第一章 男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない
今回の政府案は、成人年齢引下げに便乗して、婚姻適齢と成年を一致させ、未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止しようとするものである。
男女とも18歳とし、16・17歳女子の結婚する権利を剥奪する案は、もともと日弁連女性委員会その他の婦人団体が主張していたもので、1996年法制審議会民法部会答申によって採用されたものである。
これは1985年の女子差別撤廃条約批准を受けて、1991年法務省が「男女平等の見地から、夫婦の氏や待婚期間の在り方を含めた婚姻及び離婚に関する法制の見直しを行う」こととなり、1992年12月に「婚姻及び離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」、1994年7月の「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」を経て1996年の法制審議会民法部会答申「民法の一部を改正する法律案要綱」により成案となったものだ。
法制審議会が婚姻適齢を引上げる理由としてまず挙げているのが、婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であるという理屈だが、全く虚偽である。
第二に「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」とし婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきことを理由としているが、論理性は全くないものであり、正当な立法目的とはいえない。
婚姻適応能力がない。あるいは結婚することが当事者の福祉に反するという根拠・裏づけが乏しいにもかかわらず16・17歳女子の婚姻資格剥奪を強行する理由は、これまで18歳引き上げを主張してきた日弁連女性委員会ほか女性団体のメンツをたてることだけでしかない。女性団体の身勝手な主張が、幸福追求権や婚姻の自由という憲法的価値よりも圧倒的に重視されている政策として糾弾に値する。
結局のところ、高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求等の立法趣旨は口実であって、真の立法目的は、日弁連女性委員会その他のジェンダー論者が男性の女性が最も美しく肉体の輝く16・17歳女子に求婚し、結婚する権利を奪い取り、男性の正当な権利を縮小して留飲を下げたいという、男性への敵視、ルサンチマンが底意にあると考えられる。
男性支配の構造を敵視する特定社会階層、特定イデオロギーの女性が男性の権利を縮小し奪うことで自己満足することが真の立法目的と考えてよい。あるいは、自分たちがエリートであるために学業より家庭を選択しようとする16・17歳で結婚する女子を軽蔑し、この人たちの婚姻の自由や、幸福追求権、子供を嫡出子とする権利を否定して当然といわんばかりの鼻持ちならない差別意識がその背景にあると考えられる。
(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている
1.先進国において16歳が婚姻適齢とされている立法例
英国・アメリカ合衆国の大多数の州、カナダの主要州では16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りである。
特にアメリカ合衆国は、統一州法委員会の統一婚姻・離婚法のモデルが16歳は親の同意要件より婚姻できる年齢と定めており立法政策の推奨モデルなのである。従って婚姻適齢16歳を基準としているのがアメリカの各州の大多数の一般的な法制であり、スタンダードが16歳である。
にもかかわらず18歳が世界的趨勢などというのは虚偽であり、したがって、1996年法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論したものであり、国会、国民を騙す詐欺行為の手口はきわめて悪質であり、糾弾されてよいレベルである。
なお、アメリカでも17歳を基準とする州が数州あり、ごく最近2017年6月には1929年より14歳以上で結婚出来たニューヨーク州が男女とも婚姻適齢を17歳以上に法改正したように、近年早婚に反対する人権団体の運動が活発化して立法政策に影響力を行使しているのは事実であるが、一方ニューハンプシャー州は古くより男14歳女13歳の婚姻適齢であるが、2017年3月に州議会が婚姻適齢引上げ法案を否決しており、ニュージャージー州は婚姻適齢引き上げが議会を通過したが、クリスティー知事が拒否権を発動している。ニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドになっているとはいえないのである。
男女とも婚姻適齢を18歳とするのは、ソ連・東独の社会主義モデルであり、世界全体がそのような傾向にあるわけではない。それが正しいわけでもない。もっともフランスが2008年に婚姻適齢を引上げている。ドイツも今年18歳に引上げる見直しがされているが、改正理由がイスラム圏からの移民が増加し、親による強制的な結婚の防止ということであり、フランスのような改正例を一般的傾向とみなすことはできない。
(1) 英国
婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドでは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991]
なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。それ以前はコモン・ローの男14歳・女12歳であった。 なお、英国婚姻法の歴史的経緯は「(附属論文)第五章結婚は自由でなければならないという古典カノン法を基軸とする西洋文明の婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに 強く反対である」を参照されたい。
(2) アメリカ合衆国
A 要旨
我国の戦後民法改正による現行法の婚姻適齢は1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。
しかし2017年春の段階で大多数の州が(34州) 男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし16・17歳を親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。(Pew Research CenterのChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016 http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができる。と記載されている)
27州は最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、補充要件規定により裁判上の承認等により結婚可能とされている。
各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールの https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage
Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがある。このほかhttp://family.findlaw.com/marriage/state-by-state-marriage-age-of-consent-laws.html
State-by-State Marriage "Age of Consent" Lawsもある。
