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2017年9月10日 (日)

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する パート1要旨

 国会議員へ

 

 

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

 

 川西 正彦

(東京都水道局勤務57歳)

 

 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、1996年法制審議会民法部会答申「民法一部改正案要綱」のとおり法定婚姻適齢を現行の男18歳・女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。

 私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。

 本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案するものである。

 結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。

 外国の立法例では、イングランドやアメリカ合衆国の3233州、カナダの主要州が男女とも親の同意要件のもとで婚姻適齢を16歳と定めている。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の1617歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。

 

 

 

 

川西正彦の修正案

 

民法731条修正案

 

 婚姻するには当事者の一方が十六歳に達し、他方が十八歳に達していることを要する

 

(男女取扱いの差異をなくしたうえ、1617歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)

 

 

737条(廃止せず維持)

 

 未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。

 父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする

 

 

753条(廃止せず維持)

 

 未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす

 

 

修正案を提案する理由の要点

 

 

 

A 18歳未満の結婚を否定する法制は社会主義国モデルである

 

 

 

18歳未満の婚姻を全面的に否定するのはソ連・東独の社会主義国モデルであり、婚姻の自由や個人の幸福追求権よりも、教育的・社会的平等の達成とマルクス主義的な婚姻家族の止揚を重視するイデオロギーによる立法政策である。

 

日弁連女性委員会が70年代より主張していたことを、法制審議会や法務省はそのいいなりになっただけである。

 

近年では、ヒューマンライツウォッチやユニセフなどの児童婚撲滅団体が、世界的に早婚の弊害を主張し活発なロビー活動を行っており、2017年にはニューヨーク州のクォモ知事が篭絡されて、最低婚姻年齢を14歳から17歳に引上げているが、他方ニューハンプシャー州は婚姻適齢引上げを否決し、ニュージャージー州はクリスティ知事の拒否権行使がなされ、安易に「人権団体」の主張に同調しない良識的対応もみられる。

 

 

 

B 1617歳女子に婚姻適応能力がないとか、当事者にとって婚姻が最善の利益にならず有害であるということはありえない

 

 

 

 我が国では外国でみられる詐欺や売買婚、強制結婚は社会問題となっておらず、未成年者の結婚もその多くが最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、喜びも苦労も伴にして幸福追求のため相互扶助共同体としての家庭を築くことが最善の利益と判断しての結婚であると推定できる。早婚の弊害の非難はあたらない。

 

 1617歳未満女子に婚姻適応能力がないという判断は間違っている。当事者にとって最善の利益ではないという勝手な判断も間違いであり、婚姻資格を剥奪するのは全く不当であるし、男性にとっても肉体の輝き謳歌する当該年齢の女子との結婚を禁止されることは、大きな不利益であり、若い女性への求婚行動を委縮させ、結果的に生涯未婚率をより上昇させるになる。

 

 

 

C 英米などでは16歳が婚姻適齢であり、18歳が世界的趨勢にはなっていない

 

 

 

米国では1970年代の統一州法委員会の推奨モデルが、婚姻の自由を基本理念として、男女とも親の同意要件により婚姻適齢としており、16歳未満でも補充要件規程で結婚可能とするものであり、多くの州がこのモデルを採用している。米国で我が国の成年擬制と同様の制度が健在である。英国やカナダの主要州でも16歳は婚姻適齢であり、成人年齢と婚姻年齢を合致させるのが世界的趨勢という宣伝は全くの虚偽である。

 

 

 

D 婚姻の自由(=合意主義婚姻理論)がローマ法・カノン法・コモンローの基本理念であり西洋文明2000年の伝統的理念であり、これはわが国も憲法241項により継受しており忽せにできない

 

 

 

婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺はユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立したことに由来するが、婚姻の自由は、12世紀に成立する古典カノン法(=コモンローマリッジ)の緩和的合意主義諾成婚姻理論(民事婚)により、より徹底した理念となった。つまり、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者の相互的誓約のみで(形式的要件では二人の証人・俗人でよい)婚姻が成立するから、秘密婚の温床となった。

 

このため世俗権力と軋轢を生じたが、数世紀にわたって教会は婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。トレント公会議で婚姻予告と挙式を義務化して妥協したものの、親の同意要件は明確に否定したため、これがフランス王権による婚姻法の還俗化の端緒となったという歴史であるが、近現代において婚姻法が還俗化しても、カノン法の婚姻理念は現代でも色濃く継承されている。

 

カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の男14歳、女12歳をさらに緩め、早熟は年齢を補うとしても、合衾可能であれば適齢未満でも婚姻は成立するものとしている

 

特に英国では古典カノン法がコモンローマリッジとして近代まで生ける法だったため、婚姻の自由の理念を色濃く継承し、我が国でも憲法によって継受している理念なのであり、したがって婚姻の自由は西洋文明の根幹なのであるから忽せにできない価値といえる。

