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カテゴリー「民法改正問題」の43件の記事

2017/07/16

(二)結婚は自由でなければならないという古典カノン法を基軸とする西洋文 明の婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに 強く反対である

[目次]
 
1概略バージョン1

(1)古典カノン法の何が自由なのか

A 古典カノン法とは
B 当事者の相互的な婚姻誓約だけで婚姻が成立(無方式合意主義諾成婚姻理
論)
C 家父ないし両親・領主の同意要件を明確に否定(親族とのコンセンサス
の排除)
D 婚姻適齢はローマ法を継受したが成熟は年齢を補うという理論によりさら
に緩和した
(2)結婚が自由でなければならない理由
A 聖書的根拠(淫行を避けるため手段としての結婚)
B 副次的理由
(3)古典カノン法が近代まで生ける法だった英国における自由な結婚の歴史
(4) 近代個人主義的友愛結婚の源流は古典カノン法にあり、現代人の結婚観を規定したものであるから、自由な結婚の理念は継承されなければならない
2.概略バージョン2
(1)明治民法施行前、そもそも婚姻適齢法制がなくても何の問題もなかった
し、婚姻適齢を引上げる正当な理由は何一つない
(2)婚姻適齢法制の文明基準2000年以上続いているローマ法の男14歳女12

3)親や領主の同意要件を否定し未成年者の婚姻を肯定する教会法が婚姻成
立要件では人類史上もっとも自由主義的な立法である
(4)秘密婚を容認する古典カノン法が近代まで継続したイギリス(結婚は自
由でなければならない、それは現代人の結婚観の基本となった)
3 概略の補足
(1)ローマ法
(2)キリスト教とセクシャリティ(カノン法成立の背景と現代人の結婚観の
基本)

A 新約聖書における三種類の全く異なった思想
a) 婚姻と通常の社会関係を否定する反(脱)社会思想(イエスの急進的使信)
b) 仮言命法による結婚の消極的是認(真正パウロ-コリント前書7章)
c) 結婚を肯定し家庭訓を説く(第二パウロ書簡と第一ペトロ書)
B 独身優位主義の確定とその決定的な意義
C 情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとしての結婚目的は決定的で、婚
姻の自由のもっとも重要な根拠である
D コリント前書「情欲の緩和」が近代個人主義的友愛結婚の思想的源流でも
ある
(3)教会の管轄権となった婚姻と、秘跡神学の進展

4)古典カノン法の成立
(5)秘密婚をめぐる軋轢、世俗権力との抗争
(6)トレント公会議で要式主義へ転化したが親の同意要件は一貫して否定
(7)フランス-教会婚姻法から離反(婚姻法の還俗化)の嚆矢
(8)イギリス-宗教改革後も無式合意主義(古典カノン法)が生ける法とし
て継続

A 古典カノン法が近代まで生ける法だったイギリスの特筆すべき法文化
B 秘密婚の隆盛(17世紀より18世紀前半のイギリス)
C 1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化
D グレトナ・グリーン結婚(18世紀中葉から19世紀中葉)-それでも自由な結
婚が有効だった
1 概略バージョン1
(1)古典カノン法の何が自由なのか
 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]
 この法諺はローマ法の無方式合意主義諾成婚姻理論を継受した教会婚姻法の理念としてより鮮明なものとなっている。それは西洋文明規範ともいえる。
 古典カノン法が事実上容認していたいわゆる秘密婚marriage clandestin問題ともいえる。教会法は当事者に最大限の自己決定権を与えている。それは、たんに無方式合意主義というだけでなく、ローマ法の婚姻適齢をさらに緩め、性行為が可能なら年齢制限が事実上ないことからも明らかである。この婚姻法は世俗的な利害関係を捨象した結婚の理念をもっていたから、軋轢を生じたのは事実である。結果的に近現代では、親の同意し要件を否認する教会婚姻法は否定されて還俗化し、今日実効性のある婚姻法は世俗国家のものとなっている。とはいえ、古典カノン法の法文化は一貫し特に英米で寿命が長かった。歴史的意義は大きく、現代人の結婚観念の基本ともなっているのである。
 単婚の婚姻理念を劃定したのはカノン法であり、その理念を無視することはできない。無視してよいというのは、社会主義者かアナーキストかということになるだろう。
 ここで古典カノン法と言ったのは12世紀に成立した教会婚姻法をさし、1563年のトレント公会議以降の婚姻法、カノン法を全廃して成文法典として1918年以降の教会法と区別する趣旨である。
 
A 古典カノン法とは
 
 中世ラテン=キリスト教世界では、9世紀に成立した偽イシドルス教令集が教皇主権
の根拠とされ、カロリング朝が終焉した10世紀半ばには俗権に対し教権が優位に立ち、婚姻事項を霊的裁治権として教会裁判所の専属管轄権とした。従って教会婚姻法が西方の統一法である。こののち神学者によって婚姻の秘跡性が理論化されていくこととなる。
 いわゆる「教皇革命」ののち12世紀中葉に教皇受任裁判がなされるようになり、教皇庁が司法化していく。教皇は婚姻事件の最終裁定者となった。古典カノン法とは各地で採録された,教令(Dekretale) 教皇の回答 (Erlasse)などを体系的に集成したものであり、教会婚姻法は主として教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)期に成立し、1234年の『グレゴリウス9世教令集』には婚姻法関係が全21章166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令である。[直江眞一2014]「法律と行政の天才」」といわれる教皇アレクサンデル3世が無方式合意主義婚姻理論、正確には緩和的合意主義を決定的に採用したことで劃期といえる。
 イングランドでは、教会裁判所は婚姻と遺言による動産処分を専属管轄権として安定していた。中世のイギリスは事実上国王と教皇の共同統治国家だったのである。メイトランドがいうとおり、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものにほかならない。
 もっとも1236年マートン大評議会で、教会側の強い反対にもかかわらず、世俗貴族は一致して、教会法の婚姻遡及効(アレサンデル3世の教令による後の婚姻による嫡出子の準正)を拒否した。「我々はイングランド法を変更することを欲せず」(Nolumus leges Anglie mutare)にと決議したのである。土地の相続は世俗裁判所の管轄として劃定したのである。もっともこれはどの子どもが長子かという問題で教会婚姻法の根幹を揺るがすことではない。相続に関して教会裁判所の干渉を避けていたのはイギリスだけではなく大陸でも同じことである。しかし婚姻の成否については教会裁判所の管轄権であることは明確であった。
 古典カノン法の特徴は、社会的経済的利害関係の捨象である。第三者の干渉しない当事者の合意で成立する婚姻であり、個人に最大限の自己決定権を与えていることである。教会婚姻法では秘密婚を抑止することができないため世俗社会から強い非難を被っていた。
 もちろん教会の戸口の前の儀式や、婚姻予告も中世においてなされていた。しかしそのような儀式がなくても有効な婚姻なのであり、無方式にこだわるのが古典カノン法の理念であるからである。
 教権は教会婚姻法が秘密婚を擁護しているという非難をかわすためにトレント公会議の閉幕年1563年のタメットシ教令で婚姻予告や教会挙式を義務化する。婚姻の自由という観点ではトレント公会議は、大きな後退といえる。
 また16世紀中葉のフランスを嚆矢として19世紀まで緩慢な進行により婚姻法は還俗化していくこととなる。
 しかしイングランドでは宗教改革後、教会裁判所は市民法律家に入れ替わっても18世紀中葉まで古典カノン法が「古き婚姻約束の法」として生ける法として実効性があり、スコットランドではその後も生ける法として実効性があった。
 従って古典カノン法の自由な理念の寿命が長く影響力が大きかったのは現代のカトリック地域というより古典カノン法=コモン・ローマリッジとして生ける法だった英国であり、つまり英米文化圏である。近現代人の結婚観にも大きな影響を与えている。
 では古典カノン法の何が自由であるかというと次のとおりである。
 
 
B 当事者の相互的な婚姻誓約だけで婚姻が成立(無方式合意主義諾成婚姻理論)
 
 ローマ法においても5世紀のユスティニアヌス帝は、結婚は当事者の合意によることを原則として、迎妻式や婚資の証書を婚姻成立の要件から排除したのである。[船田享二1971 40頁]
 合意主義それ自体は古く、ローマの古典時代からのものである。2世紀の正統的なラテン教父テルトゥリアヌスは「婚姻は意思によって完成する」といい、4世紀の四大教父聖アンブロジウスも「処女性の喪失ではなくて結婚の約束が結婚を作る」と述べ、9世紀の教皇ニコラウス1世も外形的に認識され得べき合意を婚姻締結の本質要件とした。[船田享二1971 41、62頁]
 11~12世紀においては、ボローニャ学派が合衾主義を説いたが、フランス学派は合意主義婚姻理論を説いた。教会法学者として著名な聖イヴォ(没1116頃シャルトル司教)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(1096~1141)、中世最大の教師ぺトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)がそうである。
 古典カノン法は、12世紀に成立する。教会婚姻法の骨格は各地で採録された教皇アレクサンデル3世(位1159~1181)の教令といってよい。教皇アレクサンデル3世が決定的に採用したのが緩和的合意主義婚姻理論である。
 現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』)と言うだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する。
①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)
②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)
③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)
④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)
[塙陽子1993]
 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっているため司祭の祝福や典礼儀式は婚姻の成立とは無関係となった。
 12世紀の秘跡神学では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実ににおいて表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典型儀式と結びつけられてはいないのである。教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だったのである。
 ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975]
 また教皇アレクサンデル3世は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージをその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975]
 このように、12世紀の秘跡神学は、聖なる絆として婚姻非解消主義の一つの根拠ともなっているが、一方結婚愛や夫婦愛、性交を神聖視したのであり婚姻とは社会的経済的利害関係が第一義ではないとする近代個人主義的友愛結婚の思想的淵源であったといえる。
 もちろん、合意主義といってもカノン法は婚姻非解消主義であり、婚姻誓約が二度あった場合は最初の相手が正当な結婚である。二度目の婚姻誓約はたとえ事実上の夫婦であったとしても婚姻としては無効となるという点で、厳格主義である。しかし婚姻成立が容易であり、個人の自己決定を最大限認めている点で自由主義的法制といえるのである。
  
 もっとも13世紀になると典礼儀式に秘跡の効力を帰する神学者の見解は少なくなくなる。また1215年の第四ラテラン公会議で秘密婚の抑止のため式婚姻予告を奨励するが、義務ではないため「秘密婚」は有効な婚姻だった。
 なお、教会の戸口の前の儀式を要求したのは英国では世俗裁判所であって、寡婦産の設定のためであり、古典カノン法は挙式を要求するものではない。
 ちなみに中世史家の鵜川馨[1991 531頁]によれば花婿が花嫁に指輪や銀貨を贈るセレモニーについて、「‥‥ゲルマン法に固有の婚姻契約の履行を担保するものとしてを 動産質 (E pledge, OE wedd)を与える儀礼が,教会の儀式にとりこまれたことを示している。従ってweddという言葉は、将来夫の死後に寡婦産として現実に土地の引渡しを担保するものとして,指輪あるいは銀貨が与えられるのであって,本来は質物,担保を意味した‥‥」とウエディングの語源を説明する。つまり指輪や銀貨等はゲルマン法に由来し、教会法が要求している事柄ではない。
 
C 家父ないし両親・領主の同意要件を明確に否定(親族とのコンセンサスの排除)

 

 ローマ法では婚姻当事者が家長権に服する場合、家長の同意のない婚姻は無効とされた[船田享二1971 56頁]。ゲルマン法のムント婚は、家父から花婿へのムント権(庇護権)の譲渡である。
 しかし教会法は家父(両親)に家子の結婚をコントロールする権限を認めない。古典カノン法の婚姻適齢は次節のとおり男14歳、女12歳であるが、当事者に最大限の自己決定権を付与している点、人類史上類例のない法文化といえるのである。
 
 実際、駆け落ちや周囲が強く反対する結婚であっても教会法を利用して恋を貫いた多くの事例がある。
 例えば1469年英国ノーフォーク州の名家パストン家の長女マージョリー20歳は、初恋の相手である家令のコールと結婚した。コールはパストン家の金庫番であり使用人の監督者でもあったが、身分違いの結婚のため家族から猛反対されたが、コールは賢く、ノーリッジ司教に仲裁を求めた。教会法により二人の婚姻誓約は有効とされたのである。[社本1999]
 このようにカノン法は、当事者の幸福が家族のプライドによって犠牲にされることのない、恋愛の結実が結婚であるという文化を形成した。
 この自由な婚姻理念は、結婚に伴う社会的利害関係を捨象しており、親権者の子供の結婚のコントロールを困難にしたから、世俗社会と軋轢を生じた。
 しかし教会は婚姻の自由のために数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。世俗権力は要式主義、親の同意要件を要求したが、1563年トレント公会議は秘密婚に対する非難をかわすため要式主義をとることで妥協したものの、フランスガリカン教会による親の同意要件の要求は断固として退けた。
 
D 婚姻適齢はローマ法を継受したが成熟は年齢を補うという理論によりさらに緩和した
 
 カノン法の婚姻適齢はローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、教皇アレクサンデル3世は婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能(つまり少年に処女を奪い取る能力があり、少女が合衾に耐えられる成熟に達しているの)なら婚姻適齢以前でも早熟が年齢を補うものとして婚姻適齢なのである。カノン法は性交不能を婚姻障碍としているので、性交可能なら実質年齢制限はないといってよい。しかも両親や後見者の同意要件がないため著しく婚姻成立容易な法制といえる。
 従って次の1601年の教会法学者ベネディクティの見解は、教皇アレクサンデル3世の教令に従ったものといえる
 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]
 つまり女子の場合は、身体的交渉に耐えられる大人っぽさがあれば、12歳未満でも婚姻適齢とする。
 なお、カトリック教会は1918年にカノン法を全廃し、新成文法典としており、婚姻適齢も男16歳、女14歳と改定しているが、成年期を満20歳、成熟期を男14歳、女12歳としていることは変わっておらず、成年期が権利の自由な行使のできる年齢であっても、例外として婚姻、修練期への進入、墓所の選定等は未成年者に両親・後見人の承認を得ることなく自由な権利の行使を認めており、この点は一貫しているのである。[ルネ・メッツ1962 107頁]
 
(2)結婚が自由でなければならない理由

 
A 聖書的根拠(淫行を避けるため手段としての結婚)

 
 結婚の目的として初期スコラ学者は真正パウロ書簡のコリント前書7:2,7:9(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視した。これが婚姻の自由の根拠の第一にあげてよいだろう。淫欲の治療薬remedium concupiscentiae(Ⅰコリント7章2節、9節)と初期スコラ学者により公式化された教説である。
 ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。
 古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(344または349~ 407。聖人・教会博士)が、正当にも聖書に忠実な見解を述べている。
 結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ・ハイネマン1996 77頁]
 13世紀パリ大学教授で組織神学者オーベルニュのギヨーム(1180頃~1249)は結婚が淫欲の治療薬である効果を発見した。「若くて美しい女性と結婚することは望ましい」なぜならば「美人を見ても氷のようでいられるから」。
 スコラ学者にとって結婚とは性欲の治療薬であった。美人を見ても冷静でいられるようにするため美人と結婚するという同毒療法だったのである。
 性倫理の確立という点でも、婚姻の自由は重要で、淫らな生活、姦淫の総数を減らし、子どもを私生児にしないために、性的熱情は夫婦の床に限定されることが望ましいのであるから、婚姻の不自由は、不品行な性行為を助長しかねないためである。ゆえに婚姻に容易に成立し自由でなければならない。
 福音書のイエスの使信は結婚を積極的に位置付けておらず、むしろ否定的である(ルカ12章49~53節)。第二パウロ書簡(偽パウロ書簡)や第一ペトロ書には家庭道徳訓(コロサイ3章18節-4章1節、Ⅰテモテ2章8節-3章1節、6章1-2節、Ⅰペテロ2章18節-3章7節)があり、結婚を明確に肯定する表現もある(Ⅰテモテ5章14節、へブル13章4節)。またエペゾ書5章24-25節には夫婦関係をキリストと教会の関係になぞらえる表現があるが、なぜ結婚の理由付け、目的については立ち入ってない。
 パウロの真筆書簡で結婚について集中的に語っているのはコリント前書7章1~40節で、真正パウロは仮言命法的に結婚を消極的に肯定しているが、パウロは結局、結婚する理由として淫行を避けるため、我慢できないなら結婚してよい(Ⅰコリント7章2節・9節)と、年頃の娘なのに行き遅れると心配するなら結婚してよい(Ⅰコリント7章36節)ということしか言っていないのである。
 
B 副次的理由
 
 第二に結婚が秘跡とされたこと。
 ラテン的キリスト教世界では、4世紀に独身聖職者制に異議を唱えたヨウィニアーヌスJovinianus がローマ司教シリキウスにより異端宣告され、徹底的に叩かれたように、独身者が最善で、結婚は性欲を自制できない人の次善の選択との位置づけだった。
 10世紀以降婚姻が教会裁判所の管轄権となって婚姻を神学的に明確に説明することが必要となった。結婚を悪とする異端のカタリ派やアルビ派対策としても積極的な位置づけが必要だった。
 11~12世紀の秘跡神学の進展により、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合を象徴するしるしとして秘跡とされた。サクラメントとされた以上性交や夫婦愛を神聖視されていくことになる。
 第三に独身聖職者制である。婚姻の自由と結婚せざる自由はコインの裏と表の関係であり、教会法は血族・庇護者の利害のための強制的な排除し、自己決定により修道生活に入ることができるようにしたのである。それゆえに、家父(両親)の同意要件をかたくなに否定した。優秀な人物は独身のまま聖職者となるべきだった。独身優位主義だからこその婚姻の自由という法文化を引き出したといえる。
 第四に教会法は普遍一般法であるから万人に適用される性格のもので、どの地域でも受け入れられるものでなければならない。挙式や婚資や迎妻式を結婚の要件としないのも地域差があり(地中海世界は持参金型社会、北西ヨーロッパは花嫁代償)、貧しい者であれ万人に通用するものでなければならないからである。合衾主義は処女性を重視する地中海世界に対応できるが、基層文化として婚前交渉に寛容な北西ヨーロッパでは合意主義のほうが合理的だった。言葉による相互の誓約は証人により確認できるが、合衾したことの証明が困難な場合もある。
 
 
(3)古典カノン法が近代まで生ける法だった英国における自由な結婚の歴史
 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺がまさにあてはまるのが、英国の婚姻法制史、結婚風俗史である。
 トレント会議の要式主義をとらずに古典カノン法が生ける法として継続したからである。
                   *
 教権はルター派などからの教会法では秘密婚marriage  clandestinを防止できないという非難をかわすために1563年トレント公会議閉幕年のタメットシ教令は 婚姻公示(予告)、婚約者の一方の住む小教区の主任司祭の前での挙式、 2名ないし3名(最低2名)の証人の出席、新郎新婦の署名が必要とされ、秘密婚を無効とした。
 トレント公会議に影響力をもった神学者はメルヒオールのカノである。彼は司祭が秘跡の執行者であることを強く主張した。[枝村茂1975]それは12世紀の神学・教会法学者とは異なる考えといわなければならないが、司祭がかかわらず俗人二人の証人が形式的要件だった古典カノン法からすると婚姻の自由という観点では明らかに後退したといえる。
 一方フランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は断固として拒否した。このため1579年のブロワの王令は、教会が出したタメットシ教令によって課された要件に加えて、挙式時に「4人」の証人の出席が必要とされ、さらに両親の同意を要件とした。[大島梨沙2011]このため、カノン法的には合法でも王法としては 無効な婚姻が出現することになり、以後緩慢な進行で、婚姻法の還俗化が進行していくことになる。。
 しかし、トレント公会議によって無方式諾成婚姻理論が途絶えたのではない。英国では宗教改革により教会裁判所は聖職者から市民法律家に入れ替わったが、トレント公会議を受け入れる必要がないため、古典カノン法は、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として継続した。イングランド婚姻法とはメイトランドが述べたとおりトレント公会議以前のローマ教会婚姻法そのものだったのである。
 とはいえ英国でも秘密婚は弊害と認識されており、英国教会は1604年に婚姻予告もしくは婚姻許可証による教会挙式と21歳以下の未成年者の親の同意要件を定めたが、教皇の免除を歴史的由来とする主教の裁治権の及ばない、特権教会、特別教区等で行われる自由な婚姻は「古き婚姻約束の法」が生ける法として有効な婚姻であり続けたたため、1604年法は死文化したのである。
 駆け落ちだけでなく婚姻予告制度を嫌う人々は秘密婚センターであるメイフェア礼拝堂やフリート街の結婚媒介所で結婚したのである。[栗原真人1992b、1996、柴田敏夫1987、加藤東知1927]
 イングランドでは1753年の大法官ハードウィック卿法(議会制定法)で、「古き婚姻約束の法」を無効とし、婚姻予告または婚姻許可証による教会挙式と21歳以下の未成年者の親の同意要件を定めた。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化である。イギリスで古き婚姻約束の法が、他国より長い寿命を保ちえたのは制定法によりコモン・ローを無効化することに躊躇があったためだろう。
 逆説のようだが、婚姻法の還俗化とは教会挙式の強制と親の同意要件の設定だったのである。しかし同法はスコットランドには適用されず、しかもイングランド-スコットランド協定で1863年まで、イングランド人でスコットランド法による未成年者が親のどういてを要せず、婚姻予告も婚姻許可証も必要のない自由な結婚が可能だった。スコットランドでは改革教会はトレント公会議に対する反発で、なお古き婚姻約束の法を墨守していた。
 このためにイングランドとの国境地帯に多くの結婚媒介所が設立され駆け落ち婚のメッカとなった(グレトナ・グリーン結婚)。純愛に燃える二人が轟く胸を抑え、はるばる北国へ自由な結婚の聖地をめざし四頭馬車を駈けるロマンチックな結婚は人気となり、恋に恋する乙女たちの憧れとなった。[岩井託子2002、松下晴彦2004、加藤東知1927]
 このようにして英国で古典カノン法=古き婚姻約束の法が生ける法としての寿命が長かったため、多くの国民が駆け落ちや周囲が強く反対する結婚であっても恋を貫いたのである。結婚は親族のためのものではなく自己自身のためで婚姻の自由は抑制されるべきではないとの法文化が根づいた。そのハイライトがグレトナ・グリーン結婚だったといえるのではないだろうか。
 
 
(4)近代個人主義的友愛結婚の源流は古典カノン法にあり、現代人の結婚観を規定したものであるから、自由な結婚の理念は継承されなければならない
 このように英国では古典カノン法の近代まで生ける法だった。秘密婚は非難されたが多くの民衆は婚姻許可証も不要、親の同意の必要のない古き婚姻約束の法により婚姻したのである。個人の心理的充足を第一義とする近代個人主義的友愛結婚(それは我が国でも広く受け入れられている結婚観)は、エンゲルスのいうように近代にはじまるものではなく、古典カノン法の婚姻理念の影響により形成されたものと理解すべきである。夫婦愛を神聖視したのもキリスト教だった。コリント前書7:2,7:9(淫行を避けるための手段としての結婚)という結婚の目的は、本質的に個人主義的心理的充足のためのものであって、社会的利害関係とは無縁な思想なのである。典型的な個人主義的結婚の提唱者であるミルトンのいうような、孤独から救済し慰めと平和を得るための結婚観も聖書に基づいており、コリント前書も引用されていることから、同じ思想系譜とみてよい。
 したがって西洋文明の影響下にある文明世界の多くの人々の結婚観の基本はカノン法の自由な結婚理念だった。我が国においても憲法24条が両性の合意に基づくとして合意主義婚理論は継受しているのであるから、その理念は継承されなければならず、ゆえに婚姻の自由を抑制する婚姻適齢を引き上げることに反対である。
 また結婚の自由は、中世カノン法にもとづくから、近代の経済的自由、営業の自由、宗教の自由、言論の自由といった観念より古い。近代の個人主義的自由主義の源流はカノン法とみてよいと思う。それゆえ継承されるべき理念である。
 とはいえ私の主張は、妥協的なもので、教会法にはきわめて好意的な考えだが、だからといって未成年者の親の同意要件を否認するものではない。世俗国家立法の考え方を否定もしないのである。その理由は、親の監護教育権・身上統制権は宗教の自由と関連し、現代では無視できない人権となっているからである。
 現代においては親族の利害のために家子の結婚を利用する考え方が衰退しているだけでなく、世俗政府の家族関係、親権への干渉は危ういものと考えるためである。
 しかし婚姻適齢では文明の理念を継承するために妥協できない。
 もっともカトリック教会は1918年の新教会法典で、婚姻適齢を男16歳、女14歳としているが、それでも世俗国家よりも低い基準となっているのは、当然のことである。
○Iコリント7章9(田川建三訳)
「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」
  remedium concupiscentiaeの観点からパウロは我慢しなくてよいと言っている。したがって16歳・17歳女子に我慢を強いる法改正に当然反対しなければならない。真正クリスチャンならなおさらのことである。
AKB総選挙で結婚宣言をした須藤凜々花の2017年6月21日のスポーツ紙記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛でない」という名言が大きく報道され反響を呼んだ。聖書的にも正しいと思う。彼女は20歳だが、16・17歳女子も同じことである。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけあい、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものであり、それによって人生の困難、苦労も乗り越えられる。幸福追求に不可欠な価値である結婚を我慢する必要はないし、我慢を強いる法改正はまさに悪魔の法改正だといわなければならない。
 
 
2.概略 バージョン2
(1)明治民法施行前、そもそも婚姻適齢法制がなくても何の問題もなかったし、婚姻適齢を引上げる正当な理由は何一つない
 我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条が男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、法定強姦罪に相当する改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979]
 明治民法(明治31年、1898年施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と制定したが、明治の30年間のように婚姻適齢の成文法がなかったというのは、婚姻年齢のことは国家が規定せず民間の慣習に干渉しなくても、本質的には何の問題もなかったといえるのである。
 明治民法のように医学上の見地から母胎の健康保持に必要な体力を有する年齢を婚姻適齢とする考え方も、身体的心理的成熟には個人差があるだけでなく、医学の発達、女子の体格・栄養状況から見ても、出産リスクが小さくなった今日には不要であり、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。
 
