第三章 婚姻の自由の抑制に強く反対
(一)16・17歳女子に求婚し結婚した学者・偉人たち
政府の法改正案は、たんに16・17歳女子の婚姻資格はく奪というだけではない。男性にとっても16・17歳女子に求婚し結婚する権利をはく奪するものである。これは男性にとってもかなり痛い権利喪失になる。
1998年タレントの高橋ジョージが24歳年下の16歳三船美佳と結婚したことはこれまでは正当だった。2015年離婚したとは言え、長年鴛鴦夫婦としてよく知られていた。三船美佳もタレントとして成功している。法改正されれば今後はこのような法律婚が否定されるのみならず、経過的内縁関係も、政府が婚姻適応能力がない年齢と定める以上、世間から袋たたきになる可能性がある。
しかし16・17歳女子と結婚ないし婚約した学者・偉人は決してすくなくないし、いずれも歴史上の大人物である。したがって16・17歳に求婚する男性をバッシングしなければならないというなら、以下のような16・17歳女子に求婚・結婚した偉人・思想家も非行だったということになり、その業績も否定され焚書しなければならないことになる。それは全く理不尽である。
1 ジョン・ミルトンの初婚の女性メアリー・パウエル(16歳とも17歳ともいわれる)
ジョン・ミルトン(John Milton, 1608~ 1674)は、長編叙事詩『失楽園』や『言論の自由』などの散文で著名である。ミルトンが33歳の時、16歳の美女メアリー・パウエルと結婚した。〔平井正穂1958、ただし17歳とする論文も多い]性格の不一致で『離婚論』執筆の動機となった女性として知られている(死別)。
2 コトン・マザーの初婚の女性アビゲイル・ フィリップス16歳
植民地移住第三世代の宗教指導者コトン・マザー(Cotton Mather, 1663~1728)は23歳の時アビゲイル・ フィリップス(Abigal Philips, 1670~1702)16歳を妻に迎えている。彼女は16年間で11人の子供を出産したが、31歳で死亡したときに生き残っていた子供は4人だけだった。
当時のニューイングランド清教徒の社会は、早婚・多産・多死型で、女性は結婚して閉経まで約26ヶ月に1度、平均10回前後、出産 を繰り返していたという。[佐藤哲也2012]
3 エマーソンの初婚の女性エレン・ルイザ・タッカー17歳で婚約、18歳で結婚
エマーソン(Ralph Waldo Emerson、1803~1882年)は自恃の精神を説く超絶主義哲学者であり、アメリカ最大の思想家ともいわれる。初婚の女性エレン・ルイザ・タッカーは、婚約時17歳だった。
エマーソンは1828年12月24日付の兄ウィリアム宛の書信で次のように婚約の喜びを率直に語っている。
「‥彼女は、並み居るお嬢さんの中でも申し分なく美しく立派な方です。‥‥彼女は17歳で、誰でもその美しさにかけては異論はなく、彼女の感性はデリケートで高貴です。私はお兄さんに彼女と会っていただければと思うのです」
婚約ののち、エマーソンはボストン第二教会で公職を得た。しかし彼女は婚約後結核と判明したのである。喀血する病人となったにもかかわらず結婚。南部へ転地旅行の甲斐なく彼女は20歳で死亡、悲しみのあまり墓を掘り返したというエピソードが知られている。
エマーソンの結婚について舟橋雄氏は次のようにコメントした「学者の結婚ばかり危かしいものはない。浮世をよそに学問に没頭して、値打ちのないものを高く評価する。ミルトンの失敗にもなお懲りず、ウェスリの殷鑑をも顧みず、無論彼等の妻のような悪妻でないにしても、みすみす病者を妻としようとするエマーソンの高潔さもことによりけりである。」{市川尚久1994 70~72p}
(なお舟橋の言及するメゾジスト運動の指導者であるジョンウェスレー(John Wesley、1703~ 1791)はジョージア伝道の際、現地のソフィア・ホブキー (Sophia Hopkey) との恋愛事件を起こしている。彼女は18歳で親密となったが、ウェスレーは伝道者としてパウロのように独身聖職者でいたいとの気持ちもあり、煮え切らなかったため彼女は突然別の男性と結婚した。ウェスレーは牧師として彼女を陪餐停止処分にした 。彼女の夫から名誉毀損で訴えられ逮捕された。このためにジョージア伝道を撤退したのである。)
4 ジョン・マーシャル・ハーラン判事の妻マルビナ・シャンクリン15歳に求婚し2年半後に結婚
John Marshall Harlan ( 1833~1911合衆国最高裁判事就任は1877)は、列車座席の黒白分離を合憲としたプレッシー対ファーガソンPLESSY v. FERGUSON, (1896)判決で、ただ一人、強硬な反対意見を記し、「法は体色で人を区別しない」「わが憲法は色盲である」と言ったことで「偉大な少数反対意見裁判官」と称される、黒人解放の先駆者であるが、旅行中に出会った15歳のマルビナ・シャンクリンに求婚し2年半後に結婚している。良妻であり内助の功のある妻としてエピソードが知られている[桜田勝義1973]。
以上、いずれも英米の事例であるが、コモン・ローの婚姻適齢は男14歳女12歳であり、これはローマ法や中世教会婚姻法も同じであるから、16~17歳の結婚はもちろん合法である。これほど偉大な人物の業績を否定することはだれもできないのであるから、英米では16歳で結婚可能な婚姻法制であるともいえるのである。