 

従って婚姻の自由を否定し、結婚し家庭を築き子供を育てることが幸福追求に不可欠な権利として認めないのは、マルクス主義、アナーキズム、その他の反文明思想である。

 

ユニセフなどの「子供の人権」と称して児童婚をなくそうという運動も反文明的な思想と断定する。

 

 

 

E 最高裁は「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めており、憲法違反の疑いもある

 

 

 

再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427では、加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と記しているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、1617歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから憲法違反の疑いがある。

 

国会は上記判決を受けて多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外の法令解釈も汲んで、女性の再婚の自由を重視する法改正を行っているのに、一方で、政府や国会議員が1617歳女子の婚姻資格剥奪は、未成年だから憲法上の権利は享受できないとし、日弁連女性委員会様その他の婚姻資格を剥奪したい圧力団体に逆らえないからは権利の剥奪当然だとするのはダブルスタンダードとして糾弾に値するものといわなければならない。

 

 

 

 

 

 

修正案を提案する理由の要旨 目次

 

1. 政府案は婚姻の自由を抑制し憲法13条、141項、241項の法的利益を侵害する

1)婚姻資格剥奪は暴挙である

2)「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めた再婚禁止期間訴訟大法廷判決

2. 立法趣旨(目的)は正当なものとはいえない

1)婚姻適齢を18歳の成人年齢に一致させることは世界的趨勢だという説明は虚偽である

2)成年擬制の廃止、親の同意要件廃止も趨勢とはいえない

3)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨に正当性はない

A 憲法241項の両性の合意のみに基づいて成立する法文化(=婚姻の自由)には歴史的由来があり、婚姻の成立要件から社会的・経済的利害関係を捨象し婚姻障碍としないことが婚姻の自由であり、合意主義とはその前提として社会的・経済的成熟などの第三者の審査などなく合意により自由に結婚する理念であるから、そもそも「社会的・経済的成熟度」を口実として婚姻を直接的に制限しようとする立法趣旨が憲法理念に反する

(合意主義婚姻理論=婚姻の自由の法源と文明史的脈絡とそれを継受した憲法241項の意義から上記の立法趣旨は不当)

B 幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築く権利は「社会的・経済的成熟」の要求という理由から制約することは憲法13条の趣旨に反し正当な立法目的とはならない

C そもそも、1617歳女子が婚姻適応能力のある社会的・経済的成熟に達していないという根拠、裏付けは何もない

3.「社会的・経済的成熟」の要求と1617歳の婚姻資格はく奪とは実質的(合理的)関連性がない

4. 隠された真の立法目的は婚姻の自由の抑制と憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の縮小そのもので、とりわけ未成年者と求婚しようとする男性に対する敵意である。立法趣旨はジェンダー論やマルクス主義フェミニズムのイデオロギーで結婚を規格化する意図である。これは結婚観を統制し私的自治を否定するもので正当な立法目的とはいえない

5. 圧力団体の意向の尊重は正当な立法目的とはいえない

6. 法改正に反対した野田愛子氏(故人)の意見を無視したのは適当でない 

 

 

 

 

修正案を提案する理由の要旨

 

 

 

1. 政府案は婚姻の自由を抑制し憲法13条、141項、241項の法的利益を侵害する

 

1)婚姻資格剥奪は暴挙である

 

 男女取り扱いの差異をなくし法的平等を達成する立法目的は正当であるとしても、政府案は古くから婚姻適応能力があり婚姻するに相応しい年齢とされてきた、16歳・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、男性にとっては女性が最も美しく肉体の輝く当該年齢の女性に求婚し結婚する権利を喪失させるものである。

 

 未成年者の婚姻の権利を剥奪し、婚姻の自由を成人どうしのみの権利に限定し、婚姻の自由を著しく抑制する意地悪な法改正といえる。

 

 1617歳女子の結婚は1990年代に、年間3000組ほどあり、2015年には1357組まで減少しているとはいえ、少数だから権利が剥奪されてよいというものではない。民法はあらゆる階層、どのような境遇であれ、すべての国民に対応できるものでなければならず、特定社会階層の価値観で統制してはならない。

 

 婚姻がたとえ統計的に年間1300組のカップルであれ、彼と彼女の切実な思いと、幸福追求権を奪い取ってしまう法改正は悪法であると断定する。

 

 法律婚の重要性はいうまでもない「法律婚は、安心、安全な安息地、人間として普遍的に有する結びつきを切望する気持ちを満たす」Goodridge440Mass.322,798N.E.2d,955

 

 我が民法では相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、8771項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法8771項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護され、配偶者の相続権、嫡出推定、成年擬制および所得税法上の配偶者控除(所得税法基本通達246)の法律上の効果を得ることになっている。

 

