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カテゴリー「夫婦別姓等民法改正問題」の24件の記事

2010/12/25

日弁連は麻木久仁子を擁護しないのか 民法733条が争点に

 麻木久仁子の不倫問題で、民法733条1項の女性は離婚後から半年間は再婚できないという点が、新たな争点として浮上していると報道されている。http://media.yucasee.jp/posts/index/5960 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101225-00000007-sph-ent
 私が知る限りネット世論は「略奪婚」事件と認識しており、麻木久仁子に批判的だ。ライブドアーのネットリサーチでも麻木久仁子の「交際時には夫婦関係が破綻していたとして不倫にはならない」という主張に対して78%が理解できないとしている。http://research.news.livedoor.com/r/56815 もっともこの事件で麻木久仁子を引退させるのは行き過ぎのように思えるが、日弁連や女性団体は民法733条の女性の再婚禁止期間撤廃を主張しており、形式的平等主義の法改正案と世論とのずれがはからずも浮き彫りとなったといえるだろう。世論は法律婚制度を意義のあるもの認め、尊重しているし、「略奪婚」には厳しい反応とみるべきだろう。
 日弁連や戸籍廃止を主張する女性弁護士などは再婚禁止期間撤廃を主張しているのだから、このさい民法改正を先取りするような進歩的で法律婚制度に風穴を開ける主張を行った麻木久仁子を擁護すべきだろう。それをやらないということは、論理的一貫性がないものとして非難されるべきである。

 ところで、平成八年二月二十六日法制審議会総会決定「民法の一部を改正する法律案要綱」http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi_960226-1.htmlにおいて選択的夫婦別姓導入、16・17歳女子の法律婚資格剥奪、非嫡出子の相続分差別撤廃などともに民法733条1項の女性の再婚禁止期間を離婚後から半年より100日に短縮する法改正が盛り込まれている。日弁連は女性差別撤廃のためさらにすすんで再婚禁止規定の撤廃を主張しているが、日本会議などが強く反対している夫婦別姓とセットになっているために、今日まで法改正されてない状況にある。
 民主党はこの民法改正に積極的な立場で、千葉元法相が法改正を推進していたが、連立を組む国民新党の反対で辛うじて今年の通常国会で法案提出には至らなかった経緯がある。
 
 本件については昨年鳩山首相に対して民法733条改正断乎反対の請願書を出している。よい機会なので再掲する。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-35cb.html

請願書

鳩山由紀夫内閣総理大臣 殿

平成21年10月27日

【請願する法案】

 民法733条改正(女性の再婚禁止期間を6ヶ月から100日間へ短縮)に反対

【法案に反対する理由】

 6か月の再婚禁止期間は国民的倫理として堅持されるべきものである

 民法733条の再婚禁止期間は明治民法767条を引き継いだものだが、これは道徳的理由にもとづかない。父性不明防止のためであり、近代的再婚禁止規定といわれる。しかも、明治民法767条は、明治7年9月29日太政官指令の300日、西欧の立法例、フランス300日、ドイツ10ヶ月、スイス300日より短い6か月であり、明治民法起草委員の梅謙次郎は「六ヶ月の期間は法医の意見を聴いて定めた」とされているが進歩的であったといえる。
 ソ連・東ドイツ・中国等の社会主義国では機械的男女平等の原則により再婚禁止期間が全くない。日弁連は社会主義国を規範とし再婚禁止期間を廃止すべきとする主張だが、1996年法制審議会民法部会答申は100日間の短縮という結論であった。
 しかし今日でもドイツが10か月、フランスが300日と我が国より長期の再婚禁止期間が堅持されている。我が国でも明治民法施行から110年を経過しもはや6か月の待婚は国民的倫理として定着したものであり、あえてフェミニスト・女性団体のご機嫌をとるためにいじる必要はないと考える。
 私は滝沢聿代法政大教授の「民法改正要綱試案の問題点(上)」(『法律時報』66巻12号1994年11月)の意見に賛同するので以下、引用する。
「100日に短縮したとしても、回避されるのは法文上の形式的推定の重複だけであるから、事実に反する推定がなされた場合は民法773条の嫡出否認の訴えに持ち込まれることとなる‥‥(中略)‥‥待婚期間の短縮は必然的に別個の対応による問題解決の提案を含まざるをえないが‥‥余りに不用意である。現行民法の733条の六ヶ月の期間は明治民法以来のわが国の伝統であり、いわば国民的倫理となり得るものではなかろうか。婚姻は長期にわたる深い人間関係を予定する制度であるから、前婚と後婚との間に六ヶ月程度の時間的空白が置かれることは、原則的に見ればそれほどの重大な拘束ではない。またその空白の必要性は子の出生の可能性に根拠を置く故に女性だけの拘束となる事も合理的である。」

以上

 この法務省の民法改正案の不健全さ悪質さは、民法900条4四号ただし書にある非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分の二分の一とする、相続分の差別撤廃、つまり「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分と同等とするものとする。」とセットになっている点にある(これについても私は反対の請願書を出しているので参照くださいhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-4e41.html)。
 16・17歳女子の入籍は子どもを非嫡出子にしないための動機もあると考えられるが、90年代の統計で年間約3000組ある16・17歳女子の法律婚を否定してもよいという理由として、非嫡出子差別をなくすのだから、非嫡出子でもいいじゃないかという乱暴な議論がなされている。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-323d.html総じていえばこの民法改正案は法律婚制度の解体であり、かつてスターリン時代にソ連がやっていた事実婚主義マンセーという思想背景を看取できる。