(二)我が国の法文化・婚姻慣習・習俗からみて女子18歳は不当に高すぎる年齢だ
(伝統社会で婚姻適齢は13歳、娘盛りは14~17歳とみなすのが妥当)
1 令制男15歳・女13歳は広義の自然法として評価する見解があり、徳川時代まで婚姻適齢としての意義を有していた
我が国の婚姻適齢法制の変遷は以下のとおりである
〇令制 養老令(戸令聴婚嫁条) 男15歳女13歳(唐永徽令の継受)
〇明治初期より中期 婚姻適齢の成文法なし
改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。
〇明治民法(明治31年1898施行)は婚姻適齢男17歳、女15歳。女15歳は母胎の健康保持という医学上の見地。
〇戦後民法(現行)男18歳、女16歳は、米国の多くの州がそうだったため米法継受である。
令制の婚姻適齢については、高島正人「令前令後における嫡長子相続制と婚姻年令」『対外関係と社会経済』塙書房1968所収という論文を評価する。
周知のように養老令(戸令聴婚嫁条)は婚姻年齢に関して「凡そ年十五、女年十三以上、聴婚嫁」と規定され、大宝令も同様だったとされている。これは唐永徽令を継受したものであるが、唐令継受をどう解釈するかという問題である。
この論文の前半部分では利光三津夫の「奈良時代の婚姻年令法について」『律の研究』1961明治書院の批判である。
利光三津夫説
1 奈良時代の庶民層の結婚年令は男子は平均27才強、女子の平均23才強であり、従来の早婚の風が行われていたという定説を否定。
2 唐永徽令は早婚奨励を目的としたが、日本では早婚禁止や奨励という目的は追わず、この時代の為政者が唐国の文化に心酔し、唐令の条文を模倣し法典の体裁を整えるためのものであった。
3 しかしこの律令婚姻年令法は平安鎌倉時代の貴族武家の思想に影響し、江戸時代においてさえ男子は元服は15才、女子は13才を標準年令とした。
4 とはいえ、この婚姻年令法は当時一向に行われず、庶民階級の婚姻年令の習俗に影響をあたえていない。
これに対して 高島正人説
1 早婚に風なしとする利光氏の主張は認めるが、しかし十代の結婚も少なくなく、女子の一割は13~14才で結婚していることから、律令の規定はたんに唐令を模倣したものではなく、我が国の実情、習俗そのものをふまえたものといえる。また男子15才・女子13才という婚姻年令は、身体発育、一切の生活環境から自然に生まれた広義の自然法によって招来された婚姻年令という見方を示す。
美濃国、筑前国、豊前国、山背国、下総国等の戸籍を分析しているが、美濃国と九州の庚寅年(690年)~大宝二年ではこうなっている。
男子 美濃国127例、九州34例
30才以上 21.1%
25~29才 24.3%
20~24才 39.1%
15~19才 15.5%
女子 美濃国103例 九州52例
30才以上 14.8%
25~29才 15.5%
20~24才 32.9%
15~19才 25.8%
14才以下 11.0%
2 庚寅年以後は通常男子は15才女子は13才以上で結婚していることから、律令の規定は一般によく実行されていた。
高島正人説に同調するものである。特に「身体発育、一切の生活環境から自然に生まれた広義の自然法によって招来された婚姻年令」という見解はグローバルスタンダードに言い換えることもできる。
実際ローマ法とそれを継受した教会法が男子14才、女子12才だが、東洋は数え年なので、唐永徽令・日本養老令とほとんど同じことであり、ローマ法・教会法・大唐帝国永徽令・日本養老令はほとんど同じ世界標準であった。イギリスは宗教改革後も古典カノン法の教会婚姻法が古き婚姻約束の法として生ける法として継続した経緯があり、コモンローも男子14才、女子12才である。なお、20世紀になってから教会法は男子16才・女子14才、現在のイギリスは法定婚姻年令男女とも16才である。
古法を侮るべきではない。身体発育、一切の生活環境から自然に生まれた広義の自然法としてよくできている。婚姻適齢を引き上げれば、若いが身体的には成熟している女性への求婚行動は委縮せざるをえず、婚姻の自由は抑制されることになるがそれは自然法にも反するものである。
2 「女の盛りなるは、十四五六歳‥‥」という有名な今様がある
後白河法皇が編者の歌謡集『梁塵秘抄』(1180年頃)巻二394番「女の盛りなるは、十四五六歳、廿三四とかや、三十四五にし成りぬけば、紅葉の下葉に異ならず」は歌謡研究者にはあまりにも有名な今様だが、結婚適齢期の女ざかりは14~16歳とするのである。[渡邊2004 165頁]。もっとも民謡では十七八歳が女ざかりとするものが多いとされる[植木1999]。女の肉体の輝きを謳歌するのは数え年なので16~17歳といえるのである。
3 民間習俗では裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝等が女子の婚姻資格を取得する通過儀礼