 婚姻適齢に達しない待婚期間を経過的内縁関係とすればよいとの意見があるかもしれないが、法律婚制度をとっている以上、かつての足入れ婚のように経過的内縁関係を強要するのは筋違いである。それは不安定な関係であり、法定婚姻適齢が引上げられるならば、法律が婚姻適応能力を欠く年齢と断定するのだから、不適齢婚として同棲は世間からも白眼視されることになる。不利益は甚だ大きいといえる。しかも嫡出子となるべき子どもも婚外子にされてしまうのである。 

 

 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは非常に大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。

  「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである、商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)(註) 

 民法731条改正政府案は、1617歳女子と当該年齢女子に求婚する男子の結婚し家庭を築き子どもを育てるという幸福追求に不可欠な核心的権利を剥奪し、婚姻を直接的に制限するものであるから、憲法13条と241項と密接な関連のある法的利益の重大な侵害として憲法適合性が問題になる。

 また成熟した未成年者の法理により、未成年であっても事柄の性質においては成年と同等の権利を付与しないことが不当な年齢差別になりうるのであって、そのような意味で憲法141項の平等原則にも反する(列挙事項では社会的地位による不当な差別にあたる)とも考える。例えば18歳の母なら婚姻によって子供は嫡出子となるが、1617歳の母の子供は婚外子になってしまうというだけでも平等原則に反する問題といえるのではないか。

 

 

 

2)「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めた再婚禁止期間訴訟大法廷判決 

 

 改正案は法律婚の権利を直接的に制限するものであるが、類似した事例として婚姻の直接的制限(民法7331項の女性の再婚禁止期間)の憲法適合性が争われた再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427で加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」としているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした。

 事案は、元夫の暴力が原因で別居した女性が原告で、なかなか離婚に応じなかったため、離婚成立直前に後夫との子を妊娠した。再婚禁止期間を6か月とする民法7331項により、望んだ時期より遅れて再婚したことが、憲法141項の法の下の平等と、242項の婚姻についての両性の平等に違反するとして 憲法適合性が争われたものである。

 同判決は、父性の推定の重複を避けるという立法目的の合理性を肯定したが、(実質的)合理的関連がないとされた100日以上の再婚禁止期間を違憲と判断した。

 同判決の違憲判断基準は大筋で次のとおりである。まず憲法141項について「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別」することが「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法141項に違反することになる」と従来の判例の基準を確認した。(なお、学説は14条1項後段列挙事由による区別について厳格司法審査を要求するが、判例は後段列挙事由に特段の意味を見出さない)

 そのような意味では緩い合理性テストでもよかったのだが、そうはならず 立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとった理由は以下のように「婚姻の自由」を重視した趣旨といえる

 憲法24条の婚姻と家族の事項について多数意見は、第一次的には国会の裁量とし242項が立法に対して求める「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」は、単に「指針」にとどまるものとする。

 しかし一方で、憲法241項(婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。)について「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」としたうえで、婚姻をするについての自由は,憲法241項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる」としたうえ、「婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」と判示した。

 このように再婚禁止期間大法廷判決は憲法14条の平等原則の枠組みでの司法審査であるが241項の「婚姻の自由」の趣旨もかなり重視されている。

 この点が憲法適合性審査に加味されたために、民法7331項の再婚禁止期間女性差別についても、たんに憲法14条の法的平等の問題として、緩い合理的関連性のテストではなく、立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとったと思われる。[犬伏由子2016

 なお、本件は原告側が性差別を争点としていたが、加本牧子調査官解説によると。本件は、生まれながらの属性にもとづく区別ではなく、子をもうけることに関しての身体的差異の区別であるとし、重視すべき観点は、区別そのものではなく、区別の対象となっている権利利益の問題として憲法24条にいう「婚姻」を制約するものという点にある。それゆえに、憲法適合性の判断枠組みに「婚姻の自由」が論じられたと説明している。

 要するに本件はたんに平等原則、性差別事件として憲法違反を訴えるのは弱い事案なのであるが、「婚姻の自由」が重視されたために、司法積極主義の一部違憲判断を導いたのである。

 ちなみに、夫婦別姓訴訟最大判平271216民集69-8-2586では、夫婦同氏制は、婚姻のあくまで「効力の一つ」で事実上の制約であり、婚姻の自由について直接の制約はないとして民法750条は合憲とされているのである。

 しかし 1617歳女子の婚姻資格剥奪(男性側からは求婚し、結婚することのできる権利の縮小)は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから、再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決の示した判断基準に従えば憲法24条の婚姻の自由の趣旨に照らして「厳格な合理性基準」(中間審査基準)が適用されることを示唆しているとみてよいだろう。