2010/09/13

選択的夫婦別姓反対論の核心は出嫁女の婚家帰属性と婦人道徳を保守すること

 本日のテレビ朝日TVタックルで選択の自由があってよいのではないかという意見が前面に出たので反論しておく。
 民法の夫婦同氏は明治民法の起草者梅謙次郎が当時の欧州諸国の法制に倣って、西欧的なファミリーネームの慣習を継受したという側面は多分にあるが、「兎ニ角妻カ夫ノ家ニ入ルト云フコトガ慣習デアル以上ハ夫ノ家ニ入ッテ居ナガラ実家ノ苗字ヲ唱ヘルト云フコトハ理窟ニ合ワヌ」と述べているように出嫁女の婚家帰属性(婚入配偶者は婚家の成員である)という日本的家制度の家族慣行を前提としている。我が国には足入れ婚などの慣習もあるし、婚家の成員となるタイミングには個人差があっても、出嫁女の婚家帰属性(婚入配偶者たる嫁と婿は婚家の成員であること)は学問的にも明確なのである。杓子渡し、主婦の座を譲られることによって完全に女性は婚家の成員となる。常に家は家長と主婦のペアで継承されていくものである。
 夫婦別姓はこの社会構造、日本的家制度を破壊する。なぜならば家は離在単位として成立しているのであって、個人が複数帰属することはありえないからである。それが社会秩序の根幹であるから、重婚を認めれば単婚制が崩壊するのと同じように、出嫁女の婚家帰属を否定する夫婦別姓によって社会構造(家制度)が崩壊する。単婚制を社会秩序の根幹とする(キリスト教的価値観)社会では重婚する自由が認められない(アメリカ合衆国が典型)のと同じように、日本的家制度を社会秩序の根幹とする我が国では夫婦別姓の選択的自由を認める必要はないと論理的に説明できる。
 しかし、私はもっと深い理由を付け加えたい。それは東洋の婦人道徳の核心を崩壊させるから反対なのである。
  近世の女子教訓書の代表作『女大学宝箱』(享保元年)には「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁いりを゛帰る″という。わが家にかえるという事なり」とあり、また「女は、我が親の家をば継がず、舅・姑の跡を継ぐゆえに、わが親より舅・姑を大切に思い、孝行を為すべし」と説かれ(柴桂子 「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」『江戸期おんな考』(14) [2003年])、出嫁女の婚家帰属性を明確に述べている。女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐのが女性の日常道徳の基本である。
 つまり、女性は夫の家こそ我が家と思い、生家の父母ではなく、婚家の舅・姑に孝行することが定められているという家族倫理の根本を破壊するのが夫婦別姓であるからである。
 女大学は教えられなくなった。女子教育や家庭科の良妻賢母教育も否定されているが、民法730条「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」という家族倫理を支えているのはこの婦人道徳であった。
 夫婦別姓推進論者は、舅・姑に仕えたくないし墓にも一緒に入りたくない、それでいて法定相続で婚家の財産は分捕りたいという非常に反倫理的な価値観である。それは民法730条に反している。実は別姓論者は本音はこれも廃止したいのである。家族破壊の意図はないということを隠すためにそれをやらないだけだ。

2010/05/09

1300年以上の公定家族倫理「孝義」を破壊する夫婦別姓

  家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。国民感情及び社会的慣習を根拠として制定された民法750条は(夫婦同氏)も当然、今日においても合理性を有するものである。明治民法の 起草者穂積陳重・富井政章・梅謙次郎の三者のうちもっとも強く夫婦同氏を推進したのが梅謙次郎である。梅は「家」制度に批判的で、儒教道徳より愛情に支えられた夫婦・親子関係を親族法の基本とし、士族慣行より、庶民の家族慣行を重視した点で開明的だった考える。つまり進歩的な民法学者が夫婦同氏を強く推進したのであって、その趣旨からもけっして古くさいものではないのである。

ところで福島瑞穂男女共同参画担当大臣は1993年の榊原富士子・吉岡睦子・福島瑞穂『結婚が変わる・家族が変わる-家族法・戸籍法大改正のすすめ』日本評論社という著書のなかで、次のように主張している。(72頁以下)

○ 夫婦の同居・協力・扶助義務の規定もいらない

民法752条「夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない」の廃止を主張す

○ 夫婦の日常の家事費用の連帯責任の廃止を

民法761条「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う‥‥」の廃止を主張。

○ 老親介護は「嫁」のただ働きか

日本的家制度、明治民法の「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入る」という
出嫁女の婚家帰属性を女性差別として非難。


 このように、福島瑞穂国務大臣をはじめとする夫婦別姓推進論者は伝統的な婚姻家族の破壊を意図してます。特に舅姑に仕えたくないと云う趣旨は邪悪そのものと云える。しかし法務省の民法改正案には民法752条を削除する方針はとっていない。夫婦別姓導入・戸籍解体論者の急進的意図を隠すため、または民法752条削除をやると抵抗が大きくなるために、それはやらずに実を取ると云うことでしょう。、意図を隠しているとみることができます。

 
 日本会議など保守系団体が選択的夫婦別姓に反対する署名運動など国民運動を展開してますが、よくいわれるのは愛情に支えにれた夫婦の絆や夫婦・婚姻家族の一体感をなくすという主張で、それもちろん重要な論点であるが、私が、夫婦別姓等民法改正に反対する別の理由は家族倫理の価値相対化を促す政策自体反対だということである。つまり、夫婦別姓推進、フェミニストがやりたいのは
 
1 日本的家制度(出嫁女の婚家帰属性)という社会的慣習(社会構造)の否定

2 律令国家以来の統治理念である儒教的家族道徳の全面的な否定、具体的には、賦役令の孝子・順孫・義夫・節婦の表旌総じていうと「孝義」とよばれる家族道徳「戸令」二十八の七出・三不去の制にみられる婦人道徳、偕老同穴という夫婦の羈絆性を重視する価値観、『女大学』19ヵ条に本来の家は婚家であり 生家の親より、舅・姑(婚家)に孝養をつくすべきとする婦人道徳の否定。節婦表旌は明治天皇の地方巡幸でもなされており、我が国の公定イデオロギーであり歴史に一貫する婦人道徳である。  

私は上記の2点は伝統的価値として絶対守るべきだと考える。だから夫婦別姓に反対だ。実際、夫婦別姓推進論者は夫や舅・姑と同じ墓に入りたくない。舅・姑に仕えるのはまっぴらごめんと云っているのだから婚家帰属性の標識としての夫婦同氏をきらっているのである。

そういうと、孝子・順孫・義夫・節婦や『女大学』は古すぎる。家族倫理について政府は価値相対的であるべきだとの反論もあるかもしれない。しかし、外国との比較で我が国の家族倫理を支える基盤が非常に脆く、フェミニストに浸食されている今日、婚家帰属性と理解されるところの夫婦同氏も維持されなければ社会の秩序と規範は維持できない危険性が高いと考えるのである。
  欧州では社会の世俗化がすすんでいるが、アメリカ合衆国は42%(1億人)が、聖書を神のことばと信じ定期的に教会へ行き、15%(4000万人)が、毎週必ず礼拝に出席している国民性であるから、フェミニズムの行きすぎにはバックラッシュがある。男女同権条項の憲法改正も保守的国民の反対で実現しなかった。
つまり、新訳聖書にペテロの第一の手紙と第二パウロ書簡(エペソ、コロサイ、第一第二テモテ、テトス)にある家庭訓ジャンルがあって、西洋文明世界の家族倫理となっている。例えばペテロの第一の手紙3章1節は「妻たる者よ、夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく、清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるだろう。あなたがたは髪を編み、金の飾りをつけ、服装を整えるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和でしとやかな霊というという朽ちることのない飾りを身につけるべきである」と婦人道徳が示されている。アメリカにはバイブルベルトなどに分厚い保守層がある為、フェミニストの天下となることはないし、聖書に基づいて教会が家庭倫理を支えているわけである。実際クリントンは、夫人のヒラリーがロダム姓を名乗り、夫婦別姓としていたためアーカンソー州の選挙で落ちたことがある。この教訓からヒラリーはクリントン姓を名乗ることとなったと云われる。保守的な南部では夫婦別姓に嫌悪感がもたれているのである。
我が国の保守的な社会基盤はアメリカよりずっと弱いと考える。4月下旬の産経・FNN世論調査では自民党支持率は14・2%にすぎないhttp://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100426/stt1004261147001-n2.htm。日本会議は武道館に1万人動員する組織力があるといっても、全体としては少数派である。保守的国民が日本会議や神社本庁の政治力に頼っている現状は厳しいものがある。逆に言うと国民の八割以上は保守ではない実情では、制度改革は危ういと考えるのである。
  また、法務官僚は家制度は廃止されたから、夫婦同氏は否定して良いと答えるかも知れないが、明治民法の家制度とは別に、社会的慣行としての限嗣相続の日本的家制度というものは、民法制定以前から、少なくとも室町時代の貴族の家族慣行に遡って、慣行としてあるものだから、社会構造を変える訳にはいかない。 
 