民間の習俗としては、子供から婚姻資格のある成女となる通過儀礼としては裳着、鉄漿つけ(お歯黒)、十三参り、十三祝、娘宿入り等がある。端的にいえば赤い腰巻を着用した娘は成女であり、早乙女が赤い腰巻をチラリとみせるのが日本的エロティシズムの原風景であり、それは娘が婚姻資格のある一人前の女となったことの誇示を意味していた。中世の武家は9歳で鉄漿つけ、眉毛を抜いて元服をしたというが、17世紀頃は、「十三鉄漿つけ」の語の伝存するように、満年齢の11~12歳初潮をみるころが折目とみられる。十三参り、十三祝は初潮をみての縁起習俗とみられる[渡邊2004 142-143頁]。成女式は徳川時代よりおよそ13~14歳とみられる。13歳を成女とするのは令制の婚姻適齢の影響との説はすでに述べたとおりである。徳川時代の皇族の裳着は16歳、近代の対馬の成女式が17歳とされ比較的高い年齢といえる。また若者と娘の歌垣など集団見合いその他の土俗などは古くから知られていることである。例えば中山太郎という民俗学者がいるが、若者と娘と恋愛等の土俗に関して、多くの事例を蒐集していることでよく知られているがここではいちいち引用しない。
従って16・17歳女子は女さかりとして肉体の輝く時期であり古くより成熟した年齢であり結婚するに相応しい、婚姻適応力のある年齢とされてきたのである。
4 江戸の三美人の年齢
江戸では明和期と寛政期に美人ブームがあった。明和の三美人は笠森お仙(谷中笠森稲荷鍵屋)・柳屋お藤(浅草楊枝見世柳屋)・蔦屋およし(浅草大和茶屋)または堺屋おそでであるが、最大級のアイドルとして爆発的ブームになったのが谷中笠森稲荷の水茶屋鍵屋のお仙である。鍵屋は父親の五兵衛が建てた単にお茶と菓子を出すだけの純喫茶、社務所直営の健全な水茶屋であるから、講談などの色恋沙汰は創作なのであって、本物の清純派アイドルといえる。鈴木春信の画いた錦絵は三十種に及び、双六、手ぬぐい・人形などのグッズも売れたのである。
お仙は11~12歳頃父の店を手伝うようになった。既に明和元年13歳時に評判の美人娘だったが人気絶頂の明和七年に19歳で姿を消した。武家の養女となったうえ、幕府御休息御庭者支配の倉地政之助と結婚、役人の妻として桜田門外の御用屋敷で77歳まで幸福な生涯を送った。
要するにアイドルとしては13歳ころから評判となり、人気絶頂の19歳で引退している。
寛政の三美人は浅草寺随身門前難波屋おきた、両国薬研堀高島屋おひさ、芝神明町菊本おはんである。おきたは寛政五年の『水茶屋娘百人一笑』によると16歳で、14~15の頃から見世に出ていたとみられている。おひさは煎餅屋の内儀で既婚者である。おきたより1歳年長だった。従って寛政の三美人とは16~17歳である。喜多川歌麿が三美人を画いているが、おきたは18歳が最後なので、寛政7年18歳で姿をかくしたとみられている。[佐藤要人1993]
従って娘盛りは16~17歳という認識をもってよいと思う。18~19歳はアイドル引退の年齢なのだ。
幕府の人口政策で農村からの流入を防止したので、江戸は幕末・維新期には男女同じ比率となっていた。大坂は大店が大量の未婚の奉公人を長期に抱え込んでいたのに対し、江戸では未婚の奉公人は、独立自営者となるケースが多く、幕末から明治の東京は結婚しやすい都市だったと考えられる。
5 江戸文学における美人の年齢
板坂則子[2017]より引用する。江戸初期の仮名草子『恨の介』は若者が近衛家の養女に一目ぼれする話だが、「年来ならば十五か十六と見え給ふ」とある。『薄雪物語』の薄雪は「御歳十六七」。
江戸後期では南仙笑楚満人の黄表紙『敵討義女英』で恋のため自ら命を絶つ小しゅんは、「年のほど二八(二かける八で十六歳)ばかりの美しい娘」と紹介されている。人情本では、為永春水の代表作で『春色梅児誉美」のお長は「湯あがりすごき桜色、年はたしかに十六七、ぞうとするほどの美しき姿」とされ、やはり美人といえば16~17歳が相場なのである。
6 明治前期の東京は早婚で離婚率も高かった
江戸および明治東京の庶民史研究者の小木新造氏(元江戸東京博物館長)によると、1870~80年代明治前半期の東京が離婚率が高く早婚であったということを指摘している[小木1979 287~330頁]
明治民法(明治31年、1898年施行)は法定婚姻適齢男子17歳、女子15歳としているが、それ以前は婚姻適齢の成文法はなかった。だたし改定律例第260条「十二年以下ノ幼女ヲ姦スモノハ和ト雖モ強ト同ク論スル」により、12歳以下との同意性交を違法としていることから、内務省では12年を婚嫁の境界を分かつ解釈とされていた。
松村操『東京穴探』明治14年によると、東京の中等以上の資産を有する者の子女は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とある。
東京現住結婚年齢者対象表
『東京府統計書』
明治17年
男 女
14年以下 11 128
15年以上 604 2740
20年以上 1880 2691
25年以上 2679 1496
30年以上 1607 811
35年以上 871 442
40年以上 略 略
小木前掲書309頁
この統計書を見る限り明治17年の東京は早婚の傾向をみてよいと思う。つまり女子は20~24歳の結婚より15~19歳の方が多い。14歳以下が128例、内訳が12歳7、13歳34、14歳87と決して多くないが、公式文書にこれだけの数値が記録されていることは重要であると小木は述べており、統計上現れない実態もあるとすれば12歳を婚姻年齢の境界とする解釈は実態に即したものといえる。