 しかし、今回の法改正の立法趣旨は、「厳格な合理性基準」中間審査基準に耐えるものでは全くない。

この点政府は、本件は、再婚禁止期間と違って性差別の問題はないこと、憲法141項に年齢や成年、未成年の差別を明文で禁止していないので平等原則違反の問題にならないと安易に考えているのかもしれないが、これまで認められていた権利の無条件剥奪である。16歳・17歳女子は婚姻の自由、幸福追求権が否定され、子供を嫡出子とする等の法律婚の効果を享受できないが、18歳はこれまで未成年という点、1617歳と同じ範疇であったのに、成人年齢引下げという政治的操作により権利が引き続き認められるという、政治的操作による社会的身分による差別はやはり憲法141項にもかかわる問題とみるべきである。

 再婚禁止期間訴訟大法廷判決は、多数意見だけでなく、共同補足意見で提示された懐胎が客観的に否定される場合の適用除外の法令解釈の射程も、女性の婚姻の自由を重視する趣旨ゆえのものだろう。

 これほど再婚の自由が重視され、国会も同判決の趣旨にそって法改正したのに、一方で身体的、心理的にも明らかに成熟し古より結婚に相応しい年齢とされてきた1617歳女子は成年でないという理由でばっさりと婚姻の自由を否定してしまってよいというのはあまりにも冷淡な手のひら返しのように思える。

 

 英米のように男女とも16歳を婚姻適齢とする。あるいは2016年までのドイツのように当事者の一方が18歳であれば16歳以上で結婚できる立法(私の修正案はこちらを採った)ならば、権利剥奪することなく男女取り扱いの差異をなくし法的平等を達成できるのであるから権利剥奪をしない無難な立法政策をとるべきである。

 

 

 

(註)[同性婚人権救済弁護団2016 237頁 2015年オーバーフェル判決が引用する夫婦の避妊具使用を禁止する州法を違憲とする1965年グリズウォルド判決を引用した部分の翻訳]

 

 

 

2. 立法趣旨(目的)は正当なものとはいえない

 

 

 

1)婚姻適齢を18歳の成人年齢に一致させることは世界的趨勢だという説明は虚偽である

 

 

 

 英国やカナダの主要州は男女とも16歳を婚姻適齢としているほか、アメリカ合衆国では三分の二以上の州が親の同意要件だけで16歳を婚姻適齢とし、1718歳を基準とする州も少数あるが、要件補充規定で大多数の州で16歳は結婚可能である。16歳未満でも27州で年齢制限なく裁判上の承認などの補充要件で婚姻可能としているのは、1970年代の統一州法委員会の統一婚姻・離婚法モデルが、16歳を親の同意要件のもとで婚姻適齢とし、16歳未満の結婚も補充要件で救えるようにしているためであり[村井衡平1974]、16歳を婚姻適齢の基準とするのが、米国では標準の考え方だからである。

 

 したがって婚姻適齢を男女18歳にするのが世界的趨勢とはいえない。

  ただ、近年児童婚を撲滅せよという人権団体の活動が活発になっていることは事実であり、2008年にフランスが女子15歳から18歳に婚姻適齢を引上げたほか、2017年にはドイツでも原則18歳とするとの報道がなされている。これはイスラム圏の移民が増加し、親の選んだ配偶者との強制結婚が非難されたことによる。

  米国でもヒューマンライツウォッチという早婚撲滅団体の働きかけで、2017年ニューヨーク州が14歳から結婚できる法制を法定強姦罪で違法とならない17歳以上に婚姻適齢を引き上げている。議員やクォモ知事は人権団体の突き上げに応じたのだ。

  しかしながら、連邦最高裁がLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)で、「結婚の自由は、自由な人間が幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つ」と宣言しており、結婚を妨げることこそ人権擁護とする人権団体の主張は正常な価値観とはいえない。

 

   ニューハンプシャー州議会は婚姻年齢引上げ法案を否決し、男14歳、女13歳の婚姻適齢を維持した。ニュージャージー州はクリスティー知事が婚姻適齢引上げに拒否権を発動したように児童婚撲滅運動に迎合しないのが良識的な対応と考える。

 

 

 

2)成年擬制の廃止、親の同意要件廃止も趨勢とはいえない 

 

 

 

 アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているが、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)[永水裕子2017]。

 

 合衆国ではカリフォルニア州のように18歳を婚姻適齢の基準としている州もあるが裁判上の承認という補充要件で未成年者の婚姻の可能性を否定してないし、婚姻適齢の基準を16歳としている州が3233州と最も多く、17歳が若干ある程度であるから、米国の立法例からみて、成人年齢を18歳とするからには、婚姻適齢も一致させ、民法753条を廃止するのが当然だなどとはいえない。

 

 また、未成年者の結婚について、親の同意要件は合衆国ではいずれの州でもあり、英国ではスコットランドが親の同意要件を排除しているが、イングランド等で同意要件はあり、教会婚姻法が中世より現代まで一貫して親の同意要件を否定しているものの、世俗国家立法では通例のことであり、現代では親の監護教育権や家庭の私的自治は全体主義の防波堤となる重要な価値であるから、特段廃止する必要はないと考える。

