闘争事件判決〔民集42巻10号〕は三六協定拒否闘争を争議行為とみなしていますが、当局は経常業務の昼休みの窓口受付業務拒否もある態様であるにもかかわらず争議行為でないとしています。
 争議行為であろうとなかろうと、非協力的行為は奨励されるべきものではなく、違法行為を是認しているわけですね。 
 そして私のように争議行為に反対する人間を叩こうとする。
 
(註1)唐津博「イギリス雇用契約における労働義務-労働義務の履行に関する若干の考察」同志社法学33巻5号

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2007/11/10

ロックナー判決マンセー論(10)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-7

1937年にロックナー判決が明示的に覆されたことにより、合衆国最高裁は経済規制について立法の目的や動機は一切問わず、議会の表明する立法意図は正しいものと自動的に推測し、目的達成の規制手段が合理的な選択と認められれば、最高裁は合憲と判断するようになった。公正労働基準法はU.S. v. DARBY, 312 U.S. 100 (1941) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=312&invol=100で合憲とされた。ストーン判事の法廷意見によると、立法の動機は何か、その動機が賢明なのかどうかは、立法府が判断すべきことであり、司法は関知しない。司法が審査するのは、当該法が形式上、憲法の根拠に基づいた合理的なものであるかだけである。被告ダービーは、通商条項に反する。同法の本当の目的は州内で行われる生産活動の規制であって、州際通商の規制ではないと主張したが、最高裁は州内で行われる生産活動が州際通商に実質上の影響を及ぼしているものであれば、その要件は十分満たされるとした(阿川尚行『憲法で読むアメリカ史下』PHP新書№319 2004年183頁)。
しかしロックナー判決が正しかったという前提では、このような合憲判断にはならないはずだ。
そもそも立法目的が、追加的な賃金支払を避けるという経済メカニズムにより、提供可能な仕事を分配する。失業者に仕事を与える、仕事の分配のために、割増賃金支払義務を定め、労働時間と報酬に関する雇用契約の自由を侵害すること自体が立法目的となっているから、私は到底容認できない。
  リバータリアンのリチャード・A・エプステインの言う「何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原を有する」という労働の自由の観点から、割増賃金を得なくても働きたい。組織の一員として信頼関係を維持するためにも時間に係わらず、労働したい人は沢山いるわけですから、コミットメント型の従業員関係においては、自己自身のエンプロイヤビリティーを高めるためにも、良心的な人なら無給でも黙示的協力義務としてもやるべものです。協力義務というのは例えば突然傷病で出勤できない人が出て、代替者がいない場合、事業の運営に支障が出ることがないよう、その分もカバーするために頑張るというようなことです。時間が来たから仕事を放り出して、デッドラインも迫っているのにあとは野となれ山となれとはいかないから。
  要するに道徳的責任として、使用者との信頼関係維持のため仕事を投げ出せない以上、黙示的協力義務として無給残業をやって当然。コストパフォーマンスが良い方が喜ばれる。自己にとっても信用、雇用維持能力の向上という利益になりうるわけですし、デッドラインを超えたら、悪い評価になり信頼関係を失い、自己自身の立場も非情に悪くなるから。 スーパーのレジ係や袋詰め係のような労務の時給ワーカーならともかく、長期雇用としかるべき給与と、実績を上げれば昇進も可能で退職金なども支給されるホワイトカラーならなおさらのことです。

仮に立法目的が重要な政府利益に仕えるものとして是認するとしても、中間審査基準では「目的と手段の間に事実上の実質的関連性が存在することを要求⇒立法目的が、法によって用意された手段によって合理的に促進されるものであることを、国は事実に基づいて証明しなければならない」ということになりますが、
追加的な賃金の支払を避けるために財務上の圧力が加えられることが、雇用創出を促進すると立証できるでしょうか。私は立証は無理だと思います。
一般論ですが、中小企業、小売業やレストラン経営者は公正労働基準法の規制緩和を望んでます。このレイバーコストがビジネスを阻害していると言うことでしょう。
割増賃金の財務的圧力というレイバーコストが製造業においては外国への工場移転を促し、中米、アジアなどの安価な輸入品に押されて雇用を減らしている要因の一つかもしれない。
仮に雇用拡大になんらかの効果があるとしても、それが雇用契約の自由を侵害するだけの埋め合わせとなる高度な政府利益に仕えるものとは思えない。

