公務員に労働基本権付与絶対反対-政府は巨悪と手を結ぶな

無料ブログはココログ

ニュース(豪州・韓国等)

意見具申 伏見宮御一流(旧皇族)男系男子を当主とする宮家を再興させるべき 伏見宮御一流の皇統上の格別の由緒について(その二)

Reference Sites

カテゴリー「労働の自由」の29件の記事

2016/06/24

EU労働時間指令を廃止しないかぎり欧州に未来はない(再掲)

 2010/05/29のブログの再掲である。

  28日付産経新聞の「財政不安の欧州各国、超緊縮財政策を加速 」という記事を読んだがhttp://sankei.jp.msn.com/economy/finance/100527/fnc1005272151020-n2.htm、EUのファンロンパイ大統領(首脳会議常任議長)は「欧州はこれまで以上に勤勉に長時間働かなければならなくなるだろう」と指摘しているとのコメントが印象に残ったが、これはとりも直さず「EU労働時間指令」によってヨーロッパ諸国が長時間労働を禁止していることに問題の一つがあると考える。

 EU労働時間指令http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2005_5/eu_01.htmとは、1993年に制定され、2000年に改正された。指令は、1)24時間につき最低連続11時間の休息期間を付与、2)6時間を超える労働日につき休憩時間を付与(付与条件は加盟国の国内法や労使協定で規定)、3)7日毎に最低連続24時間の週休及び11時間(1日の休息期間)の休息期間を付与、4)1週間の労働時間について、時間外労働を含め、平均週48時間以内の上限を設定(算定期間は4カ月)、5)最低4週間の年次有給休暇を付与。というものだが、例外規定があり、イギリスとマルタで適用されている。

 つまり、EU労働時間指令について新自由主義政策をとるイギリス保守党メジャー政権が激しく抵抗したため、結果として例外規定として週48労働時間の上限の免除を受けるかどうかについて個々の労働者が選択するオプト・アウト制度を勝ち取っている。イギリスは、EUに加盟しながらも、本来、加盟国の義務であるユーロの導入や労働時間指令についてオプトアウト(適用除外)の権利を獲得し、 欧州大陸諸国と一線を画してきた。

   保守党政権ではEU労働時間指令を受け容れず、一律の労働時間規制はなかったが、労働党ブレア政権によりEU労働時間指令を受け容れた。つまり、労働時間は週平均48時間を超えてはならないする「1998年労働時間規則」を設けたが、しかしながら同時に労働者により署名された書面による個別的オプト・アウトの合意により、法定労働時間規則の適用を免除する制度も設けた。2004年の『海外労働情報』によると使用者側のあるアンケート調査では、759社中65%の企業が、自社の従業員(一部または全部)にオプト・アウトに同意するよう求めているほか、CBI(イギリス産業連盟)の調査では、英国の労働者の33%が同意書にサインしており、事実上労働時間指令はイギリスでは空洞化しているとされている。イギリスの金融危機まで16年間の景気拡大は、オプト・アウト制度のおかげだと私は思う。

  EU15カ国において週48時間以上働いているフルタイム雇用者は5%以下であるが、イギリスはその数字が20%を超えている。http://www.jil.go.jp/foreign/labor_system/2005_5/eu_01.htmというように労働時間に大きな違いが出ているのである。

   私は、労働時間規制というものが、そもそも雇用契約の自由に反し、営業の自由に反するものとして反対だがイギリスの戦略が正しかったといえる。

    『労働法律旬報』1716号2010年3/25シンポジウム「非正規労働者の権利実現会議」で脇田滋龍谷大学教授の発言をみると、イタリアはのんびりして良い、イタリアでは憲法で年次有給休暇を放棄してはならないと決められている。イタリアには軍人以外、配転慣行がなく、解雇もないのでのんびり働いている。イタリアをモデルとして人生を楽しむ社会にしたいなどということを語ってますが、ユーロ危機を認識しているのだろうか。

 時短、育児休暇、子ども手当などヨーロッパのやり方をモデルとする社会福祉政策にはろくなものがない。ユーロ危機がこれほど明らかになっているのだから、もう欧州礼賛はやめるべきだ。

    「勝間和代のクロストーク」「最低賃金 1000円に増額」2009109http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/01/post-7.htmlでは、我が国においてもEU労働時間指令と同様の週48時間の労働時間規制を実施すべきだとしている。ただでさえ、日本の労働生産性がOECD加盟国の中で中位にとどまっており、とくに非製造業部門の生産性が低いこと、林=プレスコット説において、90年代に進められた時短が失われた10年の要因だと指摘されているにもかかわらずである。EU労働時間指令なんかやったら、もはや我が国の経済成長は望めない三等国になるしかない。

    さらに政府は少子化対策という名目の、労働時間の抑制や有給休暇の完全消化などワークライフバランス政策を推進しているが、ヨーロッパに倣ってろくなことはないのである。民主党はドイツの会社法に倣って従業員代表を監査役に選任することを義務づけるになどの公開会社法の制定を狙っている。これは株主資本主義をやめて欧州型のステークホルダー資本主義、労働者管理型企業にしようとする方向と説明されている。http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51341659.html、そうなると我が国は経済自由主義ではなくなり、没落する欧州と同じような停滞してつまらない社会になる。

   もうヨーロッパに倣う政策はやめよう。PIIGSとかいってるが私はドイツやフランス、北欧も嫌いなのだ。

 

 

 以上が引用である。

 

   リーマンショックまでのイギリスは16年景気が拡大し経済が好調だったのは、EU労働時間指令に拘束されないオプト・アウト制度の活用により、週48時間規制等の労働時間規制からのがれることができたからである。リーマンショック後の経済は他の先進国に比べ好調といわれている。わが国のような長期低迷経済とは違うのである。

   オプト・アウト制度の活用というとだけでも、日本も含めた外国からの投資を呼び込む要因だったのである。

    そもそもイギリスのコモンローは、17世紀に勤勉に働くこと奨励することがパブリックポリシーと宣言し、営業の自由を重視してきた。1960年代まで労働組合が強かったが、ボランタリズムの伝統から、政府の干渉を嫌う土壌があって、協約自治の発達した大陸欧州とは労働法制のありかたが根本から違うのである。

    むろんオプトアウト制度を勝ち取っているからEUに残留してもよかったのであるが、、今回、離脱派が予想外(23日夜のブックメーカー大手のオッズは残留派勝利85%だった)の勝利の背景として、BSの報道では、経済が他の先進国より良いので、独立してもやってけるという国民の自信のあらわれといっていたのが印象にのこった。

   働かない主義の典型であるEU労働時間指令に拘束される国とは違うということである。いまでもコモンローの精神、プロテスタンティズムと資本主義の精神が生きているということで、大陸欧州より健全なのである。

   沈み行く船であるEUから離れた方が中長期的にはイギリスの競争力は高くなるというエコノミストの解説もきのう民放のニュースもみた。

 

   ところが、わが国は、安倍政権の一億総活躍プランのひとつとして、EU労働時間指令のような規制をおこなって長時間労働をやめさせることを検討するとしており政治日程になっている。

   沈んでいくEUに倣っていたんじゃわが国の競争力は低下する。まったくおろかというほかない。ビジネスフレンドリーでまったくない政策だ。

   たまたま、きのう共産党のビラを情報収集のため街中で受け取ったが、そこに残業時間規制と、翌日の始業まで最低11時間の休憩時間というEU労働時間指令と同じ内容があった。

   スティーブ・ジョブズの逸話として「マッキントッシュ」の開発メンバーは、「週80時間労働、それがうれしい」と大書されたTシャツを着させられて仕事に臨んでいた。それくらいで熱中しないと知識労働者は業績をあげることは難しいということだ。11時間のインターバル規制なんかできたら、知識労働者がアジアのよその国に中国とかへ逃げちゃうから、日本は技術革新できない停滞した国になるはず。

 

   自民党の安倍政権と共産党が同じ政策なのである。与党も野党も社会民主主義的なEUにならう政策を出しているということは、わが国の政治の選択の幅が狭い選挙を行っているということである。これは私にとってもっとも不満なことである。

   そういう意味ではEU労働時間を労働党政権でも全面的にうけいれなかったイギリスの政治基調は新自由主義にあり、今回の国民投票でEU離脱という大胆な選択を国民がとったというこからイギリスの自由主義はまだ健全であるとの心証をもった。

 

2013/04/21

争議権は人権であるという異常な思想(3)下書き

1 労働基本権は近代市民法秩序、近代的所有権を否認する(続)

   プロレイバー労働基本権思想を端的にいうならば、労働団体に他者の財産権・所有権・経営権・個人の労働力処分(雇用契約)の自由といった市民法上の基本的権利に干渉し、制限的条件を課し、侵害する権利を付与しようとするものである。労働団体は最大限の威圧・示威行動を他者に向けて行使できるだけでなく、事実上恐喝・脅迫・暴行・逮捕・監禁、物理的閉鎖等の実力行使や強制も権利とする傾向の思想である。
 暴力を事実上容認し市民刑法規範を敵視し否認するところに特徴のある思想といえる。
 

(1)プロレーバーは組合の行為であれば市民刑法規範では暴力犯罪とされる実力行使であっても免責されると言う。人殺し・傷害も処罰されないという学者もいた。

  昭和20年労働組合法一条二項は「刑法35条〔法令又は正当な業務による行為は、罰しない〕の規定は、労働組合の団体交渉その他の行為であって、前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする。」とする刑事免責を規定する。
 この規定は労働組合の「正当な行為」であれば、たとえ殺人・傷害であれ罰せられることがないと解釈される余地のあるものであった。戦場での殺人が刑法35条が適用され殺人罪にならないのと同様に争議行為も正当業務で殺人罪にならないという理屈である。   そこで昭和24年労働組合法改正で「但し、いかなる場合においても、暴力の行使は、労働組合の正当な行為と解釈されてはならない」という但書が付加された。
 その事情について吾妻光俊は次のように語っている。「労組法一条二項が、暴力行使はこの限りにあらずなんて、わざわざいったのか‥‥事実、争議行為なら人を殺してもいい、けがをしてもいい、そういうことをいう学者もいたし、弁護士さんもいたんです。あれは、昭和二十二・三年です‥‥ある弁護士さんがいったことには、人殺しでも傷害でも暴行でも強迫でも、労働組合が勝つための手段は全部一条二項だと。正当業務だと。こういうんですから、すごいことをいう人があるもんだと思って私は口をつぐみました。‥‥ともかく、終戦後そういう考え方はあった‥‥争議というレッテルさえはれば、本来なら許されないはずのものが許されるという気分はあった」*1  実名こそ明らかしてないが、殺人も正当業務という学者・弁護士がいたとのこと。暴力に好意的なことから労働法学者の主張はうさんくさいという心証が強いのだ。
 問題は但書の「暴力の行使」とは何を指すかである。
 行政当局の見解は、昭和24・4・13法務庁検務局長発検事総長、検事長、検事正宛通牒が「一、労働組合法第一条第二項は、いかなる暴力犯罪(例えば,殺人、傷害、暴行、略取、強盗等)をも処罰から免かれしめるように解釈することはできない。二、暴力犯罪に限らず、すべて他人またはその家族の身体、自由または財物に対して、直接に有形の侵害を加える行為(例えば放火,逮捕、監禁、監禁、交通に危険を及ぼすような鉄道施設・標識の損壊、建造物損壊、器物損壊等)または行為の性質上当然の結果としてかかる侵害を生じせしめる行為(略)現行刑罰法規に該当する限りこれを処罰から免かれしめるように解釈することはできない。」*2とする。
 ビケッティングについては昭和29・11・6労働省発第41号、労働事務次官発都道府県知事宛「労働関係における不法な実力の行使の防止について」において、「工場事業場に正当に出入しようとする者に対しては、暴行、脅迫にわたることはもとより、一般に、バリケード、厳重なスクラムや坐り込み等により、物理的に出入口を閉鎖したり、説得又は団結力の誇示の範囲を越えた多衆の威嚇や甚だしい嫌がらせ等によってこれを阻止する如きピケットは正当ではない」「ストライキが制度として認められているのは、労務の提供の拒否としてであって、これに随伴する行為は一般的に、特に禁止されてもいないが、別段制度として是認されているものではない」「通路の物理的閉鎖は暴力の行使と同様に評価すべきであって到底これを正当というわけにはいかない」。また「労働組合の統制力は、原則として、当該労働組合の組合員以外に及ばないものであるから、組合員以外の従業員に対しては、当該行為についての理解と協力を要請し得るに止まり、その正当な就労を妨げることはできない」とする。厚労省法令等データサービス参照PDF  http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/2082V291106041.pdf
 世界の現代における労使関係法の水準からみると、昭和29年11月労働次官通達は、英米で違法としているマスピケッティング(大量動員ピケ)に許容的なこと、他の事業所の組合員のピケ参加を違法とする英法との比較、英米では組合員であってもスト決議にストに参加しない権利を定めていることなどと比較して、それでもかなり労働組合に有利な性格を有しており、疑問がある。しかし労働次官通達は、ストを破る労働者に対して実力行使を正当化するプロレイバー学説を排除した点と、非組合員には組合の統制が及ばないとした点で一定の意義を認めることができる。この行政解釈を真っ向から否定し実力行使を容認しようとするのがプロレイバー労働法学である。
 なるほど末広巌太郎によれば但書の趣旨について「立法者のいい分は旧法と実質的にはたいして変わらないというのである。ただ一部もしくはもしくは弁護士などのあいだで労働組合の正当な行為を非常にひろく解釈して組合の行為であればなにをしても罰せられぬという主張をしたものがあったので、この意見をおさえるために、注意規定として但書を伏した」*3とされるのである。
 従って、そもそも注意規定にすぎないから、空文に等しいのであって、解釈学的に論じることが間違いと行政解釈を批判するのである。
 例えば窪田隼人(立命館大・京都学園大)によれば「労働組合の正当な行為の価値判断にたって、この価値基準からはずれる『暴力の行使』は、正当なものとはみなされない、という注意規定にすぎず、組合の正当行為を制限し例外を設ける意味で、暴力の行使は正当行為とはされないという但書ではない」とする。それゆえ「暴力犯罪といわれるものでも、刑法三五条と関係では正当な実力の行使として考えられる余地があるとみるのが、同条の趣旨でなければならない」とする。*4
 労働組合は暴力犯罪とされることを行っても正当な実力の行使として免責されうるという主張である。
 つまり労働組合の団体行動を「『力の行使』ないし『実力の行使』を正当なものと不当なものとにわけ、正当ならざる実力の行使は刑法三五条の適用があるというのが労組法一条二項本文の趣旨である」として「市民刑法では暴力の行使であっても、労働法規範上の正当化理由がはたらくかぎり刑法上の違法性を有しない」とするのである。
 とはいえ窪田隼人は殺人や放火は団体行動で容認はしない。ただしそれは市民法規範に基づいて「刑法上殺人罪や放火罪に該当するから許されないのではなく」「労働法の世界でも容認しがたいから正当化保障の枠外に置かれる。」と述べ、労使関係に市民刑法規範を通用させてはならないことを重ねて強調するのである。