 我が国の家族道徳の基本は孝子・順孫・義夫・節婦(総じて「孝義」)という儒教道徳である。それを守ってこそ伝統的保守ではないのか。いま奈良で遷都1300年のイベントをやってますが、大宝令は藤原京であるから、それより古い伝統で、奈良時代の最初の元明女帝が儒教的家族道徳を重んじたことも知られている。律令国家の統治理念は儒教道徳による民衆教化なのである。それで日本は安定した社会の基盤を形成してきたはずだ。
 儀制令春時祭田条の〈郷飲酒礼〉、戸令国守巡行条の〈五教教喩〉や、賦役令の孝子・順孫・義夫・節婦の表旌などによる家族道徳の形成により、村落社会の秩序を確立した。婦人道徳が民衆に浸透していったのは節婦の表旌に多くの記事がみられる9世紀と考えられる。
節婦とは「願守其(夫)墳墓以終天年」「其守節而有義」「謂、夫亡後葬舅姑負土、営墓、慕思不止也」とされる。
(一例をあげると。三代実録、清和天皇、貞観七年三月廿八日巳酉条 近江国に言えらく、伊香郡の人石作部廣継女、生まれて年十五にして、初めて出でて嫁ぎ、卅七にして、夫を失ふ。常に墳墓を守り、哭きて声を断たず、専ら同穴を期ひて再び嫁ぐに心無し。其の意操を量るに節婦と謂ふべし』と。勅あり『宜しく二階を叙して戸内の租を免じ。即ち門閭に表すべし』)
 つまり節婦には単に二夫に仕えずという貞操概念だけでなく、偕老同穴という夫婦の羈絆性を重視する価値観が含まれており、キリスト教の夫婦の伴侶性を重んじる価値観にも通じている。 (もっとも我が国の婦人道徳の形成において特徴的なのは節婦にみられる儒教的倫理と仏教が混淆して、貴人の女性の出家という習慣がはじめは貴族、後に武家なに広まった。初例は9世紀の仁明女御藤原貞子と考えられるhttp://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_c020.html。)
 ウィキペディアで「偕老同穴」では福沢諭吉の「古来偕老同穴は人倫の至重なるものとして既に已に其習慣を成し、社会全体の組織も之に由りて整頓したることなれば、今俄に変動せんとするも容易に行はる可きに非ず『福翁百話』が引用されている。
 まさに、福沢諭吉も人倫の至重と述べた、善良な道徳を否定するのが福島瑞穂などの夫婦別姓推進論者なのである。

 フェミニストにより良妻賢母教育は攻撃され、今日の女子教育は危機に瀕していると見るべきである。
従って我々は逆に古い価値観を強調したい。それは1300年続いてきたし今後も変える必要は全くない。

 教訓書の先駆とされる鎌倉時代に成立した十訓抄(編者未詳) にも戸令の七出・三不去の制が示されている。そこには、離別すべきでない三つの場合の第一が「夫の父母に仕え、その死を夫と一緒に憂え、悲しむ女」であり、妻を離別すべきは七つの第一は「夫の父母のために、邪悪な妻」である(『十訓抄』浅見和彦校注・訳 小学館1997 193~194頁現代語訳)と書かれている。
 近世の女子教訓書の代表作『女大学宝箱』(享保元年)には「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁いりを゛帰る″という。わが家にかえるという事なり」とあり、また「女は、我が親の家をば継がず、舅・姑の跡を継ぐゆえに、わが親より舅・姑穂大切に重い、孝行を為すべし」と説かれている。(柴桂子 「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」『江戸期おんな考』(14) [2003年])。節婦表旌は明治天皇の地方巡幸でもなされており儒教的家族道徳は古代から一貫したものであり、それが社会の秩序と規範を支えているのである。     

 目に見える法隆寺や薬師寺の木造建築を棄て去ることができないのと同じように、目に見 えない1300年以上の家族倫理の伝統を棄て去ることがあってはならないと考える。
 
 この儒教道徳からすれば、舅姑に仕えない邪悪な夫婦別姓妻はたたき出すべきだし、婚家の家産を相続させる必要もないと考える。

 
 少なくとも昭和50年代までは良妻賢母を標榜する女子校が存在した。昔は女は、我が親の家をば継がず、舅・姑の跡を継ぐゆえに、わが親より舅・姑穂大切に重い、孝行を為すべしと教育を受け、行儀見習いの奉公があり花嫁修業をしたものだが、今は、そういう教育を女子が受けてないので、老親を抱える長男などは結婚しにくくなっている。福島瑞穂のように老親介護のただ働きはいやと云われたら、結婚も困難なのである。少子化対策、結婚しやすい社会ということなら、家庭婦人指向の教育も必要だろう。

2010/03/17

福島瑞穂の女子法定婚姻年齢引上げ問題について16・17歳女子に冷淡な見解

 労働組合、フェミニスト、日弁連、この三悪が諸悪の元凶だろう。こいつらを駆逐すれしなければ日本は善くならないというのが私の考えだ。夫婦別姓、嫡出子と非嫡出子の相続分の差別撤廃、女子法定婚姻年齢の18歳引上げ等の民法改正を強く推しているのも日弁連である。
 「過払い訴訟」で消費者金融を壊滅させた、官製不凶の元凶、反貧困ネットワーク代表、「年越し派遣村」名誉村長の宇都宮健児が会長選挙で当選し、事務総長には福島瑞穂の事実婚の夫の海渡(かいど)雄一が事務総長に起用されると報道されている。http://www.asahi.com/national/update/0310/TKY201003100347.html「宇都宮氏は今後、貧困や格差拡大を「最大の人権問題」と位置づけ、日弁連をあげて取り組むとしている」と朝日新聞は伝えている。こいつらが法曹界をリードするじゃますます不景気になりそうな感じがする。