 

 

 

 

 

3)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨に正当性はない

 

 

 

A 憲法241項の両性の合意のみに基づいて成立する法文化(=婚姻の自由)には歴史的由来・法源があり、婚姻の成立要件から社会的・経済的利害関係を捨象し婚姻障碍としないことが婚姻の自由であり、合意主義とはその前提として社会的・経済的成熟などの第三者の審査などなく合意により自由に結婚する理念であるから、そもそも「社会的・経済的成熟度」を口実として婚姻を直接的に制限しようとする立法趣旨が憲法理念に反する

 

 

 

 漠然、不確定概念といえる社会的・経済的成熟の要求は婚姻の自由の抑制そのものを意味し不当である。そんなことは無視してよいのだ。

 

   たんに孤独からの救済と慰めと生きる力を得るための理由だけでも結婚してよいし、当事者の合意があれば個人の心理的充足(性的充足を含む)や相互扶助の共同体への自然的欲求という理由だけでも結婚する理由にしてよいというのが、婚姻の自由の文明史的脈絡に沿った考え方である。

 

 我が国の法律婚制度は、基本的には民間の慣習を尊重し、届出主義により容易、政府がライセンスを発行するものでなく、社会的地位や稼得能力を審査するようなことは全くない。法は社会的・経済的利害にかかわるハードルを設けないというのが婚姻の自由の理念でもあり、社会的・経済的成熟度を口実として結婚する権利を奪うのは不当である。

 

 

 

(合意主義婚姻理論=婚姻の自由の法源と文明史的脈絡とそれを継受した憲法241項の意義から上記の立法趣旨は不当)

 

 結婚は自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺があるが、その法源はローマ法の無式合意主義婚姻理論であり、  6世紀のユスティニアヌス帝は、結婚は当事者の合意によることを原則として、迎妻式や婚資の証書を婚姻成立の要件から排除したのである[船田享二1971 40頁]。従って合意主義婚姻理論=婚姻の自由といえる。

 

10世紀以降西方では婚姻は教会裁判所の専属管轄権となり、合意主義婚姻理論は12世紀のペトルス・ロンバルドゥス(没1160)などのパリ学派の神学者により理論化され、教皇アレクサンデル3世(位11591181)により決定的に採用されて古典カノン法に継受された。

 

 現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』)をするだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する[塙陽子1993]。

 

 教会法の婚姻とはそもそも当事者の合意としての民事行為で、司祭の干与や典礼儀式は婚姻の要件では全くなかった。教会法では家父や領主・血族の同意要件は明確に否定されている。

 

古典カノン法では婚姻予告や婚姻許可証は要件ではなく、当事者の合意のみであり、社会的・経済的成熟の審査などというものは全くない。それが婚姻の自由の本来の趣旨である。

 

  カノン法の婚姻適齢はローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、さらに緩くした。早熟は年齢を補うとして、婚姻適齢未満でも、合衾した男女は完成婚となり有効な婚姻であったから、男子に処女を奪い取る能力があり、女子は合衾に耐えられる身体的心理的成熟に達していれば婚姻適齢未満でも婚姻適齢だったのである。

 

 人類史上類例のない個人の自己決定権を尊重する法文化であり、秘密婚を事実上許容していたため世俗社会と軋轢を生じた。このため教会は数世紀にわたって婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。

 

 しかし1563年トレント公会議で、秘密婚に対する非難をかわすため婚姻予告と挙式を義務付けたため、婚姻の自由の理念は後退することとなる。

 

 ところが、英国はローマとの軛を脱していたため古典カノン法そのものが、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として生ける法として有効だったためその理念を色濃く継承した。

 

 したがって憲法241項の合意主義の母法は上記のローマ法、カノン法、コモン・ローマリッジ(古典カノン法と同じ)である。結婚は自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺は英米法の法諺であるのもそのためである。

 

  婚姻の自由の理念が古典カノン法でより鮮明になったというのは、婚姻の自由に神学的根拠があるからである。古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視した真正パウロ書簡のコリント前書の72節や79節である。

 

 「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらな行為を避けるための結婚、情欲の緩和、情欲という原罪に由来する悪の治療の手段、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。これは初期スコラ学者によって淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。

 

 性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ[島津一郎1974 240頁]。人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚は容易に成立すべきものだった。ゆえに結婚は自由でなければならない。社会的・経済的成熟など結婚の要件としてはいけないのである。

 

 神学から離れても、結婚は社会的に承認された性欲充足のための手段として意味があるのであり、たんにそれだけの理由づけでも十分だというのが婚姻の自由の理念である。

 

  16世紀トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として次の三つの理由を示している。

 

 第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]。

 

