カテゴリー「労働の自由」の20件の記事

2009/05/10

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(4)

第1回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8b88.html

第2回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-95c8.html

第3回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cfd7.html

 労働者のマグナカルタとゴンパースが称賛した1914年クレイトン法の制定を取りあげる前に、19世紀末期から20世紀初期までの主な労働事件を概観しておこう。全米的規模の1877年の大鉄道ストライキについては当ブログでもhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c08f.html取りあげた(ウィキペディア日本語版も詳しいので参照)ように、セントルイスでは労働組合の指導で組織的なストライキが起きたが、他の地域ではストに付和雷同して浮浪者、失業者等の群衆が加わり、あるいは10代の青少年が暴徒となって騒乱になるのが殆どだった。ストライキの途中で食糧等の略奪が起きている。連邦軍出動の法的根拠は、(1)州内反乱の抑圧援助(修正法律5297条)、(2)武器庫等連邦財産の保護、(3)連邦裁判所の管財命令である。郵便逓送妨害や、州際通商の妨害は根拠とされていない。インディアナ、イリノイ、カリフォルニアに出動した(3)のケースが直接労働争議の抑圧のためのものであるが、最初にストが勃発したウェストバージニアやメリーランドのケースは(1)に該当し、平たく言えば暴徒を鎮めることであって、労働争議を直接抑圧することを目的とはしていない。にもかかわらず(1)(2)の根拠で、罷業者など群衆によるピケを排除・防止するとともに会社側のスト破り等の列車の運行を確保しており、実質的に労働争議抑圧の手段になった。後の1894年のプルマン・ストライキのように、ズバリ郵便逓送の妨害や、州際通商の妨害を根拠とした禁止命令(インジャンクション)のほうが理屈としてはわかりやすいとはいえるだろう。
 しかし、この事件は教訓になった。当時、刑事共謀法理が廃れていたわけではない。団結活動それ自体は、目的・適用の両面にわたって厳しい制約の下にあったのである。ピケッティングや説得活動であるが、適法とされるのは「個別的自由の集合ないし総和」と認められる限りの行為であって、いささかでもこれを超える要素があると判断されれば違法とされたのであって裁判所の許容する範囲は極めて狭く、裁判所は反組合的であった(註1)。
 進歩的な工業州や都市であっても反組合立法はあった。1879年~1983年の好況で労働組合の結成が相次いだが、例えば1881・1882年ニューヨーク市では刑法の修正により共謀罪の適用を拡大し、多くの形態のピケッティングが脅迫罪を構成するとされた。「個人であれ団結してであれ、生命ないし肉体に損傷を与える危険をもたらす恐れのあうる場合、または高額の財産を破壊したり、それらを損傷を与える恐れのある場合には、雇用ないし労働契約の不履行は犯罪とされる」という条文によって、有罪の判決を受ける者は一年間の懲役及び500ドルの罰金を課された(註2)。
 また1986年のニューヨークでの2件のボイコットを扱った判決では暴力がなくても、集団でボイコット対象の店舗の前を行進し、感情を害するビラをまき、苦情を強い口調で訴えることは威嚇・脅迫となり、雇用主の事業を損ないストライキ行為者やボイコット反対者を罰する行為は告発されることとなった(註3)。

 1886年ヘイマーケット事件

 メーデーの起源として知られる事件。1884年シカゴにおいてドイツ移民の無政府主義者が進歩的煙草労働組合の働きかけで、中央労働組合を結成し連合労組協会と結合。シカゴの諸労働組合を支配すべく猛運動を展開し、中央労組は1886年4月までに主要22組合を加盟させ、8時間労働制を掲げ、連合労組協会も「8時間労働協会」を設立し、傘下組合、社会主義労働党・ナイツを加入させた。
 8時間労働運動は5月1日8万人がストライキに突入するが、5月3日ゼネストは5月3日のマコーミック・ハーベスタ社工場事件で頓挫する。この工場ではロックアウトを喰っており、無政府主義者が工場付近で集会を開き演説をしていたところ、スト破りの労働者が帰途につくため門を出たため乱闘となり警察が到着して発砲し4名が死亡。翌日へイマーケット広場で抗議集会が行われ、集会を解散させるために警備隊が送られたが、演説者と口論になったところ、爆弾が破裂、巡査部長が即死60名の警官が倒れ、警官も応戦のために発砲し死傷者を出したという事件である(註3)。
 もちろん、私はこの事件で処刑されたアナーキストは憎むことはあっても同情することなど全くない。
 そもそも労働組合の目的と活動それ自体が、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)なのである。そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害等不法行為なのであって、本件においても締め出された労働組合員が工場付近で集会を行っていたところ、門から出てきたスト破りの非組合労働者と乱闘になっている。他者の就労を妨害しているのであり、他人の取引を侵害しているのである。爆弾に至ってはテロであり、弾圧されてしかるべきである。したがって犯罪者たるドイツ移民アナーキストを殉教者として記念するメーデーは悪しき行事としてなくすべきだろう。

(註1)辻秀典「アメリカ労働法における団結権思想の一齣」前田達男・萬井隆令・西谷敏編『労働法学の理論と課題』有斐閣1988年
(註2)津田真澂『アメリカ労働運動史』総合労働研究所1972年94頁
(註3)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年167頁
(註4)竹林信一「アメリカ労使関係の史的考察-3-」『甲南経営研究』11巻2号 1970

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2009/03/22

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム黄金の1920年代の意義(3)

 2009年3月8日エントリーの修正版1

 レイバーインジャンクション(労働争議差止命令)その2

 私が1920年代に回帰すべきだという主張は要するに、次回以降に取り上げる1921年の労働争議差止命令を支持した判例、デュプレックス印刷機製造会社判決、アメリカ鉄鋼会社判決、ツルアックス対コリガン判決が正しかった。その判例法を否定している現代は不正義と言うことです。そう考えている人は少ないかもしれないが、くだらない固定観念にとらわれないでください。政府や労働組合により著しく労働力取引の自由と、財産権が侵害されている現代人からみて1921年の判例が新鮮でありよりまともにみえる。
 アメリカにおけるオープンショップ運動、労働争議差止命令が正しいと考えるし、それはヨーロッパにないアメリカの良さである。今日でも著名な多くのアメリカの企業は反労働組合のポリシーを持ち組合不在企業であるが、オープンショップ運動にみられる経営理念の継承なのである。イギリスでは1875年共謀罪および財産保護法で団結自由スト刑事免責、1906年の労働争議法で団結保護スト民事免責とされ、判例法(コモンロー)の民事共謀、不法行為の共謀という法理で起訴できないこととした。それは労働組合を近代市民法原理から超え出た存在としたのである。労働組合とは各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する自由を全面的に否定し、他者の個別契約の自由を侵害し、特定の集団的労働条件を強要することにある。団結とは取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引に制限を加えることを目的とする。従って本来不法なものであるのに、不法の侵害から政府は保護することをしない。勝手にストをやってくださいというコレクティブ・レッセフェール1906年体制は労働組合を不当に強大化させイギリス病をもたらした。
 しかしアメリカはイギリスのように労働組合に甘くはなかった。刑事共謀法理は適用されなくなったが、財産権を無体のものに拡大し、財産権の回復不可能な侵害のために差止命令が下されることにより、労働組合の組織化と労働争議を効果的に抑止した。20年代までの司法判断こそ正常なものであり、この点アメリカはイギリスより健全だったのである。
 従ってわたくしは、1932年ノリス・ラガーディア法以降の労働法への敵意、ニューディール主義者への敵意を表明します。同時に19世紀以降のベンサム主義、議会制定法絶対主義、法実証主義に対する敵意の表明も行います。
 もっともセオドア・ルーズベルト、ウィリアム・タフト、ウッドロー・ウィルソンの時代は革新主義政治の時代であり、今回取り上げる、マッキンリー大統領時代の1898年エルドマン法も革新主義的な性格を有しているが、むろんこの時代には多くの社会経済立法がなされたのである。
 しかし1930年まではコモンローの時代であり、労働問題も最終的には司法により制御され無体財産に拡大された財産権が擁護された。裁判官は労働者の集団的行動よりの個人の自由を重視した。コモンローに信頼を寄せるのは個人の権利を擁護するのであって、個人行動の正義に基づく健全な社会にとどまるからである。(議会の社会労働立法は大抵の場合悪である。学校で教えられたことを信じないでください。実は民主主義とはろくでもない体制なのである。法実証主義に疑いをもってください。特定の勢力の利害のために個人の権利を侵害することを優先する傾向が顕著だから。)
 
 ところが1929年の大恐慌に端を発する著しい経済的混乱と社会不安は労働問題に新時代を画し、財産権侵害として司法の判断により禁止されるべきものであったのが、逆に特定の勢力を利する1932年ノリスラガーディア法のような階級立法を是認し、1935年ワグナー法等のように産業平和のために労働組合活動を支援する国策に転換してしまったのである。これは大きな過ちだった。1937年の憲法革命で経済的自由の規制立法は司法部が干渉しないのが普通となった。法の支配の転覆を司法自ら行ったのと同じである。むろん司法は憲法革命以後、表現権や政教分離、平等保護その他人権判例で積極主義をとり人権擁護の砦としての役割を果たすことになったが、その存在意義を認めるものの、精神的自由と経済的自由をダブルスタンダードとする理由はないと思う。
 大恐慌では1929~1932年の間に世界貿易は70.8%も減り、失業者は3000~5000万人に達し、国民所得は40%以上減少。米国では株価は80%以上下落し、1929年~1932年に工業生産は平均で1/3以上低落し、1200万人に達する失業者を生み出した。これは全労働者の4分の1に当たる(失業率25%)。閉鎖された銀行は1万行に及び、1933年2月には全銀行が業務を停止した。 
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/great_depression.html
 今日、金融危機、景気後退といわれるが、2009年2月のアメリカの失業率は8.1%であり、80年代のほうが深刻だったという指摘もあるとおりである。やはり30年代が特に異常な事態にあったと思う。
 不法行為を助長する議会制定法と言うものは法の支配の否定であり、階級立法是認により法秩序を特定の勢力の利害に基づく命令体系へに変質させた。現代社会は悪の支配を是認している時代なんですよ。仮に百歩譲っても、ニューディール立法はきわめて異常な事態に対応したのであって、もはや異常事態にはないのであるから、根本的に見直す必要があるのであるということは、リバータリアンのリチャード・エプステインが言っていることですね。
 

 
    
二次的ボイコットヘのレイバーインジャンクション
    バックス・ストーヴ・アンド・レンジ社事件

 
 我が国の独占禁止法の母法である1890年シャーマン法の正式名称を「違法な制限および独占から取引および通商を保護するための法律」という。この法律の制定にリーダーシップを取ってきた上院議員の名前を付してシャーマン法と通称される。
 谷原修身(註1)によると、その立法目的は、一般的には州際通商および外国との交易において「完全で自由な競争」を促すことであり、直接的にはトラスト等による大規模な結合体が生産、供給、価格を支配することから消費者の経済的利益と小規模企業の独立および生存権を保護することである。当時の社会において、大衆の大多数が競争的な社会を望み、大企業の活動に敵意を抱いていたことが背景にあった。
 シャーマン上院議員はトラスト問題の解決のため取引制限や独占に関するコモン・ローの法理を継承することを提案した。連邦議員のメンバーは好意的だったが、合衆国憲法通商条項が連邦議会にトラスト問題を規制する権限を授与しているのか、関税法との関連などで意見の対立があり、結局シャーマン法は、多くの妥協案が取り入れられ、コモン・ローのアプローチを採用しながら、違反者に罰金、禁固刑などの刑事罰を科したこと、違反行為を停止する差止命令を求めうること。損害を蒙った者に私的訴訟を許し、三倍額の賠償を認めた点で、コモン・ローの範囲を超えた内容になっている。
 
 シャーマン第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」である。「団結」「共謀」と言う文言により労働組合にも適用される可能性があった。
 
1895年のデブス事件判決は消極的にシャーマン法の労働争議への適用を支持したのものだが「ダンベリー帽子製造工事件」として知られる1908年のローウェ対ロウラー判決Loewe v. Lawlor 208 U.S.274  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0208_0274_ZS.htmlで労働組合への適用を明確にした。 
 極保守派のフラー主席判事による法廷意見は、シャーマン法が資本の結合に対してだけではなく、農民及び労働者の結合にも適用されるべきものだと述べ、画期的な判決となったのである。
 この事件は1902年コネチカット州ダンベリーの帽子製造会社D. E. Loewe &Coに対してなされた組合承認を求める闘争における、北米帽子工組合とAFL(アメリカ総同盟)による同社製造の毛皮帽子販売の二次的ボイコットに対して、会社側が損害賠償請求を起こしたものである。連邦最高裁は二次的ボイコットを州際通商の制限にあたるとしてシャーマン法違反の判断を下し、ボイコットによって発生した損害額の3倍の約25万ドルの賠償支払を組合及び構成員に命じた。組合員個人個人の銀行預金が差し押さえられ、家屋に対して抵当権の行使がなされたが、罰金は全国組合とAFLにより支払われた(註2)。
 二次的ボイコットとは使用者の取引先に自社との取引停止ないし不買を働きかけるものだが、それ自体、不法な手段による共謀や契約的関係に対する干渉、脅迫、不法な手段による経済的損失の惹起等各類型の不法行為に該当する確率が高いと考えられるが、シャーマン法がコモンロー法理を継承する性格の制定法であるから、二次的ボイコットがシャーマン法に適用され州際通商を制限する、団結・共謀とされ、労働者の団結・共謀によるものであれ違法とする判断は道理であり当然と考える。
 そもそも労働組合活動とは営業(取引)を制限するコンスビラシーそのものなのであるからシャーマン法第1条の適用対象としてなじむ性格のものだった。アメリカでは、労働組合にコモン・ローの刑事共謀法理を適用していた時代がある。1806年のフィラデルフィアなめし靴職人組合事件で、賃金引き上げのための団結が刑事共謀罪にあたるとされた。検事は団結して賃上げをすることによって、需要供給の自然法則による賃金の決定を妨げた。賃上げのために威圧して労働者を組織に加入させ、非組合員には同一使用者の下での労働を拒否して彼らを組織に加入させることは、イギリス慣習法の罪になる。靴工の共謀のごときは、社会に有益な製造工業を妨害し、高賃金高物価を意味し、裁判所は、社会、消費者、産業、個々の労働者を保護しなければならないとした。1809年のニューヨーク靴工事件では労働者に靴工職人団体に加入することを強要し、メンバー以外の労働者を雇用する親方の下では働かないと合意し、それを親方達を強制的に服従させる共謀を(クローズドショップを要求いる二次的争議行為)を共謀罪にあたるとしたのである(註3)。つまりコンスビラシーといえばまず思いつくのが取引を制限し、他人の権利を侵害する団結・共謀としての労働組合なのである。
 そもそも帽子製造会社に組合を承認し団体交渉する義務などない。組合を承認させる目的での全国的な二次的ボイコットが州際通商を制限する共謀にあたるとするのは当然の帰結だったのである。
 イリノイ・ミネソタなど4州は反トラスト法による起訴から労働組合を免除する法律を制定したが、連邦最高裁によって一部の勢力に利する「階級立法」として無効にされている(註4)。
 
 二次的ボイコットへのレイバーインジャンクションとして著名な事件がバック・ストーヴ・アンド・レンジ社事件である。

 これは1906年にセントルイスのバック・ストーヴ・アンド・レンジ会社Buck's Stove and Renge Companyにおいて研磨工は一日9時間労働を目的とするストライキに入ったが、AFLに援助を求め、AFLは機関紙の「We Don't Patron」欄に当会社名を記載し全組合員にボイコットを呼びかけた。+バック・ストーヴ・アンド・レンジ社長のバン・クリーブは反労働組合の全国製造業協会会長であリ、直ちにリストから会社名を削除すること、口頭・文章によるストライキを世間に宣伝することを中止する差止命令を取りつけた。
 AFL会長サミュエル・ゴンパースは、機関紙から会社名を削除したが、バック・ストーヴ・アンド・レンジ社製品を買わぬよう宣伝を続けため、法廷侮辱罪により懲役1年、あと2人のAFL幹部も懲役9ヶ月と6ヶ月の判決を受けた。ゴンパースは受刑を拒んだため裁判が長引き、バン・クリーブも死去、出訴期限も過ぎてしまったため、最高裁は罰金と懲役刑を猶予し彼らを殉教者とする愚を避けたとされる GOMPERS v. BUCKS STOVE & RANGE CO., 221 U.S. 418 (1911)。
http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=221&invol=418
 
 私は、ゴンパースを憎むべき敵と考えているので、若干疑問にも思うわけですが、この事件を契機としてボイコット禁止命令に公然と挑戦する動きは収まっていったといわれている。(註5) 
   

    オルグ活動へのレイバー・インジャクション 1917年ヒッチマン判決

 黄犬契約禁止立法を違憲とした先例としてアデア対合衆国判決ADAIR v. U S, 208 U.S. 161 (1908) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=208&invol=161がある。ルイビル&ナシュビル鉄道職員ウィリアム・アデアが雇用条件として労働組合に加入しないことを要求するいわゆる黄犬契約を禁止するエルドマン法に反し、労働組合に加入したO. B.コッページを解雇した。下級審は解雇を行った使用者を処罰する判決を下したが、連邦最高裁は6対2の票決で下級審の判決を破棄し、いわゆる黄犬契約禁止が個人の契約の自由と財産権を侵害すると判示した。
 エルドマン法(ErdmanAct)は1898年制定の鉄道労働法である。州際輸送鉄道における労使紛争の仲裁制度を定めるものだが、最も重要な部分は、鉄道会社に労働者に雇用条件として労働組合に加入しない要求を禁止した点であった。これを最高裁は違憲としたのである。
 ハーラン判事による法廷意見は「労働者が適当と考える条件で労働の買手が買う条件を定める権利と異ならない。雇用者と被用者は平等な権利を有しており、この平等性を妨害する立法は、契約の自由に関する専断的な干渉になる」(註6)と述べ、修正5条のデュープロセス条項違反として違憲判断が下されている。これはロックナー判決の系統の判決です。今日、全国労使関係法により不当労働行為とされている黄犬契約は憲法上の権利だった。私はもちろん現在の体制より1908年のハーラン判事の判断が正しいと考えます。
 要するにThe right of a person to sell his labor upon such terms as he deems proper is, in its essence, the same as the right of the purchaser of labor to prescribe the conditions upon which he will accept such labor from the person offering to sell it.(彼が労働を売る権利の本質は、労働の買い手が、申し出る人から彼がそのような労働を受理する条件を規定する権利と同じ)とハーラン判事は述べました。マッケナ、ホームズ両判事が反対意見を記してます。
 黒人解放の先駆者であり偉大な少数意見裁判官(1896年プレッシー判決の反対意見で「我が憲法は色盲である‥‥法は体色で人を区別しない」」と述べたことで著名)という名声のあるハーラン判事が黄犬契約禁止を契約の自由の侵害とした判断をとったことを重くみたいと思います。
 
 契約の自由と黄犬契約は労働組合を破壊しかねないという反発に応えて、1890年代からオハイオ、マサチューセッツ、イリノイ州などは黄犬契約反対の州法を制定していたが、1915年のコッページ対カンサス判決Coppage v. Kansas, 236 U.S. 1 http://supreme.justia.com/us/236/1/case.htmlは黄犬契約を禁止するカンサス州法を修正第14条のデュープロセス条項に反し違憲とした。
  ピットニー判事による法廷意見は黄犬契約禁止立法を正当化したカンサス州裁判所の見解「概して労働者は雇用契約を結ぶに当たって雇用主より経済的に独立した立場にない」を批判しています。No doubt, wherever the right of private property exists, there must and will be inequalities of fortune, and thus it naturally happens that parties negotiating about a contract are not equally unhampered by circumstances.
   財産の不平等は私有財産の権利が存在する以上当然であって、従っていかなる契約も  交渉当事者の状況が均等な立場にあることを前提としてはいない。正しい見解だと思います。
    ホームズ、デイ両判事が反対意見を記しています。
   
  オープンショップ運動と黄犬契約の裁判所による擁護は、アメリカ社会がヨーロッパより健全であったことを示している。そして決定的に反労働組合の司法判断が下されるのである。

1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229  http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlである。
 ウェストヴァージニア州にあるヒッチマン炭坑会社Hitchman Coal & Coke Coは1903年に労働組合が組織されたが3回にわたるストライキで組合は敗北し、1907年に鉱夫たちは「会社に雇われている間は労働組合に加入しません。それに違反した場合は労働契約は終了したものとみなされて異議ありません」といういわゆる黄犬契約に署名させられたが、アメリカ炭坑労働組合は非組合化が他の州の鉱夫の労働条件に影響するため、組織化にのり出した。ストライキ手当を用意し、密かに組合加入をさせながら、会社に組合承認の要求を突きつけた。
 対してヒッチマン炭坑会社は、「組合化のために会社に強制して会社と被用者の関係に干渉する差止める」ことを裁判所に求め、1907年に仮差止命令、1908年に中間的差止命令、1912年に永久的差止命令が出されたが、これに対する抗告があり1914年こに原審がくつがえされたが、1917年連邦最高裁は第一審の差止命令を是認した(註7)。
 ピットニー判事による法廷意見は労働組合が黄犬契約の存在を知りながら会社に対してクローズドショップ協定を結ぶよう強要するため、労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断を下した。(註8)
 法廷意見は又、労働契約に期限の定めがなく当事者すがいつでも解約できると言うことはこの場合重要でなく、それは契約関係を続けてくれと主張する法律上の権利のない顧客関係が不法の侵害から保護されているのと同じだという(註9) 。ブランダイス判事が反対意見を記しホームズ、クラーク両判事が加わっている。
 本判決は正しいと思うし意義は大きいと思う。クローズドショップ協定を結ぶための二次的争議行為は、今日ではアメリカでもイギリスでも違法であるが、組合の組織化活動それ自体を禁止する差止命令を支持したことにより、黄犬契約による非組合化の防衛が支持されたのである。雇用条件の設定は自由であるべきであり、第三者が干渉して契約違反を誘致することは認められないというのは正常な感覚だと思う。

(註1)谷原修身『現代独占禁止法要論』六訂版 中央経済社 2003年 45頁
(註2)竹林信一「アメリカ労働総同盟とクレイトン法」『甲南経営研究』18(2)  1977年
(註3)高橋保・谷口陽一「イギリス・アメリカにおける初期労働運動と共謀法理」『創価法学』35巻1号2006年
(註4)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年
(註5) 竹林信一、竹田有前掲論文
(註6)石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988年
(註7)有泉亨「物語労働法13第11話レイバー・インジャクション2」  『法学セミナー』188号1971年9月
(註8) 水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 69頁、竹田有前掲論文170頁
(註9)有泉亨 前掲論文

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2009/03/08

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(3)

 
 レイバーインジャンクション(労働争議差止命令)その2
     
  ボイコット戦術へのシャーマン法の適用とレイバーインジャンクション

 我が国の独占禁止法の母法である1890年制定シャーマン法第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」ものだが、「契約」「団結」「共謀」という文言が労働組合を包含するかが問題になった。
 1895年のデブス事件判決は消極的にシャーマン法の労働争議への適用を支持したのものだが「ダンベリー帽子製造工事件」として知られる1908年のローウェ対ロウラー判決Loewe v. Lawlor 208 U.S.274  http://www.law.cornell.edu/supct/html/historics/USSC_CR_0208_0274_ZS.htmlで労働組合の適用を明確にした。 
 極保守派のフラー主席判事による法廷意見は、シャーマン法が資本の結合に対してだけではなく、農民及び労働者の結合にも適用されるべきものだと述べ、画期的な判決となった。
 事件はコネチカット州ダンベリーの帽子製造会社に対してなされた組合承認を求める闘争で、北米帽子工組合とAFLは同社製造の毛皮帽子販売のボイコットを消費者に呼びかけ、同社製品を扱う小売店をボイコットしたが、会社側が損害賠償請求を起こしたものである。連邦最高裁はボイコット戦術を州際通商の制限にあたるとしてシャーマン法違反の判断を下し、ボイコットによって発生した損害額の3倍の約25万ドルの賠償支払を組合及び構成員に命じた。(PDF楠井敏朗「アメリカ独占禁止政策の成立と意義(下)」  『横浜経営研究』第13巻4号(1993)http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/662/1/KJ00000160084. pdf )
  組合を承認せず、組織化を阻止する企業をねらい打ちにする二次的ボイコットにより労働組合が労働市場を独占することはアメリカの風土では容認できないのである。シャーマン法の主たる立法目的が企業の独占を排除し取引の自由を確保することであるが階級立法ではないのであるから州際通商を制限する、団結・共謀はそれが、労働者の団結・共謀によるものであれ違法とする判断はまっとうなものである。イリノイ・ミネソタなど4州は反トラスト法による起訴から労働組合を免除する法律を制定したが、連邦最高裁によって一部の勢力に利する「階級立法」として無効にされた。
 ロ-ウェ事件と同じ時期にバックス・ストーヴ・アンド・レンジ社との争いでサミュエル・ゴンパースらがAFL幹部が差止命令に反し、ボイコット(二次的ボイコット)を呼びかけ法定侮辱罪に問われる事件もあった。以後、ボイコット禁止命令に公然と挑戦する動きは収まった。(竹田有 前掲論文) 

 
 黄犬契約を結んでいる労働者へのオルグ活動は、労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権の侵害とした1917年ヒッチマン判決

