改訂 国旗損壊罪に反対
自民・維新・参政党が推進しようとしている国旗損壊罪は必要ない法律で反対である。
第一八〇回衆第一四号 平成24年自民党提出議員立法は以下のとおり
刑法の一部を改正する法律案
刑法(明治四十年法律第四十五号)の一部を次のように改正する。
目次中「第四章 国交に関する罪(第九十条-第九十四条)」を「第四章 国交に関する罪(第九十条-第九十四条)」第四章の二 国旗損壊の罪(第九十四条の二)」に改める。
第二編第四章の次に次の一章を加える第四章の二 国旗損壊の罪
第九十四条の二 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
理 由 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為についての処罰規定を整備する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
侮辱というのは愛国者である傍観者を不快にさせる意味と考えられ、愛国者の国旗のシンボリズム、神聖視する特定の思想を公定し、それに反する政治あるいは宗教思想、国旗のシンボリズム、国論統一、国民の一致団結に反対ないし肯定的でない人々を狙い撃ちにしている点で筋の悪い立法であり、社会がその思想そのものを不快または不愉快とみなすという理由だけで、政府がその思想の表現を禁止してはならないという表現権の本質を否定するものなので反対。
たとえ、罰則なしの理念法だとしても、国旗のシンボリズム、国旗への愛国的敬意の強要は、国論統一に有効なものととし利用され促進されるので全体主義的な政策として危惧するものである
昨年の参政党の提出趣旨はAIにきくと
現行法の「いびつさ・矛盾」の是正
刑法には「外国国章損壊罪」(刑法92条)が存在し、他国の国旗や国章を損壊・汚損する行為は処罰される一方で、自国の日本国旗(日の丸)や国章に対する同様の行為には明確な処罰規定がない。この不均衡を解消し、「他国の国旗も自国の国旗も同等に尊重されるべき」という原則を法的に整える。
国家の象徴である国旗の尊厳・敬意の保護
国旗は国家そのものを象徴するものであり、日本国に対して侮辱を加える目的でこれを損壊・除去・汚損する行為は、国家の尊厳を傷つけ、国民の抱く敬意を害するものだとして、こうした行為を明確に処罰対象とする必要があると主張しています。
この保護法益は、国旗のシンボリズムやナショナリズムを信奉しない人、良心の自由や政治的表現権とぶつかりかなり問題があります。真の国籍は天国にあるとか、コスモポリタン、グローバリズム信奉者に国旗のシンボリズムを強要してはならない。
参政党代表が法案を提出した理由をAIにきいてみたところ、その一つとして党の演説に対して抗議する市民が日の丸に「×印」を付けた旗を掲げて妨害した事例を挙げ、「国家に対する冒涜」と位置づけ、「支援者が涙を流して悔しがった」「悲しんだ」として、こうした行為を放置できないとのことである。しかし抗議者にも愛国政党やその政策に反対する政治的表現の自由があるし、愛国主義的な特定の党を非難する市民や政治団体を狙い撃ちにするような心証で筋が悪い。
外国国章損壊罪との不均衡の是正も提案理由となっているが、刑法92条(外国国章損壊罪)との混同は誤り。「外国に対して侮辱を加える目的」で外国の国旗などを損壊した場合に罰するもので、その立法目的は外交上の国家利益(日本と外国の円滑な国交)を守ること。外国国旗と日本国旗を同列に扱えない。他国への敬意と外交上の儀礼を維持するために外国旗の保護は政府の利益を促進するものであるのに対し、国旗損壊罪にはそのような政府利益を促進する目的がないので是正する必要もないと考える。
国旗の不適切な使用、国旗の冒涜や焼き捨てが合衆国憲法修正第一条により保護される象徴的言論とする連邦最高裁判例がある。象徴的表現行為とは、通常の文字又は言語による表出方法に代えて、通常は表現としての意味を持たない行為によって自己の意思・感情等を表出することをいい、(1)行為者が表出する主観的意図を有し、(2)その表出を第三者(情報受領者)が表現としての意味を持つものと理解することを必要とする。
理論的に言って表現権の最先進国である米国の判例法理であり、わが国に適用されるわけではないが、司法国家である米国では、反体制的な象徴的表現を保護し、国旗を法理上特別に扱って神聖視していないのだから、わが国がそうであってよいと思う。
すなわち国旗の象徴する国民統合国家との一体感を拒否する思想の表現、国旗を崇拝の対象とはしない思想の表現、国家や政権の政策を不満とする非難する脈絡で国旗を利用するメッセージ等の自由な表現の抑圧をしない国が良い国だと考えている。
とりわけ政権の政策非難や不満の表明は、表現権の中核をなすからである。
主要な星条旗関連判例
米国判例の引用・参照は、グロックAI、ウィキペディア、早川武夫『続アメリカ法の最前線』日本評論社1993、紙谷雅子「象徴的表現としての星条旗焼却」アメリカ憲法判例。小林節「アメリカ憲法における信教の自由」法学研究63巻5号・田中耕太郎『教育基本法の理論』有斐閣1961 548頁、畑博行「アメリカの学生の憲法上の権利について」広島法学1巻2号1978、千葉卓「教育を受ける権利(二)-アメリカ・西ドイツに関する法的検討」法学研究(北海学園大学)8巻2号1979、檜山武夫『アメリカ憲法と基本的人権』1960 525頁
赤旗掲揚を反体制の象徴的表現と認める
Stromberg v. California, 283 U.S. 359 (1931)
カリフォルニア州ユカイパ近郊の貸与牧場にあるサマーキャンプで毎日行われる式典に関するもので、彼女はそこで教師として働いていました。式典中、ストロンベルクは若者たちに赤旗を掲げるよう監督し、指導し、「労働者の赤旗と、それが掲げる大義への忠誠を誓い、私たちの人生を通じて一つの目標である労働者階級の自由」を誓った。
1919年のカリフォルニア州レッドフラッグ法が第14修正条項に違反しているかどうかを検討し、ヒューズ最高裁長官は7対2の判決で、シェンク対アメリカ合衆国事件(249 U.S. 47 (1919)で導入されたホームズ・ドクトリンの論理に従い、1931年5月18日に広範な赤旗禁止は曖昧すぎ、権力者に対する市民の憲法上保護された反対運動を妨害するために用いられると結論づけた。