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2007/11/05

ロックナー判決マンセー論(9)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-6

公正労働基準法(FLSA)は1938年6月ニューディールの最後の立法であるが、当然反対論もあった。1937年5月にFLSAの原案(連邦賃金・労働時間法案)がブラック上院議員によって初めて提出されるとフランク・E・ガネットの立憲政府擁護全国委員会、下院議員のハワード・W・スミスが共和党と連繋して強硬な反対運動を起こした。南部保守派グループは低賃金労働を南部で維持するため反対した(註1)。
 労働政策研究・研修機構の労働政策研究報告書 No.36『諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間法制に関する調査研究』第一章アメリカ27頁(平成 17 年)http://www.jil.go.jp/institute/reports/2005/036.htmlは公正労働基準法(FLSA)の労働時間規制の趣旨について次のように述べている。
---FLSAが採用した、週40時間を超える労働に対して割増賃金支払義務を課するという手法による労働時間規制の趣旨ないし目的については、使用者に割増賃金の支払いという圧力を課すことにより使用者との関係で交渉力の弱い労働者の長時間労働を抑制することと、そうした圧力により労働時間を短縮することで新たな雇用機会を創出することの2点が挙げられる。

しかし、これら2つの目的のうちでは、FLSAが、大恐慌により失業問題が深刻であった時代に立法されたという背景を反映して、後者の雇用創出に重点が置かれているように見受けられる。たとえば、FLSAの目的につき比較的詳しく述べた連邦最高裁判決は、「( 5割増の賃金の支払を要求すること)によって、時間外労働そのものは禁止されないものの、追加的な賃金の支払を避けるために雇用を拡大することに向けて財務上の圧力が加えられ、また、労働者は、法定の週労働時間を超える労働を行ったことへの報償として、付加的な賃金を保障されるのである。失業が蔓延し利潤もあがらない時代においては、追加的な賃金支払を避けるという経済メカニズムは、提供可能な仕事を分配するのに有効な効果をもたらすことが期待される」と述べている 。OVERNIGHT MOTOR TRANSP. CO. v. MISSEL, 316 U.S. 572 (1942) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=316&invol=572
すなわち、ここでは、法定労働時間を超える時間外労働それ自体を禁止することは法の趣旨とは捉えられておらず、時間外労働に対して付加的な報償として割増賃金を与えるべきことが述べられているにとどまる(長時間労働による労働者の健康への負担にも言及はない。 ) 。他方で、割増賃金の支払を使用者に義務づけることにより、「雇用を拡大すること」や「仕事を分配する」ことが強調されていることからみて、連邦最高裁は、FLSAの目的として、雇用創出に重点を置いているものとみられるのである。----

 上記の見解によると、立法目的はワークシェアリング、大恐慌による失業問題に対応したもので雇用を創出し、産業を復興させる政策ということになるが、そのように断定してよいかは、なお精査が必要だろう。
 30年代の失業問題がいかに深刻だったかについては、河内信幸によると1932年6500社の調査ではフル稼働体制を維持しているのは僅か26%にに満たず、週5日以上操業している企業は28%、工場労働者全体の56%が通常の59%の時間しか働けないパートタイム労働者だった。USスティールは1929年に22万5千人の労働者を雇用していたが1933年4月には完全就業者がゼロになり、パートタイム労働者だけになった(註2)。
 ルーズベルト不況と呼ばれる1937年恐慌は8月に突如株価が暴落し、年末までに新たに200万が失業、1938年には一時600万まで減少した失業者が1000万に達し、社会不安が蔓延する状況になっていた(註3)。
 