 雇用条件として労働組合に加入しないことを要求するいわゆる黄犬契約を禁止する法律に反し、労働組合に加入したことを理由として解雇を行った使用者を処罰した下級審の判決を破棄した先例として、アデア判決ADAIR v. U S, 208 U.S. 161 (1908) http://caselaw.lp.findlaw.com/cgi-bin/getcase.pl?court=us&vol=208&invol=161 があります。
 ハーラン判事による法廷意見は「労働者が適当と考える条件で労働の買手が買う条件を定める権利と異ならない。雇用者と被用者は平等な権利を有しており、この平等性を妨害する立法は、契約の自由に関する専断的な干渉になる」(石田尚『実体的適法手続』信山社出版 1988)と述べ、修正5条のデュープロセス条項違反として違憲判断が下されている。これはロックナー判決の系統の判決です。今日、全国労使関係法により不当労働行為とされている黄犬契約は憲法上の権利だった。私はもちろん現在の体制より1908年のハーラン判事の判断が正しいと考えます。われわれが商品を買うとき、できるだけ安全なものを選びますし、それは自由です。それと同じことですよ。

 同じく1915年のコッページ対カンサス判決Coppage v. Kansas, 236 U.S. 1 http://supreme.justia.com/us/236/1/case.htmlは黄犬契約を禁止するカンサス州法を修正第14条のデュープロセス条項に反し違憲とした(法廷意見はピットニー判事)。
  1917年のヒッチマン判決Hitchman Coal & Coke Co. v. Mitchell, 245 U.S. 229http://supreme.justia.com/us/245/229/case.htmlのピットニー判事による法廷意見は、黄犬契約を結んでいた非組合員の炭坑夫を組織化しようとした統一炭坑労働組合の活動について労働組合が労働者に組合加入を働きかけることは契約違反の誘致にあたり、組合の勧誘行為の差止命令を認め、オルグ活動は労働者の「非組合員的地位」に対して有する経営者の財産権(炭坑を非組合員によって操業する権利)を侵害し、非組合員労働者の契約上の権利を侵害するとの判断も下した。(水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 69頁、竹田有前掲論文170頁)
  私は以上の判例にすべて同意するものである。どういう人を雇うかは雇用主の自由であり、1970年代のイギリスで二次的争議行為により経済がマヒしてしまったように、二次的ボイコットは悪質なものであり、シャーマン法の適用も当然のことである。
 

    クレイトン法の制定と労働組合適用除外規定の論理矛盾

  ウッドロー・ウィルソン大統領の時代(任1913~1921)は進歩主義的国内政治が行われた。私は古典的自由主義に好意的なのでハーディングやクーリッジを好ましい大統領とみなす。ウィルソンは当然嫌悪すべき政治家である。
   労働政策としては労働省設立、1914年クレイトン法の制定 (シャーマン法違反の予防的規制を目的とし,競争を阻害する価格差別,不当な排他的条件付き取引の禁止,合併等企業結合の規制,3倍額損害賠償制度等について定めたが、第6条で労働組合の正当な活動を反トラスト法の適用除外とし、第20条で差止命令の命令の発給を原則として禁止した。) 1918年全国戦時労働理事会(NWLB)の設置(NWLBはリベラル派が推進した産業民主主義路線で、ストを禁止したものの団体交渉と賃金・作業の標準化を厳しく貫き1150件に及ぶ仲裁を行った結果、AFLの組合員数は戦中に100万人も増加したのである )といったことが挙げられる。
 
    AFL終身会長のサミュエル・ゴンパースが「労働者のマグナ・カルタ」と絶賛したのがクレイトン法である。
    クレイトン法第6条は次のように規定する。「人間労働は商品または商品の目的物ではない。反トラスト法のいかなる規定も、相互扶助の目的で設立され資本を有さずまたは営利行為をしない労働団体の存在、活動を禁止し、または労働団体の構成員が当該団体の正当な目的を合法的に遂行することを禁止・制限するものと解釈するべきではなく、更にかかる団体またはその構成員が反トラスト法の下における不法な団結または取引を制限する共謀であると解釈されてはならない」(荒木誠之「 アメリカ団結立法の形成と運営(一) ワグナー法を中心として」 『法政研究』九大44巻3号 1978年44頁  https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/browse-title?bottom=2324%2F1749)
    クレイトン法第20条は次のように規定する「裁判所は雇用者の財産あるいは財産権に弁償不可能な損害が及ぶことを防止する以外は、雇用者と被傭者の間の争議について、この条文に列挙された平和的・合法的な行動に対してインジャンクションを発することはできない」(紀平英作『ニューディール政治秩序の形成運営の研究』京都大学学術出版会1993 83頁)

     しかしクレイトン法は「労働者のマグナカルタ」にはならなかった。
    クレイトン法の労働組合適用除外規定は1921年のデュプレックス印刷機製造会社判決、アメリカ鉄鋼会社判決、ツルアックス対コリガン判決で実質無効化されることになる。
   

 クレイトン法の労働組合適用除外規定に実効性がなかった。それは当然のことである。労働組合は単に共済互助団体ではないのである。 労働組合はどう定義されているのか。経済史家の岡田与好が世界で初めて労働組合を法認したとされる英国の1871年「労働組合法」(人類史上の重大な過ち)の法律的定義により説明している。
  「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」(岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 28頁)
  労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結を、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、岡田与好によると労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。
 

 その目的は各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する自由を全面的に否定し、他者の個別契約の自由を侵害し、労働協約により特定の集団的労働条件を強要することにある。団結とは取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引に制限を加えることを目的とする。そもそも労働組合の目的自体が不法なのである。したがってクレイトン法の6条「正当な目的を合法的に遂行する」は本来論理矛盾である。
    コモンローには営業制限の法理があって伝統的に営業制限を嫌うのである。それは営業と誠実な勤勉さを奨励する公序に基づく。労働組合の目的は営業制限であり、本来それはコンスピラシーであり犯罪と把握されていた。
    さらに争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
  かりに、罷業が他者の権利を侵害しない「個別的自由の集合ないし総和」としての行為の職場放棄を認めるとしても、ストライキが単に個人の自発的行為の総和であるということはまず絶対ありえない。ストライキに、他者に脅迫、威嚇、暴力はつきものである。脅迫、威嚇、暴力で就労妨害を行わなければ、ストライキは成功しない。ピケッティングといっても説得活動に威嚇、脅し、暴力はつきものだ。
   当時ピケッティングや説得活動であるが、適法とされるのは「個別的自由の集合ないし総和」と認められる限りの行為であって、いささかでもこれを超える要素があると判断されれば違法とされたのであって裁判所の許容する範囲は極めて狭かった。(合衆国で平穏なピケッティングを表現権として認めたのは1941年のソーンヒル対アラバマ事件THORNHILL v. STATE OF ALABAMA, 310 U.S. 88 (1940) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=310&invol=88である)
   クレイトン法の「平和的」「合法的」な行動というのも、論理矛盾であるし、曖昧な規定であるから裁判所によって「平和的」「合法的」を狭く解釈する余地があった。

      

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2009/03/07

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(2)

 
 レイバーインジャンクション(労働争議差止命令)その1

 
(要旨-結論)レイバーインジャンクションを断固支持した1920年代連邦最高裁タフトコート。営業権は財産権である。取引を妨害する団結・ストライキは公的不法妨害  public nuisanceという判断を支持する。 階級立法を容認せず断固叩き潰すというのが正義だ。階級立法こそ憎むべき自由の敵である。法の平等保護を厳格に解釈し、階級立法のすべてを違法とすることが正しい。(今回は前置きなので20年代以前の展開のみ)

 私は30年代の労働立法、1932年の反インジャクション法、ノリスラガーディア法や1935年のワグナー法、1938年の公正労働基準法は廃止すべきであると述べてきた。我が国においても息苦しい社会の閉塞感を打破するため、戦後レジームを根本的に見直し、黄金の1920年代的公序モデルへの回帰を主張したい。20年代の何が良かったか。その1つは司法部が保守的だった(いわゆるロックナーエイジである)。アメリカでは1880年から1930年に少なくとも4300件の労働争議差止命令が出され、特に1920年代にはストライキの25%に差止命令が出されたのである。なぜならば持続的事業活動の妨害やストライキは財産権を侵害するものとして法と秩序に反するとされていたのである。それが正常な感性である。
 賃金カルテルたる労働組合を駆逐することにより、より競争的で自由な企業活動と雇用契約の自由を保障することが経済再生の近道である。
 
 財産権は神聖であるというチャンピオン的見解
 
  ブラックストンの『英法釈義』(1765~69)「財産権ほど、かくも広く人類の想像力を喚起し、その心を魅了するものはない。それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものてある」「第三の絶対的な権利、これはイングランドの人間なら誰もが生まれながらにして持っているものだが、この権利とは財産についての権利であり、それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである。そして、その制約を受けたり減らされたりすることは、唯一国の法律によるのでなければ、一切なしえないのである」(『公用収用の理論―公法私法二分論の克服と統合』 リチャード・A.エプステイン 松浦 好治訳37頁)
 「国の法律」の意味だが、20世紀の社会経済規制立法のように財産権を制約することを正当化するものでは全くないのである。「正規の手続によらなければ個人から財産を奪うことはできず、特例的、臨時的な手続きでは裁判の代わりになりえないことを意味するものでしかない‥‥ブラックストンの時代にあっては‥‥議会優位の発展は見られなかった」(前掲書49頁)と説明されているとおりである。つまり財産権は議会の立法権によっても侵害されるべきものではない。

   合衆国最高裁極保守派裁判官と知られるブリューワ判事(David Josiah Brewer任1889~1908)は1891年のイェール大学の講演で次のように述べた。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」(ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経済の交錯』 八千代出版1994年 89頁)

 レイバーインジャンクションと財産権の無体財産への拡大

 私がブリューワ判事をチャンピオンとして尊敬する理由は上記の講演や1905年ロックナー判決の賛同者と言うだけではでない。1895年デブス事件判決起草者であることである。IN RE DEBS, 158 U.S. 564 (1895) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=158&invol=564 
この判決の意義はレイバーインジャクションと労働争議へのシャーマン法の適用を支持した。つまり1894年のプルマンストライキにおいて、郵便車両運行の妨害が行われたが、連邦政府の営業(郵便)は財産であること、これを保護するに普通法上の救済では不十分であること、州際通商を妨害するストは公的不法妨害であることを確認し、又、州際通商妨害抑止のため、法務総裁の申し立てに基づく差止命令の利用を認めたシャーマン法(1890年)の労働争議への適用を承認した法の労働争議への適用を消極的ではあるが支持したことにある。
 これによって労働争議は衡平法管轄権にとりいれられ、レイバーインジャンクションの著名な歴史がはじまった(山内久史「アメリカ連邦労働政策の変化とレイバーインジャンクションの機能 : ノリスー・ラガーディア法の成立とタフト・ハートレー法以後の展開」『早稲田法学会誌』36巻1986http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/6448)決定的意義である。
  私は、シャーマン法が、起草者のシャーマン上院議員は意図していなかったにせよ、労働組合にも適用され、鉄道ストや二次的ボイコットのような労働争議の抑止力となった点を高く評価したいのである。労働組合の本質が、本来は不法な取引=営業の制限と競争の抑止にある以上、営業制限の法理というコモン・ローのアプローチを採用したシャーマン法に適用されたのは道理で不可解な事では全くないと解釈するものである。
 池田信夫ブログの「春闘というカルテル」http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/153f6e42c9974b9fecb8587809017d50、を見てください。賃金カルテルが労働組合の本質でもあるわけです。
 賃金カルテルは18世紀の代表的な法曹の見解によればコンスピラシーであり犯罪だった。法曹の大御所であったマンスフィールド卿(王座裁判所King,s Bench主席裁判官、近代において最も偉大な法曹の一人)の1783年のエックレス事件の意見は傍論ではあるがよく引用される。「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952)つまり団結・労働組合は刑事共謀そのもの犯罪団体であることを本質としております。それを労働基本権とか言って、人権だなどというのはちゃんちゃらおかしいわけであります。

 1890年制定シャーマン法第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」ものだが、「契約」「団結」「共謀」という文言が労働組合を包含するのかという問題について、労働組合を本法の適用外におくという修正条項も検討された。ところが法案提出の最終段階で修正条項が脱落したといわれている。それは議会が労働組合も脅威と認識されていたことを示す。我が国でも独占禁止法は労働組合にも適用できるようにし取り締まることによって駆逐するというのが私の考えであリます。
 シャーマン法が労働組合に適用された最初の事件は1893年3月25日のニューオーリンズの荷馬車馭者組合の同盟罷業と他の組合の同情罷業が、州際ないし国際間の取引商品の輸送を完全に遮断したという理由で検察側のインジャンクションを許した事例であるが(田端博邦「アメリカにおける「営業の自由」と団結権 」東京大学社会科学研究所研究報告 第18集『資本主義法の形成と展開  2』東京大学出版会1972年)
  しかし、ストライキの規模の大きさという点で1894年プルマンストライキの労働争議差止命令の意義が大きい。

   (1894年プルマンストライキの概要)

 シカゴのプルマン寝台車会社は寝台車や展望車を製造し、シカゴに集まるすべての鉄道会社と契約して、会社の車両を旅客列車に連結して料金を徴収し営業を行い、寝台車の客室サービスもプルマン寝台車会社の直営だった。
 1894年5月、20%賃下げの提案をめぐって労働争議となり、労使交渉は進捗せずストライキが続いていたが、6月26日からデブスを組合長とする産業別組合のアメリカ鉄道従業員組合が、プルマン車の連結した列車の取り扱いを拒否する、一種のボイコットを行った。このためプルマン車と契約関係にあるすべての鉄道会社が紛争に巻き込まれ、当時はまだ自動車輸送が発達していなかったので、州際取引商品の輸送が止まり、郵便も止まった。
 6月30日にシカゴ駐在の連邦司法検事は首都の法務総裁に次のように報告した。「29日夜ストライキ参加者によって郵便車が止められ、機関車が切り離されて動かなくなった。情勢は次第に切迫し、あらゆる列車がとまるおそれがある。執行吏に、列車に乗り込んで郵便を守り、妨害者を逮捕し、執行代行者を雇い入れる権限を与えることが望ましい」。 法務総裁はこの提案を認め、時のクリーブランド大統領はインジャンクションを裁判所に申請した。
 その根拠は第一に憲法及び普通法の下において郵便および州際取引は連邦政府の専管に属するものであり、その保護には連邦裁判所が差止命令によって干渉する権能を有する。第二に1890年7月2日に成立したシャーマン法が州際間の営業または取引を制限する共謀は違法であると宣言され、連邦巡回裁判所にこの種の共謀を防止し差止める権限が付与されていることであった。
 全般的差止命令は7月3日に送達された。
 内容は大略して被告デブス、ハワード…ならびにかれらと団結し共謀するすべてのものに下記の行為を禁止するものあった。
 州際の旅客並びに貨物の運送人としての業務、郵便車、州際取引に従事する列車、機関車、車輌、鉄道会社の財産につき業務を妨げ、阻止しまたは停止する行為。鉄道の構内に上記の目的で立ち入る行為、信号機に対する同様の行為、鉄道会社の従業員の何人に対してでも、従業員としての義務の履行を拒みまたは怠るよう、威嚇、脅迫、説得または暴力を用いて強要しまたは勧誘し、あるいはそれを企てる行為、従業員になろうとする者を同様の手段で妨げる行為、州際輸送を妨害するための共謀、団結の一環をなすすべての行為、上掲のいずれかの行為を行うよう命令、指令。幇助、助成する行為。
 しかし7月3日の状況は、ロック・アイランドの連絡駅で、2千から3千人の暴徒の群れが占拠していて、郵便車を転覆させ、すべての車輌の通過を妨害した。解散命令には応じず、嘲笑と怒声になった。さらに暴徒は数台の手荷物車を横倒しにしたため、軍隊の出動が要請された。夜9時には陸軍司令官の出動命令を出され、軍隊が到着したが、鉄道施設の破壊や焼打ちが行われ、連邦裁判所の差止命令に公然たる挑戦がなされた。
 しかし6日に逮捕が進行し、8日に大統領より市民は暴徒に近づかないよう告示が出された。10日にはデブスら労働組合幹部が逮捕され、20日には軍隊が去りストライキは終息した。 ( 有泉亨「物語労働法12第11話レイバー・インジャンクション」『法学セミナー』1971年8月号)

  レイバーインジャンクションはアメリカ法の南北戦争後の発展によるものである。山内久史(前掲論文)によると、使用者の営業権は財産権ではなく人格権と理解されていたし、取引を制限するような団結は犯罪であると解されていた。労働争議を衡平法管轄権に委譲する制定法はなかったが、南北戦争後のアメリカ産業の発展にともなう複雑な社会問題に対応するためには普通法の事後的損害賠償では救済は不十分だった。又、陪審員が介在する刑事訴追手続きでは審理が遅延するため、違法行為の抑止のためには衡平法上の手続と法定侮辱罪の利用を求められるのは当然だった。
 差止命令は略式手続で迅速に発給され、それに従わない被告は法定侮辱罪を構成するので、労働争議抑圧に効果的であったのである。
 そのために財産権は有体財産から無体財産に拡大し、従来人格権とされていたものの保護に衡平法上の手続と救済を与え、犯罪を公的不法妨害、法定侮辱罪で処罪できるようにした。
 
 このアメリカ法の発展は当然のものと考える。ストライキは法と秩序を破壊しするだけでなく、法は営業と誠実な勤勉さを奨励するという伝統的なパプリックポリシーに沿ったものである。
 「事業」は「財産」と同義と理解された。事業運営、事業に伴う取引の妨害は財産権の侵害であり保護されるべきものである。
 また「不法侵入」は会社所有地の侵入のみならず、事業の持続的運営への干渉(例えば列車運行の妨害、就労妨害、スト参加の勧誘)も含むようになった。
 重要なことは、雇用主非組合員の個人的自由も財産権と明快に示されたことである。1892年の連邦最高裁コーダレーン判決である。
 したがって、この時代は組合が非組合員の就労を妨害し、雇用契約や労働条件を統制したり支配することは財産権の侵害とみなされていた。イギリスでは、クローズドショップが違法となり、非組合員の解雇を求める二次的争議行為が違法とされたのはサッチャー政権以降のことであるが、アメリカ法が19世紀に非組合員の権利をすでに擁護していたことを評価したい。
 雇用主がスト破りを処遇する自由、従業員を解雇する自由も財産権であるから、それに圧力をかけることは違法とされたのである。(竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年)
 

 

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2009/03/01

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(1)

  非組合員の権利という観点から20世紀初期から1920年代にかけての全米製造業協会などの反労働組合運動(団体交渉・協約締結拒否)としてのオープンショップ運動を私は高く評価します。以前にも書きましたが構成を改めて再掲します。
   
   
    オープンショップ運動の理念が正しい
   
  イギリスでかつて労働組合が強かった理由の一つにクローズドショップによる労働市場と労働過程、従業員の支配がある。オープンショップ運動はクローズドショップを個々の労働者の権利と自由を否定する非アメリカ的なものとして徹底的に排除する雇用主の政策である。実質的には団体交渉や協約など労働組合の関与を否定する運動なのである。その組合敵視主義について水町勇一郎の著作(註1)が1901年採択されたの全国金属業者協会の基本方針が引用されている。
   
1 被用者に関して---われわれ使用者は、労働者が行う作業に対し責任を負っている。したがって、われわれがだれがその作業を行う能力をもち、その作業を行わせるにふさわしいかを決定する裁量を専権的に有している。かりに労働組織が適切に機能することを妨げる意図がなくても、われわれはわれわれの経営に対するいかなる干渉も容認しない。
   
2  ストライキとロックアウト---本協会は、労使紛争の解決のためにストライキやロックアウトを行うことを承認しない。本協会は、すべての合理的手段が失敗に終わったとき以外にロックアウトを認めないし、ストライキを行っている被用者たちを一つの集団として扱うことをしない。
 
3 被用者の関係---工場で働く労働者は、そのすべての同僚被用者と平和にかつ協調的に働き、使用者の利益のために忠誠を尽くして働かなければならない。

 
  私はオープンショップ運動にこそアメリカ社会の基層に健全なものを見ることができると考えております。

 1920年代のハーディング、クーリッジの共和党政権・タフトコートの保守的な連邦最高裁時代というのは、オープンショップ運動とレイバーインジャンクション(労働争議の差止命令)の多用、あるいは黄犬契約といった、明確な反組合主義と、より洗練されたあり方としてはウェルフェアキャピタリズムと呼ばれる従業員に友好的で温情主義的な経営手法などにより労働組合の組織化の挫折がはかられた時代なのて゜ある。労働組合の組織率は、1920年に17.5%であったものが、1930年に9.3%にまで低下した(註2)。私が1920年代を称賛するのはそのためである。

 このまま推移していけばアメリカは自由主義経済の健全な社会として推移していったはずであるが、大恐慌とニューディール政策によって著しく左傾化することになる。
 フランクファーターのような左翼急進主義者による企みであった1932年のノリスラガーディア法という反インジャンクション法により平穏なビケッティング・集会などの労働組合活動が制定法で判例を覆すかたちで法認され、黄犬契約が規制され、これがアメリカ社会左傾化の第一歩であった。1935年の全国労働関係法(ワグナー法)により民間企業労働者に団結権・団体交渉権および団体行動を実体的権利として規定し、労働組合を強化することになった。20年代のデトロイトは組合の組織化を阻止してきたが、UAW(全米自動車労組)は1935に結成され1937年にGMとクライスラーが組織化されたのである。「赤い30年代」と呼ばれるこの時代、失業者が都市にあふれて不穏な社会情勢だったが、座り込みストのような悪質なストライキがあったこともあるが、団体交渉による産業平和の確立というのはニューディール政策なのであって、ノリスラガーディア法とワグナー法がなければ、産業別組合の台頭はなかったはずである。もっとも戦時期に著しく労働組合が増大したこと、1946から47年にストライキが多発したことから、労働組合の権利を抑制するため1947年のタフトハートレー法では、クローズドショップの禁止、二次的ボイコットなど「不当組合行為」を規定し、刑事罰の適用を導入して、直接行動に大きく枠をはめるとともに、「冷却期間」をもうけてストライキを抑制し、工場現場のワークルールの経営権の回復と、フォアマン(職長)層の労働組合組織化が否定され(註3)、行き過ぎは修正されたが、タフトハートレー法はよりましなものとはいえ、ワグナーへ法の基本的枠組みを変更するものではない。
  我が国ではキレン経済科学局労働課長のような労働組合主義者によって戦後の労働政策が推進されたためタフトハートレー法ほど労働組合を警戒するものにはなっていない。私が不愉快に思うのは、今日、政治家であれ官僚であれ学者であれ、戦後教育を受けた世代になっていて、そもそも1930年代の一政策にすぎない、労働基本権や失業対策にすぎなかった公正労働基準法のような労働者保護立法を自明の前提としていることである。戦後レジームの粉砕を叫ぶ保守主義者ですら、労働三法の見直しを口にしている人をなかなか見いだすことができない。
  そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
 ストライキ以前の問題として、コモンローの理論を遡っていくと、営業制限の法理ににもとづく営業の自由のコロラリーとしての個人の労働の自由、労働力取引の自由を阻害するものとして、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成により、労働者の団結そのものも、コンスピラシー(共謀)の要件に該当するものとして把握されていた。
 犯罪とされていたものを権利とする。他人の権利を侵害することを権利とする労働基本権が正義に反することはいうまでもない。ハーディングの言葉を借りれば「正常への復帰」のために労働基本権を否定すべきである。

 重要なことは20世紀初頭のオープンショップ運動は、セオドア・ルーズベルト政権の商務労働省においても支持されていたことである。
 セオドア・ルーズベルトの「スクエアディール」施策としてストライキへの積極介入がある。1902年ペンシルヴァニアの無煙炭坑労働者のストライキの介入がよく知られているが、労使双方をホワイトハウスに呼んで、調停委員会を任命し、ストライキを収拾したが、調停委員会は概ね資本側の意向に即して人選され1903年に裁定を下している。そこで10%賃上げと9時間労働の設定で労働者の要求に応えたが、組合活動については、反組織労働の線を明確にした。すなわち裁定は組合員であるか否かによる差別や非組合員に対する組合の干渉を禁じただけでなく、「非組合員の権利は組合員のそれと同様に神聖である。多数派が組合を結成することにより、それに加入しない者に関しても権限を得るという主張は支持できない。」と明記された。オープンショップ運動はこの時期から本格化していく(註4)。セオドア・ルーズベルトはコーポラティズムを指向した革新主義的政治家ともみなされるが、組織労働者に決定的な権利を付与することはなかったと言う点で、フランクリン・ルーズベルトよりずっとましな政治家だった。 
 オープンショップ運動の非組合員の権利は神聖であるという趣旨は、個人の労働力取引の自由と就業の権利、団体行動をしない権利を尊重するものだろう。
 そうすると、現行の全国労働関係法は、従業員の3割の署名にもとづき組合代表選挙による過半数の支持によって労働組合が排他的交渉代表権をうることになり、労働協約が締結されると、個別契約は否定され非組合員でも協約が適用されるので、個人の労働力取引の自由、契約の自由は侵害されることになる。つまり多数決で個人の自由が侵害されるものであるから、非組合員の権利は決して尊重されているわけではない。
 もっとも、1947年のタフトハートレー法ワグナー法の「団結する権利、労働団体を結成・加入・支援する権利、自ら選んだ代表者を通じて団体交渉を行う権利、および、団体交渉またはその他の相互扶助ないし相互保護のために、その他の団体行動を行う権利」に対し、「それらの行動のいずれかを、またはいずれも行わない権利を有する」(7条) と定め消極的団結権、団体行動を行わない権利を労働者に付与して、労働組合主義奨励ではなく、中立立法としたし、セクション14(b)によって、雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止することを州の権限として認めた。いわゆる労働権法(Right to Work law)であるが、それは強制的に組合員となり組合費を徴収されないだけで、労働協約の適用から逃れられるわけではないので、本質的な意味でのRight to Work lawではないのである。
 私は南部諸州が労働権法(Right to Work law)を制定していることを評価はするが、それが最善のものだとは言っていない。現行法制の枠組では労働権州が良いと言っていっているだけ。ロックナー時代のオープンショップポリシーこそ望ましいの在り方である。
 