 
  (2)強制力は暴力でないから容認されるという野村平爾の詭弁

 次に第一世代のプロレーバー労働法学者野村平爾(早大)であるが、この人は労働次官通達を批判して、「ピケッティングの正当性は、労働組合という階級的な労働者の団結体が持つところの、労働者に対する強制力として是認される」‥‥スト破り労働者に対しては「説得の限界をこえていても、防衛的な意味を持つをもつスクラム」は正当‥‥ピケの対象による区分は「スト破りであればいいのであって、それがストライキを行っている組合に所属する組合員であろうと、ストライキ中に脱退した脱退組合員であろうと、未組織労働者であろうと区別はない」と言う。*5
 このように、プロレーバーは労働組合の集団意思によって個人の意思は制圧されなければならないと説き、労働組合に強制力を付与し、労働の自由を否定し、就労阻止の実力行使を是認するのである。
 野村平爾は強制力としてのスクラム容認論を展開しているが、強制力は暴力でないので労組法第一条二項但書に反しないという理屈だが詭弁のように思える。
  「団体の持つ強制力が、いわゆるリンチに達することは国家の刑罰権と衝突する意味で承認されなくても、団体がその利益をまもるために防衛的な強制力を用いるのは禁ぜらるべきではない。労働運動史の上にあらわれた、なぐったり傷つけたりすることは、とうてい承認できないが、スクラムによって利益の侵害者に対し、これを阻止し、出来れば味方の陣営に加えようとするのは、正にこのような状態なのである。労組法第一条二項但書‥‥の意味も、このような状態に適合するものとして考うべきではないだろうか。強制力=暴力ということではない」*6
 殴ったり傷つけたりするリンチはそのままでは支持できないが、防衛的な強制力は認められて当然という言い回しは、限りなくリンチ容認論に接近している。
 野村平爾は就労権とピケット権の対立という構造すら認めないのだ。「個別労働者の労働市場における競争が労働者の地位を引き下げていること、労働者の生存の利益を担保するものは団結の力だという自覚が、団結の強制を必然ならしめる」*7
 労働者階級の利益のためには労働者間の競争を否定し団結に加わらなければならない。沼田稲次郎は、組合が労働力統制を排他的独占して使用者と対等というが、組合員でもない者も従わない者は強制されなければならないというのは傲慢なものである。競争は否定されなければならないという。自由で開かれた市場にアクセスする権利と競争環境なくして自由主義経済は成り立たない。そうすると談合による営業制限に加わらない企業はやっつけてよい、カルテルから脱落する企業はやっつけてよいと言っているのと同じ。前近代のツンフト強制による営業独占と同じ発想である。近代市民的自由の核心的価値(取引の自由)の否認だといわなければならない。
 いずれにせよ、スクラム適法と言う野村平爾はミリバントな組合に武器を与えるための学説である。大きな害毒といえるだろう。昭和30年代から40年代にはプロレイバー労働法学に影響を受けた、実力行使を容認する下級審判例も少なくないからである。裁判所がプロレイバー法学の影響から脱する傾向が明確になったのは石田和外コート末期の昭和48年久留米駅事件判決以降である。

(3)先進国の雇傭法では労働組合に暴力犯罪なみの強制力を付与する国などないはず

 今日、まともな国家ではプロレーバー労働法学者の学説のようにピケッティングに労働組合に暴力犯罪なみ強制力を付与するという法制をとる国家はたぶんない。
 ここでは、イギリスのみ言及しておこう
 英国におけるピケッティング規制の範囲であるが、小宮文人はメージャー政権の1992年法(1980以降の雇用法を進展させたもので)のピケッティングについて次のような説明をしている。
 そもそもピケッティングは、コモンロー上、不法行為を構成する。その理由はピケッティングを成功させるためには契約破棄の誘致又は違法手段による営業妨害が必要だからであると述べ、また不法妨害(ニューサンス)、脅迫、不法侵害(トレスパス)に該当する場合がある。
 1992年法220条は次の場合に、ピケッティングを不法行為責任から免責する。つまり、そもそも不法行為だが、次の範囲で制定法で免責という意味での適法性である。
 免責される範囲は、「労働争議(219条で規定する範囲に限定)の企図または推進のため、その者の職場またはその付近、その者が失業しており、かつその最後雇用が争議行為に関連して終了せしめられ、または、その終了が争議行為の原因の1つとなった場合には、その元の職場またはその付近、その者がある一定の場所で労働しないか、または、その者が通常労働している場所がピケッティングの参加が不可能な場合には、その者がそこを起点として労働している、あるいは、その者の労働を管理しているなんらかの使用者の不動産において、または、その者が労働組合の幹部である場合は、その者が付き添いかつ代表してる組合員の職場または元の職場その付近で、平和に情報を得または伝えあるいは平和的に他人に労働するようまたは労働しないよう説得するだけの目的で参集すること。」*8
 つまり、その事業所に通常働いている労働者、解雇された労働者の元職場がビケッティングに参加してもよいが、他の事業所からのフライングピケットは違法なのである。また大量動員ピケも違法であり、より具体的には行為準則で示され、一般に1つの出入り口に6人以上のピケットを置くべきではないとしている。行為準則はそれ自体法的拘束力はないとされる。
 しかし訴訟上考慮されるのであり、1984~85年の炭坑ストライキの Thomasv.N.U.M(S.Wales Area)[1985]ICR886(Ch.D1)で行為準則で定められている人数より多いピケットを組織することを差止めた。*9 違法ピケッティングからの使用者の救済として、使用者は違法なピケッティングが、その不動産の外側で行われたと確信する場合、その行為が1992年法219条および220条の範囲外の場合には、高等法院に差止を求めるか、選択的または一緒に、損害賠償訴訟を行うことができ、さらに、公道を妨害し、人身または財産の危険を生じせしめるときには、警察に訴えることができる。ピケッティングは場合によっては刑事責任を生じさせる。(241条) 
 
 サッチャー政権1980年雇用法行為準則が翻訳されているので一部を引用すると次の通りである。
 「平和的に情報を得または伝播し人を説得することは、合法的ピケッティングの唯一の目的である。例えば、暴力的、脅迫的、妨害的行為を伴うピケッティングは違法である。ピケッティング参加者はできるだけ説得的に自己の行為について説明しなければならない。他の者を説明を聞くようにおしとどめ、強制し、自分達が求めている通り行動するよう要求してはなない。人がどうしてもピケットラインを越えようとする場合には、それを認めなければならない。
 何者かに脅威を与えもしくは威嚇し、または何者かが職場に入ることを妨げるピケッティングは刑事罰の対象になる。規則に従わないピケッティングによって、その利益が損なわれる使用者または労働者は、民事上の法的救済を受けることができる。彼はこの行為に責任を有する者を相手どって損害賠償を求めることができるし、裁判所に違法はピケッティングの差止命令を求めることもできる。」*10
 就労者の権利を明確にしており、就労者の意思に反する妨害は刑事罰の対象になることを明確にしているのである。
  サッチヤー政権時、1984~85年の炭坑ストライキと並んで、大規模な警察介入のあったワッピング争議(熟練印刷工組合と半熟練組合等のスト)、これはに大衆紙のサン及びニュースオブザワールド(日曜紙)及び高級紙のタイムズ及びサンデータイムズ(日曜紙)を発行するニューズ・インターナショナルが、フリート街から、ロンドン東部ドックランド再開発地区のワッピングの新社屋移転(現在は又別の場所に移転している)に伴う、ストに参加した6000人の印刷工らが即時解雇されたうえ、新規に雇傭した代替労働同社によって業務が行われたという争議だが、労働組合はワッピングの新社屋で印刷された新聞を配送するトラックをはじめ新社屋に出入りする者の入構を大量動員ピケッテイングで封じ込めようとした。新社屋のほか配送業務を委託されたTNT社の新聞配送所でピケが行われただけでなく、、連日50~200人のデモ、水曜と土曜にワッピング周辺で行進や大集会にが行われた。
 これについては新聞社だけでなく配送会社、関連会社より違法ピケッテッングによる不法妨害などの差止を求めて提訴し認められた。また損害賠償請求も併せて行われた。
  召喚令状は配送のTNT社の被用者(トラックドライバー)及びその他の労働者で原告と雇用契約を結んでいる者に対する「雇用契約を破棄せよ」との「脅し」の中止を求め、原告の事業所に物品を供給するのを妨げるために、被告の組合員を「扇動」したり、「脅し」たり「励まし」たり「援助」したり、経済的支援を行うことを一切禁じ、ピケッティングを行う場合にはピケッター自身の職場で6人以下の要員で行うことを命じた。
  高等法院の7月31日の差止を認める判決は、「ワッピングにおけるピケッティングと毎日行われるデモはハイウェイの不法妨害であり、被告は公的ニューサンスの責任を問われるべきである。またワッピングでの週2回の行進と大衆集会はコントロールを失った時は不法妨害に当たり、労働者のバス輸送や追加警備の費用のために損害を被った原告は、この責任を被告に問うことができる。また原告の従業員の中にはピケッティングやデモにより深刻な脅迫を受けて離職したものであり、これらの行為は脅迫の不法行為を含んでいる」と判示、「ワッピングでピケッティングに参加しているものは、平和的に情報を得よう、あるいは交換しようとするためにのみそこにいるのではなく、また、労働の提供をしないようにと説得するためにのみそこにいるともみとめられない。ワッピングでは暴力を伴うピケッティングがおこなわれている」という原告の主張が認められ、ピケッティングに伴う「脅し」(intimidation)や契約違反誘因(Inducement)の存在が認定された。
 裁判官は大量動員ピケッティングに差止め命令を出した。「デモを含みピケットは6人以下とする。ワッピングへの道路上でのピケッティング及びデモの組織の禁止、フリートン街グレイズイン通りとブーブリー通りの旧社屋前でのピケットも六人以下に限る」としたが、行進と集会については平和的である限りピケッティングとみなさないとした。*11
 このようにイギリスではサッチャー政権時には大量動員ピケは差止命令が発出されていて、ピケは代替労働者によって破られ、新聞を休刊させることもできなかった。 マスピケッティングやデモの逮捕者はのべ1370名に及んだ。1986年末までに警察の費用は530万ポンドがスト取締に使われ、15万労働日というロンドン警察の3分の2の警察力を投入したのである。印刷工組合は敗北し世論の同情もなく労働組合退潮の潮目となる事件であったといえる。

