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2017年9月

2017年9月10日 (日)

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する パート1要旨

 国会議員へ

 

 

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

 

 川西 正彦

(東京都水道局勤務57歳)

 

 成人年齢18歳引下げに伴う関連法案として、政府は民法731条を改正するとし、1996年法制審議会民法部会答申「民法一部改正案要綱」のとおり法定婚姻適齢を現行の男18歳・女16歳から男女とも18歳として新成人年齢と一致させる。また未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止する方針であるが、強く異を唱え反対する。

 私の修正案は、当事者の一方が18歳以上であれば、他方は18歳未満16歳以上で結婚できるように修正し、737条と753条も維持することを提案するものである。

 本音を言えば法改正それ自体反対である、しかし、男女別の取扱いの差異に固執するのは得策でないと考え、取扱いの差異をなくして平等を達成しつつ、古より婚姻に相応しい年齢とされてきた16歳・17歳女子の婚姻資格剥奪を避ける修正案を提案するものである。

 結婚し家庭を築き子供を育てる権利、婚姻の自由は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であり、安易に剥奪されるべきものではない。

 外国の立法例では、イングランドやアメリカ合衆国の3233州、カナダの主要州が男女とも親の同意要件のもとで婚姻適齢を16歳と定めている。合衆国においても我が国の成年擬制と同様の未成年解放制度があるので婚姻適齢は男女共16歳でもよいと思うが、成年擬制との関連で反対論がより少ないと想定する、男女を問わず当事者の一方が新成人年齢の18歳なら、他方は16歳の結婚を認め、従前の1617歳女子の婚姻資格を喪失させない2016年までのドイツの法制を修正案のモデルとして採用した。

 

 

 

 

川西正彦の修正案

 

民法731条修正案

 

 婚姻するには当事者の一方が十六歳に達し、他方が十八歳に達していることを要する

 

(男女取扱いの差異をなくしたうえ、1617歳女子の婚姻資格をはく奪する蛮行を避ける無難な法案である)

 

 

737条(廃止せず維持)

 

 未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。

 父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする

 

 

753条(廃止せず維持)

 

 未成年者が婚姻をしたときは、これによって成年に達したものとみなす

 

 

修正案を提案する理由の要点

 

 

 

A 18歳未満の結婚を否定する法制は社会主義国モデルである

 

 

 

18歳未満の婚姻を全面的に否定するのはソ連・東独の社会主義国モデルであり、婚姻の自由や個人の幸福追求権よりも、教育的・社会的平等の達成とマルクス主義的な婚姻家族の止揚を重視するイデオロギーによる立法政策である。

 

日弁連女性委員会が70年代より主張していたことを、法制審議会や法務省はそのいいなりになっただけである。

 

近年では、ヒューマンライツウォッチやユニセフなどの児童婚撲滅団体が、世界的に早婚の弊害を主張し活発なロビー活動を行っており、2017年にはニューヨーク州のクォモ知事が篭絡されて、最低婚姻年齢を14歳から17歳に引上げているが、他方ニューハンプシャー州は婚姻適齢引上げを否決し、ニュージャージー州はクリスティ知事の拒否権行使がなされ、安易に「人権団体」の主張に同調しない良識的対応もみられる。

 

 

 

B 1617歳女子に婚姻適応能力がないとか、当事者にとって婚姻が最善の利益にならず有害であるということはありえない

 

 

 

 我が国では外国でみられる詐欺や売買婚、強制結婚は社会問題となっておらず、未成年者の結婚もその多くが最大の共感的理解者が結婚相手なのであり、喜びも苦労も伴にして幸福追求のため相互扶助共同体としての家庭を築くことが最善の利益と判断しての結婚であると推定できる。早婚の弊害の非難はあたらない。

 

 1617歳未満女子に婚姻適応能力がないという判断は間違っている。当事者にとって最善の利益ではないという勝手な判断も間違いであり、婚姻資格を剥奪するのは全く不当であるし、男性にとっても肉体の輝き謳歌する当該年齢の女子との結婚を禁止されることは、大きな不利益であり、若い女性への求婚行動を委縮させ、結果的に生涯未婚率をより上昇させるになる。

 

 

 

C 英米などでは16歳が婚姻適齢であり、18歳が世界的趨勢にはなっていない

 

 

 

米国では1970年代の統一州法委員会の推奨モデルが、婚姻の自由を基本理念として、男女とも親の同意要件により婚姻適齢としており、16歳未満でも補充要件規程で結婚可能とするものであり、多くの州がこのモデルを採用している。米国で我が国の成年擬制と同様の制度が健在である。英国やカナダの主要州でも16歳は婚姻適齢であり、成人年齢と婚姻年齢を合致させるのが世界的趨勢という宣伝は全くの虚偽である。

 

 

 

D 婚姻の自由(=合意主義婚姻理論)がローマ法・カノン法・コモンローの基本理念であり西洋文明2000年の伝統的理念であり、これはわが国も憲法241項により継受しており忽せにできない

 

 

 

婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺はユスティニアヌス帝の学説類集(533年)が迎妻式や嫁資の設定を婚姻成立の要件から排除し、婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立したことに由来するが、婚姻の自由は、12世紀に成立する古典カノン法(=コモンローマリッジ)の緩和的合意主義諾成婚姻理論(民事婚)により、より徹底した理念となった。つまり、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者の相互的誓約のみで(形式的要件では二人の証人・俗人でよい)婚姻が成立するから、秘密婚の温床となった。

 

このため世俗権力と軋轢を生じたが、数世紀にわたって教会は婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。トレント公会議で婚姻予告と挙式を義務化して妥協したものの、親の同意要件は明確に否定したため、これがフランス王権による婚姻法の還俗化の端緒となったという歴史であるが、近現代において婚姻法が還俗化しても、カノン法の婚姻理念は現代でも色濃く継承されている。

 

カノン法は婚姻適齢についてもローマ法の男14歳、女12歳をさらに緩め、早熟は年齢を補うとしても、合衾可能であれば適齢未満でも婚姻は成立するものとしている

 

特に英国では古典カノン法がコモンローマリッジとして近代まで生ける法だったため、婚姻の自由の理念を色濃く継承し、我が国でも憲法によって継受している理念なのであり、したがって婚姻の自由は西洋文明の根幹なのであるから忽せにできない価値といえる。

 

従って婚姻の自由を否定し、結婚し家庭を築き子供を育てることが幸福追求に不可欠な権利として認めないのは、マルクス主義、アナーキズム、その他の反文明思想である。

 

ユニセフなどの「子供の人権」と称して児童婚をなくそうという運動も反文明的な思想と断定する。

 

 

 

E 最高裁は「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めており、憲法違反の疑いもある

 

 

 

再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427では、加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と記しているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」を憲法上の権利であることを明らかにしており、1617歳女子の婚姻資格剥奪は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから憲法違反の疑いがある。

 

国会は上記判決を受けて多数意見のみならず、共同補足意見の適用除外の法令解釈も汲んで、女性の再婚の自由を重視する法改正を行っているのに、一方で、政府や国会議員が1617歳女子の婚姻資格剥奪は、未成年だから憲法上の権利は享受できないとし、日弁連女性委員会様その他の婚姻資格を剥奪したい圧力団体に逆らえないからは権利の剥奪当然だとするのはダブルスタンダードとして糾弾に値するものといわなければならない。

 

 

 

 

 

 

修正案を提案する理由の要旨 目次

 

1. 政府案は婚姻の自由を抑制し憲法13条、141項、241項の法的利益を侵害する

1)婚姻資格剥奪は暴挙である

2)「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めた再婚禁止期間訴訟大法廷判決

2. 立法趣旨(目的)は正当なものとはいえない

1)婚姻適齢を18歳の成人年齢に一致させることは世界的趨勢だという説明は虚偽である

2)成年擬制の廃止、親の同意要件廃止も趨勢とはいえない

3)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨に正当性はない

A 憲法241項の両性の合意のみに基づいて成立する法文化(=婚姻の自由)には歴史的由来があり、婚姻の成立要件から社会的・経済的利害関係を捨象し婚姻障碍としないことが婚姻の自由であり、合意主義とはその前提として社会的・経済的成熟などの第三者の審査などなく合意により自由に結婚する理念であるから、そもそも「社会的・経済的成熟度」を口実として婚姻を直接的に制限しようとする立法趣旨が憲法理念に反する

(合意主義婚姻理論=婚姻の自由の法源と文明史的脈絡とそれを継受した憲法241項の意義から上記の立法趣旨は不当)

B 幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築く権利は「社会的・経済的成熟」の要求という理由から制約することは憲法13条の趣旨に反し正当な立法目的とはならない

C そもそも、1617歳女子が婚姻適応能力のある社会的・経済的成熟に達していないという根拠、裏付けは何もない

3.「社会的・経済的成熟」の要求と1617歳の婚姻資格はく奪とは実質的(合理的)関連性がない

4. 隠された真の立法目的は婚姻の自由の抑制と憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の縮小そのもので、とりわけ未成年者と求婚しようとする男性に対する敵意である。立法趣旨はジェンダー論やマルクス主義フェミニズムのイデオロギーで結婚を規格化する意図である。これは結婚観を統制し私的自治を否定するもので正当な立法目的とはいえない

5. 圧力団体の意向の尊重は正当な立法目的とはいえない

6. 法改正に反対した野田愛子氏(故人)の意見を無視したのは適当でない 

 

 

 

 

修正案を提案する理由の要旨

 

 

 

1. 政府案は婚姻の自由を抑制し憲法13条、141項、241項の法的利益を侵害する

 

1)婚姻資格剥奪は暴挙である

 

 男女取り扱いの差異をなくし法的平等を達成する立法目的は正当であるとしても、政府案は古くから婚姻適応能力があり婚姻するに相応しい年齢とされてきた、16歳・17歳女子の婚姻資格を剥奪し、男性にとっては女性が最も美しく肉体の輝く当該年齢の女性に求婚し結婚する権利を喪失させるものである。

 

 未成年者の婚姻の権利を剥奪し、婚姻の自由を成人どうしのみの権利に限定し、婚姻の自由を著しく抑制する意地悪な法改正といえる。

 

 1617歳女子の結婚は1990年代に、年間3000組ほどあり、2015年には1357組まで減少しているとはいえ、少数だから権利が剥奪されてよいというものではない。民法はあらゆる階層、どのような境遇であれ、すべての国民に対応できるものでなければならず、特定社会階層の価値観で統制してはならない。

 

 婚姻がたとえ統計的に年間1300組のカップルであれ、彼と彼女の切実な思いと、幸福追求権を奪い取ってしまう法改正は悪法であると断定する。

 

 法律婚の重要性はいうまでもない「法律婚は、安心、安全な安息地、人間として普遍的に有する結びつきを切望する気持ちを満たす」Goodridge440Mass.322,798N.E.2d,955

 

 我が民法では相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、8771項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法8771項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護され、配偶者の相続権、嫡出推定、成年擬制および所得税法上の配偶者控除(所得税法基本通達246)の法律上の効果を得ることになっている。

 

 婚姻適齢に達しない待婚期間を経過的内縁関係とすればよいとの意見があるかもしれないが、法律婚制度をとっている以上、かつての足入れ婚のように経過的内縁関係を強要するのは筋違いである。それは不安定な関係であり、法定婚姻適齢が引上げられるならば、法律が婚姻適応能力を欠く年齢と断定するのだから、不適齢婚として同棲は世間からも白眼視されることになる。不利益は甚だ大きいといえる。しかも嫡出子となるべき子どもも婚外子にされてしまうのである。 

 

 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは非常に大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。

  「婚姻とは病めるときも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである、商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである」Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965)(註) 

 民法731条改正政府案は、1617歳女子と当該年齢女子に求婚する男子の結婚し家庭を築き子どもを育てるという幸福追求に不可欠な核心的権利を剥奪し、婚姻を直接的に制限するものであるから、憲法13条と241項と密接な関連のある法的利益の重大な侵害として憲法適合性が問題になる。

 また成熟した未成年者の法理により、未成年であっても事柄の性質においては成年と同等の権利を付与しないことが不当な年齢差別になりうるのであって、そのような意味で憲法141項の平等原則にも反する(列挙事項では社会的地位による不当な差別にあたる)とも考える。例えば18歳の母なら婚姻によって子供は嫡出子となるが、1617歳の母の子供は婚外子になってしまうというだけでも平等原則に反する問題といえるのではないか。

 

 

 

2)「婚姻の自由」を憲法上の権利と認めた再婚禁止期間訴訟大法廷判決 

 

 改正案は法律婚の権利を直接的に制限するものであるが、類似した事例として婚姻の直接的制限(民法7331項の女性の再婚禁止期間)の憲法適合性が争われた再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427で加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」としているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした。

 事案は、元夫の暴力が原因で別居した女性が原告で、なかなか離婚に応じなかったため、離婚成立直前に後夫との子を妊娠した。再婚禁止期間を6か月とする民法7331項により、望んだ時期より遅れて再婚したことが、憲法141項の法の下の平等と、242項の婚姻についての両性の平等に違反するとして 憲法適合性が争われたものである。

 同判決は、父性の推定の重複を避けるという立法目的の合理性を肯定したが、(実質的)合理的関連がないとされた100日以上の再婚禁止期間を違憲と判断した。

 同判決の違憲判断基準は大筋で次のとおりである。まず憲法141項について「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別」することが「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法141項に違反することになる」と従来の判例の基準を確認した。(なお、学説は14条1項後段列挙事由による区別について厳格司法審査を要求するが、判例は後段列挙事由に特段の意味を見出さない)

 そのような意味では緩い合理性テストでもよかったのだが、そうはならず 立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとった理由は以下のように「婚姻の自由」を重視した趣旨といえる

 憲法24条の婚姻と家族の事項について多数意見は、第一次的には国会の裁量とし242項が立法に対して求める「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」は、単に「指針」にとどまるものとする。

 しかし一方で、憲法241項(婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。)について「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」としたうえで、婚姻をするについての自由は,憲法241項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる」としたうえ、「婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」と判示した。

 このように再婚禁止期間大法廷判決は憲法14条の平等原則の枠組みでの司法審査であるが241項の「婚姻の自由」の趣旨もかなり重視されている。

 この点が憲法適合性審査に加味されたために、民法7331項の再婚禁止期間女性差別についても、たんに憲法14条の法的平等の問題として、緩い合理的関連性のテストではなく、立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとったと思われる。[犬伏由子2016

 なお、本件は原告側が性差別を争点としていたが、加本牧子調査官解説によると。本件は、生まれながらの属性にもとづく区別ではなく、子をもうけることに関しての身体的差異の区別であるとし、重視すべき観点は、区別そのものではなく、区別の対象となっている権利利益の問題として憲法24条にいう「婚姻」を制約するものという点にある。それゆえに、憲法適合性の判断枠組みに「婚姻の自由」が論じられたと説明している。

 要するに本件はたんに平等原則、性差別事件として憲法違反を訴えるのは弱い事案なのであるが、「婚姻の自由」が重視されたために、司法積極主義の一部違憲判断を導いたのである。

 ちなみに、夫婦別姓訴訟最大判平271216民集69-8-2586では、夫婦同氏制は、婚姻のあくまで「効力の一つ」で事実上の制約であり、婚姻の自由について直接の制約はないとして民法750条は合憲とされているのである。

 しかし 1617歳女子の婚姻資格剥奪(男性側からは求婚し、結婚することのできる権利の縮小)は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから、再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決の示した判断基準に従えば憲法24条の婚姻の自由の趣旨に照らして「厳格な合理性基準」(中間審査基準)が適用されることを示唆しているとみてよいだろう。

 しかし、今回の法改正の立法趣旨は、「厳格な合理性基準」中間審査基準に耐えるものでは全くない。

この点政府は、本件は、再婚禁止期間と違って性差別の問題はないこと、憲法141項に年齢や成年、未成年の差別を明文で禁止していないので平等原則違反の問題にならないと安易に考えているのかもしれないが、これまで認められていた権利の無条件剥奪である。16歳・17歳女子は婚姻の自由、幸福追求権が否定され、子供を嫡出子とする等の法律婚の効果を享受できないが、18歳はこれまで未成年という点、1617歳と同じ範疇であったのに、成人年齢引下げという政治的操作により権利が引き続き認められるという、政治的操作による社会的身分による差別はやはり憲法141項にもかかわる問題とみるべきである。

 再婚禁止期間訴訟大法廷判決は、多数意見だけでなく、共同補足意見で提示された懐胎が客観的に否定される場合の適用除外の法令解釈の射程も、女性の婚姻の自由を重視する趣旨ゆえのものだろう。

 これほど再婚の自由が重視され、国会も同判決の趣旨にそって法改正したのに、一方で身体的、心理的にも明らかに成熟し古より結婚に相応しい年齢とされてきた1617歳女子は成年でないという理由でばっさりと婚姻の自由を否定してしまってよいというのはあまりにも冷淡な手のひら返しのように思える。

 

 英米のように男女とも16歳を婚姻適齢とする。あるいは2016年までのドイツのように当事者の一方が18歳であれば16歳以上で結婚できる立法(私の修正案はこちらを採った)ならば、権利剥奪することなく男女取り扱いの差異をなくし法的平等を達成できるのであるから権利剥奪をしない無難な立法政策をとるべきである。

 

 

 

(註)[同性婚人権救済弁護団2016 237頁 2015年オーバーフェル判決が引用する夫婦の避妊具使用を禁止する州法を違憲とする1965年グリズウォルド判決を引用した部分の翻訳]

 

 

 

2. 立法趣旨(目的)は正当なものとはいえない

 

 

 

1)婚姻適齢を18歳の成人年齢に一致させることは世界的趨勢だという説明は虚偽である

 

 

 

 英国やカナダの主要州は男女とも16歳を婚姻適齢としているほか、アメリカ合衆国では三分の二以上の州が親の同意要件だけで16歳を婚姻適齢とし、1718歳を基準とする州も少数あるが、要件補充規定で大多数の州で16歳は結婚可能である。16歳未満でも27州で年齢制限なく裁判上の承認などの補充要件で婚姻可能としているのは、1970年代の統一州法委員会の統一婚姻・離婚法モデルが、16歳を親の同意要件のもとで婚姻適齢とし、16歳未満の結婚も補充要件で救えるようにしているためであり[村井衡平1974]、16歳を婚姻適齢の基準とするのが、米国では標準の考え方だからである。

 

 したがって婚姻適齢を男女18歳にするのが世界的趨勢とはいえない。

  ただ、近年児童婚を撲滅せよという人権団体の活動が活発になっていることは事実であり、2008年にフランスが女子15歳から18歳に婚姻適齢を引上げたほか、2017年にはドイツでも原則18歳とするとの報道がなされている。これはイスラム圏の移民が増加し、親の選んだ配偶者との強制結婚が非難されたことによる。

  米国でもヒューマンライツウォッチという早婚撲滅団体の働きかけで、2017年ニューヨーク州が14歳から結婚できる法制を法定強姦罪で違法とならない17歳以上に婚姻適齢を引き上げている。議員やクォモ知事は人権団体の突き上げに応じたのだ。

  しかしながら、連邦最高裁がLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)で、「結婚の自由は、自由な人間が幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つ」と宣言しており、結婚を妨げることこそ人権擁護とする人権団体の主張は正常な価値観とはいえない。

 

   ニューハンプシャー州議会は婚姻年齢引上げ法案を否決し、男14歳、女13歳の婚姻適齢を維持した。ニュージャージー州はクリスティー知事が婚姻適齢引上げに拒否権を発動したように児童婚撲滅運動に迎合しないのが良識的な対応と考える。

 

 

 

2)成年擬制の廃止、親の同意要件廃止も趨勢とはいえない 

 

 

 

 アメリカ合衆国では45州が18歳を成人年齢としているが、各州には我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)[永水裕子2017]。

 

 合衆国ではカリフォルニア州のように18歳を婚姻適齢の基準としている州もあるが裁判上の承認という補充要件で未成年者の婚姻の可能性を否定してないし、婚姻適齢の基準を16歳としている州が3233州と最も多く、17歳が若干ある程度であるから、米国の立法例からみて、成人年齢を18歳とするからには、婚姻適齢も一致させ、民法753条を廃止するのが当然だなどとはいえない。

 

 また、未成年者の結婚について、親の同意要件は合衆国ではいずれの州でもあり、英国ではスコットランドが親の同意要件を排除しているが、イングランド等で同意要件はあり、教会婚姻法が中世より現代まで一貫して親の同意要件を否定しているものの、世俗国家立法では通例のことであり、現代では親の監護教育権や家庭の私的自治は全体主義の防波堤となる重要な価値であるから、特段廃止する必要はないと考える。

 

 

 

 

 

3)「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨に正当性はない

 

 

 

A 憲法241項の両性の合意のみに基づいて成立する法文化(=婚姻の自由)には歴史的由来・法源があり、婚姻の成立要件から社会的・経済的利害関係を捨象し婚姻障碍としないことが婚姻の自由であり、合意主義とはその前提として社会的・経済的成熟などの第三者の審査などなく合意により自由に結婚する理念であるから、そもそも「社会的・経済的成熟度」を口実として婚姻を直接的に制限しようとする立法趣旨が憲法理念に反する

 

 

 

 漠然、不確定概念といえる社会的・経済的成熟の要求は婚姻の自由の抑制そのものを意味し不当である。そんなことは無視してよいのだ。

 

   たんに孤独からの救済と慰めと生きる力を得るための理由だけでも結婚してよいし、当事者の合意があれば個人の心理的充足(性的充足を含む)や相互扶助の共同体への自然的欲求という理由だけでも結婚する理由にしてよいというのが、婚姻の自由の文明史的脈絡に沿った考え方である。

 

 我が国の法律婚制度は、基本的には民間の慣習を尊重し、届出主義により容易、政府がライセンスを発行するものでなく、社会的地位や稼得能力を審査するようなことは全くない。法は社会的・経済的利害にかかわるハードルを設けないというのが婚姻の自由の理念でもあり、社会的・経済的成熟度を口実として結婚する権利を奪うのは不当である。

 

 

 

(合意主義婚姻理論=婚姻の自由の法源と文明史的脈絡とそれを継受した憲法241項の意義から上記の立法趣旨は不当)

 

 結婚は自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺があるが、その法源はローマ法の無式合意主義婚姻理論であり、  6世紀のユスティニアヌス帝は、結婚は当事者の合意によることを原則として、迎妻式や婚資の証書を婚姻成立の要件から排除したのである[船田享二1971 40頁]。従って合意主義婚姻理論=婚姻の自由といえる。

 

10世紀以降西方では婚姻は教会裁判所の専属管轄権となり、合意主義婚姻理論は12世紀のペトルス・ロンバルドゥス(没1160)などのパリ学派の神学者により理論化され、教皇アレクサンデル3世(位11591181)により決定的に採用されて古典カノン法に継受された。

 

 現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』)をするだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する[塙陽子1993]。

 

 教会法の婚姻とはそもそも当事者の合意としての民事行為で、司祭の干与や典礼儀式は婚姻の要件では全くなかった。教会法では家父や領主・血族の同意要件は明確に否定されている。

 

古典カノン法では婚姻予告や婚姻許可証は要件ではなく、当事者の合意のみであり、社会的・経済的成熟の審査などというものは全くない。それが婚姻の自由の本来の趣旨である。

 

  カノン法の婚姻適齢はローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、さらに緩くした。早熟は年齢を補うとして、婚姻適齢未満でも、合衾した男女は完成婚となり有効な婚姻であったから、男子に処女を奪い取る能力があり、女子は合衾に耐えられる身体的心理的成熟に達していれば婚姻適齢未満でも婚姻適齢だったのである。

 

 人類史上類例のない個人の自己決定権を尊重する法文化であり、秘密婚を事実上許容していたため世俗社会と軋轢を生じた。このため教会は数世紀にわたって婚姻の自由のために世俗権力と抗争したのである。

 

 しかし1563年トレント公会議で、秘密婚に対する非難をかわすため婚姻予告と挙式を義務付けたため、婚姻の自由の理念は後退することとなる。

 

 ところが、英国はローマとの軛を脱していたため古典カノン法そのものが、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として生ける法として有効だったためその理念を色濃く継承した。

 

 したがって憲法241項の合意主義の母法は上記のローマ法、カノン法、コモン・ローマリッジ(古典カノン法と同じ)である。結婚は自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺は英米法の法諺であるのもそのためである。

 

  婚姻の自由の理念が古典カノン法でより鮮明になったというのは、婚姻の自由に神学的根拠があるからである。古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視した真正パウロ書簡のコリント前書の72節や79節である。

 

 「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらな行為を避けるための結婚、情欲の緩和、情欲という原罪に由来する悪の治療の手段、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。これは初期スコラ学者によって淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。

 

 性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ[島津一郎1974 240頁]。人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚は容易に成立すべきものだった。ゆえに結婚は自由でなければならない。社会的・経済的成熟など結婚の要件としてはいけないのである。

 

 神学から離れても、結婚は社会的に承認された性欲充足のための手段として意味があるのであり、たんにそれだけの理由づけでも十分だというのが婚姻の自由の理念である。

 

  16世紀トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として次の三つの理由を示している。

 

 第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]。

 

 重要なことは、理由づけは3つの理由のうち一つあればよいとしていることだ。

 

 社会的・経済的要件は何一つなく、この点からもキリスト教の婚姻の自由の理念は明確であるが、それは一宗教というより、カノン法が西方の統一法であったことから、西洋文明的価値と言い換えてよいのである。

  わが国は明治15年に妻妾制を廃止し、西洋の単婚理念を継受、ここに述べたような西洋文明の婚姻の自由の理念を継受したのが憲法241項であるから、社会的・経済的諸条件を婚姻を制約する理由としてはならない。明らかに立法趣旨は文明史的コンテキストから婚姻の自由の理念に反し不当なものといえる。

 

 

 

B 幸福追求に不可欠な結婚は「社会的・経済的成熟」の要求という理由から制約することは憲法13条の趣旨に反し正当な立法目的とはならない

 先に述べたように最高裁は再婚禁止期間訴訟最大判平271216民集6982427で憲法241項を根拠に「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを初めて認めたのは画期的な意義がある。

 学説について加本牧子調査官解説[法曹時報69-8233頁]は、従来から、米国の判例理論を参考にして、憲法13条を根拠に家族の形成・維持に関する事柄」を自己決定権の1つとする説は有力であるとして、代表的学説として佐藤幸治『憲法・第3版』460頁「家族関係は、世代を追って文化や価値を伝えていくという意味で、社会の多元性の維持にとって基本的な条件であるが、何よりもそれが個人の自己実現、自己表現という人格的価値を有するが故に、基本的には、人格的自律権(自己決定権)の問題と考えるべきもの」を引用している。したがって婚姻の自由は憲法13条とも関連のある法的利益といえる。

 米国の判例理論のため直接的な法源とはならないが、連邦最高裁判例ではMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)が憲法修正第14条が保障する自由とは、「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges)‥‥」としており、この判例が憲法13条の母法である可能性もある点で重視してよい。

  Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)は「結婚の自由は、自由な人間が幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである。」と宣言した。

 

 従って、結婚し家庭を築き子供を育てることは幸福追求権の核心ともいうるものだから未成年者であるという理由で、社会的・経済的成熟に達していないという理由で否定されるべきではない。否、むしろ社会的・経済的成熟に達していない経済力に乏しい当事者こそ婚姻の自由が切実な問題である。

 

 結婚は幸福追求に不可欠という思想の淵源はミルトン(John Milton, 1608 1674)の離婚論による近代個人主義的友愛結婚の考え方である。

 それは17世紀英国人の結婚観といってもよいものだが、慰めと平和と生きる力を得るための結婚である。「人独なるは善らず我彼に適ふ助者を彼のために造らん」という「創世記」に記されたエホバ神の言葉を引き合いに出して、婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」であるとする[稲福日出夫1985]。

 

 ミルトンの考え方は、結婚の自由を幸福追求に不可欠な基本的権利とする1923年マイヤー判決や、1967年ラビング判決に連なる思想といえるし、広い意味では、日本国憲法13条の幸福追求権にも連なる意義を有するといえるだろう。

 ミルトンの結婚観は鈴木繁夫[2004]がいうように率直にセックスによる性的欲求の充足も第一義的目的とするのである。それはコリント前書79の淫欲の治療薬としての結婚の意義からしても当然のことである。

  ミルトンは「アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を手に入れることこそが結婚の目的なのだと断定する。ここでいう「交わり」(カンヴァセーション )を、 ミルトンは「交 流」(ソサイアティー)とも言い換えているが、「交わり」というのは言葉を交わすということだけに限定されない。魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。ミルトンは「適切に楽しい」交わりを、「肉体の結合」とわざわざ対比させ、交わりも結合もともに重要で、結婚の第一義だと説明している。」

  一口でいえば結婚とは家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。現代人の結婚観に通じている。

  happy conversationは社会的・経済的に未成熟という勝手な口実で妨げられてよいものではない。 

  happy conversation1617歳女子は否定されなければならないというのは、幸福追求権のはく奪である。

  男性にとっても女性が最も美しく肉体の輝く1617歳女子とhappy conversationを得たいというのは自然の欲求で、その否定は幸福追求権の否定といえるのである。

  夫婦が情緒的に依存している場合、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても年少者であれ、否、未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。

  孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与え、そのような相互扶助の共同体を形成する権利を、社会的・経済的成熟に達していない未成年者であるという口実により一刀両断するというのは正当な立法目的とはならないと考える。

 

 C そもそも、1617歳女子が婚姻適応能力として必要な社会的・経済的成熟に達していないという根拠、裏付けは何もない

   今回の政府案の基礎となっているのは1985年の女子差別撤廃条約批准を受けて、1991年の「西暦2000年にむけての新国内行動計画」において法務省が「男女平等の見地から夫婦の氏や待婚期間を含めた婚姻及び離婚に関する法制の見直し」を行ったもので、1992年に中間報告、1994年に「民法改正案要綱試案」が発表され、民法1996年法制審議会答申「民法の一部を改正する改正案要綱」により、女子の婚姻適齢を引き上げるものとしたのである。

 婚姻適齢引き上げの趣旨として婚姻するには高校教育修了程度の社会的・経済的成熟が要求されるというのが法改正理由であるが、これほど非論理的な理屈はない。

 結婚のために、政府が義務教育以上の教育を要求するのは不当だ。義務教育修了後の進路は私的自治の領域で、政府に干渉される理由はない。

 仮に、高校が義務教育になったとしても、生徒の実態の多様化に応じて、単位制高校など、結婚生活と学業が両立できる学校に通えばよいのであり、16歳で結婚した三船美佳も横浜インターナショナルスクールを卒業しており、高校教育修了を求めることと、婚姻適齢を引き上げることは合理的関連性はないのである。 

  1617歳は就労は規制されておらず、稼得能力はある。なぜ、中卒の稼得能力では結婚適応能力がなく高卒の賃金ならよいのか納得できる説明はない。 

  高卒程度の社会的・経済的成熟を要求した法制審議会の見解については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を射た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

  「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥」。

  そもそも社会が複雑化・高度化しているからといって1617歳女子が婚姻適応能力を欠くほど社会的・経済的成熟に乏しいという根拠はなにもないのである。これまで未成年者が何十万組と結婚し、成年擬制で不都合があったと聞いたことがない。1998年タレントの高橋ジョージが24歳年下の16歳三船美佳と結婚した。2015年離婚したとはいえ、鴛鴦夫婦としてよく知られていた。三船美佳もタレントとして成功しており、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったと断定することは不可能である。

  またこの結婚が、16歳の当事者の福祉に反し、とりかえしのつかない負担を課すほど当事者の利益に反するものだったということもできない。高橋ジョージ氏に対し大変失礼なことになるが、もし政府が1617歳女子の婚姻資格をなにがなんでも剥奪したいのなら、この結婚が当事者にとって最善の利益ではなかったことを立証すべきである。 

 

 3.「社会的・経済的成熟」の要求と1617歳の婚姻資格はく奪とは実質的(合理的)関連性がない

 

  仮に百歩譲って1617歳は婚姻生活に適応するために「社会的・経済的成熟」に乏しいという理屈を認めるとしても、そのことと、婚姻資格の剥奪は実質的(合理的)関連はない。

  なぜなら結婚は、男女の相互扶助の共同体であるから、一方に稼得能力がなくて、他方の配偶者に稼得能力があれば、成立する性格のものだからである。百歩譲って仮にお互い貧乏でも、勤勉に働き、励まし合い、協力し感謝し合うなら結婚生活は成立する。

    私はミルトンを引用して結婚は孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)を得る崇高な目的があると述べた。

  社会的に承認された性欲充足の手段としての結婚というだけでも価値があると述べた。

  アメリカ最大の思想家、エマーソン(Ralph Waldo Emerson18031882)はボストン第二教会で公職を得た1828年に、17歳のエレン・ルイサ・タッカーという美女と婚約し1年後に結婚したが、彼女は婚約ののち喀血し、結核のため20歳で亡くなるまで結婚生活は療養生活になった。病人とみすみす結婚するのはばかげているという論評は間違っている。それでもよいのだ、愛があれば。そのような結婚も否定されるべきではない。結核を患った彼女の稼得能力、社会的能力は乏しい。しかしそのことにより結婚が否定されなければならない理由はないのである。

  しかし百歩譲って、仮に婚姻するためには高卒以上の賃金・稼得能力が必要だ、この複雑化した社会で婚姻するためには社会的・経済的成熟が第一義的に重要な要件であり、それが男女とも18歳だという政府のかなり強引な主張を認めるとしても、配偶者の一方に社会的・経済的に成熟した稼得能力ないし経済力があれば愛の巣としての結婚生活は維持できるのであって、当事者の双方に「社会的・経済的成熟」を求める理由は全くないのである。

  そもそも我が国の法律婚は届出主義により容易に可能であり、挙式も要求されていない。外国のように結婚許可証は発行されないし、健康診断書を提出するとか煩雑な手続きもなく自由主義的である。

  法律婚の前提として、経済力や社会的地位が審査されることはないのだ。経済力や社会的地位の劣った人でも結婚は可能である。 

  成人であっても配偶者の一方が疾病や障害により稼得能力の乏しい場合はあり、それによって結婚する権利がはく奪されることはない。木嶋佳苗死刑囚であっても獄中結婚できるし、筧千佐子被告だって再婚を繰り返す自由が失われることはないのに、ことさら未成年だからすべてを剥奪するのは人情にもとる。

  成人なら社会的・経済的成熟といったものは結婚のために要求されないのに、未成年者には要求するというのは憲法141項の社会的地位を理由とする不当な差別となり憲法適合性という意味でも問題がある。

    

4.隠された真の立法目的は婚姻の自由の抑制と憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の縮小で、とりわけ未成年者と求婚しようとする男性に対する敵意である。立法趣旨はジェンダー論やマルクス主義フェミニズムのイデオロギーで結婚を規格化する意図であり、これは家庭の私的自治を否定するもので正当な立法目的とはいえない 

 

 表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、あまりにも説得力の乏しい権利剥奪理由であり、それが口実であって底意とするところは違う。はじめから16歳・17歳女子の権利剥奪ありきになっているのは、真の立法趣旨が16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意であると考える。

  私の修正案や英国やアメリカ合衆国の大多数の州のように男女とも婚姻適齢を16歳とする案に女性団体は難色を示すだろう。

  実際には未成年者で結婚するのは女子が大多数となるはずで、結局それは、男性側の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムを公定イデオロギー化しようというものである。

  マルクス主義では、古典的一夫一婦制は止揚されなければならず、共産主義社会が到来すれば、個別家政は廃止され、家族は死滅し、社会が子供を育てる。従って結婚が幸福追求に不可欠な権利という思想を排撃したいのである。したがって社会主義者は結婚の権利の剥奪を躊躇しない。それゆえに1617歳女子の婚姻資格をはく奪しソ連や東独のような男女とも18歳とする社会主義モデルとしたいのである

  しかし男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、たとえそれが女性活躍推進政策に反し安倍首相がけしからんと言おうと夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域であるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することができない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしても、それを特定の思想的立場から敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。

 

 伝統的な性的分業による結婚生活を送る男女の幸福追求権の否定も、人権にかかわる問題となる。

  どのような性的分業形態の結婚であれ、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、8771項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるはずである。 

  堀北真希は家庭婦人に収まることを宣言して芸能界を引退した。それは女性活躍推進、仕事と家庭の両立を政策とする安倍政権の方針に反するものといえる。しかしだからといってこの結婚が非難されるいわれはない。夫婦の分業は、家庭の私的自治の領分であり、政府が干渉すべき事柄ではないのである。

  人類学の大御所清水昭俊国立民族学博物館名誉教授は、「婚姻家族」を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大家族はこれに含まれる」[清水1987  97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とは定義されないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想であり、マルクス主義の家族死滅論に接近するものというべきである。

 

 婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を法改正趣旨に看取できるのであって、この民法改正案には反対せざるをえない。

 

  5.圧力団体の意向の尊重は正当な立法目的とはいえない

 

  男女とも婚姻適齢18歳の基本モデルはソ連、東独などの社会主義国であるが、古くから日弁連女性委員会その他女性団体が、男女平等達成のために18歳に揃えるべきと主張していて、法制審議会もそのいいなりになっただけである。法律家も身内の主張を通そうとしていて、国民の権利擁護をしない異常な状況にある。

  女性団体の主張だから、女性の利益になるとは限らず、特定社会階層、特定イデオロギーの立場にすぎず、実務経験の豊富な野田愛子氏(女性初の高裁長官・故人)などが異議を唱えるなど問題点は指摘されているにもかかわらず、政治家は女性団体に弱くて、逆らうと致命傷になると考えているのかもしれないが、国民の幸福追求権より圧力団体のメンツを重んじることが隠れた立法目的になってしまっている。

  また18歳引上げを自民党内でまとめたのは2015年の稲田朋美政調会長である。安倍首相が重用している秘蔵っ子で、安倍一強体制では稲田前防衛大臣の決めたことは逆らえないのだろう。

  政治家は国民の権利擁護よりも、圧力団体、権力者の意向を忖度するのが当然であり政治の常識なのかもしれないが、それでは正当な立法目的にはならない。

  また近年、世界的に児童婚撲滅すべしとする人権団体がさかんに早婚を認める法制を攻撃しており、かなりの影響力を行使している。うるさい活動家からの突き上げを食わないように、このさい児童婚であると攻撃の対象となる未成年者の婚姻の権利をきれいに剥奪しておくことが、面倒でなくてよいと思っている政治家も多いだろうが、それは正当な立法目的にはならない。

  

6.法改正に反対した野田愛子氏(女性初の高裁長官・故人)の意見を無視したのは適当でない 

 

   民法731条改正に反対した法律家としては、女性初の高裁長官だった野田愛子氏が家裁での実務経験が豊富な立場から、虞犯女子が未成年であっても結婚することにより、情緒的にも生活態度も落ち着くといった例が多いということを指摘しており、法改正に反対だった。1617歳女子の婚姻資格剥奪は不適当との見解である。

 以下 引用する。

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』41918頁〕

文献表(引用・参考)

 

 

民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案するパート2 要旨長文バージョンと本文の目次

全体の目次とリンク

 

メインページ (要旨)

 

修正案提案理由 要旨長文バージョン 目次

 

*要約)

 

 

.1617歳女子の婚姻資格剥奪は結婚し家庭を築き子どもを育てる権利という幸福追求に不可欠な権利、婚姻の自由(憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益)の重大な侵害であり、憲法違反の疑いも濃厚である

 

(一) 再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決の違憲判断基準について

 

*婚姻の自由の直接的制約は中間審査基準を示唆、つまり正当な立法目的と具体的な手段との間に実質的関連性がなければ違憲の疑いが濃いといえる)

 

(二)権利を剥奪するにあたって正当な立法目的は何一つない

 

1.成人年齢と法定婚姻適齢を一致させ、成年擬制や未成年者の親の同意要件をなくすのが世界的趨勢という説明は虚偽であり、16歳を婚姻適齢とし、成人擬制や未成年者の親の同意要件を定める婚姻法は英国や北米などで一般的である

 

 *とくにアメリカ合衆国では州法統一運動の統一婚姻離婚法のモデルが16歳を親の同意要件により婚姻適齢とし、16歳未満でも補充要件で裁判上の承認など救済できる制度となっており、このため米国では16歳を基準とする州が大多数であり、過半数の州では年齢に制限なく婚姻を可能としている、また米国では45州が18歳を成人年齢としているが、未成年も婚姻可能なので、我が国の成年擬制と同じ未成年者解放制度がある。そういう事実を隠して婚姻適齢を18歳にするのは当然などと主張するのは非常に汚いやりかただ)