 オープンショップ運動を全国的な運動に結集する要の役割を果たしたのが全国製造業者協会(NAM-National Association of Manufacturers)http://www.nam.org/s_nam/index.aspである。NAMは1895年に輸出増進を主眼として設立された団体だが、労使関係の危機意識が高まるなかで1903年に反労働組合戦線結成の大会を開き124の経営者団体が参加した。ここでアメリカ市民産業連盟(CIAA)が設立され、NAMの組織を基盤にオープンショップ運動を展開、NAMはレイバーインジャンクション(労働争議における裁判所の差止命令)の要請、組合指導者の告発、損害賠償の訴追を積極的に行った。1907年にNAM主導で全国産業防衛協議会(NCID-後の全国産業協議会NIC)が設立された(註5)。
  第一次世界大戦参戦は「アメリカ史上まれにみる労働組合の勢力拡大期」とされる。その理由は1918年全国戦時労働理事会(NWLB)の設置である。NWLBはリベラル派が推進した産業民主主義路線で、ストを禁止したものの団体交渉と賃金・作業の標準化を厳しく貫き1150件に及ぶ仲裁を行った結果、AFLの組合員数は戦中に100万人も増加したのである。戦時協力が口実になって雇用主が嫌悪する団体交渉が促進されたのである。
 しかし戦後になると雇用主の多くは、組合活動を敵視する戦前の態度に戻った。戦中の賃金上昇は戦後の急激なインフレで意味を失った。政府は平時経済への転換や復員兵の労働市場復帰の対策は行わなかった。
 そうした状況で1919年に400万人以上の労働者がストライキに入ったとされるが、鉄鋼ストが最大である。労働組合は鉄鋼資本側の反組合的攻勢に対し、団体交渉権の承認、8時間労働制度、週休1日制度(当時は一日12時間週7日労働)、24時間交代制の廃止、8時間以上の超過勤務手当、日曜休日労働の2倍賃金、組合費の給与天引などを要求し、9月22日からストに入り、29日には鉄鋼労働者の9割36万5600人がストに参加したが、軍隊の動員、全国産業会議での決裂、合同組合の度重なる離反で勢いが弱まり、1920年1月8日になお10万人の労働者が職場を離脱していたにもかかわらず、組合はなんの譲歩も引き出せずに、ストは終結した(註6)。この鉄鋼ストの完全敗北で労働組合の衰退は決定的になった。20年代を通じて組織率は低下していくのである。

  第一次大戦後、1919年秋の鉄鋼ストの完全敗北は、経営者に労働者の戦闘性と労働組合主義の伝播を阻止しようとする決意を強めさせた。19年末までに全国鋳造業協会、全国製造業者協会、全国金属産業協会などが戦前のオープンショップ論を再び鼓吹し始め、20年秋までにオープンショップ諸協会の全国ネットがつくられ、ニューヨーク州の50団体、イリノイ州の46団体、ミシガン州の23団体が加わった。1920年の大統領選挙では「正常への復帰」をスローガンとする共和党ハーディングが勝利し、保守的なムードが国中に漂ったが、ロシア革命などの世界情勢から1920年夏にアカ恐怖ヒステリーがピークに達し、組織労働者が共産主義にかぶれているという抜きがたい公衆の疑惑は、オープンショップ運動に有利に働き、人々には革新主義への敵意が広がったのである(註7)。労働者の戦闘性は急激に減退した。ストライキ件数は1920年の3411件から、22年には1112件に落ち、組合員が100万人以上減少したのである(註8)。
 
 なおクローズドシッョプ協定は今日では合衆国では1947年タフトハートレー法、イギリスでは制定法でもコモンローでも否定され、過去のものとなっている。(関連して言うとイギリスではユニオンショップも否定されている。また合衆国では1947年タフト・ハートレー法で被用者に団体行動に関与をしない権利を定めており、ユニオンショップ協定は容認しているが、数々の規制を設け、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。労働組合が従業員を支配しやすいユニオンショップ協定は実質的に否定されている。又、タフト・ハートレー法は労働権法(Right to Work law-雇用条件として労働組合員たることを要求されない被用者の権利-結果として全ての組合保障条項が否定される)を制定している南部を中心とする22州とグァムではhttp://www.nrtw.org/rtws.htm、連邦法の適用下にある州際産業の工場、事業場についても、それが州の地理的領域内にある限りユニオンショップ制を禁止する州のの権限を承認していることはすべに述べたとおりである。但し、1951年改正鉄道労働法が州のいかなる法律の条項にかかわらずユニオンショップ協定を認めた。これは組合側の巻き返しでもあるが、鉄道業が州際産業としての性格が強く、地理的条件でショップ制が異なる混乱を避けるためのものと思われる)
 アメリカの風土でクローズドショップによる労働市場、労働過程の組合の支配が嫌悪されるのは当然のことです。イギリスでは労働者の移動性が高く、労働過程の職人的技能に依存した時代に労働組合が成長し、組合は徒弟制とクローズドショップによる労働市場の支配、人員配置その他様々な仕事規則をもってする労働過程の支配によって力を構築した。これがイギリスの産業の弱点になった。産業革命最先進国であったにもかかわらず、大量生産技術、体系的人事管理をともなう第二次産業革命に適応できず、欧米の競争国のような急速な大規模企業、大量生産企業の創出を困難とした(註9)。 
 そういう意味でもオープンショップ運動はアメリカ社会の健全性の証である。
 (続く)
(註1)水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005年
       56頁
(註2)前掲書53頁

(註3)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房(京都)2007年 197頁以下

(註4)(註5)長沼秀典・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 297~300頁

(註6)黒川博『U.S.スティール経営史』ミネルヴァ書房(京都)1993

(註7)S.M.ジャコービィ『雇用官僚制』増補改訂版2005年 217頁

(註8)前掲書220頁

(註9)前掲書9頁

その他引用、参考『世界歴史体系 アメリカ史2』山川出版社1998

辻本慶治『アメリカにおける労使の実態』酒井書店1969 Ⅴ「アメリカにおけるライク・トウ・ワーク立法について」207頁以下

平尾・伊藤・関口・森川編著『アメリカ大企業と労働者-1920年代労務管理史研究』北海道大学出版会
1998年

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2008/06/23

感想 リチャード・エプステイン『公用収用の理論』(1)

 ロックナー判決マンセーと言いながら、恥ずかしながらこの著書(松浦好治監訳 木鐸社 2000年)も読んでなかったのですが、偶々丸の内丸善でアメリカ法の棚にあったので買いました。
 私がシカゴ大学ロースクールのエプステイン教授を好む理由は、20世紀社会立法を歯切れ良く違法、違憲として叩き斬っていくところにあります。
  著者の主張を簡単に言うと、緒言に、「憲法の公用収用条項(「正当な補償なしに私有財産を公共の用のために収用されることはない」)とそれに並行する条項は‥‥土地利用規制・家賃統制・労働災害補償法・所得移転給付・累進税などを根拠の薄いものあるいは違憲の疑いにあるにとする」と言ってますが、327頁以下にさらに重要な事が書かれていた。
  労働時間や賃金の規制立法は契約自由の実体的デュープロセスの法理でなくても、公用収用条項でカバーできるとする。雇用契約における労働時間や賃金の制限は「疑いなく部分収用である‥‥どこから見ても階級立法であり、憲法上全面的に無効にされることが求められる」つまりロックナー判決は実体的デュープロセスの法理でなく別の理由で違憲にできたということのようです。

 さらに「連邦労働関係法は契約自由と私有財産の排他的占有に対して複雑な制限を伴うのだから、公用収用法上の根拠から当然違法とされなければならない」
 つまりワグナー法以降の団結・団体交渉権を労働組合に付与する立法自体が違法という主張であり、ニューディール立法の全面否定である。
 この論理からすれば失業者へのワークシェアリングを立法趣旨とする所定時間外の割増賃金を定める公正労働基準法も違法・違憲になってしかるべきだろう。我が国では共産党も産経新聞も同じ穴の狢で、残業代支払い訴訟に好意的な論評をやってますが、とんでもない。もうこういう訴訟はなくして、企業の財産を剥奪するのを止めましょうと言うべきだ。労働基準法自体が契約自由、個人の労働の自由侵害と言うだけでなく、財産権の侵害という角度からも問題だと言わなければならないわけです。エプステイン教授は公民権法タイトル7のような雇用差別禁止法にも批判的ですが、コモンローの不法行為法だけでいいんだっちゃーのという考えですね。
 我が国にはエプスタイン教授のような自由主義の復権のために20世紀的社会立法の大部分を無効にするという壮大な構想を持つリバータリアンの学者に乏しいと思う。若い人にはそういうタイブの出現を期待している。

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2008/06/07

感想 井村真己「アメリカにおける雇用差別禁止法理の再考察」(1)

 『日本労働法学会誌』100号2002年、これはシカゴ大学のリチャード・A・エプステイン(エプスタイン)Richard Epstein教授(不法行為法のコモンロー学者、政治哲学的にはリバータリアンの論者)の主張、1964年公民権法タイトル7をはじめとする雇用差別禁止立法は、契約の自由を侵害し、自由で競争的な市場に対して荷重な費用を課すものであるがゆえに廃止すべきであるという見解の論評である。
 著者の井村は弱者救済立法は必要だとしてエプステインを批判する立場であるが、私は基本的にエプステイン教授の見解に賛同したい。
 つまり雇用差別禁止立法は「彼が満足した相手と取引することを許容する契約の自由に対するアンチテーゼ」(井村論文157頁)であり、契約の自由を不当に制限するものとして単純明快に斬っているが賛同する。我が国の男女雇用機会均等法は差別禁止の厳格さという点で疑問があり、合衆国のタイトル7とは性格が異なりますが、男女雇用機会均等法その他実質女性厚遇立法については、エプステインの言うように契約の自由を不当に制限する単純にただそれだけの理由だけでも全面的に廃止すべきだと思う。
 結婚退職を前提として高卒女子を多く採用するか、ワーキングマザーも雇用保障するかは、経営者の裁量権であるべきで、政府が干渉することが大きな間違いだった。政府が女子の採用や昇進という雇用判断に干渉することがそもそも間違いだったと思います。
 ワーキングマザーを厚遇したり雇用保障する政策は、雇用主に高卒女子採用の意欲を弱めて、高卒女子に不利益になっただけでなく、結婚して男に頼らなくてもやっていけるという幻想を働く女性に懐かせ、女性に対する結婚圧力を弱め、初婚年齢の高齢化と未婚化を促していると考える。その観点からすれば、結婚退職が前提で、育休もないが、昔のように高卒女子を多く雇用し良い仕事を与える雇用主の方がましだと思います。その方が少子化対策になりますよ。冗談になりますが、銀行に行っても面白くないんだ。80年代は、若くて愛想の良い美人が窓口に坐っていたのでどきどきときめいた。未だに脳裏にこびりついて忘れられないが、今は女性が雇用保障されておばはんばっかで楽しみがなくなった。
 そもそも、雇用機会均等法が本当に女性のための利益になったのかは疑問です。よくいわれていることは、短大卒女子は雇用機会均等法の被害者になりました。というのは、法施行当時、企業は均等法対策として、ニューメディア戦略と称して、事務職の採用を短大から四大にシフトさせましたが、就職実績で学生を集めていた短大には痛手になった、短大離れを加速させたと言われております。当時は好況期で求人数は減ってないのですが、、短大女子の75%がOL志望なのにはしごをはずされてしまったわけですよ。
 ざっくり言ってしまえば昔は女子は高卒、短大卒で大企業事務職に就職でき、教育費用も少なくすんだが、四大進学率が高くなって、女子の教育費もかかるようになったので、教育投資分を回収するために結婚より働くことが優先するようになってますます、婚姻年齢が高くなるということです。
 少子化の原因がフェミニズムの政策なのですから、それをやめればよいというのが私の意見です。
 エプステインはそもそも雇用における平等の実現は必要ないと言ってます。「長期間における人的関係である雇用契約においては、その組織管理の効率性の観点から、ある種の差別を行うことは、企業の競争力を改善できるとして、認められるべきである」(井村論文160頁)。ワーキングマザーを厚遇する政策は、それが企業の競争力を改善する効率性がないのならやめるべきだし、経営者の雇用判断、裁量であるべきで、政府が干渉すべきではない。
 というより、私は差別禁止立法というだけでなく、労働組合の団体協約であれ、労働基準法のような政府による労働者保護立法であれ、個人の自由な労働力取引に第三者が干渉し労働力の自由な使用を規制、圧力を加えるものの全てに反対である。
 労働組合が強かった時代のイギリスでも、労働協約にはあくまでも紳士協定程度のものであって、法的拘束力はなかったのである。なぜなら、コモンローにおいては団体協約は営業制限の法理に反し、営業の自由のコロラリーとしての個人の労働力取引の自由を侵害するので違法であるから、違法であるが法的拘束力のない紳士協定として存在したというだけである。
 イギリスにおいては、労働協約に法的拘束力という概念は馴染まない。それは本質的に違法であるからである。再三引用してますが、1992年保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のように述べてます。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」(小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006年 28頁)
 もうはっきり団体交渉と労働協約に基づく労働関係をやめようと言っているわけです。再三繰り返してますが、イギリスの15年の好景気の要因は80~90年代の保守党政権の反労働組合立法の効果ですよ。 

 私がエプステイン説を好む理由の一つのは、労働の自己所有のシステムを提唱していることだ。その前提となっているのが、ロックの所有権理論であるが、ロックを持ち出さなくても、少なくとも16世紀から18世紀に遡ることのできる営業の自由のコロラリーとしての個人の労働力処分の自由を主張してもよいだろう。
「人間は自己の身体について排他的な独占権を持つ‥‥このことは、自己の身体を用いて行われる労働についても、同様に自己によって所有されることを意味する‥‥労働の自己所有のシステムにおいては、人々に他人の労働を支配する権利は認められず、労働を所有している個人が、自分がふさわしいと考える方法で、他人に対して自己の労働を支配する独占的な権利を与えるものである」(井村論文159頁)
 労働の自己所有のシステムを構築には労働組合の駆逐が必要だろう。
実際、エプステインは労働組合活動法認政策である1932年ノリス・ラガーディア法、1935年ワグナー法を柱とする労働法の構造を徹底的に批判し、個人の自由から「ニューディール立法は多くの点で誤りであり、可能ならばこれをスクラップして不法行為法と契約法に依拠した賢明なコモン・ロー制度にとって代わられるべきである」とする見解(水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 120頁以下)を示している。
 つまり労働組合の職務統制は、他者の労働を支配し、労働の自己所有を否認し、競争的でなく、横並び、効率的でない働き方を強要するものである。結局労働組合の職務統制の支配を受けていると、雇用される能力を伸ばすことができず、個人にとっても不利益になる。
 東京都水道局では超過勤務拒否闘争や時限ストライキを今年もやってます。仕事をさせない圧力が加わりますが、それ自体が個人の労働力処分の自由を侵害するものであるといえる。
 労働基本権が個人の労働力取引の自由の侵害を前提としている以上、それは個人の自由にとって最大の敵であるということである。

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2008/05/25

やっぱり労働権州がビジネスに適している

1月のニュースで古い記事ですが、
「Chief Executive」誌が毎年行う、「ビジネスに適した州」ランキング(各企業のCEOに対する調査)http://www.chiefexecutive.net/ME2/dirmod.asp?sid=&nm=&type=Publishing&mod=Publications%3A%3AArticle&mid=8F3A7027421841978F18BE895F87F791&tier=4&id=825A023151814D3080CA036D026E6E69によると、1位テキサス、2位ネバダ、3位ノースカロライナ、4位バージニア、5位テネシーでベスト10のうち、8位のインディアナを除いて9州がRight to Work States労働権州(雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止する)です。

労働権州の地図http://www.nrtw.org/rtws.htm

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2008/02/03

レイバー・インジャンクションの端緒となった1877年大鉄道ストライキについて

 極保守派主導による1895年判決の意義シリーズの続編としてプルマン・ストライキへのレイバー・インジャクションを支持した判決の決定的意義を取り上げるところであったが、その前史も重要であることがわかったので今回はその関連記事として1877年大鉄道ストライキを中心に論評する。
 
  州裁判所のレイバー・インジャンクションのリーディングケースは1888年Sherry. v.Perkins,147Mass.212である。ストライキに入った靴工組合が工場前で仲間に操業しないように呼びかけた旗を使用者の営業に対する、不法、有害な行為として差止命令を許した。又同じ年のBrance Bros.r.Svansで二次的ボイコットに対する差止命令が発給された(註1)。
  しかし、レイバー・インジャンクションそのものではないが、端緒は1877年大鉄道ストの連邦軍出動にあった。
 アメリカの鉄道は1830年に始まり、1869年には大陸横断鉄道が完成し、全国的な鉄道網が成立、1880年に営業マイル数は8万4千マイルに達した。
 重要な事は70年代以降になると競争により経営の悪化するケースも少なくなかった。1877年には、85社約1万4千マイル(全体の18%)が破産中で裁判所の管財下におかれていた。鉄道労働争議抑圧の直接的法的根拠になったのが、連邦裁判所の財産管理命令だった(註2)。
 1877年は日本では西南戦争が勃発した明治10年だが、アメリカでは7月に大鉄道ストが勃発したhttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1871-80/1877_5.html。これはいかなるものだったか。このストは7月16日ボルチモア&オハイオ鉄道に始まり、他社(ペンシルベニア鉄道、イリー鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道など)各地に飛び火、ピッツバーグとシカゴなどで罷業者及び住民が州民兵と衝突し百名以上の死者と重軽傷者数百名が発生している。全米で貨物列車の半分が止まったとされている。全米的規模の最初のストライキであり、平時の労働争議に連邦政府が介入し軍が出動した最初の事件でもあった。背景は1873年恐慌による産業の沈滞と、大鉄道の競争激化で、賃下げが合理的経営の主要な手段とされたことだが、当時の大量の浮浪者、失業問題、都市問題が絡んでいた。
 当時の車掌組合、機関車機関助手組合、機関士組合は共済互助団体のようなものであって、指導者はストに反対していた。セントルイスのケースを除くとストは突発的、無計画で指導性が欠如しており、鉄道労働者のストに付和雷同して浮浪者、失業者等の群衆が加わり、あるいは10代の青少年が暴徒となって騒乱になるのが殆どだった。ストライキの途中で食糧等の略奪が起きている。いわゆる一揆、パン寄こせ運動のような様相も呈していたのである。警察や州軍が対応している間はストが持続しているケースが多い。州軍の民兵はストに同調したり寝返るケースも少なくなかったが、ウェストバージニア、メリーランド、ペンシルベニア、インディアナ、イリノイ等の各州に連邦軍が出動して暴徒を制圧し、ペンシルベニアの炭坑地域を除いて8月3日までに多くのストライキは解消している。このストの全容については小澤治郎の著書等(註1)に詳しいが、ここでは数例を取り上げるにとどめる。

ウェスト・バージニアとボルチモアの情勢

 7月16日のストの勃発は、ボルチモア&オハイオ鉄道の10%賃下げの通告により、ウェストバージニア州のマーチンズバーグで始まっている。労働者は機関車を列車から切り離して車庫の中に入れて賃下げを取り消すまで列車は出発させないと声明を出し、多くの群衆が集まった。警察の無力化で逮捕されたストライキ指導者を実力で奪還するなど無法状態となった。鉄道側はウェストバージニア州に軍隊の出動を要請、列車が州兵に守られて突破を試み、脱線させようとするスト参加者の1人とそれを阻止しようとした1名の兵士との間で一寸撃ちあいになっただけで、州軍の民兵は発砲を拒否したため、マシュウズ知事は法の支配を維持するためヘイズ大統領に連邦軍の派遣を要請した。20日にはスト参加者を駅構内から排除し、スト側はなお列車通行を妨害したが連邦軍が制圧した。
 騒乱はボルチモアに移った。ボルチモアでは群衆(暴徒=モッブ)が州軍本部を包囲し圧倒した。暴徒の投石に対して州軍の発砲で十数人が死亡、22人の重傷者が発生した。群衆が駅を包囲し、客車三輌、プラットフォーム、機関車から火の手が上がったが、メリーランドのカロル知事は連邦軍の出動を要請したため放火も小規模に止まり、警察と自警団の協力で事態は沈静化、30日にはボルチモア&オハイオ鉄道は新規採用者で放棄された仕事を埋めストライキは解消した。

ビッツバーグの惨状

 次に7月19日に始まったペンシルベニアセントラル鉄道ストにおける、ピッツバーグの情勢である。州軍が到着してもスト側は彼等に発砲の権限がないことを知って動揺はなく、嘲笑をもって迎え、逆にスト側が州軍を説得する場面が多くみられたという。夜になって、浮浪者を含むスト参加者の群れでごった返した。21日にフィラデルフィアからの州軍増援により事態が変わった。同じビッツバーグ市民の民兵では制圧が難しかったのでわざわざフィラデルフィアからやってきたのである。
 州軍は女・子どもを含む5千人の大群衆に一斉射撃を行った。10人ほど死んだがいずれも鉄道に関係のない労働者だった。もっともこれは命令ではなく司令官は発砲したくなかった。群衆側からの投石、嘲笑、散発的なピストルの射撃があり、偶発的にそうなった。これに対して市民が憤激し、ゼネスト状態となったためビッツバーグの州軍は解散、群衆(暴徒=モップ)は興奮状態になって鉄砲店に押し入り、数千丁の銃、ピストルが暴徒の手に渡ったため、増援部隊の州軍は群衆に圧倒されて機関車庫にたて籠もる羽目となった。
 今度は群衆が州軍に一斉射撃を行い24人ほどが死んだ。22日には放火がなされ、車庫、ユニオン駅など鉄道会社の施設に放火されたほか、79の建物、125両の機関車と3500両の車輌が放火され、数千の暴徒が貨車の積み荷を略奪、巨大な穀物倉庫も炎に包まれたが、ゼネストで消防の出動も抑えられていたのである。
 フィラデルフィアから来た州軍は逃走したが暴徒に追撃され、アルゲニー武器庫にたどり着いたが襲撃を恐れる指揮官から滞在を拒否され、12マイル離れた村にまで逃走する始末だった。
 しかし、死者53人、重傷者109人、火災発生で恐怖心を持った市民が、ストライキ支持を反省し、自警団が組織され、暴力反対の立場をとった。警察も力を得るようになって暴徒の武器も没収され、連邦軍の出動をみることなく平静に戻っていった。
 この事件は教訓になるだろう。州軍が一斉射撃の後、群衆を制圧していたなら、武器略奪、放火の惨状にまでに至らなかった。暴徒(モッブ)に対する州軍の弱腰が事態をいっそう悪化させたのである。

シンシナティの情勢

 シンシナティでは7月23日からオハイオ&ミシシッピ鉄道の列車乗務員がストに入ったが、大半のオハイオ州軍がニユーワークヘ出動中で、不穏な情勢となり午後からストの主導権が13~21歳の青少年の手に移った。彼らは駅を包囲し、機関士やレール工場の労働者を追い出した。鉄橋放火や食糧運搬馬車の略奪もあったが、市民が自警的方策をとり、鉄道労働者が武装して列車の運行を護衛した。労働者が暴徒と行動をともにすることを拒否した事例である。

セントルイスの情勢

 ここでは、自然発生的騒乱となった他の都市とは異なり、指導的で酒場など閉鎖するなど規律のあるストライキが一貫して行われた。セントルイスでゼネストを指導したワーキング゜メンズ・パーティというのはシカゴの第一インターナショナルとも関係があり社会主義者だった。23日にイーストセントルイスの執行部が貨物列車の全面停止を命ずる指令1号が出されたが、暴徒による騒乱は起きてない。何とミズーリ・パシフィック鉄道が25%の賃上げで妥結する(実は連邦軍の搬送のための策略だった)。しかしスト執行部は24日の指令第2号でどの鉄道も妥結すべきではないとした。鉄道以外でストが広がり、午後遅くに群衆が駅に集まってきた。すでにヘイズ大統領はシンシナティとセントルイスへの連邦軍の派遣を考慮しており、午後6時には陸軍400人がユニオン駅に到着、州知事の要請はなくただ単に連邦政府の公的財産を守るために出動したとされた。夜、鋳型工と機械工のデモがあり、ルーカス・マーケットで1万人集会がなされた。対して公安当局は、陸軍長官に1万挺のライフル銃、2000挺のピストル、1砲兵中隊の派遣を要請。25日商品交換所は閉鎖して従業員を州軍に参加できるようにするとともに、自警団の組織化と州軍の増強がはかられた。労働側もストを拡大させ示威行進を行い不穏な情勢は続いたが、26日には南北戦争で活躍した前将軍たちが州軍の指揮をとることとなり、野戦病院まで準備され、鉄砲店は在庫をすべて市当局に提供した。労働側との戦争準備は整った。27日小競り合いが起きたが、騎馬警官隊が群衆を蹴散らした。スト側の執行部でいざこざがあり、組織力は低下していくことになる。あと数日ストが続くと、石炭不足でセントルイスの全産業の操業が不可能になり、騒動がおきかねない情勢だった。
 ミズーリ州側は厳戒態勢だったが、問題はミシシッピ川を隔てたイリノイ州側のイーストセントルイスである。鉄道労働者の町であり労働者がリレー駅を占拠し、セントルイス・ユニオン駅との通信も労働者が支配しており、市政も労働者の手中にあった。イリノイ州軍は非力なので、連邦軍の出動が必要だった。干渉の良い口実があった。イーストセントルイスでストにより列車が止まった鉄道のいくつかが破産中で連邦法廷の管財下にあったのである。財産管理命令というかたちでの連邦政府の干渉を行うことになったのである。ここで大活躍したのがセントルイスの連邦地方判事サミュエル・トリートとシカゴの連邦巡回区控訴裁判所判事ドラモンドである。
 29日朝、連邦軍はイ-ヅ鉄橋を占拠し、イーストセントルイスのリレー駅に軍隊は向かった。労働者は逃げたものの、なお貨物列車停止の抵抗が続いたが、多数の労働者が逮捕されるに及びストは崩れていった。31日秩序は回復しセントルイスの州軍は解散した。
 セントルイスのケースも良い教訓になるだろう。労働者評議会型のゼネストに対し公安当局、反労働者の陣営は決然たる姿勢で武器を準備し野戦病院を準備し南北戦退役軍人部隊まで動員して労働者との戦争に備えた。モッブ(暴徒)による放火、略奪のような無法状態は回避することができた。
 