 
(2)婚姻適齢法制の文明基準2000年以上続いているローマ法の男14歳女12歳
 
 結婚の定義とはなんであろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう。[船田享二1971 24頁]
 法制史的に言えば婚姻適齢法制の文明基準は2000年以上続いているローマ法の男14歳、女12歳で、カノン法はローマ法を継受し、コモン・ローもカノン法と同じである。もっとも、カトリック教会は1918年の新教会法典で婚姻適齢を男16歳、女14歳とし、英国も1929年に制定法で男女とも16歳を婚姻適齢としている。
 しかし、マサチューセッツ州は、現在でも未成年でも親の同意もしくは裁判所の承認で、男14歳、女12歳を婚姻適齢とし、ニューハンプシャー州は同様に男14歳、女13歳であり、2017年3月婚姻適齢引上げ法案は議会が否決したのであり、2000年の伝統はなお継続しているというべきである。
ローマの適齢法制はアウグストゥスの婚姻立法以来女子の婚約年齢を7歳、婚姻適齢を12歳としたことにはじまると考えられる。
 船田享二[1971 49頁]は「婚姻適齢は、男子については最初は個別的に決定され、後には満十四歳に達したときとされ、女子については第十二歳目に入ったとき規定された。」と述べ出所はガイウス1・196、ウルピアヌス11・28、学説類集12・4・8、勅法類集5・60・3としている。
 
(3)親や領主の同意要件を否定し未成年者の婚姻を肯定する教会法が婚姻成立要件では人類史上もっとも自由主義的な立法である
 ラテン的キリスト教世界で婚姻が霊的裁治権として教会裁判所の管轄となったのは10世紀である。婚姻適齢はローマ法を継受した。グラティアヌスは教会法で明らかにされていない問題はローマ法に従うべしと述べているのでこれは自然な流れである。
 婚姻成立についてはパリ学派の合意主義と、ボローニャ学派の合衾主義との対立があっ        たが、教皇アレクサンデル三世(位1159~1181)が緩和的合意主義を決定的に採用し、教会婚姻法が成立した。当事者の自由意思による現在形の言葉による相互的な合意(二人の証人)だけで婚姻は成立し、合衾により完成婚とされた。未来形の言葉による相互的合意は、合衾の時点で婚姻が成立するというものである。
 ユスティニアヌス帝が当事者の合意によって婚姻が成立する原則を明確にしており、大筋でローマ法の無方式諾成婚姻理論を継受したといってよい。
 ただし1つ大きな違いがある。ローマ法は婚姻当事者が家長権に服するときは家長の同意を必要とするとされているが、教会法は親や領主の同意要件を明確に否定している。
 婚姻は自由でなければならない。その神学的根拠は何だろうか
 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7章2節,7章9節(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視した。これが婚姻の自由の聖書的根拠の第一にあげてよいだろう。
 淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと初期スコラ学者により公式化された教説である。ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。
 結婚に関して最大限自己決定権を認める古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論は秘密婚の温床となった。この自由な婚姻理念は、結婚に伴う社会的利害関係を捨象しており、親権者が子供の結婚のコントロールを困難にするものであったから、世俗社会と軋轢を生じた。しかし教会は自由な婚姻のために数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。
 教会は教会法では秘密婚を防止できないという非難をかわすために1563年トレント公会議閉幕年に婚姻予告と教会挙式を義務化したが、フランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は断固として拒否し、このため1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化の嚆矢である。
 したがってカノン法の男子14歳、女子12歳の婚姻適齢というのは、親や領主の同意要件のないものである。婚姻の自由と、修練者となる(結婚せざる)自由は、コインの裏と表であり、未成年者であっても個人の自由としたことが、教会法が人類史上画期的な意義のあるものといって過言でない。
 少なくともトレント公会議以前、教会法の理念ではロミオ16歳とジュリエット13歳が勝手に婚姻誓約しても婚姻の成立を妨げることはできない。
 しかも教会法学者はさらに婚姻適齢を緩和しようとした。
 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]
 そもそも12世紀の教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢とするとは当然の理といえる。 
 初期スコラ的見解では、結婚の第一義的目的が淫欲の治療薬、情欲の緩和の手段を得るためであるから、性行動が可能な身体的・心理的成熟=婚姻適齢とするのが理にかなっている。
 加えて、結婚は11~12世紀の秘跡神学の進展により、花婿キリスト、花嫁教会の結合を象徴するしるしとして、秘跡とされたため、性交や夫婦愛も神聖化された。したがって若いからといって、神聖化された結婚を妨げる理由はない。
 また教会法は性的不能を婚姻障碍としているので、思春期以前の婚姻は実は婚姻障碍にひっかかるのである。したがって14歳・12歳はローマ法にならった目安で、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢でよいわけである。
 婚姻は教会の霊的裁治権とされ、教会法は福音書で告げられた法と同じく神の法であったから、まさしくこれこそが文明基準であった。
 もっとも、トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」では男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]とあり、3つの結婚する理由の1つが情欲の緩和となっているだけだが、聖書的根拠が明確なのは第三の理由なのである。
 また1917年に公布されたカトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的に後退しているものの、現代においても無視できない意義を有することは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。
 
 
 
(4)秘密婚を容認する古典カノン法が近代まで継続したイギリス(結婚は自由でなければならない、それは現代人の結婚観の基本となった)
 
 婚姻法の還俗化は、ルターの教会法拒否と、16世紀のフランス王権による婚姻立法を嚆矢とするが、イングランドが婚姻で世俗議会の立法としたのがフランスより200年遅れた1753年のハードウィック卿法、婚姻と遺言検認が教会裁判所の管轄から世俗裁判所に移管したのが1857年であった。
 イギリスは15世紀の宗教改革により、トレント公会議を受け入れる理由はなく、中世教会婚姻法は、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)と称され生ける法として継続した。それは、教皇アレクサンデル三世の法といってもよいし、中世最大の教師にしてパリ司教ベトルス・ロンバルゥスの合意主義婚姻理論そのものといってもよい。
スコットランドの改革教会はトレント公会議に強く反発していたので、要式主義をとらず、古典カノン法の無方式合意主義が継承された。
 このため英国は、フランスや大陸よりも古典カノン法の自由な理念が近現代まで色濃く継承されたといえるのである。
 これは逆説ではない、そもそも教会婚姻法成立期に、イングランドから活発な教皇上訴があり、英国で採録された教皇令が、13世紀のグレゴリウス9世教皇令集に多く採録されており、イギリスは古典カノン法形成に寄与したばかりでなく、そもそもアングリカン教会というのも教皇アレクサンデル三世の命名で、王権はなるほど土地の相続に関して、教会裁判所の干渉を拒絶したが、英国において婚姻と遺言検認は教会裁判所の管轄権として安定していた。メイトランドがいうように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだったのである。
 もっとも英国教会は1604年に、婚姻予告もしくは婚姻許可証による挙式を義務付け、未成年者の親の同意要件を定めるが、一方で無方式合意主義婚姻理論の「古き婚姻約束の法」(古典カノン法と同じ)も生ける法であったため、歴史的由来(教皇の免除により理論上は教皇の直轄)により、主教の管轄の及ばない特権教会や特別教区が存在していたので、そこでは親の同意のないカップルであれ法的に有効な婚姻となった。
 このためロンドンのメイフェア礼拝堂と、フリート監獄、フリート街(フリート結婚)が特に有名な秘密婚媒介所であり、カップルの聖地となった。
 当時のロンドン市民の多くは、たとえ駆け落ちでなくても、教区教会での婚姻予告を嫌っており秘密結婚センターで結婚した。自由な結婚を求める民衆が少なくなかったのである
 しかし、1753年ハードウィック卿法により英国においても婚姻法を還俗化し、挙式と未成年者の親の同意要件を定め、ついに「古き婚姻約束の法」を無効とした。
 しかし、これで自由な結婚が終焉したわけではなく抜け道があった。同法はスコットランドには適用されず、スコットランド改革教会はトレント公会議に強く反発したことから古典カノン法は継続していた。イングランド-スコットランドの協定でイングランド人がスコットランド婚姻法によって結婚しても有効な結婚とされていたのである。
 このため、スコットランドの国境地帯に結婚媒介所が営業され、駆け落ち婚のメッカとなり、純粋な愛に燃えたカップルが胸を轟かせ馬車を駈けるロマンチックな結婚は大人気となった(グレトナ・グリーン結婚)。しかしこれも風紀が乱れたため1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られると定めたことによりグレトナ・グリーン結婚は衰退することになる。
 とはいえ英米文化圏において、婚姻の自由が重視されるのは古典カノン法=コモンロー・マリッジが一貫して、束縛のない自由な結婚の理念を色濃く継承してきた数百年の歴史的背景によるのである。教会法は名家のお嬢さんと家令という身分差のある結婚を断固として擁護した。フリート結婚は、客引きが寄ってきて聖職禄を剥奪された僧侶が立ち会う如何わしい雰囲気のある結婚だったが、グレトナ・グリーン結婚は馬車を駈けるロマンチックなもので有名人士も多くスコットランドで結婚し、演劇や文学作品の題材となった。要するに、婚姻予告が不要で、未成年者でも親の同意なく自由な結婚がなされていたことが語り継がれ、「結婚は自由であるべきである」という法文化が浸透している風土が英米文化圏にはあるといえる。
 私は近代社会の自由(経済的自由・宗教の自由等精神的自由)、個人主義的自由主義の起源は、カノン法の結婚の自由にあるという見解である。それゆえ文明史的意義のあるものであるから、この法文化は継承されなければならない。ゆえに婚姻の自由を抑制する、婚姻適齢引上げに絶対的に反対である。
 
 
3. 概略の補足
(1)ローマ法
  古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論はローマ法の諾成婚姻理論を継受したものとされているのは次のような経緯によるものである。
 ローマでは古い時代においては、マヌス婚という夫権取得のための特定の方式(共祭または共買の)履行が求められる厳格な婚姻がなされた。これによって嫁女は夫権に服従するとともにいずれ家母となる地位を得た。
 しかし古典時代の法は夫権取得とは無関係に当事者が夫たり妻たる意思を実現する場合にこれを婚姻と認めて、それ以外に特殊な方式の履行、要件を規定しなかった。
 とはいえ実際上は、婚姻と事実上の結合を区別する諸種の手続が履行されることを常とし、古い時代の迎妻式はキリスト教の浸潤とともに、異教的とみなされ廃れるようになったが、帝政時代には一般的には婚姻締結のために、書面を用い、嫁資の設定を重視するようになった。
 西ローマ帝国末期の458年マイオリアヌス帝の勅法は嫁資の設定に証書の作成を必要とし、作成されない場合に婚姻を無効としたが、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が例外を除いて旧原則に戻した。[船田享二1971改版32頁]
 ユスティニアヌス帝の学説類集(Digesta533年)は、女が男の家に入る前にも婚姻が成立することを説く法文を採録した。帝はこのように迎妻の事実は必要とせぬ原則を示すとともに、他方書面の作成または嫁資の設定を婚姻成立のために重視しようとする一般の傾向に対して、嫁資の設定がなくても婚姻が当時者の合意によって成立するという古来の原則を確立する[船田享二1971改版40頁]
 ローマ法大全を編集させたユスティニアヌス帝が合意主義を原則とした歴史的事実は重い。カノン法に継受されるのもある意味では当然の成り行きともいえる。結局のところ、ローマ法もカノン法も、カノン法そのものであるコモン・ローマリッジも大筋では同じ理論と解釈できる。
 
 
(2)キリスト教とセクシャリティ(カノン法成立の背景と現代人の結婚観の基本)
 古典カノン法の成立は12世紀である。キリスト教とセクシャリティについてはそれ自体、大きなテーマであるが、カノン法成立の背景としてこの際概観したうえ、現代人の結婚観の基本となっていることを明らかにしたい。
 
 
A 新約聖書における三種類の全く異なった思想
 
 結婚や家族について、新約聖書はかなり異なった三つの思想が併存しているといえる。結婚や家族としての義務に消極的なイエスの使信(終末論的独身主義)、独身が望ましいが仮言命法的に消極的に結婚を是認する真正パウロ(終末論的独身主義)、結婚を肯定し、家庭訓を備え、脱社会的傾向の危険を防ぐためこの世的な社会制度にかかわることを是認する第二パウロ書簡等のことである。3つの思想は相矛盾しているともいえるが、重畳的に理解するならば最大公約数的には、独身者が優位というべきであり、独身聖職者制を揺らがないとしても、一般人の結婚は否定せず、後の秘跡神学にみられるようら善として肯定してもよいということになるだろう。
 

a)婚姻と通常の社会関係に否定的な反(脱)社会思想(イエスの急進的使信)

   
 
  イエスは去勢した人々(マタイ19:12)不妊の女を讃えた(ルカ23:29)また共観福音書には結婚と死を、独身主義と永遠の生命を結びつける思想が示されている[ぺイゲルス1993 57頁]。結婚に否定的な考え方は復活の問答に示されている。夫を失った女性が順次その弟と再婚した場合(レヴィラート婚)復活の際に彼はだれの妻となるのかという問答で、イエスは復活後の人間は天使のような存在になるから結婚関係は問題でなくなるという(マルコ12章18-17節、マタイ22章23-33節、ルカ20章27-40節)。[澤村雅史2017]
○ルカ20章34~35節
イエスは彼らに言われた『この世の子らはめとったり嫁いだりするが、かの世に入って死者のなかから復活するのにふさわしいとみなされる人々は、めとることも嫁ぐこともない。彼らは天使に等しい者であり、復活の子らとして、神の子であるゆえにもはや死ぬことがないからである』」
  またイエスは、すべての所有物を放棄せよ(マルコ10章21節、ルカ12章33節)、家族を捨て、畠を捨てよ(マルコ10章29節)両親・伴侶・子どもに対してであれ、家族の義務を捨てよと信従者に命じた。「‥‥自分の父、母、妻、子供、兄弟、姉妹をさらには自分の生命をも憎まなければ、私の弟子になることはできない」。(ルカ14章26節)。
 このようにイエスは家族の絆を裂き、破壊することを認めた。
○ルカ12章49~53節 
「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。‥‥あなたがたは私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか、否、言っておくが、むしろ分裂である。今から後、ひとつの家族では五人が分裂し、三人が二人と、二人が三人と対立する‥‥」と述べユダヤ人の社会生活のなかでも最も神聖とみなされている家族の義務を退けた。
 このようにイエスの使信は結婚や家族に否定的である。
 
 
b)仮言命法による結婚の消極的是認(真正パウロ-コリント前書7章)
   
  パウロの真筆書簡のなかで結婚やセクシャリティに関して集中的に述べているのは、コリント前書7章1-40節である。(いうまでもなく第一コリント書は54~56年エフェソで書かれた疑う余地のない真正のパウロ書簡である。パウロの名に帰せられている13ないし14書簡のうち、パウロの真筆は、ローマ人への手紙、コリント人への手紙第一、第二の手紙、ガラテヤ人への手紙、フィリピ人への手紙、テサロニケ人への第一の手紙の6書簡とされている。)
  パウロはコリント教会からの質問に答えるかたちで、結婚は淫欲の治療薬(2~5、9節)であるとされ、これは初期スコラ学者によって情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとして公式化されたように、新約聖書を根拠とする結婚の目的の第一として強調してよいと私は考える。
  対抗宗教改革のローマ公教要理でも3つの結婚をする理由づけの一つになっている。
  パウロ自身は独身をもっとも理想的な状態としてとして考えているが(7章8節)、それを万人にあてはめようとはしない。 
  ひとくちでいえば現在終末論的独身主義といえるが、「もし自制できなければ結婚したほうがよい」(7章9節)というように仮言命法で結婚を消極的に肯定している。
 また、妻の身体は夫のもの、夫の身体は妻のもの、義務的性行為と、相手の性的要求を拒んではならないことも言及している。
○Ⅰコリント7章1-5節(田川建三訳)
「‥‥人間にとっては、女に触れない方がよい。しかし淫行(を避ける)ために、それぞれ自分の妻を持つが良い。また女もそれぞれ自分の夫を持つが良い。妻もまた夫に対してそうすべきである。妻は、自分の身体に対して、自分で権限を持っているのではなく、夫が持っている。同様に、夫もまた自分に対して自分が権限を持っているのではなく、妻がもっているのである。互いに相手を拒んではならない。‥‥‥」
○Iコリント7章8-9節(田川建三訳)
結婚していない人および寡婦に対しては、私のように(結婚せずに)いるのがよい、と言っておこう。もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」
   
○Ⅰコリント7章36節
(田川建三訳)
「もしも誰かが自分の処女に対してさまにならないことをしていると思うなら、彼女がすでに十分に成熟しており、かつそうすべきであるのならば、その欲することをなすがよい。それは罪を犯すことにならない。結婚するがよい。」
(新共同訳)
「もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないなと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。」
(バルパロ訳-講談社)
「年頃を過ぎた娘を不面目に思っている人で、何とかとしようと思うなら、心のままにするがよい。それは罪を犯すことではない、結婚させてよい。」
 生殖目的の結婚という位置づけはしていない。これは29節「定められた時は迫っている」、31節「この世の形ある頼りになるものは過ぎ去って消える」[織田昭2007 16頁]としている現在終末論の脈絡から当然のことといえるだろう。
   
c)結婚を肯定し家庭訓を説く(第二パウロ書簡と第一ペトロ書)
      
  パウロの名に帰されているが、文献学的に真筆性が疑われているものを第二パウロ書簡という。エフェソ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への第二の手紙、テモテへの第一、第二、テトスへの手紙、ヘブライ人への手紙である。
  新約聖書のなかでも比較的後期、AD80年から100年前後、パウロ系の教会の弟子筋の筆による偽作と考えられている。
  公同書簡第一ペトロ書は、70年以降の成立で、ペトロによるものではないとするのが有力である。
 後述の異端者ヨウィニアーヌスが発見したⅠテモテ5章14節、へブル13章4節は明確に結婚を肯定している
 また結婚関係による夫婦関係をキリストと教会の関係になぞらえる表現がある。(エぺゾ5章24-25節)
 
○エぺゾ書5章22-25節(田川健三訳)
  すなわち、妻は自分の夫に対して主に対するように(従え)。キリストが教会の頭であるのと同様、男が女の頭なのだ。キリストはまた(教会という)身体の救済者でもあるけれども、教会がキリストに従うようにして、妻はあらゆることについて夫に従え。夫たちよ、妻を愛せ。キリストもまた教会を愛し、教会のためにみずからを引き渡したもうたのだ。
  また正しい、健全な夫婦倫理・家族道徳を論ずる箇所が多くあり、のちにルターによって「家庭訓 」(Haustafel)とと呼ばれた(コロサイ3章18節-4章1節、Ⅰテモテ2章8節-3章1節、6章1-2節、Ⅰペテロ2章18-3章7節など。なおⅠテモテ4章3節は敵対者の教えのなかに結婚の禁止がふくまれていると述べている。)〔澤村雅史2017〕
「家庭訓」の一部
○コロサイ書3:18-20(田川健三訳)
  女たちよ、男たちに従え。それが主にあってふさわしいことである。男たちよ、女たちを愛せ。そして女たちに対してきつく対応してはならない。子どもたちよ。あらゆることについて両親に従え。これが主にあってよく気に入られることである。

  家庭訓は原始教会に由来しないとする説が有力で、ヘレニズムないしヘレニズムユダヤ教の倫理的訓戒・家政論を背景としているが、それとは異なる特徴も指摘されている。
  例えばコロサイ書 の家庭訓においては、当時社会的に弱小・劣者とみなされた妻・子供・奴隷などが、倫理的責任を負う呼びかけの第一対象に位置づけられていること。
  また19節では、妻への命令に続いて夫への勧めが述べられている。「愛しなさい」がヘレニズムでの道徳訓(家政論)には認められないのである。[山内昇2000]
  家庭訓を備える第二パウロ書簡等は、禁欲主義的、急進的なグループに反対し、キリスト教徒が脱社会的傾向に陥る危険に防ぐため、構造・社会制度に積極的にかかわることを勧め、それぞれの社会の場における「主」への従順の実践を促す機能を果たした。
  つまり常識的市民倫理(ペテロ第一2章13-14節は「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが統治者の皇帝であろうと‥‥」とある。)結婚、家庭等、よきこの世性が肯定されているのである。
  真筆性の疑いは決して聖書正典としての価値を毀損する趣旨では全くない。第二パウロ書簡等が正典でなければ、キリスト教は急進的なセクトで終焉してしまい、ローマの公認宗教となり世界宗教に進展しなかっただろうといわれるのである。
(蛇足ながら むしろフェミニスト神学が第二パウロ書簡等の家庭訓を非難し、これは古代道徳で女性が強くなった現代にはあわないと攻撃するのは聖書正典の価値を貶めるものとして非難に値する。 紀元後2世紀には、帝国下ではいたるところで女性が職業に従事し、観劇、スポーツ、コンサート、パーティ社交生活に熱中し、あらゆる種類の運動競技に参加し、武器をとって戦場に赴く者もいた[ペイゲルス1992 122頁] 新約聖書の家庭訓は、当時の女性解放的風潮に反対したことも大きな意義といえるのであり、このことは現代にも通じる。宗教改革500周年の今こそ家庭訓の意義を復権すべきだというのが私の考えである。)
      
      
B 独身優位主義の確定とその決定的な意義

      
  初期キリスト教会は独身を結婚より高く評価する傾向が主流であることは、使徒教父文書より明らかである。 
  4世紀独身者は結婚者よりも聖なる存在ではないと主張したヨウィニアーヌスは、彼は第二パウロ書簡に結婚を明確に肯定する思想を発見した。「‥‥若いやもめは結婚して子を産んでほしい」Ⅰテモテ5章14節「すべての人は結婚を重んずるべきである。また寝床を汚してはならない」へブル13章4節。ヨウィニアーヌスはさらにマリアの処女懐妊に疑問を呈した。
   彼は「現代のエピクロス」と非難され、四大教父の一人で禁欲主義のチャンピオンたるヒエロニムス( 聖人Hieronymus没420年)により徹底的に反駁され、ローマ司教シリキウス(位384~399)によって異端宣告された。
  ヒエロニムスはヨウィニアーヌスが不当にも、真正パウロ書簡コリント前書第7章を無視していることを激しく攻撃した。
  「もし「男性は女性に触れないほうが良い」(Ⅰコリント7章1節)のなら、触れることは悪い‥‥[パウロが唯一結婚を許すのは]、「姦淫の故」(Ⅰコリント7章9節)であって、それはあたかも、「もっとも上等な小麦粉を食べることは良い」ことでであるが、しかし飢えた人が排泄物をむさぼり食うなら大麦を食べても良いというもので‥‥」Jerome Adverrsus Jovinianum[ぺイゲルス1993 205頁]
  聖ヒエロニムスが言う以上、真正パウロ書簡であるコリント前書を無視した議論はナンセンスというのが正統的な解釈なのである。
  後に情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとして公式化されたこともうなづける。
  ヨウィニアーヌスの異端宣告は独身聖職者制に挑戦する者を叩きつぶした点で大きな意義があった。独身者優位主義は、結婚せざる自由を確定し、逆説的に婚姻の自由をもたらしたという観点からも重要なのである
      
C 情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとしての結婚目的は決定的で、婚姻の自由のもっとも重要な根拠である
         
 
  今日、キリスト教の教説において結婚の目的や意義は多義的に用いられているが、古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視したのはコリント前書7章9 節「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらな行為を避けるための結婚、情欲の緩和、情欲という原罪に由来する悪の治療の手段、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。これは初期スコラ学者によって淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である
  性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。[島津一郎1974 240頁]人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚は容易に成立すべきものだったのである。ゆえに結婚は自由でなければならない。
  意思せずとも勃起するように原罪によって性欲は免れられないものである。多くの人は制御不可能であり、それゆえ我慢できないなら結婚しなさいとの勧告である。パウロは我慢を強いるものではないから、婚姻の自由を抑制し婚姻適齢を制限することは、反聖書的なものといえるのである。
   remedium concupiscentiaeは古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(聖人)が特に重視している。結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ・ハイネマン1996 77頁]
  アウグスティヌスは子孫をつくることを結婚目的としたが、パウロのテキストに密着し忠実なのはクリュソストモスである。ゆえにクリュソストモスを評価する。
  私が生殖目的の結婚という趣旨を好まない理由はストア主義者など異教に由来するものと疑っているためである。
  真正パウロ書簡では結婚目的としては「もし自制できなければ」という仮言命法で淫欲の治療薬ぐらいのことしか語っていない。それは当然のことで、終末が切迫している状況においてのことである。
  第二パウロ書簡の意義については既に述べたとおりである。しかしながら真正パウロ書簡、コリント前書の淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeは真筆であるがゆえに、より決定的な意義をもつということは、聖書解釈として正当なものだといわなければならない。
  13世紀 パリ大学の教授だったオーベルニュのギヨームはこう言った。「若くて美しい女と結婚することは望ましい」なぜなら「女を見ても氷のようでいられる」と同毒療法の教説を述べた。
  むろんコリント前書は、コリントが当時ギリシャ最大の産業都市で、神殿売春もさかん(否定説あり)で誘惑の多い都市であったことを背景としているが、真正パウロ書簡のなかで、結婚の意義について主としてふれているのはコリント前書第7章なのであり、結局真正パウロが結婚の目的として示しているのは「情欲の緩和」くらいしかないのであるから、初期スコラ学者がこれを重視したのは全く正当といえる。
  ジャンセニストという禁欲主義者は生殖目的を重視するが、生殖を結婚目的とする思想は先に述べたようにキリスト教固有のものではない。
  トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]とあり、3つの結婚する理由の1つが情欲の緩和となっているだけだが、聖書的根拠が明確なのは第三の理由なのである。
  また、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的に後退しているものの、現代においても軽視されていないのは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。
       
 近代人は「情欲の緩和」とい結婚目的にあまり好意的でないことが少なくない。
  それは近現代社会が中世よりも非暴力的、道徳的に管理されすぎた社会となり、性的にも禁欲的であることが建前となったため、現代人が非常に性的に抑圧とされた生き方をしているためである。古代・中世はそうではなかった。15世紀のフランスではどのような都市でも市営娼家があり上りの料金は職人の日給の八分の一以下の廉価だった。それにもかかわらず強姦は多発し、ふつうの徒弟、商人の子息が通過儀礼的に集団強姦に参加した[フランドラン1992 346頁]。むろん犯罪ではあるが堅気の妻や娘でなければ大目にみられた。
  アウグスティヌスが意思せずとも勃起すると悩んだように、中世では性欲は制御不可能なものという認識であった。それは人間性を正しく理解しているといえるだろう。
 