国会図書館調査及び立法考査局(佐藤令 大月晶代 ほか)2008『基本情報シリーズ② 主要国の各種法定年齢 : 選挙権年齢・成人年齢引下げの経緯を中心に 』2008-bの記載は「ほとんどの州が、親の同意なしに婚姻できる年齢を男女とも18歳とし、親の同意と裁判所の承認を必要とする年齢をこれより低く設定している(35州及びワシントンD.C.が男女16歳であり、その他の州の規定ぶりは多様である(男女17歳、15歳、14歳、また 男女差を設けている州もある)。ただし、カリフォルニア、カンザス、マサチューセッツの3州は、婚姻適齢の最低年齢に関して明文規定がない)‥‥」との記載である。
18歳はあくまでも親の同意を要しない婚姻適齢であって、親の同意要件を前提とすれば16歳を基準とする州が大多数な点を注意してほしい。
なお、米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水裕子2017]
Marriage Laws of the Fifty States等を参照して各州ごとに検討するとおおまかにいうと次のとおりである。
婚姻年齢男女共16歳以上 32州とコロンビアDC
婚姻年齢男子18歳女子16歳 デラウェア、オハイオ、ロードアイランド
婚姻年齢男女共15歳以上 ハワイ
婚姻年齢男女共17歳以上 ネブラスカ、ニューヨーク
婚姻年齢男女共17歳以上【補充要件規定あり】 インディアナ、ワシントン、オレゴン
婚姻年齢男子17歳女子16歳 アーカンソー
婚姻年齢15歳以上 ミシシッピ
婚姻年齢15歳以上【補充要件規定あり】ミズーリ
婚姻年齢男女とも原則18歳以上 カリフォルニア、ケンタッキー、ルイジアナ、ウェストヴァージニア
婚姻年齢男子14歳女子12歳マサチューセッツ【コモンローと同じ】
婚姻年齢男子14歳女子13歳ニューハンプシャー
18歳を原則としている州も4州あるが、18歳未満でも補充要件規定により救済できるシステムがある。
B ごく最近の動向
もっとも、近年年少者の結婚については人権団体からの攻撃が強まっていることは事実である。
([webサイト米国:14歳の結婚が認められている米・ニューヨーク州児童婚に終止符を打たなければならないhttps://www.hrw.org/ja/news/2017/02/14/300136]参照)
1929 年以来ニューヨーク州では、14、15 歳は司法及び親権者の承認を得て結婚でき、16・17歳は単なる親の同意で結婚できる制度であった。
ところがヒューマンライツウォッチのような児童婚撲滅を主張する人権団体から強制結婚の温床になっているとの非難により、クォモ知事、民主党議員が主導して、婚姻適齢を17歳に引き上げる法案が通過し2017年6月20日に知事が署名した。
早婚撲滅団体のいいなりになった非常に悪い法改正例といえる。
([NY州で結婚の最低年齢引き上げ 14歳から18歳に06/22/2017 https://www.dailysunny.com/2017/06/22/nynews170622-2/]。ニューヨーク州では法定強姦罪が17歳未満のセックスは合意であっても強姦という規定なので厳しいといえる[NY州の合法結婚年齢14→18歳に引上げろhttp://www.yomitime.com/kawaraban/53.html]参照)
なおニューヨーク州のように14歳で結婚できる州としてノースカロライナ、ノースダコタ、アラスカ州があると報道されている。
また、テキサス州と、コネチカット州が最近、年少者の結婚を禁止する法改正を行っているが、最低婚姻適齢16歳を維持している。
したがって、16歳を婚姻適齢の基準とする州が大勢であることにかわりない。
一方、ニューハンプシャー州は、男14歳、女13歳という婚姻適齢法制で、2017年3月に婚姻適齢引上げ法案を議会が否決している。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案が議会を通過したが、クリスティー知事が拒否権を発動して阻止した。
(なお最近の婚姻適齢をめぐる情勢について
September 14, 2017 / by Anjali Tsui Married Young: The Fight Over Child Marriage in America http://www.pbs.org/wgbh/frontline/article/married-young-the-fight-over-child-marriage-in-america/
Child Marriage in the United States, Explained https://www.teenvogue.com/story/child-marriage-in-the-united-states-explained)
C 男女とも16歳を婚姻適齢としている州立法が多い原因
a)統一婚姻・離婚法モデル
男女とも16歳としている州が多い理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)とするモデル案を示していたことによる。
米国では 16歳を親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。
ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法(案)は次のとおりである。[村井衡平1974]
203条
1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(205条2項a)を得ていること‥‥
205条[裁判上の承認]
a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、
1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が彼の婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、
2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。
この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。
b)ERAの批准過程
第二の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないから、男女差のある州も残っている。
このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった16・17歳女子の婚姻資格を剥奪せず、男子の婚姻適齢を引き下げる方法をとっているのである。
C 年間5万8千人が18歳未満で結婚している
Pew Research CenterのChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016によれば、2014年に15~17歳の未成年で結婚した者は約 57,800人だった。これは全体の0.46%である。未成年者の結婚が多い州はウェストバージニア0.71%、テキサス0.69%だった。我が国の2015年の16・17歳女子の結婚が1357組で、全体の0.21%と比較すると、アメリカは未成年者の婚姻比率は高いとはいえる。
もっとも全体の0.46%であるから一般的な事例でないということは我が国と同じことであり、アメリカの婚姻法制は例外的な事例にも対応できていると評価できる。
もともと米国はフロンティアであるのでライフサイクルサーバントの慣習のあった西欧よりも初婚年齢が低く1930年代は女子は17歳で1割が結婚していた。PBSフロントナインの記事によると、未成年者が結婚のほぼ 90% は女子だった。それらのほとんどは 16 歳か 17 歳だった。しかしまれに 10、11、12 歳の事例があるということである。未成年どうしの結婚は少なく、未成年者の配偶者は 18、19 または 20 代前半が多数であるが、40 代、50 代、60 以上ものパートナーとの結婚もあるということてである。[September 14, 2017 / by Anjali Tsui Married Young: The Fight Over Child Marriage in America http://www.pbs.org/wgbh/frontline/article/married-young-the-fight-over-child-marriage-in-america/]。
(3)カナダ