連邦軍出動の法的根拠

 1877年大鉄道ストの連邦軍出動の法的根拠は、(1)州内反乱の抑圧援助(修正法律5297条)、(2)武器庫等連邦財産の保護、(3)連邦裁判所の管財命令である。郵便逓送妨害や、州際通商の妨害は根拠とされていない。インディアナ、イリノイ、カリフォルニアに出動した(3)のケースが直接労働争議の抑圧のためのものであるが、、最初にストが勃発したウェストバージニアやメリーランドのケースは(1)に該当し、平たく言えば暴徒を鎮めることであって、労働争議を直接抑圧することを目的とはしていない。にもかかわらず(1)(2)の根拠で、罷業者など群衆によるピケを排除・防止するとともに会社側のスト破り等の列車の運行を確保しており、実質的に労働争議抑圧の手段になった。この場合1894年のプルマン・ストライキのように、郵便逓送の妨害や、州際通商の妨害を根拠としたインジャンクションのほうが理屈としてはわかりやすいとはいえるだろう。
  
 (3)のケースがレイバー・インジャンクションの端緒とされる。King V.Ohio & Ry.,14Fed.539であるが、これは会社の管財人の財産管理命令である。管財人は裁判所の職員であり、その職務執行妨害は法廷侮辱罪を構成し、略式手続により科罰の対象とされたのである。
ドラモンド巡回区判事による判決は、管財人の占有におかれた財産は裁判所に属する財産であり、裁判所が使用する総ての手段によって保護をうけるとし、被告たちを含む群衆は、駅を占拠し、会社の被用者を脅迫して列車の運行を妨害した。会社財産に直接の損害はないが、数日にわたって列車の運行が停止した。列車運行に対する直接の妨害は、本廷の命令不服従を構成し、法廷侮辱罪が成立する。そしてそれは「個人および公共の利益に対する重大な侵害である」列車の妨害は公共の権利に対する侵害であり、彼等が自ら労働を放棄するにとどまらず暴力や脅迫により、他人の労働を侵害していると述べた(註2)。
 私は、他人の労働を侵害していることを不法としていることを重視したい。これは他人の権利を侵害するコンスピラシーの法理を想起させる。説得活動・ピケッティングの抑制の重要な論拠だろう。
 1848年ハント判決により刑事共謀法理がすたれたわけではないのである。辻秀典によると団結活動それ自体は、目的・適用の両面にわたって厳しい制約の下にあったのである。ピケッティングや説得活動であるが、適法とされるのは「個別的自由の集合ないし総和」と認められる限りの行為であって、いささかでもこれを超える要素があると判断されれば違法とされたのであって裁判所の許容する範囲は極めて狭かった。共謀法理の適用でなく、管財妨害を論じている判決でも受け継がれており、不法な妨害行為とされたのである(註2)。私は平穏なピケッティングを認めた1941年のソーンヒル対アラバマ事件それ自体批判的なのであって(註4)、1920年代以前のピケッティングの評価が正しいと考える。

 鉄道管財制度によって連邦政府は初めて、鉄道争議に直接的に介入したのが、この事件であった。鉄道会社は、管財下の鉄道会社の財産管理命令だけでなく、管財下におかれてない鉄道会社の争議抑圧にも適用されることを望んだ。1888年に至って、バーリントン鉄道争議事件で管財下の会社の枠を超え、レイバー・インジャンクションが発給されるに至る。
 
 引用文献その他
(註1)秋田成就 『公企労センター調査研究資料第40号 違法争議行為抑制措置としてのレイバー・インジャンクションについて-諸外国における実情を中心として』公共企業体等労働問題研究センター 1975-77
(註2)辻秀典「アメリカ労働法における団結権思想の一齣」前田達男・萬井隆令・西谷敏編『労働法学の理論と課題』有斐閣1988年
(註3)小澤治郎『アメリカ鉄道業の展開』ミネルヴァ書房1992年。このほか1877年ストに言及している著作として、ハワード・ジン著猿谷要監修富田・平野・油井訳世界歴史叢書『民衆のアメリカ史上巻-1492年から現代まで』明石書店2005年、辻秀典「アメリカにおける連邦鉄道労働政策の起源--アメリカ鉄道労働法の研究緒論」『広島法学』6巻2号1982年からも引用している。

(註4)アメリカでは、いうまでもないが、労働基本権などというものは憲法で保障されているわけではない。だからエプステイン教授の言うように、1932年ノリス・ラガーディア法も、1935年ワグナー法という悪法もその気になれば廃止できる。私は1925年以前に時計の針を戻すべきだと考えるが、ただ1941年のソーンヒル対アラバマ事件THORNHILL v. STATE OF ALABAMA, 310 U.S. 88 (1940) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=310&invol=88という連邦最高裁判決がある。労働者が労働争議の事実について平穏なピケッティングに訴えることは、憲法修正第一条の「表現の自由」に含まれるとし、かかる事件にアラバマ州のピケッティング禁止法を適用することは違憲と判示したものであるが、表現権の範疇として平穏なピケッティングを容認することにより、実質的に争議権を法認したものとされている。(田島裕『アメリカ憲法』信山社2004年)
 判決文起草者はマーフィー判事である。カトリック教徒の博愛主義者で人権派の裁判官ですね。日系アメリカ人の強制収容を合憲としたコレマツ判決TOYOSABURO KOREMATSU v. UNITED STATES, 323 U.S. 214 (1944)323 U.S. 214 http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=323&invol=214ではデュープロセスに反するとして強硬な反対意見を記し、日本人の血が流れている者の人権を擁護した。山下奉文陸軍大将の死刑執行の差止めと人身保護令の発出を求める請願を却下したヤマシタ判決APPLICATION OF YAMASHITA, 327 U.S. 1 (1946) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=327&invol=1でもマニラ軍事裁判は無効として反対意見を記している。日本人の一人として敬意を表すべき事柄かもしれないが、私はマーフィー判事の平穏なピケット容認論には反対なんです。ストライキはリスクの大きいギャンブルです。単なる職場放棄、ウォーキングアウトでは協約締結の圧力にはならない。スト破りに、ピケラインを突破されたらストは敗北ですから、ピケッティング、哨戒行為は殺気だった状況であらゆる手段を使ってくる。威嚇、脅し、暴力はつきものです。平穏なストライキなるものは幻想にすぎない。
 平穏なピケッティングを表現権として容認するなら、トップレスバーのダンサーの裸踊りを表現の自由に含ませた方がよっぽどまし。ストーカーを規制するならピケット規制すべきだというのが私の考えです。

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2008/01/14

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(7) 

(要旨)17世紀から18世紀のコモン・ローの反独占の法理、営業制限の法理とシャーマン法は直結するものではないが、その精神は受け継いでいるといって差し支えないだろう。シャーマン法は労働組合に適用されるに至りその真価をいかんなく発揮した。私が反トラスト法に好意的な理由-それは労働争議抑圧に絶大な効果があったという歴史的意義からである。反トラスト法が労働争議に適用されることはなんら不可解なことはない。本来、営業の自由と団結禁止は不可分一体のものだったから。

 1890年シャーマン法の立法過程とコモン・ローの関係がわかりにくいが、谷原修身によると、シャーマン上院議員はトラスト問題の解決のため取引制限や独占に関するコモン・ローの法理を継承することを提案した。連邦議員のメンバーは好意的だったが、合衆国憲法通商条項が連邦議会にトラスト問題を規制する権限を授与しているのか、関税法との関連などで意見の対立があり、結局シャーマン法は、多くの妥協案が取り入れられ、コモン・ローのアプローチを採用しながら、違反者に罰金、禁固刑などの刑事罰を科したこと、違反行為を停止する差止命令を求めうること。損害を蒙った者に私的訴訟を許し、三倍額の賠償を認めた点で、コモン・ローの範囲を超えたと説明されている(註1)。[なお、差止命令(インジャンクション)は衡平法にもとづく、元々イギリスにおいて財産権が不法に侵害され、回復不能な損害が生じるおそれがある場合に、侵害の継続を禁止することから出発したが、合衆国で適用範囲が拡大された。1890年代からのレイバー・インジャンクションが発令されるようになリ、労働争議の抑止に大きな効果があった。]
 しかし谷原氏はスチュアート朝の反独占抗争は独占特許の国王大権が、議会による統制権に姿を変えただけと言っている(註2)。ジェームズⅠ世の治世の1624年独占大条例は、第九条で都市や町村に与えられた特権、すべての団体、会社、組合、商品取引の維持、拡大、調整を目的として設立された商人の団体は
適用除外とされていて、独占を消滅させるものではなかった。ダーシー判決で無効となったトランプの独占権も数年後にカード製造業者に与えられているという。コモン・ロー上、独占を保護することは続いた。コモン・ローでは資本主義の発展に伴って発生した独占化現象に防波堤にはならないとの結論のようである。
 岡田与好によると、1624年の独占条例は、同業組合に付与した特権を適用除外としたため骨抜きにされ、むしろ独占特権が単独の個人から、同業組合に拡大していった。再編ギルドとしてのカンパニーが収縮して、少数組合員による多数同業者による専制支配が強化されたという。事実、チャールズ1世の手によって、小親方層の公認同業組合への組織化がなされ、小営業主の団結が助長され、独占特許が濫発された。これが内乱直前の状況であった。内乱期には、ギルド的独占は廃止されず、むしろ助長されたので、ギルド団体の産業統制を拒否するレッセフェールの浸透は1660年以後のことと述べている(註3)。
 
 いずれにせよ、17世紀の反独占とは性格が違うのでシャーマン法とは直結しない。が、反独占、営業制限の法理あってのシャーマン法であるとはいえる。
 
独占禁止法を営業の自由の制限とみなす見解は通俗的自由主義の偏った見方である

 ところで我が国の独占禁止法は、農地改革、労働組合の公認とともに1947年に戦後「経済民主化」の三大政策と一つとして創出されたが、岡田与好は1979年の著作で(註4)、独占禁止法が自由競争体制を維持発展させる目的であるのに、自由主義を標榜する財界や自民党がつねに消極的で、社会主義を標榜する革新諸政党・団体が主観的意図はともかく独禁法に積極的であるという捻れを指摘している。
 我が国では明治政府の主導のもと生み出された政商支配の資本主義が発達し、政商型独占資本の急速な発展と同業組合的統制の強化・拡大がなされた。このような風土においては、独禁法は経済力の低下をもたらす、統制立法のように受けとめられたのである。
 自由主義なるが故に独禁法に反対だという主張さえみられるが、ここに自由主義に対するいわゆる一つの誤解がある。岡田氏は、独禁法を営業の自由の制限立法として経済統制法の一形態とみなす、わが法律学界に有力な見解を痛烈に批判され、これは「独占放任型自由主義」の立場であるにすぎない。それは通俗的自由主義というもので、古典的自由主義の国家不干渉主義の一面的強調であるという。我が国では経済的自由主義といえばそのように理解されているが、英国の反独占抗争のような歴史をもたないことから偏った理解になりがちだと言うことだろう。
 もっとも、独占放任も経済的自由主義の一類型としてみることができるだろう。しかし古典的自由主義は英国の近世史をみても明らかなように、反独占の精神が基本にある。「独占放任型自由主義」は個人あるいは個別企業の自由の保障の無関心を特徴にしており、極論すると国家と個人の中間団体がいかに個人に対して抑圧的であるとしても、私的結合である限り自由であるという思想では、独占保護的全体主義になだれ込む危険性を有するという重大な問題点がある。
 その例証として岡田氏は19世紀末以来のドイツでは、わが法律学界と同じく「営業の自由」をもっぱら「国家からの自由」として解釈することによって、「営業の自由」の名において「カルテルの自由」=「独占の自由」が法的に承認・強制され、その結果個人〈および個別企業〉の自由-本来の営業の自由-の犠牲のうえに、独占資本の組織的=強権的な私的統制〈カルテル網〉が「自由な」発展を遂げ、ナチズムの前提になった。としている。具体的には1869年の北ドイツ営業令は「カルテルの自由」を保障するものと解され、1897年2月4日ライヒ最高裁判所において、カルテルの諸義務は法的拘束力をもつことが認められ、カルテルは権利とされ、企業の団結が確立され、ドイツの異常に組織的な統制力をもたらし〔それは労働組合の組織強制についてもいえるかもしれないが〕、「営業の自由」を「国家からの自由」とすることによって換骨奪胎して、「個人の自由」を失うこととなったとされている(註3)。だから法理念は重要なんですよ。それが国を破滅に導くことがある。
 逆に反トラスト法は独占放任型自由主義に反するが、反自由主義的経済統制ではない。むしろ「営業の自由」の原理に基づきうるものであり、「反独占型自由主義」と類型化できるものである。
 つまり「営業の自由」という理念に忠実であるとするならば私の考えでは、それが国家の統制であれ、企業の結合による統制であれ、労働組合による統制であれ、取引=営業制限を内容とする、統制、団結、協定、共謀にはつねに敏感に意識するものでなければならないと考えます。
 翻って考えてみるならば、営業の自由と団結禁止を不可分一体とするマンスフィールド卿の原理原則が営業の自由の理念としては明快なのである。同業者の団結も労働の団結も営業の自由にとって有害であり犯罪だという思想である。この類型の自由主義は独占放任主義と対立することになるだろう。
 原理原則論として、営業の自由は本来、独占と結合(団結)から免れる自由。取引を他者(政府・企業・組合)によって制限されることのない自由として把握されなければならない。

シャーマン法が労働組合に適用されたのは道理だ

 そうした意味で私は、シャーマン法が、起草者のシャーマン上院議員は意図していなかったが、労働組合にも適用され、鉄道ストや二次的ボイコットのような労働争議の抑止力となった点を高く評価したいのである。労働組合の本質が、本来は不法な取引=営業の制限と競争の抑止にある以上、コモン・ローのアプローチを採用したシャーマン法に適用されたのは道理で不可解な事では全くないと解釈するものである。
 
 シャーマン法第1条は「州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を不法とする」ものだが、「契約」「団結」「共謀」という文言が労働組合を包含するのかという問題について、労働組合を本法の適用外におくという修正条項も検討された。ところが法案提出の最終段階で修正条項が脱落したといわれている。それは労働組合も脅威と認識されていたことを示す。
 シャーマン法が労働組合に適用された最初の事件は1893年3月25日のニューオーリンズの荷馬車馭者組合の同盟罷業と他の組合の同情罷業が、州際ないし国際間の取引商品の輸送を完全に遮断したという理由で検察側のインジャンクションを許した事例であるが(註5)、1895年のデブス判決IN RE DEBS, 158 U.S. 564 (1895) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=158&invol=564 

は前年のプルマン・ストライキの差止命令を最高裁が゜支持したことで重要な事件です。シャーマン法の適用も消極的ながら支持されている。
 これはプルマン・ストライキ、あるいはシカゴ・ストライキとして知られる、各地で暴力と混乱が生じた著名な事件である。シカゴのプルマン寝台車会社は寝台車や展望車を製造し、シカゴに集まるすべての鉄道会社と契約して、会社の車両を旅客列車に連結して料金を徴収し営業を行っていた。1894年5月、20%賃下げの提案をめぐって労働争議となり、労使交渉は進捗せずストライキが続いていたが、6月26日からデブスを組合長とする産業別組合のアメリカ鉄道従業員組合が、プルマン車の連結した列車の取り扱いを拒否する、一種のボイコットを行った。このためプルマン車と契約関係にあるすべての鉄道会社が紛争に巻き込まれ、当時はまだ自動車輸送が発達していなかったので、州際取引商品の輸送が止まり、郵便も止まった。6月30日にシカゴ駐在の連邦司法検事は首都の検事総長に次のように報告した。「29日夜ストライキ参加者によって郵便車が止められ、機関車が切り離されて動かなくなった。情勢は次第に切迫し、あらゆる列車がとまるおそれがある。執行吏に、列車に乗り込んで郵便を守り、妨害者を逮捕し、執行代行者を雇い入れる権限を与えることが望ましい」。検事総長はこの提案を認め、時のクリーブランド大統領はインジャンクションを裁判所に申請した。その根拠は第一に憲法及び普通法の下において郵便および州際取引は連邦政府の専管に属するものであり、その保護には連邦裁判所が差止命令によって干渉する権能を有する。第二に1890年7月2日に成立したシャーマン法が州際間の営業または取引を制限する共謀は違法であると宣言され、連邦巡回裁判所にこの種の共謀を防止し差止める権限が付与されていることであった。
 全般的差止命令は7月3日に送達された。
 内容は大略して被告デブス、ハワード…ならびにかれらと団結し共謀するすべてのものに下記の行為を禁止するものあった。
 州際の旅客並びに貨物の運送人としての業務、郵便車、州際取引に従事する列車、機関車、車輌、鉄道会社の財産につき業務を妨げ、阻止しまたは停止する行為。鉄道の構内に上記の目的で立ち入る行為、信号機に対する同様の行為、鉄道会社の従業員の何人に対してでも、従業員としての義務の履行を拒みまたは怠る
よう、威嚇、脅迫、説得、力または暴力を用いて強要しまたは勧誘し、あるいはそれを企てる行為、従業員になろうとする者を同様の手段で妨げる行為、州際輸送を妨害するための共謀、団結の一環をなすすべての行為、上掲のいずれかの行為を行うよう命令、指令。幇助、助成する行為。
 しかし7月3日の状況は、ロック・アイランドの連絡駅で、2千から3千人の暴徒の群れが占拠していて、郵便車を転覆させ、すべての車輌の通過を妨害した。解散命令には応じず、嘲笑と怒声になった。さらに暴徒は数台の手荷物車を横倒しにしたため、軍隊の出動が要請された。夜9時には陸軍司令官の出動命令を出され、軍隊が到着したが、鉄道施設の破壊や焼打ちが行われ、連邦裁判所の差止命令に公然たる挑戦がなされた。しかし6日に逮捕が進行し、8日に大統領より市民は暴徒に近づかないよう告示が出された。10日にはデブスら組合幹部が逮捕され、20日には軍隊が去りストライキは終息した。
 本件のインジャンクションは妥当なものと考える。本件はシカゴという重要都市のみならず南太平洋鉄道系統がほとんど完全に止まってしまった、大きなストライキだった。鉄道の運行を妨げる行為は州際取引の自由を保護するシャーマン法に違反するとされたことでも鉄道に限らず、大ストライキに適用される可能性が明らかになったのである(註6)。 続く

(註1)谷原修身『現代独占禁止法要論』六訂版 中央経済社 2003 45~46頁
(註2)前掲書 28頁
(註3)岡田与好編『近代革命の研究』上巻 東京大学出版会1973 岡田与好「Ⅴ市民革命と『経済民主化』」
(註4)岡田与好『自由経済の思想』東京大学出版会1979 39頁以下
(註5)田端博邦「アメリカにおける「営業の自由」と団結権 」東京大学社会科学研究所研究報告 第18集
『資本主義法の形成と展開  2』東京大学出版会1972年
(註6)有泉亨「物語労働法12第11話レイバー・インジャンクション」『法学セミナー』1971年8月号

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2008/01/06

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(6)

 (第5回とは脈絡で繋がっていません)

 岡田与好(経済史)、谷原修身(経済法)の著作を読んでわかったことだが、「経済的自由主義」には2つのタイプがある。18世紀型(第一類型)と19世紀型(第二類型)、マンスフィールド卿型とアダム・スミス型という言い方もされるが、この二類型の違いを理解しておくことが、19世紀における、労働の自由、団結禁止から団結放任、団結法認、コレクティブ・レッセフェールという政策の変化を理解するうえで重要と考えた。
 二つのタイプを分けるものは一言でいえば「営業の自由」と「契約の自由」のどちらに原則をおくかである。2つの類型があるということで経済的自由主義=アダム・スミス信者という単純な図式にはならないのである。私はそれ以前のコモン・ローの反独占・営業の自由と商業革命の意義を重視したいわけです。

 谷原修身は契約法の著名な研究者P.S.Atiyahの所説をを引いて説明している。アダム・スミスの出現以前に「経済的自由主義」と呼ばれる確立した思想体系はなかった。しかし、コーク卿の時代に既に「経済的自由主義」に相当する考え方が存在し、コモン・ローに関係する法律家が強く支持していた。それは、以下のような自由を唱えるものである。財産所有、取引および営業、利子をとること、独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令の規制を受けないこと。(註1)

 プロレーバーではあるが大沼邦博(註2)を引用する。
 絶対主義的な産業規制をはねのけることに重要な役割を果たしたのはコモン・ロー裁判所であった。E.コークはあらゆる「独占」に強い敵意を示し、熱心に経済的自由を擁護した。この傾向は、市民革命によって「コモン・ロー優位」が確立し顕著となる。実際、国王の勅許による営業独占はあらかた廃止され、ギルドの職業規制は崩壊した。18世紀になるとコモン・ロー裁判所はいくつかの判例を通じて「コモン・ローの政策は企業の自由、営業の自由、労働の自由を奨励することにある」という立場を宣明した。
 1563年エリザベス1世の職人規制法の体系も法律として存在しても、実効性を伴わなくなり空文化していく。ブラックストーンは1765年に次のように述べた。「裁判所の判決は、規制を拡大したのではなく、それを一般に制限してきた」。強制的徒弟制度や治安判事の賃金裁定条項は衰退していくのである。17世紀末には既に同条項の適用を年雇労働者や農業奉公人にされていたのである。

 アダム・スミスも同職組合の特権や、徒弟制度の入職規制に強く反対していたので、彼の思想の影響もあって治安判事による賃金裁定は1813年に、徒弟制は1814年に廃止されているが(直接的には労働者が治安判事の裁定を求め、徒弟制を支持していたため、団結の口実を与えないための廃止である)、アダム・スミスが仮に実在せずともこの流れに変わりなかったとも考えられる。
 反独占がなぜ営業の自由になるのかもう少し詳しく述べる。

反独占の古い起源-穀物取引等の経済統制

 中世においては、市場の価格機構における需給調整機能は未だ十分認識されておらず、商品の「買い占め」とそれによる価格吊り上げは倫理的非難の対象とされた。イギリスにおける買占規制の最初の法令1226年法で違反者は晒し台に晒されるのである。これは一般的慣習の法典化である。コモン・ローの下では自由な価格ではなく、低価格が重要視され、買占めは極端に嫌われた。(註3)
 中世末期から絶対王政期になると無制限な営利追求、仲介人の独占価格操作への激しい非難が社会的規模で行われた。1349年穀物取引に関して、合理的価格で適度な利潤に満足する限りで穀物商の合法性を認め、1489年には毛織物生産者の先買期間を設置し、羊毛商の介入を禁止、1552年には食料品取引を主要対象とし、先買、再販、買占に対して一般的法的規定を設け、穀物が限界価格以下の場合、許可をうけた場合のみ仲介商の介入を認める方法が採用された。現在各国の独占禁止法の母体をなす合衆国のシャーマン法は1552年法の規定を継承するといわれているが、先買(販売のため市場に来つつある商品をその途中で購入する行為、人為的価格操作のもっとも単純な形態)の禁止はアングロサクソン時代から法的禁止の対象となっていたものである(註4)。反独占というのは「経済民主化」とか現代の価値観にもとづくものではない。慣習を明文化したような中世の古い法、倫理的価値観に由来するといえるだろう。
 小林栄吾は「反独占法は労働を価格追加の唯一の合理的根拠たらしめるという理念」に導かれ「市場価格が『合理的価格』に収斂するような方向にのみ制限し組織化すること」により「技倆にもとづく労働に基礎をおく、新たな生産諸力発展の展望を打ち出した」と評価する。
  ウェーバーテーゼ(ピューリタンの宗教的価値観-隣人愛実践として神与の使命としての職業労働義務という行動様式と近代資本主義の成立とを相関させる)を否認しませんが、その前提としての反独占の法理も重視したいのです。
 しかし、18世紀には穀物取引の公的規制に反対したアダム・スミスの思想に影響されて、1772年に買占め規制の諸法令は廃止されたのである。裁判所は1800年までコモン・ローの下で買占めを有罪としたが、自由放任主義の浸透により訴追されなくなり、1844年に議会は買占めをコモン・ローの下で訴追することを禁止するに至った。(註3)