       
D コリント前書「情欲の緩和」が近代個人主義的友愛結婚の思想的源流でもある
 
 私は初期スコラ学者が公式化した「情欲の緩和」remedium concupiscentiaeが結婚の最も重要な目的・意義と考える。むろん夫婦の相互扶助の意義もあるけれども、パウロは結婚の目的についてそれくらいのことしか言っていないのである。
 淫行という悪事を避けるための結婚というのは目的としては消極的な結婚観ともいえるが、婚姻の自由の根拠となった。「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」(Ⅰコリント7章9節)。我慢する必要はないのである。
 AKB総選挙で結婚宣言し話題となった須藤凜々花がスポーツ新聞記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛じゃない」と語った(報知新聞2017年6月23日)というが、聖書的には正しい。結婚を我慢する必要はないし、パウロの勧告に従って結婚するのは正しい。
 ゆえに教会婚姻法(古典カノン法)は、婚姻に関して儀式も不要、主君や血族の干渉も排除し、婚姻適齢以前に合衾した場合は婚姻が成立するのである。つまり結婚の目的を個人主義的心理的充足のためのものとしたのである。恋愛の結実としての結婚を容認し、それはいわゆる近代個人主義的友愛結婚の理念に継承されていった、それは我が国でも広範な国民から支持されている結婚観念である。
 近代個人主義友愛結婚とは典型的にはミルトンが離婚論で展開した、慰めと平和を得るための結婚といえる。それはミルトン独自の思想ではなく、17世紀イギリス人の一般的な観念でもあった。
 ミルトンにとって結婚とは、アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を」を得るためのものだった。
 ミルトンのいう「交わり」にはもちろん性交も含む概念である。幸福追求の手段としての結婚である。[稲福日出夫1985]
 鈴木繁夫[2015]により敷衍するとミルトンの結婚における第一義的目的とは「神が原初において人間に結婚を命じたとき、その目的は「男と女が適切に楽しく交わり、その交わりによって、男は孤独な生活という害悪に対して慰めをえ、元気づけるため」(『離婚の教義と規律』)であるはずだという。魂のレベルにおける深い知的交流、一緒にいて楽しいという感情的交流、体感の疎通、性器性交のエクスタシーまでを含んだ広い意味での慰めが夫婦の交わりとして、結婚には保証されているというのだ」
 ミルトンは、コリント前書7章9節について、創世記2章18節「神言給ひける人独なねは善からず我彼に適ふ助者を彼のために造らんと」と結びつけ持論に引きつけた特徴的な解釈をとっている。
「私たち皆が知っているとおり、パウロは「情の燃えるよりは結婚する方がよい」といっている。それゆえ、結婚はその悩みの救済策として與えられたものである。しかしこの情が燃えるというのは何を意味するのだろうか。単なる肉欲のうながしや、情欲の刺戟ではないことは確かだ。神は特にそんな獣どもをかえりみたもうことはない。してみると、それはまだ不貞の罪を知らないがまえに、楽園でアダムの心に神が起こされたあの願い-すなわち人が独りでいて情を燃やすのはよくないとみられた神の願い-結婚という楽しい共同生活で、自分の魂にふさわしい魂を備えた別の肉体と結合することによって、冷酷な孤独感を追い払いたいというあの願い-それ以外の何物であろう」
The Doctine and Discipline of Divorce, ChapterⅡ.[西島正1954 163頁]
 ミルトンは貞潔な清教徒であるから遊蕩的なことはない。むろん結婚まで童貞であったはずだ。この解釈は禁欲が前提となってしまたった近代的バリエーションと理解してもよい。結局のところ淫欲からの救済も、孤独からも救済も、個人の心理的充足を第一義とする結婚観であることに相違ないのである。
 ミルトンがアダムとイブから結婚観を組み立てるのはテクニックだろう。秘跡神学のように結婚を花婿キリスト、花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてしまうと、聖なる絆となって離婚論が成り立たなくなるからだろう。しかし夫婦愛を神聖視してる点で大差ないともいえるのである。
 むろん婚姻非解消主義とミルトンの離婚論は大きな違いがあるとはいえ、ミルトンとてコリント前書7:9を引用しているし、クリュソストモスや初期スコラ学者と同じく、生殖を婚姻の主要目的とみなさない点で、思想的には同一の系譜に属するという見方ができるのである。
 つまりキリスト教のこの教説は結婚の第一次的意義が、それは親族を喜ばすためのものでもなく、財産を増やすためでもなければ、世間体としての義務でもなく、当事者の心理的満足のためであるという結婚の意義をふつうのものとしたのである。それは古典カノン法の影響が近代まで濃厚だった英国の婚姻風俗史を検討すれば明らかなことである。なるほど基層文化として婚前交渉のある自由な恋愛風俗は西欧にもアジアにもある、しかし婚姻の法文化で個人主義的目的を第一義とする類例を知らない。
 以上のようにコリント前書第7章に示される「情欲の緩和」「淫欲の治療薬としての結婚」は、近代個人主義的友愛結婚の思想的源流の一つでもあり、現代人の結婚観に通じているものと理解することができる。
 
(3)教会の管轄権となった婚姻と、秘跡神学の進展
   
   
 ラテン的キリスト教世界では、カロリング朝が終焉した10世紀半ばに、世俗権力に対し教権が優位に立つようになり、9世紀に成立した偽イシドルス教令集は偽書であるが、教皇主権の根拠とされた。10世紀には婚姻を教会の霊的裁治権として教会裁判所の管轄権とした。
 また11~12世紀の秘跡神学の進展により、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴として積極的な意義が認められるようになった。1139年ラテラノ公会議で婚姻を基本的に悪ときめつけたカタリ派とアルビ派が異端宣告されたこともあり、スコラ学者は婚姻の秘跡性を明確に説明する必要があったからである。
 花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴というのは、エぺゾ書にも奥義とされているので、もちろん古い思想である。
 枝村茂は、ヴェールかけの儀式について、ローマの婚姻典礼と、童貞女の奉献の典礼との一致を指摘している。婚姻典礼とは婚姻への祝福ではなくなり、花嫁のみの祝福になった。その理由はコリント前書7章11節にある。真正パウロによれば、男性は直接的に神の像であるけれども、女性はそうでない。したがって男は直接的にキリストを象徴し、女は教会を象徴する。したがって婚姻の祝福もヴェールの覆いも女だけ必要である。
 すなわち、キリストに対する妻たる教会の愛と奉仕が、夫に対する妻の愛において象徴的に表されるのである。妻にとっては夫はキリストのかたどりであり、彼女の夫に対する忠実と奉仕はキリストへの間接的奉仕を意味したのである。ヴェールに覆われた花嫁とは、キリストの似姿として純潔なものとして捧げられた女性なのである。童貞女は直接的に、人妻は間接的にキリストに仕えるということである。[枝村1975]
 婚姻成立理論については12世紀中葉までフランス学派の合意主義、シャルトル司教イヴォ(没1116頃)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(1096~1141)、ぺトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)らと、ボローニャ学派のグラティアヌス(没1150?)の合衾主義で論争となったとされる。しかし、私が検討した限りでは、ロンバルドゥスとグラティアヌスとではさほど大きな違いはないようにも思える。決着をつけたのは教皇アレクサンデル3世(位1159~1181)であり、後述するような緩和的合意主義婚姻理論を決定的に採用した。
 合意主義婚姻理論はローマの諾成婚姻理論の継受ともいえる。ローマでは古い時代は、単なる合意だけではなく現実の迎妻の事実も必要とされたが、ユスティニアス帝により当事者の合意によって婚姻が成立するという原則を確立していたのである。
 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっており、12世紀では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実において表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典礼儀式と結びつけられることはなかったので、教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だったのである。
 例えばサン・ヴィクトルのフーゴーは、婚姻論を書いた最初の神学者であるが、非常に合意主義にこだわった立論をしているのが特徴である。婚姻を合意によってお互いに自分自身を相手に対して義務づける夫と妻の合法的生活共同体としたうえで、「彼の見解を要約すれば可見的共同体として-キリストとその教会との一致のかたどり-は夫婦愛と婚姻の人格的関係(res  sacramenti)の表現形態であり、他方この夫婦愛は神と人間との霊的関係を表象する外見的しるし(sacramentum)である。‥‥婚姻のもつ成聖の独自性はの人間に対する神の秘跡としての夫婦愛のなかに見出されるのである。」。このような夫婦愛を神聖視したもう一人の神学者としては13世紀のヘールズのアレキサンデル(1190~1245)の結婚を秘跡として受けた人の恩恵とは愛の霊的一致(unio spiritualis caritatis)という思想をあげることができる。[枝村茂1975]
 ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975]
 また教皇アレクサンデル3世は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージほその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975]
 このように、12世紀の秘跡神学は、婚姻非解消主義の一つの根拠ともなっているが、一方結婚愛や夫婦愛、性交を神聖視したのであり婚姻とは社会的経済的利害関係が第一義ではないとする近代個人主義的友愛結婚のり思想的淵源であったといえる。
 
(4)古典カノン法の成立
 

 

 12世紀中葉、教皇受任裁判が制度化され教皇庁は司法化した。なかでも教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)は活発に働いて今日700ほどの教令が伝来している。これが古典カノン法の基礎になった。
 教会婚姻法とは教皇に上訴された具体的な婚姻事件などについて教皇の教令などを採録した体系的集成のことで、1234年の教皇庁公認の『グレゴリウス9世教令集』に婚姻法関係が全21章166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令であり[直江眞一2014]、同教皇が決定的な意味でパリ学派の合意主義婚姻理論を採用したのである。正確にいえば緩和的合意主義といい、現在形の言葉による約束で婚姻が成立し、合衾(床入り)で完成婚(婚姻の解消しえない絆)となるというもので、合衾以前に二人とも修道生活に入れば離別は可能としている。
 
 12世紀に確立した古典カノン法の最大の特徴は人類史上類例のない婚姻成立が容易な法文化といえることである。
 つまり、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者個人の合意のみで(諾成婚姻理論-形式的要件では二人の証人(俗人でよい)を要するが、理念的には法定婚姻適齢(男14・女12)に達していれば「我れ汝を我が妻とする」「我れ汝を我が夫とする」という相互の現在形の言葉による約束で婚姻は成立する(未来形の言葉の合意の婚姻約束(7歳から可)は合衾した時点で婚姻が成立する)というのはラテン的キリスト教世界の教会法だけなのである。
 (もっとも教皇の免除により政略的な結婚も可能だった。例えばヘンリー2世の娘ジョーン10歳をシチリア王グリエルモ2世の妃にしたのは、皇帝とシチリア王国の同盟を阻止する目的で教皇が熱心に勧めた政略的縁談だった。教皇はオールマイティである。)
 直江眞一[2014]の学説史研究によれば、Ch・ドナヒューは1976年の論文でアレクサンデル3世の法理論の新しさは当事者の合意の強調にあったとした。そのような意味で文明史の方向性を定めた教皇といえるのである。しかし2012年にA・ダノンがドナヒューを批判し、1140年教皇インノケンティウス2世がウィンチェスター司教宛ての教令ですでにパリ学派の合意主義婚姻理論により裁決をしており、アレクサンデル3世登位以前から教皇庁内ではフランス学派の理論の影響があったとしているが、インノケンティウス2世の教令は偽書とする説もあり、決着はついていない。私もこの論文を読んだことがあるが、
 インノケンティウス2世は対立教皇アナクレトゥス2世との厳しい抗争が決着がついたとはいえ、当時の教皇が政治的に不安定であったことを考慮すると偽書の蓋然性が高いとの感想をもった。
 合意主義の理念は我が国でも基本的に継受している。憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」としているがもとをたどれば古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論に由来する。憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識してはいないと思うが、その由来は教皇アレクサンドル3世の教令「ウェニエンス・アド・ノース」の婚姻理念にある。
 補足すると、教皇アレクサンデル3世は教令「ソレト・フレクェンテル」の中で、秘密結婚を契約した当事者たちは呪われるべきだし、結婚の合意は証人の前で交換されねばならないと規定したけれども、こうした要請の遵守を有効な結婚の条件とすることを差し控えた。
 一方教令「クォド・ノービス」の中で結婚は「合理的で合法的な理由があれば」秘密裡に契約しても構わないとした。
 教令「スペル・エオ・ウェロ」の中では、司祭の立会なく、あるいは厳粛さがなくても、現在形の言葉による合意によって契約された結びつきは、完全な拘束力を持つとした。[赤阪俊一2008]
 このように秘密婚に対して批判的な教令と許容的な教令が混在しているのだが、1170年代の教令は無方式合意主義を確定したといわれるのである。
 教会法はローマ法を継受し婚姻適齢を男14歳・女12歳としているが、教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢といえる。
 ちなみに現在のカトリック教会は20世紀にカノン法を廃止し成文法典を定めているが「婚姻は法律上能力を有する者の間で適法に表示された当事者の合意によって成立する。この合意はいかなる人間の力によっても代替されえない」(第1057条1項)[枝村1985]と合意主義婚姻理論を継承しており、婚姻適齢は男16歳女14歳としているものの古典カノン法の理念と本質的には変わってないといえる。
 ではなぜ、グラティアヌスなどの合衾主義は採用されなかったのか。
 第一にヨゼフは許婚者とされるのがならわしだが、サンヴィクトルのフーゴーはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張した。合衾がなくても婚姻が成立するとすれば処女懐胎と矛盾しないのである。[ランケ-ハイネマン1996]
 第二はうがった見方だが、当事者の合意が決定的で、主君や血族のコンセンサスを排除したのは、強制的な結婚を否定することにより修道院に優れた人材を供給するためだったともいわれる。結婚の自由は、結婚せざる自由と裏表の関係にあり、独身主義優位思想が結婚の自由を生んだともいえる。
 第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件上訴による教皇受任裁判(アンスティー事件についてはわが国でも研究されている)の教皇の裁定により教令集に採録されたもので、基層文化として婚前交渉に許容的な北西ヨーロッパに合致していた。結婚において処女性を重視する地中海沿岸地域では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである
 ちなみにアレクサンデル3世は皇帝と長期にわたって闘争し、合意主義の神学者の多いフランスと英国は一貫してアレクサンデルを支持していたので結びつきが強かった。
 第四に合衾(床入り)に証人を求めることが困難な場合があるが、言葉による誓約なら証人の存在により婚姻成立を確定できる。カノン法の証拠法は世俗法に先行した意義を有している。
 合意主義婚姻理論の採用に当たってはペトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)の影響力はいうまでもない。中世最大の教師である、中世の神学部の授業とはロンバルドゥス命題論集の註解なのであり、基本的テクストだった。文明の規範提示者であり、それゆえダンテの『神曲』では最後の審判でキリストに陪席する人物となっている。
 しかしこの文明の規範提示者として決定的には教皇アレクサンデル3世である。前名ロランドゥス・パンティネッリ、教皇庁尚書院長から、1959年教皇に登位した。
 同教皇は教皇首位権の確立のため、不撓不屈の精神で中世屈指の傑物皇帝フリードッヒ・バルバロッサと長期(枢機卿時代から通算して20年以上)にわたって闘争し、ついに1177年ヴェネツィア和約でサンマルコ広場で皇帝を跪かせた。またベケット殉教事件でヘンリー2世をノルマンジーに召喚したことでも知られる。その行政・政治力と頭脳の明晰さは明白である。
 同教皇の教令の特徴は、あくまでも結婚についての自己決定権を重視していることである。これほど自由にこだわったというのは偉大というほかない。
 「自由」の原理は「近代世界の最大の成果」といえるが、しかし、その淵源は、中世カノン法の結婚の自由にあると私は考える。もちろん婚姻非解消主義は自由主義とはいえないが、婚姻成立の要件でこれほど自由な法文化はないと結論できる。人類学では結婚とは社会的承認を意味しているが、そうでない結婚を許容しそれが法文化となった点で人類史上の奇跡である。ゆえに教会婚姻法はかけがえのない文明のレガシーである。
(5)秘密婚をめぐる軋轢、世俗権力との抗争
 中世教会婚姻法の無式合意主義婚姻理論の特徴は、秘密婚を許容し、婚姻成立の要件として、家族間の社会的利害関係がいっさい捨象されていることである。[河原温2001 192頁]
 この問題は古典カノン法成立期から意識されていて1215年第四ラテラノ公会議が合意主義の欠点を補うため婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。それゆえに親権者のコントロールがきかないので世俗の慣習と、対立、軋轢が生じた。
 ゲルマンの慣習法でムント婚とは、女性のムント権(庇護・後見権)保持者である、父より夫にムント権が引き渡されるというものである。そのさいムントシャッツなる婚資が贈与され、初夜の翌朝花嫁は、花婿から「モルゲンガーペ」(朝の贈り物)をもらって正式な妻となった。[赤阪俊一2008]
 しかし教会法は、結婚を人的庇護権の引き渡しとはみなしていない。婚資や嫁資といった世俗の慣習を婚姻に付随する慣習であっても婚姻の成立要件としていない。当事者の合意により成立、合衾により完成婚となり婚姻非解消となる。要件はそれだけなのである。
 英国において教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所であって教会法ではない。土地の相続は世俗裁判所の管轄権のため寡婦産を確定するためである。金貨・銀貨・指輪の授与は花嫁に終身的経済保障するゲルマン法の動産質である。それがウェディングであり、婚姻成立要件そのものではない。
 12世紀イタリアの法学者ヴァカリウスは引き渡し(迎妻式)を婚姻成立で重視する見解をとっていたが、神学者や教会法学者の主流はそうではなく、教会法はそのような要件を定めるものでは全くない。無式の婚姻誓約だけで有効な結婚であった。
 しかし世俗的には婚姻は単に2人の魂の結合である以上に婚資と相続を通じた2つの家系、家産の結合であり、寡婦産の設定などの財産移転をともなう。身分差のある不都合な結婚は、親族集団や姻戚同士の反目を導き、嫡出子の相続の問題を引き起こし世俗社会と大きな軋轢を生じることとなった。
 英国では1236年マートン大評議会で、教会側の強い反対にもかかわらず、世俗貴族は一致して、教会法(古典カノン法)の婚姻遡及効(後の婚姻による嫡出子の準正-アレクサンデル3世の教令ローマ法を継受した)を拒否した。「我々はイングランド法を変更することを欲せず」(Nolumus leges Anglie mutare)と決議したのである。このためイングランドでは、教会法上の準正子は、年長非嫡出子とよばれ、正当な相続人とはみなされなかった。
 直江眞一[1990]によれば、相続に関して教会裁判所の干渉を避けていたのはイギリスだけではなく大陸でも同じことだという。
 結婚は無方式の行為で成立するとした古典カノン法が人類の叡智とはとても思えないとメイトランドは言った。その意味は教会法は事実婚を否定するからだ。先に婚姻約束した者が、真の妻であり夫なのだ。「世界のどの国民でも、恋人たちは現在形と未来形とを正確に使い分けそうにない。中世において婚姻もしくは婚姻らしいものも非常に不安定であった。永年連れ添った男女の仲が致命的な容易さをもって姦通と証明されたり」した。[島津一郎1974 232頁]。
 『第一教令集』収録の教皇アレクサンデル3世が英国ノーリッジ司教に送った教令をメイトランドは引用している。ここに無方式合意主義婚姻理論の何たるかが端的に示されている。
「ある男女が主人の命により相互に受け入れたが、その際には司祭は同席しておらず、英国聖公会が慣用する儀式も行われなかったこと、そして肉体的に結合するまえに、他の男が上記の女と婚姻の挙式を行い、彼女を知ったということを、われわれは貴下の手紙から理解する。我々の回答は次のとおりである。第一の男と女が、一方が他方に対し゛我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛、我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛と述べて、現在に向けられた相互的な合意によって相互に受け入れたならば、その時は前記の儀式が行われなかったとしても、また肉体的交通がなかったとしても、女は最初の男に返還されなければならない。蓋し、このような合意があれば、女は他人と結婚することができず、またはしてはならないからである。しかしながら前記の言葉による合意がなかったならば、また将来の〔言葉による〕合意ののちに性結合が結ばれなかったならば、その時に女は、無のちに彼女を受けいれ、彼女を知った第二の男に委ねなければならない。」
[島津一郎1974 230頁]
 メイトランドにかぎらず、近代人は男女が握手し婚姻約束をしたならば、一生離れられない絆になるという、誘拐しても合意すれば有効な結婚だという諾成婚姻理論を非難する。しかし私は公平な立場で、むしろ世俗権力と数世紀にわたった結婚の自由のために抗争した教会法の理念こそ価値を認めるものである。この婚姻理論を提示したなぜならば神学者に対する敬意と信用による。
(6)トレント公会議で要式主義へ転化したが親の同意要件は一貫して否定
 ローマカトリック教会はカノン法の無式合意主義が秘密婚と誘拐婚の温床となっているとの非難をかわすため1563 年トリエント公会議閉幕年の第24 総会で婚姻法改正が採択し、新たに教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである。[滝澤聡子2005]ただし56人の司教が伝統的な教義に固執し反対している。[ロングレイ1967]
 もっとも婚姻意思の合致を婚姻の本質的要件としていることは古典カノン法と変わりない。 
 ただし、婚姻の有効成立要件として「教会の面前での挙式」を無効制裁の措置をもって義務付けた。すなわち教会の権威と名において立合う職務上の承認としてカトリックの役務者の二人の単純証人の面前での挙式と合意表明を義務付けた。これを「フォノマ・カノニカ」といいカトリックにおける独特な法規である。[枝村茂1985]
 つまり無方式婚も真の婚姻であり秘跡であるが、婚姻のもつ社会的本性面から公的契約とみなし、契約であるかぎり公共善のために阻止できる体裁を整えたのである。
 公会議のもう一つの措置は、婚姻公告に関するものである。以後においては、婚姻に先立って婚姻当事者の所属の主任司祭によって行われる教区のミサでの説教に際して、つづけて三回の日曜に三度公告がなされる。また聖職者は婚姻登録簿を管理する義務を負う。
 挙式と婚姻公告の義務づけは大きな方針転換といえるが、しかしながらトリエント公会議はガリカニスムのフランスから親の同意を欠く場合に婚姻を無効とする障害とみなすべきという主張を断固として拒否した。
 フランスでは親の同意要件のない教会法のために、貴族は身分違いの婚姻を回避することに汲々とし、貴族の婚姻は国王の同意を要したが、国王の意に沿わない婚姻がなされることで王権のメンツがつぶされたという事情があった。しかしこれは神学的に受けいれられるものでない。
 トレント公会議の信奉者は「家子にたいして婚姻は親の同意なしには無効な契約であると誤って主張するもの」と破門の宣告をして応酬したのである。[ロングレイ1967]
 とはいえ、トレント公会議の要式主義は、古典カノン法の自由な婚姻より明らかに後退したといえる。
(7) フランス-教会婚姻法から離反(婚姻法の還俗化)の嚆矢
 トレント公会議が親権者の同意要件を断固拒否したことは、決定的な対立となった。急先鋒は、ガリカニスムのフランスであった。
 中世フランス慣習法地域の成人年齢は平民で男子14歳、女子12歳、貴族で男子21歳、女子15歳であった。「フランスには父権は存在しない」という法諺もあるくらいである。[田中通裕1987]
 しかし15世紀以降フランス王権は、社会秩序を維持するため、父権の強化を図り、成人年齢は男女とも25歳となった。
 フランス国王アンリ2世は、教会の管轄権である婚姻制度に介入して、1556年「婚姻に関する王示」により、男子30歳、女子25歳という高めの成人年齢を設定したうえ、未成年の婚姻における親の同意を強制し、これが婚姻法の還俗化の嚆矢となる。
 その第1条は「肉欲ゆえに慎みもないふしだらな婚姻が日常的に行われ、父母の希望または同意もなく、また父母の希望に反して、本人同士で婚姻を誓い合い困ったものだという苦情が国王裁判所に寄せられている。こうした婚姻は守るべき礼儀を欠き、遺憾であり、困惑をもたらすものである。これまでも法令は神への畏敬と父母への礼儀に反することなきよう命じてきたが、こうした悪弊が止まず、かえって増えており、ここに規則を定める」とし「父母の意向に反し、法令に反し、神の掟に反し、法と公序に反するものは、隠避婚姻」であり第2条「かかる婚姻をした者、しようとしたものは相続から廃除」するとした。[小梁吉章2015],
 1579 年 5 月のブロワ王令,1629年 1 月のミショー法典、1639 年 11 月の「婚姻の手続に関する」国王宣言、1697 年 3 月の「婚姻の手続に関する規則を定めた」王令などでは,未成 年者の結婚について,アンリ2 世の定めた成人年齢をそのまま踏襲しつつ, さらに「この年齢を過ぎても子供は両親に意見を求める義務があること」「両親の同意なしに結婚した未成年者に対しては,民事上の制裁のみならず刑事上の制裁も加えられるべきこと」が定められている。
 1579年のブロワ王令は誘惑=誘拐罪を死刑をもって罰するとしたほか、婚姻の要件として、トレント公会議と類似しているが4人の証人の面前で主任司祭による宗教的挙式と3回の予備的広告を強制することとした。[ロングレイ1967]
 こうしてフランスでは教会の役割は王令にもとずく挙式等の執行と、婚姻登録簿の保管だけになった。
 このように、フランスは、秘密婚や身分差のある結婚を防止し、父権が強化され、結婚は親権者のコントロールのもとにおくものとしたのである。
 フランスを嚆矢として婚姻法の還俗化さらに民事婚化が緩慢ではあるが近代の流れとなった。それは教権側が、親の同意要件の要求に対し妥協しなかったことと関連している。 
 トレント公会議は、親の同意要件を否定したとはいえ、婚姻予告や挙式婚の義務化は自由な婚姻理念からは後退したものと評価できる。結婚を良い意味でも悪い意味でも世間体を重んじる結婚に変化させた。それを道徳化といってもよいが、いずれにせよ大陸では無式合意主義の秘密婚容認時代は終焉するのである。ところが英国では事情が異なる。
 