象徴的言論の強制-合憲から違憲に変更
Board of Education of Minersville School District v. Gobitis, 310 U.S. 586 (1940)
米国の公立学校の朝礼で国旗敬礼式が全米に普及したのは、第一次大戦後のことで、この戦争は、米国人にナショナリズムを高揚させる契機になった。
しかし国旗敬礼式に異議を唱える人物が現れた。エホバの証人の二代目会長ラザフォードである。1935年の演説で「地的な象徴に敬礼してそれに救いを帰することは神に対して不忠実な行為である」と述べた。さらにラザフォードは『忠節』という冊子を作り、大々的に公言した。ペンシルべニア州マイナースビル地方学区は公立学校児童生徒に、毎朝国旗の小学校で国旗敬礼と忠誠宣誓を義務付けていた。右手を胸に手をあて、「私は我国の国旗に対し、またこの国旗が象徴する我が共和国、全人民に自由と正義を保障する分かつことのできない一つの国家が忠誠を誓います」と誓言を斉唱し、その間右手を伸ばし国旗に敬礼する。エホバの証人であるゴビティス家の子供(12歳と10歳)は国旗敬礼が神の禁止する偶像崇拝にあたるとして拒否したため、義務教育の学校を放校処分とされ、私学に通わざるをえなくなった親が、国旗敬礼と忠誠宣誓の差止命令を求めて訴え、連邦地裁は放校処分が修正一条の保護する宗教の自由の侵害として、原告の請求を容れ、控訴裁も承認したが、最高裁は8対1で国旗敬礼の強制を合憲とした。フランクファーター法廷意見は裁判所は教育委員会の権限に容喙すべきでなく、第一に国旗敬礼の要求は宗教信仰を促進抑止することを企図したものではない、それは、全く世俗的な行為の要求である。国旗敬礼と忠誠宣誓の義務付けは、国が自らに対する愛国的敬意を助長させる目的にとって合理的と認められる手段である。したがって有効な世俗的規制である。第二に、国民の一致団結は国の安全の基礎であり、自由社会の究極の基盤は一体感という絆である(合衆国の国旗は国民一致団結のシンボルであり、憲法の枠組みのなかで内部的な相違を超えたシンボルである)と述べた。
ストーン判事はただ一人反対意見を記した。ストーンは第一次大戦中戦争局で良心的兵役拒否の調査委員会に参加し、宗教上の少数派について理解があった。数年後には少数意見が多数意見となるのである。
West Virginia State Board of Education v. Barnette,319 U.S. 624 (1943)
エホバの証人の偶像崇拝拒否の宗教的信念による国旗敬礼拒否は修正一条により保護される宗教、表現の自由
ウェストバージニア州でもGobitis判決に力を得て、不服従のエホバの証人を放校し、親に罰金を科した。バーネット家の親は差止命令を請求し6対3で判例変更した。国旗敬礼は「言論(utterance)」の一形態であり、修正一条(言論・思想の自由) で保護される。政府が意見の「統一」を強制することは、自由社会の原則に反する。たとえ「愛国心の育成」という目的があっても、個人の良心や信念を侵害することは許されないとした。
ジャクソン判事の法廷意見
‥キリスト教徒を撲滅しようとした古代ローマ人の大運動や宗教的・王朝的統一の手段としての宗教裁判所やロシアの統一の手段としてのシベリア流刑などから、下っては現在のわれわれの敵である全体主義者の急速に失敗しようとしている空しい試みまで。意見の相違を強制的に排除し始める者は、直ぐに自分と意見の異なる者を根絶してしまうことに気付くのである。強制的な意見の統一は、墓場の全員一致にしかならない。わが憲法修正第1条は、これらのきざしを避けることによってこういう結末を回避するために制定された‥‥権利章典は権力を持つ人に同意を強制する法的機会を拒否している。‥‥愛国的儀式が強制的慣例でなく自発的で自然なものになれば、愛国心は育たない、と信ずることは、わが国の制度が自由な精神に訴えるということを不当に評価をすることである。われわれは、時折の風変わりな行為や異常な態度を犠牲にした異例な人々のおかげで、知的な個人主義と豊かな文化的多様性を持つことができる。われわれが本件で扱う人々のように、彼らが他人や国家に害を及ぼさない場合には、その代償はそんなに大きいものではない。しかし、意見を異にする自由はどうでもよいことに限られない。そうであれば、名ばかりの自由にすぎなくなる。自由の実質の基準は、現存の秩序の核心にふれる問題について意見を異にする権利である。わが国の憲法という星座に恒星があるとすれば、それは地位の高低を問わず公務員が、政治、ナショナリズム、宗教その他思想的問題について、何が正統であるかを決めたり、市民に言葉や行動によって自己の信念を告白することを強制することはできない‥。
グロックの分析
- 事実の区別とGobitis判決の再検討
Gobitisでは宗教的免除の可否が主眼でしたが、本件では「州が一般的に生徒に国旗敬礼を強制する権力そのものが存在するか」が問われています。出席義務のある公立学校で、拒否を「不服従」として罰するのは、単なる教育政策ではなく強制です。Gobitisの先例を再考し、破棄する理由を明確に示しました。 - 国旗敬礼は「言論(utterance)」である
ジャクソン判事は、敬礼と誓いの唱和を「象徴的コミュニケーション」と位置づけました。- 「旗の敬礼は、誓いと結びついて、疑いなく言論の一形態である。象徴主義は原始的だが効果的なアイデア伝達の手段である。」
- 象徴は個人が意味を付与するものであり、「一人の人間の慰めと鼓舞が、他人の嘲笑と軽蔑となる」可能性がある。
したがって、強制は「強制された言論(compelled speech)」に当たり、第1条で保護される「言論の自由」の核心を侵害します。沈黙の権利(right to remain silent)も同様に保護されるとの原則を確立しました。
en.wikipedia.org
- 「意見の強制的統一(compulsory unification of opinion)」の禁止