また松村操『東京穴探』明治14年第二篇九頁では東京における中等以上の資産を有する者の子弟は「大抵男子二十歳前後、女子十四歳ニシテ結婚スルヲ以テ常トス」とあり、14歳を標準的婚姻年齢とする見解がある。
7 明治期東京において娘盛りとは15歳から17歳であったという決定的証拠
小木新造は明治期東京における娘盛りが15歳から17歳と認識されていたことを示す資料として番付『東京箱入娘別品揃』明治11年を挙げている。これは朱引内六大区のうち三大区までの評判美人娘を番付にしたもので、年齢が記入されている。
これによると「日本橋品川町十六年二ヶ月佃屋おひさ」から「赤坂一ツ木十九年三ヶ月荒物屋おとき」まで96名に張出2名を加えて98名の娘が登場するがその内訳は
13歳 5人
14歳 11人
15歳 24人
16歳 19人
17歳 31人
18歳 2人
19歳 5人
20歳 0人
21歳 1人
小木前掲書310頁以下
98名のうち90名、92%が17歳以下である。美人・別嬪娘とは15~17歳をおおむねさしたのである。俗に娘十八番茶も出花と言うが十八歳は娘盛りを過ぎており、二十歳では年増との認識とみてよいだろう。現代でも山口百恵などの中三トリオをはじめとして15~17歳でデビューするアイドルが成功することが多い。例えば広末涼子は第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリ獲得が14歳でタレントとなった。爆発的人気はNTTドコモポケベルのCMであるが15~16歳である。吉永小百合も『キューポラのある街』でヒロインとなり、『いつでも夢を』でレコード大賞を獲り清純派女優として人気を得たのが17歳である。
15~17歳を娘盛りとする認識は実は現代もさほど変わらない。よって女性がもっとも魅力的な16~17歳が婚姻適齢から外すことは自然に反したものであり18歳に引き上げることは適切なものではない。
以上、考察したとおり我が国において伝統的に婚姻適齢は13歳以上、娘盛りは14~17歳とみなすのが妥当であり、娘ざかりとして最も女性が美しく肉体が輝く16~17歳を婚姻適齢からはずすのは全く不当なものといえる。
(三)婚姻の自由の抑制と憲法問題
1 再婚禁止期間違憲訴訟の判断基準に照らして違憲の疑いがある
私の考えでは、16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪は、憲法13条の幸福追求権、人格的利益、14条1項の法の下の平等、24条1項の両性の合意のみに基いて婚姻が成立し、24条2項の法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならないとする趣旨の憲法適合性にいずれも反していると判断するのでその理由を述べる。
またわたくしの修正案は、成人年齢を18歳に引き下げる前提で男女とも結婚相手が18歳以上で親の同意があれば18歳未満16歳以上で結婚できるようにするよう修正するというものである。
つまり16歳-16歳はだめだが、男女いかんにかかわらず配偶者の一方が成人の18歳であれば18歳-16歳で結婚可能とする案であり、加えて未成年者の婚姻の父母の同意(737条)と、未成年者の婚姻による成人擬制(753条)も継続すべきという主張である。
形式的に男女平等の案(1996年法制審議会民法部会長だった加藤一郎元東大総長の学説でも、現行の男女別の取り扱いは合理的理由があり合憲といっているので、男女別の取り扱いを維持する案でもよかったが、世間の空気に妥協し、男女同じ取り扱いとしたものである)であるから、14条1項の性差別はクリアしており、14条1項も争点としたのは17歳が結婚できなくて、18歳なら結婚できるという年齢差別の問題だけであるから、主たる問題は従前の16歳・17歳女子の婚姻資格はく奪という憲法13条と24条にかかわる法的利益の侵害の憲法適合性である。
「婚姻をする自由」については近年注目された再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決・最大判平27・12・16民集69-8-2427で加本牧子調査官解説[法曹時報69巻5号]が「『婚姻をするについての自由』の価値は憲法上も重要なものとして捉えられるべきであり、少なくとも憲法上保護されるべき人格的利益として位置付けられるべきもの」としているように、最高裁が初めて「婚姻の自由」が憲法上の権利であることを明らかにした先例である。
事案は、元夫の暴力が原因で別居した女性が原告で、なかなか離婚に応じなかったため、離婚成立直前に後夫との子を妊娠した。再婚禁止期間を6か月とする民法733条1項により、望んだ時期より遅れて再婚したことが、憲法14条1項の法の下の平等と、24条2項の婚姻についての両性の平等に違反するとして 憲法適合性が争われたものである。
同判決は、父性の推定の重複を避けるという立法目的の合理性を肯定したが、(実質的)合理的関連がないとされた100日以上の再婚禁止期間を違憲と判断した。
