時津風親方はバッシングにもかかわらず堂々としていて立派だ
時太山急死事故は北の湖理事長が文部科学省に召喚される事態にまで発展しましたが、私は時津風親方に同情するし、行政の過度の介入にも反対します。
日刊スポーツ29日記事-相撲協会「国技はく奪」突きつけられた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070929-00000040-nks-figh
しかし29日発行の夕刊フジでは従来の報道とニュアンスの違う記事がありました。---時津風親方は、突然始まったバッシング報道に「愛知県警と犬山署からは、あまりの報道のひどさに、わびの電話が入っている。よってたかってリンチなど加えていない」と、親しい関係者に激高しているという---とされています。
又、29日発行の東スポでは捜査関係者の話として、親方は愛知県警に対し---「私も若い頃は木刀で頭を叩かれ血が出た、なんてことはよくあった。角界では当たり前ですよ」と発言した。又イスにふんぞり返るようにして余裕しゃくしゃくといった感じで話すそうなんだ。普通は警察に呼ばれただけでぶるっちゃうもんだけど----との話しを伝えている。
つまり報道のようなリンチ事件との認識は親方は持っていない。私も親方の見解を尊重したい。角界では当たり前の指導の何が悪い。しかも時津風部屋の荒稽古は双葉山道場以来の伝統なんでしょ。時太山を有望と見込んだうえでの厳しい指導ということでしょ。
なるほど、27日定例理事会と師匠会で挨拶のため国技館に現れた時津風親方は雲隠れもせず堂々としたものだし、師匠会では笑顔をみせる余裕もみられたのである。さすがに大きな名跡である時津風を襲名しただけある一廉の人物と認識しました。時津風は先代前理事長の元大関豊山が後継者として指名したんでしょ。解雇必至との報道もありますがそれは前理事長のメンツを潰すことになるから好ましくないです。理事長を二代輩出したこれほどの名門の師匠ですから、警察にびびるような人物ではないわけです。
私の考えは、そもそも、相撲の年寄は弟子をとって営業できる特権的地位ということからはじまったのだから、指導方法について素人が口出しするのが僭越なのである。木刀で叩くのもビール瓶で叩くのも大差ない。それくらいのストレスに耐えられない根性では大成しないということだろう。ビール瓶は愛の鞭ということでよいのではないですか。素人考えで理不尽に思っても安直に非難するのが間違いだと思う。
近世史プロパーの高埜利彦『近世日本の国家権力と宗教』 (東京大学出版会、1989年)という本を読みましたが、相撲史に言及していて、記憶だけですが、享保期頃まで江戸幕府は治安対策上相撲興行を禁止するなど否定的だったが、民衆には娯楽の欲求もあり辻相撲や素人が木戸銭を取って営業することを禁止する一方、四季勧進相撲が慣例化し、上覧相撲の成功もあり幕府は吉田司家の由緒を認めて吉田司家免許の年寄の弟子になった者だけが相撲取と認められ、木戸銭を取って稼業とすることができる相撲渡世集団が認められたといった経緯がだいたい書かれていたように記憶してます。
そのように相撲年寄は公認され営業特権を有する家職として続いてきたことから、素人が古典芸能などのしきたりに非難することがばかげているように、素人がとやかく指導方法にいちゃもんをつけるのが間違いだと思う。
28日文部科学省内で記者のインタビューで北の湖が角界では各師匠が稽古を指導するのであって、協会はやり方について干渉しないという趣旨のことを説明してましたが、華道であれ茶道であれ歌舞伎や落語であれ各師匠や一門で指導方法は違うのだから、ちゃんこの味が違うようにやり方が違うのは当然のこと。相撲協会は本来稽古の方法を統制したりする立場にはないということで、それはいいんじゃないですか。公益法人だから死者を出すのは拙いというのかもしれないが、10年間で4人http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2007092902052435.htmlなら、これだけ激しい運動にもかかわらず少ないという見方もできなくもないだろう。
ブログでは時津風バッシングに同意する意見が圧倒的に多く、相撲部屋の体育会系の体質が嫌いとか書いてる人が結構いるようだけど変ですね。
渡海文科相は角界の体質は古いとか言いましたけど、私はそう思いませんね。
オタクタイプの人が厄介者扱い、特別嫌悪されなくなったのははごく最近のことですよ。パソコンの普及によりオタクが情報発信するようになってからですよ。オタクもそれなりに役に立つことがわかってからです。
組織のフラット化や官僚主義を打破した企業文化は1990年代以降の傾向です。
しかし一昔前までは、世間の空気といいますか、体育会系のノリでないと人間じゃないという雰囲気の時代があったわけですよ。縦社会の人間関係や礼儀を心得ている、体育会系は使いやすいし、はきはきして気持ち良い。リーダーシップもある。就職するにも何にしても体育会系が有利という時代がけっこう長くあったわけですよ。それに比べて非体育会系は人間関係でもまれてないから使いにくいといわれていました。
そう言う意味でスポ根とか体育会系の作法やしごきは寛容というか、むしろそういう躾が重要なんだという人が圧倒していた時代がありました。私は保健体育の成績は2ですから、スポーツもやったことがない我々のような非体育会系は日陰者扱いだった時代がずうっとあったんですよ。体育系じゃなきゃ新人類とかいわれて人間とみなされなかったんですよ。
教育雑誌で読んだことですが陸軍士官学校で教師が体罰をふるうことは全くなかったそうです。教師は紳士的でした。ただ先輩からの体罰はあった。生徒間の上下関係が厳しいんです。これを隠れた(ヒドゥン)カリキュラムといいますが、公式的な教育課程ではなく、非公式的な生徒間の人間関係や学校文化が人間形成に与える影響が大きいわけです。表向きは体罰反対といっても、大抵の人は隠れたカリキュラムを支持します。先輩の体罰によって苦労することが人間形成上良いことなんだというのが本音だったんですよ。公式のカリキュラムよりむしろ体で覚える教育が実は大事だという人が圧倒してました。苦労人がよく説教することですが、非公式的な制度、下位制度の方が重要だ。昼間の仕事より飲み会の余興でばかげたことをやることが大事だと説教するのと同じことです。
そう言う社会の底流にある文化からすれば、親方のビール瓶叩きはたいしたことはありません。非公式的な上下関係を学ぶ教育こそ大事なんですよという人が圧倒的に多かったじゃないですか。であるから、相撲部屋の体質は前近代的なものというわけではないです。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (1)


最近のコメント