最も有名な一節:「もし我が憲法の星座に不動の星があるとすれば、それは、いかなる公務員も、高官であれ下級官であれ、政治、国家主義、宗教、その他の意見に関する事柄で何が正統(orthodox)であるかを規定したり、市民に言葉や行為によってその信仰を告白するよう強制したりできないということである。」国家統一を名目に異議を排除することは、「墓場の統一」しか生まないと警告。歴史的に、強制は失敗し、抑圧を生むだけです。愛国心は「自発的で自然なもの」から生まれるべきで、強制された儀式は効果がなく、むしろ憲法の価値を損ないます。 - 「明確かつ現在の危険(clear and present danger)」基準の適用
言論の抑制は、通常「clear and present danger」が存在する場合にのみ許容されます。本件では、敬礼を拒否する「受動的な行為」が国家に即時の危険をもたらす証拠はなく、強制の正当化はできません。強制された肯定(affirmation)は、沈黙の抑制よりさらに厳しい基準を要すると指摘。 - 州権力の限界とビル・オブ・ライツの役割
州は教育を通じて愛国心を育てることはできますが、「知的・精神的な領域(sphere of intellect and spirit)」への介入は禁じられます。第1条の目的は、まさに公的統制からこの領域を予約することです。「地方当局による国旗敬礼と誓いの強制は、憲法上の権限の限界を超え、第1条がすべての公的統制から予約する知的・精神的な領域を侵害する。」
エホバの証人の消極的表現権(表現せざる自由)のもう一つの判例
小林節から要約的に引用
バーガー法廷意見は、宗教上の、政治的な、あるいは思想的な理由で他者を改心させる権利を保障する体制は、同時にそのような主張を促進することをしない権利を保障しなければならない。州法は個人の財産を州の思想宣伝の「動く伝言板」とすることを要求している。修正一条は多数者の見解とと異なる見解を個人が有する権利を保護し、道義的に反対する思想を広めることを強制される拒否する権利を保護する。
私が補足すると、表現権は表現しない権利と表裏一体である。この判例では宗教の自由の抑圧や表現内容にもとづく表現規制で最も厳格な「やむにやまれぬ利益衡量」テストにより検討しているが「やむにやまれぬ」とは単にそれが正当というのでも足りず、重要というだけでも足りず、圧倒的な重要性が必要という趣旨でありその目的の高度の重要性が社会的事実により立証されなければならず、゜加えて規制手段が目的達成のために最も抑圧的でないことも立証しなければならないのである。安易に公益性や合理的理由で規制が認められるものではない。
以下グロック
- 法廷意見(首席判事バーガー執筆、ブレナン、ステュアート、マーシャル、パウエル、スティーブンス判事賛成。ホワイト判事は一部賛成)
- ニューハンプシャー州の法律は、個人の私的財産(自動車)を「州のイデオロギー的なメッセージを宣伝する移動広告板(mobile billboard)」として強制的に使用させるものであり、合衆国憲法修正第1条(言論の自由)に違反すると判断しました。重要なポイント:
- 政府は、個人が拒否する思想を公衆の面前で「運ぶ(disseminate)」ことを強制できない。
- 西ヴァージニア州教育委員会対バーネット事件(1943年、忠誠の誓いの強制を違憲とした判例)を引用し、「知性と精神の領域を公式の支配から守る」のが第1修正条項の目的であると強調。
- 州の利益(車両の識別容易化や州の誇りの促進)は、個人の言論の自由を侵害するほど重要ではなく、識別目的は「より穏やかな手段(less drastic means)」で達成可能。
- 個人が多数派と異なる見解を持ち、道徳的に忌避する思想を育てることを拒否する権利を認めた。
国旗に軽蔑的な言辞は修正1条により保護
Street v. New York394 U.S. 576, 1969)
1966年、シドニー・ストリートは公民権運動家が暗殺されたニュースを受け、ニューヨーク市内で星条旗を燃やし、その際にニューヨーク州の法律が「言葉や行為によって[公然と]切断、汚傷、汚点、違反、踏みつけ、侮辱を及ぼすこと」違反で逮捕された。
1969年、連邦最高裁は5対4の僅差で、ストリートの有罪判決を破棄した。
判断の理由: 国旗に対する軽蔑的な言葉を発したこと(口頭での表現「もしメレディスにそんなことをしたなら、アメリカ国旗は必要ない」と叫んだ)を理由に有罪とされたため、それが表現の自由を保障する合衆国憲法修正第1条に違反すると判断された。この判決は、国旗を「燃やす行為」自体が表現の自由として保護されるかという点には直接触れず、あくまで「表現(言葉)」に対する規制として違憲性を問うたものでした。州法の保護利益のいずれにも該当せず、Barnette t判決に準拠して修正1条適用ありとした。
国旗を逆様に掲げ、平和の象徴を飾り付けは修正1条により保護
Spence v. Washington, 418 U.S. 405 (1974)
大学生ハロルド・スペンスは、カンボジア侵攻やケント州立大学銃撃事件におけるアメリカの最近の行動に抗議するため、自宅のアパートの窓にアメリカ国旗を逆さまに掲げ、平和のシンボルで飾り付け(三叉槍を円で囲ったものを黒いテープでつくった)逮捕された。ワシントン州の国旗冒涜法に基づく起訴ではなく、州の「不適切な使用」法に違反したとして起訴された。この法律は、追加の装飾を加えたアメリカ国旗の公の展示を禁止していた。州最高裁は有罪としたが、連邦最高裁はパークリアム意見で、その法律が適用される限り、第一修正で保護される象徴的な言論の一形態であると判断しました。裁判所は、旗の使用が特定のメッセージを伝える表現手段であることを認識しており、特にカンボジア侵攻やケント州立大学の悲劇のような重要な公共事件に対する使用の文脈を踏まえたものである。裁判所は、その行為が私有地で行われ、騒乱や暴力を扇動するものではなかったことを強調した。州が旗を象徴として保存しようとする利益は、この文脈で控訴人の表現を抑制することを正当化できません。言論の自由の権利を侵害していると判断、ウィリアム・O・ダグラス判事も同意し、スペンスの発言は憲法上の保護を受ける象徴的な演説であると記した。ハリー・A・ブラックマン判事はこの結果に同意しまた。ウォーレン・E・バーガー最高裁長官は反対意見を述べ、各州がアメリカ国旗の保護方法を決めるべきだと主張。ウィリアム・H・レンキスト判事は反対意見を述べ、州はアメリカ国旗を国家統一の重要な象徴として保護する利益があると述べた。バーガー最高裁長官とバイロン・R・ホワイト判事も反対意見に加わった。