同判決の違憲判断基準は大筋で次のとおりである。まず憲法14条1項について「再婚をする際の要件に関し男性と女性とを区別」することが「事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものと認められない場合には,本件規定は憲法14条1項に違反することになる」と従来の判例の基準を確認した。(なお、学説は14条1項後段列挙事由による区別について厳格司法審査を要求するが、判例は後段列挙事由に特段の意味を見出さない)
憲法24条の婚姻と家族の事項については、第一次的には国会の裁量とし24条2項が立法に対して求める「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」は単に「指針」にとどまるものとする。
しかし一方で、憲法24条1項(婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。)について「婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨を明らかにしたもの」としたうえで、婚姻をするについての自由は,憲法24条1項の規定の趣旨に照らし,十分尊重に値するものと解することができる」、「婚姻制度に関わる立法として,婚姻に対する直接的な制約を課すことが内容となっている本件規定については,その合理的な根拠の有無について以上のような事柄の性質を十分考慮に入れた上で検討をすることが必要である。」と述べた。
このように再婚禁止期間大法廷判決は憲法14条の平等原則の枠組みでの司法審査であるが24条1項の「婚姻の自由」の趣旨もかなり重視されている。
この点が憲法適合性審査に加味されたために、民法733条1項の再婚禁止期間女性差別についても、たんに憲法14条の法的平等の問題として、緩い合理的関連性のテストではなく、立法目的の合理性、および、目的と具体的手段との間に(実質的)合理的関連性を必要とする、いわゆる「厳格な合理性基準」をとったと思われる。[犬伏由子2016]
なお、本件は原告側が性差別を争点としていたが、加本牧子調査官解説によると、本件は、生まれながらの属性にもとづく区別ではなく、子をもうけることに関しての身体的差異の区別であるとし、重視すべき観点は、区別そのものではなく、区別の対象となっている権利利益の問題として憲法24条にいう「婚姻」を制約するものという点にある。それゆえに、憲法適合性の判断枠組みに「婚姻の自由」が論じられたと説明している。
要するに本件はたんに平等原則、性差別事件として憲法違反を訴えるだけでは弱い事案であるが、「婚姻の自由」が重視されたために、司法積極主義の一部違憲判断を導いたのである。また共同補足意見によって提示された懐胎していないことが客観的に明確なときの適用除外の法令解釈の射程も、婚姻の自由が特に重視されている。
ちなみに、夫婦別姓訴訟最大判平27・12・16民衆69-8-2586では、夫婦同氏制は、婚姻のあくまで「効力の一つ」で事実上の制約であり、婚姻の自由について直接の制約はないとして民法750条は合憲とされているのである。
しかし 16・17歳女子の婚姻資格剥奪(男性側からは求婚し、結婚する権利の縮小)は、再婚禁止期間と同様、婚姻について直接的な制約を課す、婚姻の自由を抑制する法改正なのであるから、再婚禁止期間違憲訴訟大法廷判決の示した判断基準に従えば憲法24条の婚姻の自由の趣旨に照らして「厳格な合理性基準」(中間審査基準)が適用されることを示唆しているとみてよいだろう。
しかし、今回の法改正の立法趣旨は、「厳格な合理性基準」中間審査基準に耐えるものでは全くない。
この判決で補足意見を記した千葉勝美元最高裁判事の著書[2017]は「婚姻する自由」について次のように説明する。
「『婚姻する自由』はあくまでも婚姻という法制度を前提としたものであり、婚姻の制度をどのような内容とするかは、我が国の歴史、伝統、婚姻の形態の変遷や国民の意識、家族観等を踏まえた立法裁量によるものであるから、「婚姻する自由」は具体的な法制度である婚姻制度を前提としたものであって、いわゆる天賦人権とはいえない。そうすると、再婚禁止期間の定めは、基本的人権の制約ないし自由権の規制そのものではなく、その意味で合憲性審査も、厳格な基準により判断される必要はない。しかしながら婚姻について制約を設けることは、自由な婚姻に関する無利益(それが憲法上の基本的人権とはいえなくても、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益であろう)を制限するものであることは間違いなく、制約が過度なものである場合には、憲法適合性が問題になる」としている。
基本的に立法裁量といっているのは、我が国の歴史、伝統、婚姻の形態の変遷や国民の意識とかけはなれた主張、たとえば重婚する権利とか、同性婚の権利の主張に対して、それが直ちに憲法問題となるのではなく、立法裁量の問題とするのはうなずける。
しかし、従来から国民の権利だった婚姻適齢の引き上げによる婚姻資格の剥奪は、「重婚の自由」のような勝手な主張とは全く違って古くより結婚する自由があったのに奪うということだから、もともと権利がなかった再婚禁止期間訴訟よりも深刻な問題なのである。