(8)イギリス-宗教改革後も無式合意主義(古典カノン法)が生ける法として継続
A 古典カノン法が近代まで生ける法だったイギリスの特筆すべき法文化
 
 対照的に宗教改革後、近代まで古典カノン法が生ける法として継続したのがイギリスである。イギリスでは10世紀ごろから、婚姻と遺言による動産処分が教会裁判所の管轄権であり、13世紀に聖俗裁判所の役割分担が画定した。
 そもそも遺言というのは、「父と子と聖霊の名において」作成され、死後の幸福と安寧のためのものだったから宗教的な性格を有するものだった。動産のなかで最良のもの一つ(騎士なら馬)を墓所のある教会に遺贈するのが慣例である。遺贈財産に余裕があれば修道士に遺贈したり、橋の修復などの慈善事業が好まれた。中世の人々は死後の幸福のために遺産を残し、教会に献上されていたのである。
 教皇アレクサンデル3世は、ハドリアヌス4世(史上唯一の英国人教皇)の指名した後継者であったことから、英国は当初から支持基盤であり、友好関係を維持していた。
 クラレンドン法でヘンリー2世と教皇が対立したことはよく知られているが、近年の研究で英国では婚姻事件で活発な教皇上訴が行われており[苑田亜矢1997、2000]上訴が多かったのは反ベケット派巨頭ギルバート・フォリエットのいたロンドン司教座であり、反ベケット派は教権と王権のいずれも尊重する立場にあったこと。合意主義を確定したアンスティー事件も英国の事件であること。英国で採録された教令の多くがカノン法となっていること。そもそもアングリカン教会と命名したのが教皇アレクサンドル3世であること。
 13世紀においてジョン王は英国とアイルランドの国土を教皇に献上し、長期にわたって受封料を確実に支払っていた。近年の研究によりマグナカルタは反教皇文書ではなく、むしろ教皇とともに歩むことを確認したものとみなされている。事実上、中世高期の英国は国王と教皇の共同統治国家であったのである。
 したがってメイトランドがまさしく言ったように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。
 とはいえヘンリー8世の宗教改革によりローマカトリックを離脱した。にもかかわらず教会裁判所は聖職者から市民法律家に入れ替わったが実務はそのまま継承され、トリエント公会議の要式主義を受容することはなく、古典カノン法の無式合意主義婚姻理論が、そのまま「古き婚姻約束の法」「コモンローマリッジ」として居酒屋など俗人の立ち合いのもとに、婚姻誓約がなされれば容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。
 イングランドで議会制定法により秘密婚を防止するため中世教会婚姻法を無効としたのが1753年のハードウィック卿法である。フランスより200年遅れた婚姻法の還俗化だった。         スコットランドはその後も生ける法であった。また英国では家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である。
 したがってイギリスは古典カノン法の自由な結婚理念が近代まで色濃く継承されたのであり、法制史的に特筆してよい事柄である。
 秘跡神学は、結婚をキリストと教会の一致を象徴するものとして秘跡とし、夫婦愛をキリストと教会の結合に比擬してその価値を高めたが、男女の愛情を精神的なもののなかでも至上のものとし概念と結婚を結びつける願望の風潮はイギリスで一番早く受容された[社本時子1999 131頁]。
 古典カノン法が自由な結婚を擁護した中世の一例として、ノーフォーク州の名家パストン家書簡集にある1469年の長女マージョリー20歳と家令リチャード・コール30歳代の秘密結婚を挙げることができる。二人は結婚を誓ったが、引き離されてしまった。
リチャード・コールからマージョリーへの手紙
「私の愛しいお嬢様、そして神の御前では真実の妻である貴女に‥‥‥一緒に暮らす権利のもっともあるはずの私たちがもっとも離れているのですから。最後に貴女と言葉を交わしてから一千年もたったように思います。私は世界中すべての富を手に入れるより貴女と一緒にいたいと思います‥‥」
 身分違いの結婚で家族は許さなかった。結婚するならば、貧しい蝋燭売りに身を落とすしかなかった。しかしコールの求めによってノーリッジ司教は仲裁にのりだし、二人が交わした結婚の誓いの言葉が有効とされ、結婚式も執り行われた。[社本時子1999 142頁]
 このように身分差のある周囲が望まない結婚であっても、教会法を盾として自由な結婚がなされたことは特筆してよい法文化といえるのである。
 
B 秘密婚の隆盛(17世紀より18世紀前半のイギリス)
 (1604年教会法は挙式婚を正規の結婚と定め21歳未満の親の同意を要件としたが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた)

  英国においても握手結婚(男女は握手して婚姻誓約をするのが慣例)つまり秘密婚の弊害は意識されていて、1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。
 当時の教会裁判所実務については栗原正人[1991]が、名誉革命後の権威書であった ヘンリ・スィンバーンH.Swinburne(1551~1624)の「婚姻約束もしくは婚姻契約論」A  Treatise on Spousals or Matrimonial Contractsを検討している。
 同書は1686年に出版され、1711年重版となっているが、婚姻適齢について、7歳以上は「将来形の婚姻約束」ができる。法廷婚姻適齢は男子14歳、女子12歳であり「現在形の婚姻約束」によって婚姻が成立する。「『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』というような現在形の言葉を用いてなされた婚姻約束を結ぶ男女は、いかなる合意によってもこの婚姻約束を解消しえないし、実体の点でも夫婦そのものとみなされ、婚姻の解消しえない絆があるとみなされる。従って、彼らのいずれかが実際に第三者と結婚式を挙げ、その人と肉体関係を結び、子供ができたとしても、この婚姻は不法なものとして解消され、結婚した当事者は姦通者として罰せられる。その理由は、これは将来の行動の約束ではなく、現在の完全なる合意だからである。この合意だけが公けの挙式も肉体関係もなしに婚姻を創設する。公の挙式も肉体関係も婚姻の本質ではなく、合意こそが婚姻の本質なのである。現在時制の言葉によってこのように完全に保証された男女が神の前での夫婦である」
 この内容は、合意主義婚姻理論そのものであり、先に引用した、12世紀の教皇アレクサンデル3世のノーリッジ司教宛ての教令とも似ている。
 この権威書はイングランド婚姻法=古き婚姻約束の法=コモン・ローマリッジが、古典カノン法そのものだったという証拠であると考える。
 古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなった。親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。主教(司教)の統治の及ばない、特別教区、特権教会の特権は12世紀のアレクサンデル3世の教令に由来する。理論上は教皇の直轄なのでカノン法がそのまま適用されるということである。
 1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の三は秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が婚姻予告を嫌い、教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していった。
 結局秘密婚を防止するためには、婚姻法の還俗化以外に手段はなかったのである。
C 1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化

 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)は、フリート街のの居酒屋等における聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効としたものであり、死文化した1604年法をあらためて、世俗議会制定法としたものである。
 フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b]  
              
D グレトナ・グリーン結婚(18世紀中葉から19世紀中葉)-それでも自由な結婚が有効だった
 
 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。
 このため未成年者で親の同意のないケース、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に続々と結婚媒介所が営業するようになった。グレトナ、グリーンは西海岸で、東海岸ではコールドストリームが有名だが、スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚と言う。
 立ち会う牧師は元は鍛冶屋などの職人、いかさま牧師である。結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃えるカップルが胸を轟かせスコットランドを目指すロマンチックな風俗は、恋に恋する乙女たちの憧れとなり、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。このために、グレトナ・グリーンは純粋な恋愛結婚の聖地とされるのである。西洋結婚風俗史のハイライトといえるだろう。[加藤東知1927、岩井託子1996a]
 語り継がれる華麗な駆け落ち婚について一例のみ引用する。1782年スキャンダルの元祖といわれる銀行家チャイルド家一人娘セアラ・アン15歳と金欠貴族ウェスモランド伯爵の駆け落ちである。ロンドンのメイフェアからスコットランドまで凄まじい追跡劇となり、銃で馬を撃ち合い、四頭馬車が、三頭になったが無事スコットランドに越境して結婚した。その孫娘のアディラ19歳も1843年士官と駆け落ちし、グレトナで結婚している。この時代は馬車でなく鉄道であった。[岩井託子2002 83頁]
 グレトナ・グリーン結婚の斜陽化は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。決定的には1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。
 要するにイングランド人は、19世紀の半ばまで、古典カノン法が生きていたので、未成年であっても親の同意の必要ない自由な結婚が可能だった。
 ペトルス・ロンバルドゥスの理論や、教皇アレクサンデル3世の教令が、そのまま近代まで生きていた。英米の法文化で結婚は自由でなければならないというのは、このような歴史をふまえてのことである。英国は1929年の年齢法で婚姻適齢はコモンロー男子14歳、女子12歳から、男女とも16歳となった。スコットランドも婚姻適齢は男女とも16歳だが、未成年者でも親の同意要件はない。というのは、スコットランド改革教会が、トレント公会議を嫌って、要式化を否定し、古典カノン法を墨守したという歴史的背景から理解することができるだろう。

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 1996『カトリック教会と性の歴史』三交社

山内昇

2000「新約聖書の倫理 : 家庭訓(コロ 3 : 18-4 : 1)を中心としてNew Testament Ethics : The Haustafel in Colossians 3 : 18-4 : 1」紀要3 東京神学大学【ネット公開】

フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ/有地亨訳

1967「フランス家族の成立過程 : フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ著"Le precede de la formation de la famille francaise" : F. Jouon des Longrais」法政研究 34(1) 【ネット公開】

渡邊昭五

2004『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004

ウェブサイトからの引用

1 Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016

2 ニュースの穴 女性の婚姻適齢が改正で18歳に引き上げへ 早ければ2021年にも施行 

2017-02-08

3 ニューヨークタイムズ記事「 Its Legal for 14-Year-Olds to Marry. Should It Be? By LISA W. FODERAROMARCH 13, 2017

4 CBSN.Y.2ch記事「 Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To MarryFebruary 14, 2017 10:58 PM

5 WMUR-TV記事「NH House rejects bill to raise minimum marriage age to 18

Existing law allows 13-year-old girls, 14-year-old boys to marry with parental, court approval Updated: 10:56 PM EST Mar 9, 2017

6 PDF http://nownyc.org/wp-content/uploads/2016/02/Factsheet.pdf

7PDF「諸外国における成年年齢等の調査結果」ttp://www.moj.go.jp/content/000012471.pdf

ユタ州経済 近隣諸州より好調維持

http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/eb4e275ac3ec0f8a79b4614e9309e147

 

2017/05/28

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)16・17歳女子に求婚し結婚した偉人たち

三. 婚姻の自由の抑制に強く反対
(一)16・17歳女子に求婚し結婚した偉人たち
 
 政府の法改正案は、たんに16・17歳女子の婚姻資格はく奪というだけではない。男性にとっても16・17歳女子に求婚し結婚する権利をはく奪するものである。これは男性にとってもかなり痛い権利喪失になる。
 1998年タレントの高橋ジョージが24歳年下の16歳三船美佳と結婚したことはこれまでは正当だった、2015年離婚したとは言え、長年鴛鴦夫婦としてよく知られていた。三船美佳もタレントとして成功している。法改正されれば今後はこのような結婚は非行となり、袋たたきになる可能性がある。経過的内縁関係は可能かもしれないが、法律婚が否定される以上、建前として未成年者との同棲も白眼視されるからである。
 しかし16・17歳女子と結婚ないし婚約した偉人は決してすくなくないし、いずれも歴史上の大人物である。したがって16・17歳に求婚する男性をバッシングとしなければならないというなら、以下の偉人の業績も否定しなければならないことになる。それは全く理不尽である。
1.ジョン・ミルトンの初婚の女性メアリー・パウエル16歳〔17歳とも〕
 
  ジょン・ミルトン(John Milton, 1608~ 1674)は、長編叙事詩『失楽園』や『言論の自由』などの散文で著名である。ミルトンが33歳の時、16歳の美女メアリー・パウエルと結婚した。〔平井正穂1958、ただし17歳とする論文も多い]性格の不一致で『離婚論』執筆の動機となった女性として知られている(死別)。
 
2.コトン・マザーの初婚の女性アビゲイル・ フィリップス16歳
 
  植民地移住第三世代の宗教指導者コトン・マザー(Cotton Mather, 1663~1728)は23歳の時アビゲイル・ フィリップス(Abigal Philips, 1670~1702)16歳を妻に迎えている。彼女は16年間で11人の子供を出産したが、31歳で死亡したときに生き残っていた子供は4人だけだった。
  当時のニューイングランド清教徒の社会は、早婚・多産・多死型で、女性は結婚して閉経まで約26ヶ月に1度、平均10回前後、出産 を繰り返していたという。[佐藤哲也2012]
 
  3.エマーソンの初婚の女性エレン・ルイザ・タッカー〈17歳で婚約、18歳で結婚〉
 
  エマーソン(Ralph Waldo Emerson、1803~1882年)は自恃の精神を説く超絶主義哲学者であり、アメリカ最大の思想家ともいわれる。初婚の女性エレン・ルイザ・タッカーは、婚約時17歳だった。
  エマーソンは1828年12月24日付の兄ウィリアム宛の書信で次のように婚約の喜びを率直に語っている。
  「‥彼女は、並み居るお嬢さんの中でも申し分なく美しく立派な方です。‥‥彼女は17歳で、誰でもその美しさにかけては異論はなく、彼女の感性はデリケートで高貴です。私はお兄さんに彼女と会っていただければと思うのです」
  婚約ののち、エマーソンはボストン第二教会の牧師という公職を得た。しかし彼女は婚約後結核と判明したのである。喀血する病人となったにもかかわらず結婚。南部へ転地旅行の甲斐なく彼女は20歳で死亡、悲しみのあまり墓を掘り返したというエピソードが知られている。
  エマーソンの結婚について舟橋雄氏は次のようにコメントした「学者の結婚ばかり危かしいものはない。浮世をよそに学問に没頭して、値打ちのないものを高く評価する。ミルトンの失敗にもなお懲りず、ウェスリの殷鑑をも顧みず、無論彼等の妻のような悪妻でないにしても、みすみす病者を妻としようとするエマソンの高潔さもことによりけりである。」
{市川尚久1994 70~72p}
 
  (なお舟橋の言及するメゾジスト運動の指導者であるジョンウェスレー(John Wesley、1703~ 1791)ははジョージア伝道の際、現地のフィア・ホブキー (Sophia Hopkey) との恋愛事件を起こしている。彼女は18歳で親密となったが、ウェスレーは伝道者としてパウロのように独身聖職者でいたいとの気持ちもあり、煮え切らなかったため彼女は突然別の男性と結婚した。ウェスレーは牧師として彼女を陪餐停止処分にした 。彼女の夫から名誉毀損で訴えられ逮捕された。このためにジョージア伝道を撤退したのである。〉
 
  4.ジョン・マーシャル・ハーラン判事の妻マルビナ・シャンクリン16歳で求婚
  John Marshall Harlan ( 1833~1911合衆国最高裁判事就任は1877)は、列車座席の黒白分離を合憲としたプレッシー対ファーガソンPLESSY v. FERGUSON, (1896)判決で、ただ一人、強硬な反対意見を記し、「わが憲法は色盲である」と言ったことでり「偉大な少数反対意見裁判官」と称される、黒人解放の先駆者であるが、旅行中に出会った16歳のマルビナ・シャンクリンに求婚し2年後に結婚している。良妻であり内助の功のある妻としてエピソードが知られている。[桜田勝義1973]
 
  以上、いずれも英米の事例であるが、コモンローの婚姻適齢は男14歳女12歳であり、これはローマ法や中世教会婚姻法も同じであるから、16~17歳の結婚はもちろん合法である。これほど偉大な人物の業績を否定することはだれもできないのであるから、英米では16歳で結婚可能な婚姻法制であるともいえるのである。
 

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理

二 .成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理

 

今回の民法731条改正は、1996年法制審議会手答申を下敷きにしているものの、ひとつ違うのは、当時は20歳成人年齢が前提だったが、今回は、成人年齢18歳引き下げに伴う法改正で、この際、成人年齢と婚姻適齢を一致させ、成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止するというものである。

 成人年齢が18歳に引下げられる以上、18・19歳の同意要件は不要ということについて異議はないが、私の修正案は、男女を問わず配偶者が18歳以上なら、16歳以上で結婚可能とする案であり、形式的平等を達成しつつ、現行法制どおり、16・17歳女子も結婚を可能として婚姻資格剥奪という野蛮はやめ、十分配慮のいきとどいたものにしようというものであり、成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止しないというものである。

 民法学者に多いのが、成人擬制と親権者の同意要件を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的という見解であるが、私は大反対である。

 シンプルだからいいなどいうのは暴論である。未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。一定の未成年者は、一定の事項について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきであるということしは一般論として認められる議論であり、婚姻の権利については、個人の幸福追求に不可欠な意義を有するものであり、成年擬制制度もこれまで問題を生じることなくつづいてきたことであるから、なおさら重視されなければならない。以下、その理由を記す。

 

 (一) 45州の成人年齢が18歳であるアメリカ合衆国にも成年擬制制度がある

 

 アメリカでは1971年の憲法修正26条1項で「18歳以上の合衆国市民の投票権は、合衆国または州により、年齢を理由として剥奪、制約されない」と定められているためが、成人年齢は統一化されてない。

米国の成人年齢は45州が18歳、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。コモンローの21歳を墨守している州もあり、選挙年齢と成人年齢が違っていても別によいわけである。

もちろん婚姻適齢と選挙権は別の問題であり、すでに述べたように米国では16歳を婚姻適齢とする州が三分の二以上を占めるが、16歳未満でも裁判所の承認等により未成年者でも結婚は可能としている州が多い。

 

 すでに述べたように米国では16歳を婚姻適齢とする州が三分の二以上を占めるが、16歳未満でも裁判所の承認等により未成年者でも結婚は可能としている州が多い。

 米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度があるのである。

婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うのである。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水2017

 したがって、米国の立法例からみて成人を18歳に下げても婚姻による成年擬制があって当然よいのである。

 

 

(二)伝統的には成人年齢と成熟年齢は違う

 

 法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。婚姻適齢や証拠法上の証人は、成年より低い年齢を設定している。ローマ法も同様の規定である。

 

 (三)16歳で大人扱いするスコットランド法

 

現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たない範疇をminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]

 スコットランド法の特徴は、16歳であらゆる契約締結能力をもたせており、12歳以上で遺言の作成、弁護士に代理を支持する能力を持つとする。スコットランドでは男女とも親の同意要件なく婚姻適齢であることはすでに述べたとおりである。

 これは婚姻に親の同意要件を認めない古典カノン法がが「古き婚姻約束の法」として近代まで生ける法だった伝統に由来するものと思われる。グレトナ・グリーン結婚の結婚風俗で知られるとおの婚姻の自由の聖地としての国の誇りを看取することができる。

 

  (四)16歳未満がchild1617歳のyaungと明らかに区別するイングランド法

 イングランドにおいては同じ未成年であっても16歳未満がchild1617歳のyaung

personでは明確な線引きがあるのが特徴である。

 有効な意思確認は12歳以上、ヘッドギアなしの乗馬14歳以上、婚姻16歳以上(親の同意要、スクーターの運転16歳以上、避妊ピルの購入16歳以上、宝くじの購入16歳以上、オートバイ、自動車の運転17歳以上、飲酒は購入が18歳以上だが、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上となっている。[田巻2017

 なお、イングランドは義務教育が16歳までであるから、婚姻適齢と重なる。私は英国の制度が必ずしも良いとは思ってないが婚姻適齢についは妥当であると考える。児童福祉法の定義で18歳未満はすべて子どもでなければならないというような、我が国にみられる考え方が杓子定規である。

 

(五)成人年齢でなにもかも一元化するのは不合理

 

 我が国の伝統社会(中世以降の臈次情合成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。

 なお、多くの人が誤解していることであるが。元服式とは、本質的には父の地位の継承者であることを明らかにする儀式であり、添(副)臥のような性行為がなされ、そのまま妻となることもあったが、平安中期以降、貴族の元服叙爵が低年齢化ししたことをもって成人年齢が引き下がったとみるべきではない。

 わが国の元服儀礼は、天皇とその周辺から政治的社会的地位の確立過程で出現したものである。

位階は王権との距離をあらわし本来律令では臣君に仕えて忠をつくし功を積んでから授与されるものであった。

  令性の蔭位資格者は、五位以上の子に限り21歳で、蔭位の特権のない者は初叙年齢25歳以上、この位階授与原理は8世紀には遵守され、勅授すら21歳にほぼ蔭位どおりに授与され、祥瑞出現の特例でも20歳だった。

 令制の本来のあり方では21歳以上が今日でいう成人の概念にあたるとみてよいだろう

 一方、戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)が婚姻適齢であることはすでにのべたとおりであり、それが成人年齢ではない以上、成人と婚姻は別の問題とすべきであろう。

  元服と叙位は別であるという原則が破られのは9世紀末期以降である。 

藤原時平は仁和二年(886)正月二日仁寿殿において「天皇手ずから冠をとって」元服儀礼が行われると同時に正五位下に叙位(初叙叙爵)がなされた。位記には「名父の子、功臣の嫡」と叙位理由が記載され、こののち元服儀礼は父の功績、政治的社会的地位の父子継承表明の性格が濃厚なものとなるのである[服藤早苗1991]

 

 

  適切な例とはいえないが例えば映画の観覧制限はもともと成人年齢とは関係ない、ピンク映画は18歳未満観覧制限だが、PG12指定、R15指定と段階があるはず。そうした事例からしても成人・未成人の線引きを明確にすることにこだわる理由はない。

 米国では証拠法や医療などで「成熟した未成年者の法理」がある。成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者の権利能力をことさら否定し子供扱いすることは全く不当といえるのである。

 私の提案は、未成年者の結婚は親権者の同意要件を継続させるというもので、未成年者のオートノミー・自己決定を重視しすぎるものではないから穏当なものであると思う。

 

(五)法律家だけでなく、発達心理学的見地、精神医学、人間学的洞察の必要性

 

  結婚の権利のはく奪という深刻な問題に際しては、法律家だけでなく発達心理学、精神医学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分とて認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。

  今回の改正案は性的に早熟な女子に対する敵意が看取できるが、性的に乱交傾向のある少女は、性的同一性の発達課題からみるべきであって、相手を独占できる結婚は情緒的に安定するので、結婚という選択肢を否定するのは酷である。

  特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法定め相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。

  また農山村や離島において今なお古風な婚姻慣習がなされている可能性はあり、民法は国民全体に適合的なものでなければならない。

 

 (六)18歳未満の第二級市民化のおそれ

 

 さらに18歳での一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すということである。18才未満は憲法上の権利を享受しえない、第二級国民に貶められる危険性である。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のJKビジネス就労規制、セクスティング規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、死語となったはずの桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを強く懸念する。恐ろしい時代になりかねない。18歳以上は大人、未満は子供なので無権利でいいという極端な合理主義的思考に反対する。

  歴史的にみても1617歳の女子は性的に成熟し婚姻にふさわしい年齢であったはずである。(前掲 補遺参照)

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)(補遺)我が国の婚姻慣習・習俗からみても女子18歳は不当に高すぎる年齢だ

 

(1)「女の盛りなるは、十四五六歳‥‥」

 

後白河法皇が編者の歌謡集『梁塵秘抄』(1180年頃)巻二394番「女の盛りなるは、十四五六歳、廿三四とかや、三十四五にし成りぬけば、紅葉の下葉に異ならず」は歌謡研究者にはあまりにも有名な今様だが、結婚適齢期の女ざかりは1416歳とするのである。[渡邊2004 165]。もっとも民謡では十七八歳が女ざかりとするものが多いとされる[植木1999]。女の肉体の輝きを謳歌するのは数え年なので1617歳といえるのである。

 

2)民間習俗では裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝等が女子の婚姻資格を取得する通過儀礼

 

民間の習俗としては、子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。端的にいえば赤い腰巻を着用した娘は成女であり、早乙女が赤い腰巻をチラリとみせるのが日本的エロティシズムの原風景であり、それは娘が婚姻資格のある一人前の女となったことの誇示を意味していた。中世の武家は9歳で鉄漿つけ、眉毛を抜いて元服をしたというが、17世紀頃は、「十三鉄漿つけ」の語の伝存するように、満年齢の1112歳初潮をみるころが折目とみられる。十三参り、十三祝は初潮をみての縁起習俗とみられる[渡邊2004 142-143]。成女式は徳川時代よりおよそ1314歳とみられる、徳川時代の皇族の裳着は16歳、近代の対馬の成女式が17歳とされ比較的高い年齢といえる。歌垣など集団見合いの土俗などは古くから知られいることである。

  従って1617歳女子は女さかりとして肉体の輝く時期であり古くより成熟した年齢であり結婚するに相応しい、婚姻適応力のある年齢とされてきたのである。

 

3)江戸の三美人の年齢

 

 江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鍵屋は父親の五兵衛が建てた単にお茶と菓子を出すだけの純喫茶、社務所直営の健全な水茶屋であるから、講談などの色恋沙汰は創作なのであって、本物の清純派アイドルといえる。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。

お仙は11~12歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。

要するにアイドルとしては13歳ころから評判となり、人気絶頂の19歳で引退とであるる

 寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、両国薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは両国米沢町の煎餅屋の内儀であり、おきたより1歳年長だった。従って寛政の三美人とは16~17歳である。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。[佐藤要人1993

 従って娘盛りは16~17歳という認識をもってよいと思う。

 幕府の人口政策で農村からの流入を防止したので、江戸は幕末・維新期には男女同じ比率となっていた。大坂は大店が大量の未婚の奉公人を長期に抱え込んでいたのに対し、江戸では未婚の奉公人は、独立自営者となるケースが多く、幕末から明治の東京は結婚しやすい都市だったと考えられる。

 

4)明治前期の東京は早婚で離婚率も高かった

 

 江戸および明治東京の庶民史研究者の小木新造氏(元江戸東京博物館長)によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している[小木1979 287330頁]

 

 明治民法(明治31年、1898年施行)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

 松村操『東京穴探』明治14年によると、東京の中等以上の資産を有する者の子女は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とある。

 

 

東京現住結婚年齢者対象表

『東京府統計書』

明治17年

       男    女

14年以下   11  128

15年以上  604 2740

20年以上 1880 2691

25年以上 2679 1496

30年以上 1607  811

35年以上  871  442

40年以上  略    略

 小木前掲書309頁

 この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈はぼ実態に即したものといえる。

 また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。

 

5)東京におやいて娘盛りとは15歳から17歳であったという決定的証拠

 

 小木新造は東京における娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。

これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は

13歳  5人

14歳 11人

15歳 24人

16歳 19人

17歳 31人

18歳  2人

19歳  5人

20歳  0人

21歳  1人

 小木前掲書310頁以下

 98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。

 15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって女性がもっも魅力的な16~17歳が婚姻適齢から外すことは自然に反したものであり18歳に引き上げることは適切なものではない。

文献表(引用・参考)

赤阪俊一

2008「教会法における結婚」Marriage in the Canon Law埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 8

荒井献

1988『新約聖書の女性観』岩波書店

石崎泰助

1975「秘跡概念の発展についての一考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 3521

石田尚

1988『実体的適法手続』大学図書

 

泉ひさ

1975「結婚の意義と条件--心理学的調査及び考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25317

市川尚久

1994『エマソンとその時代』玉川大学出版部

稲福日出夫

1985<論説>ミルトンの離婚論 : 法思想史におけるその位置づけ」<Article>Milton's Idea on Divorce : Its Significance in the History of Legal Thoughts同志社法學 371/2号【ネット公開】

岩井託子 

1996a「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(1)  中京大学文学部紀要 31288

1996b 「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(2)」中京大学文学部紀要 313434 34

1997「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(5)第三部描かれたグレトナ婚三」 中京大学文学部紀要 32([英文学科]特別号) 1

1999a「グレトナ・グリーン 英国随一の結婚式場(8)第二部 さまざまなエピソード(2)駆け落ちカップル()華麗なるスキャンダル」中京大学文学部紀要 34199 

1999 bグレトナ・グリーン 英国随一の結婚式場(9) 3 描かれてきたグレトナ・グリーン(1)18世紀芸術におけるハードウィック婚姻法とスコットランド婚」 中京大学文学部紀要 342 65 

2002『イギリス式結婚狂騒曲 駆け落ちは馬車に乗って』中公新書

岩志和一郎

1991「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収

上野雅和

1962「イングランドのキリスト教化と婚姻法-イングランドにおける近代的婚姻の成立過程」松山商大論集132号 115

1981 「イギリス婚姻思想史-市民的夫婦一体観の成立をめぐって」福島正夫編『家族 : 政策と法. 4 (欧米資本主義国)』東京大学出版会所収45

植木敏一

1971「ミルトンおける「男」と「女」」"Man" and "Woman" in Milton大手前女子大学論集 5

内村公義

1997「ジョン・ウェスレーの回心をめぐる人間学的一考察」長崎ウエスレヤン短期大学紀要 20

枝村茂

1975「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25197

1978「婚姻の不解消性と教会権についての神学的考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 281