 重要なことは、理由づけは3つの理由のうち一つあればよいとしていることだ。

 

 社会的・経済的要件は何一つなく、この点からもキリスト教の婚姻の自由の理念は明確であるが、それは一宗教というより、カノン法が西方の統一法であったことから、西洋文明的価値と言い換えてよいのである。

  わが国は明治15年に妻妾制を廃止し、西洋の単婚理念を継受、ここに述べたような西洋文明の婚姻の自由の理念を継受したのが憲法241項であるから、社会的・経済的諸条件を婚姻を制約する理由としてはならない。明らかに立法趣旨は文明史的コンテキストから婚姻の自由の理念に反し不当なものといえる。

 

 

 

B 幸福追求に不可欠な結婚は「社会的・経済的成熟」の要求という理由から制約することは憲法13条の趣旨に反し正当な立法目的とはならない

 先に述べたように最高裁は再婚禁止期間訴訟最大判平271216民集6982427で憲法241項を根拠に「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを初めて認めたのは画期的な意義がある。

 学説について加本牧子調査官解説[法曹時報69-8233頁]は、従来から、米国の判例理論を参考にして、憲法13条を根拠に家族の形成・維持に関する事柄」を自己決定権の1つとする説は有力であるとして、代表的学説として佐藤幸治『憲法・第3版』460頁「家族関係は、世代を追って文化や価値を伝えていくという意味で、社会の多元性の維持にとって基本的な条件であるが、何よりもそれが個人の自己実現、自己表現という人格的価値を有するが故に、基本的には、人格的自律権(自己決定権)の問題と考えるべきもの」を引用している。したがって婚姻の自由は憲法13条とも関連のある法的利益といえる。

 米国の判例理論のため直接的な法源とはならないが、連邦最高裁判例ではMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)が憲法修正第14条が保障する自由とは、「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges)‥‥」としており、この判例が憲法13条の母法である可能性もある点で重視してよい。

  Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)は「結婚の自由は、自由な人間が幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである。」と宣言した。

 

 従って、結婚し家庭を築き子供を育てることは幸福追求権の核心ともいうるものだから未成年者であるという理由で、社会的・経済的成熟に達していないという理由で否定されるべきではない。否、むしろ社会的・経済的成熟に達していない経済力に乏しい当事者こそ婚姻の自由が切実な問題である。

 

 結婚は幸福追求に不可欠という思想の淵源はミルトン(John Milton, 1608 1674)の離婚論による近代個人主義的友愛結婚の考え方である。

 それは17世紀英国人の結婚観といってもよいものだが、慰めと平和と生きる力を得るための結婚である。「人独なるは善らず我彼に適ふ助者を彼のために造らん」という「創世記」に記されたエホバ神の言葉を引き合いに出して、婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」であるとする[稲福日出夫1985]。

 

 ミルトンの考え方は、結婚の自由を幸福追求に不可欠な基本的権利とする1923年マイヤー判決や、1967年ラビング判決に連なる思想といえるし、広い意味では、日本国憲法13条の幸福追求権にも連なる意義を有するといえるだろう。

 ミルトンの結婚観は鈴木繁夫[2004]がいうように率直にセックスによる性的欲求の充足も第一義的目的とするのである。それはコリント前書79の淫欲の治療薬としての結婚の意義からしても当然のことである。

  ミルトンは「アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を手に入れることこそが結婚の目的なのだと断定する。ここでいう「交わり」(カンヴァセーション )を、 ミルトンは「交 流」(ソサイアティー)とも言い換えているが、「交わり」というのは言葉を交わすということだけに限定されない。魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。ミルトンは「適切に楽しい」交わりを、「肉体の結合」とわざわざ対比させ、交わりも結合もともに重要で、結婚の第一義だと説明している。」

  一口でいえば結婚とは家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。現代人の結婚観に通じている。

  happy conversationは社会的・経済的に未成熟という勝手な口実で妨げられてよいものではない。 

  happy conversation1617歳女子は否定されなければならないというのは、幸福追求権のはく奪である。

  男性にとっても女性が最も美しく肉体の輝く1617歳女子とhappy conversationを得たいというのは自然の欲求で、その否定は幸福追求権の否定といえるのである。

  夫婦が情緒的に依存している場合、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否、未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。

  孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与え、そのような相互扶助の共同体を形成する権利を、社会的・経済的成熟に達していない未成年者であるという口実により一刀両断するというのは正当な立法目的とはならないと考える。

 

 C そもそも、1617歳女子が婚姻適応能力として必要な社会的・経済的成熟に達していないという根拠、裏付けは何もない

   今回の政府案の基礎となっているのは1985年の女子差別撤廃条約批准を受けて、1991年の「西暦2000年にむけての新国内行動計画」において法務省が「男女平等の見地から夫婦の氏や待婚期間を含めた婚姻及び離婚に関する法制の見直し」を行ったもので、1992年に中間報告、1994年に「民法改正案要綱試案」が発表され、民法1996年法制審議会答申「民法の一部を改正する改正案要綱」により、女子の婚姻適齢を引き上げるものとしたのである。

