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カテゴリー「セクシャル・ハラスメント」の5件の記事

2010/10/23

セクシュアル・ハラスメント防止対策委員会へのアンケートについて

プロジェクト16
 (テーマ セクシャルハラスメント概念もしくは判定の基準の限定・厳密化(女性に有利にしない)または防止政策の廃止)

 22日が私の職場におけるセクハラ防止対策委員会のアンケートの締め切り日なのでアンケートを出しましたが、自由意見の欄の制限字数があり書ききれないため、メールにて事務局担当者と管理職側委員の一人に返信した内容は大筋で以下のようなものです。前回のアンケートでは自由意見の個別意見が詳細に記されていたのに報告書に私の意見を載せなかったので不公平であり、管理職には事務局に掲載させるよう命令しろと強い要望を書きました。
 カットした場合は男性差別として追究します。皆さんと一緒にセクハラについて考えましょうと言っているのに、私をつまはじきにするのは許しません。私は第一にセクハラという言葉の使い方を問題にしているのであって、管理職の職務規律統制を否定している訳ではありませんから、このロジックでは圧倒的に有利と踏んでいます。また先行研究を検討のうえ、内容を精密化させたうえで水道局職員部当局、東京都総務局当局にもセクハラ概念を全面的に見直すよう意見書を出す予定です。また育児休業等次世代育成支援対策は事実上女性に労務コスト転嫁特権を付与し、女性の雇用を抑制する政策として糾弾し、セクハラ問題とともに反女性政策の意見書をできるだけ早い時期に出す予定です。むろんこれは東京都だけではなく、内閣府や厚生労働省の政策自体に反対と言う趣旨です。

(自由意見の大筋の内容

東京都水道局の昨年12月セクハラ防止月間のポスターが貼られています。職員部人事課が作成したもので、大きな字で「なくそう!セクハラ」小さな字で「セクシュアル・ハラスメント」とは?相手を不快にさせる性的な言動です。職員だけでなく、都民や業者に関わる全ての人が対象です。勤務時間外でも、職場の人間関係が持続している場での行為は対象になります。」中ぐらいの字で「その一言で傷ついている人がいます『冗談だよ』そんな言い訳、とおりません」とあります。
 これは男性職員への脅しであり、セクハラに該当しないものを、セクハラと言いつのっているもので全く不当です。むしろこのようなセクハラ防止ポリシーによって男性職員を萎縮させ敵対的な職場環境になっているだけでなく、女性に対する過剰な心理的保護、過剰なロマンテックパタテーナリズムに陥っており、性差別的な職場環境、つまり事実上女性を格別心理的に保護されるべき性として差別する政策となっていることが問題だと思います。
 東京都のセクハラの定義は人事院規則10-10とほぼ同じで「他の者を不快にさせる職場における性的言動、職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動」しかし、これは労働省の雇用機会均等法21条2項の管理上配慮すべき指針(平成10年労働省告示第20号及び通達女発第168号平成10年6月11日)労働省の雇用機会均等法のガイドライン(指針・通達)の定義から逸脱したものであります。通達では指針を解説してつぎのように説明する。「『女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること』とは、職場環境が害されることの内容であり、単に性的言動のみでは就業環境が害されたことにはならず、一定の客観的要件が必要である‥‥具体的には個別的判断となるが、一般的には意に反する身体的接触によって強い精神的苦痛を被る場合には、一回でも就業環境を害することとなり得、性的冗談やヌードポスターの掲示にらよる場合などは継続性又は繰り返しが要件となるものであっても、明確に抗議しているにもかかわらず放置された場合又は心身に重大な影響を受けていることが明らかな場合には就業環境が害されていると解しうるものである。」
 したがって、単に、性的冗談、あてこすり等の性的言動はセクハラではないと明確に示しております。
 セクハラ概念の輸入元であるアメリカ合衆国の雇用機会平等委員会EEOCのガイドラインは「‥‥望まれない性的言い寄り、性的行為の要求、その他の性質を有する言葉又は身体的行為は、次の場合セクシャルハラスメントを構成する‥‥かかる行為が個人の職務遂行を不合理に妨げる又は脅迫的、敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出す目的と効果を有する場合」と敵対的不良環境型セクハラを定義し、公民権法違反の判定基準となる先例であるHarris v. Forklift Sys. (92-1168), 510 U.S. 17 (1993). (私はこの基準は緩いので反対だが)『差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる』『客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている』とあるので、単なる冗談やからかい、当てこすりではセクハラに該当しないことは明白である。
 従って、東京都のセクハラ概念は嘘、いつわりであり、セクハラでないものをセクハラと言いつのって、男性職員を脅す悪辣なものであるから、男性に敵対的な東京都のセクハラ基準は断固たたきつぶさなければなりません。こんなばかげたものを許すほど男性は卑屈になる必要など全くありません。
 私の職場でセクハラの判定基準は女性側の主観だと言っている人を知ってます。これは東京都のセクハラ概念が広いための誤解です。アメリカの敵対的環境型セクハラでは客観的なひどさが要件だが、合理的人間ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどいか広範であるだけではなく、被害者とされる者の主観においても敵対的・虐待的と認識していなければセクハラにはならないという趣旨であるから、女性の主観が全てだと言うのは本末転倒なのである。
 私はセクハラ規制・防止政策を廃止するか、もしくは1986年第6巡回区控訴裁判所ラビデュー対オセオラ判決Rabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)判決並に、環境型セクハラ成立の要件として、深刻な精神的障害の立証を要する(精神科医により客観的に証明)とすべきだと思うが、さしあたり漸進的改革として以下を提案する。
 環境型セクハラは、労働省の雇用機会均等法のガイドラインにおけるセクハラ定義に準拠し、女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じ、女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じることを要件とすることを明確にすべきである。 
 しかし、労働省のガイドラインがあいまいで女性に有利な解釈になっているところをあらため、『能力の発揮に重大な悪影響が生じ』る職場環境を次のようにより具体的に注釈する。
「差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合であり、客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出してない場合は該当しない」
 これならばほぼアメリカの環境型セクハラの判断基準になっている1993年のハリス判決Harris v. Forklift Systems,Incと同列になるので、まずはここまでセクハラ概念を限定すべきである。むやみやたらに男性を加害者にしないあり方とするようセクハラ指針も改める。
 具体的には、敵対的ないし虐待的であると認定できるような雇用条件に悪化させてはじめてセクハラであるから、単なるからかいや、あてこすり、冗談はセクハラには該当しないこと。1回性の行為、散発的・間延びした行為、攻撃的でないもの、常習的でないものはセクハラではないことを指針で明示する。また、労働省のガイドラインではセクハラの定義から外れている職場外の言動とジェンダーハラスメントは、セクハラ防止対策から明確に外すこと。労働省が認めてないものを認める必要などない。
 そのようなものでなければ、私はセクハラ防止対策委員会を認めないし、男性に敵対的な職場環境を形成しているものとして糾弾し、解散を要求する。 

2010/10/20

セクシャルハラスメント防止対策委員会へのアンケートの自由意見(修正版・後半)

△合衆国雇用機会平等委員会EEOCの敵対的環境型セクハラのガイドライン

 わが国では環境型セクハラといわれているものは、アメリカでは敵対的不良環境型というのである。敵対的という文言が入らないと、環境型セクハラとはいえない。

 「‥‥望まれない性的言い寄り、性的行為の要求、その他の性質を有する言葉又は身体的行為は、次の場合セクシャルハラスメントを構成する‥‥かかる行為が個人の職務遂行を不合理に妨げる又は脅迫的、敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出す目的と効果を有する場合」(山崎文夫前掲書184頁)
 このガイドラインでは、単なる当てこすりや下品な表現は、職務遂行を不合理に妨げる又は脅迫的、敵対的もしくは侮辱的の職場環境を不合理に創り出すものではないのでセクハラには該当しないことは明白なのである。
 たとえば私の職場のセクハラポスターポスター「冗談だよ」そんな言い訳とおりませんということが書かれている。しかし単なる冗談はセクハラではないのである。
 東京都のセクハラの定義には(「脅迫的、敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出す」という核心的な要件を欠落させているので、望まれない事柄は何でもセクハラとしてしまっているのである。単に性別に着目した服装、髪型、メイクの批評、賞賛ですらもセクハラだといいつのるのである。 異常にフェミニズムに迎合した幅広いセクハラ概念なのである。
 