 上記の趣旨からみて公正労働基準法(FLSA)はオーバーホールすべきであるというのは当然のように思える。
 21世紀に入って、アメリカは景気後退局面もありましたが、30年代の大恐慌時代とは全く異なるのである。一般論として長時間労働を抑止すれば、その分働き手は多く必要になるとはいえる。ウォルマートは割増賃金の支払義務が生じないよう、パートタイム時給ワーカーの時間管理をやっているから、その分多くのパートタイム労働者を雇っているといえるかもしれない。
 しかしそのことが、結果的に産業を振興させ、経済発展を促し全体的な雇用創出となり社会の一般的福祉に役立っているとは到底思えない。
 上記の最高裁の見解でも「失業が蔓延し利潤もあがらない時代においては‥‥、提供可能な仕事を分配するのに有効な効果をもたらす」としており、政策としての効果はそういう時代のものであるということである。


(註1)河内信幸『ニューディール体制論』学術出版会2005年 507頁。
(註2)同上415頁(註3)同上468頁

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2007/11/04

ロックナー判決マンセー論(8)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-5

東京都は超過勤務縮減方針のためにノー超勤ウィークとか、水曜日の定時一斉退庁とかやっているわけですが事実上、労働組合の超勤拒否闘争を組織ぐるみでやるようなもので、労働意欲を萎縮させて、仕事をさせない、やるなという悪質なものになってます。純粋に人件費削減ということでなく、ワークライフバランス推進、子育て支援を名目にしているからたちが悪い。
私の場合は、黙示的誠実労働義務でやっている。自発的なものだからコストにならないです。電気を消して追い出すとか言ってますが、電気代を払ってもいいんですよ。管理職・監督職員の仕事させない攻撃も我慢の限界なので意見書を上申する予定です。
 
労働基準法の法定労働時間は不合理だということはさんざんいわれていたことで、日経連が全ホワイトカラー裁量労働制や刑事罰規定の撤廃という提言もあったし、ホワイトカラーの働き方について相当な議論があったわけですよ。
アメリカでは公正労働基準法の適用除外、通常「ホワイトカラーエグゼンプション」と呼ばれる制度であるが、 労働時間に係わる規定を適用されない、自律的な働き方を行っている。その背景には、ホワイトカラーの仕事の評価について、労働時間の長さに囚われず成果を重視することによってホワイトカラーの十分な能力の発揮や質の高い仕事の遂行につながるとの考え方があるとされ、公正労働基準法の労働時間制度の適用除外は、主に管理的被用者、運営的被用者、専門的被用者、外勤セールスマン、農業、水産業、船員、ITプログラマー、ニュース編集者、タクシー運転手などであるが、http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2004_5/america_01.htmその範囲を拡大させようとしたのがブッシュ政権のチョー労働長官による2003年の改正だったわけですが、公正労働基準法のオーバーホールをぶちあげたわりには目論見よりかなり小幅の改正になったということで、これは失敗ですね。ロックナー判決マンセー論(6) http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_5fdc.htmlに 記したとおりである。
私はイレイン・チョー労働長官より抜本的な改革を望みますが、基本構想自体はそれなりに評価してもよいです。公正労働基準法は低所得者はこれまで以上に保護しましょうということで、管理職でも年収が2万3660ドル以下は割増賃金支払義務を課す一方、適用除外基準の収入要件等を前面に出し明確化・簡略化を目指す戦略は漸進的改革として認めてもいいです。本当は低所得者保護立法も反対ですが、残業代は低所得者に絞っていく戦略は認めてもいいということです。
そこで最初の法案は収入要件年収6万5千ドル以上で適用除外ということでした。結局1万ドルになってしまいましたが、私の年収が税込みで700万円近くあるわけですよ。700万がアメリカで何ドルになるかわかりませんが、たぶんアメリカなら中間層以上の9収入でしょう。ウォルマートでなくターゲットで買い物をする層になります。