 またワッピング争議の2年後、サッチャー政権の労働改革の総仕上げとなった1988年雇用法は、労働組合の団体的権利に対して、組合員個人の権利(自由)を擁護するかたちで裁判所、労働審判所あるいは労働組合関係に関して一定の公的事務を行う認証官等が労働組合の内部事項に国家が介入を行いうる途を大幅に開放しただけでなく、労働組合員により不当に懲戒されない権利が規定された。これは批判者が「スト破りの権利章典scab,s charter」と呼んだものだが労働改革の一つの到達点を示すものである。
 1988年雇用法はストライキを実施しようとする組合が1984年労組法および88年雇用法の規定している厳しい投票実施要件を適正にクリヤーして多数の賛成を取得し、ストライキに入ろうとするとき、そのストライキに参加することを拒否する組合員がいても、彼らを統制違反として制裁の対象としてはいけないとした。この立法の思想は、そもそもストライキは組合員にとっては収入が減少し、成りゆき次第では職業を失いかねない危険なものである。したがって、それに参加するか、しないかの決定権は労働組合によりも組合員にあると考えるべきである。つまり労働組合の団結する権利よりも個人の自由な決定権が優越的価値をもつものだというものだ。
 イギリスの労働組合は、統制違反の著しい組合員に対してしばしば反則金(1000ポンドぐらい)を課したり組合員の地位に伴う一定の権利や利益の享受を一時的に剥奪し、著しい統制違反に対しては除名処分も行う。もちろん、スト指令が制定法上、労組規約上、あるいはコモンロー上違法とされる場合にはそのストライキに参加したことを理由に制裁できないことは1971年労使関係法以来確率されていた法理であるが、1988年雇用法はストライキがあらゆる点で適法であっても、それへの参加、不参加は個人の自由な決定に委ねられるべきだとしたことである。
 しかもそれだけにはとどまらなかった。①ストライキ指令のみだけでなく、②ストライキの支援、支持行動の指示に従わないこと、③ストライキに反対の表明をしたこと、④ストライキに対する不支持を表明すること、⑤労組役員が労組規約にら違反していると主張し続けること、⑥労働協約に違反したストライキであると主張すること、⑦執行部が法定の投票要件に従ってないと主張することなど19種類の行為を揚げて制裁理由としてはいけないこととした。つまり、指令に反しストライキを途中でやめてスト脱落者を励まし支援しても制裁の対象とならないというものである。*12
 我が国では団体の統制権の侵害として反発を受けそうな政策だか、これが先進国の労使関係法の水準である。先頃葬儀がなされたサッチャーの業績である。
 なお、1988年雇用法は事前に投票が必要なストライキを「労務の集団的停止」と定義し、任意の職務、時間外労働の禁止もストライキ投票に付さなければならないとしているが、ピケット権というものは「ストライキ」の定義から外れるものとみてよい。制定法がストライキに参加しない権利を擁護しているのであり、この脈絡においても、ピケッティングの態様にはおのづと限界があるとみてよい。

 先進国の水準では、このように、就労に関する個人の自己決定、労働力処分(取引)の自由を、争議行為から保護するものになっている。それに比べると我が国は、昭和29年の労働次官通達でマスピケを是認しているそのことをもってしても野蛮であり、労働法学者は暴力犯罪となりうる行為も免責されうる、労働組合は強制力があるなどという野蛮な理論をふりかざす有害な思想をまき散らしてきた。それが法学だと称しているがそんなのがまともな法学であるはずはない。

*1吾妻光俊〔講苑〕中郵事件の最高裁判決について」『中央労働時報』66巻12号(447号
*2窪田隼人「労組法一条二項但書の『暴力の行使」について」『団結活動の法理-野村平爾教授還暦記念論文集』日本評論社1962年
*3末広厳太郎『労働組合法の解説』20頁
*4窪田隼人前掲論文
*5野村平爾「ピケッティングの正当性の限界」『早稲田法学』31巻3.4号1956『日本労働法の形成過程と理論』岩波書店1957年所収
*6野村平爾『日本労働法の形成過程と理論』岩波書店1957年155頁
*7前掲書156頁
*8小宮文人『現代イギリス雇用法-その歴史的展開と政策的特徴』信山社出版2006年
*9古川 陽二「イギリス炭鉱ストの一断面(外国労働法研究)」『日本労働法学会誌』(通号 69) 1987.05
*10小島弘信「海外労働事情 イギリス 雇用法の成立とその周辺-二つの行為準則と労働界の反応を中心として」『日本労働協会雑誌』22巻11号 1980.11
*11ワッピング争議に関して家田愛子「ワッピング争議と法的諸問題の検討(1) : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」名古屋大學法政論集. v.168, 1997 「ワッピング争議と法的諸問題の検討(2)完 : 一九八六年タイムズ新聞社争議にもたらした,イギリス八〇年代改正労使関係法の効果の一考察」名古屋大學法政論集. v.169, 1997,〔※ネット公開〕 
*12渡辺章「イギリスの労働法制とその変遷(講苑)」『中央労働時報』804号 1990

 

2013/04/07

争議権は人権であるという異常な思想(2)下書き

 私は、労働基本権思想そのものが悪質なものであり、我が国の労働法制それ自体をオーバーホールすべきであるという考えである。産業競争力会議やTPP参加が契機となって労働規制改革に動き出す予兆もあるが、たんに時代の要請というだけでなく明確に労働基本権思想を否定していく方向性での新自由主義的抜本改革が望まれる。
 そのためには戦闘的階級的労働組合運動を支援し労働基本権を確立するという反市民法政策体系である戦後プロレイバー労働法学を清算し駆逐していく作業が必要であると考えるのである。
 おおまかにいって、プロレイバー労働基本権思想を葬り去るべき必要性は次の点である 

            
 1 労働基本権は近代市民法秩序、近代的所有権を否認する
            
 労働法学者吾妻光俊によれば「近代法典の人格概念も、また、契約の思想も、共に近代的所有権の観念、即ち、いかなる団体的拘束にも服しない自由*1・絶対な物的支配という観念を予定し、むしろこれに地盤を与えるという歴史的意義をもつ‥‥従って労働法の観念は、まさにこの所有権の思想に、最も鋭く対立する‥‥いわゆる労働基本権こそは所有権に対抗するものとしてあらわれた、労働法上独自の権利形態である。‥‥集団的権利であって、個人的権利ではなく、またそれらは自己完成的な権利としてではなく、複合的な形態である点に於いて、所有権をはじめとする近代法の権利形態と対立する。‥‥労働法と近代法の対立は、結局所有権と労働基本権の対立に帰し、この対立の中に形成される社会関係こそは、真に近代的な社会関係にほかならなない」*2と述べる。(なお、ここでいう所有権とは物的支配の範疇だけを指すのではない。「所有権の社会的機能-それはむしろ所有者の契約による他人との結合関係のなかにあらわれる-としてとらえられる」*3)
 このように労働法学者は近代市民法秩序が近代なのではなく、それと対立する労働基本権(社会的基本権)があって真の近代だと主張している。
 なるほど教会法と世俗法のように対立する法思想の併存はしばしばありうることだ。しかしそれは双方の裁判管轄権を分けあうか、世俗法が教会の裁治権を事実上簒奪することで対立が解消されたのである。
 私は、労働法学者とは違って、近代法典と労働基本権の対立関係を内包する社会が良いとは全然思ってない。本来共存する余地のない矛盾なのだ。なぜならば吾妻自身も言うように「所有権は、近代法典の中核をなす概念であり‥‥所有権それ自体の制約という現象は-一般に軽々しく指摘されるほどに-見られるものではない」*4したがって近代的所有権概念、取引の自由という近代市民法秩序の核心的価値を攻撃をし制約しようとするプロレイバーの労働基本権思想とは水と油なのだ。
 私は次のような私有財産権擁護のチャンピオン的見解を支持する。
 ブラックストン『英法釈義』「財産権‥‥それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものである。‥‥第三の絶対的な権利‥‥それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである」*5
 ブリューワ判事イェール大学講演「財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄である‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」*6
 要するに、われわれの市民法上の権利の核心的価値たる所有権は絶対だという思想である。

 対して労働法学者片岡曻・大沼邦宏はこう言う。「労働組合は‥‥‥労働力の取引過程の取引過程に介入し‥‥企業の内部にまで踏み込んで集団的な規制力を及ぼそうとする‥‥それは不可避的に使用者の取引を制約することになるし‥‥市民法上の権利や自由を侵害せざるをえないのであってそれゆえ現実に久しく違法評価を受けてきたのである‥‥にもかかわらず、むしろ、それを歴史的かつ社会的所与としつつ、生存権の理念に基づいて団結権に高度の法価値を認め、積極的な法的保護を与えることを意味している。要するに団結権(広義)は、その性格上、団結活動と対立する使用者の権利の自由の譲歩なくしてありえないものである」と説き「かくして、団結権(広義)は『市民法上の諸権利に対抗しそれを制約するあらたな権利として登場してきたものであり、それを基本権として憲法上保障することじたい、全法体系を貫く価値観の転換をともなわずにはいない‥‥』(籾井常喜『組合活動の法理』からの引用)ということができよう」*7と述べる。
 団結権は他者の市民法上の諸権利を制約する権利と明確に述べている。他者の権利を侵害する権利と言い換えてもよいが、それが人権などというのは論理矛盾であり、大きな間違いだといわなければならない。
 他者の権利侵害権なるものが人権であるはずがないし、それを市民法秩序と融合することは不可能である。なぜならば1793年フランス人権宣言第4条は「自由」の定義と権利の限界を次のように定義する。
「他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない」。
 近代市民法秩序では他者の権利を害しないことが個人の自由と権利の限界なのだ。プロレイバー労働法学はその限界を超えた権力(権利侵害権)を労働基本権と称して、労働組合という集団に付与し、階級闘争を支援する法学というよりも社会学ないし政策体系である。
 労働法学者松岡三郎の見解はこうだ。「労働法は、市民法の虚偽性と罪悪性から生存権と団結権を保障するという使命を帯びて誕生し、生成してきた。‥‥それは、労働者階級の要請と行動力に対応して、政治権力が‥‥体制維持のための譲歩というかたちをとって展開されてきた。」*8とする。
 市民法秩序を虚偽、罪悪と非難し、明らかな市民法敵視思想である。逆に言えば、体制維持のための譲歩によって政治的に生成されたのが労働法であるから、そこに法的正義を見いだすことはできないし、体制維持の危機のために譲歩が不要なら労働法は廃止してもおかしくない。
 われわれが、今生きている世界は所有権・財産権・営業(取引)の自由・私的自治・自己責任を重要な価値とするところの近代市民法のドミナントな社会である。プロレイバー労働法学はそれが虚偽だ罪悪だと非難してこの秩序に挑戦しようとするものである。それはわれわれの市民的自由と市民法秩序への挑戦という犯罪的法学といえるだろう。(つづく)

*1典型例がフランス1791年ル・シャプリエ法である。労使双方の(同職組合と職人等)団結を禁止した。労働者や使用者は集団を形成することなく自由で独立した個人として一対一で取引し契約するという個人主義を法律上明確にした。(恒常的な団体の結成はもちろん、集団的な協議、集団的な請願、寄り合いまで「営業の自由」「労働の自由」を犯す虞があるものとして禁止された):参考文献中村  紘一「ル・シャプリエ法研究試論」『早稲田法学会誌』 (20) 1970
*2吾妻光俊『近代社会と労働法』富士出版1949 169~172
*3契約による他者との結合関係が財産だというのは、たとえばリテーラーとベンダーの関係、ウォルマートと P&Gが戦略的互恵関係にあることは良く知られている。店舗ごとのPOSデータを電子データ互換により P&G社に提供している。そのような良好な取引関係が財産なのだ。もちろんコストパフォーマンスの高い被用者との雇用契約も財産なのである。

*4吾妻光俊前掲書170頁
*5ブラックストン(William Blackstone、1723- 1780)『英法釈義』1765年-1769年出版
「財産権ほど、かくも広く人類の想像力を喚起し、その心を魅了するものはない。それは1人の人が外界の事物に対して主張し行使する唯一の独裁的な支配であり、世界中の他の人々がその権利をもつことを全面的に排除するものである」「第三の絶対的な権利、これはイングランドの人間なら誰もが生まれながらにして持っているものだが、この権利とは財産についての権利であり、それは、自分の取得したものは何であれそれを、自由に使用、収益、処分できるということである。そして、その制約を受けたり減らされたりすることは、唯一国の法律によるのでなければ、一切なしえないのである」リチャード・エプステイン『公用収用の理論』松浦好治監訳木鐸社2000年37頁以下

*6合衆国最高裁で極保守派といわれたブリューワ判事(David Josiah Brewer任1889~1908)のは1891年のイェール大学の講演。
「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」ラッセル・ギャロウェイ著佐藤・尹・須藤共訳『アメリカ最高裁判所200年の軌跡 法と経
*7片岡曻・大沼邦宏『労働団体法』青林書院1991年 263頁以下
*8松岡三郎『労働法-権利の歴史と理論』弘文堂1968年489頁