オンタリオ州、ケベック州、ブリティッシュコロンビア州など主要都市のある州では16歳で結婚できる。BC州では16歳未満は裁判所の許可を得て,16歳,17歳は親の 同意があれば認められる。ケベック州では,16歳を婚姻適齢とし,18歳未満は両親の同意及び裁判所の許可があれば認められる。オンタリオ州では, 16歳を婚姻適齢とし,18歳未満は両親の同意があれば認められる。(法務省資料による)
(4)ドイツ(2016年までの法)
東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(満18歳)である。ただし、当事者の一方が満16歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]
*なおドイツのメルケル政権は2017年5月、18歳未満の婚姻を原則禁じる改正法案を閣議決定した。これまでは16歳から結婚が可能だったが、中東などイスラム圏から難民らが大量流入して18歳未満で結婚している少女が急増、与党内で政府に対応を求める声が高まっていたとの報道があるが、年少結婚に反対する人権活動家の突き上げや中東の移民は親に強制されて結婚しているとの非難によるもので、特殊な事情からの法改正である。これが適切かどうかは検証が必要である。
以上のように英米文化圏では16歳が婚姻適齢の基準となっており、18歳が世界的趨勢などというのは大嘘である。
2 参考事例としての教会法
ラテン=キリスト教世界では、10世紀より婚姻が教会裁判所の専属管轄権となったため、教会婚姻法が普遍的統一法であった。近代に至って婚姻法が還俗化され、世俗国家のものとなっているが、単婚婚姻理念を明確にしたのみならず。婚姻の自由という観点でその文明史的意義は大きく、現代人の結婚観の基礎となっている。詳しくは第五章【附属論文】参照。
婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]しかしローマ法よりも無式合意主義諾成婚姻理論を継受した教会婚姻法(古典カノン法)がその理念としてより鮮明なものとしたといえる。
現在の教会法でもそうだが、親や保護者の同意要件を明確に否定しているうえ、 カノン法の婚姻適齢はローマ法を継受し男14歳、女12歳であるが、教会法学者はさらに緩めた。
「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]。
カノン法は性交不能を婚姻障碍としているため、早熟が年齢を補うことにより事実上年齢規制がないといってよい。
カトリック教会は1917年にカノン法を全廃し、新成文法典を公布し、婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]としたうえ、婚姻適齢を男16歳、女14歳とした。婚姻適齢を引上げたとはいえ、世俗法制と比べれば婚姻の自由を重視しているといえる。
スペインの婚姻適齢は原則18歳の成人年齢を婚姻適齢としているが、補充要件規定があり特例として14歳以上の婚姻も可能であり、教会法との整合性に配慮したものといえる。
3 アメリカ合衆国の多くの州が年少者の婚姻資格を否定しない理由とは
(1) 憲法上の基本的権利である結婚し家庭を築く自由
A 実体的デュープロセス
合衆国の多くの州が、年少者の婚姻資格斬り捨てをしない理由として憲法で明文化されていないが、修正14条の実体的デュープロセスとして結婚の自由が憲法上の基本的権利とされていることと関連があるとみてよい。
合衆国憲法修正14条(1864年確定)第1節は「‥‥‥正当な法の手続きによらないで、何人から生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。」と規定している。
もともとデュープロセス条項は告知・弁護の機会という最小限の手続きの保障だった。ところが実体的デュープロセス理論が発展し、デュー・プロセス・オブ・ロ-とは法執行の手続きだけの概念ではなく、法の内容にも適正さを要求する概念と主張された。つまり生命・自由・財産を「適正な手続きによらずして」だけでなく「適正な法によらずして」剥奪してはならないとするのである。
この理論により、個人から生命・自由・財産を奪うことになる実体法の内容の審査、政府の実体的行為が司法審査の対象とされ、裁判所が成文憲法中の特定の明文に依拠せずとも基本的性質を有するとする価値を憲法中に織り込み憲法規範として宣言し、それを侵害する制定法を無効とした[町井和朗1995]。最初の判例はアルゲイヤー対ルイジアナ判決Allgeyer v. LouisianaA, 165 U.S. 578 (1897) である。
婚姻の自由については、19世紀の判例で、重婚を禁止した連邦法に違反したモルモン教徒(The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)が起訴された1878年のReynolds v. United States, 98 U.S. (8 Otto.) 145 (1878)は信仰と行動の二分論を採用し、行動については社会秩序のために制約しうるとて、重婚の禁止を合憲としており、この判例は婚姻の自由の主張には限界があることを示したといえる。しかし1923年「結婚し家庭を築き子どもを育てる」ことを憲法上の権利とする判例が現れる。
B 1923年マイヤー対ネブラスカ判決の卓越性
連邦最高裁は第八学年まで英語以外の現代語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築き子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとした。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。
事案は大略して次のとおりである。第一次世界大戦はアメリカニズムを高揚させ、敵国ドイツの移民の多かった中西部では、ドイツ系移民の子弟が多く通う宗教系私立学校が敵国を利する企みの巣窟として厳しい疑いの目でみられた。そのような背景のもとで1919年ネブラスカ州は、第八学年修了まで現代外国語教育を禁止するサイモン法を制定する。
マイヤーはジオン福音主義ルター派教会の教区立学校で10歳の児童にドイツ語で聖書物語を教えたため訴追された。州最高裁は有罪を確認したが、連邦最高裁は、同法が合衆国憲法修正14条に違反し違憲と判決した。
マクレイノルズ判事執筆による法廷意見は憲法修正第14条が保障する自由とは「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges) を遍く享受する権利をさす。」「先例によって確立されている法理によれば、この自由は、州の権能内にある何らかの目的と合理的なかかわりをもたない立法行為によって妨げられてはならない。‥‥」「単なるドイツ語の知識が有害であるとは考えられない。これまで、それは有益で望ましいものであるとみなされてきた。‥‥当該教員は、彼の職務としてドイツ語を学校で教えたのである。教員の教える権利と、彼によって自分の子供にドイツ語を教えてもらう親の権利は、修正14条の範囲内にある‥‥」「明らかに州立法府は、現代語学の教師の職業、生徒の知識を獲得する機会、自分の子供の教育をコントロールする親の権利を、多大に侵害しようとしている」として修正14条のデュープロセス条項に違反すると結論づけた。[佐藤全1984 173頁、米沢広一1984、中川律2008]
この判決は親の監護教育権、職業を不当に奪われない権利の先例として評価され、結婚の自由は傍論部分にすぎないし、契約の自由は1937年に判例変更されていることは周知のとおりであるが、自由人が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして「結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利」を示した意義は大きく、その後の宗教の自由や。結婚の自由等の人権判例に引用されるところとなっただけでなく、アメリカにおいて全体主義の防波堤となる意義のある判決といえるだろう。
C 1967年ラビング対ヴァージニア判決(結婚を人間の基礎的な市民的権利と宣言)