 ところで、合衆国におけるセクシャル・ハラスメント規制は主として公民権法タイトル7の性差別禁止規定によるものである。この論理性には問題があること指摘しておきたい。1964年公民権法タイトル7は「報酬、労働条件、または雇用上の特典に関して人種、肌の色、宗教、性別、または出身国を理由に、どんな個人についても雇用を拒否したり、解雇したり、もしくは差別したりすることが、使用者による違法な雇用慣行になる」と規定するが、主たる立法趣旨は人種差別撤廃であって、もともとジョンソン大統領の提案した原案に「性別」の規定はなかった。ところが公民権法の通過に激しく反対していたバージニアのハワード・スミス下院議員が法案通過を阻止する狙いで「性別」を加える修正がなされた。ところがその2日後にハプニング的に修正案が可決されてしまい、本来議事妨害のために挿入した性差別禁止が盛り込まれてしまったのである。それゆえに立法目的の証拠に乏しい規定である。
 セクハラをタイトル7の性差別とみなす理屈が奇妙で論理性を疑問としたい。例えば下級審判例の Barnes V.Costle 561F.2d 983(D.C.Cir1977)は、使用者としての権限のある者が性的関係を結べば好遇することを示唆し、この誘いを断った当該従業員を解雇したquid pro quo型の判例だが、もし当該従業員が男性であったら、性的要求が雇用条件になっていなかったから、これは性別ゆえに課された条件、すなわち性別による差別であるとするのであるが、この理屈がわかりにくいい。
 タイトル7の基本理念は特定の人種、特定の肌の色、特定の宗教、特定の性、特定の出身国という集団概念により労働者を類別を禁止し、雇用判断は業務遂行能力によるものとしたことにある。報酬、労働条件、特典について、その人の解剖学的差異、ペニスを持つか持たないかによって労働者を分類し、雇用条件を設定することがタイトル7禁止する性差別である。例えば女性のみの労働時間の制限、女性のみ重量物取扱規制、作業現場において女性のみ椅子が与えられる規則などである。業務遂行のための個人的能力を理由とする特定の女性の雇用判断は性差別ではない。この基本理念に照らしてセクハラは性差別といえるのか。
 Barnes V.Costleは女性であるというそれだけの理由で、性的要求に応えることが雇用条件としているものではないから、性別による差別とみなすわけにはいかない。当該従業員が上司から性的要求が事実上課されたとしても、たんに女性であるからということではなく、上司の性的興味の対象となったからであって、特定の性という集団概念によるものではないと述べた。性的要求に応じることが雇用条件となるか否かの労働者の類別は性別という集団概念に基づくものではなく、当該従業員は上司の性的関心、好みによって類別されたのであるから性差別ではないといってよいのではないか。Tomkins v.Public Serice Electlic & Gas Co.568F.2d 1044(3dCir.1977)においては次の理由により公民権法タイトル7の適用を認めなかった。
 「性的欲求と性別とは問題が異なり、セクシャル・ハラスメントにおける問題は性別(による差別)ではない。性的欲求による物理的強姦(Physical attack)が暗い夜道ではなくたまたま会社内で生じたからといって、その救済を与えることが公民権法タイトル7の立法趣旨ではない。(平野晋「セクシャル・ハラスメント法入門」『国際商事法務』19巻12号(1991))それでよかったのではないか。
 そもそも私はシカゴ大学のエプスタイン教授を支持し公民権法タイトル7も廃止すべきとの考えであり、上記の理由からタイトル7のセクハラ規制に反対なのであるが、それでもEEOCのセクハラ概念は性差別の範疇にあるので、フェミニズムの主張するセクハラ概念のようにむやみに拡散していかないことで歯止めになっている。つまり男性とは異なった雇用条件、こと性的欲求に応えることがの雇用継続・昇給・昇進の要件とされたり、男性とは異なる脅迫的・敵対的・侮辱的職場環境におかれることという意味での性差別であるから、脅迫的・敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出すことが環境型セクハラの決定的な要件とされていると思う。
 

×労働省の雇用機会均等法21条2項の管理上配慮すべき指針(平成10年労働省告示第20号及び通達女発第168号平成10年6月11日)の環境型セクハラ定義の問題点

 指針の環境型セクシャルハラスメントの定義は「職場において行われる女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること‥‥‥‥」

 通達では指針を解説してつぎのように説明する。「『女性労働者の意に反する性的言動により当該女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じること』とは、職場環境が害されることの内容であり、単に性的言動のみでは就業環境が害されたことにはならず、一定の客観的要件が必要である‥‥具体的には個別的判断となるが、一般的には意に反する身体的接触によって強い精神的苦痛を被る場合には、一回でも就業環境を害することとなり得、性的冗談やヌードポスターの掲示にらよる場合などは継続性又は繰り返しが要件となるものであっても、明確に抗議しているにもかかわらず放置された場合又は心身に重大な影響を受けていることが明らかな場合には就業環境が害されていると解しうるものである」また「『女性労働者の意に反する性的言動』及び『就業環境を害される』の判断にあたっては、女性労働者の主観を重視しつつも、事業者の防止のための配慮義務の対象となることを考えると一定の客観性が必要である。具体的には、セクシュアルハラスメントが、男女の認識の違いにより生じている面があることを考慮すると『平均的な女性労働者』を基準とするとすることが適当である‥‥ただし、女性労働者が明確に意に反していることを示しているにも関わらず、さらに行われる性的言動は職場におけるセクシャルハラスメントと解されうる」(山崎文夫前掲書351頁)

 労働省の指針・通達の環境型セクハラの定義は、EEOCのガイドライン「‥望まれない性的言い寄り、性的行為の要求、その他の性質を有する言葉又は身体的行為は、次の場合セクシャルハラスメントを構成する‥‥かかる行為が個人の職務遂行を不合理に妨げる又は脅迫的、敵対的もしくは侮辱的な職場環境を不合理に創り出す目的と効果を有する場合」やハリス判決が示した判定基準「差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる‥‥客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている」と比較すると全体として緩く、女性に有利なセクハラ概念であるといえる。
 敵対的、虐待的、脅迫的、侮辱的、十分に悪質なという言葉を含んでいない。そもそもセクハラという言葉がアメリカから入ったものなのに、フェミニズムに迎合して敵対的不良職場環境という概念を取っ払って、拡散的な概念にしてしまったことが作為的といえる。
 山崎文夫は、雇用機会均等法の環境型セクハラ概念を、「その成立のためには①女性労働者(平均的女性)の意思に反する言動により、②女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じ、③女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じることという判断基準を満たすことを必要としていることは限定的との評価がある一方で、当該女性労働者の主観を重視しているほか(セクハラの概念にはあたらない)グレイゾーンも一定の配慮の対象とし、概念に該当するか否か、微妙な場合でも、相談・苦情に応ずることを求めているため、概念が拡散していることが問題視している。
 にも関わらず、人事院規則や東京都のセクハラ概念よりはましだといえるのは「能力の発揮に重大な悪影響が生じ」「就業するうえで看過できない程度の支障」がなければセクハラにはあたらないことを一応定義していることにある。
 東京都のセクハラ研修ではかつては、グレイゾーンということも説明していたのに、それもなくなって、何でも女性の主観によってセクハラになると説明の仕方であるから極めて悪質といえる。
 なお雇用機会均等法の環境型セクハラ概念では、人事院規則や東京都と異なり、職場外の性的言動も含んでない。ジェンダーハラスメントはセクハラから排除して定義している。

××人事院規則10-10及び運用について(通知)平成10年11月13日人事院事務総長における環境型セクハラ定義の問題点(東京都もほぼ同じ)