 

2.「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」とは正当な立法目的とはいえない

 

1)社会的・経済的成熟度を強調して婚姻年齢を引き上げるのは、憲法241項の含意する「婚姻の自由」の理念に反する

 

A 合意主義の歴史的由来と婚姻の自由

 

 (*憲法241項の合意主義の法制史的淵源は、ローマ法の無式合意主義諾成婚姻理論とそれを継受した古典カノン法に由来する。それは社会的経済的利害関係を捨象し婚姻の要件にしないことを特徴とするものであり、婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺も由来は同じことであるから合意主義婚姻理論=婚姻の自由といってもよい。従って社会的・経済的成熟を口実にした結婚の権利剥奪は、婚姻の自由の理念に本質的になじまない性格のもので、正当な立法目的とはいえない)

 

B 婚姻の自由の法源に照らして、社会的経済的成熟の要求は不当である

 

(婚姻の自由の根拠は以下に述べる新約聖書・秘跡神学・ローマ公教要理である。また結婚と幸福追求と結び付けた思想的淵源はミルトンの離婚論の結婚観である)

 

a コリント前書72節、9節(姦淫を避けるための結婚、淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeというだけで結婚してよい

 

*初期スコラ学者が強調した教説だが聖書的根拠が明確なため現代でもカトリック教会の婚姻の理由付けの一つとなっており、西洋文明2000年の忽せにできない価値観である)

 

b)秘跡神学

 

c)ローマ公教要理(相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求というだけで結婚してよい)

 

d)ミルトンの提唱した近代個人主義的友愛結婚(孤独からの救済・慰めと平穏と生きる力を得るための結婚 happy conversationこそ結婚の目的)

 

 (*以上の婚姻の自由の根拠となる思想は、本質的に個人の心理的充足を第一義とし、社会的・経済的条件で婚姻を制約することを否定するものであるから、社会的経済的成熟の要求という立法目的は不当だと断定できる)

 

2)憲法13条の幸福追求権は社会的・経済的成熟度を口実として奪われるべきではない

 

*直接的な法源とはならないが合衆国最高裁は1967年に「結婚の自由は、自由な人間が幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである‥‥」 Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967と宣言しており、米国では婚姻の直接的制約は憲法違反の疑いが濃いのである)

 

31617歳女子が婚姻適応能力を有する社会的・経済的成熟に達していないという具体的根拠は何もない

 

A 社会生活が複雑化・高度化した現時点で1617歳女子は婚姻適応能力を失ったという見解に論理性はない

 

a)古より我が国においては1617歳女子は結婚するに相応しい成熟した年齢とされ、その婚姻適応力に疑問の余地はない

 

b)高度産業社会となるから晩婚化が必然という前提での議論の過ち

 

*初婚年齢や未婚率について歴史人口学では前近代のヨーロッパが晩婚型の社会で明らかにしており、高度産業社会と晩婚化は無関係)

 

c)高校教育修了程度の社会的・経済的成熟の要求は全く論理性がない

 

*結婚のために義務教育以上の教育を政府が要求するのは不当であり、就労が可能であるから中卒でも稼得能力はある)

 

(三)「社会的・経済的成熟」の要求と1617歳の婚姻資格はく奪とは実質的(合理的)関連性がない

 

*仮に配偶者の一方の稼得能力が乏しいとしても、そもそも結婚は夫婦の相互扶助の共同体であるから婚姻生活は成立するので、当事者との双方とも不確定概念である社会的・経済的成熟を要求することは高すぎるハードルであり、婚姻適応能力とは実質的関連性がない)

 

四)「社会的・経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定化であり、特定のイデオロギーの偏重であり、婚姻生活の国民の私的自治を否定するものである

 

 *結婚生活の性的分業については私的自治にかかわる問題で政府の干渉は許されない、特定のイデオロギーで規格化された婚姻形とするための政策は全体主義的といえる)

 

 

 

二 実情に詳しい野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された

 

 *女性初の高裁長官となった野田愛子氏は、家裁など実務経験が豊富で、1617歳女子婚姻資格剥奪にはかなり問題があることを指摘し反対していた)

 

三 法律婚制度の安定性を揺るがす

 

四 想定される当局側の私の意見に対する反論 

 

*近年児童婚を人権侵害とするキャンペーンが世界的に影響力を増しているが、婚姻の自由の抑制こそ人権だという主張は偏っている。こうした団体の突き上げはきっぱり拒否すべきである)

 

 

 

政府案に反対し修正案を提案する理由【本文】目次 

 

 

 

 

 

一  男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

 

 

 

(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている

 

1.先進国等において16歳が婚姻適齢とされている立法例

 

() 英国

 

(2) アメリカ合衆国

 

A 要旨

 

B 男女とも16歳を婚姻適齢としている州が多い経緯

 

a)統一婚姻・離婚法モデル

 

bERAの批准過程

 

C 年間58千人が18歳未満で結婚しているという現実

 

(3)カナダ

 

(4)ドイツ(2016年までの法)

 

2.参考例としての教会法

 

3.アメリカ合衆国の大多数の州で年少者の婚姻可能性を否定しない理由は何か

 

(1) 憲法上の基本的権利である結婚し家庭を築く自由

 

A 実体的デュープロセス

 

B 1923年マイヤー対ネブラスカ判決の卓越性

 

C 1967年ラビング対ヴァージニア判決(結婚を人間の基礎的な市民的権利と宣言)

 

(2)バレンス・パトリエ権限による介入は論理性がない

 

(3)成熟した未成年者の法理(米国でも未成年の結婚は成人擬制と同じ制度がある)

 

(4)文明史的コンテキスト(結婚は自由でなければならないという法諺、性欲の鎮静剤としての結婚の意義という教会法の理念の継承)

 

 

 

4 仏独型の改革でなく英米型の法思考が望ましい

 

(1)仏独・イスラム圏からの移民対策による婚姻適齢令引上げの愚

 

(2)ニューヨーク州婚姻適齢引上げの問題点

 

(3)早婚を非難する人権団体はジェンダー論者で結婚よりも女性の経済的自立を望ましいとする偏った思想である

 

()ニューハンブシャー州議会は男14歳、女13歳の婚姻適齢を維持

 

 

 

(二)16・17歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

 

. 相互扶助共同体の形成が幸福追求に不可欠なものという認識に乏しい政治家・官僚

 

2.高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

 

()高卒程度でないと婚姻適応能力を欠くというのは論理性はない

 

(2)0.21%だから国民の幸福追求権を否定してよいとはいえない

 

3. 野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された

 

4.社会的・経済的成熟の要求は結局不当な主観的判断といえる

 

1)漠然不明確な婚姻の自由抑制理由

 

(2)社会的・経済的に成熟しなければ結婚してはいけないというのも偏った思想である

 

(3)もともと婚姻適齢に自由主義的だった我が国の伝統に反する

 

 

 

二 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理

 

 

 

一)45州の成人年齢が18歳であるアメリカ合衆国にも婚姻による成年擬制制度がある

 

(二)伝統的には成人年齢と成熟年齢を分けていた

 

(三)16歳で大人扱いするスコットランド法

 

(四)16歳未満がchild1617歳のyaungと明らかに区別するイングランド法

 

(五)成人年齢でなにもかも一元化するのは不合理

 

(六)法律家だけでなく、発達心理学的見地、精神医学、人間学的洞察の必要性

 

(七)18歳未満の第二級市民化のおそれ

 

 

 

三 婚姻の自由の抑制に強く反対

 

 

 

(一)1617歳女子に求婚し結婚した偉人たち

 

1.ジョン・ミルトンの初婚の女性メアリー・パウエル16歳〔17歳とも〕

 

2.コトン・マザーの初婚の女性アビゲイル・ フィリップス16

 

3.エマーソンの初婚の女性エレン・ルイザ・タッカー〈17歳で婚約、18歳で結婚〉

 

4.ジョン・マーシャル・ハーラン判事の妻マルビナ・シャンクリン16歳で求婚

 

 

 

(二)我が国の婚姻慣習・習俗からみて女子18歳は不当に高すぎる年齢だ

 

(婚姻適齢は13歳、娘盛りは14~17歳とみなすのが妥当)

 

1 令制男15歳・女13歳は広義の自然法として評価する見解があり、徳川時代まで婚姻適齢としての意義を有していた

 

2「女の盛りなるは、十四五六歳‥‥」という有名な今様がある

 

3 民間習俗では裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝等が女子の婚姻資格を取得する通過儀礼

 

4 江戸三美人の年齢

 

5 江戸文学における美人の年齢

 

6 明治前期の東京は早婚で離婚率も高かった

 

7 明治期東京において娘盛りとは15歳から17歳であったという決定的証拠

 

 

 

()婚姻の自由の抑制と憲法問題

 

1 再婚禁止期間違憲訴訟の判断基準に照らしても違憲の疑いがある

 

2幸福追求に不可欠な結婚の権利の縮小にはきわめて慎重な態度をとるべき

 

(1)慰めと平和を得るための結婚の否定は正しいか

 

(2)夫婦の相互扶助による共同体への自然的欲求の否定は正しいか

 

(3)結婚が幸福追求権と無関係というのはマルキストかアナーキストに近づいている

 

 

 

四 男女平等以上に、ジェンダー論やマルクス主義の結婚観を公定化し、国民の私的自治を否定する立法目的は粉砕されるべきである

 

(一)圧力団体の要求に応えることが主たる立法目的になっている

 

(二)婚姻適齢改正の底意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化である

 

(三)法的平等の達成とジォンダー論やマルクス主義フェミニズムの公定化は違う

 

(四)ジェンダー論の過ち-婚姻家族の破壊

 

(五)マルクス主義フェミニズムの過ち-神聖な私有財産の否定、個別家政の廃棄、家族死滅論

 

1 父権制の攻撃とは私有財産制の攻撃である

 

2 エンゲルスが婚姻家族を「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」と非難するのは反文明思想である。

 

3 私有財産制の止揚によって真に人格的愛情による結婚が出現するという虚構

 

 

 

五 【附属論文】結婚は自由でなければならない 婚姻法制史

〔古典カノン法を基軸とする西洋文明の婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引上げに 強く反対である]

 

 

 

 

 

1概略バージョン1

 

 

 

(1)古典カノン法の何が自由なのか

 

A 古典カノン法とは

 

B 当事者の相互的な婚姻誓約だけで婚姻が成立(無式合意主義諾成婚姻理論)

 

C 家父ないし両親・領主の同意要件を明確に否定(親族とのコンセンサスの排除)

 

D 婚姻適齢はローマ法を継受したが成熟は年齢を補うという理論によりさらに緩和した

 

(2)結婚が自由でなければならない理由

 

A 聖書的根拠(淫行を避けるための手段としての結婚)

 

B 副次的理由

 

(3)古典カノン法が近代まで生ける法だった英国における自由な結婚の歴史

 

(4)近代個人主義友愛結婚の源流は古典カノン法にあり、現代人の結婚観を規定したものであるから、自由な結婚の理念は継承されなければならない

 

 

 

.概略バージョン2

 

 

 

()明治民法施行前、そもそも婚姻適齢法制がなくても何の問題もなかったし、婚姻適齢を引上げる正当な理由は何一つない

 

()婚姻適齢法制の文明基準-2000年以上続いているローマ法の男14歳女12 3)親や領主の同意要件を否定し未成年者の婚姻を肯定する教会法が婚姻成立要件では人類史上もっとも自由主義的な立法である

 

(4)秘密婚を容認する古典カノン法が近代まで継続したイギリス(結婚は自由でなければならない、それは現代人の結婚観の基本となった)

 

 

 

3 本文 (概略の補足)

 

(1)ローマ法

 

(2)キリスト教とセクシャリティ(カノン法成立の背景と現代人の結婚観の基本)

 

A 新約聖書における三種類の全く異なった思想

 

)婚姻と通常の社会関係を否定する反(脱)社会思想(イエスの急進的使信)

 

b)仮言命法による結婚の消極的是認(真正パウロ-コリント前書7章)

 

c)結婚を肯定し家庭訓を説く(第二パウロ書簡と第一ペトロ書

 

B 独身優位主義の確定とその決定的な意義

 

C 情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとしての結婚目的は決定的で、婚姻の自由のもっとも重要な根拠である

 

D コリント前書「情欲の緩和」が近代個人主義的友愛結婚の思想的源流でもある

 

(3)教会の管轄権となった婚姻と、秘跡神学の進展

 

(4)古典カノン法の成立

 

(5)秘密婚をめぐる軋轢、世俗権力との抗争

 

(6)トレント公会議で要式主義へ転化したが親の同意要件は一貫して否定

 

(7)フランス-教会婚姻法から離反(婚姻法の還俗化の嚆矢)

 

(8)イギリス-宗教改革後も無式合意主義(古典カノン法)が生ける法として継続

 

A 古典カノン法が近代まで生ける法だったイギリスの特筆すべき法文化

 

B 秘密婚の隆盛(17世紀より18世紀前半のイギリス)

 

C 1753年ハードウィック卿法による婚姻法の還俗化

 

D グレトナ・グリーン結婚(18世紀中葉から19世紀中葉)-それでも自由な    結婚が有効だった

 

 

 

 民法731条改正、737条及び757条の廃止に反対し、修正案を提案する パート3 要旨長文バージョン

 

 

修正案提案理由 要旨(長文バージョン)

 

.1617歳女子の婚姻資格はく奪は結婚し家庭を築き子どもを育てる権利という幸福追求に不可欠な権利、婚姻の自由(憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益)の重大な侵害であり、憲法違反の疑いも濃厚である

 

 

 

 疑う余地なく、1617歳女子は古より婚姻に相応しい年齢とされ、たんに身体的・心理的な成熟のみならず婚姻適応能力のある年齢とみなされてきたにもかかわらず権利を剥奪するというのである。

 

 また男子にとっては若い女性に対する求婚行動を委縮させ1617歳女子と結婚する自由を否定され、痛い権利の喪失となる。こうした女性・男性の権利を剥奪するにあたっては、当事者の福祉に反する、または当事者の最善の利益に役立たないことが立証されるべきであるが、何一つ権利を剥奪する正当な理由がないにもかかわらず強行しようとする民法731条改正案は、婚姻の自由、幸福追求権という国民の権利、法益を縮小するものとして糾弾に値するものだ。

 

 

 

(一)再婚禁止期間訴訟大法廷判決の違憲判断基準について

 

  

 

 「婚姻の自由」にかかわる近年注目された判例として再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平271216民集6982427では、加本牧子調査官解説[法曹時報695号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」と記しているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした。

 事案は、元夫の暴力が原因で別居した女性が原告で、なかなか離婚に応じなかったため、離婚成立直前に後夫との子を妊娠した。再婚禁止期間を6か月とする民法7331項により、望んだ時期より遅れて再婚したことが、憲法141項の法の下の平等と、242項の婚姻についての両性の平等に違反するとして 憲法適合性が争われたものである。

 同判決は、父性の推定の重複を避けるという立法目的の合理性を肯定したが、(実質的)合理的関連がないとされた100日以上の再婚禁止期間を違憲と判断した。

 同判決の違憲判断基準は大筋で次のとおりである。まず憲法141項について「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別」することが「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法141項に違反することになる」と従来と判例の基準を確認した。(なお、学説は14条1項後段列挙事由による区別について厳格司法審査を要求するが、判例は後段列挙事由に特段の意味を見出さない)

 憲法24条の婚姻と家族の事項については、第一次的には国会の裁量とし242項が立法に対して求める「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」は単に「指針」にとどまるものとする。

 しかし一方、憲法241項(婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。)について「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」としたうえで、婚姻をするについての自由は,憲法241項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる」としたうえ、「婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」と判示した。

 このように再婚禁止期間大法廷判決は憲法14条の平等原則の枠組みでの司法審査であるが241項の「婚姻の自由」の趣旨もかなり重視されている。

 この点が憲法適合性審査に加味されたために、民法7331項の再婚禁止期間女性差別についても、たんに憲法14条の法的平等の問題として、緩い合理的関連性のテストではなく、立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとったと思われることである。[犬伏由子1916

 なお、本件は原告側が性差別を争点としていたが、加本牧子調査官解説によると。本件は、生まれながらの属性にもとづく区別ではなく、子をもうけることに関しての身体的差異の区別であるとし、重視すべき観点は、区別そのものではなく、区別の対象となっている権利利益の問題として憲法24条にいう「婚姻」を制約するものという点にある。それゆえに、憲法適合性の判断枠組みに「婚姻の自由」が論じられたと説明している。

 要するに本件はたんに平等原則、性差別事件として憲法違反を訴えるのは弱い事案なのであるが、「婚姻の自由」が重視されたために、司法積極主義の一部違憲判断を導いたのである。

 ちなみに、夫婦別姓訴訟最大判平271216民衆69-8-2586では、夫婦同氏制は、婚姻のあくまで「効力の一つ」で事実上の制約であり、婚姻の自由について直接の制約はないとして民法750条は合憲とされているのである。

 しかし 1617歳女子の婚姻資格剥奪(男性側からは求婚し、結婚することのできる権利の縮小)は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから、再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決の示した判断基準に従えば憲法24条の婚姻の自由の趣旨に照らして「厳格な合理性基準」(中間審査基準)が適用されることを示唆しているとみてよいだろう。

 

 しかし、今回の法改正の立法趣旨は、「厳格な合理性基準」中間審査基準に耐えるものでは全くない。次節よりことことを明らかにする。

 この点政府は、本件は、再婚禁止期間とちがって性差別の問題はないこと、憲法14条1項に年齢や成年、未成年の差別を明文で禁止していないので平等原則違反の問題にならないと安易に考えているのかもしれないが、これまで認められていた権利の無条件剥奪である。16歳・17歳女子は婚姻の自由、幸福追求権が否定され、子供を嫡出子とする等の法律婚の効果を享受できないが、18歳はこれまで未成年という点、16・17歳と同じ範疇であったのに、成人年齢引下げという政治的操作により権利が引き続き認められるという、政治的操作による社会的身分による差別はやはり憲法14条1項にもかかわる問題とみるべきである。

 再婚禁止期間訴訟大法廷判決は、多数意見だけでなく、共同補足意見で提示された適用除外の法令解釈の射程も、女性の婚姻の自由を重視する趣旨である。

 これほど再婚の自由が重視され、国会も同判決の趣旨にそって法改正したのに、一方で身体的、心理的にも明らかに成熟し古より結婚に相応しい年齢とされてきた16・17歳女子は成年でないという理由でばっさりと婚姻の自由を否定してしまってよいというのはあまりにも冷淡な手のひら返しのように思える。

 

 

 

(二)権利を剥奪するにあたって合理的、正当な立法目的は何一つない 

 

 

 

1. 成人年齢と法定婚姻適齢を一致させ、成年擬制や未成年者の親の同意要件をなくすのが世界的趨勢という説明は虚偽であり、成人年齢が18歳であっても16歳を婚姻適齢とし、成人擬制や未成年者の親の同意要件を定める婚姻法は英国や北米などで一般的である。

 

 

 

(外国の立法例)

 

〇イングランド 婚姻適齢は男女とも16歳で、未成年は親の同意を要する

 

〇スコットランド 婚姻適齢は男女とも16歳で、親の同意要件はない

 

〇アメリカ合衆国

 

 3233州が16歳を親の同意要件だけで婚姻適齢としている。その他の州でも17歳を婚姻適齢とする州が若干あるが(ニューヨーク・ネブラスカ)16歳は大多数の州で親・保護者の同意要件だけで、あるいは要件補充規定で裁判所の承認があれば結婚可能な年齢である。マサチューセッツ州男14歳女12歳、ニューハンプシャー州男14歳女13歳のようにコモン・ロー水準を維持している州もある。また27州が裁判所の承認等によって年齢制限なしに婚姻可能である。

 

 なお、アメリカ合衆国の各州においても我が国の民法753条(成年擬制)と似た未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)[永水裕子2017]。

 

〇カナダ 主要州の婚姻適齢は男女とも16歳で、未成年者は親の同意を要する

 

 

 

 なおアメリカ合衆国で16歳を婚姻適齢の基準としている州が多く、16歳未満でも27州が年齢制限なしに婚姻可能としているのは、米国には私法の統一運動があり1970年代の統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の以下に引用する統一婚姻・離婚法モデル案に従った州が多かったためであり、これが婚姻適齢の標準モデルとなっているからである。

 

 1970年公表統一婚姻・離婚法()は次のとおりである。[村井衡平1974]

 

203

 

1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(2052a)を得ていること‥‥

 

 

 

2.「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」とは正当な立法目的とはいえない

 

 

 

1) 社会的・経済的成熟度を強調して婚姻年齢を引き上げるのは、憲法241項の含意する「婚姻の自由」の理念に反する。

 

 

 

 社会生活の複雑化・高度化とは何を意味するのか不明であり、社会的・経済的成熟度とは社会的地位や稼得能力・経済力を意味するものと思われるが、婚姻の自由とは、社会的地位や経済力を口実として法は結婚を妨げることはないという含意のあるものであり、それがローマ法に由来し英米法に継承された「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)の法諺の含意とするところである。ことさら、社会的・経済的成熟度を持ち出す立法趣旨は、そもそもはじめから婚姻の自由(憲法241項)の趣旨に反するものといえる。

 

 コリント前書にあるようにたんに姦淫を避けて社会的な承認のある性欲充足の手段としての結婚であってもよいし、相互扶助の夫婦の共同体を形成する自然的欲求にもとづく結婚でもよいし、ミルトンのいうように孤独からの救済、慰めと生きる力を得るための結婚でもよく、「社会的・経済的成熟」は一般論としては結婚生活が成り立つための世俗的条件となっても、法が結婚の権利をはく奪する理由としては相当ではないと主張するものである。以下、その理由を具体的に述べる。 

 

 

 

 A 合意主義の歴史的由来と婚姻の自由

 

 

 

 憲法241項の当事者の合意を基本とする結婚観は、起草者は意識せずに定めたものかもしれないが、法制史的にいうと、ローマ法の無式合意主義諾成婚姻理論に由来する。

 

 すなわちユスティニアヌス帝の学説類集(Digesta533年)は、女が男の家に入る前にも婚姻が成立することを説く法文を採録した。帝はこのように迎妻の事実は必要とせぬ原則を示すとともに、他方書面の作成または嫁資の設定を婚姻成立のために重視しようとする一般の傾向に対して、嫁資の設定がなくても婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立する[船田享二1971改版40頁]

 

 すなわち合意主義とは、要式主義ではなく、また嫁資(ドース・持参金)など結婚に伴う財産移転を婚姻の成立要件としないというものであり、当事者の合意が第一義的に重視される趣旨であるが、カノン法によってさらに徹底的なものとなった。

 

 カノン法は無式合意主義諾成婚姻理論を継受したうえ、親や領主の同意要件を否定したため、その文明史的意義は大きく、たぶん人類史上もっとも当事者の自己決定権を重視する法制である。10世紀以降近世・近代の婚姻法の還俗化まで婚姻は教会裁判所の管轄権であったから、カノン法が西方の普遍的統一法である。(古典カノン法とはトレント公会議以降、1918年の新成文法典と区別するため用いている)

 

 すなわち婚姻は、当事者の相互の現在形の言葉による婚姻誓約という合意だけで婚姻が成立、合衾により完成婚となる。合衾以前に、二人とも修道生活入りするか、教皇の免除によって例外的に婚姻は解消できるが実質、合意だけで婚姻は成立し、証人は2人(俗人でよい)いればよいのである。

 

 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為として12世紀に確定した。(概ねペトルス・ロンバルドゥス(没1160、パリ司教)の理論を教皇アレクサンデル3世(位11591181)が決定的に採用したものである)

 

 東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっているため司祭の祝福や典礼儀式は婚姻の成立とは全く無関係となった。

 

 12世紀の秘跡神学では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実において表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、儀式とは無関係である。合意主義を理論化した中世最大の教師ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975

 

 従って、本来は神学的にも挙式は不要なのである。ところが教会法が自由すぎて秘密婚の温床となっているという非難から、1563年のトレント公会議タメットシ教令で婚姻予告と挙式を義務化したために婚姻の自由の理念は後退した。ただしフランスからの親の同意要件は断固拒否した。(今日でもカトリック教会の成文法典に同意要件はない)ガリカン主義のフランスは16世紀に王権による親権者の制御を重視した婚姻法に移行したためもっとも早い婚姻法の還俗化を果たした。

 

 一方、英国ではローマの軛を脱したため、古典カノン法が「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として生ける法として近代まで継続したため、婚姻の自由の理念を最も色濃く継承した地域といえる。要するに秘密婚を容認する古典カノン法の影響が最も強いのは大陸ではなく英国でありつまり英米の法文化であるということである。 

 

 カノン法(=コモン・ローマリッジ)の合意主義婚姻理論は、当事者の合意がすべてだから秘密婚を是認するのである。血族(家族)間の社会的経済的利害を捨象しているのが特徴であり、結婚すること、しないことについて、血族や親権者のコントロールから個人を自由にしたため、近代個人主義的友愛結婚の淵源はカノン法にあるとみるべきである。

 

 つまりカノン法の合意主義婚姻理論=婚姻の自由といってもよい。合意主義婚姻理論は、親族の社会的経済的利害を捨象した婚姻理論であるからだ。社会的・経済的成熟は婚姻成立要件とは全く関係ないのである。

 

 

 

 婚姻適齢についてもカノン法はローマ法の男14歳、女12歳をさらに緩めた。すなわち婚姻適齢前であっても合衾すれば完成婚であり、婚姻不解消となるというのが教皇アレクサンデル3世の教令である。早熟は年齢を補うとした。教会法は性的不能を婚姻障碍としているので、実質性交可能ならば実質婚姻適齢としているのである。(コモン・ローも婚姻適齢は男14歳・女12歳)。

 

 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]

 

 このようにカノン法は徹底的に自由である。

 

 

 

B 婚姻の自由の法源に照らして、社会的経済的成熟の要求は不当である

 

 

 

「婚姻は、自由でなければならぬ」Matrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)の法諺はローマ法とカノン法の無式合意主義諾成婚姻理論に由来し、コモン・ローマリッジがカノン法と同じであることはすでに述べたとおりであるが、なぜ自由でなければならないか。その根拠としては新約聖書と秘跡神学、ローマ公教要理などがあげられる。

 

 

 

a)コリント前書72節、9節(淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeというだけで結婚してよい

 

 

 

 婚姻の自由の神学的根拠は、古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視した真正パウロ書簡のコリント前書の72節や79節である。

 

 「もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらな行為を避けるための結婚、情欲の緩和、情欲という原罪に由来する悪の治療の手段、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。これは初期スコラ学者によって淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。

 

 性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ。[島津一郎1974 240頁]人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚は容易に成立すべきものだったのである。ゆえに結婚は自由でなければならない。

 

 意思せずとも勃起するように原罪によって性欲は免れないものである。多くの人は制御不可能であり、それゆえ我慢できないなら結婚しなさいとの勧告である。パウロは我慢を強いるものではないから、婚姻の自由を抑制し婚姻適齢を制限することは、反聖書的なものとさえいえるのである。 

 

  remedium concupiscentiaeは古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と尊称されたコンスタンティノープル大司教ヨアンネス・クリュソストモス(聖人・407年没)が特に重視している。結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ・ハイネマン1996 77頁]

 

 アウグスティヌスは子孫をつくることを結婚目的としたが、パウロのテキストに密着し忠実なクリュソストモスを私は高く評価したい。

 

 また13世紀の優れた組織神学者でバリ大学神学部教授オーベルニュのギヨームは、淫欲の治療薬としての結婚の効果を次のように語った。「若くて美しい女と結婚することは望ましい。なぜならば美人をみても氷のようでいられるから」この趣旨からすれば婚姻適齢引き上げなどとんでもないことだといわなければならない。

 

 

 

 一コリ章15節(田川建三訳)

 

「‥‥人間にとっては、女に触れない方がよい。しかし淫行(を避ける)ために、それぞれ自分の妻を持つが良い。また女もそれぞれ自分の夫を持つが良い。妻もまた夫に対してそうすべきである。妻は、自分の身体に対して、自分で権限を持っているのではなく、夫が持っている。同様に、夫もまた自分に対して自分が権限を持っているのではなく、妻が持っているのである。互いに相手を拒んではならない。‥‥‥」

 

 一コリ章89節(田川建三訳)

 

「結婚していない人および寡婦に対しては、私のように(結婚せずに)いるのがよい、と言っておこう。もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」

 

 

 

 このように、結婚はたんに社会的に承認された性欲充足の手段というだけでも価値があるものであり、これは社会的・経済的成熟といった根拠のない口実によって妨害されるべきものではない。AD54年に書かれたパウロの真筆に由来するこれこそ西洋文明2000年の神髄ともいえる価値であり、忽せにできない。

 

 しかもこれはキリスト教の教説から離れて世俗的な青年心理学の立場からも肯定できる見解なのである。

 

 結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。フロイト(Freud,S.)によれば性欲は乳幼児期(口唇期、肛門期、男根期)においてすでに発達するということであるが、一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .)は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い、この過程の修了は条件が揃っていれば、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。

 

 性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決する方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。‥‥‥」[泉ひさ1975

 

 コリント前書に由来する淫欲の治療薬としての結婚は、結婚を個人的心理的充足のためとした近代個人主義的友愛結婚の思想の淵源であり、秘跡神学も夫婦愛を神聖視したので恋愛の結実としての結婚という現代人の結婚観の基礎となるものである。

 

 我が国は、明治15年に妻妾制を廃止して西洋の単婚理念を継受し、戦後憲法では24条1項で両性の合意をによる合意主義の婚姻理念(ローマ法・カノン法・コモン・ローマリッジ)を継受しているのである。

 

 にもかかわらず、ことさら社会的・経済的成熟に重きを置くという口実で婚姻の自由を抑制する政府の政策は、西洋文明2000年の単婚理念の本質を否定することになる点で反文明的性格を有するものである。

 

  2017AKB総選挙で結婚宣言した須藤凛々花がスポーツ紙の記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛じゃない」と言ったことは芸能ニュースとして大きく扱われた。そのとおりだ、名言だと思う。一コリント79(田川建三訳)「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」

 

 我慢する必要はないのだ。須藤凛々花は20歳だったが、1617歳も同じこと。法改正案は、若い女性に待婚を強い、意地悪をするものだといってよいのである。 

 

 

 

b)秘跡神学 

 

 

 

 結婚が公式的に秘跡とされたのは15世紀以降のことだが、秘跡神学が進展したのは1112世紀であり、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴として積極的な意味をもたせたのである。秘跡によって恩恵が与えられるのであるから万人の婚姻の自由は否定することはできなくなったともいえる。

 

 サン・ヴィクトルのフーゴー(10961141)は、婚姻論を書いた最初の神学者であるが、非常に合意主義にこだわった立論をしているのが特徴である。婚姻を合意によってお互いに自分自身を相手に対して義務づける夫と妻の合法的生活共同体としたうえで、「彼の見解を要約すれば可見的共同体として-キリストとその教会との一致のかたどり-は夫婦愛と婚姻の人格的関係)の表現形態であり、他方この夫婦愛は神と人間との霊的関係を表象する外見的しるし(sacramentum)である。‥‥婚姻のもつ成聖の独自性は人間に対する神の秘跡としての夫婦愛のなかに見出されるのである」[枝村茂1975]。このような夫婦愛を神聖視したもう一人の神学者としては13世紀のヘールズのアレキサンデル(11901245)の結婚を秘跡として受けた人の恩恵とは愛の霊的一致(unio spiritualis caritatis)という思想をあげることができる。

 

 ペトルス・ロンバルドゥス(没1160)はキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975

 

 また教皇アレクサンデル3世(位11591181)は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージをその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975

 

 枝村茂がわかりやすく説明している。すなわち、キリストに対する妻たる教会の愛と奉仕が、夫に対する妻の愛において象徴的に表されるのである。妻にとっては夫はキリストのかたどりであり、彼女の夫に対する忠実と奉仕はキリストへの間接的奉仕を意味したのである。ヴェールに覆われた花嫁とは‥‥純潔なものとして捧げられた女性なのである。童貞女[修道女]は直接的に、人妻は間接的にキリストに仕えるということである。[枝村1975

 

 初期スコラ学者の秘跡神学はそのように性的夫婦それ自体が秘跡なのであり、司祭の祝福や典礼儀式とは全く無関係のものだった。司祭の干与が強調されたのは時代が下ってのことである。

 

 結婚愛や性交といった其れ自体が秘跡であるから、それは社会的・経済的諸条件で阻害されてよいものではない。社会的・経済的成熟を理由にして秘跡としての結婚を妨げることは神学的にはありえないということになる。

 

 秘跡神学は離婚を認めない根拠とされたので、今日では嫌う人が多いが、思想としては美しいものであり、聖書的根拠もあるので世俗化された今日でも文明のレガシーとして尊重されるべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

c)ローマ公教要理 (相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求というだけで結婚してよい)

 

 

 

 16世紀対抗宗教改革トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として次の三つの理由を示している。

 

 第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]。

 

 重要なことは、理由付けは3つの理由のうち一つあればよいことになってることだ。相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求だけでもいいし情欲の緩和だけでもよい。

 

 社会的・経済的要件は何一つなく、この点からもキリスト教の婚姻の自由の理念は明確である。

 

 私はもちろん「相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求」も重要であると考えている。

 

 我が民法においても、家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、877条1項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法877条1項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるのである。

 

 結婚相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生に困難があっても乗り越えられる。「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」とはそういうことだ。

 

 

 

 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるということは、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、体感の疎通が否定され、相互扶助の共同体を形成する自然的欲求が否定され、孤独から救済し慰めと生きる力を与える結婚が延期されることである。かりに同棲するにしても社会的に承認されない関係を続けることは大きな問題であり、いったん婚姻適齢引き上げが決まってしまえば、それはそうでなくても当事者の福祉に反する行為、桃色遊戯的非行として社会から指弾を受けることになるから愛情損失のリスクもあり当事者にとって苛酷といえる。

 

 これは社会的に恵まれている階層よりも、そうでない階層にとってより切実といえる。

 

 「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」は社会的・経済的成熟に重きをおくという口実により否定されてはならない。

 

 

 

d)ミルトンの提唱した近代個人主義的友愛結婚(孤独からの救済・慰めと平穏と生きる力を得るための結婚happy conversationという結婚の目的)

 

 

 

 ミルトンが離婚論で示した結婚観は、同毒療法としての結婚の教説を清教徒的に洗練させたものといえる。離婚論は婚姻非解消主義という教会法の根幹を否定しているようだが、しかしながらミルトンとてコリント前書79節を引用して理論を組み立てており、初期スコラ学者の重視した remedium concupiscentiaeの教説のバリエーションとみてよい。

 

 ミルトンの離婚論が現代の婚姻の自由の法源とみなすのは、結婚は幸福追求に不可欠なものとしての理論を示した点で圧倒的な意義を有するからである。

 

 

 

 婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」である。それゆえ「神は生殖の面についてはあとになって言及し、それは必要性においてはともかく婚姻の尊厳さにおいては二次的なものに過ぎないとした」とミルトンは言及した。[稲福日出夫1985

 

 ミルトンの結婚目的の考え方は、結婚の自由を幸福追求に不可欠な基本的権利とする連邦最高裁1923年マイヤー判決や、1967年ラビング判決に連なる思想といえるし、広い意味では、日本国憲法13条の幸福追求権にも連なる意義を有するといえるだろう。

 

 すなわちミルトンによれば夫婦の相互愛と神への愛は同一であると考えられるが故に、強制的な結婚の維持以上に神は家庭の愛と平和を重視しているとする。家庭を幸福を築く場として、婚姻をその目的達成のための手段として捉えれば、そこに離婚の可能性が出てくるというのが離婚論の趣旨である。 

 

 ミルトンの結婚観は鈴木繁夫[2004]がいうように率直にセックスによる性的欲求の充足も第一義的目的とするのである。それはコリント前書79の淫欲の治療薬としての結婚の意義からしても当然のことである。

 

 ミルトンは「アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を手に入れることこそが結婚の目的なのだと断定する。‥‥ここでいう「交わり」(カンヴァセーション )を、ミルトンは「交 流」(ソサイアティー)とも言い換えているが、「交わり」というのはいま私たちが使うような言葉を交わすということだけに限定されない。魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。ミルトンは「適切に楽しい」交わりを、「肉体の結合」とわざわざ対比させ、交わりも結合もともに重要で、結婚の第一義だと説明している。」 愛情にはフィリア的要因と、エロス的要因があるが両方同程度の意味が含まれた洗練された結婚観といえるだろう。

 

 一口でいえば結婚とはhappy conversation甘美な愛の巣をつくることを第一義とする価値観であるが、結婚の目的が、家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。現代人に広く普及した結婚観に通じている。

 

  happy conversationは社会的・経済的成熟に達してないという勝手な口実で1617歳女子の婚姻の権利と、求婚する男子の権利が否定されてはならない。だからこそ私は婚姻適齢引き上げに反対なのである。

 

 社会的・経済的成熟という不確定、不透明な概念によって幸福追求の権利が否定される理由はない。愛は社会的・経済的条件で妨げられることはないというのがまさに幸福追求権の核心なのだから。

 

 (なおミルトン自身初婚の相手がメアリー・パウエルという16歳とも17歳ともいわれる。美人だが悪妻で離婚論の執筆の動機となった女性であるが、相性の問題であって1617歳の女性を選んだことが過ちではない。三人の娘を儲けたのち死別した)

 

 

 

 

 

2)憲法13条の幸福追求権は社会的・経済的成熟度を口実として奪われるべきではない

 

 アメリカ合衆国最高裁判例は結婚を幸福追求に不可欠な『人間の基礎的な市民的権利』と宣言している。以下のような判例である。我が国においては憲法13条で幸福追求権を明文で規定している以上、直接の法源にはならないとしても参照してよい

 

Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)

 

  マクレイノルズ判事による法廷意見は憲法修正第14条が保障する自由とは、

 

「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges を遍く享受する権利をさす。」「先例によって確立されている法理によれば、この自由は、州の権能内にある何らかの目的と合理的なかかわりをもたない立法行為によって妨げられてはならない。‥‥」[佐藤全1984 173頁、米沢広一1984、中川律2008

 

 

 

Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967

 

 バージニア州の異人種婚姻禁止法を違憲とした判決である。ウォーレン主席判事による法廷意見は、「結婚の自由は、自由な人間が幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、長らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである。」と宣言した。

 

 

 

 またZablocki v.Redhail 434 US 374 1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。

 

 Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]

 

 

 

 このように、米国では経済的義務を果たしてないことや、受刑者であることが婚姻する権利を妨げる理由にはならないとしており、この趣旨からすると社会的・経済的成熟の要求という不透明・不確定な概念で婚姻の権利を奪ってよいのかは疑わしいといえるだろう。

 

 

 

 結局、結婚が幸福追求に不可欠な基本的権利とするならば、また以上みてきた婚姻の自由の法源に照らすならば社会的・経済的成熟を要求するという勝手な口実で、婚姻の自由を制約するのは行き過ぎということになるし、未成年だから憲法上の権利が享受できないとするのは行き過ぎであり、結婚することが当事者の最善の利益とならないこと、婚姻適応能力のないことが立証されない以上、権利をはく奪する理由にはならない。今日でも未成年である20歳未満でも結婚の権利が認められて、成年擬制の制度もある以上、18歳に成人年齢を引き下げるからこの際未成年を無権利状態にしなければならないというのも行き過ぎである。

 

 また成人であっても疾病や身体的・精神的障害によって社会的・経済的成熟が乏しいとみられる人がいないわけではない。私も結婚していないからそうかもしれない。しかしだからといって婚姻の権利が否定されるわけでなく、社会的地位や経済力を法は婚姻障碍としていないのである。筧千佐子被告が何度再婚を繰り返そうが自由なのであって、未成年者であるから成人における婚姻の自由を享受できないものにしてしまうというのは行き過ぎなのである。

 

 

 

3 1617歳女子が婚姻適応能力を有する社会的・経済的成熟に達していないという具体的根拠は何もない

 

 

 

A 社会生活が複雑化・高度化した現時点で1617歳女子は婚姻適応能力を失ったという見解に論理性はない

 