2013/03/24

争議権は人権であるという異常な思想(1)下書き

1 戦後プロレイバー労働法学の何が悪質であるか

 およそ私は日弁連をはじめとして法律家を嫌悪し信用してないが、とくに労働法学者を嫌悪する。
 我が国の思想状況で世界的にみても極めて悪質なもの一つに戦後プロレイバー労働法学があるからである。これは戦闘的・階級的な労働組合運動を支援し、労働基本権を確立するための理論であるが、イデオロギー的偏向が顕著なのである。
 蓼沼謙一(一橋大)の『戦後労働法学の思い出』労働開発研究会2010年で学会の仲間内として記されているメンツ(思想性に濃淡こそあれプロレイバーとみてよい)を挙げると、第一世代として吾妻光俊(一橋大)、団藤重光(東大・最高裁判事)、有泉亨(東大)、松岡三郎(明大)、沼田稲次郎(学芸大・都立大)、野村平爾(早大)、峯村光郎(慶大)、熊倉武(静岡大)、色川幸太郎(弁護士・最高裁判事)、後藤清(和歌山大)、石井照久(東大)など。一・五世代として林迪廣(九大)の諸氏。
 第二世代として蓼沼自身のほか久保敬治(神戸大)、三島宗彦(金沢大・立命館大)、正田彬(慶大・上智大)、青木宗也(法大)、阿久沢亀夫(慶大)、日外喜八郎(岡山大)、木村慎一(阪大)、楢崎二郎(学芸大)、荒木誠之(九大)、瀬元美知男(成蹊大)、萩原清彦(成蹊大)、横井芳弘(中大)、片岡曻(京大)、佐藤進(金沢大・日本女子大)、島田信義(早大)、外尾健一(東北大)、本多淳亮(大阪市立大)、秋田成就(法大)、窪田隼人(立命館大・京都学園大)、近藤正三(島根大・岡山商大)、角田豊(同志社大)、安屋和人(関西学院大)、宮島尚史(学習院大)といった諸氏であるが、今日でもこうした系統の弟子筋に当たるプロレイバーが労働法学者の多数を占めるとみてよいだろう。 
 私は個人主義的自由主義を信奉するから、プロレイバーはイデオロギー上の明確な敵である。

 上記の諸氏の著書をすべて読んでいるわけではないが、かれらの主張は社会的基本権により近代市民法原理による法秩序は質的に転換されたと説き、労働基本権が他者の財産権・所有権を制約し、労働の自由(個人の雇用契約・労働力取引の自由)の侵害を正当化する権利として強調し、労働組合に不当な権力を付与しようとする傾向があり、この思想は、近代市民革命期の人権・自由主義理念とは正反対のものであり、まさに市民法秩序を否定し、組合の恐喝、威圧力を増大させる理論を説き、企業秩序を混乱させ大きな害毒と被害をもたらした元凶なのである。
  例えば片岡曻・大沼邦宏『労働団体法』青林書院1991年 p263は経営内(企業施設内)組合活動の受認義務説(この主張は昭和54年最高裁国労札幌地本判決で明確に否定されている)の根拠としてつぎのようにいう。
「労働組合は‥‥‥労働力の取引過程の取引過程に介入し‥‥企業の内部にまで踏み込んで集団的な規制力を及ぼそうとする‥‥それは不可避的に使用者の取引を制約することになるし‥‥市民法上の権利や自由を侵害せざるをえないのであってそれゆえ現実に久しく違法評価を受けてきたのである‥‥にもかかわらず、むしろ、それを歴史的かつ社会的所与としつつ、生存権の理念に基づいて団結権に高度の法価値を認め、積極的な法的保護を与えることを意味している。要するに団結権(広義)は、その性格上、団結活動と対立する使用者の権利の自由の譲歩なくしてありえないものである」と説き「かくして、団結権(広義)は『市民法上の諸権利に対抗しそれを制約するあらたな権利として登場してきたものであり、それを基本権として憲法上保障することじたい、全法体系を貫く価値観の転換をともなわずにはいない‥‥』(籾井常喜『組合活動の法理』からの引用)ということができよう」と述べ、団結権(広義)とは他者の市民法の諸権利を制約する権利、全法体系の価値観の転換をともなうものである断言している。
 それゆえ、組合活動のため使用者の所有権、施設管理権は侵害されて当然であり、無許可組合活動が容認されるという理屈になるわけであるが、非常に厚かましく傲慢な思想である。
 1793年フランス人権宣言第4条は「自由」の定義と権利の限界を次のように定義する。
「他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない」。
 従って、かれらの主張する他人の権利を侵害(制約)する権利なるものが人権、基本権であると称するのは論理矛盾である。労働基本権なるものが、人権に値しないのは明白だろう。 
 それは近代市民社会(自由企業体制=資本主義)の核心的価値たる、所有権・財産権・自由な取引(営業)・私的自治・自己責任に敵対する思想だといわなければならない。
 
 労働法学とは悪質なものであるし信用できない。そもそも戦後労働法学は私有財産制の否定である生産管理闘争合法論から始まったという性格からそれは当然のことなのである。
 わが国では終戦直後から昭和24年の労働組合法改正以前、「生産管理闘争」のような経営権を否定する悪質な争議行為がさかんに行われたが、末広厳太郎の合法論により赤い進駐軍経済科学局(ESS)労働課が黙認したことが混乱に拍車をかけた。しかし進駐軍の地方軍政部は昭和23年5月、生産管理の中心に共産主義分子がいることに注目し、非合法化の勧告を行った。山田鋼業事件最高裁大法廷昭和25年11月15日最高裁判所刑事判例集4巻11号2257頁は生産管理について「わが国現行の法律秩序は私有財産制度を基幹として成り立つており、企業の利益と損失とは資本家に帰する。従つて企業の経営、生産行程の指揮命令は、資本家又はその代理人たる経営担当者の権限に属する。勞働者が所論のように企業者と並んで企業の担当者であるとしても、その故に当然に勞働者が企業の使用収益権を有するのでもなく、経営権に対する権限を有するのでもない。従つて労働者側が企業者側の私有財産の基幹を搖がすような争議手段は許されない」と判示したが、今日ではあたりまえの論理をかれらは否定していたのである。

(註) プロレイバー労働法学が害毒というのは、実際、私が重大な被害を受けているということでもある。東京都水道局に長年勤務しているが、毎年、大衆行動と称するスケジュール化された職場闘争が組まれている。
 勤務時間内事務室内において所長要請行動、書記長会議報告、部会報告、中央委員報告等と称する頭上報告と呼ばれる演説行為、オルグ演説等が行われ、当局がそれを容認してきたために職務への専念を妨げる騒々しい威圧的、恐喝的、敵対的、虐待的環境で長年仕事をしてきた。これは重大な被害である。 
 このような組合活動は地方自治法上の庁舎管理権(行政財産の目的外利用)、昭和54年以降判例で確立されている企業秩序定立維持権にもとづく施設管理権の発動によって、中止命令を発し懲戒処分に付することが可能だが、それはやらない。
 態様だけでなく演説内容においてもストライキや大衆行動と称する決起集会への参加、超過勤務拒否闘争等の争議行為を慫慂・使唆する内容であるから地公労法11条違反としても中止命令が可能であるはずだが、もちろんそれはやらないし、管理職は、頭上報告等組合活動が、正常な業務運営を阻害するとは口が腐っても言わなかった。
 ながら条例以前のことであるが局長級の支所長は、頭上報告は聞きたい人がいるから認めるんだと明確に述べた。職務専念義務の否定である。副支所長(部長級)は組合の闘争課題を記したステッカーが目に入って職務に集中できないという苦情を述べたところ、そういう考えは間違いであり、ステッカーをみても気にならず仕事ができるよう思想を変えなさいと内心の自由を否定した。ある営業所長は、演説の騒音が気になるなら、宿直室で仕事をしてもらうしかない、私はあなたにどこで仕事をするか、極端なことをいえば喫茶店で仕事せよと命ずることもできるからと言った。さらに、力関係で頭上報告は認めざるを得ないと言った。
 またある副支所長級は、受忍義務があるので勤務時間中の組合活動は認めざるをえないと言った。明らかに、判例で否定されているプロレイバー学説の影響を受けている。
 私が思うに、頭上報告者はたんに就業時間中であるから、労務提供義務、職務専念義務に反しているだけでなく、実際に声を張り上げ、こちらに注目せよなどと言っているのであるから、他者の職務への専念を妨げる、少なくとも気を散らして、職務への集中を妨げる行為を行っており、正常な業務運営を阻害するものともいえるし、少なくとも企業秩序を乱すもの行為であるといえる。
 民法第一条二項「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」とあるが、これは我が国に限らずどのような国でもおなじことである。忠実労働義務とか誠実労働義務というものは社会主義のソ連にもあった。世の東西を問わず同じである。
 職務専念義務は、一般私企業でも基本的には同じことであり、相当な技術と注意力をもって職務に専念することが、勤務時間中求められるのである。 雇用契約における使用者・労働者それぞれの債務は、互いに依存する相関的債務であるから、使用者が職務専念を求める以上、労働者は、聴きたくもないアジ演説によって、顧客との電話のやりとりを妨害されたり、相当な注意力をもって職務に専念すべきところ、業務に集中できない環境の是正を要求することは不当でないし、それに応じることが信義則であると考える。
 たんなる騒音ではない。違法行為である争議行為の慫慂や、非組合員は利敵行為だというような私自身に対する攻撃も許容されているからね怒りがこみあげるし、その後味の悪さは、仕事の能率に明らかに影響する。
 使用者が職務専念義務と職務の精励を求め、労働者はそれに答える義務がある以上、職務に専念できない敵対的職場環境にさらしたままて、それを受忍せよというのは信義則に反するものと考える。
 したがって管理職の態度は雇用の相関的債務としての性格、市民法原理を無視し、法外的な力関係に従えというだけなのは、管理職本来の職務を放棄しているに等しいが、そのような労務管理は、東京都の管理職が判例法理を無視しプロレイバー労働法学の受忍義務説を信奉している状況によって起きているといってもよい。
 したがって、明らかにこのように不愉快で敵対的、虐待ともいえる職場環境で仕事をさせられたということで私はプロレイバー労働法学の被害者といえる。
 もっとも近年では組合が勤務時間内所長要請行動等を自粛している。それに平成14年のながら条例(「「職員団体のための職員の行為の制限の特例に関する条例」)による有給組合活動の批判とその改正により勤務時間内の組合活動の職務専念義務免除基準の改正されたことである。
 これは「石原三羽ガラス」と呼ばれる保守系議員、古賀俊昭都議の代表質問、土屋たかゆき都議による一般質問において厳しく追及したことにより当局が重い腰を上げて実現した。
 もっとも、所長要請行動も頭上報告もながら条例改正以前から職免として認められたものでは全くない。いわゆるヤミ慣行が広範に黙認されていたのであるが、東京都はながら条例により有給で組合活動をしていると都議会から厳しく指弾されたために、それまで野放図に勤務時間中に行われていた組合活動(とくに所長席に集団でおしかけ団交するスタイル)を組合側がある程度の範囲で自粛していかざるをえなくなったのである。
 また平成16年3月17日の都議会の公営企業委員会
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/kouei/d3080073.htmlで後藤雄一都議(無所属・前回の選挙で落選)が東京都水道局北部支所の所長要請行動で机に穴を開けたと言う事件や頭上報告等について追及したことがも重要である。
 しかし、その後、就業規則で無許可演説行為の禁止規程が設けられたわけではない。都議が質問によって局長からやめさせると言質をとった頭上報告や構内での勤務時間内組合集会もおこなわれ、繰り返せば処分を示唆するような意味のある警告は発していないので、事実上、賃金カットはされても中止命令されていない。問題の本質は何も解決していないのである。

  
 

2012/09/09

岡田与好による「営業の自由」論争と関連して団結禁止体制・その変質について(2)改訂版

承前

営業の自由の歴史的過程(英仏独日諸国の概観)その1
 

 岡田教授によれば、先進国における営業の自由の進展は、イギリスにおいては、17~18世紀にかけて①初期独占の廃棄、②ギルド的独占の廃棄、③団結禁止による経済的自由の保障と漸進的・段階的に達成した。フランスでは革命期に一気に展開されたのでより鮮明なものとなっている。【註1】ドイツや日本はやや違った展開をとっているので比較法的に概観する。