 セクシャルハラスメントを「他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び職員が他の職員を不快にさせる職場外の性的言動」と異常に幅広く定義し、「セクシャル・ハラスメントに起因する問題」を「セクシュアル・ハラスメントのため職員の勤務環境が害されること及びセクシュアル・ハラスメントへの対応に起因してその職員が勤務条件につき不利益をうけること」とし、通知によると『職員の勤務環境が害されること』とは「職務に専念できなくなる等のその能率の発揮が損なわれる程度に当該職員の勤務環境が不快になることをいう」(山崎文夫前掲書345頁以下)としているが、米国や労働省における環境型セクシャルハラスメントが成立要件になってる悪質な職場環境を作り出したという客観的な成立要件を外して、セクハラの概念規定ではなく「起因する問題」にすり替えたことにより、異常に拡散した概念となっていることである。これは本末転倒であり、労働省機会均等法ガイドラインの環境型セクハラ概念には、「脅迫的・敵対的・侮辱的」といった言葉を欠いているを疑問としても、一応、セクハラの概念規定として、「能力の発揮に重大な悪影響が生じ」「就業するうえで看過できない程度の支障」が生じなければひれはセクハラではないとしているし、例えば性的冗談は継続性、繰り返しが要件としているように、アメリカ判例を矮小化しているが、一応限定的にセクハラ概念を規定しているが、人事院規則やそれに準拠した東京都のセクハラ概念にはそれすらなく、労働省がグレイゾーンとしていたものも含めてなんでもセクハラと言いつのるものとなっている。なお、山崎文夫前掲書348頁によると人事院規則の指針で例示されている、身体的特徴を話すこと、卑猥な性的冗談、性的からかいの対象とする等の行為には人格権侵害の不法行為が成立しない行為が多数含まれていると批判的なコメントを述べている。
 1998年オンケール判決Oncale v.Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75)でスカリア判事が「Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。」「我々が‥‥強調したように、この規定は、同性のあるいは異性との日常的なふれあいのなかの真正ではあるが害の無い相違には及ばない。職場での性を理由とするセクハラの禁止は‥‥ただ、被害者の職場環境を変えるのに十分な客観的いやがらせを禁じているだけである」と述べたありかたと異なり、人事院規則や東京都のセクハラ概念には「被害者の職場環境を変えるのに十分な客観的いやがらせ」と示さないことから、セクハラ概念としては全く不当なものであり、必要以上の女性への心理的保護、極端なロマンチックパターナリズムと言わなければならない。しかも東京都水道局のようにこのような広い概念規定で、アンケートが実施され、密告が奨励され、セクハラ防止対策委員会の管理職と労働組合代表の結託、共謀により、男性職員をはめてしまうことになりかねないのほうが脅威であり、拡散したセクハラ概念は男性職員にとって敵対的な職場環境を作り出している。断然容認できない。断固このセクハラ定義は廃止すべきである。

 結論として次のことを提案する

 東京都のセクハラ概念(他の者を不快にさせる職場における性的言動、職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動と示されている)は異常に広いセクハラ概念であって、アメリカ合衆国やわが国の労働省雇用機会均等法のセクハラの定義と比較して著しく女性に有利なものとなっており不当である。具体的には、被害者の雇用条件を変化させる悪質な職場環境を作り出した場合に限定していないことである。
 私はセクハラ規制を廃止するか、もしくは1986年第6巡回区控訴裁判所ラビデュー対オセオラ判決Rabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)判決並に、環境型セクハラ成立の要件として、深刻な精神的障害の立証を要する(精神科医により客観的に証明)とすべきだと思うが、さしあたり漸進的改革として以下を提案する。

 環境型セクハラは、労働省の雇用機会均等法のガイドラインにおけるセクハラ定義に準拠し、女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じ、女性労働者が就業するうえで看過できない程度の支障が生じることを要件とすることを明確にすべきである。 
 しかし、労働省のガイドラインがあいまいで女性に有利な解釈になっているところをあらため、『能力の発揮に重大な悪影響が生じ』る職場環境を次のようにより具体的に注釈する。
「差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合であり、客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出してない場合は該当しない」
 これならばほぼアメリカの環境型セクハラの判断基準になっているハリス判決Harris v. Forklift Systems,Incと同列になるので、まずはここまでセクハラ概念を限定すべきである。むやみやたらに男性を加害者にしないあり方とするようセクハラ指針も改める。

 具体的には、敵対的ないし虐待的であると認定できるような雇用条件に悪化させてはじめてセクハラであるから、単なるからかいや、あてこすり、冗談はセクハラには該当しないこと。1回性のもの、散発的なもの、攻撃的でないもの、常習的でないものはセクハラではないことを指針で明示する。また、労働省のガイドラインにはセクハラの定義から外れている職場外の言動とジェンダーハラスメントは、セクハラ防止対策から明確に外すこと。労働省が認めてないものを認める必要などない。
 そのようなものでなければ、私はセクハラ防止対策委員会を認めないし、男性に敵対的な職場環境を形成しているものとして糾弾し、解散を要求する

2010/10/17

セクシャルハラスメント防止委員会へのアンケートの自由意見(修正版前半)

プロジェクト16
 (テーマ セクシャルハラスメント規制の基準の厳格化(女性に有利にしない)または廃止)

 前回の内容が余りにも出来の悪い内容だったので全面的に書き直します。
 私の職場(東京都水道局)には管理職等と労働組合の代表をメンバーとするセクハラ防止委員会というのがあって活動を行っているが、匿名の密告を奨励するアンケートを行っている。アンケートの内容は詳細に報告され、自由意見を書く欄がありそれについても詳細に他の人の意見は全文が公開されているにもかかわらず、私が昨年の12月に自由意見を書いたにもかかわらず、報告書に載せられなかったことに怒り心頭なのである。
 10月にそれを再びやるが、今度は前回のようなことがないよう、事前にこういう意見を出すけれども報告書に載せるように申し出ることとする。管理職が非常に敵対的なのでカットされると思うが、カットした理由を追及する。先手を打っていきたいと考えます。カットして公表されないことを想定してブログで公表するものである。

自由意見(原案)

 東京都のセクシャルハラスメント防止ポリシ-に置けるセクハラの定義(他の者を不快にさせる職場における性的言動、職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動と示されている)は単にからかいや当てこすりのようなものや、職場外の言動も含めて異常に広いことから、不快と主観的に判断したものは何でもセクハラと糾弾されやすいものになっており、今回の密告を奨励するアンケート調査により事実上女性に気にくわない男性に対するリンチ特権を付与し、リンチをあおるあり方になっている。
 実際に私は、女性側の主観的な判断が基準だいうことを女性職員が話しているのを聴いたことがあり、事実上のリンチ特権と認識していることは明らかである。
 しかもセクハラ防止委員会の事務局は私には何をいっているのか意味不明だったが「合理的通常人」テストでなく「合理的女性」テストとでセクハラを判定すべきだとかいった意見を開陳している。とにかく女性に有利にしよう躍起になっているわけだ。
 昨年のアンケートの私の自由意見(今回の自由意見と同じ趣旨)は、報告書に載せないで(報告書は詳細であり、個別自由意見も具体的に載せていた)セクハラ判定基準に関する事務局担当者の意見を一方配信しているのは、不公平である。管理職は意見の集約に不公平がないよう監視すべきであり、こういう一方的な意見だけが重んじられる理由を説明し、事務局に作為命令を出して、公平に取り上げるよう指示しろ。私の意見を排除するのは差別であり、作為命令を出さないなら、差別的対応をとったものとしてセクハラ防止委員メンバーの管理職の戒告処分を要求する。

 現状は過剰なロマンティックパターナリズム、過剰な女性の心理的保護に陥っている。本来、性差別撤廃、男女平等という趣旨ならばロマンティックパターリズムは排撃されるべきものである(例えば性差別撤廃撤廃の到達点として高く評価されるAUTOMOBILE WORKERS v. JOHNSON CONTROLS, INC., 499 U.S. 187 (1991)間接的母性保護であるバッテリー工場のような鉛の被曝を受ける職場における女性の排除は性差別で公民権法タイトル7違反と断定した)から、目に余る女性に有利なセクハラ基準は全面的に見直すべきであり、男性職員をロマンティクパターナリズムの犠牲とすべきではない。むしろ、このようにつまらないことで、懲戒されたり不利益を受けると脅されることによりむしろ心理的に負担になっていることが、男性にとって不愉快で敵対的な職場環境を形成していることが問題なのである。
 また、上司の性的欲求に応えないことが、昇進・昇給など雇用判断で不利益をもたらす対価型セクハラが、環境型セクハラより悪質であるはずだが、管理職が対象になる対価型セクハラはほとんど問題にされず、もっぱら雇用判断の権限のない一般職員を取り締まりの対象としているところも、それ自体差別的な防止ポリシーだと思う。
 こうした見解は私だけのものではない。例えば山崎文夫は均等法21条の配慮義務を尽くすことにより、民法715条の使用者責任や労働契約上の配慮義務違反(債務不履行)の責任を逃れる可能性を高くするために企業はセクハラ自主規制を強める傾向があるが、それが過度にわたれば、職場は、自由にものの言えない殺伐とした状況(沈黙した職場)にならざるをえないのであると自主規制を批判的に論じている。(山崎文夫セクシュアル・ハラスメントと企業内自主規制『比較法制研究』(国士舘大学)第27号(2004))。
 私のようにペイペイのヒラは石ころのようなもので蹴っ飛ばしてもどうということはない。しかし世の中には、大学教授やエリートで業績を挙げた男性でもつまらないセクハラ事件で社会的信用を失い、放逐されることがが少なくない。これは社会的損失であり、安易にセクハラで人をおとしめることがないあり方を模索したい。我々は女性尊重フェミニズムに反撃していかなければならないと考える。