国王大権(特許状)による独占の廃棄
 
 16世紀末からの展開については2007/12/23記事http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_468b.htmlで言及しているので若干重複になる。
 エリザベス1世の治世の後期、財政悪化により女王の独占特許状が濫発されていた。特許状発行に伴う上納金を財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だった。また廷臣に与えるべき利権が少なくなり、廷臣への報酬としても特許状が発行されていた。1597年及び1601年議会は、王室の特許状による40種にあまる産業独占、商業独占を果敢に攻撃し、その合法的根拠を追求した。「反独占論争」は王室当局に甚大なショックを与え、1601年11月エリザベス女王自身その非を認め、「独占に反対する布告」により、塩、酢、酒、澱粉、鯨油などの独占特権を無効とし、その他についてはコモン・ロー裁判所により詮議されるものとした(註5)。但し、臣民の自由に対する国王大権の優越を明言して反独占論争に終止符を打った。
 

 1602年のダーシ-対アレン事件Darcy v.Alleinは、女王の開封勅許状によるトランプの輸入・販売・製造の独占を無効としたものだが、王座裁判所の全員一致の意見は「トランプの独占権を原告に付与したことはコモン・ロー、及び臣民の利益と自由に反する」とした。
 どうして娯楽用品にすぎないトランプ(プレイングカード)の輸入・販売・製造独占がコモン・ロー史上の著名な事件になったのかというと、エリザベス女王は独占批判をかわすために議会に譲歩し、1601年の詔勅で多くの独占特権を無効とすると宣言したほか、特許独占によって不利益・損害を被った臣民が損害賠償請求訴訟を提起する自由を認める旨付言したため、特許権について民事訴訟が認められるようになった経緯がある。原告ダーシーは1588年に英国内におけるトランプの輸入・販売・製造の特許権を得た。毎年100マルク支払うことが義務だった。特許権を侵害した、ロンドンの小間物商アレンを訴えたのがこの事件である。

 ダーシーはトランプ遊びは「空虚な事」、時間と財産を失い、臣民の勤労意欲を失わせる機会を与えるため、その濫用を防止し適当で手頃な使用を命ずる事は女王の役目であるとして、特許独占の正当性を主張したが、裁判所は、トランプを製造することは「空虚な事」にあらずと述べた。コモン・ローの下で無効とする理由として、臣民に対して雇用の機会を準備し、怠惰を回避させるすべての営業はコモンウェルスにとって有益である。そのような営業に対する排他的な特許権の付与は臣民の自由と利益に反する。独占は価格を吊り上げ、品質を低下させ、閉め出された取引者を貧しくする弊害がある。女王は詔勅の前文で公共の利益のために付与したにもかかわらず、特許権者の私益に利用され、公共の利益に反するということを述べた。

参考 石井正「産業社会と知的財産」講義メモhttp://www.oit.ac.jp/ip/ishii/MEMO/index3f.htm
 

 コーク卿は後にマグナ・カルタ29条「自由人は,その同輩の合法的裁判によるか,国法によるのでなければ,逮捕,監禁され,その自由保有地,自由,もしくはその自由な習慣を奪われ,法外放置もしくは追放をうけ,またはその他いかなる方法によっても侵害されることはない」を注釈し、「自由」および「諸自由」を示すlibertates libertiesをに言及し、これらが「王国の法」「イングランド臣民の自由」「国王から臣民に与えられた諸特権(privileges)を意味するとことを明らかにし、その上でダーシー事件にふれ、トランプの単独の製造権あるいは他の営業の独占権を特定の人に付与することは、それ以前に営業をしていたか、それを合法的に利用しであろう臣民の自由に反し、それゆえに大憲章に反することを明記した(註6)。
 これは非解釈主義的解釈であって、原意に沿ったものではないだろう。谷原氏がボーディンの所説を引いているように、コモンローの成立期に営業(trade)は殆どなく、「営業の自由」の概念もなかった。外国との貿易は国王の大権に属し、その権利を特別に臣下 に与えない限り、営業権を有するのは国王だった。コーク卿が「営業の自由」と表現しているものも、営業の特権を意味するから、原意に従えば、女王から特権を付与された、独占権者が保護されるべきところ、コーク卿の巧妙な注釈よりマグナ・カルタがイングランド臣民の自由の原理とされた。
 
 しかし私は、コーク卿の非解釈主義的解釈を批判しない。それは道理だったと考える
 12世紀前半に淵源をもつコモン・ロー裁判所は自由人の自由保有地保全を目的としていた。慣習法をベースにしているので、王権から発せられる統治技術としての法体系とは全く違う。自由人の安全と所有を確固とするために優れていた。隷農制が15世紀までに崩壊した。純粋核家族社会であり、土地に縛られず、流動性があり、元々資本主義的な社会特性を有していた。また17世紀初期に制定法により服装が自由になった、身分に応じた衣装に拘束されなくなった。自由人の特権の保護という概念が臣民の自由という原理にされても、とりわけ営業の自由が高唱されても違和感はないのである。
 新刊書(註7)H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」を読みました。それによるとイギリスでは隷農階級は遅くとも15世紀末までに消滅した。イギリス人は1600年には全て「自由人」になっていた。それはコモン・ローが自由を支持してきた帰結だったというのである。既に13世紀の『ブラクトン法令集』に隷農制を脅かす理論的前提があった。その指導原則は法は自由を支持するゆえに、隷農は領主に対してのみ隷属的なのであって、この世の他の人々に対しては自由だと主張した。領主によって隷農身分から解放されれば血統の定めから完全に自由になる。そのうえ、隷農は国王裁判所において領主以外のどの人間も訴える権利があったいう。

 フランスの歴史家マルク・ブロックがフランスとイングランド領主・小農関係の相違を指摘し、イングランドでは親族関係の古い枠組みが早期に解体し、イングランドの小農が個人主義的なのに対し、フランスは共同体のままにとどまった。フランスの農奴制とイギリスの隷農とは完全に異なるという指摘は、法制度的な背景の違いにもよる。
 15世紀の国王裁判所主席裁判官であるフォーテスキューは次のように述べた。「……隷属は人間にとって邪悪な目的によって導入されるが、しかし自由は神によって人間本性に刻み付けられているからである。……自由を支持しない者は神をも恐れぬ残酷者と見なされるであろう。こうしたことを考えると、イングランドのもろもろの法はいかなる事例においても自由を支持するのである」(註7)。フォーテスキューはいかなる事例においても法は自由を支持すると断言した。私は教会法の結婚の自由の理念も重視したいが、近代個人主義的自由は中世の法思想から発展したものだったと理解できる。
 マクファーレンはイギリスは既に16世紀に既に豊かな社会だったとを説明している。フォーテスキューがフランスに亡命したさい1461年の著作で、フランスとイングランドの違いをわかりやすく説明している。フランスはすべての法が国王から発し、人々は臣民だった。イングランドは国民の自発的黙従による制限君主制だった。イングランドには拷問はなかった。フランスのように国王の軍隊による農村の略奪もなかった。塩税のような厳しい取り立てがフランスにあった。フランスでは人々は災難に悩まされ、きわめて悲惨のうちに暮らし、水を飲む毎日である。質の低い酒さえ飲むことはない。かれらのシャミュウズは麻製でまるでズダ袋のようだ。かれらは、上着の下に着るコートとしてきわめて粗末な毛織物を身につける以外に毛織物を知らない。かれらは、長ズボンをはかず、膝下は裸である。女は祝祭日以外裸足である。男も女も新鮮な肉は食べず、ラードないしベーコンのみである。それを少量加え、ポタージュやブロースといったスープにこくを加えるだけであると、フランスの貧しさが強調され、他方イングランドは重税、兵隊の宿営、内国税が欠如しており、住民は土地、家畜が生み出すすべての果実を、かれの努力と他の者の労働によって、陸運・水運双方から得るすべての利潤と商品を、思うがままに使用し享受する。金・銀および人間の生命の維持に必要な者を豊富にもっている。あらゆる種類の魚と肉をたくさん食べる。すべての衣服にすばらしい毛織物を用い……あらゆる器具、道具、農具を……落ち着いたゆたかな生活の成就に必要とされる他のあらゆるものを、大量に所有しておリ、通常判事の前以外で法に訴えられることはなく、その土地の慣習的な法によって正しくあつかわれるのである。
 イングランドが豊かであったからこそ、営業の自由が高唱されたともいえるだろう。

 ジェームス1世の治世には反独占運動は激烈なものとなり、1604年国王は個人に与えられていた全ての特許状を廃止、議会で次のように演説した。
「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は‥‥重要であるので、現状のようにそれを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」(註9)
 しかし王室財政の窮迫と廷臣の金融支配の擁護のため独占特許が濫造されたため、再び反独占運動が昂揚し、1624年には独占大条例が成立した。それは「すべての独占、委託、認可、許可状、特許」の廃止、コモン・ローによるそれらの審査を条文に明記した。しかし、法の適用の免除があり徹底したものではなかった。ロンドンその他自治都市、印刷、硝石、火薬、鉄砲、明礬、ガラス、鉄の鋳造、ニューカッスルの石炭などである。
 チャールズ1世は無謀にも独占特許を増加させたため1640年の「長期議会」では国王への攻撃のるつぼとなった。独占企業家が議会から追放され、いわゆる内乱に突入することとなる。結果的には1688年の王室鉱山条例で金属の鉱業権が王室から剥奪され鉱業独占が一掃されることにより、名誉革命により「初期独占」は解体され、イギリスでは経済的自由主義が確立したとされる。私企業は急激に簇生し、金属工業の繁栄は生産手段生産部門で、オランダ(前期資本の独占支配を維持していた)を追い抜くこととなり、18世紀後半には産業革命に到達することとなる。(註10)。
  経済史家の川北稔は、いわゆるウェーバー・テーゼ(清教徒の職業労働を隣人愛実践として神与の使命として誠実に励む行動様式を資本主義の精神と結びつける)を否定して、産業革命の本当の理由は、イギリス社会の特性と広大な海外市場を確保した商業革命と、ノーフォーク農法による農業革命だという(註11)。しかし、商業革命の前提として、16世紀末から議会の反独占抗争、独占特許状をめぐる国制論争があって、1641年の長期議会では独占企業家が追放され、経済史学でいう「初期独占」は次から次へと否認され、少数の私人に「独占」されていた諸産業部門が、社会全体に解放されていったという営業の自由の確立と、コモン・ロー裁判所が職人規制法に当初から敵対的態度をとり、徒弟の入職規制を骨抜きし(徒弟制度は1813/14年に廃止)、労働の自由の進展がその前提にあるわけで、従って営業の自由と産業革命に到達したこととは結びつけて考えてたい。
 

経済自由主義の2つのタイプの違い
 
 冒頭に述べた、18世紀型、19世紀型経済自由主義の二類型、それは取引制限的契約に対する態度の違いである。つまりパートナーシップにある者や被庸者に組合関係又は雇用関係を離脱した後にも競業禁止義務を課す契約、暖簾(good will)の売手ないし営業譲渡人に競業禁止義務を課す契約、製造業者ないし商人が生産量を制限するか又は価格を決定する契約であるが(註12)、コモン・ロー裁判所は「営業の自由」を重視し、できる限り取引制限的契約を無効にした。
 前者の立場にあるホールズベリーの『イギリス法』第三版第38巻によれば「ひとは欲するところに従い、また欲する場所で適法な営業または職業を営む権利をもつ、というのが、コモン・ローの一般原則であって、コモン・ローは、つねに契約の自由にたいする干渉の危険を冒してでも、営業にたいする干渉が行われないよう注意してきた。というのは、個人の行動の自由にたいする制限はすべて国家の利益にとって有害であるがゆえに、それらの制限に反対することが公序であるからである。」(註13)
 営業制限の法理の指導判例である1711年のミッチェル対レイノルズ判決Mitchel v.Reynolds(パン製造所賃借権の5年間の譲渡の条件として同一教区でのパン屋の営業をしない特約であるが、これは合法と判示されたが違法性を判断するルールを述べたことで指導判例となる)では、王国全域において営業を制限する一般的制限は常に無効、特定地域の部分的営業制限は有効とされたが、その場合でも営業制限は本来的に悪しきものであるがゆえに、営業制限の特約は制限を課した者が、その制限が合理的であることを立証しなければ違法とされたのである。(註12)
 ところが19世紀の後半からアダム・スミスの自由放任思想に影響されてコモン・ロー裁判所の態度が変化する。ミッチェル対レイノルズ判決の判旨とは逆になってしまうのだ。1853年のタリス事件Tallis v.Talliでは逆に制限を課された側が不合理であることを立証しない限り合法とされるようになったのである。1875年Printing and Numerical Registering Co.v.Sampson事件におけるジョージ・ジェッセル卿においては自由放任思想が高唱されている。「自由かつ自発的に締結した契約は神聖なものとして支持すべく司法裁判所はこれを強行すべきである。……この契約の自由に軽々しく干渉すべきではない、という至上の公序を考慮しなければならない。」(註14)
 契約が神聖不可侵という原則のもとでのひとつの問題点は「営業の自由」の名において、「営業を制限する自由」により独占やカルテルをも容認する概念となることだろう。
 ところでシャーマン法(Sherman Act)は、1890年に制定された米国の連邦法で、反トラスト法の中心的な法律のひとつであるが、シャーマン法第1条は、州際、外国との間の取引あるいは通商を制限する全ての契約、トラストその他の形態の団結、共謀を禁じ、労働組合にも適用された。ダンベリー帽子工事件LOEWE v. LAWLOR, 208 U.S. 274 (1908) 208 U.S. 274 は不買運動に参加したことについて北米帽子製造協会への3倍賠償の裁定を維持した例などが知られている。
 そもそも反トラスト法制定運動は、中西部や南部諸州の農民組織による鉄道トラストへの反感からはじまったものだが、当時のコモン・ローは取引制限的契約の違法性の根拠は契約当事者への強制もしくは排除であり、カルテル、価格協定や合併のように契約当事者が自発的な合意により相互の競争を排除する行為が違法とされることはなかったのであり、シャーマン法はコモン・ローの考え方を無視するものであり、オリバー・ウェンデル・ホームズはシャーマン法に明確に批判的であった。(註15)
 しかし、シャーマン法は、先買・再販・買い占め規制の1552年制定法を由来としている説もあることは既に述べた通りである。平林英勝のように「取引制限」や「独占」に関するコモン・ローを連邦法化するものであった http://www.hidekatsu.net/page009.htmlあるいは「コモン・ロー的制定法」という説明のされ方もある。それは17世紀の反独占の法理であり、先に説明した18世紀型の第一類型の経済自由主義に由来する。
 しかし、王権の独占特許状による営業独占と、近現代のトラストとは性格の異なるものである。
 合衆国最高裁UNITED STATES v. TOPCO ASSOCIATES, 405 U.S. 596 (1972) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=us&vol=405&invol=596において「反トラスト法自由主義経済のマグナ・カルタである。反トラスト法が経済的自由と自由主義経済体制を保障している……」(註16)と述べられているが、ここでいう自由主義は反トラスト法は経済的自由主義の19世紀型第二類型(アダム・スミス型自由放任)の自由主義とは折り合いが悪く、むしろ18世紀型第一類型の思想に近いものと判断できるのである。
 
 
(註1)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09]
(註2)大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連し近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 て」関西大学法学論集 38巻1号 [1988.04]
(註3)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(一)」『東洋法学』37巻1号   [1993.09 ]
(註4)小林栄吾「資本主義発達史上における反独占運動の意義」高橋幸八郎,古島敏雄編
『近代化の経済的基礎』岩波書店1968年
(註5)田中豊治「独占体系の解体」 大塚久雄,高橋幸八郎,松田智雄編 『西洋経済史講座 : 封建制から資本主義への移行. 第4』 岩波書店1960年
(註6)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(二)」『東洋法学』37巻2号 [1994.01]
(註7)(註1)J.H.ベイカー(川添美央子訳)「1200年から1600年におけるイングランドのコモン・ローにおける個人の自由」R.Wデイビス編鷲見誠一/田上雅儀監訳『西洋における近代的自由の起源』慶応義塾大学法学研究会2007年所収。
(註8)アラン・マクファーレン酒田利夫訳『イギリス個人主義の起源』リプロボート1993年 296頁以下
(註9)堀部政男「イギリス革命と人権」東京大学社会科学研究所編『基本的人権第2』東京大学出版会1968
(註10)『大塚久雄著作集. 第3巻』近代資本主義の系譜 岩波書店 1969年
(註11)川北稔編『新版世界各国史11イギリス史』山川出版社 1998年 247頁
(註12)谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09]
(註13)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』15頁
(註14)岡田与好『独占と営業の自由 ひとつの論争的研究 』木鐸社  1975東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 23~24頁
(註15) 谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(五)」『東洋法学』 39巻1号 [1995.09] 
(註16)J.H.シェネェフィールド・I.M.ステルツァー 著、金子晃・佐藤潤訳 『アメリカ独占禁止法 実務と理論』三省堂2004年 1頁

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2008/01/04

労働基本権が基本的人権だなどいうのは大きな間違いである(3)

 労働組合はどう定義されるのか。経済史家の岡田与好が世界で初めて労働組合を法認したとされる英国の1871年「労働組合法」(人類史上の重大な過ち)の法律的定義により説明している。
  「trade unionとは一時的であると恒久的であるとを問わず、労働者と使用者との関係、もしくは労働者相互の関係、または使用者相互の関係を規制し、あるいは職業もしくは事業の遂行に制限的条件を課すことを目的とし、もし本法が制定されなかったならば、その目的のひとつあるいはそれ以上が、営業を制限することにあるという理由により、不法な団結とみなされたであろうような団結、をいう」(註1)
  労働組合とはコモン・ロー上、営業制限とみなされ違法ないし不法とされかねない団結を、制定法によって不法性を取り除いて、法の保護を受けうる存在としたと説明されている。使用者団体もtrade unionという共通の名称のもとで法的に保護されることにより、岡田与好によると労働力取引の団体交渉-個人交渉の排除-が、当事者の平等の原則のもとに公認したのが1871年法である。「個人の自由」から「集団の自由」への転換であり、本来の営業の自由の形骸化をもたらした。(註2)とするが私はこれが人類史上の大きな過ちだったと思っている。
   又、「営業制限の法理」doctrine restraint of tradeが19世紀後半に変化した。「営業の自由」の原則により「契約の自由」の制限から、「契約の自由」の原則から「営業の自由」の制限を含む契約の自由放任へ転換したとされている(註3)。 労働組合法認の背景として捉えたいが、ここにミニ憲法革命のような問題がひそんでいる臭いがするので別途検討する。
  これは一つの説明だが、もっと単刀直入に言って、労働組合=団結とは「営業=取引を制限する刑事共謀」そのものだとみてもよい(1855年のヒルトン対エッカースレイ判決のクロンプトン判事の見解-註4)。上記の定義にコンピラシー(共謀法理)により犯罪という観点が抜けているので補足する。
  コンスピラシーはイギリス法に固有といわれてます。13世紀以降の共謀法理の進展については2007/04/22ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_89a0_1.htmlで言及しましたが、共謀法理はエドワードⅥ世の治世1548-49年法において「ある価格でなければ仕事をしないとか、他の者がはじめた仕事の完成を引き受けないとか、1日にはある一定の仕事しかしないとか、ある時間しか仕事をしないと共謀する」ことに適用された。
  コンビネーション(団結)には常に不法・犯罪の臭いがつきまとうとみなすのが、法律家の正しい感覚なのである。中西洋によれば共謀法理というものが、イギリス社会が各人の自主的な善意の連帯をひろく自由にゆだねていたことの反面だったとする。第3者を害することを意図しない人々の放任はイギリス社会の特性だから(註5)。従って真に自由な社会においては共謀罪によって第3者から害されないための制度的枠組みが必要なのかもしれない。
 近代において最も偉大な法曹の一人とされるマンスフィールド卿の1783年のエックレス事件の意見はよく引用される。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(註6)
 統制と不自由に慣れきった現代人からみると厳格な個人主義的自由の論理と思われるかもしれないが、この18世紀的自由理念は称賛してよいのではないか。このマンスフィールド卿こそ1758年のランカシャー地方の織布工層の大ストライキの弾圧者(註7)でありますが、それゆえに尊敬するものであります。
 上記の趣旨からすると、はじめに言及した定義で労働組合が「営業制限」というのは、例えばある価格でなければ仕事をしないとか、ある時間しか仕事をしないといった合意そのものということになる。労・使の個人的取引でない団結や協定は「営業制限」であり違法ということになる。この原則からすると労働組合が法認される余地は全くない。
 しかし19世紀の判例になると、ニュアンスが違ってくる。19世紀の制定法、判例の展開は重要なので後日詳細に論じたいが、今回は簡単に言及しておきます。
 一つが「営業=取引を制限するコンスピラシー」(conspiracy in restraint of trade)であり、私が理解したところでは各人が自己の労働と資本を自己の欲するところにしたがって処分する完全な自由を法は保護する考え方である。18世紀的な考え方と同じ。1855年のヒルトン対エッカースレイ判決のクロンプトン判事の見解がそうである。
 又、犯罪とはされなかったが1867年のホーンビィ対クローズ判決のように、出来高払いでは働かない、解雇された場合の相互扶助の義務とかストライキ支援の目的のある組合規約を「営業制限」としたケースも類例とみてよいだろう。(註8)
 もう一つは「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure the trade of another)の概念構成である。1868年のアール卿の見解(註9)が代表的であり、結果的にいうとこの見解が労働組合法認の方向性を与えた。
 取引を制限する契約を是認するが、不法な妨害を受けることなしに、取引する権利を有する者の自由意思に、強制や妨害を加えることによって、その者の取引を害するための団結は犯罪とするものであるが、この考え方は大変甘かったと私は思う。 つづく

(註1)岡田与好「経済的自由主義とは何か-『営業の自由論争』との関連において-」『社会科学研究』東京大学社会科学研究所  37巻4号1985 28頁
(註2)前掲論文 29頁 
(註3)岡田与好『独占と営業の自由 ひとつの論争的研究 』木鐸社  1975(コピーからの引用で本書かどうか推定で未確認)130頁 前掲論文23頁参照 
(註4)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952 129頁
(註5)中西洋『《賃金》《職業-労働組合》《国家》の理論』ミネルヴァ書房(京都)1998 66頁
(註6)片岡曻 前掲書 98頁
(註7)前掲書 99頁
(註8) 石田 真  「イギリス団結権史に関する一考察-上-労働組合の法認と『営業制限の法理』 」 早稲田法学会誌  (通号 26) [1976.03] 303頁以下
  この論文はインターネットでも見ることができます。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6333/1/A05111951-00-026000277.pdf
(註9)片岡曻 前掲書 130頁

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2007/12/23

読書感想 小野功生・大西晴樹編『〈帝国〉化するイギリス 一七世紀の商業社会と文化の諸相』その1

読書感想といいながら、上掲の図書とは直接無関係ないことも冗長に述べます。

 小野功生・ 大西晴樹編『〈帝国〉化するイギリス 一七世紀の商業社会と文化の諸相』彩流社2006年は6人の著者によるミルトン研究の論文集である。ここでは主として 第一章 大西晴樹「商業革命とミルトン」を取り上げる。昨年刊行の本ですが、神田神保町の書泉グランデでぱらっとみたところ、面白そうだと思って買いました。
 序論で「宗教的・市民的・政治的自由の擁護者であることを自他ともに認めてきたジョン・ミルトン。自由を基本理念とする西欧近代市民社会誕生を準備した重要人物」と述べられている。大筋で異論はない。
 ミルトンが同時代人のロジャー・ウィリアムズとともに良心の自由・宗教の自由に貢献した偉大な人物であるということは間違いない。
 但し、私は精神的自由も重視するが、歴史的には、コモン・ローの営業制限の法理に基づく、トレイド(営業)の自由の確立が先行している。そちらの方に決定的な意義があると考える。近代的自由の根源は歴史的にみて「営業制限の法理」だろう。精神的自由は経済的自由という前提がなければ、それも確立されない。今日、大多数の憲法学者が支持している個人の経済的自由と精神的自由についてのダブルスタンダードは全く不当なものであるいうのが私の主張になります。

本書を読む前提として反独占の法理とトレイドの自由について

 中世以降の欧州では国王が特定の者に対して特定の商品の国内での一手販売権を付与するという「特許独占」が行われていた英国においては16世紀末より国王(女王)の特許状による営業独占に反対する議会と王権との間で激しい抗争があった。この問題は国王大権にかかわり、国王の権力を制限する微妙な問題があったが、裁判所は反独占権の法理を展開し特許状による営業独占をコモン・ロー、臣民の自由に反すると判示した。法の支配とはまさにこのことである。
 1599年のディビナント対ハーディス判決Davenant v.Hurdisは「あらゆる臣民は、法によってみずからが好むいかなる織物職工であれ、自己の織物を仕上げさせる自由をもっているのであって、一定の者に限定することは事実上独占になるので……特許状に名をかりたそのような条令、または特許状によるそのような効果をもついかなる権利付与も、無効になる」と判示された。
 16世紀末、財政悪化により女王の独占特許状が濫発されていた。特許状発行に伴うリベートを財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だった。また廷臣に与えるべき利権が少なくなり、廷臣への報酬としても特許状が発行された。そうしたことで、鉄、ガラス、石炭、鉛、塩といった物資にまで独占が及び、独占価格により商品の価格もつりあがった。
 1601年の議会は独占批判で荒れ模様となり、下院では国王の特許状発行を制限する法案が検討された。女王エリザベス1世は批判の高まりに衝撃を受け、国王大権の優越を明言しつつも親愛なる臣民の一般的善のために一定数の特許を廃止するとともに、独占付与による損害について通常の救済方法に訴えることを臣民の自由とする譲歩により収拾を図った。
 1602年ダーシー対アレン判決Darcy v.Alleinは、独占権が有害であるという法廷による決定的なステートメントとしてコモン・ロー史上著名な判決である。1598年原告エドワード・ダーシーは、女王から英国の市場でトランプの全てを輸入し販売する開封勅許状を受け取っていた。ところがロンドンの小間物商が女王と原告の許可なしにトランプを販売したため訴えられた。