ズボンの尻に国旗を縫い付け人前に出る
Smith v. Goguen, 415 U.S. 566 (1974)
ズボンの尻にあたる部分に小さい国旗を縫い付けて人前に出た行為の判例。マサチューセッツ州の国旗冒涜法が「アメリカ合衆国の旗を公然と軽蔑的に扱うこと」を禁じる法律により有罪とされた事案で、連坊最高裁は6対3で州法の該当規程を無効とする。法律が「何が『軽蔑的』な扱いかを合理的に明確に区別していない」ため、適正手続に違反する。 曖昧で違憲と判断した。
グロック
- 被疑者(被上告人):Valarie Goguen(ヴァラリー・ゴーグエン)は、1970年頃、マサチューセッツ州レオミンスターの街中で、青いジーンズの尻の部分(左尻のあたり)に小さなアメリカ国旗を縫い付けて歩いていました。
- 行為:これは抗議デモや騒乱の最中ではなく、日常的な服装として行われたもので、平和的に行われ、周囲に特に混乱は起きませんでした。
- 起訴:マサチューセッツ州法(Mass. Gen. Laws ch. 264 § 5)に基づき、「公に合衆国国旗を軽蔑的に扱う(publicly treats contemptuously the flag of the United States)」として有罪判決を受けました。州最高裁判所もこれを支持しました。
- 罰則:6ヶ月の懲役刑(執行猶予などがあった可能性もありますが、連邦裁判所で人身保護令状請求に至る)。
- 判決結果:6対3でGoguen側の勝訴(州法の該当規定を無効)。
- 多数意見:ルイス・F・パウエル判事(Justice Lewis F. Powell Jr.)が執筆。ダグラス、ブレナン、スチュワート、マーシャル判事が同調。
- 主な理由:Vagueness(曖昧性)
法律が「何が『軽蔑的』な扱いかを合理的に明確に区別していない」ため、適正手続に違反すると判断されました。- 国民に「禁止される行為」が事前に十分に警告されていない(adequate warningがない)。
- 警察、裁判官、陪審員が各自の好みや主観で判断する余地が大きすぎる(arbitrary enforcementを招く)。
- 州裁判所がこの文言を狭く解釈(narrowing construction)していなかったため、問題が解消されなかった。
- 裁判所は、現代では国旗の非公式な使用(例:衣服に付けるなど)が一般的になっており、すべての非儀式的扱いを犯罪化する意図はなかっただろうと指摘しました。
firstamendment.mtsu.edu
- 主な理由:Vagueness(曖昧性)
- 第一修正条項(言論の自由)との関係:裁判所は主に「曖昧性」の観点から判断し、過度に広範(overbreadth)かどうかの判断や純粋な言論の自由の問題には踏み込まなかった(ただし、下級審ではoverbreadthも問題視されていた)。
- 少数意見:バーガー首席判事、ブラックマン判事、レンキスト判事らが反対。国旗は単なる布ではなく、国民の象徴として特別な保護に値すると主張し、州の規制権限を認めました。
- 場所: イリノイ州スコーキー村(Skokie)。当時、人口約4万人の郊外で、ホロコースト生存者を含むユダヤ系住民が非常に多く住む地域でした。
- 当事者: アメリカ国家社会党(NSPA、ネオナチ団体)。党首のフランク・コリン(Frank Collin)が、ナチス式制服を着用し、スワスティカ(鉤十字)を掲げてデモ行進を行う許可を申請。
- 村の対応: 村はデモを阻止するため、即座に新たな条例を制定(ナチス制服・スワスティカの使用禁止、ヘイトを扇動する資料の配布禁止など)。また、クック郡裁判所に差止命令(injunction)を求め、これが認められました。
- 弁護側: アメリカ自由人権協会(ACLU)がNSPAの代理人として登場。ACLUは「言論の自由は、内容に関わらず(特に不快・憎悪的なものも)保護される」という原則を貫き、ネオナチの弁護を引き受けました。これによりACLU内部で激しい批判と大量退会が発生しました。
newsweekjapan.jp
- 下級審(イリノイ州裁判所)で差止命令が出され、イリノイ州最高裁判所はこれに対する即時審査(stay)や迅速な上訴を認めませんでした。
- NSPA側は、事前抑制(prior restraint)として憲法違反だと主張し、連邦最高裁判所に裁量上訴(certiorari)を求めました。
- 最高裁判所の判断(5-4のパー・キュリアム判決、per curiam):
- 州が表現の自由を制限する差止命令を出す場合、厳格な手続的保障(strict procedural safeguards)が必要。特に即時上訴審査を提供しなければならない。
- イリノイ州最高裁判所が迅速な審査を拒否したのは誤り。
- 判決内容:イリノイ州最高裁判所の決定を破棄(reverse)し、事件を差し戻し(remand)。即時審査を行うか、差止命令を一時停止するよう指示。
- この判決により、NSPAのデモを即座に完全に禁止することはできなくなり、表現の自由が優先される原則が確認されました。
en.wikipedia.org
- NSPAはスコーキーでデモを行いませんでしたが(代わりにシカゴのマーカット公園などで実施)、法的にデモの権利が認められた点が重要です。
- この事件は「ヘイトスピーチも言論の自由として保護される」というアメリカの厳格な第1修正原則を象徴します。Brandenburg v. Ohio(1969年、即時・差し迫った法益侵害の恐れがない限り保護)などの判例と並んで、内容に基づく規制(content-based restriction)への厳格審査の基盤となっています。
星条旗焼却
Texas v. Johnson、491 U.S. 397 (1989)
星条旗焼却は1984年ダラスの共和党大会(レーガン政権)に対して政策を非難する政治的デモンストレーションの終点で、革命共産主義者青年団のジョンソンは誰かがとってきた星条旗を受け取り焼却したとして「崇拝の対象に対する冒涜」というテキサス州法違反に問わたれた。国旗が燃えている間、デモ参加者は、「アメリカ、赤、白、青、唾をかけろ」と繰り返し唱えた。事実審はジョンソンに禁固1年2000ドルの罰金を宣告。州最高裁は州法が合衆国憲法修正第一条に抵触するとして原審を覆し。裁量上訴管轄権を行使して受理した連邦最高裁は、5対4で州最高裁の判決維持上訴を棄却した。