 最大の問題は環境型セクハラの定義が広すぎ、融通無碍なところにある。
 東京都のセクハラ基準は、おおむね人事院規則10-10にに準拠ししつつ人事院規則よりも緩い。人事院規則が厚生労働省のガイドラインより幅広くセクハラを定義していることはすでに指摘されているとおりである。(山崎文夫『セクシュアル・ハラスメントの法理』労働法令平成16年345頁以下)
 私は厚生労働省のガイドラインも「敵対的(虐待的)職場環境を形成している」ことが要件であると明言されておらず客観的判断を合理的通常人でなく合理的女性テストであるべきとしている点、深く懐疑的であり、米国のEEOCのガイドラインやや環境型セクハラの基準になっている連邦最高裁1993年ハリス対フォークリフト判決HARRIS v. FORKLIFT SYSTEMS, INCのテストよりずっと緩いことが問題であると考えているが、私はハリス判決自体も緩い基準でセクハラ訴訟をむやみに増大させたワースト判決と批判的な見方をとる。

図式化するとこうである。○客観的に有形の害の立証が必要で良い基準、△裁判所や陪審員の主観的判断に左右されやすい面がある、×明らかに女性に有利で悪い基準 ×の数が多いほど悪い基準

セクハラ判定基準の評価

○1986年ラビデュー対オセロラ連邦高裁判決(第6巡回区)
△1993年ハリス対フォークリフトシステムズ連邦最高裁判決
△1998年ファラガ-連邦最高裁判決
△1998年オンケール連邦最高裁
△合衆国雇用差別撤廃委員会EEOCのガイドラインの定義
×労働省の雇用機会均等法21条2項の管理上配慮すべき指針(平成10年労働省告示第20号及び通達女発第168号平成10年6月11日)労働省の雇用機会均等法のガイドライン(指針・通達)の定義
××人事院規則10-10のセクハラ定義(最悪に近い)
×××東京都のセクハラ定義(最悪だ)

 結論を先に述べると、そもそもセクハラ防止それ自体に反対であリ、十歩譲っても、ラビデュー判決並に厳格な基準でなければ安心できないし、男性にとって脅威となりかねない。百歩譲るとしてもアメリカの判断基準と同等のハリス判決及び、ハリス判決を引用する判例の基準まで精密化されない限リ、事実上の男性敵視政策として反対する。東京都はもっともひどく事実上女性にリンチ特権付与のような悪辣さであり、男性に対して敵対的であり、労働組合が服務規律問題に干与する不信感はぬぐいきれずセクハラ防止委員会は解散すべきであリ、東京都及び東京都水道局のセクハラ防止ポリシーを糾弾する。
 環境型セクハラの判定基準は少なくとも、女性の主観的判断ではなく客観的に敵対的・虐待的な職場環境を形成し、業務遂行を著しく妨げ、あるいは深刻な心理的被害をもたらし、雇用条件を変化させ、攻撃的且つ常習的且つ、過酷なものでなければ安易にセクハラとは認定しないこと。男性をおとしめることのないように、また、単なるからかい、当てこすり、突発的、1回性のものは胸をもまれようとセクハラにはあたらないことを明確に基準として示さない限り、私はセクハラ防止政策に断固反対していく。また、わが国の厚生労働省ではセクハラの概念に包含していない、職場外(例えば宴会)の行為やジェンダーハラスメントも含めてセクハラ防止ポリシーとするのは行き過ぎであり、これも認めない。

(詳論)

1986年第6巡回区控訴裁判所ラビデュー対オセロラ判決Rabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)
 環境型セクシャルハラスメントの要件して有形の害の立証を被害者に求めるテストであり、経済的損害や深刻な心理的傷害の立証を求めるものである。私はセクハラ規制に反対であり、そもそも公民権法タイトル7の性差別とする論理に無理があると考えるが、これなら男性は比較的安全であり、容認することにやぶさかでない。

 つまりこの判決は職場環境が被用者の精神的安定に重大な影響を及ぼすか同人が精神的損害を被るほど重大であることを原告が立証しなければならないという多くの巡回裁判所が採用していたコモンローの不法行為法上の諸観念に基づく基準であるからである。ハリス判決で採用されなかったが、私が裁判官ならこのテストを採用し、セクハラの適用の拡大に慎重な姿勢をとる。(参考文献 平野晋「セクシャル・ハラスメント法入門」『国際商事法務』19巻12号(1991))

1993年連邦最高裁ハリス対フォークリフトシステムズ判決Harris v. Forklift Sys. (92-1168), 510 U.S. 17 (1993)連邦最高裁が敵対的環境型セクハラの判断基準を示した先例だが、1998年のファラガ-対シティオブボカラトン判決Faragher v. City of Boca Raton, 524 U.S. 775 (1998)、オンケール 対サンダウン・オフショア・サービスィズ社事件Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75(1998)もほぼハリス判決を踏襲している。
 ハリス判決の事案は次のとおりである。
 1985年4月から1987年10月までの2年半の間を通して女性マネージャーに対して,他の社員の前で何回か「君は女だ。なにが分かるというんだ。」「男のレンタル・マネージャーがほしい。」と発言し、一度は「ムレムレしり女」と言うなど、しばしば女性であることを理由として侮辱し、また、他の社員の前で「君の昇給交渉のためにホリデーインに行かないか」、「顧客と週末にセックスすると約束したか」と言ったり,自分のズボンの前ポケットにコインを入れて女性社員にそれを取り出すよう要求したり,女性社員の前に物を投げてそれを拾わせて覗いたり、女性社員の衣服について椰楡するなど,しばしば女性社員を性的あてこすりのターゲットとした使用者(社長)の行為について、会社側勝訴の高裁判決を覆し、公民権法違反の環境型セクシュアル・ハラスメントが成立するとしたものであるが、私は総じて社長の行為は攻撃的でなく悪質でないと判断し、オコーナ-判事の法廷意見に批判的な見方をとる。この社長はモーテルに連れ込んだ訳でもなければ、社長がコインを放り投げたり、ズボンの前ポケットからコインを取り出すのも単なるお遊びに過ぎず深刻なものではない。社長の機嫌をとるために追従するのは従業員の役目のようにも思うくらいだ。ただビジネスのために顧客との枕営業もというのは、ジョークか仕事の指示かは不明だが、仕事熱心な従業員ならやるだろうし、それくらいのことは必要なのかもしれないが、男性職員と異なる労働条件の指示として性差別的と認識することはできる。しかしその指示を無視したことにより、首になったわけではないから、結論としては雇用条件に変化をもたらしていないので、性差別と認定しない。

 ハリス判決よりハリス判決が採用しなかった、第6巡回区のRabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)の厳格な環境型セクハラ判定基準で比較的優れていたと考える(環境型セクハラが成立する要件として、発言や行為で、他人を困らせたり、不愉快にさせただけでは救済を求めることはできないのであって、被害者は明確な、有形の被害Tangible Harmを被ったことを証明を要件とする。 有形の害とは、経済上の損害や、精神科医や分析医の診断によって認められた精神上の傷害である。神経症に陥るほどの深刻な精神的危害が客観的に立証されない限りセクハラで救済を求めることはできないというものである)。
 ハリス判決は第六巡回区連坊高裁のラビデュー対オセオラ判決の判断基準により深刻な心理的傷害の立証がないとしてセクハラと認めなかった連邦高裁の判断を覆し、環境型セクハラの判定基準を次のように示した。。

差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる』When the workplace is permeated with discriminatory intimidation, ridicule, and insult that is sufficiently severe or pervasive to alter the conditions of the victim’s employment and create an abusive working environment, Title VII is violated.”
『客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間(道理をわきまえた通常人)ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている』“Conduct that is not severe or pervasive enough to create an objectively hostile or abusive work environmentan environment that a reasonable person would find hostile or abusiveis beyond Title VII’s purview.”
「私たちは、環境が「敵対的である」か「虐待的であるか」が単にすべての事情を見ることによって決定できると言うことができる。これらは差別している行為の頻度を含むかもしれない。厳しさ。それは、物理的に険悪であるか、屈辱的であるか、単なる不快な発声か。そして、それは無分別に従業員の業務遂行を妨げるのであるかどうか。原告が、環境が虐待的であることが実際にわかったかどうか決定すると従業員の心理学的な幸福への効果はもちろん関連している。しかし、いかなる他の関連要素のようにも、精神的傷害は考慮に入れられるかもしれないが、どんなただ一つの要素も必要ではない。」
 として、客観的に敵対的、虐待的職場環境と形成していることが環境型セクハラの基準であって、深刻な心理的傷害の立証は不要であると結論した。
 この判断基準だと、私はこの社長の行為は悪質でないと思うが、別の人はそう思わないということがあるように、裁判官やヤ陪審員の主観的判断で左右されるのではないか。この点、精神的傷害という医学的に客観的に判定ができるラビデュー判決の法が安定的で優れていると考えるものである。但し、本判決は「合理的通常人」テストを採用し、第9巡回区の女性に有利な判断基準をとった下級審判例の「合理的女性」テストはとらなかった。フェミニスト法学に迎合したわけではない。