 

 

 前節ではそもそも「社会的・経済的成熟」を口実とすることが過ちと述べたが、仮に「社会的・経済的成熟」を要求することは立法裁量権として相当であるとしても1617歳女子が婚姻適応能力に必要な「社会的・経済的成熟」を欠くという根拠に乏しいということを次に述べる。

 

 

 

 

 

 

 

a)古より我が国においては1617歳女子は結婚するに相応しい成熟した年齢とされ、その婚姻適応力に疑問の余地はない

 

 

 

我が国の婚姻適齢法制の変遷は以下のとおりである

 

 

 

〇令制 養老令戸令聴婚嫁条 男15歳女13歳(唐永徽令の継受)

 

〇明治初期より中期 婚姻適齢の成文法なし

 

 改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。[小木新造1979

 

〇明治民法(明治311898施行)は婚姻適齢男17歳、女15歳。女15歳は母胎の健康保持という医学上の見地。

 

〇戦後民法(現行)男18歳、女16歳は、米国の多くの州がそうだったため米法継受である。

 

 

 

 伝統的に民間の習俗としては子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、初花祝、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。端的にいえば赤い腰巻を着用した娘は成女であり、早乙女が田植えで腰巻をチラリと見せるのは、婚姻できる身分となった誇示である。近世では庶民で1314歳。皇族女子は比較的高く裳着は16歳だった。

 

 東京現住結婚年齢者対象表[小木新造1979

 

『東京府統計書』

 

明治17年

 

       男    女

 

14年以下   11  128

 

15年以上  604 2740

 

20年以上 1880 2691

 

25年以上 2679 1496

 

30年以上 1607  811

 

35年以上  871  442

 

40年以上  略    略

 

 明治初期の東京は早婚で結婚しやすい都市だったことは上記の統計で明らかである。少子化・晩婚化が顕著になった今から見ればうらやましいかぎりである。

 

 女子1617歳はいうまでもなく、古より結婚するに相応しい年齢とされその婚姻適応能力に疑問の余地はない。もっとも1617歳で結婚するカップルは1990年代に年間3000組ほどいたが、2015年には1357組まで減少している。しかし統計的に減少しているという事実と当事者の婚姻適応能力とは無関係であり、結婚し家庭を築き子供を育てるという、幸福追求に不可欠な憲法24条や13条と密接な関連のある法益をはく奪する理由とはならない。

 

 しかし、1996年法制審議会答申民法改正案要綱は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」として1617歳女子は婚姻適応能力を失った年齢とするのである。

 

 

 

 この理屈は、現代の高度産業社会において晩婚化は必然であり、後期中等教育の進学率の高さからみても1617歳は婚期としては相応しくないという主張のように思えるが逐一反論しておく。

 

 

 

 

 

b)高度産業社会となるから晩婚化が必然という前提での議論の過ち 

 

 

 

 人口学者がいうように平均初婚年齢や未婚率は、社会的・経済的・文化的諸状況によって変位する変数であるが、高度産業社会だから晩婚化するというものでは全くないのである。

 

 歴史人口学の成果によれば北西ヨーロッパでは前近代においても晩婚で未婚率が高かったことを明らかにしている。16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは、2024歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。2529歳でも46%と50%であった。女子は思春期から10年は奉公人として働いて結婚の準備をして20代半ば以降に結婚した[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993]。むしろ近代産業革命によって女子が工場労働に進出し持参金効果により初婚年齢が下がったのである。

 

 米国の未成年者の結婚の多い州は全体の比率でウェストバージニア.0.71%、テキサス0.69%だった。我が国の0.21%と比較するとかなり高いといえる。先進国でも文化的状況により異なるのである。

 

 アメリカ合衆国の2006 年の合計出生率は 2.10 と先進国はもちろん、一部の途上国と 比べても高い水準にある[是川 夕・岩澤美帆2009]。

 

 高度産業社会だからといって出生率が低くなるものではない。ユタ州は女子平均初婚年齢22歳と若く、白人女性の合計出生率について見ていくと,ユタ州の出生率が 2.452002年)と50州で最も高い。これはモルモン教徒の多いことと関連しているが、そのように先進国でも文化的状況によって初婚年齢が相対的に低く出生率の高い場合があるから、社会の複雑化・高度化を口実として婚姻適齢を引き上げるというのは論理性がない。

 

 婚姻適齢法制は、婚姻適応能力のある年齢を制定法で定める理念的なものであって、平均初婚年齢の変動があれ、それを変更する理由とはならない。

 

 

 

c)高校教育修了程度の社会的・経済的成熟の要求は全く論理性がない 

 

 

 

 とりわけ非論理的と言えるのは、1996年法制審議会答申の趣旨である高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求である。国民は婚姻のために政府から義務教育以上の教育を要求される理由は全くない。義務教育修了後、就労しようと、奉公・修業に出そうと、高校以外の各種学校に進学しようと、結婚準備、行儀見習い、あるいは結婚しようとそれは当事者(本人と身上統制権のある親)の私的自治にかかわることがらであり、学習指導要領では義務教育で実社会に出ても不都合がない教育課程が組まれているはずである。

 

 井山裕太六冠をはじめ囲碁のトップ棋士は、中卒が通例だといわれている。なるほど井山六冠は離婚した。しかしだからといって中卒だから婚姻適応能力がなかったとはいえないし、高校に進学していないことを政府から非難されるいわれもない。

 

 角界は近年学生相撲出身の力士が多くなったとはいえ横綱稀勢の里も、八角理事長も中卒であり、稀勢の里が学生出身の遠藤より婚姻適応能力も人格も劣るという立証は誰もできない。

 

 百歩譲って、仮に高校進学が望ましいという観点をとるとしても、生徒の多様な実態に対応して単位制高校など柔軟なシステムもあるから、学業と家庭生活との両立は可能である。16歳で結婚したタレントの三船美佳も横浜インターナショナルスクールを卒業しているから、高卒が望ましいという趣旨で婚姻適齢を引き上げるというのはナンセンスといえる。

 

 ちなみに、英国が義務教育修了を16歳とし、婚姻適齢も16歳だから義務教育とかぶっている。それでも問題ないということだ。

 

 中卒は労働法で就労を規制しておらず、稼得能力は当然ある。高卒の賃金と中卒の賃金が、婚姻適応能力を分かつ根拠も示されてない。高校教育無償化のみならず高等教育も無償化するのだから中卒は婚姻適応能力がないものにしなければならないなどというのは本末転倒した議論だろう。

 

  高卒程度の社会的・経済的成熟を要求した法制審議会の見解については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を射た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

 

 「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」

 

 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法(男二二歳、女二〇歳)のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」と批判している。

 

 とにかく、これまで成年擬制制度をとっていて、結婚した男女は未成年でも成年の扱いでなんら問題なかったので、婚姻適応能力がないと決めつける理由など全くない。

 

 16歳の三船美佳が40歳の高橋ジョージと結婚し17年後に離婚したが、これが当事者の福祉に反していた、当事者の最善の利益に役立たなかった、あるいはとりかえしのつかない負担を課すものとなったとはいえない。もし政府がそういうのなら高橋氏に大変失礼なことになるだろう。鴛鴦夫婦として有名だったし、三船美佳はタレントとしても成功している。仮に18歳で結婚したとしても、離婚していたと考えるのが自然であり、16歳での結婚が良くなかったと決めつける根拠はなにもない。

 

 明らかに16歳は成熟した、婚姻適応能力のある年齢なのである。 

 

 

 

 

 

 

 

(三)「社会的・経済的成熟」の要求と1617歳の婚姻資格はく奪とは実質的(合理的)関連性がない

 

 

 

 結婚する権利のはく奪は、憲法24条、13条にかかわる法的利益の直接的妨害であるから、中間審査基準「厳重な合理性テスト」(合理的な立法目的と婚姻資格はく奪という手段の実質的関連性のテスト)で憲法適合性を判断することになる。

 

 これまで述べたとおり「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」という立法趣旨は不当である。1617歳に婚姻適応能力がないと結論するのは行き過ぎでありその具体的根拠に乏しいことで、合理的・正当な立法目的ではないと判断する。合理的な立法目的とみなされないという点ですでにアウトである。

 

 それでも婚姻制度の設計について国会に広範な裁量権があり、仮に正当な立法目的だと承認したとしよう。だとしても婚姻資格はく奪という手段との実質的関連がなければ中間審査基準ではアウトになる。

 

 つまり、仮に1617歳が「社会的・経済的成熟」を欠くという主張を認めても、そのことから婚姻適応能力を欠く、あるいは当事者の福祉に反する、最善の利益とはならないという結論にはならないのである。

 

 なぜなら結婚は、男女の相互扶助の共同体であるから、一方に稼得能力がなくて、他方の配偶者に稼得能力があれば、成立する性格のものだからである。お互い貧乏でも励まし合い、協力し感謝し合うなら結婚生活は成立する。

 

 すでに述べたとおり、わたくしは、社会的・経済的成熟の要求は婚姻の自由の抑制そのものを意味し不当であり、そんなことは無視しても結婚してよいはずと主張した。

 

 ミルトンを引用して結婚は孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)を得る崇高な目的があると述べた。

 

 社会的に承認された性欲充足の手段としての結婚というだけでも価値があると述べた。

 

 エマーソンは、ボストン第二教会で公職を得たのち17歳のエレン・ルイサ・タッカーという美女と婚約し1年後に結婚したが、彼女は婚約ののち喀血し、結核のため20歳で亡くなるまで結婚生活はほとんど療養生活になった。病人とみすみす結婚したてのばかげているという論評があるが、それでもよいのだ愛があれば。そのような結婚も否定されるべきではない。結核を患った彼女の稼得能力は乏しい。しかし結婚が否定されなければならない理由はない。

 

 しかし百歩譲って、仮に婚姻するためには中卒の社会適応力・賃金・稼得能力で絶対だめだ、高卒以上の賃金・稼得能力が必要だ、婚姻するためには社会的・経済的成熟が第一義的に重要であり、それが18歳だという政府のかなり強引な主張を認めるとしても、配偶者の一方に社会的・経済的に成熟した稼得能力ないし経済力があれば愛の巣としての結婚生活は維持できるのであって、男女の双方に「社会的・経済的成熟」を求める必要はない。成人であっても配偶者の一方が疾病や障害により稼得能力の乏しい場合はあり、それによって結婚する権利がはく奪されることはないのと同じことである。獄中結婚の一方は稼得能力は一定期間ないがそれでも結婚できる。

 

 

 

 政府案のいう「社会的・経済的成熟」の要求と婚姻適応能力とは実質的合理的関連性がないといえる。

 

 加えて、「社会的・経済的成熟」の要求を満たさない結婚は、当事者の福祉に反する、当事者にとって最善の利益にならないという根拠はなにも示されていないのである。

 

 百歩譲って、結婚生活が破綻したとしても、結婚したことがそれが取り返しのつかない負担となるほど当事者の福祉を害するという立証は不可能である。

 

 配偶者の双方に相当の稼得能力・経済的成熟を求めることは婚姻するために不当な要求なのである。婚姻するために不当に高い要求を課すことは憲法241項の婚姻の自由の趣旨に反し、憲法13条の幸福追求権を否定する。この重要な法的利益の無視である。

 

 もっといえば双方とも経済力に乏しいとしても、実家の支援があったり自営業や資産家なら結婚生活は維持できる。

 

 だからわたくしは配偶者の一方が成人なら、他方は16歳以上で結婚を認め、従前から婚姻資格を有している1617歳女子をはく奪しない修正案としたのである。

 

 つまり、男女別の取扱いの差異をなくし法的平等にするには、1617歳女子の婚姻資格をはく奪しない方法が可能なのだから、それを選択すべきである。

 

 よって、正当な立法目的であったとしても、1617歳女子の婚姻資格はく奪という手段との実質的関連性がないのである。よって、違憲の疑いのある立法政策だといわなければならない。

 

 百歩譲って、それが憲法違反でないという主張があっても、立法政策としてはかなり悪質なものとして糾弾に値する。

 

 

 

(四)「社会的・経済的成熟」を要求する真意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定化であり、特定のイデオロギーの偏重であり、婚姻生活の国民の私的自治を否定するものである

 

 

 

 法改正案が「加計ありき」ならぬ「16歳・17歳女子婚姻資格はく奪ありき」となっているのは表向きの理由が「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」というものだが、それは口実であって底意とするところは、16歳・17歳で結婚する女子と、未成年者に求婚する男子に対する敵意である。

 

男子の婚姻適齢を16歳に引下げて形式的平等としても、結局それは男性の稼得能力に依存する結婚生活になりやすく、それは性的分業を固定化し、男女役割分担の定型概念を促進するからよくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。ジェンダー論に反し許されないというものだろう、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムを公定イデオロギー化しようというものである。

 

 そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである。

 

 法的平等以上に、特定のイデオロギーによる結婚観を立法目的とすべきではない。アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢が男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人を多くみかけるがとんでもない。

 

 日本の「家」の構造(明治民法の「家」ではなく、1960年代のフィールドワークに基づく慣習としての「家」)を理論化しているのが厳密な定義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[197019721973]である。

 

 清水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると理論化している。

 

 日本の「家」は家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。

 

 清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や‥‥拡大家族はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とは定義されないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想であり、マルクス主義の家族死滅論に接近するものというべきである。

 

 婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を法改正趣旨に看取できるのであって、この民法改正案には反対せざるをえない。

 

 重ねて言うがたとえ、男性の稼得能力に経済的に依存する結婚生活であろうと、夫婦間の分業は当事者の私的自治の領域であるから、政府が干渉すべき事柄ではなく、最も共感的な理解者が結婚したい相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。慰めと平穏を得る相互扶助の共同体としての結婚生活の意義における人格的利益を否定することはできない以上、その結婚生活の主たる稼ぎ手が夫であったとしても、それを特定の思想的立場から敵視して、彼と彼女の幸福追求権を否定する理由にはならないのである。

 

 

 

 

 

二 野田愛子氏(故人)の賢明な意見が不当にも無視された

 

 

 

 野田愛子氏(19242010)とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)であり、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである

 

 

 

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方があります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳で成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 

 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

 

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として提議されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』41918頁〕

 

 

 

 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。

 

 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的洞察からみても年少者であれ、否、未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。

 

 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、古くから男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。

 

 そもそも民法は社会変革のための道具ではない、特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。

 

 

 

五 法律婚制度の安定性を揺るがす

 

 

 

 我が国においては、法律婚と国勢調査の婚姻件数との差異がほとんどなく、経過的内縁関係が若干あっても、事実婚や非嫡出子は外国に比べ少数であり、法律婚制度は安定している。

 

 明治・大正期までは内縁関係は少なくなかったし、昭和期までは足入れ婚(試験婚)の慣行も農村では広範にみられた。しかし今日では芸能人でも入籍を結婚としているように法律婚制度は完全に定着しているので、我が国の制度は成功した事例といえるのである。

 

 ところが婚姻適齢引き上げは18歳未満で妊娠し出産したばあいの子供を非嫡出子にする問題がある。これについては、非嫡出子の法定相続分の差別をなくしたので、その子供が不利益にならないから問題ないし、子供の不利益にもならないとの主張がある。

 

 しかし法律婚制度をとる以上嫡出子(長子)となるべき子供をみすみす非嫡出子にしてしまう政策は疑問である。

 

 法律婚制度の安定性という観点で、経過的内縁関係を強要したり、嫡出子になるべき子供を婚外子にしてしまう政策は間違っている。

 

 当事者に国民の権利よりも圧力団体の要望に応え票にするのが政治なのだというのだろう。婚外子になろうがそんなことはどうでもよいというかもしれない。

 

 一方で、国会議員はLGBT基本法は成立させるだろう。圧力団体がロビー活動しているし、人口比率で7.6%いるといわれるから、票になることはやりたいということだろう。

 

 しかしまともな異性愛者の結婚の権利は縮小させるというのであり、古より結婚するに相応しい年齢だった1617歳で結婚したい女子の幸福追求権の否定を躊躇しない。

 

 1300~1400組のカップルといっても経過措置によって、怒りが向けられることもない。政治家は票にも利権にもならないからこいつらの剥奪は当然だ。こいつらの幸福追求権や婚姻の自由なんて政治とは関係ないというかもしれないが、あまりにも冷淡きわまりない。そもそも成人年齢の引下げも、国民投票法を成立させるための与野党の取引(当時の自民党の中川政調会長が民主党の公約だった選挙権の18歳引き下げを丸呑みした)からはじまったものであり、政治家の自己満足にすぎない。国民特に若者が要求しているものではなく、成人は20歳と定めた太政官指令以来安定している私法をあえていじくるというものである。それに便乗しての1617歳婚姻資格はく奪であるからこの改正案は政治への信頼も失う結果になるだろう。

 

 

 

 

 

四 想定される当局側の反論に対する反論

 

 

 

 以上の私の主張に対して、法務省当局が言いそうな反論を想定すると、2008年フランスがそれまでの男18歳・婚姻適齢15歳であったのを男女とも18歳としていること。2017年ドイツは東西統合以来、婚姻適齢を男女とも18歳を原則としつつも、配偶者の一方が18歳以上ならば16歳以上で婚姻可能としていたものを、男女とも18歳とすることを原則とすると閣議決定したとの報道があることから、フランスやドイツの動向に我が国も追随すべきだというに違いない。

 

 これについては私は次のように反論する。

 

 フランスが未成年者の婚姻を否定した主たる理由は、北アフリカ・中東のイスラム圏移民が増加し、親による強制結婚への非難によるものである。ドイツも同様にイスラム圏移民の強制結婚に対する非難である。

 

 当事者との同意を基本とする法文化は、ローマ法にはじまり、特に教会婚姻法が、親の同意要件を一貫して否定したことにより、ラテン=キリスト教世界で定着した法文化であってイスラム圏は異なることから摩擦を起こしたものとみてよいだろう。我が国ではイスラム圏の移民は少数で、未成年者の結婚が社会問題ともなっていないし、我が国では未成年者の婚姻はたいていの場合は当事者の合意が先行し親が追認するケースと考えられるので、仏独の事情とは異なるから追随する理由はない。

 

 また、ごく最近のことだが20176月にニューヨーク州が従来14歳以上で結婚できる法制だったものを、婚姻適齢を17歳以上と改正した事実がある。

 

 近年、発展途上国に広範にみられる親の強制による児童婚撲滅を主張する人権団体の活動が目立っているが、ニューヨークでもヒューマンライツウォッチという児童婚に反対する団体が、14歳で結婚できるニューヨーク州法を敵視し、民主党州議会議員に働きかけ、クォモ知事も賛同したため法改正がなされてしまった。人権団体の言いなりになった感がある。

 

 しかし米国では先に述べたように結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つとされていることから、結婚を妨げることが子供や女性の人権だという主張は主流の考え方とはいいがたい。

 

 年少者の結婚を敵視するヒューマンライツウォッチが天下を取っているのでもないのに、政治が人権団体の主張に踊らされてる傾向はとてもよくない情勢といえる。

 

 

 

 しかし、一方で男14歳、女13歳と婚姻適齢の低いニューハンプシャー州は20173月に婚姻適齢引上げ法案を州議会が否決している。またニュージャージー州では婚姻適齢引き上げの法案が議会を通過したが、クリス・クリスティー知事が拒否権を発動したということである。ニューハンプシャー州議会とクリスティー知事の見識を讃えたい。したがってニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドだとはいえない。

 

 私の主張は、結婚し家庭を築き子供を育てる権利は、幸福追求に不可欠な基本的権利ともいえるもので、古くから性的に成熟し婚姻するに相応しい年齢であった1617歳女子の婚姻資格はく奪は憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の重大な侵害というものである。未成年者だからといって当事者の最善の利益に反することが証明されることもないのに安易に権利をはく奪することは許されないとする考えである。

 

 児童婚撲滅論者の主張は、早婚は女性に貧困をもたらし、性病に罹患したり、夫から暴力を受けたり、高校中退の可能性を高くし当事者の福祉に反するものと決めつけたうえで、各国政府は早婚を規制すべき法を定めるべきというものであるから、結婚を妨げることが人権擁護という主張である。親の強制結婚を非難するが、後述のとおり当事者の合意を基本とするのはローマ法、とりわけ教会婚姻法の理念で、西洋文明における理念である。そうでない文化的背景の地域については、文化相対主義の見地から、それが是正されるべき慣習などというのはあつかましいことであって、同意できない。180度異なる考えである故、イデオロギー上の敵である。

 

 法務省は今後こうした団体からの突き上げがないよう、この際未成年者の権利をすべてはく奪しておきたいのかもしれないが、圧力団体のクレームが面倒だから、法改正をして国民の権利を取り上げるというのは立法目的としては正当なものとはいえない。

 

 

文献表(引用・参考)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一章  男女とも18歳とする1996年法制審議会民法部会の答申の改正理由に全く論理性がない

 

 今回の政府案は、成人年齢引下げに便乗して、婚姻適齢と成年を一致させ、未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)を廃止しようとするものである。

 男女とも18歳とし、1617歳女子の結婚する権利を剥奪する案は、もともと日弁連女性委員会その他の婦人団体が主張していたもので、1996年法制審議会民法部会答申によって採用されたものである。
 これは1985年の女子差別撤廃条約批准を受けて、1991年法務省が「男女平等の見地から、夫婦の氏や待婚期間の在り方を含めた婚姻及び離婚に関する法制の見直しを行う」こととなり、1992年12月に「婚姻及び離婚制度の見直し審議に関する中間報告(論点整理)」、1994年7月の「婚姻制度等に関する民法改正要綱試案」を経て1996年の法制審議会民法部会答申「民法の一部を改正する法律案要綱」により成案となったものだ。
 法制審議会が婚姻適齢を引上げる理由としてまず挙げているのが、婚姻年齢を18歳以上とするのは世界的趨勢であるという理屈だが、全く虚偽である。

 第二に「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」とし婚姻資格者には高校修了程度の社会的・経済的成熟を要求すべきことを理由としているが、論理性は全くないものであり、正当な立法目的とはいえない。

 婚姻適応能力がない。あるいは結婚することが当事者の福祉に反するという根拠・裏づけが乏しいにもかかわらず1617歳女子の婚姻資格剥奪を強行する理由は、これまで18歳引き上げを主張してきた日弁連女性委員会ほか女性団体のメンツをたてることだけでしかない。女性団体の身勝手な主張が、幸福追求権や婚姻の自由という憲法的価値よりも圧倒的に重視されている政策として糾弾に値する。
 結局のところ、高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求等の立法趣旨は口実であって、真の立法目的は、日弁連女性委員会その他のジェンダー論者が男性の女性が最も美しく肉体の輝く16・17歳女子に求婚し、結婚する権利を奪い取り、男性の正当な権利を縮小して留飲を下げたいという、男性への敵視、ルサンチマンが底意にあると考えられる。
 男性支配の構造を敵視する特定社会階層、特定イデオロギーの女性が男性の権利を縮小し奪うことで自己満足することが真の立法目的と考えてよい。あるいは、自分たちがエリートであるために学業より家庭を選択しようとする16・17歳で結婚する女子を軽蔑し、この人たちの婚姻の自由や、幸福追求権、子供を嫡出子とする権利を否定して当然といわんばかりの鼻持ちならない差別意識がその背景にあると考えられる。

 

 

(一) 法制審議会答申のいう婚姻適齢 「18歳が世界的趨勢」というのは全くの偽情報であり、法制審議会は国会・国民をだましている

 

 1.先進国において16歳が婚姻適齢とされている立法例

 

 英国・アメリカ合衆国の大多数の州、カナダの主要州では16歳で結婚できる。したがって18歳が成人年齢というのは世界的趨勢であっても、婚姻適齢については全く誤りである。

 特にアメリカ合衆国は、統一州法委員会の統一婚姻・離婚法のモデルが16歳は親の同意要件より婚姻できる年齢と定めており立法政策の推奨モデルなのである。従って婚姻適齢16歳を基準としているのがアメリカの各州の大多数の一般的な法制であり、スタンダードが16歳である。

 にもかかわらず18歳が世界的趨勢などというのは虚偽であり、したがって、1996年法制審議会は故意に偽情報を流し、不当に英米独などの先進国の立法例を無視して安易に結論したものであり、国会、国民を騙す詐欺行為の手口はきわめて悪質であり、糾弾されてよいレベルである。

 なお、アメリカでも17歳を基準とする州が数州あり、ごく最近2017年6月には1929年より14歳以上で結婚出来たニューヨーク州が男女とも婚姻適齢を17歳以上に法改正したように、近年早婚に反対する人権団体の運動が活発化して立法政策に影響力を行使しているのは事実であるが、一方ニューハンプシャー州は古くより男14歳女13歳の婚姻適齢であるが、20173月に州議会が婚姻適齢引上げ法案を否決しており、ニュージャージー州は婚姻適齢引き上げが議会を通過したが、クリスティー知事が拒否権を発動している。ニューヨーク州の法改正をとらえてそれがトレンドになっているとはいえないのである。

 

 男女とも婚姻適齢を18歳とするのは、ソ連・東独の社会主義モデルであり、世界全体がそのような傾向にあるわけではない。それが正しいわけでもない。もっともフランスが2008年に婚姻適齢を引上げている。ドイツも今年18歳に引上げる見直しがされているが、改正理由がイスラム圏からの移民が増加し、親による強制的な結婚の防止ということであり、フランスのような改正例を一般的傾向とみなすことはできない。 

 

() 英国

 

 婚姻障碍を16歳未満の者、18歳未満で親の同意のない者、近親婚、重婚と規定しており、男女とも16歳を婚姻適齢とする。イングランド、ウェールズ、北アイルランドでは未成年者は親の同意を要するが、スコットランドでは親の同意も不要である。[田中和夫1958 松下晴彦2005 平松・森本1991

 なお婚姻適齢を男女とも16歳としたのは1929年法である。それ以前はコモン・ローの男14歳・女12歳であった。 なお、英国婚姻法の歴史的経緯は「(附属論文)第五章結婚は自由でなければならないという古典カノン法を基軸とする西洋文明の婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに 強く反対である」を参照されたい。

 

 

(2) アメリカ合衆国

 

A 要旨

 

 我国の戦後民法改正による現行法の婚姻適齢は1940年代米国で男18歳、女16歳とする州が多かったことによるので米法の継受である。

 しかし2017年春の段階で大多数の州が(34) 男女とも16歳を法定婚姻年齢(ただし1617歳を親ないし保護者の同意を要する)とし、加えて16歳未満でも補充要件規定で裁判上の承認等により婚姻可能としている州が多い。(Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016 http://www.pewresearch.org/fact-tank/2016/11/01/child-marriage-is-rare-in-the-u-s-though-this-varies-by-state/によれば、16歳と17歳は34州で親の許可を得て結婚することができる。と記載されている)

 27州は最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、補充要件規定により裁判上の承認等により結婚可能とされている。

  各州の婚姻適齢法制一覧で、信頼できるものとしてコーネル大学ロースクールの https://www.law.cornell.edu/wex/table_marriage 

Marriage Laws of the Fifty States, District of Columbia and Puerto Ricoがある。このほかhttp://family.findlaw.com/marriage/state-by-state-marriage-age-of-consent-laws.html

State-by-State Marriage "Age of Consent" Lawsもある。

 

 国会図書館調査及び立法考査局(佐藤令 大月晶代 ほか)2008『基本情報シリーズ② 主要国の各種法定年齢 : 選挙権年齢・成人年齢引下げの経緯を中心に 』2008-bの記載は「ほとんどの州が、親の同意なしに婚姻できる年齢を男女とも18歳とし、親の同意と裁判所の承認を必要とする年齢をこれより低く設定している(35州及びワシントンD.C.が男女16歳であり、その他の州の規定ぶりは多様である(男女17歳、15歳、14歳、また 男女差を設けている州もある)。ただし、カリフォルニア、カンザス、マサチューセッツの3州は、婚姻適齢の最低年齢に関して明文規定がない)‥‥」との記載である。

 18歳はあくまでも親の同意を要しない婚姻適齢であって、親の同意要件を前提とすれば16歳を基準とする州が大多数な点を注意してほしい。

 なお、米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度がある。婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱う。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水裕子2017

 Marriage Laws of the Fifty States等を参照して各州ごとに検討するとおおまかにいうと次のとおりである。

 

婚姻年齢男女共16歳以上 32州とコロンビアDC

 

婚姻年齢男子18歳女子16歳 デラウェア、オハイオ、ロードアイランド

婚姻年齢男女共15歳以上 ハワイ

婚姻年齢男女共17歳以上 ネブラスカ、ニューヨーク

婚姻年齢男女共17歳以上【補充要件規定あり】 インディアナ、ワシントン、オレゴン

婚姻年齢男子17歳女子16歳 アーカンソー

婚姻年齢15歳以上 ミシシッピ

婚姻年齢15歳以上【補充要件規定あり】ミズーリ

婚姻年齢男女とも原則18歳以上 カリフォルニア、ケンタッキー、ルイジアナ、ウェストヴァージニア

婚姻年齢男子14歳女子12歳マサチューセッツ【コモンローと同じ】

婚姻年齢男子14歳女子13歳ニューハンプシャー

 

 18歳を原則としている州も4州あるが、18歳未満でも補充要件規定により救済できるシステムがある。

 

B ごく最近の動向

 

 もっとも、近年年少者の結婚については人権団体からの攻撃が強まっていることは事実である。

([webサイト米国:14歳の結婚が認められている米・ニューヨーク州児童婚に終止符を打たなければならないhttps://www.hrw.org/ja/news/2017/02/14/300136]参照)

 1929 年以来ニューヨーク州では、1415 歳は司法及び親権者の承認を得て結婚でき、1617歳は単なる親の同意で結婚できる制度であった。

 ところがヒューマンライツウォッチのような児童婚撲滅を主張する人権団体から強制結婚の温床になっているとの非難により、クォモ知事、民主党議員が主導して、婚姻適齢を17歳に引き上げる法案が通過し2017620日に知事が署名した。

早婚撲滅団体のいいなりになった非常に悪い法改正例といえる。

([NY州で結婚の最低年齢引き上げ 14歳から18歳に06/22/2017 https://www.dailysunny.com/2017/06/22/nynews170622-2/]。ニューヨーク州では法定強姦罪が17歳未満のセックスは合意であっても強姦という規定なので厳しいといえる[NY州の合法結婚年齢1418歳に引上げろhttp://www.yomitime.com/kawaraban/53.html]参照)

 なおニューヨーク州のように14歳で結婚できる州としてノースカロライナ、ノースダコタ、アラスカ州があると報道されている。

 また、テキサス州と、コネチカット州が最近、年少者の結婚を禁止する法改正を行っているが、最低婚姻適齢16歳を維持している。

 したがって、16歳を婚姻適齢の基準とする州が大勢であることにかわりない。

 

 一方、ニューハンプシャー州は、男14歳、女13歳という婚姻適齢法制で、20173月に婚姻適齢引上げ法案を議会が否決している。ニュージャージー州は婚姻適齢引上げ法案が議会を通過したが、クリスティー知事が拒否権を発動して阻止した。

(なお最近の婚姻適齢をめぐる情勢について
September 14, 2017 / by Anjali Tsui   Married Young: The Fight Over Child Marriage in America http://www.pbs.org/wgbh/frontline/article/married-young-the-fight-over-child-marriage-in-america/

Child Marriage in the United States, Explained    https://www.teenvogue.com/story/child-marriage-in-the-united-states-explained)

 

  

C 男女とも16歳を婚姻適齢としている州立法が多い原因

 

a)統一婚姻・離婚法モデル

 

 男女とも16歳としている州が多い理由の第一は、米国には私法の統一運動があり1970年代に統一州法委員会(各州の知事の任命した代表者で構成される)の統一婚姻・離婚法モデルが法定婚姻年齢を男女共16歳(18歳は親の同意を要しない法定年齢)とするモデル案を示していたことによる。

 米国では 16歳を親の同意があれば婚姻適齢とするのが標準的な婚姻法モデルなのである。もっとも婚姻法はあくまでも州の立法権であり、統一婚姻・離婚法モデルは州権を拘束しないが、多くの州がモデル案に大筋で従った法改正を行った。

 ちなみに1970年公表統一婚姻・離婚法()は次のとおりである。[村井衡平1974]

203

1 婚姻すべき当事者は、婚姻許可証が効力を生じるとき、18歳に達していること。または16歳に達し、両親・後見人もしくは裁判上の承認(205条1項a)を得ていること。または16歳未満のとき、双方とも、両親もしくは後見人または裁判上の承認(2052a)を得ていること‥‥

205[裁判上の承認]

a裁判所は未成年者当事者の両親または後見人に通知するため、合理的な努力ののち、未成年者当事者が、婚姻に関する責任を引き受けることが可能であり、しかも婚姻は、彼の最善の利益に役立つと認定する場合にかぎり、婚姻許可書書記に対し、

1 両親または後見人がいないか、もしくは彼の婚姻に同意を与える能力をもたないか、または彼の両親もしくは後見人が彼の婚姻に同意を与えなかった16歳もしくは17歳の当事者のため、

2 彼の婚姻に同意を与える能力があれば、両親が、さもなくば後見人が同意を与えた16歳未満の当事者のため、婚姻許可書‥‥の書式の発行を命ずることができる。妊娠だけでは当事者の最善の利益に役立つことを立証しない。

 この案はアメリカ法曹協会家族法部会が関与しているので、アメリカの法律家の標準的な考え方としてよいだろう。

 

bERAの批准過程

 

 第二の理由は、男女平等憲法修正条項(ERA)が1972年に議会を通過し、各州の批准の過程で、多くの州が男女平等に法改正したことである。もっとも35州の批准で止まったため憲法は修正されていないから、男女差のある州も残っている。

 このように米国では男女平等を達成する場合でも既得権であった1617歳女子の婚姻資格を剥奪せず、男子の婚姻適齢を引き下げる方法をとっているのである。

 

C 年間58千人が18歳未満で結婚している

 

 Pew Research CenterChild marriage is rare in the U.S., though this varies by stateNovember 1, 2016によれば、2014年に1517歳の未成年で結婚した者は約 57,800人だった。これは全体の0.46%である。未成年者の結婚が多い州はウェストバージニア0.71%、テキサス0.69%だった。我が国の2015年の1617歳女子の結婚が1357組で、全体の0.21%と比較すると、アメリカは未成年者の婚姻比率は高いとはいえる。

 もっとも全体の0.46%であるから一般的な事例でないということは我が国と同じことであり、アメリカの婚姻法制は例外的な事例にも対応できていると評価できる。

 もともと米国はフロンティアであるのでライフサイクルサーバントの慣習のあった西欧よりも初婚年齢が低く1930年代は女子は17歳で1割が結婚していた。PBSフロントナインの記事によると、未成年者が結婚のほぼ 90% は女子だった。それらのほとんどは 16 歳か 17 歳だった。しかしまれに 10、11、12 歳の事例があるということである。未成年どうしの結婚は少なく、未成年者の配偶者は 18、19 または 20 代前半が多数であるが、40 代、50 代、60 以上ものパートナーとの結婚もあるということてである。[September 14, 2017 / by Anjali Tsui   Married Young: The Fight Over Child Marriage in America http://www.pbs.org/wgbh/frontline/article/married-young-the-fight-over-child-marriage-in-america/]。

 

(3)カナダ

 

 オンタリオ州、ケベック州、ブリティッシュコロンビア州など主要都市のある州では16歳で結婚できる。BC州では16歳未満は裁判所の許可を得て,16歳,17歳は親の 同意があれば認められる。ケベック州では,16歳を婚姻適齢とし,18歳未満は両親の同意及び裁判所の許可があれば認められる。オンタリオ州では, 16歳を婚姻適齢とし,18歳未満は両親の同意があれば認められる。(法務省資料による)

 

 

(4)ドイツ(2016年までの法

 

 東西ドイツ統合後の婚姻適齢は成年(18)である。ただし、当事者の一方が満16歳であり、他方が成年に達していれば、申立により免除が与えられる。[岩志和一郎1991]

 

*なおドイツのメルケル政権は2017年5月、18歳未満の婚姻を原則禁じる改正法案を閣議決定した。これまでは16歳から結婚が可能だったが、中東などイスラム圏から難民らが大量流入して18歳未満で結婚している少女が急増、与党内で政府に対応を求める声が高まっていたとの報道があるが、年少結婚に反対する人権活動家の突き上げや中東の移民は親に強制されて結婚しているとの非難によるもので、特殊な事情からの法改正である。これが適切かどうかは検証が必要である。

 以上のように英米文化圏では16歳が婚姻適齢の基準となっており、18歳が世界的趨勢などというのは大嘘である。

 

2 参考事例としての教会法

 

 ラテン=キリスト教世界では、10世紀より婚姻が教会裁判所の専属管轄権となったため、教会婚姻法が普遍的統一法であった。近代に至って婚姻法が還俗化され、世俗国家のものとなっているが、単婚婚姻理念を明確にしたのみならず。婚姻の自由という観点でその文明史的意義は大きく、現代人の結婚観の基礎となっている。詳しくは第五章【附属論文】参照。

 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]しかしローマ法よりも無式合意主義諾成婚姻理論を継受した教会婚姻法(古典カノン法)がその理念としてより鮮明なものとしたといえる。

 現在の教会法でもそうだが、親や保護者の同意要件を明確に否定しているうえ、 カノン法の婚姻適齢はローマ法を継受し男14歳、女12歳であるが、教会法学者はさらに緩めた。

「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]。

 カノン法は性交不能を婚姻障碍としているため、早熟が年齢を補うことにより事実上年齢規制がないといってよい。

 カトリック教会は1917年にカノン法を全廃し、新成文法典を公布し、婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]としたうえ、婚姻適齢を男16歳、女14歳とした。婚姻適齢を引上げたとはいえ、世俗法制と比べれば婚姻の自由を重視しているといえる。

 スペインの婚姻適齢は原則18歳の成人年齢を婚姻適齢としているが、補充要件規定があり特例として14歳以上の婚姻も可能であり、教会法との整合性に配慮したものといえる。

 

3 アメリカ合衆国の多くの州が年少者の婚姻資格を否定しない理由とは

 

(1) 憲法上の基本的権利である結婚し家庭を築く自由

 

A 実体的デュープロセス

 

 合衆国の多くの州が、年少者の婚姻資格斬り捨てをしない理由として憲法で明文化されていないが、修正14条の実体的デュープロセスとして結婚の自由が憲法上の基本的権利とされていることと関連があるとみてよい。

 合衆国憲法修正14条(1864年確定)第1節は「‥‥‥正当な法の手続きによらないで、何人から生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。」と規定している。

 もともとデュープロセス条項は告知・弁護の機会という最小限の手続きの保障だった。ところが実体的デュープロセス理論が発展し、デュー・プロセス・オブ・ロ-とは法執行の手続きだけの概念ではなく、法の内容にも適正さを要求する概念と主張された。つまり生命・自由・財産を「適正な手続きによらずして」だけでなく「適正な法によらずして」剥奪してはならないとするのである。

 この理論により、個人から生命・自由・財産を奪うことになる実体法の内容の審査、政府の実体的行為が司法審査の対象とされ、裁判所が成文憲法中の特定の明文に依拠せずとも基本的性質を有するとする価値を憲法中に織り込み憲法規範として宣言し、それを侵害する制定法を無効とした[町井和朗1995]。最初の判例はアルゲイヤー対ルイジアナ判決Allgeyer v. LouisianaA, 165 U.S. 578 (1897) である。

 婚姻の自由については、19世紀の判例で、重婚を禁止した連邦法に違反したモルモン教徒(The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)が起訴された1878年のReynolds v. United States, 98 U.S. (8 Otto.) 145 (1878)は信仰と行動の二分論を採用し、行動については社会秩序のために制約しうるとて、重婚の禁止を合憲としており、この判例は婚姻の自由の主張には限界があることを示したといえる。しかし1923年「結婚し家庭を築き子どもを育てる」ことを憲法上の権利とする判例が現れる。

 

B 1923年マイヤー対ネブラスカ判決の卓越

 

 連邦最高裁は第八学年まで英語以外の現代語教育を禁止する州法を違憲としたMeyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)で憲法には明文規定がなくても傍論で初めて幸福追求の権利の一つとして「結婚し家庭を築き子どもを育てる」自由が憲法修正14条の保護する「自由」にあたるとした。1923年のこの判決は、我が国の憲法13条の幸福追求の権利の母法に値するものと考える。