そして連邦最高裁は Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニア州の異人種間の婚姻を刑罰をもって禁止する州法を違憲とした。
本判決の争点は平等保護条項(人種差別)とデュープロセス条項(結婚の自由=実体的デュープロセス)である。
本判決はまず、厳格な審査テストを用いて、人種のみを理由とする結婚の自由への制約は平等保護条項違反とする。次いで次のようにデュープロセス条項違反にもなるとしている。ウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしている。[米沢広一1989]
なお筆者は鑑賞してないが、この事件を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が我が国でも公開され、その広告によればアカデミー賞最有力とのことである。
Zablocki v.Redhail 434 US 374 (1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。
Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]。
このほか法廷意見を構成できなかったが住居地域規制による同居者制限が違憲判断されたものとしてMoore v. City of East Cleveland 431 U.S. 494 (1977 )がある。問題の家族制地域条例は、世帯主の孫との同居は孫が兄弟である場合に制限していた。ムーア夫人は従兄弟同士の孫と同居したため、条例違反で処罰されたという事案で、パウエル判事の相対多数意見は、実体的デュープロセスに反しこの条例を無効とした。「先例は家庭という構成がアメリカの歴史と伝統に深く根差しているとの理由で、家庭の神聖が憲法上保護されているとしている。アメリカの伝統は、核家族員のみの結合の尊重に限定されるものではない。‥‥殊に祖父母が世帯をひとつにする伝統も、同じく尊重を受け。憲法上の権利として認めるに値する深いルーツを持っている。」と述べている。[石田尚1988 101頁]以上のような判例からみて、アメリカ合衆国における結婚し家庭を築く権利性は明白である。
米法で家族関係一般に政府が介入する根拠として主張される伝統的な理論はポリス・パワー(公衆の衛生、安全、モラル、一般福祉を促進するための政府の全権的権限)とバレンス・パトリエ権限(国親思想)であるが、結婚の自由が基本的権利とされた以上、結婚を妨げる政策に緩やかな審査基準がとられることはない。
なお婚姻の自由に関連して近年注目されたObergefell v. Hodgesオーバーグフェル対ホッジス判決(2015)についても簡単に触れておく、5対4の僅差で州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な判例である
結婚はどう定義されるべきだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう。[船田享二1971 24頁]結婚とはあくまでも男と女の結合である。したがってケネディ法廷意見に反対だが、たんに不当な司法積極主義と揶揄するロバーツ主席判事の反対意見の論理構成については疑問をもつ。
私は Loving v. Virginia の先例としての価値を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付して、同性婚者の権利拡大に歯止めをかけるのが正当だったと考える。
この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor(2013)の反対意見が妥当な見解と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かを基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」とした。[高橋正明2017 117頁]
したがって私の考えでは、同性婚に好意的な一連の判決に反対するが、逆に言えば同性婚以上に擁護されなければならないものとして、18歳未満未成年者の男女の結婚はコモン・ローが男14歳、女12歳として、親の同意要件すらなかったという長い歴史と伝統に照らしてアメリカでは憲法上の権利と主張してよいように思える。
以上、婚姻の自由に関する判例を概括したが、米国では結婚の自由の判例の進展からみて年齢制限も憲法問題になるのであり、安易な理由で年齢制限の強化はやりにくいのである。
(2)バレンス・パトリエ権限による介入は論理性がない
未成年者に対して成人に認められている権利の制約を正当化する理論としてバレンス・パトリエ権限がある。これは、13世紀の精神障害者に対する国王の後見権限を起源とする。自ら最善の利益になるよう行為する能力に欠ける子どもや精神障害者のような人々を保護するための政府の限定的なパターナリスティックな権限であり、例えば、親が社会の害悪から子供を保護しえない場合、虐待や遺棄など子供を保護するための介入がそれである。ただし子供の最善の利益を促進するときにのみ行使されなければならないとされる。[米沢1984]
しかし「子どもにとっての最善の利益」という概念は、非常に曖昧であり、政府が恣意的に家族生活に介入する危険がある。このために、概念を限定化。明確化すべきで、その場合に子供の将来にとってとりかえしのつかない負担が生じるという認定が専門家によったなされた場合のみ政府が介入を許容されるべきとの主張がある。[米沢1985b]
16・17歳で本人が結婚を望み、父母も同意しているにもかかわらず、政府が当事者に婚姻適応力がない、あるいはそれが、害悪である。過酷である、当事者の最善の利益を促進しない、あるいは当事者の将来についてとりかえしのつかない負担が生じると断定する根拠を示すことは不可能であり、年齢制限には慎重にならざるをえない。
(3)成熟した未成年者の法理
未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。なぜならば、年長の未成年者は成人と同様、自己にとって最善の利益となる行動をとる判断力を有していることを否定できないからであり、憲法上の権利の享受も、たんに未成年だからといって否定されるべきものではないからである。
従って、一定の未成年者は、一定の事項について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきでなのである。
米国の各州では医療領域において、成熟した未成年者と、未成熟な未成年者に分け、前者に親の同意を得ずとも自己決定を是認する考え方がある[米沢広一1985b参照]。証拠法、医療などの領域で多くの州の法令は成人年齢より低い年齢を設定している。
未成年者の結婚は親の同意要件が前提で、親の要保護権を無視するものではなく、未成年者の自己決定を重視しすぎるものでもないから、16歳以上であれば成熟した未成年者として婚姻適齢とすることは理にかなっている。
(4)文明史的コンテキスト(結婚は自由でなければならない、性欲の鎮静剤としての結婚の意義という教会法の理念の継承)
婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]、ローマ法の無式合意主義諾成婚姻理論は教会法(古典カノン法)が継受し、教会婚姻法の理念としてより鮮明であり、英国では、古典カノン法の教会婚姻法が、宗教改革後においても「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として近代まで生ける法であったことから、英米の法文化の法諺ともいえる。
結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。
結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7:2,7:9(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するため、人は妻を持たなければならないというもので、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならない。[島津一郎1974]