 ハリス判決では客観的に敵対的・虐待的職場環境を形成していることがセクハラの要件となるが、オンケール判決では「嫌がらせの客観的過酷さ」は、状況とかかる振舞いが行われた社会的文脈の全てを考慮に入れた上で、「合理的な通常人」が従業員の立場に置かれた観点から判断するべきものとされた。つまり合理的通常人テストプラス総合的判断としたのである。
 しかし合理的な人がある環境を虐待的と考えても、かかる環境が従業員によっても虐待的と主観的に認識されないと、タイトル7の下で謳われるところの性的嫌がらせの主張ができるほど充分にその従業員の雇用条件が「変更」されたことにならないとした。http://rosegroup.us/files/Website--Sex%20Harassment--ILS--v.2%20Japanese%20version%20(00009052).PDF
 ところが、東京都のセクハラ防止指導では、女性に歓迎されないと主観的に判断したもの何でもセクハラだとしているが本末転倒である。アメリカの基準では、客観的に敵対的・虐待的な職場環境と合理的に判断されるだけでは足りず、本人が虐待的・蔓延的と認識していなければセクハラではないという趣旨であり、本末転倒なあり方は断固是正されるべきである。(オンケール判決は邦訳がネットで読めるので参照されたい)
 またファラガ-判決では「公民権法タイトル7の差別禁止規定は、男性及び女性が同性及び異性のメンバーと日常的に作用しあう純然たる無害なやり方での相違を禁止するものではない。」オンケール判決でも「Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。」「Title7は礼儀作法規範でもない」としている。またファラガ-判決は「単なるからかい、当てこすり、極度に重大な場合を除く単独の行為は、労働条件の差別的な変更にあたるものではない‥労働条件の変更にあたるほど極端なものでなければならない」と述べた。 
 つまり突発的、1回性、散発的、間延びした行為ではセクハラと認定されないのである。但し、下級審判例で男性器より精液の発射を見せた事例で1回性のものでもセクハラと認定された例、管理職からレイプされた事例は重大だとされた例があるが、ただそれだけである。
 ハリス判決以前のものだが。建築業の職場で、女性器を意味するスラング(日本語に訳すと「オマンコ」に相当する俗語)をはいたケースではセクハラと認定しなかった。

 ハリス判決以降の下級審判例を引用すると次のとおりである。(山崎文夫セクシュアル・ハラスメントと企業内自主規制『比較法制研究』(国士舘大学)第27号(2004)http://libw01.kokushikan.ac.jp/data/1001272/0000/registfile/0385_8030_027_06.pdf7

 バーネット対ティコ社事件第6巡回裁判所判決(2000)は、①人事マネージャーが会議中ライターの入った煙草の箱を女性社員のタンクトップとブラジャーの紐の内側に入れたという行為②会議中女性社員が咳をしたところ,人事マネージャーがのど飴を差し出して「君が処女を失ったっていうから,これで補えよ」と言ったという行為、③年末に女性社員がクリスマス用セーターを着ていたところ、人事マネージャーが、そこに書かれた「DecktheMalls(通りを飾り付けろ)」という文言を見て,「DicktheMalls,DicktheMalls,興奮しちゃうぜ」と言ったという行為(Dickは男性性器の俗称)を、公民権法違反で提訴した事案について,従来の判例と比較しながら評価し,煙草の箱を入れたことは不法接触(battery)の要素を含むが総合評価すると2回の攻撃的発言と1回の不法接触では,敵対的職場環境を構成するほど重大であるという事実問題は争点とはならないという判断を示して女性社員の控訴を棄却している。この判決は,女性労働者が7月から10月までの2週間ごとの会議で差別的発言や尻・おっぱい云々という性的ジョークを浴びたという事案について、ブラック事件第6巡回裁判所判決(1997))が単に攻撃的であるというだけでは不十分であるとして女性労働者の請求を棄却したことを引用して,本件は,ブラック事件よりも間延びしており、蔓延しているとも重大であるともいえないとしている。
 この判決は,「オー!黄色のドレス、黄色の靴、パンティも黄色かな」発言などの社長の女性労働者に対する性的言動が7年間続いたという事案について行為の継続性を重視し,公民権法違反を認めたアベイタ事件第6巡回裁判所判決を引用して,本件のハラスメントは,アベイタ事件のそれに比べて継続性が弱いとしている。
 「パンティも黄色かな」事件も7年間も続いた性的言動から認定されたのであって、「パンティも黄色かな」の1回性のものであればセクハラではないことは明らかである。だいたい、黄色いドレスに黄色い靴の女は目立ちたがり屋で、男性の言い寄りを誘っているようにも思える。社交的な男性なら「パンティも黄色かな」と言いたくもなるだろう。

 ブルックス対サンメテオ市事件第9巡回裁判所判決(2000)は,女性職員が電話通信司令係として夜勤で救急電話を受けている最中に男性同僚によって背後からセーター及び下着の下に手を入れられ胸部を撫で回された事案について(男性同僚は懲戒手続開始後退職),腹部・胸部を触る行為は数分のうちに行なわれたたったひとつの出来事であり,事件直後市は加害者を職場から外しているので,合理的な女性であれば加害者の行為が就労条件を変貌させるほど永続的でないことがわかるはずであるとして,女性労働者の請求を棄却している。本判決は,たったひとつの出来事だからといって公民権法違反が認められないわけではないが,強度と頻度は反比例の関係にあり,公民権法違反が認められるためには,たった一回の行為が極めて重大(extremelysevere)なものでなければならないとしている。本件では,女性労働者は入院を要するほどの傷害を受けたわけでも,一晩監禁されたわけでもないというのである。

 シェファード対テキサス州会計検査官事件第5巡回裁判所判決(1999)は,女性職員が男性同僚(婚約者の義兄)①机のそばで「君の肘は乳首の色と同じだ」と言われたこと、②ドレスの下方を見るふりをしながら「君は大きな太ももをしている」と言われたこと,③机のそばで何度も服装を上から覗こうとしたこと、④傍らに立って何度も彼女の腕に触れ肩から手首にかけて手をなぞり下ろしたこと、⑤職場の打ち合せで二度にわたり自分の膝をたたいて「君の席はここだよ」と言われたこと、という一連の行為が2年間続いたことを公民権法違反として提訴した事案について(男性同僚は性的な誘いをかけたこともデートに誘ったこともなく、両者は毎曰フレンドリーな会話をし仕事中も仕事外でも友好的な関係を保っていた)、ハラスメント行為が提訴可能であるためには,客観的にも主観的にも攻撃的でなければならず,本件状況を総合的に勘酌すると、発言は野卑で攻撃的(offensive)ではあるが重大とは言えないし,じろじろ見るという行為や腕へのタッチも重大ではなく、男性同僚の行為は、職場環境を敵対的にも虐待的にもしていないとして、女性職員の訴えを棄却している。
 ところが、東京都のセクハラ定義では、敵対的・虐待的職場環境という基本的要件を欠いて、性的なからかい、わざと身体を触られた、理由なくじろじろみられたというだけでセクハラだというのである。「女の子」「おばさん」といわれた。お酌を強要されたというだけでもセクハラと言いつのり、男性の糾弾の対象とされることとなっている。目に余る行き過ぎである。
 ブレナン対メトロポリタンオペラ・アソシエイション事件第2巡回裁判所判決(l999)は,男性同僚が職場の掲示板に7枚の葉書サイズのセミヌードやヌードの男性写真を貼ったことについて女性労働者が本人に抗議した事案について、合理的な陪審員はこれらの写真が雇用条件を変貌させるほど脅し、嘲笑及び侮辱の蔓延した雰囲気を生み出すとは考えないと判断し、1度だけの卑根なからかいとともに考えても、提訴可能なレベルに達していないと判断している。ただし、反対意見は,写真の1枚は性器が露出しておりその他の写真も性的部分を目立たせようとするものであり、陪審員に判断を委ねるべきであるとしている。
 東京都のセクハラ指導では、ヌードだけでなく水着の写真ですら、職場に貼ることはセクハラだとしているが、この判例を読む限り米国ではそうではない。