16・17歳の婚姻資格剥奪は婚姻に対する直接的な制約を課すもので、要件補充規定もないわけである。剥奪だから、権利を奪わなければならないほど、合理的な立法目的がなければならない。
そうすると、16歳・17歳女子の婚姻資格をはく奪するにあたっては婚姻年齢の制限の立法趣旨は、婚姻適応能力のない社会的・精神的に未熟な段階での婚姻がその者の福祉に反するという目的でなければならないが、当事者の最善の利益にならないという実質的(合理的)関連があるという根拠が示されなければならない。
幼児や精神障碍者なら、自らの最善の利益を選択できないかもしれないが、そうではない。しかし未成年者自身の自己決定権だけを重んじるのではなく、親の同意要件を継続されるのが前提である。
しかも法律婚に伴う利益は、配偶者の相続権や夫婦間の子供が嫡出子になる、所得税上の配偶者控除にとどまるものではない。
相互扶助の共同体を形成する結婚生活の意義における人格的利益こそ重要である。性欲を充足できることはもちろん重要だが、どんなにみじめであっても結婚相手が最大の共感的理解、ともに励まし合い、感謝しあうならばは、人生の困難を緩和させ、喜びを倍に、苦労を軽減させるのである。憲法13条の幸福追求権、人格的利益の核心のはく奪として問題にされるべきである。
しかも国会は再婚禁止期間一部違憲大法廷判決の「婚姻の自由」を重視する趣旨をくみ取って、法改正を行って、再婚女性に対しては手当を行いつつ、一方で、若い初婚の女性に対しては婚姻の権利剥奪は当然だといわんばかりの法改正を強行するなら、矛盾した対応として、糾弾がなされるべきものと考える。
以下、主張されている見解について逐一反論する。
(1)成人年齢を18歳に引き下げるにあたって、未成年者の婚姻による成人擬制〈753条〉と未成年者の婚姻の父母の同意〈737条〉親の同意要件を廃止して、男女とも18歳とするのが法制度としてはシンプルで合理的という説明
米国では大多数の州で16・17歳は親の同意があれば結婚できる。我が国の成人擬制と同じ未成年解放制度をとっている。外国の立法例からみて、上記の見解が合理的とはいえない。
(2)世界では婚姻適齢を18歳とするのが趨勢という説明
英国は16歳が婚姻適齢、米国の大多数の州は16歳が婚姻適齢、カナダの主要な州は16歳を婚姻適齢としており事実に反する。
(3)婚姻年齢に高校教育終了程度の社会的、経済的成熟を要求することが適当であるという説明
結婚生活の維持という観点で、義務教育を終了しただけの社会的地位、経済力では婚姻能力がないというのは合理的な理由とはいえない。
高校が義務教育でない以上、義務教育終了後、高校以外の専門学校進学・就業・行儀見習い・結婚、何が子供にとっての最善の利益であるかは、それは親の身上統制権、監護教育権、本人の選択の問題で、政府が干渉するのは悪しきパターナリズムである。もちろん中卒で就業することは労働法でも規制していないから、中卒で稼得能力がないということはありえず、上記の説明は合理性がない。
仮に、高校卒業が望ましいという価値観を受入れるとしても、単位制高校など結婚と両立しうる履修の可能な高校もある。ちなみに16歳で結婚した三船美佳は横浜インターナショナルスクールを卒業している。高校教育の必要性という理由は全く論理性がない
経済的に女性が高卒程度の賃金を得ることが結婚生活を維持するために必要という主張も合理性はない、中卒でも収入は得られるし、配偶者に稼得能力があれば問題ないし、婚家が自営業の場合も問題ない。裕福な家なら親から経済的援助が得られる場合もあり、婚姻適応能力がないという断定はゆきすぎである。
義務教育のみもしくは高校中退で学校教育を終える者は依然存在し、これらの者こそ婚姻適齢の規定が意味をもつ可能性は高い。結婚により相互扶助の共同体を形成することこそ後期中等教育を受けることを強いることよりも当人にとっての利益となる人々は存在するのである。加えて、高校進学率の高さの実態に含まれる病理に思いを至すとき、改正案の理由の裏付けは乏しい。
(4)近年フランスがイスラム系の移民が増加し、親が未成年者に結婚を強制することが社会問題となり婚姻適齢を引き上げた事例があるが、我が国では、子供に強制結婚をさせるようなことは社会問題になっておらず、西欧の結婚文化と異なるイスラム圏の移民も少ない。フランスのような立法例も合理的な理由とはいえない
(5)外国では子どもの人権活動家が統計的に早婚は貧困を促す、離婚率が高い、配偶者から暴力を受ける可能性が高いなどの否定的な見解が示されることもあるが、初婚年齢は社会的、経済的、文化的状況で変異する変数で、人々がおかれた状況はそれぞれ異なるので、合理的な理由とはならない。
(6)年齢制限は待婚を強いるだけで、当事者の将来の結婚それ自体を否定しないとする見解もあるかもしれないが、先に述べたように相互扶助共同体として結婚の意義があるのであり、1年とか半年待たせるというのは苛酷なことである。また幸福追求権の観点で、恋愛感情の絶頂で、結婚するのが最も満足度の高いものであるから、結婚はタイミングが重要であり、恋愛感情がさめないうちに結婚すべきである
(7)婚姻適齢引き上げにより子どもが非嫡出子となっても、嫡出子との相続分での差別は撤廃されたので子供に不利益にならない主張があるが、法律婚制度をとっている以上、婚外子を増やす政策は本末転倒している。