 事案は大略して次のとおりである。第一次世界大戦はアメリカニズムを高揚させ、敵国ドイツの移民の多かった中西部では、ドイツ系移民の子弟が多く通う宗教系私立学校が敵国を利する企みの巣窟として厳しい疑いの目でみられた。そのような背景のもとで1919年ネブラスカ州は、第八学年修了まで現代外国語教育を禁止するサイモン法を制定する。

 マイヤーはジオン福音主義ルター派教会の教区立学校で10歳の児童にドイツ語で聖書物語を教えたため訴追された。州最高裁は有罪を確認したが、連邦最高裁は、同法が合衆国憲法修正14条に違反し違憲と判決した。

 マクレイノルズ判事執筆による法廷意見は憲法修正第14条が保障する自由とは「単に身体的な拘束からの自由のみならず、個人が契約し、なんらかの普通の生業に従事し、有用な知識を習得し、結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利、および公民(freemen)が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして コモン・ローにおいて長い間によって認められている諸特権(privileges) を遍く享受する権利をさす。」「先例によって確立されている法理によれば、この自由は、州の権能内にある何らかの目的と合理的なかかわりをもたない立法行為によって妨げられてはならない。‥‥」「単なるドイツ語の知識が有害であるとは考えられない。これまで、それは有益で望ましいものであるとみなされてきた。‥‥当該教員は、彼の職務としてドイツ語を学校で教えたのである。教員の教える権利と、彼によって自分の子供にドイツ語を教えてもらう親の権利は、修正14条の範囲内にある‥‥」「明らかに州立法府は、現代語学の教師の職業、生徒の知識を獲得する機会、自分の子供の教育をコントロールする親の権利を、多大に侵害しようとしている」として修正14条のデュープロセス条項に違反すると結論づけた。[佐藤全1984 173頁、米沢広一1984、中川律2008

 この判決は親の監護教育権、職業を不当に奪われない権利の先例として評価され、結婚の自由は傍論部分にすぎないし、契約の自由は1937年に判例変更されていることは周知のとおりであるが、自由人が通常幸福追求にあたって不可欠なものとして「結婚して家庭を築いて子供を育て、自己の良心の命ずるところに従って神を礼拝する権利」を示した意義は大きく、その後の宗教の自由や。結婚の自由等の人権判例に引用されるところとなっただけでなく、アメリカにおいて全体主義の防波堤となる意義のある判決といえるだろう。

 

C 1967年ラビング対ヴァージニア判決(結婚を人間の基礎的な市民的権利と宣言)

 

 そして連邦最高裁は Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)でバージニア州の異人種間の婚姻を刑罰をもって禁止する州法を違憲とした。

 本判決の争点は平等保護条項(人種差別)とデュープロセス条項(結婚の自由=実体的デュープロセス)である。

 本判決はまず、厳格な審査テストを用いて、人種のみを理由とする結婚の自由への制約は平等保護条項違反とする。次いで次のようにデュープロセス条項違反にもなるとしている。ウォーレン長官による法廷意見は「結婚の自由は、自由な人間が秩序だって幸福を追求するのに不可欠で重要な個人の権利の一つとして、永らく認められてきた。結婚は『人間の基礎的な市民的権利』の一つである。まさに我々の存立と存続にとって基本的なものである」とし、「結婚への権利を直接的かつ実質的に妨げる場合」厳格な審査テスト、もしくは厳格な合理性のテストの対象となるとしている。[米沢広一1989

 なお筆者は鑑賞してないが、この事件を題材にした「ラビング-愛という名の二人」という映画が我が国でも公開され、その広告によればアカデミー賞最有力とのことである。

 Zablocki v.Redhail 434 US 374 1978)は、無職で貧困のため非嫡出子の養育料を支払っていない男性が別の女性と結婚するための結婚許可証を州が拒否した事件で、結婚の権利を再確認し違憲とされた。

  Turner v. Safley, 482 U.S. 78 (1987)は刑務所の所長の許可がなければ囚人は結婚出来ないとするミズーリ州法を違憲とし、受刑者であっても結婚の権利があり、憲法上の保護を受けることを明らかにした。[米沢広一1989]

 このほか法廷意見を構成できなかったが住居地域規制による同居者制限が違憲判断されたものとしてMoore v. City of East Cleveland 431 U.S. 494 (1977 )がある。問題の家族制地域条例は、世帯主の孫との同居は孫が兄弟である場合に制限していた。ムーア夫人は従兄弟同士の孫と同居したため、条例違反で処罰されたという事案で、パウエル判事の相対多数意見は、実体的デュープロセスに反しこの条例を無効とした。「先例は家庭という構成がアメリカの歴史と伝統に深く根差しているとの理由で、家庭の神聖が憲法上保護されているとしている。アメリカの伝統は、核家族員のみの結合の尊重に限定されるものではない。‥‥殊に祖父母が世帯をひとつにする伝統も、同じく尊重を受け。憲法上の権利として認めるに値する深いルーツを持っている。」と述べている。[石田尚1988 101頁]以上のような判例からみて、アメリカ合衆国における結婚し家庭を築く権利性は明白である。

 米法で家族関係一般に政府が介入する根拠として主張される伝統的な理論はポリス・パワー(公衆の衛生、安全、モラル、一般福祉を促進するための政府の全権的権限)とバレンス・パトリエ権限(国親思想)であるが、結婚の自由が基本的権利とされた以上、結婚を妨げる政策に緩やかな審査基準がとられることはない。

 なお婚姻の自由に関連して近年注目されたObergefell v. Hodgesオーバーグフェル対ホッジス判決(2015)についても簡単に触れておく、54の僅差で州で正式に結婚の認定を受けた同性のカップルには、他の全州でも正式に結婚の資格を認定することを義務付けた衝撃的な判例である

 結婚はどう定義されるべきだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう。[船田享二1971 24頁]結婚とはあくまでも男と女の結合である。したがってケネディ法廷意見に反対だが、たんに不当な司法積極主義と揶揄するロバーツ主席判事の反対意見の論理構成については疑問をもつ。

  私は Loving v. Virginia の先例としての価値を認めつつ、憲法上の基本的権利はこの国の伝統に根ざし秩序づけられた自由の範疇でとらえるべきという限定を付して、同性婚者の権利拡大に歯止めをかけるのが正当だったと考える。

 この点ではアリート判事のUnited States v. Windsor2013)の反対意見が妥当な見解と考える。先例としてWashington v. Glucksberg, 521 U.S. 702 (1997)が長い歴史と伝統に支えられたものか否かを基本的権利を承認する判断基準としており、このグラックスバーグテストに照らせば同性婚を行う権利は「我が国の伝統に深く根差したものではない」とした。[高橋正明2017 117頁]

 したがって私の考えでは、同性婚に好意的な一連の判決に反対するが、逆に言えば同性婚以上に擁護されなければならないものとして、18歳未満未成年者の男女の結婚はコモン・ローが男14歳、女12歳として、親の同意要件すらなかったという長い歴史と伝統に照らしてアメリカでは憲法上の権利と主張してよいように思える。

 

 以上、婚姻の自由に関する判例を概括したが、米国では結婚の自由の判例の進展からみて年齢制限も憲法問題になるのであり、安易な理由で年齢制限の強化はやりにくいのである。

 

 (2)バレンス・パトリエ権限による介入は論理性がない

 

 未成年者に対して成人に認められている権利の制約を正当化する理論としてバレンス・パトリエ権限がある。これは、13世紀の精神障害者に対する国王の後見権限を起源とする。自ら最善の利益になるよう行為する能力に欠ける子どもや精神障害者のような人々を保護するための政府の限定的なパターナリスティックな権限であり、例えば、親が社会の害悪から子供を保護しえない場合、虐待や遺棄など子供を保護するための介入がそれである。ただし子供の最善の利益を促進するときにのみ行使されなければならないとされる。[米沢1984]

 しかし「子どもにとっての最善の利益」という概念は、非常に曖昧であり、政府が恣意的に家族生活に介入する危険がある。このために、概念を限定化。明確化すべきで、その場合に子供の将来にとってとりかえしのつかない負担が生じるという認定が専門家によったなされた場合のみ政府が介入を許容されるべきとの主張がある。[米沢1985b

 1617歳で本人が結婚を望み、父母も同意しているにもかかわらず、政府が当事者に婚姻適応力がない、あるいはそれが、害悪である。過酷である、当事者の最善の利益を促進しない、あるいは当事者の将来についてとりかえしのつかない負担が生じると断定する根拠を示すことは不可能であり、年齢制限には慎重にならざるをえない。

 

 (3)成熟した未成年者の法理

 

未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。なぜならば、年長の未成年者は成人と同様、自己にとって最善の利益となる行動をとる判断力を有していることを否定できないからであり、憲法上の権利の享受も、たんに未成年だからといって否定されるべきものではないからである。
 
従って、一定の未成年者は、一定の事項について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきでなのである
 米国の各州では医療領域において、成熟した未成年者と、未成熟な未成年者に分け、前者に親の同意を得ずとも自己決定を是認する考え方がある[米沢広一1985b参照]。証拠法、医療などの領域で多くの州の法令は成人年齢より低い年齢を設定している。
 
未成年者の結婚は親の同意要件が前提で、親の要保護権を無視するものではなく、未成年者の自己決定を重視しすぎるものでもないから、16歳以上であれば成熟した未成年者として婚姻適齢とすることは理にかなっている。

 

(4)文明史的コンテキスト(結婚は自由でなければならない、性欲の鎮静剤としての結婚の意義という教会法の理念の継承)

 

 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]、ローマ法の無式合意主義諾成婚姻理論は教会法(古典カノン法)が継受し、教会婚姻法の理念としてより鮮明であり、英国では、古典カノン法の教会婚姻法が、宗教改革後においても「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として近代まで生ける法であったことから、英米の法文化の法諺ともいえる。

 結婚は自由でなければならないというのは神学的根拠がある。

 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書7279(ふしだらな行為を避けるための結婚)を決定的に重視した。淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である。姦淫を避け放埓さを防止するため、人は妻を持たなければならないというもので、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならない。[島津一郎1974]

 だからこそ無式合意主義婚姻理論をとる古典カノン法は、領主、親の同意要件を明確に否定し秘密婚を許容した。婚姻の自由の理念の核心はこれである。真正パウロ書簡を根拠とする神律であるから妥協の余地は全くないのであり、教会は数世紀にわたって結婚の自由のために秘密婚に反対する世俗権力と抗争した。

 中世教会婚姻法の自由な結婚の理念は、教会婚姻法が要式化により変質したトレント公会議の受け容れる必要のなかった英国において生ける法として継続したため、自由な結婚は近代に至るまで色濃く継承された。結婚の目的の第一義は、親族のためでもなく、財産のためでもなく、子供の育成でもなく、個人主義的な心理的充足であるという近代個人主義的友愛結婚は教会法の理念に由来する。したがって現代人の結婚観と基礎となっている西洋文明二千年のレガシー「婚姻の自由」は継承されるべきである。

 カノン法の婚姻適齢はローマ法を継受し男14歳、女12歳であるが、教会法学者はさらに緩めた。

「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]。

 結婚の第一次目的が淫欲の治療薬であるから、性行動が可能な身体的・心理的成熟=婚姻適齢でよいのである。これこそが文明的基準であった。

 米国では16歳未満であっても婚姻可能としている州が少なくないのは、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)が伝統的法文化だったバックグラウンドを考慮してよい。今日でも「婚姻は、自由でなければならぬ」という法諺が生きているといえる。

 

. 仏独型の改革でなく英米型の法思考がのぞましい

 

(1) 仏独・イスラム圏からの移民対策による法定婚姻適齢引上げの愚

 

  フランスは2008年に従前の男18歳、女15歳から、男女とも18歳に引上げている。法改正理由は男女平等と、イスラム圏からの移民が増え、未成年者の結婚が、親による強制結婚を助長しているとの非難にもとづくものであった[国会図書館調査及び立法考査局2008

 既述のとおりドイツもフランスと同様に、中東などイスラム圏の移民で、必ずしも当事者の本意でない年少者の結婚が増えていることの非難から、18歳引き上げを閣議決定したとの報道がある。

 これは、当事者の合意を重んじる西欧の結婚文化とイスラム圏の結婚慣習とが異なる文化摩擦ともいえるだろう。

 フランスに加えドイツも18歳に引き上げた例をあげて我が国もそうすべきだと、法務省は言ってくるだろうが、我国では、親の同意を要する未成年者の婚姻が、親の強制を助長する弊害という問題は起きていないのであり、中東や北アフリカから移民が多いわけでもなく事情は異なる。特にフランスは法律婚が軽視され事実婚のカップルが多数であることを考慮するなら、我が国も仏独に追随する理由はない。年少者の結婚を害悪とする人権団体に踊らされており、社会政策として婚姻適齢をいじる仏独の姿勢に反発を覚えるものである。

  むしろ16歳を婚姻適齢の基準としている英米型の、婚姻の自由を幸福追求にとって不可欠のものと考え、年齢制限に慎重な法制度に倣っていくべきだということを強く国会議員に訴えたい。

 

 (2)ニューヨーク州の婚姻適齢引上げは人権団体の突き上げによるもの

 

  アメリカ合衆国の各州法においては年少者にも婚姻の権利を付与しているケースが多いが、近年、年少者の結婚を攻撃する人権団体から挑戦を受けていることも事実である。

 1929 年以来ニューヨーク州では、1415 歳は司法及び親権者の承認を得て結婚でき、1617 歳は単なる親の同意で結婚できる制度であった。また27 州が州の法令で最低年齢未満であってもあらゆる年齢で、技術的に裁判所の承認により結婚可能であるが、ニューヨーク州は 14 歳であっても親と司法の同意を得て結婚することができる 4つの州の一つであった。ニューヨーク州では20002010年に3,853の未成年者が結婚している。

 20172月年少者の結婚に反対する民主党女性議員が、司法の許可による婚姻年齢を17歳に引き上げる法案を出し、クォモ知事も賛同したため、20176月に議会を通過し成立している。

 

 未成年者の結婚に反対する人権団体の主張は、早婚は性病罹患率が高い、結婚した者は未婚者と比較してハイスクールを中退する可能性を高める。早婚した者の貧困に陥る率が高い。早婚した女子は夫から暴力を受ける可能性が高いなどというものであるが、それが統計学的事実であるとしても、いずれの主張も憲法上の基本的権利を否定してよいほど「子どもにとっての最善の利益」を促進するものとは考えられない。人権活動家の一方的な見解であり、結婚が幸福追求の権利であることを考慮していない。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけあい、感謝し合うことの価値、それによって、人生の危機、困難が乗り越えられるのである。そうした結婚の肯定的価値を捨象し、結婚よりジェンダー論的に女子の経済的自立を優先する価値観をとっている。結婚よりも経済的自立は絶対的な価値と思えない。むしろ危険な思想で、活動家の主張によれば結婚は21歳以上であるべきだというものである。これは結婚の価値を不当に貶めているし、自己の価値観を他者におしつけようとしている余計なお世話。高校中退や貧困の可能性が高いという漠然とした理由で、結婚による幸福追求権を否定するものである。文化の多様性も考慮してない。ニューヨーク州議会やクォモ知事は人権活動家に踊らされたものとして非難してよいだろう。

 

 ()ニューハンブシャー州議会は男14歳、女13歳の婚姻適齢を維持

 

 実際ニューハンプシャー州議会下院は、男子14歳、女子13歳を18歳に引き上げる法案を20173月に否決したのである。さすがに「自由をしからずんば死を」を州のモットーとする州だと感心するものである。

 法務省あたりは18歳に引き上げたフランスの例、それに追随するドイツ、アメリカでもニューヨーク州の事例を挙げて、婚姻適齢を引き上るのがトレンドと押してくるだろうが、国会議員におかれては慎重な判断をお願いしたい。

 18歳に上げておくのが、今後人権団体やジェンダー論者のつきあげをかわすために必要というのだろうが、アメリカ合衆国の大勢は、1970年代の統一婚姻・離婚法モデルにそった16歳婚姻適齢、16歳未満でも補充規定で裁判上の承認で救うというあり方がなお標準なのであり、この点くれぐれも国会議員はだまされないようにしてもらいたい。

  以上縷々述べたように英・米・カナダ等など16歳を婚姻適齢とする立法例と比較すると、我が国政府案の16歳・17歳婚姻資格剥奪は慎重さを欠き、配慮を欠くものとかんがえる。

 

 

 

(二)16・17歳女子は社会的・経済的に未熟な段階とし、当該年齢での婚姻が当事者の福祉に反するという決めつけは根拠薄弱である

 

 1 相互扶助共同体形成が幸福追求に不可欠なものという認識に乏しい政治家・官僚

 

 家庭は、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)を中心として、未成年の子の監護養育(民法820条、8771項)や、他の直系血族の第一次的扶養(民法8771項)等が期待される親族共同生活の場として、法律上保護されるべき重要な社会的基礎を構成するものである。

 結婚し家庭を築き子どもを育てる権利が、憲法13条の幸福追求権、241項の趣旨から看取できる婚姻の自由に含まれるだろうという前提でいえば、古くより婚姻適齢として認められ、1990年代には年間3千組の当事者が存在していた、2015年には1357組まで減少したとはいえ決して無視してよい数ではない。

 法律婚の意義は配偶者の相続権(民法890条)や夫婦間の子が嫡出子となること(同法7721項等)にとどまるものではない。相互扶助の共同体を形成する意義が大きいのである。

 二人の仲が情緒的に依存する間柄であり、最も共感的な理解者が結婚相手であり、お互い励まし合い、感謝し合う仲であれば、結婚で得られるものは大きく、人生の困難も乗り越えていくことができる。男女が相互扶助の共同体を得ることにより喜びは二倍に、苦労は半減するのである。

「婚姻とは病めるとはも健やかなるときも共にあることであり、婚姻とは大義名分ではなく人生を豊かにする助けとなる結びつきである、政治的信念ではなく人生に調和をもたらすものである商業的・社会的事業ではなく二人の人間相互の忠誠である。婚姻は‥‥崇高な目的を有する結びつきである。」Griswold v. Connecticut, 381 U.S. 479 (1965[同性婚人権救済弁護団2016 237頁 2015年オーバーフェル判決が引用する夫婦の避妊具使用を禁止する州法を違憲とする1965年グリズウォルド判決を引用した部分の翻訳]

 しかも結婚はタイミングが重要である。恋愛感情の絶頂のときにスムーズに結婚するのが、最も満足感が高いものとなる。待婚を強いるのは過酷といえる。

 これは社会的に恵まれている階層よりも、そうでない階層にとってより切実で意義が大きいといえる。むろん性的アイデンティティを確立し、性欲を合法的に充足できるという結婚の意義も大きいものであり、この点はコリント前書79のとおりである。

 にもかかわらず、法制審議会や政府は、婚姻資格のはく奪、幸福追求権の否定に躍起になっているのは異常なことだといわなければならない。

 1617歳女子の婚姻資格を剥奪するからには、国民の権利を狭めるものであるから、それ自体が当事者の最善の利益にはならない、当事者の福祉に反するという、相当説得力のある理由がなければならないがそのようなものはない。また 1996法制審議会答申は「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当と考えられ」とするが、それが高校卒業の18歳に求められ、1617歳女子に婚姻適応能力がないという説得力のある根拠はなにも示されていない。また婚姻資格剥奪に賛同する民法学者の見解も疑問をもつものであり、総じて根拠薄弱であるのに権利はく奪を強行しようとする姿勢に強い怒りを覚える。

 

2.高校卒業程度の社会的・経済的成熟の要求という理由は論理性が全くない

 

()高卒程度でないと婚姻適応能力がないという見解は論理性はない

 

 義務教育終了後、進学・就職・職業訓練・修業・行儀見習い・結婚、何を選択しようとそれは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえない。

 いかに、政府が嫌おうとも幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するための当事者にとって結婚が最善の利益に役立ない、あるいは当事者の福祉に反すると立証できないのに、権利はく奪をすることは許されるべきではない。結婚という私的な事柄は、親も本人も結婚が望ましいと考えるなら結婚すべきであり、それは第三者や政府が干渉すべきことがらではないし、我が国の結婚慣習もそのようなものである。

 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、高校は生徒の多様な実態に対応できるようになっており単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。古いデータだが、1957年カリフォルニア州の75の高校で1425組の既婚高校生を調査した結果4466%が妊娠のための結婚だった[泉ひさ1975]としているが、彼女らが学校から排除されているわけではない。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない。

 16歳で結婚した三船美佳が離婚したのは遺憾であるが、しかし鴛鴦夫婦として有名だったし、16歳の三船美佳に婚姻適応能力がなかったとはいえないのである。

 この点については民法学者の滝沢聿代氏(元成城大学・法政大学教授)が的を得た批判をされているのでここに引用する。[滝沢聿代1994

「要綱試案の説明は、高校進学率の高まりを指摘し、婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるとする。しかし、婚姻適齢の制度自体がそもそも少数者の例外的状況を念頭に置いた理念的内容のものである。高校を終了したら誰でも婚姻しようと考えるわけではない。他方、義務教育のみで学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すならば、安易な現状肯定から導かれる改正案の裏付けの貧しさに不安を覚える‥‥。 高校教育修了程度の社会的、経済的成熟を要求するとはどのような意味であろうか。まさか義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力に疑問があるという趣旨ではなかろう」

 さらに滝沢氏は人口政策としても疑問を呈し、「一八歳未満に法的婚姻を全く否定する政策は、婚姻適齢を比較的高くし(男二二歳、女二〇歳)、一人っ子政策によって人口抑制を図る中国法のような方向に接近するものと理解しなければならない。それは明らかに婚姻の自由に対する抑制を意味する」

 法制審議会の趣旨、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力で婚姻適応能力を否定する見解は根拠薄弱である。

 なお、法制審議会は、未成年の結婚は性病罹患率が高い、高校中退の可能性を高める、夫から暴力を受ける可能性が高い、貧困を促す、親の強制結婚を助長しているといったような外国の人権団体のような反早婚思想を示しているわけではないが、我が国にはそうしたことは問題視されていないので理由にならない。

 むしろ高校を中退せざるをえなかった。あるいは退学させられたといった立場の女子を救う手段としての結婚に切実な価値があるとみるべきである。

 

 (2)平均初婚年齢の上昇や、年間1357組にすぎないことは、婚姻適齢引上げの根拠として論理性はない

 

 民法学者の中川淳[1993]は「社会的・経済的な家庭生活の維持という立場、一八歳という年齢設定をしてもよい」平均初婚年齢が20歳を下ることはないことなどを18歳引き上げの理由としているが、平均初婚年齢は、社会的、経済的、文化的状況で変位する変数であり、人々のおかれる社会的、経済的、文化的状況が異なるから早婚の人もいるし、晩婚の人もおり生涯未婚の人もいる。

  上記の民法学者の見解はあまりに単純で歴史人口学などを反映していない見解である。歴史民勢学ではピーター・ラスレットやヘイナルの唱えた「ライフサイクル・サーバント」という理論が著名である。サンクト・ペテルブルクとトリエステを結ぶ線より北西は前近代から結婚年齢が遅く、未婚率も高い社会だった。「ヨーロッパ的結婚パターン」は前近代においてもとくに女性が晩婚で未婚率の高い社会だった。(一方・東欧や南欧はライフサイクル・サーバントがないため早婚である)

  女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。

 具体的にいうと旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993 10頁]16世紀末から18世紀末にかけてのイギリスの村落のサンプルでは。2024歳の既婚者は男16%、女18%が既婚にすぎない。2529歳でも46%と50%であった。

 

 オーストリアの事例でも2024歳で男子の既婚者が13%を越えることはなかった。[ミッテラウアー,ミヒャエル、 ジーダー,ラインハルト1993 410頁]。むしろ産業革命後、女子の工場労働参入が持参金効果をもたらし結婚を早めたのであって、今日の歴史人口学の水準では古い時代だから早婚だったとはいえないし、逆に高度産業社会では晩婚であるべきだともいえないのである。

 しかしカノン法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳と早婚に対応しているのは、平均初婚年齢にあわせるという発想ではなく、性倫理として姦淫の総数を減らし、ふしだらな行為を避け淫欲の治療薬として、結婚を合法的な性的結合としているという理念的なものだと考えたほうがよい。

 一般論として、結婚し世帯を形成するには収入は重要であるが、各人のおかれた経済的その他の境遇はことなり、結婚するにあたっての社会的前提は、それぞれの立場で異なる。法定結婚年齢を平均にあわせる必要などないのであり、このように漠然とした理由では、幸福追求に不可欠な権利の剥奪を正当化するほどの理由とはとても思えないのである。

 

 我が国では、平均初婚年齢、生涯未婚率の上昇が人口問題となっていることは周知のとおりであり、90年代三千組いた未成年者の結婚も2015年の1617歳女子の結婚が1357組にすぎず全体の0.21%にとどまっており、圧倒的に18歳以上の結婚が多い。

 アメリカ合衆国の2014年の1517歳の未成年者の結婚が約 57,800人、全体の0.46%と比較しても少数である。しかし0.21%だから切り捨ててよいという問題ではない。民法はあらゆる境遇におかれた国民に対応できるものでなければならず、特定の社会階層の価値観から一刀両断してよいものではない。

 

 3.野田愛子氏(故人)の意見が不当にも無視された

 

 野田愛子氏とは女性初の高等裁判所長官(札幌高裁)、中央更生保護審査会委員、家庭問題情報センター理事などを務めた。法制審議会のなかでは少数派であり、婚姻適齢改正に反対、16歳・17歳の婚姻資格のはく奪に反対されていて、下記の平成4年の講演は傾聴に値するものである。

「‥‥現行法どおりでいいのではないか。つまり、婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方と、いや、男女とも高校教育が一般化した今日、教育的、社会的平等に合わせて、年齢を男女とも一八歳にするべきという考え方とあります。一八歳にしますと、女子の場合は一八歳未満で事実上の関係ができて、妊娠するという問題がある。ここに何か手当てが要るというと、むしろ一六歳に揃えたらどうか、という考え方もあります。しかし一六歳に揃えますと、婚姻による成年(民法七五三条)の問題があります。一六歳に成年となっては法律行為等においても問題ではなかろうか。それぞれにメリット、デメリットがございます。

 そこで仮に一八歳に揃えた場合には、一六歳で結婚しようというときに婚姻年齢を下げて婚姻を許すような法律的な手立てが、どうしても必要になります。各国の法制を見ますと婚姻適齢を男女同年齢(一八歳以上)にした法制の下では、必ず要件補充の規程を設けて、裁判所が許可を与えるとか、行政機関が許可を与えるとか、そういうような条文を設けている国もございます。

 そうなりますと、婚姻の問題に国家の機関が介入するということも問題ではなかろうかという議論もでてまいります。家庭裁判所の立場からは、婚姻を認めるとか認めないとか、いったい何を基準に判断するのかというようなことも一つの疑問として定義されましょう。統計的に、一六、一七歳で婚姻する者は、約三〇〇〇件あるそうです。私の家庭裁判所判事当時の経験に照らすと、一六、一七歳の虞犯の女子が、よい相手に巡り合って、結婚させると落着く、という例も多く経験しています。あながち、男女平等論では片付かない問題のように思われます」〔野田愛子「法制審議会民法部会身分法小委員会における婚姻・離婚法改正の審議について()『戸籍時報』419 18頁〕

 最後の「虞犯女子」云々の発言は実務家の経験として貴重なものであると私は思う。

 90年代に16・17歳で結婚する女子は年間三千人いた。今日は当時より減っているが、それが千三百人であれ、永く認められていた権利の剥奪は慎重でなければならない。

 「虞犯女子」は社会的に恵まれていない社会階層といえる。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、困難があっても乗り越えられる。そのような人間学的洞察からみても年少者であれ、否未成年者こそ結婚の価値は高いものであるといえよう。

 野田愛子氏のような実情に詳しい実務家のまともな意見が無視されている要因は、18歳に男女とも揃える改正は、男女平等を主張してきた日弁連女性委員会、婦人団体の悲願であり、この圧力団体のメンツを潰すことはできないという事情によるものと推察する。そこで思考停止状況になっているためである。

 ジェンダー論の観点から、16歳・17歳で結婚する女性というのは、男性の稼得能力に依存した結婚にほかならないから容認できないということになろうが、この思想に合わせることが憲法的要請ではない。形式的平等は、16歳・17歳の婚姻資格を剥奪しない形でも可能なのであるからそれを選択すべきである。

 そもそも民法は社会変革のための道具ではない。特定の社会変革思想や特定社会階層の見解に偏った改革は好ましくない。ナポレオン民法はポティエによるフランスの慣習法の研究が基礎になっていたものであり、社会変革のためのものではなかったはずである。

 

4 社会的・経済的成熟に重きを置いて定める法改正趣旨は、露骨に婚姻の自由の抑制を意図しており、立法趣旨としては不当な主観的判断といえる

 

(1)漠然不明確な婚姻の自由抑制理由

 

  そもそも私は婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)の法諺を否定する趣旨の法改正に強い反発を覚えるものである。

 

1996年法制審議会答申は、当時成人年齢引き下げが議論になっていなかったため、婚姻定例を18歳とする理由として「社会生活が複雑化・高度化した現時点でみれば、婚姻適齢は、男女の社会的・経済的成熟度に重きを置いて定めるのが相当」としているが、結局それは主観的意図的判断である。社会的・経済的に成熟した年齢とは21歳という人もいるだろうし、30歳という人もいるだろう。一方就労が可能な義務教育修了後という見方もできる。義務教育で実社会に出るに必要な知識を得ているのだから。16歳と18歳とでは大して違いない、違いがあったとしても婚姻適応能力において差はないといいうる。

 就労能力のある1617歳に稼得能力がないというのは言い過ぎで、仮にそうだとしても配偶者の一方の稼得能力、経済力、あるいは実家の経済力で補うことは可能であり、婚姻適応力がないとはいえない。

 健常者でなければ18歳以上の「成人」でも社会的、経済的能力が乏しい場合があるが、その場合でも結婚する権利が否定される理由はなく、経済的成熟度を重視する立法趣旨は結局不当な差別を生む。

 

 婚姻適応能力以上のものを求める理由が社会生活の複雑化・高度化というのは漠然としていて、具体的に何をさしているのか不確定である。16歳・17歳女子が切実な思いで結婚したいといっているのにこんな理由で、歴史的に古くから法によって認められている結婚し家庭を築く権利をはく奪し、幸福追求権を奪うのは根拠薄弱だといわなければならない。

 

 政府が社会的・経済的成熟に達しておらず婚姻適応能力がないとする根拠もなく断定する年齢、例えば17歳女子の結婚が、当事者の福祉に反する、当事者の最善の利益にならない、婚姻適応能力がないという立証は不可能なのである。婚姻の自由を妨げる合理的理由はないというべきである。

 16歳の三船美佳と40歳の高橋ジョージの結婚にしても、鴛鴦夫婦として有名だったが17年後に離婚したじゃないかというかもしれない。しかし離婚は成人どうしの結婚でもしばしばありうることであって、16歳の三船美佳に結婚適応能力がなかったとか、当事者の最善の利益に反する結婚だったということはできないのである。政府、法務省がそういい募るなら、高橋ジョージ氏に大変失礼なことになると思う。

 16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、憲法13条の幸福追求権、人格的利益、141項の法の下の平等、241項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性においてもかなり問題があるというべきである。

  

 

() 社会的・経済的に成熟しなければ結婚してはいけないというのも実は偏った思想である

 

 法制審議会の主張する「社会的・経済的成熟度に重きを置いて定める」とする思想は偏っているし、重きを置いてという言葉に婚姻の自由を抑制しようとする法改正意図が露骨に強調されている。ジェンダー論者など特定のイデオロギー的立場を背景にしていると考えられる。

 結婚はたんに、近代個人主義友愛結婚の提唱者ミルトンのいうような孤独からの救済、慰めと平穏と生きる力を得るための目的であってもよいはずで、社会的・経済的成熟度という前提でないと結婚できないと定める発想は、個人主義的心理的充足のための結婚を否定しているとも思え、国民の結婚の価値観に対する不当な干渉である。

 今日結婚の目的は多義的なものとなっており、「社会的・経済的成熟度に重きを置いて定める」は特定の見地の偏重であり、これを1617歳女子の婚姻資格、幸福追求権を剥奪する理由としては甚だ根拠薄弱といわなければならない。

 結婚する理由づけは多義的であってよいはずだ。筧千佐子被告のように、財産目当ての結婚であっても自由であり、殺人それ自体は犯罪であっても、財産目当てで愛はみせかけだとしても結婚は自由である。にもかかわらず純粋な恋愛で結ばれようとする男女の結婚を妨げる理由はないのである。16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、幸福追求権、人格的利益、141項の法の下の平等、241項の両性の合意のみに基いくしする婚姻の自由、24条2項法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性からみても問題があるというべきである。

 伝統的な結婚するための理由づけとしては、カトリック教会を引用すると、トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]結婚の理由づけは、上記の3つのうち1つでよいというのである。

  また、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化されている。

 神学的には社会的・経済的成熟は結婚の要件では全くないのである。

 カノン法はローマ法の男14歳、女12歳の婚姻適齢をさらに緩め、性的成熟に達していたら、婚姻適齢以下のたとえ10歳でも婚姻適齢としたように婚姻の自由にこだわったのは、結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書72節,79節(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視したためである。remedium concupiscentiae 淫欲の治療薬と公式化された。ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないとした。

 トレント公会議以降は、淫欲の治療薬としての結婚は第一義的目的になっていないが、聖書的根拠が明確なので外されることはない

 キリスト教の教説から離れて、発達心理学的にみても「情欲の緩和」は結婚目的の一つとして肯定できる。たとえば青年心理学者の次のような見解である。

「結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義がある。フロイト(Freud,S.)によれば性欲は乳幼児期(口唇期、肛門期、男根期)においてすでに発達するということであるが、一般的には思春期を迎え、脳下垂体、副腎、生殖腺(睾丸、卵巣)からそれぞれのホルモンが分泌されるようになり、その結果性欲は生ずると考えられている。モル(Moll,A.)によれば、性衝動は生殖腺に根源をもつ放出衝動と接触衝動の2つの独立した要素から成り、この2つが結合して完全な性衝動になるという。エリス(Ellis,H .)は性的過程を充盈作用と放出作用の2局面をもった過程であるとして、この過程には循環的、呼吸的、運動筋肉的機能を伴い、この過程の修了は条件が揃っていれば、休息観、解放感、満足感、安心感を伴い元気が倍加されるという。

 性欲が適度に充足されない時、不眠症、機能低下、興奮症、頭痛等の症状や漠然としたヒステリー及び神経症の徴候をもたらすことがあり、更にせっ盗、放火、強姦、殺人等犯罪をひきおこすこともあるといわれている。尚性的欲求不満には性差があり、男性は身体的な不満、即ち射精が意のままになされ得ないときに不満を感ずるのであり、女性には感情的な不満、即ち愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できない場合が多い。そして以上のような性的不満を合理的に解決する方法は性的夫婦が適合した結婚をすることである。しかし性的適合性には身体的心理的要素が複雑にかかわりあって居り、夫婦の相互協力によりその達成は大体可能であるが、時にはその限界を越える場合もあり、しかも婚前にその適、不適の予測が困難であるため問題になりやすいのである」[泉ひさ1975

 私は以上のように、淫欲というものがアダムの罪により人間の経験に入ったものであれ、どうであれ、避けることができないという認識から、また発達心理学、精神医学的観点からも性欲を人間の重要な一部分とする人間学的洞察にもとづき、その合法的解決策としての結婚、remedium concupiscentiae淫欲の治療薬という結婚の目的とする、キリスト教の教説、それは一宗教の立場をこえて文明的価値として護持すべきという考えであり、結婚年齢の引き上げに反対である。

 結婚は性欲を社会的承認のもとに充足できる点において意義があるとするならば、あるいは、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求を結婚の目的として重視するならば、社会的・経済的成熟が必要という漠然不明確な理由から、結婚が妨げられる理由はないはずだ。 

 

(3)もともと婚姻適齢に自由主義的だった我が国の伝統に反する

 

 翻って考えるならば我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、ただし数え年なので実質、ローマ法やカノン法の14歳・12歳とほとんど同じといえる。

 明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979

 明治民法(明治311898施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と定めた。女子15歳は医学上の母胎の健康保持のため適切との見地による。それは一応合理的な立法理由となっている。

 医学が発達し、女子の体格も栄養状況も良くなった今日、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。

 戦後民法の男子18歳、女子16歳は、アメリカ合衆国で多くの州がそうだったとしてたんに法制の継受にすぎない。

 筆者は、婚姻適齢法制のなかった明治前期の意義も大きいと考えており、挙式を要求せず、離婚も協議離婚で容易な我が国の婚姻法制は、欧米と比較しても自由主義的であり、民間の婚姻慣習を尊重しているといえるのであり、この伝統から婚姻適齢に関しても、政府の不当な干渉は好ましくないと考える。

 

(4)庶民の家族慣行に適合させることを重視している我が国の家族法の伝統にも反する

 

 明治民法についても庶民の家族慣行を尊重している立法趣旨が伺えられるのである。それは逆縁婚の合法化で明確だと思う。

 亡妻の妹と再婚することを順縁婚、人類学ではソロレート婚、亡兄の嫂を娶ることを逆縁婚、人類学でレヴィラート婚という

明治前期、逆縁婚が禁止されていた時代があった(明治8年太政官布告)。[山中永之佑1957]逆縁婚は士族の家族慣行では儒教倫理に反し許容できない。

 しかし明治民法起草者3名のうちもっとも開明的な梅謙次郎が、庶民の家族慣行では、逆縁婚により家継承が円滑になされることを知っており、民法は庶民の慣習に適合すべきとして士族の筋目論を排除した。

 貞女は二夫に仕えずという儒教倫理よりも家継承が重視されるのが日本の庶民の家族慣行であり、明治民法では庶民の家族慣行を重視し順縁婚、逆縁婚とも合法としたのは大英断であったと考える。というのは、戦争未亡人の多くが逆縁婚で再婚し、家を継承しているのであり、無用の混乱を回避できたのである。

 順縁婚は、逆縁婚ほど問題にはならなかったが、西洋では教会法によって近親相姦として禁止され、イギリスやフランスでは死別でなく離婚後の順縁婚を禁止していた。近代化にあたって、西洋のような立法政策もありえたのであるが[廣瀬隆司1985]、やはり入夫婚姻(聟入)のケースで妻が死亡したとき、聟がそのまま亡妻の妹と再婚して家を継承することはありうることであって、庶民の慣習からみて順縁婚合法も妥当なものといえるだろう。

 明治民法制定より以前には夫婦同氏も庶民では普通の慣行となっており、明治9年の太政官指令を覆したともいえるが、そのように、家族法とは、国が上から目線で支配階級の家族慣行を国民に強要するものではないのであり、民間の慣習に合致することを重視していた。

 しかし、今回の1617歳女子婚姻非合法化は、あつかましくも高卒程度の社会的・経済的成熟の要求という、上から目線のもので、庶民の婚姻慣習を重視していたこれまでの家族法の立法思想とも違和感がある。

 

(5)婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)の法諺を否定するな

 

 ローマ法、教会法、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳・女12歳であり(20世紀の教会法新成文法典は男16歳、女14歳だが、ここでは議論から外す)唐永徽令、日本養老令は男15歳、女13歳であるが数え年なので、実質ローマ法と同じことである。

 14歳と12歳は概ね思春期(破瓜期・第二性徴期)に近い年齢で、身体的・心理的性的成熟を指標としたものと理解できる。ローマ法の当初の目的は別として、教会法は早熟は年齢を補うとしていたことから、法によって婚姻年齢をコントロールしようとする思想はないとみるべきである。

 しかし歴史民勢学の成果で近年では前近代社会でも平均初婚年齢は高かったことが指摘されている。

 「ヨーロッパ的結婚ぱパターン」は 女性が平均で20代半ばで初めて結婚した。性的成熟から結婚までの10年間は奉公人として働いて結婚の準備をした。旧ヨーロッパ社会では、家を持つことのできる人だけが家族を持つことができた。つまり貴族・市民・農民は結婚できたが、手工業職人や下男などは結婚は困難だった。

 我が国でもなるほど持統女帝(鵜野皇女)は13歳、光明皇后(藤原安宿媛)は16歳での結婚だが、奈良時代の一般の庶民の女性は20代なかばが普通だったということは歴史家が明らかにしていることである。