 ミノー対リノ立職業専門学校第7巡回裁判所判決(l999)は、専門学校の男性分校長が女性職員に,仕事に関係のない電話をセクシーな声でなれなれしくしょっちゅうかけてくる(内容としてデートに誘うとかエロッチックなものはない)ということと、女性職員が分校長に関するうわさを広めたことをなじった際に,分校長が女性職員に腕を回しキスして抱き締めたうえで「こういうのがセクシュアル.ハラスメントか」と発言したということについて上司や同僚が女性職員をデリカシーをもって扱わず,乱暴な言葉を使ったとしても,そういうことはありふれていて差別とはいえず,公民権法違反とはいえないとした。
 東京都のセクハラ定義では、女性にとって不快な性的言動は全てセクハラとしているので、単にデリカシーのない言動も糾弾の対象となる。しかし米国ではそうではない。

 結論として、アメリカでセクシャルハラスメントの判断基準となっているハリス判決はセクハラ訴訟を増大させた要因となり好ましく思わないが、しかしハリス判決以後の判例は必ずしも女性に有利なものとなったとはいえない。これはフェミニストが推奨する客観的な過酷さを判断する基準を「合理的女性」テストではなく、「合理的通常人」テストを採用し、セックスブラインドアプローチをとっているからである。女性的な感情を保護するアプローチそれ自体が性差別になりかねない問題だからだと思う

2010/10/10

セクシャルハラスメント防止委員会へのアンケートの自由意見

プロジェクト16
 (テーマ セクシャルハラスメント規制の基準の厳格化(女性に有利にしない)または廃止)

私の職場(東京都水道局)には管理職等と労働組合の代表をメンバーとするセクハラ防止委員会というのがあって活動を行っているが、匿名の密告を奨励するアンケートを行っている。アンケートの内容は詳細に報告され、自由意見を書く欄がありそれについても詳細に他の人の意見は全文が公開されているにもかかわらず、私が昨年の12月に自由意見を書いたにもかかわらず、報告書に載せられなかったことに怒り心頭なのである。
 10月にそれを再びやるが、今度は前回のようなことがないよう、事前にこういう意見を出すけれども報告書に載せるように申し出ることとする。管理職が非常に敵対的なのでカットされると思うが、カットした理由を追及する。先手を打っていきたいと考えます。カットして公表されないことを想定してブログで公表するものである。

自由意見(原案)

 匿名による密告の奨励しているアンケートなど、ここで行われているセクシャルハラスメント防止ポリシーに反対の意見を述べ、男性が不当に糾弾されたりリンチされることがないようセクハラ判定基準の厳密化を提案したいと思います。
 さて、次世代育成支援対策による育児休業は事実上受益者に「労務コスト転嫁特権」を付与するものであり、労務コストを転嫁される受益者たる女性職員の他人を事実上、家来か使用人の扱いにするものである。なぜならば、出産・育児は私事にすぎず、他人の私事のために労働量が増えるためである。これは他人がさぼっているからカバーすることと同じであり、後ろ向きの裏方的な仕事になる。業績目標達成や積極的なチャレンジとは違うからである。尻ぬぐいのような後ろ向きの仕事をこなしても一言もねぎらいの言葉もないし、コストが転嫁されて当然だという風潮に怒り心頭なのである。のみならず、次世代育成支援が女性の雇用抑制というかたちでコストが転嫁されており女性の雇用機会均等という趣旨でもきわめて有害な政策である。東京都女子職員などの育児休業受益者は全女性の敵なのである。憤怒怨念、女性に対する敵意は募る一方である。
 一方、セクハラ防止政策は労務コストを他人に転嫁するものでない。企業にとって労務コストは育児休業ほど大きくないかもしれない。しかし現状をみると業績があり優秀な男性がセクハラと糾弾されて社会的地位を脅かされる多くの事例は社会にとって損失である。セクハラの政策は事実上女性に気にくわない男性に対するリンチ特権を付与している。なぜならば厚生労働省ガイドラインに環境型セクハラの判定基準が「敵対的(虐待的)職場環境を形成している」という要件を欠いているため、緩く女性に有利なものだからである。東京都の場合はさらにゆるく女性に不快に感じれば何でもセクハラにしてしまうようなものだからである。実際、女性職員は自己の主観的判断が基準だということを言っており、事実上の「リンチ特権」と認識されている。しかもセクハラ防止委員会の事務局は「合理的通常人」テストでなく「合理的女性」テストとでセクハラを判定すべきだとかいった意見を開陳している。とにかく女性に有利にしよう躍起になっているわけだ。
 昨年のアンケートの私の自由意見は報告書に載せないでこの女の意見を配信しているのは、不公平である。管理職は意見の集約に不公平がないよう監視すべきであり、こういう一方的な意見だけが重んじられる理由を説明しろ。
 総じていえば、セクハラ防止は女性に対する過剰なパターリズム、心理的保護となっている。そもそもロマンティンクパターリズムを排撃することが性差別撤廃の趣旨であったはずである。したがってセクハラ規制は全面的に見直すべきであり、事実上男性へのリンチをあおっている当該委員会は、男性にとって敵対的職場環境を形成する要因となっているので直ちに解散させるべきである。

 特に疑問に思うのは被害者にとって歓迎されないという主観性が強調されすぎていることである。主観的にいやがらせとして認識していることをセクハラ要件としているのは、客観的にいやがらせとみなされることでは十分ではないということにすぎない。つまり、公然周知とならないかぎり、自己の昇進・昇給等の目的で女性の側から上司の性的欲求に応えることはセクハラにあたらないという意味と理解すべきだ。というより枕営業は女性が栄達するために必要な武器であり、アメリカなどではたぶんそうして女性はのしあがる。その女性の特権を取りあげることを目的とはしていないということだ。また上司の役得それ自体を否定するものではないという意味である。

 もっともセクハラは対価型(代償型)と環境型に類別して説明されるが、セクハラ防止委員会では性的欲求に応えることを雇用継続や昇進の要件とするような対価型は全く問題にされてない。それは現場の職長に大きな雇用判断の権限を与えているアメリカの事情と異なるかもしれないが、管理職はセクハラ加害者たりえないとの方針から除外されていて、それ自体も問題ではあるが、もっぱら攻撃、取り締まりの対象は性的欲求に応えても女性にとって利益にならない一般男性職員に向けられているためであろうと考えられるので、問題を環境型に絞りたい。
 アメリカ合衆国の公民権法第七編の環境型セクシャルハラスメントの判断義準を示す判例は1993年連邦最高裁ハリス対フォークリフト判決(オコーナー法廷意見)Harris v. Forklift Systems,Inc.,511U.S. 17,21(Forklift SystemsIncの社長が女性従業員に「馬鹿な尻女」と言ったとか、モーテルに行くことを勧めたとか、女性従業員に対してコインを放り投げて拾わせたり、ズボンの前面ポケットの中にあるコインを取らせるようなお遊びをやったりして、その女性従業員が辞めた事件)である。
『差別的な威嚇、嘲笑、侮辱などが、被害者の雇用条件を変化させ、悪質な職場環境を創出するほど十分にひどく浸透している場合には、Title7違反になる』When the workplace is permeated with discriminatory intimidation, ridicule, and insult that is sufficiently severe or pervasive to alter the conditions of the victim’s employment and create an abusive working environment, Title VII is violated.”
 『客観的な敵対的、虐待的職場環境、すなわち合理的人間(道理をわきまえた通常人)ならば敵対的ないし虐待的であると認定できるような環境を作出するほどひどくはなくまた広範でもない行為は、Title7の適用範囲を超えている』“Conduct that is not severe or pervasive enough to create an objectively hostile or abusive work environmentan environment that a reasonable person would find hostile or abusiveis beyond Title VII’s purview.”
「私たちは、環境が「敵対的である」か「虐待的であるか」が単にすべての事情を見ることによって決定できると言うことができる。これらは差別している行為の頻度を含むかもしれない。厳しさ。それは、物理的に険悪であるか、屈辱的であるか、単なる不快な発声か。そして、それは無分別に従業員の勤務成績を妨げるのであるかどうか。原告が、環境が虐待的であることが実際にわかったかどうか決定すると従業員の心理学的な幸福への効果はもちろん関連している。しかし、いかなる他の関連要素のようにも、精神的危害は考慮に入れられるかもしれないが、どんなただ一つの要素も必要ではない。」