 王座裁判所全員一致の意見は「原告にたいする……前記の権利付与はまったく無効である……コモン・ローには、四つの理由で反する。第一に、すべての営業は……国家にとって有益であり、したがって、トランプの独占権を原告に付与したことは、コモン・ロー、および臣民の利益と自由に反する。……第二に……おなじ営業を営む者に損害と侵害をあたえるばかりでなく、その他のすべての臣民に損害と侵害をあたえるというのは、それらのすべての独占は、特許被授与者の私的な利得を目的としているからである。……第三に、女王は、権利付与によって欺かれた……女王は権利付与が公共の福利となることを意図していたのである。それが特許被授与者の私的な利得のため、および公共の利益の侵害となるように使われるからである。第四にこの権利付与は先例のない事例である……」
 エドワード・コーク卿は後にこれをマグナ・カルタに基礎づけた「もし誰かある人にトランプ製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」

 ジェームズ1世の時代には反独占運動が激烈となり、国王は1604年の「自由貿易のための法案に関する指示」において「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は、他のすべてのなかでも最も主要なまた最も裕福なものであり……それを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」と理由を述べた。

 1624年には「独占および刑法の適用免除ならびにその没収に関する法律」が制定されたが、独占権の全ての問題を解決はできなかった。
 1625年のイプスウィッチ仕立屋判決Ipswich Tailors Case http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=911&chapter=106357&layout=html&Itemid=27は重要に思える。原告イプスウィッチテーラーズは国王の開封勅許状により設立され、イプスウィッチの町で仕立業を営む者は、原告団体の親方、管理人のもとヘ出頭するまでは、店舗や部屋をもち、徒弟やジャニーマンを雇ってはならず、少なくとも7年間徒弟として奉公したことを証明しなければならなかった。これは違反者に3ポンド13シリング4ペンスを請求した金銭債務訴訟だが、判決はこうなった。
 「第一に、コモン・ロー上、何人も合法的な営業に従事することを禁止されることはできない。というのは、法は怠惰、悪の根源……を嫌うからである。……したがってコモン・ローは、人が合法的な営業に従事することを禁止するすべての独占を禁止するのである。第二に、被告に制限を加えることは、法に反する。…というのは、臣民の自由に反するからである……」
法が独占を禁止する意味として、法は無為、怠惰、悪の根源を嫌うとしているのである。営業制限の法理はたんに自由のためではなく、道徳的・倫理的に行動する価値観を支えているのである。美徳ある自由を意味する。
 これは営業制限について全般的に考察した指導判例ミッチェル対レイノルズ判決Mitchel v. Reynolds(1711年)「非任意的制限(当事者の合意に基づかないもの)に関して、国王の権利附与および特許状ならびに定款による制限が一般的に無効であるという第一の理由は、法が営業および誠実な勤勉さに与えている奨励に由来し、臣民の自由に反するからである。」に繋がる意義を有する。
 コモン・ローは無為と怠惰と悪の根源を嫌い、営業と誠実な勤勉さを奨励する公序良俗を守るためにも一般的な営業制限を無効とするということだ。美徳を保持・奨励するためにも自由が必要なのです。

 ここではチャールズ1世の時代と内乱期の独占権問題については省略するが、このように法の支配の下に営業制限の法理が発展してきた意義は大きい。

 「法の支配」によって守られるべき自由はまずトレイドの自由ということである。
 トレイドの自由からさらに進んで、キリスト者の自由と総括されているが、良心の自由を確立しようとしたのがミルトンと考えて良いだろう。
 私はイェリネックなどの通説、宗教の自由や良心の自由という「近代的人権」の起源が、ヴァージニア信教自由法のような北米植民地憲法にはじまったという説に懐疑的であり、精神的自由というものも、コモン・ローの営業制限の法理によりトレイドの自由が、法の支配の下で確立され、その概念のバリエーションとして発展したと考える。この重要な論点について大西晴樹が言及しているので本書を価値があるものと見なしたのである。
 トレイドの自由が精神的自由の母体だから、経済的自由を蔑ろにしている現代は、本質的な意味で精神的自由も権力の横暴により否定されているとみなす。トレイドの自由の重要性を述べるために読書感想を述べるものである。
 
ミルトンを尊敬する本当の理由

 自分は、教会婚姻法や古典カノン法の価値を高く見ているので、ミルトンのような反教皇主義者ではもちろんなく、共和政の信奉者でもない。ミルトンよりもずっと穏健な考え方ですから思想的には違う面も多分にあるが、ミルトンは好きな思想家です。それは人柄の純粋さである。厳格なピューリタンであり思想的に首尾一貫していること。王政復古期にも共和政の支持者として最後まで転向しなかった数少ない1人である。しかし本当の理由は美少女好きという1点にある。そこに人間味を感じます。
 初婚の相手、メアリー・パウエルは16歳の美少女だった。むろん教会法(古法-コモン・ローも同じ)はローマ法をほぼ継承して12歳(正確には11歳半)が女子婚姻適齢(現在の教会法は14歳)という意味では大人ではありますが、ここでは少女と表現します。そもそもミルトンは詩人としての才能を神に捧げるため独身と男子の貞操を守っていました。厳格な清教徒ですから、私のように新大久保のホテトルで童貞を棄てるようなことはしないです。ところが30代の壮年になってから、美人に酔って、一目惚れして電撃的に求婚したのです。パウエル家は宴会などの浪費癖で主要財産であるマナ-(荘園)をロバート・バイに担保として莫大な借財があり、利子の支払いに窮々としていた。ミルトンは貸金の取立てのため偶々パウエル家を訪問したが、そこでメアリーと出会った。メアリーの父はマナーを取られないようにするため、ミルトンに借金返済を猶予してもらうことを条件に結婚を許した。メアリーは持参金の無い裸同然の花嫁だった。この結婚は変だという人も多い。当事者の真の合意はあったのか。婚前の交際がない。取引のような結婚。しかしどういう事情であれ、16歳の美少女と結婚できることほど幸運なことはないと私は考える。
 学者とりわけ高邁な理想を掲げる学者ほど美少女が大好きなのである。超絶主義の思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンは17歳の美少女エレン・ルィーザ・タッカーと結婚しました。彼女は婚約後に血を吐いて19歳で亡くなりましたが。メソジスト運動と呼ばれる信仰覚醒運動を指導したジョン・ウェスレーはジョージア伝道でフランス語を教えていた18歳の美人と恋愛事件を起こしてます。彼女は結婚を望んでいましたが、ウェスレーは伝道者としてパウロに倣い独身を理想としていたので煮え切らなかったといわれてます。女性は16~17歳が一番美しい。利害や打算で結婚する人より、美少女に酔ってしまう人のほうが、正直で裏表のない人と評価するものである。たとえ半病人であれ、美少女と結婚できればこれほど幸運な事はない。
 実は自分も美少女が大好きだ。高校生以下しか関心ないですね。ガッキーブログがアクセスダントツというが私は関心ないね。もう19歳だから。フライデ-で透けTシャツ・ダボダボジーンズの普段着写真を見ましたが、長めのスカートをはいてる清楚なイメージとは違うので少しがっかりした。やっぱり純粋さと美しさでは16歳以下ですよね。
 確か13世紀の組織神学者オーヴェルニュのギヨームが言ってました。この人はパリ大学の学長ですね。優れた神学者ですよ。淫欲の治療薬としての結婚の意義を強調しました。「若くて美しい女性と結婚した男は美人を見ても氷のようでいられる。」従ってこれほど道徳的で望ましいことはないのです。だから16歳の娘に一目惚れして結婚したのは神学的な意味で正しいことです。
 16歳の美少女と結婚した詩人だからこそ、宗教的・市民的・政治的自由のチャンピオンとしてミルトンを讃えたいのである。
 
思想交換の自由の概念はトレイドの自由のアナロジー
(営業の自由から派生した精神的自由)

 17世紀でトレイドという言葉の意義については大塚久雄の先行研究があるのは知ってるが、私は不勉強で読んでない。しかし今日より広範囲の意味で用いられていたらしい。この点について大西晴樹によると「経済活動を表現する言葉はおおよそ『トレイド』という語彙のなかに収斂された。たとえば、貿易、植民地建設のみならず、富、通貨、商品生産と交換、労働と職業、蓄積と支出のパターン、課税方法、人口、等々」としている。
 大西晴樹は「『トレイド』の発展による独占批判は物質的世界のみならず、精神的世界の自由の主張となって爆発した」ことを明快に述べている。
 ミルトンの著名な著作『アレオパジティカ』では言論出版の自由が主張されたが、明らかにトレイドの自由の類比を用いているのである
「真理と理性は貿易特許証、商売規制法、度量衡標準規格によって買い占められ、売り捌かれる商品ではない。われわれは国内におけるすべての知識が、官許の商品であって、幅広ラシャ紙や羊毛のように検印を押されて許可されるものと考えてはならない。」
 パティキュラー・パプテイストの牧師は「説教の自由」を市場における「交易の自由」になぞられたように、ミルトンのみならず、同時代の知識人が、同様の主張を行っていた。
 ここにトレイドの自由-交易の自由-思想交換の自由-説教の自由-良心の自由-宗教の自由という経済的自由より精神的自由への深化をみてとることができるだろう。

続く
  
 引用文献
 青木道彦『エリザベスⅠ世』講談社現代新書2000年

 ディビナント判決よりイプスウィッチ判決の部分
堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
 

 ミッチェル対レイノルズ判決の部分
松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
 

 ミルトンの結婚については上野雅和の論文(題名失念)

  審査報告 谷原修身 独占禁止法の史的展開と改革の論理http://warp.ndl.go.jp/REPOSWP/000000001682/00000000000006346/www.hit-u.ac.jp/law/thesis/h091008a.htm

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2007/07/29

正常への復帰を渇望する-マンスフィールド卿マンセー論

 自分の人生は崖っぷちに追い詰められています。ワールドカップ日-豪戦のロスタイムで大黒投入というほど致命的な状況の一歩手前のような雰囲気だ。心理的にかなりまいってます。しかしまだ松岡前農水大臣みたいに首を吊る程ではないです。365日無休宣言はどうしたといわれるかも知れませんが、その時はその気だったんですが、4月に診察日を間違えてしまい、2週間ほど薬をきらしたのが良くなかったのか大型連休の頃から急に末梢神経障害と手の痺れによる握力低下、無痛痙攣の症状が出たんで、これは神罰で立ち直れないかと弱気になりましたが、回復しましたよ。医者もヘモグロビンは正常で特に問題なしとのことでその点では安心しました。
 お前は狂暴な人間だとか人間性が悪いとか職場でいろいろ罵られてきましたが申し訳ないがまだ死にません。というか死ねません。自分は松岡前大臣よりタフなつもり。ただこれから相当頑張らなければならないが、キーボードが打てる限り頑張りたい。

川西正彦

 私の人生目標は営業と勤勉さと誠実労働義務を奨励する公序良俗の完全復権。そのためにコモン・ロー営業制限の法理における「営業=取引の自由」のコロラリーである「労働の自由」の擁護、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)理論の継受(労働三法廃止、憲法28条廃止、労働組合の共謀罪、争議差止命令による駆逐・撲滅、反団結権Right to Work〔団体行動をしない権利、労働組合にかかわらず雇用される権利〕の確立、プロレーバー法学の断罪・撲滅、自由な労働を制限・規制・統制しようとする他者からの害意、実力行使、脅迫、威嚇にさらされることのない自由を確立し、個人の幸福追求〔打算や経済的利害のことではない-宗教的倫理的に非難の余地のない正しい生活、倫理的に実直な生き方を全うすることが幸福追求の正しい在り方〕を揺るぎないものする自由社会の構築-団結自体が違法となる在り方が最善)を真正自由主義社会の構築を目指します。そのために私は素人ですがアンチユニオン、経済的自由主義の立場で当ブログで理論的な研究と現場での実践をやります。
 つまり労働基準法など個人の雇用契約、職業に従事する自由にパターナリズム的に政府が介入してくる制定法の、反倫理的、反道徳的、不正義、不当性、とりわけ、時間規制、割増賃金に対する明白な憎しみと敵意の表明を行います。フェミニズムのワークライフバランス論への明白な憎しみと敵意の表明。そしてこの世で最も悪質なものの一つプロレーバー法学〔労働組合に他者の自由を侵害する実力行使や害意・脅迫権を容認とする〕の労働基本権とりわけ組織強制や団結強制、悪事を威嚇、威圧、暴力、強要を肯定する制度、倫理的道義的判断による自己決定を否定する不正義、不当性、労働組合及びそれと結託する監督者による職務統制(非能率的業務遂行、事実上の怠業指令、黙示的誠実労働義務を否定するような、非献身的反倫理的な働き方の強要)の、不正義、反倫理的、反道徳的、反社会的、不当性を訴える、労働組合によるジョブコントロール、反コミットメント型の企業文化の明白な敵意の表明をやります。
 現代において、我が国をはじめとして、政府の経済社会規制立法を是認する多くの国家においては、プリュラリズム的民主主義による議会制定法尊重という名のもとに本来ならもっと尊重されてしかるべき個人の「営業=取引の自由」「労働の自由」の侵害を多数者の意思として、あるいは階級的、党派的、労働団体の利益と利害調整により当然のものとしているが、これは最悪の社会だ。それを許容している多くの国家群は悪を許容する堕落したものだ。私は人定法主義、法実証主義に反対です。民主政体・普通選挙にも懐疑的ですから。ベンサム主義、最大多数の最大幸福にも懐疑的です。根性の腐った滅びの群となった多数者の利益を実現することほど醜い社会はない。私にとって幸福とは宗教的倫理的に正しい行為をなすことです。ピューリタンにとってのカンフォータブルな人生と同じですよ。職業人としてはレイバーコストをかけないで誠実労働義務をはたすことが幸福ということになりますから、時間規制は幸福を否定する憎むべき敵です。
 政府や労働組合が個人の職業に従事する自由を侵害し、あつかましくも他人の働き方や自由を否定して深く個人の自己決定の領域に干渉して当然という、その人が有用な人物かどうかという評価、社会的地位と職業上の地位・威信はほぼイコールといえる。まさに人間にとって幸福追求のために核心的に重要な価値を否定した社会は自由な社会ではない。8時間労働じゃないと気が済まないとほざいている奴らは、北朝鮮に拉致されてしまえばいいんですよ。北朝鮮の憲法で8時間労働が規定されてますから、そっちの方が天国じゃないですか。現代社会は決して自由社会になったのではありません。
 労働環境において政府や労働組合、フェミニストのあつかましい脅迫や統制や干渉で敵対的な職場環境になっております。これらのあつかましい統制や干渉をなくし、現状を突破したいと思います。
 労働基準監督署を潰そうといった経営者の意見が正論ですよ。ホワイトカラーエグゼンプションに私は全面的に賛成ですが、それは漸進的な改革で、それだけでは不徹底です。労働基準法という厚かましい枠組みがあって、その適用除外ですから、労働の自由を回復するためには、労働基準法をスクラップしないとダメです。 
 平たくいえばいえばこういうことです。古典的法律百科事典のホールズべリが『イギリスの法』で「営業の自由」をこう説明してます。
「ある者が欲するときに欲するところでなんらかの適法的な営業または職業を営む権限を有するというのがコモン・ローの一般原則であって、国家の利益にとって有害である、個人の行動の自由のすべての制限に反対することは公益となるので、コモン・ローは、契約の自由に対する干渉の危険を冒してでさえも、営業に対するなんらかの干渉を猜疑的につねに注視してきたのである。その原則は『営業』ということばの通常の意味における営業の制限に限られない」(註1)
 コモン・ロ-においては「営業=取引の自由」のコロラリーとして「労働の自由」があり労働力取引の規制は法に反するものであった。労働三法その他労働者保護立法等の悪質な人定法はこの原則に反するものであるから正常な社会に復帰するためには、この人定法とそれを擁護するすべての勢力を叩き潰さなければならないということです。
 もちろん、アメリカ合衆国でも当然ニューディール立法批判がある。
 例えばリチャード・A・エプステインが1983年「労働関係のコモン・ロー:ニューディール立法批判」という論文で、1932年ノリス・ラガーディア法、1935年ワグナー法を柱とする労働法の構造を徹底的に批判し、「何人も自分自身を所有し、自らの労働を自らの望む条件で自由に利用する権原を有する」という個人の自由から「ニューディール立法は多くの点で誤りであり、可能ならばこれをスクラップして不法行為法と契約法に依拠した賢明なコモン・ロー制度にとって代わられるべきである。不法行為法の諸原則は暴力・脅迫・そして契約違反の誘致から個人を保護する。契約法の諸原則は、諸個人がその権原の社会的枠組みのなかで、自ら望む人と自ら望むものを取引することを可能とする」(註2)としている。
 大筋で同意するが、私はリバータリアンでも功利主義者でもなく、ずっと秩序指向の考えので、エプステインの議論に満足できません。
 それは我が国のプロレーバー労働法学の悪質さを知っているからである。プロレーバーは労働基本権に組織労働者の実力行使や敵対労働者への事実上の脅迫・人身拘束権も付与して当然だという、つまり労働組合に政府の警察機能と同様、権力を与え、ピケラインを突破しようとする者は、捕まえて人身を拘束していいんだ。スト破りは襲撃してファックされるべきものなんだ。ストライキはギャンブルではなく実力行使を認めて防衛されなければならないとするわけですよ。労働者は階級の下の集合的人格でなければならず、個人の自己決定は認めないということを言うわけです。
 そうすると脅迫の論理がすべてに勝ることになり、労働組合が脅迫によって仕事を制限し、労働者の行動とジョブをコントロールをしたうえ、組合費も収奪する。倫理観と誠実な勤勉さを喪失した非常に悪い企業文化になってしまうんです。
 たとえ合衆国で容認されるのは平和的ピケッティングだけだとしても、とにかく労働組合というのは敵対者を襲撃したいんですよ。ファックしたいんですよ。脅迫と威嚇で労働過程と労働者を支配するという文化が基本にありますから、たんにニューディール立法を潰せばすべてうまくいくというほど甘いもんじゃないと思います。
 だからコモン・ローへの回帰というなら団結自体が違法となる、例えばマンスフィールド卿の1783年エックレス判決の線まで戻したい。そうでないと私は満足できません。
 私が嫌悪し敵視するプロレーバー労働法学者ではあるが孫引きで片岡曻から引用する。
「18世紀における団結禁止諸法とコモン・ローの関係は明確でないが、いくらかの判例によってみるなら、コモン・ローは、一般的な団結禁止法に先んじて、かつ制定法とは独立に‥‥取引自由(freedom of to trade)の原則を労働力取引に対して適用することによって、‥‥『労働の自由』を法的原理に高めつつあったといえることができよう。‥‥そこには旧きものの混在が認め得られはするが、上記の諸判決が団結禁止法のなかに摂取せられていること」に注目すべきである(註3)」
 イギリスでコモンロー共謀法理が本格的に展開するのは1824-25年に制定法で団結禁止法が廃止された後のことであるが、上記の見解は大筋で異論はない。いくらかの判例とは、4月22日ブログhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_89a0_1.htmlで取り上げた、ジャ-ニィメン・テイラーズ事件、エックレス事件、ハモンド事件であるが、特に、法曹の大御所であったマンスフィールド卿(王座裁判所King,s Bench主席裁判官、近代において最も偉大な法曹の一人)の1783年のエックレス事件の意見はよく引用される。
「起訴状に共謀を実現する手段を記述する必要はない。何故ならば犯罪は害悪を何らかの手段をもって実現する目的のもとに、共謀することにあるからである。違法な結合が犯罪の眼目である。商品を所有する者は個人として自己の欲する価格でそれを販売し得る。しかし彼等が一定価格以下では販売しないことを共謀し、合意するならば、それはコンスピラシーである。同様にあらゆる人間は自己の好む場所で労働できる。しかし、一定価格以下では労働しないとして団結することは、起訴さるべき犯罪である」(註4)
 このように、裁判所は、営業の制限を内容とする複数人の結合はそれ自体コモンローのpublic policy(公共政策、公序)に反し、共謀に該リ、犯罪として起訴されるという法理を形成していった。労働運動を弾圧したマンスフィールド卿の判決は満足できる内容である。私はその線まで戻すことが、正常への復帰であると考える。
 19世紀において労働組合活動を違法とした判例は、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成を利用し、労働者の団結というものが、コンスピラシーの要件に該当するものとして把握された。「営業=取引の自由」のコロラリーである「労働の自由」を媒介として労働力取引の規制に適用され、コンスピラシーの法理は制定法にかかわりなく、純粋にコモン・ローに基礎をおく法理として展開していった(註5)。
 もっとも18世紀のコモン・ローでは「営業の自由」がレッセフェール体制を意味するものでは全くなかった。治安判事による賃金裁定制度などが許容されていた(治安判事による賃金統制が廃止されたのは19世紀になってから)。
 松林和夫(註6)によると営業制限について全般的考察を試みた指導的判例ミッチェル対レイノルズ事件判決(1721年)でパーカー裁判官は次のように述べた。
「非任意的制限(当事者の合意に基づかないもの)に関して、国王の権利附与および特許状ならびに定款による制限が一般的に無効であるという第一の理由は、法が営業および誠実な勤勉さに与えている奨励に由来し、臣民の自由に反するからである。もう一つはマグナ・カルタに由来し‥‥[その第29条は]これまで常に営業の自由にまで拡大されるべきものと解釈されていた」「任意的制限の問題に関しての理由として、何時により述べられている場合には、それらは営業と勤勉に関する法の好意と恩恵の一般的例としてのみ解釈されるべきである。」とされ、裁判所は「営業の自由」一般を保障するのではなく、「営業および勤勉の奨励」というコモン・ロー裁判所の具体的判断に依存していたとする。
 例えば18世紀の制定法として、産業別の団結禁止法、主従法が、団結禁止、労務放棄処罰条項とともに、就業時間などの労働条件法定、裁定条項、賃金支払保護条項などをともなっているが、制定法の労働者保護条項のような「営業の自由」の非任意的制限は、王国による権利付与、特許状とは反対に、マニファクチュア資本の保護育成を目的としているので、前期的産業規制法の適用除外と平行して展開されたとする。
 要するに、18世紀の主従法おける洋服師(仕立て職人)の1日13時間とか12時間の法定労働時間というものは、1938年米国の公正労働基準法の週40時間以上割増賃金という悪法とは違って、コモン・ローの営業及び誠意のある勤労を奨励する公共政策には反しないと思えるので許容することにやぶさかでない。
 そういうと合衆国の1938年公正労働基準法を敵視し、労働者保護立法に敵意丸出しであるにもかかわらず、英国18世紀の主従法による労働者保護規定を許容しうるというのは理論的に徹底しておらずわかりにくいとの批判があろうかと思う。
 そこで私は、2本立てで論議を進めたいと思う。一つはコモン・ロー回帰論で、これは「英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義」シリーズでやりますが、一方19世紀後半以降の法思想である「契約の自由」に関連して「ロックナー判決マンセー論」シリーズをやりたいと思います。
 コモン・ローの営業制限の法理は古い由来があり17世紀から18世紀に確立したものですが、契約の自由の方は合衆国憲法理論なので、別個のものとして扱います。一本調子にならないようにするためです。要するに、ロックナー判決の復権で公正労働基準法などを潰すというそういう論法もあるわけです。

(註1)堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
(註2)水町勇一郎『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』有斐閣2005 120頁以下
(註3)中西洋「日本における「社会政策」=「労働問題」研究の現地点(4)」『経済学論集』40(4) [1975]
(註4)片岡曻『英国労働法理論史』有斐閣1952
(註5)石井宣和「営業の自由」とコンスピラシー高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972
(註6)松林和夫「イギリスにおける「団結禁止法」および「主従法」の展開」高柳信一,藤田勇編『資本主義法の形成と展開. 2 』東京大学出版会1972

参考文献
大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連し近代資本主義の系譜 」関西大学法学論集 38(1) [1988.04]

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2007/07/22

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(5)

承前

非組合型労使関係台頭の意義

1920年代の遺産(3)

 合衆国において第一次世界大戦参戦は「アメリカ史上まれにみる労働組合の勢力拡大期」とされる。その理由は1918年全国戦時労働理事会(NWLB)の設置である。NWLBはリベラル派が推進した産業民主主義路線で、ストを禁止したものの団体交渉と賃金・作業の標準化を厳しく貫き1150件に及ぶ仲裁を行った結果、AFLの組合員数は戦中に100万人も増加したのである。戦時協力が口実になって雇用主が嫌悪する団体交渉が促進されたのである。
 しかし戦後になると雇用主の多くは、組合活動を敵視する戦前の態度に戻った。戦中の賃金上昇は戦後の急激なインフレで意味を失った。政府は平時経済への転換や復員兵の労働市場復帰の対策は行わなかった。
 そうした状況で1919年に400万人以上の労働者がストライキに入ったとされるが、鉄鋼ストが最大である。労働組合は鉄鋼資本側の反組合的攻勢に対し、団体交渉権の承認、8時間労働制度、週休1日制度(当時は一日12時間週7日労働)、24時間交代制の廃止、8時間以上の超過労働、日曜休日労働の2倍賃金、組合費の給与天引などを要求し、9月22日からストに入り、29日には鉄鋼労働者の9割36万5600人がストに参加したが、軍隊の動員、全国産業会議での決裂、合同組合の度重なる離反で勢いが弱まり、1920年1月8日になお10万人の労働者が職場を離脱していたにもかかわらず、組合はなんの譲歩も引き出せずに、ストは終結した(註1)。この鉄鋼ストの完全敗北で労働組合の衰退は決定的になった。20年代を通じて組織率は低下していくのである。
 もし大恐慌がなくて、30年代のノリス・ラガーディア法、ワグナー法、公正労働基準法の三悪法さえ制定されなければ、このまま労働組合は衰退してアメリカは正しく現代のイスラエルといえるような、もっと偉大な国になる可能性はあった。非常に遺憾です
 