1980「カトリック教説における婚姻の目的の多元性」 アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 311

1985「カトリック教会法における婚姻の形式的有効要件とその史的背景」宗教法学3

大野秀夫

1993(書評)栗原眞人著「「秘密婚とイギリス近代」(1)(4)(「香川法学」一一巻一・三・四号、一二巻一・三号) 法制史研究 (43) 488

大日向幻

1978「離婚論におけるミルトンと「失楽園」の二つのFallMilton's Divorce Tract and the two Falls in Paradise Lost人文論究 27(1/2)

岡光民雄

1993「婚姻及び離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」について」 ジュリスト1019


 

 

小木新造

1979『東京庶民生活史』日本放送協会

河原温

2001『中世フランドルの都市と社会』中央大学出版会

1993「「中間報告」に対する私見」ジュリスト1019 

加藤東知

1927『英国の恋愛と結婚風俗の研究 』日本大学出版部

栗原真人

1991 <論説>秘密婚とイギリス近代 (1)<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (1) 香川大学 11巻1号(ネットオープンアクセス)

1992 「〈論説>秘密婚とイギリス近代 (3)<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (3) 香川法学 121号 79 (ネットオープンアクセス)

1992 <論説>秘密婚とイギリス近代(4・完)<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (4) 香川法学 122 105 (ネットオープンアクセス)

1996 フリートとメイフェア : 一八世紀前半ロンドンの秘密婚」 香川法学 1541, 1996

栗原涼子

2003「革新主義考アナーキストフェミニズムについて」Anarchist Feminism in the Progressive Era岩手県立大学盛岡短期大学部研究論集 5

 

 

国会図書館調査及び立法考査局 佐藤 令 大月晶代 落美都里 澤村典子

2008『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008-

小梁 吉章

2015「わが国とフランスの婚姻の方式 : 外国の婚姻の効力の承認について <論説> 広島法科大学院論集11号【ネット公開】

近藤勝彦

1995「ミルトンにおける自由の理論と終末論」The Theory of Liberty in the Eschatology of John Milton神学57

桜田勝義

1973『輝やく裁判官群像 : 人権を守った8人の裁判官』有信堂

佐藤全

1984『米国教育課程関係判決例の研究』風間書房

佐藤哲也 

2012「近代教育思想の宗教的基層(1) : コトン・マザー『秩序ある家族』(1699)

The Religious Basis in Modern Educational Thought(1) : Cotton Mather, A Family Well-Ordered(1699) 宮城教育大学紀要 47号【ネット公開】 

佐藤要人

1993『江戸水茶屋風俗考』三樹書房 

 

柴田敏夫

1987「「コモン・ロー・マリッジ」略史」A Concise History of "Common Law Marriage"大東法学 14【ネット公開】

清水昭俊

1987『家・身体・社会』弘文堂

島津一郎

1974『妻の地位と離婚法』第42イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣225

社本時子

1999『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち-同家書簡集から』創元社

 

坂上敏子

1967「結婚-家族関係からの考察」大阪城南女子短期大学研究紀要 2

 

澤村雅史

2017「聖書における結婚と独身新薬テキストを中心に」福音と世界724

鈴木繁夫

2004「交わりの拡張と創造性の縮小 : ミルトンの四離婚論をめぐる諸原理について」

The Uncreative Interaction : Milton in his Divorce Tracts言語文化論集 261

(名古屋大学)【ネット公開】

2013「性格不一致の離婚とその起源 : ミルトン離婚論と現代離婚観の宗教性」

Incompatibility as Sufficient Grounds for Divorce : Religiosity in Milton's Divorce Tracts and Current Ideas on the Subject言語文化論集 35(1)

 

苑田 亜矢

1997 1159年の教皇選挙と教皇庁上訴 : イングランド史からの一考察」

The Papal Schism of 1159 and the Appeal to Pope Alexander III from England

有明工業高等専門学校紀要 33

2000「一二世紀イングランドにおける教皇庁への上訴をめぐって--1164年のクラレンドン法第8条および1172年のアヴランシュの和約の再検討」法制史研究 (50)

薗部寿樹

2010『日本の村と宮座』高志書院

 

高橋友子

2008「第7章夫婦と親子」齊藤・山辺・藤内『イタリア都市社会史入門』昭和堂

滝沢聿代

1994「民法改正要綱思案の問題点(上)」法律時報66巻12号1994年11月号72頁

滝澤聡子

200515世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」人文論究551号【ネット公開】

田中和夫

1958「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25

田中通裕

1987「フランス親権法の発展 (1)<Article>L'evolution de la puissance paternelle en France (1) 法と政治 38(2)

田巻帝子

2017「「子供」の権利と能力-私法上の年齢設定-」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

直江眞一

1990「『我々はイングランド法を変更することを欲せず』(Nolumus leges Anglie mutare)について」『法学』東北大 543

 

2014「アレクサンデル三世期における婚姻法 : 一一七七年六月三〇日付ファウンテン修道院長およびマギステル・ヴァカリウス宛教令をてがかりとして」法政研究. 81 (3

中川淳

1993「婚姻・離婚法改正の中間報告について」 ジュリスト1019

中川律

2008「合衆国の公教育における政府の権限とその限界(11920年代の連邦最高裁判例Meyer判決とPierce判決に関する考察」法学研究論集29

2009「合衆国の公教育における政府権限の限界-ロックナー判決期の親の教育の自由判例/マイヤー判決とピアース判決に関する研究」憲法理論研究会編『憲法学の最先端』敬文堂所収

長澤順治

1997『ミルトンと急進思想 英国革命期の正統と異端』沖積舎

永水裕子

2017「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

西川健誠

2005「夫婦の交わり,神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰()

Conjugal Union as a Holy Communion : Love and Faith in Paradise Lost' (Part II)

神戸外大論叢 56(2)

2004「夫婦の交わり, 神との交わり : 『楽園喪失』における夫婦愛と信仰 ()'Conjugal Union as a Holy Communion : Love and Faith in Paradise Lost' (Part I) 神戸外大論叢 55(3)【ネット公開】

西島正

1954「ミルトンの女性觀」Milton's View of Woman紀要 3,

 

野田愛子

1993 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18

波多野敏

1990「フランス、アンシャン・レジームにおける結婚の約束と性関係」Promesses de mariage et relations sexuelles dans la France de l'Ancienne Regime京都学園法学 創刊号

平松紘・森本敦

1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収

廣瀬隆司

1985「明治民法施行前における妻の法的地位」」愛知学院大学論叢. 法学研究2812

服藤早苗

1991『家成立史の研究』 校倉書房1991

JL・フランドラン/宮原信訳

1992『性の歴史』藤原書店

福地陽子

1956<論説>カトリツク教婚姻非解消主義の生成と發展<Article>THE GROWTH AND DEVELOPMENT OF THE CATHOLIC PRECEPT AGAINST DIVORCE」法と政治 7(4

本田弘子

1986「英国婚姻法(主として離婚法)と裁判所」The English Family Law and the courts : Chiefly on the Divorce Act日本法政学会法政論叢 22

 

松下晴彦

2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収

村井衡平

1974「【資料】一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 523

ルネ・メッツ 

1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社

森道子

2011「「めでたし、結婚愛よ」 : ミルトンの妻像におけるオウィディウスの妻」

"Hail, Wedded Love"--Ovid's Wife in Milton's Images of Wife大手前大学論集 12,

 

平井正穂

1958『ミルトン』研究社出版

不破勝敏夫

1984『私の家族法』 徳山大学総合経済研究所

山館香菜

2011「「自負と偏見」におけるリディア・ベネットのグレトナ・グリーン婚 : 物語への効果と役割」北星学園大学大学院論集 1

Lydia Bennet's Gretna Green Marriage : Its Effects and Roles in Pride and Prejudice

山中永之佑

1957「明治期の逆縁婚Levirate Marriage of Meiji Era in Japan

法制史研究 (7)

 

吉田道也

1954「教会裁判所の民事裁判権の終末」The End of Civil Jurisdiction of the Ecclesiastical Court法政研究 22(1)

 

 

吉中孝志

2002「アダムの肋骨とマーヴェルの庭(後編)The Rib of Adam and Marvell's 'The Garden' (Part III) 広島大学大学院文学研究科論集 62【ネット公開】

米沢広一

1984 「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-1- <Articles> Child, Parent and State神戸学院法学 152

1985a「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-2-Articles> Child, Parent and State (2) 神戸学院法学 153

1985b 「子ども,,政府--アメリカの憲法理論を素材として-3- <Articles> Child, Parent and State (3) 神戸学院法学 154

1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 1

幸重 美津子

2003Milton's Bogyの向こう側 : ヴァージニア・ウルフのミルトン観についての一考察」

Virginia Woolf : When We Look Past Milton's Bogy英語英米文学論輯 : 京都女子大学大学院文学研究科研究紀要 2

 

ウタ・ランケハイネマン/高木昌史ほか訳

 1996『カトリック教会と性の歴史』三交社

フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ/有地亨訳

1967「フランス家族の成立過程 : フレデリック・ジュオン・デ・ロングレイ著"Le precede de la formation de la famille francaise" : F. Jouon des Longrais」法政研究 34(1)

 

渡邊昭五

2004『梁塵秘抄にみる中世の黎明』岩田書院 2004

ウェブサイトからの引用

1 Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016

2 ニュースの穴 女性の婚姻適齢が改正で18歳に引き上げへ 早ければ2021年にも施行 

2017-02-08

3 ニューヨークタイムズ記事「 Its Legal for 14-Year-Olds to Marry. Should It Be? By LISA W. FODERAROMARCH 13, 2017

4 CBSN.Y.2ch記事「 Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To MarryFebruary 14, 2017 10:58 PM

5 WMUR-TV記事「NH House rejects bill to raise minimum marriage age to 18

Existing law allows 13-year-old girls, 14-year-old boys to marry with parental, court approval Updated: 10:56 PM EST Mar 9, 2017

6 PDF http://nownyc.org/wp-content/uploads/2016/02/Factsheet.pdf

7PDF「諸外国における成年年齢等の調査結果」ttp://www.moj.go.jp/content/000012471.pdf

ユタ州経済 近隣諸州より好調維持

http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/eb4e275ac3ec0f8a79b4614e9309e147

 

2017/05/27

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない(続)

4.社会的・経済的成熟の要求は結局不当な主観的判断といえる

 

1)漠然不明確な婚姻の自由抑制理由

 

 1996年法制審議会答申は、当時成人年齢引き下げが議論になっていなかったにもかかわらず18歳とする理由として「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」としているが、結局それし主観的判断である。社会的・経済的に成熟した年齢とは21歳といえるし30歳ともいいうる。18歳とも16歳ともいえるし、人によって異なるともいえる。婚姻適応能力以上のものを求める理由が社会生活の複雑化・高度化というはの漠然としていて、具体的に何をさしているのか不確定である。こんな理由で、婚姻の権利をはく奪し、幸福追求権を奪うのは根拠薄弱だといわなければならない。

 政府が社会的・経済的成熟に達してないとする断定する年齢、例えば17歳の結婚が、当事者の福祉に反する、当事者の最善の利益にならない、婚姻適応能力がないという立証は不可能である。

 これだけ裏付けが乏しいのに国民の権利を縮小することがあつてはならない。

 

2)もともと婚姻適齢に自由主義的だった我が国の伝統に反する

 

翻って考えるならば我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、ただし数え年なので実質、ローマ法やカノン法と同じである。

明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979

明治民法(明治31年、1898年施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と定めた。女子15歳は医学上の見地で、母胎の健康保持のため15歳以上とするのが適切との見地による。それは一応合理的な立法理由となっている。

医学が発達し、女子の体格も栄養状況も良くなった今日、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。

戦後民法の男子18歳、女子16歳は、アメリカ合衆国で多くの州がそうだったとしてねたんに「宗主国」の法制の継受にすぎない。

筆者は、婚姻適齢法制のなかった明治前期の意義も大きいと考えており、挙式を要求せず、離婚も協議離婚で容易な結局我が国の婚姻法制は、欧米と比較しても自由主義的であり、民間の婚姻慣習を尊重しているといえるのであり、この伝統から婚姻適齢に関しても、政府の干渉は好ましくないと考える。

 

3)庶民の家族慣行に適合させることを重視している我が国の家族法の伝統にも反する

 

明治民法についても庶民の家族慣行を尊重している立法趣旨が伺えられるのである。それは逆縁婚の合法化で明確だと思う。

亡妻の妹と再婚することを順縁婚、人類学ではソロレート婚、亡兄の嫂を娶ることを逆縁婚、人類学でレヴィラート婚という

明治前期、逆縁婚が禁止されていた時代があった(明治8年太政官布告)。[山中永之佑1957]逆縁婚は士族の家族慣行では儒教倫理に反し許容できない。

しかし明治民法起草者3名のうちもっとも開明的な梅謙次郎が、庶民の家族慣行では、逆縁婚により家継承が円滑になされることを知っており、民法は庶民の慣習に適合すべきとして士族の筋目論を排除した。

貞女は二夫に仕えずという儒教倫理よりも家継承が重視されるのが日本の庶民の家族慣行であり、明治民法では庶民の家族慣行を重視し 順縁婚、逆縁婚とも合法としたのは大英断であったと考える。というのは、戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚し、家を継承しているのであり、無用の混乱を回避できたのである。

順縁婚は、逆縁婚ほど問題にはならなかったが、西洋では教会法によって近親相姦として禁止され、イギリスやフランスでは死別でなく離婚後の順縁婚を禁止していた。近代化にあたって、西洋のような立法政策もありえたのであるが[廣瀬隆司1985]、やはり入夫婚姻(聟入)のケースで妻が死亡したとき、聟がそのまま亡妻の妹と再婚して家を継承することはありうることであって、庶民の慣習からみて順縁婚合法は妥当なものである。

明治民法制定より以前には夫婦同氏も庶民では普通の慣行となっており、明治9年の太政官指令を覆したともいえるが、そのように、家族法とは、国が上から目線で支配階級の家族慣行を国民に強要するものではないのであり、民間の慣習に合致することを重視していた。

しかし、今回の1617歳女子婚姻非合法化は、あつかましくも高卒程度の社会的・経済的成熟の要求という、上から目線のもので、庶民の婚姻慣習を重視していたこれまでの家族法の立法思想とも違和感がある。

 

 

4)平均初婚年齢の上昇や、18歳未満の結婚が0.21%と少ないことは婚姻適齢引き上げの根拠にはならない

 

 我が国では、平均初婚年齢、生涯未婚率の上昇が人口問題となっていることは周知のとおりであり、90年代三千組いた未成年者の結婚も2015年の1617歳女子の結婚が1357組ですぎず、全体の0.21%にとどまっており、アメリカ合衆国の2014年に1517歳の未成年者の結婚が約 57,800人、全体の0.46%と比較しても少数である。

 しかし、初婚年齢や未婚率は、社会的・経済的・文化的・政治的状況で変異する変数であるが、先進国だからとか、高度産業社会だから晩婚化するというような性質のものではない。ユタ州女子の平均初婚年齢は22歳だという。人口政策的にはうらやましい限りだが、経済が好調であることもあるがモルモン教の文化に由来することはほぼ間違いない。

 我が国でも、文化的状況の変化や政策転換で未婚率上昇はくいとめることは可能である。

 個人がおかれた社会的・経済的・文化的諸状況は個人差があるので、早婚の人もいれば晩婚の人もおり、生涯結婚できない人もいるのである。

 したがって理念的な法廷婚姻適齢の問題とは別である。

ローマではアウグスティヌスの立法以来、婚約最低年齢を7歳、婚姻適齢を男子14歳、女子12歳としてり、教会法(カノン法)もローマ法を継受し、コモンローもそうである。カトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、婚姻適齢を男子16歳、女子14歳とし、英国は1929年に婚姻適齢を男女とも16歳としているから、男子14歳、女子12歳は2千年に近い長きにわため婚姻適齢の基準であったわけが、だからといって、前近代社会が早婚であったわけではない。

これは近年の歴史人口学、歴史民勢学の成果で明らかなことであり、ヘイナルの指摘するように北西ヨーロッパは、前近代から女子の10代の結婚は少なく20代半ばが普通だった。晩婚で未婚率が高かった。むしろ工業化で女子が工場労働に参入することにより、持参金効果をもたらし婚姻年齢が下がった。

なおイタリアは比較的若かったといえる1427年フィレンツェは、市内でも農村部でも女子は18歳、ヴェネチアは貴族では1416歳だった。[高橋友子2008]

我が国でも、持統女帝(ウノノ皇女)が13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳と若いが、一般の庶民は20代と婚姻年齢は高かったと考えられている。

従って、法定婚姻適齢は、初婚年齢などの推移で上げ下げするような性質のものではない。

 

 

2017/05/21

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

一 男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

  男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由はの一つは、婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であることとしているが全く虚偽である。
 第二に婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、論理性は全くない。
   裏づけが乏しいにかかわらず権利剥奪を強行する理由は、これまで18歳引き上げを主張してきた日弁連女性委員会ほか女性団体のメンツをたてることだけでしかない。女性団体の主張が、幸福追求権や婚姻の自由よりも重視されている政策として糾弾に値する。
            
 
(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている
  1.先進国において16歳が婚姻適齢とされている立法
 ここでは、英国・アメリカ合衆国等の婚姻適齢法制をとりあげるがいずれも16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りである。
 特にアメリカ合衆国は、統一州法委員会の統一婚姻・離婚法のモデルが16歳は親の同意要件より婚姻てきる年齢と定めており立法政策の推奨モデルなのである。従って婚姻適齢16歳がアメリカでの一般的な法制であり大多数の州がそうであるから、スタンダードが16歳である。
 にもかかわらず18歳が世界的趨勢などというのは虚偽であり、したがって、1996年法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論したものであり、国会、国民を騙す詐欺行為の手口きわめて悪質であり、糾弾されてよいレベルである。
 男女とも婚姻適齢を18歳とするのは、ソ連・東独の社会主義モデルであり、世界全体がそのような傾向にあるわけではない。それが正しいわけでもない。もっともフランスが2008年に婚姻適齢を引上げている。ドイツも今年18歳に引上げる見直しがされているが、改正理由がイスラム圏からの移民が増加し、親による強制的な結婚の防止ということであり、フランスのような改正例を一般的傾向とみなすことはできない。 
 
(1) 英国
 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドでは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991]
 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。それ以前はコモン・ローの男14歳・女12歳であった。なお英国婚姻法の歴史的変遷については後述する。
 
(2) アメリカ合衆国
A 要旨

 我国の戦後民法改正による現行法の婚姻適齢は1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。
 しかし現在では大多数の(34州) では男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし16・17歳を親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも裁判所の承認で婚姻可能としている州が多い。27州が最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。
 各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールの https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがある。このほかhttp://family.findlaw.com/marriage/state-by-state-marriage-age-of-consent-laws.htmlState-by-State Marriage "Age of Consent" Lawsもある。
 Pew Research CenterのChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができる。と記載されている
 
 国会図書館調査及び立法考査局 佐藤令 大月晶代 落美都里 澤村典子2008『基本情報シリーズ② 主要国の法定婚姻適齢』2008-bの記載は「ほとんどの州が、親の同意なしに婚姻できる年齢 を男女とも18歳とし、親の同意と裁判所の承認を必要とする年齢をこれより低く設定してい る(135州及びワシントンD.C.が男女16歳であり、その他の州の規定ぶりは多様である(男女17歳、15歳、14歳、また 男女差を設けている州もある)。
06)。ただし、カリフォルニア、カンザス、マサチューセッツの3州は、婚姻適齢の最低年 齢に関して明文規定がない)‥‥」との記載であるが、18歳はあくまでも親の同意を要しない婚姻適齢であって、親の同意要件を前提とすれば16歳を基準とする州が大多数な点を注意してほしい。
 
         
B 男女とも16歳を婚姻適齢としている州が多い理由
a)統一婚姻・離婚法モデル
 男女とも16歳としている州が多い理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)としモデル案を示していたことによる。
 米国では 16歳を親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。
 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。[村井衡平1974]
203条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
205条[裁判上の承認]
a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、
1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が枯れの婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、
2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。
 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。
 
b)ERAの批准過程
 
 第二の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州が批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないので、男女差のある州も残っている。
 このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった16・17歳女子の婚姻資格を剥奪せず、男子の婚姻適齢を引き下げるを方法をとっているのである。
            
c)年間5万8千人が18歳未満で結婚しているという現実
 
 Pew Research CenterのChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016によれば、。2014年に15~17歳の未成年者は約 57,800人だった。これは全体の0.46%である。未成年者の結婚多い州はウェストバージニア.0.71%、テキサス0.69%だった。我が国の2015年の16・17歳女子の結婚が1357組で、全体の0.21%と比較すると、アメリカは未成年者の婚姻比率は高く、無視できないものとなっている。
 
C 年少者の婚姻可能性を否定しない理由は何か

a) 憲法上の基本的権利である結婚し家庭を築く自由
 
○実体的デュープロセス
 合衆国では、年少者の婚姻資格斬り捨てをしない理由として憲法により明文されていないが、修正14条の実体的デュープロセスとして結婚の自由が憲法上の基本的権利とされていることと関連があると考える。
 合衆国憲法修正14条(1864年確定)第1節は「合衆国において出生し、またはこれに帰化し、その管轄権に服するすべての者は、合衆国およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。また正当な法の手続きによらないで、何人から生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。」と規定している。
 もともとデュープロセス条項は告知・弁護の機会という最小限の手続きの保障だった。ところが実体的デュープロセス理論が発展し、デュー・プロセス・オブ・ロ-、適正な法の過程とは法執行の手続きだけ関する概念ではなく、法の内容にも適正さを要求する概念と主張された。つまり生命・自由・財産を「適正な手続きによらずして」だけでなく「適正な法によらずして」剥奪してはならないとするのである。
 この理論により、個人から生命・自由・財産を奪うことになる実体法の内容の審査、政府の実体的行為が司法審査の対象とされ、裁判所が成文憲法中の特定の明文に依拠せずとも裁判所が基本的性質を有するとする価値を憲法中に織り込み憲法規範として宣言し、それを侵害する制定法を無効とした。先例はアルゲイヤー対ルイジアナ判決Allgeyer v. LouisianaA, 165 U.S. 578 (1897)  である。
 
○1923年マイヤー対ネブラスカ判決の卓越性
 
 連邦最高裁は第八学年まで英語以外の現代語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築は子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとした。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。
 事案は大略して次のとおりである。第一次世界大戦はアメリカニズムを高揚させ、敵国ドイツの移民の多かった中西部では、ドイツ系移民の子弟が多く通う宗教系私立学校が敵国を利する企みの巣窟として厳しい疑いの目でみられた。そのような背景のもとで1919年のネブラスカ州は、第八学年修了まで外国語教育を禁止するサイモン法を制定する。
マイヤーはジオン福音主義ルター派教会の教区立学校で10歳の児童にドイツ語で聖書物語を教えたため訴追された。州最高裁は有罪を確認したが、連邦最高裁は、同法が合衆国憲法修正14条に違反し違憲と判決した。
 マクレイノルズ判事執筆による法廷意見は憲法修正第14条が保障する自由とは「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges) を遍く享受する権利をさす。」「先例によって確立されている法理によれば、この自由は、州の権能内にある何らかの目的と合理的なかかわりをもたない立法行為によって妨げられてはならない。‥‥」「単なるドイツ語の知識が有害であるとは考えられない。これまで、それは有益で望ましいものであるとみなされてきた。‥‥当該教員は、彼の職務としてドイツ語を学校で教えたのである。教員の教える権利と、彼によって自分の子供にドイツ語を教えてもらう親の権利は、修正14条の範囲内にある‥‥」「明らかに州立法府は、現代語学の教師の職業。生徒の知識を獲得する機会、自分の子供の教育をコントロールする親の結果を、多大に侵害しようとしているとして」修正14条のデュープロセス条項に違反すると結論づけた。[佐藤全1984 173頁、米沢広一1984、中川律2008]
 この判決は親の監護教育権、職業を不当に奪われない権利の先例として評価され、結婚の自由は傍論部分にすぎないし、契約の自由は1937年に判例変更されていることは周知のとおりであるが、自由人が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして「結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利」を示した意義は大きく、その後の宗教の自由や。結婚の自由等の人権判例に引用されるところとなった。
 
○1967年ラビング対ヴァージニア判決(結婚を人間の基礎的な市民的権利と宣言)
 
 そして連邦最高裁はLoving  v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニア州の異人種間の婚姻を刑罰をもって禁止する州法を違憲とした。
 本判決の争点は平等保護条項(人種差別)とデュープロセス条項(結婚の自由=実体的デュープロセス)である。
 本判決はまず、厳格な審査テストを用いて、人種のみを理由とする結婚の自由への制約は平等保護条項違反とする。次いで次のようにデュープロセス条項違反にもなるとしている。ウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間を秩序だってと追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」。とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしている。[米沢広一1989]
 なお筆者は見てないが。この事件を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が我が国でも公開され、その宣伝によればアカデミー賞最有力とのことである。
Zablocki v.Redhail 434 US 374 (1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。
  Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]。
 このほか法廷意見を構成できなかったが住居地域規制による同居者制限が違憲判断されたものとしてMoore v. City of East Cleveland 431 U.S. 494 (1977 )がある。問題の家族制地域条例は、世帯主の孫との同居は孫が兄弟である場合に制限していたが、ムーア夫人は従兄弟同士の孫と同居したため、条例違反で処罰されたという事案で、パウエル判事の相対多数意見は、実体的デュープロセスに反しこの条例を無効とした。「先例は家庭という構成がアメリカの歴史と伝統に深く根差しているとの理由で、家庭の神聖が憲法上保護されているとしている。アメリカの伝統は、核家族員のみの結合の尊重を受に限定されねものではない。‥‥殊に祖父母が世帯をひとつにする伝統も、同じく尊重を受け。憲法上の権利として認めるに値する深いルーツを持っている。」と述べている。[石田尚1988 101頁]以上のような判例からみて、アメリカ合衆国における結婚し家庭を築く権利性は明白である。
 米法で家族関係一般に政府が介入する根拠として主張される伝統的な理論はポリス・パワー(公衆の衛生、安全、モラル、一般福祉を促進するための政府の全権的権限)とバレンス・パトリエ権限(国親思想)であるが、結婚の自由が基本的権利とされた以上、結婚を妨げる政策に緩やかな審査基準がとられることはない。
 このような結婚の自由の判例の進展からみて年齢制限も憲法問題になるのであり、安易な理由で年齢制限の強化はやりにくいのである。
 