だからこそ無式合意主義婚姻理論をとる古典カノン法は、領主、親の同意要件を明確に否定し秘密婚を許容した。婚姻の自由の理念の核心はこれである。真正パウロ書簡を根拠とする神律であるから妥協の余地は全くないのであり、教会は数世紀にわたって結婚の自由のために秘密婚に反対する世俗権力と抗争した。
中世教会婚姻法の自由な結婚の理念は、教会婚姻法が要式化により変質したトレント公会議の受け容れる必要のなかった英国において生ける法として継続したため、自由な結婚は近代に至るまで色濃く継承された。結婚の目的の第一義は、親族のためでもなく、財産のためでもなく、子供の育成でもなく、個人主義的な心理的充足であるという近代個人主義的友愛結婚は教会法の理念に由来する。したがって現代人の結婚観と基礎となっている西洋文明二千年のレガシー「婚姻の自由」は継承されるべきである。
カノン法の婚姻適齢はローマ法を継受し男14歳、女12歳であるが、教会法学者はさらに緩めた。
「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]。
結婚の第一次目的が淫欲の治療薬であるから、性行動が可能な身体的・心理的成熟=婚姻適齢でよいのである。これこそが文明的基準であった。
米国では16歳未満であっても婚姻可能としている州が少なくないのは、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)が伝統的法文化だったバックグラウンドを考慮してよい。今日でも「婚姻は、自由でなければならぬ」という法諺が生きているといえる。
4. 仏独型の改革でなく英米型の法思考がのぞましい
(1) 仏独・イスラム圏からの移民対策による法定婚姻適齢引上げの愚
フランスは2008年に従前の男18歳、女15歳から、男女とも18歳に引上げている。法改正理由は男女平等と、イスラム圏からの移民が増え、未成年者の結婚が、親による強制結婚を助長しているとの非難にもとづくものであった[国会図書館調査及び立法考査局2008]
既述のとおりドイツもフランスと同様に、中東などイスラム圏の移民で、必ずしも当事者の本意でない年少者の結婚が増えていることの非難から、18歳引き上げを閣議決定したとの報道がある。
これは、当事者の合意を重んじる西欧の結婚文化とイスラム圏の結婚慣習とが異なる文化摩擦ともいえるだろう。
フランスに加えドイツも18歳に引き上げた例をあげて我が国もそうすべきだと、法務省は言ってくるだろうが、我国では、親の同意を要する未成年者の婚姻が、親の強制を助長する弊害という問題は起きていないのであり、中東や北アフリカから移民が多いわけでもなく事情は異なる。特にフランスは法律婚が軽視され事実婚のカップルが多数であることを考慮するなら、我が国も仏独に追随する理由はない。年少者の結婚を害悪とする人権団体に踊らされており、社会政策として婚姻適齢をいじる仏独の姿勢に反発を覚えるものである。
むしろ16歳を婚姻適齢の基準としている英米型の、婚姻の自由を幸福追求にとって不可欠のものと考え、年齢制限に慎重な法制度に倣っていくべきだということを強く国会議員に訴えたい。
(2)ニューヨーク州の婚姻適齢引上げは人権団体の突き上げによるもの
アメリカ合衆国の各州法においては年少者にも婚姻の権利を付与しているケースが多いが、近年、年少者の結婚を攻撃する人権団体から挑戦を受けていることも事実である。
1929 年以来ニューヨーク州では、14、15 歳は司法及び親権者の承認を得て結婚でき、16・17 歳は単なる親の同意で結婚できる制度であった。また27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能であるが、ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 4つの州の一つであった。ニューヨーク州では2000~2010年に3,853の未成年者が結婚している。
2017年2月年少者の結婚に反対する民主党女性議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出し、クォモ知事も賛同したため、2017年6月に議会を通過し成立している。
未成年者の結婚に反対する人権団体の主張は、早婚は性病罹患率が高い、結婚した者は未婚者と比較してハイスクールを中退する可能性を高める。早婚した者の貧困に陥る率が高い。早婚した女子は夫から暴力を受ける可能性が高いなどというものであるが、それが統計学的事実であるとしても、いずれの主張も憲法上の基本的権利を否定してよいほど「子どもにとっての最善の利益」を促進するものとは考えられない。人権活動家の一方的な見解であり、結婚が幸福追求の権利であることを考慮していない。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけあい、感謝し合うことの価値、それによって、人生の危機、困難が乗り越えられるのである。そうした結婚の肯定的価値を捨象し、結婚よりジェンダー論的に女子の経済的自立を優先する価値観をとっている。結婚よりも経済的自立は絶対的な価値と思えない。むしろ危険な思想で、活動家の主張によれば結婚は21歳以上であるべきだというものである。これは結婚の価値を不当に貶めているし、自己の価値観を他者におしつけようとしている余計なお世話。高校中退や貧困の可能性が高いという漠然とした理由で、結婚による幸福追求権を否定するものである。文化の多様性も考慮してない。ニューヨーク州議会やクォモ知事は人権活動家に踊らされたものとして非難してよいだろう。
(3)ニューハンブシャー州議会は男14歳、女13歳の婚姻適齢を維持
実際ニューハンプシャー州議会下院は、男子14歳、女子13歳を18歳に引き上げる法案を2017年3月に否決したのである。さすがに「自由をしからずんば死を」を州のモットーとする州だと感心するものである。
法務省あたりは18歳に引き上げたフランスの例、それに追随するドイツ、アメリカでもニューヨーク州の事例を挙げて、婚姻適齢を引き上るのがトレンドと押してくるだろうが、国会議員におかれては慎重な判断をお願いしたい。
18歳に上げておくのが、今後人権団体やジェンダー論者のつきあげをかわすために必要というのだろうが、アメリカ合衆国の大勢は、1970年代の統一婚姻・離婚法モデルにそった16歳婚姻適齢、16歳未満でも補充規定で裁判上の承認で救うというあり方がなお標準なのであり、この点くれぐれも国会議員はだまされないようにしてもらいたい。
以上縷々述べたように英・米・カナダ等など16歳を婚姻適齢とする立法例と比較すると、我が国政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は慎重さを欠き、配慮を欠くものとかんがえる。
(二)16・17歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である
1 相互扶助共同体形成が幸福追求に不可欠なものという認識に乏しい政治家・官僚
家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。
結婚し家庭を築き子どもを育てる権利が、憲法13条の幸福追求権、24条1項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではない。
法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法772条1項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。
二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。
「婚姻とは病めるとはも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである。」Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965[同性婚人権救済弁護団2016 237頁 2015年オーバーフェル判決が引用する夫婦の避妊具使用を禁止する州法を違憲とする1965年グリズウォルド判決を引用した部分の翻訳]
しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるのは過酷といえる。
これは社会的に恵まれている階層よりも、そうでない階層にとってより切実で意義が大きいといえる。むろん性的アイデンティティを確立し、性欲を合法的に充足できるという結婚の意義も大きいものであり、この点はコリント前書7:9のとおりである。
にもかかわらず、法制審議会や政府は、婚姻資格のはく奪、幸福追求権の否定に躍起になっているのは異常なことだといわなければならない。
16・17歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならないがそのようなものはない。また 1996法制審議会答申は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当と考えられ」とするが、それが高校卒業の18歳に求められ、16・17歳女子に婚姻適応能力がないという説得力のある根拠はなにも示されていない。また婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱であるのに権利はく奪を強行しようとする姿勢に強い怒りを覚える。
2.高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない
(1)高卒程度でないと婚姻適応能力がないという見解は論理性はない
義務教育終了後、進学・就職・職業訓練・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえない。
いかに、政府が嫌おうとも幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証できないのに、権利はく奪をすることは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習もそのようなものである。
仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果44~66%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。
16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だったし、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。
この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994]
「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」
さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」
法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力で婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。
なお、法制審議会は、未成年の結婚は性病罹患率が高い、高校中退の可能性を高める、夫から暴力を受ける可能性が高い、貧困を促す、親の強制結婚を助長しているといったような外国の人権団体のような反早婚思想を示しているわけではないが、我が国にはそうしたことは問題視されていないので理由にならない。
むしろ高校を中退せざるをえなかった。あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきである。
(2)平均初婚年齢の上昇や、年間1357組にすぎないことは、婚姻適齢引上げの根拠として論理性はない
民法学者の中川淳[1993]は「社会的・経済的な家庭生活の維持という立場、一八歳という年齢設定をしてもよい」平均初婚年齢が20歳を下ることはないことなどを18歳引き上げの理由としているが、平均初婚年齢は、社会的、経済的、文化的状況で変位する変数であり、人々のおかれる社会的、経済的、文化的状況が異なるから早婚の人もいるし、晩婚の人もおり生涯未婚の人もいる。
上記の民法学者の見解はあまりに単純で歴史人口学などを反映していない見解である。歴史民勢学ではピーター・ラスレットやヘイナルの唱えた「ライフサイクル・サーバント」という理論が著名である。サンクト・ペテルブルクとトリエステを結ぶ線より北西は前近代から結婚年齢が遅く、未婚率も高い社会だった。「ヨーロッパ的結婚パターン」は前近代においてもとくに女性が晩婚で未婚率の高い社会だった。(一方・東欧や南欧はライフサイクル・サーバントがないため早婚である)
女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。
具体的にいうと旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993 10頁]16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは。20~24歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。25~29歳でも46%と50%であった。
オーストリアの事例でも20~24歳で男子の既婚者が13%を越えることはなかった。[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993 410頁]。むしろ産業革命後、女子の工場労働参入が持参金効果をもたらし結婚を早めたのであって、今日の歴史人口学の水準では古い時代だから早婚だったとはいえないし、逆に高度産業社会では晩婚であるべきだともいえないのである。
しかしカノン法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳と早婚に対応しているのは、平均初婚年齢にあわせるという発想ではなく、性倫理として姦淫の総数を減らし、ふしだらな行為を避け淫欲の治療薬として、結婚を合法的な性的結合としているという理念的なものだと考えたほうがよい。
一般論として、結婚し世帯を形成するには収入は重要であるが、各人のおかれた経済的その他の境遇はことなり、結婚するにあたっての社会的前提は、それぞれの立場で異なる。法定結婚年齢を平均にあわせる必要などないのであり、このように漠然とした理由では、幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するほどの理由とはとても思えないのである。
我が国では、平均初婚年齢、生涯未婚率の上昇が人口問題となっていることは周知のとおりであり、90年代三千組いた未成年者の結婚も2015年の16・17歳女子の結婚が1357組にすぎず全体の0.21%にとどまっており、圧倒的に18歳以上の結婚が多い。
アメリカ合衆国の2014年の15~17歳の未成年者の結婚が約 57,800人、全体の0.46%と比較しても少数である。しかし0.21%だから切り捨ててよいという問題ではない。民法はあらゆる境遇におかれた国民に対応できるものでなければならず、特定の社会階層の価値観から一刀両断してよいものではない。
3.野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された
野田愛子氏とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。
「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。
そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。
そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について(上)『戸籍時報』419 18頁〕
最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。
90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。