 婚姻適齢引き上げの趣旨として婚姻するには高校教育修了程度の社会的・経済的成熟が要求されるというのが法改正理由であるが、これほど非論理的な理屈はない。

 結婚のために、政府が義務教育以上の教育を要求するのは不当だ。義務教育修了後の進路は私的自治の領域で、政府に干渉される理由はない。

 仮に、高校が義務教育になったとしても、生徒の実態の多様化に応じて、単位制高校など、結婚生活と学業が両立できる学校に通えばよいのであり、16歳で結婚した三船美佳も横浜インターナショナルスクールを卒業しており、高校教育修了を求めることと、婚姻適齢を引き上げることは合理的関連性はないのである。 

  1617歳は就労は規制されておらず、稼得能力はある。なぜ、中卒の稼得能力では結婚適応能力がなく高卒の賃金ならよいのか納得できる説明はない。 

  高卒程度の社会的・経済的成熟を要求した法制審議会の見解については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を射た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

  「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥」。

  そもそも社会が複雑化・高度化しているからといって1617歳女子が婚姻適応能力を欠くほど社会的・経済的成熟に乏しいという根拠はなにもないのである。これまで未成年者が何十万組と結婚し、成年擬制で不都合があったと聞いたことがない。1998年タレントの高橋ジョージが24歳年下の16歳三船美佳と結婚した。2015年離婚したとはいえ、鴛鴦夫婦としてよく知られていた。三船美佳もタレントとして成功しており、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったと断定することは不可能である。

  またこの結婚が、16歳の当事者の福祉に反し、とりかえしのつかない負担を課すほど当事者の利益に反するものだったということもできない。高橋ジョージ氏に対し大変失礼なことになるが、もし政府が1617歳女子の婚姻資格をなにがなんでも剥奪したいのなら、この結婚が当事者にとって最善の利益ではなかったことを立証すべきである。 

 

 3.「社会的・経済的成熟」の要求と1617歳の婚姻資格はく奪とは実質的(合理的)関連性がない

 

  仮に百歩譲って1617歳は婚姻生活に適応するために「社会的・経済的成熟」に乏しいという理屈を認めるとしても、そのことと、婚姻資格の剥奪は実質的(合理的)関連はない。

  なぜなら結婚は、男女の相互扶助の共同体であるから、一方に稼得能力がなくて、他方の配偶者に稼得能力があれば、成立する性格のものだからである。百歩譲って仮にお互い貧乏でも、勤勉に働き、励まし合い、協力し感謝し合うなら結婚生活は成立する。

    私はミルトンを引用して結婚は孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)を得る崇高な目的があると述べた。

  社会的に承認された性欲充足の手段としての結婚というだけでも価値があると述べた。

  アメリカ最大の思想家、エマーソン(Ralph Waldo Emerson18031882)はボストン第二教会で公職を得た1828年に、17歳のエレン・ルイサ・タッカーという美女と婚約し1年後に結婚したが、彼女は婚約ののち喀血し、結核のため20歳で亡くなるまで結婚生活は療養生活になった。病人とみすみす結婚するのはばかげているという論評は間違っている。それでもよいのだ、愛があれば。そのような結婚も否定されるべきではない。結核を患った彼女の稼得能力、社会的能力は乏しい。しかしそのことにより結婚が否定されなければならない理由はないのである。

  しかし百歩譲って、仮に婚姻するためには高卒以上の賃金・稼得能力が必要だ、この複雑化した社会で婚姻するためには社会的・経済的成熟が第一義的に重要な要件であり、それが男女とも18歳だという政府のかなり強引な主張を認めるとしても、配偶者の一方に社会的・経済的に成熟した稼得能力ないし経済力があれば愛の巣としての結婚生活は維持できるのであって、当事者の双方に「社会的・経済的成熟」を求める理由は全くないのである。

  そもそも我が国の法律婚は届出主義により容易に可能であり、挙式も要求されていない。外国のように結婚許可証は発行されないし、健康診断書を提出するとか煩雑な手続きもなく自由主義的である。

  法律婚の前提として、経済力や社会的地位が審査されることはないのだ。経済力や社会的地位の劣った人でも結婚は可能である。 

  成人であっても配偶者の一方が疾病や障害により稼得能力の乏しい場合はあり、それによって結婚する権利がはく奪されることはない。木嶋佳苗死刑囚であっても獄中結婚できるし、筧千佐子被告だって再婚を繰り返す自由が失われることはないのに、ことさら未成年だからすべてを剥奪するのは人情にもとる。