1 イギリスにおける初期独占の廃棄

 商品取引の独占は人類の歴史とともに古く、フェニキア人の商業活動に随伴した独占から現代的独占(労働力取引の独占-賃金カルテルである労働組合を含む)にいたるまで普遍的現象ともいわれているが、政治問題化したのが絶対王政期であった。
 「初期独占」とは16~17世紀の独占であって、経済史学で用いているもので、現代的独占と区別するための用語であり、ある個人もしくは幾人かの個人に商品の販売・製造・輸出入の独占権を国王もしくは国家的機関が特権付与するものである。
 
  イギリスでは16世紀末、女王エリザベス1世の特許状により特権的政商もしくは寵臣に特定の商品の国内での一手販売権を付与する「特許独占」が財政の悪化と寵臣への報酬のために濫発された。鉄、ガラス、石炭、鉛、塩など40品目以上に独占が及び、独占価格により商品の価格もつりあがった。特許状は元々、外国より遅れていた産業を育成するためのものだったが、特許状発行に伴う上納金を財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だったのである。【註2】
  このため議会(庶民院のコモンローヤー)と王権との間で激しい紛争となった。裁判所は反独占権の法理を展開し特許状による営業独占をコモン・ロー、臣民の自由に反すると判示した。法の支配とはまさにこのことである。
 1601年の議会は独占批判で荒れ模様となり、庶民院では国王の特許状発行を制限する法案が検討された。女王は批判の高まりに衝撃を受け、「黄金演説」において、国王大権の優越を明言しつつも、親愛なる臣民の一般的善のために一定数の特許を廃止するとともに、独占付与による損害について通常の救済方法に訴えることを臣民の自由とする譲歩により収拾を図った。
 1602年ダーシー対アレン判決Darcy v.Alleinにおいて、独占権が有害であるという法廷による決定的なステートメントとなるコモン・ロー史上著名な判決が下された。
 ダーシーは、開封勅許状により毎年100マルクを支払うかわりに、英国の市場でトランプの輸入・販売・製造の独占特許を21年以上付与されていたが、ロンドンの小間物商アレンが、80グロスのトランプを製造し、さらに100グロスのトランプを輸入したため特許権侵害として訴えたものであるが、女王による独占特許を無効と判決した。
 王座裁判所全員一致の意見は「原告に対する……前記の権利付与はまったく無効である……すべての営業は……国家にとって有益であり、したがって、トランプの独占権を原告に付与したことは、コモン・ロー、および臣民の利益と自由に反する。………同じ営業を営む者に損害と侵害をあたえるばかりでなく、その他のすべての臣民に損害と侵害をあたえるというのは、それらのすべての独占は、特許被授与者の私的な利得を目的としているからである。……」などと述べた。
 絶対王権に対するコモンロー護持者として歴史的権威となったエドワード・コーク卿は後にこれをマグナ・カルタ第29条に基礎づけた。「もし誰かある人にトランプ製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」と。マグナ・カルタ29条「自由人は,その同輩の合法的裁判によるか,国法によるのでなければ,逮捕,監禁され,その自由保有地,自由,もしくはその自由な習慣を奪われ,法外放置もしくは追放をうけ,またはその他いかなる方法によっても侵害されることはない」を注釈し、「自由」および「諸自由」を示すlibertates libertiesについて、これらが「王国の法」「イングランド臣民の自由」「国王から臣民に与えられた諸特権(privileges)を意味するとことを明らかにしlibertates libertiesの中に営業の自由を認める再解釈を行ったのである。
 ジェームズ1世の時代には反独占運動が激烈となり、国王は1604年の「自由貿易のための法案に関する指示」を行い、「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は、他のすべてのなかでも最も主要なまた最も裕福なものであり……それを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」と理由を述べた。
 1624年には「独占および刑法の適用免除ならびにその没収に関する法律」が制定された、独占法は前半であらゆる特許独占を廃止し、コモンローによって裁定されるとした。しかし、後半でコーポレーション組織による独占を認める等の例外規定を設けなお独占が一掃されたわけではない。
  1625年のイプスウィッチ仕立屋判決Ipswich Tailors Case http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=911&chapter=106357&layout=html&Itemid=27は重要に思える。原告イプスウィッチテーラーズは国王の開封勅許状により設立され、イプスウィッチの町で仕立業を営む者は、原告団体の親方、管理人のもとヘ出頭するまでは、店舗や部屋をもち、徒弟やジャニーマンを雇ってはならず、少なくとも7年間徒弟として奉公したことを証明しなければならなかったため、違反者に3ポンド13シリング4ペンスを請求した金銭債務訴訟である。
 「第一に、コモン・ロー上、何人も合法的な営業に従事することを禁止されることはできない。というのは、法は怠惰、悪の根源……を嫌うからである。……したがってコモン・ローは、人が合法的な営業に従事することを禁止するすべての独占を禁止するのである。第二に、被告に制限を加えることは、法に反する。…というのは、臣民の自由に反するからである……」 【註3】
 アダム・スミス以前の経済的自由の先駆が17世紀のコモンローヤーだった。財産所有、取引および営業、利子をとること、独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令の規制を受けない経済的自由を強く支持したのである【註4】
 しかし、1625年に即位したチャールズ1世は、1624年の大独占禁止法の例外規定を巧みに利用し、多くのカンパニーに法人格が付与され、独占を確保する目的で設立された。
 1640年の長期議会は独占攻撃のるつぼとなり、まず独占企業家を議会から追い出し、諸独占を査問にかけて個々に廃止した。商業独占と、ギルド的独占はなお存続したが、産業独占の性格を有する「初期独占」は概ねこの時期に解体していった。【註5】
 1688年ウイリアムとメアリのもとで王室鉱山法が制定され、金属の鉱業権が王室から剥奪され、土地所有者に保障された。名誉革命を画期として「初期独占」は最終的に解体されるのである。【註6】

 
 2 イギリスにおけるギルド的独占の廃棄
 
 問題となるエリザベス女王の治世の1563職人規制法について、各条項の要点は以下のとおりである。
 ○農耕就労義務
 所定の土地、動産を所有しない、もしくは所定の土地、動産を所有する両親をもたない者は自己の居住州内で年季奉公人として農業労働に従事すべき義務を有す。
 ○手工業就労義務
 三年以上特定の手工業に従事し所定の土地、動産を有さない30歳以下の未婚の職人は、農業を営まざる場合、未婚の間、自己の従事してきた職種の営業主の請求によって雇用さるべき義務を有す
 ○未婚女性の日雇就労義務
 ○年季契約の義務(1351年法と基本的に同) 
 ○労働者の移動の禁(1383年法と同)
 都市または教区を離れるものは移動証の持参を要す。
 ○労働日に関する規定(1495年制定法とほぼ同)
 夏期・午前5時~午後7時、 冬期・夜明けより日没(休憩計2時間)。 
 ○労働契約条項
 被傭者の不当就業放棄の禁止と、不当解雇の禁止、その正当な理由は治安判事の認定とする。
 ○賃金条項
 1351年の賃金法定制をあらため、豊凶いずれのときを問わず、被傭者に適当な賃金率を与えるために治安判事によって毎年裁定される賃金スライド制。
 ○徒弟条項
 雇職人(ジャーニーマン)として就業するためには、最低七年徒弟として育成されたことを要件とする。以下略【註7】
 岡田与好は、早い時期にマナーが崩壊したイギリスでは15世紀から16世紀には、ギルド規制から自由な農村地帯に毛織物工業が深く根を下ろし、この農村の自由な経済発展に対応して、都市のギルドは規制力が弱化し、16世紀中期にはギルドの危機が全面化した。職人規制法は、産業規制を全国化し、工業的諸営業の農村地帯への拡散を防止するための者で、農村住民の農村離脱を禁止し営業資格の厳重な制限(七年季徒弟制度)によって転職の禁止を全国化し、当該ギルド団体に営業独占を保障しようとするものであったという。【註8】
 職人規制法の徒弟制は、資本の移動の自由を否定し、労働力の雇傭を制限し、労働力の移動を制限し、安価な労働力の不断な供給を阻止した。イギリス資本主義=賃労働の生成・発展に敵対的なものであったから、経済的自由の障害として除去されなければならない性格のものだった。 
 17世紀初頭のコモン・ロー法曹は営業は恣意的諸制限から自由でなければならないと考えたのである。【註9】。
 コモンローとは、教会法に対する世俗法、制定法に対する判例法、地域的慣習に対する王国共通の法、大陸法に対してイギリスの法という意味等多義的に用いられるが、岡田与好の次の説明がわかりやすい。
 「コモンローは『単に制定法の解釈に立脚する権利体系ではなく、裁判所の慣行に立脚する完全に独立した権利体系だった』かかるものとしての「コモン・ローの優位」の確立のために、コモンロー裁判所が議会内の反絶対主義的勢力と同盟しつつ絶対主義的法体系への偉大な闘争を開始し(16世紀末)‥‥ピューリタン革命(星室庁裁判所・高等宗務官裁判所・大権裁判所の廃止)を経て『コモン・ローの優位』が確定する過程と平行して、「『職人規制法』がコモン・ローによって制限され、ついに否定されさえするに至った」のである【註10】
 1615年のトーリー対アレン事件【註11】は徒弟法の7年間徒弟義務を営業資格要件とする規定は徒弟法の規定しない職業には適用されないもののとした。
 1624年の大独占禁止法以降のノリツヂにおける同職組合であるカンパニー組織についての研究によると、徒弟雇用数の制限は職業によって異なるが取り払われる傾向にあり、営業規制は品質管理が中心となり弛緩する傾向にあった。これは時代の変化に柔軟に対応していたことを示している。【註12】
 チャールズ1世は、1624年の大独占禁止法の例外規定を巧みに利用し、多くのギルドを再編し、初期独占の解体に伴う競争の増大による工賃の低下防止のための小営業主の団結運動を助長した。このため清教徒革命期には、ギルド民主化闘争があったが、ギルド的支配は存続した。【註13】
 したがって、ギルド団体の産業統制を拒否するレッセフェール経済の浸透の時期は、王政復古(1660)以降のことである。
 1669年の「枢密院録」によると1563年の徒弟法は廃止されていないけれども、大概の裁判官によって産業および発明の増加にとって不都合なものと考えられた。 
 18世紀になるとコモン・ロー裁判所はいくつかの判例を通じて「コモン・ローの政策は企業の自由、営業の自由、労働の自由を奨励することにある」という立場を宣明した。
 1563年エリザベス1世の職人規制法の体系も法律として存在しても、実効性を伴わなくなり空文化していく。ブラックストーンは1765年に次のように述べた。「裁判所の判決は、規制を拡大したのではなく、それを一般に制限してきた」。治安判事の賃金裁定条項は衰退していくのである。17世紀末には既に同条項の適用を年雇労働者や農業奉公人にされていたのである。【註14】徒弟条項は、七年の徒弟義務ではなく、いかなる仕方にせよ七年間従事することが職業を独立して営む合法的権利とされるようになっていった。
 1706年の女王対マドックス事件で裁判所は「職人規制法」に公然と敵意を示しそれを『過酷な法律』と規定し、1756年のレイナード対チェース事件では近代における偉大な法曹とされるマンスフィールド卿が「職人規制法」は『王国のコモン・ローによって与えられている一般的権利に反し』『この法律の制定の基礎をなしている政策は経験から疑わしくなっている』と宣せられた。【註15】
  アダム・スミスは同業組合について次のような否定的態度を示した。
 「すべての同業組合が創立されたり大部分の同業組合法が制定されたりしたのは、自由競争を抑制し、そのために必ず引き起こされる価格や、したがってまた賃銀や利潤のこういう下落を防ぐためだった」「‥‥同業組合精神、つまり局外者に対するねたみや、徒弟をとったり職業の秘密をもらしたりすることの嫌悪が一般にかれらのあいだにゆきわたっており、そしてこの精神が、任意の連合や協約をつうじて、組合規約では禁止しえない自由競争をふせぐことをしばしばかれらに教える」「同業者というものは、うかれたり気晴らしをしたりするために会合するときでさえ、たいていのばあい社会に対する陰謀、つまり価格を引き上げるためのくふう、になってしまうものである」【註16】。
 このようにアダム・スミスも同職組合の特権や、徒弟制度の入職規制に強く反対していたので、ある。彼の思想の影響もあって、1563年エリザベス1世の職人規制法は18世紀に衰滅過程を辿り、最終的には治安判事による賃金裁定は1813年に、徒弟制は1814年に廃止されている。
(つづく) 
註1】岡田与好「市民革命と「経済民主化」」-経済的自由の史的展開-」岡田与好編『近代革命の研究 上』東京大学出版会1973所収272頁以下
【註2】青木道彦『エリザベスⅠ世』講談社現代新書2000
【註3】堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
【註4】谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09](契約法史の大家アティヤの見解)
【註5】岡田与好 前掲書 277頁
【註6】堀部正男 前掲書 378頁以下
【註7】岡田与好『イギリス初期労働立法の歴史的展開』御茶の水書房1961第二章
【註8】岡田与好「市民革命と「経済民主化」」-経済的自由の史的展開-」岡田与好編『近代革命の研究 上』東京大学出版会1973所収275頁
【註9】岡田与好『イギリス初期労働立法の歴史的展開』御茶の水書房1961 165頁
【註10】前掲書164頁
【註11】前掲書165頁以下
【註12】唐澤 達之「17世紀ノリッヂにおけるカンパニー」『立教経済学研究』 50(3), 1997〔※ネット公開〕
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006487095
【註13】岡田与好「市民革命と「経済民主化」」-経済的自由の史的展開-」岡田与好編『近代革命の研究 上』東京大学出版会1973所収 276頁
【註14】大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連し近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 て」関西大学法学論集 38巻1号 [1988.04]
【註15】】岡田与好『イギリス初期労働立法の歴史的展開』御茶の水書房1961 170~171頁
【註16】谷原 修身「コモン・ローにおける反独占思想-4-」『東洋法学』38巻2号1995