「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的洞察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。
野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。
ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから容認できないということになろうが、この思想に合わせることが憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪しない形でも可能なのであるからそれを選択すべきである。
そもそも民法は社会変革のための道具ではない。特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。
4 社会的・経済的成熟に重きを置いて定める法改正趣旨は、露骨に婚姻の自由の抑制を意図しており、立法趣旨としては不当な主観的判断といえる
(1)漠然不明確な婚姻の自由抑制理由
そもそも私は婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)の法諺を否定する趣旨の法改正に強い反発を覚えるものである。
1996年法制審議会答申は、当時成人年齢引き下げが議論になっていなかったため、婚姻定例を18歳とする理由として「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」としているが、結局それは主観的意図的判断である。社会的・経済的に成熟した年齢とは21歳という人もいるだろうし、30歳という人もいるだろう。一方就労が可能な義務教育修了後という見方もできる。義務教育で実社会に出るに必要な知識を得ているのだから。16歳と18歳とでは大して違いない、違いがあったとしても婚姻適応能力において差はないといいうる。
就労能力のある16・17歳に稼得能力がないというのは言い過ぎで、仮にそうだとしても配偶者の一方の稼得能力、経済力、あるいは実家の経済力で補うことは可能であり、婚姻適応力がないとはいえない。
健常者でなければ18歳以上の「成人」でも社会的、経済的能力が乏しい場合があるが、その場合でも結婚する権利が否定される理由はなく、経済的成熟度を重視する立法趣旨は結局不当な差別を生む。
婚姻適応能力以上のものを求める理由が社会生活の複雑化・高度化というのは漠然としていて、具体的に何をさしているのか不確定である。16歳・17歳女子が切実な思いで結婚したいといっているのにこんな理由で、歴史的に古くから法によって認められている結婚し家庭を築く権利をはく奪し、幸福追求権を奪うのは根拠薄弱だといわなければならない。
政府が社会的・経済的成熟に達しておらず婚姻適応能力がないとする根拠もなく断定する年齢、例えば17歳女子の結婚が、当事者の福祉に反する、当事者の最善の利益にならない、婚姻適応能力がないという立証は不可能なのである。婚姻の自由を妨げる合理的理由はないというべきである。
16歳の三船美佳と40歳の高橋ジョージの結婚にしても、鴛鴦夫婦として有名だったが17年後に離婚したじゃないかというかもしれない。しかし離婚は成人どうしの結婚でもしばしばありうることであって、16歳の三船美佳に結婚適応能力がなかったとか、当事者の最善の利益に反する結婚だったということはできないのである。政府、法務省がそういい募るなら、高橋ジョージ氏に大変失礼なことになると思う。
16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、憲法13条の幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性においてもかなり問題があるというべきである。
(2) 社会的・経済的に成熟しなければ結婚してはいけないというのも実は偏った思想である
法制審議会の主張する「社会的・経済的成熟度に重きを置いて定める」とする思想は偏っているし、重きを置いてという言葉に婚姻の自由を抑制しようとする法改正意図が露骨に強調されている。ジェンダー論者など特定のイデオロギー的立場を背景にしていると考えられる。
結婚はたんに、近代個人主義友愛結婚の提唱者ミルトンのいうような孤独からの救済、慰めと平穏と生きる力を得るための目的であってもよいはずで、社会的・経済的成熟度という前提でないと結婚できないと定める発想は、個人主義的心理的充足のための結婚を否定しているとも思え、国民の結婚の価値観に対する不当な干渉である。
今日結婚の目的は多義的なものとなっており、「社会的・経済的成熟度に重きを置いて定める」は特定の見地の偏重であり、これを16・17歳女子の婚姻資格、幸福追求権を剥奪する理由としては甚だ根拠薄弱といわなければならない。
結婚する理由づけは多義的であってよいはずだ。筧千佐子被告のように、財産目当ての結婚であっても自由であり、殺人それ自体は犯罪であっても、財産目当てで愛はみせかけだとしても結婚は自由である。にもかかわらず純粋な恋愛で結ばれようとする男女の結婚を妨げる理由はないのである。16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いくしする婚姻の自由、24条2項法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性からみても問題があるというべきである。
伝統的な結婚するための理由づけとしては、カトリック教会を引用すると、トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]結婚の理由づけは、上記の3つのうち1つでよいというのである。
また、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化されている。
神学的には社会的・経済的成熟は結婚の要件では全くないのである。
カノン法はローマ法の男14歳、女12歳の婚姻適齢をさらに緩め、性的成熟に達していたら、婚姻適齢以下のたとえ10歳でも婚姻適齢としたように婚姻の自由にこだわったのは、結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7章2節,7章9節(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視したためである。remedium concupiscentiae 淫欲の治療薬と公式化された。ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないとした。
トレント公会議以降は、淫欲の治療薬としての結婚は第一義的目的になっていないが、聖書的根拠が明確なので外されることはない
キリスト教の教説から離れて、発達心理学的にみても「情欲の緩和」は結婚目的の一つとして肯定できる。たとえば青年心理学者の次のような見解である。
「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。フロイト(Freud,S.)によれば性欲は乳幼児期(口唇期、肛門期、男根期)においてすでに発達するということであるが、一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣)からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .)は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い、この過程の修了は条件が揃っていれば、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。
性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決する方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。しかし性的適合性には身体的心理的要素が複雑にかかわりあって居り、夫婦の相互協力によりその達成は大体可能であるが、時にはその限界を越える場合もあり、しかも婚前にその適、不適の予測が困難であるため問題になりやすいのである」[泉ひさ1975]