 ところで夫婦別姓は3月12日の閣議決定は先送りされたが、法務省は断念しておらず、なお危険な状況にあるということです。
 そこで榊原富士子・吉岡睦子・福島瑞穂『結婚が変わる・家族が変わる-家族法・戸籍法大改正のすすめ』日本評論社1993 という本を読みました。
 女子法定婚姻年齢の問題ですが、16・17歳の女子は90年代の統計では毎年約3000組ほど結婚している。つまり、民法改正案によって法定婚姻年齢を18歳に引上げると、16・17歳女子は法律婚資格を剥奪される不利益があります。例えば三船美佳もそうですね。彼女はできちゃった婚ではない。真面目な結婚でした。この不利益について福島瑞穂はどう言っているかというとこうです。
「このような年齢で法律婚を希望するのは実際問題として妊娠の事実が先行して、生まれてくる子を非嫡出子にしないための動機が働いているのが多いだろう。しかし、このようなケースの救済は非嫡出子に対する差別をなくすこと。法律婚と事実婚の法的保護をできる限り同等にすること。婚姻年齢の例外を認めるというような妥協的方法によるべきではない。」上掲書40頁

 福島瑞穂は16・17歳の結婚は子どもを非嫡出子にしないためのの動機が多いのだろうとしているが、真面目な結婚もあるのに心の中では16・17歳で結婚する女子を軽蔑していることを看取できる。そして救済は必要ないという。その理由は、非嫡出子でいいじゃないかというに乱暴な議論である。民法900条4四号ただし書は非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分の二分の一としているが、嫡出子と非嫡出子の相続分を同等とする法改正もセットにされているから、差別はなくすから、法律婚資格を奪っても不利益にならないからというのである。男女平等主義者は実はこのように弱い立場の女性に冷淡なのである。セットになっている理由もこの言い訳のためと考えられる。
 この論点については家裁の実務経験のある野田愛子氏の見解が参考になるだろう。「家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、16、7歳の虞犯の女子がよい相手と巡り会って、結婚させると落ち着く、という例も数多く経験しています。あながち、男女平等論では片付づかない問題」とされている。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-aaa0.html 米英独仏いずれも女子は16歳で結婚できます。結婚できなくするというのは間違いです。http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-d74c.html

2010/03/14

民主党でも夫婦別姓に反対している議員がいるんだな

 民法改正法案閣議決定先送りと云っても、どさくさで議員立法という手段がある油断できないし、通常国会を無難にいったとしても、参議院選で民主党が勝ったら民法改正をやられる可能性が高くなる。私は自民党に投票する予定だし、自民党の勝利を望むが、夕刊フジの記事で支持率低下でも民主優勢も伝えられているし、子ども手当を選挙前に支給するというので最悪民主党勝利も想定している。そうすると民主党内の保守派に頑張ってもらうしかないから、ブログで明確に民法改正反対を云っている長尾たかし代議士などは応援したいと思います。
http://blog.goo.ne.jp/japan-n/e/ac778a00f3e34c0fd5e593254d0e88a9
法務省政策会議で嫡出子と非嫡出子に同等分の相続を認める改正案に関する質問に対しての答弁が「そもそも家制度とは廃止されており、法的には差異を設けることが妥当ではない」という答えだったというが、それは変だ。日本的家制度と無関係に、婚姻家族、法律婚の在り方の問題だから。嫡出子か嫡出子として遇されなければ婚姻家族、法律婚は意味をなさなくなる懸念がある。。婚姻家族保護の観点、被相続人とその配偶者が居住していた不動産について、配偶者(寡婦)の居住の保護をどうするか。非嫡出子の死後認知による相続人の不利益といった問題点が多く、民法学者の学説でも積極改正論を少ないといわれているだけにこんな法律を通すべきではない。

2009/11/24

下書き4 夫婦別姓は社会主義政策である(1)

 伝統的な中国や近世朝鮮・韓国においては、同姓不婚と異姓不養の原則がある。家族制度の本義として、祖先の祭祀はその血統の子孫が営むべきであって、異姓からの養子を嗣子とすると、その宗族を乱すと考えられたため、同一血族の同族の男子(厳密には昭穆制により同世代の)を養子とする。異姓は養子に迎え入れない。(なお、中華人民共和国では宗法を封建制度として否定したので、韓国のように同姓同本不婚のような法規定はない)
 
 この漢民族の法文化はわが国には受容されていない。なぜならば高麗のように元を宗主国としたわけではないし、満洲族のようにシナを支配するために積極的に宗法制度に同化することもなかった。高麗末期のような儒者による廃仏運動はなかったし、李氏朝鮮のように朱子家礼による祖先祭祀が広まることもなかったからである。
 
 したがって、中国や韓国のように夫婦別姓を導入する余地はないと考えていたが、法務省入国管理局職員(1972年当時)の島村修治の著書(『外国人の姓名』ぎょうせい1971年24頁以下)を読んだところ、清朝の姓名記載慣習は夫婦別姓ではないことがわかった。

 著名な人物として例えば、孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢、毛沢東-江青、劉少奇-王光美、周恩来-鄧穎超と姓名記載するように昔から夫婦別姓だという固定観念を持っていたがそうではないことがわかった。とすると、宗法制度=夫婦別姓とみなす必要はない。

 島村氏によると清朝の姓名記載慣習は、女は結婚すれば夫と一心同体のものとして無姓無名の存在となり、一般の人々は〈何々家の奥さん〉、〈誰某の妻〉、〈誰某の嫁〉、〈誰某の母〉と呼びかたをしていた。(この在り方は近世日本の庶民の在り方と同様である)

しいて名のる必要がある時は、

 王竜妻張氏、あるいは 王張氏(王家に嫁入した張氏の娘との意味)というふうに書いたという。

 中華民国の婚姻法(民法第1000条)でも夫婦は原則として同じ姓を称することになっていた。しかし実態としては1930年代以降、婚前の姓に字を添え、婚家の姓をかぶせ在り方が増加した。孫文-宋慶齢、蒋介石-宋美齢は原則に反するが、夫婦間の特約により婚前の旧姓を保持することも認められていたためだという。

 中華人民共和国では1950年5月1日公布の新婚姻法では、男女は平等であり互に独立した人格者であるとして、姓名についても「夫婦それぞれ自分の姓名を使用する権利をもつ」と定め、別姓であれ同姓であれいずれの姓を選ぶかは当事者の任意とした。
 この法律のモデルはいうまでもくソ連である。

 島村氏によると(前掲書148頁以下)

 ア 帝政時代は妻は当然に夫の姓を称した

 イ 1919年の法典では、夫婦同一姓の原則により共通の姓を称するが、男の姓か、双方の姓を連結した姓を称するかは、両当事者の自由とした。

 ウ 1924年11月の法令で夫婦異姓の可能性が認められ、同一の姓を称する義務がなくなった。

 なお、1926年に連結姓と第3の姓の選択は否定されたとも書かれている。

 ソ連は1926年に事実婚主義を採用し、1936年の登録婚制度法定まで事実婚の時代といわれている。夫婦別姓はスターリン時代の事実婚社会にふさわしかったのである。

 以上のことから夫婦別姓というのはレーニンが死去した1924年のソ連の法令に由来するものであり、それが1950年の共産中国の婚姻法に継受されたとみることができる。そして民主党政権千葉景子法相の手によってついに、我が国にもソ連・共産中国モデルの民法改正がなされようとしているのである。

 

 