  B バレンス・パトリエ権限による介入は論理性がない

 未成年者に対して成人に認められている権利の制約を正当化する理論でとしてバレンス・パトリエ権限がある。これは、13世紀の精神障害者に対する国王の後見権限を起源とする。自ら最善の利益になるよう行為する能力に欠ける子どもや精神障害者のような人々を保護するための政府の限定的なパターナリスティックな権限であり、例えば、親が社会の害悪から子供を保護しえない場合、虐待や遺棄など子供を保護するための介入がそれである。ただし子供の最善の利益を促進するときのみ行使されなければならないとされる。[米沢1984]
 しかし「子どもにとっての最善の利益」という概念は、非常に曖昧であり、政府が恣意的に家族生活に介入する危険がある。このために、概念を限定化。明確化すべきで、その場合に子供の将来にとってとりかえしのつかない負担が生じるという認定が専門家によったなされた場合のみ政府が介入を許容さされるべきとの主張がある。[米沢1985b]
  16・17歳で本人が結婚を望み、親も同意しているにもかかわらず、政府が当事者に婚姻適応力がない、あるいはそれが、害悪である。過酷である、当事者の最善の利益を促進しない、あるいはし当事者の将来についてとりかえしのつかない負担が生じると断定する根拠を示すことは不可能なであり、年齢制限には慎重にならざるをえない。
 
  C 成熟した未成年者の法理

 未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。一定の未成年者は、一定の事項につい成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきである。
 米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水2017]
 医療領域では、成熟した未成年者と、未成熟な未成年者に分け、前者に親の同意を得ずとも自己決定を是認する考え方がある。証拠法 、医療 などの領域で多くの州の法令は成人年齢より低い年齢を設定している。
 未成年者の結婚は親の同意要件が前提で、親の要保護権を無視するものではなく、未成年者の自己決定を重視しすぎるものでもないから、16歳以上であれは成熟した未成年者として婚姻適齢とすることは理にかなっている。
 
  D 文明史的コンテキスト(結婚は自由でなければならない、性欲の鎮静剤としての結婚の意義という教会法の理念の継承)
 しかし婚姻の自由が基本的権利とされるのは文明史的コンテキストが重要である。結婚は自由でなければならないというのは教会婚姻法(とりわけ古典カノン法)の理念であり、現代西洋人の結婚観の基本は教会婚姻法にある。〔わが国でも明治15妻妾制を廃止し、西洋の単婚理念を継受、戦後憲法24条では合意主義婚姻の理念を継受しているから無関係ではない〕
 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するため、人は妻を持たなければならないというもので、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならない。
 だからこそ無式合意主義婚姻理論をとる古典カノン法は、領主、親の同意要件を明確に否定し秘密婚を許容した。婚姻の自由の理念の核心はこれである。真正パウロ書簡を根拠とする神律であるから妥協の余地は全くないのであり、教会は数世紀にわたって結婚の自由のために秘密婚に反対する世俗権力と抗争した。
 中世教会婚姻法の自由な結婚の理念は、教会婚姻法が要式化により変質したトレント公会議の受け容れる必要のなかった英国において生ける法として継続したため、自由な結婚は近代に至るまで色濃く継承された。結婚の目的の第一義は、親族のためでもなく、財産のためでもなく、子供の育成でもなく、個人主義的な心理的充足のためであるという近代個人主義的友愛結婚は教会法の理念に由来する。したがって現代人の結婚観と基礎となっている西洋文明二千年のレガシー「婚姻の自由」は継承されるべきである。
 カノン法の婚姻適齢はローマ法を継受し男14歳、女12歳であるが、教会法学者はさらに緩めた。
「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601[フランドラン1992 342頁]。
 結婚の第一次目的が淫欲の治療薬であるから、性行動が可能な身体的・心理的成熟=婚姻適齢でよいのである。これこそが文明的基準であったのである。
 
 
(3)カナダ
 オンタリオ州、ケベック州、ブリティッシュコロンビア州など主要都市のある州では16歳で結婚できる。,BC州では16歳未満は裁判所の許可を得て,16歳,17歳は親の 同意があれば認められる。ケベック州では,16歳を婚姻適齢とし,18歳未満は両親の同意及び裁判所の許可があ れば認められる。オンタリオ州では, 16歳を婚姻適齢とし,18歳未満は両 親の同意があれば認められる。
 

(4) ドイツ(2016年までの法)

 東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(満18歳)である。ただし、当事者の一方が満16歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]
 
*なおドイツのメルケル政権は200175日、18歳未満の婚姻を原則禁じる改正法案を閣議決定した。これまでは、16歳から結婚が可能だったが、中東などイスラム圏から難民らが大量流入して18歳未満で結婚している少女が急増、し与党内で政府に対応を求める声が高まっていたとの報道があるが、年少結婚に反対するする人権活動家の突き上げや中東の移民は親に強制されて結婚しているとの非難によるもので、特殊な事情からの法改正である。これが適切かどうかは検証が必要である。
2. 仏独型の改革でなく英米型の法思考がのぞましい

         

(1) 仏独・イスラム圏からの移民対策による婚姻年令引上げの愚
         
   フランスは2008年に従前の男18歳、女15歳から、男女とも18歳に引き上げている。法改正理由は男女平等と、イスラム圏からの移民が増え、未成年者の結婚が、親による強制結婚を助長しているとの非難にもとづくもあった。
  既述のとおりドイツもフランスと同様に、中東などイスラム圏の移民で、必ずしも当事者の本意でない年少者の結婚が増えていることの非難から、18歳引き上げヲ閣議決定したとの報道がある。
  これは、当事者の合意を重んじる西欧の結婚文化とイスラム圏の結婚慣習とが異なり文化摩擦ともいえるだろう。
   フランスに加えドイツも18歳に引き上げた例をあげて我が国もそうすべきだと、法務省言ってくるだろうが、我国では、親の同意を要する未成年者の婚姻が、親の強制を助長する弊害という問題は起きていないのであり、中東や北アフリカから移民が多いわけでもなく事情は異なる。特にフランスは法律婚が軽視され事実婚のカップルが多数であることを考慮するなら、我が国も仏独に追随する理由はない。年少者の結婚を害悪とする人権団体に踊らされており、社会政策として婚姻適齢をいじる仏独の姿勢に反発を覚えるものである。
   むしろ16歳を婚姻適齢の基準としている英米型の、婚姻の自由を幸福追求にとって不可欠のものと考え、年齢制限に慎重な法制度に倣っていくべきだということを強く国会議委員に訴えたい。
  (2)ニューヨーク州クォモ知事が婚姻適齢引上げ発言の問題点
         
   1929 年以来ニューヨーク州では、14、15 歳は司法及び親権者の承認を得て行う結婚でき、16・17 歳は単なる親の同意で結婚できる制度である。また27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能であるが。ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 3 つの州の一つである。ニューヨーク州では2000~2010年に3,853の未成年者が結婚している。
 2017年2月年少者の結婚に反対する民主党女性議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出し、クォモ知事も強制結婚をなくすため18歳に引き上げる政策を発表しているが、宗教的コミュニティ例えばユダヤ教ハシディーム派(Hasidic Jews)のある選挙区の議員は反対するだろうとの観測記事が有り、成立するかは不透明である。
   なおニューハンプシャー州ではコモンローの婚姻適齢に近い男子14歳女子13歳で婚姻できる州であるが、18歳に引上げる法案を2017年3月州議会下院は否決している。
   未成年者の結婚に反対する人権団体の主張は、早婚は性病罹患率が高い、結婚した者は未婚者と比較してハイスクールを中退する可能性を高める。早婚した者の貧困に陥る率が高い。早婚した女子は夫から暴力を受ける可能性が高いなどというものであるが、それが統計学的事実であるとしても、いずれの主張も憲法上の基本的権利を否定してよいほど「子どもにとっての最善の利益」を促進するものとは考えられない。人権活動家の一方的な見解であり、結婚が幸福追求の権利であること考慮していない。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけあい、感謝し合うことの価値、それによって、人生の危機、苦労が乗り越えられるのである。そうした結婚の肯定的価値を捨象し、結婚よりジェンダー論的に女子の経済的自立を優先する価値観をとっている。結婚よりも経済的自立は絶対的な価値と思えない。むしろ危険な思想で、活動家の主張によれば結婚は21歳以上であるべきだというものとである。これは結婚の価値を不当に貶めているし、自己の価値観を他者におしつけようとしている余計なお世話。高校中退や貧困の可能性が高いという漠然とした理由で、結婚により幸福追求権を否定するものである。文化の多様性も考慮してない。クォモ知事の政策は人権活動家に踊らされている。
 
 
  (3)早婚を非難する人権団体はジェンダー論者で結婚よりも女性の経済的自立を望ましいとする偏った思想である
 
   私の価値観では、結婚し家庭を築く自由こそ、幸福追求に不可欠な基本的権利とし主張したい。他方人権活動家は、早婚は社会的・教育的・経済的に不利益となる確率が高く、若い女性の結婚を妨げ、経済的自立を促す政策が望ましいとの立場である。結婚を妨げることこそ人権だという主張であるが、これは幸福追求権の否定というほかない。この溝は大きく埋めようがないし、妥協の余地もない。
     結局人権活動家は、女性が男性の稼得能力に依存し従属することに反対しているのであるが、しかし、結婚が男性の稼得能力に依存する性格のものであれ、夫に従属するものてあれ、結婚することが幸福追求に不可欠だと考える女子の人生の選択を狭めるの女性の権利の侵害を公共政策とすべてとしいう主張なのである。
   米国国の主流の法思想では1923年のマイヤー対ネブラスカ判決や、1967年のラビング対バージニア判決をはじめとして結婚し家庭を築く権利は幸福追求に不可欠な憲法上の基本的権利とされているほか、カノン法以来、コモンローマリッジといった文明史的コンテキストによる結婚の自由を擁護する価値観があるので、たやすく年齢制限を肯定することはないと考える。
 実際ニューハンプシャー州議会は、男子14歳女子13歳を18歳に引き上げる法案を2017年3月否決したのである。さすがに「自由をしからずんば死を」を州のモットーとする州だと感心するものである。
 法務省あたりは18歳に引き上げたフランスの例、それに追随するドイツ、アメリカでもクォモ知事が14歳から18歳に婚姻適齢を引き上げたいという政策を打ち出しているなど、早婚の弊害を主張する人権団体の突き上げが強まっているとし、18歳にあげておくのが、今後人権団体やジォンダー論者のつきあげをかわすために必要というのだろうが、アメリカ合衆国の大勢は、1970年代の統一婚姻・離婚法モデルにそった16歳婚姻適齢、16歳未満でも裁判所の承認で救うというあり方がなお標準なのであり、この点くれぐれも国会議員はだまされないようにしてもらいたい。
  以上縷々述べたように英・米・カナダ等など16歳を婚姻適齢とする立法例と比較すると、我が国政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は慎重さを欠き、配慮を欠くものとして非難されてやむをえない。
   
(二)16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である
  1.相互扶助共同体を形成することは幸福追求に不可欠なものという認識に乏しい政治家・官僚
 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権、24条1項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990代には年間3千組の当事者が存在していた、近年では2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではない。
 法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。
 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、、最も共感的な理解者が結婚相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。
 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるのは過酷といえる。
 これは社会的に恵まれている階層よりも、そうでない階層にとってより切実で意義が大きいといえる。むろん性的アイデンティティを確立し、性欲を合法的に充足できるという結婚の意義も大きいものでありむ、この点はコリント前書7:9のとおりである。
 にもかかわらず、法制審議会や政府は、婚姻資格のはく奪、幸福追求権の否定に躍起になにっているのは異常なことだといわなければならない。
 16・17歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならないがそのようなものはない。また 1996法制審議会答申は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当と考えられ」とするが、それが高校卒業の18歳に求められ、16・17歳女子に婚姻適応能力がないという説得力のある根拠はなにも示されていない。またの婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱であるのに権利はく奪を強行しようとする姿勢に強い怒りを覚える。
 
 2. 高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない
(1)中卒で婚姻適応能力がないという論理性はない
 義務教育終了後、進学・就職・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえない。
  いかに、政府が嫌おうとも幸福追求に不可欠な権利を剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証できないのに、権利はく奪をすることは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習もそのようなものである。。
 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果44~66%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
  16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だったし、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。
 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994]
 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」
法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。
  なお、法制審議会は、未成年の結婚は性病罹患率が高い、高校中退の可能性を高める、夫から暴力を受ける可能性が高い、貧困を促す、親の強制結婚を助長しているといったような外国の人権団体のような反早婚思想を示しているわけではないが、我が国にはそうしたことは問題視されていないので理由にならない。
   むしろ高校を中退せざるをえなかった。あるいは退学されられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきではないだろうか。
 民法学者の中川淳[1993]は「社会的・経済的な家庭生活の維持という立場、一八歳という年齢設定をしてもよい」平均初婚年齢が20歳を下ることはないことなどを18歳引き上げの理由としているが、平均初婚年齢は、社会的、経済的、文化的状況の変数であり、人々おかれる社会的、経済的、文化的状況が異なるから早婚の人もいるし、晩婚の人もおり生涯未婚の人もいる。結婚するには経済的収入は重要であるが、各人のおかれた立場はことなり平均にあわせる必要などないのであり、このように漠然とした理由では、幸福追求に不可欠な権利を剥奪を正当化するほどの理由とはとても思えないのである。
 アメリカの統計では未成年者の結婚は0.5%程度であり、我が国では0.21%と低く、圧倒的に18歳以上の結婚が多い。しかし0.21%だから切り捨ててよいという問題ではない。民法はあらゆる境遇におかれた国民に対応できるものでなければならず、特定の社会階層の価値観から一刀両断してよいものではない。
 
  3. 野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された
 野田愛子氏とは女性初の高等裁判所長官、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。
「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。
 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。
 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題らように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)『戸籍時報』419 18頁〕
 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。」 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているだろうが、それが二千人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。
 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ結婚の価値は高いものであるといえよう。
 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願達であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。
 ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから、このような結婚を認めることが性的分業の定型概念を助長するためよろしくないということになるが、しかし、ジェンダー論による男女共同参画法のもとに政府が行っていることとはいえ、憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪しない形でも可能なのであるからそれを選択すべきである。
 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。
 

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2017-02-08

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6 PDF http://nownyc.org/wp-content/uploads/2016/02/Factsheet.pdf

7PDF「諸外国における成年年齢等の調査結果」ttp://www.moj.go.jp/content/000012471.pdf

 

2017/05/14

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)婚姻の自由の抑制と憲法問題

婚姻の自由の抑制と憲法問題
1.再婚禁止期間違憲訴訟の判断基準に照らしても違憲の疑いがある


 私の考えでは、16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、憲法13条の幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性にいずれも反していると判断するのでその理由を述べる。
 またわたくしの修正案は、成人年齢を18歳に引き下げる前提で男女とも結婚相手が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正するというものである。
 つまり16歳-16歳はだめだが、男女いかんにかかわらず配偶者の一方が成人の18歳であれば18歳-16歳で結婚可能とする案である。
 未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉も継続すべきという主張である。
 形式的に男女平等の案であるから、14条1項の問題は基本的にクリアしており、14条1項も争点としたのは17歳が結婚できなくて、18歳なら結婚できるという年齢差別の問題だけであるから、主たる問題はもっぱら従前の16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪の憲法的適合性である。
 1996年法制審議会民法部会長だった加藤一郎元東大総長も、現行の男女別の取り扱いは子合理的理由があり合憲といっているので、男女別の取り扱いを維持する案でもよかったが、世間の空気に妥協し、男女同じ取り扱いとしたものである。
「婚姻をする自由」については近年注目された再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427が14条1項と24条1項についての違憲判断基準を判示している。
「憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(引用-略)。そして,本件規定は,女性についてのみ前婚の解消又は取消しの日から6箇月の再婚禁止期間を定めており,これによって,再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別しているから,このような区別をすることが事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法14条1項に違反することになると解するのが相当である。
 ところで,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断を行うことによって定められるべきものである。したがって,その内容の詳細については,憲法が一義的に定めるのではなく,法律によってこれを具体化することがふさわしいものと考えられる。憲法24条2項は,このような観点から,婚姻及び家族に関する事項について,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。また,同条1項は,「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しており,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたものと解される。婚姻は,これにより,配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)などの重要な法律上の効果が与えられるものとされているほか,近年家族等に関する国民の意識の多様化が指摘されつつも,国民の中にはなお法律婚を尊重する意識が幅広く浸透していると考えられることをも併せ考慮すると,上記のような婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる。
 そうすると,婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」
 本件は憲法14条1項の違憲審査基準の合理的関連性のテストという緩い審査基準を採用しながら6か月の禁止期間が、父性の推定の重複を回避するという立法目的と合理関連性がないとして違憲と判断されたものである。
 この判決で補足意見を記した千葉勝美元最高裁判事の著書は「婚姻する自由」について次のようにいう。
「『婚姻する自由』はあくまでも婚姻という法制度を前提としたものであり、婚姻の制度をどのような内容とするかは、我が国の歴史、伝統、婚姻の形態の変遷や国民の意識、家族観等を踏まえた立法裁量によるものであるから、「婚姻する自由」は具体的な法制度である婚姻制度を前提としたものであって、いわゆる天賦人権とはいえない。そうすると、再婚禁止婚期間の定めは、基本的人権の制約ないし自由権の規制そのものではなく、その意味で合憲性審査も、厳格な基準により判断される必要はない。しかしながら婚姻について誓約を設けることは、自由な婚姻に関する無利益(それが憲法上の基本的人権とはいえなくても、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であろう)を制限するものであることは間違いなく、制約が過度なものである場合には、憲法適合性が問題になる」としている。
 基本的に立法裁量といっているのは、我が国の歴史、伝統、婚姻の形態の変遷や国民の意識とかけはなれた主張、たとえば重婚する権利とか、同性婚の権利の主張に対して、それが直ちに憲法問題となるのではなく、立法裁量の問題とするのはうなずける。
 しかし、従来から国民の権利だった婚姻適齢の引き上げは別の問題である。
 婚姻年齢の制限は正当な立法目的と実質的な関連がなければないないと判断する。
そうすると、婚姻年齢の制限の立法趣旨は、婚姻適応能力のない社会的・精神的に未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反することが懸念されるということにあるといえるだろう。
したがって16歳・17歳女子の婚姻資格当事者をはく奪するにあたっては、それが当事者の福祉は反する、あるいは当事者の最善の利益にならないという合理的な根拠がなければならない。
しかし、これまで法制審議会その他が示した法改正趣旨に合理的なものがひとつもないのである。
むろん合理性のテストは、緩いものでありなんらかの理屈が示さればそれでよいといしう主張もありうるが、16・17歳の資格はく奪は、婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すものであり、さらに再婚禁止期間とは違って、従来権利であったものをはく奪するものなので、余計に慎重であるべきであり、たんに理屈があればよいというものではない。
しかも結婚に伴う利益は、配偶者の相続権や夫婦間の子供が嫡出子になることにどまるものではない。
相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益こそ重要である。性欲を充足できることはもちろん重要だが、結婚相手こそ最大の共感的理解、ともに励まし合い、感謝しあう間柄としての結婚は、人生の困難を緩和させ、喜びを倍に、苦労を軽減させるのである。憲法13条の幸福追求権、人格的利益のはく奪として問題にされるべきである。
以下、主張されている見解について逐一反論する。
(1)成人年齢を18歳に引き下げるにあたって、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉親の同意要件を廃止して、男女とも18歳とするのが法制度としてはシンプルで合理的という説明
米国では大多数の州で16・17歳は親の同意があれば結婚できる。我が国の成人擬制と同じ未成年解放制度をとっている、外国の立法例からみて、上記の見解が合理的とは思えない。
(2)世界では婚姻適齢を18歳とするのが趨勢という説明
英国は16歳が婚姻適齢、米国の大多数の州は16歳が婚姻適齢、カナダの主要な州は16歳を婚姻適齢としており事実に反する。
(3)婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるという説明。
社会的、経済的結婚生活の維持という観点で、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力がないというのは合理的な理由はない
高校が義務教育でない以上、義務教育終了後、高校以外の専門学校進学・就業・行儀見習い・結婚、何が子供にとっての最善の利益であるかは、それは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえず、上記の説明は合理性がない。
 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない
経済的に女性が高卒程度の賃金を得ることが結婚生活を維持するために必要という主張も合理性はない、中卒でも収入は得られるし、配偶者に稼得能力があれば問題ないし、婚家が自営業の場合も問題ない。裕福な家なら親から経済的援助が得られる場合もあり、結婚生活の維持という観点から婚姻適応能力がないという断定はゆきすぎである。
義務教育のみもしくは高校中退で学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。結婚により相互扶助の共同体を形成することこそ後期中等教育を受けることを強いることよりも当人にとっての利益となる人々は存在するのである。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すとき、改正案の理由の裏付けは乏しい。
(4)近年フランスがイスラム系の移民が増加し、親が未成年者に結婚を強制することが社会問題となり婚姻適齢を引き上げた事例があるが、我が国では、子供に強制結婚をさせるようなことは社会問題になっておらず、西欧の結婚文化と異なるイスラム圏の移民も少ない。フランスのような立法例も合理的な理由とはいえない。
(5)外国では子どもの人権活動家が統計的に早婚は貧困を促す、離婚率が高い、配偶者から暴力を受ける可能性が高いなどの否定的な見解が示されることもあるが、初婚年齢は社会的、経済的、文化的状況で変異する変数で、人々がおかれた状況はそれぞれ異なるので、合理的な理由とはならない。
(6)年齢制限は待婚を強いるだけで、当事者の将来の結婚それ自体を否定しないとする見解もあるかもしれないが、先に述べたように相互扶助共同体として結婚の意義があるのであり、1年とか半年待たせるというのは苛酷なことである。また幸福追求権の観点で、恋愛感情の絶頂で、結婚するのが最も満足度の高いものであるから、結婚はタイミングが重要であり、恋愛感情がさめないうちに結婚すべきである。
(7)婚姻適齢引き上げによりこどもが非嫡出子となっても、嫡出子との相続分での差別は撤廃されたので子供に不利益にならない主張があるが、法律婚制度をとっている以上、非嫡の子供を増やす政策は本末転倒している。
(8)法律婚を否定されても、経過的内縁関係まで否認するものではないという主張もありうるが、法律婚制度をとっている以上、また立法趣旨で婚姻適応能力がないとされるのだから、建前として事実婚を慫慂するようなことはできないのであり、実質待婚を強いることになる。
(9)具体的な事例で例えば平成10年歌手の高橋ジョージが15歳年下の16歳の三船美佳と結婚した事例がある。鴛鴦夫婦として知られていたが、平成27年協議離婚した。
離婚は遺憾だが、それは成人間の結婚でもありうることであり、三船美佳はタレントしとしても成功しており、この結婚が未成年者の福祉に反した結婚であるとは断定できない。もし政府がそういいつのるなら高橋ジョージ氏に大変失礼な見解ということになる。
(10)私の案では男女いかんにかかわらず18歳-16歳で結婚可能とする案であり、形式的に平等であるが、とはいえ実際は未成年者側が女子になるケースが多数と考えられる。結局この案では、夫の稼得能力に依存した結婚となり、男女役割分担の定型概念を助長するとのジェンダー論者から難色が示されると考えられるが、憲法14条や24条はジェンダー論を公定イデオロギーとするものではなく、そのような政策的目的と当時者の福祉、最善の利益に反するという本来の年齢制限の趣旨とは無関係である。権利をはく奪する
人類学者は婚姻家族を定義して性的分業を前提とするものとしている。政府は本来、民間の家族観、夫婦倫理に干渉すべきではないし、それは私的自治の領域であり、我が国の民法も特定の結婚観をおしつける性格ではない。
例えば宗教改革500周年だが、マルティン・ルターが家庭訓と呼んだコロサイ書3:18~4・1が家庭倫理の規範とするならば
コロサイ書3:18「妻たる者よ、夫に服従しなさい。それが、主にある者にふさわしいことである」は決定的に重視しなければならない。
私は新約聖書の夫婦倫理護持の立場なので結婚することがあれば妻にそのように教育する。夫婦がそのような立場をとるにせよ。堀北真希のように仕事と家庭の両立という政府の政策に逆らって、専業主婦になろうと、それは国民の自由であり、私的自治への干渉は非難されるべきことで信教の自由は憲法上の権利であるから政府が干渉は許されない。
(11)婚姻適齢を18歳とすることは、婦人団体や日弁連女性委員会が古くから主張していたことで、18歳引上げは、安倍首相の秘蔵っ子稲田朋美政調会長によって承認された事項なので「安倍ユーゲント」と化した自民党議員としては逆らいにくい問題だが、圧力団体メンツを重んじることしは合理的な理由にはならない。
引用
千葉勝美
2017『違憲審査-その焦点の進め方』有斐閣

2017/05/08

民法731条改正案反対シリーズ(下書き)成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い

成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い

 民法学者に多いのが、成人擬制と親権者の同意要件を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的という見解であるが、私は大反対である。

 未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。一定の未成年者は、婚姻について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきである

 すでに述べたように米国では16歳を婚姻適齢とする州が三分の二以上を占めるが、16歳未満でも裁判所の承認等により未成年者でも結婚は可能としている州が多い。

 米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水2017

 したがって、米国の例からみて成人を18歳に下げても婚姻による成年擬制があって当然よいのである。

  法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。婚姻適齢や証拠法上の証人は、成年より低い年齢を設定している。ローマ法も同様の規定であるが、現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たないニminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]

 スコットランド法の特徴は、16歳であらゆる契約締結能力をもたせており、12歳以上で遺言の作成、弁護士に代理を支持する能力を持つとする。

 イングランドにおいては同じ未成年であっても16歳未満がchild1617歳のyaung

Personでは明確な線引きがあるのが特徴である。

 有効な意思確認は12歳以上、ヘッドギアなしの乗馬14歳以上、婚姻16歳以上(親の同意要、スクーターの運転16歳以上、避妊ピルの購入16歳以上、宝くじの購入16歳以上、オートバイ、自動車の運転17歳以上、飲酒は購入が18歳以上だが、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上となっている。[田巻2017] 

 私は英国の制度が必ずしも良いとは思ってないが婚姻適齢についは妥当であると考える。

 我が国の伝統社会(中世以降の臈次情合成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。

適切な例とはいえないが現行でも例えば映画の観覧制限は成人年齢とは関係ない、ピンク映画は18歳未満観覧制限だが、PG12指定、R15指定と段階があるはず。成人・未成人の線引きを明確にすることにこだわる理由はない。

 米国では証拠法や医療などで「成熟した未成年者の法理」がある。(註) 成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者の権利能力をことさら否定し子供扱いすることは全く不当といえるのである。