ウィリアム・J・ブレナン・ジュニア裁判官が執筆し、サーグッド・マーシャル、ハリー・ブラックマン、アントニン・スカリア及びアンソニー・ケネディの各裁判官がこれに加わった。多数意見に加わった上で、ケネディ裁判官は別に補足意見を書いている。
「言論」(speech)について、その自由の剥奪を修正第1条は明示的に禁じているが、裁判所は、長きにわたって認められてきたように、その保護の対象が話す又は書く言葉にとどまるものではないことを改めて確認した。
裁判所は、「それによって思想を表現する意図があれば、個人の行うあらゆる種類の行為が際限なく『言論』とみなされ得るという見解」を否定しつつも、「意思伝達的要素を十分に備えた行為であれば、修正第1条及び第14条の射程に含まれる可能性がある」ことを認めた。そして、特定の行為が、修正第1条を適用するに足る意思伝達的要素を有するかを決するにあたり、裁判所は「特定の意思を伝達する意図が存在し、それを目にしたものが当該意思を理解できる蓋然性が認められるか」を問題にした。
特定の行為を表現的要素があることを理由に禁止できない。オブライエン・テストの適用は「政府の利益が自由な表現の抑圧に無関係な」場合に限定されている。
オブライエン・テストは、次の4つの条件をすべて満たせば、政府の規制は正当化される(憲法違反とならない)としました:規制が政府の憲法上の権限(constitutional power)内に属すること
(例:徴兵制度の管理は連邦政府の権限)
規制が重要なまたは実質的な政府の利益(important or substantial governmental interest)を促進すること
(例:徴兵登録証明書の有効性維持、徴兵制度の効率的運用)
政府の利益が自由な表現の抑圧(suppression of free expression)と無関係であること
(内容中立で、表現そのものを狙ったものではない)
表現の自由に対する付随的制限(incidental restriction)が、その利益の促進に必要である以上に及ばないこと
(過度に広範でなく、narrowly tailoredに近い要件)
これら4つをすべて満たす場合、たとえ行為が表現的意味を持っていても、規制は合憲とされます。意義とその後の影響純粋な言論(純粋なスピーチ)に対する規制は厳格審査(strict scrutiny)が適用されるのに対し、行為+表現の混合(象徴的表現)に対しては、この中間的審査を適用。
内容中立規制の典型例として、現在も広く用いられています。
後の有名判例でも引用・適用例多数:Texas v. Johnson(1989年、国旗焼却事件)→ ここではテストの3番目(表現抑圧目的)が満たされないとして違憲。
平均的な人の報復を招くので治安妨害となるような「喧嘩言葉fighting words(直接対面で暴力を誘発する言葉)」ではない。星条旗の象徴としての価値の保護は、オブライエン・テストにいう自由な表現の抑圧に関係している。
星条旗の特別な象徴的性格を保持する州の利益は最も厳格な司法審査となる。星条旗に批判的な言論と行動を区別し、国家統合を促進する以外の象徴的な利用を否定し、星条旗だけを法理上特別に扱う根拠は先例から導きだされない。治安の維持も国家統合の象徴として国旗を保護することも政治的表現に刑事罰を正当化するに足りる州の利益はない。
そしてブレナン法廷意見は次のように述べた。我々の共同体における国旗の当然の尊厳は弱まるどころか、むしろ強化されるだろう。我々の判決は、国旗が最もよく表している自由と包摂性の原則と、ジョンソンが行ったような批判を容認することが我々の強さの証であり源泉であるという確信を再確認するものである。我々の国旗の最も誇らしいイメージの一つは、国歌に永遠に刻まれている、フォートマクヘンリーの砲撃を生き延びた国旗である。テキサス州が国旗に投影しているのは、国の硬直性ではなく、回復力である。そして、我々が今日改めて主張するのは、まさにその回復力である。……国旗の特別な役割を守る方法は、これらの問題について異なる意見を持つ人々を罰することではなく、彼らが間違っていることを説得することである。
連邦議会の国旗保護法
United States v. Eichman496 U.S. 310 (1990)
連邦議会による国旗保護法を5対4で違憲とする。
テキサス州対ジョンソン事件で違憲とされたテキサス州法は、「国旗の損壊をもって傍観者を著しく不快にさせること」を禁じる条文となっていた。連邦議会は再び違憲となることを避けるため成立させた国旗保護法では「傍観者を著しく不快にさせること」という文言を削除し、「合衆国国旗を廃棄時を除き故意に切断、汚損、損壊、焼却、床もしくは地面に放置、または踏みつけた者は、罰金もしくは1年以下の禁固、またはその両方が科せられる」という条文とした。最高裁は「『切断、汚損、損壊、踏みつけ』といった言葉は対象を不敬に扱うことを明らかに含意し、この法律は国旗の象徴的価値を損なう可能性のある行為に焦点を当てていることを示唆している」と述べ、内容中立的ではないと指摘し、厳格審査の対象となると判断した。また、内容中立的ではないために政府は依然として行為者の動機や傍観者の感情といったコミュニケーションに影響を及ぼすことに関心を示しており、容認できないと述べた。そのため、国旗の冒涜は保護される表現の範囲内であることを再確認連邦政府が可決させた国旗保護法は違憲と判決し。もし憲法修正第一条に根本原則があるとすれば、それは、社会がその思想そのものを不快または不愉快とみなすという理由だけで、政府がその思想の表現を禁止してはならないということである。
(参考判例)゜
United States v. O'Brien, 391 U.S. 367, 1968)は、
1966年に デイヴィッド・オブライエンがボストンにて、ベトナム戦争への抗議として徴兵カードを焼却した行為が、カードの毀損を禁じた法律に基づき逮捕・起訴された。
最高裁は8対1で、合憲であり、オブライエンの行為は修正1条の保護を受けないと判決を下した。
法廷意見ウォーレン長官
- オブライエン・テスト: 行為(行為的表現)に対する規制が正当であるための4要件を示した。