2012/09/05

岡田与好による「営業の自由」論争と関連して団結禁止体制・その変質について(3)

3 イギリスにおける団結禁止

 (1)団結禁止及び労働組合非合法の法理の概略

 ア 制定法を基準とした時代区分

 大雑把に制定法による団結問題の時代区分は5区分して検討する。労働法制史が複雑だが、かいつまんでいえば以下のとおりである。

第1期 団結、集団取引自体が違法 1823年まで
 18世紀の主従法や産業別団結禁止法、1799-1800年団結禁止法

第2期 目的・態様を限定した団結放任(刑事免責)だが労働組合は非合法1825~1870年

 1825年法-賃金・労働時間に関する「集会」「談合」「協定」は例外として違法性が除去されるが、労働者個人を規約によって拘束し統制する労働組合は非合法であり、ストライキ、クローズドショップ、徒弟規制等の目的を有する団結はコモンローの非難にゆだねられる。

第3期 労働組合を合法化するがピケッティングは実質違法であり、ストライキは個別的自発的行為の総和であって、他者を強制できないだけでなく争議行為に共謀罪適用の余地を残す-1871~1874年

 
 1871年労働組合法と刑事修正法-この世界史上初の労働組合合法化は直接的にはストライキの目的を持つ組合規約が「営業制限」にあたり違法とされ組合基金の法的保障を失わせた、1867年のホーンビィ対クローズ事件判決を覆すものであった。刑事修正法は「その行為が取引の自由を害しまたは害する傾向を有するとの理由により処罰を受けない」とし営業制限の法理から免責することによって労働組合を「合法化」したのである。しかし、裁判所は主従法を適用したり、「営業制限」以外の理由「不当な妨害improper molestation」を根拠にコンスピラシーを構成するとして刑事修正法の但書における免責を否定した(1872年R v.Bunn事件)。

第4期 争議行為を刑事免責とするが、ピースフルピケッティングは違法であり、裁判所は民事共謀法理を案出し対抗-1875~1905年

 1875年共謀罪・財産保護法が制定され、主従法は廃止された。共謀罪・財産保護法は、労働争議を共謀罪から解放し刑事免責という画期的制定法であり平和的ピケッティングの合法化を企図したが、実際には合法化されてない。第7条但し書きが合法的なピケッティングを「単に情報を授受する目的」と規定したことが致命的だった。裁判所は情報を授受する目的で通路に待機することは合法と規定していても、説得すること、契約違反誘致は違法とした。1876年R.V.Bauld事件、1896年Lyons v.Wilkins事件は明確にピースフルピケッティングを違法としている。
 さらに裁判所は刑事免責の制定法に対抗するため民事共謀法理を案出、1901年のタフ・ヴェイル事件判決Taff Vale Caseは違法なピケッティングによる業務妨害、会社とスト破り労働者との雇用契約違反の誘引、および違法な共謀を理由に組合役員2名と、合同鉄道従業員組合(1871・76年労働組合法上の登録組合)を被告として差止命令とその他の請求(損害賠償請求)の訴訟を提起したものであるが、それまでの判例は不法行為責任の主体が労働組合員・役員個人であったのに対し、同判決が初めて労働組合を不法行為責任の主体と位置づけ、その賠償を組合自体に求めた。労働組合は法人ではないと認定されながらも、組合役員の行動によって生じたとされる非合法なピケッティング等による損害に対して法人能力があるものとして起訴されるとした。また判決は、労働組合に対し「差止命令」だけでなく「職務執行令状」も出せるとし、これに従わない場合は法廷侮辱罪で即決収監するとされた。1871年労働組合法に基づき登録された組合は法人と同様その登録名で訴えられ、その結果労働組合は鉄道会社のストライキの賠償として2万3千ポンドを支払うこととなったのである。

第5期 争議行為の不法行為免責-1906年労働争議法以降現代まで

 1906年労働争議法はダイシー、ポロック卿、ホウルズワースという名だたる法制史家が非難したように最大級の悪法と思う。
 他人の業務その他の妨害に対する責任の免除を次のように定める。   
第三条
「労働争議を企画しまたは促進するための行為は、当該雇用契約を破棄するよう他人を勧誘する、または、他の人の営業や雇用に抵触する、または、資本や労働を自由に処置する他人の権利に抵触する、ということのみを理由に起訴されることはない」コモンローでは、正当な理由なくして「不法かつ悪意に」他人をして第三者に対し不法行為をなさしめ、それによって第三者に損害を与える場合は不法行為となり、従って悪意に契約を違反せしめた場合も不法行為となるが、本条は契約違反の誘導に対する争議行為の免責を規定したものである。ただし本条の趣旨は、契約違反の誘導が名誉毀損・脅迫・強制等それ自体不法な手段によって行われる場合は免責されないとする。
 労働組合の基金の不法行為に対する免除について次のように定める
第四条第1項 「組合によりまたはそれに代わって行われたと主張される不法行為につき‥‥労働組合たるを問わず雇用組合たるを問わず、組合に対して提起された訴訟は、‥‥どの裁判所も受理してはならない」と規定し、タフヴェイル判決は完全に覆った。
 なお、1927年労働争議法-再びピケッティングの違法化、同条ストの違法化がなされたが、1942年労働争議労働組合法で廃止され、ピースフルピケッティングは容認された。近年の改革では1980年以降サッチャー政権によって、不法行為免責となる範囲を狭めた。マスピケッテイング、フライングピケット、二次的争議行為などは免責されず、第三者の監査によるスト投票により承認された公認ストライキ以外は免責されない。しかし1906年労働争議法はなお生きているのである。

なお、引用の出所については、各論編で掲載する。

2012/09/02

岡田与好による「営業の自由」論争と関連して団結禁止体制・その変質について(2)

承前

営業の自由の歴史的過程(英仏独日諸国の概観)その1
 

 岡田教授によれば、先進国における営業の自由の進展は、イギリスにおいては、17~18世紀にかけて①初期独占の廃棄、②ギルド的独占の廃棄、③団結禁止による経済的自由の保障と漸進的・段階的に達成した。フランスでは革命期に一気に展開されたのでより鮮明なものとなっている。【註1】ドイツや日本はやや違った展開をとっているので比較法的に概観する。

1 イギリスにおける初期独占の廃棄

 商品取引の独占は人類の歴史とともに古く、フェニキア人の商業活動に随伴した独占から現代的独占(労働力取引の独占-賃金カルテルである労働組合を含む)にいたるまで普遍的現象ともいわれているが、政治問題化したのが絶対王政期であった。
 「初期独占」とは16~17世紀の独占であって、経済史学で用いているもので、現代的独占と区別するための用語であり、ある個人もしくは幾人かの個人に商品の販売・製造・輸出入の独占権を国王もしくは国家的機関が特権付与するものである。
 
  イギリスでは16世紀末、女王エリザベス1世の特許状により特権的政商もしくは寵臣に特定の商品の国内での一手販売権を付与する「特許独占」が財政の悪化と寵臣への報酬のために濫発された。鉄、ガラス、石炭、鉛、塩など40品目以上に独占が及び、独占価格により商品の価格もつりあがった。特許状は元々、外国より遅れていた産業を育成するためのものだったが、特許状発行に伴う上納金を財政上の手段としたのである。これは国王大権事項のため議会の承認は不要だったのである。【註2】
  このため議会(庶民院のコモンローヤー)と王権との間で激しい紛争となった。裁判所は反独占権の法理を展開し特許状による営業独占をコモン・ロー、臣民の自由に反すると判示した。法の支配とはまさにこのことである。
 1601年の議会は独占批判で荒れ模様となり、庶民院では国王の特許状発行を制限する法案が検討された。女王は批判の高まりに衝撃を受け、「黄金演説」において、国王大権の優越を明言しつつも、親愛なる臣民の一般的善のために一定数の特許を廃止するとともに、独占付与による損害について通常の救済方法に訴えることを臣民の自由とする譲歩により収拾を図った。
 1602年ダーシー対アレン判決Darcy v.Alleinにおいて、独占権が有害であるという法廷による決定的なステートメントとなるコモン・ロー史上著名な判決が下された。
 ダーシーは、開封勅許状により毎年100マルクを支払うかわりに、英国の市場でトランプの輸入・販売・製造の独占特許を21年以上付与されていたが、ロンドンの小間物商アレンが、80グロスのトランプを製造し、さらに100グロスのトランプを輸入したため特許権侵害として訴えたものであるが、女王による独占特許を無効と判決した。

 王座裁判所全員一致の意見は「原告に対する……前記の権利付与はまったく無効である……すべての営業は……国家にとって有益であり、したがって、トランプの独占権を原告に付与したことは、コモン・ロー、および臣民の利益と自由に反する。………同じ営業を営む者に損害と侵害をあたえるばかりでなく、その他のすべての臣民に損害と侵害をあたえるというのは、それらのすべての独占は、特許被授与者の私的な利得を目的としているからである。……」などと述べた。
 絶対王権に対するコモンロー護持者として歴史的権威となったエドワード・コーク卿は後にこれをマグナ・カルタ第29条に基礎づけた。「もし誰かある人にトランプ製造なり、そのほかどんな商売を扱う物であっても独占の許可を与えるとすれば、かかる許可は……臣民の自由にそむいている。そして結果的には大憲章に違反している」と。マグナ・カルタ29条「自由人は,その同輩の合法的裁判によるか,国法によるのでなければ,逮捕,監禁され,その自由保有地,自由,もしくはその自由な習慣を奪われ,法外放置もしくは追放をうけ,またはその他いかなる方法によっても侵害されることはない」を注釈し、「自由」および「諸自由」を示すlibertates libertiesについて、これらが「王国の法」「イングランド臣民の自由」「国王から臣民に与えられた諸特権(privileges)を意味するとことを明らかにしlibertates libertiesの中に営業の自由を認める再解釈を行ったのである。
 ジェームズ1世の時代には反独占運動が激烈となり、国王は1604年の「自由貿易のための法案に関する指示」を行い、「すべての自由な臣民は、かれらの土地に対するのと同様に、かれらみずからそれに従事し、かつそれによって生活しなければならない営業(trades)に自由に精励するという〔権利を〕承継して生まれている。商業は、他のすべてのなかでも最も主要なまた最も裕福なものであり……それを少数者の手中にとどめておくことは、イギリス臣民の自然権と自由に反する」と理由を述べた。
 1624年には「独占および刑法の適用免除ならびにその没収に関する法律」が制定された、独占法は前半であらゆる特許独占を廃止し、コモンローによって裁定されるとした。しかし、後半でコーポレーション組織による独占を認める等の例外規定を設けなお独占が一掃されたわけではない。

  1625年のイプスウィッチ仕立屋判決Ipswich Tailors Case http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=911&chapter=106357&layout=html&Itemid=27は重要に思える。原告イプスウィッチテーラーズは国王の開封勅許状により設立され、イプスウィッチの町で仕立業を営む者は、原告団体の親方、管理人のもとヘ出頭するまでは、店舗や部屋をもち、徒弟やジャニーマンを雇ってはならず、少なくとも7年間徒弟として奉公したことを証明しなければならなかったため、違反者に3ポンド13シリング4ペンスを請求した金銭債務訴訟である。
 「第一に、コモン・ロー上、何人も合法的な営業に従事することを禁止されることはできない。というのは、法は怠惰、悪の根源……を嫌うからである。……したがってコモン・ローは、人が合法的な営業に従事することを禁止するすべての独占を禁止するのである。第二に、被告に制限を加えることは、法に反する。…というのは、臣民の自由に反するからである……」 【註3】
 アダム・スミス以前の経済的自由の先駆が17世紀のコモンローヤーだった。財産所有、取引および営業、利子をとること、独占および結合から免れること、自己の意思決定、政府および法令の規制を受けない経済的自由を強く支持したのである【註4】
 しかし、1625年に即位したチャールズ1世は、1624年の大独占禁止法の例外規定を巧みに利用し、多くのカンパニーに法人格が付与され、独占を確保する目的で設立された。
 1640年の長期議会は独占攻撃のるつぼとなり、まず独占企業家を議会から追い出し、諸独占を査問にかけて個々に廃止した。商業独占と、ギルド的独占はなお存続したが、産業独占の性格を有する「初期独占」は概ねこの時期に解体していった。
 1688年ウイリアムとメアリのもとで王室鉱山法が制定され、金属の鉱業権が王室から剥奪され、土地所有者に保障された。名誉革命を画期として「初期独占」は最終的に解体されるのである。