 1920年代の労働組合の衰退の要因について、法制史と経営史と両側面からみておきたいと思います。
 第一にアメリカでは20世紀初期から戦闘的な反労働組合の組織的な運動があったことである。オープンショップ運動とよばれるものである。
 オープンショップ運動はクローズドショップを個々の労働者の権利と自由を否定する非アメリカ的なものとして徹底的に排除する雇用主の政策であるが、オープンショップは革新主義政治のセオドア・ルーズベルト政権の商務労働省においても支持されていた。
 ルーズベルトの「スクエアディール」施策としてストライキへの積極介入がある。1902年ペンシルヴァニアの無煙炭坑労働者のストライキの介入がよく知られているが、労使双方をホワイトハウスに呼んで、調停委員会を任命し、ストライキを収拾したが、調停委員会は概ね資本側の意向に即して人選され1903年に裁定を下している。そこで10%賃上げと9時間労働の設定で労働者の要求に応えたが、組合活動については、反組織労働の線を明確にした。すなわち裁定は組合員であるか否かによる差別や非組合員に対する組合の干渉を禁じただけでなく、「非組合員の権利は組合員のそれと同様に神聖である。多数派が組合を結成することにより、それに加入しない者に関しても権限を得るという主張は支持できない。」と明記された。オープンショップ運動はこの時期から本格化していく。 
 オープンショップ運動を全国的な運動に結集する要の役割を果たしたのが全国製造業者協会(NAM-National Association of Manufacturers)http://www.nam.org/s_nam/index.aspである。NAMは1895年に輸出増進を主眼として設立された団体だが、労使関係の危機意識が高まるなかで1903年に反労働組合戦線結成の大会を開き124の経営者団体が参加した。ここでアメリカ市民産業連盟(CIAA)が設立され、NAMの組織を基盤にオープンショップ運動を展開、NAMはレイバーインジャンクション(労働争議における裁判所の差止命令)の要請、組合指導者の告発、損害賠償の訴追を積極的に行った。1907年にNAM主導で全国産業防衛協議会(NCID-後の全国産業協議会NIC)が設立された(註2)。

  第一次大戦後、1919年秋の鉄鋼ストの完全敗北は、経営者に労働者の戦闘性と労働組合主義の伝播を阻止しようとする決意を強めさせた。19年末までに全国鋳造業協会、全国製造業者協会、全国金属産業協会などが戦前のオープンショップ論を再び鼓吹し始め、20年秋までにオープンショップ諸協会の全国ネットがつくられ、ニューヨーク州の50団体、イリノイ州の46団体、ミシガン州の23団体が加わった。1920年の大統領選挙では「正常への復帰」をスローガンとする共和党ハーディングが勝利し、保守的なムードが国中に漂ったが、1920年夏にアカ恐怖ヒステリーがピークに達し、組織労働者が共産主義にかぶれているという抜きがたい公衆の疑惑は、オープンショップ運動に有利に働き、人々には革新主義への敵意が広がったのである(註3)。労働者の戦闘性は急激に減退した。ストライキ件数は1920年の3411件から、22年には1112件に落ち、組合員が100万人以上減少したのである(註4)。
 アメリカの20年代の法制ではレイバーインジャンクション、労働組合への反トラスト法の適用、黄犬契約も可能で、もちろん団体交渉権は保障してません。オープンショップ運動で労働組合の組織化を容易にしておかなければ、組合を抑圧する手段はいろいろあったのである。
 

 なおクローズドシッョプ協定は今日では合衆国では1947年タフトハートレー法、イギリスでは制定法でもコモンローでも否定され、過去のものとなっている。(関連して言うとイギリスではユニオンショップも否定されている。また合衆国では1947年タフト・ハートレー法で被用者に団体行動に関与をしない権利を定めており、ユニオンショップ協定は容認しているが、数々の規制を設け、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。労働組合が従業員を支配しやすいユニオンショップ協定は実質的に否定されている。又、タフト・ハートレー法は労働権法(Right to Work law-雇用条件として労働組合員たることを要求されない被用者の権利-結果として全ての組合保障条項が否定される)を制定している南部を中心とする22州とグァムではhttp://www.nrtw.org/rtws.htm、連邦法の適用下にある州際産業の工場、事業場についても、それが州の地理的領域内にある限りユニオンショップ制を禁止する州のの権限を承認している。但し、1951年改正鉄道労働法が州のいかなる法律の条項にかかわらずユニオンショップ協定を認めた。これは組合側の巻き返しでもあるが、鉄道業が州際産業としての性格が強く、地理的条件でショップ制が異なる混乱を避けるためのものと思われる)
 アメリカの風土でクローズドショップによる労働市場、労働過程の組合の支配が嫌悪されるのは当然のことです。イギリスでは労働者の移動性が高く、労働過程の職人的技能に依存した時代に労働組合が成長し、組合は徒弟制とクローズドショップによる労働市場の支配、人員配置その他様々な仕事規則をもってする労働過程の支配によって力を構築した。これがイギリスの産業の弱点になった。産業革命最先進国であったにもかかわらず、大量生産技術、体系的人事管理をともなう第二次産業革命に適応できず、欧米の競争国のような急速な大規模企業、大量生産企業の創出を困難とした(註5)。 
 そういう意味でもオープンショップ運動はアメリカ社会の健全性の証である。
 
続く
 
(註1)黒川博『U.S.スティール経営史』ミネルヴァ書房(京都)1993
(註2)長沼秀典・新川健三郎『アメリカ現代史』岩波書店1991 297~300頁

(註3)S.M.ジャコービィ『雇用官僚制』増補改訂版2005年 217頁

(註4)前掲書220頁

(註5)前掲書9頁

その他引用、参考『世界歴史体系 アメリカ史2』山川出版社1998

辻本慶治『アメリカにおける労使の実態』酒井書店1969 Ⅴ「アメリカにおけるライク・トウ・ワーク立法について」207頁以下

平尾・伊藤・関口・森川編著『アメリカ大企業と労働者-1920年代労務管理史研究』北海道大学出版会
1998年

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2007/07/16

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(4)

アウトラインなしに気分で書いているで今回は脱線しました。本題の1920年代は終盤の方でちょこっと言及しているだけです。

承前

非組合型労使関係台頭の意義

1920年代の遺産(2)

 前世紀の世界大戦の「負の遺産」とはなんでしょうか。原爆・アウシュヴィッツ・「南京大虐殺」とか定番的なことは言いません。
 私は全く別の考えです。20世紀の世界大戦の「負の遺産」とは第一に労働組合をやけぶとりさせたことですよ。これがえらい迷惑です。最大の負の遺産です。第二に女性解放の口実を与えたしまったこと(国家総動員総力戦になって、女性が重化学工業に動員され男性の職場に進出したことと、戦間期にスカートの丈が短くなった〔フラッパー娘という〕結果女性が活動的になった)ですよ。これも迷惑でした。現実に影響をひきづっているという点ではこの二点ですよ。
 例えば日本政府はILOに追従する労働政策をやってますが、ILOというのはイギリスやフランスの国内事情で第一世界大戦の戦後処理のためにつくった組織である。
 戦争の遂行には労働組合の協力体制が不可欠だった。戦時協力の見返りとして、また戦後兵員の復員、軍需産業の生産低下に伴う雇用の混乱に対処するために、国際労働・社会主義会議の要求に譲歩する必要があり(註1)、そういう勝手な都合でILOを設立したのである。
 だからILOは第一次大戦の「負の遺産」ですよ。我が国ではILOは自由党のロイド・ジョージがつくった組織だから、ボリシェヴィキよりましじゃないかとか思っている人が多いんですけど、もうそういう考えは古臭いです。
 そもそも我が国がILOに設立当初から係わっているのは、第一次大戦に名目的に参戦して経済利益を得、戦勝5大国の一つとしてパリ講和会議に参加したことによる(註1)。戦勝国とのつきあいで国際労働機構への参加を余儀なくされただけにすぎない。時代は変化しているのに、第一次大戦の戦後処理の都合でつくった組織にいつまでも引き面れる必要は全くないと私は思います。そろそろ手を切りましょう。

 実際、 イギリスでも非組合的労使関係へのパラダイム転換は相当に進んでいるわけです。もっとも2005年の統計でイギリスの組織率は29%もあり、12%にすぎないアメリカよりもかなり高い。しかしサッチャーが登場した1979年には57%の組織率があったことと比較すると衰退傾向は明白なのである。
 1992年保守党メージャー政権の白書『人、仕事および機会』では次のように述べてます。「‥‥団体交渉と労働協約に基づく労使関係の伝統的な形態は益々不適切になり、衰退してきた。多くの使用者は時代遅れの労務慣行を捨てて新たな人的資源管理を採用しつつある。それは個々の労働者の才能や能力の開発に力点を置くものである。使用者の多くは、労働組合や公式の労使協議会を仲介とするよりも、その被用者との直接のコミュニケーションを求めている。個々人の個人的技能、経験、努力及び成果を反映する報酬を個別交渉する傾向が増しているのである」(註2)
 もうはっきり団体交渉と労働協約に基づく労働関係をやめようと言っているわけですよ。(この点はニュージーランドの国民党政権の政策がもっとはっきりしています)
 サッチャー首相およびメージャー首相の保守党政権下では、漸進的かつ徹底した組合弱体化政策が繰り広げられたのである。①クローズド・ショップおよびユニオン・ショップの禁止、②チェック・オフの規制、③争議行為の批准投票の義務付け〔郵便秘密投票とし第三者が監査〕による公認ストライキ制度④ピケの規制と同情ストの禁止、⑤非公認争議行為参加者の不公正解雇救済の否定、⑥法定組合承認手続の廃止、⑦組合費、組合財政、幹部選挙を含む各種の組合内部問題の規制により組合活動を規制した。これらとともに採られた自由企業、公開競争、効率性を奨励する経済政策は、国家の歳出の削減、国営企業の民営化、公的サービスの規制緩和を促し、また、経済のソフト化とグローバル化によって、組合の弱体化は急速に進んだ。(http://www.jil.go.jp/institute/reports/2004/documents/L-9_06.pdfより引用-但し一部削除文字追加)
 クローズド・ショップ、ユニオンショッブの禁止、ピケの規制、二次的争議行為の規制は当然のこととして、ポイントになるのが組合自治の全面的否定です。組合内部で処理されていたスト批准投票や役員選出などについて、郵送による秘密投票、独立監視人による監査を要するものとした。従来の放任ではなく政府が干渉する政策なのです。
 もう一つは 1971年保守党ヒ-ス政権がつくった法定組合承認制度を廃止したことです。これにより経営者が組合を承認して団体交渉するか否かは全く任意ということになった。これはある意味で従来のボランタリズムヘの回帰ともいえますが、従来より厳しい組合活動規制と争議規制のうえに任意的交渉を行い、協約を自力で強制する強力な組合は次第になくなっていったため、労働組合の退潮傾向を決定的なものにしたとされています。
 民営化も組合を排除するための政策だった。民営化した後の企業は組合承認をやらなければよいわけである。
 もし、保守党政権が続いていれば2010年には労働組合は消滅するという予測すらあったのである。そうなればよかったのに。
 しかし皮肉なことに、労働組合の弱体化は労働党の組合離れを促し、大幅に組合の影響を排除したブレア政権を誕生させ、保守党の一連の反労働組合政策の成果に基づく経済成長により、労働党の政権長期化をもたらした。
 もっともブレア政権は大きな揺り戻しをしないで、保守党政権の労働組合規制立法の大筋の枠組みを継承したものの、組合保護政策も行った。1999年雇用関係法 (Employment Relations Act 1999)で導入された法定組合承認手続である。これはアメリカの組合代表選挙に似ているが、不当労働行為の規定はない。単位内に組合員が10%いることおよび単位内労働者の過半数の支持が投票の要件で、単位内の労働者の過半数が組合員であれば自動的に組合が承認され「賃金、労働時間および休暇」に関する交渉の前提とするものである。この制度によって労働組合は組織率の低下をくいとめ生き残るになった。とても遺憾です。イギリスは10年間の労働党政権で労働組合を駆逐して理想国家に飛躍できるチャンスをのがしました。
  
 しかし、いかに労働組合が生き残る政策をとる政権が続こうとも、そこに正義性というものはないと断言します。
 そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害など理由として、コモン・ロー上の不法行為を構成する。
 コモンローの理論を遡っていくと、営業制限の法理ににもとづく営業の自由のコロラリーとしての個人の労働の自由、労働力取引の自由を阻害するものとして、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)の概念構成により、労働者の団結というものが、コンスピラシー(共謀)の要件に該当するものとして把握されたのです。
 イギリスでは1875年の共謀罪及び財産保護法により、コモンロー上のコンスピラシーの法理で、団結行動を起訴できないものとし、平和的ピケッティッグの違法性を除去したとされる。いわゆる「刑事免責」がなされ、労働組合の「合法化」がなされたとされる。これに対抗するためにコモンローは民事共謀としての不法行為の共謀法理を案出されたが、1906年の労働争議法で、労働組合に関する不法行為の訴訟は受理されないとした。いわゆる「民事免責」がなされ、事実上、労働組合活動の「法認」というかたちにはなった。しかし私は制定法による免責というものが非常に不愉快である。
 1906年労働争議法は「ある人によって労働争議の企図ないし促進のためになされる行為は、それが誰かある他の人に雇用契約を破棄するよう誘導するとか、誰か他の人の営業、企業、または雇用の妨害になるとか、または誰か他の人が彼の資本あるいは労働を欲するままに処分する権利の妨害という理由だけでは起訴できない」)(註3)とすることによりストライキに付随する民事責任を免責する。雇用契約違反の誘導、営業・仕事・雇用の妨害、労働の自由の妨害といったコモンロー上の不法行為であっても制定法上免責するということになっている。個人の自由を犠牲にしているのである。
 このような他者の自由を侵害する悪も許容する人定法的秩序というものに本質的に正義性はないわけです。要するに我々が労働基本権と言っている組織労働者の権利なるものは本質的に正義性とか権利性とかいうものはないんですよ。ましてや憲法上の権利とか人権という性質のものではない。むしろ労働の自由を否定する悪しきものですよ。
 伝統的コモンローは営業と勤勉を奨励するパプリックポリシー(公序-公共政策)により、人々がそれぞれ自分の持っている財産(労働能力や信用という広い意味での無体財産を含む)を自由に取引する私的自治をサポートします。それが本来の在り方です。それを刑事免責、民事免責により否定したのがイギリスの19世紀後半より20世紀初期の労働組合法認政策です。そんなものを人権と認めることはできません。
 コモン・ローヤ-のニコラス・フラー(1626歿)は「神の法は『汝、六日、労働すべし』と定めている」がゆえに、「いかなるキリスト教の君主の認可、布告、法も臣民に労働を禁じるようなものは、神の法に直接反しているがゆえに違法であり、不条理な命令である」。そしてこれに従えば、国王が与える「特許」は人々の自由な労働を禁ずるものであり、違法なものと判断される(註4)、と述べているように、理論的に個人の自由な労働は神の法に基礎づけられていた。それを労働組合のために喪失させられるということほどばかなことはありません。
 
  
 さてアメリカ合衆国に話を戻しますが、第一次世界大戦参戦は労働組合を強力化した。ウィルソン大統領の政府は1918年全国戦時労働理事会(NWLB)を設置した。NWLBはストライキを禁止したが、組合結成権を認め1150件に及ぶ仲裁を行い、AFLの組合員数は戦中に100万人増加したのである(註5)。
 第二次世界大戦でも同じようなことが起きた。アメリカでは赤い30年代、1932年ノリス・ラガーディア法(反インジャクション法、平穏で暴力的でない労働組合活動を保護し、黄犬契約の裁判上強制力をもちえないこととし、特に労働紛争への連邦裁判所の差止命令を制限することにより、全米製造業者協会のオープンショップ主義とレイバーインジャンクションの多用により20年代に著しく衰退した労働組合を生き返らせた超悪法)、1935年ワグナー法(民間企業の団結権と団体交渉権を保障し、組織労働者保護のため雇用主による不当労働行為の禁止を規定した超悪法)のようなきわめて悪質で誤った労働政策がなされ、産業別組合を台頭させましたが、1942年に設置された全国戦時労働委員会は、労働組合にストライキを放棄させる一方、労働協約締結期間中の組合離脱を禁止し、それを保障するためのチェックオフを導入した。組合の組織維持と拡大は容易になり、労働組合員は1941年の1020万人から、1945年の1432万人に増加した(註5)。アメリカの産業別組合は、ニューディール立法で存立基盤を与えられ、戦時中の労働組合保護政策によりその地位を確立させたのである。
 世界大戦でやけぶとりしたのは労働組合だったわけですよ。
 ただ私がアメリカ社会がヨーロッパより健全だと思うのは、一貫して革新主義体制や労働組合に反発する反組織労働運動が存在し、戦後、戦時中に強力になった労働組合を放置せず、労組の強力化とコーポラテイズムへの移行を阻止し矯正していることである。
 20年代のオープンショップ攻勢がそれであり、1947年のタフト・ハートレー法がそうである。

つづく

(註1)大前 真 「 ILOの成立-パリ講和会議国際労働立法委員会 」『人文学報』京都大学 (通号 47) [1979.03]
(註2)小宮文人『現代イギリス雇用法』信山社2006年 28頁
(註3)中西洋『《賃金》《職業=労働組合》《国家》の理論》』ミネルヴァ書房(京都)1998年 143頁
(註4)土井美徳『イギリス立憲政治の源流-前期スチュアート時代の統治と「古来の国政」論』2006年 214頁
(註5)『世界歴史体系 アメリカ史2』山川出版社1998年 志邨晃佑「第二章革新主義改革と対外進出」
(註6)同上 紀平英作「第三章戦間期と第二次世界大戦」

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2007/07/08

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(3)

今回も前置きです

 宮沢元総理の葬儀がありましたが、アメリカ人は働かなくなったという発言が顰蹙をかったことを思い出します。そんなばかなことはないですよ。製造業労働者の年間実労働時間だけを見てもアメリカは1993年から2000年にかけて日本を上回って働いてます。OECDの統計でも一人当たりの年間労働時間は1998年から2001年までアメリカが日本を上回ってます。PDF http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/documents/7-2.pdf

 http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2004_5/america_01.htm 

私が思うには統計以上にアメリカ人はもっとよく働いているのではないかという気がします。専門職なら週70~80時間は当たり前、エグゼクティブは想像を絶するほどよく働くともいわれますから。元総理は勘違いをされていました。

  それはともかく6月ブログで書いた、「『パプリックスの奇跡』について」と「高業績業務システムと90年代以降の仕事遂行方法」でなにが言いたかったかというとコミットメント型の従業員関係が優れている。従業員の仕事に対する熱意を企業成長のエンジンにすることのできる社風、組織に共有のメンタルモデルのある企業は強いということです。ウォルマートやパブリックスがこれにあたります。
  このことをより明確にするために、後に反コミットメント型の企業の例も取り上げて比較しますが、ビジネス書を読むと「コミットメント」はかなり多義的に用いられています。ここで言っているのはカルロス・ゴーンの言うような達成目標とか具体的なことでなく、もっとも単純な意味です。骨身を惜しまず誠実に仕事に励むことができる。献身的に働くことができる。仕事に熱中することができ、それを妨げないのが良い企業だということです。もっともウォルマートはレーバーコストを抑えるためアソシエートと呼ばれる時給ワーカーの従業員の労働時間の上限を定めてますが、それは1938年公正労働基準法という悪法のために制限せざるをえないのである。
 組合不在企業のコミットメント型の企業文化については、ウォルマート、ホームデポ、パブリックス、サンマイクロシステムズ、スターバックスに言及しましたが、もっと多くの企業を取り上げるべきでした。非組合型労使関係の実例については余裕がないので先に進めます。

  そこで、コミットメント型の従業員関係の企業が台頭してきた前提というものを考えてみましょう。

非組合型労使関係の台頭の意義

   第一に70年代以降ニュ-ディール型労使関係(産業別組合との団体交渉・労働協約)が衰退し非組合型の労使関係へのパラダイム転換があります。70年代以降この流れがなぜ起きたか。大まかに述べておきたいと思います。
 

1920年代の遺産(1)
 
  第一にアメリカでは1920年代に非組合型労務管理が発達しその遺産があるということです。
 
  19世紀末までのアメリカの大勢は団体交渉は支持されず、個人主義的自由放任主義が基調であった。1900年の時点で組織率は非農業労働者の6%にすぎず、大量生産産業はほとんど組織化されていなかった。しかしセオドア・ルーズベルトやウッドロウ・ウィルソンの革新主義政治により組合も成長し、1920年には組織率は19%を超えた。
  しかし、アメリカ人の労働組合や団体交渉に対する嫌悪は強く1920年代になるとの全米製造業者協会のオープンショップ主義や、団体交渉のオールタナティブとなるアメリカン・プラン、ウェルフェアキャピタリズムの労務管理手法がとられ、非組合型労務管理が発達した。その成果は、大恐慌と1932年ノリス・ラガーディア法以降30年代のプロレイバー政策による産業別組合の台頭で台無しにされたとはいえ、経営史として20年代の経験の持つ意義は大きかったと考える。20年代労働組合員は1920年の505万人から、29年の344万人まで減少し、非農業労働者組織率は20年の19.4%から30年の10.1%にまで衰退しました。そのような意味でも20年代は黄金時代だったのです。
  非組合型の労使関係の台頭というテーマは、イーストマン・コダックやシアーズ・ローバックなど組合不在企業の文化を研究したジャコービィの著作が読まれるようになってから、よくいわれるようになりました。ただジャコービィの著作は雇用慣行の歴史で、人事労務管理論が軸のように思われます。たんにジャコービィのようなウェルフェア・キャピタリズムの好意的な評価だけでは満足でません。もっと法制史的背景を明らかにすべきです。
 
  続く
 
  引用・参考文献
 
  水町勇一郎『集団の再生-アメリカ労働法制の歴史と理論』2005年 有斐閣

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2007/06/05

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(2)

 今回も前置きです

ウォルマートの企業文化とポストモダニズムマネジメント(続)

「ポストモダニズム・マネジメント」の出典は石原靖曠の『最強のホームセンター ホームデポ』商業界1998の193頁です。これはこういうことです。70年代までのチェーンストア組織論は権限を本部に集中し、管理統制型でした。店舗の仕事は工場の生産ラインのように細分化・標準化され、マニュアル化され割り当てられただけ仕事をする、働く人間に求められたのは均一性でした。しかしウォルマートは違いました。ウォルマートは人間のもつ知恵や創造性、個性を尊重し、楽しさややりがいといった感情に基づくモチベーションを推進力とした「ポストモダニズム・マネジメント」を行い、お客に対して今までにない献身的な人的サービスをつくりだした。このことはアメリカ企業社会のモラールアップに与えた影響は小さくなく、そういう意味でもウォルマートは偉大な企業です。
 ウォルマートと同様にヒューマンウェアの活力で飛躍的な成長を遂げた企業としてホームデポがあります。深い品揃えと価格の安さだけでなく、好きなものを買って取り付けサービスを利用できます。素人に捕修の材料調達、道具の技能や知識を教える人的サービスもやります。場合によっては店員がお客の家で修繕してしまうサービスをしてもやりすぎととがめられることはない自由な社風があるということです。
 乗客を楽しませることで知られているサウスウエスト航空(組合があるが社風は非組合的)の社風も「ポストモダニズム・マネジメント」でしょう。
 高橋俊介(『ヒューマン・リソース・マネジメント』ダイヤモンド社2004)によるとスターバックスは80%ノンマニュアルなのだという。接客マニュアルがない。制服もなく、上衣は白か黒の襟付きというガイドラインがあるだけ。マグカップか紙コップかは店長の裁量だという。その意味はわかりにくいが、マニュアルで統制して縛るよりも従業員にスターバックスを好きになってもらって、スターバックスブランドへのコミットメントを引き出そうという戦略のようだ。

続く

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2007/06/03

英国近世における反独占、営業の自由の確立の意義(1)

今回は本論に入らず前置きだけです。

職業労働義務の倫理

 所謂ウェーバーテーゼ、近代資本主義の精神態度(エートス)は禁欲的プロテスタンティズムに由来するという説ですが、ウェーバー学者の折原浩(元東大・名大教授)のホームページに平易簡潔に説明しているものをみつけました「即興の文化比較シリーズ2006年秋 北米東海岸の旅から――アメリカ建国の歴史と現状」http://www.geocities.jp/hirorihara/hokubeihigashi.htm
 米国史に関する記述は素人っぽく、その結論については疑問にも思いますが、中段以降に、ウェーバー説の説明があります

折原論文からの引用
 
カルヴァン派の宗教信仰から、どのようにして「禁欲」が生まれるのでしょうか。この観点から重要なのは、やはり「二重予定説」(註1)です。‥‥「神は、信徒のなかでも、一握りの少数者だけを、神自身の栄光を顕す道具として選び、来世で永遠の生命に予定し、人類の残余の者は、『滅びの群れ』として打ち捨て、あるいは罪を犯させて、『永遠死滅』に予定している」と説く、峻厳な教理です。(中略)この教理を真摯に受け止めた平信徒個々人は、「この自分は選ばれているのか、それとも捨てられているのか」という疑惑と不安から逃れ、現世で「選びの予兆」として「確証」をえるため、厳格な自己審査と熟慮によって、「神与の使命」を達成していく「生き方」、すなわち「禁欲」を、みずからに強いるよりほかはありませんでした。西洋中世には、十五分ごとに時間を区切って労働する、といった規律ある生活は、修道士が修道院のなかで実践しただけでした
禁欲的プロテスタンティズム」では、いまや平信徒が、「神与の使命」としての現世の職業において、そういう「禁欲」を生涯堅持しなければならなくなったのです。かれが、事業家になるとしますと、救いを求める「禁欲」が、規律ある計画的、組織的な事業経営に結びつけられ、そういう動機のない同業者との競争に打ち勝つにちがいありません。その「成功」は、翻って「神の祝福のしるし」と感得され、「神から託された経営」をいよいよ拡張していく動因として作用するでしょう。