2009/11/23

下書き3

1 夫婦別姓推進論者の言う旧慣習説は誤りであることが近年明らかになっている

(1)少なくとも近世において既婚女性が生家姓(氏)を冠称したという実態はない

(要旨)

 夫婦別姓推進論者は、明治九年の太政官指令や豊田武、井戸田博史などの夫婦別姓旧慣習説を論拠として、反対論者を批判するが、近年、夫婦別姓旧慣習説を否認する有力な学説が出ている。近世については大藤修(註1)、柴桂子(註2)〔特に後者が詳細に〕徳川時代の出版物、人別書上帳・宗門人別帳、犯科帳、離縁状、訴状、女手形、門人帳、書画、短冊、書簡といった史料の他称・自称・自署を検討し、既婚女性が生家姓(氏)を冠称することはきわめて例外的事例しかなく、従来の夫婦別姓旧慣習説には資料的裏づけがないことを明らかにしている。
 つまり、現代の中国や韓国における、胡錦涛と妻の劉永清、李明博と妻の金潤玉というような既婚女性に生家姓を冠称して他称する。あるいは自称、自署するという実態は少なくとも近世に関する限りなかったのである。
 もっとも、 朝廷から賜る位記、口宣案、宣旨の宛名は天皇の賜与、認定による姓(古代的姓氏)と実名であるのが、幕末・維新期までの一貫した伝統であり、後宮女官などの既婚女性の女叙位における位記は所生の姓(父の姓)だったと考えられる。女官除目も同様であり、古代の内侍司牒の既婚女官の署名も父の姓であったと考えられる。
 しかしながら少なくとも平安中期以後「実名敬避」の慣習から公家女房は候名で呼称する慣習が確立され、日常生活において、本姓+実名で呼称、自称することはありえないということはよく知られていることである。
 候名は時代的変遷があり、平安中期についていえば父・夫等の官職に因んだケースが一般的だった。室町・戦国時代の禁裏女房は男官の「公卿、殿上人、地下」に対応して「上臈、中臈、下臈」の別があり、上臈には公卿の官職(大納言など)を、中臈には京官、下臈には外官を付けて呼んでいた(註3)。後宮女官の候名から、夫婦別姓を旧慣習とみなすことはできない。
 むしろ注目すべきは室町・戦国時代の公家の正妻の呼称である。今年出版された後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館であるが、摂関家の嫡妻は「婚家名+女中」、夫が関白となると「婚家名+北政所」と称され、一般公家は「婚家名+向名または女中」と称された。つまり正妻は婚家の名字を名乗っていた。
 室町・戦国時代が限嗣(嫡妻)単独相続の日本的家制度の成立期とみられる。後藤みち子によるとこの時期に公家の家妻は、家政・家業を分担の役割が明確となり、婚家の名字を名乗ることも社会的に認知され、婚家の名字は父の正妻から嫡子の正妻へ継承されるものとなったとする。我が国における夫婦同氏の基本はこの時期に確立されたという説である。
 従って、朝廷から賜る位記などの例から夫婦別姓を前近代の旧慣習とみなすのは妥当ではない。それは既婚女性一般の他称、自称、自署の実態と全く異なるのである。大藤修氏は夫婦旧慣習説を批判して次のように述べる。「近世において妻がどちらの姓を称していたかを資料的に確認するのは難しいのが実情である。第一、それについての法的規定は存在しない。そもそも近世においては、女性の役割は家の内部に限定され、社会的役割を果たしていなかったので、女性が姓を冠して対外的に自己を表示する必要はあまりなく、したがって法的に問題にすらならなかったのである。文書のうえでも女性は「某室(女房)○○」「某女○○」「某母○○」というふうな、当主たる夫や父あるいは息子との関係で表示されるのが通例である。」(註4)
 これは学者らしい慎重すぎる表現だが夫婦別姓は資料的に確認されてないので旧慣習説は否定されると言いきってよいだろう。
 のみならず、明治4年に氏が苗字に一元化されるにいたって、それまで朝廷の文書にあった令制的姓氏(古代的姓氏)は実質的意味を失ったのであるから、旧例として復活することは全く意味がない。

(詳論)

 わが国の女性が、明確に姓を冠し文書に登場するのが位階授与(位記)である。これは父の本姓+実名である。本姓とは天皇の賜与認定による令制的姓氏(源平藤橘、天皇の賜与認定による令制的姓氏(源平藤橘、菅原氏、高階氏、大江氏、紀氏、越智氏、清原氏、加茂氏など)であるが、同姓の婚姻(例えば左大臣藤原冬継と尚侍藤原三守の姉藤原美都子のケースを別として夫婦同姓はありえない。下記の奈良時代のケースについて限って云えば夫婦別姓という見方をとることにやぶさかではない。

右大臣藤原朝臣不比等の後室は命婦県犬養宿禰三千代
参議藤原朝臣宇合の妾久米連若女(悪名高い)
左大臣藤原朝臣永手の妻は尚侍兼尚蔵大野朝臣仲仟、
内大臣藤原朝臣良継の妻は尚侍兼尚蔵阿部朝臣古美奈

 時代は下って南北朝時代の『園太暦』に記される女叙位の記事はこうである。

康永三年正月廿七日女叙位〔1344〕(註5)

正五位下  藤原為子 掌侍
従五位上  藤原房子 典侍
        和氣仲子 命婦
従五位下  秦 相子 女婦
        河 氏子 采女
        藤原末子 女史
外従五位下 藤井池子 内教坊
         藤井次子 女孺
         海 浦子 水取
         藤井枝子 掌縫

 上記のどの官女が既婚であるかは不明だが女叙位、除目に関しては夫婦別姓とみてよい。

 近世において、位記の宛名の例として下記のような例がある。

元禄15年2月14日 従一位 藤原朝臣光子〔徳川綱吉母桂昌院、家光妾、本庄(藤原)宗利養女〕
文政11年1月10日 従二位 故従三位藤原輝子〔追贈-徳川家継母月光院、家宣妾 勝田(藤原)玄哲女〕(註6)

 しかしながら朝廷から賜る位記などの例をもって社会の慣習が夫婦別姓であったという根拠とはできない。これはあくまでも朝廷との君臣関係だけである。それは既婚女性一般の社会生活における他称、自称、自署の実態と全く異なるからである。
 我が国には古くから「実名敬避」の慣習があって、貴人の女性を実名で指称することは憚られることであった。清和生母藤原明子は「染殿后」陽成生母藤原高子は「二条后」と称されるのが一般的であるように。

 また平安時代中期から女房の候名が確立した。日常生活で呼称されているのは候名であって姓+実名ではない。清少納言や紫式部の実名が不詳であるのは、通常は実名で指称されることはなかったからである。角田文衛氏によると平安時代中期の女房の候名は主として父、やむをえぬ場合は、夫、兄弟、祖父の官職名に因んで賜った。候名は優雅であり「実名敬避」に役立ち、女房たちの実名に煙幕をはった。女流歌人の次のような事例である(註7)。