 
 2 イギリスにおけるギルド的独占の廃棄

 
 1563年エリザベス徒弟法制定(徒弟条項、移動禁止・強制就労条項、賃金条項があるが、賃金条項では治安判事にその年ごとの各職種の賃金を裁定する権限を権利を与え、裁定賃金を上回る賃金を支払った雇主と受領した労働者を投獄する権限を与えた)の意義にについて、岡田与好は、早い時期にマナーが崩壊したイギリスでは15世紀から16世紀には、ギルド規制から自由な農村地帯に毛織物工業が深く根を下ろし、この農村の自由な経済発展に対応して、都市のギルド制度を全国化し、工業的諸営業の農村地帯への拡散を防止する試みであり、農村住民の農村離脱を禁止し営業資格の厳重な制限(七年季徒弟制度)によって転職の禁止を全国化し、当該ギルド団体に営業独占を保障しようとするものであったと述べている。【註7】
 もっともギルドについては非組合員を埒外の者として排除する営業独占の組織、カルテル強制団体(ツンフト強制ともいう)であり、技術の進歩を妨げるものとしての性格を強調する見解が主流ではあるが、近年では当時の環境では効率的な経済組織だったとする見方もある。ギルドの規制には地域差があり、イギリスやネーデルランドは規制が弱い地域とされている。【註8】
 1624年の大独占禁止法以降のノリツヂにおける同職組合であるカンパニー組織についての研究によると、徒弟雇用数の制限は職業によって異なるが取り払われる傾向にあり、営業規制は品質管理が中心となり弛緩する傾向にあった。これは時代の変化に柔軟に対応していたことを示している。【註9】
 チャールズ1世は、1624年の大独占禁止法の例外規定を巧みに利用し、多くのギルドを再編し、初期独占の解体に伴う競争の増大による工賃の低下防止のための小営業主の団結運動を助長した。このため清教徒革命期には、ギルド民主化闘争があった が、ギルド的支配は存続した。したがって、ギルド団体の産業統制を拒否するレッセフェール経済の浸透の時期は、王政復古期以降のことである。【註9】 
 18世紀になるとコモン・ロー裁判所はいくつかの判例を通じて「コモン・ローの政策は企業の自由、営業の自由、労働の自由を奨励することにある」という立場を宣明した。
 1563年エリザベス1世の職人規制法の体系も法律として存在しても、実効性を伴わなくなり空文化していく。ブラックストーンは1765年に次のように述べた。「裁判所の判決は、規制を拡大したのではなく、それを一般に制限してきた」。強制的徒弟制度や治安判事の賃金裁定条項は衰退していくのである。17世紀末には既に同条項の適用を年雇労働者や農業奉公人にされていたのである。【註10】
 アダム・スミスは同業組合について次のような否定的態度を示した。
 「すべての同業組合が創立されたり大部分の同業組合法が制定されたりしたのは、自由競争を抑制し、そのために必ず引き起こされる価格や、したがってまた賃銀や利潤のこういう下落を防ぐためだった」「‥‥同業組合精神、つまり局外者に対するねたみや、徒弟をとったり職業の秘密をもらしたりすることの嫌悪が一般にかれらのあいだにゆきわたっており、そしてこの精神が、任意の連合や協約をつうじて、組合規約では禁止しえない自由競争をふせぐことをしばしばかれらに教える」「同業者というものは、うかれたり気晴らしをしたりするために会合するときでさえ、たいていのばあい社会に対する陰謀、つまり価格を引き上げるためのくふう、になってしまうものである」【註11】。
  
 このようにアダム・スミスも同職組合の特権や、徒弟制度の入職規制に強く反対していたので、彼の思想の影響もあって、1563年エリザベス1世の職人規制法は、最終的には治安判事による賃金裁定は1813年に、徒弟制は1814年に廃止されている。

(つづく) 

【註1】岡田与好「市民革命と「経済民主化」」-経済的自由の史的展開-」岡田与好編『近代革命の研究 上』東京大学出版会1973所収272頁以下
【註2】青木道彦『エリザベスⅠ世』講談社現代新書2000
【註3】堀部政男「イギリス革命と人権」東大社会科学研究所編『基本的人権2』東京大学出版会1968所収
【註4】谷原修身「コモン・ローにおける反独占思想(三)」『東洋法学』38巻1号 [1994.09](契約法史の大家アティヤの見解)
【註5】岡田与好 前掲書 277頁
【註6】堀部正男 前掲書 378頁以下
【註7】岡田与好 前掲書 275頁がある
【註8】唐澤 達之「ヨーロッパ・ギルド史研究の一動向:オーグルヴィとエプスタインの論争を中心に」 『産業研究』 45(2) 2010〔※ネット公開〕
【註9】唐澤 達之「17世紀ノリッヂにおけるカンパニー」『立教経済学研究』 50(3), 1997〔※ネット公開〕
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006487095
【註10】大沼邦博「労働者の団結と「営業の自由」--初期団結禁止法の歴史的性格に関連し近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 近代資本主義の系譜 て」関西大学法学論集 38巻1号 [1988.04]
【註11】谷原 修身「コモン・ローにおける反独占思想-4-」『東洋法学』38巻2号1995

2012/08/29

岡田与好による「営業の自由」論争と関連して団結禁止体制・その変質について(1)

 1970年代に岡田与好教授(西洋経済史学)は、「営業の自由」は憲法二二条一項の「職業選択の自由」に含まれており人権として保障されているとする法律学の通説を批判し、学際的な「営業の自由」論争が展開された。
 この論争の成果は疑問視されているが、「歴史認識と法解釈との関係をどう把握するかというスケールの大きな論争」「戦後の本格的論争の一つ」とも評価されている。
 結論を先に言えば、政治経済史・法制史の裏打ちの乏しい法律学の通説への異議について、大筋において歴史認識においても岡田与好の主張が正しいと考える。というより、私は市民革命期から18~19世紀前半までが国によって違いがあるにせよ、初期独占が廃棄され、ギルド的独占が廃棄され、団結禁止による営業の自由の確立期といえるが、それは近代市民社会の成立、近代的個人主義的自由の確立、産業資本主義社会への移行と軌を一とするもので、19世紀後半以降の団体主義(コレクティビズム collectivism)の浸透により、本来の営業の自由が否定されるあり方に市民社会が変質したとはいえ、なお、その意義を失うものではないという観点で、岡田学説の意味を検討してみたいと考えるものである。
 

 岡田教授説の鷹巣信孝による要約【註1】

①「本来の営業の自由」は「国家からの自由」ではなく、私人間における営業独占や営業制限からの自由であって、このような自由が確保されることが「公序」であり、「公共の福祉」である。
②「営業制限の法理」よりも「契約自由の法理」が優遇され、株式会社の設立や団結が解禁されるに至って「本来の営業の自由」が「営業の自由一般」・「私的経済活動の自由一般」へと転化し、現代的独占が発生する。
③資本の集中・集積による現代的独占を規制して、自由競争の維持・促進を図る独占禁止法は、「本来の営業の自由」の原理に立脚した、独占資本主義段階における自由主義的反独占法である。それは「営業の自由」の原則の現代的具体化であって、「営業の自由」の対立物ではない。

 岡田教授説の矢島基美による要約【註2】(引用は何れも岡田与好「『営業の自由』と、『独占』および『団結』」東京大学社会科学研究所編『基本的人権5』東京大学出版会1969。『独占と営業の自由-ひとつの論争的研究-』木鐸社1975所収)

「『営業の自由』は、歴史的には、国家による営業・産業規制からの自由であるだけでなく、何よりも、営業の『独占』monopolies『制限』restraints of tradeからの自由であり、かかるものとして、それは誤解をおそれずにいえば、人権として追求されたものではなく、いわゆる公序public policyとして追求されたものであった」と説く‥‥要するに①「営業の自由」は、「社会関係の独自に資本制的な規制原理であっ」て、「私的独占や営業=取引の制限からの自由として把握すべき」である、それゆえ、②それは、「個人の性格や能力に適した職業を追求する自由」なる人権として「社会の全成員に平等に保障されうる」ところの「職業選択の自由」とは明らかに異なる。同時にまた③「公共の福祉」は「営業の自由」の制約原理ではなく、「経済的自由主義の本来の精神」からすれば「営業の自由」の保障こそが公共の福祉すなわち社会全体の利益である」

 私が岡田教授支持というのは、憲法が本来統治構造と国家権力の制限を規定するものだとすれば、「人権」というものも私人間効力が適用されないから「営業の自由」を「人権」として把握すべきではないという見方は大筋で正しいと考えるからである。この論争が成果をあげてないのは自由とか人権とか権利というものをどう概念規定するかで噛み合わない議論になっているためだ。国家からの自由と私法上の権利、私権とでは自由の意味が異なるからである。

 つまり岡田教授の言う、本来の「営業の自由」というものは「国家からの自由」に矮小化されるものでは全然ないというのが、正しい認識である。
 「本来の営業の自由」とは取引制限的結合を原則として違法とするものであり、売り手であれ、買い手であれ取引を制限する団結を禁止する体制であり、その理念型に近いあり方としては、イギリスでは小ピット政権による1799-1800年一般的団結禁止法の体制である。これは労働者だけでなく雇主の団結も禁止している。理念型そのものといえるのがフランスの1791年の団結禁止法であるル・シャプリエ法(恒常的な団体の結成はもちろん、集団的な協議、集団的な請願、寄り合いまで「営業の自由」「労働の自由」を犯す虞があるものとして禁止された)1810年のナポレオン刑法典(結社を厳格に制限、労使双方が密かに協議談合し価格に何らかの影響を及ぼそうとする行為、労働者の団結、雇主の賃下げのための団結も刑罰に処するものである)の体制である。【註3】私人間の取引制限を公権力的に排除することが本来の営業の自由なのだ。
 岡田教授は団結禁止について事業者の場合も、この用語を用い、その意義を次のように言う。
「事業者のカルテル的結合と、労働者の労働組合的結合とは、取引の制限=競争の制限を目的とする点において性格を同じくし‥‥(団結禁止は)取引の自由=競争の自由の促進を目的としている‥‥事業者のカルテル的結合が‥‥事業者相互間の競争の除去と、営業機会の排他的独占を目的とするものであることは明らかである。それ故、団結禁止法は、労働者に対しては、労働機会の組合的独占の否認=労働機会の一般的開放によって、労働者相互間の自由な競争を強制する機能を担うのと同様、事業者に対しては、営業機会の一般的開放によって、事業者相互の自由な競争を強制する」。【註4】
 人類は、どの時代においても、生活を営むために「取引」と言う名の競争を強いられてきたが、この競争は地球上の乏しい資源をいかに効果的に配分するかという難問を解決するための優れた手段である。【註5】
 従って「自由な競争の強制」は否定的なニュアンスで理解する必要はない。団結は取引を制限し競争を排除する共謀であり、それゆえコモン・ローでは共謀罪とされてきた。「各人が自己の最善の利益のために自己自身の裁量にしたがって自己の営業を遂行する権能を有する」(1871年イギリスのヒルトン対エッカースレイ事件判決)。【註6】
 つまり各人は他者の共謀によって制限されることのない営業=取引の自由を有し、自己自身の意思と裁量で契約し、自らの財産(労働力も商品となるので財産とみなす)を自由に処分することできる、勤勉な労働者が仲間労働者の多数より圧迫されることなく、取引制限をたくらむいかなる共謀からも解放されている個人の自由の制度保障が団結禁止である。
 言い換えれば、個人の自由な営業=取引に抑圧的な公的・私的結合ないし共謀(特許独占・同職組合・事業主のカルテル的結合・労働組合)を否認する体制が、本来の「営業の自由」ということである。
 もし、「営業の自由」が憲法学の通説のように国家からの自由にすぎないとするならば、カルテルの自由、取引制限的結合の自由ということになり、それは明らかに「営業の自由」の否定なのである。
つづく