 さらに1998年連邦最高裁 Oncale  v. Sundowner Offshore Services,Inc, et al., 523U.S.75)は被害者が同性である場合にセクハラが認められるかが争われた容認した事件だが、スカリア法廷意見は次のように環境型セクハラの基準について述べた。
『Title7は、職場における全ての言動や肉体的な嫌がらせを禁じてはいない。それは、『性を理由とする差別』のみを指している。我々は、たとえ職場での異性間のいやがらせであったとしても性的な内容や暗示を含む言葉をつかったという事だけで機械的に性差別だとは決して判示してこなかった。』『我々が‥‥強調したように、この規定は、同性のあるいは異性との日常的なふれあいのなかの真正ではあるが害の無い相違には及ばない。職場での性を理由とするセクハラの禁止は‥‥ただ、被害者の職場環境を変えるのに十分な客観的いやがらせを禁じているだけである』『通常の職場における社交(男同士の馬鹿騒ぎや異性間でのいちゃつきであっても)を『職場の環境』に関する差別であると誤解しないことを保証する』『我々はさらに『全ての状況を考慮して』、原告の立場に置かれた合理的な人間という観点で、セクハラの客観的なひどさを判断すべきだということを強調してきた』『職場における行為の現実的影響は、しばしば、使用された言葉の詳細あるいは行われた肉体的行為の単なる再現によっては十分に把握されることのない周囲の環境、予期、人間関係の配置に依存している。良識や社会的背景に対する適切な感受性によって、裁判官や陪審は、単なるからかいや同性間での馬鹿騒ぎと、合理的な人間が原告の立場に立ったときに過度に敵対的で虐待的であると認識する行為とを見分けることが可能になるのである。』。http://www.law.tohoku.ac.jp/~serizawa/2000/semi1/translation.htmlTitle7などとして、単なるからかいや馬鹿騒ぎがセクハラにはあたらないと述べた。
 従って米国では単に下品な言葉、からかいや当てこすりはセクハラとはしてない。また1回性のものはセクハラとは認定していない。下級審判例では(余裕がないので出所を明らかにしないが)例えば後ろから抱きついて胸をもんでもセクハラではない。女性器のスラング日本語に訳すと「おまんこ」に相当する言葉を吐いた例でも、セクハラとは認定されてない。「黄色いドレスに黄色い靴、パンティも黄色かな」という有名な言動も1回性のものである以上セクハラではない。ただ、男性器から精液を発射したところをみせたケースでは1回性のものでもセクハラと認定された。しかし1回性のものはそれだけである。

 ところが、東京都水道局のセクハラ防止は、単に下品な言葉、からかいや、あてこすり、職場環境と直接関係ない酒席での言動や1回性のものでもセクハラと言いつのっている。過剰な心理的保護であり、ロマンチックパターリズムの行き過ぎである。さらに東京都水道局ではジェンダーハラスメントの概念も導入して、セクシャルハラスメントを越えた規制をやっている。それでいて労働組合が、団体行動をとらない職員に対するの脅迫や威嚇は容認されており全く片手落ちである。

 つまり我が国では、厚生労働省のガイドラインがhostile or abusive敵対的・虐待的という言葉を欠落させて、セクハラ概念を広めたために、女性に非常に有利なものとして展開しているのが最大の問題だと思う。
 私はこれらの合衆国最高判例ですら不満なのである。つまりこの判断基準では陪審や裁判官の主観で左右される余地が多分にあると言う点で厳密さにかけるということである。
 それ以前の下級審判例の基準のほうがわかりやすかったかもしれない。例えば「当該性的行動が、他人の業務を著しく阻害し、または恐怖intimidating、敵対的hostile、あるいは不快Offensiveな職場環境を形成するほど厳しくSevere、あるいは蔓延しているか否か合理的人間がどう感じるかを基準に決する」
 E.E.O.C.v.Hachiende Hotel,881F.2d 1504 (9th CIR.1989)中野通明「米国における雇用差別と最近の状況(上)」『国際商事法務』20巻6号1992
では、「他人の業務を著しく阻害し」という基準がありわかりやすい。
 また1992年のハリス判決でオコーナー判事は下級審判例  Rabidue v.Osceola Refining Co., 805 F.2d 611, 620 (CA6 1986)の精神的危害を与えたことを要件とする。つまり神経症となるような医学的に客観的に判定可能なダメージを与えたか否か基準として厳密な判例を採用しなかった。この点で女性に有利な判決だった。
  Rabidue v.Osceola Refining Co.は優れた判例で、これが最高裁に採用されればセクハラ訴訟が減って良かったと私は思うが、遺憾である。しかし、一方で女性に有利な「合理的女性」テストを採用した下級審判例も拒否し、下級審で大勢であった「合理的通常人」テストを採用した。この点では、ハリス判決は中間的判断をとったともいえる。

 私はもっとも厳密な第6巡回区のRabidue v.Osceola Refining Co判決が最善だったと思うが、我が国でもせめて、アメリカ並みに「雇用条件を変化させ敵対的・虐待的職場環境を形成」したことをセクハラとする基準は不可欠である、少なくともハリス判決の水準に判定基準を厳密化が必要との立場であり、なんだもかんでもセクハラにして男性を糾弾するような対応をとる。セクハラ政策には強く反対していくものである。