 和泉式部 式部は父の藤原為時が(蔵人)式部丞の任にあったため。和泉は夫の橘道貞の任和泉守に因む。

 伊勢大輔 父の大中臣輔親が伊勢の祭主で神祇官の権大副。
 上東門院中将 父藤原道雅の任左近衛中将に因む。
 馬内侍 右馬権頭源時明の娘。
 相模 相模守大江公資の妻。

 もっとも姓氏をもって指呼されている事例もある。『類聚雑例』長元九年五月十七日条に後一条天皇の御大葬に当たって素服を賜るべき人々「女房十八人」が書き出されている。

 先藤三位。藤三位。江三位。菅典侍。已上御乳母。少将内侍。兵部内侍。左兵衛内侍。左衛門命婦。左京命婦。小馬命婦。侍従命婦。中務命婦。兵衛命婦。小左門命婦。式部命婦。兵衛命婦。馬命婦。

 つまり、乳母四名は姓氏で指呼されている。しかし天皇乳母に称される例外的事例をもって夫婦別姓とはいえないだろう。しかも江三位とは近江守藤原惟憲の妻藤原美子であり大江氏の三位ではない。新田孝子氏(註8)によれば夫の官職に因んで近江の内侍と称されていたが、昇叙により『栄花物語』第十九の禎子内親王着裳の儀の記述では「近江の三位」となり、第二十八の中宮威子出産の記述では「大弐の三位」となる。これは夫惟憲が大宰大弐であったためである。つまり後一条天皇乳母藤原美子の女房名は「近江内侍」「近江三位」「大弐三位」と変遷しているが、いずれも夫の官職に因むものである。

 では赤染衛門、清少納言はどう解釈すべきか。赤染衛門は帰化系氏族の赤染時用が父または養父とされる(赤染氏は燕国王公孫淵の後裔と伝え、河内を本貫として赤染部を掌る。天平勝宝二年に赤染造広足、高麿ら24人が常世連姓を賜う。)夫は一条朝の鴻儒、従四位下式部大輔大江匡衡であるから、夫婦別姓の典型としてみることもあるが、父の氏で指呼する候名は珍しいものであって、例外的事例とみなす。衛門では女房相互の符牒になりえないからではないか。角田文衛氏(註9)は『紫式部日記』に依拠して赤染ではなく「匡衡衛門」と称されていたという。これは赤染衛門が夫の昇進のための運動、裏面工作に熱心であったためだか、いかにもあてこすった言い方であり年長者に対して非礼でもある。むしろ『紫式部日記』に丹波守北の方と称されているこちらのほうが一般的指称(当時大江匡衡は任丹波守で妻は任地に下向せず京に止まっていた)だと思う。

 清少納言は、清原元輔の娘だが実名不詳である。角田文衛によれば(註10)この候名は再婚した相手の少納言藤原信義の官名に因むとされる。清少納言は第三者から指称であり、日常生活において、女房相互の符牒としては少納言と指呼されていたことは『枕草子』の有名な香炉峯の雪のやりとりにより明白である。

 雪のいと高う降りたるを、例ならずして御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などし
て集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峯の雪いかならん」と仰せらるれば、御格子あげ
させて、御簾を高くあげたれば、わらはせ給ふ。
http://nihongo-sokki-steno.seesaa.net/article/78262308.html
 中宮藤原定子は「少納言よ」と呼んでいるのであって清氏とは指呼しないのである。しかも少納言が夫の官名に因むのであるから、これを夫婦別姓の論拠とはできない。

 候名は時代的変遷があり、南北朝・室町時代になると禁裏女房は男官の「公卿、殿上人、地下」に対応して「上臈、中臈、下臈」とし、上臈には公卿の官職(大納言など)を、中臈には京官の上位のもの(四等官のかみである卿、督、大夫)を付し、下臈には外官(地方官 伊予、播磨)を付けて呼んでいた(註11)。吉野芳恵によると室町時代に女房名を遺跡として相続する慣習があったとしている。大納言典侍は広橋家の女(含猶子)で相続され、匂当内侍は奥向経済を掌握し女房奉書を書き出す重要な職掌であるが、南家高倉、東坊城両家の女が補された。しかも候名の変わり方に一定の決まりがあって、南家高倉家は右衛門督局か右衛門内侍から匂当内侍、東坊城家は別当局、左衛門督局、中内侍から匂当内侍であった。下臈の伊予局は和気氏の女が相続した(註12)。相続の慣習は江戸時代に姿を消した。こうした後宮女官の呼び名から夫婦別姓の慣習を見いだすことはできない。

 次に、公家の正妻の呼称であるが、今年出版されたたもので注目すべきものとして後藤みち子『戦国を生きた公家の妻たち』吉川弘文館がある。
 戦国時代に公家の妻たちは夫の名字を名乗り、同じ墓地に葬られるようになったと言う。限嗣(嫡子)単独相続という日本的家制度が確立したのが室町・戦国時代である。この時期に家妻が、家政・家職の経営の役割を分担することが明確になった時期でもある。
 後藤みち子によれば、摂関家では嫁取式を経た嫡妻は「婚家の名字+女中」と称する。夫が関白となると「婚家の名字+北政所」と称する。
 清華家の正妻は「婚家の名字+女中」と称するようである。近衛尚通の『後法成寺関白記』によると久我通信正妻を「久我女中」と称し、徳大寺実淳妻は「徳大寺女中」、夫が死去すると「徳大寺後室」と称している。
 一般公家は、「女中」のほかに「方角+向」の「向名」で称された。姑と嫁は東-西、南-北と対になって形づけられた。『実隆公記』では中御門宣秀正妻を「中御門西向」と称し、『親長公記』では中御門宣秀の父である中御門宣胤の正妻を「中御門東向」と称している。姑が「東向」で嫁が「西向」である。
 三条西家の家妻の役割が検討されているが、使用人の給分の分配(使用人の給料を決定する)、食料の手配・管理、追善仏事の運営、連歌会。和歌会の設営があげられている。これは近現代に庶民の家の主婦の役割に通じるものがあるといえるだろう。このように公家社会において嫡子単独相続確立期に、家妻は、家政・家職の経営の役割を分担し、婚家の名字を冠して称された。
 後藤みち子によれば、女叙位の位記は所生の氏であるから夫婦別氏、夫婦同苗字と述べているが、社会的呼称は、婚家の名字+妻の社会的呼称(女中、向名)であるから実質的には夫婦同氏の感覚に近いものと認識できる。
 
 次に徳川時代のありかただが、近世女性史研究者の柴桂子氏が、夫婦別姓旧慣習説には史料的裏付けがないとして厳しく批判していることが特筆できる。 夫婦別姓推進論者の依拠する旧慣習説は明確に否定してよいと思う。
 