 チョー労働長官の考え方では、私は格差拡大といわれる世間の平均よりもかなり良い収入を得て、きつい汚い仕事やっているわけじゃないですから、残業代無しでも当然だということです。実際、週55~60時間ペースは黙示的誠実労働義務として自発的に当たり前でやってきたし、今年だって夏休み無し、有給休暇は病院の診察、検査に通うときぐらいですよ。
アメリカでは正看護師はプロフェッショナル職とみなされて、割増賃金適用除外、残業代無いです。正看護師は他人の命を預かる仕事で、決して楽勝の仕事でない。私はそれほどきつい仕事をしているわけでもないのに、欲深く割増賃金を得ようという考えはさらさら無いわけです。我が国では財務省が教師に残業代をとか馬鹿げたことを言ってますが、師がつく以上プロフェッショナルでしょう。そんなもの必要無いですよ。ただ私が思うには、管理的被用者、運営的被用者、プロフェッショナル職とそれ以外を分ける論理性も無いです。むしろ、労働意欲のある平社員の方が、実績、成果を挙げるために、時間規制無く、土日も出てきて働きたいです。何事も思ったより時間はかかるものだ。熱中して熱病のように励まないととモノにならないから。正看護師はプロフェッショナルとして誇りを持って仕事をしているかもしれないが、我々ペイペイのひらだって、仕事に対するコミットメント、熱意自体は変わりないわけですから。
ということで私はホワイトカラーエグゼンプションを管理職以外にも拡大させることに当然賛成です。民間だけでなく特に公的被用者に導入も検討すべきだ思いますけど。しかし、本質的な問題をいうと公正労働基準法(週40時間以上に割増賃金支払義務を課すことにより、労働時間を間接的に規制する)自体が、個人の労働力取引の自由を侵害する法的正義に反するものだとの認識ですよ。
法的正義に反する「制定法」と闘うということになります。
「正常への復帰を渇望する-マンスフィールド卿マンセー論」http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_e9af.htmlで書きましたが。
 英国一般法は営業と誠実な勤勉さを奨励することをパプリックポリシー(公序)とするというものです。誠実な勤勉さの奨励に反する政策は公序良俗に反するということです。
 営業制限について全般的考察を試みた指導的判例ミッチェル対レイノルズ事件判決(1721年)でパーカー裁判官は次のように述べました。
「非任意的制限(当事者の合意に基づかないもの)に関して、国王の権利附与および特許状ならびに定款による制限が一般的に無効であるという第一の理由は、法が営業および誠実な勤勉さに与えている奨励に由来し、臣民の自由に反するからである。もう一つはマグナ・カルタに由来し‥‥[その第29条は]これまで常に営業の自由にまで拡大されるべきものと解釈されていた」(註1)
 マグナカルタを営業の自由の論拠としたのは、17世紀のエドワード・コークの近世的解釈であるとしても、ニコラス・フラー(1626歿)は次のように述べました。「神の法は『汝、六日、労働すべし』と定めている」がゆえに、「いかなるキリスト教の君主の認可、布告、法も臣民に労働を禁じるようなものは、神の法に直接反しているがゆえに違法であり、不条理な命令である」。そしてこれに従えば、国王が与える「特許」は人々の自由な労働を禁ずるものであり、違法なものと判断される(註2)と述べているように、理論的に個人の自由な労働は神の法に基礎づけられていた。
 近代において最も偉大な法曹の一人マンスフィールド卿(King,s Bench主席裁判官)は、1783年のエックレス判決において労働者の団結を共謀法理により犯罪であると明白に述べました。
「商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(註3)
 英国で19世紀において労働組合活動を違法とした判例は、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成を利用し、労働者の団結が、コンスピラシーの要件に該当するものとして把握された。「営業=取引の自由」のコロラリーである「労働の自由」を媒介として労働力取引の規制に適用され、コンスピラシーの法理は制定法にかかわりなく、純粋にコモン・ローに基礎をおく法理として展開していったのである(註4)。