2005/09/07

合衆国最高裁レーンキスト主席判事葬儀に思う

川西正彦-平成17年9月7日

 連邦最高裁レーンキスト主席判事は、9月3日甲状腺癌の合併症で亡くなった(享年80歳)との報道をみました。同判事が甲状腺癌であることは昨年の暮れから報道されているので想定の範囲内であるが、オコーナー判事の引退に続いて米国では大きなニュースになっている。レーンキストは1972年ニクソン任命で最高裁入り、1986年レーガン任命により主席判事、就任当初より最右派、司法自制主義の裁判官との評判でした。実務的手腕においても有能な最高裁長官とされている。本日(9月7日)葬儀があり国立墓地に埋葬されます。残念ながら私は葬儀に際して申し訳ないが、同判事を批判したいと思います。
 それはやっぱり1986年のヴィンソン判決MERITOR SAVINGS BANK v. VINSON, 477 U.S. 57 (註)で、レーンキストが法廷意見を記しいわゆる敵対的・不良職場環型のセクハラでも雇用条件における具体的、経済的不利益がなくても公民権法タイトル7に基づき訴えることができる判示したたため、セクハラ訴訟の増加を決定的なものとした事に対する強い不満です。
 ヴィンソン女史は1974年にMeritor Savings銀行の金銭出納係訓練生として雇用され、金銭出納係から係長にまで昇進したが1978年11月病欠を過度に使いすぎたために解雇された。上司Taylor氏に初めて誘われたのは彼女が訓練生の時だった。Taylor氏に夕食に招かれた時、モーテルに行こうとの誘いがあった。彼女は仕事を失うことを恐れ、同意したのだという。その後数年間にわたり、解雇を恐れるあまり上司Taylor氏と営業時間内、営業時間外にわたって40~50回の性関係に陥ったという主張である。又、ある証言によればTaylor氏は他の従業員の前で彼女を撫でていた。又Taylor氏はトイレに入っている彼女をレイプしたという。しかしヴィンソン女史はTaylor氏を恐れていたため、Taylor氏の上司には相談していない。またこの銀行には苦情処理制度があるがそれも利用していない。Taylor氏は否認しており、銀行もこのことは知らなかった。ただ事実審では相反する証言があってもそれは自主的な関係で銀行における継続的雇用と無関係という判断からセクハラとは認定していない。この記録を読む限り私は女性に全然同情しないし、する必要もないです。上司に不満なら早くやめたらよかったのに。それだけです。むしろ貶められた上司に同情します。私は常識的に物事を判断します。性関係が続いている間彼女は解雇されなかったうえに昇進もしているのだから、40~50回の性関係は彼女にとってもメリットがあった。そうみるのが自然です。40~50回の性関係の具体的状況を知らないのですが、常識的に考えて、できてしまった男女関係なんじゃないのとも思うわけです。
 私は、一審連邦地裁の判断でよいのであって最高裁の判断は誤りであると断定します。私が裁判官だったら、公民権法タイトル7は雇用環境の純粋に心理的な側面まで保護していないという被告側の主張を支持し、敵対的虐待的環境型のセクハラみたいな男性を貶めるような訴訟提起など認める必要はないという常識的な判断から強硬な反対意見を書きます。
 だいたい法廷意見を記したレーンキスト判事はなんですか。司法自制主義で筋金入りの保守派という評判と実績で陪席判事から主席判事になった人物ですが、そうではないことがわかりました。セクハラ事件になると司法積極主義に変身するというのは変じゃないですか。
 そもそも、1970年代後半から連邦下級審裁判所がセクハラを1964年公民権法タイトル7雇用差別禁止規定に反する性別による差別であり違法とする誤った司法判断により、嫌がらせが意図的であり、原告が解雇や昇進しなかったというような、有形の経済的損失を被った場合に損害賠償を認めるようになったが、そもそもセクハラなんていうのは裁判所が積極的に訴訟を容認する必要はなかった。特にセクハラを性差別とする理屈が屁理屈であり論理性に欠くものであり、セクハラ訴訟容認は悪しき司法積極主義であると思う。要するにわたくしは、「セクハラ被害者」に一切同情しないし救済など一切必要なかったというのが原則的立場である。とくにセクハラ概念を敵対的虐待的職場環境型にまで拡大させたことが問題だ。 ヴィンソン判決はまさしくセクハラ概念を拡大してしまったということで大きなミスです。
 従来連邦裁判所はそれは個人的性癖の問題であって会社の方針とは無関係としてきた。公民権法タイトル7雇用差別禁止規定への適用を否定してきたのである。
 Tomkins v.Public Serice Electlic & Gas Co.568F.2d 1044(3dCir.1977)においては次の理由により公民権法タイトル7の適用を認めなかった。
 「性的欲求と性別とは問題が異なり、セクシャル・ハラスメントにおける問題は性別(による差別)ではない。性的欲求による物理的強姦(Physical attack)暗い夜道ではなくたまたま会社内で生じたからといって、その救済を与えることが公民権法タイトル7の立法趣旨ではない」(註)。それでよかったじゃないですか。イェール法学教授でロバート・ボークという著名な法学者がいますが、ボーク氏がコロンビア特別区の連邦控訴裁判所判事だった当時、「女に言い寄ることが性差別であるはずがない」と述べたというように(出所を明示したいが失念した)、私もそう思います。
 ヴィンソン判決でセクハラ訴訟の範囲が広がっただけでなく、フェミニストがセクハラを拡大解釈して宣伝したために、我々男性は迷惑を蒙ってます。これはワースト判決の一つです。その理由はセクハラを性差別とみなす論理性は全くないということです。この問題は研究中途なので、女帝問題が片づいたら、いずれとりあげますが、いずれにせよ、ヴィンソン判決は世界中の男性にとってえらい迷惑千万ということでレーンキストには良い心証がもてないです。
 1964年公民権法タイトル7は「報酬、労働条件、または雇用上の特典に関して人種、肌の色、宗教、性別、または出身国を理由に、どんな個人についても雇用を拒否したり、解雇したり、もしくは差別したりすることが、使用者による違法な雇用慣行になる」と規定するが、いうまでもなくこの主たる立法趣旨は人種差別撤廃であって、もともとジョンソン大統領の提案した原案に「性別」の規定はなかった。ところが公民権法の通過に激しく反対していたバージニアのハワード・スミス下院議員が法案通過を阻止する狙いで「性別」を加える修正がなされた。ところがその2日後にハプニング的に修正案が可決されてしまい、本来議事妨害のために挿入した性差別禁止が盛り込まれてしまったのである。それゆえに立法目的の証拠に乏しい規定である。
 セクハラをタイトル7の用差別禁止規定の性別による性差別とみなす理屈が奇妙で論理性が全くない。例えば下級審判例で Barnes V.Costle 561F.2d 983(D.C.Cir1977)は、使用者としての権限のある者が性的関係を結べば好遇することを示唆し、この誘いを断った当該従業員を解雇したquid pro quo型の判例ですが、もし当該従業員が男性であったら、性的要求が雇用条件になっていなかったから、これは性別ゆえに課された条件、すなわち性別による差別である(註)。とするものですが、屁理屈としかいいようがない。
 タイトル7の基本理念は特定の人種、特定の肌の色、特定の宗教、特定の性、特定の出身国という集団概念による予断に基づいて雇用判断をなすことを否定し、こうした集団概念により労働者を類別しないということです。雇用上の性別による差別とは、報酬、労働条件、特典について、労働者を性別という集団概念で分類すること。露骨にいえば解剖学的差異、その人の持ち物がペニスかヴァギナかによって労働者を分類し、雇用条件を設定することが性差別である。例えば女性のみの労働時間の制限、女性のみ重量物取扱規制、作業現場において女性のみ椅子が与えられる規則などである。たんに特定の性であるという理由での雇用判断は違法だが、業務遂行のための個人的能力を理由に特定の女性の雇用判断は性差別ではない。
 Barnes V.Costleは女性であるというそれだけの理由で、性的要求に応えることが雇用条件としているものではないから、性別による差別とみなすわけにはいかない。当該従業員が上司から性的要求が事実上課されたとしても、たんに女性であるからということではなく、上司の性的興味の対象となったからであって、特定の性という集団概念によるものではない。性的要求に応じることが雇用条件となるか否かの労働者の類別は解剖学的差異、性別という集団概念に基づくものではなく、当該従業員は上司の性的関心、好みによって類別されたのであるから性別による差別ではないのである。
従って、男性であれば性的要求はなかったからセクハラは女性差別などというのは屁理屈であって、論理性は全くないのである。従って セクハラをタイトル7に基づいて訴えることができるとした司法判断は不正義であり誤っており、悪しき司法積極主義といわなければならない。セクハラ訴訟を認める必要は全くなかった。ヴィンソン判決についてここで深入りすると睡眠不足になるのでやめますが、理屈が不明瞭です。いずれにせよ間違ってます。
 私はセクハラ規制なんて必要なしという考え方である。だいたい女とは性的に誘惑する物体であるという説がある。そもそもヒトの女というものは霊長類学的にみて性的受容性が高いことを際だった特徴を有しており、年中発情が可能な生物学的特徴をもっている。男性はアウグスティヌスが「意思せずとも勃起する」と言って悩んだように比較的単純な構造なのですが、女は淑女にも娼婦にもなりうる妖怪変化的自在性を有している、これは他の動物にみることができない特徴である。基本的にほ乳類は授乳期の雌が発情することはない。ところがヒトの女というものは授乳期の子どもを抱えていても、間男とやってしまう恐るべき生き物である。ヒトの女は閉経があるが年中無休で発情可能という性的受容性の高い恐るべき生き物は他に存在しない。ヒトの女とはまさに性のつわものだ。その恐るべき生き物がビジネスの世界で男性と協同して働く選択を行った以上、性的関係が生じるのはあたりまえのことなのである。なぜならばアダムの罪により死・病気・淫欲が人間の経験に入った。性欲は病気や死ととも免れることはできないのであって、性欲を統制することは死を統制できないことと同じように全く不可能であるから。であるから男と女が協同して働く以上、性的関係があってあたりまえそれが自然なのである。男性というものは勃起を意思でコントロールできない構造だからそれが自然なのである。それがいやなら家庭婦人に収まるか、女性だけの職場で働きなさい。それでいいんだと思います。ビジネスの世界がきれいごとですまないことは、なにも居酒屋で苦労人に説教されなくてもわかっているよ。とくに米国の場合は現場のボスが解雇・昇進等雇用判断に大きな権限を有している雇用慣行で性的関係が生じやすいといえる。野心的な女性は上司の性的要求に応えて昇進を狙います。世俗社会で労働している人間は、修道士や童貞女の尼さんのように禁欲生活を課されられる必要など全くない。世俗国家がくだらないロマンチックパターナリズムを強要するのはおかしい。コモンロー上の解雇自由原則で、上司に不満ならやめたら。それでいいんじゃないか。そもそも意思でコントロールできない勃起不能を要求するというフェミニストの非人間的要求に男子が屈する必要はない、司法積極主義でセクハラ訴訟を認めたのは大きな司法判断のミス。ということで、私は本日の葬儀においてもレーンキストをを悼む気持ちはさらさらありません。
 
 (註)さしあたり客観的に論評しているものとして平野晋「セクシャル・ハラスメント法入門」『国際商事法務』19巻12号(1991)をみてください。この論文は14年前のもので1993年合衆国の連邦最高裁ハリス対フォークリフトシステムズ事件判決 HARRIS v.FORKLIFT SYSTEMS,Inc以降の展開について言及されていませんが、我が国の研究者がほとんど無視している重要な連邦高裁判例や下級審判例を紹介しており参考になりました。

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