 

  宗教に由来する職業労働へのコミットメントを「神与の使命」とする思想が近代資本主義の行動様式の原型とする見解です。経済史家などでウェーバーテーゼに批判的な見解がありますが、私の関心は経済史でなく法制史なのでウェーバーテーゼの検証はやりませんが、梅津純一聖学院大教授(『近代経済人の宗教的起源』みすず書房1989)がリチャード・バクスターを引用して説明しているように、ピューリタンが怠惰に打ち勝ち職業労働義務を欲したのみならず、合法的な営利追求を勧告し、「神のために富裕になること」も義務としたことは明らかな事柄であり、「市民的経営資本主義」-権力に頼ることのない自己の創意に基づく合理的合法的な営利への個人的機動力がピューリタニズムに由来することは疑う余地がない。

 ウェーバーの見解、神の栄光を増すためだけの人生論はこうです。「選ばれたキリスト者が生存しているのは、それぞれの持ち場にあって神の誡めを実行し、それによって現世において神の栄光を増すためであり--しかも、ただそれためだけなのだ。ところで神がキリスト者に欲し給うのは彼らの社会的仕事である。(中略)カルヴァン派信徒が現世においておこなう社会的労働は、ひたすら『神の栄光を増すため』のものだ。だから、現世で人々全体の生活のため役立とうとする職業労働もまたこのような性格をもつことになる。‥‥『隣人愛』は--被造物ではなく神の栄光への奉仕でなければならないから--何よりもまず自然法によってあたえられた職業という任務のうちに現れる‥‥」
 私もこの思想を受け容れます。ひたすら神の栄光に奉仕するだけの人生が正しいと思います。人生の目的はそれだけでいいんですよ。職業労働義務もそれ自体が目的であって、自己や家族の利得や打算のためでは決してありません。だから家族を犠牲にして働くのは当然のことであって、ワークライフバランスなんて最も憎むべきものです。
 

  そこで著名な説教者がどう言っているのかみていきます。改革派正統主義で二重予定論者のウィリアム・パーキンズ(1558-1602)はこう言います。「時計のようなこの偉大な世界は、すべての者に自己の運動と天職を付与している。その天職に彼の職責と役割がある」「われわれの職業生活の職業の実践において人間に奉仕し、神に奉仕することです。人間をお造りになった神は‥‥人間が神の道具となって相互の益のために奉仕することを喜ばれます。この理由のために神は行政官、牧師およびほとんど無数の多様な職業を定めております」(梅津前掲書159頁)
 

  内乱期には、議会派従軍牧師として、共和制期にはキダーミンスターの教区牧師として、王政復古期には「非国教徒」として生きたリチャード・バクスター(1615-91)の『キリスト教指針』の一部を引きます。
「質問五 労働はどのような理由で、可能なすべての者にとって必要なのですか
答、一、神は厳格にそれをすべての者に命令しております‥‥テサロニケⅡ3:10~12
二、自然法にしたがえば、活動〔労働〕はわれわれすべての能力の目的です。能力は行使しなければ空しいものです‥‥。
三、神がわれわれと、われわれの能力を維持したもう理由は、活動のためです。労働は自然の目的であるとともに道徳的目的なのです‥‥。
四、神は活動によってこそ奉仕され、尊敬されるのであり、単に善き業を行うことができるということではありません‥‥。
五、公共の福祉すなわち多数者の利益は、自己自身の利益以上に評価しなければなりません。それゆえすべての者は自分のやることを他人にむかってとりわけ教会とコモンウェルスのために行う義務があります‥‥社会的被造物である人間は、自分が属する社会のために労働しなければなりません‥‥。
六、七、八、九(略)
十、最後に労働は、われわれが日々の糧を得るために神が定めた手段なのです。
(梅津前掲書144頁以下)
 労働は神の命令に応え、神に与えられた心身の能力を発揮し、社会的被造物に相応しく互いに助け合う宗教的意義と道徳的意義を有します。日々の糧としての収入を得ることは最後の目的にすぎません。従って労働は経済的収入と打算のためのものでは決してないということです。労働はそれ自体価値があります。神の命令に従い非難の余地のなく労働義務を果たすことに大きな精神的利益がある。だから低賃金でも長時間でも喜んで働くことは個人の幸福追求の権利として尊重されるべきこと事柄であります。
 精神的利益より収入を優先することを否定されます。しかしバクスターは「合法的な営利追求」は神の与えた機会として積極的に追求することを勧めます。 
「箴言第二十三章四節に『富裕になるために働いてはならない』といわれますが、その意味は富をあなたの主要な目的にしてはならないということです。われわれの肉的な目的が究極的なものとして意図されたり追求されてはなりません。しかし高次の事柄に従属させればそれは可能です‥‥肉欲や罪のためではなく神のために富裕になるように労働することは可能なのです」さらに生産者が競争して有利な取引を実現することは「隣人のより大きな必要に対して供給を推し進める」こととして積極的に是認され、合理的経営による合法的な大きな利得は、誠実な職業労働の適正な果実として積極的に評価された。(梅津前掲書171頁)
 

このように、宗教的に熱心であることが経済的収益追求の動機づけになっている。宗教的熱意が希薄になっても、行動様式としては続いていく。近代資本主義の行動様式との親和性については明白だと思う。

ウォルマートの企業文化とポストモダニズムマネージメント

 いうまでもないが人間は経済的利得と打算が全てであるわけでは決してないのである。正しい人は、法と正義、宗教的価値、道徳的価値、私益・特殊利益より公益、自己や身内の利得より優先するのであって、そのような精神的態度が基本である。ニンジンをぶら下げないと人は働かないなどと思っている人は大きな間違いである。好ましいエートスは現代企業にも当然見いだすことができる、適切な例としてウォルマートの企業文化を取り上げたい。
  ウォルマートの企業文化が卓越したものであることはこれまでにも陳べましたが、サム・ウォルトンの10箇条というのがあります。その第一がコミットメント。仕事に励む、献身的に働く、、熱病のように仕事に専心する、粉骨砕身働く、仕事を愛して最善を尽くす、やり遂げなければならない責任感というように訳されますが、従業員のコミットメントが強いほど高業績を達成できるというのは基本でしょう。
 別にこれはカルロス・ゴーンが流行らせた言葉ではありません。コミットメント型の従業員関係、これは基本的には組合不在企業の文化です。組合セクターは、労働組合によってジョブコントロールにより仕事を制限するので、最低限の仕事しかしない。コミットメントが引き出せないです。しかし献身的に働く価値が正しいんですよ。一般法(コモンロー)は営業と勤勉さ誠実さを奨励するのです。それが法であるのに労働組合や不合理な労働者保護規制をする政府は法に反することをやっている極悪ですよ。この点ウォルマートのポリシー、企業文化は正しいし、最強である理由のひとつです。
 ウォルマートのバイヤーの交渉はハードでタフ、サプライヤーへの要求が厳しいと言われていわれますが、それは「お客に成り代わって仕入れる」顧客第一主義による。仕入れ値そのままに決まった荒利を乗せて売るだけという(仕入れ値の下げ分はポケットに入れず、全て売価に還元する-註2)ポリシーだから、自分たちが儲けるために厳しい要求を突きつけるのではない。バイヤーが頑張れば頑張るほど売価に反映し顧客の利益になることになっているのである。それはウォルマートの顧客だけの利益だけではない。よその店で買う人も、ウォルマートとの競争で売価を下げざるをえないので、消費者全体の利益になる。これほど公益に著しく貢献している企業があるのだろうか。全てはお客のためなのだ。これは「隣人愛実践」そのもののように思える。
 しかも、ウォルマートの取引は公明正大で合理的である。サプライヤーに対し、殆ど丸裸に近い生のデータをインターネットベースで提供している。情報をさらけだしているからカードを出し合うネゴシエーションはない。サプライヤーもスコアカードでリテーラーの販売努力を監視しているので、腹芸やドンブリ勘定の取引は行われない。ウォルマートのバイヤーはサプライヤーから一切供応接待を受けないし、棚もいじらせない(商品陳列は全て自前の従業員で対応する)。これは私情を交えないハードでタフな交渉を行うためであるが(註3)、接待する金があるならお客のために安くしろという意味でもあり、顧客第一主義にも繋がっている。「隣人愛実践」のために合理的な取引に徹していると解釈できる。
 ウォルマートには多くの従業員表彰があるが、一切金銭はでない。ただ心のこもった感謝の言葉を贈るだけである。ニンジンをぶらさげるような下品なことはしないのである。ウォルマートはモチベーションを高めることがうまいといわれているが、それは金品で釣るものでは決してないのである。
 流通専門家の鈴木敏仁氏はウォルマートは中央集権型チェーンストアオペレーションは持っていないとはっきり言っている。本部と店舗の力関係は拮抗しており徹底した個別店舗主義なのである。時給ワーカーのデパートメントマネージャーの裁量・創意工夫の余地が大きい。バイヤーは週に一度は現場に出るように義務づけられているが店長ではなくデパートメントマネージャーから情報を収集するよう言われている。実際に品揃えをして顧客と接しているからだ。カテゴリーマネージャーはデパートメントマネージャーのフィードバックをリストアップして利用するなどボトムアップ方式が主体となるという(註4)。
 デパートメントマネージャーは推定平均年収2万2千~3千ドル程度に過ぎないが、ウォルマートでは時給ワーカーにも数値を公開して商人として売場管理を行わせているのだ。幹部が頻繁に現場を訪問するだけでなく、オープンドアーポリシーにより幹部に直接意見を交換したり提案できる風通しの良い環境である。それだけにやりがいのある職場環境なのだ。
 国際食品商業労組(UFCW)や左翼はウォルマートの賃金は不当に安いと攻撃しているがそれは、レーバーコストの高い組織化されたスーパーマーケットとの比較であって、、ウォルマートは市場平均であると反論している。零細小売業従業員はもっと安く、ウォルマートの賃金が不当に安いということはない。
 しかし、仮に安いとしても、ウォルマートの時給ワーカーはチームワーク主義で良く働いている。だから初めに言ったように人間はゼニと打算だけで動くものではないのである。あり得ないことだが、もしウォルマートの従業員が組織化されストを打てば、時給3ドル賃上げすることができるかもしれない。しかし、従業員はそれを求めない。そうなれば卓越した企業文化は破壊され、築いてきたものを失うことになる。労働組合のジョブコントロールと組合不在企業のコミットメント型文化は正反対の文化であるから。レーバーコストの上昇で競合他社に出し抜かれ三流企業に転落することは容易に想像できることである。もし読者で賃上げよりも良い企業文化を望むことを理解できない人は余程欲の深い、根性の腐った人だと言わなければならない。

川西正彦
続く

(註1)この際言っておきますが、私は「二重予定説」を恐ろしい教説とする見方をとりません。人間は倫理的に致命的に腐敗しています。利害打算と処世術が全てみたいな根性の腐りきった人々しかいないように思えます。脅迫・共謀・悪意・敵意に満ちており、人の悪事や共謀や我が儘を尊重することが処世術だと思っている。具体的なことはいずれ書きます。見ゆる聖徒なんていませんよ。少なくとも面識の範囲で倫理的に尊敬できる人に遭遇することはないし、今後もないでしょう。大多数の人間は救いようがなく腐敗しており『滅びの群れ』として打ち捨られて『永遠死滅』に予定されていて当然でしょう。
 それはお前のルサンチマンの表明である。それならお前は何なんだと問われるでしょう。やはり腐ってますよ。神与の使命・善行の努力に欠いてます情けないです。毎日隣人愛実践・善行・職責を十分果たしてないことで悩んでます。甘い考えかも知れません。自分は滅びに定められているかもしれないと思いつつも、心的傾向性としては全く救いようがないわけではないとも思ってます。心的傾向性で救われるんですかと問われるかもしれませんが、大覚醒(信仰復興運動)の旗手で通俗的理解では厳格なカルヴィニストとされるジョナサン・エドワーズがそのようなことを述べてますよ。神学者の森本あんり『ジョナサン・エドワーズ研究』創文社1995を参照して下さい。バーチャルリアリテイー(構造的存在)について簡単な説明があります。PDFhttp://subsite.icu.ac.jp/people/morimoto/Texts/Sobun95.pdf。要するに神与の使命をなす心的傾向性はあっても客観的条件によって傾向性が発現しない状況の人にも思いやりのある神学です。もちろん機会があれば心的傾向性は発現しなければならないわけですから本物か偽物か見分けることはできます。
(註2)鈴木敏仁『誰も書かなかったウォルマートの流通革命』商業界2003年 96頁
(註3)鈴木前掲書110頁
(註4)鈴木前掲書131頁

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2007/04/08

書評 篠田徹「岐路に立つ労働運動-共和党の攻勢と労組の戦略論争」(1)

篠田徹「岐路に立つ労働運動-共和党の攻勢と労組の戦略論争」久保文明編『米国民主党-2008年政権奪回への課題』日本国際問題研究所2005年所収 

米国南部のノンユニオン社会戦略の意義(1)
 
 先月、用事があってたまたま新宿サザンテラス口に出たので、クリスピークリームドーナツを見に行きましたが1時間半の行列だったので買うのを諦めました。とはいえ私の関心はドーナツでなくカロライナにあります。クリスピークリームはノースカロライナ州のウィンストンセーラムを本拠とする企業なので一度は食べてみたいと思ったわけです。携帯用グリルのブルーリノがテキサスの会社に買収されたのは残念ですがカロライナの企業は人々に愛される物をつくってますよ。人々に愛される物をつくる、それは公共善としての価値があるので賞賛したい訳です。
 私は英語ができないし、海外は伊豆大島しか行ったことはないですよ。飛行機ですら乗ったことがない。だから外国のことは知りません。しかし地域研究は好きです。外国で一番好感度が高いのが米国南部諸州ですよ。サザンホスピタリティがあります。人々に親切です。社会倫理的に保守的な風土があって悪徳に染まらない健全さがある。ノースカロライナは二~三年前まで宝くじの発行を認めなかった州だったんです。しかし第一には労働権法(Right to Work law)の州だということです。現在労働権法を憲法や州法で定めているのは南部を中心に23州とグァム島です。http://www.nrtw.org/rtws.htm
 労働権法とは雇用条件として労働者に組合加入と組合費の支払いを義務づける組合保障協定を定めた労働協約の交渉を禁止するもの。事実上組合を排除しやすい雇用環境を提供するもので反労働組合政策の一つと言えます。
 私は労働権州の全てに好意的ですが、特にノースカロライナに好意的なのは、下表に示す(篠田徹論文223頁以下)ように、組織率の低さで全米トップ象徴的な州だからです。朝早くから夜遅くまで勤勉に働くエートスのある州だとの評判によるものであります。労働組合は戦後、ディキシーオペレーションとよばれる南部への組織化攻勢をやりましたが、ことごとく失敗したとされています。カロライナのバーリントンインダストリーが標的になったことがありますが、はねつけました。南部は組織化が難しいという社会通念があります。それは従業員が雇用主に親しい感情を有しているためだといわれています。
 又、州公務員は州法によりいかなる非公式なかたちでも団体交渉が禁止されている勤務条件法定主義の厳格な州で、州従業員協会という職員団体がありますが、賃上げなどの交渉は、州議会議員への陳情というかたちになりますので、労働組合とはみなされていないこともあり組織率は低いのだと思います。
 もっともカロライナでもストはありますし、大きな組織化が成功した事例もあります。赤い30年代1937年にはカロライナの繊維労働者が左翼の煽動により大規模なストライキを打ったこともあったわけです。しかし、ノースカロライナがミルタウン(工場町)の州、繊維、室内装飾、家具、什器などの製造業州でありながら、労組の組織化攻勢をはねつけ、組織率の低さを誇った意義は非常に大きかったと思います。さらにリサーチトライアングルパークにみられる先見の明のある政策は各州のハイテク企業誘致政策のモデルとなったばかりでなく、バンカメやワコビアの本社所在地として金融でもシャーロットがニューヨ-クに次ぐ業績を上げていることは、労働権州=プロビジネスの州との評判を高めています。
 私の持論は、反団結権の確立、労働組合の駆逐が理想社会であり、そのために憲法28条の廃止も含めた、ニュ-ディール体制継受の抜本的に見直しすべきというものですから、それが社会的正義であり、経済的繁栄のためにも望ましいということですから。持論の補強のためにカロライナを含む組織率の低い労働権州が経済的に発展して貰いたい訳で、感情的に肩入れした記述になるのはそのためです。

労働組合組織率の低い州(2003年)
と2004年大統領選挙結果
ノースカロライナ  3.1%-ブッシュ
サウスカロライナ  4.2%-ブッシュ
アーカンソー   4.8%-ブッシュ
ミシシッピ    4.9%-ブッシュ
テネシー     5.2%-ブッシュ
テキサス     5.2%-ブッシュ
アリゾナ     5.2%-ブッシュ
ユタ       5.2%-ブッシュ
サウスダコタ   5.4%-ブッシュ
フロリダ     6.1%-ブッシュ
ルイジアナ    6.5%-ブッシュ
ジョージア    6.7%-ブッシュ
オクラホマ    6.8%-ブッシュ

 
  労働組合組織率の高い州(2003年)
  と2004年大統領選挙結果
ニューヨーク   24.6%-ケリー
ハワイ      23.9%-ケリー
ミシガン         21.9%-ケリー
ワシントン    19.8%-ケリー
ニュージャージー 19.5%-ケリー
イリノイ     17.9%-ケリー
ロードアイランド 17.0%-ケリー
ミネソタ     17.0%-ケリー
オハイオ      16.7%-ブッシュ
カリフォルニア  16.8%-ケリー
オレゴン     15.7%-ケリー
コネチカット   15.4%-ケリー
ペンシルヴァニア 15.1%-ケリー
 
その他重要州及び接戦州の組織率と選挙結果
マサチューセッツ 14.2%-ケリー
ニューハンプシャー 9.2%-ケリー
メリーランド   14.3%-ケリー
ヴァージニア    9.8%-ブッシュ
インディアナ   11.8%-ブッシュ
ウィスコンシン   9.6%-ケリー
アイオワ     11.5%-ブッシュ
ミズーリ     13.2%-ブッシュ
ニューメキシコ   7.7%-ブッシュ

太字は労働権州 

 アメリカでは排他的交渉代表制がとられ、適正な交渉単位において3割以上の署名を得て組合代表選挙により過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが団体交渉権を取得できるシステムですが、1947年タフト・ハートレー法は被用者に団体行動に関与をしない権利を定め、労働組合に被用者に団結権を強制したり、雇用者に被用者を差別せしめることなどを不当労働行為として追加し、労働組合に権力を付与した悪法中の悪法1935年ワグナー法の行き過ぎを改め労働組合の権力の濫用を抑制するとともに、使用者側の対抗言論を保障し労使関係において法律的には中立主義としたのみならず、ユニオンショップについて数々の規制を設け、ユニオンショップ協定のもとでも、組合に対する誹謗中傷、組合秘密の漏洩、スト破りを理由に解雇を要求できなくし、不当に高額な組合加入費を要求することもできなくし、ショップ制は事実上組合費徴収の手段となった。これは多くの企業でユニオンショップが慣行となっていて労組に甘い日本とはかなり状況が異なる点である。
 つまりタフト・ハートレー法は、協約適用労働者に組合加入、団体行動の支持いかんにかかわらず、組合費の徴収は認めているのであるが、労働権法(Right to Work law)が制定されている州では、そのうえに被用者に組合に加入しない権利と、組合費を徴収されない権利を保障しているので、たんに組合費徴収の手段となっているユニオンショップ制、或いは組合の不加入を認めるが、ただ乗り防止のため組合費を支払わせる、エージェンシーショップも容認されない。従って労働組合の組織化を容易にはできない州になっているわけである。労働権を支持する人々は共和党系の圧力団体として全国労働権委員会The National Right to Work Committee http://www.nrtwc.org/home.php3に結集していて、全米で220万人の会員を有し精力的な反労組活動を行っている。。
 アメリカで組合不在企業が多いのは、第一にタフト・ハートレー法で労組の権力濫用を抑止した効果である。タフト・ハートレー法を推進したのはNAM(全国製造業者協会)、共和党、南部民主党であるがとりわけ対抗言論が認められたことの意義が大きい。使用者側にも組合が組織されないほうが労働者にとってメリットになると訴える対抗言論は使用者側の権利とされている。反労働組合企業では組織化の動きを察知すると、あっという間に過去の労働組合の起こした暴力事件などの新聞記事などが掲示されたりして従業員にストの怖さを説示したりしている。。
 使用者側の対抗言論の成果で、組合代表選挙で使用者側が勝利するケースは多く、これは重要な武器になった。
 さらに、日常から組合が組織化されないために従業員の不満や提案を上層部に直接訴えることのできるオープンドアーポリシーを採用したり、従業員に対して人当たりがよく公正に処遇することなどの優れた企業文化を形成するなどの企業努力により、組合不在企業として経営することが可能なのである。それに加えて、南部諸州では労働者に組合に加入しない権利、かりに組合が組織化されても組合費を徴収されない権利を労働権として保障していので、いっそう組合の組織化の歯止めになっているわけである。。
 
 ここにとりあげる篠田徹の論文「岐路に立つ労働運動」ですが、著者はプロレーバーである。イデオロギー的には敵対者ではあるが、南部の労働組合なき企業戦略について論じている。我が国ではアメリカ合衆国の地域特性研究、米国南部の労働権州についての研究は一般読者の目に触れる書物が少なく、貴重な文献のように思える。
 著者は素人にもにわかりやすい、州の地域特性の分類を示している。「ノン・ユニオン・ステート」「ユニオン・ステート」これは労働組合を社会的にポジティブに認知するか否かの違いであるが、労働権州が前者に相当する。「レッドステート」「ブルーステート」「スイングステート」これは大統領選挙で共和党優位か民主党優位かの色分けである。http://www.cnn.com/ELECTION/2004/pages/results/electoral.college/

「サン・ベルト」「スノー・ベルト」は前者が産業立地再編の中心地を指し、カリフォルニアから南部諸州の広い地域を指す。
 この三区分は、重なり合うことも多いが、完全に一致するものでもない。地域特性を過度に強調することも問題があるだろう。
 著者によると、南部は南北戦争以来、何度も組織化が試みられ、比較的短期の現象にせよ、一定の成果をあげてきた。例えば、南部でもテネシーとアラバマが1970年に20%の組織率を有しており、南部諸州が一桁台の組織率で揃うのは過去10年ほどのことと言っている。
 著者によると60年代のジョンソン政権において労働組合が影響力を有していたが、70年代以降影響力が低下していった。80年代以降スノー・ベルトもサン・ベルトも組織率は低下しているが、サン・ベルトの組織率の低下がゆるまないのは、たんに地域特性というだけでは説明できず、それは地域開発と一体となった戦略であって新規に立地する企業が労組なき企業戦略を所与のものとしている結果だとしている。 そうした戦略を担っている、共和党系圧力団体のひとつとして著者は全米独立企業連盟(NFIB National Federation of Independent Business)というスモールビジネスのロビー団体を上げている、全米で60万の会員を有し、最低賃金・超過勤務手当・安全衛生・福利厚生などの規制と闘うだけでなく、企業誘致や地域開発にも積極的な活動をしているという。現在、民主党優位の議会で最低賃金が引き上げられたが、当然こちらは反対の立場だろう。
 つまり米国では草の根でビジネスの政府規制に反対し、労働組合も嫌う自由主義を尊ぶ雰囲気があり、それが労組なき企業戦略に結実していると理解した。
 我が国では社会労働政策というとコーポラティズムの大陸欧州の政策を参考にすることが多いが、それは大きな間違いである。アメリカのスモールビジネスの草の根の健全さにも学ぶべき点は多いのではないかというのが率直な感想である。
 大統領選挙の絡みでいうと、前回の選挙では、選挙人の数の20人以上の大州、オハイオ、ペンシルヴァニア、フロリダの3州が天王山とされたのである。事前報道で3州のうち2州を獲った方が勝ちと伝えられたが、フロリダ-ブッシュ、ペンシルヴァニア-ケリーは予想どおりで、突き詰めて言うとオハイオ1州の結果が全てだったのである。
 著者によるとオハイオ、インディアナ、ペンシルヴァニア、ウィスコンシンといったかつてのユニオン・ステートは急速に組織率が低下した、それは五大湖沿岸の鉱工業地帯、クリーヴランド、トレド、ビッツバーグ、ミルウォーキーとその周辺が産業空洞化で政治的影響力を失い、組合が存在しない、農村や郊外型の産業・住宅地域のポリティカルボイスが大きくなっていると分析している。
 しかし、細かく分析すると組合の組織率の低さ=ブッシュ優位ということではない。ブッシュはペンシルヴァニアを選挙活動の重点州として相当な梃子入れをしたはずだが、結局勝てなかったということは、ペンシルヴァニアはリベラルな州と認識して良いのではないか。ウィスコンシンについても同じことがいえるのであって、オハイオの農村部が保守的なためかこの重要な州を獲ったことでブッシュは辛うじて勝てたのである。

川西正彦
 

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