 以上はコモンローの「営業制限の法理」であって、アメリカ憲法判例理論の「契約の自由」とは別系統の法理論ですが、そもそもオーバータイムの割増賃金という労働組合の要求だった。
 割増賃金支払いがなければ働かないとして団結により労働力取引を規制すること自体、マンスフィールド卿の趣旨からすれば共謀するだけで犯罪なのである。公正労働基準法は未組織労働者にも、「労働力取引の自由」を制限するもので、営業と誠実な勤勉さを奨励するコモンローのパプリックポリシーに反する、不正義であり不条理なものだと言わなければならない。
 労働の自由が、神の法に基礎づけられている以上妥協の余地は全くなし。私は、春闘、年度末の超過勤務拒否闘争時に、管理職と組合役員から帰れと、攻撃されたことがあるんですが、こちらは黙示的誠実労働義務として、年度末の繁忙期に業務が遅滞することないよう自発的に残業しているだけですから、賃金支払いを要求するような欲深爺さんみたいなことではないんです。当局のコストにはならない。
 しかも超勤拒否闘争というのは争議行為と私は認識してますが、当局は合法としていて見解が違う。管理職が認めないというなら、引き連リ出すなら、引きづり出せと言ったんですよ。実際、組合のビラをはがしたときに管理職はタックルして仰向けに倒した引きづったケースもあったし。
 プロレーバー法学では、労働組合の指令に従わない労働者ヘの実力行使や人身拘束を容認する説があるわけですが、管理職は事実上争議行為支援なんですね。こちらは極めて良心的に黙示的労働義務で途中で放り出すわけにはいかない仕事を責任感をもってやるまともなものなのに、それは反労働組合だから認めない。けしからんというならかかってこいと言ったんですよ。人身拘束でも拉致でもやってみろということです。
 今度は、争議行為でなくて、ノー超勤ウィークとか水曜日の一斉定時退庁とかで、組合に代わって管理職が事実上の超勤拒否闘争を煽っているわけですが、最近では、10月24日に八都県市(東京、神奈川、埼玉、千葉と四政令指定都市)に定時一斉退庁などというふざけたことをやりましたが、その理由がライフワークバランスと、父親が積極的に子育てに関われるようにするための定時退庁というんですが、フェミニストの主張の公定イデオロギー化ですよ。そのために仕事を放り出して止めろというんですね。仕事がトッププライオリティというのはけしからん、本来私事にすぎない女性の育児支援に反する憎むべき敵だと言うことになっているんですね。仕事に対するコミットメントが悪だ。仕事させない。仕事しちゃいかんなんていうのは最低だと思います。これは営業と誠実な勤勉さの奨励という法的正義に反するもので容認しません。
 労働の自由が神の法に論拠をおくものである以上、妥協の余地なし。こちらはマンスフィールド卿のエックレス判決マンセー、ロックナー判決は正しかったというBernard H. Siegan教授、Stephen Macedo教授、Richard A. Epstein 教授の学説を支持するんですよ。プロビジネスな政策、アメリカで言えば、ケイトー研究所とかヘリテージ財団、最低賃金・超過勤務手当・安全衛生・福利厚生などの規制に反対している全米独立企業連盟(NFIB National Federation of Independent Business)に好意的な見解です。ブログでロックナー判決マンセーと公言している以上、労働組合や共産党みたいに不払い労働、サービス残業は犯罪だという主張とは180度違うわけです。神律、神の法に従うのであって、労働組合や共産党やフェミニストに従うわけにはまいりません。有言実行しないとヘタレとか言われて自己の立場を失いますから。
 東京都の管理職によって迫害される可能性が高いけど、真正クリスチャンは艱難に耐えなければならない。実際私は、正義のために血を流してきましたから。ただ殉教者になるとはいいません。素心はまだ死にたくない。切腹といって切腹しないと亀田大毅のように叩かれますから。そこで、こちらもカタログ式に労働の自由の論理を並べ立てて抗議し、最も深刻な事態(殉教)は回避しようということですね。
 