 つまり、人が結婚する年齢はその人の置かれた境遇、社会的・経済的地位によって低くも高くもなるし、持参金や花嫁代償の用意が必要となる。財産や収入がなければ結婚できないのが世俗的なならわしなのである。

 しかし法は、とくに教会法が理念的に明確であるが、世俗的・経済的な要件で拘束しないものとした、親や領主の同意要件を明確に否定した。

 結婚に伴う財産移転など世俗的慣習は地域差もあり、社会階層によっても異なるため、普遍的統一法は、世俗慣習を超越して、婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺のとおりのものとしたのが教会法である。

 教会法では性倫理として姦淫の総数を減らし、子供を私生児にすることを避け、ふしだらな行為を避けるための淫欲の治療薬として、結婚を合法的な性的結合としているのだから、結婚を妨げることは、姦淫や不品行を認め、嫡出子になるべき子供を私生児にすることを認める。性倫理を崩壊させるだけでなく、結婚が秘跡として恩恵をもたらすものである以上妨げる理由は何もないであって、理念的にも、性的成熟に達していれば婚姻適齢とする考え方である。

 社会的・経済的成熟というものは、世俗社会の指標であるが、結婚本来の目的とは別なので年齢を制限する理由としてないのである 現実には人は境遇によって結婚は自由とは言えないが、法は結婚は自由でなければならないとするのである。

 法において婚姻が自由であるべきというのは、法は経済的事情や社会的地位というものを婚姻を制約しないという理念であり、それによって、個人主義的友愛結婚というものが成立したのである。

 私は、法の理念としては教会法がより明確であるが、世俗立法であっても社会的・経済的成熟といったもので過度に拘束するあり方はとるべきではない。

 相互扶助の共同体と合法的な性欲充足としての手段としての結婚は万人にとって自由なものであるべきで、社会的地位・。経済的成熟というものを持ち出して制約する立法は、国民の親密な人間関係を築く権利に干渉することになるので避けるべきである

 

 

文献表(引用・参考)

 

 

第二章 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理

   (成人年齢で権利能力の付与を一元化する発想は極論である)

 

 今回の民法731条改正は、1996年法制審議会手答申を下敷きにしているものの、ひとつ違うのは、当時は20歳成人年齢が前提だったが、今回は、成人年齢18歳引き下げに伴う法改正で、この際、成人年齢と婚姻適齢を一致させ、成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止するというものである。

 成人年齢が18歳に引下げられる以上、1819歳の同意要件は不要ということについてあえて異議を唱えないが、私の修正案は、男女を問わず配偶者が18歳以上なら、16歳以上で結婚可能とする案であり、形式的平等を達成しつつ、現行法制どおり、1617歳女子も結婚を可能として婚姻資格剥奪という野蛮はやめ、十分配慮のいきとどいたものにしようというものであり、成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉も廃止しないというものである。

 民法学者に多いのが、成人擬制と親権者の同意要件を廃止して、婚姻適齢を成人年齢と一致させるのがシンプルな法規定で合理的という見解であるが、私は大反対である。

 シンプルだから良いなどいうのは暴論である。未成年者は、成人より広範な規制を受け、憲法上の権利も制約されるというのは一般論であるとしても、しかし成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者を子供扱いすることには問題がある。一定の未成年者は、一定の事項について成人と同等に扱うことも考慮されてしかるべきであるということは一般論として認められる議論であり、婚姻の権利については、個人の幸福追求に不可欠な意義を有するものであり、成年擬制制度もこれまで問題を生じることなくつづいてきたことであるから、なおさら重視されなければならない。以下、その理由を記す。

 

(一) 45州の成人年齢が18歳であるアメリカ合衆国にも婚姻による成年擬制制度がある

 

 アメリカでは1971年の憲法修正26条1項で「18歳以上の合衆国市民の投票権は、合衆国または州により、年齢を理由として剥奪、制約されない」と定められているが、成人年齢は統一化されてない。

 米国の成人年齢は45州が18歳、コロラド、ミネソタ、ミシシッピが21歳、アラバマ、ネブラスカが19歳である。コモン・ローの21歳を墨守している州もあり、選挙年齢と成人年齢が違っていても別によいわけである。

 もちろん婚姻適齢と選挙権は別の問題であり、すでに述べたように米国では16歳を婚姻適齢とする州が三分の二以上を占めるが、16歳未満でも要件補充規定で裁判所の承認等により未成年者でも結婚は可能としている州が多い。

 

 米国の各州法では我が国の成年擬制と同じ未成年解放制度があるのである。

婚姻、妊娠、親となること、親と別居し自活していること、軍隊への従事等を理由として原則として成年として扱うのである。(原則としてというのは刑法上の成年とはみなさないこと、選挙権、アルコール、タバコ、小火器の所持、その他健康・安全に関する規則では成年とみなされないという意味)。[永水2017

 したがって、米国の立法例からみて成人を18歳に下げても婚姻による成年擬制があって当然よいのである。

 

(二)伝統的には成人年齢と成熟年齢を分けていた

 

 法制史的にみれば、西洋では成人年齢とは別に成熟年齢を設定している、教会法は成年期を満20歳と定められているが、これと別に成熟年齢があり男子14歳、女子12歳であり、未成熟者の7歳以下を幼児と区別するのである。婚姻適齢や証拠法上の証人は、成年より低い年齢を設定している。ローマ法も同様の規定である。

 

(三)16歳で大人扱いするスコットランド法

 

 現代のスコットランド法では成熟年齢の男子14歳女子12歳未満をpupilといって法的能力は極めて限定されるが、それ以上成人の18歳に満たない範疇をminorといって16歳で何人の同意なしに婚姻できる重要な能力をもつというように、成人年齢で権利能力の付与を一元化するという発想をとっていない。[平松・森本1991]

 スコットランド法の特徴は、16歳であらゆる契約締結能力をもたせており、12歳以上で遺言の作成、弁護士に代理を支持する能力を持つとする。スコットランドでは男女とも親の同意要件なく16歳で婚姻適齢であることはすでに述べたとおりである。

 これは婚姻に親の同意要件を認めない古典カノン法がが「古き婚姻約束の法」として近代まで生ける法だった伝統に由来するものと思われる。グレトナ・グリーン結婚の結婚風俗で知られるとおり婚姻の自由の聖地としての国の誇りを看取することができる。

  私はスコットランドの法制を特別支持するわけではないが、自由な結婚の理念を現代まで継承している点で特筆に値する。

 

(四)16歳未満がchild1617歳のyaungと明らかに区別するイングランド

 

 イングランドにおいては同じ未成年であっても16歳未満がchild1617歳のyaung

personでは明確な線引きがあるのが特徴である。

 有効な意思確認は12歳以上、ヘッドギアなしの乗馬14歳以上、婚姻16歳以上(親の同意要、スクーターの運転16歳以上、避妊ピルの購入16歳以上、宝くじの購入16歳以上、オートバイ、自動車の運転17歳以上、飲酒は購入が18歳以上だが、親の責任下で自宅での飲酒は16歳以上、喫煙も購入は18歳以上だが喫煙自体は16歳以上となっている。[田巻帝子2017

 なお、イングランドは義務教育が16歳までであるから、婚姻適齢と重なる。私は英国の制度が必ずしも良いとは思ってないが婚姻適齢に関する限り妥当であると考える。児童福祉法の定義で18歳未満はすべて子どもでなければならないというような、我が国にみられる考え方が杓子定規である。

 

(五)成人年齢でなにもかも一元化するのは不合理

 

 我が国の伝統社会(中世以降の臈次成功制宮座)において座入り、烏帽子成、官途成、乙名成と、段階的な通過儀礼があって村人身分の標識となっていた。[薗部寿樹2010]、烏帽子成は元服に相当するが、本当の意味で村人として責任のある地位につくのは官途成と考えられる。人間は成長し段階的に大人としての権利と責任を負うようになるというのが普通の考え方である。したがって、成人年齢になにもかも一元化してしまうのは本来不合理なものである。

 なお、多くの人が誤解していることであるが。元服式とは、本質的には父の地位の継承者であることを明らかにする儀式であり、添(副)臥のような性行為がなされ、そのまま妻となることもあったが、平安中期以降、貴族の元服叙爵が低年齢化したことをもって成人年齢が引き下がったとみるべきではない。

 わが国の元服儀礼は、天皇とその周辺から政治的社会的地位の確立過程で出現したものである。

位階は王権との距離をあらわし本来律令では臣君に仕えて忠をつくし功を積んでから授与されるものであった。

 令制の蔭位資格者は、五位以上の子に限り21歳で、蔭位の特権のない者は初叙年齢25歳以上、この位階授与原理は8世紀には遵守され、勅授すら21歳にほぼ蔭位どおりに授与され、祥瑞出現の特例でも20歳だった。

 令制の本来のあり方では21歳以上が今日でいう成人の概念にあたるとみてよいだろう

 一方、戸令聴婚嫁条男15歳女13歳(唐永徽令の継受)が婚姻適齢であることはすでにのべたとおりであり、それが成人年齢ではない以上、成人と婚姻は別の問題とすべきであろう。

 元服と叙位は別であるという原則が破られたのは9世紀末期以降である。

藤原時平は仁和二年(886)正月二日仁寿殿において「天皇手ずから冠をとって」元服儀礼が行われると同時に正五位下に叙位(初叙叙爵)がなされた。位記には「名父の子、功臣の嫡」と叙位理由が記載され、こののち元服儀礼は父の功績、政治的社会的地位の父子継承表明の性格が濃厚なものとなるのである[服藤早苗1991

 なお、江戸時代には元服が男15歳、女13歳とされているのは戸令聴婚嫁条の婚姻適齢

の影響という説があるが、婚姻適齢に達したとしても、現代の成人式とは意味の違うものと理解すべきである

 適切な例とはいえないが例えば映画の観覧制限はもともと成人年齢とは関係ない、ピンク映画は18歳未満観覧制限だが、PG12指定、R15指定と段階があるはず。そうした事例からしても成人年齢での線引きに一元化することにこだわる理由はない。

 米国では証拠法や医療などで「成熟した未成年者の法理」がある。成人年齢に基づく区分のみでは、未成年者の年齢差や個人差を考慮しえないし、年長の未成年者の権利能力をことさら否定し子供扱いすることは全く不当といえるのである。

 私の提案は、未成年者の結婚は親権者の同意要件を継続させるというもので、未成年者のオートノミー・自己決定を重視しすぎるものではないから穏当なものであると思う

 

(六)法律家だけでなく、発達心理学的見地、精神医学、人間学的洞察の必要性

 

 結婚の権利のはく奪という深刻な問題に際しては、法律家だけでなく発達心理学、精神医学、人間学的洞察にもとづく慎重な判断でなければならない。性欲も人間性の重要な一部分として認識するならば、思春期以降の女子の性的欲求を是認した議論でなければならない。女子は性的欲求において、愛情の損失や失望による不満が多い。故に男性は性交によらなくても自慰によって性的不満を解消できるが、女性は対人関係によるのであり自分には容易に解決できないのであり、性的欲求と愛情欲求を満足させるだけでなく生活の支えとなる若年者の結婚を否定すべきではない。

 今回の改正案は性的に早熟な女子に対する敵意が看取できるが、性的に乱交傾向のある少女は、性的同一性の発達課題からみるべきであって、相手を独占できる結婚は情緒的に安定するので、結婚という選択肢を否定するのは酷である。

 特に女子は妊娠するのである。この点について、婚姻適齢を引上げても非嫡出子の法定め相続の差別は廃止され婚外子となっても不利益はないから問題ないとの主張がある。しかし法律婚制度をとっている以上、嫡出子となるべき子供をみすみす婚外子にしてしまうという議論はおかしい。嫡出子でも婚外子でもどうでもよいという議論は、乱暴である。少なくとも当事者の利益に寄り添った見解とはいえない。

 また農山村や離島において今なお古風な婚姻慣習がなされている可能性はあり、民法は国民全体に適合的なものでなければならない。

 

(七)18歳未満の第二級市民化のおそれ

 

さらに18歳での権利設定一元化は、18歳未満の第二級市民化を促すということである。18才未満は憲法上の権利を享受しえない、第二級国民に貶められる危険性である。すでに青少年保護育成の観点から18歳未満のJKビジネス就労規制、セクスティング規制の政策が打ち出されているが、これまでは婚姻適齢が16歳だったから通常の恋愛について政府の介入を防ぐことができても、婚姻適齢から外されることにより今後18歳未満ということで、死語となったはずの桃色遊戯として非行とされ、性行動の規制の口実として強化されることを強く懸念する。恐ろしい時代になりかねない。18歳以上は大人、未満は子供なので無権利でいいという極端な合理主義的思考に反対する。

 歴史的にみても1617歳の女子は性的に成熟し婚姻にふさわしい年齢であったはずである。(次章参照)

 

文献表(引用・参考)

 

第三章 婚姻の自由の抑制に強く反対

(一)1617歳女子に求婚し結婚した学者・偉人たち

 

 政府の法改正案は、たんに1617歳女子の婚姻資格はく奪というだけではない。男性にとっても1617歳女子に求婚し結婚する権利をはく奪するものである。これは男性にとってもかなり痛い権利喪失になる。

 1998年タレントの高橋ジョージが24歳年下の16歳三船美佳と結婚したことはこれまでは正当だった。2015年離婚したとは言え、長年鴛鴦夫婦としてよく知られていた。三船美佳もタレントとして成功している。法改正されれば今後はこのような法律婚が否定されるのみならず、経過的内縁関係も、政府が婚姻適応能力がない年齢と定める以上、世間から袋たたきになる可能性がある。

 しかし1617歳女子と結婚ないし婚約した学者・偉人は決してすくなくないし、いずれも歴史上の大人物である。したがって1617歳に求婚する男性をバッシングしなければならないというなら、以下のような1617歳女子に求婚・結婚した偉人・思想家も非行だったということになり、その業績も否定され焚書しなければならないことになる。それは全く理不尽である。

 

1 ジョン・ミルトンの初婚の女性メアリー・パウエル(16歳とも17歳ともいわれる)

 ジョン・ミルトン(John Milton, 1608 1674)は、長編叙事詩『失楽園』や『言論の自由』などの散文で著名である。ミルトンが33歳の時、16歳の美女メアリー・パウエルと結婚した。〔平井正穂1958、ただし17歳とする論文も多い]性格の不一致で『離婚論』執筆の動機となった女性として知られている(死別)。

 

2 コトン・マザーの初婚の女性アビゲイル・ フィリップス16

 

 植民地移住第三世代の宗教指導者コトン・マザー(Cotton Mather, 16631728)は23歳の時アビゲイル・ フィリップス(Abigal Philips, 1670170216歳を妻に迎えている。彼女は16年間で11人の子供を出産したが、31歳で死亡したときに生き残っていた子供は4人だけだった。

 当時のニューイングランド清教徒の社会は、早婚・多産・多死型で、女性は結婚して閉経まで約26ヶ月に1度、平均10回前後、出産 を繰り返していたという。[佐藤哲也2012

 

 3 エマーソンの初婚の女性エレン・ルイザ・タッカー17歳で婚約、18歳で結

 

 エマーソン(Ralph Waldo Emerson18031882年)は自恃の精神を説く超絶主義哲学者であり、アメリカ最大の思想家ともいわれる。初婚の女性エレン・ルイザ・タッカーは、婚約時17歳だった。

 エマーソンは18281224日付の兄ウィリアム宛の書信で次のように婚約の喜びを率直に語っている。

 「‥彼女は、並み居るお嬢さんの中でも申し分なく美しく立派な方です。‥‥彼女は17歳で、誰でもその美しさにかけては異論はなく、彼女の感性はデリケートで高貴です。私はお兄さんに彼女と会っていただければと思うのです」

婚約ののち、エマーソンはボストン第二教会で公職を得た。しかし彼女は婚約後結核と判明したのである。喀血する病人となったにもかかわらず結婚。南部へ転地旅行の甲斐なく彼女は20歳で死亡、悲しみのあまり墓を掘り返したというエピソードが知られている。

 エマーソンの結婚について舟橋雄氏は次のようにコメントした「学者の結婚ばかり危かしいものはない。浮世をよそに学問に没頭して、値打ちのないものを高く評価する。ミルトンの失敗にもなお懲りず、ウェスリの殷鑑をも顧みず、無論彼等の妻のような悪妻でないにしても、みすみす病者を妻としようとするエマーソンの高潔さもことによりけりである。」{市川尚久1994 7072p}

 

 (なお舟橋の言及するメゾジスト運動の指導者であるジョンウェスレー(John Wesley1703 1791)はジョージア伝道の際、現地のソフィア・ホブキー Sophia Hopkey との恋愛事件を起こしている。彼女は18歳で親密となったが、ウェスレーは伝道者としてパウロのように独身聖職者でいたいとの気持ちもあり、煮え切らなかったため彼女は突然別の男性と結婚した。ウェスレーは牧師として彼女を陪餐停止処分にした 。彼女の夫から名誉毀損で訴えられ逮捕された。このためにジョージア伝道を撤退したのである。)

 

 4 ジョン・マーシャル・ハーラン判事の妻マルビナ・シャンクリン15歳に求婚し2年半後に結婚

 

 John Marshall Harlan ( 18331911合衆国最高裁判事就任は1877)は、列車座席の黒白分離を合憲としたプレッシー対ファーガソンPLESSY v. FERGUSON, (1896)判決で、ただ一人、強硬な反対意見を記し、「法は体色で人を区別しない」「わが憲法は色盲である」と言ったことで「偉大な少数反対意見裁判官」と称される、黒人解放の先駆者であるが、旅行中に出会った15歳のマルビナ・シャンクリンに求婚し2年半後に結婚している。良妻であり内助の功のある妻としてエピソードが知られている[桜田勝義1973]。

以上、いずれも英米の事例であるが、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳女12歳であり、これはローマ法や中世教会婚姻法も同じであるから、1617歳の結婚はもちろん合法である。これほど偉大な人物の業績を否定することはだれもできないのであるから、英米では16歳で結婚可能な婚姻法制であるともいえるのである。

 

(二)我が国の法文化・婚姻慣習・習俗からみて女子18歳は不当に高すぎる年齢だ

 (伝統社会で婚姻適齢は13歳、娘盛りは14~17歳とみなすのが妥当)

 

1 令制男15歳・女13歳は広義の自然法として評価する見解があり、徳川時代まで婚姻適齢としての意義を有していた

 

我が国の婚姻適齢法制の変遷は以下のとおりである

 

〇令制 養老令(戸令聴婚嫁条) 男15歳女13歳(唐永徽令の継受)

〇明治初期より中期 婚姻適齢の成文法なし

 改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

〇明治民法(明治311898施行)は婚姻適齢男17歳、女15歳。女15歳は母胎の健康保持という医学上の見地。

〇戦後民法(現行)男18歳、女16歳は、米国の多くの州がそうだったため米法継受である。

 

令制の婚姻適齢については、高島正人「令前令後における嫡長子相続制と婚姻年令」『対外関係と社会経済』塙書房1968所収という論文を評価する。

 周知のように養老令(戸令聴婚嫁条)は婚姻年齢に関して「凡そ年十五、女年十三以上、聴婚嫁」と規定され、大宝令も同様だったとされている。これは唐永徽令を継受したものであるが、唐令継受をどう解釈するかという問題である。

 この論文の前半部分では利光三津夫の「奈良時代の婚姻年令法について」『律の研究』1961明治書院の批判である。

 利光三津夫説

1 奈良時代の庶民層の結婚年令は男子は平均27才強、女子の平均23才強であり、従来の早婚の風が行われていたという定説を否定。

2 唐永徽令は早婚奨励を目的としたが、日本では早婚禁止や奨励という目的は追わず、この時代の為政者が唐国の文化に心酔し、唐令の条文を模倣し法典の体裁を整えるためのものであった。

3 しかしこの律令婚姻年令法は平安鎌倉時代の貴族武家の思想に影響し、江戸時代においてさえ男子は元服は15才、女子は13才を標準年令とした。

4 とはいえ、この婚姻年令法は当時一向に行われず、庶民階級の婚姻年令の習俗に影響をあたえていない。

 これに対して 高島正人説

1 早婚に風なしとする利光氏の主張は認めるが、しかし十代の結婚も少なくなく、女子の一割は13~14才で結婚していることから、律令の規定はたんに唐令を模倣したものではなく、我が国の実情、習俗そのものをふまえたものといえる。また男子15才・女子13才という婚姻年令は、身体発育、一切の生活環境から自然に生まれた広義の自然法によって招来された婚姻年令という見方を示す。

 美濃国、筑前国、豊前国、山背国、下総国等の戸籍を分析しているが、美濃国と九州の庚寅年(690年)~大宝二年ではこうなっている。

 男子 美濃国127例、九州34例

    30才以上  21.1%

    25~29才 24.3%

    20~24才 39.1%

    15~19才 15.5%

 女子 美濃国103例 九州52例

    30才以上  14.8%

    25~29才 15.5%

    20~24才 32.9%

    15~19才 25.8%

    14才以下  11.0%

2 庚寅年以後は通常男子は15才女子は13才以上で結婚していることから、律令の規定は一般によく実行されていた。

 高島正人説に同調するものである。特に「身体発育、一切の生活環境から自然に生まれた広義の自然法によって招来された婚姻年令」という見解はグローバルスタンダードに言い換えることもできる。

 実際ローマ法とそれを継受した教会法が男子14才、女子12才だが、東洋は数え年なので、唐永徽令・日本養老令とほとんど同じことであり、ローマ法・教会法・大唐帝国永徽令・日本養老令はほとんど同じ世界標準であった。イギリスは宗教改革後も古典カノン法の教会婚姻法が古き婚姻約束の法として生ける法として継続した経緯があり、コモンローも男子14才、女子12才である。なお、20世紀になってから教会法は男子16才・女子14才、現在のイギリスは法定婚姻年令男女とも16才である。

 

 古法を侮るべきではない。身体発育、一切の生活環境から自然に生まれた広義の自然法としてよくできている。婚姻適齢を引き上げれば、若いが身体的には成熟している女性への求婚行動は委縮せざるをえず、婚姻の自由は抑制されることになるがそれは自然法にも反するものである。

 

 

2 「女の盛りなるは、十四五六歳‥‥」という有名な今様がある

 

 後白河法皇が編者の歌謡集『梁塵秘抄』(1180年頃)巻二394番「女の盛りなるは、十四五六歳、廿三四とかや、三十四五にし成りぬけば、紅葉の下葉に異ならず」は歌謡研究者にはあまりにも有名な今様だが、結婚適齢期の女ざかりは1416歳とするのである。[渡邊2004 165]。もっとも民謡では十七八歳が女ざかりとするものが多いとされる[植木1999]。女の肉体の輝きを謳歌するのは数え年なので1617歳といえるのである。

 

3 民間習俗では裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝等が女子の婚姻資格を取得する通過儀礼

 

 民間の習俗としては、子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。端的にいえば赤い腰巻を着用した娘は成女であり、早乙女が赤い腰巻をチラリとみせるのが日本的エロティシズムの原風景であり、それは娘が婚姻資格のある一人前の女となったことの誇示を意味していた。中世の武家は9歳で鉄漿つけ、眉毛を抜いて元服をしたというが、17世紀頃は、「十三鉄漿つけ」の語の伝存するように、満年齢の1112歳初潮をみるころが折目とみられる。十三参り、十三祝は初潮をみての縁起習俗とみられる[渡邊2004 142-143]。成女式は徳川時代よりおよそ1314歳とみられる。13歳を成女とするのは令制の婚姻適齢の影響との説はすでに述べたとおりである。徳川時代の皇族の裳着は16歳、近代の対馬の成女式が17歳とされ比較的高い年齢といえる。また若者と娘の歌垣など集団見合いその他の土俗などは古くから知られていることである。例えば中山太郎という民俗学者がいるが、若者と娘と恋愛等の土俗に関して、多くの事例を蒐集していることでよく知られているがここではいちいち引用しない。

 従って1617歳女子は女さかりとして肉体の輝く時期であり古くより成熟した年齢であり結婚するに相応しい、婚姻適応力のある年齢とされてきたのである。

 

4 江戸の三美人の年齢

 

 江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鍵屋は父親の五兵衛が建てた単にお茶と菓子を出すだけの純喫茶、社務所直営の健全な水茶屋であるから、講談などの色恋沙汰は創作なのであって、本物の清純派アイドルといえる。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。

お仙は1112歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。

 要するにアイドルとしては13歳ころから評判となり、人気絶頂の19歳で引退している。

 寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、両国薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは煎餅屋の内儀で既婚者である。おきたより1歳年長だった。従って寛政の三美人とは1617歳である。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。[佐藤要人1993

 従って娘盛りは1617歳という認識をもってよいと思う。1819歳はアイドル引退の年齢なのだ。

 幕府の人口政策で農村からの流入を防止したので、江戸は幕末・維新期には男女同じ比率となっていた。大坂は大店が大量の未婚の奉公人を長期に抱え込んでいたのに対し、江戸では未婚の奉公人は、独立自営者となるケースが多く、幕末から明治の東京は結婚しやすい都市だったと考えられる。

 

 

5 江戸文学における美人の年齢

 

板坂則子[2017]より引用する。江戸初期の仮名草子『恨の介』は若者が近衛家の養女に一目ぼれする話だが、「年来ならば十五か十六と見え給ふ」とある。『薄雪物語』の薄雪は「御歳十六七」。

 江戸後期では南仙笑楚満人の黄表紙『敵討義女英』で恋のため自ら命を絶つ小しゅんは、「年のほど二八(二かける八で十六歳)ばかりの美しい娘」と紹介されている。人情本では、為永春水の代表作で『春色梅児誉美」のお長は「湯あがりすごき桜色、年はたしかに十六七、ぞうとするほどの美しき姿」とされ、やはり美人といえば1617歳が相場なのである。 

 

6 明治前期の東京は早婚で離婚率も高かった

 

 江戸および明治東京の庶民史研究者の小木新造氏(元江戸東京博物館長)によると、187080年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している[小木1979 287330頁]

 

 明治民法(明治31年、1898年施行)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。

 松村操『東京穴探』明治14年によると、東京の中等以上の資産を有する者の子女は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とある。

東京現住結婚年齢者対象表

『東京府統計書』

明治17年

       男    女

14年以下   11  128

15年以上  604 2740

20年以上 1880 2691

25年以上 2679 1496

30年以上 1607  811

35年以上  871  442

40年以上  略    略

 小木前掲書309頁

 この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈は実態に即したものといえる。

 また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。

 

7 明治期東京において娘盛りとは15歳から17歳であったという決定的証拠

 

 小木新造は明治期東京における娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』明治11年を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。

これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は

13歳  5人

14歳 11人

15歳 24人

16歳 19人

17歳 31人

18歳  2人

19歳  5人

20歳  0人

21歳  1人

 小木前掲書310頁以下

 98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。

 15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって女性がもっとも魅力的な16~17歳が婚姻適齢から外すことは自然に反したものであり18歳に引き上げることは適切なものではない。

 以上、考察したとおり我が国において伝統的に婚姻適齢は13歳以上、娘盛りは1417歳とみなすのが妥当であり、娘ざかりとして最も女性が美しく肉体が輝く1617歳を婚姻適齢からはずすのは全く不当なものといえる

 

 

 

()婚姻の自由の抑制と憲法問題

 

1 再婚禁止期間違憲訴訟の判断基準に照らして違憲の疑いがあ

 

 の考えでは、16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、憲法13条の幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、24条2項の法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性にいずれも反していると判断するのでその理由を述べる。

 またわたくしの修正案は、成人年齢を18歳に引き下げる前提で男女とも結婚相手が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正するというものである。

 つまり16歳-16歳はだめだが、男女いかんにかかわらず配偶者の一方が成人の18歳であれば18歳-16歳で結婚可能とする案であり、加えて未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)も継続すべきという主張である。

 形式的に男女平等の案(1996年法制審議会民法部会長だった加藤一郎元東大総長の学説でも、現行の男女別の取り扱いは合理的理由があり合憲といっているので、男女別の取り扱いを維持する案でもよかったが、世間の空気に妥協し、男女同じ取り扱いとしたものである)であるから、14条1項の性差別はクリアしており、14条1項も争点としたのは17歳が結婚できなくて、18歳なら結婚できるという年齢差別の問題だけであるから、主たる問題は従前の16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪という憲法13条と24条にかかわる法的利益の侵害の憲法適合性である。

 

 「婚姻をする自由」については近年注目された再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427で加本牧子調査官解説[法曹時報69巻5号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」としているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした先例である。

 事案は、元夫の暴力が原因で別居した女性が原告で、なかなか離婚に応じなかったため、離婚成立直前に後夫との子を妊娠した。再婚禁止期間を6か月とする民法733条1項により、望んだ時期より遅れて再婚したことが、憲法14条1項の法の下の平等と、24条2項の婚姻についての両性の平等に違反するとして 憲法適合性が争われたものである。

 同判決は、父性の推定の重複を避けるという立法目的の合理性を肯定したが、(実質的)合理的関連がないとされた100日以上の再婚禁止期間を違憲と判断した。

 同判決の違憲判断基準は大筋で次のとおりである。まず憲法14条1項について「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別」することが「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法14条1項に違反することになる」と従来の判例の基準を確認した。(なお、学説は14条1項後段列挙事由による区別について厳格司法審査を要求するが、判例は後段列挙事由に特段の意味を見出さない)

 憲法24条の婚姻と家族の事項については、第一次的には国会の裁量とし24条2項が立法に対して求める「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」は単に「指針」にとどまるものとする。

 しかし一方で、憲法24条1項(婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。)について「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」としたうえで、婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる」、「婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」と述べた。

 このように再婚禁止期間大法廷判決は憲法14条の平等原則の枠組みでの司法審査であるが24条1項の「婚姻の自由」の趣旨もかなり重視されている。

 この点が憲法適合性審査に加味されたために、民法733条1項の再婚禁止期間女性差別についても、たんに憲法14条の法的平等の問題として、緩い合理的関連性のテストではなく、立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとったと思われる。[犬伏由子2016]

 なお、本件は原告側が性差別を争点としていたが、加本牧子調査官解説によると、本件は、生まれながらの属性にもとづく区別ではなく、子をもうけることに関しての身体的差異の区別であるとし、重視すべき観点は、区別そのものではなく、区別の対象となっている権利利益の問題として憲法24条にいう「婚姻」を制約するものという点にある。それゆえに、憲法適合性の判断枠組みに「婚姻の自由」が論じられたと説明している。

 要するに本件はたんに平等原則、性差別事件として憲法違反を訴えるだけでは弱い事案であるが、「婚姻の自由」が重視されたために、司法積極主義の一部違憲判断を導いたのである。また共同補足意見によって提示された懐胎していないことが客観的に明確なときの適用除外の法令解釈の射程も、婚姻の自由が特に重視されている。 

 ちなみに、夫婦別姓訴訟最大判平27・12・16民衆69-8-2586では、夫婦同氏制は、婚姻のあくまで「効力の一つ」で事実上の制約であり、婚姻の自由について直接の制約はないとして民法750条は合憲とされているのである。

 しかし 16・17歳女子の婚姻資格剥奪(男性側からは求婚し、結婚する権利の縮小)は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから、再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決の示した判断基準に従えば憲法24条の婚姻の自由の趣旨に照らして「厳格な合理性基準」(中間審査基準)が適用されることを示唆しているとみてよいだろう。

 しかし、今回の法改正の立法趣旨は、「厳格な合理性基準」中間審査基準に耐えるものでは全くない。

 この判決で補足意見を記した千葉勝美元最高裁判事の著書[2017]は「婚姻する自由」について次のように説明する。

「『婚姻する自由』はあくまでも婚姻という法制度を前提としたものであり、婚姻の制度をどのような内容とするかは、我が国の歴史、伝統、婚姻の形態の変遷や国民の意識、家族観等を踏まえた立法裁量によるものであるから、「婚姻する自由」は具体的な法制度である婚姻制度を前提としたものであって、いわゆる天賦人権とはいえない。そうすると、再婚禁止期間の定めは、基本的人権の制約ないし自由権の規制そのものではなく、その意味で合憲性審査も、厳格な基準により判断される必要はない。しかしながら婚姻について制約を設けることは、自由な婚姻に関する無利益(それが憲法上の基本的人権とはいえなくても、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であろう)を制限するものであることは間違いなく、制約が過度なものである場合には、憲法適合性が問題になる」としている。

 基本的に立法裁量といっているのは、我が国の歴史、伝統、婚姻の形態の変遷や国民の意識とかけはなれた主張、たとえば重婚する権利とか、同性婚の権利の主張に対して、それが直ちに憲法問題となるのではなく、立法裁量の問題とするのはうなずける。

 しかし、従来から国民の権利だった婚姻適齢の引き上げによる婚姻資格の剥奪は、「重婚の自由」のような勝手な主張とは全く違って古くより結婚する自由があったのに奪うということだから、もともと権利がなかった再婚禁止期間訴訟よりも深刻な問題なのである。

 16・17歳の婚姻資格剥奪は婚姻に対する直接的な制約を課すもので、要件補充規定もないわけである。剥奪だから、権利を奪わなければならないほど、合理的な立法目的がなければならない。

 そうすると、16歳・17歳女子の婚姻資格をはく奪するにあたっては婚姻年齢の制限の立法趣旨は、婚姻適応能力のない社会的・精神的に未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反するという目的でなければならないが、当事者の最善の利益にならないという実質的(合理的)関連があるという根拠が示されなければならない。

 幼児や精神障碍者なら、自らの最善の利益を選択できないかもしれないが、そうではない。しかし未成年者自身の自己決定権だけを重んじるのではなく、親の同意要件を継続されるのが前提である。 

 しかも法律婚に伴う利益は、配偶者の相続権や夫婦間の子供が嫡出子になる、所得税上の配偶者控除にとどまるものではない。

 相互扶助の共同体を形成する結婚生活の意義における人格的利益こそ重要である。性欲を充足できることはもちろん重要だが、どんなにみじめであっても結婚相手が最大の共感的理解、ともに励まし合い、感謝しあうならばは、人生の困難を緩和させ、喜びを倍に、苦労を軽減させるのである。憲法13条の幸福追求権、人格的利益の核心のはく奪として問題にされるべきである。

 しかも国会は再婚禁止期間一部違憲大法廷判決の「婚姻の自由」を重視する趣旨をくみ取って、法改正を行って、再婚女性に対しては手当を行いつつ、一方で、若い初婚の女性に対しては婚姻の権利剥奪は当然だといわんばかりの法改正を強行するなら、矛盾した対応として、糾弾がなされるべきものと考える。 

以下、主張されている見解について逐一反論する。

 

 

1)成人年齢を18歳に引き下げるにあたって、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉親の同意要件を廃止して、男女とも18歳とするのが法制度としてはシンプルで合理的という説明

 

 米国では大多数の州で1617歳は親の同意があれば結婚できる。我が国の成人擬制と同じ未成年解放制度をとっている。外国の立法例からみて、上記の見解が合理的とはいえない。

 

2)世界では婚姻適齢を18歳とするのが趨勢という説明

 

 英国は16歳が婚姻適齢、米国の大多数の州は16歳が婚姻適齢、カナダの主要な州は16歳を婚姻適齢としており事実に反する。

 

3)婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるという説明

 

 結婚生活の維持という観点で、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力がないというのは合理的な理由とはいえない。

 高校が義務教育でない以上、義務教育終了後、高校以外の専門学校進学・就業・行儀見習い・結婚、何が子供にとっての最善の利益であるかは、それは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえず、上記の説明は合理性がない。

 仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない

 経済的に女性が高卒程度の賃金を得ることが結婚生活を維持するために必要という主張も合理性はない、中卒でも収入は得られるし、配偶者に稼得能力があれば問題ないし、婚家が自営業の場合も問題ない。裕福な家なら親から経済的援助が得られる場合もあり、婚姻適応能力がないという断定はゆきすぎである。

 義務教育のみもしくは高校中退で学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。結婚により相互扶助の共同体を形成することこそ後期中等教育を受けることを強いることよりも当人にとっての利益となる人々は存在するのである。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すとき、改正案の理由の裏付けは乏しい。

 

4)近年フランスがイスラム系の移民が増加し、親が未成年者に結婚を強制することが社会問題となり婚姻適齢を引き上げた事例があるが、我が国では、子供に強制結婚をさせるようなことは社会問題になっておらず、西欧の結婚文化と異なるイスラム圏の移民も少ない。フランスのような立法例も合理的な理由とはいえない

 

5)外国では子どもの人権活動家が統計的に早婚は貧困を促す、離婚率が高い、配偶者から暴力を受ける可能性が高いなどの否定的な見解が示されることもあるが、初婚年齢は社会的、経済的、文化的状況で変異する変数で、人々がおかれた状況はそれぞれ異なるので、合理的な理由とはならない。

 

6)年齢制限は待婚を強いるだけで、当事者の将来の結婚それ自体を否定しないとする見解もあるかもしれないが、先に述べたように相互扶助共同体として結婚の意義があるのであり、1年とか半年待たせるというのは苛酷なことである。また幸福追求権の観点で、恋愛感情の絶頂で、結婚するのが最も満足度の高いものであるから、結婚はタイミングが重要であり、恋愛感情がさめないうちに結婚すべきである

 

7)婚姻適齢引き上げにより子どもが非嫡出子となっても、嫡出子との相続分での差別は撤廃されたので子供に不利益にならない主張があるが、法律婚制度をとっている以上、婚外子を増やす政策は本末転倒している。

 

8)法律婚を否定されても、経過的内縁関係まで否認するものではないという主張もありうるが、法律婚制度をとっている以上、また立法趣旨で婚姻適応能力がないとされるのだから、建前として事実婚を慫慂するようなことはできないのであり、実質待婚を強いることになる。

 

9)具体的な事例で例えば平成10年歌手の高橋ジョージが15歳年下の16歳の三船美佳と結婚した事例がある。鴛鴦夫婦として知られていたが、平成27年協議離婚した。

 離婚は遺憾だが、それは成人間の結婚でもありうることであり、三船美佳はタレントとしても成功しており、この結婚が未成年者の福祉に反した結婚であるとは断定できない。もし政府がそういいつのるなら高橋ジョージ氏に大変失礼な見解ということになる。

 

10)私の案では男女いかんにかかわらず18歳-16歳で結婚可能とする案であり、形式的に平等であるが、とはいえ実際は未成年者側が女子になるケースが多数と考えられる。結局この案では、夫の稼得能力に依存した結婚となり、男女役割分担の定型概念を助長するとのジェンダー論者から難色が示されると考えられるが、憲法14条や24条はジェンダー論を公定イデオロギーとするものではなく、そのような政策的目的と当事者の福祉、最善の利益に反するという本来の年齢制限の趣旨とは無関係である。

 人類学者は婚姻家族を定義して性的分業を前提とするものとしている。政府は本来、民間の家族観、夫婦倫理に干渉すべきではないし、それは私的自治の領域であり、我が国の民法も特定の結婚観をおしつける性格ではない。

 例えば今年は宗教改革500周年だが、マルティン・ルターが家庭訓と呼んだコロサイ書31841が家庭倫理の規範とするならば

 コロサイ書318「妻たる者よ、夫に服従しなさい。それが、主にある者にふさわしいことである」は決定的に重視しなければならない。

 私は新約聖書の夫婦倫理護持の立場なので、万が一結婚することがあれば妻にそのように教育する。夫婦がそのような立場をとるにせよ。堀北真希のように仕事と家庭の両立という政府の政策に逆らって、専業主婦になろうと、それは国民の自由であり、私的自治への干渉は非難されるべきことで信教の自由は憲法上の権利であるから政府が干渉は許されない。

 

11)婚姻適齢を18歳とすることは、婦人団体や日弁連女性委員会が古くから主張していたことで、18歳引上げは、安倍首相の秘蔵っ子稲田朋美政調会長によって承認された事項なので「安倍ユーゲント」と化した自民党議員としては逆らいにくい問題だが、圧力団体のメンツを重んじることこそ重要などというのは正当な法改正理由とはいえない。

 

 以上述べたとおり、厳重な合理的関連性テストに耐えられる立法目的はないので憲法適合性にかなりの問題がある。

 

 

 

2 幸福追求に不可欠な結婚の権利の縮小にはきわめて慎重な態度をとるべき

 