(8)法律婚を否定されても、経過的内縁関係まで否認するものではないという主張もありうるが、法律婚制度をとっている以上、また立法趣旨で婚姻適応能力がないとされるのだから、建前として事実婚を慫慂するようなことはできないのであり、実質待婚を強いることになる。
(9)具体的な事例で例えば平成10年歌手の高橋ジョージが15歳年下の16歳の三船美佳と結婚した事例がある。鴛鴦夫婦として知られていたが、平成27年協議離婚した。
離婚は遺憾だが、それは成人間の結婚でもありうることであり、三船美佳はタレントとしても成功しており、この結婚が未成年者の福祉に反した結婚であるとは断定できない。もし政府がそういいつのるなら高橋ジョージ氏に大変失礼な見解ということになる。
(10)私の案では男女いかんにかかわらず18歳-16歳で結婚可能とする案であり、形式的に平等であるが、とはいえ実際は未成年者側が女子になるケースが多数と考えられる。結局この案では、夫の稼得能力に依存した結婚となり、男女役割分担の定型概念を助長するとのジェンダー論者から難色が示されると考えられるが、憲法14条や24条はジェンダー論を公定イデオロギーとするものではなく、そのような政策的目的と当事者の福祉、最善の利益に反するという本来の年齢制限の趣旨とは無関係である。
人類学者は婚姻家族を定義して性的分業を前提とするものとしている。政府は本来、民間の家族観、夫婦倫理に干渉すべきではないし、それは私的自治の領域であり、我が国の民法も特定の結婚観をおしつける性格ではない。
例えば今年は宗教改革500周年だが、マルティン・ルターが家庭訓と呼んだコロサイ書3:18~4・1が家庭倫理の規範とするならば
コロサイ書3:18「妻たる者よ、夫に服従しなさい。それが、主にある者にふさわしいことである」は決定的に重視しなければならない。
私は新約聖書の夫婦倫理護持の立場なので、万が一結婚することがあれば妻にそのように教育する。夫婦がそのような立場をとるにせよ。堀北真希のように仕事と家庭の両立という政府の政策に逆らって、専業主婦になろうと、それは国民の自由であり、私的自治への干渉は非難されるべきことで信教の自由は憲法上の権利であるから政府が干渉は許されない。
(11)婚姻適齢を18歳とすることは、婦人団体や日弁連女性委員会が古くから主張していたことで、18歳引上げは、安倍首相の秘蔵っ子稲田朋美政調会長によって承認された事項なので「安倍ユーゲント」と化した自民党議員としては逆らいにくい問題だが、圧力団体のメンツを重んじることこそ重要などというのは正当な法改正理由とはいえない。
以上述べたとおり、厳重な合理的関連性テストに耐えられる立法目的はないので憲法適合性にかなりの問題がある。
2 幸福追求に不可欠な結婚の権利の縮小にはきわめて慎重な態度をとるべき
すでに述べたとおり、アメリカ合衆国の憲法上の基本的権利である結婚し家庭を築く自由についてはLoving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)が婚姻が「自由な者が平穏に幸福を追求するために必要不可欠の重要な人権の一つ」と判示したとおりであり、我が国にはLovingのような先例がないが、再婚禁止期間一部違憲判決が、憲法24条1項の趣旨である婚姻の自由に絡む事案では、実質的に中間審査基準(厳重な合理性テスト)が判断基準となることを示唆しており、婚姻を直接的に妨げる規定、婚姻適齢法制は、憲法二四条や一三条と密接な関連のある法的利益の剥奪ということになるから、中間審査基準にたえられるだけの合理的な立法目的と実質的な関連性が求められるのであり、従来から既得権であり古くから認められていた16・17歳女子の婚姻資格剥奪と、男子の求婚し結婚する権利の縮小であるから、この権利はく奪は、憲法問題として把握してよいと考える。
結婚を幸福追求に不可欠であるがゆえに、権利の縮小は国民の権利はく奪として糾弾されなければならない。
(1)慰めと平和を得るための結婚の否定は正しいか
コリント前書第7章によるふしだらな行為、奔放な性関係を避けるための結婚、合法的に性欲を充足させるための結婚という意義についてはすでに言及していることなので省略する。性的乱交傾向のある少女については、性的アイデンティティ危機と理解し、相手を独占できる結婚は情緒を安定させ、有益なものと理解している。
近代個人主義友愛結婚理念を理論的に提示したのがジョン・ミルトンの離婚論である。それは17世紀英国人の結婚観といってもよいものだが、一口で言えば慰めと平和と生きる力を得るための結婚である。「人独なるは善らず我彼に適ふ助者を彼のために造らん」という「創世記」に記されたエホバ神の言葉を引き合いに出して、こう語る。
「もし神が人に禁じたあの孤独を取除く助け手に自分の妻がならないかばかりか、逆に孤独を増す助けとなる性格である場合、そうした女性との婚姻は、もっとも誠実な目的が欠けることになるがゆえになんら婚姻したことにはならない」婚姻とは孤独な生活に対して人を慰め生きる力を与えるものであり、夫婦間の相愛関係・幸福な交わり(happy conversation)こそ婚姻の「もっとも主要な高貴な目的」である。[稲福日出夫1985]