- 政府の権限(憲法上)に基づくものであること。
- 「重要な(important)」または「実質的な(substantial)」政府の利益を促進すること。
- その利益が、言論の自由を制限することとは無関係であること(「表現の動機」審査ではない)。
- 表現の自由の制限が、その政府の利益のために必要不可欠な範囲内であること。
焼却が政治的な「主張」であっても、徴兵事務の円滑な遂行という政府の「実質的な利益」が優先されると判断された。
グロックによる要旨
Tinker v. Des Moines Independent Community School District, 393 U.S. 503 (1969) は、
アメリカ合衆国連邦最高裁判所の画期的な判決で、公立学校における生徒の言論の自由(First Amendment)を認めた。0
- 1965年、アイオワ州デモインの公立学校に通う生徒たち(主にMary Beth Tinker、John Tinker、Christopher Eckhardtら)が、ベトナム戦争に反対し、クリスマス時の停戦を求める象徴的表現として**黒い腕章(black armbands)**を学校に着用する計画を立てました。
- 学校側は事前にこれを知り、「学校の秩序を乱す可能性がある」として腕章着用を禁止し、用した生徒を停学処分にしました。
- 生徒側はこれを言論の自由の侵害として提訴。地裁・控訴裁では学校側勝訴となりましたが、最高裁まで争われました。
最高裁判決(1969年2月24日)
- 判決:7対2 で生徒側勝訴(多数意見:Abe Fortas判事)。
- 有名な一節(多数意見の冒頭)
「It can hardly be argued that either students or teachers shed their constitutional rights to freedom of speech or expression at the schoolhouse gate.」
→ 「生徒や教師が校門をくぐった瞬間に、言論の自由や表現の自由に関する憲法上の権利を捨ててしまうなどとは、到底主張できない。」
- 判決の核心(Tinkerテスト / substantial disruption test)
公立学校の生徒も第一修正条項(言論・表現の自由)の保護を受ける。
学校当局が生徒の言論・象徴的表現を規制・禁止できるのは、その表現が
学校の規律を著しく・実質的に(materially and substantially)乱すことが合理的に予見される場合、または
○ 他者の権利を著しく侵害する場合
に限られる。
- 本件では、黒い腕章の着用は静かで受動的(passive)な表現であり、実際には何の混乱も引き起こさなかった。学校側は「混乱が起きるかもしれない」という単なる恐れ(undifferentiated fear)だけを理由に禁止したため、憲法違反と判断されました。
..
Cohen v. California, 403 U.S. 15, 1971
事件の背景1968年、ポール・ロバート・コーエン(Paul Robert Cohen)は、ベトナム戦争と徴兵制(the Draft)への抗議として、ロサンゼルスの裁判所廊下で「Fuck the Draft」と書かれたジャケットを着用していました。
女性や子供もいる場所でしたが、暴力的行動や脅迫はなく、単にジャケットを着ていただけでした。
彼はカリフォルニア州刑法第415条(maliciously and willfully disturbing the peace ... by ... offensive conduct=悪意をもって平和を乱す行為、特に「offensive conduct」によるもの)を違反したとして逮捕・有罪判決を受け、30日間の懲役を言い渡されました。
カリフォルニア州控訴裁判所はこれを支持しましたが、米国連邦最高裁判所は5対4の判決でこれを覆しました。最高裁判所の判決(多数意見:ハーラン判事)
この事件は純粋な「言論(speech)」に関するものであり、単なる行動(conduct)ではない。
州は、メッセージの内容(ベトナム戦争・徴兵制への反対)自体を罰することはできない(内容中立性の原則)。
ここでの有罪は、単に「fuck」という一つの下品な単語を公衆の面前で表示したことに対するものであり、単に不快・攻撃的であるというだけでは刑事罰を正当化できない。
- これは猥褻(obscenity)でもなく、fighting words(直接対面で暴力を誘発する言葉)でもなく、特定の個人に向けたものではない。
- 人々は不快なものから目をそらす(avert their eyes)自由がある。
- 州が「公衆の道徳を守る」ためだけに、特定の言葉を公衆から排除することは許されない。
- 結論:より具体的で強力な理由(particularized and compelling reason)がなければ、州は単一の四文字の汚言を公衆に表示しただけで刑事罰を科すことはできない(First Amendmentおよび第14修正により禁止)。
有名なフレーズとして、判決文に「One man's vulgarity is another's lyric.」(ある人にとっての下品さは、別の人にとっては詩である)という言葉があります。意義この判決は、攻撃的・下品な表現であっても政治的・社会的メッセージを含む限り、第一修正(言論の自由)で強く保護されるという先例を確立しました。
以降、多くの言論自由に関する判例で引用され、単なる「不快感」だけでは表現を規制できないという原則を強化しています。この事件は、言論の自由が社会的に受け入れがたい表現をも守ることを示した。
我が国の参考判例
- 沖縄国体日の丸焼却事件・那覇地裁平5・3・23判時1459