 すでに述べたとおり、アメリカ合衆国の憲法上の基本的権利である結婚し家庭を築く自由についてはLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)が婚姻が「自由な者が平穏に幸福を追求するために必要不可欠の重要な人権の一つ」と判示したとおりであり、我が国にはLovingのような先例がないが、再婚禁止期間一部違憲判決が、憲法241項の趣旨である婚姻の自由に絡む事案では、実質的に中間審査基準(厳重な合理性テスト)が判断基準となることを示唆しており、婚姻を直接的に妨げる規定、婚姻適齢法制は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の剥奪ということになるから、中間審査基準にたえられるだけの合理的な立法目的と実質的な関連性が求められるのであり、従来から既得権であり古くから認められていた1617歳女子の婚姻資格剥奪と、男子の求婚し結婚する権利の縮小であるから、この権利はく奪は、憲法問題として把握してよいと考える。

 結婚を幸福追求に不可欠であるがゆえに、権利の縮小は国民の権利はく奪として糾弾されなければならない。

 

(1)慰めと平和を得るための結婚の否定は正しいか

 

 コリント前書第7章によるふしだらな行為、奔放な性関係を避けるための結婚、合法的に性欲を充足させるための結婚という意義についてはすでに言及していることなので省略する。性的乱交傾向のある少女については、性的アイデンティティ危機と理解し、相手を独占できる結婚は情緒を安定させ、有益なものと理解している。

 近代個人主義友愛結婚理念を理論的に提示したのがジョン・ミルトンの離婚論である。それは17世紀英国人の結婚観といってもよいものだが、一口で言えば慰めと平和と生きる力を得るための結婚である。「人独なるは善らず我彼に適ふ助者を彼のために造らん」という「創世記」に記されたエホバ神の言葉を引き合いに出して、こう語る。

「もし神が人に禁じたあの孤独を取除く助け手に自分の妻がならないかばかりか、逆に孤独を増す助けとなる性格である場合、そうした女性との婚姻は、もっとも誠実な目的が欠けることになるがゆえになんら婚姻したことにはならない」婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」である。[稲福日出夫1985

 ミルトンの結婚目的の考え方は、結婚の自由を幸福追求に不可欠な基本的権利とする連邦最高裁1923年マイヤー判決や、1967年ラビング判決に連なる思想といえるし、広い意味では、日本国憲法13条の幸福追求権にも連なる意義を有するといえるだろう。

 

 ミルトンの結婚観は清教徒的生真面目さと、ルネサンス的教養が混交しているので辛気くさいものではない。鈴木繁夫[2004]がいうように率直にセックスによる性的欲求の充足も第一義的目的とするのである。それはコリント前書79の淫欲の治療薬としての結婚の意義からしても当然のことである。

 ミルトンは「アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を手に入れることこそが結婚の目的なのだと断定する。‥‥ここでいう「交わり」(カンヴァセーション )を、 ミルトンは「交流」(ソサイアティー)とも言い換えているが、「交わり」というのはいま私たちが使うような言葉を交わすということだけに限定されない。魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。ミルトンは「適切に楽しい」交わりを、「肉体の結合」とわざわざ対比させ、交わりも結合

もともに重要で、結婚の第一義だと説明している。」

 一口でいえば結婚とはhappy conversation甘美な愛の巣をつくることを第一義とする価値観であるが、結婚の目的が、家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。現代人の結婚観に通じている。

  happy conversation1617歳女子は否定されなければならないというのは、幸福追求権のはく奪である。

男性にとっても女性が最も美しく肉体の輝く1617歳女子とhappy conversationを得たいというのは自然の欲求であり、その否定は幸福追求権の否定といえるのである。

 

(2)夫婦の相互扶助による共同体への自然的欲求の否定は正しいか

 

 しかし、私はそれ以外にも結婚には幸福追求に不可欠な価値があると考える。ひるがえって1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化しているが、トマス・アクィナスの教説を下敷きにしているものとみられる。

 16世紀トリエント公会議の「ローマ公教要理」Catechismus Romanus)によれば男と女がと一つに結ばれなければならない理由の第一の理由は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」である。第二の理由は「子孫の繁殖への欲求」、第三の理由が初期スコラ学者が強調した「原罪に由来する情欲緩和の手段」であり、婚姻締結のためにはすべての理由は要求されず、以上の一つの理由があれば十分としている。

 相互扶助を重視する神学者としては19世紀前半ドイツのカルル・ウェルテルが「キリスト教倫理体系のなかで、婚姻の目的を「夫婦間の相互の献身とすべての生活善」の共有としている。[枝村茂1980

 公教要理から離れても夫婦の相互扶助、情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生の困難は乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても結婚は幸福追求に欠くことのできない権利という見方ができる。

 次に女性特有の問題も検討すべきである。愛情の欲求には愛情を得たいという受動的欲求と与えたいという能動的欲求があり、両者の適度な充足が情緒の安定のために必要である。が女性は前者の欲求が大きいとされる。愛情にはフィリア的要因と、エロス的要因があるが、近代個人主義的友愛結婚の夫婦愛は、両者が同等の割合であるといわれている。そして恋愛感情の頂点と、結婚の時期の一致は、二人に最大の満足感を与えることになる。[泉ひさ1975] 

 そうすると、恋愛感情の頂点=結婚=最大の満足という道理からすれば婚姻適齢引き上げにより婚姻障碍とされることは幸福追求権の侵害であると糾弾せざるをえないのである。

 わたくしの主張する結婚し家庭を築く権利は、憲法13条の幸福追求権の核心的権利という見解は社会主義者安倍一強体制では認められず、残念ながら、国会議員の多くがエンゲルス主義者であり婚姻家族の解体を政治目的にしてしまっているのは、日本にとってとても不幸な状況にあるということを付け加えておく。

文献表(引用・参考)

 

 

第四章  男女平等以上に、ジェンダー論やマルクス主義の結婚観を公定化し、国民の私的自治を否定する立法目的は粉砕されるべきである

(一)圧力団体の要求にこたえることが主たる立法目的になっている

 

 私の本音としては法制審議会委員で少数反対派の野田愛子氏(故人)の述べておられたように、現行婚姻適齢を変更自体に反対である。婚姻適齢は男女の生理的な成熟度にあった規定であるからそれでいいという考え方である。

 1996年法制審議会民法部会長の加藤一郎氏も婚姻適齢の男女別の取り扱いは合理的な差別であり、憲法違反ではないとしていることである。

 女子差別撤廃条約は何が平等かということは締約国の解釈に委ねられていることで、法改正を義務付けるものではないことから、変更の必要はない。

 このため1996年法制審議会答申の後も、婚姻適齢の改正は棚上げにされたままだった。主たる理由は選択的夫婦別姓導入の民法改正案とパッケージになっていたため、夫婦別姓は日本会議が強く反対しているため日本会議と友好関係にある国会議員が相当数いるため法改正されずにすんでいた。

 ところが国民投票法が、投票年齢を18歳とする与野党の取引で成立し、それに合わせて、公職選挙法が改正され、成人年齢も引き下げられることとなった。

成人年齢を18歳に引き下げるため、この際、婚姻適齢も男女とも1996年答申のとおり男女とも18歳とし、未成年者の同意要件と、成人擬制も廃止しようというものである。

 私は成人年齢引き下げも反対だが、与野党すべて賛同し、婚姻適齢についても2015年に稲田朋美政調会長が18歳でならすことで自民党内をまとめていることなので、ここにいたって、男女別の取り扱いに固執するのは得策でないと判断し、私のこの意見書では形式的男女平等とすることで妥協することとした。

形式的平等とするには次の3案が考えられる

1 英米型(アメリカ合衆国の大多数の州や、イギリス、カナダの主要州がそうであるように男女とも16歳としたうえ、未成年者の同意要件や、成年擬制も維持する)。

2 変則型(東西統合後から2016年とのドイツの法制のように18歳としつつも、結婚相手が18歳以上なら、男女如何にかかわらず16歳以上で婚姻かと、未成線者同意要件と成年擬制も維持する)

3 社会主義国型

 旧ソ連や旧東独のように男女とも18歳とする例である

 

 婚姻適齢法制を男女平等とするには、政府の改正案での社会主義国型以外にも(1)や(2)の選択肢がある。(1)や(2)は、従来の女性が1617歳の婚姻資格を剥奪し彼女らの幸福追求権を否定することなく、法的な平等も達成でき、妊娠しても非嫡出子とすることなく法律婚ができることで無難な選択肢といえるのである。

筆者は(1)か(2)が望ましいと考えるが、(2)を修正案とした理由は、成年擬制を維持することとするが、その場合16歳と16歳の結婚より、現行法制でも問題のない18歳と16歳の結婚のほうが理解を得やすく、より現実性が高いと判断したためであって、(1)であってもさしつかえない。

 しかし、政府案ははじめから18歳に揃える(3)が前提となっており、(1)や(2)の検討さえしないのは、古くから婚姻適齢を18歳に揃えることを主張してきた日弁連女性委員会やその他婦人団体などの意向どおりにしたいがためである。

 つまり圧力団体の意向に沿うことが立法目的になってしまっている。

女性団体は(1)、(2)は反対するだろう。結局男子の婚姻適齢を引き下げても、1617歳で結婚するのは女子であり、男性の稼得能力に依存する結婚形態となりやすく、それは性的分業を固定化し好ましくない結婚であるとするためである。若い女性にとって結婚を幸福とすべきでないという価値観をとっているからである。

 

 

 

(二)婚姻適齢改正の底意はジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化である

 

 表向きの理由は、婚姻には男女とも高卒程度の社会的・経済的成熟を必要とするとい漠然不明確なものであるがこれが正当な理由となりえないことは既に述べた。

 正当な理由がないのに1617歳女子の婚姻資格を剥奪する底意は、結局、男性の稼得能力に依存する結婚生活は、ジェンダー論に反し許されないとし、そういう人たちの幸福追求権は、否定して、ジェンダー論ないしマルクス主義フェミニズムの公定イデオロギー化である。

 そして、旧ソ連や、旧東独と同じ、婚姻適齢を18歳とすることにより日本の社会主義化が促進するということである

 

 

(三)法的平等の達成とジォンダー論やマルクス主義フェミニズムの公定化は違う

 

 男女共同参画者社会の実現として性的役割分担の定型概念の明確な否定、女性活躍推進、一億総活躍、男性中心の働き方改革、イクメン推進、待機児童ゼロ政策、安倍政権の根幹となる政策がほぼマルクス主義フェミニスト、唯物論的家族史観の主張に沿ったものであると考えるが、女性の法的権利、義務を同じにする男女平等と、ジォンダー論やマルクス主義フェミニズムの結婚観を公定化することとは別の問題だということを認識すべきである。

 アメリカ合衆国の多くの州は婚姻適齢に男女平等になっているが、だからといってジェンダー論や唯物史観的家族史観を公定化しているわけではないのである。

そしてアメリカ人の多くが保守的なクリスチャンであり、次に引用する新約聖書のとおり妻は夫に従うべきという価値観の婚姻を理想として実践しているはずである。

パウロが教えるように「男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神である」(第一コリント113節)「男は神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきでない。女はまた男の光栄である。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだから」(第一コリント1179節)「婦人たちは教会で黙っていなさい。婦人たちに語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい」(第一コリント1434節)

「妻は自分の夫に対して主に対するように(従え)。キリストが教会の頭であるのと同様、男が女の頭なのだ。キリストはまた(教会という)身体の救済者でもあるけれども、教会がキリストに従うようにして、妻はあらゆることについて夫に従え」(エぺゾ書52225節田川健三訳) 「女たちよ、男たちに従え。それが主にあってふさわしいことである。男たちよ、女たちを愛せ。そして女たちに対してきつく対応してはならない」(コロサイ書31820節田川)

 もちろんフェミニスト神学もあり新約聖書の家庭訓を古代の道徳として価値相対化するリベラルな教会もあるだろうが、結局、州政府に重婚など規制する権限はあっても、婚姻における夫婦倫理、家族道徳は公序良俗に反しないものでない限り、私的自治の領域というべきであり宗教の自由が保障されている以上、政府が干渉しえない領域といえる。

 従って家族法が男女平等になったからといって伝統的な結婚観・夫婦倫理を捨てる必要などないし、政府にも宗教を阿片として国民に棄教させる権限などないのと同じことである。

 要するに、ジェンダー論の性的役割分担の定型概念を破棄しなければならないという思想についていかに安倍首相が推奨しようと国民は従う必要はないし、法的平等が求めている以上のことがらなのである。

従 って、伝統的な性的分業による婚姻であれ、それが、結婚としての価値を否定される理由はなく、伝統的な性的分業(夫が主として稼ぎ、妻が家を守る)の夫婦であれ、ジェンダー論を信奉する進歩的な夫婦であれ、相互に扶助協力義務を有する夫婦(民法752条)として価値は同じであり、どちらにせよ、幸福追求に不可欠な結婚し家庭を築き子供を育てる権利が否定される理由はない。

 従って、1617歳で結婚する女性が男性側の稼得能力に依存し、性的役割分担を固定化するので好ましくないとして、婚姻資格を剥奪するのは不当なものと言いうるのである。

 従って18歳に揃える政府案は大きな難点があり、特定のイデオロギー的立場に偏ったものとして非難されるべきである。

 

 

(四)ジェンダー論の過ち-婚姻家族の破壊

 

 政府がジェンダー論の観点から政策を進めていることから、あたかも唯物論的家族史観のように、夫婦は伝統的性的分業が破棄されていくのが当然の進歩みたいに思っている人が多くみかけるがとんでもない。

 明治民法ではなく慣習として日本の「家」の構造を理論化しているのが厳密な手義で定評のある社会人類学の大御所清水昭俊[197019721973]である。1960年代の出雲地方のフィールドワークに基づく業績である。

清水は日本の「家」において家長と主婦という地位は必須の構成であること。家長と主婦は必ず夫婦であること。次代の家長と主婦を確保することで永続が保障されると、その構造を解明している。

家長と主婦の性的分業を前提としているのであって、そうするとジェンダー論は日本的「家」の否定になる。

 清水昭俊は、さらに婚姻家族を定義して「これは家内的生活が主として夫婦間の性的分業によって営まれる家と定義され、核家族や拡大家族はこれに含まれる」[清水1987 97頁]としており、夫婦間の性的分業によって営まれない家内的生活は人類学的には婚姻家族とはいえないのであるから、ジェンダー論は婚姻家族を否定する恐るべき思想というべきである。

 つまり夫婦間の性的分業によって営まれるのが人類学における婚姻家族の定義である。

したがって婚姻家族を否認するイデオロギー的立場を立法目的とすることは偏向している。この民法改正案には反対せざるをえない。

 ドイツの歴史人類学者ミッテラウアーによると、民族学や歴史学の知見では、性的分業に一定の規則性が存在するが、性的分業は人類学的な不変定数ではなく、変化はある。しかし、どんな文化にも男女別の正規の仕事という考え方があり、一定の活動は高度の規則性をもって女性か男性に振り当てられるとする。原理的には性的分業は生殖と後継者の生存に結びついていることは否定できないともいう。

  具体的には224の種族社会から、次の活動の75%以上の比率でもっぱら女性が行う。穀粒挽き、水運び、煮物、燃料や食べられる植物の採集、衣料の製造と修繕、肉や魚の保存、焼き物作り、織布及びマットや籠の製造である。

一方、男性の仕事としては、放牧業84%、魚取り86%、伐採92%、罠づくり95%、鉱山石割業95%、狩猟98%である。

 性的分業の変化は、中世においてもみられ、農村家内工業が発展した18世紀にみられた。

 女性の家内労働とされていたものが男性手工業になった。一方、プロト工業の家内労働てだは、利益の高い紡ぎ労働に妻をあて、男性が食事を準備し、ジャガイモの皮をむく分業の形態も生じた。農業は男女共同でなされるが男性が鉱夫や運送業で働くときは、農業は女性が引き受けた。[ミッテラウアー1994 317頁以下]

 そのように性的分業の変化は中世にも18世紀にもみられることであるから現代にあってもおかしくない。

しかし、人類学では婚姻家族は性的分業で成り立っていると定義しているのである。

 性的分業は社会的経済的条件で変化しても、性的分業自体が否定される理由はない。ジェンダー論を立法目的とするのは行き過ぎだといわなければならない。(私は、基本的に私的自治のみとめられる自由社会では性的分業は否定されないと考える。否定されるのは共産主義革命を信奉する立場である。)

 民法はジェンダー論者や、マルクス主義フェミニストの社会改革の道具ではないからでる。

 もし、男性の稼得能力に依存する結婚生活が、彼女にとって最善の無利益とは役立たないと証明することは不可能である。他者から人生の選択を否定される理由もないのである

20172月堀北真希が仕事と家庭が両立できるほど器用でないとして、女優をやめ、家庭婦人になると宣言した。それは安倍首相の女性活躍推進に逆らい、ジェンダー論に反しているが、だからといって、山本・堀北夫婦の結婚生活の私的自治に政府から介入される理由はないのであって、それと同じことである。

 

 

(五)マルクス主義フェミニズムの過ち-神聖な私有財産の否定、個別家政の廃棄、家族死滅論

 

 女性活躍推進、一億総活躍、男性中心の働き方改革、イクメン推進、待機児童ゼロ政策、安倍政権の根幹となる政策がことごとくマルクス主義フェミニストの主張に沿ったものであると考えるが、今回の婚姻適齢改正政府案も古くからそれ以前よりマルクス主義フェミニストの主張にもとづいている。1617歳女子と、求婚する男性に対する敵意というのは、男性が稼ぎ、女性が家を守る、男性に隷属す型の結婚だからよくないというものであり、マルキストのいう古典的一婦一婦制に対する嫌悪感にもとづくといえるが、そのイデオロギーは正しくない。したがって、政府案に反対なのである。

その理由について述べる。

 

1 父権制の攻撃とは私有財産制の攻撃である

 

 エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』岩波書店1960戸塚訳は次のようにいう。

「原始社会には生産力や技術からみて、集団的土地所有と集団労働が必要不可欠であり、生産物も共同で所有していたから、貧富の差はさほどなかった。生産力の発展によって、より多くの生産物が蓄積されるようになると、その生産物を財産とする私的所有が生まれてくる。

 さらに、私的所有物を、確実にわが子に継がせるために、夫は妻を自分の家屋に住まわせる嫁入婚とし、夫婦と子どもと奴隷で構成される社会的単位としての家族が生まれた。財産所有者は夫だったから、家長が奴隷を支配するように妻も子どもも隷属する家父長制家族として成立した。世界史的女性の敗北である。そして家父長どうし奴隷の反乱防止と相互の利害調整のために、法と軍隊をそなえて国家を作りあげる。家族・私有財産・国家は、こうして歴史的に誕生した。」

 嫁入婚と家父長制家族の成立を「世界史的女性の敗北」と称しており、逆に嫁入婚と家父長制家族に打撃を加えていくことにより、「世界史的女性の敗北」の歴史を覆せば事実上社会主義革命の展望が開かれることという筋書きである。

 エンゲルスは、父権制や家長が妻や子どもを支配隷属させる婚姻家族を非難するのであるが、しかしながら人類学的にいって高度な文明を発達させたのは父系・準父系の社会構造であり、母系社会は私有財産制が発達しないため生産性が低く未開社会にとどまるのである。従ってエンゲルスの見解は明らかに反文明思想なのである。

 社会主義思想とは逆に、私有財産を神聖視するのが、近代の自由主義経済であり、幸福の追求権とは財産の獲得、享有が主要な1つとする思想なのである。

 合衆国最高裁で極保守派といわれたDavid Josiah Brewer判事(任1889~1908)の1891年のイェール大学の講演は次のとおり。

「イヴが禁断の果実さえ欲して占有をした、その記録に残る最初の時代から、財産の観念とその占有権の神聖さとは、一度も人類から離れたことはなかったのである。理想的人間性についていかなる空想が存在しえようとも‥‥歴史の夜明けから現代の時代にいたるまで、現実の人間の経験は、占有の喜びと一緒になった獲得の欲求が、人間活動の現実的な動機となっていることを明らかにしている。独立宣言の断定的な表現のなかで、幸福の追求は譲渡することのできない権利の1つであると断言されているとき、財産の獲得、占有、及び享有は、人間の政府が禁ずることができず、それが破壊することのない事柄であることが意味されているのである。‥‥永遠の正義の要請は、合法的に取得され合法的に保有されたいかなる私的財産も公衆の健康、道徳あるいは福祉の利益のために、補償なく略奪されあるいは破壊されることを禁ずるものである」[ギャロウェイ1994 89]

私はブリュワー判事のこの見解を支持するゆえエンゲルスには反対である。

 

2 エンゲルスが婚姻家族を「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」と非難するのは反文明思想である

 

 エンゲルスは、母系制社会の往古の共産主義社会では、妻にゆだねられた家政の処理は、男子による食糧の調達と同様公的な産業であったとし、一夫一婦的個別家族とともに、家政の処理は、私的労役となり、妻は社会的生産から閉め出されることになったとし、夫が「稼ぎ手」で「家族の扶養者」であるという事実男性にしての地位を与え、妻は夫に依存し彼の財産の一部になったとする。

 これを「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」などと呼び、古典的一夫一婦制と定義しそれは社会主義変革によって克服されるとする。[江守五夫1973

 しかし、男性による女性の支配は、文明理念の基本である。聖書では男性は神の像としてつくられたのであり、人間の尊厳とか人権などというのも、男性(人間)が神の像としてつくられたからとする神話にもとづくフィクションである。それ自体傲慢な思想かもしれないが、本来、尊厳というのは男性に帰属するものである。

 女は男の肋骨からつくられ、すなわち神は『人ひとりなるはよからず。我かれにかなう助者を彼のためにつくらん』と云いたもうたのである。

 これまでも引用したとおり男性が女性を支配するというのはパウロが教えるところであり、コリント前書11章で、男性が頭であり、女性は男性に従うべきものとし、その他の場所でも同様のことが繰り返されている。

 近代個人主義的友愛結婚の提唱者であるミルトンは『闘士サムソン』1671年で次のようにいう。

「女性の精神的天稟は急いでつくられたため未完成のままであり、判断力は乏しく、能力は最善のものを理解し尊重するほど高くなく、又選択にあたってはしばしば悪いものを愛しないではいられないように低劣である‥‥」

「女が男のためにつくられたもので、そして男が女のためにつくられたものでないということを知らないものが誰があろう」

『失楽園』1667年も男性が女性を支配しなければならないことを強調している

「‥‥彼等の性がちがうように、両人は対等でなかった。すなわち彼(アダム)は思索と勇気ある行為をするためにつくられており、彼女(イーヴ)はやさしさと甘美な魅力の美のためにつくられていた。彼は神のためにのみ、彼女は彼をとおして神のためにつくすようにつくられていた。」

「イーヴは、その人(アダム)にいともうるわしい様子で次のように答えた。「私の創造者であるかたよ、あなたがお命じになることには、私は絶対服従です。神様はそのように命じていられます。神様があなたのおきてで、あなたが神のおきてです。それ以上何も知らないのが女のもっとも幸福な知識であり、女の美徳なのです」[西島正1954

 楽園追放は男が神に従わず女に従ったことによる。この教訓は至福千年の道徳的教訓というべきものであって決して棄て去ることのできないものである。

 東洋の儒家「男尊女卑」は陰陽学説による調和説であって男性が陽も、女性が陰とされ、陽の主導と統治的地位が保ち陰陽のバランスをとることが説かれる。「陰盛陽衰」は善くない状態なのである。ジェンダー論の跋扈は「陰盛陽衰」そのものである。

 従ってエンゲルスの家父長制家族、婚姻家族の非難は文明の理念に逆らうもの、文明からの逸脱思想だといわなければならない。

 ところがどういうわけか世俗化が進みすぎて、聖書や神学よりも、マルクスやエンゲルスの思想が貴ばれるようになってしまったのは異常なことだ

 

3 私有財産制の止揚によって真に人格的愛情による結婚が出現するという虚構

 

 マルクス主義では、「妻の公然もしくは隠然たる家内奴隷制」という古典的一夫一婦制を私有財産制の止揚によって真に夫婦平等で真に人格的愛情によって結合される一婦一婦制婚姻を出現させると説く。

 つまり私有財産のもとでは便宜結婚というものであって、個人的性愛所産ではないとするのである。しかし、すでにローマ以来の特に中世教会婚姻の合意主義婚姻理論が、親族の利害関係にとらわれない、個人主義的な恋愛の結実としての結婚を擁護していたこと。結婚を花婿キリストと花嫁教会を象徴するしるしとして秘跡とする12世紀の神学が夫婦愛を神聖化したことなどは、前章でくわしくふれたとおりであって共産主義体制にならなければ真に人格的愛情による結婚は出現しないという性質のものではない。この点でエンゲルスは歴史解釈を誤っているように思える。

 エンゲルスは私有財産制の止揚により、家族制度は解体すると説く。その中心的要素は、個別家政の廃棄による家族死滅論である。個別家族が経済的単位となることをやめ、私的家政は社会的産業にかわり、子供の扶養と教育は公的事項として社会が一様に面倒をみる体制になるのが理想とする共産主義である。[江守五夫1973]、安倍政権の待機児童ゼロなどもそうした社会主義的政策の一環だろう。

 (なお安倍政権は社会民主主義政権といってよい、最低賃金を上げ、政労使コーポラティズムで賃上げを要請したり労働時間規制を強化するやり方、女性活躍推進政策にみられるようにジェンダー論やマルクス主義フェミニズムに迎合することがそうである。

 自由民主党は、保守合同で自由主義経済思想の自由党と、革新官僚の流れをくむ日本民主党が合併してできた政党だが、自由党にはハイエクの研究者で『福祉国家亡国論』などの著作がある山本勝市が経済政策を立案したりしていたが[渡瀬裕哉2017]、この系統の政治家は現在では死滅している。安倍首相は岸信介がそうであったように革新官僚の流れを汲んでおりもともと社会主義に親和的なのである。

 日本の悲劇は自由主義、自由企業体制を主張し社会民主主義政策に反対する政治家が死滅してしまい、政治がオール左翼化してしまったことといえる)

しかし現実のソ連では個別家政の廃棄も家族死滅も実現していない、むしろ社会秩序維持のため家族を「社会の基礎的な細胞」として家族強化政策をとらざるをえなかった

 とはいえマルクス主義の攻撃の標的は婚姻家族そのものなのである。

マルクス主義フェミニズムは女性が無償の家事労働に携わる事実が、女性の不利な立場を説明しており、有償の賃労働と無償の家事労働の分割を前提とした資本主義社会は否定されなければならないとする。

(なおアナ―キストフェミニストは家父長制こそが撃たなければならない元凶であるとした。女性抑圧の原因は男性への依存にあり、とりわけ結婚と家族制度がその抑圧を生むと主張した。女性の経済的自立を性的自立とともに重視し、男女の知的心理学的区別も否定した。アナーキストフェミニストは結婚制度を改革することではなく廃止を求める思想である。〉

 要するに社会主義者の戦略は、エンゲルスのいう個人主義経済の消滅による個別家政の廃棄、家族死滅のために、男性の稼得能力に依存し、妻が個別家政の担い手となる伝統的性的分業を

ほ攻撃し、そのような結婚のあり方男性の働き方にまで社会主義的変革をもたらしていくことであり、安倍政権の政策がほぼそれに近いことをやっている・

 これは歯止めをかけないと日本国の赤化は止まらないそれゆえ私は今回の政府案に反対なのである。

 

 

文献表(引用・参考)

(附属論文)第五章結婚は自由でなければならない  婚姻法制史  概略バージョン1 

五 (附属論文)結婚は自由でなければならないという古典カノン法を基軸とする西洋文明の婚姻理念を継承すべきであり、婚姻の自由を抑制する婚姻適齢引き上げに 強く反対である

 

1 概略バージョン1

 

(1) 古典カノン法の何が自由なのか

 

 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)というローマ法の法諺がある。[守屋善輝1973 356頁]

 この法諺はローマ法の無式合意主義諾成婚姻理論を継受した教会婚姻法の理念としてより鮮明なものとなっている。それは西洋文明規範といえるのだ。る。

 婚姻の自由とは古典カノン法が事実上容認していたいわゆる秘密婚marriage clandestin問題ともいえる。教会法は当事者に最大限の自己決定権を与えている。それは、たんに無方式合意主義というだけでなく、ローマ法の婚姻適齢をさらに緩め、性行為が可能なら年齢制限が事実上ないことからも明らかである。この婚姻法は世俗的な利害関係を捨象した結婚の理念をもっていたから、軋轢を生じたのは事実である。結果的に近現代では、親の同意要件を否認する教会婚姻法は否定されて還俗化し、今日実効性のある婚姻法は世俗国家のものとなっている。とはいえ、古典カノン法の法文化は一貫し特に英米で寿命が長かった。歴史的意義は大きく、現代人の結婚観念の基本ともなっているのである。

 単婚の婚姻理念を劃定したのはカノン法であり、その理念を無視することはできない。無視してよいというのは、社会主義者かアナーキストということになるだろう。

 ここで古典カノン法と言ったのは12世紀に成立した教会婚姻法をさし、1563年のトレント公会議以降の婚姻法、カノン法を全廃して成文法典として1918年以降の教会法と区別する趣旨である。

 

A 古典カノン法とは

 

 中世ラテン=キリスト教世界では、9世紀に成立した偽イシドルス教令集が教皇主権の根拠とされ、カロリング朝が終焉した10世紀半ばには俗権に対し教権が優位に立ち、婚姻事項を霊的裁治権として教会裁判所の専属管轄権とした。従って教会婚姻法が西方の統一法である。こののち神学者によって婚姻の秘跡性が理論化されていくこととなる。

 いわゆる「教皇革命」ののち12世紀中葉に教皇受任裁判がなされるようになり、教皇庁が司法化していく。教皇は婚姻事件の最終裁定者となった。

 古典カノン法とは各地で採録された,教令(Dekretale 教皇の回答 Erlasse)などを体系的に集成したものであり、教会婚姻法は主として教皇アレクサンデル3世(在位11591181)期に成立し、1234年の『グレゴリウス9世教令集』には婚姻法関係が全21166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令である。[直江眞一2014]「法律と行政の天才」といわれる教皇アレクサンデル3世が無方式合意主義婚姻理論、正確には緩和的合意主義を決定的に採用したことで劃期といえる。

 イングランドでは、教会裁判所は婚姻と遺言による動産処分を専属管轄権として安定していた。中世のイギリスは事実上国王と教皇の共同統治国家だったのである。メイトランドがいうとおり、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものにほかならない。

 もっとも1236年マートン大評議会で、教会側の強い反対にもかかわらず、世俗貴族は一致して、教会法の婚姻遡及効(アレクサンデル3世の教令による後の婚姻による嫡出子の準正)を拒否した。「我々はイングランド法を変更することを欲せず」(Nolumus leges Anglie mutare)と決議したのである。土地の相続は世俗裁判所の管轄として劃定したのである。

 もっともこれはどの子どもが長子かという問題で教会婚姻法の根幹を揺るがすことではない。相続に関して教会裁判所の干渉を避けていたのはイギリスだけではなく大陸でも同じことである。しかし婚姻の成否については教会裁判所の管轄権であることは明確であった。

 古典カノン法の特徴は、社会的経済的利害関係の捨象である。第三者の干渉しない当事者の合意で成立する婚姻であり、個人に最大限の自己決定権を与えていることである。教会婚姻法では秘密婚を抑止することができないため世俗社会から強い非難を被っていた。

 もちろん教会の戸口の前の儀式や、婚姻予告も中世においてなされていた。しかしそのような儀式がなくても有効な婚姻なのであり 無式にこだわるのが古典カノン法の理念であるからである。

 教権は教会婚姻法が秘密婚を擁護しているという非難をかわすためにトレント公会議の閉幕年1563年のタメットシ教令で婚姻予告や教会挙式を義務化する。婚姻の自由という観点ではトレント公会議は、大きな後退といえる。

 また16世紀中葉のフランスを嚆矢として19世紀まで緩慢な進行により婚姻法は還俗化していくこととなる。

 しかしイングランドでは宗教改革後、教会裁判所は市民法律家に入れ替わっても18世紀中葉まで古典カノン法が「古き婚姻約束の法」として生ける法として実効性があり、スコットランドではその後も生ける法として実効性があった。

 従って古典カノン法の自由な理念の寿命が長く影響力が大きかったのは現代のカトリック地域というより古典カノン法=コモン・ローマリッジとして生ける法だった英国であり、つまり英米文化圏である。近現代人の結婚観にも大きな影響を与えている。

 では古典カノン法の何が自由であるかというと次のとおりである。

 

B 当事者の相互的な婚姻誓約だけで婚姻が成立(無式合意主義諾成婚姻理論)

 

 ローマ法においても5世紀のユスティニアヌス帝は、結婚は当事者の合意によることを原則として、迎妻式や婚資の証書を婚姻成立の要件から排除したのである。[船田享二1971 40頁]

 合意主義それ自体は古く、ローマの古典時代からのものである。2世紀の正統的なラテン教父テルトゥリアヌスは「婚姻は意思によって完成する」といい、4世紀の四大教父聖アンブロジウスも「処女性の喪失ではなくて結婚の約束が結婚を作る」と述べ、9世紀の教皇ニコラウス1世も外形的に認識され得べき合意を婚姻締結の本質要件とした。[船田享二1971 4162頁]

 1112世紀においては、ボローニャ学派が合衾主義を説いたが、パリ学派は合意主義婚姻理論を説いた。教会法学者として著名な聖イヴォ(没1116頃シャルトル司教)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(10961141)、中世最大の教師ぺトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)がそうである。

 古典カノン法は、12世紀に成立する。教会婚姻法の骨格は各地で採録された教皇アレクサンデル3世(位11591181)の教令といってよい。教皇アレクサンデル3世が決定的に採用したのが緩和的合意主義婚姻理論である。

 現在形の言葉による相互的な婚姻誓約(suponsalia per verba de praesente『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』)と言うだけで婚姻が成立し、合衾copula carnalisで完成婚となり婚姻非解消となる。未来形の相互的婚姻誓約は、合衾によって完成婚となる。2人の証人(俗人でよい)が必要だが、理論的には証人がなくても婚姻は成立する。

①現在文言での約言(婚姻成立)→合衾(完成婚)

②現在文言での約言(婚姻成立)→合衾の前に修道生活入り又は教皇の免除(例外的に婚姻解消)

③未来文言での約言(婚約)→現在文言での約言(婚姻に転換)→合衾(完成婚)

④未来文言での約言(婚約)→合衾(完成婚)

[塙陽子1993

 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっているため司祭の祝福や典礼儀式は婚姻の成立とは無関係となった。

 12世紀の秘跡神学では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実ににおいて表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典型儀式と結びつけられてはいないのである。教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だったのである。

 ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975

 また教皇アレクサンデル3世は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージをその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975

 このように、12世紀の秘跡神学は、聖なる絆として婚姻非解消主義の一つの根拠ともなっているが、一方結婚愛や夫婦愛、性交を神聖視したのであり婚姻とは社会的経済的利害関係が第一義ではないとする近代個人主義的友愛結婚の思想的淵源であったといえる。

 もちろん、合意主義といってもカノン法は婚姻非解消主義であり、婚姻誓約が二度あった場合は最初の相手が正当な結婚である。二度目の婚姻誓約はたとえ事実上の夫婦であったとしても婚姻としては無効となるという点で、厳格主義である。しかし婚姻成立が容易であり、個人の自己決定を最大限認めている点で自由主義的法制といえるのである。

 

 もっとも13世紀になると典礼儀式に秘跡の効力を帰する神学者の見解が出てくる。また1215年の第四ラテラン公会議で秘密婚の抑止のため式婚姻予告を奨励するが、義務ではないため「秘密婚」は有効な婚姻だった。

 なお、教会の戸口の前の儀式を要求したのは英国では世俗裁判所であって、寡婦産の設定のためであり、古典カノン法は挙式を要求するものではない。

 ちなみに中世史家の鵜川馨[1991 531頁]によれば花婿が花嫁に指輪や銀貨を贈るセレモニーについて、「‥‥ゲルマン法に固有の婚姻契約の履行を担保するものとして 動産質 (E pledge, OE wedd)を与える儀礼が,教会の儀式にとりこまれたことを示している。従ってweddという言葉は、将来夫の死後に寡婦産として現実に土地の引渡しを担保するものとして,指輪あるいは銀貨が与えられるのであって,本来は質物,担保を意味した‥‥」とウエディングの語源を説明する。つまり指輪や銀貨等はゲルマン法に由来し、教会法が要求している事柄ではない。

 

C 家父ないし両親・領主の同意要件を明確に否定(親族とのコンセンサスの排除)

 

 ローマ法では婚姻当事者が家長権に服する場合、家長の同意のない婚姻は無効とされた[船田享二1971 56頁]。ゲルマン法のムント婚は、家父から花婿へのムント権(庇護権)の譲渡である。

 しかし教会法は家父(両親)に家子の結婚をコントロールする権限を認めない。古典カノン法の婚姻適齢は次節のとおり男14歳、女12歳であるが、当事者に最大限の自己決定権を付与している点、人類史上類例のない法文化といえるのである。

 

 実際、駆け落ちや周囲が強く反対する結婚であっても教会法を利用して恋を貫いた多くの事例がある。

 例えば1469年英国ノーフォーク州の名家パストン家の長女マージョリー20歳は、初恋の相手である家令のコールと結婚した。コールはパストン家の金庫番であり使用人の監督者でもあったが、身分違いの結婚のため家族から猛反対されたが、コールは賢く、ノーリッジ司教に仲裁を求めた。教会法により二人の婚姻誓約は有効とされたのである。[社本1999

 このようにカノン法は、当事者の幸福が家族のプライドによって犠牲にされることのない、恋愛の結実が結婚であるという文化を形成した。

 この自由な婚姻理念は、結婚に伴う社会的利害関係を捨象しており、親権者の子供の結婚のコントロールを困難にしたから、世俗社会と軋轢を生じた。

 しかし教会は婚姻の自由のために数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。世俗権力は要式主義、親の同意要件を要求したが、1563年トレント公会議は秘密婚に対する非難をかわすため要式主義をとることで妥協したものの、フランスガリカン教会による親の同意要件の要求は断固として退けた。

 

D 婚姻適齢はローマ法を継受したが成熟は年齢を補うという理論によりさらに緩和した

 

 カノン法の婚姻適齢はローマ法の男14歳、女12歳を継受したが、教皇アレクサンデル3世は婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能(つまり少年に処女を奪い取る能力があり、少女が合衾に耐えられる成熟に達しているの)なら婚姻適齢以前でも早熟が年齢を補うものとして婚姻適齢なのである。カノン法は性交不能を婚姻障碍としているので、性交可能なら実質年齢制限はないといってよい。しかも両親や後見者の同意要件がないため著しく婚姻成立容易な法制といえる。

 従って次の1601年の教会法学者ベネディクティの見解は、教皇アレクサンデル3世の教令に従ったものといえる

 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]

 つまり女子の場合は、身体的交渉に耐えられる大人っぽさがあれば、12歳未満でも婚姻適齢とする。

 なお、カトリック教会は1918年にカノン法を全廃し、新成文法典を定め、婚姻適齢も男16歳、女14歳と改定しているが、成年期を満20歳、成熟期を男14歳、女12歳としていることは変わっておらず、成年期が権利の自由な行使のできる年齢であっても、例外として婚姻、修練期への進入、墓所の選定等は未成年者に両親・後見人の承認を得ることなく自由な権利の行使を認めており、この点は一貫しているのである。[ルネ・メッツ1962 107頁]

 

2)結婚が自由でなければならない理由

 A 聖書的根拠(淫行を避けるための手段としての結婚)

 

 結婚の目的として初期スコラ学者は真正パウロ書簡のコリント前書72節,79節(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視した。これが婚姻の自由の根拠の第一にあげてよいだろう。淫欲の治療薬remedium concupiscentiae(Ⅰコリント72節、9節)と初期スコラ学者により公式化された教説である。

 ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。

 古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(344または349 407。聖人・教会博士)が、正当にも聖書に忠実な見解を述べている。

 結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ・ハイネマン1996 77頁]

 13世紀パリ大学教授で組織神学者オーベルニュのギヨーム(1180頃~1249)は結婚が淫欲の治療薬である効果を発見した。「若くて美しい女性と結婚することは望ましい」なぜならば「美人を見ても氷のようでいられるから」。