私は以上のように、淫欲というものがアダムの罪により人間の経験に入ったものであれ、どうであれ、避けることができないという認識から、また発達心理学、精神医学的観点からも性欲を人間の重要な一部分とする人間学的洞察にもとづき、その合法的解決策としての結婚、remedium concupiscentiae淫欲の治療薬という結婚の目的とする、キリスト教の教説、それは一宗教の立場をこえて文明的価値として護持すべきという考えであり、結婚年齢の引き上げに反対である。
結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義があるとするならば、あるいは、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求を結婚の目的として重視するならば、社会的・経済的成熟が必要という漠然不明確な理由から、結婚が妨げられる理由はないはずだ。
(3)もともと婚姻適齢に自由主義的だった我が国の伝統に反する
翻って考えるならば我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、ただし数え年なので実質、ローマ法やカノン法の14歳・12歳とほとんど同じといえる。
明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979]
明治民法(明治31年1898施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と定めた。女子15歳は医学上の母胎の健康保持のため適切との見地による。それは一応合理的な立法理由となっている。
医学が発達し、女子の体格も栄養状況も良くなった今日、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。
戦後民法の男子18歳、女子16歳は、アメリカ合衆国で多くの州がそうだったとしてたんに法制の継受にすぎない。
筆者は、婚姻適齢法制のなかった明治前期の意義も大きいと考えており、挙式を要求せず、離婚も協議離婚で容易な我が国の婚姻法制は、欧米と比較しても自由主義的であり、民間の婚姻慣習を尊重しているといえるのであり、この伝統から婚姻適齢に関しても、政府の不当な干渉は好ましくないと考える。
(4)庶民の家族慣行に適合させることを重視している我が国の家族法の伝統にも反する
明治民法についても庶民の家族慣行を尊重している立法趣旨が伺えられるのである。それは逆縁婚の合法化で明確だと思う。
亡妻の妹と再婚することを順縁婚、人類学ではソロレート婚、亡兄の嫂を娶ることを逆縁婚、人類学でレヴィラート婚という
明治前期、逆縁婚が禁止されていた時代があった(明治8年太政官布告)。[山中永之佑1957]逆縁婚は士族の家族慣行では儒教倫理に反し許容できない。
しかし明治民法起草者3名のうちもっとも開明的な梅謙次郎が、庶民の家族慣行では、逆縁婚により家継承が円滑になされることを知っており、民法は庶民の慣習に適合すべきとして士族の筋目論を排除した。
貞女は二夫に仕えずという儒教倫理よりも家継承が重視されるのが日本の庶民の家族慣行であり、明治民法では庶民の家族慣行を重視し順縁婚、逆縁婚とも合法としたのは大英断であったと考える。というのは、戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚し、家を継承しているのであり、無用の混乱を回避できたのである。
順縁婚は、逆縁婚ほど問題にはならなかったが、西洋では教会法によって近親相姦として禁止され、イギリスやフランスでは死別でなく離婚後の順縁婚を禁止していた。近代化にあたって、西洋のような立法政策もありえたのであるが[廣瀬隆司1985]、やはり入夫婚姻(聟入)のケースで妻が死亡したとき、聟がそのまま亡妻の妹と再婚して家を継承することはありうることであって、庶民の慣習からみて順縁婚合法も妥当なものといえるだろう。
明治民法制定より以前には夫婦同氏も庶民では普通の慣行となっており、明治9年の太政官指令を覆したともいえるが、そのように、家族法とは、国が上から目線で支配階級の家族慣行を国民に強要するものではないのであり、民間の慣習に合致することを重視していた。
しかし、今回の16・17歳女子婚姻非合法化は、あつかましくも高卒程度の社会的・経済的成熟の要求という、上から目線のもので、庶民の婚姻慣習を重視していたこれまでの家族法の立法思想とも違和感がある。
(5)婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)の法諺を否定するな
ローマ法、教会法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳であり(20世紀の教会法新成文法典は男16歳、女14歳だが、ここでは議論から外す)唐永徽令、日本養老令は男15歳、女13歳であるが数え年なので、実質ローマ法と同じことである。
14歳と12歳は概ね思春期(破瓜期・第二性徴期)に近い年齢で、身体的・心理的性的成熟を指標としたものと理解できる。ローマ法の当初の目的は別として、教会法は早熟は年齢を補うとしていたことから、法によって婚姻年齢をコントロールしようとする思想はないとみるべきである。
しかし歴史民勢学の成果で近年では前近代社会でも平均初婚年齢は高かったことが指摘されている。
「ヨーロッパ的結婚ぱパターン」は 女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。
我が国でもなるほど持統女帝(鵜野皇女)は13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳での結婚だが、奈良時代の一般の庶民の女性は20代なかばが普通だったということは歴史家が明らかにしていることである。
つまり、人が結婚する年齢はその人の置かれた境遇、社会的・経済的地位によって低くも高くもなるし、持参金や花嫁代償の用意が必要となる。財産や収入がなければ結婚できないのが世俗的なならわしなのである。
しかし法は、とくに教会法が理念的に明確であるが、世俗的・経済的な要件で拘束しないものとした、親や領主の同意要件を明確に否定した。
結婚に伴う財産移転など世俗的慣習は地域差もあり、社会階層によっても異なるため、普遍的統一法は、世俗慣習を超越して、婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse libera(Marriages ought to be free)という法諺のとおりのものとしたのが教会法である。
教会法では性倫理として姦淫の総数を減らし、子供を私生児にすることを避け、ふしだらな行為を避けるための淫欲の治療薬として、結婚を合法的な性的結合としているのだから、結婚を妨げることは、姦淫や不品行を認め、嫡出子になるべき子供を私生児にすることを認める。性倫理を崩壊させるだけでなく、結婚が秘跡として恩恵をもたらすものである以上妨げる理由は何もないであって、理念的にも、性的成熟に達していれば婚姻適齢とする考え方である。
社会的・経済的成熟というものは、世俗社会の指標であるが、結婚本来の目的とは別なので年齢を制限する理由としてないのである 現実には人は境遇によって結婚は自由とは言えないが、法は結婚は自由でなければならないとするのである。
法において婚姻が自由であるべきというのは、法は経済的事情や社会的地位というものを婚姻を制約しないという理念であり、それによって、個人主義的友愛結婚というものが成立したのである。
私は、法の理念としては教会法がより明確であるが、世俗立法であっても社会的・経済的成熟といったもので過度に拘束するあり方はとるべきではない。
相互扶助の共同体と合法的な性欲充足としての手段としての結婚は万人にとって自由なものであるべきで、社会的地位・。経済的成熟というものを持ち出して制約する立法は、国民の親密な人間関係を築く権利に干渉することになるので避けるべきである。
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