日体協、文部省、沖縄県及び読谷村主催、日ソ協主管、読谷村実行委員会が運営する国体男子ソフトボール会場の開始式で掲揚された日の丸旗を引き降ろして焼失させた行為について建造物侵入罪,器物損壊罪及び威力業務妨害罪の成立を認めた。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和六二年一〇月二六日、沖縄県中頭郡読谷村‥‥読谷平和の森球場において本件競技会の開始式の様子を見守っていたところ、外野スタンドに建てられた諸旗掲揚台兼スコアボードの諸旗掲揚台に設置されたセンターポールに国旗として日の丸旗が掲揚されたのを見て、右日の丸旗を引き降ろすとともにその再掲揚を妨げるために燃やしてしまおうと決意し、また、右行為によって本件競技会の業務を妨害することになってもやむを得ないと考え、同日午前九時一七分ころ、読谷村村長兼読谷村実行委員会会長が係員にスコアボード操作室等への出入口戸を施錠させるなどして看守する本件スコアボードの南西側壁面の花ブロックをよじ登ってその屋上に故なく侵入し、センターポールに取り付けられた読谷村所有のロープをあらかじめ準備したカッターナイフで切断した上、同ポールに国旗として掲揚されている読谷村実行委員会所有の日の丸旗一枚(縦約一・三メートル)を引き降ろし、これに所携のライターで火をつけ、これを右球場にいる人々に掲げて見せた後、その場に投げ捨て、その半分程を焼失させ、本件競技会の運営を混乱させ、その競技の開始を約一五分間遅延させるなどし、もって他人所有の器物を損壊するとともに、威力を用いて本件競技会の業務を妨害したものである。
器物損壊の点について検討すると、同罪における「物」とは財物、すなわち保護に値する価値を有する物をいうが、本件の客体である日の丸旗及びロープは前記認定のとおりいずれもその本来の効用に従って現に使用されていたものであるから、保護に値する価値を有するものであり、これらを損壊した行為は器物損壊罪に該当し、実質的にも違法性があるといえる。
被告人が、日の丸旗は国旗としてふさわしくなく、国旗ではないと考えるようになった所以及び右思想(略)に基づいて本件犯行に及んだものである‥‥読谷村民の中には被告人と同様の思想を有する者が少なからずいたことが認められるものの、民主主義社会においては、自己の主張の実現は言論による討論や説得などの平和的手段によって行われるべきものであって、たとえ本件競技会における日の丸旗の掲揚に反対であったとしても,その主張を実現するために‥‥被告人の実力行使は手段において相当なものとはいい難く、これが正当行為であるといえない‥‥。
競技会の運営に当たる読谷村実行委員会の会長である村長が、主催者である日体協や沖縄県の意向を受けて、開始式で日の丸旗を掲揚するかどうかの判断に迷い、その開催間近になってようやく、読谷村実行委員会としては開始式で日の丸旗を掲揚しない意向であることがその運営に関して協議すべきこととされていた日ソ協に伝えられ、その対応に苦慮した日ソ協会長が読谷村実行委員会に対して日の丸旗を掲揚させたという経緯、被告人が同村における沖縄戦の歴史、とりわけチビチリガマの集団自決の調査等をとおして日の丸旗に対して否定的な感情を有するに至ったこと自体は理解し得ないわけではないこと、損壊した物は比較的安価であり、業務妨害の結果も比較的小さいことなど被告人のために酌むべき事情も認められるので、懲役一年執行猶予三年の刑の量定をした。
- 沖縄国体日の丸焼却事件・福岡高裁那覇支部平7・10・26日判時1555
棄却。事実誤認の主張,訴訟手続の法令違反の主張,構成要件不該当の主張,違法性阻却の主張,象徴的表現行為の主張のいずれも退けて控訴を棄却
これまでの国体においては、各競技別の開始式でも「国旗掲揚」が行われることが慣行となっており、昭和六一年一月二四日に沖縄県実行委員会の常任委員会で決定された沖縄国体開始式・表彰式実施要項によると、基本方針として、「各競技会の開始式及び表彰式は、基準要項・同細則に基づき、会場地市町村実行委員会が当該競技団体と協議のうえ実施する。」と定められ、式典内容として、開始式の中には「国旗掲揚」が取り入れられ、実施上の留意事項として、「旗の掲揚については、原則として国旗、大会旗、競技団体旗とし、実情に応じて県旗、市町村旗を掲揚することができる。‥‥別記として、掲揚柱が三本又は五本の場合にはその中央に国旗が、掲揚柱が四本の場合には向かって左から二番目の柱に国旗が掲揚されるものとされた。
象徴的表現行為の主張について
1 所論は、原判決は、被告人の本件行為は表現の自由の行使であるから正当行為として違法性が阻却される旨の弁護人の主張を排斥したが、右主張を更に敷衍するならば、被告人の本件日の丸旗焼却行為は、日の丸旗の掲揚の強制に抗議し、その不当性を社会に訴える目的でされたものであり、客観的にも右目的でされたものと受け止められたものであるから、憲法二一条で保障された表現の自由に基づく象徴的表現行為に当たり、他方、これによって公共の危険は生じておらず、侵害された法益は三五〇〇円の布切れとロープの財産権にすぎず、右布切れが日の丸旗であることは特段の意味を持たないから、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであり、また、本件建造物侵入、威力業務妨害の各行為は、日の丸旗焼却行為に不可避的に付随するものであり、これと一体として評価されるべきであり、他方、それにより侵害された法益も小さく、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであることにおいて日の丸旗焼却行為と何ら異ならないから、本件行為は全体的に象徴的表現行為に当たり、正当行為として違法性が阻却されるものであり、したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
2 そこで、検討するのに、象徴的表現行為の法理は、アメリカの判例において形成された理論であり、我が国の憲法の下でこの法理が認められるか否かの問題はしばらくおき、理論的にみて、この法理の適用により被告人の本件行為が不処罰と解し得るかどうかをみることにする。
象徴的表現行為の法理は、おおむね次のようなことを内容とする理論と解されている。すなわち、象徴的表現行為とは、通常の文字又は言語による表出方法に代えて、通常は表現としての意味を持たない行為によって自己の意思・感情等を表出することをいい、(1)行為者が表出する主観的意図を有し、(2)その表出を第三者(情報受領者)が表現としての意味を持つものと理解することを必要とする。そして、象徴的表現行為が処罰されるかどうかの限界については、当該処罰による規制の目的が自由な表現の抑圧に関係するもの(表現効果規制)か、それとも表現の抑圧に無関係なもの(非表現効果規制)かによって結論を異にする。前者の場合には、表現の内容の規制に関するいわゆる厳格な基準によって処罰の合憲性が判断される。それに対し、後者の場合には、いわゆるオブライエン・テスト(規制する側の利益と規制される側の不利益との利益較量)によって判断され、その際、a規制目的・対象が表現効果に向けられていないこと、b当該規制が重要であること、c当該規制が表現行為を不当に制約していないこと,d代替の表現手段があることなどが考慮されなければならない。