 スコラ学者にとって結婚とは性欲の治療薬であった。美人を見ても冷静でいられるようにするため美人と結婚するという同毒療法だったのである。

 性倫理の確立という点でも、婚姻の自由は重要で、淫らな生活、姦淫の総数を減らし、子どもを私生児にしないために、性的熱情は夫婦の床に限定されることが望ましいのであるから、婚姻の不自由は、不品行な性行為を助長しかねない。ゆえに婚姻に容易に成立し自由でなければならない。

 福音書のイエスの使信は結婚を積極的に位置付けておらず、むしろ否定的である(ルカ124953節)。第二パウロ書簡(偽パウロ書簡)や第一ペトロ書には家庭訓(コロサイ318節-41節、Ⅰテモテ28節-31節、612節、Ⅰペテロ218節-37節)があり、結婚を明確に肯定する表現もある(Ⅰテモテ514節、へブル134節)。またエペゾ書52425節には夫婦関係をキリストと教会の関係になぞらえる表現があるが、結婚の理由付け、目的については立ち入ってない。

 パウロの真筆書簡で結婚について集中的に語っているのはコリント前書7140節で、真正パウロは仮言命法的に結婚を消極的に肯定しているが、パウロは結局、結婚する理由として淫行を避けるため、我慢できないなら結婚してよい(Ⅰコリント72節・9節)と、年頃の娘なのに行き遅れると心配するなら結婚してよい(Ⅰコリント736節)ということしか言っていないのである。

 

B 副次的理由

 

 第二に結婚が秘跡とされたこと。

 ラテン的キリスト教世界では、4世紀に独身聖職者制に異議を唱えたヨウィニアーヌスJovinianus がローマ司教シリキウスにより異端宣告され、徹底的に叩かれたように、独身者が最善で、結婚は性欲を自制できない人の次善の選択との位置づけだった。

 10世紀以降婚姻が教会裁判所の管轄権となって婚姻を神学的に明確に説明することが必要となった。結婚を悪とする異端のカタリ派やアルビ派対策としても積極的な位置づけが必要だった。

 1112世紀の秘跡神学の進展により、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合を象徴するしるしとして秘跡とされた。サクラメントとされた以上性交や夫婦愛は神聖視されていくことになる。

 第三に独身聖職者制である。婚姻の自由と結婚せざる自由はコインの裏と表の関係であり、教会法は血族・庇護者の利害のための強制的な結婚を排除し、自己決定により修道生活に入ることができるようにしたのである。それゆえに、家父(両親)の同意要件をかたくなに否定した。優秀な人物は独身のまま聖職者となるべきだった。独身優位主義だからこその婚姻の自由という法文化を引き出したといえる。

 第四に教会法は普遍一般法であるから万人に適用される性格のもので、どの地域でも受け入れられるものでなければならない。挙式や婚資や迎妻式を結婚の要件としないのも地域差があり(地中海世界は持参金型社会、北西ヨーロッパは花嫁代償)、貧しい者であれ万人に通用するものでなければならないからである。合衾主義は処女性を重視する地中海世界に対応できるが、基層文化として婚前交渉に寛容な北西ヨーロッパでは合意主義のほうが合理的だった。言葉による相互の誓約は証人により確認できるが、合衾したことの証明が困難な場合もある。

 

3)古典カノン法が近代まで生ける法だった英国における自由な結婚の歴史

 

 婚姻は、自由でなければならぬMatrimonia debent esse liberaMarriages ought to be free)という法諺がまさにあてはまるのが、英国の婚姻法制史、結婚風俗史である。

 トレント公会議の要式主義をとらずに古典カノン法が生ける法として継続したからである。

 

 教権はルター派などからの教会法では秘密婚marriage  clandestinを防止できないという非難をかわすために1563年トレント公会議閉幕年のタメットシ教令は 婚姻公示(予告)、婚約者の一方の住む小教区の主任司祭の前での挙式、 2名ないし3名(最低2名)の証人の出席、新郎新婦の署名が必要とされ、秘密婚を無効とした。

 トレント公会議に影響力をもった神学者はメルヒオールのカノである。彼は司祭が秘跡の執行者であることを強く主張した。[枝村茂1975]それは12世紀の神学・教会法学者とは異なる考えといわなければならないが、司祭がかかわらず俗人二人の証人が形式的要件だった古典カノン法からすると婚姻の自由という観点では明らかに後退したといえる。

 一方、トレント公会議はフランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は断固として拒否した。このため1579年のブロワの王令は、教会が出したタメットシ教令によって課された要件に加えて、挙式時に「4人」の証人の出席が必要とされ、さらに両親の同意を要件とした[大島梨沙2011]。このため、カノン法的には合法でも王法としては 無効な婚姻が出現することになり、以後緩慢な進行で、婚姻法の還俗化が進行していくことになる。

 しかし、トレント公会議によって無式諾成婚姻理論が途絶えたのではない。英国では宗教改革により教会裁判所は聖職者から市民法律家に入れ替わったが、トレント公会議を受け入れる必要がないため、古典カノン法は、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)として継続した。イングランド婚姻法とはメイトランドが述べたとおりトレント公会議以前のローマ教会婚姻法そのものだったのである。

 とはいえ英国でも秘密婚は弊害と認識されており、英国教会は1604年に婚姻予告もしくは婚姻許可証による教会挙式と21歳以下の未成年者の親の同意要件を定めたが、私有教会における教皇の免除を歴史的由来とする主教の裁治権の及ばない、特権教会、特別教区等で行われる自由な婚姻は「古き婚姻約束の法」が生ける法として有効な婚姻であり続けたため、1604年法は死文化したのである。

 駆け落ちだけでなく婚姻予告制度を嫌う人々は秘密婚センターであるメイフェア礼拝堂やフリート街の結婚媒介所で結婚したのである[栗原真人1992b1996、柴田敏夫1987、加藤東知1927]

 ロンドンのフリート街は、聖職禄を奪われた僧侶が干与し、四方から客引きが寄ってくる、いかがわしい雰囲気の秘密婚の媒介所だった。フリート街の結婚が国の恥とみなされたことから、反対意見も少なくなかったがイングランドでは1753年の大法官ハードウィック卿法(議会制定法)で、「古き婚姻約束の法」を無効とし、婚姻予告または婚姻許可証による教会挙式と21歳以下の未成年者の親の同意要件を定めた。フランスより200年遅い婚姻法の還俗化である。イギリスで古き婚姻約束の法が、他国より長い寿命を保ちえたのは制定法によりコモン・ローを無効化することに躊躇があったためだろう。

 逆説のようだが、婚姻法の還俗化とは教会挙式の強制と親の同意要件の設定だったのである。しかし同法はスコットランドには適用されず、しかもイングランド-スコットランド協定で1863年まで、イングランド人であってもスコットランド法による未成年者が親の同意を要せず、婚姻予告も婚姻許可証も必要のない自由な結婚が可能だった。スコットランドでは改革教会はトレント公会議に対する反発で、なお古き婚姻約束の法を墨守していた。

 このためにイングランドとの国境地帯に多くの結婚媒介所が設立され駆け落ち婚のメッカとなった(グレトナ・グリーン結婚)。

 純愛に燃える二人が轟く胸を抑え、はるばる北国へ自由な結婚の聖地をめざし四頭馬車を駈けるロマンチックな結婚は人気となり、恋に恋する乙女たちの憧れとなった。[岩井託子2002、松下晴彦2004、加藤東知1927

 このようにして英国で古典カノン法=古き婚姻約束の法が生ける法としての寿命が長かったため、多くの国民が駆け落ちや周囲が強く反対する結婚であっても恋を貫いたのである。結婚は親族のためのものではなく自己自身のためで婚姻の自由は抑制されるべきではないとの法文化が根づいた。そのハイライトがグレトナ・グリーン結婚だったといえるのではないだろうか。

 

4)近代個人主義的友愛結婚の源流は古典カノン法にあり、現代人の結婚観を規定したものであるから、自由な結婚の理念は継承されなければならない

 

 このように英国では古典カノン法は近代まで生ける法だった。秘密婚は非難されたが多くの民衆は婚姻許可証も不要、親の同意の必要のない古き婚姻約束の法により婚姻したのである。個人の心理的充足を第一義とする近代個人主義的友愛結婚(それは我が国でも広く受け入れられている結婚観)は、エンゲルスのいうように近代にはじまるものではなく、古典カノン法の婚姻理念の影響により形成されたものと理解すべきである。夫婦愛を神聖視したのもキリスト教だった。コリント前書7279(淫行を避けるための手段としての結婚)という結婚の目的は、本質的に個人主義的心理的充足のためのものであって、社会的利害関係とは無縁な思想なのである。典型的な個人主義的友愛結婚の提唱者であるミルトンのいうような、孤独から救済し慰めと平和を得るための結婚観も聖書に基づいており、コリント前書も引用されていることから、同じ思想系譜とみてよい。

 したがって西洋文明の影響下にある文明世界の多くの人々の結婚観の基本はカノン法の自由な結婚理念だった。。我が国においても憲法24条が両性の合意に基づくとして合意主義婚理論は継受しているのであるから、その理念は継承されなければならず、ゆえに婚姻の自由を抑制する婚姻適齢を引き上げることに反対である。

 また結婚の自由は、中世カノン法にもとづくから、近代の経済的自由、営業の自由、宗教の自由、言論の自由といった観念より古い。近代の個人主義的自由主義の源流はカノン法なのである。それゆえ継承されるべき理念である。

 とはいえ私の主張は、妥協的なもので、教会法にはきわめて好意的な考えだが、だからといって未成年者の親の同意要件を否認するものではない。世俗国家立法の考え方を否定もしないのである。その理由は、親の監護教育権は宗教の自由と関連し、現代では無視できない人権となっているからである。

 現代においては親族の利害のために家子の結婚を利用する考え方が衰退しているだけでなく、世俗政府の家族関係、親権への干渉は危ういものと考えるためである。

 しかし婚姻適齢では文明の理念を継承するために妥協できない。

 もっともカトリック教会は1918年施行の新教会法典で、婚姻適齢を男16歳、女14歳としているが、それでも世俗国家よりも低い基準となっているのは、当然のことである。

Iコリント79節(田川建三訳)

「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」

 remedium concupiscentiaeの観点からパウロは我慢しなくてよいと言っている。したがって16歳・17歳女子と求婚する男性に我慢を強いる法改正に当然反対しなければならない。真正クリスチャンならなおさらのことである。

 AKB総選挙で結婚宣言をした須藤凜々花の2017621日のスポーツ紙記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛でない」という名言が大きく報道され反響を呼んだ。聖書的にも正しいと思う。彼女は20歳だが、1617歳女子も同じことである。夫婦の情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけあい、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものであり、それによって人生の困難、苦労も乗り越えられる。幸福追求に不可欠な価値である結婚を我慢する必要はないし、我慢を強いる法改正はまさに悪魔の法改正だといわなければならない。

 

文献表(引用・参考)

 

(附属論文)第五章結婚は自由でなければならない 婚姻法制史  概略バージョン2

2 概略 バージョン2(バージョン1とかなり重複する)

 

 

(1) 明治民法施行前、そもそも婚姻適齢法制がなくても何の問題もなかったし、婚姻適齢を引上げる正当な理由は何一つない

 

 我が国の婚姻適齢法制は 養老令戸令聴婚嫁条が男15歳女13歳(唐永徽令の継受)、明治初期は婚姻適齢の成文法はなく、法定強姦罪に相当する改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈としていた。[小木新造1979

 明治民法(明治31年、1898年施行)は婚姻適齢男子17歳、女子15歳と制定したが、明治の30年間のように婚姻適齢の成文法がなかったというのは、婚姻年齢のことは国家が規定せず民間の慣習に干渉しなくても、本質的には何の問題もなかったといえるのである。

 明治民法のように医学上の見地から母胎の健康保持に必要な体力を有する年齢を婚姻適齢とする考え方も、身体的心理的成熟には個人差があるだけでなく、医学の発達、女子の体格・栄養状況から見ても、出産リスクが小さくなった今日には不要であり、婚姻適齢を引き上げる理由はむしろなくなったというべきである。

 

() 婚姻適齢法制の文明基準2000年以上続いているローマ法の男14歳女12

 

 結婚の定義とはなんだろうか。西洋の単婚理念をあらわすものとしてひとくちでいえばユスティニアヌス帝の法学提要にある「婚姻を唯一の生活共同体とする一男一女の結合」といえるだろう。[船田享二1971 24頁]

 法制史的に言えば婚姻適齢法制の文明基準は2000年以上続いているローマ法の男14歳、女12歳で、カノン法はローマ法を継受し、コモン・ローもカノン法と同じである。もっとも、カトリック教会は1918年施行新教会法典で婚姻適齢を男16歳、女14歳とし、英国も1929年に制定法で男女とも16歳を婚姻適齢としている。

 しかし、マサチューセッツ州は、現在でも未成年でも親の同意もしくは裁判所の承認で、男14歳、女12歳を婚姻適齢とし、ニューハンプシャー州は同様に男14歳、女13歳であり、20173月婚姻適齢引上げ法案は議会が否決したのであり、2000年の伝統はなお継続しているというべきである。

 ローマの適齢法制はアウグストゥスの婚姻立法以来女子の婚約年齢を7歳、婚姻適齢を12歳としたことにはじまると考えられる。

 船田享二[1971 49頁]は「婚姻適齢は、男子については最初は個別的に決定され、後には満十四歳に達したときとされ、女子については第十二歳目に入ったとき規定された。」と述べ出所はガイウス1196、ウルピアヌス1128、学説類集1248、勅法類集5603としている。

 

(3)親や領主の同意要件を否定し未成年者の婚姻を肯定する教会法が婚姻成立要件では人類史上もっとも自由主義的な立法である

 

 ラテン的キリスト教世界で婚姻が霊的裁治権として教会裁判所の管轄となったのは10世紀である。婚姻適齢はローマ法を継受した。グラティアヌスは教会法で明らかにされていない問題はローマ法に従うべしと述べているのでこれは自然な流れである。

 婚姻成立についてはパリ学派の合意主義と、ボローニャ学派の合衾主義との対立があったが、教皇アレクサンデル三世(位11591181)が緩和的合意主義を決定的に採用し、教会婚姻法が成立した。当事者の自由意思による現在形の言葉による相互的な合意(二人の証人)だけで婚姻は成立し、合衾により完成婚とされた。未来形の言葉による相互的合意は、合衾の時点で婚姻が成立するというものである。

 ユスティニアヌス帝が当事者の合意によって婚姻が成立する原則を明確にしており、大筋でローマ法の無式諾成婚姻理論を継受したといってよい。

 ただし1つ大きな違いがある。ローマ法は婚姻当事者が家長権に服するときは家長の同意を必要とするとされているが、教会法は親や領主の同意要件を明確に否定している。

 婚姻は自由でなければならない。その神学的根拠は何だろうか

 結婚の目的として初期スコラ学者はコリント前書72節,79節(淫行を避けるための手段としての結婚)を決定的に重視した。これが婚姻の自由の聖書的根拠の第一にあげてよいだろう。

 淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと初期スコラ学者により公式化された教説である。ふしだらな行為、姦淫を避け放埓さを防止するため、情欲に燃えるよりは結婚したほうがよいというもので、パウロは、独身であることがより望ましいとしているが、しかし多くの人は、性欲を我慢できない、ゆえに結婚は自由で容易に成立するものでなければならないのである。

 結婚に関して最大限自己決定権を認める古典カノン法の無式合意主義婚姻理論は秘密婚の温床となった。この自由な婚姻理念は、結婚に伴う社会的利害関係を捨象しており、親権者の子供の結婚のコントロールを困難にするものであったから、世俗社会と軋轢を生じた。しかし教会は自由な婚姻のために数世紀にわたって世俗権力と抗争したのである。

 教会は教会法では秘密婚を防止できないという非難をかわすために1563年トレント公会議閉幕年に婚姻予告と教会挙式を義務化したが、フランス(ガリカニスム教会)からの親の同意要件の要求は断固として拒否し、このため1566年フランス国王アンリ2世は「婚姻に関する王示」により、独自の婚姻法を定めた[小梁吉章2005]。これが婚姻法の還俗化の嚆矢である。

 したがってカノン法の男子14歳、女子12歳の婚姻適齢というのは、親や領主の同意要件のないものである。婚姻の自由と、修練者となる(結婚せざる)自由は、コインの裏と表であり、未成年者であっても個人の自由としたことが、教会法は人類史上画期的な意義のあるものといって過言でない。

 少なくともトレント公会議以前、教会法の理念ではロミオ16歳とジュリエット13歳が勝手に婚姻誓約しても婚姻の成立を妨げることはできない。

 しかも教会法学者はさらに婚姻適齢を緩和しようとした。

 「要求される年齢はいくつか?女子は最低11歳半、男子は13歳半である‥‥ただし、法律のいう、早熟が年齢を補う場合は別である。その例=10歳の少年が射精、もしくは娘の処女を奪い取るに足る体力・能力を備えているならば、結婚が許されるべきこと疑いをいれない。‥‥男との同衾に耐え得る場合の娘についても同様であり、その場合の結婚は有効である」Benedicti, J1601. La Somme des peches1601[フランドラン1992 342頁]

 そもそも12世紀の教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢とするとは当然の理といえる。 

 初期スコラ的見解では、結婚の第一義的目的が淫欲の治療薬、情欲の緩和の手段を得るためであるから、性行動が可能な身体的・心理的成熟=婚姻適齢とするのが理にかなっている。

 加えて、結婚は1112世紀の秘跡神学の進展により、花婿キリスト、花嫁教会の結合を象徴するしるしとして、秘跡とされたため、性交や夫婦愛も神聖化された。したがって若いからといって、神聖化された結婚を妨げる理由はない。

 また教会法は性的不能を婚姻障碍としているので、思春期以前の婚姻は実は婚姻障碍にひっかかるのである。したがって14歳・12歳はローマ法にならった目安で、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢でよいわけである。

 婚姻は教会の霊的裁治権とされ、教会法は福音書で告げられた法と同じく神の法であったから、まさしくこれこそが文明基準であった。

 もっとも、トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」では男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]とあり、3つの結婚する理由の1つが情欲の緩和となっているだけだが、聖書的根拠が明確なのは第三の理由なのである。

 また1917年に公布されたカトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的に後退しているものの、現代においても無視できない意義を有することは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。

 

 

(4)秘密婚を容認する古典カノン法が近代まで継続したイギリス(結婚は自由でなければならない、それは現代人の結婚観の基本となった)

 

 婚姻法の還俗化は、ルターの教会法拒否と、16世紀のフランス王権による婚姻立法を嚆矢とするが、イングランドが婚姻を世俗議会の立法としたのがフランスより200年遅れた1753年のハードウィック卿法、婚姻と遺言検認が教会裁判所の管轄から世俗裁判所に移管したのが1857年であった。

 イギリスは15世紀の宗教改革により、トレント公会議を受け入れる理由はなく、中世教会婚姻法は、「古き婚姻約束の法」(コモン・ローマリッジ)と称され生ける法として継続した。それは、教皇アレクサンデル三世の法といってもよいし、中世最大の教師にしてパリ司教ベトルス・ロンバルドゥスの合意主義婚姻理論そのものといってもよい。

 スコットランド改革教会はトレント公会議に強く反発していたので、要式主義をとらず、古典カノン法の無式合意主義が継承された。

 このため英国は、フランスや大陸よりも古典カノン法の自由な理念が近現代まで色濃く継承された。

 これは逆説ではない、そもそも教会婚姻法成立期に、イングランドから活発な教皇上訴があり、英国で採録された教皇令が、13世紀のグレゴリウス9世教皇令集に多く採録されており、イギリスは古典カノン法形成に寄与したばかりでなく、そもそもアングリカン教会というのも教皇アレクサンデル3世の命名で、王権・諸侯は土地の相続に関して、教会裁判所の干渉を拒絶したが、英国において婚姻と遺言検認は教会裁判所の管轄権として安定していた。メイトランドがいうように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだったのである。

 もっとも英国教会は1604年に、婚姻予告もしくは婚姻許可証による挙式を義務付け、未成年者の親の同意要件を定めるが、一方で無方式合意主義婚姻理論の「古き婚姻約束の法」(古典カノン法と同じ)も生ける法であったため、歴史的由来(教皇の免除により理論上は教皇の直轄)により、主教の管轄の及ばない特権教会や特別教区が存在していたので、そこでは親の同意のないカップルであれ法的に有効な婚姻となった。

 このためロンドンのメイフェア礼拝堂と、フリート監獄、フリート街(フリート結婚)が特に有名な秘密婚媒介所であり、カップルの聖地となった。

 当時のロンドン市民の多くは、たとえ駆け落ちでなくても、教区教会での婚姻予告を嫌っており秘密結婚センターで結婚した。自由な結婚を求める民衆が少なくなかったのである

 しかし、1753年ハードウィック卿法により英国においても婚姻法を還俗化し、挙式と未成年者の親の同意要件を定め、ついに「古き婚姻約束の法」を無効とした。

 しかし、これで自由な結婚が終焉したわけではなく抜け道があった。同法はスコットランドには適用されず、スコットランド改革教会はトレント公会議に強く反発したことから古典カノン法は継続していた。イングランド-スコットランドの協定でイングランド人がスコットランド婚姻法によって結婚しても有効な結婚とされていたのである。

 このため、スコットランドの国境地帯に結婚媒介所が営業され、駆け落ち婚のメッカとなり、純粋な愛に燃えたカップルが胸を轟かせ馬車を駈けるロマンチックな結婚は大人気となった(グレトナ・グリーン結婚)。しかしこれも風紀が乱れたため1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られると定めたことによりグレトナ・グリーン結婚は衰退することになる。

 とはいえ英米文化圏において、婚姻の自由が重視されるのは古典カノン法=コモンロー・マリッジが一貫して、束縛のない自由な結婚の理念を色濃く継承してきた数百年の歴史的背景によるのである。教会法は名家のお嬢さんと家令という身分差のある結婚を断固として擁護した。フリート結婚は、客引きが寄ってきて聖職禄を剥奪された僧侶が立ち会う如何わしい雰囲気のある結婚だったが、グレトナ・グリーン結婚は馬車を駈けるロマンチックなもので有名人士も多くスコットランドで結婚し、演劇や文学作品の題材となった。要するに、婚姻予告が不要で、未成年者でも親の同意なく自由な結婚がなされていたことが語り継がれ、「結婚は自由であるべきである」」という法文化が浸透している風土が英米文化圏にはあるといえる。

 私は近代社会の自由(経済的自由・宗教の自由等精神的自由)、個人主義的自由主義の起源は、カノン法の結婚の自由にあるという見解である。それゆえ文明史的意義のあるものであるから、この法文化は継承されなければならない。ゆえに婚姻の自由を抑制する、婚姻適齢引上げに絶対的に反対である。

文献表(引用・参考

 

 

(附属論文)第五章結婚は自由でなければならない 婚姻法制史本文 

3 本文 (長文バージョン・概略を補足し重複もあるが、比較的詳しく説明する)

 

 

(1)ローマ法

 

  古典カノン法の無式合意主義婚姻理論はローマ法の諾成婚姻理論を継受したものとされているのは次のような経緯によるものである。

 ローマでは古い時代においては、マヌス婚という夫権取得のための特定の方式(共祭または共買の)履行が求められる厳格な婚姻がなされた。これによって嫁女は夫権に服従するとともにいずれ家母となる地位を得た。

 しかし古典時代の法は夫権取得とは無関係に当事者が夫たり妻たる意思を実現する場合にこれを婚姻と認めて、それ以外に特殊な方式の履行、要件を規定しなかった。

 とはいえ実際上は、婚姻と事実上の結合を区別する諸種の手続が履行されることを常とし、古い時代の迎妻式はキリスト教の浸潤とともに、異教的とみなされ廃れるようになったが、帝政時代には一般的には婚姻締結のために、書面を用い、嫁資の設定を重視するようになった。

 西ローマ帝国末期の458年マイオリアヌス帝の勅法は嫁資の設定に証書の作成を必要とし、作成されない場合に婚姻を無効としたが、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が例外を除いて旧原則に戻した。[船田享二1971改版32頁]

 ユスティニアヌス帝の学説類集(Digesta533年)は、女が男の家に入る前にも婚姻が成立することを説く法文を採録した。帝はこのように迎妻の事実は必要とせぬ原則を示すとともに、他方書面の作成または嫁資の設定を婚姻成立のために重視しようとする一般の傾向に対して、嫁資の設定がなくても婚姻が当事者の合意によって成立するという古来の原則を確立する[船田享二1971改版40頁]

 ローマ法大全を編集させたユスティニアヌス帝が合意主義を原則とした歴史的事実は重い。カノン法に継受されるのもある意味では当然の成り行きともいえる。結局のところ、ローマ法もカノン法も、カノン法そのものであるコモン・ローマリッジも大筋では同じ理論と解釈できる。

 

(2)キリスト教とセクシャリティ(カノン法成立の背景と現代人の結婚観の基本)

 

 古典カノン法の成立は12世紀である。キリスト教とセクシャリティについてはそれ自体、大きなテーマであるが、カノン法成立の背景としてこの際概観したうえ、現代人の結婚観の基本となっていることを明らかにしたい。

 

 

A 新約聖書における三種類の全く異なった思想

 

 結婚や家族について、新約聖書はかなり異なった三つの思想が併存しているといえる。結婚や家族としての義務に消極的なイエスの使信(終末論的独身主義)、独身が望ましいが仮言命法的に消極的に結婚を是認する真正パウロ(終末論的独身主義)、結婚を肯定し、家庭訓を備え、脱社会的傾向の危険を防ぐためこの世的な社会制度にかかわることを是認する第二パウロ書簡等のことである。3つの思想は相矛盾しているともいえるが、重畳的に理解するならば最大公約数的には、独身者が優位というべきであり、独身聖職者制を揺らがないとしても、一般人の結婚は否定せず、後の秘跡神学にみられるように善として肯定してもよいということになるだろう。

 

 

a)婚姻と通常の社会関係に否定的な反(脱)社会思想(イエスの急進的使信)

 

 イエスは去勢した人々(マタイ1912)不妊の女を讃えた(ルカ2329)また共観福音書には結婚と死を、独身主義と永遠の生命を結びつける思想が示されている[ぺイゲルス1993 57頁]。結婚に否定的な考え方は復活の問答に示されている。夫を失った女性が順次その弟と再婚した場合(レヴィラート婚)復活の際に彼はだれの妻となるのかという問答で、イエスは復活後の人間は天使のような存在になるから結婚関係は問題でなくなるという(マルコ121817節、マタイ222333節、ルカ202740節)。[澤村雅史2017

○ルカ203435

イエスは彼らに言われた『この世の子らはめとったり嫁いだりするが、かの世に入って死者のなかから復活するのにふさわしいとみなされる人々は、めとることも嫁ぐこともない。彼らは天使に等しい者であり、復活の子らとして、神の子であるゆえにもはや死ぬことがないからである』」

 またイエスは、すべての所有物を放棄せよ(マルコ1021節、ルカ1233節)、家族を捨て、畠を捨てよ(マルコ1029節)両親・伴侶・子どもに対してであれ、家族の義務を捨てよと信従者に命じた。「‥‥自分の父、母、妻、子供、兄弟、姉妹をさらには自分の生命をも憎まなければ、私の弟子になることはできない」。(ルカ1426節)。

 このようにイエスは家族の絆を裂き、破壊することを認めた。

○ルカ124953?

「私が来たのは、地上に火を投ずるためである。‥‥あなたがたは私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか、否、言っておくが、むしろ分裂である。今から後、ひとつの家族では五人が分裂し、三人が二人と、二人が三人と対立する‥‥」と述べユダヤ人の社会生活のなかでも最も神聖とみなされている家族の義務を退けた。

 このようにイエスの使信は結婚や家族に否定的である。

 

b)仮言命法による結婚の消極的是認(真正パウロ-コリント前書7章)

 

  パウロの真筆書簡のなかで結婚やセクシャリティに関して集中的に述べているのは、コリント前書7140節である。(いうまでもなく第一コリント書は5456年エフェソで書かれた疑う余地のない真正のパウロ書簡である。パウロの名に帰せられている13ないし14書簡のうち、パウロの真筆は、ローマ人への手紙、コリント人への手紙第一、第二の手紙、ガラテヤ人への手紙、フィリピ人への手紙、テサロニケ人への第一の手紙の6書簡とされている。)

  パウロはコリント教会からの質問に答えるかたちで、結婚は淫欲の治療薬(259節)であるとされ、これは初期スコラ学者によって情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとして公式化されたように、新約聖書を根拠とする結婚の目的の第一として強調してよいと私は考える。

 対抗宗教改革のローマ公教要理でも3つの結婚をする理由づけの一つになっている。

 パウロ自身は独身をもっとも理想的な状態として考えているが(78節)、それを万人にあてはめようとはしない。 

 ひとくちでいえば現在終末論的独身主義といえるが、「もし自制できなければ結婚したほうがよい」(79節)というように仮言命法で結婚を消極的に肯定している。

 また、妻の身体は夫のもの、夫の身体は妻のもの、義務的性行為と、相手の性的要求を拒んではならないことも言及している。

○Ⅰコリント715節(田川建三訳)

「‥‥人間にとっては、女に触れない方がよい。しかし淫行(を避ける)ために、それぞれ自分の妻を持つが良い。また女もそれぞれ自分の夫を持つが良い。妻もまた夫に対してそうすべきである。妻は、自分の身体に対して、自分で権限を持っているのではなく、夫が持っている。同様に、夫もまた自分に対して自分が権限を持っているのではなく、妻がもっているのである。互いに相手を拒んではならない。‥‥‥」

Iコリント789節(田川建三訳)

「結婚していない人および寡婦に対しては、私のように(結婚せずに)いるのがよい、と言っておこう。もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」

 

○Ⅰコリント736

(田川建三訳)

「もしも誰かが自分の処女に対してさまにならないことをしていると思うなら、彼女がすでに十分に成熟しており、かつそうすべきであるのならば、その欲することをなすがよい。それは罪を犯すことにならない。結婚するがよい。」

(新共同訳)

「もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。」

(バルパロ訳-講談社)

「年頃を過ぎた娘を不面目に思っている人で、何とかとしようと思うなら、心のままにするがよい。それは罪を犯すことではない、結婚させてよい。」

 生殖目的の結婚という位置づけはしていない。これは29節「定められた時は迫っている」、31節「この世の形ある頼りになるものは過ぎ去って消える」[織田昭2007 16]としている現在終末論の脈絡から当然のことといえるだろう。

 

c)結婚を肯定し家庭訓を説く(第二パウロ書簡と第一ペトロ書)

 

 パウロの名に帰されているが、文献学的に真筆性が疑われているものを第二パウロ書簡という。エフェソ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への第二の手紙、テモテへの第一、第二、テトスへの手紙、ヘブライ人への手紙である。

 新約聖書のなかでも比較的後期、AD80年から100年前後、パウロ系の教会の弟子筋の筆による偽作である。

 公同書簡第一ペトロ書は、70年以降の成立で、ペトロによるものではないとするのが有力である。

 後述の異端者ヨウィニアーヌスが発見したⅠテモテ514節、へブル134節は明確に結婚を肯定している

 また結婚関係による夫婦関係をキリストと教会の関係になぞらえる表現がある。(エぺゾ52425節)

 

○エぺゾ書52225節(田川健三訳)

 すなわち、妻は自分の夫に対して主に対するように(従え)。キリストが教会の頭であるのと同様、男が女の頭なのだ。キリストはまた(教会という)身体の救済者でもあるけれども、教会がキリストに従うようにして、妻はあらゆることについて夫に従え。夫たちよ、妻を愛せ。キリストもまた教会を愛し、教会のためにみずからを引き渡したもうたのだ。

 

 また正しい、健全な夫婦倫理・家族道徳を論ずる箇所が多くあり、のちにルターによって「家庭訓 」(Haustafel)とと呼ばれた(コロサイ318節-41節、Ⅰテモテ28節-31節、612節、Ⅰペテロ21837節など。なおⅠテモテ43節は敵対者の教えのなかに結婚の禁止がふくまれていると述べている。)〔澤村雅史2017

 

「家庭訓」の一部

○コロサイ書31820(田川健三訳)

 「女たちよ、男たちに従え。それが主にあってふさわしいことである。男たちよ、女たちを愛せ。そして女たちに対してきつく対応してはならない。子どもたちよ、あらゆることについて両親に従え。これが主にあってよく気に入られることである。」

 

 家庭訓は原始教会に由来しないとする説が有力で、ヘレニズムないしヘレニズムユダヤ教の倫理的訓戒・家政論を背景としているとされるが、それとは異なる特徴も指摘されている。

  例えばコロサイ書 の家庭訓においては、当時社会的に弱小・劣者とみなされた妻・子供・奴隷などが、倫理的責任を負う呼びかけの第一対象に位置づけられていること。

 また19節では、妻への命令に続いて夫への勧めが述べられている。「愛しなさい」がヘレニズムでの道徳訓(家政論)にはないというところが違う[山内昇2000]

 家庭訓を備える第二パウロ書簡等は、禁欲主義的、急進的なグループに反対し、キリスト教徒が脱社会的傾向に陥る危険を防ぐため、構造・社会制度に積極的にかかわることを勧め、それぞれの社会の場における「主」への従順の実践を促す機能を果たした。

 つまり常識的市民倫理(ペテロ第一21314節は「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが統治者の皇帝であろうと‥‥」とある。)結婚、家庭等、よきこの世性が肯定されているのである。

 第二パウロ書簡の真筆性の疑いは決して聖書正典としての価値を毀損する趣旨では全くない。第二パウロ書簡等が正典でなければ、キリスト教は急進的なセクトで終焉してしまい、ローマの公認宗教となり世界宗教に進展しなかっただろうといわれるのである。

(蛇足ながら むしろフェミニスト神学が第二パウロ書簡等の家庭訓を非難し、これは古代道徳で女性が強くなった現代にはあわないと攻撃するのは聖書正典の価値を貶めるものとして非難に値する。紀元後2世紀には、帝国下ではいたるところで女性が職業に従事し、観劇、スポーツ、コンサート、パーティ社交生活に熱中し、あらゆる種類の運動競技に参加し、武器をとって戦場に赴く者もいた[ペイゲルス1992 122頁] 新約聖書の家庭訓は、当時の女性解放的風潮に反対したことも大きな意義といえるのであり、このことは現代にも通じる。宗教改革500周年の今こそ家庭訓の意義を復権すべきだというのが私の考えである。)

 

B 独身優位主義の確定とその決定的な意義

 

 初期キリスト教会において独身を結婚より高く評価する傾向が主流であることは、使徒教父文書より明らかである。 

 4世紀独身者は結婚者よりも聖なる存在ではないと主張したヨウィニアーヌスは第二パウロ書簡に結婚を明確に肯定する思想を発見した。「‥‥若いやもめは結婚して子を産んでほしい」Ⅰテモテ514節「すべての人は結婚を重んずるべきである。また寝床を汚してはならない」へブル134節。ヨウィニアーヌスはさらにマリアの処女懐妊に疑問を呈した。

 彼は「現代のエピクロス」と非難され、四大教父の一人で禁欲主義のチャンピオンたるヒエロニムス(聖人Hieronymus420年)により徹底的に反駁され、ローマ司教シリキウス(位384399)によって異端宣告された。

  ヒエロニムスはヨウィニアーヌスが不当にも、真正パウロ書簡コリント前書第7章を無視していることを激しく攻撃した。

  「もし「男性は女性に触れないほうが良い」(Ⅰコリント71節)のなら、触れることは悪い‥‥[パウロが唯一結婚を許すのは]、「姦淫の故」(Ⅰコリント79節)であって、それはあたかも、「もっとも上等な小麦粉を食べることは良い」ことであるが、しかし飢えた人が排泄物をむさぼり食うなら大麦を食べても良いというもので‥‥」Jerome Adverrsus Jovinianum[ぺイゲルス1993 205頁]

 聖ヒエロニムスが言う以上、真正パウロ書簡であるコリント前書を無視した議論はナンセンスというのが正統的な解釈なのである。

 後に情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとして公式化された教説となったことも頷ける。

  ヨウィニアーヌスの異端宣告は独身聖職者制に挑戦する者を叩きつぶした点で大きな意義があった。独身者優位主義は、結婚せざる自由を確定し、逆説的に婚姻の自由をもたらしたのである。

 

C 情欲の鎮和剤remedium concupiscentiaeとしての結婚目的は決定的で、婚姻の自由のもっとも重要な根拠である

 

  今日、キリスト教の教説において結婚の目的や意義は多義的に用いられているが、古典カノン法成立期の初期スコラ学者(ロンバルドゥスなど)が最も重視したのはコリント前書79 節もし自ら制すること能はずば婚姻すべし、婚姻するは胸の燃ゆるよりも勝ればなり」すなわちふしだらな行為を避けるための結婚、情欲の緩和、情欲という原罪に由来する悪の治療の手段、毒をもって毒を制する同毒療法としての結婚である。これは初期スコラ学者によって淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeと公式化された教説である

  性欲を自制できない大部分の男女は結婚しなければならない。そうしなければもっと悪いことをするだろう。人々は罪を犯し、子は私生児になるだろう。したがって婚姻は容易になしうるものでなければならぬ[島津一郎1974 240頁]。人々に宗教上の罪を犯させたり、子を私生児にしないようにする配慮から結婚は容易に成立すべきものだったのである。ゆえに結婚は自由でなければならない。

  意思せずとも勃起するように原罪によって性欲は免れらないものである。多くの人は制御不可能であり、それゆえ我慢できないなら結婚しなさいとの勧告である。パウロは我慢を強いるものではないから、婚姻の自由を抑制し婚姻適齢を制限することは、反聖書的なものといえるのである。

 remedium concupiscentiaeは古代教父では東方教会最大の説教者にして「黄金の口」と称されたコンスタンティノーブル司教ヨアンネス・クリュソストモス(聖人)が特に重視している。結婚とは自然の火を消すために始められたものである。すなわち姦淫を避けるために人は妻をもつのであって、子どもをつくるためのものではない。悪魔に誘惑されないように夫婦が一緒になることを命じる。「一つの目的が残った。すなわちそれは、放埓さと色欲を防止することである」『純潔論』[ランケ=ハイネマン1996 77頁]

 アウグスティヌスは子孫をつくることを結婚目的としたが、パウロのテキストに密着し忠実なのはクリュソストモスである。ゆえにクリュソストモスを評価する。

  私が生殖目的の結婚という趣旨を好まない理由はストア主義者など異教に由来するものと疑っているためである。

  第二パウロ書簡の意義については既に述べたとおりである。しかしながら真正パウロ書簡、コリント前書の淫欲の治療薬remedium concupiscentiaeは真筆であるがゆえに、より決定的な意義をもつということは、聖書解釈として正当なものだといわなければならない。

  13世紀 パリ大学の教授だったオーベルニュのギヨームはこう言った。「若くて美しい女と結婚することは望ましい」なぜなら「女を見ても氷のようでいられる」と同毒療法の教説を述べた。

  むろんコリント前書は、コリントが当時ギリシャ最大の産業都市で、神殿売春もさかん(否定説あり)で誘惑の多い都市であったことを背景としているが、真正パウロ書簡のなかで、結婚の意義について主としてふれているのはコリント前書第7章なのであり、結局真正パウロが結婚の目的として示しているのは「情欲の緩和」くらいしかないのであるから、初期スコラ学者がこれを重視したのは全く正当といえる。

 ジャンセニストという禁欲主義者は生殖目的を重視するが、生殖を結婚目的とする思想は先に述べたようにキリスト教固有のものではない。

 トレント公会議後の公式教導権に基づく文書である「ローマ公教要理」Catechismus Romanusでは男女が一つに結びつかなければならない理由として第一の理由は、相互の扶助の場として夫婦の共同体への自然的欲求、第二の理由として子孫の繁殖への欲求、第三の理由として原罪に由来する情欲の緩和の手段を得るためである。[枝村茂1980]とあり、3つの結婚する理由の1つが情欲の緩和となっているだけだが、聖書的根拠が明確なのは第三の理由なのである。

  また、1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化され、情欲の鎮和は第二目的に後退しているものの、現代においても軽視されていないのは聖書的根拠が明白であるから当然のことだろう。