【註1】鷹巣信孝「職業選択の自由・営業の自由・財産権の自由・連関性(四・完)『佐賀大学経済論集 』32(5)2000http://ci.nii.ac.jp/naid/110000451612〔*ネット公開〕
【註2】矢島基美「「営業の自由」についての覚書」『上智法学論集』38巻3号1995〔*ネット公開〕http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/handle/123456789/33052 
【註3】 大森弘喜 書評「水町勇一郎『労働社会の変容と再生―フランス労働法制の歴史と理論―』『成城・経済研究』173 2006〔*ネット公開〕
【註4】岡田与好「市民革命と「経済民主化」-経済的自由の史的展開」岡田与好編『近代革命の研究 上』東京大学出版会1973所収
【註5】谷原 修身「コモン・ローにおける反独占思想-4-」『東洋法学』38巻2号1995
【註6】岡田与好前掲論文

2011/10/15

18世紀フランスの開明的立法テュルゴー勅令とル・シャプリエ法

 今のフランスは労働組合の組織率は低いが労働協約の拡張適用により、協約適用労働者のり範囲が広い国であり、そのような意味で労働組合の影響力の大きい国として問題である。 
  従って、フランスのワインこそ飲んでいるが今のフランスの体制は嫌いである。しかし世界の学問的中心できらぼしのように多くの聖人を輩出した12~13世紀のフランスは好きだし、これから述べるルイ16世の治世、財務総監テュルゴーの政策は現代でいえば徹底的な規制撤廃であり、アダム・スミスにも影響を与えたということで、評価されてしかるべき人物であると考える。
 イギリスでは、17世紀からコモンローの営業制限の法理により、独占商人の国王の勅許が違法評価され、同業組合の入職規制等も営業制限として好ましくないものとしてと評価され、営業の自由が立憲体制の根幹的な価値として浸透して近代資本主義が進展したのである。労働者の団結や集団的圧力のもとの取引それ自体が営業を制限するコンスピラシー(共謀罪)として、また18世紀においては主従法や産業別団結禁止法といった制定法でも規制され、名宰相小ピットが推進した1799-1800年全般的団結禁止禁止法が制定されたのである。
 つまり早い時期に初期独占が崩壊し、ギルドによる入職規制、営業制限、地域独占の弊害が除去された競争社会となっていたイギリスにおいて、産業革命が起きたのである。ウェーバーテーゼを否定しないが独占の排除、営業の自由を臣民の自由とした立憲体制の確立が私は大きいと思う。これに対し、排他的独占組織のギルドの弊害が遅くまで残ったドイツが後進資本主義国となったし、自由より束縛になじんでいたドイツ人は全体主義の体制を選び、敗戦し、イギリスでは法的にありえない労働協約の法的拘束力が浸透したのである。私がドイツを嫌っているのはそういう理由である。
 フランスはどうかというと、ドイツよりは開明的だった面がある。アンシャンレジーム末期においては、地域独占の同業組合と仲間職人制度は営業(および勤労)の自由のための弊害と認識されていた。それは、隣国イギリスの産業の進展からみても当然意識されていたことと考える。
 革命後の1791年のル・シャプリエ法により、フランスでは労働者の団結を、「自由と人権宣言に対する襲撃と非難し禁止した。つまり労働組合は近代市民社会の個人的自由主義と人権の敵と認識されていたのであり、理念的には正しいのである。
 そうすると、保守主義者がよく引用するエドマンド・バークのフランス革命批判をあなたは否定するのですかということになるが、そこは折り合いをつけることができる。
 つまり、ル・シャプリエ法はフランス革命の成果といえるが、同業組合禁止それ自体はアンシャンレジーム末期から継続した政策だったのである。革命前の1976年2月のテュルゴ勅令(営業及び手工業の宣誓組合および同業体の廃止に関する勅令)により重大な改革がなされていた。ただ財務総監のテュルゴーは有能だったが、改革が急進的であらゆる階級を敵に回し、決定的には王妃マリー・アントワネットの不興をかったことで、クビになったためhttp://cruel.org/econthought/profiles/turgot.html、革命後にかれの目指す政策が本当に実現したということだ。
 そのテュルゴ勅令前文では勤労権Right to Work を高らかに宣言している。
「神は人間に欲求を与え、人間によって労働による収入を必然とすることによって、労働する権利を、すべての人間の所有権とした。そして、この所有権は、すべての所有権のなかで第一の、そしてもっとも神聖で、もっとも不滅のものである」
 」「悪の根源は‥‥集合し、一つの団体としけ結合する権能それ自体にある」とも述べた。 つまり勤労権とは、同業組合や職人や労働者の団結による、入職規制、営業の制限を受けることなく自由にな職業につき働くことが出来る権利を指す。本質的には反労働組合的性格のものである。それは今日アメリカの労働権法Right to Work lawとは労働者は採用された後に組合への加入を強制されず、組合への加入・非加入を労働者は自ら選択することが出来、組合費を払うことなく雇用される権利を指すのと同じ脈絡であるということができる。
 合衆国最高裁BUTCHERS' UNION CO. v. CRESCENT CITY CO., 111 U.S. 746 (1884) http://caselaw.lp.findlaw.com/scripts/getcase.pl?court=US&vol=111&invol=746における次のフィールド判事の補足意見は重要である。フィールド判事は闘争的で教条的とも評されるが傑出した名裁判官であり、明晰な文章と不屈の意志で正しいと考える法原則をたゆまず宣言した。
「かの偉大なる文書[独立宣言]において宣言されたこれらの不可譲の権利のうちには、人間がその幸福を追求する権利がある。そしてそれは‥‥平等な他人の権利と矛盾しない方法でなら、いかなる合法的な業務または職業にも従事しうる権利を意味するのである‥‥同じ年齢、性、条件のすべての人々に適用されるものを除き、いかなる障害もなしに職業に従事する権利は、合衆国の市民の顕著な特権であり、彼等が生得の権利と主張する自由の本質的な一要素である。[アダム・スミスは国富論において]『各人が自らの労働のうちに有する財産は、他のすべての財産の根源であり、それ故にもっとも神聖であり侵すべからずものである。貧者の親譲りの財産は、彼自身の手の力と才覚に存するのであり、彼がこの力と才覚とを彼が適当と思う方法で隣人に害を与えることなく用いることを妨げるのは、この神聖な財産に対する明らかな侵害である。それは、労働者と、彼を使用しようとする者双方の正しき自由に対する明白な干渉である。[そのような干渉]は、労働者が彼が適当と思うところに従って働くことを妨げるものである』と述べているが、それはまことにもっともなことである」
 つまり契約の自由は独立宣言に示される不可譲の権利(自然権)個人の幸福追求の権利の一つだと言っている。自らの労働のうちに有する財産という考え方はジョン・ロックも言ってることだが、財産という概念に自身が所有する身体を使って雇用される能力も含む概念になっていることに注意したい。つまり他者に掣肘されることなく労働力を処分し雇用契約する自由が勤労権の意味するところといえよえ。アダム・スミスのこの文章は同職組合の入職規制批判なので、テュルゴーの影響は明白だ、その思想は、アメリカの契約の自由の思想にも流れ込んでいたのだ。

 参考 ブログ満州っ子平和をうたうhttp://38300902.at.webry.info/201103/article_27.html
* 引用 中村紘一 「ル・シャプリエ法研究試論」『早稲田法学会誌 』20巻き1号http://hdl.handle.net/2065/6281

2009/05/10

オープンショップ運動・レイバーインジャンクション・ウェルフェアキャピタリズム1920年代黄金時代の意義(4)

第1回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-8b88.html

第2回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-95c8.html

第3回http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-cfd7.html

 労働者のマグナカルタとゴンパースが称賛した1914年クレイトン法の制定を取りあげる前に、19世紀末期から20世紀初期までの主な労働事件を概観しておこう。全米的規模の1877年の大鉄道ストライキについては当ブログでもhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c08f.html取りあげた(ウィキペディア日本語版も詳しいので参照)ように、セントルイスでは労働組合の指導で組織的なストライキが起きたが、他の地域ではストに付和雷同して浮浪者、失業者等の群衆が加わり、あるいは10代の青少年が暴徒となって騒乱になるのが殆どだった。ストライキの途中で食糧等の略奪が起きている。連邦軍出動の法的根拠は、(1)州内反乱の抑圧援助(修正法律5297条)、(2)武器庫等連邦財産の保護、(3)連邦裁判所の管財命令である。郵便逓送妨害や、州際通商の妨害は根拠とされていない。インディアナ、イリノイ、カリフォルニアに出動した(3)のケースが直接労働争議の抑圧のためのものであるが、最初にストが勃発したウェストバージニアやメリーランドのケースは(1)に該当し、平たく言えば暴徒を鎮めることであって、労働争議を直接抑圧することを目的とはしていない。にもかかわらず(1)(2)の根拠で、罷業者など群衆によるピケを排除・防止するとともに会社側のスト破り等の列車の運行を確保しており、実質的に労働争議抑圧の手段になった。後の1894年のプルマン・ストライキのように、ズバリ郵便逓送の妨害や、州際通商の妨害を根拠とした禁止命令(インジャンクション)のほうが理屈としてはわかりやすいとはいえるだろう。
 しかし、この事件は教訓になった。当時、刑事共謀法理が廃れていたわけではない。団結活動それ自体は、目的・適用の両面にわたって厳しい制約の下にあったのである。ピケッティングや説得活動であるが、適法とされるのは「個別的自由の集合ないし総和」と認められる限りの行為であって、いささかでもこれを超える要素があると判断されれば違法とされたのであって裁判所の許容する範囲は極めて狭く、裁判所は反組合的であった(註1)。
 進歩的な工業州や都市であっても反組合立法はあった。1879年~1983年の好況で労働組合の結成が相次いだが、例えば1881・1882年ニューヨーク市では刑法の修正により共謀罪の適用を拡大し、多くの形態のピケッティングが脅迫罪を構成するとされた。「個人であれ団結してであれ、生命ないし肉体に損傷を与える危険をもたらす恐れのあうる場合、または高額の財産を破壊したり、それらを損傷を与える恐れのある場合には、雇用ないし労働契約の不履行は犯罪とされる」という条文によって、有罪の判決を受ける者は一年間の懲役及び500ドルの罰金を課された(註2)。
 また1986年のニューヨークでの2件のボイコットを扱った判決では暴力がなくても、集団でボイコット対象の店舗の前を行進し、感情を害するビラをまき、苦情を強い口調で訴えることは威嚇・脅迫となり、雇用主の事業を損ないストライキ行為者やボイコット反対者を罰する行為は告発されることとなった(註3)。

 1886年ヘイマーケット事件

 メーデーの起源として知られる事件。1884年シカゴにおいてドイツ移民の無政府主義者が進歩的煙草労働組合の働きかけで、中央労働組合を結成し連合労組協会と結合。シカゴの諸労働組合を支配すべく猛運動を展開し、中央労組は1886年4月までに主要22組合を加盟させ、8時間労働制を掲げ、連合労組協会も「8時間労働協会」を設立し、傘下組合、社会主義労働党・ナイツを加入させた。
 8時間労働運動は5月1日8万人がストライキに突入するが、5月3日ゼネストは5月3日のマコーミック・ハーベスタ社工場事件で頓挫する。この工場ではロックアウトを喰っており、無政府主義者が工場付近で集会を開き演説をしていたところ、スト破りの労働者が帰途につくため門を出たため乱闘となり警察が到着して発砲し4名が死亡。翌日へイマーケット広場で抗議集会が行われ、集会を解散させるために警備隊が送られたが、演説者と口論になったところ、爆弾が破裂、巡査部長が即死60名の警官が倒れ、警官も応戦のために発砲し死傷者を出したという事件である(註3)。
 もちろん、私はこの事件で処刑されたアナーキストは憎むことはあっても同情することなど全くない。
 そもそも労働組合の目的と活動それ自体が、「取引を制限するコンスピラシー」(doctrine of restraint of trade)ないし「他人の取引を侵害するコンスピラシー」(conspiracy to injure of another)なのである。そもそも争議行為は、契約違反の誘致行為、契約の履行不能をもたらす行為、強迫、共謀、営業妨害等不法行為なのであって、本件においても締め出された労働組合員が工場付近で集会を行っていたところ、門から出てきたスト破りの非組合労働者と乱闘になっている。他者の就労を妨害しているのであり、他人の取引を侵害しているのである。爆弾に至ってはテロであり、弾圧されてしかるべきである。したがって犯罪者たるドイツ移民アナーキストを殉教者として記念するメーデーは悪しき行事としてなくすべきだろう。

(註1)辻秀典「アメリカ労働法における団結権思想の一齣」前田達男・萬井隆令・西谷敏編『労働法学の理論と課題』有斐閣1988年
(註2)津田真澂『アメリカ労働運動史』総合労働研究所1972年94頁
(註3)竹田有「アメリカ例外論と反組合主義」古矢旬・山田史郎編『シリーズ・アメリカ研究の越境第2巻権力と暴力』ミネルヴァ書房2007年167頁
(註4)竹林信一「アメリカ労使関係の史的考察-3-」『甲南経営研究』11巻2号 1970

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31