 以下引用もしくは要約した引用である。

 法制史研究者によって「江戸時代の妻の氏は夫婦別氏だった」と流布されているが、夫婦異姓の根拠とされる史料はごくわずかに過ぎない、女性の立場や実態把握に疑問がある。
 法制史研究者は別姓の根拠を、主として武士階級の系図や妻や妾の出自の氏に置いている。ここに疑問がある。妾や側室は雇人であり妻の範疇には入らない。給金を貰い借り腹の役目を終わると解雇され配下の者に下賜されることもある。
 より身分の高い家の養女として嫁ぐことの多い近世の女性の場合には、系図などには養家の氏が書かれ「出自重視説」も意味をなくしてしまう。
 別姓説の中に「氏の父子継承原理」が語られるが、女の道として教訓書では、「婦人は夫の家をわが家とする故に、唐土には嫁入りを帰るという。我が家に帰ることなり」(『女大学宝箱』)とあり、女の家は婚家であり、夫とともに婚家を継ぐ者ということが、日常道徳の規範とされていた。
 また、宗門人別帳でも夫婦同宗とされ、婚家の墓地に埋葬されるなど婚家への一体性・帰属性が強かった。
 
 実態として近世の既婚女性はどう呼ばれどう名乗っていたのか
◎他称の場合
○出版物 『近世名所歌集』嘉永四年(1851)、『平安人物誌』文政五年(1822)
姓はなく名前のみで○○妻、○○母と婚家の身分が記されている。『江戸現在広益人名録』天保一三年(1842)も同様だが、夫と異なる姓で記載されている場合もわずかある。
○人別書上帳・宗門人別帳
庶民の場合は姓も出自もなく、筆頭者との続柄・年齢が記される。
○著書・歌集・写本などの序文や奥付
武士階級でも姓も出自もなく、院号や名のみの場合が多い。
○犯科帳、離縁状、訴状、女手形
姓はなく名のみが記され○○妻、○○後家とと書かれ、名前さえ記されないものもある。
○門人帳 
別姓の例としてよく取りあげられる「平田先生門人姓名録」であるが、幕末の勤王家として名高い松尾多勢子は「信濃国伊那郡伴野村松尾左次右衛門妻 竹村多勢子 五十一歳」と登録されている。しかし、この門人帳には29名の女性の名があるが、既婚者で生家姓で登録されているのは多勢子を含め5名で、婚家の名で登録されているのは10名、名だけで登録されているのが3名である。他は○○娘とあり未婚者と考えられる。
他に心学門人帳などあるが、姓はなく名のみが記され、○○妻、○○娘と細字で傍書されている。
○墳墓、一般的には正面に戒名、側面に生家と婚家の姓が刻まれている。
◎自称・自署の場合
 
○著書 多くは姓はなく名のみを自署している。
○書画・短冊 雅号のみの場合が多い
○書簡 これも名前のみサインである。
○『古今墨跡鑑定便覧』本人の署名を集めたもので、姓はなく名前のみサインである。
例外的にフルネームの署名もあるが書画や文人の書簡であって夫婦別姓とはいいがたい。

 以上の柴桂子氏の指摘から江戸時代の既婚女性は生家姓を冠称して、呼称、指称、自称、自署はしているわけではないと断言してさしつかえないだろう。夫婦別姓は旧慣習とはいえない。多勢子のような例外的事例をもって夫婦別姓というのは過当な一般化だろう。
 墓碑名については、明治民法施行前において、例えば明治五年、神道布教の中央機関として設置された大教院が神葬の儀礼を編纂せる近衛忠房・千家尊福『葬祭略式』を刊行し、そのなかで、「妻には姓名妻某氏霊位と記す」となし、妻の生家の氏を刻むよう奨導した例がある(江守五夫『家族の歴史人類学-東アジアと日本-』弘文堂1990 53)があるが、そもそも教派神道を別として、神道式の葬式は今日普及しておらず、墓碑名に生家姓を刻むとしても、それは妻の由緒、姻戚関係を明らかにする趣旨で、生きている人の実態において生家姓を冠称していたとする根拠にはならないと考える。

1 大藤修『近世農民と家・村・国家』第三章第三節「妻の姓の問題-夫婦別姓説をめぐって」吉川弘文館1996
2 柴桂子 「歴史の窓 近世の夫婦別姓への疑問」『江戸期おんな考』(14) [2003年]柴桂子「近世の夫婦別姓への疑問」〔総合女性史研究会〕大会の記録 夫婦と子の姓をめ ぐって--東アジアの歴史と現状) のコメント『総合女性史研究』(21) [2004.3]
3 桑山浩然「室町時代における公家女房の呼称 」『女性史学』(通号 6) [1996]
4 大藤修 前掲書
5 角田文衛『日本の女性名-歴史的展望』国書刊行会2006年 178頁
6 大藤修 前掲書
7 角田文衛前掲書121頁以下
8 新田孝子「栄花物語』の女官名称-乳母「近江の内侍」」関根慶子博士頌賀会編『平安文学論集』 風間書房1992
9 角田文衛前掲書119頁
10角田文衛前掲書120頁
11桑山浩然前掲論文
12吉野芳恵「室町時代の禁裏の女房-匂当内侍を中心にして」『國學院大學大学院紀要文学研究科』13号1982
13 柴桂子前掲論文参照。引用は2004年のコメントから

2009/10/29

請願書 嫡出子と非嫡出子の相続分の差別撤廃  反対

請 願 書

鳩山由紀夫内閣総理大臣 殿
                                                                 平成21年10月31日
【請願する法案】

嫡出子と非嫡出子の相続分の差別撤廃

【法案に反対する理由】
 
 婚姻家族が社会秩序の根幹であり、我が国は法律婚制度が定着し、社会が安定化しているのに、嫡妻・嫡出子が重んじられなければ婚姻家族は維持できない、社会を不安定化させる。

 
 民法900条4四号ただし書は非嫡出子の相続分は嫡出子の相続分の二分の一としているが、1996年法制審議会答申は嫡出子と非嫡出子の相続分を同等とするものとした。しかしながら、この問題は学説においても顕著ではなかったし、最高裁でも合憲判断であるのに、あえて改正する必要はない。
 婚姻家族保護の観点、被相続人とその配偶者が居住していた不動産について、配偶者(寡婦)の居住の保護をどうするか。非嫡出子の死後認知による相続人の不利益といった問題点が多い。
 我が国は、結婚とは入籍と言われるように法律婚が定着しており、経過的内縁関係が若干ある程度で、世界的にも法律婚制度としては成功例である。今日足入れ婚の悲劇などはきかれなくなってた。事実婚の割合は外国より少ない。
 我が国の社会が相対的に安定しているのは家族が曲がりなりにも健全で、シングルマザー問題が外国ほど深刻ではないということがある。私はスターリン時代のソ連の事実婚社会、フランスやスウェーデンのように法律婚があまり意味なさなくなった社会が良いとはとても思えない。嫡妻が嫡妻として遇され、嫡出子か嫡出子として遇されなければ婚姻家族、法律婚は意味をなさなくなる。社会に混乱をもたらすだけである。