 近代人は「情欲の緩和」とい結婚目的にあまり好意的でないことが少なくない。

 それは近現代社会が中世よりも非暴力的、道徳的に管理されすぎた社会となり、性的にも禁欲的であることが建前となったため、現代人が非常に性的に抑圧された生き方をしているためである。古代・中世はそうではなかった。15世紀のフランスではどのような都市でも市営娼家があり上りの料金は職人の日給の八分の一以下の廉価だった。それにもかかわらず強姦は多発し、ふつうの徒弟、商人の子息が通過儀礼的に集団強姦に参加した[フランドラン1992 346頁]。むろん犯罪ではあるが堅気の妻や娘でなければ大目にみられた。

 アウグスティヌスが意思せずとも勃起すると悩んだように、中世では性欲は制御不可能なものという認識であった。それは人間性を正しく理解しているといえるだろう。

 

 

D コリント前書「情欲の緩和」が近代個人主義的友愛結婚の思想的源流でもある

 

 私は初期スコラ学者が公式化した「情欲の緩和」remedium concupiscentiaeが結婚の最も重要な目的・意義と考える。むろん夫婦の相互扶助の意義もあるけれども、パウロは結婚の目的についてそれくらいのことしか言っていないのである。

 淫行という悪事を避けるための結婚というのは目的としては消極的な結婚観ともいえるが、婚姻の自由の根拠となった。「もしも我慢できなければ、結婚するが良い。燃えさかるよりは、結婚するほうがましだからである。」(Ⅰコリント79節)。我慢する必要はないのである。

 AKB総選挙で結婚宣言し話題となった須藤凜々花がスポーツ新聞記者会見で「我慢できる恋愛は恋愛じゃない」と語った(報知新聞2017623日)というが、聖書的に正しい。結婚を我慢する必要はないし、パウロの勧告に従って結婚するのは正しい。

 ゆえに教会婚姻法(古典カノン法)は、婚姻に関して儀式も不要、主君や血族の干渉も排除し、婚姻適齢以前に合衾した場合は婚姻が成立するのである。つまり結婚の目的を個人主義的心理的充足のためのものとしたのである。恋愛の結実としての結婚を容認し、それはいわゆる近代個人主義的友愛結婚の理念に継承されていった、それは我が国でも広範な国民から支持されている結婚観念である。

 近代個人主義友愛結婚とは典型的にはミルトンが離婚論で展開した、慰めと平和を得るための結婚といえる。それはミルトン独自の思想というより、17世紀イギリス人の一般的な観念でもあった。

 ミルトンにとって結婚とは、アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を」を得るためのものだった。

 ミルトンのいう「交わり」にはもちろん性交も含む概念である。幸福追求の手段としての結婚である。[稲福日出夫1985

 鈴木繁夫[2015]により敷衍するとミルトンの結婚における第一義的目的とは「神が原初において人間に結婚を命じたとき、その目的は「男と女が適切に楽しく交わり、その交わりによって、男は孤独な生活という害悪に対して慰めをえ、元気づけるため」(『離婚の教義と規律』)であるはずだという。魂のレベルにおける深い知的交流、一緒にいて楽しいという感情的交流、体感の疎通、性器性交のエクスタシーまでを含んだ広い意味での慰めが夫婦の交わりとして、結婚には保証されているというのだ」

 ミルトンは、コリント前書79節について、創世記218節「神言給ひける人独なねは善からず我彼に適ふ助者を彼のために造らん」と結びつけ持論に引きつけた特徴的な解釈をとっている。

「私たち皆が知っているとおり、パウロは「情の燃えるよりは結婚する方がよい」といっている。それゆえ、結婚はその悩みの救済策として與えられたものである。しかしこの情が燃えるというのは何を意味するのだろうか。単なる肉欲のうながしや、情欲の刺戟ではないことは確かだ。神は特にそんな獣どもをかえりみたもうことはない。してみると‥‥楽園でアダムの心に神が起こされたあの願い-すなわち人が独りでいて情を燃やすのはよくないとみられた神の願い-結婚という楽しい共同生活で、自分の魂にふさわしい魂を備えた別の肉体と結合することによって、冷酷な孤独感を追い払いたいというあの願い-それ以外の何物であろう」

The Doctine and Discipline of Divorce, ChapterⅡ.[西島正1954 163頁]

 ミルトンは貞潔な清教徒であるから遊蕩的なことはない。むろん結婚まで童貞であったはずだ。この解釈は禁欲が前提となってしまたった近代的バリエーションと理解してもよい。結局のところ淫欲からの救済も、孤独からも救済も、個人の心理的充足を第一義とする結婚観であることに相違ないのである。

 ミルトンがアダムとイブから結婚観を組み立てるのはテクニックだろう。秘跡神学のように結婚を花婿キリスト、花嫁教会の一致を象徴するしるしとしてしまうと、聖なる絆となって離婚論が成り立たなくなるからだろう。しかし夫婦愛を神聖視してる点で大差ないともいえるのである。

 むろん婚姻非解消主義とミルトンの離婚論は大きな違いがあるとはいえ、ミルトンとてコリント前書79を引用しているし、クリュソストモスや初期スコラ学者と同じく、生殖を婚姻の主要目的とみなさない点で、思想的には同一の系譜に属するという見方ができるのである。

 

 つまりキリスト教のこの教説は結婚の第一次的意義が、それは親族を喜ばすためのものでもなく、財産を増やすためでもなければ、世間体としての義務でもなく、当事者の心理的満足のためであるという結婚の意義をふつうのものとしたのである。それは古典カノン法の影響が近代まで濃厚だった英国の婚姻風俗史を検討すれば明らかなことである。なるほど基層文化として婚前交渉のある自由な恋愛風俗は西欧にもアジアにもある、しかし婚姻の法文化で個人主義的目的を第一義とする類例を知らない。

 以上のようにコリント前書第7章に示される「情欲の緩和」「淫欲の治療薬としての結婚」は、近代個人主義友愛結婚の思想的源流の一つでもあり、現代人の結婚観に通じているものと理解することができる。

 

 

(3)教会の管轄権となった婚姻と、秘跡神学の進展

 

 ラテン的キリスト教世界では、カロリング朝が終焉した10世紀半ばに、世俗権力に対し教権が優位に立つようになり、9世紀に成立した偽イシドルス教令集は偽書であるが、教皇主権の根拠とされた。10世紀には婚姻を教会の霊的裁治権として教会裁判所の管轄権とした。

 また1112世紀の秘跡神学の進展により、結婚は花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴として積極的な意義が認められるようになった。1139年ラテラノ公会議で婚姻を基本的に悪ときめつけたカタリ派とアルビ派が異端宣告されたこともあり、スコラ学者は婚姻の秘跡性を明確に説明する必要があったからである。

 花婿キリストと花嫁教会の結合の聖なる象徴というのは、エぺゾ書にも奥義とされているので、もちろん古い思想である。

 枝村茂は、ヴェールかけの儀式について、ローマの婚姻典礼と、童貞女の奉献の典礼との一致を指摘している。婚姻典礼とは婚姻への祝福ではなくなり、花嫁のみの祝福になった。その理由はコリント前書711節にある。真正パウロによれば、男性は直接的に神の像であるけれども、女性はそうでない。したがって男は直接的にキリストを象徴し、女は教会を象徴する。したがって婚姻の祝福もヴェールの覆いも女だけ必要である。

 すなわち、キリストに対する妻たる教会の愛と奉仕が、夫に対する妻の愛において象徴的に表されるのである。妻にとっては夫はキリストのかたどりであり、彼女の夫に対する忠実と奉仕はキリストへの間接的奉仕を意味したのである。ヴェールに覆われた花嫁とは、キリストの似姿として純潔なものとして捧げられた女性なのである。童貞女は直接的に、人妻は間接的にキリストに仕えるということである。[枝村1975

 婚姻成立理論については12世紀中葉までフランス学派の合意主義、シャルトル司教イヴォ(没1116頃)、ランのアンセルムス(没1117)、サンヴィクトルのフーゴー(10961141)、ぺトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)らと、ボローニャ学派のグラティアヌス(没1150?)の合衾主義で論争となったとされる。しかし、私が検討した限りでは、ロンバルドゥスとグラティアヌスとではさほど大きな違いはないようにも思える。決着をつけたのは教皇アレクサンデル3世(位11591181)であり、後述するような緩和的合意主義婚姻理論を決定的に採用した。

 合意主義婚姻理論はローマの諾成婚姻理論の継受ともいえる。ローマでは古い時代は、単なる合意だけではなく現実の迎妻の事実も必要とされたが、ユスティニアス帝により当事者の合意によって婚姻が成立するという原則を確立していたのである。

 このように本来の教会法の婚姻とは当事者の合意としての民事行為である。東方教会では、婚姻とは司祭の行為であり典礼儀式のことであったが、西方では合意説theria cosensusをとっており、12世紀では婚姻の秘跡とは婚姻という一つの現実において表象されるキリストと教会の結合の秘儀というものであったから、司祭の祝福や典礼儀式と結びつけられることはなかったので、教会儀式は神学的にも婚姻成立のために不要だったのである。

 例えばサン・ヴィクトルのフーゴーは、婚姻論を書いた最初の神学者であるが、非常に合意主義にこだわった立論をしているのが特徴である。婚姻を合意によってお互いに自分自身を相手に対して義務づける夫と妻の合法的生活共同体としたうえで、「彼の見解を要約すれば可見的共同体として-キリストとその教会との一致のかたどり-は夫婦愛と婚姻の人格的関係)の表現形態であり、他方この夫婦愛は神と人間との霊的関係を表象する外見的しるし(sacramentum)である。‥‥婚姻のもつ成聖の独自性はの人間に対する神の秘跡としての夫婦愛のなかに見出されるのである。」[枝村茂1975]。このような夫婦愛を神聖視したもう一人の神学者としては13世紀のヘールズのアレキサンデル(11901245)の結婚を秘跡として受けた人の恩恵とは愛の霊的一致(unio spiritualis caritatis)という思想をあげることができる。

 ペトルス・ロンバルドゥスはキリストと教会の一致をかたどる一つのイメージは結婚愛によって開始され、性交により完成されるとする。[枝村茂1975

 また教皇アレクサンデル3世は、性交によって完成された婚姻はキリストと教会の秘儀のイメージをその中に有しており、キリストと教会の不解消的一致の秘跡であると述べている。[枝村茂1975

 このように、12世紀の秘跡神学は、婚姻非解消主義の一つの根拠ともなっているが、一方結婚愛や夫婦愛、性交を神聖視したのであり婚姻とは社会的経済的利害関係が第一義ではないとする近代個人主義的友愛結婚のり思想的淵源であったといえる。

 

 

4)古典カノン法の成立

 

 12世紀中葉、教皇受任裁判が制度化され教皇庁は司法化した。なかでも教皇アレクサンデル3世(在位11591181)は活発に働いて今日700ほどの教令が伝来している。これが古典カノン法の基礎になった。

 教会婚姻法とは教皇に上訴された具体的な婚姻事件などについて教皇の教令などを採録した体系的集成のことで、1234年の教皇庁公認の『グレゴリウス9世教令集』に婚姻法関係が全21166条収録されているが、その三割強がアレクサンデル3世の教令であり[直江眞一2014]、同教皇が決定的な意味でパリ学派の合意主義婚姻理論を採用したのである。正確にいえば緩和的合意主義といい、現在形の言葉による約束で婚姻が成立し、合衾(床入り)で完成婚(婚姻の解消しえない絆)となるというもので、合衾以前に二人とも修道生活に入れば離別は可能としている。

 

 12世紀に確立した古典カノン法の最大の特徴は人類史上類例のない婚姻成立が容易な法文化といえることである。

 つまり、主君、血族による意思決定の排除(親や領主の同意は不要)、儀式も不要、当事者個人の合意のみで(諾成婚姻理論-形式的要件では二人の証人(俗人でよい)を要するが、理念的には法定婚姻適齢(男14・女12)に達していれば「我れ汝を我が妻とする」「我れ汝を我が夫とする」という相互の現在形の言葉による約束で婚姻は成立する(未来形の言葉の合意の婚姻約束(7歳から可)は合衾した時点で婚姻が成立する)というのはラテン的キリスト教世界の教会法だけなのである。

 (もっとも教皇の免除により政略的な結婚も可能だった。例えばヘンリー2世の娘ジョーン10歳をシチリア王グリエルモ2世の妃にしたのは、皇帝とシチリア王国の同盟を阻止する目的で教皇が熱心に勧めた政略的縁談だった。教皇はオールマイティである。)

 直江眞一[2014]の学説史研究によれば、Ch・ドナヒューは1976年の論文でアレクサンデル3世の法理論の新しさは当事者の合意の強調にあったとした。そのような意味で文明史の方向性を定めた教皇といえるのである。しかし2012年にA・ダノンがドナヒューを批判し、1140年教皇インノケンティウス2世がウィンチェスター司教宛ての教令ですでにパリ学派の合意主義婚姻理論により裁決をしており、アレクサンデル3世登位以前から教皇庁内ではフランス学派の理論の影響があったとしているが、インノケンティウス2世の教令は偽書とする説もあり、決着はついていない。私もこの論文を読んだことがあるが、

 インノケンティウス2世は対立教皇アナクレトゥス2世との厳しい抗争が決着がついたとはいえ、当時の教皇が政治的に不安定であったことを考慮すると偽書の蓋然性が高いとの感想をもった。

 合意主義の理念は我が国でも基本的に継受している。憲法24条は「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し」としているがもとをたどれば古典カノン法の無方式合意主義婚姻理論に由来する。憲法24条起草者が西洋の法文化であるとしても古典カノン法を意識してはいないと思うが、その由来は教皇アレクサンドル3世の教令「ウェニエンス・アド・ノース」の婚姻理念にある。

 補足すると、教皇アレクサンデル3世は教令「ソレト・フレクェンテル」の中で、秘密結婚を契約した当事者たちは呪われるべきだし、結婚の合意は証人の前で交換されねばならないと規定したけれども、こうした要請の遵守を有効な結婚の条件とすることを差し控えた。

 一方教令「クォド・ノービス」の中で結婚は「合理的で合法的な理由があれば」秘密裡に契約しても構わないとした。

 教令「スペル・エオ・ウェロ」の中では、司祭の立会なく、あるいは厳粛さがなくても、現在形の言葉による合意によって契約された結びつきは、完全な拘束力を持つとした。[赤阪俊一2008

 このように秘密婚に対して批判的な教令と許容的な教令が混在しているのだが、1170年代の教令は無方式合意主義を確定したといわれるのである。

 教会法はローマ法を継受し婚姻適齢を男14歳・女12歳としているが、教皇アレクサンデル3世は、婚姻適齢前であっても合衾により完成婚に至ったならば性関係を続けなければならないとしているので、合衾(床入り)が可能なら実質婚姻適齢といえる。

 ちなみに現在のカトリック教会は20世紀にカノン法を廃止し成文法典を定めているが「婚姻は法律上能力を有する者の間で適法に表示された当事者の合意によって成立する。この合意はいかなる人間の力によっても代替されえない」(第10571項)[枝村1985]と合意主義婚姻理論を継承しており、婚姻適齢は男16歳女14歳としているものの古典カノン法の理念と本質的には変わってないといえる。

 ではなぜ、グラティアヌスなどの合衾主義は採用されなかったのか。

 第一にヨゼフは許婚者とされるのがならわしだが、サンヴィクトルのフーゴーはマリアとヨゼフの間に真実の結婚があったと主張した。合衾がなくても婚姻が成立するとすれば処女懐胎と矛盾しないのである。[ランケ=ハイネマン1996

 第二はうがった見方だが、当事者の合意が決定的で、主君や血族のコンセンサスを排除したのは、強制的な結婚を否定することにより修道院に優れた人材を供給するためだったともいわれる。結婚の自由は、結婚せざる自由と裏表の関係にあり、独身主義優位思想が結婚の自由を生んだともいえる。

 第三に合意主義はイギリスからの婚姻事件上訴による教皇受任裁判(アンスティー事件についてはわが国でも研究されている)の教皇の裁定により教令集に採録されたもので、基層文化として婚前交渉に許容的な北西ヨーロッパに合致していた。結婚において処女性を重視する地中海沿岸地域では合衾主義でもよかったが教会法はどの地域でも通用する普遍的な制度を採用したのである

 ちなみにアレクサンデル3世は皇帝と長期にわたって闘争し、合意主義の神学者の多いフランスと英国は一貫してアレクサンデルを支持していたので結びつきが強かった。

 第四に合衾(床入り)に証人を求めることが困難な場合があるが、言葉による誓約なら証人の存在により婚姻成立を確定できる。カノン法の証拠法は世俗法に先行した意義を有している。

 合意主義婚姻理論の採用に当たってはペトルス・ロンバルドゥス(没1160パリ司教)の影響力はいうまでもない。中世最大の教師である、中世の神学部の授業とはロンバルドゥス命題論集の註解なのであり、基本的テクストだった。文明の規範提示者であり、それゆえダンテの『神曲』では最後の審判でキリストに陪席する人物となっている。

 しかしこの文明の規範提示者として決定的には教皇アレクサンデル3世である。前名ロランドゥス・パンティネッリ、教皇庁尚書院長から、1959年教皇に登位した。

 同教皇は教皇首位権の確立のため、不撓不屈の精神で中世屈指の傑物皇帝フリードッヒ・バルバロッサと長期(枢機卿時代から通算して20年以上)にわたって闘争し、ついに1177年ヴェネツィア和約でサンマルコ広場において皇帝を跪かせた。またベケット殉教事件でヘンリー2世をノルマンジーに召喚したことでも知られる。その行政・政治力と頭脳の明晰さは明白である。

 同教皇の教令の特徴は、あくまでも結婚についての自己決定権を重視していることである。これほど自由にこだわったというのは偉大というほかない。

 「自由」の原理は「近代世界の最大の成果」といえるが、しかし、その淵源は、中世カノン法の結婚の自由にあると私は考える。もちろん婚姻非解消主義は自由主義とはいえないが、婚姻成立の要件でこれほど自由な法文化はないと結論できる。人類学では結婚とは社会的承認を意味しているが、そうでない結婚を許容しそれが法文化となった点で人類史上の奇跡である。ゆえに教会婚姻法はかけがえのない文明のレガシーである。

 

5)秘密婚をめぐる軋轢、世俗権力との抗争

 

 中世教会婚姻法の無式合意主義婚姻理論の特徴は、秘密婚を許容し、婚姻成立の要件として、家族間の社会的利害関係がいっさい捨象されていることである。[河原温2001 192頁]

 この問題は古典カノン法成立期から意識されていて1215年第四ラテラノ公会議が合意主義の欠点を補うため婚姻予告の制度を奨励したが、依然として聖職者がかかわらない、合意主義の婚姻は有効であった。それゆえに親権者のコントロールがきかないので世俗の慣習と、対立、軋轢が生じた。

 ゲルマンの慣習法でムント婚とは、女性のムント権(庇護・後見権)保持者である、父より夫にムント権が引き渡されるというものである。そのさいムントシャッツなる婚資が贈与され、初夜の翌朝花嫁は、花婿から「モルゲンガーペ」(朝の贈り物)をもらって正式な妻となった。[赤阪俊一2008

 しかし教会法は、結婚を人的庇護権の引き渡しとはみなしていない。婚資や嫁資といった世俗の慣習は婚姻に付随する慣習であっても婚姻の成立要件としていない。当事者の合意により成立、合衾により完成婚となり婚姻非解消となる。要件はそれだけなのである。

 英国において教会の扉の前の儀式を要求したのは世俗裁判所であって教会法ではない。土地の相続は世俗裁判所の管轄権のため寡婦産を確定するためである。金貨・銀貨・指輪の授与は花嫁に終身的経済保障するゲルマン法の動産質である。それがウェディングであり、婚姻成立要件そのものではない。

 12世紀イタリアの法学者ヴァカリウスは引き渡し(迎妻式)を婚姻成立で重視する見解をとっていたが、神学者や教会法学者の主流はそうではなく、教会法はそのような要件を定めるものでは全くない。無式の婚姻誓約だけで有効な結婚であった。

 しかし世俗的には婚姻は単に2人の魂の結合である以上に婚資と相続を通じた2つの家系、家産の結合であり、寡婦産の設定などの財産移転をともなう。身分差のある不都合な結婚は、親族集団や姻戚同士の反目を導き、嫡出子の相続の問題を引き起こし世俗社会と大きな軋轢を生じることとなった。

 英国では1236年マートン大評議会で、教会側の強い反対にもかかわらず、世俗貴族は一致して、教会法(古典カノン法)の婚姻遡及効(後の婚姻による嫡出子の準正-アレクサンデル3世の教令ローマ法を継受した)を拒否した。「我々はイングランド法を変更することを欲せず」(Nolumus leges Anglie mutare)と決議したのである。このためイングランドでは、教会法上の準正子は、年長非嫡出子とよばれ、正当な相続人とはみなされなかった。

 直江眞一[1990]によれば、相続に関して教会裁判所の干渉を避けていたのはイギリスだけではなく大陸でも同じことだという。

 結婚は無方式の行為で成立するとした古典カノン法が人類の叡智とはとても思えないとメイトランドは言った。その意味は教会法は事実婚を否定するからだ。先に婚姻約束した者が、真の妻であり夫なのだ。「世界のどの国民でも、恋人たちは現在形と未来形とを正確に使い分けそうにない。中世において婚姻もしくは婚姻らしいものも非常に不安定であった。永年連れ添った男女の仲が致命的な容易さをもって姦通と証明されたり」した。[島津一郎1974 232頁]。

 『第一教令集』収録の教皇アレクサンデル3世が英国ノーリッジ司教に送った教令をメイトランドは引用している。ここに無方式合意主義婚姻理論の何たるかが端的に示されている。

「ある男女が主人の命により相互に受け入れたが、その際には司祭は同席しておらず、英国聖公会が慣用する儀式も行われなかったこと、そして肉体的に結合するまえに、他の男が上記の女と婚姻の挙式を行い、彼女を知ったということを、われわれは貴下の手紙から理解する。我々の回答は次のとおりである。第一の男と女が、一方が他方に対し゛我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛、我は汝をわがものmeumとして受けいれる゛と述べて、現在に向けられた相互的な合意によって相互に受け入れたならば、その時は前記の儀式が行われなかったとしても、また肉体的交通がなかったとしても、女は最初の男に返還されなければならない。蓋し、このような合意があれば、女は他人と結婚することができず、またはしてはならないからである。しかしながら前記の言葉による合意がなかったならば、また将来の〔言葉による〕合意ののちに性結合が結ばれなかったならば、その時に女は、無のちに彼女を受けいれ、彼女を知った第二の男に委ねなければならない。」

[島津一郎1974 230頁]

 メイトランドにかぎらず、近代人は男女が握手し婚姻約束をしたならば、一生離れられない絆になるという、誘拐しても合意すれば有効な結婚だという諾成婚姻理論を非難する。しかし私は公平な立場で、むしろ世俗権力と数世紀にわたった結婚の自由のために抗争した教会法の理念こそ価値を認めるものである。この婚姻理論を提示したなぜならば神学者に対する敬意と信用による。

 

6)トレント公会議で要式主義へ転化したが親の同意要件は一貫して否定

 ローマカトリック教会はカノン法の無式合意主義が秘密婚と誘拐婚の温床となっているとの非難をかわすため1563 年トリエント公会議閉幕年の第24 総会で婚姻法改正が採択し、新たに教会挙式を要件とし、要式主義に転じたのである[滝澤聡子2005]。ただし56人の司教が伝統的な教義に固執し反対している[ロングレイ1967]。

 もっとも婚姻意思の合致を婚姻の本質的要件としていることは古典カノン法と変わりない。 

 ただし、婚姻の有効成立要件として「教会の面前での挙式」を無効制裁の措置をもって義務付けた。すなわち教会の権威と名において立合う職務上の承認としてカトリックの役務者の二人の単純証人の面前での挙式と合意表明を義務付けた。これを「フォノマ・カノニカ」といいカトリックにおける独特な法規である[枝村茂1985]。

 つまり無方式婚も真の婚姻であり秘跡であるが、婚姻のもつ社会的本性面から公的契約とみなし、契約であるかぎり公共善のために阻止できる体裁を整えたのである。

 公会議のもう一つの措置は、婚姻公告に関するものである。以後においては、婚姻に先立って婚姻当事者の所属の主任司祭によって行われる教区のミサでの説教に際して、つづけて三回の日曜に三度公告がなされる。また聖職者は婚姻登録簿を管理する義務を負う。

 挙式と婚姻公告の義務づけは大きな方針転換といえるが、しかしながらトリエント公会議はガリカニスムのフランスから親の同意を欠く場合に婚姻を無効とする障害とみなすべきという主張を断固として拒否した。

 フランスでは親の同意要件のない教会法のために、貴族は身分違いの婚姻を回避することに汲々とし、貴族の婚姻は国王の同意を要したが、国王の意に沿わない婚姻がなされることで王権のメンツがつぶされたという事情があった。しかしこれは神学的に受けいれられるものでない。

 トレント公会議の信奉者は「家子にたいして婚姻は親の同意なしには無効な契約であると誤って主張するもの」と破門の宣告をして応酬したのである。[ロングレイ1967

 とはいえ、トレント公会議の要式主義は、古典カノン法の自由な婚姻より明らかに後退したといえる。

 

7) フランス-教会婚姻法から離反(婚姻法の還俗化)の嚆矢

 トレント公会議が親権者の同意要件を断固拒否したことは、決定的な対立となった。急先鋒は、ガリカニスムのフランスであった。

 中世フランス慣習法地域の成人年齢は平民で男子14歳、女子12歳、貴族で男子21歳、女子15歳であった。「フランスには父権は存在しない」という法諺もあるくらいである。[田中通裕1987

 しかし15世紀以降フランス王権は、社会秩序を維持するため、父権の強化を図り、成人年齢は男女とも25歳となった。

 フランス国王アンリ2世は、教会の管轄権である婚姻制度に介入して、1556年「婚姻に関する王示」により、男子30歳、女子25歳という高めの成人年齢を設定したうえ、未成年の婚姻における親の同意を強制し、これが婚姻法の還俗化の嚆矢となる。

 その第1条は「肉欲ゆえに慎みもないふしだらな婚姻が日常的に行われ、父母の希望または同意もなく、また父母の希望に反して、本人同士で婚姻を誓い合い困ったものだという苦情が国王裁判所に寄せられている。こうした婚姻は守るべき礼儀を欠き、遺憾であり、困惑をもたらすものである。これまでも法令は神への畏敬と父母への礼儀に反することなきよう命じてきたが、こうした悪弊が止まず、かえって増えており、ここに規則を定める」とし「父母の意向に反し、法令に反し、神の掟に反し、法と公序に反するものは、隠避婚姻」であり第2条「かかる婚姻をした者、しようとしたものは相続から廃除」するとした[小梁吉章2015]。

 1579 5 月のブロワ王令,16291月のミショー法典、163911月の「婚姻の手続に関する」国王宣言、16973月の「婚姻の手続に関する規則を定めた」王令などでは,未成 年者の結婚について,アンリ2 世の定めた成人年齢をそのまま踏襲しつつ, さらに「この年齢を過ぎても子供は両親に意見を求める義務があること」「両親の同意なしに結婚した未成年者に対しては,民事上の制裁のみならず刑事上の制裁も加えられるべきこと」が定められている。

 1579年のブロワ王令は誘惑=誘拐罪を死刑をもって罰するとしたほか、婚姻の要件として、トレント公会議と類似しているが4人の証人の面前で主任司祭による宗教的挙式と3回の予備的広告を強制することとした。[ロングレイ1967

 こうしてフランスでは教会の役割は王令にもとずく挙式等の執行と、婚姻登録簿の保管だけになった。

 このように、フランスは、秘密婚や身分差のある結婚を防止し、父権が強化され、結婚は親権者のコントロールのもとにおくものとしたのである。

 フランスを嚆矢として婚姻法の還俗化さらに民事婚化が緩慢ではあるが近代の流れとなった。それは教権側が、親の同意要件の要求に対し妥協しなかったことと関連している。 

 トレント公会議は、親の同意要件を否定したとはいえ、婚姻予告や挙式婚の義務化は自由な婚姻理念からは後退したものと評価できる。結婚を良い意味でも悪い意味でも世間体を重んじる結婚に変化させた。それを道徳化といってもよいが、いずれにせよ大陸では無式合意主義の秘密婚容認時代は終焉するのである。ところが英国では事情が異なる。

 

 

8)イギリス-宗教改革後も無式合意主義(古典カノン法)が生ける法として継続

 

A 古典カノン法が近代まで生ける法だったイギリスの特筆すべき法文化

 

 対照的に宗教改革後、近代まで古典カノン法が生ける法として継続したのがイギリスである。イギリスでは10世紀ごろから、婚姻と遺言による動産処分が教会裁判所の管轄権であり、13世紀に聖俗裁判所の役割分担が画定した。

 そもそも遺言というのは、「父と子と聖霊の名において」作成され、死後の幸福と安寧のためのものだったから宗教的な性格を有するものだった。動産のなかで最良のもの一つ(騎士なら馬)を墓所のある教会に遺贈するのが慣例である。遺贈財産に余裕があれば修道士に遺贈したり、橋の修復などの慈善事業が好まれた[パーマン2011]。中世の人々は死後の幸福のために遺産を残し、教会に献上されていたのである。

 教皇アレクサンデル3世は、ハドリアヌス4世(史上唯一の英国人教皇)の指名した後継者であったことから、英国は当初から支持基盤であり、友好関係を維持していた。

 クラレンドン法でヘンリー2世と教皇が対立したことはよく知られているが、近年の研究で英国では婚姻事件で活発な教皇上訴が行われており[苑田亜矢19972000]上訴が多かったのは反ベケット派巨頭ギルバート・フォリエットのいたロンドン司教座であり、反ベケット派は教権と王権のいずれも尊重する立場にあったこと。合意主義を確定したアンスティー事件も英国の事件であること。英国で採録された教令の多くがカノン法となっていること。そもそもアングリカン教会と命名したのが教皇アレクサンドル3世であること。

 13世紀においてジョン王は英国とアイルランドの国土を教皇に献上し、長期にわたって受封料を確実に支払っていた。近年の研究によりマグナカルタは反教皇文書ではなく、むしろ教皇とともに歩むことを確認したものとみなされている。事実上、中世高期の英国は国王と教皇の共同統治国家であったのである(佐藤伊藤久男氏の見解)。

 したがってメイトランドがまさしく言ったように、イングランド婚姻法とはローマ教会婚姻法そのものだった。

 とはいえヘンリー8世の宗教改革によりローマカトリックを離脱した。にもかかわらず教会裁判所は聖職者から市民法律家に入れ替わったが実務はそのまま継承され、トリエント公会議の要式主義を受容することはなく、古典カノン法の無式合意主義婚姻理論が、そのまま「古き婚姻約束の法」「コモンローマリッジ」として居酒屋など俗人の立ち合いのもとに、婚姻誓約がなされれば容易に婚姻が成立する法が生ける法として継承されることとなった。

 イングランドで議会制定法により秘密婚を防止するため中世教会婚姻法を無効としたのが1753年のハードウィック卿法である。フランスより200年遅れた婚姻法の還俗化だった。

 スコットランドはその後も生ける法であった。また英国では家族法と遺言検認の裁判管轄権が世俗裁判所に移管されたのが1857年である。

 したがってイギリスは古典カノン法の自由な結婚理念が近代まで色濃く継承されたのであり、法制史的に特筆してよい事柄である。

 秘跡神学は、結婚をキリストと教会の一致を象徴するものとして秘跡とし、夫婦愛をキリストと教会の結合に比擬してその価値を高めたが、男女の愛情を精神的なもののなかでも至上のものとし概念と結婚を結びつける願望の風潮はイギリスで一番早く受容された[社本時子1999 131頁]。

 古典カノン法が自由な結婚を擁護した中世の一例として、ノーフォーク州の名家パストン家書簡集にある1469年の長女マージョリー20歳と家令リチャード・コール30歳代の秘密結婚を挙げることができる。二人は結婚を誓ったが、引き離されてしまった。

リチャード・コールからマージョリーへの手紙

「私の愛しいお嬢様、そして神の御前では真実の妻である貴女に‥‥‥一緒に暮らす権利のもっともあるはずの私たちがもっとも離れているのですから。最後に貴女と言葉を交わしてから一千年もたったように思います。私は世界中すべての富を手に入れるより貴女と一緒にいたいと思います‥‥」

 身分違いの結婚で家族は許さなかった。結婚するならば、貧しい蝋燭売りに身を落とすしかなかった。しかしコールの求めによってノーリッジ司教は仲裁にのりだし、二人が交わした結婚の誓いの言葉が有効とされ、結婚式も執り行われた。[社本時子1999 142頁]

 このように身分差のある周囲が望まない結婚であっても、教会法を盾として自由な結婚がなされたことは特筆してよい法文化といえるのである。

 

B 秘密婚の隆盛(17世紀より18世紀前半のイギリス

 

(1604年教会法は挙式婚を正規の結婚と定め21歳未満の親の同意を要件としたが、古き婚姻約束の法も生ける法として有効であり、秘密婚が広く行われた)

 

英国においても握手結婚(男女は握手して婚姻誓約をするのが慣例)つまり秘密婚の弊害は意識されていて、1604年教会法は婚姻予告か、婚姻許可証による教区教会もしくは礼拝堂での挙式婚を正規の婚姻と定め、親ないし保護者の同意のない21歳未満の婚姻を違法(ただし無効ではない)であり、そうでない秘密婚を違法としたが、無効とすることはできなかった。

 当時の教会裁判所実務については栗原正人[1991]が、名誉革命後の権威書であった ヘンリ・スィンバーンH.Swinburne15511624)の「婚姻約束もしくは婚姻契約論」A? Treatise on Spousals or Matrimonial Contractsを検討している。

 同書は1686年に出版され、1711年重版となっているが、婚姻適齢について、7歳以上は「将来形の婚姻約束」ができる。法廷婚姻適齢は男子14歳、女子12歳であり「現在形の婚姻約束」によって婚姻が成立する。「『我は汝を我が妻とする。I will take thee to my Wife 我は汝を我が夫とするI will take thee to my Husband』というような現在形の言葉を用いてなされた婚姻約束を結ぶ男女は、いかなる合意によってもこの婚姻約束を解消しえないし、実体の点でも夫婦そのものとみなされ、婚姻の解消しえない絆があるとみなされる。従って、彼らのいずれかが実際に第三者と結婚式を挙げ、その人と肉体関係を結び、子供ができたとしても、この婚姻は不法なものとして解消され、結婚した当事者は姦通者として罰せられる。その理由は、これは将来の行動の約束ではなく、現在の完全なる合意だからである。この合意だけが公けの挙式も肉体関係もなしに婚姻を創設する。公の挙式も肉体関係も婚姻の本質ではなく、合意こそが婚姻の本質なのである。現在時制の言葉によってこのように完全に保証された男女が神の前での夫婦である」

 この内容は、合意主義婚姻理論そのものであり、先に引用した、12世紀の教皇アレクサンデル3世のノーリッジ司教宛ての教令とも似ている。

 この権威書はイングランド婚姻法=古き婚姻約束の法=コモン・ローマリッジが、古典カノン法そのものだったという証拠であると考える。

 古き婚姻約束の法は生ける法であり、英国教会主教の統治の及ばない、特別教区、特権教会、たとえばロンドンのメイフェア礼拝堂や、フリート監獄のような特許自由地域が秘密婚センターとなった。親の同意のない21歳未満であっても容易に婚姻することができた。主教(司教)の統治の及ばない、特別教区、特権教会の特権は12世紀のアレクサンデル3世の教令に由来する。理論上は教皇の直轄なのでカノン法がそのまま適用されるということである。

 1740年のロンドンで結婚する人々の二分の一から四分の三は秘密婚であったとされる[栗原1996]。多くの人々が婚姻予告を嫌い、教区教会の挙式ではなく、結婚媒介所での個人主義的な自由な結婚を行っていたので、事実上1604年教会法は死文化していった。

 結局秘密婚を防止するためには、婚姻法の還俗化以外に手段はなかったのである。

 

C 1753年ハードウィック卿により婚姻法の還俗化

 

 1753年「秘密婚をよりよく防止するための法律」(通称ハードウィック卿法)は、フリート街のの居酒屋等における聖職禄を剥奪されたフリート監獄の僧侶による結婚媒介所が一大秘密結婚センターとなったことが国の恥と認識されたことにより、反対意見も少なくなかったが、イングランドで500年以上継続した古き婚姻約束の法を議会制定法により無効としたものであり、死文化した1604年法をあらためて、世俗議会制定法としたものである。

 フランスより200年遅い婚姻法の還俗化であったが、皮肉なことに還俗化とは、クエィカーと、ユダヤ人を除いて教会挙式を強要することだった。すなわち、国教会方式の教会挙式婚を有効な婚姻とし、21歳以下の未成年者は親ないし保護者の同意を要するとした。[栗原真人1992b] 

   

D グレトナ・グリーン結婚(18世紀中葉から19世紀中葉)-それでも自由な結婚が有効だった

 

 しかし1753年法はスコットランドには適用されず、俗人の証人のもとでの現在形の言葉での合意で容易に婚姻が成立する古き婚姻約束の法(古典カノン法)はなお有効だった。また協定によりイングランドの住民がスコットランドの婚姻法により結婚してもそれは有効とされた。

 このため未成年者で親の同意のないケース、駆け落ちなど自由な結婚を求めるカップルの需要に応え、スコットランドの国境地帯の寒村に続々と結婚媒介所が営業するようになった。グレトナ、グリーンは西海岸で、東海岸ではコールドストリームが有名だが、スコットランド越境結婚を総称してグレトナ・グリーン結婚と言う。

 立ち会う牧師は元は鍛冶屋などの職人、いかさま牧師である。結婚に反対する親族の追跡を振り切るため、四頭立て急行馬車を雇い上げ、純粋な愛に燃えるカップルが胸を轟かせスコットランドを目指すロマンチックな風俗は、恋に恋する乙女たちの憧れとなり、18世紀の多くの文学作品で題材となっている。このために、グレトナ・グリーンは純粋な恋愛結婚の聖地とされるのである。西洋結婚風俗史のハイライトといえるだろう。[加藤東知1927、岩井託子1996a]

 語り継がれる華麗な駆け落ち婚について一例のみ引用する。1782年スキャンダルの元祖といわれる銀行家チャイルド家一人娘セアラ・アン15歳と金欠貴族ウェスモランド伯爵の駆け落ちである。ロンドンのメイフェアからスコットランドまで凄まじい追跡劇となり、銃で馬を撃ち合い、四頭馬車が、三頭になったが無事スコットランドに越境して結婚した。その孫娘のアディラ19歳も1843年士官と駆け落ちし、グレトナで結婚している。この時代は馬車でなく鉄道であった。[岩井託子2002 83頁]

 グレトナ・グリーン結婚の斜陽化は過当競争で結婚媒介料が低廉化し、風紀が乱れ、有名人士が嫌うようになったこと。鉄道の開通で馬車で駈ける風情がなくなったこと。決定的には1856年のプールアム卿法で、スコットランド法による結婚はスコットランド人か、スコットランドに3週間居住した住民に限られるようにしたことである。

 要するにイングランド人は、19世紀の半ばまで、古典カノン法が生きていたので、未成年であっても親の同意の必要ない自由な結婚が可能だった。

 ペトルス・ロンバルドゥスの理論や、教皇アレクサンデル3世の教令が、そのまま近代まで生きていた。英米の法文化で結婚は自由でなければならないというのは、このような歴史をふまえてのことである。英国は1929年の年齢法で婚姻適齢はコモン・ロー男子14歳、女子12歳から、男女とも16歳となった。スコットランドも婚姻適齢は男女とも16歳だが、未成年者でも親の同意要件はない。というのは、スコットランド改革教会が、トレント公会議を嫌って、要式化を否定し、古典カノン法を墨守したという歴史的背景から理解することができるだろう。

文献表(引用・参考

文献表(引用・参考)

民法731条改正、737条及び757条の廃止に強く反対し、修正案を提案する

文献表(引用・参考

赤阪俊一

2008「教会法における結婚」Marriage in the Canon Law埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 8号【ネット公開】

朝田とも子

2016(判批)「女性再婚禁止期間の100日超過部分についての違憲訴訟」法学セミナー735

荒井献

1988『新約聖書の女性観』岩波書店