これに従い、まず、本件行為が象徴的表現行為といえるかどうかについてみるのに、関係証拠によると、被告人は、日の丸旗について、沖縄戦の惨禍を招いた皇民化教育の象徴であり、その掲揚に反対している読谷村民の意思を押さえつけて本件競技会の開始式に日の丸旗を掲揚することはふさわしくないと考え、これに抗議するために本件行為に及んだものと認められるが、その態様は、前記のとおり、読谷村平和の森球場において本件競技会の開始式が整然と行われている最中に、本件スコアボード屋上に侵入し、日の丸旗を焼却するなどしたというものであるから、右(1)の要件にいう被告人の主観的意図が存在していたとしても、(2)の要件については、球場内の観客らにおいて、被告人の本件行為をもって、開始式における単なるハプニング又は妨害行為としてではなく、日の丸旗掲揚反対行動として理解し得たかどうか疑問なしとしないというべきである。
次に、本件行為が象徴的表現行為に該当するとしても、これに適用される器物損壊罪は個人の財産を、建造物侵入罪は私生活の平穏を、業務妨害罪は業務の安全を、それぞれ保護法益とするものであるから、右各罪による規制目的・対象は表現効果に向けられておらず、表現の抑圧とは無関係といえ、しかも、我々の社会において右のような各法益が十分に保護されることは極めて重要なことというべきである。そして、本件行為は、前記のとおり、整然と行われている本件競技会の開始式の最中に、本件スコアボード屋上に侵入し、諸旗掲揚台に掲揚されている日の丸旗を引き降ろし、これを焼き捨て、競技会の進行を妨害するなどしたというものであり、これにより、読谷村実行委員会所有の日の丸旗等の財産権、村長による本件スコアボード屋上の平穏な管理、日体協、文部省、沖縄県及び読谷村が主催し、日ソ協が主管する本件競技会の安全な運営がそれぞれ侵害されたものであるから、これに対し右各罰則を適用することにより、被告人の表現行為を不当に規制することにはならない。日の丸旗掲揚反対の表現活動としては言論を中心に様々なことが可能であり、関係証拠によると、現に被告人は、知人らと一緒に日の丸旗掲揚反対を訴える横断幕を作り、本件行為の当日、これを平和の森球場に用意していたことが認められるが、会場周辺において許された手段により右のような横断幕を示して観客や地元住民に日の丸旗掲揚反対を訴えることも有効な表現行為であったと考えられる。
以上によると、仮に象徴的表現行為の法理に従ったとしても、本件行為は象徴的表現行為として不処罰とされるための要件を欠くものであり、これに対し右各罰則を適用することは何ら表現の自由を侵害するものではないというべきである。
所論は、被告人の本件行為について、アメリカのジョンソン事件の判決と同様に解釈して、不処罰とすべきである旨主張するので、付言するのに、ジョンソン事件の概要は、一九八四年にダラスで開かれた共和党大会の際に、レーガン政権の政策等に反対するデモ行進が行われ、その中の一人ジョンソンと称する人物が、市庁舎前で他の参加者から手渡された星条旗を灯油に浸して火をつけて燃やし、その間デモ参加者は口々に「アメリカの旗になんか唾を吐いてやる。」などと叫んでいたというものである。ジョンソンは、テキサス州刑法の国旗冒涜罪で起訴されたが、連邦最高裁判所は、一九八九年六月、ジョンソンの行為を国旗冒涜罪で処罰することは連邦憲法修正一条が保障する表現の自由を侵害することになり許されないとして、州最高裁判所の無罪判決を維持した。この事例の場合、ジョンソンは国旗冒涜罪でのみ起訴されたのであり、右事件のとき、ジョンソンがあった法的状況は、自己所有の旗を公然と燃やしたに等しいといえるのであり、まずこの点において、被告人の本件行為とは明らかに異なっている。そして、国旗冒涜行為を犯罪とすることによって擁護され得る利益としては、静穏な治安の維持と国家統合の象徴としての国旗の価値にあると考えられるが、ジョンソンの国旗焼却行為によって、秩序破壊が現実に起こったわけではないし、起こる危険が生じたわけでもなかったので、静穏な治安の維持という法益の保護は、適用違憲を判断する限りにおいては問題とならない。それに対し、国家統合の象徴としての国旗の価値の維持という利益は、明らかに言論行為を抑圧することに関連する。すなわち、州が国旗冒涜行為を犯罪として抑圧するのは、まさに冒涜行為によって人々が信じかねないメッセージを伝達させたくないからであり、それによって国旗の地位を保持せんとするからである。そうすると、この場合は、規制の目的が自由な表現の抑圧に関係するもの(表現効果規制)に当たり、表現の内容の規制に関する厳格な基準によって処罰の合憲性が判断されることとなり、連邦最高裁判所は、この厳格な基準により合憲性を審査し、右のとおり判断したものである。この点においても、非表現効果規制の場合に当たる被告人の本件行為とは大きく異なっているのであり、結局のところ、ジョンソン事件と本件とを同列に論じることはできないから、所論は採用できない。
以下筆者の論評。
仮にアメリカ合衆国の判例法理を適用したとしても本件は、表現の自由として保護されることはないというのが高裁の判断である。
本件の建造物侵入罪、器物破損罪、威力業務妨害罪は、自由な表現を規制する目的はなく、非表現効果規制なのでオブライエン・テストが適用され、厳格な司法審査とはならない。切断されたロープも日の丸旗も読谷村の所有物であり、星条旗が私物だったスペンス事件、誰かから渡された旗を燃やしたジョンソン事件とは状況が違う。
しかし、国旗損壊罪となると日本を侮辱する表現を規制するもので、非表現効果規制ではないので、オブライエン・テストは適用されないと考える。


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