 私の提案は、未成年者の結婚は親権者の同意要件を継続させるというもので、未成年者のオートノミー・自己決定を重視しすぎるものではないから穏当なものであると思う。

1990年代の統計では1617歳女子の婚姻は年間3千組ほどあり、これは決して少ない数ではない。私は建前の議論を好まないし、法律家だけでなく発達心理学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分とて認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。

今回の改正案は性的に早熟な女子に対する敵意が看取できるが、性的に乱交傾向のある少女は、性的同一性の発達課題からみるべきであって、相手を独占できる結婚は情緒的に安定するので、結婚という選択肢を否定するのは酷である。

特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法定め相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。

また「足入れ婚の悲劇」を助長する蓋然性も指摘しておく。試験期間をへて段階的に婚姻が成立する習俗であるが、足入れ婚は昭和40年代ころまでは広範におこなわれており、トラブルも少なくなかった。足入れしても舅姑が気に入らないと破談となるケースもしばしばあり、法律婚年齢の引上げが当事者にとって不利益になる場合もあると考える。そんなことをいうと都会人から一笑にふされるかもしれない。法律家などのインテリ階級には無縁なことかもしれないが、民法は、特定の社会階層や都会の人のためにあるのではない、農山村や離島において今なお古風な婚姻慣習がなされている可能性はあり、民法は国民全体の婚姻慣習に適合的なものでなければならない。

さらに18歳での一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すということである。18才未満は憲法上の権利を享受しえない、第二級国民に貶められる危険性である。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のJKビジネス就労規制、セクスティング規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、死語となったはずの桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを強く懸念する。恐ろしい時代になりかねない。

 

(註)[米沢広一1985]より引用する。

 コモン・ローの一般原則では、医者が未成年の患者を治療する場合、親の同意が必要であるが、しかし州法では①緊急性の法理、②親の後見を離れた未成年者の法理、③成熟した未成年者の法理により例外により、親の同意を得ずとも本人の同意で治療できるものとしている

 

. Planned Parenthood v. Danforth, 428 U.S. 52 (1976)18歳未満の未婚の妊婦が妊娠初期12週間以内に中絶を行うには親の書面による同意が必要であるとするミズーリ州法を違憲とした。ただし多数意見は、未成年者を一律に扱うのではなく、成熟した未成年者と未成熟な未成年者とを区別し、後者の判断は留保している

.Bellotti v. Baird, 443 U.S. 622 (1979)18歳未満の未婚の妊婦が妊娠初期12週間以内に中絶を行うには両親の同意を要し、一方の同意が得られないとき正当かな理由がある場合には裁判所によって中絶の決定がなされるというマサチューセッツ州法を違憲とした。この判例は一律に年齢を基準とせず、中絶決定を行うのに十分成熟している未成年者、成熟していなくても中絶が妊婦の最善の利益となる場合中絶は認められなければならないとした

.City of Akron v. Akron Center for Reproductive Health, 462 U.S. 416 (1983) 15歳未満の妊婦の中絶に際して、両親の一方の書面による同意、裁判所の同意を要するとしてアクロン市条例を違憲とした。法廷意見は個別判断のための手続きを創設しなければ

ならないとする。

.しかし、Planned Parenthood Assn. v. Ashcroft462 U.S. 476 (1983)では、18才未満の未成年者の中絶を行うために。(ⅰ)本人の同意に加えて親の同意の一方の同意を得るか(ⅱ)未成年者が親の後見を離れている場合に本人の同意を得るか(ⅲ)未成年者自らが同意する権利を裁判所によって与えられるか(ⅳ)裁判所は、中絶への同意に関して成人と同等の権利を求める申立を容認するか、中絶が未成年者の最善の利益と認定するか、理由を明示して申立を却下せねばならないと規定するミズーリ州法を合憲とした。ブラックマン判事の一部反対意見は、未成年者の中絶決定の拒否権を親や裁判所に付与することを違憲とみなしている。

.いくつかの州法は精神病院への親の同意による未成年者の強制入院について、18歳よりも低く設定している。テネシー州、コネチカット州は16歳未満、バーモント州は14歳未満を未成年者とする。

.いくつかの州法は年長の未成年者の親の同意による入院につき、本人の同意も必要としている。ワシントン州は13歳以上、ウィスコンシン州は14歳以上。またイリノイ州は12歳以上の本人の意義申し立てを認め、聴聞会が開催される。ウィスコンシン州は14歳未満についてそのような規定がある。

.ペンシルベニア州は14歳以上の未成年者につき、原則として自らの意思で退院できるとする。

.親の後見から離れた未成年者の法理により、結婚したり、出産したり、軍隊に入隊したり、親と別居し独立した生計を営んだりする未成年者についても自らの治療に同意しうると、多くの州が規定している。

.成熟した未成年者の法理により、ごく少数の州法(アーカンソー、ミシシッピ)は、治療の結果に十分なに認識力を有する未成年者は、治療に自ら同意しうるとする。

.オレゴン州は15歳以上の未成年者は自らの治療に同意しうる。

.. ほとんどすべての州は、性病、アルコール中毒、薬物中毒等の治療と献血について、一定年以上、またはすべての未成年者が自ら同意しうるとしている。

 

引用・参考

薗部寿樹

2010『日本の村と宮座』高志書院

田巻帝子

2017「「子供」の権利と能力-私法上の年齢設定-」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

 永水裕子

2017「米国における医療への同意年齢に関する考察」山口直也編著『子供の法定年齢の非核法研究』成文堂所収

 平松紘・森本敦

1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収

米沢広一

1984 「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-1- <Articles> Child, Parent and State神戸学院法学 152

1985a「子ども、親、政府-アメリカの憲法理論を素材として-2-Articles> Child, Parent and State (2) 神戸学院法学 153

1985b 「子ども,,政府--アメリカの憲法理論を素材として-3- <Articles> Child, Parent and State (3) 神戸学院法学 154

1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 1

2017/03/26

民法731条改正案反対。16・17歳女子婚姻資格剥奪絶対反対 再修正版  

 要旨

 

〇成人年齢18歳引き下げに伴って政府の民法731条改正案は、法定婚姻適齢を現行の男18歳、女16歳から、男女とも新成人年齢の18歳として、現行の16・17歳女子の婚姻資格を剥奪したうえ、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉を廃止するというものであるが、私は強く反対である。

 

〇男女とも結婚相手が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正し、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉も継続すべきである

 

 

(本心は現行法改正に反対であるけれども、この土壇場の状況では男女の取扱の差異

の肯定に固執するのは得策でないと判断し、16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪、婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視についてのみ異を唱えるものである。むろん選択肢としては、男女とも16歳として男女の取り扱いの対等とする案もありえるが、成年擬制との関連で反対論が予想できるので、上記の一方が18歳なら1617歳での結婚を認め、737条と753条も維持するという修正案なら米国のアイオワ州[i]、ドイツの立法例がこれに相当し現実性があると判断した)

 

以下、理由の詳細について目次

1.男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

1)法制審議会のいう男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

2)婚姻適齢 18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている

〇先進国において16歳が婚姻的適齢とされている立法例

A.英国

B.ドイツ

Cアメリカ合衆国

a)要旨

b)男女とも16歳を婚姻適齢の基準としている州が多い理由

c)年少者の婚姻可能性を否定しない理由は何か

 

D[参考]英国の婚姻法制の歴史と婚姻適齢

a)古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ

b1604年教会法は教会挙式と21歳未満の親の同意を要件とするが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた

c1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化、古き婚姻約束法を無効とする

d)グレトナ・グリーン結婚-それでも自由な結婚が有効だった

e1929年齢法

2) 16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

A 高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

B 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い

C 野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された

2.婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視

1)結婚は自由でなければならないという西洋文明婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに強く反対である。

 

A「結婚は自由でなければならない」というのは教会法の理念だった

B 情欲の鎮和剤としての結婚目的は決定的なものなので軽視できない

C「情欲の緩和」は発達心理学の観点からも結婚の目的として妥当であり、それゆえ婚姻適齢を高めに設定することに反対である

D 憲法13条幸福追求権をを軽視しすぎている

(参考)「明治11年の東京評判美人番付」と婚姻適齢

 

1)男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない。

 

 

理由

 

1男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

 

1) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている

 

〇先進国において16歳が婚姻的適齢とされている立法例

 

 

 男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由は婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であること、婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、いずれも論理性は全くない。

 ここでは、英国・ドイツ・アメリカ合衆国の婚姻適齢法制をとりあげるがいずれも16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りで、法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論しており、国会、国民を騙す詐欺行為はきわめて悪質である。

 

A 英国

 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991

 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。それ以前はコモンローの男14歳・女12歳であった。英国婚姻法の歴史的変遷については参考Dにて解説する。

 

B ドイツ

 東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(18)である。ただし、当事者の一方が満16差歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]

C アメリカ合衆国

a)要旨

 我国の現行法定婚姻適齢は、1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。

 しかし現在では多くの州(33州)は男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも裁判所の承認で婚姻可能としている州が多い。27州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、裁判所の承認により結婚可能である。

 各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールのhttps://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがあります。このほかhttp://family.findlaw.com/marriage/state-by-state-marriage-age-of-consent-laws.htmlState-by-State Marriage "Age of Consent" Lawsもある。

 

b)男女とも16歳を婚姻適齢としている州が多い理由

 男女とも16歳としている州が多い理由の第1は、米国には私法の統一運動があり70年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)としモデル案を示していたことによる。

 16歳は親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。

 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法()は次のとおりである。[村井衡平1974]

203

1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(2052a)を得ていること‥‥

205[裁判上の承認]

a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、

1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が枯れの婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、

2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。

 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。

 第2の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州が批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないので、男女差のある州も残っている。

 このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった1617歳女子の婚姻資格を剥奪する方法をとってないことを強調したい。

各州ごとに検討するとおおまかにいうと次のとおりである。

婚姻年齢男女共16歳以上 33州とコロンビアDC

婚姻年齢男子18歳女子16歳 デラウェア、オハイオ、ロードアイランド

婚姻年齢男女共15歳以上 ハワイ

婚姻年齢男女共17歳以上 ネブラスカ

婚姻年齢男女共17歳以上【特殊な事情で】 インディアナ、ワシントン、オレゴン

婚姻年齢男子17歳女子16歳 アーカンソー

婚姻年齢15歳以上 ミシシッピ

婚姻年齢15歳以上【特殊な事情で】ミズーリ

婚姻年齢男女とも原則18歳以上 カリフォルニア、ケンタッキー、ルイジアナ、ウェストヴァージニア

婚姻年齢男子14歳女子12歳マサチューセッツ【コモンローと同じ】

婚姻年齢男子14歳女子13歳ニューハンプシャー

 

 18歳を原則としている州も4州あるが、18歳未満でも裁判所の許可などで救済できるシステムがある。

 つい最近の報道により次の事実を把握した。

27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。

「ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 3 つの州の一つである」

Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To Marry

February 14, 2017 10:58 PM

 CBSの記事である。記事自体は年少の結婚に反対する議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出すというものだが、それは少数派なのである。

 

c)年少者の婚姻可能性を否定しない理由は何か

 

 これは推測だが、やはり合衆国では、年少者の婚姻資格斬り捨てをしない理由として憲法により明文されていないが、結婚の自由憲法上の基本的権利とされていることと関連があると考える。

 連邦最高裁が初等教育で外国語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築は子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとした。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。

 そして連邦最高裁はLoving  v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニア州の異人種婚姻禁止法を違憲とし、実体的デュープロセスとして結婚し家庭を築く権利を憲法が保障することを明らかにした。筆者は見てないが。この事件を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が我が国でも公開され、その宣伝によればアカデミー賞最有力とのことである。

 Zablocki vRedhail 434 US 374 1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。

 Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]

 このような結婚の自由の判例の進展からみて年少者の結婚について憲法問題になっていないとしても、慎重な政策が求められるのは当然といえる。

 第二に18歳未満で妊娠したり結婚する事例が少なくないことなどもあげられるだろう。年少者の結婚を否定できないのである。

 

 以上のように英米独の立法例と比較すると、我が国政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は慎重さを欠き、配慮を欠くものとして非難されてやむをえない。

 

D[参考]英国の婚姻法制の歴史と婚姻適齢(古法こそ婚姻が自由だった)

 

 結婚は自由でなければならないという法諺があるが、それは中世教会婚姻法の理念だった。この法文化をもっとも色濃く継承しているのがイギリスである。英語圏の現代人の結婚観に色濃く影響を与えているし、我が国の憲法24条に影響をもたらしている。トレント法会議は教会挙式を要求した。しかし、イギリスは宗教改革によりトレント公会議を無視した。ゆえに中世の無式合意主義婚姻が生ける法として継承した。婚姻の自由の理念的基盤ははなはだ大きい。それはもはや文明的基盤ともいうべきものである。ゆえにわたくしは安易に婚姻の自由を抑制することに反対なのである。

 

a)古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ

 (人類史上もっとも結婚が容易に成立する法文化)

 婚姻適齢は男14歳 女12    [ルネ・メッツ1962 滝澤聡子2005] (親の同意要件なし、諾成婚姻理論で挙式を要しない、1753年イングランドで世俗議会立法により古典カノン法は無効となり、挙式を要件とし、未成年者の親ないし保護者の同意要件を課すようになるが、男14歳、女12歳という基準は1929年迄続く)

 14歳 女12歳はローマ法の継受であるが、教会法学者はさらに緩く解釈したとされる。「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601[フランドラン1992 342頁]。

 (なお教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。[ルネ・メッツ1962]カトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、婚姻適齢を男子16歳、女子14歳としている。カトリック教国が14歳でも結婚可能としているケースがあるのはそのためであるが、歴史的に影響力が大きいのは古典カノン法である。ローマ法から中世教会法、コモンロー何れも男14歳、女12歳である、今でもマサチューセッツ州が古い時代のままである。]

 メイトランドがまさしく述べたように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。10世紀に西方キリスト教世界では教会の霊的裁治権として婚姻を教会裁判所の管轄権とした。特に英国では婚姻と遺言による動産処分等は教会裁判所の管轄権として明確であり近代まで続いた(イングランドで議会制定法により中世教会婚姻法を無効となったのが、1753年。家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である)。

婚姻はキリストと教会の結合の聖なる象徴とされ1112世紀に秘跡神学が進展し秘跡とされるようになり、12世紀の教皇授任裁判の進展により、とくに英国から婚姻事件の活発な教皇上訴があり、教皇アレクサンデル3世(在位11591181)無式緩和的合意主義婚姻理論(それは教皇自身の持論でもあったが、概ね中世最大の神学者ペトルス・ロンバルドゥスの理論と同じ)[塙陽子1993 島津一郎1974][ii]が決定的に採用され古典カノンン法が整備され、古典的教会婚姻法が成立した。

 ここで強調しておきたいことは、合意主義婚姻理論の裁定として初期のものに12世紀中葉のアンスティー事件がありこれはイギリスの事案であり、イギリスで採録されたものが古典カノン法となっているケースが多い。クラレンドン法による聖俗の対立にもかかわらず、イギリスが古典カノン法の形成に大きく寄与していたということは、そもそもイギリスの風土に古典カノン法は親和的だったということにほかならない。

 古典的教会婚姻法の最大の特徴は、諾成婚姻理論により挙式を要求せず、二人以上の証人(俗人でよい)のもとで「我汝を妻とする」「我汝を夫とする」といった現在形の言葉による男女の合意により容易に婚姻が成立する。将来形の言葉による合意は、合衾した時点で婚姻は成立する。緩和的合意主義というのは、合意で婚姻が成立するが、合衾により完成婚となり婚姻不快消な絆となるということである。

 第二に領主や親の同意要件がないこと。このために教会婚姻法は秘密婚や誘拐婚の温床となり、世俗権力から非難を招くことになるが、教会は当事者の自由意思による結婚を断乎擁護し、数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。

 なお、なぜ婚姻は自由でなければならないかについては、後述の婚姻の自由の抑制に対する反対論で詳しく触れるが初期スコラ学者がコリント前書79を根拠として情欲の鎮静剤としての結婚目的として重視したことによる。ふしだらな行為を避けるための結婚である。情欲(淫欲)が自制できない大部分の人々は結婚したほうがよい。そうしなければもっと悪いことをする、姦淫の罪を犯し、子は私生児になる。だから婚姻は容易に成立するものでなければならないというのが婚姻法の理念だからである。性欲を有する男女は婚姻適齢とされたのである。 

 1217年にラテラノ公会議が合意主義の欠点を補うため婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。

 しかしカトリック教会は無式合意主義の弊害を除去し、教会法が秘密婚と誘拐婚の温床となっているとの非難をかわすため1563 年トリエント公会議第24 総会で婚姻法改正が採択し、新たに教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである。[滝澤聡子2005]しかしフランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は拒否、このためガリカニスム教会(フランス)はトレント公会議の採択を拒否、1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化の嚆矢となった。

 フランス王権は婚姻の公示を義務付け成人年齢を男30歳、女25歳と高めに設定して未成年者の婚姻に親の同意要件を課し、秘密婚を防止したが、対照的に英国は宗教改革によりトレント公会議の婚姻法改正を受けいれる必要がなく、要式主義はとらない中世の古典カノン法の諾成婚姻理論がそのまま、古き婚姻約束の法として継承され、これをコモン・ロー・マリッジともいう。居酒屋など俗人当時者の合意により容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。中世、英国においてにおいて教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所である、それは寡婦産の確定のためだった。土地の相続は世俗裁判所の管轄だからである。

 

b1604年教会法は教会挙式と21歳未満の親の同意を要件とするが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた

 

  1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなり、親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していたといえる。

 

c1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化、古き婚姻約束法を無効とする

 

 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効とした。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b]  

               

d)グレトナ・グリーン結婚-それでも自由な結婚が有効だった

 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。

 このため未成年者で親の同意のないケースや、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に結婚媒介所が営業されるようにった。、結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃える二人が胸を轟かせ恋を成就させるためにスコットランドを目指すロマンチックな結婚は人気となった。スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚といい、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。[加藤東知1927、岩井託子1996a]

 グレトナ・グリーン結婚の衰退は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。

 

e1929年齢法

 婚姻適齢を男女とも16歳となり、未成年者(当初は21歳以下)は親ないし保護者の同意を要する。)

 以上イギリスにおける婚姻の自由の歴史を概観して記述した。

 

2)16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

 

 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権に一つに含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990代には年間3千組の当事者が存在していた16・17歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならないがそのようなものはない。また16・17歳女子の婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱なのである。

 

A 高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

 義務教育終了後、進学・就職・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。当事者にとって結婚が最善の利益に役立つと親も本人も判断するなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではない。

 仮に、せめて高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果4466%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。

16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だった。16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。

 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は以前存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」

 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」

 

 

B成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い

 

 民法学者に多いのが、この見解である。成人擬制〈753条〉を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的というものである。

 しかしながら法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。ローマ法も同様の規定であるが、現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たないニminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]

 我が国の伝統社会(中世以降の臈次情合成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。そもそも法律はシンプルであるのがよいというものではない。民法はなによりも民間の婚姻慣習や実態を無視できないのである

1990年代の統計では1617歳女子の婚姻は3千組ほどあり、これは決して少ない数ではない。私は建前の議論を好まないし、法律家だけでなく発達心理学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分とて認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。

そもそも法制審議会は性的に早熟な女子に対する敵意により婚姻資格をはく奪すべきでない。性的に奔放な女性は問題視するか否かは価値観の問題である。

特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法廷相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。婚姻適齢の引き上げによって妊娠中絶におこいまれる女子もでてくるかもしれない。誰が責任をとるのですか。

また「足入れ婚の悲劇」を助長する蓋然性も指摘しておく。試験期間をへて段階的に婚姻が成立する習俗であるが、足入れ婚は昭和40年代ころまでは広範におこなわれており、トラブルも少なくなかった。足入れしても舅姑が気に入らないと破談となるケースもしばしばあり、法律婚年齢の引き上げが当事者にとって不利益になる場合もあると考える。そんなことをいうと都会人から一笑にふされるかもしれない。法律家などのインテリ階級には無縁なことかもしれないが、民法は、特定の社会階層や都会の人のためにあるのではない、農山村や離島において今なお古風な婚姻慣習がなされている可能性はあり、民法は国民全体に適合的なものでなければならない。

さらに私が懸念することとして、18歳での一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すということである。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のセクスティングの規制、JK性風俗の規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを懸念する。18歳以上は大人、未満は子供なので無権利でいいという極端な合理主義的思考に反対する。

歴史的にみても1617歳の女子は性的に成熟し婚姻にふさわしい年齢であったはずである。(文末論考「 明治11年の東京評判美人番付」参照) 

 

 

. 野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された

 

 野田愛子氏とは女性初の高等裁判所長官、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。

 

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳にに揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文をを設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということもね問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかねというようなことも一つのり疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題らように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』419 18頁〕

 

 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。」 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているだろうが、それが二千人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。

 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減される。そのような人間学的考察からみても年少者であれ結婚の価値は高いものであるといえよう。

 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願達であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。

 ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから、このような結婚を認めることが性的分業の定型概念を助長するためよろしくないということになるが、しかし、ジェンダー論による性的分業のむ定型概念の否定することによる社会変革は、男女共同参画法のもとに政府が行っていることとはいえ、憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪をしない形でも可能でなのであるからそれを選択すべきである。

 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。

2. 婚姻の自由の抑制に強く反対

 

 政府の法改正案は、たんに1617歳女子の婚姻資格はく奪というだけではない。男性にとっても1617歳女子に求婚し結婚する権利をはく奪するものである。これはかなり痛い権利喪失に思う。

 タレントの高橋ジョージが15歳年下の三船美佳と結婚したことはこれまでは正当だったが、今後は非行となる。

 1617歳女子と結婚ないし婚約した偉人としては、まず『失楽園』『言論の自由』などで著名なジョン・ミルトン、16歳美少女メアリー・パウエルと結婚。性格の不一致で『離婚論』執筆の動機となった女性である(死別)。米国植民地時代の宗教指導者コトン・マザーの初婚女性は16歳だった(死別)。同じくボストン第二教会牧師で超絶主義哲学者のエマーソンの初婚の女性エレン・ルイザ・タッカーとの婚約時17歳で、婚約後結核と判明し喀血する病人であったが結婚、南部へ転地療養の甲斐なく死別し、悲しみのあまり墓を掘り返したという。1896年プレッシー対ファーガソン判決の反対意見で偉大な少数反対意見として知られているジョン・マーシャル・ハーラン判事、黒人解放の先駆者は旅行中に出会った16歳のマルビナ・シャンクリンに求婚し2年後に結婚している。内助の功のある妻としてエピソードが知られている。このほか結婚はしなかったがメソジストのジョン・ウェスレーがジョージア伝道でサラという18歳の女性との恋愛事件が知られている。総じていえば理想主義者は1617歳の若い女性が大好きだということだが、それはノーマルであって、年増女好きなジョージ・ワシントン池田いけたずれも偉人である彼らが非行を犯したわけでは全くない。コモン・ローの婚姻適齢女12歳であり、16歳は成熟した女性なのである。16歳でブレイクしたタレント広瀬すずが、照明さん等裏方を見下す発言をして生意気だというが、私はそう思わない。1617歳は成熟した女性でほとんど大人ですよ。

 にもかかわらず婚姻資格をはく奪する。これは婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視とした糾弾されるべきである。

 

 

1)結婚は自由でなければならないという西洋文明婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに強く反対である。

 

 

A 「結婚は自由でなければならない」というのは教会法の理念だった

 

 それは人類史上類例のない婚姻成立が容易な法文化である。

 この理念は我が国にも基本的に継受している。憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」というのは12世紀古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論に由来するものだからである。

 むろん憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識して起草はしていないかもしれない。

 しかし、人類史上、親や領主の承諾も不要、教会挙式も不要、個人の合意のみで(理念的には二人の証人かなくても、正確にいえば現在形の言葉での合意で婚姻は成立する。将来系の婚姻約束は合衾した時点で婚姻が成立する)婚姻が成立するというのはラテン的キリスト教世界の教会法だけなのである。合意主義的婚姻理論とは、ランのアンセルムス、シャルトルのイヴォ、サンヴィクトルのフーゴ、ぺトルス・ロンバルドゥスといった神学者が理論化し、教皇アレサンデル3(115981)、が決定的に採用したカノン法となったものである。むろんローマ法の諾成婚姻理論を継受したという側面もある。

 教会挙式は16世紀のトレント公会議以降義務付けられたのであり、イギリスにいたっては、宗教改革でトレント公会議を否定したので、古典カノン法がコモンローマリッジとして18世紀中葉まで生ける法だった。居酒屋であれ二人の証人さえいれば容易に婚姻は成立したということは既に述べたとおりである。

 なぜ、グラティアヌスなどの合衾主義を採用しなかったかというと三つ理由がある、一つはヨゼフは許婚者というのがならわしだが、フーゴはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張し、合衾がなくても婚姻は成立するとせざるをえなかったためである。第二は合意がなければ結婚はないということは、独身を通し聖職者になる可能性を拡大した。第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件の上訴の裁定によりカノン法になったもので、婚前交渉のある北西ヨーロッパの基層文化に合致していた。処女性を重視する地中海地方では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである 

 既に述べたとおり教会法学者はローマ法の男子14歳・女子12歳をさらに緩く解釈した。

 しかしなんといっても教会法に特徴的なのは領主や親の同意要件を一貫して否定したことである。このためにフランスガリカ二スム教会は、トレント公会議を拒否し、国王は1566年に独自の婚姻法を定めた。婚姻法の還俗化の嚆矢であるが、既に述べたとおりイングランドで婚姻法が還俗化し21歳以下の親の同意要件が実効性をもったのは、1753年、それでもスコットランドに越境すれば、自由な結婚が可能だった(グレトナ・グリーン結婚)スコットランドでは今日でも親の同意要件はない。

 『中世イギリスに生きたパストン家の女性たち』という本に、お嬢さんと召使いの男性の結婚を教会が断固擁護したように、結婚は自由でなければならないとしたのは教会法の理念だった。なぜ、結婚は合意により容易に成立しなければならなかったか。それはキリスト教の次の教説の意義が大きい。

B 情欲の鎮和剤としての結婚目的は決定的なものなので軽視できない

 

結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書79(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。ゆえに結婚は自由でなければならない。

 

 今日、キリスト教の教説において結婚の目的や意義は多義的に用いられているが、古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視したのはコリント前書79 「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらに行為を避けるための結婚、情欲の緩和、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。

 性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。合理主義の要請はここにもあった。[島津一郎1974 240頁]人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚はし容易に成立すべきものだったのである。

 

 バリ大学の教授だったオーベルニュのギヨームはこう言った。「若くて美しい女と結婚することは望ましい」なぜなら「女を見ても氷のようでいられる」と同毒療法の教説を述べた。

 むろんこの聖句は、コリントが当時人口60万超、神殿売春もさかんで誘惑の多い都市であったことを背景としているが、真正パウロ書簡のなかで、結婚の意義について主としてふれているのはコリント前書第7章なのであり、結局真正パウロが結婚の目的として示しているのは「情欲の緩和」くらいしかないのであるから、初期スコラ学者がこれを重視したのは全く正当といえる。