ミルトンの結婚目的の考え方は、結婚の自由を幸福追求に不可欠な基本的権利とする連邦最高裁1923年マイヤー判決や、1967年ラビング判決に連なる思想といえるし、広い意味では、日本国憲法13条の幸福追求権にも連なる意義を有するといえるだろう。
ミルトンの結婚観は清教徒的生真面目さと、ルネサンス的教養が混交しているので辛気くさいものではない。鈴木繁夫[2004]がいうように率直にセックスによる性的欲求の充足も第一義的目的とするのである。それはコリント前書7:9の淫欲の治療薬としての結婚の意義からしても当然のことである。
ミルトンは「アダムとエバの夫婦関係に神が意図したような、「適切な楽しい交わり(カンヴァセーション)を手に入れることこそが結婚の目的なのだと断定する。‥‥ここでいう「交わり」(カンヴァセーション )を、 ミルトンは「交流」(ソサイアティー)とも言い換えているが、「交わり」というのはいま私たちが使うような言葉を交わすということだけに限定されない。魂のレベルにおける深い知的な交流、ともかく一緒にいて楽しいという感情的交流、手を握りキスをし体を触れあい感じあう体感の疎通、そこから一歩進んだ性交のエクスタシーまでも含んだ広い意味をもつのが、「交わり」である。ミルトンは「適切に楽しい」交わりを、「肉体の結合」とわざわざ対比させ、交わりも結合
もともに重要で、結婚の第一義だと説明している。」
一口でいえば結婚とはhappy conversation甘美な愛の巣をつくることを第一義とする価値観であるが、結婚の目的が、家系や財産の維持や親族の利害のためでもなく、子どもをつくることでもなく、当事者の心理的充足を第一義とする。現代人の結婚観に通じている。
happy conversationは16・17歳女子は否定されなければならないというのは、幸福追求権のはく奪である。
男性にとっても女性が最も美しく肉体の輝く16・17歳女子とhappy conversationを得たいというのは自然の欲求であり、その否定は幸福追求権の否定といえるのである。
(2)夫婦の相互扶助による共同体への自然的欲求の否定は正しいか
しかし、私はそれ以外にも結婚には幸福追求に不可欠な価値があると考える。ひるがえって1917年に公布された現行カトリック教会法典は婚姻の第一目的を「子供の出産と育成」第二目的を「夫婦の相互扶助と情欲の鎮和」[枝村1980]と明文化しているが、トマス・アクィナスの教説を下敷きにしているものとみられる。
16世紀トリエント公会議の「ローマ公教要理」Catechismus Romanus)によれば男と女がと一つに結ばれなければならない理由の第一の理由は「相互扶助の場としての夫婦の共同体への自然的欲求」である。第二の理由は「子孫の繁殖への欲求」、第三の理由が初期スコラ学者が強調した「原罪に由来する情欲緩和の手段」であり、婚姻締結のためにはすべての理由は要求されず、以上の一つの理由があれば十分としている。
相互扶助を重視する神学者としては19世紀前半ドイツのカルル・ウェルテルが「キリスト教倫理体系のなかで、婚姻の目的を「夫婦間の相互の献身とすべての生活善」の共有としている。[枝村茂1980]
公教要理から離れても夫婦の相互扶助、情緒的な依存関係、相手を共感的に理解し、力づけ、感謝し合う、それは結婚以外に得難いものなのだ。結婚相手と喜びと苦労を分かち合うことにより、喜びは倍増し生活の苦労は軽減され、人生の困難は乗り越えられる。そのような人間学的考察からみても結婚は幸福追求に欠くことのできない権利という見方ができる。
次に女性特有の問題も検討すべきである。愛情の欲求には愛情を得たいという受動的欲求と与えたいという能動的欲求があり、両者の適度な充足が情緒の安定のために必要である。が女性は前者の欲求が大きいとされる。愛情にはフィリア的要因と、エロス的要因があるが、近代個人主義的友愛結婚の夫婦愛は、両者が同等の割合であるといわれている。そして恋愛感情の頂点と、結婚の時期の一致は、二人に最大の満足感を与えることになる。[泉ひさ1975]
そうすると、恋愛感情の頂点=結婚=最大の満足という道理からすれば婚姻適齢引き上げにより婚姻障碍とされることは幸福追求権の侵害であると糾弾せざるをえないのである。
わたくしの主張する結婚し家庭を築く権利は、憲法13条の幸福追求権の核心的権利という見解は社会主義者安倍一強体制では認められず、残念ながら、国会議員の多くがエンゲルス主義者であり婚姻家族の解体を政治目的にしてしまっているのは、日本にとってとても不幸な状況にあるということを付け加えておく。
« 第二章 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理 | トップページ | 第四章 男女平等以上に、ジェンダー論やマルクス主義の結婚観を公定化し、国民の私的自治を否定する立法目的は粉砕されるべきである »
« 第二章 成人擬制を廃止し、婚姻適齢を成人年齢に一致させることの不合理 | トップページ | 第四章 男女平等以上に、ジェンダー論やマルクス主義の結婚観を公定化し、国民の私的自治を否定する立法目的は粉砕されるべきである »
コメント