                         以上
 住所
 氏名 川西正彦 印
 年齢 49歳

2009/10/27

請願書 民法731条改正反対

請 願 書

鳩山由紀夫内閣総理大臣殿

                                                                           平成21年10月27日

【請願する法案】

民法731条改正(男18歳女16歳の婚姻年齢を男女とも18歳とする)に反対

【法案に反対する理由】

1)米英独仏といった主要国では女子16歳は法定婚姻年齢であり、女子18歳引き上げが世界的趨勢というのは真っ赤な嘘である

 イギリスが男女とも16歳が法定婚姻適齢である(正確にはイングランドが16~17歳は親の同意要、スコットランドは親の同意も不要)。ドイツは成年である18歳を基準とするが、未成年者においても配偶者が成年であるという条件で16歳以上で婚姻の可能性を開いている。つまり男女を問わず結婚相手18歳以上なら16歳の婚姻を可としている。16-16はダメだが、18-16なら良いというものです。フランスは男18歳、女15歳(例外規定もある)であるが、それが差別だとは論じられていないとする。
 アメリカ合衆国は、50州及びDistrict of Columbia and Puerto Ricoの法定婚姻適齢についてコーネル大学ロースクールLIIのMarriage lawsのサイトを見てくださいhttp://topics.law.cornell.edu/wex/table_marriage。各州の婚姻適齢の一覧表があります。マサチューセッツではコモンローの婚姻適齢男14歳、女12歳が今でも生きている。
 1970年以前は18-16のケースが多かったのですが、アメリカでは古くから統一州法全国委員会が主体となって統一州法というものが幾つかあり、婚姻法についても一定の方向性を打ち出している。これは拘束力はないが、男女とも16歳を婚姻適齢とし、18歳は親の同意を得ないで結婚できる年齢とするもので、16歳未満についても裁判所の許可で婚姻が可能なモデルで、各州で70年代以降部分的に採用されてます。その場合でも、統一州法のモデルどおり男女とも16歳を法定婚姻適齢の基準としている州が圧倒的に多い。私が数えたところでは50州のうち41州は16歳女子は文句なしに婚姻適齢とされています。17歳、18歳を基準とする州でも例外規定があるケースが多い。さらに16歳未満でも例外規定で裁判所の許可により結婚可能としている州が結構多く、男女差をなくす場合でも、16歳、17歳の結婚の可能性を否定することにはなっていないんです。
 法制審議会は、男女とも婚姻年齢を18歳以上とするのが世界的趨勢とか言ってますが、嘘ですね。悪質にも国会と国民をだましているんですよ。ソ連やスウェーデンがそうかもしれませんが、米・英・独・仏といった主要国では16歳女子は結婚できることになっています。

2)野田愛子氏の見解を無視すべきでない。
 
「統計的に、16、17歳で婚姻する者は、〔年間〕約3000件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、16、7歳の虞犯の女子がよい相手と巡り会って、結婚させると落ち着く、という例も数多く経験しています。あながち、男女平等論では片付づかない問題のように思われます。」改正は望ましくないとする野田愛子氏のような家庭裁判所の実務家の見解(戸籍時報419号)を無視していることが疑問です。家庭環境に問題があり「非行」に走る少女も結婚すると落ち着くということです。結婚が解決策になるのです。人間学的に言えば、喜びと苦労を分かち合うことで喜びは倍になり、苦しみは軽減され、人生の困難を乗り越えていくことができるのです。従って必ずしも恵まれていない環境にある若い女性から法定婚姻資格を剥奪するのは過酷であると私は考えます。なるほど、16歳、17歳女子が結婚するカップルは、年間3000組程度ですが、全体数からみて少ないから切り捨てよというのは乱暴な議論であり、人情にも欠くものです。結婚し家庭を築くことは幸福追求にかかわる基本的な価値でありますから、安易に伝統的に容認されていた婚姻適齢での婚姻資格を剥奪することは、個人の幸福追求権より形式な平等追求を重んじるもので賛成できません。

以上
 住所
 氏名 川西正彦 印
 年齢 49歳

2009/10/26

請願書 女性差別撤廃選択議定書に反対

請 願 書

鳩山由紀夫内閣総理大臣殿

                                    平成21年10月27日

【請願する法案】

女性差別撤廃選択議定書に反対

【法案に反対する理由】

国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) など権威ある組織ではなく勧告など受ける必要はない。

 女子差別撤廃条約(アメリカ合衆国が批准していないので、これが国際的スタンダードな考え方であるわけではない)は人権条約の実施措置としてはもっとも緩い報告制度をとっている。これは条約の趣旨ができるだけ多くの国に批准しやすいようにして、各国の義務については厳格に求める性格のものではないからです。あまり厳格にして、例えばイスラムのシャーリア法をやめろとか、あるいは女子割礼の慣習をやめさせろとか言ったら、多くの国が批准できませんからもともとぬるい。そもそもキリスト教の聖書も仏教もヒンズー教もイスラムのシャーリア法にも、儒教はもちろんのこと女性差別的な思想があります。もしそれを否定したら文明は崩壊するのです。
 締約国の義務は国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW) に条約批准の一年後とその後は四年ごとに条約の実施のためにとった立法上、司法上、行政上のその他の措置の報告をするだけ。要するに四年おきになんらかの報告のための実績づくりを政府にさせることによって、女性団体が監視して女性政策を促そうとするものです。
 浅山郁の1985年の論文(「女子差別撤廃条約の報告制度と締約国からの報告 (女性そして男性) -- (外国における女性と法) 」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ 』日本評論社  (通号 30))によると、CEDAWの権限は弱く条約十八条で提案と一般的勧告をを行うことができるが、実際には「委員会の委員が度々、締約国による条約義務の不遵守(あるいは不十分な遵守)を認めたにもかかわらず、いかなる特定の締約国についてもその旨の意見発表は一度も行ってない」とのことです。もともと条文の解釈は締約国に委ねられているから、これこれの女性政策を締約国に強要というものではないです。例えばソ連の第一回報告では教育の分野について「憲法に基づいて教育の平等は完全に保障されている。なぜなら、教育は国家の手で行われているので、すべての男女に同一の授業内容をうけさせることが可能となる。教育上の男女差はすでに克服されてしまった‥‥」と説明してますが、中等教育の技術教育の男女別の授業内容を問うとか意地悪な質問もなく賞賛されるだけだったようです。そんなもんです。日本は1987年に第一回の報告を行ってますが、売春防止法を説明したところ、委員は「単純売春」に関心を示し、意味がわからないという質問が出たそうです。そんな程度のことです。たいした権威もない委員会です。
 いずれにせよ、女子差別撤廃条約は有害でした。米国のように批准しないほうがましでした。実際には条約の解釈はいかようにもなるんですが、フェミニストが勝手に条約違反とわめきたてることにより有害な政策が促されました
もともと条文の解釈は締約国に委ねられているから、これこれの女性政策を締約国に強要というものでないはずだったのに個人通報制度により、CEDAWのようなばかげた機関の内政干渉を容易になるというのは大変危険な事だと思う。

                                               以上
 住所
 氏名 川西正彦 印
 年齢 49歳

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