(註1)松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
(註2)土井美徳『イギリス立憲政治の源流-前期スチュアート時代の統治と「古来の国政」論』2006年 214頁
(註3)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
(註4)石井宣和「営業の自由」とコンスピラシー高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
  

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2007/10/30

ロックナー判決マンセー論(7)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-4

 8月19日ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_40dc_1.html で書きましたが、
チャールズ・フィシュマン著中野雅司監訳『ウォルマートに呑み込まれる世界』ダイヤモンド社2007年によるとオクラホマで10店舗以上管轄する地区マネージャーはこういってます、「いい(ストア)マネージャーは、まず6時半に店に出て‥‥平均的な退社時間は午後5時ですが、週二回ほど午後9時半から10時まで残業します、休日は水曜と日曜が普通で‥‥土日を休めるのは月一度」つまり店長は平均して週60時間以上働いている。ちなみにウォルマートのストアマネージャーの年俸は2001年のデータで男性で平均105,700ドル(鈴木敏仁『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』商業会2003年)です。
 地区マネージャーは男性で年俸は平均239,500ドルになりますが、朝6時半から夕方6時半まで働き、土曜も半日は出勤するという。但し、年3~4週間休めるが、一度に1週間以上は休めないという。意外にハードではないのでがっかりですが、週60時間は普通ということですね。
 ウォルマート本社ですが、バイヤーは6時半に出社する。トップの経営陣はそれより早い6時に出社するのがしばしばだという。退社は午後5時から7時の間ということです。またすべてのホワイトカラーは土曜は朝7時から午後1時まで働くという。
 仮に月~金に平均11時間、土曜に6時間なら、週61時間になります。
 つまり、優良企業のホワイトカラーは60時間働いて当たり前ということです。
 東京都では、「超過勤務縮減」とかいって管理職は率先して定時退庁というほんとにばかげた政策をやってますが、夏休みという有給休暇枠以外の5日の休暇は消化したうえで、有給休暇を最低10日消化することが方針となっています。管理職特別勤務手当といって、公務の運営の必要とか、臨時とか、緊急とかいった名目で、土日勤務で超勤手当も出ますので、管理職になっても組合員感覚の甘ちゃんです。
 ハードワーク主義といわれるウォルマートでも地区マネージャーは3週間ほど連続ではないが休暇は取れるのは意外でしたが、それは平時に土曜も出勤週60時間ペースで働いたうえでの休暇ですから、納得します。しかし東京都の管理職は平時も定時退庁で、要するに働かない、仕事をトッププライオリティにしない主義です。
 ウォルマートでは一番重要なことはコミットメント、献身的に熱病のように仕事に励むことと教えますが、東京都は逆です。反コミットメント型文化は最悪最低ですね。

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2007/10/29

ロックナー判決マンセー論(6)

ロックナー判決は中間審査基準だといわれる-3

 そもそも所定時間外の割増賃金というのは、労働組合の要求だったわけですが、憲法革命後に制定された週40時間以上労働の割増賃金を定める公正労働基準法(1938年)は既に述べているように悪法であり廃止かオーバーホールの必要がある。ロックナー判決復権で中間審査基準を適用すれば当然違憲判断になるだろうが、本質論の前に近年の動向について簡単にふれておこう。
 ブッシュ政権は2004年に公正労働基準法を改正しましたが、当初の提案よりずっと小幅なものとなってしまいました。
 当初、チョー労働長官は公正基準法(1938年制定)は時代遅れでオーバーホールが必要だ。本来の立法趣旨は低所得層の低賃金による長時間労働を抑制する趣旨だったとして、年収$22,000以下の者は管理職であれ時間外割増賃金の対象とする一方、年収$65,000 の一般労働者を時間外割増賃金の対象から外す案でしたが、民主党系シンクタンクEconomic Policy Instituteが新しい超過勤務時間規則が800万人のホワイト・カラー労働者に影響すると法案を攻撃し、労働組合や民主党議員が反対しただけでなく、当時はまだ景気後退期で共和党議員からも異論が出て、結局、$22,000は$23,660に、適用除外の年収が$65,000から$100,000まで引き上げられることになり骨抜きになった感があります。私の民主政体の不信感はこういうところにもあります。如何に不合理な制度であっても、一旦既得権を与えてしまうと、廃止するのは大変だということです。
 『海外労働情報』http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2004_9/america_01.htmは結果論だけですが次のように伝えています。
 
「改正のポイントは、年収が2万3660ドル以下の者は、自動的に時間外割増賃金の対象となること。1970年に定め