  成人なら社会的・経済的成熟といったものは結婚のために要求されないのに、未成年者には要求するというのは憲法141項の社会的地位を理由とする不当な差別となり憲法適合性という意味でも問題がある。

    

4.隠された真の立法目的は婚姻の自由の抑制と憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の縮小で、とりわけ未成年者と求婚しようとする男性に対する敵意である。立法趣旨はジェンダー論やマルクス主義フェミニズムのイデオロギーで結婚を規格化する意図であり、これは家庭の私的自治を否定するもので正当な立法目的とはいえない 

 

 表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、あまりにも説得力の乏しい権利剥奪理由であり、それが口実であって底意とするところは違う。はじめから16歳・17歳女子の権利剥奪ありきになっているのは、真の立法趣旨が16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意であると考える。

  私の修正案や英国やアメリカ合衆国の大多数の州のように男女とも婚姻適齢を16歳とする案に女性団体は難色を示すだろう。

  実際には未成年者で結婚するのは女子が大多数となるはずで、結局それは、男性側の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムを公定イデオロギー化しようというものである。

  マルクス主義では、古典的一夫一婦制は止揚されなければならず、共産主義社会が到来すれば、個別家政は廃止され、家族は死滅し、社会が子供を育てる。従って結婚が幸福追求に不可欠な権利という思想を排撃したいのである。したがって社会主義者は結婚の権利の剥奪を躊躇しない。それゆえに1617歳女子の婚姻資格をはく奪しソ連や東独のような男女とも18歳とする社会主義モデルとしたいのである

  しかし男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、たとえそれが女性活躍推進政策に反し安倍首相がけしからんと言おうと夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域であるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することができない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしても、それを特定の思想的立場から敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。

 

 伝統的な性的分業による結婚生活を送る男女の幸福追求権の否定も、人権にかかわる問題となる。

  どのような性的分業形態の結婚であれ、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、8771項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるはずである。 

  堀北真希は家庭婦人に収まることを宣言して芸能界を引退した。それは女性活躍推進、仕事と家庭の両立を政策とする安倍政権の方針に反するものといえる。しかしだからといってこの結婚が非難されるいわれはない。夫婦の分業は、家庭の私的自治の領分であり、政府が干渉すべき事柄ではないのである。

  人類学の大御所清水昭俊国立民族学博物館名誉教授は、「婚姻家族」を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大家族はこれに含まれる」[清水1987  97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とは定義されないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想であり、マルクス主義の家族死滅論に接近するものというべきである。

 

 婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を法改正趣旨に看取できるのであって、この民法改正案には反対せざるをえない。

 

  5.圧力団体の意向の尊重は正当な立法目的とはいえない

 

  男女とも婚姻適齢18歳の基本モデルはソ連、東独などの社会主義国であるが、古くから日弁連女性委員会その他女性団体が、男女平等達成のために18歳に揃えるべきと主張していて、法制審議会もそのいいなりになっただけである。法律家も身内の主張を通そうとしていて、国民の権利擁護をしない異常な状況にある。

  女性団体の主張だから、女性の利益になるとは限らず、特定社会階層、特定イデオロギーの立場にすぎず、実務経験の豊富な野田愛子氏(女性初の高裁長官・故人)などが異議を唱えるなど問題点は指摘されているにもかかわらず、政治家は女性団体に弱くて、逆らうと致命傷になると考えているのかもしれないが、国民の幸福追求権より圧力団体のメンツを重んじることが隠れた立法目的になってしまっている。

  また18歳引上げを自民党内でまとめたのは2015年の稲田朋美政調会長である。安倍首相が重用している秘蔵っ子で、安倍一強体制では稲田前防衛大臣の決めたことは逆らえないのだろう。

  政治家は国民の権利擁護よりも、圧力団体、権力者の意向を忖度するのが当然であり政治の常識なのかもしれないが、それでは正当な立法目的にはならない。

  また近年、世界的に児童婚撲滅すべしとする人権団体がさかんに早婚を認める法制を攻撃しており、かなりの影響力を行使している。うるさい活動家からの突き上げを食わないように、このさい児童婚であると攻撃の対象となる未成年者の婚姻の権利をきれいに剥奪しておくことが、面倒でなくてよいと思っている政治家も多いだろうが、それは正当な立法目的にはならない。

  

6.法改正に反対した野田愛子氏(女性初の高裁長官・故人)の意見を無視したのは適当でない 

 

   民法731条改正に反対した法律家としては、女性初の高裁長官だった野田愛子氏が家裁での実務経験が豊富な立場から、虞犯女子が未成年であっても結婚することにより、情緒的にも生活態度も落ち着くといった例が多いということを指摘しており、法改正に反対だった。1617歳女子の婚姻資格剥奪は不適当との見解である。

 以下 引用する。

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』41918頁〕

文献表(引用・参考)

 

 

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