 ジャンセ二ストという禁欲主義者は生殖目的を重視するが、生殖を結婚目的とする思想はストア主義など古代の異教の思想に由来するものと思われ、キリスト教固有のものではない。

 なお、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的とされているが、現代においても軽視されていないのは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。

 

 

 近代人は「情欲の緩和」とい結婚目的にあまり好意的でないことが少なくない。

それは近現代社会が禁欲的で性的に抑圧された社会だからである。禁欲が前提となった非常に性的に抑圧とされた生き方をしているためである。古代・中世はそうではなかった。15世紀のフランスではどのような都市でも市営娼家があり上りの料金は職人の日給の八分の一以下の廉価だった。それにもかかわらず強姦は多発し、ふつうの徒弟、商人の子息が通過儀礼手的に強姦に参加した[フランドラン1992 346頁]。むろん犯罪ではあるが堅気の妻や娘でなければ大目にみられた。

 中世では性欲は制御不可能なものという認識であった。それは人間性を正しく理解しているといえるだろう。

 私は「情欲の緩和」は最も重要な意義と考える。つまり結果的にコリント前書を根拠とした目的の合意主義の教会婚姻法は、結婚の目的を個人主義的心理的充足のためのものとしたのである。恋愛の結実としての結婚を容認し、いわゆる近代個人主義的友愛結婚、それは我が国でも国民の広範が支持する結婚観念であろうが、結婚の第一次的意義が、それは親族を喜ばすためのものでもなく、財産を増やすためでもなければ、世間体としての義務でもなく、当事者の心理的満足のためであるという結婚の意義をふつうのものとしたのである。それは古典カノン法の影響が近代まで濃厚だった英国の婚姻風俗史を検討すれば明らかなことである。なるほど基層文化として婚前交渉のある自由な恋愛風俗は西欧にもアジアにもある、婚姻の法文化で個人主義的目的を第一義とする類例を知らない。教会婚姻法の卓越性はそこにあるのであり、ゆえに結婚が自由でなければならない。

 西洋文明の規範提示者を、2人挙げよというなら私は躊躇することなく中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥス(中世の神学部の講義とはロンバルドゥスの命題論集の註解である)。教会法の代名詞であるグラティアヌスを挙げる。この二人が婚姻法の理論を提示したのである。(なお教皇アレクサンデル3世はアベラルドゥスとグラティアヌスの弟子でもあった)。 ダンテの神曲における最後の審判でキリストに陪席するほどの超大物なのだ。ゆえに私はロンバルドゥスとその理論を採用したアレクサンデル3世の事績を圧倒的に支持するし、そのレガシーを継承していくことこそミッションと考えるものである。

 結婚は無方式の行為で成立するとした古典カノン法が人類の叡智とはとても思えない

という人は少なくないがそれは間違いである。それこそがこの文明の規範だったのである。

 なるほど古典カノン法は秘密婚・誘拐婚に許容的で世俗社会と大きな軋轢を生じた。メイトランドがいうように教会法は事実婚を優先しない。先に婚姻約束した者が、真の妻であり夫なのだ。「世界のどの国民でも、恋人たちは現在形と未来形とを正確に使い分けそうにない。中世において婚姻もしくは婚姻らしいものを非常に不安定であった。永年連れ添った男女の仲が致命的な容易さをもって姦通と証明されたり」した。[島津一郎1974 232頁]そのような混乱があったのは事実である。にもかかわらず、結婚はキリストと教会の結合の聖なる象徴として秘蹟とされ、夫婦愛がキリストと教会の一致の秘蹟というまでに価値が高められ、結婚とは愛しあうことであるという価値観を明確にしたのもキリスト教なのであり、それを否定的に評価する理由は全くない。

 それは類例のない婚姻に関する自己決定の法文化であり、西洋の個人主義的自由主義も源流をたどればこのことに由来するのだろう。スケールの大きな文明論をあえて提唱すれば、教会法の婚姻の自由、または婚姻せざる自由は、近代に確立した宗教の自由、営業の自由、契約自由、私的自治といった自由主義に先行するのであり、自由主義の母は古典カノン法の婚姻法にあったと解釈される。我々が自由を享受できるもとをたどれば教会法のおかげだといわなければならない。

 神学にもとづく立論なので妥協の余地はない。このレガシーを継承すべきであり婚姻の自由を抑制する婚姻年齢引き上げに反対なのである。

 

C「情欲の緩和」は発達心理学の観点からも結婚の目的として妥当であり、それゆえ婚姻適齢を高めに設定することに反対である

 

 

 キリスト教の教説から離れて、発達心理学的にみても「情欲の緩和」結婚目的の一つ

として肯定できる。たとえば青年心理学者の次のような見解である。

「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。フロイト(Freud,S.)によれば性欲は乳幼児期(口唇期、肛門期、男根期)においてすでに発達するということであるが、一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣」からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つの独立した要素からなりの二つの独立した要素からないり、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .

は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い、この過程の修了は条件が揃っていれば、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。

 性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともふるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。しかし性的適合性には身体的心理的要素が複雑にかかわりあって居り、夫婦の相互協力によりその達成は大体可能であるが、時にはその限界を越える場合もあり、しかも婚前にその適、不適の予測が困難であるため問題になりやすいのである」[泉ひさ1975

 

D 憲法13条幸福追求権の軽視しすぎている

 

 すでに述べたように憲法24条は西洋文明、ローマ法、教会法と継承された合意主義婚姻理論を継受している。西洋文明の婚姻理念の核心は婚姻の自由であることを縷々述べてきた。アメリカ合衆国では1923年のマイヤーズ判決で、暴論ではあるが幸福追求権の一つとして結婚し家庭を築く自由が憲法上の権利であるとした。実はMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)が日本国憲法13条の母法なのである。その米国で16歳の婚姻資格は当然とされているのだから、我が国でもそれをならうべきである。

 

(参考)「明治11年の東京評判美人番付」と婚姻適齢

 江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鍵屋は父親の五兵衛が建てた単にお茶と菓子を出すだけの純喫茶、社務所直営の健全な水茶屋であるから、講談などの色恋沙汰は創作なのであって、本物の清純派アイドルといえる。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。11~12歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。

 寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは両国米沢町の煎餅屋の内儀であるがおきたより1歳年長だった。従って寛政の三美人とは16~17歳である。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。(佐藤要人『江戸水茶屋風俗考』三樹書房 平成5年)

 従って娘盛りは16~17歳という認識をもってよいと思う。

 

 江戸および明治東京の庶民史研究者の小木新造氏(元江戸東京博物館長)によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している(『東京庶民生活史』日本放送協会1979の287~330頁参照)

 

 明治民法(明治31年、1898年施行)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

東京現住結婚年齢者対象表

『東京府統計書』

明治17年

       男    女

14年以下   11  128

15年以上  604 2740

20年以上 1880 2691

25年以上 2679 1496

30年以上 1607  811

35年以上  871  442

40年以上  略    略

 小木前掲書309頁

 この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈はぼ実態に即したものといえる。

 また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。

 小木新造は東京における娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。

これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は

13歳  5人

14歳 11人

15歳 24人

16歳 19人

17歳 31人

18歳  2人

19歳  5人

20歳  0人

21歳  1人

 小木前掲書310頁以下

 98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。

 15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって女性がもっもも魅力的な16~17歳が婚姻適齢から外すことは自然に反したものであり18歳に引き上げることは適切なものではない。 

 はっきり言おう、女性に清純さと魅力を感じるのは1617歳まで、18歳などというのは「娘18番茶も出花」という諺があるくらいくらいすれている。20歳にいたっては年増というのが常識だったいうことである。ゆえに婚姻適齢引き上げに反対である。

 

 

 

 

 

 

 

文献表(引用・参考)

石崎泰助

1975「秘跡概念の発展についての一考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 3521

泉ひさ

1975「結婚の意義と条件--心理学的調査及び考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25317

岩井託子 

1996a「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(1)  中京大学文学部紀要 31288

1996b 「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(2)」中京大学文学部紀要 313434 34

1997「グレトナ・グリーン英国随一の結婚式場(5)第三部描かれたグレトナ婚三」 中京大学文学部紀要 32([英文学科]特別号) 1

1999a「グレトナ・グリーン 英国随一の結婚式場(8)第二部 さまざまなエピソード(2)駆け落ちカップル()華麗なるスキャンダル」中京大学文学部紀要 34199 

1999 bグレとナ・グリーン 英国随一の結婚式場(9) 3 描かれてきたグレトナ・グリーン(1)18世紀芸術におけるハードウィック婚姻法とスコットランド婚」 中京大学文学部紀要 342 65 

岩志和一郎

1991「ドイツの家族法」 黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂図書所収

上野雅和

1962「イングランドのキリスト教化と婚姻法-イングランドにおける近代的婚姻の成立過程」松山商大論集132号 115

1981  「イギリス婚姻思想史-市民的夫婦一体観の成立をめぐって」福島正夫編『家族 : 政策と法. 4 (欧米資本主義国)』東京大学出版会所収45

枝村茂

1975「婚姻の秘跡性をめぐる神学史的背景」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 25197

1978「婚姻の不解消性と教会権についての神学的考察」アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 281

1980「カトリック教説における婚姻の目的の多元性」 アカデミア 人文自然科学編,保健体育編(南山大学) 311

大野秀夫

1993(書評)栗原眞人著「「秘密婚とイギリス近代」(1)(4)(「香川法学」一一巻一・三・四号、一二巻一・三号) 法制史研究 (43) 488

岡光民雄

1993「婚姻及び離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」について」 ジュリスト1019

鍛冶良堅

1993「「中間報告」に対する私見」ジュリスト1019 

加藤東知

1927『英国の恋愛と結婚風俗の研究 』日本大学出版部

栗原真人

1991 <論説>秘密婚とイギリス近代 (1)<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (1) 香川大学 11巻1号(ネットオープンアクセス)

1992 「〈論説>秘密婚とイギリス近代 (3)<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (3)  香川法学 121号 79 (ネットオープンアクセス)

1992 <論説>秘密婚とイギリス近代(4・完)<Article>Clandestine Marriage and the Modern Society in England (4)  香川法学 122 105 (ネットオープンアクセス)

1996 フリートとメイフェア : 一八世紀前半ロンドンの秘密婚」 香川法学 1541, 1996

小梁 吉章

2015「わが国とフランスの婚姻の方式 : 外国の婚姻の効力の承認について <論説> 広島法科大学院論集11号(ネットオープンアクセス)

島津一郎

1974『妻の地位と離婚法』第42イギリスにおけるコモン・ロー婚の展開 有斐閣225

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200515世紀から17世紀におけるフランス貴族の結婚戦略 : 誘拐婚」人文論究551号(ネットオープンアクセス)

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1958「イギリスの婚姻法」比較法研究18号 25

中川淳

1993「婚姻・離婚法改正の中間報告について」 ジュリスト1019

野田愛子

1993 「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正」の審議について」(上)」戸籍時報419 18

平松紘・森本敦

1991「スコットランドの家族法」黒木三郎監修 『世界の家族法』 敬文堂所収

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1992『性の歴史』藤原書店

 

 

松下晴彦

2004「グレトナ・グリーン「駆け落ち婚」の聖地」英米文化学会編『英文学と結婚-シェイクスピアからシリトーまで』彩流社所収

村井衡平

1974「【資料】一婚姻・離婚法() : 一九七〇年八月六日公表第一次草案」神戸学院法学 523

ルネ・メッツ 

1962久保正幡・桑原武夫訳『教会法』ドン・ボスコ社

不破勝敏夫

1984『私の家族法』 徳山大学総合経済研究所

米沢広一

1989「家族と憲法(二)」法学雑誌(大阪市立大)361, 1

 

 

 

 

 


[i] アイオワ州法 下記のように親の同意があれば1617歳で結婚できる。

https://www.legis.iowa.gov/docs/iacode/1999/595/2.html

 

 1.  Only a marriage between a male and a female is valid.

2.  Additionally, a marriage between a male and a female is valid only if each is eighteen years of age or older. However, if either or both of the parties have not attained that age, the marriage may be valid under the circumstances prescribed in this section.

3.  If either party to a marriage falsely represents the party's self to be eighteen years of age or older at or before the time the marriage is solemnized, the marriage is valid unless the person who falsely represented their age chooses to void the marriage by making their true age known and verified by a birth certificate or other legal evidence of age in an annulment proceeding initiated at any time before the person reaches their eighteenth birthday. A child born of a marriage voided under this subsection is legitimate.

4.  A marriage license may be issued to a male and a female either or both of whom are sixteen or seventeen years of age if:

a.  The parents of the underaged party or parties certify in writing that they consent to the marriage. If one of the parents of any underaged party to a proposed marriage is dead or incompetent the certificate may be executed by the other parent, if both parents are dead or incompetent the guardian of the underaged party may execute the certificate, and if the parents are divorced the parent having legal custody may execute the certificate and

b.  The certificate of consent of the parents, parent, or guardian is approved by a judge of the district court or, if both parents of any underaged party to a proposed marriage are dead, incompetent, or cannot be located and the party has no guardian, the proposed marriage is approved by a judge of the district court. A judge shall grant approval under this subsection only if the judge finds the underaged party or parties capable of assuming the responsibilities of marriage and that the marriage will serve the best interest of the underaged party or parties. Pregnancy alone does not establish that the proposed marriage is in the best interest of the underaged party or parties, however, if pregnancy is involved the court records which pertain to the fact that the female is pregnant shall be sealed and available only to the parties to the marriage or proposed marriage or to any interested party securing an order of the court.

c.  If a parent or guardian withholds consent, the judge upon application of a party to a proposed marriage shall determine if the consent has been unreasonably withheld. If the judge so finds, the judge shall proceed to review the application under paragraph "b".

Section History: Early form

[ii] 12世紀に教皇アレクサンデル3世が決定的に採用した合意主義婚姻理論

塙陽子1993

「先ず、合意が『私は汝を娶ろう』の意味において、≪ego te accipiam in uxorem≫≪ego te accipiam in maritum≫なる言葉でなされたとき、sponsalia per verba de futuro(未来文言の約婚)として婚約が成立する。これに対し『私は汝を娶る』の意味において≪ego te accipio in uxorem≫≪ego te accipio in maritum≫なる言葉で交換された場合には、 suponsalia per verba de praesente(現在文言の約婚)であって、婚姻はただちに成立する。しかしこの婚姻は所謂matrimonium ratum(et non consummatum)(未完成婚)であって、信者間にのみ成立する婚姻であり、原則として非解消で在るが若干の例外を認めうる。 すなわち、夫婦の一方が婚姻に優る状態であるところの修道生活に入る場合、又は教皇の免除(despensatio)を得た場合には解消しうる。この未完成婚の状態にある夫婦にcopula carnalis(身体的交渉)を生じた場合、始めて『二人の者合して一体となり』(erunt duo carne una)、キリストと教会の結合を顕わし、秘蹟としてmatrmonium ratum et cosummatum(完成婚)が成立する。これは絶対に不解消である。また、婚約の場合において、当事者がverba de praesentiを交換した場合、これは婚姻に転換するが、単に未完成婚にすぎず、完成婚になるためには更にcopula carnalis(consummatio)を要する。唯、verba de futuroを表示した当事者間においてverba de praesentiを交換する前にcopula carnalisを生じたときは、直ちに完成婚を生じた。したがってconsummatioは婚姻の成立に不可欠のものではなく、単に婚姻を不解消とするものにすぎない」

 図式化すれば以下のようになる。ロンバルドゥスは合意主義婚姻理論とされ、合意主義にこだわった神学者といわれるが、合衾の意義もそれなりに重視されており、巧妙に折衷させた理論といえるだろう。

①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)

②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)

③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)

④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)

 

島津一郎1974 230

 

教皇アレクサンデル3世は英国ノーウィッチの司教に送った親書において無方式合意主義婚姻理論の何たるかが端的に示されている(メイトランドとポロックの著作からの引用)

「ある男女が主人の命により相互に受け入れたが、その際には司祭は同席しておらず、英国聖公会が慣用する儀式も行われなかったこと、そして肉体的に結合するまえに、他の男が上記の女と婚姻の挙式を行い、彼女を知ったということを、われわれは貴下の手紙の手紙から理解する。我々の回答は次のとおりである。第一の男と女が、一方が他方に対し゛我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛、我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛と述べて、現在に向けられた相互的な合意によって相互に受け入れたならば、その時は前記の儀式が行われなかったとしても、また肉体的交通がなかったとしても、女は最初の男に返還されなければならない。蓋し、このような合意があれば、女は他人と結婚することができず、またはしてはならないからである。しかしながら前記の言葉による合意がなかったならば、また将来の〔言葉による〕合意ののちに性結合が結ばれなかったならば、その時に女は、無のちに彼女を受けいれ、彼女を知った第二の男に委ねなければならない。」

2017/03/20

民法731条改正案反対。16・17歳女子婚姻資格剥奪絶対反対その1 修正版

一.成人年齢18歳引き下げに伴って政府の民法731条改正案は、法定婚姻適齢を現行の男18歳、女16歳から、男女とも新成人年齢の18歳として、現行の16・17歳女子の婚姻資格を剥奪したうえ、未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉と、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉を廃止するというものであるが、私は強く反対で、男女とも配偶者が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正すべきである。
 (本音は現行法改正に反対であるけれども、この土壇場の状況では男女の取扱の差異
の肯定に固執するのは得策でないと判断し、16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪、婚姻の自由の抑制、幸福追求権の軽視についてのみ異を唱えるものである、民法753条の問題があるため、男女共16歳では反対が多いと判断し、上記の一方が18歳なら16歳の結婚を認め、737条と753条も維持するという修正案なら米国のアイオワ州、ドイツがこれに相当し現実性があると判断した)

二.理由1婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている。

 男女とも18歳とする案は、1996年の法制審議会民法部会の答申にもとづく。その理由は婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であること、婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきということを理由としているが、いずれも論理性は全くない。
 ここでは、英国・ドイツ・アメリカ合衆国の婚姻適齢法制をとりあげるがいずれも16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りで、法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論しており、国会、国民を騙す詐欺行為はきわめて悪質である。
 こ
(一)英国
 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991]
 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。英国婚姻法の歴史的変遷については第4節を参照されたい。
(二)ドイツ
 東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(満18歳)である。ただし、当事者の一方が満16差歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]
(三)アメリカ合衆国
   我国の現行法定年齢は、1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。
 しかし現在では多くの州(33州)は男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも裁判所の承認で婚姻可能としている州が多い。27州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。
 各州の婚姻適齢法制については、コーネル大学ロースクールのhttps://www.law.cornell.edu/wex/table_marriageという信頼できるサイトに一覧表がある。
 男女とも16歳としている州が多い理由の第1は、米国には私法の統一運動があり70年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳を法定婚姻年齢(18歳は親の同意を要しない法定年齢)としモデル案を示していることがあげられる。
 16歳は親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、モデル案は州議会を拘束しないが、多くの州がモデル案に従った法改正を行っている。
 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。[村井衡平1974]
203条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
205条[裁判上の承認]
a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、
1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくはもしくは後見人が枯れの婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、
2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。
 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的はが考え方とみなしてよいだろう。
 第2の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州が批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないので、男女差のある州も残っている。
 このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった16・17歳女子の婚姻資格を剥奪する方法をとってないことを強調したい。
各州ごとに検討するとおおまかにいうと次のとおりである。
婚姻年齢男女共16歳以上 33州とコロンビアDC
婚姻年齢男子18歳女子16歳 デラウェア、オハイオ、ロードアイランド
婚姻年齢男女共15歳以上 ハワイ
婚姻年齢男女共17歳以上 ネブラスカ
婚姻年齢男女共17歳以上【特殊な事情で】 インディアナ、ワシントン、オレゴン
婚姻年齢男子17歳女子16歳 アーカンソー
婚姻年齢15歳以上 ミシシッピ
婚姻年齢15歳以上【特殊な事情で】ミズーリ
婚姻年齢男女とも原則18歳以上 カリフォルニア、ケンタッキー、ルイジアナ、ウェストヴァージニア
婚姻年齢男子14歳女子12歳マサチューセッツ【コモンローと同じ】
婚姻年齢男子14歳女子13歳ニューハンプシャー
 
 18歳を原則としている州も4州あるが、18歳未満でも裁判所の許可などで救済できるシステムがある。
 つい最近の報道により次の事実を把握した。
「27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能である。
「ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 3 つの州の一つである」
Advocates Call For End To N.Y. Law Allowing Children As Young As 14 To Marry
February 14, 2017 10:58 PM
 CBSの記事である。記事自体は年少の結婚に反対する議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出すというものだが、それは少数派なのである。
 合衆国では、年少者の婚姻資格斬り捨てに慎重な理由として憲法てせ類分で規定されていないが、結婚の自由とのものが憲法上の基本的権利とされていることと関連があると考える。。
 連邦最高裁が初等教育で外国語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築は子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとしたむ。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。
 そしてLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニアの異人種婚姻禁止法を違憲とし、実体的デュープロセスとして結婚し家庭を築く権利を憲法が保障することを明らかにした。筆者は見てないが、この最高裁判決を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が現在我が国で公開中でアカデミー賞最有力だという。
 Zablocki v。Redhail 、 434 US 374 (1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。
 Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]。
 年少者の結婚について憲法問題になっていないとしても、慎重な政策が求められるのし当然といえる。
 以上のように英米独の立法例と比較するとも政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は配慮を欠くものとして非難されてやむをえないと私は考えるものである。

[参考](四)英国の婚姻法制の歴史と婚姻適齢

〈1〉 古典カノン法=古き婚姻約束の法=コモンローマリッジ

    (人類史上もっとも結婚が容易ら成立する法文化)
   男14歳 女12歳    [ルネ・メッツ1962 滝澤聡子2005] (親の同意要件なし、諾成婚姻理論で挙式を要しない、1753年イングランドで世俗議会立法により古典カノン法は無効となり、挙式を要件とし、未成年者の親ないし保護者の同意要件を課すようになるが、男14歳、女12歳という基準は1929年迄続く)
  男14歳 女12歳はローマ法の継受であるが、教会法学者はさらに緩く解釈した。「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des péchés1601[フランドラン1992 342頁]。
 (なお教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。[ルネ・メッツ1962」カトリック教会は1918年カノン法大全を廃止し、成文の教会法典で、婚姻適齢を男子16歳、女子14歳としている。カトリック教国が14歳でも結婚可能としているケースがあるのはそのためであるが、歴史的に影響力が多きかったのし古典カノン法てである。ローマ法から中世教会法、コモンロー何れも男14歳、女12歳である、今でもマサチューセッツ州が古い時代のままである。
 メイトランドがまさしく述べたように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。10世紀に西方キリスト教世界では教会の霊的裁治権として婚姻を教会裁判所の管轄権とした。特に英国では婚姻と遺言による動産処分等は教会裁判所の管轄権として明確であり近代まで続いた(イングランドで議会制定法により中世教会婚姻法を無効となったのが、1753年。家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である)。11~12世紀の秘蹟神学の進展と、12世紀の教皇授任裁判の進展により、とくに英国から婚姻事件の活発な教皇上訴があり、教皇アレクサンデル3世(在位1159~1181)緩和的合意主義婚姻理論(それは教皇自身の持論でもあったが、概ね中世最大の神学者ペトルス・ロンバルドゥスの理論と同じ)を決定的に採用するなどして婚姻に関する古典カノン法が整備され、古典的教会婚姻法が成立した。
 古典的教会婚姻法の最大の特徴は、諾成婚姻理論により挙式を要求せず、二人以上の証人(俗人でよい)のもとで「我汝を妻とする」「我汝を夫とする」といった現在形の言葉による男女の合意により容易に婚姻が成立する。将来形の言葉による合意は、合衾した時点で婚姻は成立する。緩和的合意主義というのは、合意で婚姻が成立するが、合衾により完成婚となり婚姻不快消な絆となるということである。
 第二に領主や親の同意要件がないこと。このために教会婚姻法は秘密婚や誘拐婚の温床となり、世俗権力から非難を招くことになるが、教会は当事者の自由意思による結婚を断乎擁護し、数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。
 1217年にラテラノ公会議が婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。
 しかしカトリック教会は秘密婚に許容的との非難をかわすため1563 年トリエント公会議第24 総会で婚姻法改正が採択され、教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである。[滝澤聡子2005]しかしフランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は拒否、このためガリカニスムvarnish無かフランスはトレント公会議の採択を拒否、1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化のの嚆矢となった。
 フランス王権は婚姻の公示を義務付け成人年齢を男30歳、女25歳と高めに設定して未成年者の婚姻に親の同意要件を課し、秘密婚を防止したが、対照的に英国は宗教改革によりトレント公会議の婚姻法改正を受けていれる必要がなく、要式主義はとらない中世の古典カノン法のが諾成婚姻理論がそのまま、古き婚姻約束の法として継承され、これをコモン・ローマリッジともいう。居酒屋など俗人当時者の合意により容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。中世、英国においてにおいて教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所である、それは寡婦産の確定のためだった。土地の相続は世俗裁判所の管轄だからである。
 
(2)1604年教会法は教会挙式と21歳未満の親の同意を要件とするが、古き婚姻約束の法(古典カノン法と同じ)も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた。
 

  1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなり、親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していたといえる。
 
(3)1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化、古き婚姻約束法を無効とする
 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効とした。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b]  
                                          
(4)グレトナ・グリーン結婚-それでも自由な結婚が有効だった
 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。
 このため未成年者で親の同意のないケースや、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に結婚媒介所が営業されるようにった。、結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃える二人が胸を轟かせ恋を成就させるためにスコットランドを目指すロマンチックな結婚は人気となった。スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚といい、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。[加藤東知1927、岩井託子1996a]
 グレトナ・グリーン結婚の衰退は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。

(5)1929年年齢法

 婚姻適齢を男女とも16歳となり、未成年者(当初は21歳以下)は親ないし保護者の同意を要する。)
 
三 理由2 16・17歳女子は社会的・精神的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である。
 
 結婚し家庭を築き子どもを育てること権利が、憲法13条の幸福追求権に一つに含まれるとう前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990代には年間3千組の当事者が存在していた16・17歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならない。また16・17歳女子の婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱なのである。
(一)高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は法改正の根拠にならない
 義務教育終了後、進学・就職・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。当事者にとって結婚が最善の利益に役立つと親も本人も判断するなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではない。
 仮に、せめて高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
 16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だった。16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえない。
 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。{
 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は以前存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」
 
二)成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることにこだわるのは視野が狭い
 民法学者に多いのが、この見解である。成人擬制〈753条〉を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的というものである。
 しかしながら法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。ローマ法も同様の規定であるが、現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たないニminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとってない。[平松・森本1991]
 我が国の伝統社会(中世以降の臈次情合成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。
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